・まず前提として、他者の心は私の心ではないから、他者理解はどこまで行っても推測の域を出ない。同じリンゴを見ても、私の感じている赤さと増田の感じている赤さが同じとは限らない。その意味で他者を本当に理解することは「無理」。
・ただし、仮にその推測を「理解」と呼ぶとするなら、理解を深めるすべはあって、
"ある程度似通った性質の人間同士で偶々上手くいってるだけなんじゃね"
"相手が忍耐をしていて何も言わないとかで相手を理解してるつもりになってるだけなんでは"
コミュニケーションに巧みな人は、ただ観察しても埒があかない場合、こちらから相手に仕掛けて、その仕掛けに対する相手の反応を観て理解を深め、また仕掛けて…と繰り返すことで、相手への理解をさらに深めていく。
上手く行ってる場合でも同じような教育を受けてきて同じような思考をしてるか、相手が忍耐をしていて何も言わないとかで相手を理解してるつもりになってるだけなんでは。
相手が置かれている状況と、その状況で相手が考えそうなことをよく観察・推察して、それに基づいてこちらの手を考えなさいよってことだよ。 コミュニケーションの基本にして奥義。
それは分かってるけどそれ実際には無理じゃね?って話よ。
・まず前提として、他者の心は私の心ではないから、他者理解はどこまで行っても推測の域を出ない。同じリンゴを見ても、私の感じている赤さと増田の感じている赤さが同じとは限ら...
時間をかけて相手と相手の持つ情報を把握すれば精度の高い推測ができるようになる、ってのは分かるけど 実際にはそんな時間がないことが多いし把握する段階でトラブルになってそれ...