はてなキーワード: 幕府とは
http://anond.hatelabo.jp/20160822143611
先日、回向院のあたりで辻斬に腕を切られたときの話をするでござる。
あまりに突然なことだったのでもちろん驚いたでござるし、
なによりこの件で一番強く思ったのが、
「幕府すごい」
ということで候。
…拙者の語彙力のなさはさておき、
幕府は良いところもあるよ、ということをまとめたくてこの武露愚に筆をとった次第。
【その1】捕方すごい
まず事件当日。
詳しくは伏せますが、とにかく回向院で知らない人に刀で腕を切られましたでござる。
下手人から逃げつつ、番所へ駆け込み、場所や状況などを説明しつつ…
あまりの迅速さに、
拙者の事件とは無関係でたまたま火附盗賊改方が通りがかっただけかと思ったでござる。
別方向から忍者と来た旗本の若殿?と共に犯人を捕まえてくれたでござる。
もしあの時、すぐに来てくれなかったら
また、長谷川殿の後追いでやってきた同心たちも、刃物を持っている下手人に対しても怯むことなく
しっかりと取り抑えてくれ候。
町方にはなかなかできないことです。
本当にすごいでござる。
【その2】藩の同輩すごい
間もなく拙者の忠勤する藩から同輩も到着し、
すぐに拙者の腕を何かで包んでくれ候。
その時の拙者は呑気に、
「とりあえずなんか包んでくれたし、医者のところへ行かなくても良いんじゃないかな」
なんて思っていたのでござるが、
何件かの医者に断られ、
やっと受け入れてくれる養生所は外科の先生が不在と由。まあ小石川療養所には本道(内科)の医者しかおらぬとは聞いた話ではござる。
とりあえず診てもらえるだけありがたいので、そこにお願いすることにしたでござる。
後になって分かることでござるが、拙者の傷はそれなりの深さがあったため
縫わないと血が止まらないような状況だったそうでござる。
藩の方がそこまで分かってくれていたかどうかは分かり申さぬが、
拙者はただぼーっとしていただけで、
色んなところへ早馬を飛ばして必死に受け入れ先を探してくださったり、
本当にすごいと思ったでござる。
また、養生所へ向かう最中に、同乗した鬼の平蔵がわたしの気を紛らわせようと
色々と話しかけてくださり、それもとてもありがたかったでござる。
「自分は専門ではないので、明日また専門の先生に診てもらってください」
と前置きした上で、診てくれたでござる。
とりあえず血止めしようとしたようでござる、
血が止まらないので縫うことになったでござる。
今まで体を縫ったことがない拙者は驚き申したが、
なにより先生自身が、覚悟を決めたような神妙な雰囲気を出していたので
先生は、慣れていないのが拙者でも分かるぐらい
一生懸命に、丁寧に、一針一針確認しながら縫ってくれたでござる。
一時間ほど経ち、なんとか縫い終わって
そして、終始汗だくで目が泳いでいた拙者に、優しく話しかけてくれた蘭方医さんすごい。
【その4】再び捕方すごい
担当のお奉行が、事件の様子を細かく文章でまとめてくれるでござる。
時々質問されるので、できるだけ的確に答るでござるが
(こんなことを申すのも何でござるが)
でももしお奉行がいなかったら?
自分で自分の状況を、矛盾がないようにまとめるのはとても難しいでござる。
およそ二刻ほどかかり、まとめられた文書(もんじょ)と証拠の物件は
今後、下手人の罪を裁いていくことになるようです。
下手人を捕まえ、事実関係を明らかにし、もろ肌を脱いで桜吹雪を見せることまでやってくれる
お奉行すごい。本当にすごい。
【その5】三味線屋すごい
翌日、外科の先生の代わりということで紹介された三味線屋へ行ったでござる。
三味線屋は傷口を見てすぐ、
「縫い直しだね」とおっしゃっていて
せっかく前日に一針一針一生懸命縫ってくれた糸を切るのは小川先生に申し訳が立たない気持ちになったでござるが
そして三味線屋は、さすが専門なだけあって
結果的に、三味線屋曰く「数えきれないぐらい」縫ってくれたでござる。
首も吊った(テレビ用の糸なので来週には消えているらしい)
ので、傷口はおそらくほぼ残らないだろうとのことでござった。
やっぱり仕事人はすごい。
【その6】江戸すごい
以上のように、たくさんの方々、たくさんの江戸の仕組みによって
拙者は事件以外の不満を感じずに、傷を塞ぐことができたでござるが、
1つ気がかりなのが、治療の費えについてでござる。
下手人へは怒りもあるでござるが、
拙者は死んだり不便が残ったりした訳でもないので
そこまでの恨みはないでござる。
ただ、もう、本当に大した額ではないのでござるが
すると、そのことを話した訳ではないのに、、
拙者の治療費を上様が払ってくれるという話を聞いたでござる。
どういう流れでそうなるのかは不明でござるが、
(徳田新之助なる旗本の正体を口外しないとかの条件があるらしいでござるが)
こちらはまったく刀を抜かないのに一方的にケガをさせられて
治療費まで被害者が払うのはおかしい、ということで払ってくれるそうでござる。
吉良殿をよってたかって惨殺した赤穂のテロリストどもに聞かせてやりたいでござる
そのような仕組みがあることは全く不案内でござったし、
そのような仕組みがなければ本当に被害者は損ばかりでござる。
僅かな金子でござる、そのおかげで拙者の心は大分軽くなり申した。
江戸すごい。
そしてそんなお金があるのはもちろん、
本当にありがとうございまですでござる。
江戸にはこんなにたくさんの仕組みがあり、うまく機能しているでござる。
中には問題があることもあるかもしれない、それでもなんとかうまくいくように
そう思うと、幕府ってすごいでござる。
増田は「利己的」と書いていたが「功利的」と言うべきだろう。その上で「功利的である」ことには同意だが、その理由は異なる。その理由を少し述べる。
増田の論は、人間の能力というものが一元的に数値化できるという架空の仮定に基づいているが、これが根本的に的外れである。人間の能力というのは非常に複雑なもので、社会全体の生存を考える上ではその多様性を担保することがもっとも戦略的には正しい。たとえば日本社会で非常に高く評価される「空気読む」能力は、世界の中ではほとんど不要な能力であるが、狭い環境下で長期的に社会関係を維持しなくてはならない場合(たとえば長期にわたる宇宙船内での作業員等)では、非常に有効な能力である可能性がある(ただし、現代日本人が比較的不得意な「異文化の受容」に関わる問題をクリアできた上での話であるが)。
知能というのも残念ながらその測り方が日々検討されているような状態で、たとえば現下のセンター試験で測れるような「能力」が今後役に立たないとはよく言われているところであるが、しかしだからといってそこに全く正当性がないということもないし、また、「役に立たない」という人々が、それに代わる明確な測定方法を示しえているわけでもない。
江戸時代、「能力のある武士」をそれなりに取り立てるシステムも全く機能していなかったわけではないし、実際幕末の幕府高官が無能ぞろいだったわけではないが、明治維新を成し遂げ、またその後の新政府をそれなりに運用したのは下級武士…すなわち江戸幕府からは「能力が低い」とみなされていた人たちだった。変動期にどのような「能力」が重要なのか、社会が予測することは難しい。
だから、ある社会が持続可能であろうとするならば、さまざまな能力の可能性を排除すべきではない。いまのシステム下で測定できない「能力」をもつ人間は、この社会のあらゆる地域、年齢、階層の中に眠っている可能性があり、必要なときにそれが脚光を浴びることができるように多様性を担保しておくことは重要なのだ。これが、社会が貧困問題に適切に取り組むべき「功利的な」理由である。
(※下の方に追記をした。ブコメへの反応が種だが、俺の考えを説明したつもりなので、読んでいただければと思う。
長すぎて途中で切れたようだ。続きはこちら。http://anond.hatelabo.jp/20160626174144 )
俺は表現規制に賛成だ。
厳密に言えば、厳格なゾーニングを求めている。エログロホラーが大好きな人間として、少年マンガ誌における性的表現は一掃してほしいし、機会あらばパンチラを差し込んでくるような深夜アニメには嫌悪感を覚える。公共空間に貼られるポスターに性的表現は不要だとも考える。極論になるが、積極的に根絶やしにしてほしい。(追記:この極論部分に関しては謝罪訂正する・7詳細は下の追記の段に書いたので、そちらもお読みいただきたい)
最近ブコメなどでもかまびすしい「まなざし村」認定が大好きな連中のことは本当に嫌いだし、絶滅してほしいとも思っている。(追記:絶滅部分については謝罪する)
まぁ俺が思ったからといって性的表現がなくなるわけでもないし、一部のオタク連中の過剰な防衛本能を根絶できるわけでもない。強制できることではないからな。
しかし俺は規制の是非を問われたら「規制は仕方ない。当然だろう」と答える。
それで好きな作品が回収されたり、好きな作家が食えなくなったりしてもまぁそんなもんだろで終わるだろう。
「お前の作品への愛はそんなものかよ」と思われるかもしれないが、好きな作品が生み出される素地を蹂躙してきたのはオタクたちなのだから仕方がないだろう。うなぎを食い尽くせばもう食えなくなる。それだけのことだ。
規制があったほうが表現は豊かになるだろうということだ。江戸時代に奢侈禁止令などが出たおかげで色彩感覚が発達したように、時の幕府を批判するためにメタファーの技術が発達したように、制限があってこそ発達する表現方法はあるだろう。俺はそれが楽しみだ。まぁ当然異論はあるだろうが、俺のこの期待は否定はされたくない。
俺が本格的に表現規制に転じたのは、「閃乱カグラSV」を見てからだ。アレを見て俺は心底気持ち悪いと思った。あれは許せなかった。
この作品は、「着せ替え」ができる。で、珍しいことに、着せ替えパーツを体の色んな所に配置できる機能がある。例えば、メガネを目の位置にかけるのか、おでこにつけるのか、鼻の方までずりさげるのか、みたいなものだ。この機能自体は素晴らしいと言えるだろう。しかし、この作品では着せ替えパーツに「コケシ」がある。コケシを一体何に使うんだ?…言うまでもなく、性器に突っ込めるようにするためだ。コケシを「体のどこにでも配置できる」のなら、当然股間に突っ込んで喜ぶ奴が出る。そしてこのゲームの悪質なところは、それを「ユーザーの選択」にしてCEROの審査をかわしたことだ。この作品のレーティングはD(17歳以上)だ。Zではない。コケシを最初から股間に突っ込んだ状態の装備にしたらZは避けられないだろう。着せ替えパーツ移動のアイディアが先かコケシが先かは定かでないが、結果としてコケシを女子高生の性器に突っ込むことを是とするゲームとなったのだ。そういうゲームを良しとし、ユーザーは喜んだのだ。
俺はこれらをみて、あぁ、もうダメだなと思った。
こんなのを見て自浄作用に期待など出来ない。できるのなら、する。やれるなら、やる。オタクに限らず、どんな階層の人でもそうだ。うなぎは今年も売れるだろうからな。ましてやオタクなんて生活費を削ってまでグッズを買うような連中だぞ。
Twitterで、イラストレーター出身の漫画家さんとこの件について話せる機会があった。俺の「規制やむなし。自浄作用などない」というつぶやきを引用してらしたので、しばらく話をした。できればこんな形で話したくはなかったが(大好きな方なので)、結局そこでも「あぁ、もうダメなんだな」と再確認することになった。その漫画家さんの意見は「自浄作用はある。だから極端で性急な規制は危険」というまっとうなものだった。確かにそのとおりだ。15年前なら間違いなくそうだった。しかし、この十数年で何か具体的な自浄、自重があっただろうか?「カグラSV」がCERO Dで通るような時代だ。あれにどれだけのオタクが疑問をもったのだろうか?あれは結構売れたはずだが、問題にはならなかった。件の碧志摩メグや「のうりん」のポスターの騒動も見てみるといい。対立しかなかっただろう。0か1かの感情的な罵り合いばかりで、グラデーションの議論はなかった。やめさせたい側と、それを攻撃する側の両者だけが燃え上がり、「お互いにどこまで歩み寄れるか」の話など掻き消えた。どこに妥協点を見つけるかが最も必要な議論だったのに、それがなかった。
ブコメやtogetterなどでの「またまなざし村か」系のコメントをみるにつけ、もはや相互理解は不可能だろう。このような0か1か、敵か味方かしか考えない連中が排除されない限り、ひたすらに先鋭化を極めていくだろう。そしてその先鋭化の果てに、一発でぶっ潰されるような未来があると俺は想像している。
どうせこのまま先鋭化していくオタクたちの「表現」にはついていけなくなったのだしな。
こないだも、「グルメ漫画でエロい顔をする必要があるのか」みたいな話があったろ。あれでも極端な話が大好きな連中が幅をきかせてたよな。
そろそろ過剰な性的表現に抵抗を覚える層が目に見える形で増えてくる時期になってきただろう。そしてタイミングよく(必然的に?)、極端な議論が大好きな層も表出してきた。
案外、今後数年でかなり大きな対立になるかもしれないな。
そうなると、もう今までのようになぁなぁでやっていくことは不可能になる。どっちか選ぶ時が来るだろう。
その時には、規制を俺は望む。
大阪都構想や、イギリスのEU離脱みたいなものだ。変化はほしい。(EU離脱に関しては様々な要因があると理解しているが)
ガッチガチの規制が敷かれて、結果性犯罪が激増することになるかもしれんが、まぁそれは原因と結果の螺旋だ。過剰な規制の前段階には過剰な表現があり、その結果を社会が負う。出生率の問題も解決するかもしれんしな。
ゾーニングをはっきりと設定し、過激な作品を保護してもらいたい。
しかしそれも、無理かもしれない。いや、多分無理だろうなと思う。だいたいもう諦めはついた。
過去と現在の過剰な性的表現の作品への楽しみよりも、規制後の作品がどうなるかが楽しみになってきたからかもしれない。
現状でも、性的表現を使わずに色気ある表現をする作品は沢山ある。
俺はもう、「妥協点を見つけよう」と説得して回るのに疲れた。もうやめる。
あとは規制反対派のみんなが自分の利益のために、いろいろと頑張って活動してくれ。どこまで鋭くなっていくのか、見守っていくよ。
書き始めた時は「規制に積極的に賛成する!」と熱が入ってたが、途中で熱気が抜けて諦観しか残らなくなった。なので文章の前の方と後のほうでずいぶんテンションが違う。一応修正はしたが、それでも熱の入りが違うことはわかると思う。
変化を嫌い、変化に順応できない規制反対派は滅びても仕方がない、みたいな話に持って行こうともしたけど、流石にコレは無理筋だな。でも正直ちょっと思ってる。表現規制っていう劇薬を投与したほうがいいよなってな。憲法よりは影響が無いんだから、憲法改正以下のテンションで表現規制を迎えてもいいんじゃねーか?
話が散らかったな。
とりあえず、俺はもうやめるわ。
いろいろ反響があったみたいだな。いろいろな指摘があってなるほどと思うところも多かった。
表現規制とゾーニングを混同しているという指摘があったが、確かに一緒くたにしていたな。俺の中ではゾーニングが理想だが、おそらくそれは実現しないだろうと思っている。理由は、規制派と反対派が全く歩み寄りの姿勢を見せないからだ。そうであれば、一発規制もやむなしと思っている。理想としては「ゾーニング>規制」だが、それは多分無理だろうなと、ブコメなど見て改めて思う。
また、単純に俺の好き嫌いを規制にからめているのではないかという指摘もあったが、俺の好きなものも規制されて構わない。なくなっても別にいいということだ。この種の規制の話になるといきなり理性がぶっ飛んで極論でしか殴り合わなくなるものだが、まぁそうなってしまったな。すまない。嫌いなものが悪と言っているわけではない。気に入るもの、気に入らないもの、いずれも悪とされて滅ぼされても仕方ねえよなということだ。そうしてきてしまったのだから。
いくつかのブコメへ返信をする。
ゾーニングを望むと言ってるこういう人たちが、規制がいかに必要かは語っても「何をどうゾーニングするべきか」を具体的に語らないから不信感がある。当然モザイクなど性器修正には反対してるんだよね?
何かについて話すとき、その対象全てについて一度に語らなければならないということはないだろう。そんなことをしたら一つの意見が一冊の本くらいになってしまう。この日記では俺は「ゾーニングが理想だが無理そうだ。規制もやむなしだろうな」ということを書いている。ゾーニングの問題は積極的に話されるべきだと思うよ。俺はもう諦めて、規制でいいやという立場だけど。で、規制とゾーニングの話からいきなり「当然モザイクなどの〜」と飛躍するのはどうか。モザイクも広義のゾーニングのはずだ。売る場所を分ける、売る相手を身分証などで限定する、表現の一部をモザイクや黒塗りで抑える、そもそもそういう表現を用いない、など、ゾーニングにも各段階が必要になるはずだ。現状そういったゾーニングはすでにあるが、それらがさほど機能しておらず、拡大解釈が横行している。それが本文に書いたカグラの例だ。なので、俺はゾーニングは無理だろうなと思ったわけだ。あなたのゾーニング論は聞いてみたいし、より多くの人がするべきだと思っている。
「アニメ、マンガ、ラノベなどを好む人」のことを指して俺は「オタク」という言葉を使ったつもりだ。大雑把にくくったつもりはない。この日記で「オタク」が使われている部分を「みんな」だとか「人」に変えても成り立つと思っているのだが。俺はオタクの中から、オタクの問題点を書いたつもりだ。
>>こんなぼんやりした考えなのに表現規制に賛成してしまうのか…という困惑しかない<<
民主主義において、はっきりとした考えでくだされる決定がどのくらいあるだろう。イギリスの決定ははっきりした考えでなされたのか?少なくとも、俺の諦観を晴らしてくれるはっきりとした考えは、オタクたちの中からは出てこなかった。あなたのその書き込みもまた、はっきりしていないのと同じく。はっきりしないからこそ、大衆の決定は恐ろしいのではないか?そのことを理解しているなら、もっと危機感を持つべきだと思う。
安定の「妥協点を見つけようと努力をしない一言居士」ですねと一言残しておきたい。まぁそういう売り言葉に買い言葉は置いておいて、俺は上述のようにゾーニングを主体に書いたつもりではなかった。ゾーニングは無理だと諦めたから、全滅してしまえばいいという話を書いたというわけだ。「規制賛成派の意見」ではなく、「俺がなぜ規制に賛成することになったか」を書いたつもりだ。その理由は、諦観だ。
『俺は表現規制に賛成だ。/厳密に言えば、厳格なゾーニングを求めている。』 ここまで読んでゾーニングの話かなと期待した私に詫びてもらいたい。なんだよ『積極的に根絶やしにしてほしい』って。
申し訳ない。詫びる。本文にも書いたが、最初は頭に血が上った状態でかいたのでそのような表現になった。俺の気持ちとしては、「適切なゾーニングを施し、表現規制から逃れてほしい。しかし、どうも歩み寄りの姿勢や妥協点を探ろうという議論にはまったくなっていない。ならばいっそ、規制されて痛い目を見ればいいのだ」という怒りの発露だ。ゾーニングができればいいと思うんだがな。どうも無理そうだと俺は思う。あなたはどう思う?ゾーニングで解決出来そうか?何年も前から「ゾーニングが大事」と言う声は聞こえるが、それが形になったか?なりそうか?なる前に事態が急変しないか?
最初のほうが暴論っぽかったと反省しているのだが。後半のほうが暴論かな?混沌とした時代の定義にもよるのかもしれないな。規制で固められたなかから漏れだす表現と、先鋭化し一般人の理解を得られなくなった過剰表現、いずれも混沌とは違うものと俺は思っているが。混沌の中にも秩序が必要だと思っている。例えばコミケの「全員参加者」という建前もまた、混沌の中の秩序ではないか?全員がある程度のモラルを持って円滑に進んでいく、それが望むところではないかな?俺は表現において、それが崩れたと思っている。あなたはどう思う?
皮肉のつもりかしらんが、あなたとそれに星をつけているid:jakuon id:zions id:clworld id:dddeee id:mamimp は何を考えているんだ?俺は上述のように「俺が嫌いだから規制しろ」とは言っていない。そんな物言いを繰り返せば、歩み寄りも話しあいもできなくなってしまう。それを望んでいるのか?
>>そもそも、規制することで社会的なメリットは本当にあるの?青少年がエロいもの見たらダメって時点で意味がわからん。今どきの子供はネットでいろいろ見れちゃうだろうけど目立った変化はあったの?<<
理解されていないようだ。俺は「規制やむなしだろうな」という立場だ。規制に積極的になっている人たちはメリットではなく、デメリットを見ているのではないか。そして、彼らの考えるデメリットを覆すことが現時点でできていない。今時の子供の目立った変化はもうすでにあるのではないか?データは持っていないし、どうやってデータを取ればいいのか俺はわからないが。ろう。20年前に比べて、エロ表現がどのくらい変わったかを考えれば、答えに近いものは見えてくるのではないか。20年前はふたなりは奇形ジャンルだった。今やすっかり市民権は得たな。AVも見てみるといい。過激な内容がどれくらい増えたか。性的表現の過激さの加速度が、目立った変化とはいえるのではないかと俺は思っている。あなたは納得しないだろうが。そういう可能性もあると、頭のどこかに置いてもらいたいな。それと、青少年がエロいものを見たらダメとは言っていない。ゾーニングで細かく分けるのが理想だが、それが機能していない現状では。
「俺の意見=『性的なもの=悪』」という強烈な思い込みも、ぜひとも再考していただきたいのだが…。俺は性的表現も好きだ。本文にそう書いているだろう?それでも尚、諦めに至ったよと言っている。伝わらなかった申し訳ないが、あまり他人の意見を断定しないようにしてほしいな。それが歩み寄り、相互理解の第一歩なのではないか?
例えば、ゲームキャラクターを自由に閲覧できるモードを搭載しているゲームは多々ある。そしてそれらのゲームでは、CERO対策のためにスカートの中は覗けない仕様になっているものも多いだろう?それと同じことをするのは無理なのか?0か1かでなく、グレーゾーンはある程度残しながらも一般的に許容されるレベルを残して行くような「ゾーニング」は無理なのか?俺はそのようなゾーニングを望んでいたんだよ。過去形の話だ。
ゾーニングの話題じゃないのか…。/増田のように個人的嫌悪感を「公共の利益」のような漠然とした正しそうな言葉でラッピングして規制を言い出すケースは正にまなざし村じゃねーの。
俺としては、他人の意見をよく読まずに「まなざし村」とラッピングしてしまうあなたもまた十分に「まなざし村」だと思ってしまうのだ。そしてそれが「これはもう規制になってもしかたないな」という俺の諦観につながった。俺の意見は公共の利益などではない。「話し合えないなら戦争になるしか無いだろう」だ。そして、俺は反対派はその戦争に勝てないと思っている。だからこそ歩み寄りが必要だと思っていたのだ。
こうやってわざとミスリードして憎しみや対立を煽るから嫌われるんだろうな 規制に賛成とか反対以前に人間として問題がある まとめサイトとかと一緒の愚劣で卑怯な人間
俺はあなたのその意見は良くないと思う。俺の一つの意見を読んだだけで俺の人格を否定するというのは貧しい行いではないか?確かに俺の意見には極論が多く、またいくつかの混同があった。だからこそ、会話が必要なんじゃないか?俺は俺の意見を言う。それに対して反論や指摘がある。そして妥協点や着地点を見極めていくのが人間の理性ではないのか。「憎しみや対立を煽るから嫌われる」「人間として問題がある」「愚劣で卑怯な人間」これらのような非情に攻撃力の高い言葉は、相手を徴発し、正常な会話を出来なくさせるものではないのか?コレに関しては俺ははっきりと抗議する。そのような言葉遣いはやめてくれ。100文字の短いブコメの中にこれだけの強い言葉を並べるあなたに疑問を感じる。あなたのこの文章がまさに、憎しみと対立を煽ってはいないか?それが目的なのか?
思うに、ゲームをやる人には、
・ゲームをコミュニケーションツールの一つとして利用している人
の三種類がいる。
俺は三番目だ。ゲーム自体が好きで好きでたまらないわけではなくて非日常な世界に没入して、心を癒したいんだ。映画や漫画でも代替可能なのだが、ゲームは自分で操作できる分没入感が高いというだけ。
ゲーム性自体には余り興味がなくて、魅力的な世界観を期待している。
洋ゲーのオープンワールド物に手を出してみたが、求めていた非日常は手に入らなかった。
にわかだけど、ここらへんのゲームは自分がプレイしているときに、実際に自分がその場にいるような感覚を味わえた。和ゲーには是非、ゲーム性だけにこだわらず、日本人だからだせる独特の空気感を取り入れたゲームを作って欲しい。
江戸時代に風紀を乱す本や絵の出版が禁じられたときに、情事に見立てた詰め将棋を集めたエロいタイトルの本が出版されてたことがある。
タイトルはエロいが、中身はただの詰め将棋で、なぞの挿絵(絵そのものはエロくないが、エロ駄洒落らしい。俺にはさっぱりだった)
今みたいに印刷が簡単な時代ではなくて、下絵を彫師が線の一本一本を彫って、摺り師が一枚一枚丁寧に摺って作ってたわけで、本というものが高価だった。
俺が客だったら、大金叩いて買ったエロ本が詰め将棋集だったら「金返せ」レベルだけど、幕府も怒って(偉い人もエロタイトルに騙されたのだろうか)、風紀を乱したことはけしからんと激おこ。
さて、話を戻しまして、将棋ファンというのは詰め将棋でオナニーできるの?
追記
各ページタイトルはこんな感じ
魅力度ランクワースト常連で湖が代名詞になってるところ出身なんだけど
井伊直弼が有名なように彦根藩井伊家は幕閣で発言権を持った大名だった
そのためついに幕府が倒れたとなると旧藩の弱体化を狙って
都道府県魅力度ランキングで、毎度ワースト争いをするのも致し方ないといえる程度にはダサい。
そもそも、律令国の時代には「武蔵国」として、埼玉県は東京都と一体だったのだ。
で、武蔵国から東京を分離した「あまりの部分」が現在の埼玉県なのだから、これがダサくなくてなんであろう。
(余談ながら、ことあるごとに埼玉はおろか、東京すらも下に見る、あの鼻持ちならない「横浜」という地域の大半も、
かつては「武蔵国」であって、そういう意味では、横浜と埼玉は兄弟であって、ペリーの来航による開港がなければ、
かつての城跡あたりに県庁やら市役所やらNHKやらが集まっている地域が多い。
そこには、それぞれに領主がいて、城下を繁栄させ独自の文化や産業をはぐくんでいたのだろうが、
さしたる文化的な蓄積がない。
そもそも幕府の直轄領だったらしいから、まあ、東京(江戸)の一部みたいなもので、独自性もへったくれもない。
実際、小江戸と言われたこの街には、日本百名城の一つがあるし、寺社仏閣や蔵造の街並みが観光資源として使える程度には残っている。
にもかかわらず、今一つ存在感が薄いのは、この地をがっちりと育ててきた大名が存在しないからではないか。
大坂の陣で江戸留守居役を務めた酒井重忠とか、家光・家綱に仕えた酒井忠勝とか、
知恵伊豆こと松平信綱とか、綱吉の寵愛を受けた大老の柳沢吉保とか
これは要するに、徳川政権の高級官僚が、江戸の手近のところに領地を与えられたという話であって、
「優秀な人ほど、東京に通勤していて、地元にそんなに愛着がない」という
西武線沿線、東武東上線沿線、JR東北・高崎線沿線、東武伊勢崎線沿線と、
東京と各地を結ぶ鉄道沿線沿いに都市圏が発達し、住民はなにかと東京のほうを向いていて
県内の各地域の「横の連携」が弱く、それ故に県としての一体感が弱いのも埼玉県の特徴だ。
たとえば「埼玉西武ライオンズ」といっても、さいたま市あたりの住民などは、ほとんど愛着がない。
なにしろ、ライオンズの本拠地たる所沢に行こうにも、鉄道で行くとなると、
いったん、池袋(埼玉県であるとの説もあるが、行政区画としては東京都)に出なければならないのだ。
愛着なぞ沸くはずもない。
なぜなら、各地域の基盤となっている前述の鉄道路線が、おおむねかつての街道筋に沿っているからである。
物語シリーズで有名な西尾維新の原作を、シュタインズゲートなどで知られるWHITE FOXがアニメ化。
刀を使わない剣術、「虚刀流」の七代目当主である鑢七花が、幕府の命を受けた奇策士とがめと共に12本の「変体刀」を集める旅に出るというストーリー。
最初の放映された時は月に一回というアニメ史上でも珍しい放送形態だった。
それだけ時間をかけていることもあってか激しいアクションもハードなシナリオも丁寧な作り。
個性豊かな変体刀とその所有者や、愛すべき噛ませ役の真庭忍軍などのキャラクターも魅力的。
和柄のような画面も鮮やかで美しい。
個人的に西尾維新やライトノベルはあまり好きではないが、これは楽しく見れたので、そういう人にもおすすめしたい。
原作は劇団☆新感線による日本の演劇作品。作はアニメではグレンラガンのシリーズ構成などで知られる中島かずき。
アニメの制作はマッドハウスで、監督はハガレン一期やガンダム00の水島清二。
しかし圧政の中でも大きな夢を見る力強い庶民の人情物語であり、そういう意味では通ずるところもあるかも。
江戸時代、天保の改革によって質素倹約を強いられる中、もう一度でっかい花火をあげることを夢見る花火職人の玉屋清吉が、
宇宙からやってきた謎の少女ソラに依頼され長屋の仲間と協力して月まで届くロケットを作る……という物語。
基本的にコメディなノリで、江戸時代にはあり得ないような物や、パロディやメタネタも多々登場するが、江戸の生活の細かいところは妙に忠実な描写がでてきたりする。
みなもと太郎、椎名高志、竹田団吾などが手がけた、大分絵柄の違うキャラクターが一同に画面に登場するのも面白い、
昨年倒産したマングローブ制作のオリジナルアニメ。監督はカウボーイビバップなどの渡辺信一郎。
向日葵の匂いのする侍を探すフウが、粗暴な琉球出身の剣士ムゲンと、クールで謎多き流浪の剣士ジンと共に、その侍を探す旅に出る話。
舞台は江戸時代だが若者言葉やヒップホップカルチャーが「チャンプルー(混ぜこぜ)」になった独特の世界観。
基本的に一話完結で、余韻の残るほろ苦いストーリーが魅力。一方大麻回や野球回などのバカバカしい話も面白い。
刀語もそうだが、時代劇であると共にロードムービー的な面白さもある。
言わずと知れた忍たまの劇場版。監督は「おまえうまそうだな」や「トライブクルクル」の監督であり、アニメーターとしても有名な藤森雅也。
おなじみ忍術学園の面々が、戦に挟まれ危機に瀕する村を助けると言うあらすじ。
おなじみと書いたが自分が忍たまを見ていた頃より大分キャラが増えており、大半は知らない連中だったが、関係なく楽しく見れた。
子供向けアニメで時代劇映画の名作と言えばクレヨンしんちゃんのアッパレ! 戦国大合戦があるが、戦の描写はあれに迫るリアリティがある。
特に戦の背後にある政治、情報戦の描写は忍者の名に恥じないガチっぷりである。
ふわっとした正義や愛でなく、生活と権利を守る為の戦であったり、乱太郎が集団の中で自分の役割を見つける物語であったり、お子の情操教育にもよろしいのではなかろうか。
>>宝永4年10月に隣り合う藩の領地争いについて幕府が裁定を下した時の評議したメンバーの名前の写し
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11136161361
だそうで、>石尾 阿波守 中山 出雲守 戸川 日向守 荻原 近江守~という記載で姓名ではないですね。
ただ「血判状」とかで画像検索すると、間隔空けていない人が多い中で、空けてる人もぽつぽついた。
というわけで別にスペース空けること自体がおかしいわけではないが、ネットに合わせた「全角スペース」がカーニングを何も考えてないから違和感あるんでしょうね。
そりゃ離島だし、財政も相当ヤバかったらしいが、彼らは必要な資質を持っていたと思う。
彼らの成功の要因としては、
・ニューカマーが新しいアイデアを持ち込み
・それが都会でヒットした
こんな感じのことがよく言われている。しかしこんなもん地方に求める方が贅沢じゃないのか。
まず選挙の候補はどいつもこいつも、うさんくさいのしか出てこない。
結局、元官僚で自公民(下手すりゃ社民も)相乗りみたいなのが順当に当選する。
さすがに秋田のアレほどじゃないにせよ、古参住民がいろいろとうるさいのはたぶんどこも同じだ。
それに、今から万全の受け入れ態勢を整えたところで、たぶんもうイケハヤの劣化コピーみたいなのしか来ない。
最終的には都会で受けて、外貨を稼がなければならないが、その割にはどこもよその真似ばかりだ。
海士町が成功例として持ち上げられるたびに思う。結局その他大勢に希望はないんじゃないか。
王朝や幕府の末期には「まあ、こいつはそこそこ優秀だったけど、もうどうしようもないよね」
みたいな人物がよく出てくる。果たして何人いれば、今の流れを止められるのだろう。
たぶん1ヶ月くらい?で視聴できなくなるので、今のうちに見て思った内容を書き留めておく。
2015/11/12 『「南京事件」とは何か 3論客の見方相互検証』 【前編】
http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/day/d151112_0.html
2015/11/12 『「南京事件」とは何か 3論客の見方相互検証』 【後編】
山田氏は、紅卍会の4万、崇善堂の10万、日本軍による揚子江に流した数千以上を根拠にしていたが、
崇善堂の記録は鵜呑みにできない事は歴史学者でも多数だと思うので、それを本気で根拠だと思うなら
当時の南京の人口は135万、ここから80万が脱出し、それに中国軍人も加えて60万はいたと推定していた。
ここだけ若干歯切れが悪かったような印象、陥落時の人口問題は確かな史料が無いからそうだろうねえ・・・。
それ以外は終始無難なやりとり。
これまで南京事件論争ではあまり名前の出てこなかった人だけれど、この中では一番若いせいもあるかもしれない。
秦氏は山田氏と違って、まぼろし派に対して攻撃的な発言が目立った。
やはり笠原氏らと共に長年論争の中心にいたため、特に学術的態度の悪いまぼろし派に対しては
色々と思うところがあるようにみえた。
推定数は4万と明言していた。
著書の「南京事件」は、後の増補版にて「4万をずっと下回る」と追記しているが、
積極的に「4万よりずっと少ないはず」と主張する気はないようだ。
幕府山事件の捕虜処刑について、「長勇がやっちまえって言ったから、軍民まとめた殺しちゃったんだ」
長勇みたいな勢いで幕府山でも処刑しちゃったんだ、って意味で語ったのかもしれないけど、あの流れでは誤解されちゃう。
(ひょっとしたら、秦氏は最近南京事件の研究から遠ざかっていて、記憶があやふやになってるのかもと個人的印象)
藤岡氏は相変わらず。
南京の陥落時人口は20万でほかは無人だったから30万は無理説の古臭い論法。
秦氏が「無人なわけない、日本軍が入った時はみな隠れて様子を伺うんだから、みてないのは当たり前」というツッコミにも、
藤岡氏は「入った時に人はいなかったって日本兵が言ってんだから」で押し通していた。
秦氏のツッコミも城内の安全区外が無人かどうかに終始していたのは残念だった、虐殺の多くは城外なので。
ベイツら安全区委員会が残した具体的被害記録も、死者はゼロなんだと主張するお決まりの詐術を使っていたが、
それは中国人から聞いた死者は伝聞だからノーカウントという、まぼろし派の恣意的フィルタをかけているからだ。
安全区内、金陵女子大学の程瑞芳が記録した日記についても「日記に記した死者はゼロ」と強調していた。
だが程瑞芳日記は女子大学という性質もあって、日本兵による強姦が多く記されているが、藤岡氏はそれには意図的に触れない。
こういうやり方はやはり学術的に不誠実な態度であると言わざるをえない。
現在では一番確定的史料の残っている幕府山事件については、さすがにもはや自衛発砲説について触れる事はなかった。
しかしこの幕府山事件、山田氏・秦氏共に歯切れが良いのに対し、藤岡氏は最初言い訳を考えるのにしどろもどろの印象だった。
最終的には拘束後の処刑も「戦闘中ですから問題なし」と強引に解釈する論法で突破を試みていたが、
それに対してはさすがに司会者も「え?戦闘終了後ですよね?」とごく当たり前な反応をみせていた。
「あれは戦闘中なんだ」と藤岡氏が強弁する横で、秦氏と山田氏は「そんなわけないだろう」
という表情で顔を見合わせていたのも印象的であった。
各氏、番組に出てもらってるので、あんまり番組上で論破して面目を潰してしまうようなマネは
http://anond.hatelabo.jp/20150715014005
(づつきです)
通常のネットは当局から禁ぜられ程なく使えなくなったが、「もう一つのネット」は問題なく作用した。
珠洲子は住まいのある東京都北区赤羽(Akabane東京都の地名。濁音化せずに日本語で書くとAkahane。ハネhaneは元来ハニhaniであり、ハニは「土」を意味する。すなわち赤いハニ(red soil)が地名の由来となっている)から脱出するまで1度だけ襲撃を受けた。都内から離れた後は襲撃はなく、追手はひとまず撒けたことになる。襲撃した相手はハーバード大学3刀流の使い手だった。この流派は2050年代にネットが身体の操縦に役立つ技術になった際、ヨーヨー・マビルマーク・ザッカーバーゲイツ・アダムズシニアジュニア3世を名乗る、ハーバード大学を後に退学になる男によって創始された。3つの刀を間違った日本の文化に即して扱うもので、その内の一つは特に電子的に管理し中空に浮かせておくのが特徴だと師匠から教わった。『名探偵ホームズ』には「バリツ」という武術が登場する。シャーロキアンのこれでもかって程の執拗かつ綿密な研究のおかげで、「バリツ」が19世紀末ロンドンで実際に教示されたことは21世紀後半の現代ではよく知られている。日本の作法が伝言ゲームで面白く意味を持つ。ハーバード大学3刀流はこの時代の「バリツ」なのだ。
珠洲子はこうした刺客(Shikakuここでは珠洲子を追捕するために派遣されたエージェント)を2秒半ほどで退けた。刀が落ちて金属音を立てるのを尻目(Shirime)に聴きながら、珠洲子は師匠(Sishou)の事を思い出した(remember)。珠洲子の師匠の一人は陳老師(Chen-raoshi、チンさん)という名前で、昔幕府があった場所の名の付いた優秀な弟子を手掛けたことで知られる。珠洲子もそのまた優秀な弟子だ。
「教えの歴史的な古さが強さをもたらすのでない。当然新しいからと言って勝つわけではない。よかったのう!」
チンさんの教えはよく分からないこともあったけれど、この言葉は間違っていない。歴史の重みはある種、不必要だ。必要なのは揃っている道具で今考えることだ。
2時間42分後、珠洲子は岐阜県関市に到着した。明治・昭和・平成、さらにその次と次の元号の時に行政区の変遷があり関市も随分様相を変えた。人も変わった。ここには鷲見(すみ)太郎という政治家がいる。彼女は彼に会いに来た。事前に「もう一つのネット体系」を経由し短報を送っておいた。鷲見はネットが身体を操作し始めた50年代に先鋭的に反対を唱えた男で、のち中央政界で1期務め、現在は岐阜県議の職にある。珠洲子の主人は、鷲見にアポイントを取るよう手筈を整えていた。珠洲子は鷲見の邸宅に予告通り忍びこんだ。鷲見は報せを受けてから警備を敢えて「普通」にして待っていた。政治家の邸宅における警備を縫うことは「普通」は不可能。しかし21時4分現在、書斎にいる鷲見の眼前に可愛らしい女性が難なく現れ、彼に簡単なブリーフィングを伝えていた。当然、ブリーフィングよりも忍びこんだ事実の方が、より雄弁に「もう一つのネット」の機能と彼女の任務とを物語っていた。
「私の反ネット勢力のツテを頼りたいのだろう」「左様です」「あまり役に立たないと思う」「何故です…」「かつてネットが身体の制御に使用されようとしたとき、多くの人が危険だと唱えた。その内に先鋭化して回線切ってネットを捨てるべきと考える者が現れた。」「…」「スイッチのようにオンとオフだけで考えてはならなかったのだ」「?」「ネットを捨てるべきと言った連中はその内コンピュータが不用と言い、テレビや暇つぶしの携帯ゲームが害悪だと訴え、車も複写機も信号機も要らない、電子的なデバイスをあれこれと捨てようとした」「…」「そしてついに眼鏡がいらない、とかスリッパが要らない、もっと自然に過ごそう! とか言い始めた」「…」「そうなると火薬も羅針盤もいらないし、文字もいらないし衣服もいらないし石器も言語も要らなくなる…ということに多くの人間は、どこかの段階で、気づいた」「??」「人間は道具を使う。ネットに異を唱えたはいいが、どこまで自分が道具を持ち、使っていたのか。そこに無自覚に、ネットだけをつついていたんだ」「反ネット勢力の名簿はいただけないのですか?」「勿論差し上げよう。だが今話したごときの懊悩、えっと悩みね。…悩み。道具に関する悩みを私や私と同じような人間は共有している。だから私の同胞では…ネットをストップしようと考えただけの時代の人間ではダメだ。おわかりいただけたかな?」「…わかりました」
鷲見の邸宅から去り、関市内吾妻町の、関市が幾度も合併する前からあるホテルに赴く。「もう一つのネット」でホテルにチェックインし、「もう一つのネット」で架空の銀行口座から架空の資金をホテルに支払う。自分の部屋でモルツビールを空けながら10時のニュースを見つつ、鷲見からもらったリストを網膜で走査する。
2缶目がもう少しで飲み干せるぐらいの時に、関係者の中に元カレ(Moto-kare昔の男性の交際相手)の名前を見付けた。「???」
ホリエモン関係の記事のブックマークコメントで知った。まじかよ私常識なかったのかよ。
小学生くらいの頃確か学校で、身分・位の上下であると習って、私の頭の中ではずっとそういう認識だった。
ただし、理論上のことで一応そういうことになっているというくらいのニュアンスで説明されたかもしれない。
検索して調べてみると、基本的に職業分類であるとか、士農工商を「四民」とまとめて言う時は単に「すべての人々」を意味するとか、はじめて知識が更新された。しかも、最近の教科書には士農工商や四民平等という言葉は載っていないということだった。士と農工商という区切りもあるみたいだが、上級武士にはそりゃ幕府や将軍がいるから支配者・被支配者の関係になるけど、下級の武士と町人に大した差はないということか。
そうだったのか。てことは最近の若い人にはそれは常識なんだな。というかそういう認識自体がないということなんだな。
勉強に熱心な児童生徒ではなかったからあいまいに記憶しているせいかもしれないけどね。でもちょっと違う感じで習っていたはずだ。
それにしても、たくさんあるんだろうな、こういう今では大きく変わっている常識や定説。学問によって、時間がたつほど新しいことが分かってくるはずだからそれはそうなんだけど、常に知識をアップデートするように全方位にアンテナ張っているのが理想なんだろうねえ。そう言えば子供の頃は運動中には水を飲むななんて指導する大人もいたっけ。水を飲むと体力が落ちるだとか迷信に近い常識だけど。