2021-07-15

100日間生きたワニを見た

結論から言うと、この作品は低品質タイプのクソ映画ではない。

しかに動きは少ないが「100日後に死ぬワニ」の作画としては妥当範囲内だ。

劇判がでかすぎるとかそういうことはなくちゃんコントロールされてるし、役者もさすが一流どころなだけあって違和感のある演技には感じなかった。

ただ良くも悪くも原作雰囲気再現された結果、演出に抑揚がなく多くの人はつまらないと感じるだろう。

63分の上映時間1900円のフルプライスをとってることに目を瞑れば、100ワニに相応な映像化といってよい。

ではクソ映画ではないのか?

これは紛れもなくクソ映画である

以下にその理由を記す。

個人的に、クソ映画は三つに分類できると思う。

一つ目は低品質ソ映画だ。

無駄に音がデカかったり音割れしてたり演技が棒だったり合成されたCGがショボすぎたりして興をそがれるタイプだ。

二つ目ストーリーが無なクソ映画だ。

主人公目的が設定されてなく、起きる物事カメラが追いかけるだけでただひたすら時間が経過していくタイプや、物語の展開の仕方が強引を通り越して牽強付会でぐちゃぐちゃになってるタイプなどだ。

三つ目が、原作破壊してるタイプのクソ映画だ。

原作キャラクターなどの要素を使ってるだけで全く別の作品となっててファンが怒り狂うタイプ原作付き映画がこれに当たる。

「100日間生きたワニ」はこの原作破壊タイプのクソ映画だ。

この作品は前半でワニが生きた100日間、後半でワニが死んでからの100日間を描く。

後半でカエルという原作にはないキャラが登場する。

そして、前半で描かれたワニを中心とした友達コミュニティにこのカエルが入ってくるのだ。

これは見方によってはワニのポジションカエルが乗っ取ったように見える。

しかもこのカエルは観客のヘイトをめちゃくちゃ稼ぐ立ち回りをしてるので余計にこのクソガエルが!という心情になってしまうのだ。

この点で、ワニが好きだった人ほど、この映画は受け入れがたいものになってしまった。

これはメディアミックスとして大きく失敗である

監督のやりたかたことはわかる。

友人が死んだとしても、残された人は生きていかなければならない。

ワニの死を咀嚼し、飲み込み、受け入れ、明日を生きていく。

そういう物語にしたかたことはわかる。

しかし、ワニを主人公にした物語でその主人公が死んだあと、その主人公代替品を手に入れて乗り越えましたという印象になりかねない物語展開はワニが好きだった人ほど受け入れられないだろう(ワニのことを忘れたわけではないという演出はされているが、観客の印象をコントロールできるほどかというとそこまでではない)。

ではどうすればよかったのか?

残された側のネズミ主人公にすればこの問題回避できたと思われる。

これならワニという親友を失ったネズミの心情に観客は寄り添うので、ワニを失った悲しみを乗り越える様子にも肯定的感情を抱くことができただろう。

実際、監督としても可能な限りネズミ感情移入してもらおうとしたのか、その工夫をした余地作品からもうかがえる。

例えば前半のワニのエピソードネズミとのやりとりが多く、後半もネズミのシーンが多い。

しかし、原作はワニの物語映画タイトルもワニ、前半のエピソードネズミと関わってるものが多いものネズミが絡まないワニのエピソード特にワニと先輩ワニの恋愛模様のシーンのほうがネズミのものより観客には印象に残った可能性が高い)も多く、ネズミ主人公であるという刷り込みを観客にするには不徹底なため、ネズミ主人公と捉えることは難しい。

結果として、観客は主人公はワニだと思い込んだまま、ワニが死んだ後のコミュニティカエルが入り込むのを眺めるというグロテスクなシーンを見せられることとなってしまった。

とはいえ、ワニではなくネズミ主人公にするのはマーケティング観点から言っても難しかったと思われるので、その点は監督に同情する。

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