はてなキーワード: 脆弱とは
その「影響のある無しで規制の可否を決めよう」ってのが、もう、ダメダメだとおもうんだよね。
例えば殺人の統計で言えば、事件の過半数が血縁に絡んだものなわけだから、「血縁からの影響」が一番大きいのは明らかでしょ。フィクションなんかよりも、親とか、兄弟とか、一緒に住んでる人から人格に受ける影響のほうが全然大きい。事実、児童相手の性犯罪でも加害者の大半は親などの血縁関係であって、エロ漫画の存在よりも子供を育てるほうがよほどリスクだ。でもそれらを禁止なんて話は出ないし、まあ実際規制は無理でしょ?
そう考えるとフィクションを規制しようってのは、「殴りやすい相手なんで殴る」でしかないのよ。意地悪なこと言っちゃえば、子供に悪影響なんで書店からエロを追放しろなんて言うのは、子供の教育に失敗したか失敗に怯える親が、責任転嫁の生贄を求めてるにすぎない。子供が性犯罪者になったら、それはフィクションの影響であるよりも親の影響である蓋然性のほうが何百倍も高いわけだからね。
でもまあ、今んトコロ人類社会は、親が子供を運で育てないと、持続可能じゃないわけで、親という存在を殴ると社会が脆弱になる(少子化という形でもうそうなっている)。だから親という存在は殴れない。んでもって、溜まった鬱憤が殴り返してこない賤業であるところのフィクション生産者に向かってる、と。河原者をなぶってガス抜きしていた時代と大差ないんだね。
リクシルの瀬戸社長の退陣騒動や、けものフレンズのたつき解任騒動。ひょっとしたらランドロイドもこのシナリオを考えてるのではないかと危惧したりするが、、、、。
この裏に見えるのは、「なんかすごい成果を立てたし、伸びそうだけど、導入期の中心となった人間を追い出してもうまくいくのではないか?」という考え。
日本のサラリーマンの仕事は上から割り振られる。かつ、属人性をなくして、だれでもできるようにしていく。それがゆえにルールで大量に縛るという形になる。
ただし、新しいものを作るのには向かない。新しいものというのは大量の試行錯誤の積み重ね。
まあ、言ってみればPDCAなんだが、Pが重すぎて書類量産のPDCAじゃなくて、各々の頭の中で小さなフィードバックを大量にしていくもの。内心PDCAと呼ぼう。
表に出ないし出さないから、実際やってるかやってないかは他人からはわかりづらい。ただ、成果が出れば成果が出るだけ。
内心PDCAをやってるのは、自分に裁量があり、多少のミス程度では飛ばされない環境があって、当人が行動した後冷静にフィードバックできる人間特性を身に着けた人間。冷静にならんとチェック、アクトはできないからな。
一方、サラリーマン社会でも大企業であればそれなりに優秀だと思える。あるいは創業者社長の子供のボンボンでも優秀だと思える。
サラリーマン社会は組織で動く。ゆえに、ルールと汎用化されたマニュアルで統率する。でも現状維持で成果は出せる。ミスをしないでもうまくいくからミスする覚悟ができていない。よって何かあってもフィードバックができない。
導入期、成長期、成熟期、衰退期とあって、ルールと汎用化マニュアルでうまくいくのはある程度商品が成熟期になってから。その前はやってと修正が必要。
ただし、成長期を担当した人間が成果を出した人間だといわれるから、成果を誇りたいという人間は成長期を担当したがる。
導入期が終わってさあ成長期だ。というところで、導入期を担当していた人間を追い出す。成長期もまだ色々変える必要があるから内心PDCAをやらんとならん。だけど、行動もフィードバックもできず、導入期のノウハウもないサラリーマンがやる。
調子が良くなってきたから行動すればいいだけと考えるが、そこには導入期でやってきた人間のノウハウはない。
で、成長期は途中で崩壊する。
うまくいきそうだからここからの手柄は俺がもらうとやってもさ、うまくいかんよ。
まあ、導入期をガリガリやるやつなんて、周りへの忖度ほぼなしで商品にガンガン挑んで、自分の立場も脆弱な「弱い奴」だから、忖度で組織基盤を持ってる自分なら簡単に奪えて成果を出せると考えてるのだろうがな。
私は現役東大生だが、
「現役東大生だが、上野千鶴子の祝辞はゴミだと思う」(https://anond.hatelabo.jp/20190413114026)に反論を試みたいと思う。
ここには上野氏の祝辞(https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html)がほとんど引用されていないので、論旨が追いづらいかも知れないが、読んでくださる諸氏にはご容赦願いたい。
以下、引用中略は[……]、上野からの引用は「」、上記はてなからの引用は四角い枠と “ ” 、私自身の強調は[]で示した。
↑ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?
この後に述べられている通り、「医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、何らかの説明が要る」。そして平均としては確かに1程度である(女子は医学部にだけ特別に入りにくい)ので、他の大学より遥かにマシだとはいえ、このデータには読み解くべき何かがあることになる。
↑ここまでの話をまとめると、私立大医学部ではどうやら不正な入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等な入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大の医学部の問題[……]で、東大の入学式の祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?
東大は(権利問題として)特権的な学府ではなく、他の最高学府と並列の、ただの[大学]だ(事実問題は置いておいて)。だから、他の大学の話は、東京大学という固有名において確かにそれだけ関係が薄いし、しかし大学であるという点において強く関係している。他の大学との交渉も避けられない状況、そして例の不正が、入学試験という、どの[大学]にもある制度に於いて発生した不正である、ということに鑑みると、やはり他大入試の不正は無関係であるとは言えないだろう。
↑ここ統計データを示せよ。なんで女子が差別されてる話は具体的な数字出しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字出さないんだよ。
これは、追記
(https://anond.hatelabo.jp/20190414151912)
により推察されているとおりだと思う。
女子学生の偏差値のほうが上だというのは、東京大学の受験者を母集団とした時の偏差値のことで、偏差値の正規分布に性差はないというのは、母集団を全体とした時の話である。そのくらい、現役東大生なら読み取りましょう。
大学進学率の男女差の原因分析は、統計一本では不可能だ。たしかに、その差が統計的に有意かどうか示されていないのは穴かも知れない。原因が性差別によるものだということも、根拠は示されていないのもそのとおりだ。だが、それは先にも指摘したように統計のみによる分析ではない。他の統計やフィールドワーク、社会学的な先行研究などを踏まえて、より厳密な研究において慎重に示されたものだろう。それが省略されたものだと読むのが適切だろうと思う。
まあ、なにか根拠を示して欲しいとは思うが、そこは論文を読めということを世論に誘導しているのだろう()。
そう……彼女はここに於いてことごとく結論を省いているのだ。それを私が補うこともできようが、それは実に恥ずかしいのでしない。とにかく、その空隙はみな、彼女の策略だと読むことができる。……できる、というのが曲者であり重要で、テクスト読解における著者の意味論的意図をどう扱うかという問題に繋がるのだが、とりあえずここでは、そのように[読める]ということはそのような解釈を受け入れて良いと言うことでもあると述べておこう。
↑てか普通に考えたら 第一:女子は安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ
ここは正直、言っていることがよくわからない。第一及び第三を原因として第ニは導き出される、ということを言いたいのだろうか?それを指摘すれば丁寧だったかも知れないが、特に指摘する必要はない。
ここで示されているのは、①女子は安全志向(ゆえ男子と比べ偏差値的の高い人が東大を受験する)、②女性比率が二割以下であり、偏差値の高低に性差はないため、男子と比べ(略)、③女子は男子より四年生大学進学率が低く、大学受験自体への逆風がある、ということだ。追記にある、③への疑問はもっともで検証は必要かも知れないが、大学進学をdiscourageする気風がある中で尚、東大進学を果たす人の集団がそうでない人の集団に比べ優秀であると推測するのはそう不自然なことではない。
東大の「1.03」という数字に不正の影を見るかどうかはわからないが、少なくとも医学部に女性を入れにくくする何か(不正に限らず)が働いている、と疑いを抱く読み解きはおかしなものではないだろう。
↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。
確かに論理的にはそこからそれは導き出せないが、これは論理的な筋を追う文章ではなく、レトリックとして、別の事例に於いてしかし同様の自体が起こっていることに結びつけ、全体の帰結を引き出している、ある種の帰納的な修辞だ。繰り返すように、これは論文ではなく演説である。
↑どうやって?
確かに画一化。まあしかし東大男子が全体の傾向として異性にアトラクティヴなものとして映るというのは間違いではないように思う。
男子大学生は東大生であることに誇りを持っていることは傾向として否定できないと思いますけどね。
統計的傾向は個人を説明し切ることが出来ないが、かと言ってそれ自体を否定できるものではない。
そもそもここでの画一化は突然ではない。初めから、男女という、大きな別々の傾向性を持つ、二つの、緩やかな集団の話をしている。
〜同様のため中略。極めて不毛。〜
↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ[……]が正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。
[どのように]見られているか明確に言わない、というのはやはり演説的(というか普通の意味で)レトリックであろう。文学に於いて、全てゴテゴテ説明したら品がないし衝撃を薄めてしまうのと同じかと思われる。
高学歴男性批判なのだから、『彼女は頭が悪いから』における見方に一定の価値を置いていることは明白であるし、“性への圧”をかけていることを批判しているのだから、その抑圧的な側の“性への圧”になるのは当然だ。“圧”をかけねば批判できないのだから。
↑男子サークルって書き方からして完全に男子を悪者にしてるけど他大学の女子が競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能性だってあるだろ。性差別か?お?
そのような事例は、全体の傾向からして少数派であると判断したからだろうという反論と、他大女子がそのような行動をしているというのならば、やはり女子は勉強が出来ると魅力が減るという偏見の存在を証明することになるという反論の二つが想定できる。
原因ではなく、東大に於いて性差別が存在していることを、別の形での表出を例示することで補足的に示している。
“時代性が交絡するようなデータ”というのが何を指しているのかよくわからないが(学部などの学内女性比率のデータと、学部長などに女性が極めて少ない上東大総長に女性がいないことを示すデータ、という2つがあることか、それぞれのデータが何年度の調査であるのか示されていないということなのではないかと思う)、両者は比較されていないので、双方共に有効なデータであれば問題なし。
これも文意がうまく取れなかった。
上野氏の話の内容が“祝辞で喋る”のにふさわしいかどうか、というのであれば、個人のスタンスによると思うので割愛。私の意見を結論だけ言えば、全く問題ないと思う。……少しは気の毒と思うけれど。素朴な親御さんにとっては。
↑これ普通に気になるな
気になりますよね。
闘ってきた、ということは事実の記述。恵まれた環境がそれを支えてきたかどうかとは別の問題。もちろん、その闘争も、努力のみならず、阻害しない環境が最低限整っていたというのは間違いないと思う。
不正入試だけではなく、大学における女性差別という[がんばってもそれが公正に報われない社会]がある、という話。
加えて、それでも、努力が[東大合格]という結果に対しての最低限、報われる環境という必要条件を満たしていたことは、観測選択効果により論理的に明らかである。
↑これはまあそういう意見もあるよね。
そうですね。
↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?
第一ブラックホールの観測は、恵まれない人々を貶めない。むしろ間接的にではあれ勇気を与えることもあろう(嫉妬深いポスドクを苦しめるかも知れないが……)。
この言葉は決して、能力の使途範囲を積極的に規定しようとするものではない。「弱者」を貶めるために使うな、と言っているのだ。そうしなければ、差し当たり何に使っても構わない。「弱者」を助けるため[だけ]に使えなどとは言っていない。
そして、ここは確かに難しいところだが、社会的「強者」である東大生が持つ、大きなリソースが「弱者」に分配されれば、社会状況は良い方向へと一歩進むだろう。そのためにも、その力を「弱者」のために使ってほしいと、[お願い]しているのだ。命令でも、べき論でもない。これは[自由意志]に訴えるしかないのだから。
結局東大生に弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?
おそらく全ての人は、あるところに於いて「強者」であるとともに、また別のところでは「弱者」である。絶大な権力を持つ政治家は社会関係の多くの場面で「強者」だが、病院に行けば脆弱な身体を医者に晒しているかも知れない。東大女性だって、社会通念に於いてはそれが負の属性であるかもしれないが、知性を持つという事実に於いて「強者」でもある。「弱者」というのはここでは女性という属性のことだけではない。みなが持ち、みなが足蹴にする可能性のあるものだ。
↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?
[「弱者」である]ということは差別を受けるということと等価ではないだろう、当然。分かるよね?
……付言するなら、「弱者」である自己を否定否認して「強者」に成り上がることだけがこの社会に生きる唯一の道だというなら、それは極めて殺伐とした恐ろしい世界だということだ。相対的に見て、ある能力に乏しい存在であるということは、[悪]を意味しない。そもそも、能力の優劣自体も、極めて価値論的な事態なのだから。
総評として、全称記号と任意記号の恣意的な混同によってデータを自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。
はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点からの評価のつもりでも、科学の世界を脅かすありふれた権威主義の愚か者の集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。
統計的根拠を一々述べ立てるアジなんざ、アジとしての役割を果たすわけないのだ。全称命題と存在命題とを断りなく混在させているのは事実だが、どれがどちらかというのはきちんと読み解けば理解できるものだし、そこで意味されている内容も至極真っ当なものばかりだ。根拠が常に明示されているということが学問の第一条件ではないし(科学的方法論に於いては絶対かも知れないが、それでも初めは根拠の見当たらないところから探求はスタートするのである)、目の前に立っている人間がいつも親切に根拠を示してくれると思うなら、それは歩行器に頼り切って自分は歩けると錯覚してしまっている憐れな赤ん坊でしかないだろう(そんな自意識的な赤ん坊はいないけれど)。
それに、学問的営為が実践と不可分であるような領野などいくらでもある。工学は社会実装を常に見据えてあるだろうし、医学や看護学や臨床心理学などは常に目の前に他人がいて、それにどう働きかけるかという視点がなければ成立しない。クローズドスキルだけでは学問は成り立たない。倫理学者が、平気で己の立てた操に反しているならば、それこそ非倫理的だろう。厳密にいうならば、程度の差こそあれすべての学問は日常に接続しているはずなのだ。そもそも、このスピーチは学問的に水準以上の盤石さの上に成り立っているものだと思われるわけだし。
権威主義を警戒する姿勢は全く健全なものであるが、目先の手触りのザラツキに神経を逆撫でされて走り出してしまうのはいただけない。きちんとテクストを読み解いてから、非難に当たるべきだろう。そのようなあり方こそが学問的な……という以前に、真摯な姿勢による対応だと思われる。
知り合いがこぞって就活日記を書くのに刺激され、某もしてみむとてするなり。目的としては2つあって、こんな感じ。といっても1つ目が主なのだけれど。
・来月から社会人になるので、これ以上頭がおかしくなる前に自分が何故選んだのかを残しておきたかった
まずパーソナル.自分は2019卒、4年生大学の情報系学部所属の男。高校時代がクソだったので、大学は地元では知名度があるかも、というレベルのところ。プログラミングとかするサークルに所属しているが、義務とかがあるわけでもないので所属しているだけに近い。プログラミングは楽しいけどゲームしてる方が楽しい。
どこに就職したいとか、社会に出て何がしたいとか。そんなものは何もなかった。ただ周りが先に行く焦燥感と学費を借りた親族への罪悪感に追われて就職を考えていた。サークルの優秀な同期が進路を拓いている中ずっと腐っており、おこぼれで逆求人という就活イベントに参加したのが1月である。逆求人というのは、学生が企業の人事やエンジニアに自身をプレゼンするイベント。
自分は能力も容姿も明朗さもなかったが、サークルでみんなやってたような活動を「それっぽく」プレゼンしたらそれなりに良い評価を受けた。後から思うと地元で他の学生のレベルが低かったのも大きかったんだろう。名前を聞いたことあるような企業とも会って、一次選考免除とかの話をもらって調子に乗った。
2月はそのイベント後に面談や選考もらった企業と面談したりして過ごしていた。といっても明確なビジョンが何もないため、空っぽの「それっぽい」ビジョンを喋ってポイント稼ぎしていたというのが正しい。この時の企業の1つはそのまま選考が進んで内々定をもらった。また、業界で名が通っている企業が地元に有ったので応募したのもこの頃。就活中で自分からアクションを起こしたのはこれが最初で最後だった。
3月。というか2月末くらいから調子に乗って応募した選考のお祈りが届き始める。ここで身の丈を知る。業界でもトップに近いような企業に応募していたが、当然のごとく及ばなかった。脆弱な心はボロボロになったが、それに勝る焦燥感や無職になることへの恐怖で就活を続ける。この後2,3回ほど似たようなイベントに参加して、益体のない「それっぽい」アピールを続けていた。似たような流れでそこそこの企業数社から内々定をもらう。失礼極まりない話だが、自分の「それっぽさ」で騙される人は一定以上いたと思う。選考による数重のフィルターの内穴が重なって通過してしまった。
5月ごろ、その中の一社に内定承諾を返した。数社から内々定をもらっていて、その中にはかなり名の知れた企業も含まれていた。最終的には、待遇とか業務で触る技術に興味があるとかそういった点で決定した。相手にかけるであろう迷惑なんかは考えられなかった。これで就活が終了した。
全体として、偶々今はIT系の学生が待遇良いので上手く時流に引っかかって就職もできた。幸運だっただけ。能力ではなく「ぽさ」で騙して就職してしまっているし、来月から先に劣等感と能力差が顕出して鬱か何かで壊れるだろう。本当にクソな人間だなと思う。早期に内々定をくれた企業には迷惑をかけたし申し訳ない。それ以上に騙す形で無価値な人材を採用させた内定承諾先に迷惑をかけているわけだけど。
無理やりオチをつけるなら、今の新卒就活では「それっぽさ」を上手く演出できればそこそこの企業への就職はかなり容易と感じる。400万/年くらいなら軽く狙える。トップ企業でもない限りホワイトボードコーディングみたいな試験はないし、コードテストは大学の貧弱なプログラミング授業レベルの問題が過半だった。選考でも特定の技術分野について深く聞かれる機会はほとんどない。ただ、何かしらの能力がないとゴミ。自分はゴミだった。
脆弱すぎるだろ。
昔から、他愛のないコミュニケーションをするのが一番つらかった。
そこまで内向的な方ではなかったので、ある程度の話題作りはできて特にコミュニケーションを始めるのに苦労したことはありません。会話もよく続くし、皆で笑い会える会話はできる方だと思います。
そういうコミュニケーションを続けていくうちに、段々とお互い気兼ねなく発言できるようになっていきますよね。僕が一番苦手なのはその段階からです。仲の良い友達になってくるとお互いに遠慮がなくなり、多少棘のあるような発言や煽り、イジりなどが出てくると思います。
学生時代に所属していたテニス部で、部内戦で負けて気持ちが落ち込んでいたときに、その時信頼していた友人から、おそらく励ましだったと思うのですが「あそこであんなミスするとは思わなかったわ笑」と言われたことがありました。きっかけ、とまで言うのは言いすぎだと思いますが僕が人間不信気味の傾向を作るのに十分なシチュエーションだったと思います。それ以来、その友人とはあまり気兼ねなく話すことは出来ていません。
大学でスノボーに初めて行ったとき、周りの皆はある程度滑れる人たちだったので僕はある程度外れた初心者用のところでゆっくり一人で練習していました。お昼に合流したとき、面白い動画を撮ったと言ってそれを見せてくれたのですが、それはたどたどしい木の葉で初心者コースをなんとか滑り降りている僕を撮った動画でした。コースの脇にそれてしまって、深い雪から抜け出そうとするも中々抜け出せない姿までしっかり撮影されていました。スノボーにはもう二度と行きたくなくなりました。帰ってからもう行きたくないと話すと友人たちはとても不思議そうな顔で「なんで?」と聞いてきたのが印象的でした。
最近だと、皆でスマブラ(ストック3)をやっているときに僕がちょっとしたミスをしてやられたことがありましたが、その時悔しくてしばらく黙っていたら「おい〇〇〜どうした?たかがゲームでメンタル弱すぎ笑」と言われたことがありました。負けて落ち込んでいる僕をイジって場を盛り上げようとしたのでしょう。ですが、僕はその発言はどうしても無理でした。スマブラの後にご飯を食べに行こうと誘われましたが断りました。その日は食事が喉を通りませんでした。
僕はこの手の発言が全て悪意から来ているものではないとはっきり理解しています。当たり前ですが、この友人たちは悪気もなく発言しているでしょうし、当然今回題材に取り上げたテニスもスノボーもスマブラもたまたまです。
ですが、僕はどうしてもこの、煽りというかイジりというかその手のコミュニケーションがどうしても無理に感じるときがあります。どんなコミュニケーションが取られるべきだったのかわかりませんが、僕をイジって笑いを取るその一瞬はいつも時間がスローになり心臓が締め付けられます。
そんなふうに感じている僕自身、煽ったり弄ったりしたことがまったくなかったかと言われると言い切れません。人並みに、”場を盛り上げ”たり"励ます"ために煽ったりイジったりをしていると思います。そう自覚してしまうと僕は僕自身が許せません。
でも同時に、仲良くなってきたらそういうコミュニケーションにもなるだろうとも思っていて、その程度のコミュニケーションにも耐えられない自分があまりにも脆弱だし、自分は脆弱なのに誰かとのコミュニケーションでは平気で煽っている。なんて自分はひどいダブルスタンダードを持った人間なのだろう。そう思います。
煽ったりイジったりするのやめてくれと訴えて被害者面をしている僕自身が、誰かを多分傷つけていてそれに気付いていないふりをしている。じゃあもうどうしたらいいのだろう。そう思いながら今日もなんとか人間をやっています。
なるほど、そういった逃げ方もありますね...
記事 A と記事 B どちらが検索意図に適っているかわからなければ、
ドメインを元に優劣をつけるというなら分かるのですが
いままでの被リンクを捨ててまでも
ドメインを移行するという意思決定を下したのが、正直信じられません。
Googleはウェブを安全にするために「URLをなくすべき」と考えて いるそうです。
これはもちろん、人間のためで、検索エンジンやその他の機械が読み取るためのもの施策ないし方針でもないことは承知しています。
あまりにも SEO に脆弱すぎるのではないかという気がしてなりません。
それはちょうど、もう WELQ 問題と同じようなことが起こらなければ良いやくらいの意図を
持って Google Japan は動いているのではないかという気がしてならないのです。
しかし 検索が行われるたびに Google のブランドを傷つけていることを考えれば、
これはあまりにナンセンスな意思決定と言わざるを得ないのではないかと感じます。
洋3Dアニメも含むぜひ皆に観て欲しい私が大好きなアニメ作品10選 同じ20代女でも全然違うもんですね
配信情報についても雑に書いていきますが網羅的ではないし現時点でのお話です。
私は作画というかキャラデザの面でクロウカード編とさくらカード編及びその映画2作(1998-2000年に制作されたもの)が好きです。
2018年になってから制作された完全新作続編クリアカード編は、キャラデザ以外は前作と同じ人が担当しています。
ひょんなことから関西弁のぬいぐるみに魔法のカードたちの回収をさせられることになった超いい子、木之本さくらのお話です。
この世で一番好きな人に恋をする(多分)という世界観であり、同性が恋愛対象だろうが異性が恋愛対象だろうが作中の人物は全く気にすることがありません。良さポイント。
特記事項として、漫画原作者CLAMPのシナリオ担当者がそのままアニメの脚本も書いています(序盤は専門脚本家と共同でやっていたが以降は一人で脚本担当)。原作とアニメで細かな設定の違いはありますが、本筋に大きくかかわる改変はなく、安心です。
人間の情、料理の楽しさ、木之本さくらに人生変えられてしまう人々、毎回服が変わるバンクなどアニメーションのすばらしさ、どれをとっても「愛」です。
カードキャプターさくらさくらカード編の最終話の続きが2000年公開の「劇場版カードキャプターさくら 封印されたカード」です。
TVシリーズ最終話だけ見てこちらを観てない方、封印されたカードこそがシリーズの最終話ですので、観てください。最高なのは私が保証します。苺鈴もいるよ!!
dアニメストア、dアニメストア for Prime Video、U-NEXTで観れます。
身体が宝石でできている性別も寿命も無いヒト型生命体たちは、メンバーの交代はありつつ20人くらいで数千年?ずーーーーっとずーーーーっとひたすらふわふわ楽しく互いを愛して生きていた。
月からは彼らを攫いに来る物言わぬ得体の知れない生命体が断続的にやってきて、そいつらに捕まった宝石生命体はひとりとして帰ってきたことはない。
生まれてから300年くらい無職だったやたら身体が脆弱で頭もお天気なフォスフォフィライトは、やっと定職を任されることになったが、この職、明らかにつまんなそうで…
空気感が奇跡的に美しい。音楽と映像、キャラデザ、配色、構図、そして声優の上手さ、すべてが噛み合ってとてつもない「美」に圧倒されます。
からの物語はなかなかの生き地獄。私の推しは主人公です!我慢できなくて原作読みました。楽しーい!
ピクサーの名作。正しく「全年齢向け」であり、子供も楽しいが大人も泣ける。これはライトニング・マックイーンという一人のレーサーの人生の話です。
1を観てない人は運がいいです、この名作を一から楽しめるなんて羨ましいです。人生を見てくれ。
カーズクロスロードは邦題ではよくわからないがカーズ3で、カーズ三部作の最終編です。
カーズ1か1と2だけ見て3を観てない人多いのでは。もちろん2もいいんですけどね。
特にカーズ1が好きだった人はぜっっっっっっったいに3を観てください!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
1がマックイーンが他人の人生に気付く話だったとすれば、3はマックイーンがレーサーとしての現役生活の終盤に差し掛かり、ベテランとして苦悩するなかで、「あの人はあの時どう思っていたんだろう」「自分はあの時何を感じていたのだろう」と周りと己の人生を振り返りながら、自分の行き先を決めるお話です。自分の使い道は、自分で決めるんです。その苦さ、辛さ、楽しさ、怖さ。人生なんですよ。人生です。よろしくお願いします。
Youtube、アマゾンプライムビデオで字幕・吹替ともにレンタル1作300-500円。
ドリームワークスの名作。ドリームワークスの中の人によると、「ディズニーは子供と、大人の中にある子供心に向けて映画を作るが、ドリームワークスは大人と、子供の中にある大人心に向けて映画を作る」だそうです。
絶海の孤島で暮らすバイキング達。彼らの日常とはすなわち、村を襲うドラゴンとの戦いである。
ある者は手を、ある者は脚を失いながらも勇敢にドラゴンどもと闘うバイキングたち。
その伝説的な豪傑族長の息子に生まれながら身体が育たずひょろガリで、いつまでたっても半人前以下のお荷物扱いされていたヒックはある日、一匹の傷ついたドラゴンと「出会う」。
最初っから最後まで全くダレずに豪速で駆け抜ける、友情、努力、勝利のちょっぴりビターなド王道ストーリー。中盤の飛翔シーンは何度観ても鳥肌ものです。あと猫好きは絶対にめちゃくちゃ萌えるから是非。名作です。
Youtube、アマゾンプライムビデオで字幕・吹替ともにレンタル1作400円。
同じくドリームワークス。
カンフーが世の秩序を守っている古代アニマル中国。パンダのポーは世を守るカンフー軍団の一員である。
この世界、ヒトはいなくて動物だけがいるズートピア的な人種(動物種?)構成なんですが、なぜかパンダはポー1匹しかいません。しかもポーのお父さんは鳥。そんな中、ポーはある悪夢を観ます。なんだろう。なんだろうね?というお話です。
1を観てから観るとより面白いですが(あとシーフーが可愛いことが分かる)、2をお勧めするのは映像美が常軌を逸しているからです。全カット構図と配色がキマり過ぎている。全部壁紙にしたい。おかしい。クジャク元年おめでとうございますからの溶鉱炉準備のシーンは音楽と映像の噛み合いが異常で毎回鳥肌立ちます。
アジア人として中国の建物や服装なんかに全然違和感を感じないな凄いなと思っていたんですが、スタッフは実際に中国に何年も暮らしてから製作したんだそうです。どおりで。
あと声優が面白くて、同僚のトラの声がアンジェリーナ・ジョリー、同僚のサルの声がジャッキー・チェンです。
2の悪役のエロ孔雀の声はゲイリー・オールドマン。ウィンストンチャーチルとかハリポタのシリウスブラックの人です。エロいよー
なおエロ悪役孔雀の日本語吹き替え版声優は藤原啓治さんです。こっちも最高なので吹替版・字幕版お好きなほうをどうぞ。
最高に面白い漫画を最高のアニメ化をした最高のアニメ。現在Ⅱ期が絶賛放送中です。
とある地方都市で暮らす、顔も運動神経もいまいち以下な中学2年生影山茂夫、通称「モブ」。
異常な超能力を持ちながらも、超能力を「必要ないもの」と考え、「モブ」のまま頑張ろうとする彼だが、社会の底へと彼を引きずりこもうとする人々は後を絶たず…というお話です。
社会の底で商売をしている怪しい三十路、霊幻新隆をモブは師匠と呼んでいるのですが、この三十路男が本当にいい。どうしようもないまともな大人なんですよね。
原作の漫画家はワンパンマンの人です。ワンパンマンは一発ネタが超人気になって長編作品になったものですが、こちらは最初からひとつの長編作品として話を練ったものです。面白くないわけがないんだな。
ONEさんの独特な絵の良さを崩すことなく、分かりやすいところだと人物の影のフチをぼかすなど画作りにハチャメチャこだわり、当然お話も超面白い。声優もがっちり最高です。
社会の底で生きる人々と、中学カーストの底で生きる等身大の思春期少年の人生のお話です。私の説明が上手くないんですけど本当に本当に面白いです。
配信情報は公式サイトからどうぞ。 http://mobpsycho100.com/
これをまだ観たことない人は幸運です、ネタバレを全力で回避しながら最後まで駆け抜けてください。私は3日で全部観た。
愛する人たちの為、なりふり構わず持てる力と策略を駆使して世界を変えようとする男、ルルーシュは、果たして渇望した未来にたどり着くことができるのか。
これを観た人類はルルーシュという男を愛さずにはいられません。
あと普段全くロボ萌えできない私ですが紅蓮弐式は血が煮えたぎってしまいましたね。
かの有名な涼宮ハルヒシリーズの最高傑作とうたわれる「涼宮ハルヒの消失」を劇場版アニメ化したもの。
TVの涼宮ハルヒシリーズを観るか、原作の涼宮ハルヒの憂鬱、溜息、退屈の三作を読んでから観てください。大丈夫です面白いのですぐ全部観れます。笹の葉ラプソディは必須。
ある朝キョンが目覚めると、涼宮ハルヒが消えていた。部室には長門しかいない。しかも感情を持たないヒューマノイドインターフェースであったはずの長門有希は普通の引っ込み思案な女子高生になっており、キョンを文学部に勧誘する。とっても照れ屋(!)な彼女をとっかかりにして状況を把握しようと七転八倒するキョンであったが…
ストーリーが本当に面白いし長門は可愛いしキョンは頑張るしビターだし優しいし…本当に好きです。
関係ないけど私の最推しは佐々木なんですよ!!!!!!!!!3期を見るまでは死なないぞ、谷川流だって生きているんだ。なんとかおねがいしますどうにかしてください金なら払うから
TVシリーズ、消失ともにU-NEXTとNetflixで観れます。
同名の原作漫画をアニメ化したもの。最近実写ドラマ化もされましたね。まだ観れてませんが。
元ヤクザのパッパラパー、人呼んで「与太郎」は、斜陽の落語界最後の重鎮、八代目有楽亭八雲に弟子入りする。白髪の爺さんになるまで弟子をとってこなかった八雲は、斜陽の落語と「心中する」と言ってはばからない。彼がこうなったわけとは?その彼がなぜ今になって突然、弟子をとったのか?
八雲を石田彰、その盟友にして天才落語家助六を山寺宏一、そして与太郎を関智一が担当し、ガチガチの落語をガチで演じます。凄まじい。一度でいいから観てください。
特に石田彰さんは10代の八雲(当時は菊之助)から80代?の最晩年の八雲までを一人で演じており、人生の年輪を見事に重ねていくその演技たるやもう人間国宝です。
アマゾンプライム会員ならタダで観れます。NetflixとU-NEXTでも観れます。
英語圏の日本アニメオタクが作った洋3Dアニメ、少女が変形武器の大鎌振り回してでっかい銃弾ぶっ放す。最高。
グリムという魔物がうようよしている世界で、グリムを狩るハンター養成学校に通う少年少女たち。恋に友情に喧嘩に仲直りに戦闘!戦闘!戦闘!の楽しく実践的な学生生活を送っていますが、元々不穏な世界が急速にヤバくなってきたみたいで…?
よくMMDと勘違いされますが全く別のPoserというソフトで作られています。
この世界は完全男女平等で、強さも男女で違いはありません。最新シーズンでは普通に子持ちのレズビアン夫婦も出てきました。
フリフリスカートを趣味で着てる人間がけっこういるんですが、スカートの中身は見えない仕様です。かわいい猫耳もいますよ。
シーズン1のころはお金がなさ過ぎてモブが黒塗りだったりしたんですが、親しみやすい世界観と3Ⅾアクション製作の天才による超かっこいい戦闘シーンなどにより支持を得、シーズンを重ねるごとに目に見えて資金が増えて作画の解像度が上がっていきます。現在シーズン6(volume6)が新規配信中。
https://www.youtube.com/watch?v=pYW2GmHB5xs
これ見て好きだったら間違いないです観てください。
2017年から日本語吹き替え版を、カットしまくりですが劇場放映とかTV放送とかするようになりました。
今まではyoutubeで公式動画を日本語字幕つきで観れていたんですが、なんかワーナージャパンが日本語化権ごと配信権を買い取ったとかで?日本からのアクセスが不可になった上に公式サイトの動画も日本語訳がつかなくなってしまいました。なんでそういうことしちゃうかなあ。ワーナーのRWBY公式サイトの配信情報も軒並みリンク切れです。本気?
youtubeでシーズン1と2の日本語吹き替え版を各500円で観れることが分かりましたが、あとは円盤しか手段がないのか?英語できる人は製作会社Rooster teethの公式サイトで観てください。
番外
人形劇です。しかしたかが人形劇と侮ることなかれ、台湾の布袋劇という、ギンギラ煌びやかなでっかい人形を使う伝統的かつ現代的で本国では大人気の人形劇に虚淵さんが惚れこみ、脚本虚淵玄、製作台湾で作られている中華異世界バトルファンタジーです。一風変わったバディ物。「はてさて、友だから手を借りるのか、手を借りてしまったから友なのか?」
なにしろ人形なので絶対に作画が崩れない。しかも人形の動かし方とかカメラワークとか人形そのもののクオリティとかが超絶技巧すぎて人形であることを秒で忘れます。
各キャラがそのカッコよさを表す漢詩を持っており、キメ場面ではイケメン風がビュービュー吹きながら漢詩(台湾発音のガチ中国語)が流れるという。
あと音声は日本語だし声優は日本人です。本国ではどうなってるのかな。伝統的には一人で全キャラ声あてるんだそうですが。
おすすめです。
(私が好きそうな作品に心当たりありましたら教えてください。日本のでも海外のでもなんでもいいです。特に洋2Ⅾアニメ全然知らないのでそれもご存知の方いたらぜひ。)
まとまらない走り書き
マトモな飼育も出来ず、する気も感じられない。
研究をしている風でもなく、値札のついていないペットショップと何が違うのか。
娯楽というが、苦しむ動物をただ見て楽しむとは、なんて高尚な趣味をお持ちなんだろうね。
嫌がる動物にべたべた触って嫌がらせするのが楽しみとは、なんて素敵な趣味なんだろうね。
情操教育なんて言うけれど、劣悪な環境でボロッボロの動物を叩き起こして驚かせて得られる情操って何なんだろうね。
確かに動物園という施設には、見世物としての要素はあるし、娯楽でもある。
だけど同時に、人類の環境破壊に対応するための必要悪としての施設でもある……脆弱になった生息基盤のために、域外保全によるバックアップや生態研究は必要であるし、そのための資金を得るには市民の協力が不可欠であるから。
また市民の理解を促し親しみを持ってもらうことも必要であるから。
幾らかのショープログラムも、動物生来の機能の発露であったり、飼育改善に関するものや生態理解に繋がるものであるべきであり、そのようになってきている。サーカスとは違う。
確かに動物園という施設は、いくつかの団体が言うように悪い施設ではある……けれど、その悪の根源は人類社会そのものにあって、動物園というのはただその悪を引き受けているに過ぎない。
動物たちの生息地を取り戻すために、都市を全て破壊して草原や森林とし、港湾を破壊して干潟とし、田畑を破壊して沼沢地とし、そうしてもはや支えきれなくなった人口をばっさり間引く…というようなことを志すならば、確かに動物園そのものを悪といえるだろうけれども。
ところが、そのようでない、むしろ人類悪を拡張したようなものが動物園と呼ばれていたりする。
それは、同じ動物園と呼ばれてはいるけれど、実態としては他の動物園とは全く違うおぞましい何かだ。
大昔のコロシアムだとかのような、捨て去ったはずの暗黒のマントを身にまとった、邪悪ななにかだ。
その昔に娯楽を優先した時代があるのは確かだけれど、今は変わってきており、反省すべき過去だ……その過去の亡霊に未だに大手を振らせてていいものだろうか。