はてなキーワード: ピーとは
2chより
169 名前:カタログ片手に名無しさん@無断転載は禁止 (ワッチョイ 7ff5-DbLW)[sage] 投稿日:2017/01/21(土) 20:39:15.30 ID:ER4XJZxt0
去年と今年の例大祭の参加サークルリストから参加状況ザーッと解析したが今回サークル活動一時休止がかなり多い
去年の総サークル数は3751で、うち今年も継続参加するサークルが2267、今年は参加しないサークルが残りの1484
一方で今年の総数は3402で、去年参加せずに今年だけ参加してるサークルが1134
去年と今年のリストから継続参加以外のサークルをランダムに100サークル取りだして傾向を調べたが
去年のみで今年は参加しないサークルでは、何らかの理由によるサークル活動の一時休止と思われるものが38%、サークル活動引退が12%、おそらくジャンル移動による流出が9%、合同誌などのための一時的なサークル名変更が2%、恒久的なサークル名変更が1%、不明が38%
今年から参加するサークルでは、完全新規サークルが24%、一時休止からのサークル活動再開が15%、いわゆる出戻りが10%、他ジャンルからの新規流入が8%、合同誌などのための一時的なサークル名変更が3%、恒久的なサークル名変更が1%、不明が39%
だった
休止と引退による自然減が50%なのに対し、完全新規と活動再開による自然増が39%
このサンプリング結果の比率が仮に母数全体に当てはまるとすると、自然減が742サークル、流出は133
となるので他ジャンルからの流入過多となり、総サークル数減少の主因は自然減となりそう
サークル参加者がちょうど大学卒業や30歳の大台を迎えて役職に就くとかの時期に差し掛かってるのかもしれない
今の若年参加者層がサークル側に回るまでにはあと数年ギャップがあるだろうからしばらくは自然減との戦いか
616 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。[sage] 投稿日:2017/01/21(土) 23:49:16.76 ID:nVybHh6m
東方のサークル数の上下に関してなら、「東方コミュニティ白書」っていう毎年出ている評論本がオススメ
200ページに渡り東方に関するあらゆる統計データやグラフを細かく大量に記載していて資料としてすごいよ
ちなみに東方のサークル数の減少は今に始まった話じゃなくて2014年からずっとじわじわ減ってる
その東方コミュニティ白書の資料の中から”例大祭のサークル参加継続率”について抜粋する
例大祭10(2013年)の5013サークルうち例大祭11(2014年)にも参加したのは3017サークル(継続率60%)
例大祭9(2012年)の4985サークルうち例大祭10(2013年)にも参加したのは3108サークル(継続率62%)
例大祭8(2011年)の4778サークルうち例大祭9(2012年)にも参加したのは2618サークル(継続率55%)
これを見るに、東方界隈が上り調子だった時期から例大祭のサークル参加継続率は60パーセントであり、
>>611のデータの例大祭13(2016年)→例大祭14(2017年)のサークル継続率60%も例年と変わらない自然な数値であると言える
ちなみに2年後の例大祭への継続率は約45%、3年後の例大祭への継続率は35%、4年後の例大祭への継続率は30%程度となっている
(継続率の減りが緩やかに安定していくのは、いわゆるずっと東方ジャンルで継続して活動しているサークル層の存在と思われる)
要は、昔も今もサークル参加継続率というものは安定して変わってないってことだね
にも関わらず2013年より前はサークル数が増え続けていき、2014年以降は減り続けてる理由は、単純に東方ジャンルからの流出層に対する新規流入層の数が要因なんだよ
継続率が一定なところから東方自体の魅力、東方を続ける魅力がなくなったわけではないことは推測できるが、
東方同人の世界に新たに参入しようとする新規サークルの割合が確かに減っていってることはデータがはっきり裏付けてるんだね
617 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。[sage] 投稿日:2017/01/21(土) 23:59:35.71 ID:eWX+HTan [2/2]
東方も長いから継続率はさすがに年々減少してるもんだと思ってたがほぼ変わらないのか
620 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。[sage] 投稿日:2017/01/22(日) 00:38:40.89 ID:V0aWU1eI
ついでに東方コミュニティ白書からもう一つ資料を抜粋(出典は東方イベント10年史とのこと)
2011年:述べ15976サークル(例大祭4940、紅楼夢2328、他8708)
この年が東方の述べサークル数が最も多かった年で2010年は述べ14515サークルだった
以下、
2012年:述べ14388サークル(例大祭4985、紅楼夢2448、他6955)
2013年:述べ14230サークル(例大祭5013、紅楼夢2440、他6777)
2014年:述べ12694サークル(例大祭4311、紅楼夢1924、他6459)
2015年:述べ12141サークル(例大祭3816、紅楼夢1772、他6553)
2011年~2013年の間はいわゆるコミケからオンリーへと東方界隈の風潮が流れた時期なので例大祭や紅楼夢のサークル数が増えているが
全体のサークル述べ数は2011年がピークで以下ずっと減少している
余談だが、メロンブックスととらのあななど委託ショップでの東方同人の委託件数のピークだった年も2011年であり、2011年までは増加傾向、2011年以降は減少傾向である
その他、SNS、動画サイト等、様々なあらゆるデータも含め、コミュニティ白書の概略では東方ジャンル全体の勢いの絶頂期は2010年~2011年とされてある
2011年→2012年、2013年→2014年の述べサークルの推移は比較的ガクッと落ちてるけれど。
2012年→2013年、2014年→2015年の述べサークルの推移は減少というよりほぼ横ばいといえるほど安定している
ピークだった2011年、サークル数推移が安定した2013年と2015年って何があったっけな?と考えた結果
これらの年は原作STGの整数ナンバーの新作が出た年なんだよね
つまり二次創作主体で原作やってないやつが多いと野次される東方界隈であってもなんだかんだいっても原作のゲームの影響は大きく、
新作が出て新キャラが登場すると界隈は盛り上がるのだ(でも普通に考えたら当たり前の話だよなぁ!?)
逆に特にこれといった新キャラも登場せず原作公式の動きが少ない年は、東方界隈の盛り上がりに欠け、新規サークルもあまり入ってこず、じわじわとサークル数減少という結果につながってるのかもしれない
いやだから抽象的にでもどんな事実があるのかと。根拠云々以前に判断基準ってものがあるでしょ。
いやだから抽象的な判断で事実はないだろアホか。世間一般の基準で見て抽象的にマイナスだということを述べた上でその要因を考察してるわけでしょ。
30代・40代がマイナス評価で20代以下と50代以上をプラス評価しているとするならば、その評価点は何なのか。
「Aがマイナスだ」という命題を述べると「A以外はプラス」だという命題を帰結できるとかちょっとオツムが足りてない人だと確信されてしまうからやめておこうな。
自営業は比較的早くに影響があったけど、バブル崩壊当時ってそんなに大事になると思われてなかったんだよ。あくまで一時的な不況で、まあ3-4年で日本経済にももう一度波がくるだろうと楽観視されてたので、サラリーマンの給与についてはしばらくの間手を付けられていなかった。そこからの日本の歴史を知っている感覚で過去を振りかえると、バブル崩壊の瞬間に何もかも変わったように思えるかもしれないけど、俺の記憶ではかなりの間、楽観視して、ぼやぼやして何も手を打たずに数年放置されてたの。少なくとも、バブル崩壊が直接的に生活に影響を与えるまでにはタイムラグがあった。投資のレベルではバブル崩壊時からマイナス局面に入っているけど、生活のレベルとしては消費者物価指数でデフレになった1998年くらいからが、自分の感覚としてもバブル崩壊のヤバさが生活に出てきてた感じ。
98年デフレや指標の悪化は消費税でますます悪化させたというだけでしょ
そもそも株価の暴落自体は89年をピークに90年にかけて一気に起こってる
すべてを放り投げて逃げてから約20日。結局自分が何が一番嫌だったのか分からなかった。
自分でも気が付かないうちにストレスが溜まってたのかもしれないけど。
元々、人とコミュニケーションをとるのが苦手で、ここ一年くらいは、家族以外の人と会話するのも苦痛に近かった。
これじゃだめだと思って、出かけたりLINEのグループに参加するようにしてたけど、段々と発言回数が減っていってた。
新しい職場で、人と話さなきゃいけないのが苦痛だったのだろうか。極力メールで済ませようをしたけど、それでも五年分くらい一年で会話した気がする。
去年から死にたい気持ちが波のように襲ってくる時があって、何回か首吊ろうとして失敗した(痛いのと怖いのとが出てきて疲れてやめるというパターンができていた)。
そのピークがまた年初にきて、いっそ死ぬくらいなら逃げようと思って、こうなってしまった。
携帯も家の鍵も全部置いてきた。
コネで入れてもらった職場も家族も全部捨ててしまった。いろんな人に迷惑をかけてしまったと思う。約束も破ってしまった。
家に帰れないのはつらいし、行く当てもなくて知らない土地を日中ずっと歩いているだけの時もあるのはどうしょうもない気持ちになる。
でも誰ともコミュニケーションを取らない(店員さんと最低限のやり取りだけ)のはすごく気持ちが楽だ。誰にも自分の世界を侵犯されない。
頭では分かっていても人とコミュニケーションがうまく取れない自分は、誰かと話すと自分の強固に囲った世界が保てないと思ってしまう。馬鹿みたいだ。
地元から遠く離れたところだと、知り合いに会う確率はがくんと落ちるから安心する。
帰りたいなあとは思う。
でも、こんなに迷惑をかけたら戻れないとも思う。けど、自分には勇気がない。
今でもふわふわして、自分が逃げてるのが夢なんじゃないかと思うことさえある。所持金は確実に減ってるのに。
別にクリエイターでもなんでも無い立場が言うのは人によっては不快に思うかもしれないけど溜まったものを吐き出したいので散文だけど幾つか。
買う側も貧富や「国産の野菜じゃないと駄目!」みたいに価値観がまばらだったりするので自分が嬉しいと思っても他の人は「死ね!」とも思ってるかもしれない。
でも事実として無料公開後に売り上げ上がったし、観測範囲狭いけどはてブとかでも「読んだ」とか「買おうかな」みたいな人いたし宣伝的にも良い結果出せたんじゃないかなと。
無料公開の時期(販売から数ヶ月)や範囲(今回は絵本の内容全部)に関して苦言を呈してた人も居たけどそれは各々の気持ち次第だろうし何とも言えない。
ちゃんと議論して適正なラインやルールでも作ってみんなで守っていくのがお互い良いと思う。
後、金曜にMXでやってるバラいろダンディでこの件を取り上げてたけど、出演してた水道橋博士(人によってこの人の意見にも思う人いそうだけど)の意見で「眺める分には子供でも読めるように無料公開、置いておきたい人のために売ってる」ってのがあって確かに自分も本やマンガをモノ(インテリア)として置いておくことで好きなときにページを捲って読み返せたり、本棚に置くことで他人を家に呼んだ時の「こんなの読んでるんだ」って会話のきっかけにもなるし無料公開した所で買う人は買うよと思う。
元々炎上ばっかしてる芸能人(芸人の肩書を捨ててるので)だし、西野の著した「魔法のコンパス」の帯に書かれてる「ドキドキしてる?」をやってやったて感じの内容だった。
もちろんこれも立場変わればドキドキの理由も変わるとは思うけど、元からお笑い、作家、ブログ等注目される為にはある程度こういう事しないといけないんだろうなぁと。
かまってちゃんや有名人としては善悪にかかわらず”忘れられない事”が一番だと思うし。
今回に関しては善悪で言えば悪として忘れられない行動をしちゃったけど(個人的には声優に噛み付いたのは余計な悪手かも)。
連日ブログで無料公開の件や騒動に対する事情説明や指摘によって改善した話もちゃんとしてる(後出しを指摘する人もいるけど)ので、また変なことしない限り「お金の奴隷解放宣言」発言をピークに暫くは落ち着くんじゃないかなぁと思う。
まぁネットをただ見てる立場からしたら「次はどんな事やらかしてドキドキさせてくれるんだろう?」と思った。
「元気な大学生」が「お金奴隷解放宣言」なんて唐突に書かれて発売して大して日も経ってない作品を唐突に無料公開したりしたら「何やってんだ」って激昂するクリエイターが出てくるのは至極当然だと思う。
そういう意味ではボコボコに叩いてる人見ても「しょうがない」って思えてくる。
もし今回の行動が本当に不味い事であれば、クリエイターには今回の件で感化されて変な奴(「タダで描いてくれ」とか言う人)が溢れないように行動を起こすのが一番いいと思う(具体的には地位向上のための署名とかルール決めとか?)。
後は西野に落とし前付けさせるとか(無料公開までの経緯とか問題発言の説明はある程度してたし他に済んでない問題ってどれだけあるんだろうか?)。
一番良くないのは炎上してると言ってそれに乗っかって言うだけ言って終わることだと思う。
そういやスタッフが載ってないとか印税周りがどうこうって話しで「先に給料全額払った」って西野が言ってたけど、絵本だけじゃなく他のジャンル(マンガのアシスタントやラノベの挿絵)の人たちはどんな感じでお金貰ってるのか気になった。
無料公開にスタッフが載ってないってのはそこで「実際の絵本を買ったらスタッフの名前見れるよ」とか言うギャグだったりしたら笑う。
今回を機に久々に「西野嫌いだから叩く」的なスタンスの人を見た気がする。
元々嫌われキャラは今に始まったことじゃないんだけど、嫌いなのに毎度西野に餌与えてるなぁとも思う。
かまってちゃん且つ有名人だから話題になろうとして試行錯誤して(今回に関しては悪い)行動を起こしているので、基本無視やスルーを決め込んだほうが相手の行動を潰す最適な手段だと思うんだけど違うのだろうか?
渋谷のハロウィンの清掃でも2chの住民が先乗りでゴミ拾って渋谷をキレイにされたって話もあるし。
もちろん上のクリエイターみたいに「飯が食えなくなる」や「馬鹿が増えたらどうすんだ」みたいな真っ当に迷惑してる人の意見なら言わないといけないけど。
togetterでも挙げられてたけどもう、何例か西野が原因で迷惑している人たちが出てきてるっぽい(ほんとに西野のせいか?って真偽が怪しいのもあるけど)。
西野の件だけに関わらず、こういう発信者が失言をした後いくら頭を下げたり、経緯を説明しても、受け手は(自身の体感的に)始めの失言だけしか受け取らないだろうし、今後も「タダでやってくれるよね?」みたいな案件は増えるだろうと思う。
ここに関しては「内容もよく読んでないで感化されたやつが悪いし意図してない部分までは知らんがな」って思う人もいる反面、「事の発端はお前だし、もう謝っても済む問題じゃないから覚悟しておけよ」って思う人も出るのは当然かも。
こういう感化されてやらかしてくる人たちを減らすためにはどうすればいいんだろう?
「無料公開」によって市場が崩壊する理由を解説したイラストが話題に ソシャゲー、ユニクロ、web漫画、いらすとや、ダンピングによって壊れる日本
https://togetter.com/li/1072368
■記事をまとめると
そんなことをする企業は悪だ。
この記事内での「低価格でサービスを提供している企業が」という風潮に違和感を感じました。
「政治は国民を映す鏡」という言葉があるが、「企業は消費者を写す鏡」であると私は思います。
大きな企業が消費者のニーズを満たすのではなく、消費者のニーズを満たした企業が大きく成長します。決して逆ではありません。
「低価格サービスを提供する企業はけしからん」と言いながら、ユニクロやしまむらで服を着て、IKEYAの家具を使い、ディスカウントストアで買い物をし、メルカリで古着を探し、LCCで旅行をする。
矛盾しているのではないでしょうか。いつだって選択権は消費者にあり、選択を行っているのは私たち自身なのですから。
ピークを迎えた産業が次に待ち受けるのは、激しい生存競争です。
様々な差別化や価格競争で生き残ろうと、企業や店舗・個人がしのぎを削り合います。
「行き過ぎた競争が産業の寿命を縮める」というのも事実かもしれないません。
しかしながら、遅かれ早かれ寿命はいつか尽きます。結局のところ「〇〇が業界を壊す」と言うのは淘汰される側の言い分でしかない様に感じます。
最近、アニメ業界やデザイン業界のいわゆる中の人の「悲鳴」が取り上げられています。
これらの業界は、少し調べたら分かるほど「悲惨」としか言いようがありません。
しかし「不当な評価」「搾取」という言い分は、はたして本当にそうなのでしょうか?
http://j-net21.smrj.go.jp/establish/columninterview/column/gyokai/20130108.html
この資料によるとデザイン市場は四半期で140億 その内約半数がグラフィックデザイン市場。
つまり70億*4=280億が年間グラフィックデザインの市場規模だと考えられます。
グラフィックデザイナーの人口ってどれくらい?
https://www.d3d.jp/info/archives/531
正確なグラフィックデザイナー人口は算出されておらず、推測の域を出ないのですが、
今回は記事内の書かれていた
・予想人数10万人
つまり1人当たりの年間の売上は
就業人数が32,000なら、84万円
100,000人なら、たった27万円です。
気付かれたと思いますが、市場規模に対して就業人数が多すぎます。
イラストレーターを苦しめるのは、イラストレーター自身ではないでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20170112022512
2016年8月に台風10号が観測史上初めて東北地方の太平洋側に上陸した。
東北人だが、この時仕事でTVもラジオもレーザーディスクもない現場に居り
外は雨風が強くなってきて、台風の詳しい状況が知りたいのに、天気予報サイトは1時間おきの静的更新
ワンセグ地上波は天気情報の時だけ、そういう状況でabemaTVの天気チャンネルは
台風特番実況中継と化しており、同じソースを元にキャスターと気象予報士が喋っているだけだが非常に心強かった
この台風の豪雨と河川の氾濫土砂災害で大きな被害が出た地域を、この放送で何か救えたか
もし見ていたら違ったか、というと難しいだろうが
間違いなく、その人は私自身にとっては今まで見てきた人(すれ違っただけの人も含めれば1000万はいるのだろうか)の中では一番好きなのだろう。
間違いない。もしこれを30年くらいでもかけて詳細な統計をとって答えを出したとしても、その人の名前が答えとして浮かび上がってくるだろう。
今まで生きてきて、そんなふうに所謂有名人を好きになった人といえば2人ぐらいいるだろうか。
でも、2~3年ぐらいでその炎は消えていったし、ピークは多分1年半目ぐらいだっただろう。
今はそう強い、とても強い興味を持ってもう3年目だ。ピークはまだまだ先なんじゃないかと思う。
今の自分の歳をを考えれば、恐らく今までの人生の中で一番だろう。何もかもが間違いない。間違いなく、100%そうらしい。思い込みか。そうね。
で、だからどうした!という話でもある。
有名人のその人は、これからもそれなりに有名であり続けるだろう。
もっと凄くなるかもしれない。わからない。それは未来の話なのでまったくもってわからない。
ただ、今の状況ではどんなベクトルにであっても差が広がるばかりだ。
わかってしまった。
好きなんです。
この好きって言葉の意味を何十行もかけて説明すれば誰にだって伝わるだろうけど、それは無駄すぎるのでしない。
好きなんです、どうしても。
で、どうしたいのか。
その答えは、決まっている。ここまでもし読んだ人がいるなら、決まってるだろう、としか言いようが無いと思います。
そうだよね、そうなんだ、そう、そう、はっはっ
でもさ!普通に考えたら無理じゃないっすか
可能性はゼロじゃないが、ゼロに近いゼロ……とまでは行かなくてもゼロの結構多い奇跡が起きれば0.0001ぐらいのゼロには近いと言えると思うんですよ。
ねえ、そりゃ、まあ、ですよね、はあ、そりゃさあ。
だからね、もし、もしもだよ、0.0000ワンチャンあるのかもしれないけどさ、
何かしら関わることは、出来るんじゃないですかね?
いや、ちがうちがう、そうじゃない、あわよくば、とかじゃない。ちがうの、ちがうって。
ほんとにホントの奇跡の偶然の何かしらの運命のマッチングが発生してそういう奇跡の軌跡のたぐいの何かが起きないとも限らないわけじゃないけど、でも、けどけどさー
それはその時、それはまた別の話で、で、関わることはもしかしたら出来るんじゃないかって。
その方が確率少ーーーーしは高いでしょ?
いやいやいやいやいやいいやいやまってまって違うんですほんとに素直に何かしら、ってだけでいいていうか
いやいやいや聴いて聴いてそうじゃないんです、いいの、いいのよ、なんもない。ないんです、ないんす。9th
んなこたいいんです、今からの人生全部賭ければ、もしかしたら何か関わることがあるかもしれないでしょ?
あああーーーーだからまって」そういうのいいから、いいから、違うんだって、そうじゃない、いいの、いいからね、チャンスとかそういう話以前の問題、あああもういいんです、待って、その話待って、ぜんぜん、だから、違うんですよ、何かしら関わったっていう自負さえもてればいいの、あああああもういいから、自己満足、そうです、何か、奇跡が、とか、あわよくば、とか、じゃないんですほらさっきから言ってるじゃないです、あっいいんです、いいから、もう、いいの!!!!!って!!!!
その人の映画のスタッフロールの何百人、もしくは何千人?と羅列され続ける文字列の一つであればいいじゃん、って、ね、ほら
ね、だから、
そうなったら死ぬよ、それでいいでしょう。
いや、しらねっすけど、死ぬ必要はないんじゃないのと思うかもしれない絵けどそれはそれでそれはそれでさ。
きっとそんなことも、知られないような人生であっても、いつか人は死ぬし、ね、死ぬんだ。一人で死ぬの。死後なんて無い。ね。
そうでしょう、こうやって書きなぐっていられるだけで、じゅーーーぶんに良い人生なわけだ。
まだまだ死ぬことはないけれど、いままでの全部捨てればどうにか関われるなら、もしそういうことが起きたなら、いいじゃん。
別に死ぬ気なんてそうそう無いけどさ、大丈夫、別に死なないだろうよ。たぶんな。
ナ、頑張ろうよ。
いますぐ死ぬこと考えて実行するぐらいならさ、気を抜くとそうしちゃいそうだけどさ、
Apple製品を担当してる業者さんと先日話をしたのだが、MacBook Airは現行モデルを最後に生産終了するらしい。
そういや渋谷のじゃんぱらで見た中古MBAの値段も11インチモデルがずいぶん安いなと思ったけど、年末セールだからと気にしてなかったが。
スタバでドヤ顔()と言うけど、実際MBAはカフェで使われてるのをよく見かけるし、彼らはこれから何を使うんだろうか。AirじゃないMacBookのシャンパンゴールドとかかな。
そっちはどうでもいいんだけど、Macの転売で日銭稼いでる http://blog.gyakushu.net/entry/apple みたいな無職はうまく立ち回れるのか気になる。
無塩バター: 100g
砂糖: 100g
全卵: 2個
薄力粉: 100g
ベーキングパウダー: 1.5g
作り方
無塩バターを室温に暖めて砂糖を入れホイッパーで白くなるまで混ぜる
卵を1つずつバターと完全に混ざるようにしっかりホイップする
予熱した170℃のオーブンで40分焼く
もらったゆずでゆずピールを作ったのでパウンドケーキにしてみました。
ゆずピール以外はパウンドケーキの基本レシピなので、プレーンでも他のドライフルーツでも何でも入れて作ってみるといいと思います。
焼きたてより2、3日寝かした方が美味しいです。
薄力粉を入れる前に十分空気を含ませられるとベーキングパウダーが要らないらしいのですが、失敗しそうなのでやった事無いです。
よーやく見たので箇条書きで書く
ネタバレあり
・始まって1分もたたないうちからなんかこみあげる感動の先走りがあった
・そのせいで、冒頭の船の上でこどものすずが正座で足しびれて目が><ってなってるのをみたタイミングでもう結構やばくて、その後カメラがどんどん上にあがっていって空をうつしていって、そのバックでコトリンゴの悲しくてやりきれないが流れ出して、それに合わせてタイトルの字が出たタイミングが感動のピークだった
・正直そこまで原作とかこうの史代ファンでもないのに、なんで冒頭はじまっただけでそこまで感極まったのか自分でもわからん
・目が><となってるのほんとかわいいほんとかわいいほんとかわいい
・は~そすそすそすも再現されてていくつかのシーンで何度か描写されてたから満足
・絵かくのさぼってた水原さんが鉛筆くれるシーンは、その前にちびった鉛筆をいたずらで失くされたっていう前フリがないと、なんかいまいちあのシーンのよさが伝わんねーんじゃねーのかと思った
・問題児がちょっといいことしてくれた的なニュアンスだけ伝わればいいっていう割り切りだと思えばまあわからんでもないけど
・水原さんは小野Dってわかっちゃったからどうもうーんという感じだった
・しゅうさくさんは朴訥な演技があったせいか久しぶりに刀語のいちかのときの声をきいた気がした
・ギャグシーンで劇場内で笑いが起きてたから、別に自分製作者サイドでもなんでもないのにうれしかった
・座席の位置が最前列から2番めっつうすげー見づらい位置だったけど、そこまで動きのおおいアニメじゃなかったからなんとか見れた
・CMでやってたみたいな激しいアクション映画とかだったらとても見るに耐えなかったと思う
・というか映画館は映画をほんとうに見てもらうことを考えるんであれば最前列前何列目くらいかまでは座席なくしてほしい
・ちょっとでも埋めるためにはそんなことやんないだろうけど
・閑話休題
・日常シーンと爆撃シーンとの音響の差がすごくてめっちゃうるさく感じた
・空襲警報が映画の中だけでもうざいと思ったのに日常あったらほんとうざいだろうなあ311のぎゅいっぎゅいっと同じうざさっぽいなあと思いながら見てた
・はるみが死んだ後はさすがにそれなりの演出はあったけど、それでも原作よりもかなりあっさり終わった感じした
・個人的には原作の、あの壁の向こうには花畑ではるみさんが遊んでるような風景があったんだろうか、という1ページ描写がどうなってるかが気になってたけど、思ってたよりもかなりあっさりで、物足りなさを感じつつも、変に感動的に押し付けがましくしてくるよりかはこれくらいの淡白さがあったほうがらしいっちゃらしいかなとか思ったりもした
・鬼いちゃんが死んだときしかり、死が今よりも日常と隣合わせだから、若い子供が死んでも別にニュースになんてならないってのが、現代とはほんと価値観違うよなあ
・最後いきなりでてきたように感じられた右腕をなくした母親がのこした子供のエピソードのあたりも、どっかネットでみた、パラレルで子供ができて死んだもうひとりのすずの可能性みたいなものを確かに感じさせなくもなかった
・原作にはなかったその子供のその後が、エンドロールのバックの一枚絵で少し描かれてたのもうれしかった
・その後のクラウドファンディングの寄付者の名前一覧ね
・キムタクばりに、ちょwメテオwwwって一人でにやにやしてしまったwww
・残念だったのは、のんの滑舌が若干悪くて聞き取りづらかったところがあったところかなあ
・終戦のときのセリフが改変されてるっての知ってたからなんて言ってるんだろうって思って一応気をつけて聞いてたつもりだったけど、結局なんていってるのかはっきりとわからなかった・・・
子持ちの人の話によると、子供は医者にかかるのがタダだという。
本当かウソか、虫に刺されたり少し咳が出たぐらいですぐに医者に掛かっては薬をもらいに行くのだといっていた。
もちろん歯医者もタダ。だから上の子の歯がグラグラしたときには勝手に抜けるまで待たずに歯医者で抜いてもらったと言っていた。
俺は今、奥歯が痛いのだが金がないので歯医者に行くのを我慢している。
年末に痛くなり初めてちょうど元旦が痛みのピークで今はだいぶ落ち着いてきているが、相変わらず痛い方の歯で噛むのは無理だ。
もし、この歯を治療すれば自己負担は3割だから5千円ぐらいで治療できるだろう。しかし、その時、国保は医者に残りの7割の約1万5千を払うだろう。
俺は「本来使われるべき保険料1万5千を使わなかった」=「国保に1万5千の儲けを与えた」ということになるがそんなのは無視される。
まず毎月始めに1人につき1万医療ポイントをもらう。そして病気になった時は医療ポイントで治療費を払う。そして月明けに余った医療ポイントは現金化できる。治療費が1万ポイントを超えれば現金で払う。
もちろん、月1万ポイントが妥当なのか、所持ポイントを超えた場合の個人負担率をどのぐらいにするかなどの細かい調整は必要だ。ただ、基本的には、37度台の熱とか膝擦りむいたぐらいの無駄な診療はなくなる。
【インタビュー】字幕翻訳者・戸田奈津子さん「エッ?と思う字幕は、どこかおかしいの」
https://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/interview-with-natsuko-toda?utm_term=.bhpJ8y62dK#.pf3GDwzR2e
を読んだ。全体的には一方的な自己弁護を垂れ流すだけの提灯記事だが、インタビューという性質上これは仕方のないことなのだろう。この記事の良い点は、戸田奈津子という人の見当違いな自己顕示欲を浮き彫りにしているところだ。
「叩く扉もなかった」字幕翻訳という仕事に、その道の第一人者に直接食らいつくようにして取り組んでいった前半生は感動的でさえあるし尊敬もしよう。しかし一人前として仕事を任され、一定の地歩を固めつつあった頃には、質的な研鑽よりも量的なアピールに重きを置く仕事ぶりだったことがよく分かる。
それは時代というか当時の映画産業の要請でもあって、戸田個人に責任を帰すことも出来ないだろうが、何度も立ち止まるチャンスが有ったにも関わらず、過剰な自信に満ちた「職人魂」みたいなもので自分を虚飾したい一心で、本質的には作品に奉仕するべき字幕翻訳者のあり方を歪めた自己像を描出し、直そうともしなかった。それがこのインタビュー記事で表現されている「字幕翻訳の女王」の実態だ。彼女はことあるごとに「文字数は自由だし調べ物にもゆっくり時間をかけられる文芸翻訳とはわけが違うのよ」式の言い訳(師匠の発言の一部を都合よく切り取ったものだ)をして、質を犠牲にしてることを棚に上げて早業自慢を繰り返すが、この記事もまさにその例を一歩も出ていない。ほとんど馬鹿の一つ覚えだ。
せっかく日本一名の売れた字幕翻訳者になったんだから、個人の早業を自慢するよりも、字幕の質的向上のために制作・配給側が用意する時間や予算の拡充をアピールするのが筋なんじゃないのか? と私などは思うのだが、そんなことは自己否定になりかねないのでできない。映画や観客より自分が大事だからだ。徹底して裏方仕事に向いてない性格なのに(だからこそ喰らいついていけたとも言えるが)、なぜか字幕翻訳者になっちゃった人で、その上根っからのダンピング体質なんである。広く「第一人者」と呼ばれるものの最悪の事例として歴史に記録されるに値する人物だろう。
戸田字幕の具体的な問題点については、今ではある種のネットミームと化していて、山のように検証を綴ったページがヒットするので、ここでいちいちあげつらうことはしないが、この記事を読んでそれらガッカリ字幕の根本的な原因を確信できた気がする。戸田奈津子自身の映画作品に対する理解力が低いのだ……というのはあまりにも失礼なので、観客(想定読者)の理解力を低く見積もりすぎ、と留保つきで言うべきなのかもしれないが、とにかく画面に映っているものや脚本に対する読解力が低い翻訳をしてしまっている。軍事用語や「指輪物語」の専門用語に通じてないせいで勝手流に造語しちゃうみたいなことは、専門の監修者をつければ(それさえ不服のようですが)済むことだが、理解が浅いまま手癖で字幕をつける悪癖についてはせめて直そうとする姿を見せてほしいと思う。
どんな作品であれ受け手によって読み出せる情報量は変わるものだが、戸田字幕はその理解力の設定が最小限になってるみたいな字幕なのだ。そんなとこを端折ってしまったら、まるで子供の頃に見た「大人の映画」のように途中で筋が追えなくなるだろうな、と思うことさえある。一通りセリフが聞き取れるとか、背景知識も揃っているような人間が見ると「エッ?」となるような訳を乱発してしまっているのである。これは映画字幕という表現媒体そのものの制約なのだろうか? 単に投下すべきコスト(時間と人員)をケチってるだけじゃないのか? なにしろ理解力が乏しいゆえにかえって回りくどい表現をして、大切な字数を浪費している例さえあるのだ。単にこなした本数が多いから下振れが記録されているだけと擁護することも出来るが、それを言うとかえって早業自慢の露悪性が強調されるというものである。
そして戸田字幕に感じる理解力の低さ、雑さの遠因が、このインタビューでは明らかにされている。ただの映画ファンとして、「作品のファン」としての経験を積まずに映画を見まくった原体験が、映画を十分理解せずに、ざっくりと筋がわかれば(たまにそれにも失敗する)いい、という仕事を次々とこなすことを良しとする「映画字幕の女王」を産んだのだ。それは映画というものの立ち位置が変わってしまった現在には全くそぐわない態度であると私は思う。
多くの人が週末には何かしらの映画を見て、学生なんかは金の続く限り映画館に入り浸って、それ自体が楽しみで、何度かに一回面白いものがあったら儲けもの、といった時代はとっくに過ぎ去った。多少荒っぽい仕事があっても、「まぁそんなこともある」と納得してすぐにまた映画館に足を運んでくれる観客は絶滅危惧種と言っていい状況で、「とりあえず筋の追えるものを今週中に」みたいな品質でつけられた字幕を使う理由はほとんどないと言って良いんじゃあるまいか。なにもタコツボ化したマニアだけが字幕翻訳者の理解不足を責めているのではない。字幕でスクリプトの情報量を100%伝えろという不可能を要求しているのでもない(そんなことを言ったら、原語が完全に理解できても伝わらない部分は常にある)。娯楽が多様化する中で、金と時間を使うに値する丁寧な仕事で競争できているかが問題なのだ。
そもそも多くの映画は長い時間をかけて作られるものだ。製作に着手してから数年かかることはザラだし、驚くべき短期間で撮影が終わったというような作品でも、原作を読み込んで脚本化するのに何十年もかけていることだってある。そしてそれを待つファンも何十年越しで待っていることだってある。それだけの労力と期待を集めて公開される作品の最後の工程に、パッと見の印象を伝えるので精一杯みたいな字幕がついていて良いのだろうか? 日本人の英語力の向上には役立つかもしれないが、自分で聞き取れるようになったからといって問題が無くなるわけではない。「自分は内容がわかっても、あまりにも作品に無理解な字幕がつけられていることに耐えられない」という作品のファンの心理を考慮せずに仕事を続けることは、今や娯楽の王座から落ちて、比較的嗜好性の強いものになった洋画のファンには悪印象しか与えない。それに洋画ファンだけの問題でもない。どんなジャンルの仕事であっても、雑な仕事というのはそれに初めて触れる者に「なんとなく面白くないな」という印象を与えてしまうものである。それを防ぐために必要なのは、十分な準備期間と作業時間を用意することによって得られる翻訳者の深い作品理解だ。翻訳者に十分な時間とリソースが与えられ、一つの作品に使える労力を拡大することのほうが誰にとっても良いことなのではないか? すべての原因を「文字数の制約」や「納期の短さ」に帰することが出来るという甘ったれた足かせを自慢できればそれでいいのか?
戸田字幕の映画理解力の低さが、意図的に設定されているものではないと疑う理由がもう一つある。戸田は字幕翻訳が単独作業である理由として、「セリフの言い回しやリズムを統一するのに余計な時間がかか」るということを挙げている。そんなことを言っていたら、作中でセリフの言い回しやリズムを敢えて変えることで、登場人物の心理的変化や場面転換を表現する映画は原理的に字幕に乗らないことになる。これほど馬鹿な話はない。「こいつは最終的に悪ものになるやつだから、最初は丁寧にしゃべってても荒い口調で統一しとくのが親切」みたいな字幕が付けられた映画を、誰が見たいだろうか? 一つ一つの映画作品の性質をよく理解しないまま、ちぎっては投げみたいな仕事を続けてきたせいで、どんな映画も同じような構図に当てはまるよう訳すのが当たり前になってしまっているからこそ、セリフの統一感があることが「透明な字幕」の必要条件だという勘違いを起こしてしまうのだろう。映画が転調したときには字幕も転調するのが「透明な字幕」で、そのためには複数の視点が必要になることだってある。脚本や演出の意図を読み違ったまま、理解をし損なうことは避けられないからだ。いつまでも「一人の字幕翻訳者が短い期間で理解できた範囲」としての映画字幕が作られ続ける状況を肯定することは、この人の取るべき道ではない。それは決して映画のためにはならない。
「ロード・オブ・ザ・リング」の第二作以降は、原作の翻訳者がスクリプトの全訳を事前に行った上で、それを参照して戸田が字幕を作成し、改めてチェックを受けるという体制が敷かれたようだ(インタビューではその経緯をまるっきり無視していて、結果的に監修者の仕事を貶める傍若無人ぶりが表れている)が、これに似たことが常識的に行われるように働きかけしているんですよ、といった風のアピールをするほうが、「第一人者」としての尊敬を集めるのではなかろうかと私は思う。
現在の洋画の年間公開本数は80年代末以来の第二のピークを迎えている一方、戸田の仕事は当時の1/5近くまで減っている。文芸関係に限って言えば50歳ごろに確立した仕事のペースを守っている80歳なんていくらでもいるので、年齢のせいばかりでもないだろう。その事自体、戸田が翻訳者の待遇改善に取り組んだことの証左だと弁護することも出来るかもしれないし、実際にセリフを聞き取りながら見て「ここをこうやってまとめるのか、上手いなぁ」と思える翻訳者が増えてはいるので、まぁ戸田奈津子の問題ある訳というのも、そろそろ過去の話だよね……と最近は思っていたのだが、私はこのインタビューを読んで気が変わってしまった。やはり早いとこ全面的に後進に道を譲って、ご自身は字幕翻訳の質的向上のために翻訳者の待遇を改善する言論を起こされるなどしたらいかがだろうか。それが名の売れたものの使命と思ってはもらえまいか。いい年してよいしょインタビューに答えて、自分の大ポカで迷惑をかけた監修者の名誉を傷つけるような非道い言い訳を垂れ流している場合ではない。
今さら早業自慢を封じられるのは、自己認識からすれば転向に映るかもしれない。ひょっとしたら一気に老け込んじゃうかもしれない。しかし、昔よりずっと観客同士の横のつながりが強くかつ広範囲で、作品についての情報も手に入れやすい今だからこそ、字幕翻訳に要求される水準が上がっていることを認識し、それに適切に対応するように送り手たちに働きかけをする姿は、映画ファンの心に強い印象を残すはずだ。個人的な快刀乱麻の仕事ぶりを自慢するのはもうやめて、業界全体で作品の質に貢献する、充実した作業環境を残せるよう声を上げる好機なのではないか。それでこそ「字幕翻訳の女王」としての尊敬を集められるのではないか。今のままではせいぜい良くて「時代の徒花」といったところである。
オンラインや対戦ゲームでのプレイヤーで異性を使っている人はわりと多いけどさ。それを現実でやったらおもしろいんじゃね?と思ったのがきっかけ。みんながゲームの世界でやることを俺は現実でやってみるわ。
身体のスペックは身長160台前半 体重50kg台 童顔で痩せ型なので「これはいける!」という謎の自信にも後押しされ、ネットでサクッと予約した。
女性の店員さん2人(男性じゃないし可愛かった)に迎えられ、カルテを書く。
コースが複数あったが、今回は着物とワンピースの2パターンでお願いした。基本料金は17000円ほどだが着付け等の追加料金で23000円した。まさか6000円も上乗せされるとは思わなかったがソシャゲよりはマシだと割り切る。パズドラのイシスなんて10000円出して出なかったしな。然るべきお金を払えば確実に実現できる女装は素晴らしい…?
流れとしては
着物の着付け→化粧→写真撮影→ワンピースに着替え→写真撮影→お出かけ→化粧落とし→お支払 のべ3時間のサービス。
全部事細かに書くとグダグダになるのでいくつかポイントごとに。
成人式でも無難にスーツを着たし、茶道等の経験もないのでこれが初めての和服デビュー。これが初めてになってしまった。今後和服を着るたびに女装のことを思い出すのかと思うと複雑な心境だった。
の順番でやるんだけどさ。文字にすると一行で終わるけど実際には10分から20分はかかった。
着付け後はメイクを施すため、試着室からメイク台へ5mほど歩く必要がある。短い距離なのにこれが思いの外大変だった。
なんでかっていうと
①着物が重いこと ②着付けの関係でいつもの歩幅で歩けない ③下駄 と簡単にハットトリック達成するから。
着物って背すじがピーンと伸びるし疲れるわ。もうすぐ成人式だけど振り袖ガールズには優しくしような。
・男はどうあがいても男
化粧以外にもフェイシャルエステだのテープによるリストアップだのありとあらゆる手を尽くしたが、目を開けば紛れもなく男性がメイクをした姿がそこにはあった。俺は女の子にはなれないと実を持って知った。素顔はゴリラ系ではないので3秒くらいは騙せそうなのが救いだった。
いつだったか資生堂のCMで女装メイクが話題になったことがあった。あれは技術もそうだけど日本中から集められたイケメンの中のイケメンだからこそできる芸当だ。女装でもイケメンは強い。
女性よりも女性らしいポーズを頼まれ、「カワイイ」と言われ続け(これが不思議と悪い気はしない)、果てには自分の口から
「今日のコーデどう?」「にゃは♡」「かな(カルテ記入時に決めたニックネーム)のこと、カワイイ?」
撮影中の店員さん達の楽しそうなことと言ったらもうね。そもそもどっかずれてないと女装サロンの店員さんなんてやらないしな、変態に決まってる。
身も心も女性に塗り替えられていくような気がした。店内には俺と店員さん二人しかおらず、タガは簡単に外れた。頭がおかしくなりそうだった。
着付けを始める前に好きな曲を聞かれ、適当にクイーンと答えたのが救いだった(以後最後までクイーンの曲が店内に流れ続けていた)。
プレイの影響でもう女でもいいじゃねえかと思っていた最中、耳を傾けると「We Are The Champions〜」と頼もしい歌声が聴こえて来た時は心の中で「なんのチャンピオンだよww」とツッコんだし心強かった。
「俺は男なんだ」そう思った。
・女らしい振る舞いは一日にしてならず
12月の寒い日だったがなぜか暑かったため服装による寒さは気にならなかった。なんでだろうな。
でもここまできたら女性らしく歩きたい。すれ違う女性を参考に真似をしてみるが自分でもぎこちないとわかる。ヒールも悪さをしていてかなりおぞましい姿だったろうな。
アレだ。『メタルギアソリッド』で女性隊員のメリルは歩きを男らしく出来てなかったけどアレの逆バージョンだ。メリルができなかったのに俺にできるはずもなかった。
ノリでコンビニに入って飲み物を買ったけど、店員さんのドン引きした顔が今でも忘れられない。そうだよな、わかるわかる。
外は寒いだけでなく風も強かった。
こうなると少し長めの髪型が乱れていないかものすごい気になった。身だしなみは大事だ。たとえそれが女装だとしても。
そうなると必要なのは手鏡だが、元々そういうのを持つ人間ではなかった(たまーにいるよね)。
仕方なく誰もいないガラスの前で髪型を確認し少し直した。外出時間は30分と短めにしたが、もっと長時間外にいたら化粧崩れでも不安になってたはず。
電車内では鏡を見ながら髪や化粧直しをしている女性をよく見かける。個人的にマナーとして良くないんじゃない?とは思うが気持ちは理解できるようになった。
・おわりに
化粧落としをして終了。帰際にTwitterの女装アカウント開設をめちゃくちゃ勧められたがごめんなさい。
はてな匿名ダイアリーに書いたからゆるして。