はてなキーワード: 返事はいらないとは
横だけど、CC(カーボンコピー)の意味はその案件に関わってる人たちに宛てた「直接あなた宛ではないので問題なければ特に返事はいらないんだけど、こういうやりとりで進んでいます」っていう経過報告みたいな感じだよね…?
言った言わないとか、関係者がわかってないとこで話が進んでた、みたいなことを防止するためだと思ってた。あってる?
なので外部の請負業者も二度手間にならないように、自分の身を守るためにもCCはつけたほうがいいと思う。
でもちゃんとCC入れといても、あとから上司が急に出てきて「聞いてない!」っつって案件がひっくり返るとかもよくあるけどね…まあそれはそれとして。
ばかな、きみにも、わかるように、
おしえてあげるね
このぶんしょうは、
立証、定義しようと、してるのでは、ないということ
にっきであり、批判してるだけだ
「けっこんについて、定義したい」
といっているのは、そのオタクであって、
このにっきではない
このにっきでは、ただ、じぶんのいる界隈で、
(ほかの人はしない)
批判してるだけ、であり、
というよりは、
グチやひはんとして、きいてほしいぶぶんは、
「暴力について議論したい」「結婚について定義したい」とかやたら言い始めるところ
アニメ見ただけ漫画読んだだけ漫画の専門学校通ってるだけのオタクが暴力とは何かとか議論して何の意味があるんだろう
専門家から見たら、的外れで無知識のほぼオカルトのような議論が始まり、素人的オカルトな結論が出て、その経過にしろ結論にしろ全てに何の意味もない
そこに満足感を覚えたり、素人同士の議論で「思考が深まった」「考察すること増えた」「前回の議論ではこの結論が出た(定説化)」とか言ってるのが気持ち悪すぎる
ここが、ひはんぶぶん、であるということ
つまり、こうぞうとして、
じぶんの界隈で、
それがとてもきもかった
なぜおたくはそんなことをするのか?
という主観のはなしであり
したいとは、1ミリもおもっておらず、
それはどこからもよみとれない
データやろんぶんって、
なんのデータをもってくるの?
そもそも何を立証するの?
何を引用するの?
返事はいらないよ、
私は20代後半女性。恩師であるE先生は今は50代になるだろうか、親より少し下の世代の女性。私立女子校の保健室の先生で、私の進路決定に大きく影響を与えた存在である。
私がその学校で生徒だったのは10年ほど前のこと。中学受験で入った学校に1時間かけて通学したものの他の生徒と馬が合わず、クラスや部活で馴染めないどころか「場面寡黙」のような状態になってしまった。気は強かったので、そんなことで不登校になってたまるか、と踏ん張っていたが遂に中学2年の初夏に心が折れてしまい、保健室に入り浸るようになった。
そのとき様々な声かけをし心理的ケアをしてくれたのがE先生で、私は彼女に憧れて看護学部を受験し、現在は看護師をしている。
看護師を数年したら養護教員(保健室の先生)になるだろうと高校時代は思っていたものだが、大学時代に就活をするときには一度そのことは消し去ってみた。だけど一度夢にまでみたこと、資格は“一応“持っているので、叶えてみるのが過去の自分のためだと思い転職活動を開始したのがここ1年のことである。そして新型コロナウイルスの流行があり、学校保健においては大変なことであろうと思い、E先生のことが思い浮かび、お元気だろうか、と様子伺いを兼ねて近況報告を送ることにした。
E先生はクールな方だけど、内面はとても豊かな人だったと思う。
ただ、さっぱりしすぎていてなのか、仕事上(教科・学級担任と異なり全校生徒を相手にする)致し方ないのか、年賀状を送りたいだとかEメールアドレスを教えてほしいだとかお願いしても、全く個人的な連絡先を教えてくださらなかった。
「学校に送ればいいわよ」とか「学校に来れば私はいつでもいるわよ」とか仰っていた。他の教師たちはというと、携帯やSNS禁止の古風な学校のくせに、数年前に訪問してみるとLINE交換を迫ってきた、なんてこともあった。
そういうわけで、E先生宛に手紙を書いた。もちろん個人的な連絡先を知らないので、宛先の住所は学校にした。私学だから転勤もないし、ほかの先生から消息は伺っている。
同じ県内に住んでいるので、1日もあれば届くだろう。
お返事は週明けには来るだろうか?
そんなことを考えた。
が、1週間経っても、2週間経っても、シルバーウィークを挟んでも、返事は来ない。
前述の通り、クールなお方だから、と思って、松任谷由実の「返事はいらない」さながら、返事は期待せずに手紙を書いたし、ポストに投函した。
だけども、どうしても、返事がこないとソワソワしてしまう。
私は平成1桁生まれ、とはいえ、ジャストなデジタルネイティブ世代で、物心がついたときにはダイヤル回線でポストペットがメールを運んでくれるような環境だった。
大学に入って最初の数ヶ月こそ「メーリス」を多用したが、だんだんLINEが普及しはじめ、LINEが主流の通信手段である。
仕事を始めれば職場ではメールを使うが、いま私の周囲で即時性のないやりとりはその程度。
別件で、他の恩師からコロナ禍で病院で働く私の身を案じるお手紙をいただいた時には、速攻でお返事を書いて出したくらいの即レス魔なのである。
E先生から返事が来ず悶々とし、私はインターネットの大海から「手紙」の返事を「待つ」という行為についての記事を探しまくった。スマホに穴が開くほど、といいたいところだが実際には私はかなりの睡眠時間を犠牲にした。
LINE、Twitter、4G通信、メールですら「センターに問い合わせ」をしなくても届く時代。
即時的な現代でわざわざ手紙を送るという行為は、待つ時間をも味わい、愉しむ必要があるようだ。
そして、手紙というものは、一方通行であることをある程度覚悟する必要があるらしい。
こういう話は、文化人類学にでもなるのだろうか?
毎日ポストを、封筒が入っているのを十分想像しながら開ける。そんなことをして早1ヶ月。
そういえば、E先生はお勧めの本でミヒャエルエンデの「モモ」を紹介していたっけ。時間の大切さを題材にした物語だったと思う。
E先生が返事を送ってこないのは、メッセージがあってかどうかは知らない。が、もう少し待ちながら、自分のことをまた一生懸命やってみようではないか。
自分の文章を読んで、あー俺は姉に嫉妬してるんだ、と気づいた。
金は、そこまで困ってない。(そりゃ貰えるんなら嬉しいけど)
金はいらないから、愛情がほしい。心配されたい。母が姉にしたように、先回りして、人生に転ばないように、あれやこれやと手を尽くされてみたい。
模試の成績が下がって落ち込んだ時、母は言った。
「アンタは努力家だから大丈夫よ。そんなことより姉ちゃんよ。あの子、全然就活準備してないみたいなの…。」
俺の就活の時、姉は仕事を辞めた。(休職だったかも。ちょっと時期が曖昧)
就活で悩む俺に、
「アンタは大丈夫。そんなことより姉ちゃんよ。あの子、せっかくいいところに入れたのに辞めるなんてもったいないわ…」
この時に初めて違和感を持った。なんか、俺に興味が薄くね?
親が俺の進路にあれこれ口出さないのは、信用されてるからだと思っていた。親に言われなくても自分で考えて、努力して、結果を出せるから。
そうじゃないのかもしれない。
愛情を、興味関心を、注がれるのが当たり前の姉は、親の過保護が鬱陶しいようで、大学に入ってから全く家に寄り付かなくなった。
全く帰省しないので、親の方から姉に都合をつけて会いに行っていた。服を買ってやるから会おう。家具を買ってやるから会おう。旅行に連れて行ってやるから会おう。
俺は長期休みには、特に予定がなければ帰省していた。「帰ってこい」と言われたから特に疑問に思わず帰っていた。久々に会って、近況を話すのは楽しかった。たまに友達と旅行するので帰れないと言った時はブーブー文句をたれて宥めるのが大変だった。
別に、親と会うのに金なんかいらない。子の義務だとも思わない。楽しいから帰ってた。
昨日母と喧嘩をした。
母が電話をくれてたのだが、出るのが億劫で、後で掛け直すとメールしてそのまま忘れていた。
さらに俺宛に荷物を送ってくれたのだが、宅配ボックスに入れたまま一晩たってしまった。今週は疲労感が強くてずっと寝ていたのだ。
母の怒りは凄まじかった。長文のLINEで、母親の気持ちなんてどうでもいいのだろう、こんな失礼な子供に育てた覚えはない、返事はいらない、といった内容が書かれていた。しまったとすぐに電話したが、すぐに切られてしまう。2回程かけ直して、なんだか、やるせなくなった。なぁ、連絡を忘れることは、そんなに悪いことかよ。もう、月に15万仕送りもらう34歳児と、楽しく生きてくれよ。この10年間で、俺は何度母に会いに行ったと思う。この10年間で、一度でも、姉から母に会いに行ったことがあったかよ。たった数回、連絡を忘れただけで、「育てた覚えはない」なんて言われちまうのかよ。
今メンタルが弱ってるから、頭が幼児退行してるのかもしれない。でも、母から「育てた覚えはない」と言われるだけで、こんなにも苦しい。
郵便局で売ってるグリーティング切手がかわいいので今所有している切手を使いきったら買おう。グフフフと思っていたけれども
そもそも私そんなに手紙を書かない人間だったわ。前買ったグリーティング切手も一枚のシート使いきるのに数ヶ月かかってたわ。しかも最後の方ゆうパックで消費したw
グリーティング切手って10枚セットだから、基本的に84円の手紙を10通出さないと消費できないよ。
我が家では年賀状出さないし、懸賞も積極的にはしないから、ハガキのための63円切手もそんなに使わないし
文通を趣味にするつもりもないし、たくさん切手を買っても使いきれねえや!
郵便切手って金券であって、消費するためにあるのであって、ずーっと眺めるために存在するものじゃないと思う。だからコレクション目的で切手シート買いたくない。
手紙は書くの好きだからときどき書く。でも、頻繁には書かない。自分の好きなペースで書きたいから文通はやりたくない。
グリーティング切手、季節モノが可愛いんだけどこんな私なんでなるべく季節感がなくてオールシーズン使えるものを買わねば。
とりあえず、子供のイベント(七五三とか運動会とか)がある度に義両親に手紙なりハガキなり出そうかと思っています。子供の写真を載っけて…
あと夫の祖父母とも郵便物で交流したいから、そっちにもお便りを出したいんだけどどうかな。初ひ孫の写真喜んでくれるかな…
同人活動の話。
と、いっても私は同人誌は出してない。
創作活動もしてない。
もっぱらロム専。
なんにも生産はしない、人様の作品を消費だけするタイプの人間。
でも素敵な作品を読むと、その感想を書いた人にいつも伝えたくなった。
実際伝えてた。
私は感想を送るのが大好きだった!
漫画もイラストも小説も、自分が伝えたいと思ったことは創作してくれた人にいつも伝えた。
それでも下手くそなりに一生懸命感想を送った。感想を送る際は何処でそれを見たか、何が良かったか、何処に一番心動かされたか。図々しい時はキャラクターの心情を推測してみたり、続きを想像しては続編を楽しみにしてると素直に言ってみたりもした。
長いと10000文字を越したりする。
気持ち悪いなって我ながら思う。けど書いちゃったし。
誤字はないか、読み手が気分を害するようなことを書いてないか確認して、ドキドキして送信する。
あ、そう!一番好きなのは手紙!これこそ一方的にイベントで渡して逃げれば良いだけ!!
読んでるかなんて知らない。
捨てられても良い。
感想のお返事はいらない。こっちが素敵な作品に触れて勝手にそれについて書いて。自己満足。
それに対し相手に見返りを求めることはしない。してはいけないことだと思ってた。
どういう作品を作るかは書き手の自由。書くのをやめるのも書き手の自由。
でも返信不要とは必ず書いてるけど、時々お返事をくれる人はいた。
拙いながらも私の書いた感想を読んでくれて嬉しい嬉しいって。そう言われるとやっぱりこっちも嬉しくなった。
私が伝えたかったことをきちんと汲んでくれたり続編に意欲的なってくれた人もいた。
友人に「感想を書くのも創作をしてることになるよ」なんて、言われて正直うかれていた。
たまに感想を送ってブロックされることもある。感想なんていらないって言われたこともある。感想送るのが好きすぎて身内から辟易されたりもする。
ブロックされた時は失礼なことを言ったかな?って感想読み返したり、次の人にはそうならないようにしようと気を付けた。感想いらないって人は見かけたら直接の感想は我慢した。
あとで言われたらそれ以降は控えた。
感想です!と送っているのでメールを読むのも好きにしたら良いし、手紙も捨ててくれて構わなかった。さっきも書いた通り自己満足だし、書きたくて書いてるだけで、誰にも強要されたことはなかった。
人に感想を送ることも強要したことはない。感想送るのが良いことって風潮も実はあんまり好きじゃない。
自分が義務的に送ってるように思われたくないから。ただ!好き!ってことを伝えたいだけ!!それだけ!!!
何処が良かった、この表情が好きだった、この言葉はずっと胸に残ると思う、この部分で泣いてしまった、この距離に胸を打たれた。そんなことを書きたいだけいつも書いてた。
そして感想を書くために素敵な作品を何度も何度も読み返す時間がとてもとても好きだった。楽しかった。
あれが私は大好きだった。
むかし拍手と言うのがあって、それはもう感想送りたがりの私は好きな書き手さんの作品が更新されるたびにぱちぱちしてはコメントを送ってた。
そんな感じでたくさん言葉を投げた。
ツイッターでは気軽に感想を欲しいと呟く人が多かったので幸いどんな感想も拒否されることもなかった。
イラスト可愛いです。その色合いがとても好きです。何日前の妄想ツイートとても萌えました。
そんなことを色んな人に毎日暇な時に送ってた。
けど、やっぱり感想欲しい感想欲しいってツイートが多く見られる。あれ?送ったのになって思う。また送る。
前読んだ漫画のあの部分が好きです。あのセリフが本当に印象的で。
伝えたいことなんて山ほどあった。
過去作の感想も送ってしまえと最初は楽しく送ってた。もしかしたら以前書いたようなことを繰り返し書いていたかもしれない。でもそこ好きだし。どうせ匿名だし。
また、送る。足りないのかな?また送る。
だんだん感想を送る場所を見付ける為に作品を読んでる気になってきた。おかしい。義務的に感想を送るのは嫌いなはずだったのに。
でも、どうすれば素敵な作品を生み出して下さる書き手さんの飢餓感のようなものを満たしてあげることが出来るのか分からなかった。いや、満たすなんて烏滸がましいけど。でも、私の送った感想はまるでなかったことのように扱われてる気がした。
書き手の方たちは毎日必ず匿名コメントでいくつか感想を貰ってるのに、私も送っているのに。感想欲しい感想欲しい。そうみんな言っている。
感想を読む読まないは自由だと思っていたのに急に不安になってきた。
何をどうすれば良いのかも分からなくなってきた。
取り敢えず送る、ひたすら送る。
返事が更新されてる。返事なんて求めていなかったはずなのにそれを見て安心する。でも感想が欲しいと言われ、また必死に送る。
そんな風に送り続けているといつしか感想を送る楽しみもわからなくなってきた。
匿名のツール、気軽さ。それによって自分の感情まで消費していくような気がした。
そして今までなんの見返りも求めていないと言いながらいつしか感想を送って相手を喜ばして悦にいる自分の性格の悪さにも気付かされてしまった。
こんな奴が今だれになんの言葉を送ったって駄目だと思う。
もうなんだか言葉が上手く見つからなくて、ふと自分は感想を送ることに疲れているのだと気付いた。
そうだ、もう、感想送るのはやめよう。
感想を書こうと楽しみに積み上げた本を見ながら思った。
次のイベントに参加されるか調べて手紙を書こうと思っていた本たち。どれも素敵な本ばかりだ。
一生懸命感想を書く為に言葉を探すことが好きだった。その私の一生懸命にはなんの価値もないことに、気付いてしまった。
別に私がそれをやめたところで。
今までありがとう! 宇宙で一番大好きな男の人は君でした。 私が一番大切だったのは自分の夢で、君は次に大切な家族と全く同じか、それより少しだけ大切な人でした。私はこの冬、夢のためにこの場所を発ちます。もう二度と会うことはないかもしれないけど、広い世界を旅していつかまた君に出会えたときは、こんな女もいたなって笑って下さい。年に2枚くらいはきっと絵はがきを送ります。お返事はいらないから、私の便りがいつか途絶えてしまう日まで、ずっと元気で幸せに暮らしてください。 大好きだったよ! 幸せにしてくれてありがとう! 沢山ありがとう! お互い夢を叶えて、最後は同じ景色を見られたら嬉しいな。
仕事は当然非正規だ。職場で俺は最年長に近いが、若い奴ら全員に見下されている。
俺は仕事ができない。
十数年非正規をつづけた人間が、仕事の会話などという高度な知的活動をこなせるわけがない。
なにをやっても怒鳴られる。
右を向いたら殴られて、左に飛んだらフックでさらに殴られる。一歩のデンプシーロール状態だ。
膝をついて退職したいのだが、この職場でも俺の能力からすれば上等なくらいだ。
昔辞めさせられた俺に似合いの職場では、ドスで刺されて実弾を撃たれた。
俺は未来への希望がない。人生の目標がない。明日やりたいことがない。
心療内科に行った。うつ病だといわれた。それはわかってる。薬を飲んだが希望はわいてこない。
なんとか生きているのは薬のおかげなのかもしれないが、こんな苦しみを抱えたままあと数十年生きるのか? つらい。
世の中には競争社会で負け続けた俺みたいなやつが他にもいるはずだ。
なあ、おまえはどうやって毎日生きてるんだ? おしえてくれ。おしえてください。