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2020-10-10

今週のマイ流行語欠如モデル

https://imidas.jp/genre/detail/K-126-0007.html より


リスク社会」を論じたドイツウルリッヒ・ベックは、科学技術専門家行政官は、一般人科学技術に対する不安知識の不足(欠如)のせいと考える傾向があると指摘した。これが正しいなら、科学技術知識を十分に与えさえすれば不安は解消するはずである科学技術社会に受け入れられないのは一般無理解のためだという考えも、欠如モデルに基づいている。イギリス科学技術社会論の専門家ブライアン・ウィンらは、このような考え方を欠如モデルと名付けて批判した。


今週バズったアレコレにつながる話

2015-02-24

趣味サークル団体図書館業務を担う「科学史家」と復興イベント

東日本大震災が発生してから半月ほど経った頃である。或る趣味サークルサイト上で、被災地を元気づけるためのプロジェクトを立ち上げるという告知があった。内容は、趣味に関する書籍を集約して被災地の各地で無償配布すると共に、募金海外サークルメンバー日本に招待し、子供たちに様々な芸を見せて心の平穏を取り戻す一助となろう、というものであった。このサークル団体東京を中心に活動しており、地方にも幾つかの支部があって(東北には無い)、全体としては数百名の会員で構成されている。

当時、私は知人を何名か津波で喪ったにも関わらず、自分としては動くこともできず歯がゆい思いでいた。そこで、このイベント賛同し、大切にしていた書籍を何冊か団体に贈った。この団体と私の関係一方的もので、単にサークル機関紙を購読しているに過ぎなかったのだが、「自分と同好の人々が運営するサークルでそのような活動をしてくれるのならば、何某かの縁もあろうからそれに任せよう」と思ってサークルに託したのだ。後に、保管場所が確保されない状況下で古書を送る行為問題について色々と知り後悔したが、恥ずかしながら当時はそこまでの考えに思い至らなかった。当時は自分も何かの拍子で突然死亡する怖れが頭から離れず、死んだ場合は所有している書籍が活かされぬまま捨てられるということを恐れていた。そこで、所持していた書籍の多くは近所の市民図書館にも置いてあるのでそれを読むことにして、いつでも本を読みたいという若い子の手元に本があった方がいいのでは、と考えていた。書籍を送付後、サークル団体代表から書籍被災地での活動のために有効に利用させていただく」との返信があった。

サイトの報告によると、2011年4月最初活動があったらしく、趣味サークル内の数名と海外サークルメンバー数名が宮城県沿岸部にある数か所の避難所に赴いたようである東北縦断するイメージだったので、宮城県のみに限定した活動であったことに若干の違和感を覚えたが、その後も幾度か被災地へ向かうようであり、「落ち着くまでは様子を見ようという判断なのだろう」と思っていた。

この活動について違和感以上に不信感を抱いたのは9月頃だったと思う。その団体では例年8月に大きなイベントがあり、海外サークルメンバーが何名か来日するため、そのメンバーらと共に再び被災地へと出向いて活動したという報告が機関紙上でなされた。だが、その下に「なお、送付された書籍のうち入手が困難な貴重な書籍については、団体運営する有料の図書館に納入した」と書かれていたのである(この図書館というのは避難所地域図書館に納入したという話ではなく、団体が所有する蔵書を団体東京事務所において有料で読むことができるサービスのようである)。

これには目を疑った。最初の告知にはそのような記述は無く、代表から手紙にもそのような記述は無かった。これでは震災に乗じて個人の貴重な書籍サークルが吸い上げた格好になるのではないか。しかも具体的にどういう書籍を何冊納入したのかという記述も無い。貴重な書籍図書館に納入したというのに、閲覧する権利のある側にその内容を示さないというのはおかしな話だ(無理やり擁護する見方をすれば、一般的にこの手のプロジェクトにおいて自分史が持ち込まれ場合が多々あり、そうした配布しづらい物を自身図書館倉庫代わりに納入したという線はあり得なくもないのだが、もしそういうことがあったのだとしても何らかの説明は欲しいところだ)。そして、活動先は相変わらず宮城県のみであり、岩手県でも福島県でも活動していなかった。

宮城県での活動というのは、このボランティアイベント参加者の一人が宮城県内の教育機関に務める人物らしく、それ以外の地域においては土地勘が無いのかも知れないと思っていた。しかしその機関紙には、当団体とは別の団体組織に属する福島県サークル震災後の自身活動について述べた寄稿を寄せていたので、「寄稿を載せるくらいならばその団体メンバーにも声をかけて福島県で合流して一緒に活動をすればいいのではないか」とも思った(福島の人々に案内の負担を強いるのかということもあるが、そもそも既に宮城県内に在住する人物を連れて活動しているのだから福島県内の人を連れて活動することにさほど躊躇する理由は無いように思えた)。宮城県東北で最も津波被害の大きかった地域であるということは重々承知しているが、図書館の件とあわせて、「被災地に赴くと言いながら宮城県のみというのも少しおかしいのではないか」と若干訝しく思い始めていた。

少し話は変わるが、2011年10月ごろだったろうか。私は当団体活動に関わっている主要なサークルメンバーブログを幾つか覗いていた。そこで、サークル団体において有料図書館運営管理に携わっているという或るメンバーブログが目にとまった。

そのブログにはクリストファー・バズビー氏やアーニー・ガンダーセン氏の名が載っていた。ブログ記事を遡ってみると、LNT仮説に基づいて「福島県では年間千人が癌で死亡する」「トータルでは6桁もの人が死ぬ」などの記述があった。福島県だけではなく、当時千葉県で見つかったホットスポットについても、その周辺で7000人が死ぬと書かれていた。ブログ記事の日付を見ると2011年6月中旬ごろであり、まだまだ情報錯綜していた時期ではあったものの、ブログの内容は怖れによって混乱しているという様子ではなかった(LNT仮説に従ったとて、ガンが発生する人数の予防的な見積もりであって、ガンの発生が100%死に直結するという話ではない筈だ)。ツイッターアカウントもあったので見てみたが、「福島廃県」「日本核武装を目指している」などの字面が踊っていた。

この人物は機関紙上において度々評論を行っていたため、名前だけは知っていた。東京在住で、東京大学大学院において科学史科学哲学を専攻していたらしい(名前検索したところ、在学中に科学技術社会論若手の会に参加したこともあったようである)。また、サークルの有料図書館運営管理に携わるほか、海外メンバー通訳書籍翻訳作業も担っている。どうも他の主要メンバーからサークル入会当初から知的存在として一目置かれていたようで、未だにこの人物の評論サークル誌に載っていることを見ると、その状況はあまり変わっていないようである

ボランティアイベントの報告によれば、そのメンバー名前イベントスタッフの中には含まれていないため、この人物は被災地には訪れていないのだろう。しかし、有料図書館での管理業務を考えれば、貴重書の選別には関与していた筈である。また、仮にそのメンバーイベントに深く関与していなかったにせよ、ブログツイッターで垂れ流される内容やサークル内での立場を考えると、そのイベント活動に何等かの口添えをしている可能性は十分考えられ、イベントメンバー海外メンバーを連れながらも東京により近い福島県には訪問していないという事実個人的に気になるのである。この活動に全く関与していなかったにせよ、被災地のためと銘打った活動をする団体がこの人物の主張をどう考えているのかという疑問は残る。

2012年にもこの団体は同様のイベント活動をしたようであるが、結局今までに宮城県以外で活動したという報告は無い。何故それ以外の県に行かないのかという理由も明かされていない。「こちらが勝手東北縦断するようなイメージ想像していただけだ」と指摘されればそれまでなのだが、協力する側としては、被災地活動すると宣言していた以上、宮城県以外でもこのサークル団体活動することを期待した上で書籍を寄贈したのではないか(募金の一部については額が提示され、育英会に納入されているようである)。

はいえ、未確認なことも数多く、単に私の邪推だと指摘されればそれまでであるため、増田として具体的なサークル名や人物名を明かさずにここに述べた。愉快ではないが、こちらとしても寄付金書籍の使用用途サークルに任せた面もある。目論見には具体的な訪問先について特に記載は無く、書籍の利用方法も「子供に配布するなど」という風に書かれていたうように記憶しているため、最初から宮城県内のみで活動するつもりだった、あるいは有料図書館書籍を納入するのも有効な利用方法の一つだ、と言われてしまえば元も子もない。

件のメンバーはその後も、宮城県石巻市でのがれき処理の背景には巨大利権が絡んでいるとのブログや、甲状腺調査で嚢胞の数が異常に多く見られているというヘレン・カルディコット氏の主張を掲載したブログ不正選挙についてのブログリンクなどをツイートし、先の選挙において安倍首相福島入りをしていないというフェイスブック記事までリツイートしていたりする(なんでも福島水田の前で会見をした首相の影が不自然で明らかに合成なのだそうである)。先日のISISによる人質事件においては、日本において大政翼賛会形成がすでに始まっていると述べている。残念ながら、ここまでではないにしても、彼以外にもこの団体においてそうした主張に近い人物は何名かおり、先日も東海地方の支部で活動する人物がどこぞのブログの「福島県農産物安全ではない」というリンクツイートしていた。百人に一人くらいはこういう人はいるのだろうとは思っていても、少々心配するくらいにはこうしたものを目にする。福島県在住のメンバーがこうした主張を目にした時にどう思うのだろう。私としては混乱時に古書を贈る行為については恥じ入るところだが、敢えて述べれば、もし団体の中枢にこのようなメンバーがいることを事前に知っていれば、贈る前にもう少し検討しただろうとは思う。震災からもう4年近く経過している。周囲の人々も、もう少し目を開いて物を見て、自分で考えてもらいたいと思う。

2009-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20090616122404

その「科学的」の扱いをめぐってゴタゴタしてるという話ではないのか…?

そういう話じゃないんじゃないか? 水伝科学的にでたらめってのは、科学的には争う余地のないところで。

水伝バッシングすることが政治的・社会的倫理的にどういう意味を持つのか、というところにゴタゴタがある。

たぶん引用元の人も同じ意味で言ってる。

この二つの問題は、少なくとも科学の側からは明確に分けられるし、科学者は自覚して、そこを分けて振舞うべきなんだけどな。

それはおいといても、科学者ニセ科学批判は、「科学者としての仕事はそれで終わり」の範囲を超えてるのではないかと思う。

ほとんどのガチ科学者は、こんな問題見向きもしないでしょ。科学研究とは無関係だし。

こういう態度じゃもうダメだよね、科学者社会的責任果たさなきゃっていうのが現代の科学技術社会論とかの主張で、それに対する支持はどちらかというと大きくなりつつある。もちろん事実として、見向きもしない科学者は多いけどね。

こういうのを騒ぐ人って、だいたいは科学ライター志向の人で、科学者じゃないからなあ。

他の人も言ってるけど、菊池誠さん(阪大教授)とか、最近科学者もけっこう発言するようになってきている。日本物理学会ニセ科学問題にどう対処するかってセッションも開かれたぐらいだし。

多分以下のようないくつかの問題がからみあっているのでややこしくなっている。

まあ、それを解きほぐすのが倫理学仕事だといえば、その通りなんだけどね。

  • ニセ科学界隈の現象に関して、科学的に正しい言明の大部分は「これは科学的に正しいとは言えない」という形でしか表現できないということ。
  • 科学者にとっての「「これは科学的に正しいとは言えない」ということ」のかなりの部分は、(ニセ科学の積極的推奨者でなくとも)一般市民に共有されてないし、ちょっとやそっとの「啓蒙活動」なんかではどうしようもないということ。
  • 一般市民が「科学(者)が満たすべき知的誠実さ」を持つことが倫理的要請されるというのは必ずしも自明ではない(というか恐らく倫理学者からさえも支持されないであろう)こと。
  • 一般市民が「「科学的に正しいとは言えないこと」を言ってはいけない(あるいはそれを根拠にした意思決定をしてはいけない)」ということが倫理的要請されるかどうかはやはり必ずしも自明ではないこと。
  • 社会的活動が満たすべき、倫理的規範を満たしていないこと」を一般市民が行ってはいけないというのは確かに、疑いなく倫理的要請されるが、これはトートロジーだから当たり前。「社会的活動が満たすべき、倫理的規範」が何であるかについてはやはり必ずしも自明ではないこと。

追記

元増田の言ってることは「戦線を限定すべき」という意味では大賛成なんだけど、「倫理」とか「知的誠実さ」とか言わない方がいい。話が拡散するので(実際スレッドを追うと拡散してる)。

単に「科学的手続きを踏まえていないものを科学と呼ぶな」って言えばいい。

科学的手続きとは何か」というのはある程度わかりやすく説明できる。>その手の本はいろいろ出てるので興味のある方は読んでください

ややこしいのは、「科学的手続きを踏まえていないものを科学と呼ぶな」というパフォーマティブな言明は何を意味するのか、ということ(誰が言うべきか、そもそもなぜ言うべきなのか、言ったら効果があるのか)。

で、さらにややこしいのは「じゃあ科学とは呼ばないよ。科学的手続きを踏まえていないものを「世界根本原理」と呼んで広めることにするよ」となったときにはもう、「科学的手続きを踏まえていないものを科学と呼ぶな」という言明は無効化されちゃう。そこでさらに深追いして「科学的手続きを踏まえていないものを口にするな」なんて言っちゃったら我々の日常コミュニケーションのほとんど全てがひっかかっちゃうからね。

法律に触れるようなことはもちろん法律で裁けばいい。でも、そうでないもの、グレーゾーンなものは難しいよね。「ある人を救うためにナイフで刺すことがベストな方法」って思ってる人が本当に刺しちゃったら犯罪ってことで処理されるし、ある種の代替医療とかはそれに近いところまできちゃってるのかもしれないけど、水伝なんかはそうとは言えないからね。

確かにあれで授業を受けた子どもは、色々な意味で「機会損失」があるわけだけど、それは法には触れないし、「科学」というラベルを外せば先の批判は無効化されるから、あとは「議論」していくしかないんだよね。科学に対する価値観の違う者同士で。

 
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