はてなキーワード: 注釈とは
この文章は、「本気でゼロからのコミックマーケット入門」からの抜粋です。
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この本が対象としている読者は、
2:知り合いのオタクから「コミケ行ってみようぜ」と誘われた、オタ未満のパンピー
(3:上記に「コミケって何?」と聞かれた、擦れきったクソヲタ)
です。
1,2の人に向けて:
コミックマーケットに行ってみよう、と思い立ってまずググってみると、コミックマーケット準備会のホームページか、wikipediaに行きつくのではないでしょうか。ところが、どちらをとってみても「本当の初心者」向けの情報は限られていて、本当に知りたい情報は限られているのが実情です。
・どれだけお金用意すればよい?
・動画で見たあの長い列に並んでみたい
なんでその辺の解説が少ないからというと、「来るやつは分かって来ているのだから問題ない」と考えている人が多いから、というのがだいたいの答えです。あと、コミックマーケットのカタログにも書かれてるから、という場合もあるでしょう。
でも、あの電話帳のような(電話帳って知ってる? JRの窓口に置かれてるデカい時刻表でもいいけど)カタログから、知りたい情報を探すのはそれだけで骨が折れるし、ちょっと見に行くだけなのにアレ買わないといけないのかとか、考えるとうんざりするというのも分かります。
そういう声のために、この本を作りました。コミケを一度体験してみたいという人の役に立てるように、細かいところまで説明しています。
とりあえず買い物のことは脇に置いて、行って、見て、体験してみてください。何か一冊、気になった本を買ってみるのもよいでしょう。そんな中で、「次も行ってみたい!」と思える何かが見つかれば、それに越したことはありません。
3のヲタに向けて:
いわゆる「一般参加の作法」については、サークル参加のそれに比して、体系的に下の世代へ伝えるという視点が欠けているように思えます。
どこかしら面白おかしく語りたいというエンタメ気質からか、ゆがんだ、とまでは言わずとも『正しいけども違う』という説明がネット上では多く見受けられ、全く知らない人がちゃんと理解できるのか、誤解を招いていないだろうかと不安になる場面もあります。
上の1,2の人に対して、茶化したり裏話だったり個人の(特殊な)体験だったりに逃げたりせず、「コミケって何?」から始まる根掘り葉掘りを、真正面からちゃんと説明できるでしょうか?巷にあふれるコミケの動画をみて、「行ってみたい」と友人や恋人にお願いされたとき、嫌な思いをさせずにその一日を過ごさせることができるでしょうか?
本書は可能な限り平易な説明と豊富な注釈で、超初心者が不安になりがちな個所をなくすようにし、「一般参加としてコミケに来て、一通り見て回って帰る」までをサポートします。たとえば移動手段であったり、食事であったり、買い物であったり、あまり説明されない個所を重点的に記述します。逆に、歴史的経緯や過去のトラブル事例、エピソードの類などは軽く触れるだけになるでしょう。その辺は、自分で調べたり、あるいは体験すればよいものです。
最初の1回を平穏無事に過ごさせること。それが本書の目的です。「ガチ勢に育成する」「兵隊として教育する」は本書のサポートの範囲を超えます。そういうのはご自身でお願いします。
「**と書いてあるから、実在の事件だろう」という主張がなりたつには「実在の事件でない場合は**とは(まず)書かないだろう」という前提が必要。
しかし、本件が創作であった場合でも、一番突っ込まれている養育費の数字について後付けでフォローをすることは不思議でないどころか、いかにもありそうなこと。だから、元増田が「嘘と思われたら癪に障るので注釈〜」を書いたことは、実在の事件だと考える根拠にはならない。
なお、自分はそもそも養育費の数字については突っ込んでない。養育費の額は、実在の事件であれば特定しやすいまれなケースであることは示しても、嘘であることを直接示すものではない。
しかしながら、元増田の養育費に関する追記は、「相手の収入」「自分の主張」「養育費の額」を明らかにしていて、夫側に特定される可能性が相当高まる内容。しかも、調停後に働き始めて相当の収入を得ていることを相手方に隠していることも自白してしまっている。
悪辣弁護士のアドバイスに従って、周囲も裁判所も騙しきってきた元増田がこのような不用意な発言をするのは不自然で、むしろ、創作案件であることを裏付ける。
子の教育方針などで夫と口論するうち、子を夫と切り離し自分だけの好みの方針で育てるために離婚したくなった。
我ながら我が儘だけど。
もともと夫とソリが合わず孫の顔さえ見てればいい人たちだから、実家は当然、全面的に私の味方。
それで思い切って、ものごころつく前の子を連れて実家に戻った。
実家のサポートでいろいろ生活が成り立つようになったので、女性に寄り添い女性の言い分を通してくれることで有名な離婚弁護士さんに相談。
こんな内容を書く。
1. 一方的に自分の意見を通そうとする我が儘で暴力的な夫から激しい言葉のDVを受けた
2. 子に対する具体的なDVはなかったが今後そのおそれは十分にあり、私に暴言を吐く姿を子が見てトラウマになっていること自体も含めて。子との面会は困難
なぜこうするかはちゃんと理由があった。
家庭裁判所や調停委員は事実関係を調査せず双方の主張を聞くだけ。
明らかにこちらの言い分に嘘や矛盾があっても、それを指摘する夫の反論の激しさは「夫婦間の葛藤」の存在を証明することになるので、むしろ好都合。
それだけでは不安であれば、婦人相談所にDV被害の相談に行き「配偶者からの暴力の被害者の保護に関する証明書」を発行してもらえばよい。
この証明書の発行には証拠不要。事実確認はおろか夫側の見解聴取もない。
これは「相談があったことの証明」だが、実務的には「DVがあったことの証明」として役所や裁判所で通用する。
(内閣府男女共同参画局通知 http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/kanrentsuchi/pdf/01/n_29_20140930.pdf ここには『この保護に関する証明書は、配偶者からの暴力を理由として保護した者に対して婦人相談所等が発行するものであり、配偶者からの暴力があった事実を証明するものではないことを、念のため申し添えます』と書いてあるが、調停委員が知らないばかりか家庭裁判所裁判官も知らないほど、この注記は知られていない。)
これから別居中にじっくりと子に夫の恐ろしさを教えておけばよい。試行面会の頃までには子が勝手に夫を怖がるようになってくれる。
どんなに夫が子煩悩だったとしても、3歳くらいまでの記憶は綺麗さっぱり消える(「幼児健忘症」。病気ではない)。
夫の写真も見せないようにする。仮に子が「パパは?」と訊いたとしても、キッと睨むだけで子は「この話を母親としてはいけないんだ」と学び、保護者である母親の気に入る子になる本能で、勝手に父親を嫌いになる。
3.は実入りを少しでも大きくするため。
離婚をしてしまうと受け取れるのは養育費だけになるが、婚姻をかたちの上で継続しておけば相互扶養義務に基づく婚姻費用の分担を請求できる。
このアドバイスのとおりにやってみると、面白いように周りが全部こちらの味方になってくれた。
誰も私を疑わない。
いや、疑う流れにはときどきなったけど、疑うそぶりを少しでも感じたら
「私を疑うなんて酷い」
と泣いてみせればその話はぜんぶ立ち消えになった。
私の言い分の嘘や矛盾を夫が長々と説明しても、どんな証拠が出てきても、「そんなことはない」と言えばいい。
そう言うだけの方が良いのだ。
「証拠対証拠になると不利なので、こちらからは証拠を出さない」
夫がどんなに苦労して物的証拠を出しても、裁判官や調停委員はそれを採用せず、私の口頭の主張ばかり採用する。
子には何年も会わせてもらえない。・・・
夫が怒り始めるのも当然。
でも、
「すぐそうやって怒り始める人で大変だったんです」
と言えば1.や2.の間接的な証明にもなる。
しかも、
という裁判所独特の言い回しで、面会させない理由にしてくれる。
いい気味w
女>>>>>>>>>>>男
とあらかじめ決まってる。
夫が年収高かったおかげで20万強の婚姻費用を毎月受け取ってる。
保育所には例の「証明書」を見せれば最優先で入れて貰えたので、自分の勤めの収入も十分。
((嘘扱いされるのが癪に障るので追記注釈。実家のサポートで暮らしていて収入ゼロのうちに婚費決めさせたのと、娘がDVトラウマで今後も働きに出られないかもという主張が通って、夫の年収1300ちょっとだったけど算定表ほぼ満額が取れたんですよ http://www.courts.go.jp/tokyo-f/vcms_lf/santeihyo.pdf 現実の裁判所が嘘みたいだからしかたないんだけど、無闇に嘘扱いしないでね))
さすがにこれは酷いということで国会でも「親子関係断絶防止法」が議論になってるけど、たぶん通らない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/komazakihiroki/20170308-00068455/
裁判所の調停や審判に持ち込まれているような場合、夫婦間でかなりの葛藤があって、敵対関係があって、持ち込まれるのが大半なんではないですか?そういう場合に面会交流を継続するのが、本当に子どもの福祉にかなうのか、慎重に考えるべき
実はこの「夫婦間の葛藤」や「敵対関係」は私が作ってるだけで実際には夫に非なんか一切無いんだけど、勝手にこう解釈してくれて、私の我が儘じゃなく「子供の福祉のために」面会をやめろと言ってくれる。
夫はこれからどう出てくるのかな。
「会わせろ」と連絡してくるのを警察に相談したらストーカー扱いしてくれたので、今はそれもない。
当たり前だよね。
少しでも振込を怠ったら私から会社に連絡がいき、給料を差し押さえられるんだから。
弁護士にきいたら、次の裁判ものらりくらりやってれば絶対に勝てるんだって。
ただ、一生ずっと面会ゼロにするためにはひと工夫必要らしいので、今それをやってるところ。
その中身は内緒だけどね。
この国は最高。
「推理小説におけるロマンス描写」を、絶対真実な添え物とスルーするのではなく、本当の謎解きは情愛部分にあったのだとみなします。
随時更新
私の持論として。一番大事なことは『自分が作品をスッキリ楽しめたか』という部分であり、正解のない舞台作品の考察というものは『よりスッキリした心で作品を愛する』ために行うべきである、と考えている。
作者の真意とかメッセージとかは観客に都合のいい時にだけ引っ張り出せばよい駒であり、エンタメの世界に『解き明かすべき絶対の謎』なんて無いのである。
「楽しんだモン勝ちや!」である。
その観点で言えば、初見の私の感想は、もうグッドエンドとして十分だった。
http://anond.hatelabo.jp/20170206104211
作品構造を分解すると唸るほどしっかり構築されていることがわかり、「ただ自分が見たままを感じ、考察などせず楽しむべき」類いの舞台ということが浮き彫りになって仕方がない。
しかし私は、好奇心と言うか…感動を共有できない淋しさと言うか…出所のわからない衝動に駆られて、本作を『ミステリー』として推理することに踏み込んでしまった。
そしてこの目的で2回目観劇したことを多いに後悔していたのだけど、今わずかばかりの希望の光が見えてきた。
犯人やトリックを推理する殺人ミステリーではなく、二人の人間の有り様を推理する情愛ミステリー。
簑浦も諸戸も幸せになれる最適解。
ですので、自分でも自分なりのトゥルーエンドを目指しますが、時間にリミットがあるため、もし同じくこの迷宮にうっかり足を踏み入れてしまった探偵さんがいらっしゃれば、ご助言を賜れると幸いです。
目指すゴールは『スッキリ楽しめて、より作品を好きになる』こと。
本作は深い意味で「原作に忠実」だと感じるのだけど、原作をそのまま演じている訳ではない。
今のところ私にとっての最大の謎は、この世界の階層構造と登場人物である。
私に見えたキーパーツを挙げていく。
また、注釈の挿入タイミングを正確に記憶していないので、区別が間違っているかもしれない。
基本的に諸戸は今回の舞台上では同一存在だと考えていますが、そう見えるだけかもしれないため分けておきます。
随時更新
我々は『なぜ』錯覚していた?
前提として、本編はすべて「諸戸」と「簑浦」で代替できる隠喩要素のみで編纂されている。(秀ちゃんの手記、丈五郎の過去、など)
また、一般的に「嫌悪感」を感じるものを排除し、極限まで美しく描いている。(ビジュアルはもちろん、諸戸の性的侵略も)
→諸戸からの握手を握り返さない『箕浦』に諸戸は驚き『私』を見詰める。すると『箕浦』は諸戸の手を握り返した
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随時更新
→本編は経験談の体なのに、諸戸のセリフにも括弧を入れて諸戸のモノローグが挿入されている。簑浦のモノローグはほぼ《私》であるのに、諸戸のモノローグはしっかり《僕》
観劇2回目の備忘録:http://anond.hatelabo.jp/20170208235429
(着眼項目リストと理由:http://anond.hatelabo.jp/20170207171941)
観劇2回目で受けた印象:http://anond.hatelabo.jp/20170209051208
初見感想を書いた後のメモ:http://anond.hatelabo.jp/20170207200710
当事者だからひしひし感じるけど、結局アニメ業界の人間ってのは甘ちゃんなんだよな
商業でクリエイターやるならビジネスライクにやらなきゃいけないのに
それが嫌で作家性だとかやりたい仕事ができるような環境を求めている
芸術家と産業の間にある曖昧な業界で、一生モラトリアム続けて適当にやってきたいロクデナシの集まりなんだよ
海外のアニメ製作会社は割り切ってやってるから、仕事のやりがいが少ない代わりにまともに働ける
日本のアニメだって、止絵で持たせたり総集編挟んだりしながらおもちゃの宣伝をやってた頃はもうちょっと環境もマシだった
それが段々ガイナックスに代表されるようなアニメ作りが好きで好きでしょうがないという連中が入ってきてからおかしくなったんだ
80年代のアニメーターの仕事とか、ちやほやされていい気になってるけどあんなんただのダンピングだ
その予算の中で勝手に頑張って勝手にアニメに要求されるハードルを引き上げたのはその後の世代の人間だ
そいつらの大半は売れる作品を作ろうなんて考えは毛頭ない、自分が気持ちよくなりたいということで頭がいっぱいのやつらだ。
注釈しておくとエヴァブランドを思いっきり活用してる庵野はよくやっている。しかし抜け殻のガイナックスがどうなってるかを見れば分かるだろ。
マニアに評価されるもん作っててもしょうがねえんだよ。そんなもん1作たりとも作ってはならない。
だけどヒット作で儲けた金をオナニー作品でチャラにしてしまう会社が大半なんだ。
搾取するまでもなく、やりがいだけで仕事選んでる連中なんだよ。
どれだけ待遇が悪くても、自分たちが好きなアニメを作れなきゃ生きてる意味がないという狂人連中なんだ。
しかしそれはただの自己満足だ。そんなのは、商売としても芸術としても間違っていて、そこを間違えるから人が死ぬんだ。
結局アニメクリエイターたちが誰かに搾取されてるなんてことはない。自分たち同士で互いに首を絞めて苦しんでるだけなんだ。
しかも本来それを止めるべきプロデューサーやらスポンサーまで一緒になって首絞め大会に参加してるから手に負えない。
小児の片頭痛はどのように診断するか(周期性嘔吐症、腹部片頭痛)
http://www.jhsnet.org/GUIDELINE/7/7-2.htm
http://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id300.html
医者は恐らく筋緊張型頭痛だと考えられるが、念の為頭部MRIを撮るかと言ってその日のうちにMRIを取ることになった。MRIはCTと違い放射線ではなく磁気で人体内部を走査するもので、1回に40分ほど、1万円くらいかかった。
3テスラ以上の機械で行うMRIは1600点である。単純計算で4800円である。
この日は初診料、採血なども加わったので1万円程度になったと考える。
そこで初めて医者から「未破裂脳動脈瘤」という単語を聞かされることになった。
http://www.sankikai.or.jp/tsurumaki/disease/brain/miharetu.html
http://neurosurgery.med.u-tokai.ac.jp/edemiru/miharetsu/
未破裂脳動脈瘤について
https://square.umin.ac.jp/neuroinf/medical/102.html
脳動脈瘤の原因について尋ねたが、未だによく分かっていないらしく、先天的に血管の壁が薄いところがあって、そこが年を経ていって膨らんでいくというふうに考えられているということだった。
知られているリスク:
家族歴:1親等以内の2人以上に脳動脈瘤がある場合は一般の人の4倍程度
多発性嚢胞腎では10%程度
歯周病(https://medicalnote.jp/contents/160216-002-PZ)
関東では全身麻酔でやることが多いらしいが、関西ではカテーテルを入れる入り口である太もも付け根に局所麻酔をするだけが多いらしく、関西の病院だったので局所麻酔だけだった。
治療中にどこに血栓が飛ぶかわからんから全国どこでも目が覚めたままでやると思うけれど。
くも膜下出血を起こしてからでは遅い。MRIを撮ったことがない人、特に片頭痛に悩んでいる人は一度MRIを撮ってもらうことをおすすめする。
こういうお勧めはどうかなと思う。今回は片頭痛とは違う痛みだから医師の判断でやったわけでしょ。(たぶんAVMのほうを除外したかったと思う)医者に任せよう。
むしろ頭痛がある人は頭痛日記つけて、頭痛専門医にかかろう、ってアドバイスが良い。
最近プレイしていたゲームや見ていたアニメが著作権にからんで炎上するということが実感として多いように思う。
純粋に作品を応援していた一ファンとして、もやもやした気持ちを抱えかねたので少し吐き出したい。
※私が書く話の断片から作品を特定することは容易(どれもこれもいろいろな意味で有名な作品ばかりだ)だと思うが、
私自身に作品やそのファンを貶めるような意図がないことだけは注釈しておきたい。
私が初めて炎上というものを意識したのはとあるソーシャルゲームだった。
Twitterなどで流行りなんとなく始め、それなりに楽しくプレイしていたソーシャルゲームでトレパク疑惑が浮上した。
知らなかったで看過される問題ではないと思い、疑惑をまとめたサイトを確認したりTwitter上で『愚痴垢』と呼ばれているものにも一通り目を通した。
好きな作品だったため複雑だったが、どう考えても疑惑を否定することは不可能だと思った。
結局、しばらくして運営は謝罪と問題の絵柄の差し替えなどを行った。
元々かなり怪しそうな作品だと言われていたことはインストールしてから知った。
キャラクターの容姿や設定がとある作品のものと似通っていたのだ。
設定を真似られた可能性のある作品に対して、私個人はあまり興味がなく、
キャラクターの属性としてはありがちなものばかりであるということもあって、私だけでプレイしていては気づかなかったと思う。
前回のソーシャルゲームと同様に自分なりに調べてみたが、やはり運営に弁解の余地はないように感じた。
(にもかかわらず相変わらずのことを繰り返しているようで、謝罪すればいいという問題ではないという当たり前のことを運営にはきちんと理解していただきたい)
この時点でいい加減ソーシャルゲームやアプリゲームというものに不信感が募っていた。
無料でもプレイできるゲームであるということはやはり運営にそれなりに負担をかけるものなのだとも思うが、倫理観を失うことだけは何があってもしてはいけないことではないだろうか。最低限のルール以前の問題だ。
そもそも最初から負担ありきできちんと利益を出せる、顧客を裏切らない作品作りをして欲しい。
できないのであればその作品はまだ世に出すべきものではないのではなかろうか。
散々騒ぎになってからも反応は遅く、やっと対応したと思えばそれでいいのかという内容の謝罪文。
一応未だ疑惑の段階であるが、個人的には許可を取っていなかった可能性は高いと思う。
もういい加減にしてほしい。
一番つらいのはキャラクターや作品を好きだという感情が踏みにじられることだ。
運営や制作元にいくら不信感が募ろうと、私は好きだったキャラクターを一瞬で嫌いになることができる人間ではなかった。
そう考えると私には倫理観が欠如しているのかもしれないが、しかしやはりどう頑張っても、複雑な感情を抱くようにはなっても、嫌いにだけはなれなかった。
問題を起こしても押し通せる人間たちだとは思われたくないのに、結局はそうなってしまう自分の立場が腹立たしかった。
前述した『愚痴垢』は元作品ファンがほとんどで、そんな人たちの「いくらキャラクターが好きだったとしてもこんな真っ黒な作品ではとてもじゃないが生理的に受け付けない(意訳)」といったつぶやきを読むたび罪悪感にかられた。
好き嫌いではなく善悪で理性的に判断をしていて、私情まみれの私とはまったく違うと尊敬の念すら覚える。
また、Twitter上でとにかく作品を擁護(ときには見当違いな方向で)する、『信者』と呼ばれそうな人たちにも飽き飽きしていた。
何でもかんでも受け入れるのが良きファンではない。
そんな『信者』達と未練たらしい私の立場ははたから見ていれば変わらないのかもしれないと感じる度に作品自体に近づきたくなくなった。
あの作品を好きだった人間には近づきたくないという言葉を見る度に悲しくなった。
私は無知で、まずい作品を判断する直感のようなものが欠けているのかもしれないが、だからと言って少なくとも間違った人間を無条件に擁護するような人種ではないのだということだけは言いたかった。
私があの作品を好きで、楽しんでいた時はいつの間にか私の黒歴史になり、他人の判断基準になっている。
なんだか遣る瀬無い。
散々書きなぐったが、結局伝えたいことは
ということだ。
そして、万が一やらかしてしまった場合は速やかに謝罪しきちんとした対応を取ってほしい。
謝っただけでなあなあで済ませるのはしこりが残りすぎて最早許す気にはなれない。
こんな当たり前のことを願わなくてはいけないなんてなんて馬鹿らしいことだろうか。
また、
何でもかんでも擁護することは愚かなファンの行動であり、問題を直視しないような人間でいてはいけない
鶏が先か、卵が先かなんてどちらでもいいが、根絶やしにしたいのならどちらかがなくなるしかない。
そして、運営や制作元に嫌悪感を抱きながらもキャラクターへの愛を捨てられないどうしようもなく愚かな人間がいることも知ってくれたら有難い。
思いつくままに書いてしまったせいで支離滅裂な長文になってしまいました。
もしここまで目を通してくれた人がいたら本当にありがとうございます。そして申し訳ありませんでした。
久保ミツロウさんはTwitterで「この作品の世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしない」とおっしゃっている
https://twitter.com/kubo_3260/status/806843079244201985
あの世界には同性愛差別は一ミリも存在していない、異性愛と同性愛がただのこのみの問題である世界だってことなんだろう
ところであのアニメ世界で主人公とほぼ恋愛関係にある(と思われる描写がいくつもされている)コーチはロシア人だが
こちら側の世界にはロシアに同性愛プロパガンダ禁止法という法律があってオープンリーゲイは大変生きにくい
”反プロパガンダ法では、「非伝統的な性的状況を作ることを狙った」情報、または同性愛と異性愛の関係が「社会的に同等」であるという「歪んだ理解」を持たせる情報を、未成年者に広めた者に対し、最大5000 ルーブル(約1万5000円)の罰金を科している。
また当局者に対しては、そのような「プロパガンダ」がマスメディアやインターネットを通じて広められた場合、最大20万ルーブル(約60万円)の罰金が科される。外国人は罰金の対象になるだけでなく、最大15日間の身柄拘束と、国外退去の処分が科せられる恐れがある。また団体には、最大100万ルーブル(約300万円)の罰金と、90日間の活動停止処分が科される。”
http://www.afpbb.com/articles/-/2953522
同性愛が当たり前にある日常の世界(それはおそらくこの世界がそれに近づいていくだろう世界)をアニメで描くのは何もおかしいことじゃないと思うけれど
なんの注釈もなしにロシア人フィギュアスケーターを出して同性愛を隠れテーマ(テーマでもないのかな)として描くのは
一足、あるいは二足飛びだって感じるところがある
◇ 『仁義なき戦い』の脚本家、笠原和夫の本がなぜか図書館にあって、面白くて読みふけってしまった。
曰く、『仁義なき戦い』のテーマの1つは、日本は戦争に負け、経済戦争にも負けたのに、またカネを巡って同じことをやっている。アホばっかりだ。ばーかばーか。ということだと。
時代は違うが内村鑑三も似たようなことを言っていて、曰く、日本は戦争向きの国ではないし、文化もモノマネしかできない。経済もそんな強くない。と。
じゃあどうすればいいかというと、内村は「日本の目指す道は宗教しかない」と言う。
ぜったい無理だけど、そうなったらいいなぁとは思う。
◇ キリスト教関連のエッセイに「フォイエルバッハはいいぞ」みたいなことが書いてあったので入門書を買ってきた。
めっちゃむずかしい。なんだこれ。
入門書の筆者曰く「フォイエルバッハはその主張から無神論者だと思われがちだけど、実はそうでもないよ」とのことなのだが、完全にキリスト教徒を殺しにかかってて笑える。痛いところ突かれまくり。だがそれがいい。
てかマルクスの思想の元ネタの1つがフォイエルバッハらしく、時折マルクスっぽいことを言うのでおおっ!てなる。
これ理解出来たらキリスト教とマルクス主義が頭の中できれいに整理されるんだけどなぁ。なんかもう1冊買うか。
内村鑑三の注釈は聖書の部分によって明らかに筆のノリが違っていて、自身の実生活で慰めを得たところだと熱くなる。
具体的には、貧乏生活を慰める規定や、人を裁くことを諫める規定は熱い。熱すぎる。
たまらずコレヘトの言葉に移ると、地上の快楽を追及するのは虚しいだけだよ、みたいな話なので熱気がすごい。おもしろい。
作者がソロモン(と言われているが実際には違う)ってのもロマンを感じる。
とりとめないが以上
最近考えてること。
ロマ書とその注釈を読んでたら、キリスト教ってのは禁欲の宗教ではないとのこと。
どういうことかと言うと、キリスト者は信仰を持ち、聖化していく過程で、自然と風俗やタバコが不要になる(といいなぁ)ということらしい。
つまり、禁止されているからやらないのではなく、必要ないからやらないのだと。
薬物規制に関して、大麻使用を処罰するのはどうなのかなぁと思っていたのだが、上記解釈によればキリスト教の見地に立っても一応大麻解禁は可能ということになりそう。
友達に聖書と科学の矛盾(しているように見えるところ)の話をしてゲラゲラ笑っていたら、「なんでそこまで分かっていて信仰するの?」と聞かれた。
ここで気づいたのだけど、自分の場合、神の存在を信じる ⇒ 聖書の教えを受け入れる、のではないのよね。
自分の今の閉塞的な状況からすると聖書の教えを受け入れるしか幸せになる途がない ⇒ 神の存在を信じざるを得ない、なのよね。
そんなことを考えていたら、内村鑑三も似たようなこと言ってて感動した。
資本の回転プロセスで権利義務関係がどう展開するかを描いた論文で、これのせいで未だに現代の弁護士や法学部生がマル経用語を(知らず知らずのうちに)使っていたりするというもの。
ちょっと前に買って一読したのだけど、手形法の理解が全然ないためにななめ読みして放置してた。
これのせいでマルクス熱が再燃しつつある。
この前増田で勧められた『バガヴァッド・ギーター』を解説書と一緒に読んでる。
読んでていちいち聖書と比較してしまって考え込むので全然進まない。
先日親戚の子供が訪ねてきて、あれは何で、あれは何、としきりに問うてきた。
聖書の詩篇かなんかに、自然を知ることは神を知ること、みたいな教えがあって、そのことからすると、この子らの何でも知りたいという態度はきわめて聖書的なんじゃないかと思って考え込んでしまった。
おわり
※そういや先日書いた増田に、ブログ作って解釈まとめてくれみたいなコメントが付いてたんですが、僕は内村鑑三の全集とマルクス読んで思いついたことを書いてるだけなんで、そっち読んだほうがいいですよ。
#ブコメでのフォローありがとうございます。勉強になります。
#やっとカテゴリ化しました。前からカテゴリ化しろと言ってくださってた方、遅れてすいません。
#さかのぼって読んだらアホみたいなこと書いてて草
http://anond.hatelabo.jp/20161022214446
↑こちらの続き的な話。
ウシジマくんのルビの使い方が「注釈」なんじゃないか、という指摘は目から鱗だった。
http://anond.hatelabo.jp/20161023124428
↑こちらのトラバでルビの使い方を整理してくれているが、ルビの使い方には少なくとももう一種類あるのではないか。
例えば、ハンターハンターにおける「神の左手悪魔の右手(ギャラリーフェイク)。
盗賊の極意(ハンターズスキル)などは意訳の範囲だが、ギャラリーフェイクに至ってはほとんど関係ない、というか別のマンガ2作品のタイトルである。(念能力の内容や実際にやってることを考えれば関係はあるとはいえばある。)
念能力という固有名詞なんだから何でもアリといえばアリだけど、あの世界のキャラクターはルビの部分を発声しているのか、本文の部分まで含めて自分で考えているのか、本文の部分は他人に伝えてるのか、などよく分からない部分である。
(ちらっと見たアニメでは、天空闘技場の実況が両方読んでいた気がする)
また、東京喰種Reなどで見られるのが、本文とルビに一見真逆のことが書いてあったりするパターンである。
例えば、本文は「平和的解決」、ルビが「一方的虐殺」などである。
これに至っては、実際にそのキャラが発声したのはどっちなのかよく分からない。
東京喰種では他にもキャラがどちらを発声したのか分からないパターンがあり、
本文が「おかわりちょーだい」、ルビが「次、お前な」などがある。
読んでいる人に意味が分かるから良いだろう、的なブコメもあったが、ウシジマくんでも読んでて一瞬違和感を覚えるし、上のようなどっちを発声してるのか分からない例は混乱するのでできれば避けてほしい。
(ただし、東京喰種は、キャラの個性や演出的な意味があるで良かったと思う。東京喰種無印の終盤の「喰べるしかない」も良かった。)
「君の名は。」で口噛み酒のシーンが気持ち悪いと言う話になっている。
http://togetter.com/li/1029154
口噛み酒自体は新海監督のある種のフェティシズムの発露であるというのはインタビューでも言っていたのでまぁ気持ち悪く感じる人がいるのもわからなくはない。
本来性癖は人によって千差万別でかなり慎重に扱うべきものだからだ。
一方でエロは万人にほぼほぼ普遍的に存在するものなのである程度の公約数的な部分を確保してしまえば多くの人間にフックするという強みもある。
新海誠監督は今まで過去作においてエロティックな場面をほとんど描いてこなかった。
その理由は私にはわからないがある種の特徴の一つでもあったと思う。
そういった点がこじらせた「童貞」臭さと言われる一端でもあった。
※ちなみに新海監督は童貞臭いと言われることを一定程度評価している旨をラジオ番組で発言している。
おそらく童貞臭いという評価に内在する純粋さ・ピュアさが新海監督がターゲットにしている思春期の男女にまさにクリティカルにHITする部分だと思っているからだろう。
今回はそこから一歩踏み出し、フェティシズムや一定程度健全なエロさを作中に含ませようと考えたのは恐らく言の葉の庭の足フェチ描写が観客に評価されたからであると思う。
ということに気づいたのだと思われる。
東宝に出した最初の企画書の時点で三葉の胸を揉む描写が既にあったことが見て取れる。
一方で性欲を丸出しにしてしまうと下品すぎて観客が引いてしまうことは恐らく既に把握していて、言の葉の庭では足を触る描写をエロティックだが徹底的に崇高かつ審美的に描き下品さをかき消すと言う手法を使った。
それに対して今回使った手法はベタベタと言っているように定型的で既に出来上がった文脈の手法をそのまま持ってきた形だ。
つまり笑いを使うことでエロさに健全さをくっ付けることで観客が引くことを回避させようと言う手法である。
つまり観客にこのシーンを見て笑ってもいいんだぜ?
というわけだ。
最近エロの手法を取り入れたにしてはこの辺の技巧に非常にしびれたし、単純にうまいなと思わされた。
なんとなくこの辺で瀧君を「ちょっとエッチな東京から来たイケメン」という卑近さを生み出すの成功しているような気がする。
股間に手を出すのはアウトだが、胸ならギリギリという非常に危ういラインだ(瀧が三葉の状態でトイレに行く描写がないのはそういうことだろう。三葉in瀧ではあるのに)。
その他こまごました部分を含めてその辺の舵取りはかなりきっちり詰めたのだろう。
お見事でした。
しかし、この入れ替わりシーンは置いておくとして問題になっているのは口噛み酒のシーンである。
と言うシーンである。
ここにオタク男性的感性をどうしても感じてしまうと言う点である。
四葉が女性の性的価値を少女でありながら感じていることに違和感を感じると言うことだろう。
しかし、正直この点に男性性をいきなり感じてしまうというのは少々飛躍しすぎではないだろうか。
実は作中に少女向けのファッション雑誌が部屋に転がっていると言うカットが存在する。
つまり、四葉はそういう点にわりと自覚的であるのではないかというエクスキューズをわざわざ用意してあるのだ。
あるいは三葉の言うとおり「思春期前のお子様」であるのでそういった視線に知識はあるものの無頓着である。
という解釈もできるかもしれない。
いずれせよ、安易に一方的な男性性を見出すには少々待ったをかける必要はあるはずだ。
ネット上の論評をいくつか見て回って、少し思ったことがある。
思ったのは新海誠が男性であるからといった点が論評において強く作用しているのではないかという点だ。
もちろん秒速5センチメートルが強い男性目線からの作品であったのは事実だと思うし、実際作中のモノローグの量はタカキの物が大半だ。その様な作品で男性性を強く見出すのはわかる。
しかし、だからといって一足飛びに「君の名は。」をすぐに男性的であると決め付けすぎるのはすこし早すぎる気がする。
もちろん過去作の文脈をまるごと無視するというのはさすがに無理があると思うが、言の葉の庭における雪野の描写や彼女と彼女の猫が女性主人公であるという点を無視しすぎである。
一方で日本では従来の男性ファンがあまりにも多すぎた気来がある。
そのせいかどうも、評論すら男性的目線から見たものが多すぎる気がする(特に上白石萌音が秒速でどちらかというとコスモナウトに感情移入したというのは示唆的だ。ネット上であまりその視点から言及した記事を見たことがない。)
女性が自分の性的価値を認識していないというのは少々一方的過ぎるだろう。
女性受けを狙ってアイドルをやっている人もいるという説明もまぁそういう人もいるだろうが、皆男性からの目線を意識していないなどというのは少し純粋性を女性に求めすぎだ。
特に三葉が口噛み酒販売に対して斜め上の回答をしたのはまともに回答するのが恥ずかしいからであり、それは三葉に対するジェンダー的抑圧の強さを示している部分でもあると思うし、「イケメン男子にしてください」という台詞にもつながる。
わりと重要な部分だと思うので安易に監督の男性性に固執するのは危険だと思う。
勅使河原の口噛み酒の部分もあれは作品のメッセージではなく勅使河原の認識とみなすのが相応だろう。
同じ縁故に縛られた立場として土着にまつわる行為を否定されることにある種のシンパシーからの擁護であるとも取れる。
※つまり、必死こいて神事を行ってるのに友人まで否定するのは酷ではないかという同情的心理。縛られていることに息苦しさを覚えていながら糸守に愛着があるという描写を事前に行っているのはその辺の示唆なのではないか。三葉がどう思うかは別である。
あたし男だけどちょっと二言三言
これだけではわからんが、何かもっと別の問題が隠れていると言う気がするな。
なぜ貴方は男性が苦手なのか、何故好意を持たれたという事に(ありがたい事に)などと注釈をつけなければならないのか、何故媚びるという事がそんなにも嫌なのか。
最大の疑問点として、「男性社会で心が折れてしまう理由」に「女性による女性蔑視」を挙げている点。
この社会が男性優位という歪を抱えているという事に貴方は気付いているんだよね?
それで女性は男性の付属品だとでも思ってんの?「女性による女性蔑視」さえなければ君の心は折れなかった、
折れなかったら、どうなるの?
もっと直接的に言おうか、「男性による女性蔑視」では折れずにグッと飲み込んでしまえるのは何故?
全体的になんで貴方はそんなにもこう、自信が無さげなのかなぁ?ってのが率直な疑問なのね。
そういった貴方の男性を過剰に立てる態度が同じ女性からすると「その気もないのに相手をその気にさせている」と言う風に映っても全然不思議ではありませんよね。
でまあそれは別に良いんだけどね、貴方にそのつもりはないわけだし。
貴方が男性が支配する社会で男性を苦手としながらもある種の隷属によって安心も得ているというそれ自体は良くも悪くもないんだけど。問題は貴方が女性からの指摘や風聞になぜそこまで傷つくのかという点ですよ。
僕は上述のような理由で貴方の事をオタサーの姫と評した女性たちに別に大した悪意はなかったと思いますよ?
だって貴方ってそのつもりはなくてもそう見える要素は持っていますからね、それを貴方は鬱憤ばらしと解する訳ですが。
さてこの貴方が思う相手の女性の鬱憤とは何でしょうね?妬みではないですよね。
「男に屈しやがって」って事なんじゃないですか?で貴方はそれを指摘されるのが嫌であると。
創世記さぼってヨシュア記とかいうのを読む。罪人居たせいで戦争に負けたわ、とかいう話。聖書の中でも重要性低いぽい。注釈者もどうでもよさそうな感じ。
聖書(創世記)によれば、神はしょっぱなから人間作ったことになっているが、これは動物が徐々に進化して人類が登場したという理解(=進化論)と矛盾しているのでは?という議論があるらしい。
とあるだけで、創造のプロセスについては述べられていない。だから別に矛盾はしないんだ、と書いていた。
あとニーチェがキリスト教のことを「奴隷道徳」と罵っていたが、これに対する反論が『種の起源』にはあると思う(俺が勝手に読み込んでるだけだけど)。
「強くて優れたものが善であり、弱くて劣ったものが悪である」という支配者道徳は、結局のところ動物や植物が支配されている原理だ。
動物や植物が支配されているから、人間もその原理に従わないといけない、という理はないと思う。
むしろ、「支配者の持つ強くて高いという性質は実は憎むべきものであり、弱くて貧しいものへの同情こそが大事なのだ」という奴隷道徳があることは、人間を動物や植物と区別するものとして、称賛されるべきなのではないか、と思った。
それによれば、その辺の雑草なんかも日々熾烈な殺し合いをしているらしい。
その中で生き残った者の性質が子や孫に受け継がれて変異していく、とのこと。
これが正しいとすれば、人間ってのは生物の中で唯一、自由競争原理に疑問を持ち、これに抗う力を持った存在なのかなぁと思った。
キリスト教やマルクス主義が生まれるってのはほんとに人間らしいことなのだろう。
あと聖書的には進化論より、現生人類が少なくとも30万年前ぐらいから居たって事実がやばいらしい。何でかっていうと、最初の人間アダムが生まれたのはどう計算しても1万年前ぐらいだから。
注釈者は、アダムってのは本当の意味で最初の人間ではなく、神の説く理を理解できるほどに成長した「最初の人間」なのだという解説をしていたが、正直苦しいw
最近知人と『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の話になって、「プロテスタンティズムが資本主義に適合していた」って言うけどおかしくね?と思い、その根底にあるという「予定説」を調べようとした次第。
予定説の理解自体さまざまなバリエーションがあるのだが、以下は注釈者(内村鑑三)の理解。
まず予定説というのは、人が、神を信じるか信じないか、救われるか滅びるか、は(その人の意志ではなく)神の意志で決まるという考え方だ。
この理解によれば、キリスト教徒にとって人生のあらゆる出来事は、その人が神を信じ、救われるための設備にすぎない。神は、その人を救済するという目的に向かって事件・経験を人生に配置していくことになる。
ただこの説によると、なぜ日本人は非キリスト教徒が多いのだ、という疑問が生じる。
ここはやや不明確なのだが、キリスト教を信じず、拝金主義・消費主義に堕落してしまった日本人は、神からいったん放置され、神は先に中国・朝鮮に福音を及ぼしたとのこと。
ただ日本人は見捨てられたわけではなく、中国・朝鮮に福音の光が満ちれば、日本にも福音の光が及ぶであろう、とのこと。
この予定説の理解はヨブ記の理解(苦難を通して信仰に至る)にも通ずるなぁ、と思った。神に選ばれて信者になったのだ、という強い自負心も持つことができる。
出エジプト記終わった。
「偽証してはならない」のところの説明が、注釈者(内村鑑三)が不敬事件で世間からボコボコにされた経験からか、めちゃくちゃ熱くなってて笑った。俺も小保方さんのことを悪く言わないようにしよう。
出エジプト記の続き。
キリスト教って何となく死刑廃止論のイメージがあったんだけど、「人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる」(21章12節)って書いてあってびびった。
一応同じ出エジプト記に「殺してはならない」(20章13節)ってのがあるのだけど、注釈を読むと、前者は後者の例外らしい。
あと関連して、ロマ書の13章に、政府には従えよ~お前ら~税金もちゃんと払えよ~って書いてあってびびった。反権力的なイメージがあったけど違うんだね。
※ブコメ返信
いつもありがとうございます。相変わらずの博学で大変勉強になります。指定された箇所を見て、こんな記述があったのかと驚いております。
また変なこと書いてたら教えてください。どうぞよろしくお願いいたします。