はてなキーワード: 親友とは
某有名漫画家さんがシナリオ、キャラデザやを手掛けた学園系乙女ゲームにハマった。
あの作品を「乙女ゲーム」とくくっていいはずがないが、とりあえず男キャラを攻略できるので分かりやすくそう呼んでおく。
元々、有名漫画の方のファンで絵柄や画風が自分の好みど真ん中だった。あの絵柄で新しいキャラクター、イラストが見られるなら買ってみたいと思った。
恋愛シュミレーションゲームっぽいストーリー導入や設定に二の足を踏むも、Amazonで同性のレビューを見つけたことに背中を押されて即ダウンロード版を購入。プレイを始めた。
……とてつもなく良かった。面白かった。導入の「男子校に性別を偽って入学」という点で「はいはいよくあるオタク女が好きなハーレムモノね」と舐めていたプレイ前の自分を恥じた。
有名漫画家さんの描いたキャラクターやスチルを見ることができ素晴らしいのは大前提として。
システムがまず良い。
このゲームは自分のステータスにある6つのスキルを上げることで、ストーリーを左右する「学校内成績」が良くなる。スキルごとに対応した攻略キャラの好感度も勝手に上がる。自己研鑽に邁進していればストーリーが進むのだ。
なんとなく乙女ゲームとかって「好感度を上げつつストーリーに関係するスキルを磨きつつ」みたいな二足の草鞋方式が多い気がしていたので新鮮だった。普段ギャルゲ含む恋愛シュミレーションゲームやらないから完全にイメージだけど。
ストーリー内の選択肢、どれを選んだとしてもキャラクターの好感度が下がらないのも乙女ゲーム初心者としてはありがたかった。
主人公が強い。攻略対象がいるものの、きっとひとりで生きていける。実際どのキャラクターも攻略しない主人公独自ルートがある。全ルートやってみた上で、俺は誰とも恋愛関係にならない独自ルートの話が一番しっくりきた。
ゲームストーリーは大筋が決まってるんだけど、それぞれのルートで各キャラクターが「このときこんなこと考えてたのか」って分かるのも納得感がある。
攻略はできないがサブストーリーは用意されているので、それぞれの思いや過去を知ることができるのが嬉しい仕様。主人公の親友(女)の水着姿もグッときたが、某キャラのサブストーリーは男でも思わずドキッとした。海外に連れ去られたい。
音楽も良い。
主人公+攻略キャラクターの声優さんたちが歌っているんだが、これらの曲を使った音ゲー要素がある。音ゲー好きとしてはたまらなかった。
全楽曲好きで思わず9月に出るボーカルコレクションCDをアニメイトで予約した。ギャラリー機能内の音源を聞いて、CD発売まで耐え忍ぼうと思う。
超個人的な意見だがとりあえず「全て良い」しか言えない。説明書きだけで乙女ゲームの類と決めつけて忌避するにはあまりに勿体無い作品だった。Amazonのレビューを書いてくれた男性よ、後押ししてくださってありがとうございました。
「ルックバック」はどんでん返しに次ぐどんでん返しで、「衝撃の展開!絶対見逃せないこの夏イチオシの作品!」と呼ぶにふさわしく、ストーリー的なギミックがよく工夫されている。
コマの細部にヒントを忍ばせてみたり、わかりやすいくらい工夫に満ちて技巧的だ。
対して作中の犯人像は、なんの工夫もない。
100人中100人が描けるような安易な犯罪者を、安易に描いていた。
序盤で描かれる小学校時代の教師たちは、安易なステレオタイプでありながら、適度に工夫されて主人公の感情に馴染むように(あるいは馴染まないように)描写されている。
しかし物語の「裏の核」となる犯人には、その程度の工夫すらない。
あれは18禁同人でいう「竿役おじさん」のステレオタイプ並の解像度である。
そして主人公も、大切な親友を殺した犯人に対して湧くはずの怒りや憎しみを見せない。
犯人に対しては妄想の中でお行儀よく空手キックをする程度である。
なぜならもし主人公が犯人に怒り、感情を剥き出し始めたら、作者にとって「都合が悪い」からだ。
せっかくテクニック満載の誰もが驚く「うまい」話を考えたのに、キャラクターの感情を優先してしまってはテンポの悪い泥臭い話にしかならないからだ。
「ギミック満載の、作者が褒められるタイプのお話」にするためには、
決められた筋書きからはみ出さない物分かりのいい主人公と、適当な犯人描写でなくてはならなかった。
みんないかに作者を褒めるかを考えている。
こうして、主人公が当然持って然るべき感情は、作者の都合のために消された。
作者を天才と呼ぶ声が増えるほど、作品の空虚さ、軽んじられたキャラクターが浮き彫りになる。
正直、モチーフとなる事件が想像されるのだから、事件をあのようにしか扱えないで果たして「うまい」のか?
それはニュースサイト的な「バズりのうまさ」ではないのか?と疑問なのだが。
自分は、「ルックバック」を読んで「マイ・ブロークン・マリコ」という作品を思い出した。
同じく友人を失った女性の話だが、登場人物の心の痛みや迷いや悩みから逃げない作品だった。
それらといちいち向き合い工夫を凝らして描き、彼女を「殺した」犯人も嫌になるほど誠実に描いていた。
作者名なんかよりも「マリコ」、マリコを想い後悔に苦しむシイノのことが頭から離れない漫画だった。
理不尽に友人を奪われたシイノはすぐ泣いて鼻水を垂らし、無様に地面を転がっては起き上がってまた転んでいたが、
「ルックバック」の主人公は涙も見せず、絵的な収まりの良さをキープしつつ、バランスボールの上に座り続けるのだった。
比べるのも馬鹿らしいが、雲泥の差だと思った。
家にいても悪くなってきたので精神科に行ってきたけど鬱も何も言われなかったし薬も出されなかったが休職したらと言われた
とりあえず年休で休むことになった
そんで復帰まであと数日になった
胃の違和感、吐き気は無くなったけどだるさは消えない。娯楽はまずアニメや映画を観れなくなってる、絵を描いたりゲームしたりは出来るけどただ誤魔化してるって感じで終わったら現実に戻され虚しい気持ちで一杯。ご飯は食べれるが食欲が湧かないし辛いものしか美味しく感じない。気分はほぼ沈みっぱなしだが浮き沈みが激しい生きるのが辛く感じる。とかは変わらない。あと休み入って数日経ってからハンドクリームみたいな異臭がずっとするしなんか耳鳴りもする気がする
睡眠は変わってるのかよく分からないが昨日は不安と辛さで大切な親友といたくて(事情があって連絡が取れない)堪らなく号泣してた。バイノーラル音声聴いて布団入って2時間経ってから寝た、今日も不安で堪らないが寝れるだろうか
病院にも会社のメンタルヘルス的な人にも生きるのがしんどいですとか言ってない
2日目に病院に行った時、その時は体調悪くても会社に行けてたのでならもう大丈夫じゃない?と言われた。初診の説明が自分が会社サボってるみたいな言い方してたし診断書書くよと言われたのに断ったしまあ呆れられてる気がする
死にたいって思ったらすぐ来てねーなんて言われたけど今行っても無駄だろうと諦めてる
メンタルヘルス的な人からは笑えてるし趣味もあって目標もあるみたいだから大丈夫だね、どっか出掛けてきたら?って感じだった。無理に愛想良くしてたの駄目だったんだろうね、でもそうしてしまうんだよ
今日上司から電話来たけど復帰してほしそうな言い方だった、うん、人いないもんね
自分でも休んで何になるんだろうとかずっと考えてるが復帰しても体調は変わらないだろうな
細かく書くと身バレするので書けないが
まとめるともう生きるのが辛い、夢はあるけどそれで生きれるわけないじゃないか。なれず死ぬまでこんな人生とか思うと辛くて仕方がない。
週一ペースで包丁握っていろんな箇所刺す想像してるけどなんだが安心する。首吊りもたまに
帰りは後悔で頭がぐるぐるしてた
真っ暗闇の中に放り込まれたい1人になりたい
そこでずっと泣いていたい
masakinihirota まず最初に薬物や他も疑うでしょ、そもそも医者は最初にこれだと決めつけはしない、あらゆる可能性を考える、この人はもう最初から総合失調症だと決めつけている、これがプロと素人の差。
他も疑うことと統合失調症を疑うことは背反しないんだが。まあ、お前は犯人は薬中だと思うわけね。
医学的な精神鑑定の話ではなく、作中でどう描かれているのかという話なんだけどわかる?漫画が載ってるのは精神鑑定の教科書じゃなくてジャンプ+だからな?作者も読者も素人であるという前提の上で、作中で犯人がどういう意図をもって描かれているか?って話よ?
nanamino 京アニ事件の犯人は精神鑑定の結果完全責任能力が認められてるんでしょ。統合失調症に対する偏見を持っているのは増田の方だよ。
京アニ事件の班員の精神鑑定結果がどうであれ、被害妄想が統合失調症の典型的症状なのは科学的統計的事実だ。作中の犯人について統合失調症として描かれていると考察するのが偏見なら、医者が青葉の統合失調症を疑うのも偏見か?
misomico 統合失調症に対する世間のイメージと実態に乖離がある。精神疾患への興味がなく、理解の解像度が低いためにいつまでもステレオタイプな疾患像から離れない。
ステレオタイプな疾患像もまた事実で(現に「如何にも」な患者はいるわけで)、その共有は一応進歩と認めてよいと思う。ただ、ステレオタイプなイメージが先行すると、早期発見早期治療の妨げになる懸念はあるね。
JackP そもそもルックバックに描かれている通り魔は京アニの犯人像とかけ離れてるのに、どうして京アニ犯人と結び付けられているのかが謎。犯人のおかれている状況、動機も実行方法も違うでしょ……
hedgehogx あの犯人は創作者の誰もが持っている闇の具現化であって、そこに病名を結びつけようとするのが違和感。作品内で開示されてる情報は「住所不定」「男性」のみなのだからむしろホームレス男性が危ないことになる
そうだね。
camellow 純粋な事故ではなくかつ理不尽な殺され方描くためにヤク中が銃を乱射しても「ヤク中がみんな乱射するわけではない。更生してる人もいるのに偏見だ」とか言うのかな。どう描けば納得できたのだろう。
勘違いしているようだから言っておくが、描き方について何も不満は持っていない。ただ不満を持つ人がいるのは当然のことだと思うと述べたまでだ。
siglite ブコメを読んで、薬物による幻覚症状というのは確かにあり得るなあと。だとすると「被害妄想=精神疾患」という偏見を強化してるのはいったい誰なんでしょうね…。
被害妄想を精神疾患と結び付けているのはアメリカ精神医学会という悪の組織。奴らは日常生活に支障をきたすレベルの強い被害妄想を病気ととらえ、治療しようとうする。患者を薬漬けにして金を稼ぐために違いない。ちなみに、奴らは薬物中毒も精神疾患扱いしている。これが何を意味しているのか・・・。
とでも書けばいいの?無知で心の底から精神疾患を差別してなきゃこういうコメントは書けない。強い妄想を精神疾患と関連付けるのは、高熱をインフルエンザと関連付けるのと同じことなんだが。ほんと腹が立つぐらいバカ。
俺の主張は
不快に思う人もいるだろう。
という点だけ。俺自身は不快に思っていない。不快に思ったっていいし、作品が不快に思われたっていいだろ。万人受けするものなんかないんだから。
どうしてそんなにも「不快に思う人もいる」ことを認めたくないんだよ?
①作中の犯人はいかにも統合失調症っぽいってのは、統合失調症を知ってれば誰でもわかることだろ。②京アニの犯人が統合失調症を疑われていたのも周知の事実だろ。③作者だってそれぐらい意識して書いてるだろ。④で、作者が統合失調症にまったく寄り添って描いていないのも事実だ。
それで嫌な気持になる人がいるのは理解できる。作者や作品が悪いといってるわけじゃない。理解できると述べているんだ。どうしてたかが漫画に違う感想を持つ奴に、そうも無理解を突きつけなきゃならないんだか。
でも作品と京アニ事件は関係ないといってみたり、薬物中毒かもしれないといってみるのは間違いなんだよ。わかるか?国語のテストと同じだ。
日本語の読めない奴に、日本語でそれを説明できる気がしないから、はてなーの理解の欠如に無力感しかない、残念だ・・・。
どうすれば話が通じるようになるんだ?教えてほしい。主張を最低限にとどめ、事実と俺の考えは切り分け、簡潔にわかりやすく書いたつもりだったんだが・・・。どうすればはてなーに通じる文章になるんだ・・・。ホッテントリ入りするたびに悩まされる。
本文
幻覚と強い被害妄想ときたら、医者はまず統合失調症を疑う。京本を殺した犯人が作中で統合失調症として描かれていたことはほぼ間違いがないだろう。たとえ統合失調症でなかったとしても、絵から声が聞こえると言うのが精神疾患であることは確かだ。
anond:20210719195613 の言う通り、フィクションが差別を助長することはあり得る。その可能性を差し置いて、なぜ、犯人は統合失調症でなければならなかったのか?
それは統合失調症による殺人が、想定外・突然で、理不尽な事故であるからだ。殺人は統合失調症によって引き起こされたものであり、犯人によるものではない。事故のようなものである。
だから主人公は親友が殺されたのにも関わらず、憎しみを抱かない。物語のテーマは「描くことで前を向く」というものであり、犯人への憎しみは、短い読み切り作品にとって邪魔でしかない。
また、犯人が統合失調症であることは、物語が京アニ事件をテーマにしていることも示している。
統合失調症の患者による殺人は、健常者のそれよりもずっとずっと少ない。しかし、京アニ事件は世間の「精神異常者は人を殺す」というスティグマを強化した。そして、ルックバック作者は、京アニ事件に似た事件を作中で起こすことで、僅かかもしれないが確実に、再びスティグマを強めた。
もし、作者にとっての京本のような人物、つまりは親友が統合失調症当事者であったのならば、彼は統合失調症を単なる装置として利用したりはしなかったろう。
現実には、作者にとって統合失調症は青葉の象徴でしかなく、作中で救済する必要も、現実での差別を憂慮して単なる災害に差し替える必要もなかった。
他の多くの人同様、作者にとって統合失調症はその程度のものであると作品は伝えているのである。
不快に思う人もいるだろう。
ルックバックの1つのテーマは「なぜ創作し続けるのか」という問いであり、京本は主人公にその問いを投げかける役割を持つ。主人公が京本の高い画力に圧倒されたとき、主人公が京本を失ったとき、どちらの場面でも主人公は一度は描くことをやめようとする。しかし、どちらの場面でも最終的に主人公は「再び描くこと」を選択する。そしてその「再び描く」モチベーションは、京本への対抗心、京本と過ごした過去、と京本に起因する。京本は、主人公にとって「筆を折る理由」であり「筆を折らない理由」でもあるのだ。「なぜ創作し続けるのか」この答えの1つは「京本がいるから」と言えるかもしれない。
だが、作中に挿入されるifではこの答えは否定されている。ifの中で、主人公は京本に出会わずとも再び漫画を描き、京本は主人公と出会わずとも美大に入る。これは主人公と京本が生まれながらにクリエーターであることを示している。「なぜ創作し続けるのか」それは業としか言いようもない。
とはいえ、京本はやはり主人公にとって創作の理由である。「描けるから描いていた」小学生時代の主人公は京本に出会って、京本に勝つというモチベーションを獲得し、京本に見栄を張ってついた嘘がきっかけで章に応募する。また、京本の服のサインは大人になった主人公にとって親友の死を乗り越え連載を再開するきっかけとなっている。
京本がいなくても描いていたかもしれない。しかし、京本がいたから描いていたというのもまた事実なのだ。
主人公は京本によって挫折と再起を経験し、そのたびにより強い意志を獲得する。この過程はまさにライバル関係のあるべき姿だ、ジャンプらしいなーと思ったまる
ここ数週間死にたくて死にたくて、死ななくては!!という強迫観念で頭が支配されていた。
死にたくてどうしようもない。
しかし、通っている精神科の医師に相談したら、まったく取り合ってもらえなかった。私が話を聴いて欲しいのに、なぜか医師の講釈を傾聴していた。諦めた。
頭のいい人なので、私の話を黙って聴いたうえで、いい意味で当たり障りないアドバイスをくれた。
私が「死にたい人の気持ちがわかるか」と問うと、親友は「全くわからない」と率直に答えた。加えて、死ぬくらいなら状況が変わるように努力するか、心機一転どこか知らない場所に行って人生やり直す、という。
前にも後ろにも進めない私の立場では、そのアドバイスは乾いた言葉にしか聞こえなかった。困った。
どうにもならなくなった。このままだと私は4連休の最初の日に山で首を吊るコースを確実に歩む。
回らない頭でウンウン考え、私はとりあえず死ぬ以外でこの苦しみや焦燥感から逃れる代替手段を見つけようとした。そこでひらめいたのが「ごっこ」である。わかりやすくいえば、現実的には行動すると取り返しがつかない行動について、実際にやらないまでもそれに近い何らかの行動をして一時的に今の衝動性を逃すという方略である。
私は3つやった。
1つ目は自殺企図ごっこ。近くのホームセンターでロープを購入し、インターネットで解けにくい紐の結び方を習得した。自殺する場所を下見し、自殺する予定の時間(朝方)に実際に現地に行き下見する。これで少しスッキリした。(しかしこの方法は自殺するリスクをより高めるのでお勧めできない。マジで最終手段として捉えて欲しい)
2つ目は失踪ごっこ。土曜日に早朝から思いつくままに電車にのり、とりあえず行ける範囲で知らない場所へ行った。自分の知っている人がいないところに逃げると少し楽になる。腰が痛くなるまで電車に乗り続けて帰ってきた。
また、死にたい時って死にたい意識ばかりに囚われて頭と身体が乖離している状態だとおもうから、余裕があれば出先で身体感覚を取り戻す経験をしてくるといい。私は砂浜を歩いたり川の中をじゃぶじゃぶ歩いたりして身体の感覚に意識を向けたら、頭の中の絡まった糸が少し解けるような感覚がした。
3つ目は転職ごっこ。今も進行中。明後日ハローワークにいって、とりあえず求人情報みてくる。
こうやって、鬱屈した気持ちを外に逃すチャンネルを一個でも見つけてみると、希死念慮が少しずつ縮んでいくと思う。
死にたくなるほどの問題なんて早々解決策は出ないもの。ならばとにかく今の辛さから逃げることを優先すればいい。
一意見として参考にしていただけると嬉しい。
結論から言うと、この作品は低品質なタイプのクソ映画ではない。
たしかに動きは少ないが「100日後に死ぬワニ」の作画としては妥当な範囲内だ。
劇判がでかすぎるとかそういうことはなくちゃんとコントロールされてるし、役者もさすが一流どころなだけあって違和感のある演技には感じなかった。
ただ良くも悪くも原作の雰囲気が再現された結果、演出に抑揚がなく多くの人はつまらないと感じるだろう。
63分の上映時間で1900円のフルプライスをとってることに目を瞑れば、100ワニに相応な映像化といってよい。
ではクソ映画ではないのか?
以下にその理由を記す。
無駄に音がデカかったり音割れしてたり演技が棒だったり合成されたCGがショボすぎたりして興をそがれるタイプだ。
主人公に目的が設定されてなく、起きる物事をカメラが追いかけるだけでただひたすら時間が経過していくタイプや、物語の展開の仕方が強引を通り越して牽強付会でぐちゃぐちゃになってるタイプなどだ。
原作のキャラクターなどの要素を使ってるだけで全く別の作品となっててファンが怒り狂うタイプの原作付き映画がこれに当たる。
この作品は前半でワニが生きた100日間、後半でワニが死んでからの100日間を描く。
そして、前半で描かれたワニを中心とした友達のコミュニティにこのカエルが入ってくるのだ。
これは見方によってはワニのポジションをカエルが乗っ取ったように見える。
しかもこのカエルは観客のヘイトをめちゃくちゃ稼ぐ立ち回りをしてるので余計にこのクソガエルが!という心情になってしまうのだ。
この点で、ワニが好きだった人ほど、この映画は受け入れがたいものになってしまった。
友人が死んだとしても、残された人は生きていかなければならない。
しかし、ワニを主人公にした物語でその主人公が死んだあと、その主人公の代替品を手に入れて乗り越えましたという印象になりかねない物語展開はワニが好きだった人ほど受け入れられないだろう(ワニのことを忘れたわけではないという演出はされているが、観客の印象をコントロールできるほどかというとそこまでではない)。
ではどうすればよかったのか?
残された側のネズミを主人公にすればこの問題は回避できたと思われる。
これならワニという親友を失ったネズミの心情に観客は寄り添うので、ワニを失った悲しみを乗り越える様子にも肯定的な感情を抱くことができただろう。
実際、監督としても可能な限りネズミに感情移入してもらおうとしたのか、その工夫をした余地は作品からもうかがえる。
例えば前半のワニのエピソードはネズミとのやりとりが多く、後半もネズミのシーンが多い。
しかし、原作はワニの物語、映画のタイトルもワニ、前半のエピソードもネズミと関わってるものが多いもののネズミが絡まないワニのエピソード(特にワニと先輩ワニの恋愛模様のシーンのほうがネズミとのものより観客には印象に残った可能性が高い)も多く、ネズミが主人公であるという刷り込みを観客にするには不徹底なため、ネズミを主人公と捉えることは難しい。
結果として、観客は主人公はワニだと思い込んだまま、ワニが死んだ後のコミュニティにカエルが入り込むのを眺めるというグロテスクなシーンを見せられることとなってしまった。
とはいえ、ワニではなくネズミを主人公にするのはマーケティングの観点から言っても難しかったと思われるので、その点は監督に同情する。
えぇ、わざわざ踏みに行きましたとも
見えている地雷を
感想としては可もなく不可もなく
特に不快感もなく60分拘束されるだけだし、時間をムダにしても気にならないんなら見に行けばいい
本音を言えばお前らにも苦しんで欲しい
オレはおなか壊して二周見ることになった
南無三
ワニが死んだ後にやってきたカエル君がワニのポジションを引き継ぎましたとさ、ちゃんちゃん
以上、閉廷!
ほんとうにこれだけの映画です
対戦ありがとうございました
合わない人にはキツいだろうし、まぁつまらないのもわかる
1点だけ擁護するとしたら
それは間違いない
100日間かけて成立してたコンテンツにメッセージ性を入れて完成させただけで称賛モノでしょ
登場キャラ達はワニ君がきっかけで友達になっただけだから、ワニが死んで疎遠になってしまう
みんな気分が落ち込んでる中、田舎から能天気なカエル君がやってくる
親しい人が亡くなった悲しみを共有して仲良くなるってのは、不謹慎だけどリアルに感じたよ
ネズミみたいに落ち込むのか、カエルみたいに無理に元気出して空回りするのか
実はこのバイクどこも悪くないんすよ
悪意をもって考えれば、ネズミと友達になりたくて必要のない修理を依頼しただけに見えるけど
そうじゃないんすよ
直接は描写されないんだけど、カエルはバイク事故で親友を亡くしてて(たぶん)
それを察したネズミが
「このバイクどこも悪くなってないよ(お前はまだ走れるぞ、頑張れカエル)」って励ましながら
このシーンは人によっては泣けるかもね
(ワニの扱い悪すぎてカワイソス)
そうしてカエル君は見事にワニのポジションに成り代わる、ちゃんちゃん
画風や普段のtwitterを見るに原作の[きくちゆうき]氏は死ぬほど趣味が悪い
監督か脚本か原作か知らんが死ぬほど悪趣味なやつが制作陣に紛れてる
原作者説濃厚
空いた席には気がつけば他の誰かが居座っている
当たり前の話だけど、それって人間関係でも同じよねって
良い悪いじゃなくで逃れられぬカルマって感じ
ニュアンスよ!これで届いてくれ!
『人間が生きてれば、良くも悪くも影響を与える
ポジションを奪われて
存在を忘れ去られたとしても
それが生きた証になるんだよ~ん 』
くっさ
けど伝えたかったのはそんなとこかなと
ネズミくんはワニの真似して
ミカンのうまさに101点つけたり
六時の真似をしたりする
まぁわからんくはない
オレだって
ファミレスでライスにペペロンチーノとオリーブオイルかけて食べたり
ALI PROJECTの曲が唐突に聞きたくなったりする
急に思い出してしんどくなった。
すまん。
これは多くの人が勘違いしてるとおもうんだけど、100ワニは感動ポルノじゃないよ
もう一回言います
映画を見終わってそう思った
そんな配慮のなさを感じた
そもそも100日後に死ぬワニをみんなで眺めようって企画が死ぬほど悪趣味
だから勝手に<命の大切さ>や<何気ない日々の大切さ>が主題だと思い込んでた
オレたちは
だけど違うんだよ
だってキャラの死を玩具にしようと本気で考えるヤツがいるなんて考えもしないよ
サイ〇パスだよ
でもキクチユウキ氏の作風を見てると、そんな気かしてくるでしょ
友人の死を乗り越えて、
それでもなお<お前の代わりはいくらでもいる>
そんなドロドロした不気味なクリエイターの情熱を感じました まる
記事を書くにあたって、100ワニ前のきくちゆうき氏のインタビューを読んだ
読まんでもいいです
どうやったらグッズが売れるか
100ワニは
どうすればグッズが売れるのか
キャラを死なせて香典を作者が回収するってのは手法として理にかなってるよ
自分も倫理0点なのでこれに関しては何が悪かったのかわかりません
ツイート控えめで最初から悪趣味な企画であることを明言しなかったことか
1).みんな誰かの死を抱えて生きてる
2).死に直面した反応は人によりけり
3).お前の代わりはいくらでもいる
4).与えた影響は不変
良いところもない、ひたすらに無難でした
映画は全体的に薄味です
薄めた毒に近いかも
人によっては薬になるよ
みんなオーバードーズで死んでね
マルチまがいのプぺ〇だか、過去作レイプのトイ4なんかよりは実害はないから作品としてはちゃんとしていたと思います
とはいえ、わざわざ劇場の音響とスクリーンで見る意味はないかな
広い箱をほぼ貸し切りってのは気持ちよかったから、公開終了が近づいたらまた行くかもしれません
読みにくい部分を少し書きなおしました
反応があるとやっぱり嬉しいものですね
ユアスト>>ニノ国=100ワニ>>プペル>トイ4
自分の主観がかなり偏ってる自覚はありますが、制作陣が創作物に思いを注いでいるかが評価に直結してます
(ほとんど見ないけど)
あーこれはクソ映画でどうしようもないけど好きで作ったんだな~って作品は駄作ではあっても不快ではありません
そういった意味ではドラゴンクエストユアストーリズは好きな作品でした(オチは許さん)
だってあのビアンカ、フローラのモデルは絶対こだわって作ってたじゃん
愛ですよ
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 124 | 16029 | 129.3 | 43.5 |
01 | 93 | 9845 | 105.9 | 37 |
02 | 69 | 5883 | 85.3 | 48 |
03 | 21 | 3425 | 163.1 | 34 |
04 | 14 | 6637 | 474.1 | 158.5 |
05 | 16 | 3148 | 196.8 | 77.5 |
06 | 48 | 3222 | 67.1 | 46.5 |
07 | 68 | 6109 | 89.8 | 43 |
08 | 49 | 2685 | 54.8 | 27 |
09 | 112 | 7449 | 66.5 | 39.5 |
10 | 165 | 13003 | 78.8 | 41 |
11 | 204 | 14099 | 69.1 | 32.5 |
12 | 193 | 12563 | 65.1 | 32 |
13 | 128 | 15609 | 121.9 | 36.5 |
14 | 100 | 10987 | 109.9 | 49 |
15 | 134 | 26183 | 195.4 | 43 |
16 | 138 | 14697 | 106.5 | 34 |
17 | 148 | 21578 | 145.8 | 41 |
18 | 1626 | 405622 | 249.5 | 273 |
19 | 223 | 21049 | 94.4 | 51 |
20 | 150 | 17199 | 114.7 | 47.5 |
21 | 154 | 18211 | 118.3 | 39.5 |
22 | 153 | 10566 | 69.1 | 37 |
23 | 134 | 11956 | 89.2 | 42.5 |
1日 | 4264 | 677754 | 158.9 | 85 |
vaporwave(6), シティポップ(12), 270万(9), アリエク(3), 野田洋次郎(7), はっぴいえんど(5), 連邦軍(3), 書き分け(3), TOEFL(3), ロッキン(5), 白票(4), 不倫(48), 因果関係(10), ワニ(9), 親友(11), 女体(9), ひろゆき(14), 迫害(9), 在日(6), 打た(15), 集団免疫(6), 接種(38), 打つ(20), 観客(10), ワクチン(98), 副作用(12), 打っ(27), 五輪(30), 縁(16), 反(22), 開催(26), オリンピック(38), 投票(16)
■「蕎麦をたぐる」とか「タバコを飲む」とか /20210709234059(41), ■あなたの反ワクチンはどこから? /20210710045115(37), ■上司から叱責を受けた /20210710003426(35), ■夢をかなえて小説家になったけど仕事がまったく楽しくない /20210710111327(24), ■仕事で会う主婦の股のゆるさにビビる /20210710091933(24), ■日本のエンタメ業界が直視できない不都合な真実 /20210710124113(23), ■ロッキンが中止せざるを得ず、プロ野球やJリーグは普通に客入れて開催している理由 /20210710171633(19), ■昔話の桃太郎の教訓ってなんなの? /20210709180804(17), ■クジラやうどんが許されている現代日本は奇跡の国としか思えない /20181208160722(14), ■不倫をしていた元親友を切った話 /20210710005435(13), ■最近、子供の頃のことがちゃんと思い出せない /20210710112932(12), ■子供舌扱いされない食べ物ってなんだよ /20210709142640(11), ■結局みんな女体が好きで女は嫌い /20210709125134(10), ■電話口から三人殺したかもしれない話 /20210707211559(9), ■ /20210709222217(9), ■私が政治の授業で高校生に必ず伝えること /20210710010304(8), ■「男なら皆女体が好きだよな」って同調圧力が嫌いだ。 /20210710111518(8), ■anond:20210706022633 /20210708205945(7), ■腐女子やめた /20210709225727(7), ■新宿プリンスホテル前でノーマスク白人集団が路上飲み /20210710001557(7), ■「そっち側」にはなりたくなかったのに /20210707154018(7), ■anond:20210710005435 /20210710094930(7)
そこで「悪い意味で」ってあえてつけないといけないほど、「良い意味で」女性らしいキャラクターも大概そこまで多くはないイメージ。
よく言われる、オタクが求めてるのは「中身はおじさんの女性」だって話というか。「女になった親友の男」あたりが理想の女性なのでは感というか。
でもそれって大麻とかやってぶっ倒れてるだけのジャンキー達と扱いが変わんないじゃん
元親友さんのことを語る上で元親友さんが描いたものが一つも出てこない、一つも印象に残らないから元親友さんはなんの芸術的作品も作れないまま年上の既婚男性に抱かれることを習慣にしてしまった
不倫をする人間には吐く人だっている?された側も大層気分が悪いだろうね
でもだからどうしたのよ、芸大志望なんだろ?なんで筆を取らねえんだ?
なんで描かねえ、なんで描いて「ああこの子の今までの行動はこの作品のためにあったんだ」とずっと見ていた奴に思わせられねえ
そこがげーずつかなんだよ
気質とかじゃない、酔ってんだよ
脳内物質に酔って、人間に酔って、自分に酔い潰れて、自分が何のためにクサいおっさんのチンチン舐め始めたのか忘れちまったんだよ
俺はね、そういう芸術家に金出してくれる奴のことをパトロンだと呼んであげてもいいと思うよ
でも、何の目立った作品も無いならただただ家庭を壊して脳内物質ドパドパ出してるだけのジャンキーなんだよ
それはパトロンなのか?芸術家の芸を殺すのがパトロンのすることかよ
そして、その評価は元親友を嘲笑(おも)ってこんな増田を書いた元増田がもう一度元親友の作品を見つけるまで変わらないんだよ。
だから元親友は作るしかないの、私の人生はこうだったぞって作品を作って元増田やパパ活ジジイやパパ活ジジイの哀れな家族達をアッと言わせるのよ
飯を食いながら眺めていたら、途中で泣いている自分に気がついた。
彼らの年頃だった自分を思い出していた。
踊っているうちの一人に何故かその頃の自分が重なって見えたのだ。
もちろん彼らのようなアイドル性もないし、ダンスだってうまくない。
垢抜けた見た目どころか、ひと目を避けるように暮らしているくらいには陰気な生活だった。
もう25年以上前の話だ。
自分が周りと違うと強烈に理解したのは、小学校5年生のときだ。
それまで親友だと思っていた友達と喧嘩したときに、「韓国に帰れ」と言われた。
こいつは何を言っているんだろう。帰れとはどういう意味なのか。自分はここで生まれてここで育った。なぜここにいてはいけないのだろうか。
もちろん韓国にも帰るような場所はないし、在日が一部の韓国人からキョッポと言われてバカにされていることも知っていた。
考えても考えても意味が理解できず、しかし、今まで垣根なんてないと思っていた親友から、底の見えないような深さで線が引かれていたことだけは理解できた。
それから自分が韓国人であることを、知人に教えることはなくなった。
中学校に上がって、同じく在日の同級生が早々にいじめに合うようになった。
自分は隠し通していたのでいじめられることはなかったが、でもいじめを止めるようなこともできなかった。
ある日親戚のお通夜でいじめられている同級生とばたりと出くわしたことがある。
なくなった人を通じて、遠い親戚だったようだ。
相手は信じられないと言った顔をしてこちらを見ただけで、一言も会話はなかった。
それからは学校で彼の顔をまともに見られなくなってしまった。いじめは卒業まで続いた。
皆が進路の話をし始めた頃、自分は漠然と高卒で働きに出るのだと考えていた。
一度兄に進学の相談をしたら間髪入れずに返ってきた言葉は、「俺らが就職できる日本の企業なんてない」という言葉だった。
パチンコで財産を築き上げたいとこだけが、有名大学に通っていた。
法事で親族が集まるとやれ同胞が暴力事件に巻き込まれただの、やれあいつが際どい仕事でどれくらい稼いだだのそんな話ばかりだった。
彼らは居場所がないなりに居場所を作ろうと必死になっている。しかし、その必死さが返って居場所を奪われる原因にもなっているのだろうと思いながら眺めていた。
そして、これから自分が生きていく世界にも、居場所なんてないのだろうと漠然と考えていた。
高校に進学はできたが、放課後はすべての時間を家の仕事の手伝いで消費した。
手伝いが終わって帰るのは日付が変わる頃で、何度学校に遅刻しても両親は何も言わなかった。
当然大学に進学できる学力はなかった。勤怠不良に加えて沢山の赤点があっても卒業できたのは、教師のお情けであるのか、お荷物を手放したかっただけなのか知る由もない。
ただ、目立ちたくないという気持ちだけで生活していたので、問題と言えるようなことは一切起こさなかった。
仲の良い友だちがいなかったわけでもないが、いつもとても大事なことを隠している後ろめたさがあったので、問題を起こさなかった代わりに関係を深められるような相手もいなかった。
小中高含めて、卒業してから同窓会というものに参加したこともなかった。表面上の案内以外の誘いが来るようなことも、当然なかった。
ただ自分が在日韓国人の家庭に生まれたということだけで、常に後ろめたさと一緒に生きるしかなかった。
何かで人に知られれば、いつ平穏が失われるかびくびくしながら10代を過ごした。
目立つことなんてもってのほかで、何かに打ち込むようなこともなかった。
そもそも放課後はすべて家の仕事で費やして、一日500円程度もらえる小遣いを休日に一人でゲーセンで浪費する生活だった。
唯一ゲーセン仲間とだけは、あだ名で呼び合うことで身元を明かさないで済む気軽さがあった。
もちろん通り名で生活しているので、名前くらいで本籍がバレることもないが。
ゲーセンの、ゲームの腕前だけが評価されるその場限りの関係が、自分にはとても心地よかった。
テレビの中で踊るBTSの一人が、妙に当時の自分と重なって見えた。
もちろん、何もかもが違いすぎるほどに違う。そもそも彼らは在日ではない。
ただ、少し癖のある髪型や、目元やちょっとしたときの表情が少しだけ重なって見えたのだ。
いや、恐れずに言うなら、当時の自分が化粧して同じ衣装を着たなら、見た目だけで言えば割と似ているかもしれない。
そう思えると、まるでそのメンバーが、もしもの世界を生きている自分のように思えてしまった。
どこかで間違えれば、自分にもこんな光り輝くような人生があったのだろうか。
あのとき、いじめを恐れずに在日であることを公表して、通り名ではなくて本名で生活していたらもっと自由に生きることができたのだろうか。
今となっては何もかもが遅く、しかし、今の日本で、韓国の若者たちがこうして受け入れられている現実が、自分は何もしてこなかったにも関わらず、少しうれしく思えた。
悲しかった。嬉しかった。言いようのない気持ちが心から湧いて出た。
澄んだ涙とどす黒い涙が決して混ざることなく同時に流れ出したような気がした。
家の仕事は全てなくなり、住んでいるところを追い出された。
すでに家庭を築いていた兄弟から支援を受けつつ、両親と狭いアパートで過ごした。
それからフリーターから肉体労働から、高卒でもある程度稼げる仕事を転々として、今の会社に拾ってもらえた。
職種は伏せるが、当時は底辺と言われた業種ながら、健全化が進み今では一つの市場として認められている業種にいる。
色々あったが、ここまで帰化する必要のない人生を歩んでこれた。
韓国人であることに誇りなんてないが、日本人になる必要もなく生きてきた。ただそれだけのことだ。
自分が生きていた頃に比べれば随分と選択肢は増えているだろう。
当然今までも韓流ブームはあった。
しかし、今までと違うのは、メディアが作り出そうとしている中高年向けのブームではなく、若者が主体となって作り出された、メディア後追いのブームだという点だ。
これからの世界を作り出していく若者たちに韓国人が受け入れられているという現実に、今までにない、どこか安心感にも似た嬉しさがある。
ロバート・アンソン・ハインラインの作品で『夏への扉』以外を薦めるならばどの作品か?と問われたとしたら、私ならば『宇宙の孤児』を薦めたい。
この物語は「Good Eating!(良いお食事を!)」という挨拶と共に、中世ヨーロッパのような社会の生活を描写する場面から幕を開ける。そして、読み進めるうちに、主人公たちが暮らし、物語が展開される舞台がどのようなものなのかが次第に明らかになっていく。
その世界には空が無い。主人公たちが暮らす街の地面の下へ降りると、別の街が有る空間に出る。その街の地面の下に降りると、また別の街が有る。そうやって、下へ下へと降りて行くと、それ以上の先(下)には降りられない最下層に行き着く。
逆に、街の天井の上に昇ると、別の街が有る空間に出る。そうやって昇って行くと、徐々に重力が弱くなる。しかし、或る階層から先(上)は、それ以上昇ってはならない立入禁止の場所とされている。そこには、恐ろしい「ミュータント」という怪物たちが住んでいて、迷い込んだ人間を食べてしまうと伝えられているからである。
主人公は、ひょんなことから立入禁止の場所に入り込んで「ミュータント」たちに一時捕らわれの身となり、それを切っ掛けに、他の人間には秘密にしたまま、普通の人間と姿や能力が異なるミュータントたちと交流するようになる。中でも「ミュータント」たちのリーダーであるジョウ=ジムと主人公は、親友あるいは師弟のように仲良くなる。師がジョウ=ジムである。一つの身体に二つの頭部を持つ双生児の男性ジョウ=ジムは、ミュータントではあるが怪物などではなく、ユーモアと優しさと、何よりも知性に満ち溢れた人物である。このジョウ=ジムから教育を受けたことによって、主人公は、自分たちが暮らす世界の真の姿を理解するに至る。
主人公たちが暮らすのは、車輪のように回転する巨大な宇宙船の内部であった。故郷である地球から遥か遠く離れた他の恒星系に存在する、人類の居住可能な惑星に移住するためには、何光年もの距離を渡らねばならない。しかし、光速の壁を破ることができないので、広大な宇宙を渡るには長い年月を要する。そのために宇宙船は、多数の人間が居住することが可能な、巨大な閉鎖環境都市として設計された。車輪のように回転することで、遠心力を重力の代用としている。移住者の祖となるべく宇宙船に乗り込んだ人々は、宇宙船の中で子を生み育て、やがて彼らが死ぬと、その子たちが新たに彼らの子を生み育て、そうして子へ孫へと何世代も何世代も長い年月を重ねながら、彼ら星々の移住者たちは宇宙船の中で暮らしながら遥かな旅を続けた。
しかし或る時、宇宙船の動力源である原子力機関から放射性物質が漏れるという、大きな災厄が発生した。放射能による内部環境汚染は、食糧生産を担う農業区画にまで及んだ。ミュータントたちの誕生。食糧不足。人々の絆は引き裂かれ、内乱が発生し、宇宙船内部の文明は崩壊した。その結果、都市の内部で暮らす人々は、知識や科学技術を伝承できなくなった。こうして彼らは、地球という故郷の存在も、自分たちが宇宙船に乗っているという事実も、宇宙船の外部に広がる世界のことも忘れ、科学の代わりに教会が説く迷信を拠り所として、広大な宇宙を彷徨い続ける「孤児」と成り果てたのである。物語の冒頭に出てくる「Good Eating」という挨拶は、災厄によって起きた食糧不足時代の名残りである。
ジョウ=ジムによって啓蒙された主人公は、宇宙船の乗組員として、自分たち本来の使命を果たそうと提案する。すなわち、地球のように人類居住可能な惑星を見つけてその星に降り立ち、狭い宇宙船を離れて、新たな世界を切り拓こうと言うのである。それは、自分たちが巨大な宇宙船の内部で暮らしているという事実を理解しているジョウ=ジムですら、出来っこ無いと諦めていたことであった。しかし、その使命を果たす為には、何も知らない人々に、この世界の真実を理解させる必要が有った。
主人公は、自分が知った事実を人々に知らせようと試みるが……。
ちなみに本作品を私が初めて読んだのは、あかね書房から出版され、多くの小学校の図書室などに置かれていた少年少女世界SF文学全集の一冊として収録されていた『さまよう都市宇宙船』のバージョンであった。タイトルのネタバレがヒドイが気にしない、気にしない。
ハインライン作品を離れ、他に古典SF作品を初心者に薦めるならば、私としては
(1)アイザック・アシモフ『鋼鉄都市』
辺りを薦めたいのだが、如何だろうか?
前回までのあらすじ
東日本大震災によって全ての整合性を失い、南相馬市に住んでいて4月から高校生になるはずのあぶくま君は何故か東京でホームレスをすることになる。保護されるべきだったあぶくま君をホームレスの道に引き込んだおじさんはあぶくま君を怪しいおじさんに売りつけ、あぶくま君は24時間勤務を月給8万というタコ部屋もびっくりの仕事に着く。そして唐突に思い出した親友と彼女に急にメールを送るが「返事あるわけないか」と数秒くらいで諦めてしまった。
「返事…ある訳ないか…」
あぶくま君でジュースを啜ると、それまで沈黙していた携帯電話が急に鳴り始めた。相手は非通知だ。
「もしもし?」
「もしもし、あぶくま君?」
電話の向こうの声は聞き覚えのある声だった。
「あなたは誰ですか?」
「僕のことはどうでもいいから、今からすぐにそのハンバーガー屋から出るんだ!」
「は?誰だか知らないけど訳の分からないこと言わないでください」
「いいから、すぐに!」
渋々あぶくま君が残ったジュースを持って外へ出ると、そこはハンバーガー屋ではなかった。
「あれ、僕はハンバーガー屋に入ったはずなのに」
「そこはおそらくスタバだ。その証拠に、君の持っているジュースを見てみろ」
あぶくま君がジュースを見ると、それはフラペチーノに変わっていた。
「おかしいな、僕はハンバーガー屋でジュースを飲んでいたはずなのに……」
「いいから落ち着いてよく聞いてくれ。君は東京でホームレスなんかやってない」
電話の相手は何か大事な話をしようとするが、雑踏の真ん中でポカンと突っ立っているあぶくま君にたくさんの人が体当たりして来るのであぶくま君は何度もポムポムと転がされてしまい話を聞くことが出来ない。
「そんなよくわからないこと言われても…あんまり覚えてないし…」
「それは…体調不良で…」
「本当にそうか?」
「そうだっけ…?」
「いいか、これから家に帰るのかもしれないけど、今日は帰らないでどこかに行け。漫喫でもいいしファミレスでもカラオケでもいいしそのまま警察に駆け込んでもいい。とにかくあそこには帰るな。それと携帯はしっかり充電しておけ。いいな」
「帰るなって言われても…どうすれば…」
あぶくま君は飲みかけのフラペチーノをゴミ箱に捨てると、当てもなく歩き始めた。気がつくとホームレス生活をしていた公園に来ていた。あのおじさんを探そうと思ったけど、何だか辺りの雰囲気が変わっている。
「あの、すみません」
あぶくま君はその辺のホームレス風の男性に片っ端から声をかけた。しかし、あのおじさんのことを知っている人はおろか、あぶくま君のことを知っている人もいなかった。
「どうしてだろう、そんなにすぐみんないなくなってしまうんだろうか…」
「くりゃ寿司…くら寿司…南相馬にくら寿司なんてあったっけ…あれ、そもそも外食なんかしたかな…」
寿司を食べたような気もするが、食べたのはスーパーのパック寿司で、回転寿司など行ってない。
「記憶が…違ってる…?」
急に怖くなったあぶくま君は電話で指示された通り、その辺の漫喫に入ろうとした。
何故かどこの漫喫にも入れてもらえない。仕方なくファミレスで夜を明かそうとしたが、夜10時を回ったところで追い出されてしまった。
「どうせ僕の居場所なんてないんだ…」
フラフラ歩いていくと、よく知った顔を見つけた。
それは1個上のお付き合いしているはずのカエデちゃんだった。カエデちゃんは生きていたのだ。
「いきなりキモイんですけどー」
「カエデ知り合い?」
「えーこんなクマ知らないんですけどー」
カエデちゃんたちはあぶくま君を笑い飛ばしてどこかへ行ってしまった。
「きみきみ、こんな所で何をやってるんだね」
あぶくま君に声をかけたのはあのホームレスのおじさんだった。
「おじさん、生きてたんだね!」
「はぁ?」
よく見るとおじさんの身なりはしゃんとしていて、「補導」というバッジをつけている。
あぶくま君はおじさんに今までの話をしてみたが、おじさんは頭を抱えてしまった。そして携帯電話でどこかに連絡を取っていた。
あぶくま君はそのままおじさんに連れられて交番へ行った。そこでお巡りさんに今までの話をもう一度するように言われ、なるべく細かく話した。
「うーん、そうすると、君は南相馬から東京までやってきて半年経っている、と言うんだね」
「違うんですか?」
「念の為先程君の名前を行方不明者リストから探してみたんだけど…ないんだよ」
「行方不明者…?」
「住民票がどうのと話していたけど、そんな届けも確認されていない。そもそも南相馬市にも君の名前はないんだ」
あぶくま君はお巡りさんの机を見た。机にはお巡りさんの家族写真があった。
「これはヒデ君だ!」
「じゃあ、僕の家族はどこにいるんですか?」
お巡りさんは明日南相馬に家族のことを聞いてみると言った。そして今夜は遅いので交番の仮眠室を貸してくれると言った。時刻は午前2時を回っていた。
「あと朝になったら雇い主の話も聞かせて欲しい。警察としていろいろ聞かなきゃならないことがあるんだ」
お巡りさんはそう言うとあぶくま君を仮眠室に案内して、交番に戻った。
あぶくま君が1人になったところに、携帯電話が鳴った。また非通知だった。
「どう?家には戻ってないか?」
先程の声の主にあぶくま君は怒鳴った。
「説明するも何も…君も気付いているんだろう?」
あぶくま君はドキリとした。カエデちゃん、おじさん、ヒデ君。みんなあぶくま君の知っているはずの顔がまるで違う人になっていた。
声は続ける。
「しかし、気付いているだろうが君の記憶その物が全てハリボテだ。現実にはヒデ君もカエデちゃんもおじさんもいない。そして君の家族もね」
あぶくま君は何となくそんな気がした。
「君が家族や友人たちを気にかけないのは当たり前だ、元々存在しないものを気にする必要はないからね」
「じゃあ僕は何なんだ!?」
すると交番の壁がミシリと軋んだ。
「おっと、それ以上自分に疑問を持っちゃいけない。この邪悪な物語の思うがままだ」
「どういうことだ?」
「あぶくま君、君はこの話の主人公だ。しかし、この話の製作者があまりにも手抜きで君を作り上げたがために、この世界自体の存在意義が揺らいでいる。その辺の人の顔が君の知っている人に急に割り当てられ始めてるんだ。そのうち家族や知人と同じ顔に出会うかもしれない」
「そんな……」
「だから君は自分で行動を起こさなきゃいけない。製作者の意図を超えて、主人公として」
「僕が主人公…?」
「そうだ、君が君の意思で動くんだ。そうすればお話は製作者から離れて歩き出す。そこに整合性が生まれる。ハンバーガー屋がスタバになることもない」
「でもどうすれば…」
「君は今、何がしたい?」
「…南相馬に帰りたい」
「帰ればいいじゃないか」
「帰れるの?」
「君は自由だ。製作者の指示に従うとまた記憶を消されるぞ。今のうちに行動しろ」
「…わかった。ありがとう」
通話は切れた。相手は誰でもよかった。この世界で整合性を獲得すれば、また会えるだろう。
「さてと…どうしようか」
あぶくま君はこっそり交番を抜け出した。交番のあった場所はゲームセンターになっていた。
「整合性を取り戻す…か」
整合性のある世界。あまり覚えていないが、このままでは世界がめちゃくちゃになってしまう。それを救えるのは、主人公のあぶくま君だけだ。
「よし、まずは駅に行くぞ」