はてなキーワード: 本質とは
イラストレーターなんだが、客にAIイラストを出されて「こんなテイストでお願いします」と言われた。
仮にもプロのイラストレーターに対して、AIイラストの真似をしろと?
ブチ切れたんだが、反論してきやがった。
そもそもAIイラスト技術というのは、膨大なデータベースからAIが学習をして、命令に沿ったイラストを出力するものだ。
それはもちろん数多の絵師たちの創作物を無断で剽窃しているわけで、それが問題なのは分かっている。
商用利用に使ったのなら権利侵害になるのはわかるが、今回はイラストの方向性を具体的に指示するために用便的に使ったわけで、金銭の授受が発生したわけでもない。そこになんの問題があるの?
むしろ使い方としては正しい。
そもそも、イラストの世界では具体的にキャラ名を挙げて、これに似た感じに描いてくださいというのは日常的に行われているよね?
その対象が「特定のイラストレーターの特定のキャラクター」から「大勢のイラストレーターのデータから出力された平均値的なイラスト」に変わっただけで、本質は何も変わらないでしょ?
(これは例えばゼロ魔のタバサのようなキャラを注文する時に、参考資料として綾波レイを挙げるような行為。パクれという指示ではないが、具体的に方向性を指示する内容として、イラスト界隈ではほぼ100%行われているのは事実)
(今回はライトノベルの挿絵だけど、イラストレーターは仕事のたびに本一冊読んでなんていられないので、本文は読まずに描いている。なので具体的なビジュアルを大まかに指示してもらわないと仕事ができない)
AI絵を真似してトレースしろっていうなら侮辱だけど、キャラクターの方向性の参考資料として渡しただけだし、むしろこっちとしてはパクリと言われるリスクが減って望ましいくらいだ。
それが侮辱に当たるんだったら、今まであなたが受け入れてきた「参考資料」も、あなたに対する侮辱に当たるんじゃないの?
ってことらしい。
「じゃあ君は他のキャラクターを参考資料に挙げたら、それを丸パクリするつもりだったの?」
「だったらそんなイラストレーターに提供する参考資料としては、なおさらAIイラストを送るのが適切だったよ」
とか捨て台詞言ってきやがった。
書いてて腹立ってきたから寝るわ。
中野の怪しげなお店に連れて行かれたんだけど
そこには今時珍しいパチモンが沢山売ってたんだが
儲けるためにパチモン売ってるというか、それもあるだろうけど、意図してそういうのやってる感じがして
しかもそれがかなりウケてるようで
自分の中でようやく点と点が繋がったというかそんな感じがあった
偽物の価値っていくつかあるんだなと気づいて
・偽物でも良さを発見することは、ブランドを棄損しても良いということで却って本質である(美味けりゃ良い理論)
・偽物の悪さを発見することで、本物の良さを際立たせる
とか
前からちょっと思ってたけど、2010年代ってバチもんで遊ぶ文化が若者の中にあったと思うけど
2020年代は偽物、パチモン、パクリが妙に評価されてる気がしていた
何かのミームやコンテンツがあると、それをパクったものが登場するが、若者は騙されてそれを使うのではなく本物と偽物の中から一番良いものを採用しているきらいがある
※読みづらいので断定口調で書くけど、あくまで推測なので語尾には全部「だと思う」がついていると思って読んでください。
ブコメなんかでも指摘されていることだけど、彼が強気である根拠は「同意がある相手としかしなかった」に尽きる。
松本人志にたどり着くまでにいくつかのフィルタリングがあって、それが要するに彼らにしてみれば「同意」フィルタリングとして機能をしていた。
この一連の流れの中で一度でも拒否があれば、絶対に深追いしないと決めていたのだろう。
当然自分がスキャンダルを起こすリスクは十分に承知していて、最後にたどり着くまでかなり慎重に対応していたであろうことが予想できる。
本人はこのフィルタリングが厳格に運用されている限り安全であると考えていたので、当初の強気の発言が出たのだと考えられる。
記事には手淫を強要してきたと書かれてはいるが、それが事実ならもみ消す前提でここまで強気には言えないことを考えると手淫については同意があったのではないかと考えられる。
「俺の子供を産んでほしい」までは本当かもしれないが、拒否をされれば強制はしなかっただろう。
つまり、彼としてみれば自分にたどり着くまでに幾つもの同意を経ているわけだから、そこに問題がない。=事実無根という認識で居たのだと考えるのが妥当だ。
事実、もしこれが本当に正しく運用されていれば、「既婚者による女遊び」という倫理観以外には問題がない。
松本人志がトーンダウンしていった理由は、その運用が正しくされていなかったことがわかってきたからではないだろうか。
具体的には、飲み会の参加にロイヤリティやペナルティを匂わせる場合などだ。
「今日、女性を紹介できないと自分の立場が悪くなるから協力してほしい」
フィルタリングの同意の中で、一度でもこうした理由をもとに同意を得てしまっていたのであれば、このフィルタリングは意味をなさなくなってしまう。
「同意しない意思を形成、表明 又は 全うすることが困難な状態にさせること、あるいは相手がそのような状態にあることに乗じること」
また、そうなってしまう原因として、経済的、又は社会的関係上の地位に基づく影響力による不利益の憂慮がある。
あくまで8年前にはなかった法律ではあるが、法が施行されるということはつまり過去の事例が問題視されていたということでもある。
罪に問われなかったとしてもイメージを重視する芸能人としてみれば致命的と言えよう。
これもブコメで指摘のあったことだが、水曜日のダウンタウンで行われた「怪しい自称プロデューサーから“100万円で『水曜日のダウンタウン』に出してあげるよ”と言われ払ったらホントに出演できるホントドッキリ」についてだ。
まさにそうした状況の中において100万円という大金の支払いを迫っている事自体に問題があり、「払ったから出演できた」「払わなかったから問題ない」以前の話であるということには留意しておきたい。
しかし、問題の本質はそこではなく、如何にしてその選択を迫ったかの部分にある。
番組としてはドッキリという形で終わってはいるが、そのような話が事実として存在していなければ、ドッキリとしてそもそも成立しない。
出演者はドッキリと明かされるまではその交換条件について真剣に悩んだわけで、それが嘘で済まされるなら詐欺未遂の全ても嘘で済んでしまう。
ここらで一度整理が必要な話だとは思うのだが、この「実害がなければ問題ない」という認識はそろそろ改めるべきだろう。
そうでなければ詐欺未遂はし放題であり、目の前で止められたはずの被害者を救うことができなくなってしまう。
例えば飲み会で女性を連れてくる若手芸人は、連れて行った女性の行き着く先を知っている。
それにもかかわらず、自分がやっていることはただ、飲み会に誘い出すという行為のみで、そこだけを切り取れば何かしら問題があるわけではない。
そうして罪の意識を軽減しながらも、しかし、問題が発覚すれば他人事ではないことも理解しているはずだ。
さらに言えばセックスに同意した女性さえ、例えばそれによって自らにロイヤリティがあったりと、セックスを何かの代償行為に置き換えているのであれば共犯と考えるべきであろう。
例えば100万円の支払いと同じく、有名番組への出演権を得ているとすれば、それは正規の手段ではなくまごうことなき不正行為だ。
この場合、本当の意味での被害者はこのシステムの外にいる真面目に取り組んでいる人たちになる。
こうして関係する人間誰もが緩やかに共犯関係にあることで得られるメリットは2つ。
そしてももう一つは、組織の不正を明らかにすることがつまり自らの不正を認めることになるために、内部告発がしづらくなり発覚が困難になるという点だ。
思い返せば、2023年を賑わせたニュースにもこの関係性は多く見られた。
これらの問題全て、関係する人間が時に被害者であり時に加害者でありと、それでいて一つの利権を牛耳るという緩やかな共犯関係にある。
そして本当の被害者は、その外にいる不正を行わずに真面目に取り組でいる人達であり、搾取だけされて放り出された人たちだ。
こうしたことが社会問題として注目されるようになった結果とも取れるニュースではあるが、こうしたハラスメントの連鎖によって作られる閉鎖的な組織についての研究はもっと進んでも良いかもしれない。
言うなればハラスメントチェーンによる組織的隠蔽を利用した不正組織が世の中にはまだ多く存在しているということだ。
その上で、セックスをさせることが前提で組織が組まれ、そこに誘い込まれた被害者が「自らの選択だった」と後悔することすら許されず、周囲からも「同意があった」とセカンドレイプすらされかねないようなシステムを善と言えるのだろうか。
お礼メールを持って「同意」を確信した松本人志本人は、今頃周囲から指摘を受けてやってきたことの問題の大きさを後悔していると信じたい。
そのシステムに組み込まれていた後輩芸人たちも、自らの責任が希薄であることを良いことに自分に罪はないと開き直るべきではなく、もし自分の妻や恋人、愛する娘がそうしたシステムによって権力者に食い物にされたらどう感じるかを考えて見てほしい。
それがどれだけグロテスクであるかが理解できたなら、先輩芸人のためだなんて偽善を捨て、自らの罪を認めて事件の解明に協力するべきだろう。
その人の本質が善か悪かの違いじゃないの?
今どき、どのご家庭でもガス湯沸かし器を使っていると思う。もちろんうちでも使っている。
使っていると言っても私が能動的に「我が家にガス湯沸かし器を設置しよう!」と設置したわけではなく、入居したら当然のようにそれがついていたのだ。
もちろんそれが不満だと言っているのではない。歓迎すべき文明の利器であるし、むしろ設置されていなかったら入居しなかっただろう。
そのくらい私はガス湯沸かし器が気に入っているし、私の生活にはなくてはならない大切なものだ。
だが、ひとつだけ不満がある。
いや、この言い方はあまり正確ではない。
時間がかかることに関しては不満はない。長くても15秒も待てばお湯は出てくる。
急いでいても待てない時間ではないし、むしろ迅速だ。その間は洗面台周辺を拭いたり軽くストレッチしたりして待っていればいい。私の不満の本質はそこではない。
問題は、冷水がお湯に変わったことを目で判断できず、触れてみるしかないことだ。
お湯の出始めにブボボッと空気が混じったり、お湯になると細かい気泡で白濁したりする給湯器もあるが、うちのはそうではない。
なので、流れる水にチョイチョイッと手をひたしては、温度を確認してみるしかない。
しかしまだお湯になっていないうちはガチの冷水が出ているので、これが飛び上がるほど冷たい。これを何とかしたい。
そこではてな諸賢のアイデアを募ろうと本稿をしたためていたのだが、書いているうちに解決策がひらめいてしまった。
女性にはピンと来ないかもしれないが、男性用公衆トイレの小便器には、中央付近に小さなシールが貼られていることがある。
ここを狙って放水してねという目印で、小便の飛散が抑えられて掃除の手間が減るというアイデア商品である。
的があるとつい狙ってしまう心理をうまく衝いており、実際に効果が高いという。
そして、このシールの中には温度で色が変化するという特徴を持った製品がある。温かい小便を当てると色が変わるのだ。その楽しさを利用して的中率を高めようという算段。
ここまで付き合ってくれてありがとうございます、自己解決しました。
そのシールは蛇口に貼ってはどうか、というご指摘。そして、蛇口を触ればわかる、というご指摘について。
我が家の洗面台の蛇口は配管をプラスチックのガワで覆った構造になっており(シャワー伸縮機構のため)、給湯温度が変化しても蛇口表面の温度はほとんど変わらないのです。
人類は、有史以来、男女という2つの性別を定型として社会を営んできた。
今の男女を定型とする社会設計を維持したまま非定型である性別違和を感じるマイノリティの社会包摂をするには、男とはなにか。女とはなにか。性別移行する必要がある人はどういう条件を持つ人か。という『トランスジェンダー』の定義が必要になる。
だが、例えば視床下部のホルモン値を測定して判定できる客観的指標ではない自認主義を掲げてしまうと、トランスジェンダーの定義は極めて困難だ。解釈によってはススキノ殺人事件の被害者のレイプ犯女装男も含まれる。ましてや、このTwitterで問題発言の多いアコという人がトランスジェンダーでないとする説明にはかなり無理がある。
(性同一性障害は医者による診断という一定の客観性が保たれるが、主流のトランス運動家は、性同一性障害という診断を受けた人、受けたい人への攻撃も行っており、性自認は病気ではないという主張をしている。)
一方、今のLGBTQ思想が、性は自認で時系列で変遷するものなので今の社会の男女という二元論的な区分事態を廃止しようという考えならば、二元論前提の性区分スペースの利用にこだわらず、誰でも使えるスペース等の拡充を求めるのが筋で、MtFが女性トイレに入れないのは差別だという主張は成立しない。社会認識の変遷期に、旧来の二元論で運用する社会システムと新しい考えの性自認主義で運用する社会システムは併存するものだろうが、一方が一方の存在を否定することは包摂ではない。
ただし、自分は従来の男女二元論社会システムの否定は、女性差別を透明化すると危惧している。
定型的な生物学的女性だけ、望む望まないにかかわらず、生まれつき妊娠出産授乳する機能を持っており、その能力は、物理的な腕力を持った生物学的男性から搾取され差別を正当化する理由として使われてきた。
産まないという選択をした女も、男と同じ労働時間と労働量をやってみせても、生物学的女性だからという理由で差別をされてきた。
女装しているから女言葉を使うから差別されてきたわけではない。
女性差別の緩和のため、いくつかのアフォーマティブアクションが始まったのはつい最近のことだ。
自分は、クオータ制が導入された政策決定委員会の女性枠がMtFで埋まる状態や、女性スポーツの奨学金や賞金の受賞者リストがMtFで埋まる状態を望まない。
かつ、性犯罪被害者が社会に被害を訴えてもバッシングされまともに取り扱われない状況は今も続いているのに、性被害による妊娠のリスクを抱える生物学的女性専用のスペースが減らされる状態も望まない。
初めは定時で帰してもらえたが、
ただでさえ辛いのに、
同居している母親がキレまくるので余計辛い。
結局、母の罵声に耐えられず、
年末に同じ班のパートさんが休職したばかりなので、ダメと言われる可能性が高い。
そしたら退職を申し出る。
ニートに元通りだ。
お前はどうしたいのか、と自問しても曖昧な答えしか出てこない。
せめて残業代を満額出してくれ。
入社した頃より何倍も仕事してるんだから基本給を少しでも上げてくれ。
1円も給料が上がらないことにイライラしてる中、「俺の班で1億円目指してるんだ!」と班長が息巻いてるのを見てハァ?と思ったわ。
正月休み返上が前提の仕事を振られて喜ぶフリをする先輩社員と、ニコニコする経営者と班長を見てドン引きしたわ。
辞めたいわこんな職場。
ただ、せっかく社会復帰したんだからもっと頑張りたいと言う気持ちは本当だった。
3年もニートしてた奴が残業ガー給料ガーと抜かしたところで自業自得なのは分かってる。
勉強さえ頑張れば取れる資格ではないから、本当は働きながら合格を目指すのが正解だが、まともな働き方をしながら勉強できる業界ではない。
ああ、嘘。
新卒で大企業に入った奴らは会社のサポート受けながら余裕で合格してる。
結局ぜんぶ自業自得。
またニートか。嫌だな。
つーか日本のアニメ会社がアニメが出来ない漫画なんて存在すると思ってるなら日本のアニメ会社馬鹿にし過ぎだよ。
私はかなりの倹約家だ。
社会人になってから十数年。「貯金をしなかった月」というのがほとんどない。収入がある度、その一部をエンヤコラと積み上げ続けて来た。
実家暮らしで契約社員で給与が13万ぐらいだった頃も、エイヤと上京して月給18万(額面)で月6万ちょいの部屋で一人暮らしを頑張っていた頃も。
「金がない、ああ金がない、もっといいブランドの服やメイク用品を買いたいし、いい店でいい酒を飲んだりご飯を食べたりしたい」といくら思っても、貯金を一切しないという選択肢を取ったことがほとんどない。思えば、学生時代のアルバイトでもそうだった。「収入を使い切る」ということがまずない。
恐らく、生まれ育った家が世間的に見てトップクラスの貧乏だったので、節約や貧乏暮らしには慣れっこだったからだろう。
数年前、妹が一人暮らしを始めたとき「ねえ、家にあるのって全部お店でいちばん安いやつだったんだね」と言っていたのが印象に残っている。
もちろん、結婚式などの出費が続いて貯金ができなかったタイミングや、スキルアップのために学校などに通って貯めていたお金を一気に十数万とか使った時期は一部ある。でも、どんなときも基本的に年収2年分の貯蓄を目指して「何かあったときのための備え」というのをつくり続けてきた。
投資系や節約系の有名ユーチューバーさんたちが提案している技や生活費の考え方は、既に私の生活で取り入れいているものが多かったりする。
「ああ、やっぱり私の考え方って資産形成をする上で間違っていないんだな」と、まるでおさらいをするような気持ちでそれらを閲覧する。
動画コメントなどを見ると、「わかっちゃいるけどなかなか実現できない」「そもそも本質を理解できていない」という人はかなり多いようなので、私は恐らく金を使わなかったり金を貯めたりするのが得意なのだと思う。私も動画とか出せば再生回数は伸びるだろうか。
20代は給与が手取り20万に満たないことがほとんどだったけれど、30代半ばを迎えた現在は平均収入ぐらいは手に入れていて、その内の3分の1〜3分の2は貯蓄や投資などに回しており、20代の頃は夢のまた夢だと思っていた額の資産が口座にある。
まあとは言え、私は独身で子どもは当然いないし、賃貸暮らしなのでそりゃあこんなものだろうとも思う。結婚式して新婚旅行行って家の頭金払ってなければそのぐらいの資産はあるよという人は多いだろうさ。
一方で、一緒に住んでいる恋人はかなりの浪費家だ。
付き合った直後は貯金が数十万しかなかった。働き盛りで仕事も上司に取り入るのも得意な彼にとってそれは、「十分な備え」だったようだが。
けれども、付き合った直後に死ぬか否かの大病に罹ってしまい貯金は完全ゼロに。
治療が終わった今は仕事も復帰し一緒に暮らしているのだけれど、とにかく放っておくと月給をほぼすべて使い切ってしまう。
同居当初に「毎月食費をこれだけで収めて、貯金をこれだけ二人でしようね」と話していたけれど、「今月少ないから貯金なしでいい?」みたいなのが何度か続き、あるときふと共有の貯金通帳を見たら私がいない間に勝手に引き出していた。当然ブチ切れた。その他にもいろいろあった。CICにも問い合わせを強いる出来事もあった。何度も何度もブチ切れて、泣いて、沈黙して、「いっそもういいや!」となっても、そのたびに彼は「頑張る」といって、私と一緒にいたいと言う。やっかいなのは、ほんの少しずつだけど改善は見られてきていることだ。ほんの少しすぎて何度もブチ切れるのだが。
別れるか?別れないか?ずっと押し問答を続けている。お金の問題はシビアだ。とは言え、自分はそもそも「自分で稼いだ金で生きる」のが好きだし、誰かに養ってもらうとなると恐らく窮屈に感じるので相手が自分の分だけしっかり収入を得ていたらそれでいいのか?という気持ちにもなる。
とは言え、金がないのは世間的にはダメとされている。資産がなければ社会的信用も、選べる人生の選択肢も薄っぺらい。一人で好きに生きるなら好きにしてもらっていいが、誰かと人生を共にしたいなら、改善はしてもらわなければいけないと考えている。
ただ、私は一般的に見て倹約しすぎる節があるとも理解しているので、彼に自分と同じ水準になれとまでは思わない。
彼が一般人から見て相当な浪費家であると同時に、私は一般人から見て相当な倹約家だからだ。自分と同じ(例として収入の半分を投資に回す等)を強いれば、彼以外の人だって苦しさを感じるだろう。
逆に、私がもし彼から「オレと一緒の感覚になれ」と言われたらジゴクのように感じる。それはきっと彼だって同じ。大切なのはお互いの歩み寄りだ。
でもふと、彼と生活をしていると、例えばRPGゲームなどをプレイしていると、彼の生き方がプラスに働く場合も時にはあるなと思う。
ゲームをすると、私は貯めたアイテムや武器をいつまでも使わずに起き続けている節がある。保守的な生き方と似ている。結果、敵を倒すスピードは遅い。
一方で彼は、貯まったアイテムはすぐに何か別のものに変えてスキルアップし、武器をどんどん使ってどんどん強くなっていく。彼の方がRPGをクリアするのは早い。
なんなら武器もなんかカッチョイイ。みみっちい感じでゲームが進む私は、なんか地味。武器もかっこわるい。
私は私でゲームを楽しんでいるけど、もし閲覧者がいたとして、どっちのプレイが見たいかと言えば断然彼の方だろう。
ゲームと現実では次元が違うけれども、私の生き方は彼から見れば「お金がせっかくあるのに使わずにひたすら貯めてどうするの?目的もないのに?」という信じられない行動をする人なのだろう。
私もある意味そう思う。投資知識をある程度身につけた今でこそ、「老後資産にする」や「親の介護資金」というほんの少し具体的な目的があるけれど、以前は「お金を使うのがもったいないから貯金する」というスタンスだったように思う。「お金を使わない人生が趣味です」とも言えるのかもしれない。それは、果たして幸福なのか?と言われるとわからない。不安を取りのぞくために貯めているという感覚が近いのかもしれない。恐らく私は、死ぬときがいちばん金持ちタイプだ。
彼がもし「お金が貯められない」病だとしたら、私は私で「うちにはお金がない」病に呪われているようにも感じる。
両極端だからこそ、どっちの価値観も学び合って、ちょうど半分ぐらいになれたら、いいんじゃないかなと思う。
私は、彼の考えなしで破天荒な性格は嫌いじゃない。安定志向で恐がりな私に「自分一人では絶対に見れない景色」を見せてくれるのが彼なのかもしれないと思って、一緒にいる。
「金遣いの荒い彼氏」というのは、非常にキケンだ。そのままでは、老後はのたれ死ぬしかないだろう。
いざというときはいつだって別れるんだ。その気持ちは常に持ち続けている。
でも、彼と私が力を合わせれば、「お互いに自分一人では辿り漬けなかった、ちょうど間の人生」が待っているのかもしれない。
そう思ってなんとなく一緒に暮らし続けているけれど、もういい年だし、まあやっぱり、金銭感覚があう人と暮らせてる人はマジでいいなと思う。
みんな金銭感覚とかどうやって合わせているんだろう。恐らく、ぴったりあう人同士で暮らせている人の方が少数だろうな。
グラドルで売れるのは厳しい。
まだエロのほうが生き残れる。
■
売れていたグラドルは言った。
しかし、すかさず周りはツッコむ。
グラドルの過去を無かったかのよう語られると、ファンは悲しい限りなのだ。
■
高額なレッスン料を払うために夜で働く
でもやっとの思いで端役を貰えても次に繋がらない。
全ては「売れたい」夢のために。
■
女性が持つ凹凸のある身体を男性に見てもらうことで欲情させる。
そうして対価を得ている。
大事な所は見せないけれど、エロスを感じてもらわねばならない。
ところがちょっと谷間を見せるだけで投げ銭もらえる配信者に嫉妬してか、グラドルは男性ファンにエロいと言われるのを嫌う人もいる。
おっぱい震わせてなんぼ
それなのに、性に関する質問には答えない野良のインスタライブやっている女性も同じ穴のムジナである。
■
女優なら30代でもチャンスが有る。
■
芸能界で売れたい人がバコバコ来る。
数少ないテレビ出演の枠を争う。
■
■
ブス、貧乳、トークが出来ないはスタートラインにすら立てない。
でも、AVは違う。
今じゃAV女優も学歴があって、トークが出来ないとネット番組にすら呼ばれない。
■
布つけてるだけで稼げるなんて幻だ。
女性は脱いでなんぼ。
砂山のパロドックスだな。ずいぶんと手慣れた手口のようで。
そうやって本質をいつも避けて詭弁を振りかざす、それでマウントして自分の中で勝利宣言してるのかな。
それは安易に快楽を得られるだろうけど、それが周囲、とは言わない、せめて自分自身に対しても、何か良い事をもたらしているのか一度考えた方がよい。
コロッセオの時代はリアルに「殺しが娯楽として消費される時代」だった。
いろんな言い訳を用意して為政者が殺しを娯楽として提供していた。
時代は移り変わり、リアルの娯楽は「殺し」から「半殺し」へと代わり「格闘技」と呼ばれるようになった。たまに事故で死ぬが事故なので仕方が無い。
娯楽としての殺しは、創作へと舞台を移して今も脈々と受け継がれている。
「相手が話を聞かないから」とか「独裁者の凶行」とか、様々な言い訳とともに沢山の殺しが娯楽として消費され続けている。
少し前に「物語で殺しを描くときに相手が話を聞かないからという言い訳が必要なほど時代が変わったのだ」というネタが盛り上がってたが、
それを見て思ったのは「そんな言い訳を用意してまで殺しが娯楽として求められるのか」ということだった。
コロッセオで殺しを見てはしゃいでた時代から人の本質は何も変わってないんだなぁ、と思ったものの、たかが数千年程度では生き物の生態は変わらんのかもなぁ、とも思った。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 下」
「地球の歩き方 E03 イスタンブールとトルコの大地 2019-2020 【分冊】 1 イスタンブールとその近郊」
「A20 地球の歩き方 スペイン 2024~2025 (地球の歩き方A ヨーロッパ) 」
宮下遼『物語 イスタンブールの歴史-「世界帝都」の1600年』★★★
先月たくさん行ったしこれでOK。
満州国については通史でしか知らなかったので、こうして改めて本で読み返すと得るものが多い。
釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』
今井宏平「トルコ現代史 オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで」★★
維羽裕介、北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は叫ばない」
Jam「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 孤独も悪くない編」
田澤 耕「物語 カタルーニャの歴史 増補版-知られざる地中海帝国の興亡」★
今井むつみ、秋田喜美「言語の本質: ことばはどう生まれ、進化したか」
安藤 寿康 『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 下」
旅先の歴史についての本や、旅先でも読めるくらいの軽さの本を読んでいる。岸部露伴は地中海を飛び越える飛行機の中で楽しんだ。
言語学の本を少し含んでいる。
なお、イスタンブールのドルマバフチェ宮殿には美術館が併設されており、そこにも行ったのだが流し見だった。今回の旅行のテーマは絵画ではなく建築だったからだし、軍事博物館のイェニチェリの演奏を聞きたかったからだ。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 10巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下」★★★
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S4話 露出狂時代」
飯村周平『HSPの心理学: 科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』
きい著、ゆうきゆう監修「しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方」。
堀晃 他「Genesis されど星は流れる 創元日本SFアンソロジー」
小川一水 他「Genesis 時間飼ってみた 創元日本SFアンソロジー」
「トルコ共和国建国100周年記念 山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」
柞刈湯葉も柴田勝家も一度読んでから「しばらくは読まなくていいかな」と思ってしばらくしてから読みだした。柞刈湯葉は表題作が普段のクールというか知的なアイディアを軽やかに扱う感じではなく、意外な側面に驚かされた。柴田勝家はVtuber文化と死後のアーカイブを肯定的に表現していたのが大変面白い。
ブアレム・サンサルはもう何年も前にWIERD誌が紹介していたので読書メモに載せていたので読んだ。数歩遅れて読むことなどよくあることだ。僕は最先端を追うことにそこまで興味がない。
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ」
柴田勝家「ヒト夜の永い夢」
フランチェスコ・ヴァルソ (著), フランチェスカ・T・バルビニ (編集)「ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス」
高水裕一「時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集2 すべての善きベムが」
トーマス・S・マラニー「チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史」★★
SFが多くを占めた。面白いが徐々に飽きてくる。新人賞の作品は読んでいるそのときは面白いんだけど、新しい思考の枠組みや発想に触れて、それが後まで自分に影響を与え続ける作品ってのは少ないのかも。
逆に星新一の源流の一つ、フレドリック・ブラウンなんかは、古びたアイディアと今でも色褪せないアイディアの両方がある。
タイプライターの歴史も面白く感じられた。あとは、純文学が少し恋しい。
他に読みたいのは歴史の本かなあ。それか、第二次世界大戦を舞台とした小説か。「火垂るの墓」とか「野火」とかいい加減に読まないとと思っている。
池田利夫訳・注「堤中納言物語 (笠間文庫―原文&現代語訳シリーズ) 」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集3 最後の火星人」
成美堂出版編集部「いちばんわかりやすい 家事のきほん大事典」
池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」★
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集4 最初のタイムマシン」
木村光彦「日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか」☆
エリック・H・クライン「B.C. 1177 古代グローバル文明の崩壊」☆
日本語の活字についてや、日本の植民地政策について読み始めたのは、先月の中国語タイプライターの本に、日本製の中国語タイプライターについての記述があったためだ。
楊海英「日本陸軍とモンゴル 興安軍官学校の知られざる戦い」☆
小倉孝保「中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事」★★
宗美玄(ソン・ミヒョン)「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」★★★
木村泰司「人騒がせな名画たち」
なし
読んだのは全体的に近現代史が多い。
第二次世界大戦についての本は通史を何度か読んだが、テーマごとに読むとまた面白い。歴史は技術史とか思想史とか文学史とかの別の軸で見直さないと立体的に見えてこない。とはいえ、少しは立体的に見えたとしても、知らないことが無数にあり、出来事すべてを頭の中に残しておくのは難しい。歴史は誰と誰が知り合いかとか、活躍した時代以降にどう生きたかがわかってくると更に面白くなるんだろうが、あいにくそこまで行っていない。
12月は当たりが多く、上位3冊を選ぶのに悩んだ。ほぼすべてがオススメ。
来年からは方針を変えて、すべての本を★1つから5つまでの段階で評価してもいいかもしれない。
一年を通してみると、「昆虫記」のウェイトが大きく、それから第二次世界大戦の本を多く読んでいる。それに並んで平安時代、江戸時代などを扱った新書が多い。外国の歴史の本は少ないが、旅先のイスタンブールとバルセロナの歴史を扱った本が印象深い。
SFの新人賞を数年分まとめて追いかけるのが習慣なのだが、もう少し純文学を読みたい。学生は岩波や新潮の古典ばかり読んでいたのにどうしてだろう。
人権関係で読みたい本が多数ある。とはいえ、悲しい気持ちになるので元気のある時にしか読めないし、いつ元気になるかは予測ができない。
ここ最近は美術展に行っていないなと思いきや、振り返るとほぼ毎週行っている月があったので、まとめてみるのは大事だ。秋以降は少なかったが、これは理由がわかっている。
以上。