大学受験でどの大学選ぶか悩んでいる時期の話なんだけど、ちょっとトラウマっぽいけど微妙な所だから書いて整理する。
既に世界は氷河期を食らったあとで、まあ世の中ってのは「もう東大に行こうが無駄だ」「とりまIT業界はオワコン」「文系は無価値な詐欺師。理系は専門家気取りの素人」「とりまこんな世界にした竹◯をぶっ殺す」みたいな言説が溢れていた。
今思い出すとあれは今Twitterで流行ってる不幸自慢が半分ぐらいで、大袈裟な表現を繰り返してとにかく反応を待つという側面も強かったんだろうな「友達3人が持ってる」を「クラスのみんなが持ってる」に言い換えるようなレベルの幼稚な過剰表現だったんだろう。
うちの家系はなんか公務員一家みたいなところがあって、公務員の父と専業主婦という組み合わせの親戚ばかりだったから「実際世の中どうなの?」と聞ける相手もいなくて、頭の中はネットの情報ばかりに偏っていった。
漠然と将来はプログラマーになりたいという気持ちがあって、それは結局子供の頃にゲームクリエイターになりたかった夢を現実的なレベルに調整しようとした結果だった。
でもIT業界は終わってしまったっぽいので、そこに近い辺りの電子工学系に進もうと思っていた。
それでオープンキャンパスとかで情報収集してそれぞれの学科の将来像を聞いていくと、なんだかどこに行っても自分は社会で生き残れない気がしてきた。
日本じゃ自動車業界が強かったらしいけどリストラ沢山したと聞いているし、韓国とかが伸びてるっぽいから日本の大抵の業界はもうかなり厳しいとかそんな話もネットでよく見た。
厳しいノルマを課されて生き残れるのかって考えだすと、全部もう無理だと思えてきた。
それがどっかで負の無限ループを頭の中で組んでいって、少しずつ増えていくうちに、段々とメンヘラ系の話題をネットで収集する傾向も増えていった。
ある日親に
「最近、希死念慮がある。もしかしたら、子供の頃からずっとあったのかも(自分、背が小さくて臆病だからいじめられっ子だったし……)」
と相談した。
うちの親はなんか大学で心理学をちょっと齧っていたっぽくて、そんで今でもたまに図書館から借りてきた心理学の本が机の上にもたまにあったからナニカ分かると思った。
そしたら親は思いっきり鼻で笑ったんだよな。
「いやいやそんなん希死念慮のうちじゃないって。大丈夫だって。受験勉強が辛いから現実逃避で変なこと考えてるだけだ。寝るか勉強しろ」
って。
まあ確かにそうなんだと思う。
漠然と死にてえ居なくなりてえ疲れたもう辞めてえ未来見えねえ理想通りじゃねえ自信が持てねえ皆に嫌われてる気がする迷惑かけてる気がするから親からも鬱陶しがられてるとしか思えねえみたいな気持ちが溢れていただけで、実際に行動に移したかと言えばせいぜい首吊ロープの強度はどれぐらいがいいかまで調べたぐらいだった。
高いビルの上にいると手すりの先に吸い込まれてしまうような恐怖心があって、若干高所恐怖症ぎみみたいな時期だったけど、通学のときにホームや電車に吸い込まれそうになる感覚とかは全然なかったし、希死念慮と言うには遠かったのは事実だ。
でもうっすらそれに近いものが始まってたと思うんだよな。
希死念慮って医者も認めるラインが10ででそれが100まで溜まったら本当に死ぬとして、自分はまあまだ1ぐらいとかだったんだろうけど、それまでは0.05ぐらいだったのが気づいたら20倍になってたわけで。
たとえば小学校の頃に、サッカーの授業が終わったあとにサッカー部にやたらガミガミ言われたのが嫌で次の体育の日に休もうとしたときも、とりあえずその日だけ休もうぐらいまでしか考えてなかったけど、高校時代はそういう人間関係のゴタゴタや学校での失敗があるたびに退学がよぎったし、その退学したあとの世界で想像する自分はそのまま引き籠もって一ヶ月後~20年後とかのどっかで首吊ってた。
なんかこう勢いよくネガティブな方向に吹っ飛んで行きたがるような衝動というか、結局逃げ癖みたいなもんなんだろうけど、その範囲が人生全体に及んでいる状態だった。
とにかく人生そのものが失敗作にしか思えないし、世界そのものも毎日ちょっとずつ嫌な気分を積み上げてまで生きるに値するようなものだとも思えなかった。
まあ全体的に気分の沈み方が人生でも上位一桁代に入ってた時期だった。
その頃に親に相談してみて帰ってきたのが、「その程度で」っていう鼻笑いだったんだよな。
はぁ……やっぱ駄目だなまだ引きずってるな。
こっちの聞き方が悪かったり、実際受験勉強とか将来を考えるのが辛くて逃げたい時期だったのはまあそうなんだろうな。
そこで親としては「ここで変に甘ったれることに成功体験を積ませられない」とか「変に希死念慮があると言ったら思い込みでもっと悪化するかも」とか考えたんだろうな。
本当に言葉に詰まったなかで、もうどうしようもないからで笑うしか無かったのかも知れない。
でもあの笑い方はやっぱ鼻で笑ってんだよな。
「オマエごときの人生で悲観的になるとか人生経験しょぼすぎんだろざっこwwww」っていう気持ちがその時は見えたんだよな。
少なくともその時は。
それが本当にそうだったのかは分からないのは知識としては分かるんだけどな。
人間の記憶が無加工で情景を絶対記憶するビデオカメラじゃなくて印象を中心にそれっぽい情景を当てはめるフィーリング手動の再現映像でしかないって。
でも自分の記憶にあるのはやっぱ、鼻で笑われたことなんだよな。
いやまあ自分で読み返して思うよ、なんか私可愛そう感出して承認欲求満たせないか狙ってる面倒なやつでしかねえなって。
でもそれを精神がヤバい時期に親に笑われたのはやっぱ根に持って良い気がするわ。
やっぱトラウマっぽいなー。
コレ思い出すたびに、「親の葬式で手を合わせないで遺灰ぶちまけてやりてーな」みたいな気持ちが湧いてくる。
大事に育ててくれてありがとうございますクソムシに育ちましたよくそったれってかましてやりてーなって。
人間関係ってどうして絶対にやっちゃいけないミス一回で壊れそうになるんだろうな。
人間の脳みそなんてバグばっかなんだから、とっさにリアクションミスるぐらいいちいち気にしてられんじゃん。
昔のPCがしょっちゅうフリーズしてたり、今でもブラウザやゲームが突然クラッシュするのと同じ程度の頻度で人間なんてバグんじゃん。
分かるんだけどな。
分かるんだけど疑いが消えないんだよな。
親の葬式出さなくていいよ 「本人がお葬式望んでなかったんで…」で安く済まして貰える遺産を多くしよう 葬式で暴れたら生きてる人に迷惑だし、親も「その程度で」怒ったりしないよ