はてなキーワード: 醸造とは
1970年代前半に、仙台市内の中華料理店「まんみ」にて賄い料理として提供したのが始まり。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E7%84%BC%E3%81%9D%E3%81%B0
発案者が思いついたのが10年前と言っていたので、
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11156573366
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
14〜15年前ですかね。パンって、夏は本当に売れないんですよ。暑いからみんなソーメンを食べたり、おやつもスイカになったりしてね。なんとか夏に売れるパンができないかなぁと思って開発したのが、塩分補給もできる塩パンだったんです
//tabi-labo.com/287605/painmaison-yawatahama
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A2
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
【第22巻・第213話】いま話題のおにぎらずはクッキングパパが発祥!
//cookpad.com/recipe/2831394
第22巻は1991年発売。
ご存知のとおり発祥には諸説ある。
落合「僕が帰って来たのが1981年で、前のお店を開けさせていただいたのが1982年ですから。
(中略)
1982年に魚のカルパッチョを作ったとは語られていないが、近い時期であることが示唆されている。
古くは本朝食鑑の鱗部の巻「鰯」の箇所に「或有甘塩者有糟漬者有塩麹漬者号曰黒漬」という下りがあり、「塩麹漬」という文字列が見られる。
日本人はいつから牛の生肉や生レバーを食べるようになったのか。
焼き肉などの食文化に詳しい滋賀県立大の鄭大聲(チョン・デ・ソン)名誉教授は「戦後、在日韓国・朝鮮人が家庭で食べていたものを焼き肉店で出すようになり広まったのではないか」という。
//sankei.jp.msn.com/life/news/120428/trd12042822020023-n1.htm
「つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。つけめんの考案者である東池袋大勝軒の店主 山岸 一雄氏のお弟子さん達が独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒の常連客から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といったお店が繁盛したこと、そして川越にある「頑者」が「自家製極太麺×魚粉×濃厚つけだれ」という新しいジャンルのつけめんを生み出したことが影響し大きなエポックとなりました。
//web.archive.org/web/20130622095039///www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201005190013.html
プロジェクトが始まったのは86年。当初の計画では、輸出の要はカペリン(カラフトシシャモ)だった。しかし、その前年、時の漁業相らが日本を視察して方針が変わった。日本には生のサーモンを食べる文化がない。江戸前寿司にもない生サーモンの握り寿司を考案し、試食会を重ねた。
日本のイタリア料理史の中で、最大のブームとなったのは「ティラミス」と言って間違いありません。80年代半ばから評判を呼び、90年に雑誌「Hanako」で特集が組まれるや、人気は最高潮に達します。
日本の輸入量は1970年代までは微々たるものだったが、1970年代後半から増え、1980年には479トン、1990年2163トン、2000年14070トン、2005年は28150トンと急増している。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89
1908年(明治41年)、魚の油漬け加工に必要なオリーブ・オイルの自給をはかるため、農商務省がアメリカ合衆国から導入した苗木を三重県、鹿児島県と香川県に試験的に植えた。香川県の小豆島に植えたオリーブだけが順調に育ち、大正時代の初めには搾油が出来るほどの実が収穫された。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB
//www.amazon.co.jp/dp/4478039674
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E3%82%BF
単なる竜田揚げとして見れば×。
1952年(昭和28年)に創業した国立市の一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したとする説や、同じく昭和30年代に武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国の拌麺をヒントに油そばを発売したという2説が存在している。
新規企業の太洋醸造が当時自由販売化していたイモとホップを使用したイモ・ビールの試験醸造を申請して認可され、1950年(昭和25年)から新発売され、日本の市販発泡酒第1号となった
垣島在住の夫婦(夫は中国・陝西省西安出身の辺銀暁峰、妻は東京都出身の愛理)が、具材を食べるタイプのラー油を開発し、2000年(平成12年)、石垣島にて開催されたイベントで販売したのが始まりである(ただし、具の入ったラー油そのものは中国にて古くから存在している)。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B3%B6%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%B2%B9
中国では100万人以上餓死するなんてよくあることで、毛沢東の躍進政策大失敗して、「穀物を食い荒らす雀は人民の敵だ」とやっちゃって軍隊まで動員したとき、少なくとも2千万人が餓死して、病気も合わせると4千万人ほど死んだらしい。
海沿いの洞窟、岩の絶壁の最上段まで登って、滑落したら確実に死ぬのに、「海ツバメの巣は美味しい」「卵も燕も取れなかったけど、海藻で作った巣は食える」のを学習。
勿論、凍る海に飛び込んで、海藻と貝だけでも収穫。トバ火山吹っ飛んだ時は、残りの人類千人ほど実際にそうした。今より100メートルも海面上がってた時もそうした。
毒全壊のフグでも、内臓が毒なだけで身は食べても死ななかった、と学習。
様々な毒草でもキノコでも、死んだ奴が馬鹿で、生き残れた奴が食えるか食えないか、少量齧って薬になるか食えるか毒が無いか確認。
腐った人肉にでも噛り付いている隣人を見て、絵にかいてある「餓鬼」が本当に存在していたのも確認。
秀吉の餓え殺しとか、施餓鬼餌で供養して寺化神社立てないと地獄の門が開くぐらいの餓死者続出。
攻城戦で包囲された中国の城塞では「子を変えて食べる」習慣があり、自分の子供を食べるのは気が引けるが、体の大きさが同じなら交換して食う歴史があります。
聖人と呼ばれる孔子は、人肉の塩漬けが大好物でした。市場で売ってます。
もちろん自分の子供を調理して皇帝にささげた中華料理人もいます。
腐った果実は酒、腐らせた米も酒、腐らせた麦とか旨すぎてごっくごっく飲んでわざと腐らせたものを食う、飲む。
腐った牛乳なんか楽勝ですよ。
モンゴルで馬乳酒飲ませてもらったカルピスの創業者が、「どうにかしてあの味を?」と色々と苦労して、アルコール醸造無しで作ったのがカルピス。
中国では100万人以上餓死するなんてよくあることで、毛沢東の躍進政策大失敗して、「穀物を食い荒らす雀は人民の敵だ」とやっちゃって軍隊まで動員したとき、少なくとも2千万人が餓死して、病気も合わせると4千万人ほど死んだらしい。
海沿いの洞窟、岩の絶壁の最上段まで登って、滑落したら確実に死ぬのに、「海ツバメの巣は美味しい」「卵も燕も取れなかったけど、海藻で作った巣は食える」のを学習。
勿論、凍る海に飛び込んで、海藻と貝だけでも収穫。トバ火山吹っ飛んだ時は、残りの人類千人ほど実際にそうした。今より100メートルも海面上がってた時もそうした。
毒全壊のフグでも、内臓が毒なだけで身は食べても死ななかった、と学習。
様々な毒草でもキノコでも、死んだ奴が馬鹿で、生き残れた奴が食えるか食えないか、少量齧って薬になるか食えるか毒が無いか確認。
腐った人肉にでも噛り付いている隣人を見て、絵にかいてある「餓鬼」が本当に存在していたのも確認。
秀吉の餓え殺しとか、施餓鬼餌で供養して寺化神社立てないと地獄の門が開くぐらいの餓死者続出。
攻城戦で包囲された中国の城塞では「子を変えて食べる」習慣があり、自分の子供を食べるのは気が引けるが、体の大きさが同じなら交換して食う歴史があります。
聖人と呼ばれる孔子は、人肉の塩漬けが大好物でした。市場で売ってます。
もちろん自分の子供を調理して皇帝にささげた中華料理人もいます。
腐った果実は酒、腐らせた米も酒、腐らせた麦とか旨すぎてごっくごっく飲んでわざと腐らせたものを食う、飲む。
腐った牛乳なんか楽勝ですよ。
モンゴルで馬乳酒飲ませてもらったカルピスの創業者が、「どうにかしてあの味を?」と色々と苦労して、アルコール醸造無しで作ったのがカルピス。
辛口信仰をやめましょうだなんて記事が上がっていたので、飲食店を経営してきた中でお客様の好みを聞き出すのにどんな言葉を使ってきたかを教える。
つまり、それに習って好みを言えば目当てのお酒に出会いやすいということ。
味覚というものは曖昧なもので、嗅覚との境界がとてもいい加減です。
例えば甘口が好きだと伝えたいとき、香りが甘いのか味が甘いのかは別です。
花のような香り、樽の香り、スモーキーな香り、ベリーの香りなど、香りの好みや強弱をしっかりと伝えましょう。
味覚を簡単に並べると、甘味、塩味、酸味、苦味、辛味などがあります。
そして、世の中で高く評価されているお酒は、例外なくこれらどれかだけが強いのではなく、それぞれのバランスが優れているお酒です。
例えば辛口に話を戻すと、南国カレーのように甘いのに辛いは両立しえるので、ただ辛口とだけ言われるとバランスの優れたお酒はまず除外されてしまいます。
もちろんそれは人の好みですので、優れたお酒=誰もが好きなお酒とは限りません。
ただ、料理店側から見ると、この人はこだわりは強いけどお酒のことをあまりよく知らない人だなと思われてしまうかもしれません。
そうは言っても、食事は理科の実験ではなく気軽に楽しむものです。
だから、あまり味そのものを難しく考えてしまうとつまらなくなってしまいます。
そんな時、こんな言葉を知っていると比較的うまく伝えられますよという言葉を並べておきます。
まさにこの旨味やコクと言う言葉こそが、それぞれの味覚がもつバランスを意味しています。
甘いだけのお酒、苦いだけのお酒、辛いだけのお酒、酸っぱいだけのお酒には、絶対にこの旨味やコクを表現することはできません。
だから、これだって好みの一つでしかないし、料理との組み合わせを考える上で積極的に選択すべき要素なのです。
そしてこれらの要素の大半は、甘味・塩味・苦味のバランスで作られています。
自分の好みのお酒はこれらがどんなバランスで作られているのかを考えるといつもとは違った楽しみ方ができるのではないでしょうか。
また、アルコールの強さも旨味には大きく影響してくるので注意が必要です。
いわゆる辛口を好まれる方は、この辺りの言葉を伝えると良いのではないでしょうか。
基本的に苦味、酸味、辛味が強く、そして甘味の少ないお酒です。
しかし、甘味とキレ・ドライさが共存できないわけではありません。
香辛料のような辛さを強くすれば甘味は舌から揮発するように消えていくし、実際に糖が少なくても強い香りで甘味を感じさせてくれるお酒もあります。
甘みやコクとにているかもしれませんが、主に味や香りの複雑さに関係してくる要素です。
樽や檜の香りが好きな人は、この言葉を選んでみると良いかもしれません。
ただし、基本的に醸造に年月をかけているということはそれだけ手間とコストがかかっているということですから、値段とよく相談して選ぶようにしましょう。
香りや色に強く影響される要素です。
また、比較的「飲みやすい」という言葉を選ぶ方にお出しすると喜ばれるお酒です。
甘味と酸味のバランスがよくスッキリ飲めたり、口の中いっぱいに香りが広がるようなお酒を好まれる方におすすめの言葉です。
ある意味では熟成と対になる、若々しさの溢れる要素でもあります。
この言葉を使えば、アルコールの強いお酒が選ばれることはまずありません。
それぞれのバランスが小さくまとまっていて、きれいな味を楽しむことができるはずです。
さて、呪いというには大げさかもしれませんが、どうしてこれほどまでに辛口と言う言葉が便利に使われるようになってしまったのでしょうか。
その大きな要因の一つは、アサヒビールが一大セールスを確立したビール、スーパードライにあると言ってもいいでしょう。
ビールが国民の晩酌に快進撃を進めはじめた当時、そのシェアを独占してやろうと各社があの手この手でしのぎを削っていました。
ユーザーもビール=苦いものだと認識していたので、メーカーは本場の味に近づけようと苦さをアピールする戦略を選んでいました。
しかし、そんな中で唯一異なる戦略で一気にシェアを奪い去ったのがアサヒビールのスーパードライでした。
大人たちはビール=苦いものだと思っていたので、苦いビールを無理してのんでは本当は大して美味しくもないのにそれが格好がいいと信じていました。
そんな状況をいち早く察知したアサヒは、他のメーカーとは反対に敢えて苦味を減らし、キレよくゴクゴクと飲めるビールを作ってそれを辛口と表現しました。
苦い=格好がいいと背伸びしていた大人たちは、まんまとこの辛口という言葉にひょいひょい乗り換えていったのです。
これによって、日本人にとって辛口という言葉は、その言葉自体にそれほど意味がなくても、なんとなく大人な格好がいい雰囲気を醸し出してくれる便利な言葉になってしまいました。
そうして、日本酒にとっても辛口とはつまり、米の甘い部分だけを贅沢に使う大吟醸を否定する言葉でありながら、安酒を格好良く飲ませるのにもってこいの言葉になってしまったのです。
辛口という言葉全てを否定するつもりはありませんが、ただその言葉だけを出してそれがこだわりだ。という顔をされてしまうと、あぁ、メーカーに踊らされているかわいそうな消費者だな、としか見えないわけですね。
だって、本当に辛口が好きならスピリッツとかストレートで飲めばいいじゃないですか。
少なくとも上から2つの要素を提案すると、きっと自分好みのお酒に出会えますよ!
ただし、要素が重なれば重なるほどそのお酒の値段が上がっていくことに注意。
良いお酒とは、つまりそういうお酒であり、良いお酒を飲むことよりも、好みのお酒に出会えることのほうが人は幸せになれるはずです。
「その人達が商業デビューしたり、同人だけで食えるようになっていくのが」という所までには至れないけど、
出した本を作家さんが記念にしてくれているのがとても楽しい、って感じかな。
早割で間に合わせることを条件に5万までの印刷代を出している
お願いする人は指定した期日(早割入稿日少し前)に必ず提出してくれるので、そういう条件は出してない。
というかそういう作家さんにしかお願いしない。締め切りを守って頂ける作家さんかどうかは100発100中で目で分かる。
これについては自分が活動しているジャンルの特性上、1回のコミケ+書店の初動で印刷代がペイできるので、
こういうやりとりが発生したことはない。
「利益になった分はあげるよ」と言ってくる人に対して「要らないから小遣いにして」と言っている
商業デビューとかはないけどこれは本当に同意。同人は作者のモチベーションが9割9分9厘。
というか「その作家さんの作品だったらなんでも受け入れる!」という作家さんにしか依頼しないから
内容に注文させて頂くという気分すら湧かない。
似たような感じで、萌えをネット上で具体的な作品として公開されている作家さんは、
強いモチベーションが成果となって表れているということで安心してお願いさせて頂いている。
あとブコメであった
「興味あるけどどうやって接点持ってるんだろう。」という
作家さんは作品が感想が欲しいという名セリフを知らないのかよ。
ネットで公開されている作品にきちんと感想をお送りさせて頂いて、そこから「あなたの大ファンなんです」という信頼関係を醸造する。
本を作って申し込み、参加まで一通り、ヘタでもいいからやってみると、相手にアドバイスを出しやすくなる。何事も経験。
自分は同人作家になりたかったけど、あまりにも才能がなくて、それでも続けて結局挫折してしまったのだけれども、
こういう形で才能ある作家さんのお手伝いさせていただくことができたり、
作家さんからの同人関係の質問に、過去の些細な同人活動の経験が役だったりしていて、
前夜祭まで遊んでみたけど、このゲームはもう終わりだな。
Wii U のゲームパッドに最適化されていたものが、どの方向に行っても悪化する。
プロコンとグリップと携帯モードと3つの選択肢があるが、そのどれにしても Wii U の操作感に勝てていない。
先に息絶えたスマブラですら2作目には基本動作を増やし、新しい刺激を入れた。本作はウェポンの入れ替えのみで、そこに共通の新しい動作は増えていない。同じ事の繰り返しである。
最終的にはアオリとホタルとヒメとイイダと、2組で売っていくつもりなのだろうけど、一定以上ゲームを進めない限り前作のキャラが封印されている状態はよくない。逆転裁判4と近いことが起きる。
S だの S+ だの言ってた連中の言葉しか届いてこない。前作にあった「何かよく分からないけど面白そう、私にも遊べそう」という空気が全然感じられない。こういう廃人を消臭しないと人が増えずに終わる。
これについてはご愁傷様としか言いようがないが、転売屋にとって優秀な商材となってしまった。前作から続けて遊んでいるような熱心な人の購入意欲は失われないだろうが、一度火が消えてしまった人や、新規ユーザの獲得には大きなダメージとなる。
結果、総販売本数は前作を下回り、これがシリーズ最終作となる。
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【殿堂入り】サッポロ エーデルピルス 超美味しい。ただお店でしか飲めない。
【地ビール】
1位デュベル・モルトガット デュベルトリプルホップ このホップ感!重厚さ!1位でもいい位
3位ヤッホーブルーイング よなよなエール すっかり有名で老舗?日本のペールエールの王様
4位ローグ醸造所 ここのIPAはどれも美味しい
5位ヤッホーブルーイング 青鬼 結局青鬼
【殿堂入り】デュポン ボンヴー 世界で一番美味い。ただ高いので1年に1回しか買わない
※ここ数年地ビールが増えすぎて全然追いつけていないので、これをランキングにいれないなんて!という意見お待ちしてます。
【発泡酒】
1位キリン 濃い味デラックス 店頭ではあまり見かけないが満点
3位サッポロ 北海道生絞り 店頭では見かけなくなった。美味しいのに
5位サッポロ ホワイトベルグ 知らずに飲んだらあら海外のビール?って思う程の味
【殿堂入り】富士貿易株式会社 ユーロホップ 安い!飲みやすい!リーマンの味方!
以上
ボトルを買い込んで家で写真とともに載せている人をよく見かけるが、ビールを本当に楽しみたいならば、ビールを専門にしたバーに行くべきだ。
理由を大きい順に書く。
一つ目は「店は人脈の代わりになる」こと。
このビールはどんなビールですか、こんなビールが好きなのですがおすすめありますか、など質問できるのはもちろん、お店でイベントをやっていたり、またはビール関係のチラシやフリーペーパーがあったりして情報が得られる。ただしある程度空気を読む必要がある。
二つ目は、飲食店向けの樽でしか提供されないビールは意外と多いということ。
海外のビールでも樽生のみという商品はたまに見かける(これは、瓶よりも飲食店向けの樽生の方が捌けやすいという理由なのではないかと思う)が、国内のクラフトビールメーカーでも大半は瓶詰め設備を持っていないため、樽での流通が大半となる(ちなみに瓶詰めを委託しているメーカーも多い)。
また、今やスーパーでもよく見かけるコエドでも、樽のみの商品はかなり多い。
その他レアケースでは、マニアックな飲食店が自店専用に醸造または輸入しているものもある。
三つ目。全てが全てではないが、流通において、ビールの扱いはあまり良いとはいえないことがある。
特に「要冷蔵」の表記がついていない海外ビールは、日本に着いてから野ざらしだったり、店でも常温で陳列されたり、ひどい場合は日光にさらされていることもある。
ビールにこだわりのある店であれば、仕入れ、保管、提供まで一定の質をキープしていることが多い。
あくまで傾向というか経験則なので、補足的な理由という程度で認識して欲しい。
以上。
蛇足だが、おいしいビールを飲むには金を惜しんではいけない。一杯千円なら安い方。そしてなるべくいろんなビールを飲んでみて、自分の好きなビールを見つけて欲しいと思う。
http://blog.tatsuru.com/2016/11/15_1128.php
その理由はとりあえず周知されていない。誰でも知っている理由なら、こんな特集は組まれない。
ふつうリベラル批評家が発言力を持ち続け得るのは(事象に即した言説のクリーンヒット時の「ご祝儀」を除くと)批評のまなざす先の恩沢に現にリベラル市民が浴しているからである。
だが、内田樹はそうではない。
特別顧問で参画した大阪市政改革は頓挫した。旗を振るったSEALDsは見るべき成果を上げていない。野党連合の結託をいくら煽っても鳥越の醜態や民進のグズっぷりばかり悪目立ちしてしまい 自民党打倒の糸口が見えない。安保法案への言及ではシーレーンや国防、自衛隊員の命の軽視と反知性主義の態度が露呈した。五輪計画や福島原発や豊洲移転問題では共産党の走狗となり知性の欠如があきらかになっている。どれも老いたリベサヨの末期の徴候である。にもかかわらず内田は高い読者数を保持している。その根拠は何なのか?
一番簡単なのは、「リベサヨ市民は現状認識の適否を判断できないほど愚鈍になった」という解釈である。
リベサヨの過半が愚鈍であるなら、こんなあげつらいも何の意味も持たないからだ。だとしたら、問いの次数を一つ上げるしかない。「リベサヨは内田を支持することでどのようなメリットを得ているのか?」である。
保守速報などネトウヨまとめサイトの観測によれば、内田支持理由のトップは「他に適任者がいないから」である。
だが、現実には「他にどのような言論人が適切か?」という問いは誰も立てていない。いずれ支持層が急逝して「ポストリベサヨ」がリベラル市民の話題になればリベラル市民は「人気投票」を行うだろうけれど、今は話題になっていない。
私の解釈はこうだ。国益が損なわれ、国民が日々損害を被りそうな諸言説を垂れ流すにもかかわらず、「内田を黙らせろ」という声が上がらないのは、リベサヨ代表格の適格性を最終的に判断しているのは「リベラル市民たちではない」とリベサヨが思っているからである。
残念ながら、リベサヨ界隈において、内田言説の適格性を判断しているのは理性ではない。
リベサヨは自分たちの歪んだ情念から現実を歪ませて認識することはできる。でも、現実に即した言説に身を委ねるはできない。
リベラル市民たちが誰を選んでも、中共が「不適格」と判断すれば、リベサヨメディアでのオピニオンリーダーの座には就けないし、就けても短命に終わる。そのことをリベサヨは知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。それを認めてしまうと、リベサヨは権力の圧政に反して日本社会や市民生活をより良くしようという正義や善意の集団ではなく中共の野望の片棒を担ぐ工作機関であるという事実を直視しなければならなくなるからである。
2008年頃からネトウヨ嫌韓豚の吹き溜まりである保守速報などのまとめサイトで「朝日新聞は中共の工作機関である」との言説が広まった。反日朝日の誌上におけるオピニオンリーダーの任免権は事実上中共が保持している、と。
日本のリベサヨ言論はこの発言をまともに取り合わなかった。違うと思うなら反論すればいい。だが、「反日朝日は中共の工作機関ではない」と述べたリベサヨ言論は一つもなかった。
サントメプリンシペの政治学者ガバーヌ・マンコニックは〜中略〜同じことを指摘した。だが、リベサヨはそのような意見がネトウヨ社会では当然のように行き来している事実そのものを組織的に黙殺している。
内田樹は「宗主国中華人民共和国の属国の報道官」である。実質的な権威づけは中共が握っている。もちろん、外患誘致に問われるから、権威付けの作業は「アウトソーシング」されている。中共の情報誘導は朝日新聞や日刊ゲンダイへの記事やコラムを通じて醸造され、外国人特派員クラブやワシントンポスト、ニューヨークタイムズなど外信へ逆輸出することでマッチポンプ効果で言説の信憑性がより強化される。そういう仕組みでリベラル言説が制御されていることをリベラル市民はもう知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。
「他に適任者がいない」というのは朝日新聞など反日工作メディアの判断である。
内田樹は日本の国益よりも中共の国益を優先的に配慮してくれる「理想の言論人」である。だから反日メディアがそう評価するのは当たり前である。そして、リベサヨの多くは朝日新聞の判断の方がリベサヨ当人自身の生活の延長線上にある主観的な現実評価よりも夢想的でありかつ幻想的であると信じている。
「追記」
ただ、アメリカの大統領がドナルド・トランプに交替したことで、「宗主国の代官」にどのようなタイプのオピニオンリーダーを選好するかについての判断基準がこの後変わる可能性はある。
これまで、「属国の代官」の適不適を事実上判断していたのは辛淑玉たち「差別の当たり屋」であった。
リベサヨのグズっぷりに「市井の人々」は巨大な「マイノリティ利権」をひさしく貪っていた「差別の当たり屋」たちから取り上げようとするだろう。
「差別の当たり屋」たちのお気に入りであった日本のリベサヨ言論人たちはこれから新たに「オーディション」を受けなければならない。
明日11月17日に安倍首相はトランプを西側首脳として最も早く表敬訪問をするが、これは「日本の総理大臣」である以上当然のことであり、これは安倍首相にとっては「新しいカウンターパート」に対する「牽制」に相当する。
日米の関係がより進歩的に発展するという「(中共にとって残念な)結果」になった場合、反日メディアではオピニオンリーダーもリテラもマガジン9も「アベシネホントシネゲリグズ野郎」と(はじめはおずおずと、そのうち猛々しく)言い始めるだろう。
ココ半年くらいで好きになって、都内のいろんなお店に行っては試してるんだが、
知っておくべきビールの種類や銘柄は日に日に増えていくばかり。
興味が尽きないので、ビールについての本や雑誌も購入するようになった。
フェスにも何度か足を運んで、そういう場所で知り合った人となんだーかんだーとビール話に花が咲く。
こういう人の繋がりができるのは良いことだと思うし、それなりに楽しいのだが。
職場の近くにも、自宅の近くにもビアバーがある。
行こうと思えば会社帰りにも行けるし、自宅の駅に着いてからも行ける。
この「行ける」っていう状態にあるのが最近ではちょっと怖くて、
なるべく用事を作って行かないようにしている。
それでも、やっぱり行きたい。ビール飲みたい。
どこそこのお店で珍しいビールの樽開けたよっていうSNSを見たりすると、もうタマラン。
カネと時間が許すなら、ベルギーとかアメリカとかの小さい醸造所を飲んで回りたい。
何言ってんだ。現状の結婚のコンセプトから作り直さなきゃいけなくなるくらいの大事だろ。
現状、結婚することは「ひとつの家」になることとして考えられている。
山田さんが結婚すれば、奥さんも山田さん、お子さんも山田さん。ひとつの「山田さんち」という括りになるのが結婚だろ。
子供の友達の苗字が「田中」なら、そのお父さんらしき人もお母さんらしき人も、下の名前を知らなくても「田中さん」だろうという推測がつく。
そういうことができなくなるという具体的な不便もあるが、少なくとも日本人はひとつの家庭をひとつの括りとして認識してきた。
別姓が認められるということは、今までひとつに括っていた家族に対する名称を失うことでもある。
もちろんこれは、山田さんと田中さんが結婚した家庭を「山田-田中家」と呼ぶようなコンセンサスでも出来れば、
「個別のファミリーに対する呼称がない」という問題は解決するが、こういう新しいコンセンサスを醸造するということも社会的なコストなわけよ。
知人にクラフトビール好きがいるので、何度か一緒にビアバーに行ったり、スーパーで購入してみたりした。
確かに、今まで飲んでいたビールとは違って、苦味が強かったり、スモーキーだったり、フルーティーだったりと味のバリエーションは様々だ。
しかし、日本の大手ビールメーカーが造るビールより美味しいか?と問われると、別にそんなことはなく、単なる趣向の違いだとしか感じられなかった。
まあ、結局のところ、クラフトビールが悪いというよりは、日本のビールメーカーの醸造技術が優れているということなのだろうな。第3のビールでも普通に美味しいからね。
そこが、安かろう悪かろうのワインや日本酒との大きな違いだと思う。
とどのつまり、昔の地ビールブームと同じく、高価格さがネックとなって、クラフトビールブームもほどなく終焉を迎えると思われる。
鯛のカルパッチョ、パプリカのマリネに鮭と茸のクリームパスタという晩御飯だったので、スパークリングワインを開けることにした。
ワインをグラスに注いでいると、奥さんが「わあ。今日はシャンパン?」と聞いてきた。
俺は、違うよと言った。
シャンパンというのは、フランスのシャンパーニュ地方で採れたブドウを定められた製法で醸造した泡のワインだけが名乗ることが出来るんだ。これは同じフランスでもロワール地方のワインだからシャンパンとは言わない。そもそも正式にはシャンパンじゃなくてシャンパーニュって呼ばないと…
黙って俺の話を聞いていた奥さんは、話が終わると俺の目じっとを見てこう言った。
「その話、他所でしたらダメだよ。ぜったい面倒くさい奴って思われるから」
奥さんは満足そうに俺の頭を撫でるのであった。
" イオンエンジンも眠る丑三つ時。墨を流したような暗がりの中に縞模様の宇宙服の男が歩いています。手には提灯もなく、月は雲で隠れているのにひたひたと日中をゆくが如く堂々と街道を歩いています。向かう先は町外れにあるNASAの酒蔵です。ご存知のように老舗の宇宙問屋であるNASAは宇宙燃料に、嗜好品に、と使い勝手のいい酒を自家栽培するようになり今日では「まるな印のNASAの酒」として市場を賑わせています。その酒蔵へ、男は吸い込まれるように入っていくのです。カードキーで施錠されたNASA鉄壁のセキュリティーも男の手にかかれば造作もありません。懐から取り出した木の葉を滑らせると「ピッ」という小気味良い音を立てて開いてしまいます。扉は油を引いたように滑らかな動きでスライドし、真っ暗だった通路に灯りが点ります。ぬっ、と入ってきた宇宙服の男は電灯の下ではまさしく異様な風体でした。六尺はあろうかという見上げるような宇宙服の大入道で、全身に黄色と黒のだんだら縞が入っています。奇矯奇怪な風体ですが不思議と品位を感じるのはそのゆっくりした立ち振る舞いからでしょうか。やおら男は歩を進めます。警備員はというと監視カメラに睨みを利かせていたのですがちっとも男の侵入には気づきません。煙のようなものがモニターを横切ったようにしか見えないのです。男は真っ直ぐ酒蔵に向かうと醸造樽をにハシゴをかけ、猿の様な勢いで一気に上りきるとそのままどぶり。酒の中に入ってしまいました。立ち泳ぎをしながら男のヘルメットが横一文字に裂けたと思うと大きく開きます。中から輝く白い歯列。どうやら口のようです。そのままごうごうびゅうびゅう音を立てて酒を飲み始めます。しばらくすると宇宙服が全体に赤みを帯び、満足したのでしょう大きな大きなげっぷを垂れました。ぐえーふ。そして滑らかな樽の表面に手を突くとヤモリのように登りきり、ふちから外に飛び降りました。流石に酔っ払っているのでしょう。尻からどっかと落ちてしばらく寝転がっていびきをかきます。しかしそれも寸刻のこと。ふらふらした上体を揺らしながら起き上がるとゆっくり出口へ向かって歩き出します。ここへきて警備員は物音から動き出すのですが男はすんでのところで逃げてしまって行方はようとして知れません。これが月に何べんもあります。
NASAの高官たちは寄り合いを開いて対応を協議することにしました。長官がぱちぱちとはぜる囲炉裏の火を見ながら語ります。「これは我らが神をないがしろにし、ロケットでただ宇宙を駆ることばかり考えた罪ではないのか」かぶりを振って「気ばかりのスティーブ」と呼ばれる翁が怒気混じりの声を上げます「こんなものは怪事でもなんでもない!ただの泥棒だ!警備員を倍増させ、捕まえてしまえば問題ない!」そこへ人事部のロジャースが鼻声で反論します「君、警備員を倍増させるのはいいよ。しかしね、その給料はどうするのかね。10人増やせば月に3万ドルの出費だ。それに泥棒を捕まえたらすぐクビにできるのかね?一ヶ月でクビ切り?おお、怖い。私は幽霊よりも労働組合が怖いね!」長官は二人のやり取りを呆けたような目で見て震えるばかり。とても裁定ができるような状態ではありません。先週妻と協議離婚をしたばかりなのです。親権も奪われました。涙ばかりがぽろぽろこぼれます。頭に浮かぶのは幸せだったころの自宅の庭。今では古タイヤがつまれているだけです。そこへ新役員のホプキンスが手を上げます「それならここにいる役員全員がかりで泥棒を取り押さえようではありませんか。幸い我々は一般職員と違って仕事をしていない。時間は十分にあります。それに私は我々の日本の友達、JAXAから棒を貰う算段をつけています。アジアに生える桃の木で作った棒は邪気を払うといいます。この棒で泥棒を叩きのめせば普通の泥棒なら死ぬでしょうし、怪異であっても無事ではありますまい」その後、閑をもてあました役員たちはそれでも命令を出すのに忙しいと文句を言って中々重い腰を上げませんでした。しかし、長官が人寂しさから全員酒蔵でキャンプをしようと訴えだし、その様があまりに哀れだったため無下に断ると死んでしまうような心持にさせられたため役員総出で寝ずの番をすることになりました。
老人たちの酒蔵生活が始まりました。杜氏は黙々と仕事をするだけで彼らを一瞥もしません。なぜなら彼らはロボットであり視覚センサーを備えていないためそもそも見ることができないからです。終業時刻を迎えそれぞれ酒蔵の目立たないところに張ったテントに戻ると全員それぞれテント内でちびちび酒を飲んだりマンダリンを弾いたり思い思いのことをしています。そんなことで泥棒が捕まるのかはなはだ疑問でありますが、彼らは仕事をしない生活が当たり前になっていたため全員目標を忘れていたのです。そんな生活が四晩も続いた頃でしょうか。ついにだんだらの宇宙服がやってきました。彼は既に見つからないことが当たり前になっていたせいでしょうか。宇宙服の表面は毛羽立ち、ヘルメットからは大きな舌が覗いています。鼻歌を歌いながら酒樽に近寄りハシゴをかけようとすると「ジュワッ」肉を炙るような音がして宇宙服の手袋が黒く焦げました。ハシゴを桃の木製に架け替えていたのです。あっ、とうずくまる大男に老人たちが殺到しました。堕落したとはいえ元はやり手のサラリーマンたちです。身のこなしが違う。久々の仕事に興奮した役員がやたらめったら男の全身を打ち据えます。ぼっ、じゅっ、叩く度に焼きゴテを押し当てたような音がします。きゅうきゅうという音を立て、身をくねらせる大男は徐々に身長が縮んでいき宇宙服もぼろぼろになり獣の毛皮のようになっていきます。狂乱の二分間が過ぎると長官が割って入りました「みな待ちたまえ。もうこの泥棒に盗みを続ける気力はあるまいよ」そこには大男だった痕跡もほとんど残っていない一匹の狸が傷だらけの全身を震わせ横たわっていたのです。不憫に思った長官が狸に尋ねます。ここは人間の酒蔵だ、一体どうして人間の酒蔵を荒らすのか、狸は目に一杯の涙を貯めて語ります。「つい先年、妻と協議離婚をしたのです。親権も奪われ自暴自棄になり、とにかく酒以外に救いがなかったのです。人間様にご迷惑をかけたのはわかっています。それも今日のように罰せられるのを期待していたのかもしれません」それを聞いた長官は膝から崩れ落ちて泣き出しました。おお、お前は私だったのだ。狸を抱き上げ介抱を始めました。もうこんなバカなことをするものではないよ。酒が欲しいのなら私に言いなさい。獣一匹が飲む量くらいはすぐに都合してやろう。「ああ、旦那様。人間とはかくも暖かいものだったのですね。いいえ、いけません。貰うばかりでは狸のプライドが立ちません。どうか私にもできることをやらせてください。そうだ、エンジンの出力を上げるくらいなら狸にとってはどうということはありません。これからNASAで打ち上げるロケットは全て狸の加護を加えましょう」それからというものNASAから打ち上げられるロケットの出力は全て30%増加することになりました。それによりNASAの宇宙開発は飛躍的に進み、今でもNASA本社の玄関には傷ついた狸を抱き上げるかつての長官の銅像が立っているのです。とっぴんぱらりのぷう。"
どこにも書けないのでここに吐き出す
ただの自分語りで内容はフィクション、読んだら不快になるであろうと思われる事を先に言っておく。
モテない。
俺はモテなかった。
小さい頃から見た目もブサイクでぶくぶくと太っていて、顔立ちの綺麗な親にも「ブサイクだね笑」だなんて笑われながら育った。
幸いにも見た目が理由でいじめられたり、というような事はなかったが明るいブサイクという感じで俺は女性と縁が無いまま横幅を含めてすくすくと育った。
TVやネットで見るような恋愛の煽りを、自分には関係無い、と思いながら
ネットで呪詛を吐き出し、アニメーションのかわいい少女達へと精液を消費するいわゆる典型的なブサイク・キモ・オタク だった。
兄貴は俺と対照的に女をとっかえひっかえしており、俺のコンプレックスは加速していった。
することが無かったので、見た目に恵まれなかったので、加速したコンプレックスで努力した。
楽しそうに振舞う恋愛強者を尻目に、勉強し、本を読み、ネットに浸った。
おかげで周囲の環境や家系に対してはそこそこの学業成績を出せるようになり、年齢に似合わないコンプレックスによって醸造された屈折した視点と切り口を得ることが出来た。
気づくと16歳になった。
ネットに入り浸ることで4つ年上の女性とネットで出会い、恋愛感情が芽生えた。
会えば嫌われる。なので、またコンプレックスを加速させることにした。
見た目に対して努力しだした。ぶくぶくと太っていた体重を20kg近く削り、見た目に気を使って最高の状態でその人に会えるようにした。
そうして、俺は彼女と初めて会った。
といっても、別に見た目を重視していたわけではないのでどうでも良かったのだが。
年上でありながらも俺より子供のようないわゆるメンヘラに近かった。
そうして初めて彼女ができた。が、出会い方や彼女の見た目もあり恥ずかしくて友達や親には黙ったままそのままダラダラと5年間付き合った。
これを逃せば俺にチャンスは無い。そんなことを信じながらだらだらとゆるい幸せに浸かり続けた。
最初は好きだった気がするが、今思えばもう半年もすれば感情は無かったのではないかと感じるようになった。
何度も別れ話を切り出され、そのたびに口上手く丸め込みだらだらと付き合っていた。
もう興味は無かったが彼女がいない自分が怖くて、まともに対応しないままラインや電話も取り合っていなかった。
5年がたち、俺は大学生になり彼女は26になった。相手はもう結婚を考える年齢だ。
このまま流されて結婚してしまうのだろうか、とかそんなことを思いながら限界を迎え、ついに別れた。
初めての失恋にはショックだった。月日は長かったらしい。
別れてからの数ヶ月で今までに無い勢いで成長した。
勉強に向き合った。女がいない自分に価値が無い気がして怖かった。
昔から嫌だった。初対面の人間に「彼女いるの?」と聞かれるのが。なんでそんなプライベートなことを大して仲良くもないお前にこぼさなきゃならないんだと思いながら
「いないよ」と嘘を吐いた。思えばあの時からもう片鱗はみえていた。
昔から心理学の本を読むのが好きだった。人が見える自分は素晴らしく、理解できる自分に価値がある気がした。
モテる心理学!ブラック心理学!なんても俗なものから専門書まで暇なときにちょくちょく読んでいた。
意味不明な視点と考え方から、根拠はないが人よりも人の気持ちに昔から敏感だったように思う。
言葉の節々や小さな仕草から相手が何を考えているのかわかるような気がした。
同時に、恋愛も脳内物質の機械仕掛けに過ぎない気がしていた。抱擁で分泌されるホルモン。オーガズムで分泌されるホルモン。
機械仕掛けに脳は刷り込まれていく。愛の正体はホルモン。だから、相手の脳内にそれをたくさん分泌させてやれば相手に自分を刷り込ませられる。
別れて3ヶ月。新しく一つ年上の彼女が出来た。
モテ無いと感じていたが、18くらいから見た目に大きな変化が現れていた。
顔立ちは濃くはっきりとしていて、振る舞い方も随分と覚えた。昔より会う人間にモテそうといわれる事が多かった。
あ、俺ブサイクじゃなかったんだ。うすうす気づいていた。
そうか、はっきりと女を望んでいなかっただけで実は思ったより自分に魅力はあったらしい。
そっか俺実はモテるんだなって気づいた。けど、男は見た目の問題ではない。
モテるという言葉は嘘である。どれだけ見た目に優れていようとも男は見た目ではない。女に向かっていかなかれば意味はない。
新しく出来た彼女はかわいかった。相変わらずメンヘラの気質だったが、人前で手をつなぐことも友達に紹介することも恥ずかしくなかった。
見た目は大きな要素ではないと思っていたが、単に俺のプライドが高かっただけらしい。
村上龍がエッセイでこんなような事を言っていた。「美しい女が自分の前で裸になり、好きにしていいと言われる事、それこそ男としての承認だ」と。
今ならわかる、そのとおりだ。俺は美しい女に愛される自分を通して自分に価値を見ていた。
自分なしでは生きていけない相手が、必要とされる俺が好きだったのだ。
そうして付き合って一ヶ月。
普段は目立たなかった俺だが、あるきっかけで広く人目につく機会を得た。
端的に言えば、出会いが増えた。
人目に晒されることで周囲に女性が増えた。
気づけば、一人の俺より若い女から熱烈なアプローチを受ける事になった。
まんざらでもなかった。こんな俺でも必要とされている。
気づいた時には付き合い、隣で女は寝ていた。
「こんなしょうもない人間の癖になに腕枕なんてしちゃってんだよ」って、ツッコミを入れながら
悪友の影響で好きでもなく辞められない煙草を吹かして独りで笑っていた。
ラブホテルの照明が、小学生の時の図工の時間に書いた目玉にとてもよく似ていた。
俺の中では、本当につい最近まで小学生だったのに、何かっこつけて腕枕なんかしちゃって、煙草なんてゴミみたいな物に日常を煙に巻いてんだ、と思った。
女がいなかった数ヶ月は本当に成長できた。今まで不可能だと思ってたことに挑戦し、努力し、成し遂げられた。
生まれたからには仕方なく生きる、俺の全盛期はいつだった。そんな事を口にするのは俺は昔から絶対に嫌だった。
昨日より成長してなければ意味が無い。そんな事を思っていて、常に不安だった
不安だからこそ成長できたように思う。常に不安で仕方なく、それを誤魔化すために努力した。
しかし、女が出来てからは違う。生きているだけに無条件に承認されたしまう。
違う、と思った。
生きている事は価値かもしれないが、俺は嫌だったそんな事は。
ふと昔見た映画を思い出した。主人公が夢の為に付き合っていた女を振るのだ。
確かにそうだ、本当に成し遂げたいことがあれば女は枷になることが多い。
二股をかけてみて、何も楽しくは無かった。
二人から求められている事は、不安を取り去り、罪悪感を生み、俺の成長を止めた。
後ろめたく、首筋をつめたい手に掴まれている感覚が抜けなかった。
どちらかを選ぶのはムリだ。だって、多分。二人とも好きじゃない。
初めて付き合ってた彼女が付き合う前に年上の30台の男との事をよく語っていた。
俺はそれがたまらなく嫌で、高校生の俺がそいつに勝つには圧倒的に時間も何もかもが足りてなかった。
生きていれば経験値は溜まる。男は年を経る事に確かに価値が増すように感じる。
だから、若い女が年上の男に夢をみるのはムリも無い。彼らは安定している。
しかし、そんな事で成長できるとは思えない。年上の人生レベルの高い人間といれば、楽々人生は進むだろう。
高い戦闘力で色んなことを蹴散らしてくれる。しかし、気づけば残るのは若さしか価値の無い女だ。
それならまだいいが、数年もすれば年老いたただの人間になる。そうすれば、何も出来ない人間になってしまう。
男が「何も知らない女」に夢を見るのと対象的に、
女は「何でも知ってる男」に夢を見るのかもしれない。
でも行き着くところは同じ。
男は「何も知らない女は寛容で、何でも知ってる女は狭量だ」と思ってる。
女は逆で、「何でも知ってる男は寛容で、何も知らない男は狭量だ」と思ってる。
成し遂げたい事は何かを考えた。
そう思ったとき、双方が枷だった。二人から貰ったペアリングが、手錠であり、足枷であるように感じた。
もう嫌だった。自分に価値を無条件に認められることが、しょうもない人間なのに生きているだけで肯定されるなんて意味不明だ。
このままゆるい幸せがだらだらと続いたところで、どこかできっと悪い種が目を出してもう色んなことがおしまいになる。
そう思った深夜2時。川を渡す橋の手すりに立った。
演じる事でそれがいつかホンモノになると信じているからだ。
しょうもない。こんな物に囚われている。もう嫌だ。自分の事は自分で決める。
そう信じて、ドラマの主人公のように指輪を投げ捨ててそのまま飛び降りて川に身を投げた。
枷は取れた。壊した。
そのまま、二人を捨てた。
もういいやと思った。
世の中にはそんなことよりも楽しいことが死ぬほど転がっている。
その枷に囚われてそれを拾えない事のほうがよほど不幸だと俺は思った。
俺は、こうして今もモテないままでいる。
そうして心もブサイクなままだ。
でも、それでいい。
だらだらと無条件に愛されるくらいなら、モテないブサイクでいるほうが余程幸福だ。
今、俺を縛るものは何もない。
ただ、時折感じるやるせなさについては、飲み込むまでまだまだ時間がかかりそうだ。