はてなキーワード: フェルマー予想とは
フェルマー予想は初等的な問題ですが最終的な証明者がとった手段は高等学校で習う二次元座標の上のよくある素数指数を含んだ楕円関数
初等的な問題だというのは、 4のときは素朴整数論の議論で証明されているので
デカルト座標を考えたデカルトは戦争中に休憩していたら思いついたそうですが、そのデカルト座標がないとフェルマー予想は完成しなかったので
デカルトという人は偉い人だと思います。それで、フェルマーは、もしその楕円関数が存在すると考えると異常なふるまいをするとし、
p進簡約群の例で言うと、GLとか、Gアデールの保形表現πをとったものです。
そのデカルト座標ですが東京大学の23年前からの入試問題で、文系生にも理系生にも必ず出ることになっている問題で、高等学校の、っていうか中学校の頃から二次関数は
習うのですがそれをさらに高等にした奴が、高校の数学2Bで、3Cは、もっと難しい奴ですね、楕円関数というのは3Cくらいやってないと分からないわけです。
チェインコンプレックスオブセカンダリポリトプというのは、微分の形式で、チェインルールというのは教養で習います。δfのδxで微分したときにそういうルールがある。
フェルマー予想は、数論の初歩的なもんだいであるのに対して、なぜ解けないのか?
通常の発想 補完定理という者が見つからない。 見つかるとできるはずであるが、見つかった形跡がない。 平成3年頃の数学者 inductionで出来るのではないか?
※ 平成3年ごろの数学者 28+5=33年間経過しているので存在するわけがない 当時、75歳 現在 108歳
住んでいると予想される場所 舟渡の一戸建て しかし、普通は存在をみることができない
2012年IMOの問題 事実を適示して、帰納法で出来た。または、 補完定理があった。
宮岡洋一先生とこの老人が協力しているのかどうか。分からない。
舟渡2丁目で トラメガ 本日もユーチューブに録音したものを流したのを認めたため、 本署に任意同行 ■■■■
志村警察署 令和3年2月1日から、110番通報処理簿から、 署長名を記載するのを中止した それ以前は、 署長名が書いてあった。 当時の署長は 鈴木
フェルマー予想は、x^n+2y^n=4z^nであると解けるのですがこの係数がついているのは明らかに幾何学的に無駄なので練習問題で本番の問題の体を成してないからでは
ないかと思うが。本番の問題になると、該当するものが存在しないというところに出てn≧3の全てのnで存在しないという完全性なものだから非常に難しい。
ペーターショルチェが解いたIMOの問題は、せいぜい、平面に凸多角形をもってきてそこに三角形を割り当てる発想をしてその面積を全部足したら多角形の2倍を下回る
ことがないという定理ですので。フェルマー予想は非常に不思議な内容でなおかつ、4のときでも複雑な議論になる。しかし4のときを解いておかないと、素数pだけでいいという
ことが言えない。また、素数pだけいいということになっても、余計に難しくなっただけ、赤チャートに書いている議論をすると、4のときは、初等的な議論と、無限降下法で存在しない
ことがいえるので、全く出来ないわけではない。しかし、3のときは同じように無限降下法を使っているが、オイラーの証明は、何が書いているのか分からない。だから全然だめなわけです。
ただし、4のときに存在しないことは初等的証明で非常に分かりやすくできるということを、赤チャートが既に例題っていうか、入試問題に出ていますので、4の場合は、ただし赤チャートという
本自体を誰も読んでいないからわかるわけがないと、あ、そうだ、延岡のブックオフに行ったら赤チャートは置いていない。私が赤チャートを買ったのは東京のブックオフです。その上のランクに
どーもあんたが、 でも富澤が、あんたに注意のメールを入れてるのは、 平成31年2月頃で、佳代子が、拡声器でなんかやっているっていうんですが、なんでそのときに拡声器があったんでしょ
あんたが蓮根の歩道橋のところにいって何か言っていたときもあったんですが、基本的に、リュックにそれを入れて歩道橋までいくことはないので
警察の世界にフェルマー予想など存在しないというか知らないゴミクズしかいないので、ここで、宮岡洋一先生というのは、もう詐欺師なので、1970年代頃の話じゃないですか
後日になって、佐藤もぐらが照らしてきた時に、斎藤秀司というのはもう何も出来なくなている人で、宮岡洋一の方はガキに切られたって映像になってるんですが
20代の巡査が、レインボーロードからのこぎりを一緒にババアを台車に乗せて落としたら、下にいた、宮岡と毒ババアが切られたって書いてありますがこれは、夫妻のことでいいんですか
あフェルマーの大定理が何で解けないのかは先生によって諸説あるが、そもそもある不定方程式の解が存在しないことを支持する道具は、レブオービットの場合と複素曲面の場合で
存在する。知られているものはフェルマー自身が教科書に書き込んだ無限降下法というもの。
フェルマーの大定理っていうのは、貴重な情報が円の上にずらっとならんでいるという構造をしており、構造層のオイラー標数の2倍よりも小さい。
一般に素数の場合でいいと言われているが、素数の場合になるのではなく、三角形で照射した場合に、それだけでいいということで、もし、pと言うことになると、p進ホッジ構造と
有理数体を研究しないと、Z^pなど解明できないので非常に難しくなる。アンドレヴェイユは1998年に亡くなっていますが非常にけちだったので92歳まで生きた
アンドレヴェイユはフェルマー予想の先生だったが外貌として鼻が高い、ヴェイユは、この問題について、標高100ヤードの山にもとぼれない人がエベレストに登山できた話は聞いたことがない
というが、x^4+y^4=z^4の証明でも、複雑な議論になり、全然説明できる道具が見つからないので、全部の証明など不可能であろうという趣旨の話だと思う。
フェルマー予想の結論は数学の有能性と完全性の内容だが、証明の技術が発見されていない。本では、x^67+y^67=z^67などの非正則素数で証明できないという学術研究になっている。
正則素数だとできている。数論幾何的には貴重な情報がずらっと並んでいるという趣旨内容で非常に規模が大きいので大定理と評価されていると思う。
数学において、定理は、英語で、THEOREMと言いますが、THEOREMとは、単なる事実、すなわち幾何学的にいうと宇宙の中にあるただのインターセクションではなく
円周上のインターセクションに過ぎないときは定理ではなく事実で、円周および直線上のインターセクションでもない場合は、ほとんど価値のない事実である。
フェルマー予想でも、類似の予想でも、THEOREMと記載されているときは、当該実践数学者が、完全なものとして認めているときで、Lemmaと書いているときは、補題
という定理である。THEOREMのほとんどにはLemmaがついていて、定式化というのは、教科書に存在して当たり前の原理のようなもので、相似変換とか不定方程式が
その例である。数学者はそのような専門知識や事実を教科書に体系化し、様々な定理を確立して最終的に目的に到達します。グリーンタオの定理はそのような論文となっている。
エルデシュ予想と同値であろうということをいってそれに関する偏微分方程式の定理や定式化を多くやって最終的にやっていますがこれは多分、オーストラリアの数学者がやったことで
はいだから正方形の面積でピタゴラスは証明できるし類題はたくさんあるんですがそもそもそういうアイデアが必要な入試問題がないので語る気がしないんです
フェルマー予想は三枝洋一先生は違う手続きで折っていますが三枝先生の講義ヴィデオには興味がないんです
複素数を用いシムソンの定理の証明のヴィデオも興味がないんです、太った人が複素数を使ってだらだらしてるだけで面白くないんです
石井志保子先生のジェットスキームになると何言ってるか分からない
令和5年7月26日に志村警察から49歳のおっさんが出てきて、オイラー法って言ったんですが何言ってるか分からないしつまらなかった
49歳のおっさんが来たときはけっこう 私がいつも立っているところと、サイレントジェネレーターが置いてる場所の真ん中まで来たんです
オイラー法のおっさんの前も赤羽でけっこう、 本官が後ろに立っていたときとか、 ごつい男が3人で来た時もあったんですが最初、 ファイナルベントに偽装してました
君たちも知っているかも知れませんが、フェルマーの定理っていうのはあれですよね、x^n+y^n=z^nは存在してないってやつですよね、そこの、n≧3だったら、でもいちいちn≧3とかいう
必要がなくて存在してないわけだから、でも、そもそも、x^3+y^3=z^3が証明出来たら、33%の自然数では存在していないから、そんな驚かないわけですね。3割では証明できてるから
あとの6割を証明すればいいという、そこでかなり驚きが軽減するわけですね、もちろん、nの、1個1個を証明しろとかいったらとんでもないことになるけどそんなことはしなくていいというのが
定理なんです。3,4,5,6,7,8,9,10、と一つ一つ証明して全部しろとかそういうことじゃないので。3の倍数と4の倍数は簡単に証明できるので、それから簡単な技術から
実は正体は x^p+y^p=z^pだったので、化け物が変貌したんですけど、自然数nと 素数pを考えたときに明らかにpはほとんどないらしいので、しかし、x^p+y^p=z^pらしいということに
なると素数なので滅茶苦茶難しくなる。ジェルマンは、第一、第二の場合に分けて、フェルマー予想は正しいって証明したんですが、x,y,zがpで割り切れるとか割り切れない場合とかだったので
意味の分からない定理で、最後はものを整備してそれをぶっ放して完成したわけですが、そこの、最近の社会って、神野って死んだと思ってたらまだ生きていて、神野と同居していた慶応の奴は
バクサイにいて、ドイヒーとか言って出てくるじゃないですか。ドイヒーっていう奴は実名忘れたんですよ。でもどっかにいってドイヒーって言ってくるわけですね。素数は無限にあるので、x^p+y^p=z^pは
存在しないって言われてもそれでも驚愕で、無限にある素数のうちで、3,5,7,11,くらいしか初等的にできないらしいので、そこらへんでこの定理はクソやばいらしいということになって
そのうち哲学者からも到達不可能定理と呼ばれるようになった。しかし18世紀にクンマーが61%でやったので、なんや61%は完了かいなということになってそれぶんだけ驚きは減った
しかし残りの39%が到達できないということでその残りの39%が到達できないという程度で怖いだけなんすね。
数学において スパコンでも到達できないような問題に対して人類はなぜ到達できるかというと、いかに難しい定理でも神がそこに到達するための技術を用意してるからですが、
まれに決定不可能性などの問題で決定不可能ではないかなどを議論されることがあるがそれはここではどうでもいいとして、要するに、ちゃんとした由緒正しいK群からなる群のような
ものを用意しておいてそれらに有能性をもたせられれば場合によっては届くことがあるからで問題はそういうものをどんどん教科書に書いて問題に使えるかどうかを検討していけばやがて
届くわけですがその際に、もう届くようになっているので、フェルマー予想もちゃんと由緒正しいものが最後に出てきてちゃんとできたので、あのゲーテも数学は人類が到達できないことに
到達できているとして絶賛していたがそういうことを子供が聞いたら普通は喜ぶと思いますよ。ただし届かないとか無理だろうと思われた段階で、実は届いたということにならないと
全然面白くないと思いますがね。但しのその際に必要なのは神を信じることと、いかに真面目に勉強するかということと、いかに美しいものを発見しようと思うかどうかなのでお前のような
ゲスにはむりだよ。やる気もねーし。フェルマー予想は、 正則でない素数 67等に対して、決定不可能で最後まで残ったんだけど、全部証明されたから、67の場合も存在しないことが
いえたし、無限降下法が発動しないと思われてどうにもならないと思われていた17,19,23、29とかでも全部できた。
フェルマー予想はコンピュータではそれが正解かどうか判定できない。存在しないことの定理なのでプログラミングを組んでも延々計算が続くだけでプログラミングでは証明できない、つまり
計算機では証明できないもののシンボルである。しかし、クンマーの理論が出てからは400万以下の自然数では存在しないことが言えるようになった。しかしそれでも計算機では到達できない
プログラミングでは解けない数学の問題として有名で、それにかかわらず、プログラミングでは解けないのになぜ人類には到達できるのか?ワイルズがやったやり方は幾何学を含めた全ての
学問を総動員したもので、その実質は、精神集中して自分で作り、出現させることの繰り返しであった。したがって非常に難しい作業であり、実質的にはおよそ200年がかりで到達したともいえる。
無限降下法は極めて使いやすい事例、つめり、赤チャートに載っているようにすぐに使えるような方程式の形をしているときには単純に使用できるが、どうやって使用していいか分からないような問題
になると何が書いているのか分からなくなってくる。x^4+y^4=z^4の場合は、x^2+y^2=z^2のピタゴラス数の結果を代入して、散々に追い詰めてから、無限降下法を用いて補完していりので、
技術的教養がないとおよそ理解不可能である。x^3+y^3=z^3の場合は、オイラーがやった複雑な証明法しかネットには掲載されておらない。無限降下法のばあい、基礎問題では簡単に発見
できるが、一見して使用できない場合は、発表があります、実はこういう感じで出てきます、という感じでやらないといけないので、技術的着想の発表ということになり非常に難解な観を呈してくる。
ワイルズはフェルマー予想をぐちゃぐちゃな方法で解いたのではなく、実際、モジュラー性を考えたときに複素関数の大宇宙の定式化でその先を補完していくのはおよそ不可能、到達不可能
であると思われていた。元々イデアル理論の時点で難しい教科書を書いてからの証明だったので、モジュラーではないことを言うための教科書も道具もないし、最終的に補完するものは
基本書にも用意されていないので自分で手段を考え出してそれを最終的に出現させるしかないだろうと思われていた。実際はワイルズ、リチャードテイラー、ファルティングスらは自分で教科書を
書いてやっていたわけだが、最終的な証明は由緒正しい群からなるK群に作用するという計算法のアイデアの出現によって解決した。ここでシンメトリックテンサーと取っているのも同じような理屈で
ワイルズが評価されているのは一番最後に美しいものを出現させるという伝統的な方法で到達したからで、むろん、幾何の世界では独自の考えに基づいて滅茶苦茶な操作をなし最終的に
作図せよといわれているものを出現させるという問題もありので、x^n+y^n=z^nは存在しないことに関しても滅茶苦茶な操作をして存在しないことを出現させるのも幾何の考え方だがそういう
サーカスのようなことは知能指数の問題で出来なかった。一般に独自の考え方と出現法を用いる場合、滅茶苦茶なものになることを覚悟する必要があるが、ここに出てきている図は何か恐ろしい
もののようにみえますが宇宙の世界では滅茶苦茶なものになることが昔から知られていますがそういうことを言う数学者もいないしそういう本もないわけです。
出現法というのは数学哲学でも最後の奥義で、何らかの価値のある偉大な定理、当初に発表されたときに驚愕されたものを知能によって出現させることで結論を出す手段で哲学でもっとも
魅力的なものである。しかしここでいう、警察官が出現すること自体が驚愕であるというのは全然足らない。あのような今更醜悪なものが無意味な事案において出現しても、パズルのピース
にはならないからである。初等幾何ではパズルのピースはパスカルの定理などになることが多いが、フェルマー予想の最後のピースは、フラッハ法という専門的なものであり、これが出現したことにより解決した。
よって、フェルマーの定理自体よりも、その結論を導き出した、出現法である、フラッハ法の方が驚愕的なのであり、非常に難しい。ここで最終奥義を出現させることは知能的に非常に難しい
問題とされており、コーシー=シュワルツの不等式を出してくる (a-b)^2+(b-c)^2+(c-a)^2≧0も、なぜ出現するのかと言われると返答に難しい。
ABC予想というのは宮岡洋一先生は1985年に、フェルマー予想は微分幾何で解けるだろうと考えていたが、解けなかった。ABC予想も初等幾何学の発想、すなわち、必要なものは
三角形と円と直線に関する初等幾何学の研究の論理からヒントを出て、所望の結論を何らかの方法で一気に出現させられるだろうというもので、ABC予想が証明されると、nは5までを
証明すればいいこととなる。しかし、いわゆる、x^n+y^n=z^n はn≧3で no solutionsであることがごっそり出てくるわけではない。 n≧6は検討しなくていいということがごっそり
出てくるだけである。しかし、数学で言う、何かが出現することがすなわち、結論であること、技術的出現とはよくわからない。何かが出現するということでそのまま結論となるのが技術的出現
であり、ここで、技術的出現で出てくる例として、 Lemma、パスカルの定理、inductionがよく知られている。 この技術的出現によって結論が得られるのは、あたかも、カメハメハが出てくる
にも関係にあるので、これを子供に教えてしまうと、数学の勉強で子供がはしゃいでしまう可能性がある。よって小学校中学校学習指導要諦でも、この種の、技術的出現によりそのまま結論を
deductionとなることを味わうことにより数学に対する興味関心を啓発するということは学習指導要諦に記載されていない。押方彰一は算数教諭だがいかんながら、押方彰一が教えたのは
数学における技術的出現ないしは、技術的発現ではなく、 1~10の足し算の代数的計算のひっくりかえして足せばいいということである。確かに当時から郡部には別の小学校もあったので
フェルマー予想の最終的な証明は、色々な定理を教科書に書いて証明して、その定理同士の公共的協力関係というんですかそんな感じで届いたらしいので、定理というものの公共的
協力関係というかその辺の教養がないと無理というか、その辺りの一番最後に何かが登場して、この巨大定理が完成し数学的に評価を受けたらしいので自分でやるとかむりですね。
あとなんか、グリーンタオの定理も、同じように、色々な定理の公共的協力関係によって届いたようなので自分でやるのはむりで、それと、コラッツ予想は数列の傾きを解析したり組み合わせ論を
多用したみたいですがまだ証明にはなっていない、タオはデンスという概念をいれて、ほとんど全ての自然数において正しいことをやっただけで、しかし計算機で、一京くらいのけたの自然数で証明
されてるのでまだできないらしいんですけどね。
x^p+y^p=z^pという式が絶望的である理由。 横に広がっており、inductionも機能しない。クンマーは、 z^p-y^pを因数分解してそこにイデアル理論なるものが出現するだろう
ということであったが、 z^p-y^pを因数分解すると、右の項に、多項式が出現し、それを検討すればいいのではないかということである。そういう正攻法によってやっても、正則素数というもの
(x/z)^p + (y/z)^p = 1 が希望な理由。 既約表現とp進群という別の宇宙にもっていける。クンマーがやった宇宙ではだめだった。
こちらの宇宙では大量の専門的な知識を動員して考察を加えることで宝石が発見された。その宝石の発見によりものとして完成した。
備考 この定理は整数論の孤立したもので、数学的には何の参考にもならないし、価値がないと言われ、エルデシュをはじめとして、生産性がない、孤立している、興味がないとも言われた
備考 2 エルデシュは次から次に問題が存在したりお題を作ることができる幾何学や整数論や組み合わせの問題を大量に考え出してその証明にいそしんだ学者である。そのため
本件で国立大学法人東京大学理学部数学科が主張する発明の要旨とはフェルマー予想の解き方ということに関するものである。発明の要旨は、同定理は結局、哲学上不可能なものの
象徴である。n=3,4、5、7,11,14では証明があるが、それ以上は存在していない。計算機で400万以下の素数については成立するという結論がある。その次に、61%の
正則素数で成立するというところにまで至り、これは完全証明ではないが、同定理が、正則素数を因数に持つ全ての自然数で成立することを示し、すさまじい結果として称賛された。これは
全部証明ではないが、この定理の山をぶち崩す大きな結果となった。400万以下の素数のみならず、どうやら、ほとんどの自然数で成立するようであるという結論まで至ったが、なお、39%
の素数は解明されずに残った。反例はないだろうというところまで至ったのであるが、全部証明は発見できなかった。
(x/z)^p + (y/z)^p = 1
を考えて、 この()内を既約表現と呼び、 上の式が光っているため、既約表現やp進群などを研究するとできるのではないかという方向で進行した。 x^p+y^p=z^pも確かに光っているが
1990年代、ゲアハルトフライ、ケンリベット、アンドリューワイルズなどは、上の式が光っていることより、 y^2 = x(x^2-u^p)(x^2-v^p) がモジュラーではないことと同値であるとつきとめた。
しかしその後の着想は困難を極め、ロシアの、コルイバギン、フラッハの超特殊理論を探求していくうちに、ワイルズ独自で、ワイルズしか思いつかない最終的な技を発見した。
幸崎駅にクラウンでかけつけた警察官で、4人取り囲み法による職務質問を実行、ただし、職務質問をするに対して、4人取り囲み法という初等的なものがあるのかどうかは分からないが
3人の警察官を、仮に、荒金と呼んでおくこととするが、3人の警察官のうち、一人が、私の鼻は大きいがその形式が低くて、更に途中で折れていることに劣等感があるから巡査をしている
という主張を認めるが、価値がないから記憶から消した。その後に合計6名になったが、そのうちに、女性警官が、自分は消臭剤であるという主張をまき散らしていたがそれも価値がないので
認知しなかった。荒金が書類を取り出す中で電気代の支払い用紙を盗んでいったが、もっていって自分で払えばこちらが喜ぶと勘違いして実行している。
頭が悪いというかそもそも警職法を知らない世だったので、7条について教えてやったら、強く言ったときだけ、3条は知っているという言葉が出てきた。結局知っているが教えない模様。
話がつまらないし進展しないから、フェルマー予想の講義をしたが、話を聞いていない。素数のときだけでいいというのは知っていると自分で口にしたがそれ以外の言動はなし。
光らないしくそつまらない話しかしないのでどうでもいい話をしているうちに、晴生がクラウンに乗ってクソ必死になってやってきた。驚愕的な犯罪者。まだ生きていたのか。66歳と64歳。あわれ。
昨晩21時に、大分東警察署に電話したが勤務員はいないということ。本日11時にさらに電話したところ、活動日誌記事も開示できない、通報受理票も開示できないの一点張りで
フェルマー予想を証明したのは、下坂行雄ではない。この下坂行雄というのは私が一番嫌いで興味がない者なんだけど、フェルマー予想の難点は、整数論の中で孤立した問題で
他に類題がない、似たような諸問題がないため、証明に応用できる技術がない、孤立しているため、イデアル理論という、それにしか使用できない、どうやって思いついたのか分からない
あまり役に立たない理論によって解明が進んだが、複素関数論のモジュラー確立以降も、その問題にしか使用できない現代数学の全ての専門知識を応用し、ほとんどワイルズの
天才と独創のアイデアによって証明方法が確立した。数学の難問は一般に色々な課題を解決する中で思いつくものであるけれども、フェルマー予想の最終証明は、数学研究者の中でも
数人しか思いつかないアイデアによってなされているもので、井上修二のようなゴミに届くものではない。あきらめろクソゴミ、そして、法を守れ。
我々数学者はどのような定理ないしは問題に対しても、驚愕的な証明にあこがれるのであるけれども、ひとくちに、驚愕的な証明といっても、その意味内容はよく分からないのである。
三平方の定理は、righted-angleという三角形といっても様々な形態がある中の極限的なときに、a^2+b^2=c^2が成立するという定理であるので、結局、美的に極限的な場合に
極限的な定理が成立するのが一般である。そしていわゆるエレガントな証明というのも、これと同じことで、極限的な事実がその問題の中にあるときに極限的な既存の法則を用いるという
のがエレガントな証明の実質である。しかし数学界には様々な定理があるので5次方程式以上の多項式には解の公式が存在しないという代数学の基本定理があるけれども、これの場合は
ポリノミアルという非常に有名なものを基礎として、4次までは解の公式が存在するが5次以上では存在しない、証明は巡回置換群という非常に難しい理論によってなされる。
ここで当然、有理係数多項式の解の公式が5次以上では存在しないことは発表時は驚愕されるわけだけども、その後常に驚愕されるわけではない。一般人は誤った認識をしているが、有名な
フェルマー予想は、 a^n+b^n=c^n は n≧3で解を持たないことは発表時に驚愕されてもそれ自体が驚愕されることではない。実際に驚愕され続けているのはスキームの圏等を用いた
構成の方である。ところで代数の世界では、それだけでは説明がつかないような技術、すなわち、シンメトリーキャンセルなどの、より原初的な初等的な処理方法などもみられて、必ずしも、