はてなキーワード: 直ちにとは
今すぐ通帳とカードを親に預けて返済を任せろ。いいか?今すぐにだ。
↑このコメントを書いた者だが、二点追伸。
1 親に隠そうとしているが、やめておけ。依存症にありがちなのが隠すこと。隠せばまだ依存する余地が生まれるからな。立ち直りたいと思うなら隠すな。逆に言うと、ここで親に洗いざらい打ち明けられれば、これ以上の地獄は避けられる。想像してみろ。なんとなく自分でもその通りだと思うだろ?親にボーナスを預けたくない気持ちは、ボーナスでひと勝負したい気持ちの裏返しだ。
2 「ボーナスで云々」「30までに転職云々」と、将来の話でバランスを取ろうとするのも依存症あるあるだ。依存症は実績でしか話をしてはいけない。「依存症外来の予約を取った」とか行動の結果を書くべきだ。50万の枠を使い切るのは一瞬だ。今すぐ動け。今すぐとは、これを読んだら直ちに仕事を中断して電話をかけるということだ。かける先はまず親、次に依存症外来だ。健闘を祈る。
親が金を持っていたとしても、一銭たりとも肩代わりさせるんじゃないぞ。返済を管理してもらうんだ。「通帳とカードを親に預けて返済を任せろ」とはそういう意味だ。
大した価値のある文章でもないし畢氏の考えとも何の関係もないです
この件は自分で真偽や詳細を確認していないので、あまり正しい応答は出来ていないかもしれない…
支援する方がむしろ過激派の勢いを削ぐだろうという主張は上に書いた通りだ。
それから、(祭り前の畢氏を含め)大量の狂ってしまった人がフェミニズムの看板を掲げていることは間違いないが、本来のフェミニズムは別に狂った思想ではない。
あなたがそう思うのも表明するのも自由なのでしてもらって構わない。
ただ一応書いておくが作者やファンに直接言うのは品のある行いではない。
資源の無駄とか持続可能性がないとかいくらでもいちゃもんはつけられるけど
じゃあそれがアートなんですとか伝統工芸なんですとかいっても同じ調子で圧殺されちゃうのかなって思うわけ
うちの国、SDGs進めてるんでアーティストの染料とかもう作らないし売りません、みたいなね
あと、持続可能性って聞くと標準規格化みたいな話を連想しちゃってさ、凡人が天才を殺す文化の醸成に繋がりそうだよね
そんな飛躍してないと思うけどな、だってSDGsってポリティカルなコレクトネスで踏み絵を迫られちゃ、大抵はムリでしょ
まあうわべだけ取り繕って、いえいえSDGsを頑張りつつ新たな表現の模索を云々かんぬんって言えなくもないだろうけどさ
お前が直ちにこの世を去った方が環境にやさしいよねって違和感を胸に抱えながら、表向きは立派なことをしている風でずっとやっていかなきゃいけない
呪いですよこれは
なんかもう、最強のポリコレこん棒ができちゃったよね
どうすんのこれ
不要不急でなく、人類のためになることでないと存在を許されないよ
こわいねえ
https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20211127/4000015228.html <h3>o- *</h3>
この記事を読んでいると、医師会に対して疑念を抱かざる得ない。
本当にこのような発表を行なっているのか、追求するべきだと思います。
現状の書き方では、社会の分断や不理解から生じるワクチン拒否につながると思います。
そこで、考えたことを書いてみました。
私は、抗体値というものの定義を知りません。抗体値になんらかのトリックがある場合、以下の議論は成り立たないことがあるので注意してください
抗体値が中央値を下回る人が半数いたというのは、普通のことです。
中央値というのは、集団の中で抗体値が上位から半数の位置にいる抗体値のことです。
例えば、抗体値が以下のようにサンプリングできた場合を考えてみましょう。
名前 | A | B | C | D | E | F | G | H | I | J |
抗体値 | 100 | 99 | 98 | 97 | 96 | 95 | 94 | 93 | 92 | 91 |
10人の人がいるので、5番目のEさんの抗体値96がこの集団の中央値です。
ちなみに、この集団の平均値は、(100 + 99 +98+97+96+95+94+93+92+91)/10=95.5です。
中央値以下の人数は、当然5人います。これは中央値の定義から、当たり前です。
平均値以下の人数は定義から直ちに判定できません。この集団の平均値95.5よりも抗体値がひくい人数を数えることで明らかにできます。数えてみましょう。JさんIさんHさんGさんFさん。5人いました。
なので、中央値以下の人数が、採取対象者の半分いたというのは当然のことです。
もしかしたら、抗体値にばらつきがあることが知られていなかったことなのかもしれません。
このことを医師会は新発見として主張したかった可能性があるので、新発見なのかを聞くべきだと思います。
ただ、計測しても、誤差が着くはずなので、それでもばらつきがあることが新発見なのかはさらに質問して欲しいことです。
その結果、すべての人から抗体が確認されたものの、最も抗体が低いグループの値は中央値に近く、多くの人があてはまるグループに比べ10分の1程度だったことがわかったということです。
以上のように主張しているのなら、抗体値が時間変化することが明らかになったことが新発見だという結果があるはずです。ぜひそのことを記事に含めるべきです。いきなり時間変化すると書いても、前後の意味が不明になります。
広島市医師会の佐々木博会長は、「時間の経過とともに抗体の値が将来的に下がる可能性が高く、3回目の接種を受けてほしい」と述べ
これは、現状のデータでは抗体の値が下がっているので将来も、下がっていくという予想ですね?
医師会は比較的、抗体価が低い人が一定程度いることが確認できたとして、ウイルスの働きを抑える抗体が時間の経過とともに減少し、「ブレイクスルー感染」が起きる可能性があると指摘しています。
「抗体価が低い人が一定程度いることが確認できた」は当然のことのように思えます。このことはあまり大切ではないはずです。抗体値が時間経過で減少することで感染が広がる。このことから、3度目のワクチン接種を推奨すると主張したいのだと思います。
医師会は集団の中に抗体値がひくい人がいることを発表したかったのではなく、抗体値が減少していることを発見したことを主張していると思いました。抗体値の時間変化に絞って記事を書き換えた方がいいと思います。
現状の書き方では、ウイルスに対する不理解を助長すると思います。
https://news.yahoo.co.jp/articles/40a8a199ad8614aa84cb62cedbd4541cb82ff57d
2021年11月15日に、社会活動家仁藤夢乃氏がTwitterに投稿した一文をきっかけにして「温泉むすめ」というキーワードが1週間近くTwitterトレンドに乗り続けるという騒動があった。仁藤氏はたまたま温泉旅館で見かけた「温泉むすめ」キャラクターの等身大パネルを不快に感じ、公式ウェブサイトを開いて詳細を確認したところ、公式ウェブサイトの記述に性差別・性搾取表現のあることを発見したそうである。
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1460060377379602434
出張先で「温泉むすめ」のパネルを見て、なんでこんなものを置いているの😩💢と思って調べたらひどい。スカートめくりキャラ、夜這いを期待、肉感がありセクシー、ワインを飲む中学生、「癒しの看護」キャラ、セクシーな「大人の女性」に憧れる中学生など。性差別で性搾取。https://onsen-musume.jp/character/
「温泉むすめ」とは、ご当地アイドルをテーマとしたキャラクターコンテンツ企画である。ソーシャルゲームの運営は終了しているが、声優アイドルグループの方の温泉むすめは活動継続しており、キャラクターグッズも販売されている。声優アイドルのライブ活動を核としたコンテンツツーリズムという斬新さと5年間の活動実績を評価され、2021年10月29日に観光庁スポーツ庁文化庁共同開催スポーツ文化ツーリズムアワード2021で「新しい観光賞」を受賞している。https://onsen-musume.jp/
仁藤氏の投稿は140文字制限と専門用語多用のせいで意図を掴みづらい。「温泉むすめ」運営会社は未成年配慮の観点で飲酒やセクハラを推奨していると誤解される恐れのある箇所を修正したが、仁藤氏は納得いかず「性的消費・性差別・性搾取・性犯罪」という強い言葉で「温泉むすめ」を批判した。
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1460064641686536195
昨日指摘した性差別・性搾取表現や中等部の設定などをこっそり削除しているようだが、見れば見るほど男の願望を形にしたキャラクターばかり。肌の露出やはだけた制服、頬の赤らみ、胸の膨らみ、スカートに陰部がわかる不自然な影。胸が大きくても小さくても容姿も体つきも性格も趣味も性的に消費する。
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1460467598324211712
少女を性的に消費することはもちろん、スペックを書いて女の子を並べ「選べる」存在として扱うこと自体が少女をモノ化している日本社会の性差別の深刻さ、少女を支配して楽しむ人権意識の低さそのものを表している。そして現実の性差別・性搾取・性犯罪と本当に地続きの切実な問題です。
この当時、2021年9月に全国フェミニスト議員連盟が松戸警察署によるVTuber戸定梨香の起用は女性差別に当たるとして抗議したことに起因する一連の騒動により「フェミニストは社会に理不尽な要求ばかり突きつける迷惑集団」というイメージが高まっていた。当然のことながら前述の仁藤氏の投稿にも批判が殺到した。
感情的な批判が多いので具体例は挙げないが、理性的な部分だけ要約すると以下の通りである。
仁藤氏の投稿は140文字制限と専門用語多用のせいで意図を掴みづらいが、ここからは筆者なりの解釈で仁藤氏の主張を論点整理する。
つまり仁藤氏の主張は「女性の性被害を防ぐためには社会全体の人権意識を高める必要があり、そのために性差別を助長するコンテンツである温泉むすめを規制する必要がある」ということになる。
性的消費はおそらく「性的対象化(女性の尊厳を無視し女性を性的手段として扱うこと)」を指していると考えられる。いわゆる「いやらしい目で見る」という奴である。「温泉むすめ」は女をいやらしい目で見たいという男の願望を満たすことを目的としたコンテンツであり、「温泉むすめ」を介して女性の尊厳を無視する快楽に慣れたユーザーは、いずれより強い刺激を求め、現実の女性に対して性差別・性搾取・性犯罪を行うようになる、という理屈である。
もっといえば「萌え絵」と呼ばれる画風そのものが「男の願望を満たす要素のみで女性を表現する画風」なのであり、「萌え絵」を介して女性の尊厳を無視する快楽に慣れた男は、いずれより強い刺激を求め、現実の女性に対して性差別・性搾取・性犯罪を行うようになる、という理屈でもある。
仁藤氏の間違いは「大人は現実と虚構の区別がつく」という事実を無視して論理を展開していることである。犯罪映画が大ヒットしても犯罪者は増えないし、ポルノビデオが流通しても性犯罪は増えない。犯罪統計がそれを証明している。
仁藤氏の論理は破綻しているし「温泉むすめ」は性差別を助長しない。
仁藤氏の失敗は「女性にも萌え絵歓迎派がいる」という事実を見逃していることである。仁藤氏他フェミニスト諸氏にとっては「手遅れ」ということなのであろうが、女性にも萌え絵歓迎派がいる。萌え絵を好んで描く女性イラストレーターは大勢いるし、男性向けキャラクターコンテンツを好む女性消費者も大勢いる。個別の性的表現に不快感を抱く女性であっても萌え絵自体に不快感を抱くとは限らないのである。
仁藤氏が感情的に性差別を叫んでも女性全ての共感を集めることはできず、表現規制の機運が盛り上がることはない。
肌の露出や胸の強調などの個別の性的表現について、ミニスカートやノースリーブは現実の女性も普通に着用しているものであり、直ちに性的と言い切れない。どこまでが許容範囲でどこからが性的表現かは個人の主観に大きく依存するものである。仁藤氏の挙げた「スカートに陰部がわかる不自然な影」も筆者は「不自然」としか認識できず性を感じない。
多種多様な表現のどれが女性差別の肯定に該当するかについて社会的合意はまだない。「温泉むすめ」が女性差別の肯定に該当すると断じることはできない。
仁藤氏のすべきことはやはり「説明」だろう。なぜ「温泉むすめ」は性差別を助長するのか、仁藤氏は科学的裏付けの元に論理的に説明すべきである。論理的説明のできないうちは、フェミニストの目指す理想社会は到来しないと考える。
「温泉むすめ」運営にも着手して欲しいことがある。「女性に不快感を与える描写の削除」である。上段で述べたが女性にも萌え絵歓迎派がいる。今は男性ファンしかいないとしても今後必ず女性ファンは増える。ラブライブ!はアニメ化の際に大きく路線変更して女性ファンを大幅に増やした。「温泉むすめ」もいずれその日が来ると考える。
まず抑制の強いタイプの脳ということを理解してみたい.脳の機能の強弱に個人差があるのは明らかだろう.記憶力の高いもの,そうでもないものがいる.行動の抑制を担っているのは前頭前皮質だが,ここにも機能の強弱がある.抑制の強いものが直ちに鬱みたいになってしまうわけではない.他の部位も前頭前皮質に負けじとつよい活動をするため,全体としては行動に破綻は直ちには起こらない.しかし老化やストレスでバランスが崩れると,活動の強さがあだになる.前頭前皮質による抑制が外れると,常人では考えつかないような突飛な発想を行動にうつしてしまうのだ.しかも他者からの働きかけに対して抵抗してしまう.この時狂気が顔を見せる.他人の目に異常に映るようになるのだ.しかし本人にとっては以前と変わらない風景が続いている.むしろ抑制のない快適な世界でさえある.周囲のものとの一瞬の軋轢を除けば以前よりも爽快だ.一瞬の軋轢とは,クイックペイと言っているはずなのにEdyが出てきてしまうようなイベントのことだ.それすらずっと先から続いていた経験があるから違和感を抱くには至らない.どこまでも整合的に感じられる.かくして狂気を自覚することはついぞない.ではトリガーと呼ぶべきものはどこにあったのだろうか?加齢か?ストレスか?部分的にイエスだが,加齢やストレスは日々連続的に蓄積されるものであるから,トリガーという言葉の印象に合致しない.真にトリガーと呼ぶべき瞬間は,抑制の強い頭脳をもって生まれたその瞬間こそが相応しい.生まれながらに狂気を潜在的に運命づけられているのだ.ではどうすればよいのか?合法的で簡便な方法は喫煙である.脳機能を低下させることで狂気の現出を抑えられる.ただし一度に吸い過ぎると逆効果だ.カッカしてくる.あるいは規則正しい生活,早寝早起きも有効だろう.規則的な生活は万病に効くから,狂気にも対抗できる.少なくともまともな期間を延長できる.と思う.多分そうだ.あてずっぽうというか,でたらめを書いてみた.とにかく睡眠運動瞑想野菜マシマシを怠るものの末路はいつも悲惨と言われていることだけは確かだ.メリークリスマス.
同じアメリカに占領されていた地方として比較すると、フィリピンは薬物の自国での独自の治験・承認を行っていない。
アメリカで通ればノーチェック。
アメリカでいったん承認されたものの重篤な副作用で承認取り消しになった薬は複数ある。
トログリダゾンを例にとると、治験において副作用あるものの承認され要注意添え書きのもと日米英で販売開始。
治験を上回り大量に販売・使用された結果副作用が容認できないレベルであることが明らかになり、英国でまず1997販売中止。2000年米国で自主回収。その翌日日本で自主回収。
(WIKIPEDIAより)
フィリピンのことは書かれていないが、欧州(英国以外)については書かれている。
”肝障害の顕在化により、トログリタゾンは英国市場から1997年12月[6]に、米国市場から2000年3月[7]に、日本市場からその後直ちに[7]撤退した。欧州の他の国では承認されなかった。”
欧州の他の国ではトログリダゾンの重篤な副作用から国民を守ることに成功したわけ。一方、日本国民は2年と数か月間、余分に危険に晒された。
COVID19に対するmRNAワクチンに慎重であったことは一理ある。何でもアメリカ様のやる通り(生殺与奪の権を他国に握らせる)、独自に判断する、どちらを選ぶか。
共産党アレルギーは確実に減っている、なんて呟きを幾つか目にしたけれど、そんな事絶対にないだろう。
中国、ロシア、北朝鮮、ベラルーシ、カンボジアなど、ロシアと中国および友邦の酷さってのは日々目にしている状況だ。
おまけに北朝鮮は日本へ向けた核ミサイルの開発に余念がないし、中国は香港を弾圧し今なお台湾にも圧力を強めている。
共産主義のリアルを目にし続けている我々日本人が、世代を問わず共産党への忌避感を失うはずがないのは自明では?
この先、台湾を巡って米中の対立は深まっていくばかりだろうし、日本人の台湾への好意や日米同盟を前提において見ると
その中で中国と同じとみなされる共産党が支持を拡大するとは到底思えない。
そんな共産党と組んで、立憲共産党として一つの存在になってしまった立憲民主党だが
今さら共産党との連携をやめたところで、共産党の仲間との認識が改まる事はないだろう。
立憲民主党の支持者ですら、比例は共産党ではなく自民党に投じたという人、維新に投じたという人が3割近くいて、共産党へは20%程度らしいし
共産党に対するアレルギーが消えてなくなる前に立憲民主党が消えるのは、火を見るよりも明らかだなと。
中国がヒールとして存在感を増していく未来はほぼ確定している状況で、今も独裁者Cが俺は正しい俺は辞めないと叫んで共産党とは?を強く国民にアピールしていて
枝野も同じ様に俺は正しい俺は辞めないと言うんだから立派に共産党の分派だし、そうみなされるリスクの回避よりも、目先の利益をとった立憲民主党はもう終わりなんだよね。
枝野が辞めるとは思わなかった。立憲民主党が変われるとしたら、このタイミングしかないな。
批判ばかり反対ばかりと言われる路線を改めて、共産党との連携も解消するとしたら代表が変わる今しかない。
これは斬奸状である。いや何もお命頂戴という話ではない。枝野君は総選挙敗北の責を取り、直ちに立憲民主党代表を辞せ。
これは明らかに立憲民主党の敗北である。確かに事前の情勢報道(投開票日終了まで続いていた)では党勢は伸長されるはずであった。前回議席の維持ならば少なくとも敗北に非ずと強弁できるだろう。しかし、現有議席すら守れていないのは明確な敗北だ。就中、今次総選挙は前回大敗し、挽回は容易であるはずであった。議席を失陥し、一敗地に塗れた同志に恥じるところはないか。
これに対し、たもとを分かった国民新党は増、非左派野党である維新は大躍進を遂げた。単に得べかりし議席を、彼らに献上しただけではないか。これは間接的な反党行為とすら評価可能な事態だ。
それとも自民党が減ったから勝利だとでもいうのか。ならば55年体制下社会党と何ら変わらぬ、政権を目指さない安定野党に堕することになるが、それでいいのか。
あまつさえ貴君は、選挙前にこう言った。これは政権選択の選挙なのだと、自民政権か非自民政権かを決める選挙であると。
これは現状からすれば、そして選挙前の情勢からしても明らかに大言壮語の類であった。政治家が信頼を得るには、偏に誠実な言動を行うことである。身の程を超えた大風呂敷を広げ続ければ、やがて国民は貴君らの言動をそれなりに値引きしてみるようになるだろう。
他方、狡猾にも貴君は勝敗ラインの設定は行ってこなかった。ならば、政権として選択されず、政権首班として認められなかった貴君は直ちに他に席を譲り捲土重来を期すことこそ憲政の常道といえる。
貴君が代表の座に固執すれば、己の言動にすら責任を取らぬ政治家となる、それでいいのか。
選挙の前後、立憲民主党所属議員から、多数の失言があった。これらは全てシンパタイザーによって糊塗されたが、明白な誤りである。ただ詫びて済むものではない。特に政策的発言において、党方針と全く異なる方言と言ってもいいような発言があったことは、党員の管理が不十分である明確な証拠である。
また、政策議論における発言を弾劾し、デュープロセスを全く外れたまま処分し追放したことは、立憲主義の看板を著しく損ない泥を塗ったものであると断じざるを得ない。
更には、候補者調整においても明らかに指導力に欠く、もしくは一部の独走を許すような事態も招いている。
明らかに貴君には、党全体を管理し統率する能力か意志に欠けるところ大である。そのような人物を代表に据え続け、今後戦えるのか。答えは否、再びの敗北を招くだけである。貴君は貴君がお山の大将でありさえすれば、それでいいのか。
総選挙の結果を見れば、自民党に嫌気を指した層が進んだのは左傾化した立憲民主党ではなく、非左派と目された維新であった。
票田は明らかに中央にあり、左傾化したところでとれるのは現有程度であること明白である。さらに政権側は、敵失に敵失を重ねていた。正に棚から牡丹餅が落ちんとしていたのに、それを拾ったものは誰か。現状の選挙で数多くの批判の声をみすみす逃したのは、共産党との共闘によって中道にウイングを伸ばせなかった一点によるものである。
共闘路線は明白な失敗であった。たしかにいくつかの議席は共闘で得られたであろう。首がつながった議員もいるはずだ。自民の大物も仕留めた。しかしそれは単に局地戦における健闘であって、戦略の誤りは明らかである。
このまま進めば、選挙における依存度を増し、文字通り立憲共産党となり果てるが、それでいいのか。
以上、いずれも許されざる大罪である。故に枝野君、君は速やかに立憲民主党代表を辞せ。
政党は貴君の個人商店ではない。民主的存在なのだ。最早貴君の歴史的使命は終了した。党は貴君が立派に育てた。後進に道を譲り、立憲民主党代表選を行い今後の方針を定めるべきという審判が下されたのだ。それにより人材ここにありと、民主主義ここにありと堂々と示す秋が到来したのだ。
立憲民主党は代表を変えることが出来る、共産党の如き独裁ではないことを、己の犠牲を以て示せ。そこから党再生の一歩が始まると確信する。
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気持ちの浮き沈みのある日々が続いている。
今日はすごく元気だなぁ、もう薬もいらないかもなぁと思って活動的にしていると次の日疲れて起き上がれなくなる。朝起きた時に「あぁ、今日はだめな日だな」というのがわかるようになってきてそんな日は無理して起き上がることはせずそのままベッドで横になっている。もう二度と起き上がれないんじゃないかと不安が襲ってきてシクシクと泣くこともあった。
かと思いきや朝シャッキリ目が覚め、部屋の掃除やストレッチを済ませて散歩へ出かけ、家に帰ってもまだお昼前だということに気づき「無職最高ーーーー!」とバンザイするような日もあった。
ただ、そんな時でも外を歩いていると5秒に1回は「しにたい、生きるの辛い」と頭の中で呟きながら歩いていた。橋の上など高いところに立っているとスーッと吸い寄せられるような感覚があった。電車も怖くてしばらく乗っていなかった。
よせばいいのに会社のメールを見て、自分が残した仕事を後輩がつつがなく完了させているのを見て落ち込み、自分なんてやっぱりいないほうがよかったんだとまたシクシク泣いた。この頃には声をあげて泣き叫ぶことは無くなっていたが、暴力的な衝動は突発的に現れて、壁を殴ったり、カフェで窓際の席に座っていた時に、目の前のガラスを叩き割りたい衝動に駆られた(流石に行動に移してはない)。
小説やドラマなどは見れるようになったが、ニュースやバラエティなど喋っている声がキンキン響くものは相変わらず見れなかった。YouTubeでは焚き火の映像などを見ていた。勉強を頑張っている社会人のvlogが好きで、いつもそれを見てモチベーションを上げていたのだが、病気になってからは見ると動悸、頭痛がして視聴することができなかった。この人たちはこんなに頑張っているのに自分は…という罪悪感で心がやられてしまったのだと思う。
本屋に行ってうつ関連の本を立ち読みしたりした。以前は本屋で時間を潰すのが好きで、自分の仕事関連の専門書のコーナーに行きワクワクしながら本を物色していたのだが、この頃はそのコーナーに近づくと頭痛と動悸がし、涙が出そうになっていた。
適応障害についての本を買って読んだが、頭がぼんやりして内容が入ってこなかった。
全然眠れないと思ったらものすごい眠気に襲われる日もあり、風呂も入らずに眠る日も度々あった。
活動できるときはとにかく歩いていた。2駅隣のTSUTAYAまで歩いて漫画を30冊借りて、また歩いて帰るというようなことをしていた。
病院では「元気な時とダメな時がある」と伝えると、「そうやって波を繰り返して徐々に良くなっていきますからね。元気な時に無理しすぎないようにね」と言われた。なんかそのくらいなら自分でも言えそうだな、などと思った。特にカウンセリングなどをされるでもなく、5分くらいの診察の後処方箋をもらって帰るという繰り返しだった。
この頃、友人の結婚式があり久しぶりに大人数のいる場に出かけていった。電車に乗ることもできてほっとした。
長い間会っていなかった友人たちばかりだが、お互いの近況を話したりするのは楽しかった。自分の病気のことも話したが、全く平気そうに振る舞った。友人の目にどのように映ったかはわからないがみんな気遣ってくれた。
久しぶりに会えて楽しかったが、やはりひどく疲れてしまい家に帰ってすぐに寝た。翌日も疲れは残っていた。コロナのおかげで二次会とかもなくサクッと終わったのでまだ良かった。
薬の服用量も減った。2種類の薬を服薬していたが、1つは不安になった時だけ飲めばいいとなった。
この頃から少しずつ自炊もするようになり、なかやまきんに君のYouTubeで紹介されていた野菜スープなんかを元気な時に作り置きしていた。ただ野菜を切って煮るだけだが、キッチンはぐちゃぐちゃになり、効率的な動きもできなかった。料理はものすごく難しい作業なのだと知った。
転職活動を始めた。休職した瞬間から、もう前の職場には戻らないと決めていたので、とりあえず職務経歴書や履歴書を準備し始めた。ただ、そのテンプレートを埋めるのも一苦労で、リモートワークに使っていた机に座るだけで具合が悪くなった。仕事関連の本を見えないところにしまい、机の位置を変えた。できるだけカフェなどの外で作業するようにした。1日に30分~1時間ほどしか作業することができず職務経歴書を完成させるのに二週間ほどかかった。
転職サイトに登録するとありがたいことに色々な会社やエージェントから声がかかり、面接の予定がどんどん埋まっていった。
転職活動はオンラインでできるので助かった。ただ、1日にいくつもやると流石に疲れるので、午前中に1件やるのみとしていた。転職の選考のスピード感についていけず、働いている体で「現職の都合が…」とスケジュールをできるだけ引き延ばした。
今思うと、こんなに早く転職活動する必要はなかったが、当時はとにかく不安で、焦りがどうしてもあり、早めに始めてしまっていた。傷病手当金がもらえるギリギリまでのんびり休んでいれば良かったと思う。
仕事を始めた時に備え、資格の勉強などを始めた。面接のない日はカフェで参考書を開いて勉強していたが、この頃勉強したことは全く頭に残っていないのでやる必要はないと思う。それよりもゆっくり休んだほうがいい。
この頃は寝られない日が2日続き、翌日はぐっすり眠れるというようなサイクルになっていた。昼寝は相変わらずしていた。
人の多い店などにも行けるようになり、ジムに行くこともできて、回復しているのを感じた。
寝られない日は日中に筋トレやHIITトレーニングをして体を疲れさせるようにした。
だんだん見られるものも増えてきて、アドラー心理学の本なども読んでみた。あとはスマホでゲームなんかも始めてみた。久しぶりにやるとめちゃくちゃ面白くて、没頭できた。ゲームをしている間は他のことを考えずに済むのが良かった。
ついに内定をもらい、入社条件の交渉になった。正直こんなに早く決まると思っていなかったので、もっと休みたい気持ちがあり、現職の都合で~とか、まだ他社の選考が~とか色々言って提示された入社日から1ヶ月延ばそうとしたが受け入れてもらえず、やむなく病気のことを話した。内定取り消しになってもしょうがないと思ったが、意外にもそうはならず(法律上のしばりとかもあるのだろうが)、提示した条件で入社するかを決めて欲しいと言ってもらえた。
とにかく前職を直ちに辞めたかったので、体力的に不安ではあったが(あと、もう少し無職でフラフラしていたかった)内定を受けることにした。
病気がひどかったときは早く働かなくてはと焦っていたので、働きたくない、無職でいたいという欲求が出てくるのはむしろ健康になったのかもなぁなどと考えていた。
次の職が決まったので上司に退職の連絡をした。先日休職延長の連絡をしたばかりなので少し気まずかったが特に何を言われるでもなく、たった9分の電話で退職連絡が完了してしまった。
その後、各種手続き書類が自宅に郵送され、粛々と退職手続きが進められていった。
頭痛も睡眠障害もまだ治っていなかったが、医者に内定をもらったことを告げると「良かったですね、まあ新しい職場でも無理しすぎないようにね。最初は頑張っちゃいますからね」と言われただけで、復帰なんてまず無理、とは言ってくれなかった。
働きたくない働きたくないとひたすらごねていたが、自分でもわかるくらいに体調は回復していた。朝起きてジョギングをしたりもできるようになっていた。昼寝もしなくても大丈夫な日も増えてきていた。
つづく→適応障害と診断されてからの記録⑤
最近の表現規制の問題に関しては、建設的話題というよりは香ばしい話題となりつつあるので論点を整理したい。
似た趣旨の刑法175条(猥褻物頒布罪)は社会的法益が保護法益であると解されるのが専らであり、かつその規制対象は実在の人物を描写したものに限らない(仮想的創作物も含む)。
一方刑法175条に比して児童ポルノ規制に関しては重い刑罰を課しており、同一の法益の保護を目的にしたものと考えるのは難しい。加えて児童ポルノ規制において「性欲を興奮させ又は刺激する」かどうかの要件は記載されていない。そのため、自然な考えとして当該児童の人格権の保護を目的とする考えが生じてくるわけであり、現状においてこの点においてあまり争いはない。
筆者の見解:一般の児童を性欲の対象とする風潮からの保護を目的にする(社会的法益の保護は含まないが、拡大された個人的法益を保護する)。
単純所持も現在規制の対象になっているが、これは児童の人格権保護という観点のみからは正当化できない。何故なら頒布や児童への所持の告知なし、もしくはそれらを目的にせず所持している場合において、直ちに児童の人格権が害されるとは言えないためである(例えば、親族の遺品に児童ポルノがありそれをそのままにした場合など)。
そのため単純所持の規制の根拠としては児童を性欲の対象とする風潮からの保護を目的にしているためと解釈される。これはいわば抽象化された個人的法益とでもいうべきものであり、社会的法益と解釈できる余地があるように思えるが、これは明確に社会的法益を含まない。このことは判例としてもあり、「同条3項にいう「児童ポルノ」とは,写真,電磁的記録に係る記録媒体その他の物であって,同項各号のいずれかに掲げる実在する児童の姿態を視覚により認識することができる 方法により描写したものをいい,実在しない児童の姿態を描写したものは含まないものと解すべきである」(最判令和2年1月27日)
海外では非実在児童ポルノ規制が現実として行われている側面があり、この場合の規制の根拠として模倣説(児童ポルノが実際の児童への虐待を誘発する)及び市場説(児童ポルノの市場の形成自体を防ぐことによりさらなる流通を防ぐ)という2つの説によっている。翻って日本においては児童ポルノの規制が個人的法益の保護が目的であるという判例がでたため、非実在ポルノへの規制を行うには2つの方法があると思われる。
1. 抽象化された個人的法益を保護法益としながらも、非実在児童ポルノへも規制する旨明記する。
2. 保護法益が個人的法益に加えて社会的法益も含む旨加えた上で非実在ポルノへの規制を行う。
1.は(流通するのが非実在児童ポルノである以上)模倣説を採用することにより正当化されることになるが、これは違憲審査基準と合わせて考えると違憲となる可能性がかなり高いと思われる。何故ならいわゆる模倣説は科学的に立証されたわけでなく、児童の人格権が直ちに侵害される、いわゆる明白かつ現在の危険を有しているとまでは言えない。加えて日本においては子供の入浴の写真を撮ることが一般的とまではいはなくとも受容されうるという現状がある以上、国民の一般的な通念上と照らし合わせてみても違憲である可能性が高い。
2.はおそらく現行憲法下において規制の理由とするのであれば最も妥当な論理になると思われる。再度述べるが刑法175条は健全な性道徳という社会的法益を保護することが目的であり、かつそれは合憲であるという判決が何度も出ている。そのため、同様に児童ポルノ規制の保護法益は「児童が健全に成長する社会」を保護するという旨を明記するのであれば、刑法175条と同様の論理で正当化されると思われる(再度注意しておくがこれは筆者の見解であり当然議論があると思われる)。また、保護法益は互いに二律背反ではなく、社会的法益及び個人的法益の双方が保護されうる(下級審判決などに判例がある)。そのため、この場合であれば児童ポルノ規制は個人的法益及び社会的法益双方を保護するものとして解される。
筆者の見解:現行憲法下でも新たな立法による表現規制を正当化することは不可能ではない(難しいかもしれないが)。
ポルノ規制に社会的法益の保護を根拠とするのはふさわしくないと考えている。そのため、
が私の考え方である。
ただ注意しておきたいが、この種の規制の問題に当たってはやはり児童の保護という観点を重要視して欲しく思っている。表現の自由はもちろん保障されるべきであるが、児童の目に触れないための厳格なゾーニングを求めたい。自ら謳歌する自由が他者の尊厳を損なうことがないよう、気をつけて欲しい。
また、議論の際には建設的な議論を求めたい。相手をナチス呼ばわり、もしくは戦士呼ばわりなど持っての他である。安易なレッテル貼りは議論を口論にかえてしまう。健全な民主主義は誰もが自由に参加できる建設的な議論を礎にしていることを忘れないでほしい。
普段から政治ニュースをまめに追っている訳ではなく自分の区の候補者がどういう人なのかもよく分かっていない。
そういう人は多いと思うが今のような時期に各政党ごとに掲げられてる公約ぐらいは目にしたり耳に入ったりは流石にすると思う。
それでいいなと思った公約を掲げている政党に属している候補者に投票したり比例で入れたりするぐらいでいい。
そして大事なのがここからでその自分がいいなと思った政党が与党になったならばいいなと思った公約が実現される気配があるかをしっかり見ておく。
公約にされるものは国民の生活に直結する分かりやすいもの(消費税減税とか所得税減税とか給付金とか)が多いから別にニュースを追ったりしなくても自然と情報入ってくると思う。
音沙汰がないということは公約が反故にされているということだ。これだけで国民の目での監視というのはある程度出来ているだろう。
公約が反故にされていることを察知した場合は次の選挙ではもうその政党には入れないということをルール化する。
いくらよさそうな公約を掲げていたとしてもその政党はどうせ反故にするのだから投票する意味はないのである。
なので次は野党に投票することになり与党の得票率は下がることになる。
こういう意識を持った国民が投票をするようになることで直ちに政権交代とはいかずとも公約不履行により得票率が下がったとなれば与党は必死に公約を実現しようとするのではないか。
しれっと公約不履行にするなんて政治家が国民を舐めているから出来ることなんだ。
そして公約不履行=政権交代の方程式が成り立つようになれば腐り切った長期政権がずっと続くことも無くなり国民の生活も少しずつよくなるのではないか。
あの政党は過去にどういうやらかしをしただのこの政党は売国奴だだのというのが色んなところから耳に入ってくると思うが
そんな昔のあれそれも絡めた延々と続くネット上のプロパガンダに耳を傾ける前に自分の目で見て考えて自分の生活がよくなりそうな政党を選んで投票する。
そして自分の1票の結果がどうなったか、生活は良くなったかを見届けてダメだったらバチっと頭を切り替えて次の政党を選ぶ。
まずはそういうシンプルな考え方でよいのではないだろうか。
擁護する側として回答するけど
はい同意します。というかプリキュアの服とかちびまる子ちゃんの髪型とか含めて大半のアニメキャラの格好は自分の子供にあんまりさせたくないなと思いますよ
あのVtuberの衣装が、キャラが、まったく、一ミリも問題ないと
本当に思ってんのかな?
快く思わない人も一部に入るでしょうがそれが直ちに問題につながるとは思いません
問題かどうかは個人の快不快とは別の判断基準があって然るべきだと思うからです
この文章ビジネスだから高コストを許容しろって理屈因果関係が結びついてない気がします
制服着るよね?ってなる。
ほんでもし露出の多いアイドル衣装のまま一日署長やるアイドルが居るとすれば
フェミは当然同じように抗議するだろうね。
そうですか、私は別にへそ出してもいいと思いますよフェミが抗議するかどうかは別として
ただ、企業の直接投資を海外で行うという判断につながるので工場が減っていき輸出も将来的に減っていく
そんなわけで円安になったからと言って直ちに輸出がドカンとは増えない、ただ時間をかけて増えていく
現状の傾向として輸出は増えている、中国からの輸入も増えているので収支にはなかなか現れないが、円高になったら収支が悪化していくだろう
理由は以下の通りです。
ところが、数学では実験により正しさを確かめることはできません。
(応用数学では状況が異なるかもしれません。)
そういうわけで、査読通過の際は建前上は正しさが前提になっています。
(もちろん、数学論文でも出版後に論文が訂正・撤回されることは珍しくはないです。)
以上が数学と科学全般について正しさの認識が異なるということの説明です。
→論点1
「出版された」という意味においては査読は終わったと表現して問題ないと考えます。
数学論文の正しさへの疑い(それは数学的な内実を伴っているように少なくとも表面上は見える)が表明されている中で、編集委員会がそれに対する何らの注釈も論文に付け加えない形で論文を出版するというのは、通常では考えられないことです。
→論点2
上述の論点1の通りですので、本件では論文の掲載は正しさを特に担保しません。
例えば、「フェルマー予想」では慎重な査読をしたことの当然の帰結として、査読通過が直ちに論文の(十分信頼できるレベルでの)正しさを意味しました。
一般論として、査読の「慎重さ」の度合いにより、査読通過が担保する論文の「正しさ」が増減するのは当然のことです。
→論点3
「皆無」というよりはむしろ、少数ながら存在すると表現する方が正確だと考えます。
もちろんその数が今後増減することはあるでしょう。
なお、zbMATH(やMR)で論文の根幹となる部分の正しさに疑義を呈するようなレビューが掲載されるのは非常に稀です。
総論として、本件が数学界ではよくあることなどでは決してないことは間違いありません。
以下は参考です(何か誘導したい結論があるわけではありません)。
本件についてredditでもしばしば議論されています(英語)。
(本件とケプラー予想の類似を指摘しているのではありません。)
この事例では論文が査読(出版プロセスとして)されなかった(雑誌に投稿すらされなかった)にも関わらず、複数の検証チームが自然発生的に検証活動を開始して、数年の内に正しさが確認されました。