はてなキーワード: 手形法とは
最近考えてること。
ロマ書とその注釈を読んでたら、キリスト教ってのは禁欲の宗教ではないとのこと。
どういうことかと言うと、キリスト者は信仰を持ち、聖化していく過程で、自然と風俗やタバコが不要になる(といいなぁ)ということらしい。
つまり、禁止されているからやらないのではなく、必要ないからやらないのだと。
薬物規制に関して、大麻使用を処罰するのはどうなのかなぁと思っていたのだが、上記解釈によればキリスト教の見地に立っても一応大麻解禁は可能ということになりそう。
友達に聖書と科学の矛盾(しているように見えるところ)の話をしてゲラゲラ笑っていたら、「なんでそこまで分かっていて信仰するの?」と聞かれた。
ここで気づいたのだけど、自分の場合、神の存在を信じる ⇒ 聖書の教えを受け入れる、のではないのよね。
自分の今の閉塞的な状況からすると聖書の教えを受け入れるしか幸せになる途がない ⇒ 神の存在を信じざるを得ない、なのよね。
そんなことを考えていたら、内村鑑三も似たようなこと言ってて感動した。
資本の回転プロセスで権利義務関係がどう展開するかを描いた論文で、これのせいで未だに現代の弁護士や法学部生がマル経用語を(知らず知らずのうちに)使っていたりするというもの。
ちょっと前に買って一読したのだけど、手形法の理解が全然ないためにななめ読みして放置してた。
これのせいでマルクス熱が再燃しつつある。
この前増田で勧められた『バガヴァッド・ギーター』を解説書と一緒に読んでる。
読んでていちいち聖書と比較してしまって考え込むので全然進まない。
先日親戚の子供が訪ねてきて、あれは何で、あれは何、としきりに問うてきた。
聖書の詩篇かなんかに、自然を知ることは神を知ること、みたいな教えがあって、そのことからすると、この子らの何でも知りたいという態度はきわめて聖書的なんじゃないかと思って考え込んでしまった。
おわり
※そういや先日書いた増田に、ブログ作って解釈まとめてくれみたいなコメントが付いてたんですが、僕は内村鑑三の全集とマルクス読んで思いついたことを書いてるだけなんで、そっち読んだほうがいいですよ。
#ブコメでのフォローありがとうございます。勉強になります。
#やっとカテゴリ化しました。前からカテゴリ化しろと言ってくださってた方、遅れてすいません。
#さかのぼって読んだらアホみたいなこと書いてて草
商法(しょうほう)
〔法律用語〕(フランス語:code de commerce、英語:commercial law、buisiness law)
実質的に、商事(商売にかかわること)に関する私法的法規を指すための総称[1]。
大陸法における法分野であり、民法の特別法として、また商人の営業、商行為、その他商事についての一般法である(実質的意義の商法)。また、そのような内容を定めた法典の名称としても用いられることもあり、その場合には当該法典を指すこともある(形式的意義の商法)。
日本の特定の法律や特定の法律群の名称。狭義には「商法」という題名の法律(商法典)を指し、これは形式的意義の商法といわれる。広義には商法典に会社法、保険法、手形法、小切手法などの関連法令を含めた法体系全般を指し、これは実質的意義の商法といわれる。