はてなキーワード: クラスメートとは
えー、こうやって文章を書くのも久しぶりで。
多分そのうち恥ずかしくなって消してしまいそう。
前置きは置いといて。
今、満喫でダイの大冒険を読んでいる。
とても面白い。
率直に言って感動するレベルだ。
ただその感動にもレベルってやつはあるみたいで。
なんというか上っ面の感動なんだよ。
これは作品が悪いとかじゃなくて。
俺の心に問題があって。
その批評ってのが純粋に自分の中から生まれているならまだマシで。
いつかネットで読みかじったようなありきたりな批評が浮かんでくるんだ。
「ここの展開引っ張りすぎ」とか「この展開ありがちだわ」とか「これ見たらフェミの連中はキレるだろうな」とか。
いつからか俺の頭は自分でものを考えるということをしなくなったようだ(元からしていたのかは置いといて)。
心のどこかでずっと他人が見ているんだ、俺のことを。
「こういう風に感じているのを誰かに馬鹿にされたらどうしよう」とかそんな感じで。
それはれっきとした他人じゃなくて俺の自意識が生んだ架空の存在なのは百も承知なんだけど。
こういう考えが浮かんでくるようになった原因は分かってるんだ。
小6~中3ぐらいかな、主観的レベルでの話だが、家庭環境が最悪だった。
掘り下げたいけど俺の力量じゃあ今は無理だ。
とにかく今のところ人生で最高に家の居心地が悪くて一番家族が嫌いだったことだけは確かだ。
要は家の中に居場所がなかったわけ。
勝手な思い込みかもしれないけど家庭って多くの人にとっては自分の居場所だと思うんだ。
で、俺にはそれが無かったわけ。
じゃあどうすんのかって言ったら簡単な話で家の外に居場所を作ればいい。
まあそれはそれでありだと思うんだよ。
俺もそのパターンだった。
なんとしても居場所を作らなきゃいけない。
最も恐れるのは居場所がないことだ。
そのためにはどうすればいいのか。
簡単だ、嫌われないようにすればいい。
それまでに嫌われたがために居場所を失ってきた連中は山ほど見てきた。
だから素の自分をさらけ出しても自分の傍にいてくれる人を探すんじゃなくて、誰にも嫌われないような最大公約数的人間を演じることに終始した。
本当の居場所を見つけるには前者のほうが正しいってのは今になってわかる。
でもその時は分からなかった。
おかげで今のところ誰かに嫌われているという自覚を持ったことはない。
もしかしたら俺が鈍感すぎて気づいていないだけかもしれないけど。
でも最近になってもう耐えきれなくなってきた。
そこで知りたいのが
①「自分を監視する誰かが常に自分の中にいる」これは誰にでもある感覚なのか。
②この問題はどうすれば乗り越えられるのか。
【追記】
想像以上のたくさんの人に読んでもらったみたいでびっくりしてる。
実はここに投稿するのは今回が初めてで1つでもコメントがついてりゃ上等、ぐらいの気持ちでいたんだけど。
一つ一つに返信したいけどそれはできない。
かといって特定のコメントにだけ返信するのも悪いので返信はしない。
本当に参考になる意見が沢山あった。
それでも僕の気持ちを読み取って共感してくれる人もいた。
一人じゃないっていうことが心の支えになる。
当たり前だけど俺と違う考えの人もいる。
でもその人が現実にいるということがわかる。
それも貴重なことなんだ。
読んだだけの人も読んでくれるだけでいい。
こんな奴がいるってことを知ってくれたから。
みんな、ありがとう。
よく漫画とかでヒロイン役にちょっかいを出すチャラ男役がいると思うんですけど、あれの描写が違和感ある。
雑。もっと大切にして。
ボーイズ・オン・ザ・ランで松田龍平演じる青山は素晴らしかったけどね。
まぁあれは極端だけど(作品自体が寝取られものだし相手がクズならクズなだけ、キャラに高低差あればあるだけ良いっていう)、それにしてももう少しリアリティ欲しい。
漫画やドラマで見かけるチャラ男キャラって絶対性格悪いんだけど、現実世界でそんなやつ見たこと無い。
例をあげようと思ったけど、大体漫画だと(フィジカル、メンタル問わず)コテンパにされて、一話くらいしか出てこない名前もないような雑魚キャラだからパッと思い出せなかった。
んで、何に違和感感じるかっていうと
自分の回りにいるいわゆる「オンナタラシ」はもっと(男主人公目線から見たら)イイヤツなんだよね。
男目線でみたら当然性の対象外なわけだから、普通に気さくなクラスメートだったり同僚だったりして、場の雰囲気が読めて明るくてそこはかとなくイケメン。
別に運動や勉強の成績に特別秀でていなくても、冗談でクラスメートを笑わせたり、上司やお局様とうまく付き合えるくらいのスキルを持ってる。
そんで、マメ。バレンタインのお返しや、誕生日を忘れたりしないし、「あれ?○○さん髪切りました?」「化粧変えました?」とか言えちゃう気づけちゃう。
どこまで本気なの?またいい加減なこと言って。知ってるよ?モテるの。○○さんもかっこいいって言ってたし。
くらいの心象をずっとキープしておける。
クラスのマドンナのあの娘ですらちょっと話すとき瞳が潤んでる。
寝取られエロ本ならまだしも、一般コミックやドラマでいつまでチーマー風金髪ロンゲの日焼けピアス野郎で表現していくのか(イメージ)。
あいつらはグルメじゃない。でもガラガラヘビみたいにわかり易くない。もっと巧妙だ。
書いててめんどくさくなったのでこれで終わる。
みなさん、こんにちは!
先生さっき食事していたら算数の問題を思いついたので出題するね。
ちょっと考えてみて!
・
・
・
小学校4年生の男の子の太郎君と、クラスメートの花子さんがおしゃべりしています。
二人の会話を読み、設問にはてなブックマークのコメントで回答してください。
他の人の答えを見たりする前に、インチキせずに自分で考えて答えてね!
・
・
・
設問1. <ここまでの情報から、太郎君に弟がいる確率を分数で答えなさい>
(※生まれてくる子供は男の子と女の子が1:1の比率であり、その後もその比率は変化しないものとする。以下の設問でも同様)
太郎君 「そうだよ」
設問2. <ここまでの情報から、太郎君に弟がいる確率を分数で答えなさい>
太郎君 「そうだよ」
設問3. <ここまでの情報から、太郎君に弟がいる確率を分数で答えなさい>
太郎君 「いないよ」
設問4. <ここまでの情報から、太郎君に弟がいる確率を分数で答えなさい>
設問5. <設問1~4にはてブで回答した人の中で、4問とも正解する人の比率を予測し、分数で答えなさい>
-------------------------------------------------------------------------
設問1. / , 設問2. / ,設問3. / ,設問4. / ,設問5. /
-------------------------------------------------------------------------
・
・
・
・
・
どうだったかな?
結構難しいかもしれないけど、よく考えてみて!
高校のクラスメートで一度、同窓会をした。 32歳くらいの時。私は男。
女子の崩れっぷりにびっくりした。いやまぁ、16〜18歳と比べるべくもないが、なんつーかびっくり。
男はさ、オヤジになってもまぁ、ツッコミできるというか本人も笑い取る面もあって、関係性を再構築できるんだが、おばさんになったクラスメートとどういう話したらいいのか良くわからん。
あと同窓会とは違うんだけど、高校時代、仲良かった奴と3人で1年に一回くらいアニメ見るために集まったりしてる。二人、38歳妻子もちだけど。「今回はまどマギにしよう」「いやガルパンが面白いらしい」、とか相談して集まって昼から飲みながらだらだら観る。のでわざわざ同窓会ってのも。
昔からよく知らないクラスメートや、知り合いの知り合いくらいの人から
「これは誰にも言ったことがない」
という話を聞かされることがときどきあった。
特に前置きなどはなく、当たり障りのない世間話やちょっとした愚痴から始まって
いつのまにかすごいところまで話が進んでいる。
周りから仲がいいと言われているからなんとなくそうしているけど、一度も心許したことがないとか
(これは数回別々の人からあった)
いじめの首謀者だったのに教師からは味方側と思われていた話とか
焚き火を見ながら話す勢いで語られて
そうなのか、と静かに相槌を打ってしまうことがよくあった。
適性があったのかどうか
今では人の打ち明け話をお金をもらって聞くのが仕事になっている。
ただ、こういう打ち明け話をした人は
次に会ったとき、とても攻撃的だったり拒絶的だったりすることがあって
それで凹むことがある。
だいたいはもともとそんなに接点ない人だし
お客さんとは私的に関わらないからいいけど
仲良くなった人との間でこういうことがあるとつらい。
聞き出したわけでも、言わせたわけでもないんだけど
逆切れされるというか。
仲良くなったから、信頼してくれて、秘密を共有してくれるのかなと思ってしまうと
そのあと突然距離を置かれて酷いことを言われたりしてつらい。
仲良くなったから話せる程度の話じゃなく
で、話したあとで
「あ、こいつ、人間じゃん!よくも騙したな!」みたいになるんだと思う。
気を許した人から打ち明け話をされた後で距離を置かれるとつらい。
追記
高校卒業から10年目ということで、暇だったので出席してみた。
そこで驚いた、というかちょっとした騒動になった事があった。
当時超可愛かった(今も超美人になっていたが)同級生の女の子、なんと卒業時点で結婚していた。
相手は同じクラスメートの、俺の友人だった。
友人が十八歳の誕生日を迎えて程無く入籍し、その年の年末あたりから同居していた。
知っていたのは担任(と当時の学年主任と校長)のみで、それ以外は誰一人として気付かなかった。
つか、二人が親しげにしている所を全く見たことがない。
騒ぎになったのは、何人かの男ども(一部既婚者含む)がガチ泣きし始め、会場が騒然とした事。
そりゃまあ気持ちは分からんでもないが。
今年で30歳になった。
人生を振り返ってみると、周りから評価されることが少なく、生きて行くのがとても辛い。
ミニバスに所属していたが、プレイ中の姿を見たクラスメートが、「あいつ、下手くそだよ!」とクラスで言いふらしていた。
確かに僕は運動神経がとても悪かった。
小学校高学年の時、周りに一気に背丈を抜かれた。身長測定が終わった後、背の順番の並び替えを行うが、段々前の方に行く僕の姿を見て、クラスメートが歓喜した。
僕は成長が人より遅かった。
中学校の時、チン毛が生えていないことがバレて、「ガキだなっ笑」とバカにされた。
その後は「あいつ、殴りたくなるような顔をしているよな」と言われ、ジャイアンみたいなやつに殴られた。時期を同じくして、クラスメート全員が僕を無視をした。
周りを見返したくて、必死に勉強した。その結果、地元北海道の進学校に入学することが出来た。彼女も出来た。その子は学年のマドンナだった。初めて人から認められた気がして、とても嬉しかった。だけど、彼女が「顔で選んでない」と友達に弁明しているのを人づてに聞いた。そんなの言われなくても分かっているよ。その日は泣いた。程なく彼女から別れを告げられた。
唯一得意だった勉強もダメになった。順位を低いことをバカにされ、自信をなくした。後は負のスパイラル、浪人もしたが結局志望校に合格は出来なかった。
顔も良くない、スポーツも出来ない、勉強も出来ない、そんな自分のことを知らない場所で生きたいと思い、北海道から離れた静岡県の大学に入学した。その時に「どんなに努力しても報われない」という思いが爆発した。何の取り柄もない自分がとても恥ずかしかった。授業にもでず家にこもっていたら、教授からゼミを辞めるよう言われた。謝罪して何とか残ることが出来たが、わだかまりは消えなかった。
就活も失敗した。面接に辿り着いても、面接官からは憐れみの目で見られてる気がした。スタンダードな受け答えさえも出来ていないと自覚していたからかもしれない。大学四年生の夏、あるERPパッケージ会社の説明会を受けた。経営陣の考え方、会社のビジョンがとても素敵だったから、説明会が楽しみで仕方なかった。当日、ある経営陣が「この時期になって、今だに内定が出ていない学生なんていないと思うが••••」と言った。そうだよね。だけど、そんな学生だった僕はとても、傷ついた。その会社は筆記にも通らなかった。結局、12月に東京のベンチャー企業に就職が決まった。
一人一人が会社にインパクトを与えられる可能性がある、それがベンチャー企業。そんな思いを旨にガムシャラに働いた。会社のために積極的に発言した。会社からの評価も上々だった。だけど、リーマンショックが全てを変えた。会社の業績はみるみる下がり、経営陣は従業員に不信感を抱くようになった。意見を言う者ではなく、意見に従う者を重宝するようになった。同時に社内イジメも横行した。景気が良かった時に意見を沢山言っていた僕はスケープゴートにされた。その姿が気に入らなかった直属の部長が発端だと、後から知った。当時は社長含めて、多くの従業員が僕の姿勢を評価していたのに、たった一人に嫌われただけでこんな辛い思いをしなくちゃいけないのか、そう思った。やがて、毎日終電まで働いた残業代は承認されず、人事評価ではすべての項目で最低ランクの評価を下された。その後、自己都合退職という形で、リストラを言い渡された。
生きている意味が分からなくなった。もう諦めようと思ったが、一つだけケリをつけたいことがあった。それは受験勉強への思いだった。唯一得意だった勉強、だけど失敗した受験。「僕は何にも取り柄のない人間じゃないっ!」て周りに認めさせたかった。そこで憧れだったが挑戦に躊躇していた公認会計士試験を目指すことにした。
覚悟を決めたら後は走るだけ。朝から晩まで、休みなく1年半、勉強をしまくった。努力が報われ、一発合格ができた。就職氷河期だったのに、大手監査法人に就職も決まった。とても清々しかった。まるで自分の人生とは思えなかった。だけど、一緒に未経験から受験を始めた仲間からの一報で、落ち込むことになった。「俺、7位でした笑」。あんなに勉強して1100位だった僕はやっぱりダメ人間なのかな。そう思って失意のなか入社式を迎えることとなった。
大量退職をした後の監査法人は、一気に人手不足になっていて、僕は仕事に忙殺されることとなった。終電まで働くことが多く、休日も働いた。だがそんな僕の会社の3年目の評価は低かった。一番ショックだったのは2年目の評価と同一だったことだ。理由は明白だった。メインジョブの主任からの評価がとても低いのからだ。結果をみてある思いが込み上げる。「僕は、人から評価されにくい」。
最近仕事にやる気が出ない。問題点は分かっているのに、改善するための行動が出来ない。
そして、生きていることに意味も感じられなくなった。だけど、30年も生きていると、10%くらいはいいことがあると分かってしまっている自分もいる。そのことを考えると、この先、生きていてどんないいことに出会えるだろうと期待してしまって、死ぬこともできない自分もいる。
だけど、朝起きると会社へいくのがとても辛い。
どうしようも出来ない、自分が情けない。
誰か僕を助けてください。
増田からしたら狭量な人格の人間が多くて、今思えばブラック会社だった。
7月・8月は精神的につらすぎて、初めてのボーナス10万は、全部風俗に使った。3日でなくなった。
風俗嬢にも仕事を辞めたいと泣きついていた。あかんたれだった。
留年は、当時は志望業界があったたため、就職留年のようなものをさせてもらった。教職などの資格は取っていない。
大学入学前は、1年間浪人もさせてもらった。結局、第一志望の大学には入れなかったが。
高校は、最後の1年は半分ほどしか行っていない。成績もだいたい下の方で、クラスメートとは連絡もほとんど取っていない。
いまは、親の自営業の手伝っている。儲かってはいない。実家寄生のフリーターのような現状だ。
このような状況、積年の怠惰癖が祟ったのかもしれない。奨学金の返済もあと200万弱はある。あかん。
地元の美容室に行って会社を辞めたと言ったら「大学行ったの無駄でしたね」と笑われる。
役所に行くと、中高の同級生が職員になってて同世代は世の中に出回りだしている。
顔本では、大企業に勤める知人の近況などを知ると、
現代の正規ルートから外れたことを一瞬だけ後悔したりするくそ情けない自分もいる。
世間的に見たら、コストパフォーマンスめっちゃ悪い人間だわ、自分。
今は、自営業の仕事の関連でほそぼそとフォトショップやイラストレーターを使って、
ハガキや名刺、ポスターを作ってクリエイター気分に浸っている。
お客さんに褒められて、「俺、デザイナーいけんじゃね?」とか思っても、
才能ややる気のある人は高校ぐらいからデザインやデッサンをやっていて、
25歳ならもう中堅ぐらいだろう、と思い、デザイン方面の仕事探しにも踏ん切りが付かない。
最近、大学で知り合い、ここ1,2年よく会っていた人と付き合いだした。
ふんわりとした雰囲気のやさしいひとだ。
増田が風俗でよく遊んでたことや、仕事がうまくいかないこととか、ださださなことも全部知っている。
「たまには、かっこいいところも見たいな」と最近言われた。
ただ、近くにいる人を大切にすることを起点に、動き直そうと思う。
寝れなくて、思い立って初めて書いた。
よくカフェとかレストランで「カシャ♪」ってケータイで写真撮った後に なにやらメッセージを添えてどこかに送信してるような人っているじゃない?
ただ先に言っておくと、そもそも相手が実はTwitterを使ってない!っていうとアウト
LINEだったりしてもアウト
なので、必ず出来る!・・・とは言い切れない。
まー、せいぜい10回やって1度できるかどうかくらいの割合なので、レストランで料理が出てくるまでの時間つぶし程度のネタと思って大目に見てほしい。
お店の名前とか、料理の名前・名物メニューとか話題の定番メニューが分かるなら、それで検索してみて素直にヒットするならそこで完了!
検索ワードのチョイスは推理力というか、もしも自分がそのお店を他人に紹介するならどう書くかなーっていうのを想像しながら店や料理の特徴を探るといいかも。
でもなかなかうまくいかないけれど。
ちなみに特定のクライアントやツールとかだと説明が面倒なので、今回は公式アプリか公式ページの話ね。
でもって本題の検索方法としては、その公式アプリ・ページの検索で
と検索する。
ターゲットの相手が投稿したなーってタイミングで検索するのがベスト。
それぞれの意味を簡単に解説すると
つまりこの指定で検索すると日本語で書かれた写真つきのツイートを次々に表示できる。
でもってグリッド表示にすると全国の写真付きツイートが多数表示されるはずだ(もちろんrealtime検索はオンね)。
検索してみると分かるけど、転載botとスパム投稿のアカウントのエロ画像がかなりの割合で画面を占めるので、うっかり他人に見られないように注意な。
そうやってツイートを眺めてみて、そのターゲットの人の料理に近い写真が見つかったら、周囲の壁の模様や照明の具合、テーブルの色や皿のデザインと見比べてみると判別できるはず。
日本語で写真付きのツイートってすごく多いんじゃ?と思うかもしれないけど、実際はそんなにたくさんはない。それに今回は料理が写ってるものを探すだけだから、判別も一瞬で出来るはず。
あとInstagramやついっぷるは利用者が多い割にfilter:imagesでは抽出対象外なので、一応そちらもチェックしておくといいかも。
この調査、まー、せいぜい5分くらいやってダメだったらスッパリ諦めるのがいい。
最初にも書いたけど、そもそもTwitterを利用してないと探しようがないし。
それと検索結果は正確に全てのツイートを取得・抽出できているわけではないから、どうしても漏れはある。そうなるとどうやっても検索できないから、ヤッパリ諦めよう。
一応ツイッターには検索する際に自分の周囲にいる利用者を対象に絞り込む「Near you」っていう機能もあるんだけど、はっきり言って精度悪いので役に立たない。
そうそう
お店にいる人じゃなくて、同級生や同僚のアカウントを特定する方法って無いの?と思う人もいるかもしれない、それは前にも書いたのでそちらで
キミも同級生や同僚のTwitterアカウントを特定できるかも?っていう話 - はてな匿名ダイアリー
あとこれは違うパターンだけど、前にこんなことがあった。
レストランの隣りの席で誕生日ケーキのサプライズ企画が起きたのね。店員さんだけでなくお客さんも一緒に歌ってお祝いするタイプの。それで、その後になんとなーく検索してみたらその話題をツイートしてた人、つまりあのときあの場にいたであろう人たちをTwitterで簡単に2人ヒットできた。
そんな、ついTwitterに書きたくなってしまうようなイベントに遭遇した時も狙い目。
でもってそれを意図的に起こす手法もある、変な雪ダルマ作るとか、ルンバを野外に放つとか、台風のときに餃子を飛ばすとかね。
ライフハックはここまで。
以降はダラダラと長いオッサンの説教めいてるので、読まなくてもいい。
俺も普段は普通にツイッターやっててフォロワーさん達とやり取りしてるけど、それ本当に書いても大丈夫なのかなーっていうような内容を平気でツイートしてる人がいて他人事ながらヒヤヒヤするんだよね。
など。
学生さんだと、普通によくあるのが友達との写真とか。それで飲酒・喫煙とか。
本人はバレてないと思ってるかもしれないけど、こんな風に結構簡単に特定できるし、あと自分はともかく相互フォローしてる同僚やクラスメートが実名でFacebookやってるので所属バレバレだよー、っていうケースも多かったりするし。
みんなもっと気をつけないと大変なことになるよー、自分が。例えば会社にタレこまれたりすると・・・という注意喚起を込めて書いた。
「キノの旅」を書いてる時雨沢恵一先生をフォローしてるのだけれど、時雨沢先生ってかなりTwitterの投稿多いのね。時事問題にもテレビにも反応が早いし、ここ一年の一日の平均ツイートが45.15件と相当なヘビー利用者。好き放題に自由に書いてTwitter楽しんでるって感じなんだけど、
時雨沢先生は旅行好きなのでたまにそうした内容をツイートするけど、
決して旅行先で「こんな料理食べたなう」みたいなことは書かない。
事前に行き先も書かない。
旅行から帰ってきた後になってから「北海道に行ってきました」みたいに事後報告で済ませている。旅行での食事の写真も数日経って自宅に戻ってからツイートしたり。
バイクもクルマも好きらしいんだけど、前に所有してたものは写真を載せても現在乗っている車種は書かなかったり、と自分の出していい情報、出してはダメな情報をしっかり見極めて徹底してTwitterを活用してて参考になる。
今回もその場で書いちゃうから特定しやすくなるわけで、時間を置いて料理の写真をツイートするならかなり難しくなるだろうし。自分が今どこにいるか?っていう情報をインターネットで出すのは危ないので注意した方が良い。
上でリンクした前の記事でも書いたけど、本人がいくら気をつけててもネックになるのはアホな友達なんだよね・・・。
実名でFacebook、Twitterもやってて、高校名もクラスもプロフィールに書いてたり、あげくリプライで相手の本名で話しかけてたりする子。キャラbotに愚痴こぼしたり悩み相談する子も少なく無いんだよね・・・。
かと言ってそれだけで友達関係を切るか・・・というと実際難しいだろうし。
気が利いて、優しくて、思いやりがあって、仲の良い人・・・だけど個人情報の扱いだけがずさん、っていう友達。悪気がないだけに扱いに困ることもあるよね。
そういうときに、こんな記事のようなキモいオッサンが世の中にはいるから迂闊に個人情報を流すと危ないよー、と紹介するといいんじゃないかな。
【Twitter実験】つぶやきだけで個人を特定できるのか? | オモコロ
あ、あと、この流れであれだけど、時雨沢恵一先生の「キノの旅」は今月最新刊出るらしいのでそちらもお薦め
キノの旅XVIII the Beautiful World|電撃文庫公式サイト
夜勤明けでようやくチェックしたらかなりブックマークが伸びてて驚く。コメントとかTwitterでの反応を見てると誤解されてる部分も多いけど、概ね意図は伝わってるようだからよかった。要するに今回なにが一番言いたかったのかというと、「キノの旅 XVIII」の XVIIIって何巻なんだかもうわからないよ?!ってことなんだけどね。
あ、でも次の巻はXIXになってハンター証みたいでかっこいいと思う。
必ず誰かと出かけて、月曜になってくると思い出を連れて帰るように、身体に痕を残して職場に来る。
出かける相手も様々。
会社の同期、大学の友人、中学のクラスメート、先日参加した読書会の……etc。
'まさかとは思いますが、この「友達」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではない でしょうか。'
淡い猜疑心は、いつかの飲み会で写真を交換して、溶けていった。
最近は世捨て人のように週末を山で過ごして一般人の話題ストックが全く足りなかったけれども、八丈島ならいったことあるよともらした自分の言葉を上手く繋げるように、会話は徐々に盛り上がって終わった。
後から、というか今思い出したが、その席で話した人の中で沈黙が痛くなかった唯一の人だった。嫉妬なのか、羨望なのか、よくわからないものが胸に詰まって今すごく痛い。
明日の金曜、定時ダッシュをしていいかと、確認が来た。この時間までお互い残ってる理由分かってる?と言えない。聞きたくない話を聞いて、了承して、お終い。
ここは残業代はきっちり出る会社だ。そして私に予定はない。進捗は今欠員が出ると不味いかもくらいには少し遅れ気味、でもカバーできる範囲。トレード出来ない何かに苛立つ。
あらすじ。
そこはメグマ波という怪電波で人を狂わせる人間のいる組織だった。
クラスメートを追うと、メグマ波を見せるからオモイデ教に入れと言われる。
主人公はクラスメートと付き合ってた教師を狂わせるように依頼する。
しばらくして実際に教師が狂ったので、主人公はオモイデ教に入る。
教団の人間に会うと、メグマ波を操る素質があると言われる主人公。
どうやって狂わせるのかの見学も兼ねて、クラスメートと一緒に別のとある新興宗教に殴りこみをかけにいって潰すのを見た。
次はとあるビルで集団炎上自殺してた新興宗教の人間がいたからそこに行った。
オモイデ教はメグマ波を使える精鋭を集めて対抗しようとするが、主人公含め数人以外が全員やられてしまう。
クラスメートもそこにいた。
教祖はたまたま能力が覚醒して、自分にやさしい世界をつくるために他人を洗脳するのに能力を使っていた。
主人公の力で教祖をつぶしてクラスメートの洗脳をとくこともできたが、結局何もしなかった。
しばらくして教祖とクラスメートが二人で自殺しているのが見つかった。
終わり。
本筋だけだとこんなもんな気がする。
あとは登場人物の長広舌を振るうのが多かった。
グミ・チョコレート・パインを先に読んでたからなおさらそう感じた。
主人公の影も薄いし。
あとがきで連載ものだったって知って、なるほどだからムラがあるのかって思った。
自分BOXとかゾンとかが出てきたから、グミチョコのスピンオフ的な感じに捉えた。
考察とかいろいろあるんだろうけど、それ見ちゃうと先入観が入っちゃうから、
終わり。
① ブサメン叩きが酷い
分からないこともないんだけど。ブサメンも人間なんやからってある程度の配慮しないんかなあ。ってのは常々感じる。
男は女を見て、害をなそうとは思わない、そのかわり利をなそうとするのはかわいい子だけやけど。倫理的に歯止めが効く。
女は男をどうどうと馬鹿にする。ソーシャルなつながりが女は強いらしいから反射的にやるんだろうけど、倫理とかがないのかなと感じる。
まあ、イケメンの場合は害をなすけど、女としてはそれでも※だからOKらしいんだけど。
② 理屈が通じない
1+1=2 なのに、3だ3だと言われ続けると辟易としてくる。
それが本当に理解できないだけならこちらの問題だが、女の場合、感情に流されてとか自分の都合が悪いとかそういう部分で3だ3だとわめきだすのが嫌になる。
こういうのが続くと、まともな話でなく、相手が都合のいい話だけだすようになる。
そうなると保険の勧誘みたいに、嘘は言わないけど本当のことも言わずに騙す、みたいなことしかできなくなる。
そうなると、相手が機械っつーか、金を入れたらジュースが出てくる自販機のように思えてくる
まずもって、女のかわいさってのが根底に小学校の頃のかわいいクラスメート的なイメージしかない。
大人の女性の優しさというが、それは全部下心なんでしょ?としか思えなくなっている。
純粋さがないじゃん。というと幼稚というかもしれないが、これでも文学とか哲学は詳しいほう。高学歴でもある。
そうなると、文学で出てくるような人間味ってのを価値基準にすると、いわゆる女性が主張したがる優しさとか人間性は何も意味がないような気がする。
もちろんこんなのは、戦争映画を見て平和の大切さが~くらい無意味だと分かるし、今の日本でそんな倫理観試されないんだからどーでもいいじゃんそんなのってのは分かる。
分かるんだけど、じゃあそういう絶対的な価値観以外でなんか「優しさ」の尺度とか実在とか示せるのかというと示せない。
なんつーか、教師がマニュアル通りやってりゃ教師であって、本当に心から教師なんではないよ。みたいな?しらけた感覚を感じる。
④ 女の美しさとのズレ
女の美意識から作られる、美しい女。ってのは、いわゆる輝いてる私、みたいなやつなんだろうけど。
そういう自己満足の美しさと、こちらが見たい美しさがずれる。
ずれてるものは何も感じないのに、そこを褒めろ褒めろと女は求めるってのが気持ち悪い。
無理に嫌いな音楽のライブにでも行って無理に盛り上がるのは嫌だなあというような感覚。
なんつーか、リアルで手に入る女性からの幸せってこれには程遠いからさ。
だからリアルがクズだって話ではなくて、なんつーかリアルに依存しなくてもよくなっちゃってっていう。
⑥ 女の目が合理的になりすぎた
男をATMとしてしか見てない。というのは当然ナンだろうとは思う。合理的になって余分なものを取り去るとそうだよねえ。と。
それは仕方ないとして、じゃあATMと見られた男は傷つくわけだ。そうなるとしらけるわけだ。
⑦ セクハラとかすぐ言われる
手の出しようがなくなったな。って感じる。顔がセクハラってどういう意味なん?w
親の仲が悪いせいか?世の夫は妻の奴隷になってるのを見てるせいか?
それ以外の付き合ってる系とかはまったく幸せに見えない。
今考えるとあれはただの性欲だったと思う。
床オナを小1からやってたし。
それからも何度か好きになったもといオカズにしたクラスメート同級生は数知れない。
男で性欲抜きで好きな女がいるという人間がいるということが信じられない。
でも改めて考えると、純粋に人を好きになったことがないってのはとんでもなく人生において損した気分だ。
心が汚れている。
どんな恋愛もののフィクションを見ても、どうせ男はセックスしたいだけなんだろと思ってしまうようになったし。
逆に女は何がしたいんだよ? 性欲はそんなにないんだろ?
誰かと付き合うっていうことについてまったく共感できない。
この年になったら、万が一誰かと付き合うことになったとしてもそいつがすでに過去誰かに股を開いたことがあることも心も体も許したことがあることも普通だと思わなければならない、許さなければならないというだけで嫌悪を覚える。
二日たっても三日たってもAは学校に来なかった。
そして一週間が過ぎようとしたころ、ようやくAが現れた。
「どうしたんだよ?」
「元気だったか?」
すると、Aは俺たちを黙って見て、自分の席に座り、
しばらくして、幼馴染の隣の家のCちゃんが話があると突然呼び出された。
おいおい告白か?
おれはのーてんきに放課後、Cちゃんがいる音楽室へとスキップしながら入っていった。
そこにはなぜか鼓笛隊の人々が集まっていた。
バカなおれはまだ告白されると思っていたのだ。
「ねえ、Aくんと何かあったの?」
AとCちゃんは塾が同じらしい。
どうやら塾でAがおれとBの悪口を言っているので何かあったのか、と心配になったそうだ。
まだおれはノー天気だった。
Cちゃんによると、クラスではいつも一心不乱に本を読んでいるAだが、
塾ではとても社交的で、クラスメートともすごく楽しそうにしているそうだ。
陰口を言われ腹がたったので、おれはBと一緒にAを呼び出した。
「おまえ、なんか俺たちの悪口言ってるらしいな。」
無言のままAはその場を去ろうとしたので、おれはかっとなってつい殴ってしまった。
初めて人を殴る感覚に驚きながら、さらに自分が高揚していくのがわかった。
俺とB、Aはもう友達ではなかった。
数年後。
「○○。いままで悪かった。おれ、誰かに乗っ取られてたんだ。来週木曜5時に○○図書館に来てくれないか。それから、いま言ったことは俺には絶対言うなよ。」
「おまえには?なんだよ、どういうことだよ。」
「Bも誘ってみてくれ。くれぐれも言うが、おまえと会うことを俺には絶対に言うな。電話もかけてくるな。それだけは守ってくれ。」
電話を切ってすぐにBへ連絡をした。
つづく
私が小学2年生の時、近所の5つ上の幼なじみのNとよく遊んでいた。
ある時Nとその同級生が、二人の秘密基地?のような場所に小遣いを共同で隠したらしい。
Nは同級生と別れた後に、二人の小遣いを独り占めした。
翌日Nの同級生が私の所にやってきた。
そして私に「隠してた金がなくなった。俺たちの秘密基地の方に向かうお前を見た奴がいる。」と告げた。
脇にはNも居た。
Nが独り占めしたとは言えなかった。1200円。
Nがいる前で払った時もあったが、Nは何も言わなかった。
謝罪も協力もなかった。
Nにしてみれば、私はその程度の存在だったんだろうな。
また、同時期に、近所の1つ下のYともよく遊んでいた。
私は、このYの母親にきっかけはわからないが、ひどく嫌われていた。
Yの母親とその他の井戸端会議中に、露骨に私を見て、指をさして何か話をしていたのを覚えている。
そしてYの母親につながりのある子とは遊べなくなった。
Yを含めどの子も、どういう理由で遊ぶなと言われたのかは、誰も教えてくれなかった。
その程度の存在だったんだろう。
小学5年生の時、遊んでいた同級生Kが近所の駄菓子屋で万引きをしていた。
それとなく咎めたが、Kは私にもすればいいと言い万引きはやめなかった。
Kは万引きについてのクラスメートへの弁解に、私にやらされた、私もやっていると言った。
私が否定した。
当然、万引きしているKの嘘なんかより、事実やっていない私の真実の方が信じてもらえると思っていた。
いや、もうこの辺ではわかっていた。
信じてもらえるわけもなく、Kの仲間だと思われた。
その程度の存在だったんだろう。
もちろんKに詰め寄った。
どういうつもりだ、と。
そうしたらKの新しい仲間なのかわからんRと言う奴が
「お前と遊ぶようになってからKはこうなった」
「Kに近づくな」だと。
Kを見るとこっちを見てニヤニヤ笑っていた。
そういう風に出来ているんだろうって学習した。
id:fujiponさんの、『それでも、ブログには「観客」が必要なのだと思う。』というエントリーを読んで驚きました。
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2013/12/03/130341
まつたけ(id:denpanohikari)さんの「ビッチは殺されて当然か」「自分は観客だと思っている人たち」という二つのエントリーを読んで、僕も映画「サマーウォーズ」を思い出したからです。
ただ、当たり前だけど思った内容は違います。
少しだけ僕についての話を書きます。
僕は、県庁所在地ではない地方都市で、小中高と公立校に通い大学で東京に出てきました。
通っていた中学は、校区に駅前の繁華街も含まれていたので、クラスには親が水商売をやってる人とかもいて、地方テレビ局の社長の息子とか障害者とかヤンキーとかガリ勉とかいてそれなりに荒れている、今思えばまあどこにでもあるような中学校でした。ただ、勉強が好きでいわゆるガリ勉だった当時の僕には、あまりいい思い出はない学校でした。
高校は県で二番目に難しいとされている進学校に入ったんですが、休み時間に自習してるクラスメートを誰も笑わないことに妙に感心したぐらいです。
アホみたいな話ですが、これが進学校かー、と軽く感動しました。高校ではそれなりに楽しく過ごして、大学には現役で受かりました。
大学時代の僕は、今だったら「意識高い系」と言われるような学生で、人権問題を扱うサークルに入って活動したり、選挙事務所のボランティアスタッフとして働いたりしていました。
僕がそういう活動をする中で、他の「意識高い系」の学生やスタッフとの感覚の違いにとまどうことがすごくありました。
「縁もゆかりもないはずの人に多くの人間がここまでおそろしい悪意を平気で抱けるんだなってこと、それも自分の内に隠すでもなく、まともな一意見みたいな顔してここまで露骨におそろしい悪意を剥き出しにして表明できるんだなってこと。自分もそういう人たちの中で生きていかなきゃいけないんだなってこと。すべてがつらすぎる。」という文章を読んで、この頃のことを思い出しました。
当時から僕は、悪意や嫉妬、偏見、レッテル張りといったものは、台風なんかと同様、嫌だけどどうしようもなく世の中に存在する前提条件だと思ってたんですが、そういったものを特殊な条件での出来事だとしか思ってない人の多さにとまどったんです。当時は「嫌韓流」という本が出たころだったんですが、この本にみんながかなりショックを受けていることに驚いたことを覚えています。
その時に痛感したのは、都会で私立の中高一貫校に通っていたような、思春期以降を「それなり以上に家が裕福」で「それなり以上に勉強ができる」人たちの中だけで過ごしてきた人の想定する「世間」と、地方の公立中に通ってた僕が想定する「世間」は違いすぎるよなあ、ということでした。
僕は「世間」という言葉を聞くと、中学のクラスを思い浮かべます。あの規模をものすごく大きくしたものが「世間」だと。
ネトウヨと言われるような、今だとYahooニュースのコメント欄とかにたくさん書かれてるような意見を読んでショックを受ける人って多いですが、ネットとは無縁の生活を送っている僕の両親も普通にそういうことを言うんですよね。子供のころ毎年お盆と正月に帰省していた母の実家は、当然サマーウォーズのような伝統も財力もない家でしたが、それなりにたくさんの親戚が集まっていました。
そういう集まりの中で声が大きい人や人望を集めてる人ってたいていネトウヨにも負けないぐらい差別的なことも平気で言うような人じゃないですか。
サマーウォーズのおばあちゃんが実在したら「そんなはしたない娘は殺されて当然じゃ」ぐらいのことは普通に言いますよ。
ただ、僕の両親や親戚の人たちが特殊なのかって言ったら全然そんなことなくて、世の中にはそんな悪意はありふれてるんですよね。
じゃあ偉そうなことを言ってるお前はそういう人を説得する言葉を持ってるのかと言われたら、持ってませんごめんなさい、としか言えないんですよね。すみません。
世間の悪意って自分にはどうしようもないことなので、うまい距離の取り方と身の守り方だけを考えるのが一番いいのかな、という毒にも薬にもならないことしか言えません。
最後に、偏見丸出しで書きますが、「どうして人はネットだとひどい生き物になってしまう(人が多い)のか」という問いへの答えは、「そういうひどい生き物にリアルで会わずに済むような環境で育って良かったね。」だと思います。
突然で申し訳ないが僕はコーラが好きだ。浴びるほど飲みたいというほどではないけどジャンキーに片足突っ込んだ兄ちゃんが日常のつぶやきとしてあーヤクでもキメてえなと思うくらいの頻度で好きだ。
コーラを飲む上で避けられない問題がある。それはコカコーラにするかペプシコーラにするかということだ。これは単なる味の好みの問題ではなく大げさに言えば人生におけるスタンスの問題になる。
コカコーラを選ぶあなたは安定志向でバランス感覚に優れた凡人である。ペプシコーラを好きなあなたはチャレンジ精神に富んでいて固定観念を打破する中二病患者であるといえる。まぁ嘘だけど。
僕はどちらかと言えばペプシコーラの方が好きだがコカコーラ・ゼロはなかなか優れた一品だと思っている。爽快感と軽さがいい。
コカコーラ・ゼロが出た当初、僕は高校3年生で青春の日々を鬱屈した思いで過ごしていた。受験への不安と女子と付き合ったことがないというコンプレックスはつねに皮膚にまとわりついていて僕はそのぬめりを振り払うためにコーラを飲んでいた。
9月に入ってクソみたいな文化祭の打ち上げの後、駒沢公園の広場で僕はクラスメートの男どもがはしゃいでいるのをコカコーラ・ゼロを飲みながら眺めていた。
「おつかれ」と言われて初めて横にそいつが立ってるのに気づいた。手にコカコーラ・ゼロを持っていた。
「おう、おつかれ」と返したら横に座られて内心ものすごい焦った。そんな仲良かったっけ?そう思いつつ今日はキャミなのか、しかも黒かエロいなと思う自分もいた。
「何の係だっけ」急に聞かれてむせそうになった。
しらねえよ。なんて答えていいかわからなかったから黙ることにした。
気まずい数十秒。
「何で泣いてんの?」
「いや、こういう、みんなでってのも最後かって思ったら、何か悲しくて」
「でも、この瞬間って最後じゃん」
「まぁそうだけどさ」
「もっとみんなと仲良くすればよかった。あたし世界狭かったかも」
「え、オレより全然仲いい奴多くない?」
「いや、もっとジャンルが違ったヒトと交流すればよかった。すごい面白いコとかいてさ。あたし気づけなかったわ」
「でも仲良くなった子とかもいるんでしょ?ならいいんじゃね」
「そうだなぁ」
「そうだねー。ね、今度2人で遊ばん?」
「え?」
「なんでもない」
あの時、あいつが両手で持ってたコカコーラ・ゼロの缶は、未だに覚えている。
と、まるで作り話みたいなんだが、本当に作り話なんだ。すまない。
このエントリについて。
彼の頭が良すぎて萎えて別れた
わかるような、わからないような。読んですっきりしない部分があったので少し考えてみた。
このエントリの続編で触れられているように、この話の出発点には「高学歴と低学歴の世界の溝」の問題がある。
そもそもの問題として、「低学歴」対「高学歴」の世界の話というのはなぜ「低学歴」ポジションからの発言が多いのだろうか。それも「高学歴の世界」をポジティブなものとみなして、自分の所属する「低学歴の世界」をネガティブなものとして演出するという態度で書かれてるものが多い。
こういうタイプの文章がはてブを集めて多く読まれているのは、それを読むと読んだ人が心地良く感じるからではないかと思う。「高学歴の世界」の人はこういうのを読んで単純に優越感を感じる。一方こういう文章を読む「低学歴の世界」の人は、「低学歴の世界」にいながらにして自分は「低学歴の連中とは違うんだ」という意識を持っているような人なのではないだろうか。だから「低学歴の世界」が「高学歴の世界」に対して否定的に書かれていることに溜飲を下げる。「低学歴の世界」を批判することで、自分がそこから離れて「高学歴の世界」に近づけるような気がするんじゃないか。「低学歴の世界」に満足している人は、おそらくこの手の文章を読んでもピンとこないだろう。
では、自分自身は、こういう文章と向き合う時なにを感じているのだろう、と思った。こういう文章を読んだ時、私の胸には優越感などの心地よく単純な感情ではなく、言うも言われぬ複雑な感情がこみ上げてくる。
私自身はおそらく「高学歴の世界」に属する人間だろうと思う。曽祖父の代から大学教授の家系で、女性も祖母の代から高等教育を受けている。私は大学付属の小中高に通ったが、クラスメートの父親はおおむね医者か弁護士、研究者、大企業勤務のどれかだった。大学に入るときは、東大、京大、早慶上智、国立医学部までしか選択肢になかった。実際にクラスメートの大部分はこれらの大学に進学した。残りのMARCHレベルに進学した人たちが、私にとってとんでもなく「低学歴」の人たちだった。親類のなかでは東大京大以外は大学ではない、というくらいの認識であったし、私自身、ちょっと勉強すればだれでもMARCHくらい入れるものだと思っていた。この認識が変わったのは、大学に入って予備校でバイトを始めた時だった。どんなに必死で努力してもMARCHはまだ夢の夢という生徒が大勢いるのに衝撃をうけた。
こうして書くと自分は嫌な人間だなと思う。けれどこういった「高学歴の世界」が居心地のいいものだったかというと、そんなことはない。「高学歴の世界」は息苦しいものだ。「高学歴の世界」を定義づけるのは「今日よりも明日」だ。今日よりも明日、より良くなっていなければならない。より良く、より賢く、より豊かになっていること、それが「高学歴の世界」が求めるものである。失敗は許されない。一度失敗したものは、この日々の前進のルートから脱落し、また追いつくためには絶望的な努力を強いられる。「高学歴の世界」は失敗に敏感だ。私の両親はよく「一事が万事」と言っていた。たった一度失敗すれば、それは全て失敗したのと同じ。このスローガンに、子供の私は恐怖しか覚えなかった。遊びも教育の一環だった。教育的でない遊びは排除された。常に成長することが求められた。それは大人になっても続く。昨日よりも今日、今日よりも明日、より成長して改善していること。「高学歴の世界」を統治するのはこの原理である。
このような世界が自分にとって当たり前だったのだが、それはまたひどく息苦しくもあった。そこには「明日」と「未来」はあっても、「今日」と「いま」はない。なにもかもが「明日のため」であるとき、いまここに生きているという感覚はどんどん摩耗していく。今、この瞬間どんなに成功していても、それを100%として認めてもらえることはない。明日さらに良くなること、明日さらに成功することが求められる。それは絶え間ない自己否定でもある。この自己否定がなければ、改善も成長も望めないから。
やがて神経衰弱のような状態になって、ふとある趣味をはじめた。そこには私と同じような育ち方をした人もいれば、そうではない人たちもいた。このとき私ははじめて「低学歴の世界」に触れたのだと思う。その「低学歴の世界」のひとたちは、多くが高卒で、男も髪を染め、女性はミニスカートや露出の多い格好をしていた。タトゥーを入れている人もいれば、道端でケンカをする人もいた。この仲間のなかに入って、私ははじめて「今を楽しむ」ということを知った。お酒を浴びるように飲んで、馬鹿な話をして、大笑いして、そういうことをしても、明日のためにはならない。明日に残るのは、二日酔いだけだ。けれどその瞬間は、ものすごく楽しい。彼らは遊ぶことがものすごく上手だった。季節ごとにいつも楽しい遊びを考えていた。バーベキュー、花見、キャンプ、スノーボード。「今、この瞬間を楽しんで生きてもいい」ということを知ったのは、自分の人生が大きく変わるほどの体験だった。
こういう経験を通して考えてみれば、「うちらの世界」の価値観も理解できる。「高学歴の世界」は未来の為にという価値観がとても強い上に、一度失敗するとその損失を取り戻すのが非常に困難であるという認識を共有している。彼らにとって「バイト先での醜態を公衆に晒すこと」は大変な過ちでありなんとしても回避されるべきものである。一方「低学歴の世界」にとって大事なのは今この瞬間である。今この瞬間を楽しむことが何より大切でなので、その行為が未来にもたらす影響は考慮しない。今、バイト先の飲食店で食材をおもちゃにすることが楽しくて、目の前にいる友人を楽しませることができるのであれば、そのことがなにより重要なのだ。
「明日のために生きること」と「今を思う存分生きること」は、本来両立しうるものであるけれど、どちらかにかたよるとそれぞれ問題をひきおこすのだなと思う。自分の生きてきた世界のことは、みなよく知っている。だからこそあらも見えるし、別の世界に憧れもする。それはもちろん幻想なのだ。どの世界にも光と影がある。ユートピアはいつだって「どこにもない場所」なのだ。
さて冒頭の「彼の頭が良すぎて萎えて別れた」というエントリーであるが、これを読んで再びなんとも言えない気持ちになった。この人はなぜこんなに彼との間に線を引きたがるのか、そこに溝を認めたがるのか。なぜそこに溝を認めた上でそれでも相手を受け入れることができないのか。この場合、二人の間にあるのは「学歴の溝」ではなくて彼女の方のコンプレックスなのだと思う。自分が手に入れたくて仕方がないものを、もう自然にもっているように見える相手への嫉妬なのだろう。けれどそれは「毎日より良く」という価値観のなかで研鑽されてきた結果なのであって、同時にそのなかで切り捨てられてきたものも存在するのだと思う。そういう自分が切り捨ててきたものを恋人に求める気持ちが、私にはよく分かる。私が強く惹かれるのは同じ世界の人ではなくて、別の世界の、ある種の「生きる智恵」を持っている人だ。多く笑い、気楽で、今を楽しむ人だ。この話で、彼は彼女にたとえばそういう魅力を求めていたのかもしれないのに、紋切り型の階級差を持ちだして自己完結する姿になにか割り切れないものを感じる。
一方で、このエントリーで語られている話自体がすでに紋切り型のものであるとも言える。語り口が現代風であるというだけで、話の中身は明治時代からでもありそうな話だ。とりわけ語り手を男にしてみると、既視感が強くなる。身分差のある恋をした男が、バックグラウンドの違いを感じて、女を捨てる。「彼女の頭が悪すぎて萎えて別れた」と男が語る。あるいは女が男を思って身を引く。でも私達が生きているのは現代日本だ。好きなように生きればいい。相性が悪ければ別れればいいし、よければ付き合えばいい。けれど「高学歴」「低学歴」という単純な構図に当てはめて自分の生き方を縛るのは、愚かなことだと思う。自戒を込めて。
ゲームがうまいやつ,スポーツができるやつ,話がおもしろいやつ…
そんな奴らを横目に見て,没個性的な自分を呪った.なにか自分にも秀でたものがあればと…
いい成績をとれば,皆から質問とかされるだろうし,きっと仲良くなれるに違いない.
そう考えた.
でも,そうはならなかった.
もともと天才肌でもガッツリ努力するタイプでもなかった自分の成績は,せいぜい上位10%(地方の学校なので,そんなにすごくない).
トップには程遠かった.誰も自分のところに質問に来ることはなかったし,自分のポジションも変わらなかった.
それでも,僕はあきらめなかった.というか,あきらめることができなかった.
もっともっと頑張れば,いつかトップになってみんなから認められるだろう,本気でそう考えていた.
でも,やっぱりそうはならなかった.
周りの人たちがグループを作って楽しそうにしている傍らで,僕はひとり勉強に打ち込み,孤立していった.
このころには,薄々感じ始めていた.
周りを見れば,成績上位と下位の人が仲好さそうにしてるのなんて普通に見かけるし,
おそらくは成績が良くなっても誰一人として自分を見向きもしないだろう.
それでも,後に引けない気持ちが強かったので,愚かにも僕は勉強をつづけた.結果は,いうまでもないことだが.
結局のところ,学業なんていくらおさめても僕に友達なんて一人もできやしなかった.
きっと,自分が勉強している分野を本当に好きでいたのなら,その分野つながりで誰かと仲良くなれたのかもしれない.
でも,僕が勉強をするモチベーションは,好きだからではなく良い成績を残したいからだった.
そして,それは何も生み出さないモチベーションだった.
さらに悪いことには,僕は何年も,つい先日までそのことに気づくことができなかった.
学生のあいだに自分の失敗を帳消しにすることは,おそらく不可能だ.
長年孤立して生きてきたから,今更勉強以外のことをしようとしても,何をすればいいのかわからない.何がしたいのかもわからない.
さて,これからどうしよう.
何年もかけて頑張ってきたつもりだが,何も手に入れることはできなかったな.
この苦しみが苦しみのままで終わらなければいいのだけど.
友人A(男、親友)と友人B(女、クラスメート)しか登場しない単純な話ね
AとBが今年付き合い始めたんだけど最近喧嘩というかほぼ別れるみたい
でAから聞かされた理由
「どこに行く時でもBは全然おしゃれして来てくれない」
「花火大会のときはさすがに浴衣を楽しみにしてたのに着てきてくれなかった」
「今まで積もり積もってたから花火の間不機嫌さを出してしまった」
「それでもう上手く行かないと思うから別れようとおもう」
「Bはずっと自分のことをおろそかに思っていたと感じる」
Bから聞かされた理由
「頑張ってるみたいに思われたくなかった」
「花火の時は明らかにショックっぽい反応で花火の間中普段と違う感じで話しにくかった」
「何度かそれっぽいリクエストはされてたけどそんなに本気と受け止めてなかった」
「別れたくない」
「というか不満だったのはわかったけどそれでいきなり怒って別れるとかひどくない」
「内面より外見を重視しているのか」
どっちも若干アホというか言語障害入ってて
実際はこの5倍ぐらいどうでも論旨の迷走が入った
俺達の高校は私立エスカレータ高なので生徒間の偏差値的断絶が大きいです
弓道部の後輩に告白されて断りましたが受験があるので後悔してません
それで、はてなのお兄さんお姉さんおじさんおばさんはこれAとBどっちが悪いと思いますか
俺は心情的には親友のAの味方をしたいけど
心底勝手にやってほしい
これをAかBが読めば確実にバレる?
バレればいいんだよ