はてなキーワード: 立場とは
「政治家の表情」について「ルッキズム」だと批判するのは小学生レベル。
ちゃんと学校の授業を聞いていれば高校生ぐらいからは「政治家の表情ってのはその人の売っていきたいセルフブランディングの戦略なんだよね」ってことが理解できるようになるでしょ。
つまり、小池が「親しみやすい雰囲気のオバちゃん」を目指していて、蓮舫が「女だてらにクールビューティー」を目指しているっていうイメージ戦略の違いの戦いなんだよ。
そしてまさしくイメージ戦略だけで戦いに来たのが石丸なわけで、今回の選挙は「政治家は自分のキャラクターイメージを売り歩くアイドルのような商売」ってことがまさしく描かれていたと思うんだけどな。
逆に言っちゃうと、この選挙を見た直後に「政治家が纏っている空気」が「意図的に演出したイメージ戦略」ではなく「本人の生来の性格そのもの」だと思っているなら、それはあまりにも何も見えてなさすぎると思う。
政治のことも分かってないだろうし、それ以前に人間関係自体がまともに構築できなさそう。
ちょっと考えて欲しいんだけどさ、中学校ぐらいからはイケてる子は自分のキャラを演出していくようになるでしょ?
あれに対して「自分を偽って格好つけても虚しいだけだぜ!」って漫画の主人公なんかは批判するけど、ああいうことが出来ないと社会で上手く生きていくのは難しいよ。
「誠実であるかのように振る舞う」とか「怒らせちゃいけなそうに振る舞う」とかそういうのが社会ではどうしても必要になるんだよね。
人間が猿から進化しきれてないとかの話じゃなくて、本当に人間として社会で生きていくにおける「生存戦略」として大事なことなんだよ。
いわゆる「どういう立ち位置で振る舞っていくかに一貫性を持たせていくか」っていう話なんだよね。
クラスの冴えない人達の中にも本気出したら上位カーストに入れるのにあえて「冴えない感じのキャラ」を売っている人がいるでしょ?
ああいうのって要するに自分の趣味趣向や生き方の都合に合わせて自分のブランドを変えていってるわけよね。
そういう人がふと「冴えている人がやるようなこと」をすると、なんかクラスの中で「え?お前はどっちの方向性を目指してるの?」みたいな変な空気になるでしょ?
自分のスタンスを一貫させないと周りが困るっていうのはこういうこと。
「スタンスに押し込めて他人を単純化するなんて愛がねえぜ!」みたいなのは漫画やドラマの主人公の定番の決め台詞だけどさ、たかが40人程度のクラスメート、100人程度の同学年だって全員に平等に愛を持って接するとか不可能に近いわけよ。
部活の知り合いやネットの知り合いまで含めれば200人や300人へ平気で膨れ上がる対人関係、ある程度単純化していかないとやっていけないわけ。
そういう中で適当にやっていくと変なレッテルを貼られるリスクもあるし、いつまでも単純化されない人は「よく分からない奴」ってことで最も信頼できない部類として扱われたりする。
前もってそれを防ぐためにも、「私はこういうキャラですよ」って自分で自分にレッテルを貼っていくわけよ。
「俺はクールビューティーを目指そうとして失敗しているズッコケキモオタで行くぜ!」みたいなキャラであっても、そういうキャラとして一貫しているなら周りからすれば「おいおいアイツまた格好つけてかえってダサすぎてウケるぜ」みたいな感じで受け入れられるチャンスが広がるわけ。
学校なんかだと元の自分とあまりに違うキャラを演じるのはしんどいから、結局みんな元々の人格からちょっとステレオタイプに寄せただけになるけど、これがアイドルや政治家になると全然変わるわけよ。
悪者俳優で食ってる人が私生活ではめっちゃいい人だとか、超陽気な芸人ほど普段はすっげー暗い性格でいつもブツブツ言いながらネタ探ししてるとか、そういうの聞くっしょ?
まあ概ね「誠実」「誰かのため」「正義」あたりは一緒だけど、何において誠実なのかや、どういう正義を貫きたいのかは変わるわけよね。
石丸は「ロジカルな分析に対して誠実であろうとした結果、現代に蔓延る政治屋やマスゴミをシニカルにぶった切るのが私の正義なのです」みたいに振る舞ってますよね?
今は割とロジカルキャラが人気の時代だから結構皆似通ってるけど「理論が大事なんですか!人の心、地域社会への和、故郷への貢献、優しさこそが大事です!理屈ばかり並べる人達と違って私には赤い血が流れている!」みたいな感じで振る舞う人もまだまだいますよね。
こういうのって本当にその人がそういう人なのかと完全に一致してないんですよね。
まあ石丸の場合なんかは「自分ではそう思ってるけど……」みたいな感じのズレ方な気はしますけどね。
そういう勘違いパターンも含めて振る舞おうとしてるキャラと本当の自分が一緒じゃない政治家は結構いるわけです。
つまり、蓮舫・小池が私生活でどういう人なのかとか生まれつきどういう人なのかって話じゃないんですよ今してるのは。
今してるのはあくまで「どういうイメージで売っていく人が有利だったのかな?」という話なんですよね。
まあ元増田は最初から「小池みたいなのが絶対有利だよね!石丸も蓮舫も下手くそだね!」と決めつけてからスタートしちゃってますけど、これはちょっと違うと思いますね。
石丸も蓮舫もああいう「自分が上であり相手が下というのを印象付けるために、優位な立場の人が愚かな人をなだめるかのような笑い方」を戦略的にやっているんだと思います。
まあそれが結果的に今回は敗北につながってしまったのは事実かも知れないんですが、二人ともそれによって結果を出したことはあるんですよね。
今回の都知事選においても、現職と同じ土俵に上るのを避けて別の路線を選んだ可能性は高いと思います。
どうにしろ、これはルッキズムという「顔の作りがいいと印象が良くなる」という話ではなく、「どういうブランディングをしているのかを伝える手段として表情は重要だよね」という話なんですよね。
そこが理解できてなかった人、貴方の人生を上手くいかせるためにもこれはちゃんと考えたほうがいいですよ?
貴方が周りの人にどういう印象を与えたいのかをコントロールする意味においても、他人がどういうキャラで行こうとしているのかを俯瞰的な立場から「あーそういうキャラでやりたいのね」と冷静に分析するためにもです。
東京都知事戦を経て、今日もインターネット上では盛んな政治議論が行われているが、それらにはさほど意味もないだろうというのが私の基本的なスタンスです。
結論から言うと、対立の立場で表面的な評価を下し合うことにどのくらい意味があるのかということです。
さらに言えば我々は、今ある意思決定システムの正しさを検討する段階に来ていると思います。
意味がないというニヒリズムを主張したいわけではなく、それが世界を良くする議論であるのか、いや無かろうということです。
政治家の方々の著書を見ると、さまざまな思想及び意見が書かれている。
残念ながら、それらが選挙戦で取り上げられることは少なく感じる。テレビで放映されるのは、選挙戦のあり方や党会派がどちらに味方するのか。
その方の思想や在り方を検討するような番組は少ない。仮にあったとしても、議論の意思決定過程まで話が及ぶことはなく、表面的でキャッチーな言葉が繰り返されるあるいは、そうした言葉に真意を揉み消されてしまうように思います。
私は石丸伸二氏については、特に支持するような立場ではありませんが、思うことはあります。
彼の著書には、政治について考える国民が増えて欲しいと言う主張がされています。これが彼のメインの主張だと私は考えています。
そのための彼のキャラクター戦略、インターネット戦略およびメッセージ性のあるキーワードによる選挙戦が行われたと思います。
しかしながら、彼のやり方では残念ながら何も変化を及ぼさないでしょう。
彼のメッセージは確かに届くかもしれません。政治についてもっと考えようという。しかし、現在のやり方では表面的な評価をする有権者を増やすだけでしょう。悪い言い方をすれば、考えているつもりになった人々を増やすだけでしょう。もちろん真剣に考えている人もいるでしょう、むしろそう言った人は多いと思っています。しかしニュースやテレビ上で広がる政治論は、そうではない。
人間を判断するのに確かに人間性を評価することは必要でしょう。嘘を頻繁につく人の意見は信用できない、間違ってはないでしょう。
本来、必要な議論はその政治政策がどうあるべきかということでしょう。嘘つきはいけないが、議論がそれるのはもっといけない。
もっと言えば私の意見は、政治政策の正しさや失敗はその環境によるものだと思っています。
時代が変われば失敗も成功と見られることはある、逆も然りです。一つの窓から見ても正解はわからない。
更に言えば必要なのは、政治を権威づけるシステムの変化の議論だと私は考えています。型が無ければ人は正しくあることができない。しかし型の正しさも、その型の構造の内部に居てはわからない。構造の形を把握する努力をして初めて、政治について考えることができるのではないでしょうか。
私はもともと物理学徒のため、振り子を例にすれば、振り子を揺らしても元の位置に戻る。それが今日の政治議論です。振り子が吊られている系ごと動かさなければ、振り子の位置は変わりません。釣り合いの位置は変わらないからです。
その意見も理解できる部分があるけど、逆に元増田の内容もあまり新鮮さや独自性が感じられないかもしれない。それに対してテンプレ反論というのは、ただ指摘するだけでなく、その内容に対する深い洞察や具体的な反例が少ないことが多い。たしかに「中身のない返し」だと感じるかもしれないが、その背後には意図的な拒絶や異論がある可能性も考慮すべきだと思う。
さらに言えば、議論や反論というのは、相手の意見を理解し、その上で自分の立場を明確に伝えることが大事。それができていない場合、中身がないと感じるのも自然な流れかもしれないね。最終的には、どういう内容が中身があるかどうかの基準も個々人で異なるし、その点も踏まえた上で話を進めるのが良いかもしれない。
・まず前提として、他者の心は私の心ではないから、他者理解はどこまで行っても推測の域を出ない。同じリンゴを見ても、私の感じている赤さと増田の感じている赤さが同じとは限らない。その意味で他者を本当に理解することは「無理」。
・ただし、仮にその推測を「理解」と呼ぶとするなら、理解を深めるすべはあって、
"ある程度似通った性質の人間同士で偶々上手くいってるだけなんじゃね"
"相手が忍耐をしていて何も言わないとかで相手を理解してるつもりになってるだけなんでは"
コミュニケーションに巧みな人は、ただ観察しても埒があかない場合、こちらから相手に仕掛けて、その仕掛けに対する相手の反応を観て理解を深め、また仕掛けて…と繰り返すことで、相手への理解をさらに深めていく。
少子化対策に一夫多妻制という話が出てきたので、いろいろ考えてみた。
一言で一夫多妻制といっても、子供をどうやって育てるかによってパターンが違うと思う。大まかに分類するとこの3つ
1. 人口が減り助け合いが必要な時代において妻妾同居制はある意味理想的だと思う。原始時代ってそんなだったのかもね。猿山みたいな感じで。しかし人間には独占欲とか嫉妬心とか我が子びいきとかそういうものがある以上むちゃくちゃ泥沼になるのは目に見えてる。そもそもの価値観自体を塗り替える必要があるし無理があるのでは。核戦争の後なら実現できそう。
2. は、まあ割とスタンダードなパターンだし、これが時間差で発生しているのが現状かとも思う。しかし、妾の立場になりたい人ってそんなにいないよね。「愛人に子供ができたから離婚してくれ」という決まり文句が成立する程度に養育には父親が必要というのが常識であり、お金はわけられるけど父親はわけられない。最初から自分のほうは父親不在であることがわかってて産む人はレアだと思う。
3. これ、子供をどの程度夫に関与させるかでもめるやつなので、結婚制度解体したほうが早そう。女系の血のつながりだけで家族が規定されるイメージ。男に生まれたら一律に自分の子供を持つことはできないという点である意味平等。女の子が生まれれば家は存続できるし、女の子が生まれなかったらどこかから養子にもらわない限りはその家は断絶する。 すべての子供に平等に父親不在が確定してたら、さほど惨めでもない気がする。養育費用は人頭税とってそれを母親と祖母に還元するだけだからシンプル。
やっぱり夫婦揃って子供を育てる=幸せって幻想があるから、それを解体しないと難しいだろうね。
個人的には親の権利と義務を両方減らすのがいいんじゃないかと思ってるんだよね
やばくなったらすぐ児相が子供を取り上げるかわりに、子供が変に育っても親は悪くないという風潮にする。
もし犯罪者になっても「子ガチャ外れたねー」みたいな感じで、タコ部屋みたいなとこに送ればノーカウント、親子の縁が切れるシステムにしてほしい。
婚姻制度をなくす=多妻多夫だよね。親子関係の規定が「誰から生まれたか」だけになるのはシンプルだし、ベーシックインカムと組み合わせたら養育費とかも不要になるからいいよね
そのかわりむちゃくちゃな税率になると思うし、女と縁がない男が荒れて犯罪率は上がりそう。多産多死っぽいデザインになれば少子化自体は改善されるけど。
上手く行ってる場合でも同じような教育を受けてきて同じような思考をしてるか、相手が忍耐をしていて何も言わないとかで相手を理解してるつもりになってるだけなんでは。
本当にヤバいのは立民支持のリベラルインフルエンサーたちじゃないぞ
だってこいつらはそれこそ何年も前からヤバい発言と思想を振りまいていたことは周知の事実なんだからな
なにもある日急にヤバい奴になったわけでは決してない
本当にヤバいのは周りから散々指摘をされながらもそれを都合良く無視もしくは陰謀論者扱いしてきた有象無象の支持者たちだ
ここにもしれっと鞍替えしてるネームドがちらほらといるが過去の発言は変わらないからな
なんならインフルエンサーたちはべつにキチっててもいいんだよ
そういう芸風で売ってるようなもんなんだから
でもそれに群がった奴らは違うだろ
意味も必要もないただの木っ端が強い言葉を使うのとではヤバさの度合いが違う
蓮舫を落としたところで狂った支持者共は残るぞ
なんでなん?教えて
岸田内閣の支持率は低下の一途をたどり、内閣支持率がここまで下がったのは野田内閣(民主党。安倍元首相に政権を奪われた)まで遡る(https://honkawa2.sakura.ne.jp/5236a.html)
一時期、立憲民主党の支持率は維新と逆転することが多かったが、維新の自滅により野党第一党の立場は盤石になってきた。
昨今の全国の国政・地方選挙でも政権交代の期待を大きくさせる結果が多い。
これは選挙戦術としてごく自然なことだ。せっかくの政権批判票を分散させてしまっては勝てるものも勝てない。
だが、それは選挙運動を一体化して行うこととは断じて別なはずだ。
今回の都知事選でも顕著だが、共産党やそれに近い勝手連的な人が選挙戦に加わり、コントロール不能となってしまった。
蓮舫さんの知名度を活用して資金集めをしたり(共産党)、勝手連が好き勝手な主張を始めたり(一人演説で蓮舫さんの主張と全然違うこと言い出したり、小池知事の演説を妨害したり、Rシール貼ったり)、蓮舫さん自身も歌って踊って一般層をドン引きさせたりと、今回の選挙戦は内輪の結束にはなったかもしれないが、無党派・一般層への訴求という意味では失敗だったと言う他ない。
次期衆院選に向けて、コアな支持者以外からの得票を求めていかなければならない。
簡単にできることではないだろうが、ほぼ確実に効果があるのは以下だろう。
これなら連合も協力してくれる。
共産党と一体となった選挙戦などしなくても、共産党支持者の多くは立憲民主党に投票してくれる以上、共産党とセットでの選挙運動なんて百害あって一利もない。
選挙運動に必要なことは、候補者の魅力を地道に伝え、また政権批判をするにしても多数派から支持を得られるような内容・体裁でやる必要がある。
その場合、運動員や支援者は可能な限り黒衣に徹する方が良い。独自色を出して候補者に批判が及ぶ可能性も高い。
そして、今回の都知事選で明らかになったように今の立憲民主党に近づいてくる支援者は黒衣に徹せられない人が多数なようだ。
いや黒衣になれるなら別に切り捨てなくてもいいと思うけどね
自分たち側の立場で書かれた記事が無ければ、「マスコミの忖度」「自民党の圧力」とかいうのはいつもの事じゃん。
・サヨク記者が書いた記事を賞賛 ←内容は見ずに書いた人間で判断
「ヤギと大悟」っていう旅番組に出てたモロコシっていう子ヤギが1歳の若さで亡くなってしまったことが知らされた
番組の公式アカウントでは特に死因とかは触れられてなかったんだけど
そのニュース記事を見て「やましいことがあるから死因を隠すんだろう」 「番組で連れ回して雑な扱いをしたせいでジッペイみたいに殺したんじゃないか」 「テレ東、あんな子ヤギに何をしたんだ!!モロコシが可哀想!!」ってキレてる人がいた
でもこの番組って、とにかくヤギファーストを掲げててヤギの行きたい方向に行くしヤギが食べ飽きて動かなくなったらそこで収録ストップにしてて
人気のある番組だったけどヤギの負担を考えてか4か月くらい前からレギュラー放送するのもやめたんだよね
モロコシが亡くなったのはその間の出来事でテレビ局は何も関係ない時期
どうして亡くなったのか分からないけど生き物なんだから病気にかかったり何か事故が起きたりして死ぬこともそりゃあるだろう
死因を伏せたのは牧場に余計なヘイトが向かないようにっていう配慮だろう
なのに、番組がレギュラー放送をやめたことも知らないような人たちが番組のファン代表ぶって番組を責め立てる
よく知りもしないのに、にわかである立場を表明せずに「義憤に駆られてます!!」って行動をとる人たち
「何が真理であるかは人それぞれ」「何が真理であるかは社会が決める」といった思想。
この思想体系は相対主義や社会構築主義と呼ばれ、現代社会において特に顕著になっている。その主な理由は以下:
1. 情報化社会の進展:
さまざまな考え方や情報に容易にアクセスできる現代社会では、「絶対的な真理などない」という考えに陥りやすくなっている。多様な価値観や文化に触れることで、真理の相対性を感じやすくなっている。
2. 思考停止の誘因:
「人それぞれ」という考え方は、一見柔軟で視野の広い思考のように見えるが、実際には真理を追求する意欲を失わせ、思考停止に陥らせる。これにより、深く考えることを放棄し、安易に相対主義的な立場を取る傾向が強まっている。
多数決を重視する民主主義社会では、個々の価値観や信念が尊重される。しかし、これが行き過ぎると、絶対的な正しさを追求する姿勢が弱まり、相対主義的な考え方が広まりやすくなる。
近代の機械的な思考様式は、物事を単純化して捉える傾向がある。これにより、精神的・道徳的な価値の相対化が進み、真理の絶対性を疑問視する風潮が強まっている。
5. 娯楽文化の浸透:
現代社会では娯楽が生活の重要な一部となっている。これにより、単一の真理や価値観に縛られない多元的な生き方が受け入れられやすくなっている。
ヤスパースなどの哲学者が提唱した実存的真理の概念は、真理が個人の存在と不可分であるという考えを広めた。これにより、「私の真理」という個人主義的な真理観が強まっている]。
この相対主義的な考え方が堕落に繋がる具体的な例としては、以下のようなものが挙げられる:
「人それぞれだから」という考えが、深く考えることを放棄させ、適当な判断や行動を正当化してしまう。例えば、重要な社会問題に対して「考え方は人それぞれだから」と言って議論を避け、自分の責任を放棄してしまうケースがある。
民主主義社会では、多様な意見をぶつけ合って議論することが重要。しかし、「正しさは人それぞれ」という考えが強まると、建設的な議論が行われず、投票が単なる好き嫌いの表明になってしまう可能性がある。
「文化に善悪はない」という極端な文化相対主義は、人権侵害や差別的慣習を正当化する口実になりかねない。例えば、精神障害者の権利が制限されている社会で「それが文化だから」と言って批判を避けることは、弱者の立場を無視することにつながる。
「真理は相対的」という考えが極端になると、客観的な事実や科学的知見の重要性が軽視され、学問や科学の発展が妨げられる可能性がある。
5. 個人主義の行き過ぎ:
これについて、野田は裏切り者、味方を後ろから撃つ卑怯者っていつものメンツが騒いでるけど、
お前らみたいなのに乗せられて暴走した蓮舫の為に100人の議員が在籍している立憲民主を危機にさらす訳にはいかんだろ。
いくら今は離党して落選したただ無職とは言え、「立憲出身の蓮舫」のイメージがすぐ消える訳でもなし、
蓮舫が暴れれば暴れる程、立憲が来るし立場に追い込まれるんだから組織の維持を考えれば、そんなことを言う奴らごと切り離しは必要だよ。
> 過去10年間で、私を左派から右派へと押し上げたいくつかの重要な出来事がありました🧵
ヒラリー 2016
バイデン2020
トランプ2024
次の 10 の例を調べて、それを詳しく見てみましょう。
https://x.com/wildbarestepf/status/1812590490916925626
MeToo運動が熱を帯びてきた。アジズ・アンサリ事件は私にとって転機となった。アジズのキャリアは、最悪のデートのせいでほぼ破壊された。
MeToo運動が推進された熱狂は、しばしばニュアンスや適正手続きを欠いており、不安を募らせていた。
人間の相互作用の複雑さや、それぞれの状況の公正な評価の必要性を無視して、より広範な議題のために個人の評判を犠牲にしているように感じました。
(編注)Metoo運動、フラワーデモ運動は冤罪を発生させている。寺町東子、東京第一弁護士会はその冤罪を作り出すことを推奨し、いまだに撤回すらしていません。このように性犯罪、セクハラ、DVは寺町東子のような弁護士の金儲けの手段となっているのです。性犯罪被害者団体もいまだに撤回していない以上その正体は性犯罪被害者団体ではなく人権ビジネス団体です。このような団体の主張を霞が関に入れることはできないというべきでしょう。
衛星打ち上げから火星の植民地化の可能性まで、イーロンのスペースXでの取り組みは、環境保護論者や左派の規制機関からかなりの反対に直面している。
スペースXの活動に関連したアザラシや鳥類に対する抗議は、科学と探査における画期的な進歩の可能性を覆い隠しているようだ。
革新と進歩を重視する者として、イーロンのビジョンに対する左派の抵抗は逆効果で息苦しいと感じる。
左派のジェンダーアイデンティティに対する立場、特に男の子が女の子になれるという主張は、私の生物学の理解と矛盾している。
生物学を副専攻していた私は、科学的事実を無視していることに不安を感じた。
この問題は、左派が経験的証拠よりもイデオロギーを優先するというより広範なパターンを強調しており、それは科学的誠実さに対する私のコミットメントと深く共鳴した。
(編注)まず性自認などは性別と全く関係ありません。また性別は男性、女性、その他の3つしかありません。これが生物学的な結論です。これ以外は非科学的な主張であり、到底社会で受容する必要がないものです。
また、性自認などという他人から認識できないもので性別が決まるというは極めて異常です。これを差別というのは完全に差別の定義を誤っています。そしてさらに言うとならば「女性」とは何かという肝心の女性の定義がありません。
私らしくとかどうでもいいのです。まず女性とはなにか、一切答えられないのです。ジェンダーという社会のせいとか言うものは自認とは今度は関係がないのです。
新たな視点:レックス・フリードマンのポッドキャストに出演するジャレッド・クシュナー
私の政治的志向の変化は、レックス・フリードマンのポッドキャストに出演したジャレッド・クシュナーの影響をさらに受けた。
クシュナー氏がアブラハム合意について語るのを聞くことで、主流メディアではあまり報道されなかったり、誤って伝えられたりしていたトランプ政権の成果について新たな視点が得られた。
この認識により、私はこれまで精査せずに受け入れてきた物語に疑問を抱くようになった。
> 2020年にトランプ政権の仲介でアブラハム合意ができ、イスラエルは周辺の中東諸国と一気に国交回復や和解が進んだ。
ハマスの10.7のテロの理由はひとえにこれをぶち壊すことだった。
https://x.com/GruessGott2018/status/1804425221308584412
左派が「多様性、公平性、包摂性(DEI)」の取り組みを重視し、「警察予算削減」運動と相まって、目に見える反響をもたらした。
サンフランシスコのような都市では犯罪が増加しており、盗難が横行しているため、店舗の必需品が施錠されている。
これらの展開は法と秩序の崩壊を反映しており、より安全で公平なコミュニティという左派の約束と矛盾している。
イデオロギーと現実世界の結果との乖離がますます明らかになり、問題となってきた。
(編注)日本でもクルド人との衝突が発生し、また、観光できた中国人が落書きする等治安が悪化しています。にも拘わらず、警察と裁判所の予算は増えていません。公務員はどんどんやめています。これを改革と言っているのですから日本人は帆なのです。DEIはオワコンなのはこの1枚の写真ではっきりしています。もはやアメリカ人でDEIが素晴らしいなどと発言することはあり得ないでしょう。
https://x.com/bennyjohnson/status/1812487522267652129
https://x.com/MatchPoiint/status/1812488154634412117
バイデン政権の混乱したアフガニスタンからの撤退は私にとってもう一つの重要な要因だった
急いで避難したため、13人の米軍兵士が悲劇的な死を遂げ、多くのアメリカ人とアフガニスタンの同盟国が取り残された。
高官が責任を問われることなく説明責任が果たされなかったことは、無能さと人命軽視の懸念すべきレベルを浮き彫りにした。
(編注)撤退は突然でなんの準備もなく、極めてずさんでした。それを覆い隠す日米の報道で日本人が語っても意味がありません。
COVID-19パンデミックへの対応は誤った情報と高圧的な命令に満ちていた。当初は科学を信頼するように言われたが、物語は変わり続けた。
ワクチン接種義務化が課され、国民の大きな反発と分裂を招いた。
その後のワクチンの有効性と副作用に関する暴露と反対意見の抑圧は不信感を募らせるだけだった。
パンデミックへの対応は公衆衛生よりも管理に重点が置かれるようになり、私は左派からさらに遠ざかることになった
(編注)反ワクチンという表現は極めて悪質で、ここで行っているのは反mrnaワクチンということです。なお副反応は誤った単語で副作用が正確です。ここでもごまかししかしていない。
左派がアイデンティティ政治に執拗に焦点を当てていることは、ますます不快なものになってきている
政策や社会問題の主要なレンズとして人種、性別、性的指向を常に強調することは、より実質的な議論を妨げている。
これは分裂的な戦術のように思われ、団結と進歩を促進するのではなく、社会の亀裂をさらに生み出すものである。
(編注)このアイデンティティポリティクスとは、デタラメな単語です。簡単に言うとポリコレです。LGBTのいびつで不必要な優遇を日本でも押し付けられています。当事者が必要としていないのが現実です。これも公金チューチュースキームです。コロンブスの炎上のように言いがかりしかつけてこないのが現実です。そのような言いがかりをつけられる意味は全くなく、極めて不当なものです。あのような炎上は取り締まられるべきでしょう。
またこのような反差別界隈は日本も同様に人々を分裂させるだけで全く意味がありません。
ボディポジティブ運動は善意から始まったが、問題のある方向に進んでいる。
コスモポリタンのような雑誌の表紙に病的な肥満の女性を取り上げ、それを「健康的」とラベル付けすることは、公衆衛生に害を及ぼす。
この有害な物語は社会基準を変え、肥満に関連する深刻な健康リスクを無視して誤った健康感覚を助長している。
科学と事実に基づく情報を重視する人間として、医学的真実に対するこの露骨な無視は、私を左翼から遠ざけるもう一つの要因でした。
(編注)デブとブサイクを優遇するのは完全に異常です。ルッキズムとか言うのはあほです。なぜなら、健康かどうかはある程度外見に現れるからです。
バイデン大統領の最近の討論会や公の場での発言は憂慮すべきものだ。彼の頻繁な言葉のつまずき、混乱の瞬間、そして身体的な弱さは、彼が完全にコントロールできていないことを示唆している。
バイデン氏が討論会で固まり、首尾一貫した主張をするのに苦労するのを見ると、彼の能力を保証していた左派の欺瞞が強調された。
自由世界のリーダーがこのような状態にあるのを見るのは残念で恥ずかしいことだ
私の政治的進化は、一連の具体的な出来事と認識によって形作られ、左派から遠ざかってきた。
MeToo運動における個々の事件の誤った取り扱いから、左派による革新への抵抗、生物学の無視、混乱した外交政策の決定、そして彼らの政策の具体的な結果まで、これらの経験は私の視点を全体的に変えました。
より中道的または右寄りの視点を受け入れることは、常識、愛国心、そして建設的な進歩へのコミットメントへの回帰のように感じられる。
@RobertMSterling
@DavidSacks
@theallinpod
のような人や、反発にもかかわらず執拗に懸念を表明してきた他の人たちにも声を上げます。私の視点の変化はあなた方のおかげであり、私は頭をさげます。🫡
「おそらく増田ほど頭の良くない」
人気ブコメの穏健派フェミニストの方も行なっていたが、しかし、いじめられてる被害者の見えるところで加害者の肩を持つのは——…被害者側から見ると敵が増えたようにしか見えない。
私が彼を、頭の悪いインターネットぶつかりおじさんだと見る理由はこちらで解説した。
ネットで、赤の他人の性格を変えようとするのは無意味な行為だ。
とりわけ、責任のない立場にも関わらず「お前は無責任だ」「バカだ」を連呼して「クズだと自覚した方がいい」… なんていうのは昭和時代のパワハラと何ら変わらない。
昨今はカスタマーハラスメントが話題になっているけれど、いまだにハラスメントに教育効果があると思ってるなんて、とても信じられない。
——…昔も今も、ハラッサーには相手に幸せになってほしいなんて気持ちはなく、暴言で他人をコントロールしたいという痴漢と同じ支配欲のダシに一般市民を巻き込んでいるだけだ。
逆の立場になって考えれば分かるはず。赤の他人の一方的な暴言に耳を貸して自分の性格を変えようなんて思わないだろう。にも関わらずハラスメントを強行するところが、彼の バカさ or 凶悪さ の証拠だ。
最初に投稿した増田を「元増田」、それに反論した増田を「反論増田」とすると
反論増田は元増田に対してあくまで一対一の立場で元増田のコミュニケーションについて苦言を呈してるのに対して
元増田は自分の夫vs世間・一般常識という相手を世の爪弾き者とするような主張をしてるんだよ
表面的な文章の攻撃性に囚われてるみたいだけど本質としては明確に元増田の方がやばいことをやってるのがわからないのは増田の理解力が低すぎる
海自のトップである酒井海幕場が一連の不祥事で19日に引責辞任するが、会見の中で言及があった
「組織文化に大きな問題がある。不正に気付いていたにも関わらず、見て見ぬふりをする体制が一部まだ残っている 」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA125E30S4A710C2000000/
について、本当に一部なのか?という思いがあり、筆を執った。
ニュースのことを知らない人も増田を閲覧していると思うので、ここで海上自衛隊の一連の不祥事についてまとめていく
こちらのニュース動画が一連の不祥事を網羅的まとめていたので紹介する。
https://youtu.be/trZdMdzSs8w?si=JAt9pznKU4TPYBI8
適正評価未実施の隊員を特定秘密を知りえる状態に置いていることが艦艇部隊で常態化していた問題である。
特定秘密とは、「その漏えいが我が国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」を指す。
海上自衛隊でいえば、艦艇が「どんな任務をしているか」や「どこにいるのか」などの情報がある。
適正評価とは、この特定秘密を扱うに値する人間かどうかのお墨付きを与える制度だ。国籍や犯罪者歴、所得状況などをもとに総合的な判断が下される。
といった虚偽申請を行い、実際もらうべき手当よりも多く潜水手当をもらっていた問題である。
営内者や勤務上必要で指定されている隊員以外は、有料で喫食することになっている隊員食堂の食事を、申請を行わずに喫食していたという問題である。
「部下の行為を黙認しながら自分も手続きなしに飲食を繰り返していた幹部については、一階級、降任の処分が行われた」
とする報道もあるので、部隊の一部では常習的に行われていたことが伺える。
潜水艦の新造や修繕を行っている川崎重工が取引先との架空取引を原資として海自隊員に対し、金品の贈与などを行っていた問題である。
こちらについてはまだ全容が明らかになっていないが、十数億円規模の裏金が作られている模様である。
潜水艦については長年、三菱重工と川崎重工の寡占となっており、海自隊員とのコミュニケーションは密接で、癒着が起こりやすい環境であった。
「忙しい」のは当たり前だろと思われるかもしれないが、昨今の国際情勢の厳しさは増田読者の皆様にとっても多かれ少なかれ耳にしていることであろう。
米中対立の激化、地政学的に最前線に当たる海上自衛隊はその矢面に立たされている状況である。
通常任務に苛烈さが増す一方で、多国間協力を推し進めるために共同訓練も数を増している。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20240302-OYT1T50167/
一部の部隊では、通常業務ですら手一杯で、休日も問わず出勤するような有様である。
このような状態で、ガバナンス違反の疑いがあるからといって調査に乗り出すリソースがあるのだろうか。
「後ろ向き」の作業は、隊員への聞き取り、過去にさかのぼった記録の確認、調書の作成などが発生し、解決するまで長期間を要する。
通常業務と並行して取り組む必要があるため、「休めない」どころか「寝れない」事態になりかねず、問題を指摘して是正を行うような余裕は私がいた当時にはすでになかったように感じている。
自衛隊の採用のキャッチコピーは、「国家を守る、公務員」である。
https://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/details/pamphlet/r5sougouannai.pdf
任期制隊員を除き、曹以上の隊員は定年まで勤めあげることが約束されている。
人生の大半を、自衛隊で過ごすのであれば周りに波風を立てずに、公務員という立場にしがみついておく方が楽だと考えないだろうか。
また、幹部自衛官であれば、候補生学校修業後、幹部名簿をみれば自分の序列がどのくらいで、最終階級はどのくらいか目算が付き、それが覆ることはほとんどない。
だが、多くの幹部は3佐、防衛大出身者や一般大出身者であれば2佐には就くことができる。これは勤務成績はほとんどかかわらず、時期が来れば自動的に昇任するのだ。
3佐であれば、副長や航海長などや艦艇の規模が小さければ艇長を任せられる階級だ。2佐といえば、艦長の重責を担う階級である。
黙って過ごせば自動的に昇進するのに、火中の栗を拾うような真似を誰が行うのだろうか。
海上自衛隊の司令部があるのは横須賀だ。陸自・空自は東京に拠点を設けている。
東京にある司令部は、20%、15%の地域手当がつき、横須賀は10%である。
このように、自衛隊の給与ベースは、「どんな勤務」をしているかよりも「どこで勤務」をしているかの比重が大きい。
また、自衛隊は残業代が出ない。激務であろうが、それを受け入れて残業をする。
地方の基地に転勤したほうが配置によっては激務となるのに、賃金が低下するなどといったことは当たり前の状態である。
これに多少なりとも不満を思っているひとはいないだろうか(私は思ったので退職したが)
ただ批判ばかりしていては建設的でないので、お世話になった海上自衛隊にささやかながらいくつか提言をしたいと思う。
奨学金制度や募集対象年齢の拡大など、自衛隊の間口を広げようとする努力は大変結構なことだと思う。
だが、中途採用はあまり活用されていない。自衛隊の採用年齢は拡大された一方で、技術職である技術曹や技術幹部の採用枠は資格の種類や人数はあまり間口は広がっておらず、待遇も民間と同等かそれ以下である。
民間人が転身しようとなると相当な覚悟が必要な状況は変わっていない。
また、実際に退職をしようとなるとかなり大変で曹士の場合は各地方総監、幹部の場合は海上幕僚長宛ての書類作成が必要である。
また、退職を切り出すとなると引き止めもかなり長く、数時間に及ぶ面談を数回実施があったり、中には
「辞めるというなら部隊の敷居は跨がせない」
逆に言うと、そういった側面が「自衛隊でも」活躍できる人材が集まるのではなくて、「自衛隊でしか」働くことができない人材を集めてしまう一因となっているのではないだろうか。
また、自衛隊では一般の資格が多数取れる一方、それ以上に自衛隊内でしか通用しない資格が存在する。
定年を終えて、退職することには自衛隊のドメイン知識のみしか持たず、自衛隊内では高給取りであった人材が、民間では使い物にならず投棄されるような実態もそこにはある。
一定の再就職のための教育はあるが、任期満了か、定年退職者に向けたもので、依願退職者向けの物はない。また、再就職教育のカリキュラムが豊富か、世相にあったものなのかは疑問が残る。
時代のニーズに合った再就職のための教育を行うとともに、素養教育としても、民間人としても生きていけるようなカリキュラムを組むべきだ。
自衛隊を「いつ辞めても大丈夫」、「戻ってきたくなったら戻ってこい」といえるような風通しのよさが必要ではないだろうか。
理由2及び理由3で述べたが、多くの幹部は年数が立てば自動的に昇任する。これは勤務に対する意欲を削ぐ大きな原因ではないだろうか。
勤務成績もさることながら、昇任の際にはその幹部が、果たして階級に値する人間かどうか、厳しくチェックをおこなうべきではないだろうか。
上記に合わせて、この基準を満たせなかった人間には早期に次の道に進む覚悟を求めていくことも大切だ。
民間のものでエビデンスが弱いが、防衛大学校・一般大卒で3佐の年齢は中央値で35才である。
https://hyakublog.net/nennrei-kaikyuu/
3佐以下の定年を45歳程度まで早めることによって、自衛隊で腐る前に優秀な人材のまま民間に還流したほうが、日本国家のためになるのではないだろうか。
特殊な技能をもったり、慢性的に激務が予想される配置にはきちんとそれに見合った給与体系をとるべきである。
業務にかかわらず特定の地域勤務者に一律で与えるような地域手当が果たして自衛隊員の働きに報いるものなのだろうか。
艦艇部隊ならば海上が主な職場である。なぜ母基地の違いが給与に反映されるのか甚だ疑問である。
十数年間務めた古巣に関することを増田に投稿することは、塩を撒くようなことであり、大変申し訳ないと思っている。
この増田を発端に、何か議論が起こればよいし、起きなければそれまでなのだとも思っている。
海上自衛隊に必要なのは伝統墨守に偏重してきた過去の文化と決別するという強い覚悟である。
海自幹部には潮気が必要とよく言われるが、今回の一件で世間の厳しい潮風をしっかりと受けながらも倒れずにしっかりと復原し、海上自衛隊が風通しのよい組織になることを切に願っている。
そんな私が地味に困っているのが、声を出せないからコンビニのレジ横に売っているホットスナック商品が買えないという事。
私はこの店員さんにメモを見せないといけないという行為が何年経っても抵抗感があって、避ける事が出来るなら出来るだけ避けるようにしていて物事を控えている。
気にしすぎといえばそれまでかもしれないけど、店員さんに余計な手間を取らせている気がするし、
コンビニに行く度に気になりつつも、別に食べなくても死ぬ訳ではないと自分に言い聞かせて店を後にしている。
レジ袋の有無に関しては、カゴを置く所にあるマークみたいなのに指をさせば意思表示出来るのでそこは助かっています。
分かりやすくする為にタイトルにファミチキって書いたけど、昔からあるコピペネタみたいにテレパシーで伝えられたいいのになって思う。
冬場だと肉まんやおでんとか気になるけど、やはり抵抗感があるので買うのを諦めている。もう何年も食べていないね。
そういう点では一部のホットスナック商品をセルフで取ってレジに持っていくタイプの店舗は個人的に助かっています。
似たような立場の人どうしているのだろうか。私が気にしすぎなだけで普通にメモとか見せているのかな。
こういう話をする事が無いので余談も書かせてもらうと、昨今はサイゼリヤの紙に注文する品を書いて渡すだけでよかったり、
席にあるタブレットで注文出来たり、モバイルオーダー等の声を出さなくても利用出来るサービスが多くなってきたので、