はてなキーワード: バラエティとは
1980年代の100m走において9秒7の大台に乗った人類はベン・ジョンソンただ一人である。その後、人類が再び9秒7の大台に乗ったのは1999年のモーリス・グリーンである。
その後、陸上競技大会への復帰が認められ、1992年のバルセロナオリンピックの100mに出場したが、準決勝敗退した。ところが、その後出場した競技会で再びドーピングで陽性反応が出たため、公式の陸上競技大会からは事実上永久追放され、IOCの第1種ブラックリストに登録された。
ジョンソンは、後のインタビューで自分はルイスのスポンサーに狙われており、スポンサーの関係の都合などでルイスは検査に引っかからなかったが、自分は犠牲になったと語っている[6]。
引退後
2000年7月12日、イタリア旅行中にローマのベネト通りで空腹訴える様子の中年女性と少女が近付き、中年女性と話している隙に財布(約1000万リラと免許証入り)を少女に盗られ、全速力で追いかけたものの、捕り逃がしてしまったことがあった[7]。
日本のバラエティ番組の企画にしばしば呼ばれることが多い。しかし、いずれもスポーツバラエティではなくお笑い色の強い番組である。(例トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜、クイズ☆タレント名鑑などの藤井健太郎 (TVプロデューサー) プロデュースの番組)
2010年8月1日、日本のテレビ番組「クイズ☆タレント名鑑」(TBS系列)の企画で、100mのタイムを計測した。48歳という年齢の上に体重も100kgと往年の面影はなかったが、予想を上回る11秒50という好タイムを記録。
人のこととやかく言えるような喋り方をネットの連中、リアルのジジババ、おばちゃん、アラサー、クソガキ、誰ひとりやってねえってことだよな。
ババァ共はいまだに太宰の文法真似ときゃ格好良くなると信じてるし、
アラサー共はバラエティとネットのキメラ見たいな喋り方だよな、
そんでガキ共は淫夢語録だったりVtuberの真似をしやがる。
お前らのその喋り方も十分気持ち悪いっての。
昔の日本の書物がなんでもかんでも文語体の日記だったり、漢文至上主義見てーのだったり、宮廷で流行りの和歌っぽいのを取り入れ匂わせだったり、そういうのが歴史的な観点外してみるとその時代ごとの流行りが丸出しで「無駄に特徴的すぎる文章ばっか」だってのは何も変わらんだろ?
ソレに対して「お前の文章wwwお前の世代滲み出すぎてるだろ(核爆)」とか言うのはなんか違うよな。
「黒人って唇分厚すぎるだろwwwwだからジャズで管楽器吹かせると上手いんだなwwwww」ってのとどう違うんだ?
いいか。
まあ時代によっちゃあ「兎にも角にも差別された奴の負け」ってルールの時代もあったな。
まあそれってつまりは生まれたままの知能、詰まるところは幼稚園児レベルの感性から変化してねえってことだけどな。
おっと俺もまた「子供のほうが知能が低い」っていう差別をしてしまったな。
これは年功序列が激しかった時代は単なる区別だってことになっていたんだが、今の時代は怪しいものよな。
どうだ?
2021年9月12日にM-1グランプリ1回戦札幌予選を見てきた。会場は狸小路5丁目のサツゲキ。
エントリーは82組で、欠席者もいるので実際の出場は73組。MCはすずらん。3時間超の長丁場だったが、これでもまだ他の都市に比べれば短い方だから恐ろしい。
札幌予選はアバンギャルドなアマチュアが多くて面白い。MCのすずらんも後日のライブで言及していた「R-1三人衆」が今回の注目株で、相方が人間じゃない組が3組もいた。漫才の定義を揺さぶりにかかる札幌は色んな意味でフロンティアだ。ついでに顔出ししていないコンビも複数いた。
印象に残った組についてレポしてゆく。
「新番組」。明らかに悪意のあるキャスティングが展開されるが、そこにはツッコミがない。ひろゆきのモノマネがちょっとだけ似ていて、札幌予選初笑いをとる。
北海道の離島出身だというおじさん2人のコンビ。島の話が面白そうだったのにそこは広げてくれなかった。
声が大きくて初めてちゃんと漫才らしい漫才が来た!という感じだった。でもチビネタ一本槍はきつい。
「好きなペット」。とても演技が上手で、意地を張るあまり暴論をかましてゆく展開が自然だった。この日初めての合格。
「さよならミオちゃん」という札幌のバンドのボーカルの方が組んでいるコンビ。
仮面をかぶりながら踊る雅楽漫才。雅楽は1300年の歴史があるらしいので、すゑひろがりずの狂言漫才よりもさらに古い。場を和ませてくれました。
大学のお笑いサークル出身のコンビ。ボケは2020年に「風水」というコンビで札幌予選2位通過したテレビ局の方で、ツッコミは2018年に「とれたて力」というコンビで3回戦進出したことがある京大医学部卒の方。さすがに達者だった。
「食べちゃいたい」。この日初めてのプロ組で、ピン芸人同士のユニット。クレイジーなボケと悲壮感のあるツッコミの相性がよかった。このツッコミは汎用性ありそう。
「割り込み」。男女コンビで、ボケの女性がはつらつとしている。
「早口言葉」。R-1三人衆の一人目。アレクサを相方にして漫才をする。ちゃんと自分でプログラミングをしているらしい。アレクサは一応自分で声を発しているので、ちゃんと漫才だと思えてしまうのは、だいぶ毒されているのかもしれない。
「言葉を弱くする」。男女コンビ。きれいなお姉さんがくだらないことをやっているのが意外と新鮮。
「刑務所」。「囚人一号」という名前のコンビもいたが、こっちのほうが囚人一号っぽいことをやっていた。
「大喜利」。スケッチブックを持ち込んだトリオ漫才。老人ホームで職員たちがレクしてるみたいだった。
「混浴」。ツッコミの方は2020年に「パブロ学級」というトリオで出場し、2回戦で結構ウケながら惜しくも敗退していた。もともとは札幌の演劇畑の人たちらしく、声も聞き取りやすくて面白かった。この日初めて大爆笑をとっていた。公式サイトの写真の謎の勢いが笑える。
「バーテン」。「ワンランク上!」「ワンランク下!」と評価しながらツッコミを入れてゆくシステムが、アマチュアながら完成されていて面白かった。
「桃太郎」。童話をネタにわかりやすくボケ倒してゆく王道スタイル。
「怖い話」。札幌でフリー活動しているコンビ。熱気あふれまくって最後は卒倒するツッコミの勢いがすごい。
おじさんと若者のコンビ。ちょっと顔が似てるので親子かなと思ったが、互いに苗字で呼び合っているので他人なのかもしれない。謎が多い。腕組みをしながら話すおじさんがMCのすずらんにネタにされる。この日最初の時間切れ爆発。
元気な兄弟コンビ。兄の方は「アンドリア」としても出場していた。
「2択クイズ」。男女コンビ。ボケの女性が見るたびに不気味な雰囲気になってゆく。
「酒」。2020年の札幌予選3位通過コンビ。最近はずっと四字熟語漫才をやっている。
「万引き」。段ボール箱を持ち込んでネタ時間中に組み立てるというとんでもないネタ。アバンギャルドなアマチュアたちの中では埋もれ気味だったけど、結構めちゃくちゃなことをやっていて面白かった。
「改名」。同級生3人のわちゃわちゃした漫才。にぎやかでした。
「運命の出会い」。最近は地元の深夜バラエティにもちょこちょこ出てて知名度があるのか、出てきた瞬間パッと華やいだ印象。ハイテンションな王道のコント漫才で結構ウケていた。
「おなら」。太田プロに札幌支社ができるにあたって東京からやってきたコンビ。
「吹き替え」。日米コンビだが、アメリカ人がツッコミというのが他にない個性。
「千円」。旭川のアマチュアコンビ。声も通っていて達者だった。別のライブで見たときよりも毒は弱めだった。
ひょっとこのお面をかぶって喋らず、パントマイムだけで漫才をしていた。この日二組目の仮面コンビ。オチで一言だけ喋ったとはいえ、このコンビでも終わった後にちゃんとマイク消毒することに笑ってしまった。
「姉が欲しい」。普段はコント師だが今回はしゃべくり漫才。ボケがかなりの変人なのだがいまいち爆発せず、札幌吉本勢唯一の敗退。
「コンビニ強盗」。何度も見た代表ネタだけど、結構改良されていてよりポップになっていた。
「おすすめスポット」。アイヌ文化を題材にしたネタをするコンビ。札幌の地下ライブにもよく出ているけど、今まで見てきた中で一番ウケていた。ウポポイという名前が北海道では相当浸透しているおかげだろうか。東京だと知られているのかなあウポポイ。
ゆるい雰囲気でよかった。
「ペット」。札幌NSC1期生のピン芸人2人による男女ユニット。二人でむかわ町のロケに行ったからイノセラムスなのかな。天然な弟としっかり者のお姉さんという雰囲気のほんわかするコンビだった。
北大サッカー部の先輩後輩というプロフィールだけ妙に記憶に残っている。
「食レポ」。フリーで自ら仕事をとってライブも主催して頑張っている北海道版さらば青春の光。35歳以上の心だけ的確に撃ち抜くワードを連発しながら、若い女性にも結構ウケていた。
「最近好きなもの」。北海道住みます芸人で札幌吉本のエース的な存在。安定のウケを取っていた。
R-1三人衆の2人目。旭川のアマチュア芸人。ジェイソンのお面をつけたマネキンを片手に漫才する。一応声色を変えてジェイソンの声をやっているので漫談ではない。お面を相方と言い張るような人なので、「ネタを飛ばした」とネタ中に言い出していても本当かどうかわからない。嘘と本当の境目が壊れてゆく不思議な体験ができる。タイミングをはかった時間切れ爆発で大爆笑を呼んでいた。キングオブコント札幌予選でも当日に相方を決めたり、とにかく出場したら何かをやらかしてくれる人という謎のワクワク感がある。
「10回クイズ」。使い古されたテーマだが新しい切り口を見せてくれた。アマチュア扱いだけど事務所所属経験があって実質的にフリーに近いコンビ。
「ミスチルに入る方法」。トリオ漫才だが、コンビ漫才を同時並行してやっているようなユニークな形式で斬新だった。公式サイトの写真でも明らかに立ち位置がおかしいのでただならぬことをしているのが伝わる。落選は残念。
ジモティーで結成したという男女コンビ。女性の方は太田プロ札幌のライブに出てるけど、アマチュア扱いってことはまだ正式所属ではないのかな。
なぜか客席の一部が妙に沸いていたが、知り合いが来てたのかな。
札幌ではケーブルテレビなどでレギュラーを持っていてそこそこ露出のあるピン芸人と、ラジオパーソナリティもしているバスガイドのユニット。早口言葉を普通に噛んだ。
「甥っ子」。最近始めた新しい型がうまくいっていた。途中でボケとツッコミが交代するのもハマり、この日見ている途中で少なくともTOP3には入るだろうと唯一確信したコンビ。
「お祈りメール」。R-1三人衆の3人目にして大トリ。金魚片手に目出し帽姿でまあまあ軽妙な漫談。金魚と会話する意志すらほとんど見せていないのでこれはさすがに漫才ではない気がするが、場が荒れに荒れていたのでウケていた。意外とトークスキルはあるので、札幌の地下ライブとか出たら普通に勝つと思う。金魚が強盗より年上で職業がフリーターと、公式プロフィールでボケをかましているのも印象深い。
結果としては不合格だったものの、R-1三人衆、その中でも特に金魚と強盗のためにあるような札幌予選だった。昨年のマヂカルラブリーの漫才論争なんて一笑に付すようなクレイジーな予選で、大阪にも東京にもない北海道ならではの個性が爆発していた。普通にウケて普通に通過したゴールデンルーズも、ほぼ1人しか喋っていないのでマヂラブ漫才じゃない派の人たちの区分けなら漫才じゃないはずなのだが、他が狂いすぎててもはや誰も疑いを挟まないレベルになっている。相方が人間じゃない3組が目立ったが、素顔を晒していないコンビが3組いるのもなにげにポイントである。まあ金魚と強盗はその両方を兼ね備えているのだが。
もう10年、20年もしたらイケメンもイケイケJKも容姿が残念な男子女子もみんな揃って多かれ少なかれオタクコンテンツに親しんできた世代がカルチャーの中心になる。
ネットで陰キャが散々ネガティブ印象をキャンペーンしてきた「オタク」というワードも使われなくなるだろう。
中国みたいにオタクコンテンツのことを「二次元」と称するようになり、アニオタは二次元フリーク、みたいになる。
今はエヴァだの鬼滅だのの少年誌系程度までに収まっているテレビにも、美少女コンテンツや乙女系コンテンツがCM以外でも普通に取り上げられ真面目に評価されるようになるだろう。
もちろん公共の電波に乗る大手作品は今もそうだがビジュアル的にはお利口な作りで、露骨に揺らしたりパンチラしたり半裸になったりはしない。
だが二次元特有の異性に媚びた演技などは普通にフィクション作法として問題なく認識できるひとが多数な世の中になっていくし、朝バラエティにジャニーズが出るようなノリで声優がもっと普通にテレビに出てくるだろう。
まあ裏名義を持つ声優さんは例外だろうが、方向性としてはそういう自粛感も薄れていき、本人が望むなら影に留まらないでいることもできるようになるだろう。
一般に9時とか10時のドラマで主役取るような20代~30代(場合によっては10代も)の女優はそのルックスから男人気が高いとされている。
というよりも、そうであるという印象を植え付けようと、日々そういう印象操作活動を「テレビ側」が継続しているといったほうが正しいかもしれない。
だって男人気が高いなんて、肌感覚で実態とは合わないと、男として思うから。
告白されたら振ることはまずないだろうが、女優として売れてる人たちの顔って性的にそそられるようなものではないと思う。
端的に言えば穴に突っ込んでも勃たない気がする。恋愛対象ではありうるが結婚しても一生ディンクスなんてことになりそうだ。まあ親族に対して鼻高々にしていられるぐらいの価値はあろうか。
男にとって女とは抜ける穴と抜けない穴に分類される。言い換えれば、ブスか、ブスでないか、だ。
明らかに女優は「ブスでない」方に分類されるが、ああいう顔は演劇において優れた威力を発揮する、言い換えれば、様になるという状況を作り出すのに優位なものなのであって、別に男を興奮させる顔というのとは違うと思う。
でも男たちもまた自分のプロフィールを伝えるのに「好きな女優」を言ったりすることが多い。これは結局、本当に抜ける顔としてはAV女優のあの子が本来の好みということであっても、それを言ってしまっては下手したら社会不適合者の変質者扱いされてしまいかねないから自重しているだけなのだ。AV女優の好みなんて千差万別でゴールデンタイムの女優を引き合いに出すの違って話題の共有が難しかったりそこで話が盛り上がらなくなってしまうという問題もある。
しかし多くの男はそれを自分だけの問題だと思っている。対外的には「新垣結衣が好き」とかみたいに答える男にしか出会わないから。
これは言うなればパノプティコンに囚われているようなものだろう。本当は皆テレビの女優などそこまで好みではない、でも各々社会的正しさという壁に隔たれて実際の好みを明かせないから、「俺は違うけど、ゴールデン女優は男に好かれているんだろうな」というのが各々の頭の中の主観的事実になってしまうのだ。結局それはテレビの作り手にもおよび「男なら、長澤まさみが好きなんだろう!?」と乱心を起してそういう内容のバラエティばかり作ってしまう。(その筆頭がモニタリングだ。)
ゴールデン女優が人気という印象には波風が立たないとこともあるかもしれない。女優ぐらい綺麗な人に男がなびくのは許せるって感覚が女にはある。
しかしこの綺麗というのは舞台映えするということの言い替えでしかないのだが、そこらへんあけすけにして男にとっての本当の好みが伝わってしまうような番組作りをするようになればたちまちフェミニストなどが黙ってないだろう。
まあそんなわけですよ。俺みたいなことを思った人には他にもいてその疑問を表明したブログなり星の数ほどあるのかもしれないが、そういうのはグーグルに「しょうもないこと」と認定されてSEOの影に追いやられているだけなのかもしれない。そこで俺もまた「誰も言わないことを思い切っていってみたと勘違いした者」の一員になってしまっただけかもしれない。おそらくこの増田などを見つけられなかった人がまた同じような内容の文章をネットにあげるわけだ。歴史は繰り返すのだ…。
「やろうと思うこと」の関係性に則って順序よくやらず、色々平行してやってるだけ。
散漫だから効率は良くないかもしれないけど、「アレをやってからコレをやる。そして次にソレを…」っていうまどろっこしさを感じずに済む。
アレもコレもソレも全部同時にやる。
で、この癖というか性質を直したいというのなら、ADHDのお薬を飲むことだね(比較的出して貰いやすいストラテラで充分だよ)
でもな。「俺、頭おかしいのかも」って思う以外に不都合が無いのなら、いちいち直さない方が良いと思うよ。
一個のことに集中せざるを得なくなると本当に苦痛。文章読みながらバラエティ見たり出来なくなるんだよ。面倒だよ。
そんなことすら出来なくなるんだから、よっぽど「頭おかしい」状態だと思うよ
(しかも、集中して文章読んだところで記憶に残り続けるわけじゃあないときたもんだ。集中力のある馬鹿。
ただ全員露出は控えるべきだし
そもそも歌番組みたいなバラエティいる?って話だけどな(民放に任せろよ)
4ヶ月前、僕は合同誌の誘いを受けた。
内容はSさん原作のアンソロジー本、ようは「うちの子二次創作合同」だ。少しイヤミっぽい書き方だが作品名をボカす為、何卒容赦いただきたい。
「うちの子」とは大抵の場合その人が創った一次創作キャラクターの事である。それの二次創作本を原作者主催で作るのだから公式アンソロジーと呼べるかも知れない。
かなり内輪ネタ感はあるがSさんとリプライを交わしたこともない自分に声がかかったのは意外だったし嬉しかった。
数年前にHPにあったイラスト、ショートストーリーに強く惹かれ何枚かファンアートを書いたことがある。それを見て招待してくれたのだという。
自分の作品が見られ評価されるというのは創作者にとって一種の麻薬である。僕は気分が高揚するのを感じながら了承の旨を伝えた。
自分で言うのは変だが僕は二次創作が得意だ。真骨頂と言ってもいい。
映画、小説、漫画、動画、あらゆるコンテンツを見ても一番最初に考えるのは「自分ならどんなストーリーを作るか」だ。
原作者が組み上げた土台の上で自分の思うがままにストーリーを展開させるという楽しみ方。オリキャラを出すわけではないのでメアリースーとは違うと思う。
子供の頃から日常的にやっていた事だが、多種多様な作品を見てネタの引き出しもバラエティに富んだ今、考え出すと止まらなくなる。
久しぶりに物語を読み返し、設定を思い出したところで僕の頭の中では無数のアイデアが浮かんでいた。
シリアス系、ギャグ系、まったり系……どれも捨てがたいが一番得意としているギャグで行く事にした。
構成を整える為、メモ帳に思いついたネタを書き出していったのだが珍しく指が止まった。
僕はネタ出しの際、とにかく頭の中のものを全て出し切ってから取捨選択を行うので何故この段階で固まっているのか自分でも分からなかった。
最後に入力した行を見返した時、自分の異常さに無意識のうちに反応したのだと理解した。
ニュアンス的には銀河鉄道999のメーテルが「行くわよネジ!」と言っているようなネタだった。
Sさんの作品は人の生き死にが関わってくるシリアス系の作品だ。こういった作風に対する二次創作ではブラックユーモアや軽いノリを入れるのが僕の好みだった。
商業で展開してる作品(同人だが東方Projectも含む)の二次創作を行っていたときは気にしていなかったが、ここで初めて原作者の存在を思い出した。
このネタを見たとき、Sさんはどう思うのだろう。怒るだろうか悲しむだろうか。
自分が原作で主催の合同誌だ。載っている作品は全て見るだろうし、第三者からしても「Sさんはこの人の作品を認知している」という事になる。
それは僕にとって非常に不都合だ。
今までやってきた二次創作は原作が手の届かない大手だったからこそ自由にやれていたのだ。
少々グレーではあるが二次創作者は同人即売会などでひっそりと本を出し、原作サイドは見て見ぬふりをする。この暗黙のルールに僕は守られていた。
だが今回は違う。原作者に認知され、認知されたことも認知される。同人であって同人ではないのだ。
二次創作ということに変わりはないが僕がやっていた二次創作とは全く異なるものである。
咲の天江衣が手足を折られている絵も描いた。東方のミスティアローレライが呪歌を歌う本も描いた。
原作ファンから嫌悪感を抱いたコメントをもらった際は「嫌なら見るな」のAAと同じポーズをして全く気に留めなかった。
何故なら悪意を持って絵を描いているわけではないからだ。後ろめたさや罪悪感は微塵も無い。
ただ思いついたから描いただけ。絵のメッセージ性を考察するだけ無駄だ。何も考えてなどいないのだから。
思い返すと僕は一次創作をやった事がない。だから一次創作者、原作者の考えが分からない。
以前エヴァンゲリオンの最終章を観に行ったが映画館を出て考えたのは二次創作のことだ。
作品が織り成す表現、意図、メッセージは頭になかった。ただボケっと観ていただけで精々CGのクオリティにビックリしただけだ。
その後暫くするとYouTubeに考察動画がアップされ、それを観て理解した気になった。作品の深みが分からないまま。
一次創作において一番大変なのは世界観、キャラクターの設定だと思う。優れた設定さえあればほぼ自動的に物語が出来ていくというのを作家の誰かが言っていた気がする。
Twitterで見たのは複数のキャラクターを何もない部屋に閉じ込めた時、どういった反応を示すかが瞬間的に思いつく作品は優れているというものだ。
自分の好きな作品をいくつか試してみたところ面白いようにキャラクターが動き出す。個性豊かで磐石な設定が築かれている証拠だ。
個人の感性が関わってくるので同じ作品でも結果が異なるのは当然だがキャラクターの性格上ありそうなアクションを起こすはずだ。
何もない部屋ですらちょっとした物語が始まるのだから二次創作というバーリトゥードでは無限に話を広げられるだろう。
二次創作しかしてこなかった僕は一次創作における土台の作り方を知らない。コツなどではなく根本的なものから知らなかった。
やっと絞り出した設定を見返しても有名作品の劣化コピーか、足して割ったような歪なキメラで作品としてのまとまりが無い。
他人の作品を利用して楽な工程だけやっていたから至極当然の結果と言える。
僕は感受性、0から創りだす発想力に乏しいのかもしれない。曲がりなりにも長いこと創作活動を行っていた人間が創作に向いていないとは皮肉なものだ。
つい最近ニコニコ動画で面白い作品を見つけた。『【クッキー☆ボイスドラマ】魔理沙とアリスの自己矛盾☆』という動画だ。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm36353098
例のアレ、と呼ばれるジャンルのクッキー✩という作品をテーマにしているらしい。
時が流れるにつれ変化していく界隈や情勢を風刺したドラマ、だと思う。
元ネタの名前こそ聞いたことはあるものの、詳細は知らないので内容に関してはあまり理解できなかった。
ただ主人公の女の子が二次創作ならではの悩みと葛藤するシーンに少し共感を覚えた。
元々一次創作を行っていた女の子が、甘い誘惑に誘われ二次創作に手を出すところから物語は始まる。
作品の看板を借りるだけで今まで伸び悩んでいた絵の閲覧数が増えたことに気を良くした主人公はどんどんと沼に嵌っていき、二次創作に依存していく。
ある日描いた絵を見返すのだが「本当の自分が描いた絵」が一つも無いことに絶望し二次創作からの脱却を図る…という話。
特に主人公が序盤で一次創作をしていた時は左利き(ペンを左手で持っている)だったのに、二次創作を行うようになってからは右利きになり、
クライマックスでの本当の自分を取り戻したシーンでは左利き(マイクを左手で持っている)に戻ったりと主人公の心情が視覚的な対比として描かれていたのが印象的だった。
動画は立ち絵を手や足などの細かいパーツに分割し動かす切り絵アニメーションをメインで使っているようだ。
小規模の制作グループで45分以上あるアニメを作るなら確かに合理的である。それでも膨大な手間暇がかかっていることに違いはないが。
今まで見てきた作品とは違い、鑑賞後は何も考えられなかった。ある意味生まれて初めて心の底から作品を楽しめたのかもしれない。
コメントを見る限り様々な小ネタが含まれているようで理解できなかったことが一層悔しく思う。知っていれば多角的に楽しめるのかもしれないが今の僕には十分面白かった。
作品の表現、演出一挙一動に注目し、感想が出てきた事に自分でも驚いたのを覚えている。僕にとってそれくらい強烈な体験だった。
これまで僕がやってきたのは作中の言葉を借りるならば「安易な二次創作」に該当するだろう。中身がなくハリボテみたいな創作だ。
話を戻すがSさんの合同誌の誘いは断ることにした。昨日謝罪のメッセージを送信し納得してもらった。自分の無責任さと幼稚さで迷惑をかけてしまったこの事は二度と忘れないだろう。
僕なりに考えたが健全な創作には感情が必要なのだと思う。嫉妬、欲望、勿論熱意でもいい。プラスでもマイナスでも構わないから感情という名の原動力がいる。
問題はそれが狂気的でなければならないことだ。中途半端な嫉妬心、欲、熱意では筆を折ってしまうだろう。イカれてるくらいがちょうどいいかも知れない。
そして健全な二次創作には矛盾が付きまとう。原作設定との矛盾、創作においての矛盾、先程挙げたコミケの暗黙のルールだって本来は矛盾している。
その矛盾を上手くコントロールしバランスを取らなければ良い結果には繋がらない。狂気がエンジンで矛盾がアクセルブレーキ、どちらも故障したらダメだ。
狂気と矛盾、この二つを安定させられる人間はほんの一部しかいないと思う。筆を置いて時間が経たないとやる気が出ない人がほとんどだ。
僕はRTやいいね数はどうでもいいと思っているし、フォロワー数が数万人の絵師に対して特に何も思わない。原作は二次創作のツールとしか思ってないし考えなしに描きまくった。
だから失敗した。こうなってしまった。自分が創作活動で過ごした日々は空白だったのだ。
あなたの二次創作はコピーペーストを繰り返したパロディまみれになってませんか?成人向けなら自分が好きな性癖を詰め込めていますか?本当に創りたいものが創れていますか?
二次創作には二次創作だけにしか味わえない面白さ、奥深さがある。創作に携わる人間なら知っているはずだ。
ただ楽しいからといって自分を見失ってはいけない。思考を止めてはいけない。創作者としての軸を保ち続けなければならない。
遍路道沿いに実家がある者です。子供の頃はよく道を尋ねられた。道に迷っている人が多い。そして正しい道を教えたのに違う方向に向かっていくのはなぜだ。
仕事辞めるってことは時間がたっぷりある歩き遍路ってことですよね。たぶん正しいアドバイスとしては「やめておけ」ですけど。
もし88箇所のお寺を訪問することが目的なら観光バスツアーに乗るのが最短期間です。たぶん一週間くらいで全部行けます。お寺で参拝している間にガイドさんが納経帳を済ませてくれます。
もし自分が行くなら車で、車中泊で行くんじゃないですかね。たぶん。
自転車は、どこか拠点の宿をとってそこから巡るというのができるので機動性は一番良いと思う。でも山道は体力がしんどい。
歩き遍路は昔に比べて増えた。たぶん映画やドラマやバラエティの影響だろうと思うけど。もし四国一周を山手線一周くらいの気持ちで行くのならやめたほうがよい。歩き遍路はたっぷり2ヶ月はかかるので。季節の良い秋頃出発しても終わり頃は冬だからね。すごい覚悟を決めないと。
誰かに話を聞いてほしくて書いている、のだと思うが、お気持ち表明でしかないので先に謝っておくね、ごめんなさい。
当方、所謂メンヘラの20代女。スペックは中の上、くらいだと思う。
モテなくはないが、あくまでも顔面の可愛さより愛嬌なんかが評価されているタイプ。
系統としてはキレイめギャル系なので言わないとそんなにメンヘラってバレずに済む。
これは自分でも説明が上手くできないんだけど、マイナスでもプラスでも関係がない。
小さなことで気分が落ち込み、リスカして落ち着く、ということが多かったけれど
それと同時に、楽しくて幸せでリスカしたくなるようなことも同じくらい多かった。
このリスカは希死念慮からくるものではなくて、感情の起伏でみんなが涙を流すのと同じような感覚だと思う。
うれしくて泣いた、かなしくて泣いた。
それが私の場合、うれしくて切った、かなしくて切った、となる。
なぜ切らずに済んだのかと聞かれても正直分からない。
出社もしている。バラエティを見て笑うこともある。
でも駅のホームに立てば一歩飛び出してみようか、と思うし
めんどくさい、というのが一番近い。何もしたくない。
メンクリ行けって言われると思うけど、もう行ってみたものの解決しなかったんだよね。
薬飲んでる間はいいけど切れたらまた氏にたくなっての繰り返し。
数件メンクリ行ってみたけどどうにも合わなかった。
どうしたらいいんだか分からない。
希死念慮なんていっているけど氏ぬのも面倒だ。
再生回数、チャンネル登録数上げたくないから名前出さないけど最近現役ヤクザがyoutubeを始めてそこそこ再生されてる
そのヤクザは軽妙な喋りで、もし刺青がなくヤクザと知らなければ気のいい土方かトラック運転手の兄ちゃんに見えなくもない
馬鹿なガキが(いや、馬鹿な大人も)「な~んだ、ヤクザも普段は俺たちと変わらないんだ」と思い、ヤクザに対する心理的な壁が崩れるだろ
きちんと最低な奴ら、最低な世界と認識させておくことが大事なんじゃないのか
これはAV業界にも言えることなんだけど、どう考えてもブラックな世界や仕事を輝いているように見せてガキを騙すな
別に体を使ってるから下に見てるわけじゃないしそういう仕事がしたけりゃ別にしてもいい
ただそれがまるで明るくてキラキラしてるように映すな。いまどき普通の子もAVくらいやっちゃうんだよみたいに映すな。
AV女優に市民権を与えるな。もう一度いうけどAVを差別しろという意味ではなく、AVなんてあんな怖い世界に近づいちゃダメだよって認識させておけ
体を売るなんてとんでもないことなんだよという価値観を植え付けろ
日本人も出ていないマイナーな競技を深夜にやったりするくせに、金メダルや世界新記録狙える選手がいる競技すら放送しないってなんで?
日頃からクソみたいなワイドショーで声高に人権やら平等やらジェンダーやらほざいてるくせに、障害者は放ったらかしか?
「視聴率が取れないから」っていうかもしれないが、放送してないのに事実かどうか分からないだろ。NHKでいくつか競技観たけど、ゴールデンタイムにやってるコピペでしかないバラエティやドラマなんかよりずっと面白い。
スポンサーついてるから終わり?スポーツニュースコーナーで取り上げたからOK?CM流してるから問題無し?
帰宅してテレビに目をやると、NHKはパラリンピックを放映していた。そういやオリンピックの頃は民放も同じ時間帯にオリの放映してたよなと思いチャンネルをかえると、フツーにバラエティとかドラマとかやっていた。
オリンピックに出る選手はオリの時期じゃなくてもテレビで人々の目に留まり知名度があるので、そういうのを映せばテレビ局は数字を稼げる。
一方で障害者スポーツを普段から流していないからなのか、民放は本当にガン無視状態。
助け合い とか 支え合い とかなんとかってヒューマニティー溢れる偽善ワードを、タレントを使って吐く民放。
結局のところ、見栄えが良い知名度があるアスリートや、タレントにしか興味が無くて、本当は障害者スポーツにも障害者支援にも関心が無い連中なんだろうなと思った。
BPOが出演者が痛がる様子を笑いの対象にするようなバラエティー番組の演出について審議するとかいうニュースのブコメ。
ここ手の理屈は、その昔、連続幼女誘拐殺人事件が起きたとき、“ヤツの部屋にはアニメのビデオが沢山あった!アニメは人格形成に悪影響与える!オタク族は社会の敵!”と言われた頃と基本的に変わらんと思う。
“そういうバラエティー”がイジメを助長するとか、そういうバラエティーを見ない子供はイジメをしないって、なにか実証されてんのか?
ボクシングや格闘技の中継は相手の顔が変形して血が出るまで殴り合ったりして、それをみんなで娯楽として愉しんでるけど、あれは問題ないのか?
自分の周りにはお笑い好きで“笑ってはいけない”も出川のリアクション芸もダチョウ倶楽部も好きな人何人もいるけど、中学時代とか、どちらかというと“そこまでひどくないけど陰キャでうっすらイジメられる側”だったヤツがほとんどだぞ。
いや、ああいうのが笑えないって人がいてもいいし、最近はそういう人があんまりウケなくなったってのも分かる。
ウケなくなったから、だんだん衰退していくというのならば、それは文句をつけても仕方ない。
が、しかし、なにやらもっともらしい理屈をつけて“正義”に酔って抹殺しようとしてるのは、端的にいっておぞましい。
水曜のダウンタウンもダチョウ倶楽部も笑ってはいけないもアメトーークの芸人体当たりマン決定戦も、そんなことでなくなってほしくない。
あと、前々からうっすら思ってるのだけど、はてなって“いじめにつながるもの”が嫌いな人が多い一方で、割に無知とか勘違いとか、ちょっと知識のアップデートが遅れた人とかを見つけてきて晒し上げてみんなで叩いて笑ってじゃんけんポン!みたいなの好きな人多いよね。