はてなキーワード: GOOGlEとは
前のつぶやきが予想外に見てもらえたので、続編をやってみる。
何か、コメントで90年代も語ってほしいなんて無茶要求があったので、
中途半端なインターネット老人らしく早く目が覚めてしまい、今日が平日で数時間後に勤務と分かりつつ無理に書いてみる。
前のつぶやきでは分かりやすさのため自身の属性を2000年代の高校生と称していた。
呪術廻戦で多少有名になった感があるが、バトルはしない理系の変態が行くアレなところと思ってもらえば差し支えない。
そういう経歴なので、90年代のネットというのは余り知らない。
Windows95でパソコン時代の潮流を眺め、Windows98時代にネットとともにJOINした程度にしか知らない。
親父がオタクだったせいもあり、5インチフロッピーのPC98のゲームとかには触れていたものの、ネットへの邂逅は98年前後位だ。
とは言え、3.5インチのフロッピーからRPGツクールを遊び、宝箱のフラグ制御による実現については学んでいた自負のある中途半端なガキではあった。
なんで、自宅はテレホタイムでのWindows、学校ではFreeBSD、寮ではVineLinexでインターネットに接続していた。
そのレベルなので、あまりこの時代のインターネッツは知らない。
知らないけど、知らないなりに触れて覚えているそれを記したうえで、諸先輩方にご教示頂ければあと3日で到達できる週末のggりライフも捗るというもの。
なんてスケベ心で、知っている限りで書いてみる。
そうやって浅薄な知識を挙げることで情報集収集できるってツーチャンネルで学んだんだ、僕は詳しいんだ。
それこそ、インターネット=HP(ホームページ)というノリだった。
ただ、個人の糞つまらない趣味を載せたページや、形だけの企業サイトなど、
目がチカチカする効果や、嫌がらせのMidi音源、文字の無駄な移動、キリバンとかそれしかないのという楽しみ…
同じく、当時の論調を見れば「こんなつまらないものを見るのにお金をかける人なんていないよ。普及しないね!」なんてのもあって
なんかすごいらしいけどつまらないなぁ、なんて思っていた。
それが今やテレビより接するメディアになるなんて思ってはいなかった。
今やブラウザでほぼ完結する世界のWindowsだけど、昔はツールがなければただのチラシの裏代わりのメモ帳だった。
なんで、いろいろしたいときにはこれらのサイトを巡回して「Toolスゲー」って感じで入れて飽きてアンインストールのローテーションだった。
この時期はストレージが数百メガ、メモリが数十メガのゴミみたいな時代なので、Tool入れ放題なんてそんな優しい時代ではなかった。
それこそ十年以上前にこれはからブラウザですべて完結するってgoogleがchromeを出したときは
「ご冗談をw」って思っていたけど正にそうなっていて、googleのノストラダムス力に西野プペルカナ以上に震える限り。
とは言え、かゆいところはtoolが必要なのでこれらのサイトは需要は低くなったけど今も必要だよね。
当時の検索と言うと、自分の認識的には鉄板のYahoo!とロボットが広くあまねくのgooという認識だった。
初めはYahooで当たり障りのないページを探しつつ、goo(同名ドメインのエロサイトはまぁ別途)から派生し、
Infoseek、AltaVistaなど、よく知らない世界への入り口を紹介してくれるロボット検索エンジンにたどり着いた。
この時は、google?ゴーグル?なんて感じで90年代の後半に出てくるくらいで知りもしなかった。
それこそ、2chのトップかどっかにgoogleの検索窓があって、それで知った位な感じ。
検索で色々未知の探求をしていくうちにたどり着いたのは、図書館のネットに放課後はつなぎだしたのはいわゆるアングラだった。
街の灯、日本海溝、メリーゴーランド等、まぁワードで分かる人は分かるアレですね。
眺めつつ、アレしつつ、うわースゲー、ここは別世界だ!なんて図書館やテレホタイムに興奮していた。
ニュースになるのは2000年のだけど、ファミコン決死隊とか労務課の倉庫とかそいう感じのアレで逮捕される人が出てきて現実だと改めて認識した。
そういうのはいつか消えるかと思えば、まだ形を変えて主に中華系で生きている。
法や制度が整備されても、人の欲望の忠実さを表すこれらは人間らしい。
コミュ障ボッチだったので、Outlookメールの発する妙なメール着信音にいちいち狂喜乱舞していた。
あの頃なので、スパムなんてなくて知り合いとかのメールで喜んで長文返信してそこで途絶えるなんてのをしていて、学ばないなと改めて思う。
とは言えそういう、一人一つと思っていたメールをWebメールとして取得できるHotmailはその存在を知り喜んで取得した。
が、まぁ上述の状況から取得しただけで終わった。
この後、フリーメールは各種ドメインで乱立するんだけど、今はgmailに収束した感がある。
なんて、過去の先輩の学籍番号を特定してアクセス出来て、そこからレポートをパクッて提出が出来ていた。
ただ、これが後にバレて不可を教員から受けるというドラマがあり、そのぐぬぬを何とか乗り切ったのはまた別の話。
FreeBSD自体は今も生きてはいるけど、Linux系列の方が多いのかな、少なくとも仕事の上では見ない。
なんて思うけど、自分自身の90年代のネットへの関わりがうっすいので、
このあたりのあれやこれやを知っている人が教えてくれると嬉しい。
じわじわ人気が出ている漫画の最新刊に対して、ウテナじゃんという言及があったらしい。人気作は読むまで他人の感想を避けまくるが、人気が出ていることを知らなかったためうっかり踏んでしまった。寝かせてもどうせ思い出してしまうので、読む。良かった。解釈というか思い入れが全然違うので、さらっと消費している人がそう言うのも分かるし、自分の受けた印象と衝突しなかった。
ちょっと思い入れが強すぎる。昔見たものも今好きなものも。昔のものはあまり他の人の解釈に触れる機会が無かったし、今好きになるものは、エネルギーが低くて本当に好きにならないと好きになれない。どちらももう完全に自分の世界ができているので、他人を入れたくないのだ。インターネットに触れた頃の作品は、他人の多様な解釈も楽しめるのだが。
ほっとしながらも、意識してしまってからはどうにも思い出す。特に分からなかったことこそ何度も思い出す。
玉ねぎ王子が告白昇降室に行ったとき、唯一追い返された。君は、本当にいい人だね、と。彼はデュエリストになれなかった。ならなくて済んだ。特別なことなのに、作中ではそれ以降触れられることもなく、どうしてだろうという気持ちだけが残っていた。
さすがに時が経っているので、不可侵さも減っているようだ。少し前にアンシー=ウテナという解釈に惹かれたのも手伝って、あの台詞の意図を調べたくなった。
見つからない。今や Google は「それ程詳しく無い人がさっと見て分かった気になる」多くの人が求めるページばかりを出し、そんな個人的な解釈は誰も求めていないとして、どれだけページを繰っても表示さえしてくれない。
けれどロボット検索の登場によって衰退した「リンク集」も、もはや多くのサイトには存在しない。サイトと似た趣向、サイト運営者が好ましく思うという得難い情報によるリンクは、もう失われてしまった。
人が、ひとりひとりが何を思うかを見つけられるのがインターネットだった。もう、人気を集めるコンテンツをサジェストされるのみだ。好ましい見解は、好ましい人が所属するコミュニティにどっぷり浸かって人づてに見つけるしかない。既存の情報のように。そしてそういう場所では、「ひょっとしてこういう意見もあるのではないか」と思うような意見からは縁遠くなる。インターネットは影響力は無いが存在するものを見つけられるものだったのに。それは、自分だけじゃないんだという生きる希望にもなったのに。
世界が変わればいい。そう思う私は玉ねぎ王子のようにはなれない。だって世界、変えたい。だってそれはあった。今まで声を発して来なかった人を見つけられるプラットフォームが、かつて存在した。
本屋は潰れていくが、本屋ほどの名前の知らない本を探せるサービス、UIが見つからない。
機械学習は、流行ってからそれなりに経ったが、論文ベースで閉じてる。
電子マネーは普及したけど、お店の売上に貢献してない。
Amazonの欲しいものリストという仕組みはあるが、貧困で困っている人に支援で送れらるわけではない。
どちらかというと有名な人が公開してプレゼント送られる。
大量の資料にあたって整理する、というのをサポートしてくれるソフトやサービスがない。
検索も当てにならなくなってかなりたつ。
GoogleやAppleなどがこんな仕組みでやっていると伝えられたとしても。
金も人も違いすぎて役に立たない。
足りなかったねん(´・ω・`)
あった・なかった以前の問題で、言ってることやってることそれ自体が無茶苦茶なのだ。
どれほど無茶苦茶で出鱈目なことをやっているか、一例をあげよう。
西岡昌紀、木村愛二という1990年代にホロコースト否定でちょっと話題になった人がいる。この二人は、ホロコースト否定の仲間である。
私は西岡とTwitter上でつい最近やり取りした。必要以上に詳しい内容は書かないのでそんなもんだと思って読んで欲しい。
西岡の本に否定論界隈では有名な話が載っている。「137人のドイツ人捕虜の睾丸が修復不可能なほどアメリカ兵によって蹴られた」という虐待話である。その話自体はどうでもいいので割愛する。
この話が、いったいどこに書いてあったのかがポイントだ。
この時は西岡本を読んでなかったので、西岡のブログしか知らなかった為、「文献名も知らないのに読めるわけねーだろ」と私は噛み付いた。
すると、西岡、文献名を示した。後でわかったが、その文献名は西岡本に書いてあったそのままである(実際には一文字抜けてたが)。
ところが、どういうわけかなっかなか見つからない。でも、Googleさんは偉い! ちょっとくらい単語が違っても似たような候補を勝手に探してくれるのである。
それは、アメリカ合衆国の政府サイトだった(ちなみに彼らの著書の執筆時である1990年代には存在しなかった)。
そしてそれは確かにあった。しかし、資料名がかなり違う。西岡の言った文献名の「Report」は実は「Record」だった。しかもそれは、正しく記述したとしても、文献名そのものではないのである。
実は、西岡が書いた文献名は、その資料のいわゆるヘッダーに記載された文字だったのである。
どこの世界に、文献名ではなく、ヘッダーを記載するバカがいる?
なぜそうなったのかは、実はその資料、木村が西岡にそのコピーを渡したものであり、木村が国会図書館で簡単に見つかった!と自著で豪語していた資料だった。
つまり、木村は西岡にきちんとした文献名を伝えなかったのである。そして西岡は木村に確認もしていない。ヘッダーに書いてあったからそれをそのまま脚注文献名に書いたのだ。アホか……。
木村は西岡に「ここにあのネタが書いてある」しか言わなかったに違いない。
私は、西岡に怒った。違う文献名を書くとはどういうことだ? と。でも西岡は、木村が国会図書館にあると言ったから、とか言い張るのである。お前著者だろ? 文献名も知らないで自著に全然違う文献名を記載したのか? と文句言ってやったが、まだわかってないようなので、私は今度は国会図書館をネットを通じて探した。
ところが。
正しいと思われる文献名で検索しても、まるで見つからないのである。この辺の事情はちょっとややこしい。アメリカの政府サイトの文献名が正しいとは限らないからだ。その文献名はあくまでも、ネット上の資料を示している。
それで、文献名の単語の組み合わせを工夫したりして、延々と探し続けたが、今度はそうすると、ヒット件数が多くなりすぎたりして、どれがどれだかさっぱりわからない状態が続いた。
イライラしてきた私は西岡に「木村のやつ嘘ついてんじゃねーのか? 国会図書館に見つからないんだが」と言ってやったが、西岡の木村に対する信頼は揺るがない、絶対にあるはずだという。
そこまで言うならと、国会図書館に直接問い合わせていやったら……あった。しかし、外部からは絶対に検索できない文献名だったのである(国会図書館もどうかしてると思うけどw)。
見つかったので、正直言えば、ある程度は嬉しかったが(自力で苦労して見つけたから)、それだけ苦労させるとはどう言うことだ? お前が知ってなきゃおかしーだろ? と西岡に噛み付いたらやっと西岡は謝ったのである。
だが、疑問は終わっていない。その文献は、アメリカ議会記録というもので、議会での議論を記録するものである。アメリカ政府は1800年代から延々とずっと記録し続けている(大抵の国はそうしているが)。そして適当な日数分ごとに製本してまとめて保管している。
だから、膨大な量の議会記録が存在するのである。一冊あたり、私が見つけたその冊子だけでも一千ページはゆうに超える。それが数えきれない冊数が存在する。
もちろん、「137人の睾丸」事件のあった年代はある程度は絞れる(これ自体は別の本に載っている)。しかし、それでもどう考えても何千ページもの記録から探し出さねば絶対に見つからない。
と言うよりも、その情報が議会記録にあるとどうして知ったのだ? もちろん時期も含めて。
つまり、木村が自著で豪語したような「簡単に見つかった!」は絶対にあり得ないのだ。それは誰かから情報をもらったからとしか考えられないのである。多分、その情報が上院議会のある特定の日の議論にあるとだけ教えてもらったのだ。
そんなもん、英語さえわかれば誰でも簡単に見つけられるわ!バカタレ!
それは、細かくいうと第95巻のvol.1という108ページ分の塊の中にある、冒頭ページから20ページ分くらいのところにある情報だったのだ。
俺でもあっさり見つけたわ!バカが!情報を知っていたからだ。西岡の言ったヘッダーにある日付分だけを探したのである。
どうして、そこの情報を欧米のリビジョニストから教えてもらえたか(もちろん知り合いだからだが)、は簡単に理解し得る。欧米のリビジョニストの多くがお気に入りにしているネタであり、元ネタの記載が事実上そこにしかないからだ。
元々はある古い雑誌の記事なのだが、1949年当時、議会の中で、その記事のことが話題になり、議会記録に記録することになったからである。
当時の雑誌を入手するのはアメリカ人ですらかなり難しいそうだ。
が、有難いことにある程度の規模の図書館なら、議会記録は存在するので、アメリカ全州で簡単に確認可能なのである
日本でも、国会図書館にだけは存在する(その後調べたら、戦後占領政策をやったGHQが米国政府議会記録を日本の国会図書館に保管するようになり、この業務が停止されず延々と続いたそうだ。ただし、今はアメリカ政府のサイトで容易に閲覧可能なので、近年の議会記録については国会図書館に保管はされていないと思う)。
このことを知っていたら、情報だけで日本人も容易に見つけられる。
ところがまだ話は終わらない。
西岡とこの話を最初にしていた時、私が言いたかったのは、上院議会のことではなく、その事件に関する公聴会の報告記録の方だった。ところが、西岡は上院議会と公聴会の区別がついていないのだ。だから、西岡は自分が所有している木村からもらった上院議会記録のコピー用紙の中に公聴会の記録もあると、訳のわからないことを言うのである。
そんなもんある訳ない。だって、公聴会の報告記録は上院議会記録とは全く別のものである上に、議会記録は日本にも関係するから国会図書館に所蔵するとしても、細かい公聴会報告までいちいち国会に所蔵するわけがない。しかもその公聴会報告は「137人」事件を否定するものでああり、リビジョニストが知っているわけがない(知ってたら、リビジョニストに都合の悪い話だから、自著に絶対に137人事件は書けない)。これを何度言っても、西岡は理解しないのである。
こんな連中の書いた本の内容を、どうやって信じる? だから否定論は出鱈目なのだ。あった・なかったの問題のレベルではないのである。欧米のリビジョニストの論文も幾らか読んだけど、まじで酷すぎるよ。フォーリソンなんか読んでるこっちが頭がおかしくなりそう。ただし、基本的な文献名などの記載は、欧米の方はしっかりしてる。西岡・木村よりはその面では欧米の方が信頼できるけどな
俺は昔、はてなブログでブログを書いて、昔でいう「プロブロガー」をやっていた。
1級身体障害者の炎上ブロガーって言えば、古参のはてなーなら知っている人もいるかもしれない。
元フジテレビアナウンサー・フリーアナウンサーの「長谷川豊」にブログ記事をパクられた人、っていえば思い出す人もいるかもしれない。
もう過去の記事は全て消したが、「だいちゃん.com」(https://xn--n8jvce0l6c.com/)っていうブログを運営していた。
そんな俺は今、大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている。
知っている人もいるかもしれないが俺はとあるきっかけで、はてなブログを追い出されてWordPressにブログ記事を全部引っ越しさせてブログ運営を続けていた。
だが、はてなブログ時代は主にはてなブックマークからの流入がメインだったから当然、WordPressではブログ運営が上手くいかなかった。
Googleアップデートなんかの煽りも受けて、ブログ運営のみの収入で生活をすることが困難になった。
ブロガー時代の俺に「自分のところでライターをしないか?」というお誘いを受けて、アフィリエイト記事を執筆するライターなんかもやっていた。
ライター収入で一時期は生計を立てていたが、他人のブログの記事を書くということに面白みを見出すことが出来ず、ライターとして生計を立てるということも辞めてしまった。
でも、どうにかして収入を得て生活をしていかなければならないから、俺は頑張って就職活動を始め、今は大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている訳だ。
もう、昔のはてなアカウントも消してしまって、はてなには全く顔を出していなかったが、少し懐かしくなって今、増田で記事を書いている。
ちなみに、俺は1級身体障害者ということもあって、今の会社に就職するまでまともな職歴はほぼ無い状態だ。
20歳の時には1級身体障害者になって、そこから半寝たきり状態で20代前半を過ごしたりしてきたし、リーマンショックなんかの煽りも受けて、なかなか就職が決まらず……。
そんな俺でも障害者雇用枠でなんとか大手企業に就職することが出来たから、どうやって就職をしたのかをちょっと書いてみようと思う。
まず、俺のスペックを書いていこうと思う。
・性別:男
・年齢:30代半ば
・職歴:ほぼ無し
・所持資格:「日商簿記2級」「MOS Word」「MOS Excel」等
こんな風に、俺のスペックはボロボロだ。しいていうなら、顔が若干良いくらいだ。
しかも、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
でも、こんな俺でもなんとか就職することが出来た。
一番この増田を読んでいる人達が気になっているのはここじゃないだろうか?
こんなボロボロのスペックでどうやって大手企業の障害者雇用枠、しかもリモートワークという狭き門での就職を成功させることが出来たのか。
その道のりは簡単ではなかったよ。かなりの苦労がここにはあった。
まず、どうにかして障害年金以外の収入をすぐに確保しなければならなかった。
幸い、ブロガーやライターをやっていた時の収入は殆どを貯蓄に回していたから、なんとか貯蓄を切り崩しながら生活をできていたが、自分の経歴の酷さは分かっていたから、すぐに就職先が決まることは無いと判断した。
そんな俺でも就職するまでの間、障害者だったら収入を得る方法があった。
それが、
という方法だ。
障害者職業能力開発校は、通っている間は失業保険の手当を貰える状態にある人は、失業保険の手当の受給期間を通っている間は延長してもらうことが出来る。
でも俺は、失業保険なんていうものに加入はしていなかった。当然だ。俺はブロガーでライター、個人事業主だったからな。
答えは「NO」。
障害者職業能力開発校に通っている間、失業保険の手当を受給出来ていなくても、障害者なら「職業訓練手当」という給付金を貰いながら通うことが出来る。
貰える金額は障害の等級によって違うが、1級身体障害者の場合は月に約12万円ほどは貰うことが出来た。
都心に住んでいる人からしたら、こんな金額じゃ生活出来ない! と感じる人もいるかもしれない。
幸い、俺は九州の田舎に住んでいるから、月に20万円もあれば十分に生活は出来る。
そうやって、収入の基盤をなんとか確保した。
ちなみに、俺が通っていた障害者職業能力開発校は、訓練期間が1年~2年。
通常は1年だが、「プログラム設計科」という、プログラミングを学ぶ訓練だけは2年コースになっている。
そこでプログラミングを学びながらプログラマーを目指していた。
でも、俺は「基本情報技術者試験」の午後問題の「アルゴリズム」と「プログラミング」の問題を殆ど説くことが出来なかったんだ。
「ああ、俺、多分プログラマーには向いてないわ。」
そして、就活をし始めた年齢が30代だったということもあって、30代で未経験プログラマー、しかも1級身体障害者で残業の出来ない状態では無理ゲーだろうなー、と思って、次第に「パソコンに強い事務員」として次第に就活をし始めた。
この部分がいつも就活において引っ掛かって、いつもいつも不採用だった。
それ以外もだいぶ酷い経歴だが、この部分が一番引っ掛かっていたと思う。
あとはやはり、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
を抱えているという部分だ。
でもこの部分は通院しなければならない為、しっかりと企業側に伝えておかなければ就職した際に通院出来ない、という状態になる。
でもある日、学校からの紹介でとある大企業の特例子会社への就職の話が入ってきた。
職歴ほぼ無しの俺にはかなり良い条件だった。
でも、問題点が。
俺の住んでいる地域からかなり遠い企業で、引っ越しをしなければならなかった。
俺が健康体なら別に引っ越しをするくらいはかまわなかった。だが、俺のような1級身体障害者で病院をいくつも通っている人間は、遠い地域へ引っ越しをする場合、病院を全て1から探し直さないといけない。
特に、人工透析を行っている病院の変更はとても手続きが大変だ。
病院との相性もある。
週に3日、1日5時間も延命治療を受けなければならない病院だ。ここの部分で相性が悪ければ恐らくストレスで精神がやられてしまう。
実際、俺が今通っている人工透析の病院を見つけるまで相性の悪い病院に通っていて精神がやられた過去があるから、その部分だけは本当に注意していた。
そういった事情もあって、最初は就職に前向きに検討していたが、だんだんとそういったことを考え始めて、そこの会社への就職は断った。
その頃、今世界中で流行している感染症が流行り始めていた。それも俺が就職を断った理由の一つだ。
俺が引っ越しをしなければならなかった就職先の地域は、かなり感染者が増加していた。
それに、会社がかなりバスなどを乗り継がないといけない場所にあって、人工透析を行う病院まで距離が遠かった。
恐らく、毎日が病院と会社の往復という日々。1日が仕事と通院で終わるような毎日になっていたに違いない。
そうだと俺は察知して、自分を守る為にそこの会社へ就職しなかったというのもある。
こういうことを書くと、甘えだとかなんだと言う奴らが出てくるかもしれないが、俺の身体や精神は君たちが思っている以上に脆く、弱く、儚い。
これを「甘え」だというのであれば、もういい。好きに言ってくれ。
だんだん、俺の住んでいる地域でも感染症の感染者数が増加していっていた。
でも、俺の通っていた学校は建物が古く、建物自体がいわゆる3密状態になっていた。これだけは避けることが出来なかった。
それと、どうしても知的な部分に障害がある人達もいるから、感染症対策をちゃんとしない生徒もいた。
しかも、他の患者さんと一緒に治療を受けているから、下手したら自分が感染すると病院全体が一時閉鎖しなければならない、という状態だ。
家には高齢の親もいる。
だから俺は、絶対に感染する訳にはいかないと思い、少しでも感染リスクのあることをだんだんと辞めていった。
俺はそうやって学校を辞めた。
ここの部分も、Twitterなどで発信していたら、
「お前と同じ障害を抱えているけど、俺は感染リスクのある仕事をしているんだ!! 甘えるな!!」
みたいに言ってきた奴がいた。
お前はお前、俺は俺だぜ?
お前はリスク管理が出来ていない。
俺はリスクのあることは全て排除して、徹底的にリスク管理を行った。ただそれだけの話だ。
お前は勝手に感染リスクのある仕事をしてくれ。俺は感染リスクのあることが徹底的にしない。だって命が惜しいからな。
人の命だってかかっているんだ。
俺は自分が感染するリスクも取りたくないし、他の患者さんや親を感染にまきこみたくなかった。
俺は障害年金は貰っていたけれど、それ以外の収入が学校を辞めたことで本当に無くなってしまった。
障害年金は月に約7万円ほどだ。でも、俺は実家暮らしだが実家もそこまで裕福ではないから障害年金の殆どを家に入れていた。
正直、感染症が収まるまで通勤での勤務もするつもりが無かったから、そこで一旦、就職活動したいを辞めていた。
すると、以前ライターをさせて貰っていたクライアントさんの一人が俺に仕事を振ってくれるようになった。
以前のようにライターの仕事では無いが、生活出来るくらいの金額になるように仕事を振ってくれていた。
ちなみに、その人は俺がライター自体を辞めて障害者職業能力開発校に入るとき、
といった意味を込めてなのか、カニを大量に送ってくれた為、俺の家族の間では、
「カニの人」
として周知されている。
その人がまた、ライターの仕事ではないが仕事を振ってくれるようになった。
その収入だけでも正直、個人事業主として生活は出来ていた。だが、その人は法人の社長ではない。あくまで個人事業主だ。
クライアントが個人事業主だと、どうしても将来的な収入が不安になる。
でも、俺は感染症のリスクを負ってまで就職する気は更々無い。でもやっぱり将来的な収入が不安だ……。
そんな葛藤をずっと抱いていた。
ある日、Twitterをいつものようにやっていると、とある就職エージェントの広告が目に入ってきた。
取り敢えず、登録だけしておいても損はしないな。まあ、今すぐに就職をする気は無いが、感染症が収まったらやっぱり企業勤めをしたいから、恐らく就活を再開するからな。
そんなことを考えて、本当に取り敢えずで登録だけしてみた。
俺は、
「すぐに就職をする気は無い。でも、リモートワークなら就職したいかも。」
みたいなことを、エージェントの就職担当者に話したような気がする。
へ流れで登録することになった。
なんか、いちいちあっちのサイトこっちのサイトって登録するの面倒だな……なんてことも思ったりしたし、リモートワークでの就職は倍率がめちゃくちゃ高くてなかなか決まらないということを、俺は実体験から分かっていた。
今まで、リモートワークでの就職を何度も試みて、全部の企業から落とされているからだ。
でも、やっぱり登録をするだけしておこうと思って、その会社へ登録だけ済ませた。
リモートワークで仕事をすることが出来たら、感染症リスクもだいぶ抑えられるからな。
個人事業主としての収入もあったが、安定はしていないと判断して、俺は安定収入を取ることにした。
ちなみに、就職エージェントの就職担当の方が、俺の履歴書の書き方が下手だからと、履歴書を添削してくれた。
そしてアドバイスもしてくれて今まで出していたものとは見違えるような履歴書になった。
俺みたいに酷い経歴でも、書き方次第である程度は改善できるのだな、と思った。
ちなみにアドバイスの中でも、抱えている障害や病気のことはしっかりと書くように言われた。
書くと就職には不利に働くかもしれないが、そこをちゃんと理解してくれる企業じゃないと長く働けないから、ということだった。
話を戻すけど、その就職エージェントが紹介してくれるのは、大手企業ばかりだった。
でも、来る日も来る日も全ての企業へ応募しても、書類選考の時点で落とされていた。
心が折れそうだった。
だけど俺は諦めなかった。
俺は正直、名前すら聞いたことが無かった。というのも、俺は主にIT企業へ事務員として就職を試みていたが、ITとは程遠い企業だったからだ。
俺はどうにかして就職をしようと、面接マニュアルを読み込み、YouTube撮影用のカメラの前で面接の練習をしてそれを録画。
動画にして自分の面接での喋り方、話す内容等を面接の日まで毎日見直していた。
そういった努力も実ったからなのか、俺はその1社へ就職内定が決まったんだ。
パソコンに強い人材があまりいなさそうな業界、という部分も良かったのかもしれない。
晴れて俺は、大手企業で障害者枠でリモートワークで就職が決まった。
後編へ続く。
それはThe Great Suspenderだな。これとは違う。拡張がマルウェア化するのはそれが提供している機能の種類とは関係なく、開発者が権利を悪意ある第三者に売り渡してしまうせいだ。
俺も以前使ってたStylishとかNano Adblockerとかはそういう流れで代替アプリへと退避したが、こういう拡張を使う系のユーザーは言われなくとも日々情報収集をする習慣があるはずだよな。
そうでなくとも、深刻な場合はGoogleがリモートで有害化したアプリを無効化することもできるので、拡張機能を恐れすぎる必要はない。
人の不幸は密の味。なによりの大好物は失敗プロジェクトの内情暴露、という増田だ。
さて、今日もいつものようにCOCOAを巡るすったもんだとか https://www.tokyo-np.co.jp/article/87051
ワクチン接種管理システムの納期が2週間とか https://www.nikkei.com/article/DGKKZO69301930Z10C21A2EA2000/
それをおかずにしておいしいご飯を食べながら、年老いた母に向かって上機嫌に語った。日本のITがいかに惨憺たる有様なのかを語った。奴らは失敗したし、これからも失敗するだろう。なぜなら日本はIT技術者を軽視しすぎていて、商社きどりのITベンダーが何か仕事したつもりになってそれでお金を貰える国だからね。といった具合だ。もっともこれは俺が何度も何度も繰り返している社会に対する呪詛で、目新しいところは何もなかった。
「どうでもいい話だね」
と沢庵を口に運びながらふいに母が言った。
「あんたが、過小評価されてようが、どこかのシステムの一つも満足に出来もしない誰かが高給をもらってるとか、そんな話は――」ポリポリと沢庵をかみしめて、飲み込んだ。「――どうだっていい話だよ」
俺はせっかくの上機嫌に水をさされて、少しムッとした。間髪をいれずに母は続けた
「COCOAってのはソースが公開されて、誰でも欠陥を発見できるようになってたんだろ?」
ニュースか何かで知ったらしい。
そうさ、だからCOCOAの欠陥だって、4ヶ月前に発見されてissueとして報告されてた。でも元請けのベンダーも下請けもみんな無視したんだ。
「それは残念だったかもしれないけどね。それもどうでもいい話さ」
そんなことはないだろう、と俺は食後のお茶を淹れながら反論した。
元請けってのは正常に動作するシステムを納品する責任があるんだ。彼らはその責任を果たさなかった。発注者の厚労省だって、検収責任があったのに怠っていた。
「発注者にも元請けにも責任がある。それは道理だね。ただ、私が知りたいのは、あんたの責任さ」
責任?プロジェクトに無関係の、安月給のしがないプログラマの俺の責任?なんだそりゃ?
きょとんとして、母親の目を見た。茶をすすっている皺くちゃの顔が怒りの感情をたたえていることに長年の付き合いのある俺はすぐに気づいた。
「あんたはプログラムがわかるんだろ。あんたは問題の指摘を見てどうしたんだい?」
ギクリとした。俺はそのIssueをgithubで見たわけではなかった。正確にはCOCOAの不具合が明らかになってから、どこからともなくTwitterでまわってきたスクリーンショットを見ただけだった。
「他のプログラマだってそうだ。その指摘は正しかったんだろ?プログラムを見たらそれが正しいことはわかったんだろ?なんで、これはすぐに対応しなきゃいけない。みんなで大騒ぎしよう、とはなんでならかったんだい?そうしていたら、もっと早く問題が解決したかもしれないのに」
俺は黙るしかなかった。正直なところ俺はCOCOAのソースコードすら読んではいなかった。だってXamarinだし、目もくらむような一流企業の年下の若者の書いたコードだし、そもそもアプリは専門外だ。だがそれを母に言って納得させられる自信はなかった。
「それだけの能力がなかったからできなかったっていうなら、仕方ないことさね。それは責められるもんじゃないよ。仕事で請け負ったわけでもないしね」
能力がない、という言葉がまたチクリと俺の胸に突き刺さった。実際のところ、がんばって読み解くぐらいのことはできたかもしれない。GoogleとAppleのドキュメントを読んで、issueの内容を検証する、ぐらいのことだったら出来た可能性もある。
だが、俺はやらなかった。やらなかったから、出来なかったのだ。
プログラムができる人間としてissueが正しいかを検証する責任?
「違う。それは出来なくていいのさ。出来る人がいればたくさんいれば良かったろうけどね。そうじゃない」
じゃあ何?
「このコロナっていう大変な時代に、みんなの命がかかっている大事な話に、『プログラマとして』関わる責任だよ」
ピンとこなかった。俺はコロナ関連のシステムを作っているわけじゃないし、それは他の連中の仕事だ。
「いいかい?私らはプログラムのことなんてさっぱりわからない。エーピーアイってのが何のことかさえよくわからないんだ。あんたにはわかるんだろ?」
「つまりあんたは、私らとは違って物事がようく見えているはずなんだ。私らには逆立ちしたってできっこないことが、出来るはずなんだよ」
で、でも、具体的に何をしろっていうんだよ・・・・・・
「何だっていいさね。あんたの残業が多くて、給料が安いのも知っているから、出来る事なんて全く何もなかったって仕方ないかもしれないね。でも―――」母は目を見開いて俺を真っ正面に捉えた。
「実際に作業をしている当事者をおもしろおかしく冷笑したり揶揄えるほどあんたが無関係だ、とまでは思わないね」
俺は押し黙って下をみるしかなかった。炬燵布団の単調な色合いがくすんで見えている。
「私らはね、これでもあんたたちプログラマに敬意を払ってきたつもりなんだ。給料が安いのだって、可哀想に思っているよ。早くあんたたちがその努力に見合った待遇を勝ち取れたら良い、と本当に思っているよ」
「だけどね、こんな大変な時に、みんなの命がかかっている時に、あんたのようなプログラマーが給料が安いからやる義理はないだの、責任の所在がどうだの、そういう何も生み出さない評論家じみた減らず口を止められないのはどういうことなんだい?そんなことをあんたたちが言う権利は本当にあるのかい?」
「結局のところあんたらは」母は、茶の最後の一滴をすすった「私らの命にすら興味がないんじゃないのかい?」
そんなことは・・・・・・
と反論しようとして、自分が言おうとしていることが何もないことに気づいた。そうじゃないんだ。そうじゃないんだけど・・・・・・とめどない言い訳が続いて俺は口をつぐむしかなかった。
https://anond.hatelabo.jp/20210202230556
これを書いて半月程度でまさか事態がここまで変わるとは思わなかった。最早選管経験とは関係ない領域に入るが、よく見るネットの意見や新規情報について自身の整理を兼ねて書く。
「リコール運動は報道しなかったのに不正は報道するのは偏向」という主張はリコール関係のワードで調べると必ずと言っていいほど引っかかる。しかし、普通にGoogleなどでニュース検索をかければリコール団体の立ち上げから署名収集開始、県議会への請願、収集期間の終了など節々で報道があったことがわかるだろう。また、リコール団体は途中途中での筆数を出すこともしなかったため、期間中に報道できる内容に乏しかったとも言える。更に、異なる立場の候補者が期間中に各々活動を行うため意見を比較考量できる選挙と異なり、リコールは主にリコール賛成派の活動に限られる。この状況でリコールについて報道しようにも賛成派の動向のみになり、それはリコールに肩入れした偏向になってしまう。奇しくも昨年には横浜市長のリコール運動があったので、そちらの報道での扱いも参考になるだろう。
「リコールを報道しているといってもローカルメディアばかり。不正疑惑は全国区で大々的に報道されている」と思う人もいるかもしれないが、リコール運動とその不正疑惑には影響範囲に大きな差がある。愛知県といえど一地方の首長が解職されようがされまいが、他の地方への影響は限定的だ。他方でリコールに関する不正疑惑は、直接請求制度を揺るがすものである。リコールをはじめとした直接請求はどこでも起こりうる。事実今年は私が軽く調べた限りでも徳島市長や岡崎市長のリコールを目指す動きが出ている。この不正疑惑を捨て置くことは他の直接請求活動全般にも疑いの目を向けさせ、あるいは同様の不正を惹起することが考えられる。全国的にも他人事ではないのは明らかだ。
余談だが、この手のメディア批判では「報道しない自由」という言葉が多用される。しかしながら報道のリソースは有限であり、取捨選択が生じるのは避けられない。その点で「報道の自由」の裏に「報道しない自由」は旧来から存在しており、彼らの使うこの言葉は、自分たちが満足する内容の報道を満足する量だけ提供すべきというエゴの換言に思えてならない。もちろん公正中立というのは(先述の点から難しいといえど)メディアの目指すべき姿の一つではあるし、メディアは今のままでいいと主張する気は毛頭ないのであるが……。
県選管の刑事告発まで機会を伺っていたのか、告訴とタイミングを合わせて西日本新聞と中日新聞が佐賀県で署名の偽造バイトが有ったことをすっぱ抜いた。リコール団体はこの偽造署名を把握していたとのことだが、それならば何故このことを大々的にアピールしなかったのか疑念が生じる。盗聴器だとか車のボルトが外されただとか、リコール団体は「卑劣な工作に負けない自分たち」という体で士気高揚を図っていた面がある。大量の署名偽造は格好の材料であり、判明した時点で利用しない手はないはずだ。公表しない理由しては、既存の署名についても偽造を疑い確認されるのは都合が悪いということが第一に考えられる。それが何を示すかは敢えては言うまい。
この事項については、例によってリコール反対派の工作という主張が散見される。しかしながら、「リコール事務局が署名を事前にチェックしない」「選管に提出する」「選管が調査する」という条件をクリアしないと達成できない工作のために「多額の金を支払ってバイトを発注する」リスクを負う人がいるのだろうが。同様の資金があるのならば、もっと確実で効果的な工作方法はいくらでもあるだろう。可能性はないことはないが蓋然性は低い話であり、それを人は陰謀論と呼ぶ。
仮に物好きな工作員やそこらへんのリコール賛成派が暴走して署名を偽造し、更に仮にリコール団体がその情報を掴んでも気まぐれで公表しなかったとしよう。それはそれで、情報があるにもかかわらず、受任者等の実働隊への注意喚起をせず、届いた署名のチェックもせず、急に増えた署名に疑問を持たないで提出するという相当運営が粗雑な組織になっていまい、いずれにせよ責任は免れない。「無能で十分説明されることに悪意を見出すな」とはハンロンの剃刀の考え方であるが、ここまで粗雑であれば剃刀が刃こぼれでも起こしそうだ。
正直な話、当初は余命ブログ懲戒請求よろしく焚き付けられて義憤に駆られた人が熱心に書いていた説を推していた。しかし、蓋を開けてみると、金銭で人員を動員して署名を偽造していたということで驚愕した。予想以上にビジネスライクであり、それ故に質が悪い。県選管の刑事告発をきっかけに事態は一気に動いており、下手すれば月末までには一定の結論が出ていそうだが、一刻も早く全容が判明し、然るべき人が然るべき処遇を受けることを望む。また、この事件は名前を使われた一部の地方議員が告訴を行っている。他方で県選管が刑事告発し、名古屋市も刑事告発を検討し、リコール団体側も告訴を行った。各々が各々の立場で自分たちは被害者という体をとっているが、何よりの被害者は民意の偽造のために勝手に名前を使われた人々であることを努々忘れずにいていただきたい。特に、大した確認もせず署名簿を提出したにもかかわらず不正をした者に鉄槌を下すと息巻くリコール団体については、だ。
ピノチェト https://anond.hatelabo.jp/keyword/%E3%83%94%E3%83%8E%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%88
ここにはたまにピノチェト政権の失敗を指摘する増田がいるようだ。
不勉強でチリの経済状態がどうなっているのか全然知らなかったので"チリ 経済"で検索(Bing)してみたら少なくとも1ページ目はポジティブな記事が並んだ。
Wikipediaのページも引っかかり、Miracle of Chile、チリの奇跡という項目があってピノチェト政権は概ね称賛されている。アマルティア・セン(Amartya Sen)ら一部からは否定的に論じられているらしい。
Googleで検索するとネガティブな記事も引っかかる。それらはピノチェト政権の話ではなく現ピニェラ政権下で資源価格下落により不況になった話と、再生可能エネルギーへの転換に突き進んだ結果電力価格が高騰してデモを引き起こした話と、政府の緊縮政策から電車の運賃値上げをして反発を招いている話など。貧富の差が大きいことが不満の根底にあるらしい。
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00692/021800049/
損してたんですね。
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/05203/
COCOAやHER-SYSの開発において、日本マイクロソフトは厚労省との契約主体ではない。しかし厚労省がHER-SYSの開発ベンダーを急ぎ探していた2020年4月、ベンダーの選考会に参加して営業活動を展開していたのは実は同社だった。パーソルP&TやFIXER、エムティーアイは、いずれも日本マイクロソフトのクラウドサービス「Azure」の有力な開発パートナーでもある。各社は厚労省の選考に勝ち残った「日本マイクロソフトの呼びかけでプロジェクトに参加した」(パーソルP&TのDXソリューション統括部の責任者)。
いわゆる「マイクロソフト村」だ。ときどき見かける組み合わせ(異同はある)。
契約段階でパーソルP&Tが元請けとなった理由は、関係者によれば「製品の提供に徹してシステム開発案件の契約は開発パートナーに任せる」という、日本マイクロソフトの方針によるものだった。
この座組みもよく見る。Microsoftのソフト製品をバンドルしたりAzureを売ったりしている大手日系メーカーやSIerとガチンコ競合にならないための建前的なやつ?
接触確認アプリの基盤を世界的に提供していた米Apple(アップル)と米Google(グーグル)が、接触確認アプリの提供元は各国の公衆衛生当局に限るという「1国1アプリ」と打ち出したからだ。厚労省はそれまで「接触確認アプリ導入に冷ややかだった」(関係者)が、アップルとグーグルの鶴の一声で「公衆衛生当局」として調達を担当することになったのだ。前述の通り、ここで厚労省は接触確認アプリの開発先の調達をパーソルP&Tに「一任した」。
ここでHER-SYSと抱き合わせでやらせちゃえって判断した厚労省の誰かが、ある意味で最も無能で罪深いと思う。
たしかに接触確認アプリのサーバーはHER-SYS側のデータを定期でもらう必要はあるけど、逆に言えばそこだけっていうか。接触確認アプリの実装において肝になりさらに難航が予想されるポイントは、HER-SYSとは全く性質が異なるじゃん。AppleとGoogleの突貫協議で開発されたOS組み込みのAPIを正しく取り扱うこと、テストしにくいアーキテクチャが不可避な中でなるべく多くの国民が利用できるように多機種に対応し動作確認すること、そういう感じじゃないの。しらんけど。
なんでHER-SYSのおまけで賄えると思ったんだか。やるならやるで別の予算調達してベンダー選定しなよ。
時間がなかったから仕方ない?長くても半年もいらなかったと思うけど。Androidで通知ができてなかった去年の9月から今月までで半年だ。
さらに接触確認アプリの十分な知見がなかったパーソルP&Tは日本マイクロソフトにCOCOAの調達やプロジェクト管理を任せる形を取った。「丸投げ」が連鎖したわけだ。注意が必要なのは日本マイクロソフトは接触アプリを公正に選べる立場になかった点だ。COVID-19 Radarには同社社員もおり、その接触確認アプリはサーバーの稼働環境にAzureを使い、AndroidとiOSで共通に稼働するコードを開発するツールには同社の「Xamarin」を使っているなど関係が深かった。厚労省は当時、こうしたベンダー側の事情も知る立場にあったとみられる。
知ってたっしょ〜。知らないわけないよ、絶対知ってたよ。(証拠はない)
「なんでもいいからクラウドもってこい」ならぬ「なんでもいいから接触確認アプリもってこい」って態度だったんでしょう。(証拠はない)
日本Microsoftも厚労省もだんまり決め込んでるみたいだけどね。
日本マイクロソフトと厚労省に対して、COCOAの開発先を選んだ当時の経緯について2020年9月から複数回取材を申し込んできた。これに対して日本マイクロソフトは取材に応じず、厚労省は当時の経緯の説明を避けている。
業界を代表する媒体の取材を何度も断るとあらば、今後数年は真相は明らかにならないかもしれない。
やれやれ。
と言っても今やってるものを全部見てたわけではなく気に入ったアニメ数本を見ていただけ
それでも今は1本しか見ていない
ひぐらしも、リゼロ好きだけど気が付いたら最初の2、3話で見なくなってた
放送時間が地域によって異なるのは昔から当然のことで特に大きな問題ではない
だから他の地域で放送されていても自分がまだ見れていないことは今までもよくあった
当然、続きは気になるけれど自分が見れるようになるまで1週間程度なのでネタバレを回避しつつ見ていた
だけど最近のスマホは自分の好きなジャンルのサイトを表示してくる
「第何話、考察」ならまだしも、タイトルでネタバレをされるとやっぱり興味が出てきて読んでしまい続きを見た気になってしまい結局、本編は見なくなっていって最後はアニメを見なくなっていた
夜はつい過去の失敗や絶望など、負の記憶を芋づる式に次々と思い出してしまう。
今夜思い出してしまったのは「随分前に作った、パスワードが紛失して削除出来なくなったYouTubeチャンネル・投稿動画」だった。
そのチャンネルや動画には検索であっさり辿り着けるため、また黒歴史と言えど自分の作った物である以上度々懐かしみに行くため、定期的に覗いていた。
で、今夜もああ、あれまだあるんだな……とYouTubeを開き、検索欄にチャンネル名をぽつぽつと打ち込んで検索すると、ギョッとした。
チャンネルがあるのだ。
2個も。
我が愛すべき負の遺産チャンネルはただの一つ、小坊の私がワクワクしながら作ったものだけだと思っていたのに。1個だと思ってたから恥ずかしいと思いつつも時々眺めてたのに!2個じゃん!!おばか!!!
どうやら謎の2個目のチャンネルは、パスワード紛失のために負の遺産チャンネルに入れなくなった過去の私が、仕方なく作り直したチャンネルらしい。
おわかりかもしれないが、チャンネルの存在自体覚えていなかったという事は、この2個目のアカウントのパスワードも当然今は紛失している。
二度も同じ過ちを繰り返した事に気付かされて普通にショックを受けた。こんな学習能力の低さでホモ・サピエンスを名乗る方が、こんなチャンネルの存在よりよっぽど恥ずかしいと思う。私は恥ずかしい。
ちなみに2個目のチャンネルが設立された日時は、1個目を設立してからおよそ2年後である事もわかった。つまり2年もあったというのに、私は「パスワードのメモをとる」という何とも初歩的なミスを修正出来なかったわけだ。
昨今のスマホやGoogleアカウントがパスワードを記憶してくれる機能には頭が上がらないが、どうにも不安が募る私は、これを書くためだけに作った出来たてのはてなIDとパスワードを、ノートに手書きでメモするのだった。
でも結局Googleさんが勝ったぉ?負けちゃったT_T