はてなキーワード: コレクションとは
今までもここに何度か一筆箋のコレクションの使用時を逃してしまった悔しさを書いてきたがまた逃したのでまた書く。
手紙を書くのが好きすぎて、レターセットや便箋をたくさん集めているが一筆箋も集めている。
里帰り出産のために長期で実家に滞在中。実家でも手紙が書けるように便箋や封筒は持参したのに、一筆箋は置いてきてしまった。一筆箋を使う機会がなかなかなくて消費できなくて困っていた。しかし、なんだかんだで実家で使う機会があり、でも手元に自分の一筆箋はないから嫁いだ妹が実家に残した文房具をありがたく使わせてもらっている。
今日は本来なら自分が所有している大人っぽい一筆箋を使いたかったのに、妹のペラペラのキキララのメモ用紙(とてもかわいい)を使った。自分の一筆箋を使えないことが悔しい。
あの一筆箋たち、使いきるのに何年かかるのよ。つらいの。文房具は自分にとっては使ってなんぼのものであってコレクションして眺めてニヤニヤしておくものじゃないのに。一筆箋を使う機会がなかなかなくて虚しい思いをしているのに。
自宅に帰ってから、一筆箋を使う機会があればいいなー
旦那は今海外に単身赴任中。酒もタバコもやらず真面目に働いて15年、40過ぎてからカメラを集め出した旦那。今では防湿庫がリビングに並び、洗面台は暗室がわりになった。
正直旦那は面白味のない人間だと思う。本気で怒った姿は一度も見たことないし、すぐ諦めたような顔をして翌日にはけろっとしてる人。だから、コレクションが無くなったらどんな顔をするか試してみたくなった。買うだけ買って使ってないカメラも多いし、フィルムカメラみたいなのも多い。一つあればいいじゃんって言っても曖昧に返事するだけだし。
レンズが20本くらい、カメラは5台くらい。いつも使ってるデジカメを残して売っちゃった。50万円くらいになったから少し焦ったけどカット大丈夫。怒られたら色を付けて返そうと思う。
昔の自分で書いた増田を読み返していたら、この記事を見つけた。
この記事には驚きの後日談が生まれたので是非共有したいと思い、こうしてキーボードを叩いている。
まず、大学を卒業してから何年も後にこの研究室で一緒だった先輩と結婚することになった。
そしてある日、研究室を閉める時に部屋にあったマンガを売って打ち上げ代の足しにしたねぇと言う思い出話をした。
そしたら夫がこう言った。
「ああ、僕のマンガが全部売られたヤツね」
私としては寝耳に水である。そもそもあのマンガたちは代々の先輩たちが研究室に置いていった秘伝のタレみたいなマンガだと思っていた。それが他の研究室の同期や先輩たちの認識だったし、だからこそ部屋を片付けるために売ろうと言う話になったはずだ。それが、ほとんど全て夫一人の私物だったなんて。
ちなみに夫、かなりのマンガ好きで、夫と二人で暮らす部屋には壁いっぱいの本棚にみっちり商業マンガとコミティアやコミケで何年もかけて買い集めてきた一次創作マンガ同人誌が詰まっていた。
いや、全くの想定外の話で本当にびっくりしたし、ひたすら謝った。夫は昔の話だしいいよー、と笑ってくれたが。
しかしながら歴史は繰り返す。子供が生まれるという時に、この壁いっぱいの本棚のマンガをどうするのかと言う話になった。夫はトランクルームに預けたいと言ったが、私は「本棚にあればともかくトランクルームじゃ読めないし預ける意味なくない?」とフワッフワな反論をしてしまい、夫はどこか思いつめた顔で、じゃあ全部売る、という決断を下した。
夫曰く、「どの本もみんな大切だから、この本だけは残す、なんてことはしない。みんな売る。出来れば他の人にもらわれて欲しいから、捨てずに売る」と。
なので一番マンガや同人誌に詳しそうな古本屋を選んで、そこに全てのマンガを売った。そしたらその古本屋から「これだけのコレクションだからもうちょっとどうにかなりませんかね?うちでは捨てざるを得ないものも多いので……」といった内容の電話が夫の元にかかってきたらしい。夫は「おたくのお店でどうにもならなければどうにもならないでしょう、処分せざるを得ないものは処分してください」と答えたとか。
なお、夫に後から聞いたところ、売った本の中には今プロとして活躍している作家さんのデビュー前同人誌などもチラホラあったそうで。
そして、総額10万ほどになった。多分商業マンガの中にも希少本が多かったのだと思う。
で、ガランとした安全に気を使った部屋で子育てをしているけれど、私はあの時トランクルームに預けていいと言わなかったことを後悔している。
あれ以来、夫は一冊も本を買わない。マンガも、自分の勉強のための本も、一切買わなくなってしまった。加えて今でも時々、本を売ったのは本当に辛かった、と言う。
この話、増田に書いていい?と聞いた時もちょっと悩んでから、いいよと答えてくれた。書いた文章見せるよ、と言ってもそれはいいよと言って寝てしまった。多分、今でもまだ辛いんだと思う。
夫の趣味の品を勝手に売ったら人が変わってしまった、という話は昔からネットに転がっているけれども、それと同じようなことを私もしてしまった。しかも、2回も。
あの壁いっぱいの本棚に詰まったマンガ達。あんまりメジャーなマンガはなかったけれども、夫が何年もかけて集めてきたコレクション。何気なく手に取って読んでみたら、どれも確かに面白かった。
あれを手放したのは、多分人生の何%かの損失だったのだと、時が経ってからようやく分かった。
【追記】
リンクは貼らない。
やべーな
「酒飲みながら複数人でワイワイやって楽しいゲーム」というくくりで一番面白いのは実はスマブラとかじゃなくて「テニスの王子様の恋愛ゲーム」だと思います。 pic.twitter.com/oEq4aBlNVs— じゃじゃまる (@jajacircle) March 20, 2019
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懸賞に半年間応募し続けた結果 https://anond.hatelabo.jp/20170108040330
私も上の増田のように、実家で大量の切手やはがきを手に入れた。どうしても参加したい懸賞に少しはがきを使ってはみたが、懸賞が趣味の人レベルではがきを使うのは時間もはがきも切手ももったいないと思う。自分が心から「これは絶対に欲しいな」と思うものの懸賞に参加することには価値があるが、わざわざクロスワードパズルの雑誌を買ったりとか、懸賞がしたいがために欲しくもないものを買いだめしてしまうとか、そこまで欲しくもないものの懸賞に、はがきや切手を消費したいがために参加するのは無駄なことだと思う。
私は手紙を書くことが好きなので、切手は手紙で消費しようと思う。ゆうパックで使うのもいいと思う。はがきは手数料を払えば切手に交換できる。
家族がときどき切手が必要になるときがあるので、そういうときには私に声をかけてもらう。
私は切手が好きで、昔の切手や現代のグリーティング切手を眺めてニヤニヤすることが楽しい。しかし、切手は金券なのに消費せずに小さな絵画、小さな写真として鑑賞物にしてしまうのは強い抵抗がある。
昭和の時代から切手を収集する切手コレクターが、切手コレクションを遺したまま亡くなりそれを受け継いだ人がヤフオクや古物商に切手を出していることにアホらしさを感じる。あの世に切手を持っていくことができなくて、切手を売却することでしか価値を見いだせない人の手に渡ってしまった。
平成、令和の切手を集めている切手コレクターもいるが、切手をただ持っているだけというのは無駄なことだと思う。
私は切手好きではあるが、根本的には他人に手紙を送ることが好きなので切手はコレクションではなく消耗品として使いたいというこだわりが強い。
金券である切手を使わずにずっと手元に持ち続けるというのは本来の切手が持つ役割に反している。
郵便局としては、自社が発行した金券である切手を使わずに大事に保管してくれる消費者は都合の良い金づるだ。天皇陛下即位記念切手をたくさん発行して、切手収集目的のコレクターに買わせたり、アニメやゲームとコラボしてグッズ収集目的のオタクにはがきや切手を買わせたり、
切手を収集するのも、使用するのも、金券ショップに転売するのも、古物商に売り付けるのも、オークションに出品するのも、個人の勝手だけれども、
私はやっぱり切手は郵送料として使いたい。それが切手の本来の役割なんだし。郵便物が好きだから切手を封筒やはがきに貼ることで消費したい。かわいい切手や綺麗な切手を貼って、1人でほくそ笑みたい。
こんな私だが、実家から平成天皇陛下即位記念切手がシートで出てきたときには、動揺した。これは、もったいなくて使えない、と。切手商に持っていけば額面より高く売れるのではないかと思った。私も見返り美人レベルのむちゃくちゃレアな切手を手に入れたら普通に使うよりは売って現金化したいという俗な考えを持っている。
調べてみると、現代は切手の価値が下がっており、見返り美人や月に雁レベルの昔のレアな切手なら高く売れるが、平成に発行された程度の切手がものすごい価値を持つのはないとのこと。
これを売ったとしても額面より数百円、数十円高く売れるか、もしくは額面通りか。自分で買ったわけではない珍しい記念切手を前にして、葛藤したが、私はやっぱり記念切手も普通に郵送料として消費してしまおうと思った。
切手収集ブームの時代を知っている人、切手が好きな人に送る手紙に記念切手を貼って、「わぁ、珍しい切手を使っているね」とでも思ってもらえれば万々歳だ。まあ、何とも思われなくても別にいい。
今月にまた天皇陛下即位記念切手が発行されるので、切手好きとして欲しいなぁと思ってしまったが、手持ちの在庫の切手がたくさん溢れてるから新しい切手はもう買わない。切手が足りなくなれば、大量のはがきを切手に交換してもらえばいいし。
やっぱり切手は大事に保管しておくのではなく、封筒やはがきにはったり、ゆうパックに使ったりして、郵送料として消費していくのが一番いいなって思う。切手は金券として活躍してもらいたい。
郵便局で売ってるグリーティング切手がかわいいので今所有している切手を使いきったら買おう。グフフフと思っていたけれども
そもそも私そんなに手紙を書かない人間だったわ。前買ったグリーティング切手も一枚のシート使いきるのに数ヶ月かかってたわ。しかも最後の方ゆうパックで消費したw
グリーティング切手って10枚セットだから、基本的に84円の手紙を10通出さないと消費できないよ。
我が家では年賀状出さないし、懸賞も積極的にはしないから、ハガキのための63円切手もそんなに使わないし
文通を趣味にするつもりもないし、たくさん切手を買っても使いきれねえや!
郵便切手って金券であって、消費するためにあるのであって、ずーっと眺めるために存在するものじゃないと思う。だからコレクション目的で切手シート買いたくない。
手紙は書くの好きだからときどき書く。でも、頻繁には書かない。自分の好きなペースで書きたいから文通はやりたくない。
グリーティング切手、季節モノが可愛いんだけどこんな私なんでなるべく季節感がなくてオールシーズン使えるものを買わねば。
とりあえず、子供のイベント(七五三とか運動会とか)がある度に義両親に手紙なりハガキなり出そうかと思っています。子供の写真を載っけて…
あと夫の祖父母とも郵便物で交流したいから、そっちにもお便りを出したいんだけどどうかな。初ひ孫の写真喜んでくれるかな…
母親が買ってくれたものだからとずっととってあったピンクの掛布団カバーとタオルケットを捨てた。
子供の頃から自分の見た目がかわいいものではないと理解していたのでかわいいものを身に着けるのも身の回りに置くのも単純に居心地が悪かった。
持ってて違和感がない程度のかわいいをそばに置ければ満足できたし、それは別に辛くはなかった。ピンクも別に好きじゃなかったと思う。緑や白が好きだったしそれは今もだ。
しかし母は乙女趣味というか少女漫画を読みハーレクインロマンスを読み父に気に入られるためなのか娘が父にいじめられたり目の前で理不尽を言われていても庇う事もとりなすこともしない女性だったので(母が父に食い下がって怒ったのを見たのは自分の少女漫画コレクションを勝手に捨てられた時だけだったように記憶している)ピンクやかわいいものを好きじゃない女の子なんていないと思っていたのかもしれない。自分の娘はかわいいへの欲求を抑圧しているのだろうと不憫に思ったのかもしれない。もしくはただ単純に自分が使いたかったけど歳的になぁ~というものをちょうどそこにいた娘に持たせることで自分の心を満たしていたのかもしれない。
しれないばかりだ。母が他界してずいぶんたつしもう永遠にわからない。
そんなわけでそれらがよくわからなくて捨てられなかった。
自分に与えられたものだけど自分のものなのかなんなのかわからず捨てる権利がないような気がしてずっとそれらはわたしとともにあった。
とにかくわたしは母にも父にも愛されたかったので迎合し喜び持ち続けていた。
そんな感じで「おかあさんがくれたから」の一点で持ち続けていたタオルケットと布団カバーだったが捨てた。
もっといいものを自分にあうものをそばに置きたくなったのでスペースが足らなくなったので捨てた。
捨てられた。
ホッとした。
すごく眠い。
Prime不人気だけど、ヘイトをこじらせるくらいなら新しい人を勧誘する方に力注いだほうが良いんじゃないかなと思ってるよ。
ただ、NIAはもうちょっとIngressに対する姿勢を正さないといけないよね。
せっかくIngressのことが拡散されたのにもったいないな。近いうちに東京近郊でいくつか大きなイベントがあるから、みんな参加してね。おじさんもいくよ。
===
位置ゲーおじさんだよ
今日はおじさんの思いが詰まったIngressに関する寂しい話題があったんだ。
Ingressというゲームの説明はあえてしないけど、このゲームが2つのアプリで動いていたってことはあまり知られていないよね。
1つはIngress Prime。もう1つはScanner[Redacted]というゲーム。どっちもIngressをプレイできるんだ。なんで2つもあるかって言うと、前者は後者をリニューアルしたVer2で、しばらくはそれぞれを並行して遊べたんだ。Redactedは旧スキャナーとも呼ばれた。
正直、Primeは満を持してリニューアルされた割には当初から評判が良くなかった。UI・UXが壊滅的に悪いんだ。それでも1年経ってだいぶ良くなったけどね。
https://anond.hatelabo.jp/20181111164444
いや、もうしたのかな。これを読んでいるってことは。
正直つらい。旧スキャナのUIはお世辞にも良いものではなかったけど、単純にIngressというゲームを遊ぶには必要十分な要素が詰まっていた。
特徴的な効果音にエフェクト、ひと目で美しいと思える多重CF。
一緒に東京を駆け回り、仙台で雨に振られ、大阪でマラソンをし、北海道で日焼けをするまで自転車を漕ぎ、仲間と秘密の作戦をしに埠頭に訪れた。大事なリンクを引くときは本当に頼りになる相棒だった。
スキャナとの出会いは、当時仕事をやめた直後に実家に戻っていたときだった。実家の目の前にポータルがあって、そこをハックしたのが最初だ。腐りかけていた自分を外の世界に引っ張り出してくれた。知らないおじさんたちと何故か交流するようになった。たくさんの旅をした。たくさんの思い出を得た。そのそばにはずっと彼女がいた。端末は変わっても、すぐに彼女だけは入れていたんだ。
あれから5年。当時から変わらない彼女は、5年経った今日旅立った。
彼女はもういない。もう会えないんだ。
Ingressをやめようと思ったことは何度も有る。ストーカーおじさんにあったり、敵陣営からの罵声を浴びたり、それ以上に味方からのヘイトにうんざりもした。いつの間にか少なくなった仲間達。音沙汰のないHOやTelegram。
エージェントにとっての楽園だったGoogle+が閉鎖されたときは結構ショックだった。あれで辞めた人も多いだろうな。おじさんも危なかった。
ぶっちゃけこの1年はだいぶスキャナーから遠ざかっていた。活動量は5年前とは比較にならない。だけど今でも断言できる。Ingressは楽しい。他のどの位置ゲーよりも。
意外かもしれないが、Ingressはゲームとして必ずしも素晴らしいんじゃない。結構雑な作りが多い。
いやそもそもゲームですらないんだと思う。なにせNIAは普通のゲーム会社とは違う。そもそも、Googleの社内スタートアップが発祥なんだから。それにポケモンGoやハリポタを見ればわかるけど、明らかに既存のゲーム会社が作るものより数段劣る出来だと思う。
最近出たドラクエウォークは、実はポケモンGo以上にIngressをリスペクトしているんじゃないかとおじさんは思っている。Ingressをより大衆向けにしたら、多分ああなる。まあドラクエウォークも既にレベル上げゲーになってあまり面白いとは思えないけど。
Ingressがどういうゲームかを語るにはかなりの説明を要するけど、多分エージェントが声を揃えて言うのが「ゲームを通じたコミュニケーションツール」なんだと思う。
Ingressは陣営を組むからコミュニティが重要なんだけど、他のゲームと比べてもかなり特殊だと思う。
Ingressってお互いの位置情報を共有するもんだから、かなり危ういんだ。だからこそ自衛のためにコミュニティを作ったりするし、ゲームをするだけでお互いが知り合える環境にある。つまりユーザー同士の距離がとても近い。
その端的な例が、名刺代わりになっている「BIOカード」だろうな。
ゲームのパスコードを記載したり、ゲームないストーリーを説明する補助的なツールだったものを、エージェントが面白おかしく自分の名刺として似たデザインで作り始めたのがきっかけ。今では必須のコミュニケーションツールになっている。日本限定じゃない。世界的なものなんだ。
アノマリーとかミートアップに行けば、必ずBIOカードの交換会が発生する。NIAの本社にも大量のBIOカードのコレクションが有るんだ。
ポケゴーや他のオフラインのゲーム(TCGとか)と比べても、こうやって共通のフォーマットを介してコミュニケーションしているゲームってどれくらい有るんだろう。
例えばヴァンガードの存在。エージェント全体から選出された人が、NIAとエージェントの橋渡し役を担う制度だ。
まあぶっちゃけあまり目立った活動がなかった。そのヴァンガードをNIAが袖にして怒らせた事件が、最大の役割を担ったのはあまりに皮肉だね。
https://community.ingress.com/en/discussion/4203/an-open-letter-to-niantic/p1
他にもアノマリーで実質最も運営に近いことをしているPoCという連絡役のエージェントの存在も欠かせない。彼らがいないとアノマリーはNIA単体ではできない。
それと対象的なのがポケゴー勢。同じNIAのイベントなのにみんなお客様感覚なのが、本当に信じられないんだよね。
https://togetter.com/li/1376395
まだ有る。NIAがIngressのために独自に作ったコミュニティがあって、そこを告知の場にしたりバグレポートの集積所にしている。さっきいったヴァンガードのお怒りメールもそのコミュニティへの記載だった。
https://community.ingress.com/jp/discussion/4816
いや、具体的な例を上げるときりがないんだけど、とにかくIngressのエージェントとNIAは、驚くくらいに距離が近い。エージェント同士もそう。Ingressって、ゲームとして面白いだけじゃないんだよね。スマホの中だけで完結しないんだ。スポーツみたいなものなのか?
5年やってて、未だにIngressが何なのかを伝えられない。本当に。でもよく言われるんだけど、Ingressって「真のソーシャルゲーム」なんじゃないかな。さっきいったみたいに、ゲーム端末だけで終了せず、そこから実際に人と交流する頻度が高い。
なにせおじさんは、Ingressを通じて地域の交流イベントの運営をするようになったしね。
位置ゲーはいっぱいある。ポケゴーにドラクエウォーク。駅メモやテクテクテク(故人)。それぞれに魅力があって独自のゲーム性があっていいよね。
位置ゲーが他のゲームと違うのは、外の世界に引っ張ってくれることだと思う。それを叶えられるのならば、Ingressもドラクエも変わらない。おじさん自身も、最近のマンネリをドラクエで解消してるしね。
だからこそ、Ingressの文化というか思想は本当に大事なんだと思う。「The world around you is not what it seems.」(あなたの周りの世界は、見たままのものとは限らない)というコンセプトは位置ゲー全体に広めていきたい。
よし。おじさんはPrimeを起動しよう。見づらいUIだけど仕方ない。改善案もだそう。
https://togetter.com/li/1409562
こちらのたくさん本があったという話について、古本界隈で働いていたので書いておこうと思います。
別に隠れて投稿することもないかと思いましたが、業界の裏話的な内容なのでこちらにしました。
まず図書館への寄贈は、よほどの希少本でない限り基本的に断られます。
同様に病院や養護施設などへの寄贈も受け付けてないことが多く、内容についても精査されるので難しいです。
これまでの経験からひとりで保管できる最大がだいたい1万冊なので、ここでは仮に1万冊持っていたとします。
それを古本屋が買い取るとなると、トラックなどで往復する手間とそれなりの人手が必要です。
複雑な戸建てや高層階のマンションなどは運び出すだけでも数日かかりますのでここで数万円、場合によっては10万くらいの費用が発生しています。
価値があるかどうか、破れていないか、ペンなどの書き込みがないかをチェックしながら、販売用と転売用と廃棄用に分けていきます。
販売用とは自分で販売するという意味で、最も価値がある本ということです。
もちろん全部売れるわけではないので、利益が確定しているわけではありません。
転売用とは自分では売らないが他の同業他社が扱っているものです。
この基準は各店舗で異なりますが、例えばあるジャンルは扱ってないとか、破れやシミなどがあるものは扱わないとか、単価の安いものは扱わないとか、それぞれ独自の基準を持っていますので、自分が売らなくても他店で取り扱っているのであればそちらに回します。
破れていたりコーヒーがかかっていたりと商品としての価値がなくなったものはこちらです。
その他電話帳のような元々価値がないものや、販売が困難なものもこちらに入ることが多いです。
専門店でないと取り扱いが難しく、またそのような専門店に転売しようと思っても、それぞれに価値があるのかどうかの判断に時間がかかったりと、色々と手間がかかるのでそのまま廃棄処分となることが多いです。
廃棄処分の方法も地域によって違いますが、トイレットペーパーと交換したり、1kgいくらかで古紙業者に買い取ってもらったりします。
なおこれらの選別作業を買い取るときにその場で行う業者もあれば、冊数や重さなどで買い取る業者など色々です。
私のいた店ではその場でだいたいの価値を算出して買い取っていましたので、かなり高値で買い取っていたと思います。
コレクションの内容や保管状態によってバラバラですが、割合としては、販売が60%、転売が10%、廃棄が30%くらいだと思ってください。
過去には数万冊の本を買い取ったのに、あまりに汚いということで持ち帰ってすぐに全部廃棄処分したこともあります。
見た目が綺麗でも裏表紙に蔵書印が押されていたり、ネットカフェ経由の本はほとんど売れません。
ネットカフェのような乱雑に扱われることを想定している場合は、表紙が糊付けされていたり、ページが抜けないように本全体をタコ糸などで補強していることが多く商品としての価値がありません。
また多少のページの折れはいいのですが、変な形に曲がってしまってる本は全く価値がありません。
保管するときはブックエンドを使ってまっすぐ立てるか横にまっすぐ寝かせてください。
こうして販売用として残った本を販売できるようにする作業に入ります。
過去の販売履歴などから想定される価値を計算し、販売に値するか判断します。
ここで単価が安すぎるものや回転率が悪く自分の店で販売するには在庫リスクが高すぎるという場合は他店への転売に回したりします。
小説や実用書はそのままクリーニングにまわしますが、漫画の場合はシリーズがそろっているかチェックします。
本が少ないときはいいのですが、3000冊を超えると神経衰弱みたいで気が狂いそうになります。
10巻完結の漫画で1冊でも足りないとバラ売りになってしまいます。
最近の本であれば自分で買ってきて足せばいいのですが、数十年も前の本は簡単に買い足せません。
単巻で価値があるものはそのまま売りますが、揃わなかった多くの本は他店にまわします。
あと1冊でコンプリートするのに、という状態の長編漫画が山積みというのは業界的によるある話です。
また1巻は色んな古本屋で売っているが最終巻はどこにもない、ということはよくあります。
友達の家で読んだとか、途中で面白くなくなったとかの理由で最終巻を買わずに中途半端な状態で売る人が多いです。
あまり出回ってない漫画はちゃんと全巻揃えて売ると、価格があがったりしますので参考にしてください。
揃っている漫画はほとんどが販売されますが、雑誌やライトノベルはほとんど販売されません。
雑誌で価値があるのは特定のアイドルの写真が掲載されているとか、特別な理由があります。
私も学生時代にあるアイドルが掲載された1ページが欲しくて古本屋で汚い雑誌の抱き合わせの束を買ったことがあります。
激安にすれば売れるのですがそれでは商売になりませんので基本的に他店に転売します。
通常の小説でも単行本は販売される確率が文庫本の半分くらいですが、高値のつく確率が高めです。
単行本はコレクター要素があるので、本棚に飾りたいという需要もあるようです。
私も村上春樹の本を棚に並べていたりしますが別に読み返すことはありません。
ただ映えるという理由だけです。
多くの実用書は時代の流れで価値を失いますが、一部ジャンルの実用書は著者によっては下がるどころか価値が上がるものもあります。
たとえば囲碁、将棋、麻雀が該当します。また一部の経済本も価値が下がりません。
そのようないわゆるレア本は表紙がなくても高値で売れたりします。
この段階で半分以上の本が脱落します。
本というのは本棚などに長年置かれているため埃やシミなどが付いているのでクリーニングが必要です。
まずおおざっぱにタオルなどで埃を取ってから、専用の洗剤を付けた布でゴシゴシ磨いていきます。
その結果、力を入れすぎて表紙が破れたり、シミが取れなかったり、逆に洗剤によってシミが付いたものは廃棄処分となります。
ブック〇フのシールが貼られているような本は売れませんのでシール剥しを使って剥していきます。
人気のある本は5枚くらい貼られているのでイライラしながら剥します。
外に貼られているものは簡単ですが、中にシールが貼られている場合は手間がかかり、場合によっては剥すときに傷がついてまた廃棄処分となります。
なぜか多いんですよね、これ。
所有者によって本の扱い方に個性があるので、表紙が1冊折れていたら30冊あると思え、が標語です。
本はまっすぐ開いてください。もちろん開きすぎて開き癖が付いてもいけません。
また表紙がずれるのが嫌で表紙をテープで止める人けっこういますがおすすめしません。
経年劣化したテープはシミになってしまいまい本の価値が激減します。
こうしてクリーニングを突破できなかった10パーセントくらいの本が脱落します。
このような工程を経て実際に自分の店で販売されるのは買い取った全体の10%くらいになります。
他店に転売したときに多少の現金は入りますが、単純計算で1冊10円で買い取ったとしても1冊100円の購入経費がかかっていることになります。
また上記の選別作業やクリーニングに1冊2分くらいかかりますので、見えないところで人件費がかなりかかっています。
それらを考慮するとブック〇フのように100円で売っていたのでは儲けが出ないどころか赤字なのです。
ただ私のいた店では売りに出せばほとんど売れるという厳しい基準で販売していたため、他店ではもっと販売に回していると思います。
概ね9割が売れていましたので、売れ残った本が山積みになっている街の古本屋を想像してもらえれば、経営方針の違いがよく分かるでしょう。
色々と厳しい基準を書いていますが近年のお客さんはとても目が厳しいのです。
私の若い頃(それなりに年です)は古本屋の本といえば埃みまれだったりソースがかかって汚れていたり破れていたり雨に濡れてシワシワだったりと酷いものでした。
ですので新品同様になるように手入れをして、新品同様にならないものは売らないのです。
この流れはブック〇フが作ったといっても過言ではありません。
そんな格言があるそうだが、まさにその通りだ。言語と方言を隔てているのは何かと問われれば、国家によってそれに公的な地位が与えられているかどうかだけで、本質的な違いはない。現に、気仙方言に翻訳した福音書をケセン語訳聖書として発表し、時の教皇ヨハネ・パウロ二世から祝福を受けた例もある。
そこで気になるのが、出版との兼ね合いだ。よく、海外文学やミステリを手に取ると巻末に「翻訳独占権取得」がどうこうと書いてあるのだが、たとえば「オリエント急行殺人事件」か何かをケセン語に翻訳することはできるのだろうか。つまり、出版社から「私たちに翻訳独占権があります」と訴えられたとしても、「これは日本語ではありません。ケセン語です」と言って反論することは可能なのか。
どう考えても東北方言だって立派な日本語だろう。しかし、「今日は海さ釣りっこしさ行ぐべし!」ならまだしも、「おぼっこさおづっこあげろでば」「あぞごにあったちかいぼっこしてしまったのっさ」という文字列を見て、東京弁の話者は理解できるだろうか。東北方言の話者をおとしめるつもりはまったくない。ただ、神奈川県で育った私に取っては、仮名交じり文でようやく何を言っているのか推測できるのが実情だ。ましてや、母音の発音が大きく異なる地域の場合、口頭でのコミュニケーションはそれなりに困難になるだろう。現実的にケセン語版が出るかどうかは疑わしいが、出版されたとしても、独占権を持っていた側は、現実的にはそれほど懐は痛まない気がする。
さて、こうしてケセン語が立派な言語とされ、ケセン語で「オリエント急行殺人事件」が出版されたとしよう。そうすると、今度は関西弁で出版したらどうか、などという話になるかもしれない。関西弁は立派な独立した言語だろうか。大阪府の人口は八百万を超え、ブルガリアを超える。というか、近畿全体を含めるなら、チェコ語話者の一千万に及ぶだろう。ちょっとした規模の言語だ。いや、もっと深刻な問題がある。もしも、ウチナーグチを日本語とは別の言語として認め、翻訳も出版されることになれば、自治や独立の問題を含めた政治的な問題にまで発展するだろう。私たちは別の言葉を話す、別の民族である、と。
もっとも、私が言いたかったのは、「おらおらでひとりいぐも」や「面影と連れて」みたいな方言文学、自分の日本語の境界がぐらぐらするような小説が読みたいな、みたいなことなのだ。特に後者は、池澤夏樹の世界文学全集の短篇コレクションで読んだのだけれど、東京方言とはまったく異なる語りを、感じ仮名交じり文にすることで、沖縄の言葉が全く分からない私にも理解できるようにするテクニックがすごかった。
そう言えば、円城塔が「プロローグ」か何かで、「古語とは外国語と日本語の間をふわふわ漂っているような印象だ」という趣旨のことを述べていた気がするが、僕にとって方言とは、そんな魅力を持つ存在だ。
先月、日本国有重工業清算事業団の資産整理の一環として放出されたタクトスイッチ、T-303(黒)。
私には入手できなかった。今回の放出分、32510台は完売したそうだ。今後の発売予定分もすでに予約で完売という。
私が生まれるより以前には多くの趣味人口が在った分野のようだが、昭和99年の今では古臭い趣味として認識されている。
世代の違う親に言わせれば例えば、切手収集みたいなもののように映るようだ。
デザインや絵柄しか違いのない切手に比べたらスイッチには、筐体を形作る樹脂の手触りや質感、眼に映る色、端子の鈍い輝き、そして何と言っても機種による様々なクリック感。
大きなものではなく、嵩張らないので例えば自動車のような趣味と比べ所有するのに場所をとらず、多くの種類を所有できるのもいい。
採取した昆虫を陳列するよう離れの書斎に並べてある私の多くのコレクションのうち、気分で選んだお気に入りのスイッチを手にしてその感触を味わう。
冬の暖かい部屋のなか、柔らかな椅子にくつろぎラヴェルの録音を再生する。
そしてその単調な変わらないリズムに合わせ、スイッチを左手に取り、クリック。
午後は、そうした至福の時間を得て過ぎた。
この、スイッチ収集という趣味の市場は世の中に、昭和初期に急に現れたらしい。
どういうわけかは不明である。はじめは細く好事家の間での国の生産計画の情報交換などの会合や、あるいはコレクションの展示会、交換会などが行われていたようだ。
国立国会図書館に存在もするその会の名簿を調べると、参加者には国防機構内のテクノクラートや財閥系の重工業企業の社員の名前の存在が目立つ。
そしてその趣味の市場の人数規模は、この頃では大きくは、なかったようである。
その後、先の大戦中の国家高揚のなか、敵性語であるのでスイッチとは言わないがこのころではすでに開閉器収集というジャンルの趣味が市民の間には広く存在した。
昭和15年2月 東亜開閉器公社発行の、季刊開閉器句報創刊号も私のコレクションの一部だ。
スイッチを手に遊ばせながらブラウン管から聞こえるニュースに耳を寄せると、本営の報道官が伝えている。
先週も三沢基地より、北の方向への弾道ミサイルが2発発射された。
ニュースはヨーロッパ共同体の経済状況に続けて本営、および日本原子力研究製造開発機構の広報官らによる記者会見を写している。
先ごろ国会を通過した法案、憲法66条2項の改正を適用した結果の条項は、兵器を発射する装置を制御する管制官の責任は日本の行政システムの中には存在しないよう、恣意に解釈できるようだ。
一度外れた箍を再び同じにはめることが難しいことと同じように、多く憲法が改正される機会のある今日ではあまり興味のない類のニュースだ。
古くからのスイッチ収集家の私から見たら、必要は感じられないのだが最近のスイッチの内部にはただのスイッチ以上の何らかの機能もあるようだ。
また、市民用通信網上に在る、政府の機密に近しい噂のあるページによると、スイッチ部品の販売元は各民間商事企業ではあるのだが、製造は全て国が一元して行っているという話も見る。
製品の処機能が増えるならば趣味の幅が広がるしまた、国が管理しているのならばその製品の品質も安定するであろう。
5歳:遊覧船のデッキより俺を抱きかかえたままバランスを崩した親父もろとも冬の海に転落→無事生還
8歳:校庭でソフトボールのフライを取ろうと後ずさりしてたらサッカーのゴールに激突→タンコブで済む
9歳:度胸試しにかなり勾配のきつい坂道を自転車でノーブレーキで降下中、路肩から出てきた軽トラックと激突。運転席から飛び込み助手席のガラスに顔面でヒビ入れる→大量の鼻血で済む
11歳:女の子にイキりたくて覚えたてのスケボーでベンチを飛び越えようとして足の先がベンチに引っ掛かり転倒、顔面を強打→大量の鼻血で済む
14歳:合宿で食べたフライで食中毒となる→部員全員が1週間近い入院をするも3日で退院。お通じも普通に戻る。
16歳:免許取りたてのくせに高速を140キロで走り転倒。バイク大破→左腕を広範囲に擦りむいただけで骨折も打撲もなし
20歳:成人式でケンカになり4~5人に相当激しくボコられる→ビールケースで殴られたりするも口の中をちょっと切っただけ
24歳:ガンが見つかる←今ここ
来月早々に入院して手術をすることになってる。ちなみにステージ2。俺は不死身なので、また修羅場コレクションが増えることを楽しみにしてる。彼女にフラれたばかりで本当に良かった。
一筆箋を使うときがやっとキタ!と思った。里帰り出産のために離れて暮らしてる旦那にものを郵送することになり、短い手紙を書いた。考えてみても旦那に長文を送る必要がなかったので短文になった。便箋コレクションの一部を実家に持ってきてはいたが、一筆箋のコレクションまで持ってきてはいなかったので既に家を出ていった妹のメモ帳を使った。数少ない一筆箋が活躍する機会だったのに、またしてもタイミングを逃してしまった。一筆箋も実家に持っていくべきだった。
一筆箋は紙質が良いしお値段高めなので大量のメモ紙のような気軽な使い方をしたくない。
一筆箋、けっこう持ってるのになぁ……どこで消費して行けばいいんだろう
オリンピックのボランティア検討委員会の座長の清家篤という人は、どういう人なんだろう、と思って検索したら、2009-17に慶應義塾大の塾長を務めた人だった。彼の後継の塾長選びで、2017年に騒ぎがあったようだ。
清家体制下で常任理事を務めていた長谷山彰氏がいまの慶應義塾長になったが、投票では負けていたのだという。
AERA dot. : 「慶應義塾」新塾長に得票トップは選ばれず! 2位を指名したワケ…(2017年5月)
https://dot.asahi.com/wa/2017050800016.html
清家塾長の任期終盤には、日吉記念館の建て替えや新たな学生寮建設などの計画が相次いだ。利権やカネが絡む話があるのでは、との臆測が広がっている。
週刊現代 : 慶應義塾の「疑惑の塾長選」そのウラ側をぜんぶ書く! なぜか二位が勝利して、会議が大炎上(2017年7月)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52156
細田氏の質疑応答の際、ある委員が『文部科学省の役人とうまくやっていくことが必要』などと語り、そうした経験の薄い細田氏では頼りないという印象ができた。
慶應塾生新聞 :【特集】塾生が、考える ー塾長選挙ー(2017年11月)
https://www.jukushin.com/archives/29365
上の塾生新聞にある「近年の塾長の実績」を見ると、選ばれた長谷山氏のところに書かれた「博物館の設立(所信表明から)」は、2018年1月末に発表された下記のミュージアムだろう。
慶應義塾が全塾的学術・文化資料施設「慶應ミュージアム・コモンズ(仮称)」を2020年度中に開設
https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/2018/1/31/28-41180/
プレスリリースを見ると、「立ち上げのきっかけとなったのは、一般財団法人センチュリー文化財団からの資料寄贈と 30 億円の寄付金です」とある。
このセンチュリー文化財団は、Wikipedia によると、旺文社創業者・赤尾好夫の美術コレクションや資産を保存するために設立された団体のようだ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/センチュリー文化財団
ところで、Wikipedia の旺文社のページによると、「1963年(昭和38年)、英教に続く2つ目の外郭団体として日本英語検定協会が設立され、実用英語技能検定が開始された。旺文社は現在に至るまで英検の様々な問題集や受験参考書を販売」している、とある。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/旺文社
また、旺文社サイト内の「売上ランキング」を見ると、9/17現在、10位中、6つが英検関連の書籍だ。旺文社にとって、英検関連ビジネスは主要な柱なのだろう。
https://www.obunsha.co.jp/ranking
ここで、関係あるかはわからないが、2018年11月、慶應大は「英語外部検定試験についても、2021年度一般入試については全学部で利用を見送る。」と発表した。
https://s.resemom.jp/article/2018/11/20/47787.html
一方、東大は民間英語試験について、2021年度から「「CEFR対照表のA2レベル以上に相当する英語力がわかる書類」の提出を求める基本方針を発表。」
また、早稲田大も「政治経済学部では、2021年度一般入試より、大学入学共通テスト、英語外部検定試験、学部独自試験の合計点により選抜する方式に変更」と外部検定を取り入れていくようだ。
国際派と評判で得票数1位の教授がなぜか落とされたことと、英語試験とは、特に関係はないだろう。
しかし形式的に、旺文社および英検と関係のありうる財団から美術品とお金を寄贈、寄付してもらうのは、慶應としてコンプライアンス的に大丈夫なのか気になった。
なお、大学入試用の英語は「2024年度からは民間資格・検定試験に一本化する方針が定められている。」
https://s.resemom.jp/article/2018/07/25/45840.html
いまの長谷山氏が2期8年間塾長を続けるなら、2025年まで塾長ということになる。その間に入試英語の民間資格のどれをどう使うか意思決定を求められるのだろう。慶應大は「国際化」できるか、見守りたい。
里帰り出産のため、実家に帰っている。和室にベビーベッドと私の布団をおきたいと思っていた。リビングにあるソファーが壊れていることを知り、まだ壊れていない和室に置いてあるソファーと入れ換えてリビングのソファーを捨てたらどうかと親に相談した。和室からソファーがなくなれば和室がスッキリして私も助かる。
父親は了承した。
伯父に軽トラを出してもらって運ぶということになり、母親とずっと和室を掃除していた。母親が和室からソファーを出せる段階になってから伯父に相談すると言われた。伯父だって用事があるから前々から相談するべきなのではと言ったけれど、母親が伯父に連絡しないのでひたすら和室の掃除をした。準備を整えてから伯父に相談すると母親は言った。お盆休みに妹が来てくれるから人手が増える。もし伯父に協力してもらえばソファーを移動できると思っていた。
一生懸命、いらないものを捨てて整理したのに、母親から急にソファーを入れ換えるのは後々(両親の老後の意味?)になってからじゃないとできないと言われた。伯父だって、お盆は忙しいかもしれないと。じゃあなんで前々から伯父に相談しなかったんだろう。それに、軽トラさえ貸してもらったら父が運転して父親、母親、妹で協力してソファーを運ぶっていっていたのに。
急に裏切られた気持ちになった。
和室からソファーがなくなる。リビングの壊れたソファーも捨てれて、実家が整うと思っていたのに。
母親はそれまで、ソファーをうまく運ぶプランの話をしていたのに急にできない話をしだした。
そういう展開もあるのかなと考えた。
実家は私の部屋ではないし、もう好きにしろよと思った。うちのリビングには四つ立派な時計があるが、そのうち時刻が正確な時計は1つだけ、来客はうちの時計を見て、混乱することが多い。壊れたソファー、使われないマッサージチェア、時間が合ってない立派な時計、溢れる不要品、この家のリビングに招かれた客は「この家の住人は知性がない」と思うだろう。
母親は60歳を越えてもフルタイムで働き続けるらしいので老後の掃除というものはできない。今家の大掃除ができているのは私が里帰り出産のために帰省しているから。特別なきっかけでもないと実家を大掃除する必要はない。老いた両親の二人暮らしだし、父親は全く家事をしないし、母親は週6のフルタイムの仕事と日常の家事に追われて、細かいところまで気を回す余裕はない。
父親は母親より物が捨てられない性格で、本当にいらないものを集めたがる。琉球グラス、カメラ、本、パソコン、時計、フィギュア
綺麗に並べるわけでもなくただ無造作に置かれているだけで、父親はコレクションが減っても気づかないだろう。
断捨離、ミニマリストとは真逆の住民が住む私の実家はこれからも、きっとこの不要品をずっと貯めながら生きていくんだ。虚しいと思う。
私の父親は車を二台所有している。通勤用と娯楽用。母親も車を一台所有しているので二人暮らしなのに車が3台ある。当然車検代や保険代の費用が発生する。先日実家のコンロが壊れて十数万の費用が発生したが、最大限の回数でローンで支払うことにしたらしい。良い歳の老夫婦なのに十数万円のお金も一括で払えない経済状況だ。コンロを修理してくれた業者は「おたく立派な車を持ってますね」と明るい話題をふってくれたが、私は「この人にはうちの両親が良い暮らしをしてるように見せかけて実は貧困層ってことがバレちゃったな」と気まずくった。
私も両親の血を引いていて、なかなか物が捨てられない女だし、部屋を汚くして夫を怒らせてしまったけど、これからはもっとミニマリストになって、自分の子供には不要品に囲まれたゴミ屋敷での生活をさせないようにしようと思う。
以来、自分は普通の人ではないというコンプレックスを心に抱え、できる限り発達障害でない人と同じように振る舞えるよう日々努力を続けてきた。
それから十数年が経ち、今はIT系のエンジニアとして働いているが、周りの人たちからは「コミュ力のある人」扱いをされるまでにコミュニケーション能力が発達してきた。
ということで、なんとなく意欲が湧いてきたので自分がどのようにして人とコミュニケーションを取るかをつらつら書いてみたいと思う。
なお、主語が若干大きくなってしまったが、ここに書いてあることはあくまでも私自身の話なので、アスペルガーの人全体の話として一般化できるものではないと思っているので注意してもらいたい(同じだなーとか思ったらブコメくれると嬉しいかも)。
まず前提として、アスペルガーは他人の心が読めないのかと言われれば、べつにそうではない。
相手言動から直感的に感情の理解につながるのではなく、相手の言動のキャッチから理解の間に必ずロジカルな分析が入る。
このロジカルな分析というのは、今までの経験で蓄積してきた"人の気持ちパターン"みたいなコレクションがたくさんあって、その中から「あーこういうことを言うってことは多分こう思ってるんだよなー」とか「こういう仕草をするってことはこう思ってるんだよなー」と分析するような作業のことをいう。
これを私はほぼ一瞬で行っている。だけど、あんまり遭遇しないパターンだと、なかなかその分析がうまく行かずコミュ力が低下する(明後日な返答してしまったりとか、なんかキョドったりする)。
それは、学校が変わったり、職場が変わったりなど、新しい環境になった時によく起こる。なので、新しい環境になると常に思考をフル回転させなければならず、めちゃくちゃ疲れる。超苦手。
この分析には数パターンあるため、順に説明していきたいと思う。
人とコミュニケーションをとっていると、「あーやってしまったな...」とか「もっとうまくできたな」と思うことがよくある。
そういうときに、一人で反省会を開き、どういうコミュニケーションをとれば正解だったのかを分析する。
自分の中である程度答えが出たら、次に同じようなシチュエーションになったときに実践してみて、もしうまく行ったらコレクション行きだ。だめだったらもう一回反省会を開く。この繰り返し。
自分の周りにはコミュ力モンスターと呼べる人が何人かいる。面白くて、誰からも好かれ、すぐに誰とでも仲良くなってしまうモンスターだ。そしてなにより、信頼されている。
そういった人たちの「コミュニケーションのインプット」から「コミュニケーションのアウトプット」をパターンとして分類する。
そして、その中から自分でできそうなことをさらに抽出して、実践してみる。
もしだめだったら、反省会を開く。
親しい仲の人たちとのコミュニケーションであれば、「なんかやっちまったかな」って思ったら素直に聞いてみる。
そうすると、わりと正直な感想が返ってくるので参考になる。
「反省会」と「コミュ力モンスター分析」は主観なので、人の客観的な意見を聞くことで自分の認識と他人の認識のズレを小さくしていくことも重要だと思っている。
以上のことをずっと小学生の頃から繰り返しやってきて、ようやく人とまともにコミュニケーションを取れるようになってきたと思う。
昔よりずっと信頼されるようになったし、公私ともに「コミュ力高いやつ」という扱いをされることが増えてきた。(自分のいる環境がIT界隈でコミュ力低めな人が比較的多めというのもあるかもしれないが)
でもやっぱり、限界があるなと思う。
アスペルガーは人の心が直感的に理解できないので、そもそも自分がなにかやらかしたとしても「やらかした」と思わないことがあるのだ。
あと、ローコンテクストなコミュニケーションはやっぱりめちゃくちゃ苦手だ。いわゆるノリでコミュニケーションするやつ。どう返していいか全然わからない。反省会を開いても答えが見つからない。