はてなキーワード: 風向きとは
俺がしてたのは片道12km程度のロードでの通勤だけど、以下その時の経験でいくつか
最重要なのはルート探し。安全に走れる道路は意外と少ない。また、道路全般に渡って走りやすいとも限らない。
路駐が一切なくても走りにくい道もあれば、路駐だらけでも問題ない道もある。
そうそう、東京の道路事情だと、チャリの前に強引に割り込んできて左折or急停車ってあんまり珍しくないんだよね。
だから時速30kmくらいからのフルブレーキの練習とかはしておいたほうがいいかもしれない。
手信号は重要。道路上はコミュニケーション大事。信号で止まったからと言って、歩道と車道の隙間を縫って前に出ようとしないこと。
快適に走れる季節は本当に短い。灼熱か極寒か花粉だ。
10km程度なら問題ないけど、あんまり暑い日は25km程度でも熱中症や脱水症状になるからな。
会社でシャワー浴びれるならいいけど、そうじゃないなら着替えなどなどはないと結構しんどいと思う。
夏の25kmは放置できる汗の量ではない。
体が運動モードになっているから、あんまり頭回らないんだよね。
で、みんな雨の日はーとかいうけどさ、
自転車って都内だと電車より早いから、曇りのち雨とかの怪しい日が危なくなる。
2時間くらいを通勤で見ているとするなら、やはり天気が不安定な日ってのは2時間あれば雨くらいあたる。
着ているものは最悪着替えれば良くても、カバンは最初から対策しておかなくてはならない。
それにもまた費用がかかる。
大体にして2時間ストレスなく自転車で運べるカバンってあんまりなくてな。
総合的に考えると、
会社について何もやることがないけど出勤しなくてはいけないタイプならいいと思う。
そうじゃないなら電車のほうがいい。
どうだったかなあ
そこからアニメ見る層が増えて、漫画原作の深夜アニメも増えた気がするし
でもそれ以上にすぐ広がったか?というと、やっぱりSNSの一般化まで待たなきゃいけない気がするわ
SNS一般化以降の最初のヒットアニメがまどかマギカだったのは多分そうで、あれも転機のひとつだった
しかし、そこからますますスマホもSNSも普及したわけで、君の名はもなんか転機になってる感じはするね
鬼滅もそうだわ
あー、でも
それまでの過程に、ハルヒ、レールガン、化物語、俺妹とかのラノベ原作全盛期があったよな
電車男以降、カジュアル化したオタクとして、カジュアルに流行ったアニメだけDVD借りて少しおいかける、みたいなのは結構普通だった気がするな
そんな興味あるわけでもないからツイートで流れてきてたゴシップだけ接種し、ビリギャルみたいな話なのかって認識だけしてスルーしてた。
そこに本人反論のnoteが出てきてネットトラブルとして面白くなってきた。
ちょっと興味が出てきたから東洋経済のインタビュー読んだけど、それだけでゴシップレビューの半分はウソだってすぐ分かるわけ。
あからさまなウソを込められて書かれたレビューだってのは素人目でも判断が容易な話だった。
でもさ、今日この日まで彼女の書籍レビューがデマだって話がはてなで話題になることは無かった。
若く優秀な彼女が傷つけられTwitterアカウントを削除するような事態になってたのに、誤りを正すための活動は行われなかった。
リベラルなお友達はTwitterでちょろっと書いてたかもしれんが、140字のテキストはデマを払拭する目的で書かれた文書ではない。
最低でもnoteといった全文をシェアできる記事形式、できればメディアに掲載されて広く拡散される必要があっただろう。
しかし、それは行われなかった。
彼女のフォロワーたちも大概ヒドイよね。ネットから消えた敗者と判断したら擁護する必要がないと思ってたんだから。
今日、彼女は復活し正当性を示す反論文書と共にネットに舞い戻った。
https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0026/topic057.html
つまらないときとか、刺激がないとか、仕事でうまくいかないなっていうときに
はてなブックマークに逃げるというのはよくありました。
第一にはてなブックマークはお金がかからないっていうのが自分の中にすごいありました。
触れることができたという達成感もありました。
はてなブックマークに至るまで自分の気持ちが徐々に高まっていって、
はてなブックマークできたら自分の頭の中で『やったー』と最高潮に達して、その繰り返しでした。
あとは支配欲も満たされたんです。
はてなブックマークが犯罪という概念はほとんどありませんでした。
電車の中で『ただ触っただけ』じゃんって。
自分の行為が記事の書き手を傷つけているとか、記事の書き手に対して申し訳ないという気持ちはほとんどありませんでした。
はてなブックマークユーザーはなぜ自分は加害をしたのか、はてなブックマークがどれだけ人を傷つけるのかなど、みずからの暴力性について語ることばを持っていないんです。
言い換えるとすると、自分のはてなブックマーク行為を語ることばの豊かさを持っていれば、
はてなブックマークユーザー自身も人生の中でことばを奪われてきた逆境体験をしています。
はてなブックマークユーザー臨床の中では、過去にモノ化された被害者が、
さらに言うと、はてなブックマークユーザーは被害者がどのような世界を見ているのか理解しづらいということも影響していると思います。
はてなブックマークユーザーは普通に社会で生きている中で、消費される経験がほとんどありません。
自分が被害に遭うかもしれないという前提の意識では生きていないと思います。
しかし記事の書き手は、日常の中で常に消費されているし、消費されることが当然だという刷り込みがいたるところにあります。
はてなブックマークユーザーの被害も稀にありますが、暴力に関して、
はてなブックマークユーザーと記事の書き手は見ている世界がそもそも違うのです。
はてなブックマークユーザーは被害者が被害に遭った後どんな人生を送ってきたのか、
どれだけセカンドレイプで傷ついてきたのかを知らないのです。
もっと社会が被害者のことばに耳を傾け、被害者の実態を知るということが、いまの日本社会や強いて言うとはてなブックマークユーザー臨床の中にも不足しています
と、「暴力シーンは実際にはやってないのに性行為だけは実際にやるのは許せない」とAV新法に反対している人の理屈はこんな感じなんだろうな。
未完が約束されてる上に、編集がまともに修正できなくなってるから読みにくくて仕方ない。
冨樫が描くから売れるけど、ハッキリ言って週刊誌にプロが出していいレベルじゃないよ。
面白いって言ってる奴は自分の力で評価できないって自己紹介してるだけの無能。風向きが変わったら急に叩き始めるタイプの風見鶏バカ。
原稿受け取って誤字脱字チェックするだけで終わらせる、編集もプロでも何でもない。
キメラアント編や選挙編でも目立ってたけど、暗黒大陸編は設定を説明しつづける地の文と、キャラクターのだらだらとしたモノローグが多すぎる。
「設定は矛盾してません!」ってアピールって別にいらないんだよね。読んでてストレスにならなければ良い。
アピールしたいなら普通に連載して、連載が終わってから資料集でも出せば良い。
賭けても良いけど、HUNTER×HUNTER打ち切って、続編として船の中の攻防を描いたら売り上げは一割以下になってるよ。それくらい出来が悪い。
ほんとーに出来が悪い。
漫画家としてはチャレンジしたいんだろうとは思う。描き切るのが難しいしね。
HUNTER×HUNTERは能力バトル物でもあるから、ステータスあげて殴るだけのスッキリファイトじゃなくて、既存のルールや既出の条件からアッと言わせるのがカタルシスなわけじゃん。そのカタルシスの演出のために設定を読者に周知したいのはわかるが、冗長すぎる。
しかもキャラクターが多すぎていっぺんに説明できないから、能力解説にコマを割きすぎる。
なにより出し方がゴミ。無言の護衛兵が汗かきながら自分の能力の使い所について考えるって最悪だろ。編集はネームの時点で止めろ。
これ絶対完結しないじゃん。
船が新大陸に到着すると思ってるやついる?
設定に凝って書き上げられないのも腰痛で書けないのも、もう作家として死んでるんだわ。
体調が回復して書き上げる能力が復活したら改めて始めれば良いだろ。
これは結構難しい話な気もする。
まず、ゼロ年代までの日本において、政治組織は主婦層の奪い合いを行っていた。
数が多く、政治活動を行う暇があり、組織に拘束されておらず、思想的に特定の傾向がないが横のつながりはあるという、まさに格好の動員対象だったからだ。
ただし当たり前だが動員というのは上から自由に政治的思想を植え付けられるわけでなく、自由なタイミングで動員できるわけでもない。
比較的どうでもいい案件については積極的に下から吸い上げて常に運動欲を満たし、「自分たちが動かしている、声が届いている」という実感をもたせるのが重要。
主婦層に共有された嫌悪感があり、社会悪だという方向に持っていきやすく、婦人会による規制運動を展開することで低コストで定期的に運動実績を満たしやすい。
要するに叩くのに丁度いいから自民も公明も各種の野党も性表現規制論をだし、逆に政敵の手柄になりそうな風向きのときだけそれを批判してきた。
矯風会もこのころ潜り込んでいろいろやっているが、別に思想的には主体性を発揮したわけではない。
あくまで普通の女性が、「素朴な感性」を運動で増幅させた結果に相乗りしただけだ。
大半の政治家にとっては「自分の票にならなければどうでもいい、だがある程度便利使いするため風向きを読んでたまにコメントする」程度の話題だった。
リベラルと呼ばれてるが中身は様々な人々にとっても大半は同じだろう。
しかし、ネット時代で性表現市場が拡大し、規制論者もオタクの声もでかくなったことで、この話題はそれなりのネタに昇格した。
ただ、山田太郎はうまくやったが、ワン・イシューで国会に1議席確保できるぐらいというのは、小さくもなく大きくもない、なかなか微妙なラインである。
これも基本的には思想や強力なトップダウン利権があるわけではない。
普通のオタクが「素朴な感性」を運動で増幅させた流れをうまく利用したということになる。
こういうネタは言論屋や政治プレイヤーとしては非常に扱いが難しい。
「普通の人々」の「素朴な感性」というのは、たいてい思想的にはメチャクチャであり、民主主義にも自由主義にも完全に敵対している。
なんとなく思ってるだけならまだしも、運動で増幅させるとカルトの原理主義と対して変わらない。
それでいてカルトと違って思想的核のない多数派だから、批判にも難儀する。
山田太郎も統一教会と絡んだりしているが、こういう連中がオタクを「操って」いるというのはいろいろな意味で間違っている。
オタクの普通の言動に素直に乗っかれば自分の主張が認められる部分がありそうだから、のこのこやってきたというだけだろう。
矯風会が政治に熱心な主婦層によってくるというのも、主流はあくまで強大で消し難い「素朴な感性」のほうで、矯風会なんてのは張り付いた雑菌の如き存在だ。
「素朴な感性」に公然と敵対する人間は、たとえ理屈の上で正しいことを言っていても、政治レベルではあっさり抹消される。
逆に、そうなってない人間というのは、理屈以前の話で、「素朴な感性」にうまく忖度しているからこそ生き残れている。
だから、問うべきは、リベラルの人々は、一般人の、あるいは自身の中の「素朴な感性」と自由主義が対立する事実にどう向き合うか?
という話だが、これに真剣に答えること自体も「素朴な感性」への敵対の一種であるから、政治プレイヤーとしては公然と議論することは難しいだろう。
https://www.smfg.co.jp/sustainability/report/topics/detail096.html
マグマから得られる地熱や、地表付近の地中熱は国内で安定的に得られる国産エネルギー源で あるにもかかわらず、これまであまり利用が進められてこなかった。しかし、エネルギーの在り 方が抜本的に見直される中、あらためて地熱資源に注目が集まり始めている。
東日本大震災や地球温暖化問題を機に、エネルギー政策の抜本的な見直しが議論されている。太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーが注目を集める中、新たな脚光を浴びているのが地熱資源だ。地熱資源は、マグマの熱に由来する高温流体を利用する地熱と、太陽熱に由来する地表周辺の地中熱の2種類に分類される。地熱も地中熱も実用化の歴史は長いが、国内ではあまり普及が進んでいない。本特集では、地熱発電と地中熱利用、それぞれの現状と普及に向けた課題、今後の展望を考察する。
地熱発電に利用されるのは、マグマから得られる熱エネルギーだ。火山帯の地下数キロメートルから数十キロメートルには、1,000℃を超える高温のマグマ溜まりがある。このマグマ溜まりで熱せられた岩石中に地下水が浸透すると、熱水あるいは蒸気を蓄えた地熱貯留層ができる。この地熱貯留層まで井戸を掘り、200~350℃という高温の熱水/蒸気を取り出してタービンを回すのが地熱発電の基本的な仕組みだ。その魅力は、24時間365日安定的に発電可能で半永久的に枯渇の恐れがないことと、発電時のCO2排出量がほぼゼロであることだ。
日本の地熱資源量は2,300万キロワット超で、アメリカ、インドネシアに次いで世界3位を誇るが、発電設備容量で比較すると、1位の米国が309.3万キロワットなのに対し、日本は53.6万キロワットで8位にすぎず、豊富な資源を生かしきれていない状況にある。
日本の地熱発電が普及しなかった主たる要因は、「立地規制」「地元の理解」「エネルギー政策」の3つといわれている。
「立地規制」とは、政府が1970年代から景観保護などを理由に国立公園、国定公園、都道府県立自然公園における地熱開発を制限したことを指している。国内の地熱資源の7~8割は国立公園内にあるため、これが事実上の開発制限となってしまっているのである。
「地元の理解」とは、地熱資源立地区域に隣接する温泉地区の事業者の理解が得られないことである。科学的な根拠や具体的な因果関係を示すデータはないが、温泉地に関わる観光事業者が温泉源枯渇を理由に開発を拒否するケースは全国で起きている。
「エネルギー政策」とは、政府による開発支援の問題と言い換えてもいい。1974年に始まった「サンシャイン計画」では、地熱発電は主要な発電方法の1つと位置づけられ支援策も充実していたが、1993年の「ニューサンシャイン計画」以降、研究費が削減され、1997年の「新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法(新エネルギー法)」では、「新エネルギー」分野の研究開発対象に選ばれなかった。さらに、2002年の「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法(RPS法)」では、対象となる地熱事業は「熱水を著しく減少させないもの」という条件が付いたため、従来の発電方式では支援を得ることが難しくなってしまった。
そもそも地下資源は開発リスクの高い事業である。開発の際は、地表評価を行った後、地下深部に多数の坑井を試掘し、発電可能な地熱資源を掘り当てなくてはならない。試掘とはいえ、掘削には1キロメートル当たり約1億円のコストがかかる。地中にはマグマがあるのだから、掘削すれば必ず地熱資源を得られるだろうとの推測は素人考えで、事実はまったく異なる。重要なのは、マグマ溜まりの探索というよりも地下水が貯まる地熱貯留層を掘り当てられるかどうかだ。現代の高度な探索技術をもってしても、地下1~3キロメートルに分布する地熱貯留層を正確に検知することは極めて困難で、今も開発事業者の知見や勘に頼らざるを得ないというのが実情だそうだ。首尾よく掘り当てたとしても、高温蒸気を安定的に得られるのか、どの程度の発電ポテンシャルがあるのか、熱水の長期利用が周辺環境に影響を与えないのかなどを見極めるため、数年間にわたるモニタリングが欠かせない。そのうえ、資源を掘り当てても認可を得られなければ発電事業はできない。地熱発電の調査から開発までに10年以上の期間が必要とされるのは、このような理由による。ある意味、油田開発と同等のリスクとコストが必要とされながら、出口としては規制に縛られた売電しかないため大きなリターンも期待できない。こうした状況では、地熱発電事業への参入者が現れなかったのも、致し方ないといえる。
しかし、地球温暖化や東日本大震災の影響により地熱発電に対する風向きが変わってきた。地熱開発を阻んできた3つの要因すべてに解決の糸口が示されたのである。
まず、環境省が、地熱開発に関わる自然公園法の規制緩和に動き始めた。2012年3月21日には、第2種、第3種特別地域について、域外から斜めに掘り込む傾斜掘削を容認し、さらに関係者や地域との合意形成、景観に配慮した構造物の設置、地域貢献などを満たす「優良事例」であれば、技術的、コスト的にも負担の少ない垂直掘削も認められることとなった。これに加え、3月27日には「温泉資源の保護に関するガイドライン(地熱発電関係)」を都道府県に通知し、地元調整の在り方を具体的に示した。これらの施策により、立ちはだかっていた「立地規制」と「地元の理解」に関するハードルが一気に下がったのである。
さらに、経済産業省が、2012年度予算に地熱資源開発促進調査事業として91億円を盛り込み、地表調査費用の4分の3、掘削調査費用の2分の1を補助。資源開発のノウハウを有するJOGMEC(独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構)による開発準備段階の民間企業への出資や、開発資金を借りる際の債務保証ができるよう、石油天然ガス・金属鉱物資源機構法を改正する方針を示した。そのうえ、「再生可能エネルギーの固定価格買取制度」により、売電開始後15年間の地熱発電の買取価格(1キロワット当たり)は、1.5万キロワット以上で27.3円、1.5万キロワット未満で42円という価格が提示された。こうした「エネルギー政策」の転換により、地熱発電事業を覆っていた分厚い雲の合間から、明るい光が射し始めた。
こうした流れを受け、10年ぶりに新たな開発プロジェクトが動き始めた。電源開発(J-POWER)と三菱マテリアル、三菱ガス化学は、秋田県湯沢市葵沢・秋ノ宮地域で地熱発電所の建設を進め、出光興産は他社と連携し、北海道阿女鱒岳(アメマスダケ)地域および秋田県湯沢市小安地域に地熱発電の共同調査を行うほか、福島県の磐梯朝日国立公園内に国内最大の地熱発電所をつくる方針を示している。
岩手県八幡平では、八幡平市と日本重化学工業、地熱エンジニアリング、JFEエンジニアリングが出力7,000キロワット級の発電所を2015年に開設すると発表している。JFEエンジニアリング エネルギー本部発電プラント事業部の地熱発電部長、福田聖二氏は、「弊社は、全国18カ所の発電所のうち9カ所で蒸気設備を建設してきました。その実績とノウハウを生かし、今後は発電事業への参入も視野に入れて開発に乗り出します。また、世界最大のバイナリー発電メーカーとも協業し、従来型より環境や景観に配慮した次世代型の地熱発電所の開発にも取り組んでいきます。地熱発電は、一度開発すれば半永久的に安定稼働が可能というメリットがあり、太陽光や風力などの再生可能エネルギーとともに今後重要な役割を果たすものと考えています」と話している。
福田氏の言うバイナリー発電とは、熱交換器を通して地熱流体(熱水、高温蒸気など)の熱エネルギーを低沸点媒体で回収し、それを沸騰させてタービンを回す発電法だ。使用した地熱流体を地上に放出することなく全量還元できるため、地下水減少のリスクが極めて少ない。また、発電設備から蒸気を排出せず、国立公園などの自然景観に配慮した発電所を建設できるため、環境省の定める「優良事例」に認められる可能性が高いとして期待されている。さらに、熱交換用の低沸点媒体の種類によっては、温泉水(70~120℃)の熱エネルギーを利用した温泉発電も可能だ。温泉発電は、既存の源泉と温泉井に手を加えずに発電ユニットを後付けするだけで実現でき、温泉地への影響も源泉枯渇の心配もない。JFEエンジニアリングでは、福島県の土湯温泉町で2014年に500キロワット級の発電事業を始めるべく、計画を進めている。これは、震災の影響により温泉収入が減った同地で、地熱発電を地域活性化に生かそうとする試みである。このようにバイナリー発電方式は、大型の地熱発電所だけではなく、小型の温泉発電所にも適しており、地産地消型の分散電源として各地に広まる可能性も秘めている。
新エネルギーとして世界的に研究が進む地熱発電分野では、高温岩体発電など新しい技術も生まれている。これは、水を圧入して人工的に地熱貯留層を造り、熱エネルギーを抽出する方式で、天然の地熱貯留層を掘り当てる必要がなく、開発リスクを減らすとともにさまざまな場所で地熱発電が可能になるため、大きな注目を集めている。しかし、人工的な地熱貯留層の構築が環境にどのような影響を与えるのかなど、検証データが揃っていないため、実用化にはしばらく時間がかかると見られている。
国際エネルギー機関(IEA)の試算によれば、世界の地熱発電量は2050年までに年間1兆4,000億キロワット時まで拡大すると予測されている(2009年の地熱発電量は年間672億キロワット時)。現在、日本企業は、地熱発電用タービンで世界シェアの7割を占めるなど、同分野で世界トップレベルの技術を有している。今後、世界規模で拡大が予想される地熱発電分野において、日本企業が存在感を発揮することが期待される。
第2部では、もう1つの地熱資源「地中熱」について考察する。「地熱」と「地中熱」の最大の違いは熱源である。マグマに由来する熱水や高温蒸気がエネルギー源の地熱に対し、地中熱は、太陽で暖められた地表付近の熱がエネルギー源だ。火山地域など対象地が限定される地熱と違い、地中熱は全国どこでも得られ、安定的に利用できることが特徴だ。
地中温度は太陽熱の影響により浅部では昼夜・季節間で変化するが、10メートル程度の深度では年間を通してほぼ一定の温度を保っている。その温度は、地域の年間平均気温とほぼ同等となっている。ちなみに東京の地中熱は年間約17℃で安定している。四季のある日本では、大気は夏暖かく冬冷たいが、地中の温度は一定であるため、この温度差を利用して冷暖房や給湯、融雪などを行うのが地中熱利用の基本原理である。
地中熱利用にはいくつかの技術があるが、現在主流となっているのは地中熱ヒートポンプシステムである。これには、地下の帯水層から水を汲み上げて熱交換を行うオープンループ型と、水や不凍液などの流体を地中のパイプに通して放熱・採熱を閉じた系で行うクローズドループ型がある。オープンループ型は地下水を利用するため設置場所がある程度限定され、主に大型施設で用いられているが、クローズドループ型は場所を選ばず設置でき、環境への影響が少ないことから、現在の主流となっている。
地中熱利用促進協会の笹田政克理事長は「地中熱ヒートポンプシステムは、省エネ・節電対策および地球温暖化対策に極めて効果的です。このシステムは、気温と地中の温度差が大きいほど、通常のエアコンに対する優位性が高く、真夏や真冬ほど高い省エネ効果を発揮します。地中熱を利用すれば、冷房使用率が最も高い真夏のピークタイムなどでもエネルギー消費を抑えられることから、現在問題となっている電力供給量不足の解決策として期待されています。また、地中熱利用はヒートアイランド現象の抑制にも効果があります。ヒートアイランド現象は、建造物からの冷房排熱が大きな要因とされていますが、地中熱の場合、冷房排熱を地中に放熱してしまうため、都市部の気温上昇を抑える効果があるのです」と語る。
地中熱ヒートポンプによる冷暖房システムは、オイルショックを機に1980年代から欧米を中心に普及が進んだ。アメリカでは、現在100万台以上が稼働している。また、中国も助成制度を整備したことが功を奏し、世界2位の普及率を誇っている。これに対し日本は、2009年時点の導入施設数は累計580件にとどまっており、海外と比べて普及が進んでいない。これは、地中熱が認知されていなかったことや、掘削などにかかる初期コストの高さが主な要因と考えられている。
しかし、2010年に政府がエネルギー基本計画で地中熱を再生可能エネルギーと位置づけたことや、2011年度以降に「再生可能エネルギー熱事業者支援対策事業」「地域再生可能エネルギー熱導入促進事業」などの支援策が相次いで打ち出されたことから、国内でも急速に認知が進み、さまざまな分野で導入が検討され始めている。
コンビニエンスストア、学校、東京スカイツリータウン(R)も地中熱を導入
支援制度の拡充や節電意識の高まりを受け、近年、さまざまな分野で地中熱の導入が進められている。たとえば、羽田空港の国際線旅客ターミナルビル、東京中央郵便局の跡地に建設されたJPタワー、セブン-イレブンやIKEAの店舗、富士通の長野工場、東京大学駒場キャンパスの「理想の教育棟」など、ここ1、2年の間に導入が続いている。また、旭化成ホームズやLIXIL住宅研究所が地中熱冷暖房システムを備えた住宅を販売するなど、一般住宅でも地中熱利用が始まっている。
今、話題の東京スカイツリータウンでも地中熱が利用されている。同地域のエネルギー管理を担当する東武エネルギーマネジメントの Permalink | 記事への反応(0) | 19:37
ヤフーニュース、もっというとヤフーニュースのコメントという仕組みは、この国全体の知能レベルを著しく引き下げる全く唾棄すべき存在だ、というのが個人的な考えである。
攻撃的な言説や頓珍漢な意見が散見される、というのはヤフコメに限った話ではないし、
往年の2chがそう言われたようにインターネットに「便所の落書き」はありふれている。
ヤフコメが醜悪であるのは、"アンダーグラウンド"たる2chとは正反対に、インターネット上の言説がクソであるという意識のない一般層リーチできてしまっているところにある。
しかも、なまじ「ニュース」への付属品であるが故に、頓珍漢なクソの山でも、自信満々に専門家然としたコメントがあると、一見説得力があるように見える、という仕組みがより醜悪である。
(「自信満々な専門家然としたコメント」が多くの場合的外れな粗大ゴミ以下の内容であることが多数あるのは、諸兄それぞれの得意分野の記事へのコメントを見れば一目瞭然だろう)
こうしたインターネットへの低リテラシー層へのリーチのしやすさ故か、最近ではクソなコメントに同調するクソコメントが増幅していき「Good」を集め、
それらをたしなめる良識的なコメントに対してBooがつく、という救いようがない状態になっている。
もはや、便所の落書きと呼ぶと便所の落書きに失礼である。率直に、クソそのものであるとしか言いようがない。
このままでは「脳内メーカー」で「日本人」と調べると脳内が全て「クソ」と表示されてしまうような、危機的な状況になるのではないか、と憂慮せざるを得ない。
そこで最近、男もすなる2chとはてなブックマークというこれまた便所の落書き(一方でこれは比較的クローズドなコミュニティでクソの投げ合いをしているだけなので、一般曹に悪影響を及ぼす可能性が低いのが美点である)で鍛えた揚げ足取りとレスバトル力を用いて
ヤフーニュースについてクソコメントを煽りまくって論破する活動に取り組んでいる。
一般的に「揚げ足取り」や「論破」は、どこぞの論破王が好きなキッズには到底理解できないだろうが、議論に対する誠実な態度とは言えない。
しかしヤフコメによって脳内にウンコが詰まっている状態の諸氏へのアピールとしては、こうしたパンチの効いた攻撃法のほうがリーチすると考える。
クソコメントに対して、それに同調するクソコメントがクソコメントを呼ぶ状態となる前に、揚げ足取りを多用し最速で一見論破したように見せかける。
するとどうだろう、瞬時に風向きが変わって元のクソコメントにBooがつき始め、吾輩のコメント(こちらも議論の仕方という意味では同じくクソコメントなのだが)に同調する意見が増え始めるのである。
彼らにとっては「どっちが論破できてそうか」が重要なのである。
であるからして、議論の仕方として不誠実だろうと、元のクソコメントよりはマイルドな立ち位置の内容で揚げ足取りをしまくると、
容易に態度変容を促すことができるのである。
こうしてネット随一の便所をパトロールしていると、このように自分のコメントに「Good」がどんどんついていくようになるのである。
これは非常に愉快と言えよう。
知る限り話のネタにするってのがまずないな
そんな品のないことはしない
類似するものがないか思い返してみたけど、幼いときに大人と温泉行ったときに、手術痕のある人や痩せたり太ったりした人とかについて「みんな色々な事情があるから、人様の体型についてジロジロ見たり言うのはやめようね」なんて教えられた記憶くらいかなあ
大人になって友達と温泉行っても、お互いになんとなく身体から目を逸らしあうよ、少なくとも自分の周りは
引用してくれてる「女だけなのにムダ毛処理しなきゃ」は、誰かに噂されるからではなく、マナーや恥の気持ちからだと思う
誰かがなにか言わなかったとしてもはずかしいものははずかしいじゃない?
ムダ毛処理をマナーとすることをやめようって風向きもあるけど、少なくとも今大人をやってる女性たちは多くが思春期に「ムダ毛処理は当たり前」と世の中からしつけられてきてるから、それがはずかしさのベースになってると思う
21世紀になってもなお、専制国家による軍事侵攻が後を絶たない。
チェチェン、シリアに続き、崩壊したソ連復活を狙うかのように、事実上の専制国家ロシアのプーチン政権は、西暦2022年、隣国ウクライナへ軍事侵攻した。
権力とその支持者らの横暴によって、他国を武力によって侵略することは、絶対に赦されるべきではないが、この軍事侵攻は、専制国家に限って起こる話なのだろうか。
近年、民主主義国家であるここ日本や米国に於いてでさえ、何かしら外交や政策的な行き詰まりなどによって時の政権が強権化し、それを支持する著名人たちが民族主義を煽り、マスメディアやSNS、路上などでも平気で差別や暴力行為を繰り返して自身の立場を優位に見せ、民衆の分断を謀る動きが彼方此方で散見されており、国家権力のみならず国民までもが、軍拡や軍事侵攻に傾倒し邁進して行く可能性は、充分に考えうるのではないだろうか。
現在のロシアでは、一般の国民に対して、プーチン政権が、自身にとって都合の悪い情報が流れないように、暴力(軍や警察)を使って情報統制している。
つまり、現在、ロシアの人々は、プーチン政権にとって有利な情報にしかアクセスできない状態にある。
これは、プーチン大統領が、自己にとって都合の悪い情報については、“ニセ情報”として扱い、その情報を流した者については厳しく罰するという法律を制定したからである。
したがって、ロシア国外で起こっている出来事についても、プーチン政権にとって都合の良い情報しか流れてこないであろうことは、容易に予測可能であろう。
プーチン政権の横暴が加速化し、ウクライナにおいて無差別殺戮が繰り広げられて行く中、それを他人事としなかった世界中の人たちが、少しずつではあるが、動き始めているのは言うまでもない。
例えば、アノニマスは、ウクライナに於ける本当の出来事をロシアの人々に伝えるべく奮起し、ロシア国営放送をハッキングし、電波ジャックを試みたようである。
プーチン政権の暴走を止める為には、ロシアの人々に真実を伝え、彼ら自らが立ち上がってこそと考えたからであろう。
そして、それが止まらなければ、やがては自分たちにも何某かの影響があろうことは容易に想像できたからではないだろうか。
見て見ぬふりをしていれば、明日は我が身なのだという危機感が、アノニマスを動かしたのかも知れない。
しかし、そのアノニマスの働きが、はたしてロシアの人々を統制から解放する上で、充分機能しただろうか。
否、それだけではない。
このままアノニマスの行動を頼みにし、或いは何もせず傍観をし続け、ロシアの人々に真実を伝える確率を上げる方法をまったく考えずして、我々、非暴力の民主主義者が日々やり過ごして行くことが、はたして、我々自身にとっても得策なのだろうか。
ロシアの人々に、より多くの真実を(とりわけ、プーチン政権にとって不都合な真実を)得られる確率を上げ、勇気を持って立ち上がったロシアの人々を私たちも心から応援しているのだと彼らに伝える方法が、もっと他には無いものか。
と、我々、外野の非暴力の民主主義者こそ、考える必要があるのではないだろうか。
ロシアの軍事侵攻に限らず、或る国がそのような事態に陥ってしまった時、我々一般の非暴力の民主主義者に、はたしていったい何が出来るのか、今こそ、この機会に、皆さんと共に考えてみたい。
ただし、断っておくが、これは飽く迄も、一素人の思考実験の一つに過ぎず、妄想の域を超えない可能性も否定出来ないため、例え、これを目にした読者の皆さんの誰かが、この記述をもとに実際に行動に移し、自身に何らかの被害が及んでしまったとしても、筆者は一切の責任を負えないので、その点は悪しからず御理解いただきたい。
(我ながら、なんて酷い言い訳なんだw恥ず)
さて、非暴力の民主主義者が取れるであろう考えられる方法の一つとして、風船爆弾作戦が挙げられる。
風船爆弾といっても、非暴力の民主主義者が打ち上げるとするならば、そこに搭載すべきものは無論、危険物や爆発物や細菌・ウイルスなど、人の命を奪うものでは無く、真実の情報を詰め込んだメディアや通信可能な情報端末や無線機などであろう。
──これについては、既に御存知の方もおられるだろう。
つい最近、韓国から、情報統制されている北朝鮮へ向けて、拉致被害者家族会や自由北朝鮮運動連合などの民間団体が中心となって何度か打ち上げ、実際、北朝鮮に届いた実績がある。
当時、風船には水素ガスなどを用い、そこに搭載したものは、真実の情報を記した印刷物(チラシ・ビラなど)が中心であった。
因みに、この風船爆弾作戦、もともとの発祥は、太平洋戦争中の旧日本軍だそうで、当時、米国へ向けて爆発物を載せて打ち上げたものの、その殆どが失敗に終わったのだとか。何とも皮肉である──
例えば、ヨーロッパ大陸の風向きを計算して、ヨーロッパ全土からロシア国内に向けて風船を打ち上げるというのも結構だが、現代では、かなりの長距離で、正確な位置にドローンを飛ばすことが技術的にも可能となっている。
(軍事面に詳しい方なら、レーダーに掛からないドローンが開発されていることも御存知なのではないか。)
そのドローンに、真実の情報を詰め込んだメディア(USBメモリやSDカードなど)、そして、ロシア政府の介入をもすり抜け自由に通信のできるSIMカード、もしくは、衛星回線を使用した情報端末(ノートパソコン、タブレット端末、スマートフォン、携帯電話)や無線機などを搭載し、勇気を持って反戦を訴え続けているロシアの有志たちに、或いは、プーチン政権に何某かの疑問を抱いている人々に向けて飛ばすのである。
特に、SIMカードや情報端末については、ハード面ではAppleやGoogleなどを始めとする端末そのものの販売・取り扱いをしている企業の物質的な支援が、ソフト面では、アノニマスなどを始めとするハッキングの技術的な支援が必要になろう。
そこに流す真実の情報については、国境なき記者団やWikiLeaksなどが中心となるのだろうか。
いずれにしても、非暴力の民主主義者こそが立ち上がり、それぞれ得意な分野で互いに協力し合い、時には企業の助けをも借りて、プーチン政権下で孤立したロシアの人々に向けて、少しでも多くの真実を伝え、我々が共に連帯していることを伝え、ロシアのみならず、統制されている他の地域でも、権力によって苦しい思いをしている人々に向けて、何らかの形で展開できないだろうか?
非暴力で。
キズナアイが引退すると聞いたときに最初に思ったのは「はぁ?」って感じだった
ワンピースでいうなら、グランドライン半ばでルフィが「俺、船降りるわ」っていうようなものだったから。
キズナアイはVTuberの先頭ではなかったと思う。単純に数字で見ても瞬間風速と一番長い活動歴で築いたチャンネル登録者数以外、動画の平均視聴数や配信の同時接続数は他のVTuberに劣るからね。
それでも"バーチャルな存在"としての格は間違いなくトップで、ここにキズナアイの功績があると思ってる。
日本でVTuberが大流行し始めたのは2017年冬。キズナアイの切り抜きがバズると、すぐさま数少ない同様の形態である電脳少女シロやミライアカリ(あとばあちゃるとか)が注目を集めた。その後は雨後の筍のように様々な個性的なVが登場して、毎週のように現れる新人Vを特集する切り抜きが作られ、その中に輝夜月やときのそらがいた。人の言葉を話すバラエティに富んだバーチャルな存在が次々と出てきて、異世界の動物園で見たことない動物を見ていく時のような不思議な感覚で凄くおもしろかった。
年が明けてしばらくすると二次元アバターを利用した生配信中心スタイルのにじさんじが活動を始めた。これは2回目の大流行といってもいいくらい衝撃で、ここでVの進化経路というかスタイルが分化した感じがする。
にじさんじ登場後はVTuberのスタイルが動画勢、配信勢というような区別がされたけど、この区別はあんまり好きじゃない。Vtuberに限らずインターネット上に実名とは違う名前、容姿で活動するものに大きく2通りあると思ってる。
①現実とは一切関係がなく、インターネット上にのみ存在するもの
②インターネット上に存在するために3Dモデルや2Dアバター、ニックネームを利用するもの
①はまさにキズナアイが特に強く推し進めた概念で、徹底的なロールプレイ(※ひたすらキズナアイに徹すること(例:食べ物食べたことない))と何よりも説得力のある柔軟に動く3Dモデルによってもたらされた。
一方で、②はにじさんじを始めとして今現在のVTuberの多くがこちらに分類される。”バーチャルな存在”じゃなきゃいけなかったわけではなくて、ネットで活動するためにこれが適していたからこうした形式を選んでいるというタイプ。
最初の流行直後の無数のVTuberは①が多かったけど、生放送中心のVTuberが登場すると、一気に風向きは①→②へと遷移していき、アイドル部が隆盛を極める頃にはキズナアイやミライアカリといった①のVは相当キツくて、唯一ゲーム部プロジェクトだけが成功していた。
VTuberの人気が増していく一方で低迷が続くキズナアイは、いくつかの炎上もあった後、ただの「インテリジェントなスーパーAI」だけでなく、「VTuberの親分」としての自身を強烈にプッシュする方向に進んだ感じがする。具体的には数字的には劣るものの、「VTuberの親分」としての看板と共に今の大人気VTuber(多くが②に当たる)とのコラボを沢山するようになったのだ。
そうしてある程度「VTuberの親分」に恥じない立場といって良いくらいには人気が回復した矢先の引退発表だった。
俺はキズナアイが生み出したネット上にだけ存在する生物のような、現実と隔絶された存在の仕方に魅力を感じている。今でも銀河アリスだったりおうまゆうのように①のタイプのVTuberは居て、自分が知らないだけで3Dモデルを利用してインターネット上だけの存在として活動(存在)している人はVRchatとかにいると思う。
キズナアイは「VTuberの親分」としてライブを終え、大勢のVTuberとそのファンがキズナアイを送り出す言葉を書く。その中に「あなたがいなければ今のVTuberは全員いなかった」みたいな書き込みがあった。それは嘘でしょ、と思った。今のVTuberの本流は②のタイプで、これはキズナアイというよりかは月ノ美兎とかのおかげだから。キズナアイがいなきゃありえなかったVTuberっていうのは昔のミソシタや春日部つくしのような存在なんじゃないか。
①の象徴のキズナアイを別にキズナアイの文脈じゃない人たちが多くを占める中で感謝と拍手で送る感じ。これがなんか歪で嫌だった。
上がってたエントリも読んだ。
結構なことでしょ。Vの価値はインターネット上っていう仮想空間だけに”存在”することにあるんだから。Vは既存のIP(漫画、ゲーム、絵、アート、映像、本)の一つなんかじゃなくて、存在の方法が新しかったから衝撃的で魅力的なんだよ。キズナアイが後世に残ろうとも残らなくてもどうでもよくて、ただ存在し続けてくれることが大事だったんだよ。
というかこのエントリはなんか鼻に付くな。なんでVTuberに中の人を見るのか。お前はアニメとかもいちいち声優気にするタイプか。昔アニメの声優がテレビに出ているのを見て物凄く失望した覚えがある。画面の中であれだけ活き活きと生きているキャラクターは私たちが演じてましたよつっておばさんおじさんが出てきて。アニメやゲームのように、人が幻想と分かっていても本気で入り込むものに急に現実を結びつけるのは大嫌いだ。現実に空想・ファンタジーが入り込む余地がどんどん失われて、現実に現実しかなくなるから。そういうものと離されているからこそVは素敵なのに。インターネットの中だけで存在できるから幸せなのに。
話が逸れた。要するにここまで書いたけど幼稚園児の駄々こねみたいなもので、言いたいことは
キズナアイが生み出した”バーチャルな存在”としての存在方法が魅力的で、これが確かな権威をもつ前にその先駆けであるキズナアイ自体が下りてしまうのが悔しいってこと。
人々をVに駆り立てたゴールド・ロジャーであり、自身がVであるルフィみたいな存在が下りられたら困っちゃうってこと。色々な黎明期のVが辞めてったけど、まだキズナアイがいるから、みたいな最後の一枚岩的な期待を勝手にしていた。
つい最近ホロライブで契約解除になったライバーがいた。そのキャラクターは死んだけど、いわゆる中の人はすぐに自分のyoutubeアカウントを作成した。その人にとってはVだろうが自分自身だろうがどっちでもよかったのだ。この瞬間、"バーチャルな存在”だったそのキャラクターは、中の人がインターネットで活動するための道具・手段だったことになってしまった。元々②よりのVTuberなので最初からVのキャラクターは手段だったかもしれないけど、このとき、明確に。
VTuberと密接な関係のある3DモデルにもNFTみたいな少しきな臭い利益を求める思想みたいなものが入ってきてるように思える。さっき挙げたミソシタとかは今はNFTにドップリだ。
俺が"バーチャルな存在”にすごく夢を抱いていた一方で、その文化が少しずつ思ってたものと変わっていく。そうした中で、キズナアイだけは変わらないものの象徴というか柱だった。
だからそんなキズナアイが引退することは”バーチャルな、バーチャルだけに存在する”という概念が潰えてしまうことも結びつくし、それに追従して生まれた幾千もの個人的Virtualな存在にとってなんか絶望的だ。