はてなキーワード: やり玉とは
ここにやり玉に挙がっているような人たちは、本当にずっとそんな調子だから、この人はミュートにもせずにちゃんと反論していてえらいなぁ…と只管感心。よく付き合いきれるし、相手にする気になるよ。本当にえらい。希望を感じる。
新しいイベントストーリーにイケメンキャラクターが登場し、一躍話題になった。
男性キャラクターの実装が最近少なかったこともあり、彼のプレイアブル実装を期待する声も多かった中、担当イラストレーターのお仕事報告のツイートにはっきりとNPCと書かれており、実装されない事が分かり炎上した。
FGOがリリースした当初、つまるところ2015年になるが、結構ド派手にリークが流出していて今後実装予定のサーヴァントの名前がつらつらと出てきていた。
その中には実装されたのが3年以上後になるサーヴァントも居たし、6年経った今もまだ実装されていないものまである。
細かな途中変更こそきっと多くあっただろうが、シナリオの大筋ぐらいは最初から最後まであらかじめ考えられていたのではないかと思わされるゲームだからだ。
FGOはフッ軽ではない。
ご要望に対して臨機応変に対応できない、または出来る範囲に限りがある。
今も気になったことはアンケートに書こう!と言う流れを見かけるが、あえて言おう。無意味である。
どうしてもFGOは要望には応えられない、または応えるのにかなりの時間とリソースを要するコンテンツであるからだ。
「Fateシリーズは最初はエロゲー」と言われるが、エロゲーだったのがもはや過去の話なった今もなお基本は男性向けコンテンツであり、主要な客は男性だ。
これは「だから女性票はないがしろにしてもいい」いう自分の意見ではなく、運営側がターゲットに指定している層がそれなのではないかという考察である。
せめてもの女性票を拾おうという意思が、ホワイトデーの展開や衣装変えの実装、イケメンNPCの登場に出ているのだと思うが、どうしてもそこに平等に扱ってほしい女性客とのギャップがある。
最初からそう出来てるからだ。女性に広く遊ばれるようになることが予想外だったからだ。
そして気付いた所でそれに合わせられるほどフッ軽ではない。
モレー女体化に文句を言う声もあるが、そこはもうこの作品根本的にアーサー王が女なので諦めて欲しい。
今回最大、かつ擁護しようのない批判点として、発表が担当イラストレーターからであったことだろう。情報発信の初出になるべきではなかった。
イラストレーターが批判のやり玉になったら批判した奴がバカでいい話なのだが、実際騒動に巻き込んでしまった。
運営自ら発信するか、タイミングをイベント終了後ユーザーがそれとなくNPCであることに気付いた頃にするべきだった。
少なくともイラストレーターに発信させようとしたということは、実装が無くてがっかりする事に対して先手を打とうという意識はあったのだと思う。
だが運営自ら発信するのではなく関係者にそれとなく発信させる方法を選んだのは、責任転嫁のようなものを感じずにはいられない。
また女性票に対応できていない事については擁護に書いたが、商売的に考えたらバランスの取り方はもう少し考えた方が良かった。
少なくともフットワークの動く限られた範囲の男性キャラクターに使えるリソースがあって、それを以蔵につぎ込んだのは恐らく悪手だった。
本件に限った話ではないがFGOは「まんべんなく」という言葉を知らない。1回ウケたら2回でも3回でも同じことをする。
リソースが10あったとして10個の箱に1つずつ入れるのではなく、4つ入った箱があったり1つも入っていない箱があったりとかなりの偏りを付ける。
しばらく順番を待っていると自分の欲しい物が得られる事もあるが、その期間が長くなり希望が絶たれるとそのユーザーは辞めてしまう。
こういった雑感はAIに仕事を奪われる、とやり玉に上げられた職業の人達が一斉に考えたことだと思う。
配送だとかタクシーだとかそういう物理世界の仕事を人工知能が代替するのは相当難しいだろう、
と考えれば想像できるものの一方で事務処理の仕事などは人工知能が最も得意とする仕事で、
なんなくAIが人にとって変わるだろうなどと勝手なことを思っていたが実際にその職業についている人言わせると
そんな単純なものではないとのことだ。
とはいえ沢山の人が増田やブクマで書いている通り基本的に機械が人間の仕事を代替した場合には
人間の方で、機械がやる仕事とはそういうものだ、と硬直した対応しかできない機械に対して人間が合わせる
ということで解決していくのだろうとは思う。
しかし、そこまでで終わりとはならないはずだ。
いずれは人間のように考える機械が登場して人間より優秀な仕事をするようになる。
それは最早間違いがないことだ。
今の文明が何らかの理由で滅んだり恐ろしいくらいの停滞が起こらない限り
機械は人を超える。
これだけは確定された未来で避けようはない。
https://anond.hatelabo.jp/20211029215655
Android初期の失敗はここに十分詳しく書かれているので、余計なおまけとしてAndroidとiPhone対立煽りで会話が噛み合わない原因について書く。
AndroidはAndroid Open Source Project、略してAOSPと呼ばれる枠組みで開発されていて、誰でもソースコードをDLして改造することができるようになっている。
メーカによって改造されたAndroidがカーナビやTVやその他のデバイスに搭載されていることは、一般の人でもなんとなく知っていると思う。
ホーム画面には謎のキャラが我が物顔で走り回ることでユーザのタップを阻害し、d〇●・d●○という専門家にしか見分けがつかないアプリがプリプリプリプリ垂れ流されている。
頻繁に鳴る通知は使いもしないアンインストールもできないプリインアプリからのもので、肝心の自分が使っているアプリからの通知はそれに押し流される。
目的も定かではないOSへの改造によってデバイスのリソースは使い切られ、ユーザが使えるのはそのおこぼれでしかない。
そんなザマだからキャリアのAndroidの操作感は悪い。日本人がAndroidを投げ捨ててiPhoneに走るのも当然である。
なぜかといえば、iPhoneという競争相手がいる中で、Androidで金を稼いで飯を食う人たちによって日夜開発されているからである。
当然ながら出来が悪ければ稼ぎは少ない。実際に金を払って使用するエンドユーザではなくどこか壁に貼られたポスターとかを見ているキャリアと違って、彼らはユーザの反応をフィードバックして改善しているのである。使う人のことを考えた使いやすいものを作っているのである。
が繰り返される原因はここにある。
品質が一定水準を超えればあとは好みの問題なのだが、Android絶対否定派は魔改造されたキャリアのAndroidしか知らず、本来のAndroidを知らないのである。
「(キャリアの)Androidはダメ、iPhoneしか選択肢はない」
というのが正しい。
元記事のキャリアをやり玉に挙げたが、3大キャリアはどれもAndroidを「キャリアのAndroid」にしている。
生活費の内訳に通信費が必ず計上されるようになったこの時代において、金を払っているユーザに独自の改造を押し付けることで、日本人をどれだけ消耗させてきたことか。
というか普通に自分で触ればわかるだろ!!?!?!使いづらいんだよ!!!!!!!素のAndroid触ってごめんなさいしろ!!!!!!!!!!!!!!!
AndroidとiOSの論争が話題だけど両方を交互に使ってきた自分のスマホ遍歴を晒す。
充電中は熱くて持てなくて、夏場とか保冷剤と一緒に持ってないといけないようなゴ○機種だった。
ARROWS Zは、1年も経たずに充電端子の接触不良で充電できなくなったので機種変することに。
Androidはこの頃はまだまだ品質悪いイメージで、自分は周りの論調に合わせてiPhoneにしてみた。
iPhone 5Sを初めて持ったときに良機種だとわかった。必要十分という言葉がぴったりとあてはまる良機種だった。
これがスマートフォンなんだなぁって、未来を感じた、そんな機種だった。
(一応今でも機体は持っててたまに使ってる)
iPhone 5Sも3,4年経ってバッテリーもヘタってきたし、順当に買い替えるかってことでiPhone 7。
ただ、この頃上京して電車通勤にSuicaを使い始めたんだけど、Felicaでスマホでピッっと出来ることにはとても感動した思い出。
iPhone 7を誤って道路に落として、画面がバッキバキに。。。
急遽機種変しに行ったんだけど、そのとき、iPhoneはなんだかコスパ悪いように思えた。
iPhone、最新機種はSoCがハイスペすぎるし、旧機種はSoCがちょうどいいけど筐体が古くさいし、なんか手に取りやすいスマホがなかった。
そこでやり玉に挙がったのがGoogle製のPixel 3a。 GAFAの一角を担うテックリード企業でAndroidの製造元。
Android界隈のiPhoneみたいなもんだし、製品レビューもよかったので購入。
使い心地は意外とiPhoneといい勝負で性能も問題なし。なにより写真がきれいに撮れるのが良かった。
もはやPixel信者になった自分。iPhone13の発表よりPixel6の発表の方が、新しいスマホを目指してる挑戦的な姿勢を感じた。
発熱とか重さとか色々思うところはあるけど、音声認識とか翻訳とか消しゴムマジックとか早く使いたい気持ちが大きい。
こうやって見てみると、今現在iPhoneが日本で覇権をとっているのはジョブズがいた頃のiPhoneによる功績が大きいと思う。
あの時期のスマホ界隈は、Androidの外れ率が高くて、ちょっと値段を出してもiPhoneを買うのが良策だった。
けれど最近iPhoneはなんだか保守的で魅力が無いように思う。その部分は今やサムスン、シャオミを筆頭にアジア企業がリードしてる感じがする。
自分は今後よほどのことが無い限りiPhoneには機種変しないんだろうなぁ……
皆さんはどうですか?
某紙のキャッチコピーであり、ロリコンが犯罪を起こした時に自戒として目にする言葉であるが
この言葉は罪深いと思う
そもそも、二次元のロリと三次元のロリは地続きではない、もちろん、地続きの人もいるが少数である
性欲に関する、特に二次元の表現がやり玉にあがるのはここがわかっていない人の多さ故だと思う
そして、YESロリータNOタッチもその誤解を後押ししているように見える
理性や倫理観でもって触れないという選択肢を取っているのではない
現実に手を出すかと言われたらNOだが、これは、金属を食べますかと聞かれNOと答えるのと同じ
某紙のキャッチコピーであり、ロリコンが犯罪を起こした時に自戒として目にする言葉であるが
この言葉は罪深いと思う
そもそも、二次元のロリと三次元のロリは地続きではない、もちろん、地続きの人もいるが少数である
性欲に関する、特に二次元の表現がやり玉にあがるのはここがわかっていない人の多さ故だと思う
そして、YESロリータNOタッチもその誤解を後押ししているように見える
理性や倫理観でもって触れないという選択肢を取っているのではない
現実に手を出すかと言われたらNOだが、これは、金属を食べますかと聞かれNOと答えるのと同じ
つい先ごろ、薬物の利用をした。以下で具体的にどの薬物をどう利用したかを書くことはない。また、その瞬間における体験がどのようなものであったかについても書くつもりはない。私が書くのは、翌日以降に残った薬物の影響と、そこから感じた「政治」についてだ。
「それ」からしばらく経ってから、PCチェアでうたた寝した。それ自体はしばしばあることなのだが、ある夢の最中で「これは夢ではないか?」と思い、そこに居合わせた人に自分の頬をつねってもらうように頼んだ。痛みを感じたので無事夢ではないことがわかったのだが、それは結局夢であることをPCディスプレイを目の前にして知ることになる。
それ以降はいわゆる「金縛り」状態を2~3回ほど繰り返した。自分がPCデスクの前に座っていることは分かっていて、半分夢の中にいるせいで体が動かないことも分かっているのだが、何もなすすべが無いのである。何度起きようと試みても無駄だった。金縛りの最中に、おそらくは夢由来の幻聴も知覚した。ひた、ひた、と自分の後ろ側を何者かが歩いている音がするのである。幻聴であること自体は比較的すぐ看破したが、それで音が消えてくれる訳ではないし、「万が一もし本当だったら?」という恐怖や不快感も続く。
その時はたしか「これが金縛りという医学的現象とそれに付随する意識低下に基づく幻聴だと分かっていても怖いのだがら、そりゃ枕元に誰かが立つという話が山ほど作られるわけだ」と金縛りと幻聴に苦しみながら考えていたように思います。結局その後何かの拍子に金縛りが解除されベッドに飛び込み、ぐっすり眠りました。
翌日。昼過ぎですかね、PCチェアに座っていると唐突な眠気が襲ってきました。そしてまた金縛りに。今度は周りが明るいのもなんだったらディスプレイに何が表示されてるのかも分かるぐらい意識がはっきりしているのにもかかわらず(まぶたを開けたまま寝てたのか、記憶がまぶたの裏に焼き付いていたのかは判然としません)、腕をアームレストから引き剥がすことが出来ないのです。この頃になると結構夢世界のルールが分かってきていて、ある程度は現実世界らしく振る舞うが、度が過ぎると初期配置にリスポーンする。
目覚めようと色々試してみました。体が動かないので叫んでみたり(今でも実際に声が出ていたのかどうかは分かりません。一応壁厚いし昼間だからまあいいかと思って叫びました)。どのようにしてか体重のバランスを変化させ椅子ごとすぐ後ろのベッドに飛び込むことは出来ましたが、いつの間にかまた普通に座らされていました。右手だけがある程度自由になったので手元のガラスのコップを放り投げました。ガシャンという音と女性の悲鳴が聞こえてきました。奇妙に思い都合良くもう一つあったコップをまた投げてみました。また同じくガシャン、キャー。効果音の使い回しだな、と思いました。このあたりからどうでもよくなってきて、右手でロジクールの無線マウスを開けて電池を取り出し、口に入れてみました。その電池はソフトキャンディのように柔らかく噛み切れ、口の中には電気の味が広がりました。金縛りが解ける気配もないし、せっかくだから現実じゃ出来ないハチャメチャなドエロいことをしようと思ったが勃たない。
飽きに飽きたところでようやく両腕が本当に自由になったので(この時点ではまた両手だけ動かせても意味ねーよと思っている)、なんとなしに首の裏で組んでみた。そしてまたゆるめの金縛りに戻るのだが、今度は指先を動かそうと念じると実際動き、首の裏の神経が反応するのである(あたりまえ)
その辺りから徐々に体の操作権を取り戻し、ついには金縛りから脱するに至った。どうやら1時間ほど金縛りの中にいたようです。その後も軽微な「自分の手が自分の手に思えない」現象などはありましたが、今は元気です。
挙げた種々の現象はおそらく離脱症状のあらわれであったと思われる。現状のニートのままであれば、まあ用法用量を守って数日おきに刹那的に楽しみ離脱症状は当然の報いとして受け入れる、という選択肢が有望に思われる。
しかし仕事に就こうと思えばこうした薬物からは距離を取らなければならない。なぜなら、楽しい休日の次が必ず丸1日潰れ増田に長文を投げるぐらいの仕事しか出来ませんでは困るでしょう。
こう考えていると、薬物緩和肯定派がよく言う「政府は国民の幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」といった主張へも、多分緩和派とは別の意味で同意できるように思うのです。この程度の薬物(=歴史に悪名を刻んでいない薬物)ですらこうなのだから、より作用が強い物はより翌日以降の影響もより強かろう。それを規制しようとするのは政府としては極めてまっとうなことであるように思われる。俺が総理大臣でもそうする。
薬物論争においては常にやり玉に挙げられる酒タバコも、翌日への引きずりかたが比較的軽微であるというところで、許可されてきたのではないでしょうか。二日酔いはたいていの場合本人の無茶な飲み方が問題と考えられているし、タバコの離脱症状はより些細である(あくまで外から見る分には。タバコが切れてナイフを振り回した人を俺は知らない)
例えばアルコールやタバコの年齢制限だってそうだ。われわれは未成年の酒タバコは成長に良くないと思っているが、一度でも根拠となる研究のタイトルとか要約を聞いたことがあっただろうか?(同じ理屈で同じく根拠が示されずコーヒーや炭酸やマッサージ器を禁止された人は多そうだが)結局の所われわれは未成年の酒タバコを、将来健康な青年として税金と年金を納めてもらえるように禁止しているようなものだ。
「政府は国民の幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」と俺も思うが、俺は政府は正しいことをしていると思う。これは愚行権の問題で、もはや俺の手に負える問題ではない。『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください――井上達夫の法哲学入門』というクソにも程があるタイトルの本が実は、日本を代表する法学者による一般向けの本の中では相当高いレベルにあるのでおすすめです。
愚行権の話はおいておくにしても、ひとつ問題がある。われわれは、「政治」が嘘をついているとき、その嘘を暴くことが「政治批判」になると思ってきた。先に挙げた「政府は国民の幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」というのも、一聴すると「市民に自由を!」とシュプレヒコールで答えたくなるが、では月曜日に離脱症状でうっかり自殺したり「サーセン、副作用で動けないんで有給…はもうないんでしたっけ、まあとにかく休みます。…ツーツー」といった事象が多発するような社会に住みたい人間などいないのである。
こんにち、嘘を嘘と見抜くだけでは批判にならないのです。では…
続きは気が向いたら書きます。
②中でもポルノは風紀を乱すとし、焚書されることが当然の世であった
③時代は移り、民主制が台頭すると、「表現の自由」なる概念が生まれた
これは、為政者が政府批判などを規制したり、投獄するのを防ぐ目的で制定された
④本来、「表現の自由」は行政や司法により制限されないが、それでは「表現を用いた他人への攻撃」を取り締まることが出来ない
よって法治国家では「名誉棄損」などに関する法律を定め、権利の対立を解決できるようにするのが普通
⑤ポルノ規制運動への反発には「表現の自由」が用いられることが多くなる
ポルノは「世間的にマイナスとみなされる」類の表現であり、規制に対抗する時「有用性」での主張が難しいため
⑥人権意識が進んでくると、「差別」などの概念も発達し、これを行うことは「正しくない」と規定されるようになる
⑦それらが先鋭化し「ポリティカルコレクトネス」(政治的正しさ)という概念が生まれる
そこでは、女性差別、人種差別などを構成する偏見が助長されることすらNGとされた
⑧女性の権利強化が進み、女性を性的に扱う表現を「正しくない」と言えるようになる
この運動は「女性差別」を基底としているため、ポルノ問題が「差別問題」へ変化する
問題を「差別である」としたことで、玉虫色の意見をけん制できてしまった
事が差別であれば、「この程度の差別は許容されるべき」という意見を構成できない
反論しようとしたならば「差別でない」と言わなければならないが、そこで軸が「差別的」にずれる
耐えてきたハラスメントなどが「性差別の産物」なのだと定義されるのだから当然の帰結
⑩人工知能学会誌の表紙がやり玉にあがる(のうりん、宇崎ちゃんと続く)
「(一部の)女性を不快にする」コードで繋がれた家政婦という表象が「性差別である」として炎上した
最終的には「男性社会の偏見の現れ」とかいう差別「性」に論がずれ
「一般社団法人」でしかない人工知能学会に対して、公的機関などの言葉を使って「微細な偏見すら許されない」と攻撃された
以後、定期的に萌え表現は燃える事になるが、「差別」が前面に押し出されるようになる
⑪「お気持ち」返答が始まる
対する男性側は「差別につながる偏見強化の恐れ」レベルにまで拡大批判してくる相手に対して
「それ、お気持ちでしょ?」と返すようになる(意訳:差別ではないでしょう?)
具体的にいけば
少年漫画で「取り柄がないように見える主人公に惚れるヒロイン」がラッキースケベの餌食にあう事は差別的で許されないが
少女漫画で「ヒロインにだけ優しいイケメンだが札付きの悪」が「嫌がるヒロインに強引な壁ドンからキス」するのは許されるのである
そして、それらのイケメンが、性的に安全なよう最終ロックがかかった去勢された存在となっていてもオーケーなのである
※それらを享受することすら許さない楠本まきのような人も当然居るが、表象としてはエロいセーラームーンなどにも矛先を向ける原理主義者は少ない
そうした不整合を処理するのに生まれた概念が「性的にまなざす」だ
今では忘れられてしまったが、一時「まなざし村」などとして流行った
⑫ポリコレ集団は表現の撤去を求めてくるので表現の自由が使われる
相手の動きが差別を御旗にした「表現規制運動」であるため、「表現の自由」が使われることになる
当然、古の経緯も影響あるだろうが、そも「差別」の解釈を広げすぎて「何でもかんでも差別(の助長)」状態の相手と会話など成立しない
この動きが一般化すると、それを揶揄する「エロ表現の自由戦士」という言葉が生まれる
彼らが守っているのはエロコンテンツだけであり、自分が気に入らなければ打ち切りに追い込んだり、削除に追い込んだりする「お気持ち自警団」であると定義される
ここでバカバカしいと思うのは、そもそも表現の戦場は「お気持ち」の戦場だ
「不人気」だってお気持ちだし、面白いが掲載場所が合わず死ぬ作品もある
「不快な表現」を理由に撤去されるポスターや中止されるCMだって普通にある(死霊のはらわたとかサイレン)
問題なのは、「お気持ち」だと勝率が悪かったまなざし村の村民が、「ポリコレ」という手段を知ってしまった事だ
これまでなら「妻がカレーを作るCMは不愉快です」だったのが、「妻がカレーを作るCMは性差別」として叩けるようになった
アベノマスクのようなガーゼ10枚以上のマスクは、布マスクといっても自分の呼気を抑える能力は高いことは実験で確かめられていたし
実験と違って実用上はどうせ時間とともに隙間ができやすい不織布とも差が小さいことも言われていたけど、批判多かったのが謎。
衛生面からすれば不織布が使い捨てできるくらい潤沢になれば不織布の方がいいし、何重にも重ねたアベノマスクを布マスクとだけ
扱われたせいで、ペラい1、2枚の布マスクでも効果は十分大きいと勘違いする阿呆を生み出したデメリットもあったが。
(ファッション布マスク、つい最近も不織布マスクNGイベントで推奨されてたよね。)
なお元増田はNATROM先生のブログをやり玉にあげているが、去年の3月頭の記事でまだ新型コロナの特性がある程度掴める前。
参照しているWHOのものも新型コロナそのものについてではなく、しかも医療機関でのマスクが不足するかもと言われていた時期でもあり、
アンフェアな並べだと思う。
あと、俺は、『100万回に対して、インフルエンザで出来てるなら、やりようによっては出来る』とも言っていたクチだけど、
あれはまさにインフルエンザのようにその辺のクリニックでやる(もちろん保存の難しさから配送拠点を多く設置するなどは必要として)
ことで出来ると思っていたから、まさか自衛隊使った大規模接種会場の設営中心とかまったく想定外だったな。
ワクチンの完成前に契約することを批判していた向きはまあ、単なる世間知らずでワクチンに限らなければ普通のビジネスの場だったり
タイトルのとおり、昨日まで3日間フジロックに行ってきました。はてブでも話題になっていますが、私が見るかぎり、現地参戦した方がいなかったので、現地の状況をつらつらとお伝えします。
ちなみに、自分の状況は
です。なお、以下の記述は、あくまで私の観測範囲に限ること、殴り書きのため構成の不備や誤字脱字が多々あるであろうことをあらかじめ伝えておきます。
入場時は、検温と手指消毒、問診アプリの登録画面の提示が必須。これは再入場時も同様。
会場内では飲食時以外のマスク着用が必須とされていて、いわゆる「鼻マスク」の人や、非飲食時にマスクを外している人は徹底的に注意されていた。サージカルマスクはあくまで「推奨」という位置づけだったので、ウレタンマスクの観客も多々いたのが気がかり。「観客の白い息が中継に映っていた」みたいなブコメがあったが、あれはステージのスモークか、ウレタンマスクの人の吐息だと思う。
事前配布があったのは周知のとおり。会場にも抗原検査ブースがあって、検査を受けることができた。ちなみに、当日の検査で陽性の場合は会場には入れないのだが、検査はあくまで希望制なので、ここで入場不可になった人はゼロに等しいと思う。
消毒液は少なくとも入場ゲート・各仮設トイレ・出店に、手洗い場は各仮設トイレに設置してあった。ステージ付近にも設置してほしかった。
オーディエンスによるライブ中のいわゆる「声出し」は全くなかったので感心した。とはいえ、会話自体が禁止されているわけではないので、MC中や出番待ち中に連れと会話するような光景は当たり前のように見られた。もちろん大声ではないけど。
地面におよそ75cm程度(目測なので間違っていたら申し訳ない)の間隔でマーカーがついていて、その上に立つよう、毎度ライブが始まる前にMCからお願いされる。かなり遵守されていた一方、マーカーからズレている人がスタッフから注意される場面は見なかった。ちなみに、平沢進のステージで、観客が別の観客に注意している場面を見た。声出し禁止かつマスク必須なので、正直、客席の密度はあまり本質的な問題でないように思う。
どの出店にも、店員と客を仕切るパーテーションがついていたのと、店先に消毒液が置いてあったのは助かった。消毒液がどこも同じメーカーだったので、運営側の統一指示かも。
会場にはごく一部、飲食可能な座席が設置されている。入口近くの出店前にあったのは間隔をとったただのベンチだったが、奥のステージ近くの座席は、各席に消毒液が設置してあって、これも非常にありがたかった。設置された座席は対面できないようになっているが、芝生に椅子や敷物を置いて、グループで向かい合って食べる人も普通にいた。
ここからはもう私見でしかないけど、現地にいた人間の印象からすると、
という結果になりそう。起こるべくして起こるだろう。まず前者については、グループで来ている人たちは、連れ立って飲み食いするし、ホテルや旅館、テントに一緒に宿泊するので、グループ内感染は当たり前のように発生するはず。一方で、後者については、他観客からの飛沫・空気感染リスクがかなり低減されているので、グループ外への感染はそう起こらないと思う。しいていえば、仮設トイレのドアノブが原因になりそうなぐらい?結局、前者だろうと後者だろうと、起こってしまえば「フジロック感染」でひとくくりになるけど。
じゃあ運営は何をすればよかったのか、というと、参加者全員ワクチン2回接種の義務付けと、会場外も含めてグループ行動を禁止するぐらいの徹底した行動制限なんだろうな。ライブ中の感染対策を頑張っても、会食の機会が発生してはどうしようもない。
あと、ステージでは「補償」が叫ばれたけれども、補償だけでは地域経済が回らない。今後、今の病床ひっ迫が改善されたあとの話として、感染リスクを限りなく減らしたうえで、どうイベントを開催すべきか、模索する段階にあるんじゃないかなーと思った。
(追記)一応読んでいただいているようで嬉しい。ブコメありがとうございます。
ここまで読んでくださってありがとうございます。「声出ししなければ密度は関係ない」とは私は書いていませんし、私も聞いたことがありません。「屋外」で「声出し禁止」かつ「マスク必須」で、一定程度間隔をとった「フジロックの客席程度の密度」では、日常生活で使うスーパーやコンビニ、電車等に比べて明らかに感染リスクが低いので、そこをやり玉にあげてもあまり意味がないということです。
これを公に、この言い方でいうのはどうかと思うが、言ってることに納得はできなくはないなぁ。
・税金の使い道に不満がある。沢山納めてる人は選ぶ権利あったりしてもいい
→まあわからんでもないが、税金で…と考えたら我儘か。寄付してるんだったら好きに選ばせろで通用するが。猫ちゃんに寄付しつつ、税金については我慢したらいいんじゃない
・極論言えば生活保護の人達って社会に要か不要かで言えば不要なんだと思う。猫様は絶対的に要。
→とはいえ、生活保護とか無くすとどうなるか? って想像力ないのがすごい。稼げなくなった人は一瞬で消え去るイメージなんだろうか。
経済的に余裕がある人が陥りがちでみんな指摘してるところだよね。自分は弱者にならないって
・猫ちゃんを見たらハッピー。ホームレスさんみてもネガティブな感情のほうが強いのは事実
→ホームレスさんって自らそうなってる人も多いからね。どっかに収容して管理とかも上手くいかない。やっぱり無くす=一瞬で消し去るイメージなんだろうか
・ビーガンでもなんでもないが、人間の命が他の動物よりも重いとかいう考え方は増田もどうかと思ってる
→ただ、建前上というかなんというか、最低でも大切なペット≒全く知らん人 ぐらいでないと、どっかでバランス崩れた時に怖い
トロッコ問題みたいなのをこれからも人類は対象を広げて考えていかなければならないのだろう。極端で世間とズレるとやり玉に挙げられるから、そこは色々と妥協点を探りながら。
→ただその判断を個々人がやっちゃうのはなぁ……って。これも今後の人類の課題か
この人は、ホームレスの存在を消せるんだったら自分の手を汚すんだろうか。あんまり想像できてないような気がする。
それを加味して考えたら発想自体はわかる。誰でも思うことだ。だけど、一歩踏み込んで考えたら、どっかの手順で停滞する。
例えば、ホームレスだったら、そういう排除法案を通すところから始まって(あるいは非合法な組織を立ち上げて)、誰かが実行を行い……。
さすがに考えてないとは思えないので、到底実現は無理だけど、理想というか自分自身の思いを語れば……という立場での発言ならまあわからんでもないな。
無観客の影響で、観客の案内などのボランティアが必要なくなったらしく、
でも簡単にクビにしたら、ただでさえ不満だらけなのに、またいろいろと不満が出るので
これは会場ごとに違うみたいだけど。
私の会場は看板の設置や、ボランティアの受付に行ってもらっているらしい。
なので私の役割のところにも、観客案内のボランティアが日替わりの手伝いできている。
この観客案内のボランティアが、クセがかなり強い。
人の話を聞かないのは普通。(これは他のボランティアにも言えることだが)
私がかなり年下だからが、かなり馴れ馴れしい態度、もしくは舐められる
→私は元からこの役割なので、リーダー的にまとめたりすることがあるのだが、このような態度をされることが多い
などなど
もちろん観客案内のボランティアでも普通にやってくれる人もいる。
でも全体的にクセつよで、一緒にやったらこっちが大変な人ばっかり。
高齢化の波は恐ろしい。
高齢ではないが、
でもこの一連の騒ぎで、一番振り回されてるのは現場だろう。
末端への連絡なんてできる状態じゃなかったのだろう。
容易に想像がつく。
いろんなツテで漸く連絡が取れると
今度は活動日数が減らされたと、騒いでいた。
そして私の会場である、都外会場をひたすら
ここの会場に決まったとき、ショックだったと
言っていた。
ちなみに役割の希望は出せるが、会場の希望は県単位でしか出せなかった。
都会なんですねーと流したが、かなりモヤモヤした。
その他にも言い出したらきりがないほど
案内板を作ってくださいと言われ、作ったら
撤去されてた。
高齢者の言い方。
資料などを読まずに、これどーするの?と行ってくる人。
毎週PCRを自分でしているから、オリンピックでPCRをする必要がないと言ってきた
案内係のボランティア
今更だけどボランティア辞めたい。
こんなのばっかり毎回相手してて、正直つかれた。
でも、辞められない。
人足りてないらしい。
シフト入っちゃってる
ホテルに泊まっている。
個人的にはオークションサイトなどで目にするタイプの転売屋は最悪だと思っているし、そういう商品を買ったこともない。
その上で、しばしば転売屋とセットでやり玉に上がる「転売屋から商品を買う人」の是非について思ったことをちょっと書きたくなった。
言うまでもなく、大半の商売ではお金を払えない人は客とはみなされない。
ところが逆に、金ならいくらでも出せるという人があらゆる物を好きなだけ手に入れられるかというと必ずしもそうではない。
その極端な例が政府が配給制度をしいて供給量をコントロールしている場合だ。配給品はいくら金を持っていたとしても決まった量しか手に入らない。
このようなとき、お金を出せる客とお金がほしい生産者がマッチングすると、闇市が生まれて闇相場ができる。
ひるがえって今のプラモとかPS5とかiPhoneとか他のなんでも小売りの世界について考えると、売値についてはたいていメーカーの思惑で一定範囲に決まっている。
金をたくさん出せば必ず手に入るという状態ではない。「金なら出すから何とかしろ」という人たちはある意味客層として想定されていない。
供給量に不安があって、客の手元に金があり、ネットによって売り手と買い手のマッチングは秒でできる。
そんな今は闇相場を作ろうとする力が強く働いていて、転売屋はそれにタダ乗りしているだけじゃないかと俺は思う。
※厳密な話をすると闇商人としての転売屋は配給米を闇市に流しているような輩であって過去の闇商人たちよりも数段タチが悪い
日本の配給制度と闇市を巡る問題については、とある裁判官が闇市の利用をよしとせずに配給食料のみで生活して餓死した事例がよく知られている。
べつにプラモが買えなくたってPS5で遊べなくたって死にゃあしないけど、金はあるのに金で解決できないフラストレーションに公式は応えてくれない。
じゃあ転売で買うのは正しいかって言ったら正しくは無いんだが、自分の需要を認めてもらえない人たちにとっては法に触れるわけでもなく自己解決の手段の一つである。
そもそも転売屋を滅ぼすことはできたとしても「転売でもいいから入手したい」という需要を滅ぼすことはできない。
それが人の夢、人の望み、人の業だとえらい人も言っている。転売は結果に過ぎないんだよ。
公式の供給が有限で、かつ一般販売しか想定されていない商品では、闇市の発生を防ぐことはたぶんできない。
「暇がない、金ならある」という人がいる限り、売らんかなとする輩によってすぐに闇相場が形成されることになる。
不幸なのは一般販売に関わる参加者全員が、今やその闇相場の影響を受けていることだ。
いま転売屋から商品を買っている人を責めて転売屋から買うのを止めさせるよりは、その需要に応える転売以外のルートというものを考えてみたほうが幸せになれるんじゃないかな。
知人に実際に転売に手を染めていたものがいて一度口論になったことがある。
このような手合いは自分をごまかすための理論武装を多重に備えているので、その場で論破できるなどとは考えないほうが良い。
依頼があって瀬取りする商人とネットオークションで活動する転売屋の差はここにある。
「俺の代わりに買い物してきてくれ」と頼まれない限り、転売屋のサービスの需要はゼロのままであり彼らが手にするべき真の価値は無である。
販売価格が卸価格に比べてずっと高ければ、誰かが市場のパイを一切れさらっていったということであって供給側にとっても隠れた損失がある。
じゃなくてさ・・。
キミ話し聞いてないでしょ。
あれを武術家の代表として扱っていつまでもやり玉に挙げてんの君等みたいな奴らでしょ。
まあそれにしたって術理とか使える部分に関しては公開してほしいけどね。
要するに競技の場に出したら使えんかもしれんが、競技をやってるやつが参考にするならいいものだってある。
残念だけど武術家って偽物が圧倒多数なので叩かれるのもわかるよ?
ただ良いものは取り入れたら良いだけ。
それとオウムのことに関してごちゃごちゃ言ってるけど、あれだって部分的にクムパク(クンバク)とか正しい呼吸法を取り入れてたりする。
そういう意味で被害を被ったのはむしろ仏教というよりヒンディだろうね。
教条に関しては詳しくないが、上座部仏教を目指してたようにも思う。
君は1間違ってたら全部間違いなわけだ。
おれはとてもそこまで断ずることはできない。
今、はてなで小山田批判の次くらいに熱い、ルックバック統合失調症患者問題。
ただ、一方で、漫画の描写が統合失調症患者の偏見を強めるという意見に関しては完全に否定できるモノではないとも思っている。
統合失調症患者の描写に限らず、また「差別を助長する」と言われるような描写に限らず、あらゆる物語は正負を問わず人に影響を及ぼし、社会の価値観の形成の一助になるだけの力を持っているモノだ。
その力を無視して「漫画の描写が偏見を助長することなどない!」というのは、あまりにもご都合が過ぎるだろう。
だが、それでも俺は「差別を助長するのでああいう描写はするべきではない」という意見には頷かない。頷けない。
それは身も蓋もない話だが、物語の持つ悪影響ということを言い出したら際限がなくなってしまうからだ。
マンガに男の殺人鬼が出てきたからといって「男は全員殺人鬼だ」と思う奴はいない(anond:20210719195613)
※追記 引用元を間違えていた。正しくは → anond:20210719205459
どんな属性の人間が悪役と描かれていたって、それはその属性=悪とする歪んだ価値観の固定化に繋がる可能性は十分にあり得る。
あるいはどんな作品だって、わずかな敵キャラの悪行の描写から読者に悪徳を学ばせ得るし、可愛い女の子のキャラクターの姿が視聴者に不健全な形での性的衝動を呼び起こす可能性はあるし、不健康な嗜好品を嗜む姿で閲覧者に自分もと思わせてしまう危険性はある。
もし、そうした可能性を逐一あげつらって許さないと言っていたら、世の中の物語の9割以上が死に絶える。
大人気ヒット作も、歴史的な名著も、殺され尽くす。残るのは道徳の教科書の教育的な物語くらいではないか?
いや、度々、道徳とは何かという議論が起きていることを思えば、人々の考える正義の違いによってそうした物語も誰かにアウト認定されるだろうか。
「それは暴論だ、程度の問題がある」という人もいるだろう。
そもそも、ルックバックの描写が『程度』を大きく逸して邪悪な描写をしていたかと言われたら、そんなことはないだろう。
素直に読めば、あの殺人犯は物語においてただ理不尽な死を与えてくる存在というだけで、それ以上にフォーカスされるような点はないキャラクターだ。
批判している人たちだって、おそらくその半分くらいは批判のバズりを目にしていなかったら気にも留めなかっただろうし、多少「ん?」と描写に引っ掛かりを覚えた人だってこれが無名の新人の作品だったらわざわざ声をあげなかった人がほとんどなのではないだろうか?
ハッキリ言って、あの程度で許されざる描写と認定してしまうなら、どんな物語からでもいくらだって批判点を見つけることができてしまうハズだ。
結局、批判のやり玉にあがるかどうかに『程度』なんて基準はなく、流行りものの人気作だから、人気がなくて誰かも擁護されないから、インフルエンサーが批判しているから、マスメディアが擁護しているから、キモオタしか読んでないから、馬鹿な大衆しか持ち上げていないから、芸術的価値がないから、評論家気取りが持ち上げているから、俺が気に入らないから──、人々のそんなお気持ち次第でどうとでもなってしまうものなのだ。
もしも本気で人々に悪影響を及ぼす描写の規制を考えるなら、そのような恣意的極まる基準で規制することは断じて許されない。
少しでも偏見や加害や悪徳を生む描写は一律禁止にするしかない。
もしも、あなたが「偏見を生まないためなら、あらゆる物語を殺して回るべきだ」というのなら、それはそれで良い。
だけど俺は僅かな偏見の種を積むためだけに人々から物語を奪うことの方がより重篤な人権侵害だと考える。
そして、人々がこのどちらの意見を支持するか考えた時、俺は人々は物語を守る方を選んでくれると信じている。
まだ人類が言葉すら持っていない頃から、物語は連綿と紡がれ続け、今日まで人々に愛され続け、生み出され続けてきた。
そんな物語を人類が手放す日はけっして来ないと俺は信じている。
ルックバックの描写一つではなく、あらゆる物語の『正しくない』描写全てを秤にかけた時、人々が物語を守る方向に傾いていくれることを願っている。
だから、ルックバック批判に関しては、俺は一人の物語愛好家として強く否定をするし、もしもあなたがルックバックの殺人犯の描写を批判するというのなら、その時、あなたの好きな作品も含めたあらゆる物語を殺し尽くすだけの覚悟があってその批判を行っているのか考え直してほしいとも思う。
○追記
様々なご意見をいただいている中で、気になったこと、というか聞きたいことがあったので追記。
「表現の自由も批判も認められるべき」という中立的な意見が幾つも出てきているけど、そういう意見の人達はどこに落とし所を想定しているのだろう?
「その表現は人々や社会に悪影響を及ぼす良くない表現だ」という批判は、その表現の存在そのものを悪と認定するものだと俺は思っているのだけど、中立派はそうは思ってはいないのだろうか?
それとも、「邪悪だけど存在は許すよ」という立場なのだろうか?
俺自身も表現の及ぼす悪影響というモノは認める立場だけど、でもその悪影響をあって当たり前のことと受け入れるのではなく批判という対応を取るのなら、それは「その表現を許さない」という表現への殺意の表明なのではないかと受け止めている。
言い方は悪いが、「悪だとは叩くけど、その表現の命に自分から手をくだすつもりはありませんよ」という態度は、卑怯な責任逃れなんじゃないかとさえ思う。
自分なりの落とし所を持っている人がいたら教えてほしい。
shinonomen 批判=表現規制ではない。批判のお陰で読者は統合失調症への偏見に留意することができた。自由な創作と批判の双方を享受できる状態が最も健全だ。
「統合失調症への偏見に留意する」機会を作るなら、「この表現は良くない」と批判するのではなく、「統合失調症の人もそうでない人と同じで、人を殺す人もいればそうでない人もいますよ」とフラットに啓蒙するだけで良くない?