「模倣説」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 模倣説とは

2021-10-24

現行憲法下における非実在児童ポルノ規制可能か?

最近表現規制問題に関しては、建設話題というよりは香ばしい話題となりつつあるので論点を整理したい。

建設的な議論一助になれば。

 

現状の保護法益は何か?

筆者の見解児童人格権保護目的とする(個人的法益)。

似た趣旨刑法175条(猥褻物頒布罪)は社会的法益保護法益であると解されるのが専らであり、かつその規制対象実在人物描写したものに限らない(仮想創作物も含む)。

一方刑法175条に比して児童ポルノ規制に関しては重い刑罰を課しており、同一の法益保護目的にしたものと考えるのは難しい。加えて児童ポルノ規制において「性欲を興奮させ又は刺激する」かどうかの要件記載されていない。そのため、自然な考えとして当該児童人格権保護目的とする考えが生じてくるわけであり、現状においてこの点においてあまり争いはない。

単純所持」の違法化: どのように正当化されるか?

筆者の見解一般児童を性欲の対象とする風潮から保護目的にする(社会的法益保護は含まないが、拡大された個人的法益保護する)。

単純所持現在規制対象になっているが、これは児童人格権保護という観点のみから正当化できない。何故なら頒布児童への所持の告知なし、もしくはそれらを目的にせず所持している場合において、直ちに児童人格権が害されるとは言えないためである(例えば、親族の遺品に児童ポルノがありそれをそのままにした場合など)。

そのため単純所持規制根拠としては児童を性欲の対象とする風潮から保護目的にしているためと解釈される。これはいわば抽象化された個人的法益とでもいうべきものであり、社会的法益解釈できる余地があるように思えるが、これは明確に社会的法益を含まない。このことは判例としてもあり、「同条3項にいう「児童ポルノ」とは,写真,電磁的記録に係る記録媒体その他の物であって,同項各号のいずれかに掲げる実在する児童の姿態を視覚により認識することができる 方法により描写したものをいい,実在しない児童の姿態を描写したものは含まないものと解すべきである」(最判令和2年1月27日

となっており、個人的法益限定されると解されるべきである

抽象化された個人的法益保護根拠とした非実在児童ポルノ規制可能か?

筆者の見解不可能ではないと思われるが、議論余地がある

海外では非実在児童ポルノ規制現実として行われている側面があり、この場合規制根拠として模倣説児童ポルノが実際の児童への虐待を誘発する)及び市場説(児童ポルノ市場形成自体を防ぐことによりさらなる流通を防ぐ)という2つの説によっている。翻って日本においては児童ポルノ規制個人的法益保護目的であるという判例がでたため、非実在ポルノへの規制を行うには2つの方法があると思われる。

1. 抽象化された個人的法益保護法益としながらも、非実在児童ポルノへも規制する旨明記する。

2. 保護法益個人的法益に加えて社会的法益も含む旨加えた上で非実在ポルノへの規制を行う。

1.は(流通するのが非実在児童ポルノである以上)模倣説採用することにより正当化されることになるが、これは違憲審査基準と合わせて考えると違憲となる可能性がかなり高いと思われる。何故ならいわゆる模倣説科学的に立証されたわけでなく、児童人格権直ちに侵害される、いわゆる明白かつ現在の危険を有しているとまでは言えない。加えて日本においては子供の入浴の写真を撮ることが一般的とまではいはなくとも受容されうるという現状がある以上、国民一般的な通念上と照らし合わせてみても違憲である可能性が高い。

2.はおそらく現行憲法下において規制理由とするのであれば最も妥当論理になると思われる。再度述べるが刑法175条は健全な性道徳という社会的法益保護することが目的であり、かつそれは合憲であるという判決が何度も出ている。そのため、同様に児童ポルノ規制保護法益は「児童健全に成長する社会」を保護するという旨を明記するのであれば、刑法175条と同様の論理正当化されると思われる(再度注意しておくがこれは筆者の見解であり当然議論があると思われる)。また、保護法益は互いに二律背反ではなく、社会的法益及び個人的法益の双方が保護されうる(下級審判決などに判例がある)。そのため、この場合であれば児童ポルノ規制個人的法益及び社会的法益双方を保護するものとして解される。

最終的な結論

筆者の見解現行憲法下でも新たな立法による表現規制正当化することは不可能ではない(難しいかもしれないが)。

筆者の個人的な(政治的要素を含む)意見

ポルノ規制社会的法益保護根拠とするのはふさわしくないと考えている。そのため、

が私の考え方である

ただ注意しておきたいが、この種の規制問題に当たってはやはり児童保護という観点重要視して欲しく思っている。表現の自由はもちろん保障されるべきであるが、児童の目に触れないための厳格なゾーニングを求めたい。自ら謳歌する自由他者尊厳を損なうことがないよう、気をつけて欲しい。

また、議論の際には建設的な議論を求めたい。相手ナチス呼ばわり、もしくは戦士呼ばわりなど持っての他である安易レッテル貼り議論口論にかえてしまう。健全民主主義は誰もが自由に参加できる建設的な議論を礎にしていることを忘れないでほしい。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん