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はてなキーワード: 古書とは

2015-01-18

大河ドラマ花燃ゆ』にパソコン明朝体フォントwwwの誤解

辞書編集者の飯間氏が指摘したのは「PCで使用されるようなフォント丸出しの字体大河ドラマで使うのはどうなの?」ということなのだが、その反応を見るといくつか誤解しているコメントが見られる。

1.「幕末明朝体って……」→明朝体は当時にもあった。指摘されているのは当時なかった字体花燃ゆで使用されたのは小塚明朝と言われている)が使われていたということ。

2.「小道具古書の題字がフォントを打ち出して印刷しただけって…」→そうではない。ドラマキャプチャー画像と小塚明朝で打ち出した「海防臆測」を見比べれば分かるが、ところどころ異なっている。ハッキリ分かるのは「防」の4画目。小塚明朝を参考にして綻びを入れながら美術が書いたと思われる。ハム速コメント欄には字体の違いからハッキリ「小塚明朝ではない」という意見もあるが。

どんな字体なら文句でなかった?

PCで使用できるフォントでも当時使用されていたような楷書体だったり康煕字典体があったりするので、それを元に小道具の書物を作れば良かった。

2014-12-27

出版崩壊とか

http://www.nippon.com/ja/features/h00092/

大局的には合ってると思うもの

たとえば1000億円市場中古・新古書マーケットに目配りのないグラフがドヤるのは

もーいいかげん禁止にしたいっすな。

2000万人で形成されてるんで、ひとりあたりの年間消費は5000円。

数字的に無視できるとは思えないわけで

環境省資料とかもちゃんと見ればいいよ!

(と言いつつ1300億円だった中古書籍市場も900億にまで減ってるんでトレンドとしては元テキストに異存はないん)

2014-03-19

国立国会図書館はお気づきでしょうか」について

http://anond.hatelabo.jp/20140318090122

古書価格維持がされることが史料の保管・維持or埋もれた新資料が発見されるインセンティブになるって指摘は無視するのな

そこが一番「なるほど」って思った箇所なんだが

2014-03-18

国立国会図書館はお気づきでしょうか」について

素朴な感想は次の通り。まず「安く買うことはお客様に失礼」という価値観を共有できない。次に「適正な価格で売る」の「適正」が恣意的ものであることへの認識が欠けている点が気になる。それから「高く買い入れて売る機会を失っている状態に憤りを感じ」るというのがよくわからない。

古書価値について。「古書を売る」というのが紙の本という特定メディア依存した商業形態である以上、電子書籍の登場によって古書価格が落ちるのは市場原理から考えて必然古書の内容を求める需要電子化により満たされてしまうのだから。だから価格低下も必然。そこを受け入れたくないということになると、電子書籍排斥するか資本主義経済革命するかという話になってくる。どっちも無理なら「受け入れたくない」ということについて精査するほかない。

「(紙の)本がいいか/電子化された本がいいか」という議論がなされているけど、これは飛躍。そこまで話を飛ばす必要がない。何度となく言われていることだけど、そもそも両者は対立関係にないということを認識するべき。更に言うと、国立国会図書館近代デジタルライブラリーのしたことは、本を買う側の人間お客様が紙の本と電子書籍のどちらを選択するのかという自由を損なうものではない。そうではなくて、もともと電子化されていなければほとんど誰にもアクセスすることができなかったであろう情報不特定多数の手の届く範囲においたというだけの話。そしてその現実的方法たまたま電子化だったというだけ。

憤りを感じる必要はない。そんな暇があるなら、古書がどういうものなのかについてもっと反省的に考えるべき。古書を扱う人間がそんな素朴な価値観のもとで駄々をこねてどうするんだ。今のままだと、電子書籍の到来程度で揺らぐ価値しか古書に認めていなかったように、そしてまさにそれゆえに焦っているようにしか見えず、端的に言って見苦しい。

2013-09-15

http://d.hatena.ne.jp/takeda25/20130914/1379166107

書かれてる内容には同意できるものが多いのですが、

  「こういった背景も知らないで、一知半解の知識をふりかざして“「日食」は代用表記だ”みたいなことを書いてしまうというのは恥ずかしいですね。」

などとドヤ顔している割には、あなたも仮借や省字のような初歩的な漢文に関わる知識がごっそり欠落しているのが丸わかりなあたりがとても残念な感じですよね。

そのあたりの知識があれば、漢字に意符が付け加えられていった具体的な背景や必然、意符や字画が少ない字に正当性を認めることへの躊躇も含めたうえで、より公正な主張が可能になったでしょうに。

日食月食について、それが現代に為された代用表記ではないから正しく日蝕と書けといったような指摘が的外れだという主張そのものは正しいでしょうが、かといって現代国語おい字義が明確に分化されたあとの「志」やら「然」やら「斤」やらを「誌」や「燃」や「近」として使うのを古籍の用例を引きずりだしてきて「このように書いても過去の用例に鑑みれば間違いではないのだ!」などと正当化するような真似もまた、エアロパーツ好きのDQNベクトルが逆に向いてるオタク中二病をこじらせたままというだけで、いずれも自身の稚拙さをさらけ出してることには変わりはないはないのではないでしょうかね。

それこそ”一知半解の知識をふりかざして”青空文庫コピペ古書スキャン画像並べただけでクソとミソの区別もつけられないまま、汚名挽回的を得るは間違いではないのだなんて詭弁のもの論陣張りたがる知識人気取りのお子様をたまに見かけますけど、知識のない他者に対し優越感を得たいが為に学問かじってるのでなければ、その分野の研究者編纂にかかる概説書やそれがなければ重要論文の内容を地道に読み込むところから始めたいものですね。

あなたが挙げてるような素人でも無理なく読めるよう専門的な部分がざっくり端折られた一般書ばかり読み散らかして、基礎的あるいは体系的な知識も持たないままネットに転がってるデータベース検索かけて都合の良い箇所だけ適当に抜き書きしてるだけでは、いつまで経ってもあなたが見下してるつもりの半可通の領域から抜け出られませんよ。

2013-05-05

他人の家

私は今、他人の家にいる。

他人の家でお泊まりしてきたのだ。

同窓会の後、酔っちゃった勢いで、

終電ギリギリからまりたい』と

拒否られるかもなぁと思って言ったら、

いいよとOKサインが出た。

仏の梅ちゃんはやっぱり仏の梅ちゃんらしい。

相手を図ってたって言わなかったら嘘になるけど

二つ返事とは思わなかった。ごめんなさい。

家の中は色々な香りで充満してた。

初めて入ったときの、新築にも似た香り

キッキンにさりげなくおいてある芳香剤香り

スカルプDツバキシャンプー香り

分厚い業務資料と古書から漂う本屋さんの香り

そしてベッドと枕の香り

他人の香りにどろどろに溶かされていきそうな気分です。

二口コンロいいなぁとぽつりと漏らしたら、

料理トークになって、寝る直前まで話してた。

食べてもみたいし、作ってもみたいな。

……今度、食材持ってきてもいいですか?

梅ちゃんが起き出したら、機を見て切り出そうとの

ご都合主義を喉元に飲み込んで自制。

家賃補助が出ると言ってた家は、築二年のアパート

何もかも新しかった。仕事で使う業務資料は、

本棚に綺麗に収められていて、野放図な我が家

本棚もこれぐらい出来たらなとちょっぴり思ったり。

ハンガーの上にちょこんと飾られた写真をまっすぐ見ることは避けたけど

きっと話にあった弟さんだ。

比べちゃいけないのに視線は踊り、

姿勢を崩すふりして、全方位見てました。

浮き足立ってるというか、落ち着かないというか、

免疫なくて、でもさっきまでぐっすり眠れたのはなぜ?

起き出したら、お礼を言おう。謝ろう。

ごめんなさい。ありがとう

2012-04-15

倫理について一考。

道徳の理由』という本(かなりの古書だ!)を再読したのでちょろっと。

※私はethicsに関しては全くの素人であり、ロールズ正義論でなり、ミル功利主義なりもまともに読んでいない。

倫理というのはヴィトゲンシュタイン的に言えば一つの言語ゲーム。すなわち、そこに所属している成員に対して要請される規則といえる。もっというと、その社会所属している成員に対し、「私」が期待するルール

まりのこと、その規則は「私」には適用されないと見る。

すると、倫理を私に適用する理由はないように見える。その通り、「ない」とするのが私の見方だ。つまり倫理とていうのは、あくまで、「オレ」から「オマエ」に発信される言語しかない。

Why be moral? という語は本質的why should I be moral?と Why should you be moral? に分別される。後者の方が本質的であるとみるのだ。

しかしながら、倫理には自分自身も縛られる。本来的には「私が道徳を守らねばならない」理由は何も無い。

ただし、この規則は両刃の剣であって、倫理はこの概念が、その社会所属する全員に適用される時のみ、「倫理」と呼ばれる。つまり倫理社会所属員全員からなる相互監視システムである

この考えとしては、倫理っつーもんは、村の掟となんら変わるところが無いわけだ。

補足すると、社会は多層的であるから、メンバA,B,Cが社会Xを形成し、同時に同じメンバが社会Zを形成している、ということは用意に想起しうる。人は一枚岩の思考で動いていない。

例えば、クラスの全員が、いじめは慎むべき行動だ、と考えている。(社会成員Xのメンバ)。しかし、同時に、クラスリーダーであるAに対して不快な行動をとった者に対し、いじめを行うことは推奨される、と考えている。(社会成員Zのメンバ)

話を戻す。この相互監視システムは、相互監視であるから、単体では監視機能は働かない(とひとまず考えることにする。まず主体をyouにおくのだ!)つまり密室状況において倫理を構成する要素は何も無い。

これは幾分思考実験的な状況だ。現実的な意味密室などこの世に存在し得ないといえる。猫箱の中で倫理は問えない。しかし、実質的な猫箱なんて社会にはなかなか存在しないのだ。

まぁ、例えばあなたと一人を除いて他の観測者がいない世界で、どうやって第三者があなた監視するのだ、という問題である。誰も監視できないじゃないか。このような環境下では、そもそも倫理という語が成立しない、というのが原語ゲーム的な倫理観です。(実際には、このような環境化でも倫理存在しうる。例えば一人で行う行為に対する倫理の第二者から倫理的判断や、意識の無い第二者に対して行う第一者に対する第二者の遡及倫理判断など。例えば、地球存在者一号たるあなた存在者二号が気絶している間にアッー!アッー!して、意識がある第二者が何らかの要因でそのことに気づくなど。尻が痛いとか。)

更に問題をややこしくするのが、相互監視システムによって監視されていることは、人間自分ではなかなか感知できないことにある。知能の高い社会の成員はこの言語ゲームによる制裁を受けないように、証拠の残る反倫理的行動は取らないように務めるが、知能の低い成員はそうではない。また、どこからその制裁の追求が来るかわからいから、人はうかつな行動が取れない。

さらさらに、言語ゲームでよく言われる話だが、人は一人でも社会を形成する。人は自分と対話することができるが、これは自分のうちに一つの社会を形成しているに等しい。ここでも言語ゲームによる制裁は成立する。これが自分倫理的に行動せしめる要因の一つだと思う。人は一貫した規則性に基づいて行動するような文化的特性を獲得しており(そりゃ獲得してない人もいるだろうが)、その中には動物本能から立脚すると思われる特定の行動を含む、ある種の言語ゲーム存在するのだ。これがWhy shoud I be moralに対する根源的回答になるのではないかと思う。

 トートロジーで何も言ってないじゃないかとか言われそうだが。

まり、人が倫理的に、道義的に何かせねばならないと判断をする時、そこには価値判断が伴っている。その価値判断は、本能的形質的文化的なさまざまな要因から定められた判断を取るのだが、それにいいもわるいもないということになる。だって、判断してんの本人だもの。勿論、第三者が介入していい、とか、わるい、とか論じることはできるが、そいつは俺らの言語ゲームであって、彼の言語ゲームではないのである

逆説的に、自分自分行為道徳的に正しいかどうかを判断しているというのは、極めて社会的アクションだと言える。そういうわけでは、監視者としての神の存在というのは、実に都合のいい概念なのかもしれないね

倫理が善概念と結びつくことが多いのは、この種の言語ゲームひとつロールモデルを通じて語られることが多いからではないかと思う。

例えば、ギャングの掟なるものを考えてみる。これは、ギャングが他のギャングにあってそうあって欲しい姿であり、かつ、ある程度自分がそうありたいと望む姿になるだろう。これは、ひとつ共同幻想であるとも言える。

さてさて、このような言語ゲームによる倫理の規定は、多くの倫理的問題をすっ飛ばしてきているようだが、少なくとも功利主義倫理論よりはうまく倫理現実のありようを捉えているような気もするが、なにぶん門外漢なので、功利主義的説明で説明でき、言語ゲーム的説明では説明できない、本質的倫理的判断に関する問題があったらご指摘願いたい。まる。

※書いてからコンマ1秒考えたけど、結局これはアプローチの仕方の問題であって、何が正義であるか、何が道徳であるかということに関しては「なんでもいいんだけどさ」で逃げてるなぁ。だから、「なぜ道徳的であらねばならないか」はぼんやりと答えているけど、「道徳であるとは(ソクラテス的な意味を前提した上で)なんであるか」ということに対しては、回答を拒否している。それこそ言語ゲームによるよね、と。イワシを祭ろうが隣人を石でぶとうがしったこっちゃねーや、という考えだ。そして、列車急停止のジレンマに対してこんなとんでもない回答を出すのだ。「おい、目の前の人間の顔色伺えよ。どっち答えて欲しそうなんだよ。そっちって言っとけ。」

※そもそも、真とか善とか美とか言い出したら定義論以外いいようがないじゃないか、という無限後退に陥っている。

2012-02-29

部屋がカオス 片付けよう

メモ

ゲームソフト類たくさん60本あるかどうか

各種マニュアル本や切抜き

ソウルジェムペンダント

スーパーロボット

フィギュア

昔の人形

ぬいぐるみ

CD 200枚位ありそう

溜まったファーストフードトイ

フランス文学小説

古書

雑誌類とそれに付いてた付録

ウィスキーの空き瓶

使用済みの電池と電球

引き出物陶器

流行遅れの服

各種書類

2011-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20110828114627

最初の、ネトウヨ陰謀論者みたいなもんだ、というくだりは理解できる。

次に、なぜネトウヨはやたら無根拠に自国を誇るエセ愛国者なのかについて考察したい。

以降のネトウヨ精神分析みたいなものは、考察だし、まぁ理解できる。

最後に、ネトウヨが内包する矛盾について語ろうと思う。

以降については大いに疑問が残る。文章の練習を兼ねて、疑問を指摘したい。

元増田の主張は

ネトウヨ差別を否定しながら、差別している。だから矛盾している。

という事だと、思う。

しかし、そうだろうか。

(共通の前提)

いわゆるネトウヨ差別的発言を特定のアジア人に対して繰り返すのは、特定のアジア人反日的発言を繰り返すからであることが、原因であることは、お互い理解できているものと思う。(論点として、どっちが先に言い始めたか、という事もあろうかと思うが、原因となる行為を遡るだけで究極的には問題にならないだろう。)

(背景)

ネトウヨ差別を否定しながら差別しているという考えの基礎にあるものは 1.特定のアジア人反日的発言を繰り返すことは、過去日本の蛮行を省みれば当然ゆるされる 2.ネトウヨ差別的発言を特定のアジア人に対して繰り返すことは、過去日本の蛮行を省みればゆるされない であると思われ、結果的にネトウヨ差別的発言を繰り返すことは許されない、のであろう。

(指摘)

しかし、漫画キャラクターの例でも指摘されたように、犯罪者の子孫は犯罪者ではない。また、このような漫画共感する人々とは、犯罪者の子孫を犯罪者の如く扱う差別に対して憤っている人々である

すると、過去日本の蛮行が原因であったとしても反日的発言は当然許される=ネトウヨは受け入れることが当然、ではない。ネトウヨは、祖先の蛮行が原因であるものの、いわれの無い差別的発言に対して、報復しているのだと考えられる。

一方で、たとえ報復であったとしても、ネトウヨ差別的発言を繰り返す事は、差別なのであるとも考えられる。いわば自衛のためであるものの、それが許されるかどうかは、別問題であろう。

(相手が差別的発言だとは理解していないおそれがあるものの)差別的発言を受けるネトウヨが、報復として差別的発言を繰り返す事と、差別を否定する漫画共感する事とは矛盾するのであろうか。

(結論)

いずれも、差別を否定するからこその行動だと、思う。

差別を否定するからこそ、受けた差別理不尽だと感じ、報復差別)するのである

差別を否定するからこそ、差別を克服する漫画共感するのである

矛盾していないと思う。

どうしてそのようなことがおこるのか。

一つには、先に書いたようにアイデンティティの欠如である

さて、元増田ネトウヨ差別的発言の原因をアイデンティティの欠如を第一に挙げている。

差別的発言によって自己尊厳が回復され、カタルシスを得ているのだ、と指摘している。

私はこれを恣意的だ、と感じた。

このような原因が無いとは言わないが、第一の原因ではないだろう。これが主因であるならば、ネトウヨ弱者でなければならないのではないだろうか。極端に言えば、ホームレス等といった者のような。

ネトウヨ差別的発言の主因はむしろ特定のアジア人達の主張の矛盾であると私は思う。

例えば韓国人であるならば、独島である。かれらは独島=于山島という。東も西も無いような地図を出し、人も住めないような岩礁の事を古書にある于山島であるという。一言で言うならばアホだ。いらつく。twitterデマをばら撒くアホと同じだ。

元増田に言わせれば、器量が小さい=アイデンティティの欠如からくる堪え性の無さ、といった事になるのかもしれないが。

2011-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20110612155414

古書として価値があるならとにかく、現在出版されてる本なんて定価に関係なく買取値はタダみたいなもんだから杞憂だと思う。

2010-11-29

http://anond.hatelabo.jp/20101129175513

ブクマに回答

アホみたいなことかいてるのにやたらとテンション高いのを観察して楽しむってこと?

そんなもんにカネ払う気にはならないなあ

中身薄いのにやたらと高いしねえ

古本ですごくいい古書が500円以下で買えるんだからそんなものに出す金はないよ

2010-11-08

昔のエロ本が好き。

かろうじて20代ですが、

80年代70年代とかのエロ本が好きです。

ヤフーオークションで買ってます。

カテゴリ古書扱いだったりします。


エロ本は古くなれば古くなるほどいい、と言うのが持論です。

つうか最近エロ本て凄くつまんないんですよ。

多分業界的に言うと二次元がどんどん膨張してきて

三次元に残ってる才能はゴミばかり、ということなんじゃないかな。

三次元エロ本は今売上的にも色々キツいんだとは思う。


とにかく、

汚いねーちゃんが安っぽく出てきて

何も考えてないような股間接写アングルばっかりで

とどめにフォトショで質感を全部台無しにする。

エログラビアを一つ作るにしても、企画者もカメラマン編集者

全員酷い感性と才能しかもってないのがすぐわかる。

少なくともカメラマンの質や緊張感は圧倒的に古エロ本ですよ。

それにモデルの地味な下着とか自然な体型とかが好き。

最近エロ本に出てくる女の裸はなんであんなに女らしくないんだろう。

 筋肉にも脂肪にもメリハリがない変な体。)

そして何よりロケーションメイクや下着に常に生活感がある。


最近エロ本はその生活感がないんです。

やってることだけ2次元の手法なんです。

女がエロい筈だからってんで女をそれだけでコンテンツのように何もない空間に切り出してしまう。

性器周辺が一番エロい筈だからってんで股間をドアップにする。

これは2次元なら面白いし2次元はそうするしかなかったんだけど

次元がやってもダメですよ。3次の強みを捨てるだけ。



次元エロ本はあらゆるジャンルで退化してます。

あれほんといつか復興することは無いんですかね。

昔のエロ本編集者は偉大だった。

インタビューとかしたいぐらい。

2010-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20101005125321

ゲーム

ゲームだか映画だかコミュニケーションツールだか解らない物の増加に伴い曖昧

まあこれは確かに。

ケータイ

ケータイなのかノートなのか

ノートってなんだ。ノートPCってことか?

PCみたいなケータイに対してはスマートフォンという便利な言葉があるじゃないか。

今後曖昧になっていくのはスマートフォンスレートPCタブレットPC)の区別だな。

ライトノベル

ヘビーなライトノベルの増加と

今後ライト化してリメイクされていくだろう古書の増加に伴い曖昧

いや、ラノベ定義曖昧なのは元からだし。

ラノベ読者は終わりのない定義論をいつも楽しんでいるよ。

漫画

漫画なのかライトノベルなのか解らない物がそろそろ増えてくる

コナンのことを言っているのか?w(台詞が長すぎて小説みたいになってる)

さすがに漫画ライトノベルの区別がつかないということはないだろう。

定義が定かではなく、明確にしない事で一般的な汎用性を高めている単語

SF

オタク

DQN

リア充

以下は、そろそろ定義曖昧になってきそうな物

ゲーム

ゲームだか映画だかコミュニケーションツールだか解らない物の増加に伴い曖昧

ケータイ

ケータイなのかノートなのか

ライトノベル

ヘビーなライトノベルの増加と

今後ライト化してリメイクされていくだろう古書の増加に伴い曖昧

漫画

漫画なのかライトノベルなのか解らない物がそろそろ増えてくる

2010-08-31

トカイとイナカとジャスコ

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。

育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バス時間も早く、夕方差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。

電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。

みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。

高校卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日時間もかけて都会へと通った。

私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地最初下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半風呂がなく、トイレ玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。

トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。

都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。

あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。

山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。

田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。

大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景あなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだあなたたちはそれを知らない。

盆や正月田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかいから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野秋葉原新宿池袋渋谷原宿東京丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。

ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。

ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方サービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせち材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要いから、田舎人間はそれを喜ぶのだ。

そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。

どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想しかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイのものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。

「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想しかない。幻想しかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ


私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。




補記:母は東京イオンがないという

記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。

父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。

引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルド本屋ミスタードーナツもある。旧市街地門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。

バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。

父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙時間的距離は苦痛だったのだろう。

子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。

そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。

祖父母にとって東京得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。

たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京イオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列ショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。

あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウン生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。

私の住む東京千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内はいっても下町からここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。

それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。

成田に育った:http://anond.hatelabo.jp/20080929192856

2010-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20100529012519

2010年代は親と学校ネットに対する姿勢学力に直結してくると思う。

英語学習で言えば学校図書館の比じゃない英文に接することが出来る。

小中高で英語書籍がどれだけ置いてある?古ぼけて訳す気にもなれないクソのような古書だったりするだろ?

PCなら質量共に圧倒的だ。

英語のページなんて腐るほどある。

文法を解説したページも無料で見れる。教科書(笑)学費(笑)

Googleツールバー入れてればマウスカーソル合わせるだけで単語意味がわかる。

alc使えばもう紙の辞書なんて使ってられない。

http://www.alc.co.jp/index.html

ここの良いところは日本語でも英語でも適当に放り込めば例文が出てくるところだ。

大枠が解ってないと然るべきページも探せない紙の教科書より断然効率がいい。

教科書めくるのにうんざりする生徒でもネットなら絶対楽になる。

ヒアリングだってそうだ。

昔は衛星放送のある家でしかCNNなんて聞けなかった。

田舎じゃ外人なんて全然いやしない。

バカ高い英語学習テープが売られてたろ?

それが今やCNNどころかアルジャジーラですよ。

アメリカどころか北欧から中東まで世界中人間がしゃべってるのをyoutubeで見れる。

それが学校じゃどうだ。

ニキビ面の外人トムとおさげのハナコが「これは何ですか「これはペンです」なんてやってんの。バカか。

ベッキークルーエルを必死に聞き取ろうとしてる奴とクソのような教科書しか無い奴で差がつかないはずがないっつーの。

こんな圧倒的な道具を敵視してる限り日本教育未来は無い。

2010-05-07

初めて風俗へ行ったことの話

ゴールデンウィークを使って新宿へ行った

とにかく僕はどうしようもなく、オタクであった

それは別に良いんだけど、重度のコミュ障・非コミュだったのは辛かった

他人を思いやる能力と、他人に興味を持つ能力の2つが、欠けているのだ

妄想だけは人一倍の面食いだった

彼女なんてできるはずもなく、友達もいない

好きなゲームゆめにっき

好きなアニメセイントオクトーバー

どこにでもいる26歳の童貞

どんなお店が良いのか、ネットカフェでしばらく情報収集した

新宿って街には初めて来たが、なるほど、秋葉原オタクの街で

神保町古書兜町金融新宿風俗なのか

山手線秋葉原の正反対に位置するのが新宿だった

たしかに正反対なのかもしれない

異様にロリっぽい風俗店発見した

ウェブで見ると、女の子の顔にはモザイクがかかっているが

ちらほらいる、モザイクのかかってない子は

とてつもなく可愛かった

まず、電話で予約をした

こういう事務的な会話・コミュニケーションには一切緊張しない

淡々とそつなくこなすことができる

これはありがたい

少しでも、アドリブ的要素、友好的要素、非事務的要素が出ると、

とたんに何を話せばいいか分からなくなって

相手の言ってることも理解できなくなるのだが

「はいお電話ありがとうございます、○○○です」

こんにちは女の子の予約をしたいのですが」

お客様は会員様ですか?それとも新規様ですか?」

「初めてです」

「どなたをご指名ですか?」

「ユメさんをお願いします、17時から一時間で」

「ありがとうございます、ただいまユメちゃんの確認をしますので暫くお待ちください」

「はい」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お待たせいたしました、17時から1時間でユメちゃん、ご予約可能です」

「ではお願いします」

「当店コースの方ございまして、A夜這いコース B痴漢コース C恋人コースとありますが」

「Cで」

「ではCコース承りました。オプションはどうなさいますか?」

「では4番の制服で」

かしこまりました、では17時の一時間前に、もう一度この番号へお電話いただけますか

 またその後、当店のご説明をさせていただきますので、30分前にはお店へお越しください」

「わかりました、失礼します」

お金無駄にしたくなかったので、顔出ししてる女の子を選んだのだ

それがユメだった

しかし、何千人という風俗女の子(顔出し)の中から

自分の好みだけでナンバーワンを決めて、その子を注文したのだ

ネット検索すれば、本当に何千人という数の女の子から、自分の好みの子を選び出せる

確率の問題であり、大数の法則市場原理感謝する

情報強者万歳インターネット万歳グーグル万歳

さて、1時間前に電話し、30分前にお店へ着いた

途中で別のお店の客引きに出くわした

客引きなんてしたら、そのお店の評判が下がるんじゃないだろうか、といらぬ心配をした

お店の受付で予約していた旨を伝えると、待合室に案内された

ここで僕はびっくりした

待合室には男が4人いたのだが、

みんな気持ち悪いのだ

なんというか、生理的に受け付けない人がそこにいた

全員がタバコを吸っていた

髪の毛がくしゃくしゃで、ホームレス競馬場にいそうなおっさんを掛けて平方根のような感じの人たちだ

そして、みんな高齢だった

全員が40代以上なのは確実だった

僕は20代である

異様な雰囲気だったが、お店の中には、アルバム帳が置いてあった

ネット検索したときにモザイクがかかっていた女の子の、

モザイクなしの写真をここで見ることが出来るのだ

アルバムをめくってみる

とてつもなくかわいい女の子ばっかりだった

面食いの僕が言うのだから間違いなかった

明らかに標準以上の女の子しか、「存在しない」のだ

これは僕には衝撃だった

僕は当初、風俗嬢というのは、キャバクラライクな矢島美容室みたいなのを想像してた

が、実際は図書館とか本屋が好きそうな女子高生、という感じだった

(もちろん、いかにもな感じの子もいるけど)

受付に呼ばれ、説明を受け、代金を支払う

明朗会計この上なかった

ネットカフェであらかじめ印刷しておいた、風俗情報サイトの割引券も使えた

全部で17000円

ホテルはこちらで手配してます」

すみません、このあたりの地理に疎くて、ホテルの場所とか分からなさそうなんですが」

「その点はご心配ありません、お店を出て5秒で着きます、ここをこういってください」

「近っ!」

「その際、この紙をお渡しいただければ、通常より安く入れます」

といって紙を渡される

そのラブホテルも、この風俗店経営してるんだろうか

なんだかパチンコ屋と、商品交換屋のような分離体制だ

そこはいろいろ事情があるんだろう


つづきあります

http://anond.hatelabo.jp/20100508083611

2010-04-30

なぜ京都で有名な書店恵文社」に惹かれる人が多いのか。


昨日、京都恵文社一乗寺店に行ってきた。ネットでは話題になり雑誌等にも多く取り上げられ下町一乗寺という立地なのにうっそうと流行っている。昨日行った時も人ゴミで店内は覆われていた。なぜAmazonなどのネット書店が席巻する現代でリアル書店が今尚健在しているのか。そんな疑問が気になって京都まで足を運んだというわけなのだが、結論を先にいうと、おそらく店内に並べる本のチョイスが斬新な点にあると思う。決して、店内の雰囲気がいいとか、雑貨が置いてあるとか、本の並べ方がいいとか、そういったことではないと感じた。

振り返ってみよう。現代の本屋さんとはどんなのがあるか。大きく分けて二つあって、一つはランキング形式を重視した1から100まで網羅している大型チェーンの書店。それともう一つは、対照的に、とある商店街一角にひっそりとある「なんで潰れないの」的な亭主一人の本屋さん。もしくは、駅前の売れ筋商品だけを置いた小書店。・・・以上二つに分かれるわけだが、そもそも個人的には紙媒体文化というのは、後数十年でマイノリティになると考えているので、前者はアマゾンと置き換わり、後者は間違いなく潰れると思う。

その点を少し掘り下げてから、恵文社の魅力にシフトしたいので少し寄り道をして欲しい。

なぜ、リアル本屋さんが今の経営だと淘汰するかというと、単純にデジタルネイティブ。つまり物心ついた時から活字はデジタルで読むものと教育されてくる子供たちが今後増えるからで、現在アナログ世代とごっそり入れ替わった時には本屋さんの存在マイノリティになるだろうと。それはこんな根拠があるからで、まだ日本語版のキンドルiPadなどの電子書籍母体は発売されていないが、他の先進国ではもう地に根付いているといっていい。なんでかというと、公的機関、つまりは教科書デジタル化に大いに役立っているからなのだ。アメリカ教科書というのは日本と違って、独学ができるように膨大の情報が詰め込まれており、分厚い専門書籍と化している。そんな分厚いものを何冊ももって移動となると、それだけで疲れてしまう。それを補ってくれるのが電子化による、データを持ち歩く方法で、子供の頃からそれが当たり前となると、どうなるか。先ほども言った、活字はデジタル画面で読むものという常識が固定されるわけで、それは必然的に、アマゾンデータを購入してデジタル画面で読むという行為になり、リアル本屋さんというのが、今で言う、レコード屋さん状態になるだろうと推測せざる得ない。

さて、余談が長くなったが本題に入ろう。

そんな絶望的な本屋さん市場なのだが、それでも希望の光はあって、その光を感じさせたのが今日の主役の恵文社というわけだ。簡単に説明すると、恵文社というのは大型書店の後ろの方に眠っている良書を一般客に触れさせている点にある。人は皆、食わず嫌い性質が備わっており、変化を嫌い、予測できない事、物はさける行動をとる。それは本屋さんでも適応され、好きなジャンル本コーナーしか行かない。例え興味本位哲学とか医療とかの書棚にいったとしてもちんぷんかんぷんで足を止める時間というのは刹那だろう。その点、恵文社はそれをごちゃまぜにしている。東京では最近オープンした松丸本舗がそれにあたるだろうか。漫画古書を隣に並べるなどして、お客に刺激を与え、ハードルを下げ、好奇心自分探しの森へ引き込ませる。それが最大の要因であり、恵文社が好まれる理由にあると思う。

しかしだ!! それでも甘いと私は思っている。もっと振り切れる必要があるのではと考える。

確かに、恵文社松丸本舗という質に拘り一般人の琴線に触れるチョイスをする本屋さんというのは魅力的であり、集客力も案外ある。しかし、それが購買に繋がるというと、やや懐疑的な部分もある。絶対数が増加したからある程度は増えただけであって、どうもそういった第三のリアル書店というのは、雑貨屋さん、つまりは見て楽しむ本屋さん、ファッション書店になっているのではないかと思う。

はっきり言って、今のやり方ではネットでも十分にできる。ごちゃまぜ方法的なやり方なんかだとネットの方が有利ではないか、立ち読みも楽勝にできるし、棚の入れ替えもすばやく展開できる。恵文社ネット版は安易に作成できるのだから、やはり今の経営方針ではまだまだだと個人的には考えている。恵文社にいるときに自分ならどうするかを思考していたので、それを少し紹介すると、ネットでできなくてリアルでしか通用しないもの。それはなんなのか。それはこんな事ではないか。

本を選択してくれるサービス

本を購入するというのは、大きく分けて二通りあって、目的がはっきりしている買い方と紹介による買い方。反論を防ぐ為におさえておくと、ぶらっと立ち寄った本屋さんでふと手に取った本をペラペラ立ち読みし、なんとなく気に入って購入したとか、ジャケ買いしたとかは、前者に含まれる。それはあくまでも自分好みのものを手にとって見たからで、目的が決まっていると言っていいと思う。それで重要なのが、後者の紹介による購買で、書評をみてとか、本屋さんのPOPを見てとか、尊敬する人から進められたとか、誰かに決めてもらって本を買うという方法。わたしはこれがほとんどを占めているが、あと、好きな著者つながりとか。

要するに、数多ある書籍を目の前に置かれても、選択できないのが人間で、それは時代の流れて確かに収斂されてはきている。この恵文社のように、ある程度本屋さん側にチョイスしてもらって、その中からお客さんがまた選択すると。ただ残念ながら、わたしはそれでも多いと思っている。やはりある程度絞ってもらっても、本選びの時は不安なものは不安だし、お金のある人は別だが、数千円を投資するわけだから、何かにすがりたいのが世の末だろう。

そこでだ。もっともっと絞ってみてはと思ったわけで、想像していただきたい。とある本屋さんがあったとする。そこには、10冊しか本棚に並んでおらず、本と本の間のスペースは2,3冊分はあいており、そこには亭主が厳選した書籍たっぷり書評と並べて置いてある。まさに、セレクト書店というべきか、ポイントなのはそこでしか、その選択のサービスは受けられない点にある。有名人なら一人で経営しても問題ないだろう。例えば、書評で有名な弾さんなんかがセレクト書店オープンすればそれなりに流行ると思うし、もちろんネットでは同じサービスは止める必要がある。しかし、知名度がない人や法人がやるとなれば、コツコツとやるしかない。

仮に恵文社程度の規模で私がプロディースするとすれば、ネット書籍を沢山読む人を集めて書籍を選んでもらい書評を書いてもらう。そしてそれを店の本棚にならべる。ポイントは一人につき書棚一つ。それと個性的バイアスのある書評家を選ぶ必要がある。となるとだ、かなり特殊な本屋さんになるのは自明だろう。無造作に置いてある本をお客さんが決めて買うではなく、数冊に絞ってやり本をお客が不安満載で博打買いするのではなく、この書評コメントに感化されたから買おうと、そしてその書評を書いた人が魅力的に感じてきて、その人が選ぶ本なら自分と結構趣味が合うので買おうと、最終的にはその選ぶ人のコアファンになればいうことなしだ。なぜなら、好きな人お奨めする本は、本を購入するという行為に直結するからだ。


ってな感じで、本を選ぶのではなく、人が選ぶ情報を買うにシフトする必要があると考え、それと重要なのが、ネットではその情報を流さないこと。これさえ徹底すればリアル本屋さんも当分はやっていけるのではないだろうかと思う。本の種類を抑えるとコストもさがるし。ただビジネスとしての初期段階では本屋というビジネスモデルは選ばない方がいい。もしやるとしても、ローカル趣味経営で止めておいた方がいい。現段階で書店経営している場合は考えるべきだろう。

2010-02-04

去年読書中に遭遇した未知ないし理解が曖昧だった単語

ちなみに読んだのは小説や思想書。

【行状】人の普段のおこない。身持ち。品行。 「―を改める」 ※ぎょうじょう

隠退】一切の社会的仕事を辞め、静かに暮らすこと。退隠。 「郷里に―する」

【駐屯】軍隊がある地にとどまっていること。 「―部隊」「―地」「一個師団が―する」

【要綱】根本的な、重要な事柄。また、そのような重要事項をまとめ上げたもの。 「政策の―」

【眼目】(1)物事のたいせつな点。要点。主眼。 「教育の―は人間形成にある」 (2)目。まなこ。

【獄門】(1)牢獄の門。 (2)〔斬罪になった囚人の首を (1) にさらしたことから〕江戸時代の刑罰の一。斬首のうえ、その首を一定の場所または悪事をした場所にさらすこと。獄門台にのせ、そばに罪状を記した立て札を立てた。梟首(きようしゆ)。晒首(さらしくび)。「――に懸ける」

【当座】(3)(あることから)しばらくの間。一時(いつとき)。「結婚した―は生活も苦しかった」

【おさおさ】(1)(下に打ち消しの語を伴って)どんな面からみても十分に。全く。ほとんど。「準備―おこたりなし」「―おとらない」

【大儀】(1)手間のかかる面倒なこと。骨の折れること。また、そのさま。「―な仕事」(2)くたびれてだるいこと。何をするのもおっくうなさま。「体がだるく起きるのが―だ」

【芬々】においの強いさま。多くよい香りにいうが、悪臭にもいう。「香気―たり」「酒気を―と匂はせつつ/鉄仮面(涙香)」

【荒涼】風景などが荒れ果てて寂しいさま。また、精神がすさんでいるさま。荒寥。「―とした枯れ野原」「―たる寂寞感」「―たるその景色/或る女(武郎)」

【胴震い】寒さや恐怖・緊張・興奮などのために体が震えること。

【怖気】こわがる気持ち。恐怖心。おぞけ。「―がつく」

【嘶く】馬が声高く鳴く。 ※いななく・いなく

【人好き】多くの人に好かれること。人が好くこと。「―のする顔」

【掛け金】(1)戸・障子などが開かないようにかける金具。

【按排】(4)ほどよく物事を処理すること。ほどよく物を並べること。「九個が整然と同距離に―されて/草枕漱石)」

【進捗】(1)物事が進みはかどること。「工事の―状況」※しんちょく

【皓々】(3)光るさま。明らかなさま。「―たる月/緑簑談(南翠)」

【銘記】しっかりと心にきざみこんで忘れないこと。「心に―すべき言葉

【徴発】(1)強制的に物を取り立てること。特に、軍需物資を民間から集めること。「民家から食糧を―する」(2)強制的に人を呼び集めること。「堤防工事に人員を―する」

【口伝】(1)口で伝えること。くちづたえ。(2)奥義・秘伝などを口伝えに伝授すること。(3)奥義を書き留めた書。秘伝の書。

【前哨】敵陣近くに軍隊が陣を張る場合、敵状を偵察したり敵の奇襲を防ぐために前方に配置する部隊。

【矮人】背の低い人。 ※わいじん

翻刻】(1)写本や刊本を、そのままの内容で、新たに木版または活版で刊行すること。翻印。(2)外国の刊本を、そのままの内容で新たに刊行すること。

拙劣】へたであること。まずいこと。また、そのさま。「―な文章」

【縞瑪瑙】縞模様の特にはっきりした瑪瑙。

【稠密】多くの人家・人間などがある地域に密集している・こと(さま)。「人口が―な地域」「人家の―する日本橋区の中央(まんなか)へ/花間鶯(鉄腸)」 ※ちゅうみつ

【立役者】(1)芝居で一座の中心になる役者。立役(たてやく)。立者(たてもの)。(2)ある方面で中心となって活躍する者。中心人物。「優勝への―」

【いくたり】「いくにん(幾人)」に同じ。「―来たかわからない」「―かは成功した」

【成算】物事をやりとげることができるという見込み。成功する見込み。「―がある」「―が立たない」

馬力を掛ける】精を出して仕事にはげむ。馬力を出す。

【尖塔】細長く先がとがった形屋根をもつ建物ゴシック建築教会などに多く見られる。

【拱廊】アーケード建築用語。円柱などの柱によってささえられたアーチの連続,または片側がアーチをのせた柱列からなる廊。ローマ時代以降盛んに用いられ,中世にはバシリカ式教会堂の身廊と側廊を仕切る内部構成の重要な要素となる。

【重畳】(1)幾重にもかさなっている・こと(さま)。「―たる山脈」(2)この上もなく喜ばしいこと。きわめて満足なこと。感動詞的にも用いる。「―の至り」「御無事でお帰りなさるは何より―/色懺悔紅葉)」※ちょうじょう

【はかばかしい】(1)物事が順調に進んでいる。望みどおりの方向にいっている。うまくいっている。また、はかどっている。「病状が―・くない」「―・い返事が聞けない」

【奇態】風変わりなこと。不思議なこと。また、そのさま。「予言したのがちやんと適中してゐるから―だ/うづまき(敏)」

【風雪】(1)風と雪。(2)風とともに降る雪。吹雪。(3)きびしい試練や苦難のたとえ。「―に耐える」

【以遠】ある地点よりさらに遠いこと。また、その場所。「東北本線宇都宮―が不通」

【鷹揚】ゆったりと振る舞うこと。余裕があって目先の小事にこだわらないこと。また、そのさま。ようよう。「―な態度」「―にかまえる」

【物堅い】実直である。律義である。まじめ一方である。「―・く信用できる人」

【暗影】(1)暗いかげ。(2)不安・不吉なきざし。「前途に―を投げかける」

【暗影を投ずる】不安を投げかける。「国際情勢に―・ずる出来事」

【模糊】はっきりしないさま。ぼんやりとしているさま。「曖昧(あいまい)―」「四辺(あたり)は―として霧の中に隠れるが如く/あめりか物語荷風)」

【戦慄く】(1)寒さ・恐怖・発熱などのために体が小刻みに震える。おののく。「恐怖に―・く」 ※わななく

【空恐ろしい】これから先のことを考えると、なんとなく不安で恐ろしい。「ゆく末が―・い」

【稀覯】〔「覯」は見るの意〕めったに見られないこと。「―の古書

稀覯本】めったにない珍しい本。古写本・古刊本・限定出版本などのため、数がきわめて少ない本。稀覯書。稀書。珍本。

【蔵書】書物を所蔵していること。また、その書物。蔵本。

【悪鬼】(1)たたりをする魔物。「―のごとき形相(ぎようそう)」

【染む】(3)打ち消しの語を伴って、自分の気持ちになじまない、気にいらない意を表す。「意に―・まぬ結婚」 ※そむ

【総身】からだじゅう。全身。満身。そうみ。

【悠久】はてしなく長く続いている・こと(さま)。「―な営み」

【繁茂】草木が生い茂ること。「夏草の―する野原」 ※はんも

【閲する】(1)よく調べる。検査する。「此編を綴るに至りて或一書を―・せしに/近世紀聞(延房)」(2)年月を経過する。「諸邦を遊歴して多年を―・し/花柳春話(純一郎)」 ※けみする

【霊廟】(1)先祖など、人の霊をまつってある建物おたまや。みたまや。(2)卒塔婆(そとば)のこと。 ※れいびょう

【蕭然】がらんとしてもの寂しいさま。「沈々たる孤灯に対(むか)ひ―として窓下に縫衣す/世路日記香水)」 ※しょうぜん

【冷徹】冷静で、物事の根本まで深く鋭く見通している・こと(さま)。「―な目」「―に事の推移を見通す」

【瞥見】ちらりと見ること。ざっと目を通すこと。一瞥。「―すると女が四人でテニスをして居た/趣味の遺伝(漱石)」

【新緑】初夏の頃の、木々若葉のつややかなみどり。[季]夏。

【壮麗】大きく立派で美しい・こと(さま)。「―な会堂」

【興趣】楽しく愉快に感じること。おもしろみ。「―が尽きない」「―がわく」

【古雅】古風でみやびな・こと(さま)。「古代の人像は―にして奇(くし)く/慨世士伝(逍遥)」 ※こが

【円蓋】半球形の屋根ドーム

【着意】(1)気をつけること。気をとめること。注意すること。「然るにこれに―するもの、甚だ少なし/西国立志編(正直)」(2)思いつき。着想。

【刻限】(1)指定した時刻。定刻。「―に遅れる」(2)時刻。時間。「日の暮れる―」

【蒼枯】古びていて深みがあるさま。「太い幹は―として白い粉をふいている/わが愛する山々(久弥)」

【遠戚】血筋の遠い親戚。

【純朴】素直でかざりけのないこと。人情が厚く、世間慣れしていないさま。「―な気風」「―な人」

【購う】(1)買い求める。「最も価(あたい)低き入場券を―・ひたれば/ふらんす物語荷風)」(2)ある物と引き換えに別の物を得る。「汗と涙で―・われた成功」

【贖う】罪の償いをする。「死をもって罪を―・う」

【和毛】やわらかな毛。うぶ毛。 ※にこげ

意趣返し】仕返しをして恨みを晴らすこと。報復。意趣晴らし。

【譴責】(1)不正・過失・失敗などをとがめしかること。「怠業のかどで―する」※けんせき

【ひとかたならず】ひととおりでない。普通でない。たいへんである。「―ぬお世話になりました」「―ず驚いた」

【峻厳】(1)いかめしくきびしい・こと(さま)。「―な態度」「―に自己を難詰した彼も/彷徨(潤一郎)」

【難詰】欠点を挙げ、厳しく相手を非難すること。「失態を―する」 ※なんきつ

【懐郷】故郷をなつかしむこと。「―の念抑えがたし」

【往時】昔。以前。「城跡に―をしのぶ」

【顔容】顔かたち。容姿。容貌(ようぼう)。

【突兀】物が高く突き出ているさま。山や岩などの険しくそびえているさま。とつこつ。「英雄の鼻柱が―として聳えたら/吾輩は猫である漱石)」 ※とっこつ

【刻苦】自らを苦しめ努力すること。「蛍雪(けいせつ)の窓に―して/慨世士伝(逍遥)」

【登攀】高い山などをよじ登ること。とはん。 ※とうはん

【闃然】ひっそりとして静かなさま。人気がなくさびしいさま。「―として空家の様に見えるのは/琴のそら音(漱石)」 ※げきぜん

【凛然】(1)寒さの厳しいさま。「―として寒冷(さむさ)膚へに徹り/竜動鬼談(勤)」(2)りりしく勇ましいさま。凛乎(りんこ)。「―たる態度」「精神爽(さわ)やかに意気―として/復活(魯庵)」

【凛乎】きりっとして勇ましいさま。りりしいさま。凛然(りんぜん)。「―たる態度」「彼方(かなた)を睨(にら)みし有様は、―として四下(あたり)を払ひ/慨世士伝(逍遥)」 ※りんこ

【篤実】情にあつく誠実であること。他への思いやりがあり、また、まじめであること。また、そのさま。「温厚―の好青年」「―な人柄」「―家(か)」

【惻隠】かわいそうに思うこと。あわれむこと。 「―の情」

【碩学】〔「碩」は大きい意〕学問が広く深いこと。また、その人。 ※せきがく

【詰屈/佶屈】文字・文章が堅苦しく難しい・こと(さま)。

【遺愛】死んだ人が、生前に愛用していたもの。「亡父―の万年筆

【先考】死んだ父。亡父。

【先妣】死んだ母。

【粛然】(1)静まりかえっているさま。また、かしこまり静まるさま。 「恩師の前に―と控える」「此満堂―として鎮静し/経国美談(竜渓)」(2)礼儀正しく、おちついたさま。また、おごそかなさま。「彼等は…火の気のない室(へや)に―と坐つてゐた/門(漱石)」

【酔歩】酒に酔って歩くこと。また、その足どり。千鳥足。「阪東君が―蹣跚(まんさん)として這入(はい)つて来る/続風流懺法(虚子)」

【蹣跚】よろめき歩くさま。「―として定めなき足を引摺り/緑簑談(南翠)」 ※まんさん

【憂愁】うれえもだえること。悲しみなげくこと。うれい。「―の色が濃い」「享楽し、―する人間らしき行為言動を/文学評論漱石)」

【幽愁】深い物思い。深い憂い。「―を催す」「―の美に酔ふばかりであつた/ふらんす物語荷風)」

【幽囚】捕らえられて牢などにとじこめられること。また、その人。囚人。「―の身となる」「ブリグハム、ヤングを―せり/八十日間世界一周(忠之助)」

【有終の美】物事を最後までやり通し、立派になしとげること。 「―を飾る」

【虚心坦懐】心になんのわだかまりもなく、平静な態度で事にのぞむ・こと(さま)。「―に話し合う」

【沈滞】(1)一つところにとどこおって動かないこと。(2)活気がなく、積極的な動きのみられないこと。「全体に―した雰囲気だ」

私生児法律上の婚姻関係にない男女の間に生まれた子をいった語。民法旧規定では父の認知を得ていない者をいい、認知された子は庶子として家籍に入れられた。現在民法では「嫡出でない子」という。私生児

【分限者】金持ち財産家。 ※ぶげんしゃ

【手練手管】人を思うままに操りだます技巧。「―の限りを尽くす」

【籠絡】うまくまるめこんで自分の思う通りにあやつること。「主君を―するに至れば/日本開化小史(卯吉)」

【不倶戴天】〔「礼記(曲礼上)」から。ともに天をいただくことはできない意〕この世に共存できない、どうしても許せないと思うほど深く恨むこと。「―の敵」

換骨奪胎】古人の詩文の発想・形式などを踏襲しながら、独自の作品を作り上げること。他人の作品の焼き直しの意にも用いる。

【機微】表面からは知りにくい微妙な心の動きや物事の趣。「人情の―に触れる」「人生の―」

【機微を穿つ微妙な心理や趣を巧みに言い表す。

【恵投】人から物を贈られることを敬っていう語。恵贈。恵与。 ※けいとう

【看取】見て、それと知ること。事情などを察知すること。「人に由りて其の―する処の事実なり/欺かざるの記(独歩)」

【看過】見過ごすこと。大目に見て見のがすこと。「決して―できない不正

【指弾】つまはじきすること。転じて、人を非難・排斥すること。「―を受ける」「偽善者を―する」

瑕疵】(1)きず。欠点。(2)法的に何らかの欠陥・欠点のあること。

【謙抑】へりくだって控え目にすること。

【宥和】相手の態度を大目にみて仲よくすること。

面従腹背】うわべは従順にみせかけ、内心では従わないこと。 ※めんじゅうふくはい

【附和雷同】自分にしっかりした考えがなく、他人の意見にすぐ同調すること。

【威武】威光と武力。武力が強く、威勢のあること。武威。「―を示す」

【威光】自然に人を服従させるような、おかし難い威厳。「親の―をかさにきる」

【断案】最終的な考えを決めること。また、最終的な考え・案。「―を下す」

【存否】(1)存在しているかいないかということ。「詩人の生家の―を問い合わせる」(2)健在であるかないかということ。安否。「両親の―を問う」 ※そんぴ

【出立】(1)旅に出ること。旅立ち。「早朝―する」(2)物事を始めること。「此(この)根本義から―した代助は/それから漱石)」 ※しゅったつ

根本義】根本の意義。原理。「人生の―を悟る」

【零落】おちぶれること。「―して今は見る影もない」 ※れいらく

【落魄れる】以前の身分や財産を失い、みじめなありさまになる。零落する。「―・れて今は見る影もない」

【布置】物を適当な位置におくこと。配置。

【鬼胎】(1)心中ひそかに抱くおそれ。「―を抱く」(2)〔医〕「胞状奇胎(ほうじようきたい)」に同じ。

【胞状奇胎】妊娠初期に胎盤を形成する絨毛膜の絨毛が病的に増殖し、葡萄(ぶどう)状の嚢胞(のうほう)になって子宮腔を満たすもの。大出血を伴って流産したり、癌が発生する確率が高い。俗に「ぶどう子」と呼ばれる。葡萄状鬼胎。

【阿る】気に入られようとする。へつらう。「大衆に―・る」「時流に―・る」 ※おもねる

【腑分け】解剖のこと。「手医師何某といへる者、千寿骨ヶ原にて―いたせるよしなり/蘭学事始」

【流謫】罪により、遠地へながされること。島流し。謫流。「―の身」 ※るたく りゅうたく りゅうてき

貴種流離譚】〔折口信夫の命名〕説話の一類型。若い神や英雄が他郷をさまよいさまざまな試練を克服し、その結果、神や尊い存在となったとするもの。在原業平(ありわらのなりひら)の東下り伝説かぐや姫伝説、また、源氏物語須磨流謫(るたく)の条などがこれにあたる。

【局外】(1)当面の事柄に直接関係のない立場。「―に立つ」

【局外者】その物事に関係のない人。。

蛭子記紀神話で、伊弉諾命(いざなきのみこと)と伊弉冉命(いざなみのみこと)の子とされる。古事記では伊弉諾・伊弉冉が日本の国土を生み成す際、国土とは認定し得ぬ失敗児、日本書紀では統治者の資格を欠く不具児としてそれぞれ位置づけられる。中世以降、恵比須(えびす)として尊崇された。ひるのこ。

ゲリマンダー】自党に有利になるように選挙区の区割りをすること。

【斜交い】ななめ。また、ななめにまじわること。「―にまじわる道路」 ※はすかい

博覧強記】広く書物を読みよく覚えている・こと(さま)。「―で鳴る男」

【惑溺】まどいおぼれること。夢中になって、正常な判断ができなくなること。「古習に―する者は/文明論之概略諭吉)」

糜爛】(1)ただれること。「―した歓楽/悪魔(潤一郎)」 ※びらん

【歓楽】(1)喜び楽しむこと。喜びと楽しみ。快楽

【瀰漫】(ある風潮などが)広がること。はびこること。蔓延(まんえん)。「退廃の気が―する」 ※びまん

【頑迷】頑固でものの道理がわからない・こと(さま)。「―な人」

【頑迷固陋】考え方に柔軟さがなく、適切な判断ができない・こと(さま)。

【疎隔】関係がうとくなること。遠ざけること。「妾を―せんと謀りしなり/妾の半生涯(英子)」

独立独歩独立して他から支配も影響も受けずに自分の思うとおりにやること。独立独行。

【宿痾】前々からかかっていて、治らない病気。持病。痼疾(こしつ)。宿病。

八紘一宇】天下を一つの家のようにすること。第二次大戦中、大東亜共栄圏建設意味し、日本海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた。

【侏儒】(1)こびと。一寸法師。 (2)見識のない人をののしっていう語。

【深更】夜ふけ。真夜中。深夜。「激論は―に及んだ」

【黒暗々】まっくらなこと。「―日光も穿ち得ぬ森林の裡(うち)/日光山の奥(花袋)」

【波濤】大波。高い波。

【炯々】(目が)鋭く光るさま。「眼光―として人を射る」「―たるまなこ」

【盲滅法】何の見当もつけずにむやみに事を行う・こと(さま)。やみくも。 ※めくらめっぽう

【文質】〔「文」はあや・かざりの意〕文華と質朴。また、外見と実質。

【彬彬/斌斌】(1)文章の外形と実質とが共に備わっているさま。「文質?其宜を得る/明六雑誌 21」 (2)文物が盛んに興るさま。「大宝の令は制度儀文全く備り―として観る可し/新聞雑誌 40」 ※ひんぴん

【文質彬彬】外見と実質とがほどよく調和していること。「文質彬彬としてこそ君子というものである」

【赫赫】(1)はなばなしい功名をあげるさま。「―たる戦果」(2)光り輝くさま。「―たる南国の太陽」 ※かっかく

【墨守】〔墨子がよく城を守り通し、楚軍を退けたという故事から〕昔からのしきたりや自説を固く守ること。「旧習を―する」

【旧習】昔からの習慣。古くから残っているならわし。

【旧慣】古くからの習慣。昔からのならわし。旧例。

唯唯諾諾】何事にもはいはいと従うさま。他人の言いなりになるさま。「―として命令に従う」

【係争/繋争】当事者間で争うこと。特に、訴訟を起こして法廷で争うこと。「―中の事件」

擬制】〔法〕〔fiction〕相異なる事実を法的には同一のものとみなし、同一の法律的効果を与えること。失踪宣告を受けた者を死亡とみなし、電気を有体物とみなすなどの類。

【緒言】(1)論説の言い初めの言葉。(2)前書き。序文。 ※しょげん

【徴表】その事物のあり方を特徴的に示し、他の物と区別する性質。属性メルクマール

【骨絡み】(1)梅毒が全身に広がり、骨髄にまでいたってうずき痛むこと。また、その症状。ほねうずき。(2)悪い気風に完全にそまっていること。

抹香臭い】抹香のにおいがする。転じて、いかにも仏教的な感じがする。ぼうずくさい。「―・いお説教

【可及的】できるかぎり。なるべく。「―速やかに撤去せよ」

【通暁】(1)夜を通して朝に至ること。夜通し。(2)すみずみまで知ること。「その分野に―している」

【掉尾】〔尾をふる意〕物事・文章などの終わりになって勢いを奮うこと。また、終わりごろ。最後。「―を飾る」 ※ちょうび

【掉尾の勇を奮う】最後の勇気を出して奮闘する。

【囲繞】周りをとりかこんでいること。「山々に―された地」 ※いにょう・いじょう

【畏友】尊敬している友人。

【言下】相手が言い終わったすぐあと。言い終わるか終わらないうち。「―に断られた」 ※げんか・ごんか

【淫奔】(女性が)性的享楽におぼれやすい・こと(さま)。多情。 ※いんぽん

【知解/智解】知識によって悟ること。 ※ちかい・ちげ

【哀訴】相手の同情心に訴えること。なげき訴えること。哀願。「彼は地主に―して/土(節)」

【充溢】満ちあふれること。「気力が―する」 ※じゅういつ

【釈義】文章・語句などの意味を解きあかすこと。また、解きあかした内容。解釈

【蹉跌】つまずくこと。失敗し行きづまること。挫折。「研究は―をきたした」「出立点から、程遠からぬ所で、―して仕舞つた/それから漱石)」 ※さてつ

【逢着】出あうこと。でくわすこと。「難関に―する」「屡々此の問題に―した/彷徨(潤一郎)」 ※ほうちゃく

【衡平】(1)つりあうこと。平衡。(2)〔法〕 一般的規定である法を、その適用において具体的事例に適するように修正すること。

語の意味はここからコピペ http://dictionary.goo.ne.jp/jn/

2009-12-01

釣り

雑誌に標題の古書が紹介されていた。

読んでみたいが、入手できるか?

なかなか難しいようだ。

何でも実在した伝説釣りキチガイの話で、

昭和戦時中空襲警報サイレンが鳴りながらも、小舟を出してボラを釣っていたらしい。

「潮具合も釣れ具合も面白過ぎて帰れなくなった。どうせなら釣りをしながら死のうと腹をくくった。」

ついたあだ名は「ボラの金さん」。冗談も上手く、またの名を「ホラの金さん」と呼ぶ。

                      〜T/H

2009-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20091018194653

古書蒐集を例に挙げてるけど、それがどれだけ厳しいかわかってるよね?

古書と一言で言っても、その内部には無数の分野があるのはわかると思う。そして、古書店を尋ねればわかるように、一々の場所にある書籍にはかなりの偏りがある。

コレクター普通自分のコレクションする分野においてはそれなりのコネ情報網を持ってる。だから、需要に応えるためにはそれを超える情報網とコネを持たなければならない。もちろん依頼は複数の分野に及ぶから、その各々に関して情報網とコネを持たなければならない。

で、こういう仕事が可能なだけの情報網とコネがある人間(がどれだけいるかわからないけど)というのは、まず仕事にあぶれてどうこうなるような人間じゃない。単に情報網に仕事情報が引っかかるのみならず、多方面に強力なコネを持ってる人間が欲しいところは幾らでもある。

2009-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20091018110239

だからさ、古書に特定して話を進めたら、この一冊を買えるのなら5~7万円くらいまでなら出してもいいな、それ以上は応相談だな、という奴は、古書蒐集の世界にはごろごろしているんよ。

んでそういう需要に対して、Amazonや従来の古書業界は対応(供給)出来てないんだ。

増田がそれだけのスキルがないし手間も大変だからやらない(やれない)と思った段階で機械化や従来店に勝てないと思っているんだろ?

それが「機械化に仕事を奪われた労働者」の居場所なんだよ。

誰にでも出来る仕事機械にすら出来る仕事から弾かれても、しゃーないやん。

http://anond.hatelabo.jp/20091018001838

仕事の基本は、依頼があって応えることだべ?需要供給って奴。

ならば問題は、

1.依頼がゼロなのか、

2.継続的に依頼が来るのか、自分の生計が成り立つほど存在するのか、

3.依頼が広範囲に点在していてこっちを見つけてくれないんじゃないかとか、

心配事に段階があるわけだ。

インターネットの発達が3.を補強してくれるようになったわけだが、

考え方としては「町の便利屋さん」が形を変えたら1.は心配しなくていいんじゃないか?

例えば古書や古レコードのこの一冊、この一枚を探している人ってのは、量として結構いると思う。

意外といないんだよね、物探しのプロって。

そういう、他人はやってなくて、とてつもなくピンポイント仕事を頼みたがっている人を見つけられれば、

有能か無能かはともかく職業人にはなれるはず。

2009-03-23

一昨日、某古書チェーンのオンライン店舗

二千円ほど買い物をした。今日になって、二千円買い上げごとに、各実店舗で使える買い物権プレゼントするキャンペーンを始めた、というメールが届いた。

……。

2009-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20090308025217

amazonのこと書いた増田。1800円だったか2800円だったか忘れたけど、5000円は越えなかったはず。向こうの大学で、その分野の講義で標準的に使われている教科書。「xx社会学」みたいな。新書で注文したら万近くする本だったから、いずれにしても安かった記憶がある。送料800円ぐらい別にかかったかなぁ。

専門家じゃないから全然知らんけど、たぶん、新書の輸入と古書の輸入では、全く手続きが違うと思う。日本新書は、再販制度価格が固定されてかなり守られているらしいからね。一般向けの小説みたいな本は高くなるけど、その分、技術書や専門書が新書でもかなり安く買えるらしいよ、これでも。

古書は、たぶん、日本法律でも普通の貨物と同じ扱いだと思うな。そもそも、日本のいわゆる「古本屋」が持っているのは古物商免許で、古本屋免許ではないでしょ。本も、普通にエアメールで来たし。

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