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はてなキーワード: ギラギラとは

2021-07-01

anond:20210701102521

ネイルに対してのイメージ20年前って感じ

浜崎あゆみとかアムラーとかそういう時代の人?

ネイルって、長くてとんがっててギラギラした爪で

ギャル水商売の派手派手な子がしてるって思ってるんだろうね

今って、派手じゃない普通OLでもネイルしてる人いっぱいいるし

ネイルサロンも、そういう普通OL向けの所が多いよ

ほとんどの人が、素の爪に塗って固める(ジェルネイルレジンみたいなやつ)だけで

人工的に長さ出しやゴテゴテにラインストーンとか付ける人は多くない

多分、ネイルに縁がない男子から見たら、ちょっと爪がツヤピカしてるな程度

はてなってはてな民に似てる

パッとしないけど最低限持ってるから死ぬことはないが無限にパッとしないか他者への嫉妬がすごい

ギラギラに尖ってて面白かったけど消えたサービス山ほどあるよね




あれっこれはてなーの悪口だな

2021-06-13

でも、一生でこんなにもかわいいって言われたのはじめて。

20歳大学生わたし普通に生きてきました。普通ってなんなのか分からないけど。真面目な家庭に育ち、特に大きな事件怪我もなく、平穏に過ごしていました。とにかく真面目が取り柄な家庭でした。母も父も健在、大きな喧嘩病気離婚もせずに子供3人を育て上げる。お金にも困っておらず、三食決まった時間に食べて、ピアノ習字武道、塾にも通わせてもらいました。兄妹はその甲斐あってか、有名大学へ進学、いい会社にも就職しました。私は勉強したくない、働きたくない。でも、ひとり暮らしはしてみたい。県外のてきとうな学科4年制大学へ進学。だらだらと毎日を過ごし、2年生になっていた。まわりのみんなはサークル恋人アルバイトをしている。わたしはなんとなく授業に出る毎日大学生の四年間でこんなになにもしないのどうなの、ということでアルバイトを始めようとした。

夏休み真っ最中大学生夏休みは長い。友だちも少なくて遊びにも出ずにずっとひとりでいた。睡眠とおナニーを貪る毎日で最終刺激を求めて辿り着くのはエロサイトエロ同人誌、エロ動画風俗求人。こんな毎日でも働けば、「風俗より稼げる!3万円!」本当なのか、3万円って。正直、仕送りも十分すぎるほどもらっていたのでお金には困っていなかった。

そのサイトセクキャバ女性コンパニオン?喋るのが苦手でもおっけー。髪型、化粧が苦手でもおっけー。容姿も気にしません。忙しいので採用100パーセントです。との売り文句に惹かれた。私でもできる、したい。やりたい。

簡単ウェブ応募。それからすぐにメールが返ってきて面接日時と場所確認をしたら、もうあとは面接とんとん拍子すぎる。その日がきた。足を踏み入れたことのない繁華街。夜の街。派手な看板がギュウギュウでキラキラしてて、足を踏み入れるのも躊躇う。そこは天国みたいだった。

お店の前まで来たけれど、そんなお店に女がひとりで入るのなんて無理。でもここで行かなきゃ。行かなきゃ、行かなきゃいかなきゃ。ってお店の前をうろうろうろうろうろうろうろうろ10分程度。遅刻ちゃう。ああああああああああああああ、ああああああ、ああああああああああああ店へ突入

扉が開く。一瞬聞こえたとんでもなくうるさい洋楽。薄暗い照明、煙たいタバコ匂い。無理無理無理無理、怖くてエレベーターの閉じるボタン連打。それでも、もう一度開く扉の正面、ボーイさんが立ってた。「面接で来たんですけど……」ボーイさんが慌てた様子でとりあえず「下で待ってて。」と、もどされる。すぐに店長さんが来た。一階のバー面接。この店長がまた、めっちゃ優しい。大丈夫だよってさりげなく肩ポンボディータッチめっちゃ女の子の扱い慣れてる。

「どうしてこの仕事を?」と志望理由みたいなの簡単お話仕事の詳細の説明。「セクキャバって何するところか知ってる?」とても基礎的なところから。お触りアリのキャバクラってとこですかね…?「そうそう!うちはおっぱい触られて、舐められて、下も触られて指入れもアリです。大丈夫そう?」指入れもありって何するのか分からなかったけど、頷くことしかできなかった。他にも挨拶する時のダウンサービスの仕方、指名についての説明。時給について。そのくらいだったかな。ほんとに最低限の事項だけだった。まあいいのか。40分ほど説明してから小休憩。

タバコ吸う?」あ、はい、吸います。ってわたしの顔に似つかわしくないタバコ店長爆笑してた。ギャップだねーって。付き合い程度で吸うだけだったのでタバコ持っていなくて一本もらって吸った。学校では何してるの?とか、休みの日は?とか、雑談しながらめっちゃ笑う店長ヘラヘラしてるなあ。

それから源氏名を決めてもらった。自分で決めてもいいし、僕が付けてもいいよ、って。源氏名なんて考えていなかったので、店長にお願いした。さっきそこの看板で見かけた女性芸術家マリローランサンからまり」に決まった。かわいいを生涯描き続けた油画の作家さんらしい。

「今から働ける?」面接終わってからすぐさま体験入店へ、それはもうここまで来たのでもう逃げられない。頷く。今日のぱんつ可愛くけど大丈夫かなって綿のパンツが頭をよぎる。がんばるがんばるがんばる。って本日2度目のエレベーターで上へ。

狭い廊下カーテンで仕切られて作ったお客様の待機所を横目に、慌ただしく女の子たちが出入りする待機室に入る。ようやく人がすれ違えるくらいの狭い部屋だった。うがいをする水道と、製氷機と、小物置き場と、座るところ。女の子7人くらい座れるのかな。

水で薄めたモンダミンで口をすすぐ、おしりふきで股をふく。ローションを股に塗る。目まぐるしく待機室へ流れてくる女の子

そして、店長から先輩女の子バトンタッチ。出てきたのはギャルのお姉さん、これに着替えてね〜って渡されたのメンズワイシャツ、これが噂の彼シャツ?「えっと、正直にいうね。ストッキングとかアクセサリーは外して下着はぱんつだけにしてね。」ってあー!!!ワイシャツぱんいち。噂の彼シャツえっちだ!えっち!!!もうどうにでもなれ

そのあとはお店のロゴけが入った真っ白な名刺を渡されて、ここに名前書いてねーって。数十枚ほど油性ペンで描き描き。まりまりまりまりまりまりまりまり、私はまり。かけたらお客様のいる表ステージへ。と言っても、狭い一室内に2人がけのソファが間隔を空けて15席。

オープンすぎる席の一番隅っこの席へ連れて行かれる。先輩女性スタッフに教えてもらう。名刺の渡し方、お客様の手の消毒の仕方。突然、照明が落とされミラーボールが回ってギラギラ音楽が激しくなって、はじまるハッスルタイム。この時はね、こうやってやるんだよーって対面座位の形になる。お客様の膝の上に座るんだ。「大丈夫?」何度も聞かれた。怖かった。顔が強張ってるらしい。まだ怖い。ずっと怖いと思う。

それで、ここから接客本番なんだけどあんまり覚えてない。お客さんとキスしたら、頑張ったねって言ってもらった。無理矢理触られたりキスされたりすることもなく、基本的にはお話だけで終わるのが多かった。なんの話したかも覚えてないし無言の時間を過ごしていた気がする。今思えば、ごめんねの気持ち

セクキャバ1日目。面接からのいきなり体験入店ギラギラのなんて言ってるのかどこの国の言葉で歌っているのか分からない音楽に乗せて「まりちゃんリストバックよろしくー」の声。リストバックは接客終わりの合図。もう時間から帰っておいでの救いの言葉

その日は、一万とななひゃくえんもらった。

キス、手マンキスキスキスキス、おつぱいおっぱいおつぱいと、手マンアナルも触られる、お話からの手マン。俺は何もしないよって言いつつ手マン。ちゅーしていい?接客を終えてボーイさんに言われる、ありがとう。って言われた瞬間にんげんに戻った気になる。ものだ。わたしは物だと。ものになる瞬間と、人間狭間ものとして扱われる瞬間、何かが削げてくのがわかった。減っていく。確実に減っていく。ものはモノでしかないんだ。


それから1ヶ月。夏休みほとんどをそこで過ごした。

場内指名や私に会いにきてくれる人の存在がいるのでがんばれた。なんにもできないふつうのにんげんでも大丈夫なんだって思えた。

時給980円の仕事なんて目に入らなくなった。コンビニ1000円越えの買い物をするのが当たり前。自炊をしなくなった。スタバで甘いドリンクを飲んだ。ニキビが出来た。薬局で1番高いシャンプー歯磨き粉を買った。なんの迷いもなく化粧品をカゴに入れた。まだお客様匂いが残ってる気がして、香水を買った。拭きすぎた股が痒くなった。乳首を舐められた感覚が残ってたけど、気づかないふりをした。お刺身を食べてキス感覚を思い出した。街でお客様に似てる人を見かけて座り込んだ。彼氏無料で抱かれるのに疑問を覚えた。嘘をつく回数が増えた。

2021-06-06

空前のボカロブーム!知っておきたいボカロP10

はじめに

米津玄師やYOASOBIのAyaseといったボカロ発のアーティストが注目され、ボカロ音ゲープロセカがヒット、Vtuberはこぞってボカロ曲をカバーtiktokでもボカロ曲が普通に使われている(らしい)というこの2021年

有名ボカロPを10人ぐらい紹介します。チョイスも順番も適当です。

代表曲最近のヒットとそれ以外で一番人気な曲の2曲にしていると思います

再生数はニコニコ動画再生数です。

再生数ごとの曲数とイメージはかなりざっくりですが以下のような感じなのですごさの参考にしてください。

例えば100万再生以上の曲は20万曲中600曲という読み方をしてください。

再生曲数イメージ
1000万6曲神話入り・みくみく千本桜メルトマトリョシカWEDHモザイクロール
500万60曲超有名
100万600曲伝説入り・文句なしに有名
50万1000曲ボカロ好きなら少なくともPか曲名は知ってる
105000曲殿堂入り・中堅ライン
5万8000この辺まではわりと何でも聴く
1万2万曲マイナー
50003万曲クオリティ保証ライン
10009万曲マイナー
全体20万曲

(プロセカがヒット?と思う人もいるかもしれないが、プロセカはユーザー男女比4:6で約半分が10代というセルランが主戦場ではないソシャゲなのでメインユーザー層と近い人でないとヒットが把握しづらい。ソース:『プロセカ』がボカロファンやミクたちに与えた影響 ― ニコニコ動画が果たしていたような役割を担うかもしれない【開発者座談会】)

キラ

代表曲:「ボッカデラベリタ」「オートファジー

最初の数曲は再生数5万程度とそこそこの伸びだったが、オートファジーがヒットして一気に有名Pになった。

歌詞文字で見るとよく分からないが最近は音として聴いたときの感じを重視するのが流行りらしい。多分。

この人が使っているv flowerというボカロ中性的な声が特徴で、最近多いおしゃれな感じのボカロ曲によく使われている。

v flowerにも初音ミクなどのようにキャラクターイラストちゃんとあるのだが、おしゃれな感じのボカロ曲はPVオリキャラを出したりキャラのいないイラストだったりすることが多いので認知度が低そう。

DECO*27

代表曲:「乙女解剖」「モザイクロール

2008年から投稿している、全曲10再生以上の安定した超有名古参P。

2011年頃に柴咲コウなどの人間に曲提供をしていて、アルバムにも人間曲を普通に入れていたので、当時はボカロPをやめて人間の曲を作っていきたいのかと思った。

実際2008年から今までで2011年だけボカロ曲を一切投稿しておらず、2012年も企業案件系の曲のみであった。多分。

その答えは2013年のインタビューで明らかになる。(DECO*27「DECO*27 VOCALOID COLLECTION 2008~2012」インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー)

2020年に突然Youtubeのみに投稿するようになったりした(ヴァンパイアで戻ってきた)ので、そういう感じのふらっとした人なんだと思う。

この人が立ち上げた曲を作るための会社「OTOIRO」が2019年に炎上したが曲人気には全く影響しなかった。

みきとP

代表曲:「ロキ」「いーあるふぁんくらぶ」

P名の由来は「みきとP」という曲名SF-A2 開発コード mikiというボカロテーマにした曲である

P名古参もついていない人は普通にいるし、最近の人でもついている人はいる。

ただ最近動画タイトル自分名前を入れる人もいるので、そういう人はP名をつける空気にならない。

作風の幅が結構広いが、どの曲も聴くちゃんとみきとPの曲だと分かる。

ロキ」はPとボカロ(鏡音リン)のデュエットで、こういう人間ボカロが一緒に歌っている曲はニコニコ動画では「VOCALOID歌ってみた」というタグで括られる。

ロキ以前には歌い手によるカバー曲以外では大きなヒットがないタグだったので、人間いるから駄目ということではないという証明になった曲だと思う。

ちなみにコーラス程度なら自分の声を入れるPはたまにいる。

DECO*27も「デコーラス」と言われるぐらいには主張強めに入れる。(最近の曲は控えめかも)

じん(自然の敵P)

代表曲:「アディショナルメモリー」「カゲロウデイズ

あのカゲロウプロジェクトを作った人である

カゲロウプロジェクトとはボカロ曲を軸にボカロキャラとは関係のないオリジナルストーリーを展開していくというプロジェクトで、アニメ化もされた。

2011年の初投稿人造エネミーから2018年の「アディショナルメモリー」までカゲプロが展開されていた。最近10周年でリブート企画始動した。

カゲプロ企業の仕込みだとたまに言われているが、

ということで最初から企業の仕込みだったということはないと思う。

企業の仕込みだと初投稿から半年ファーストアルバム商業流通で出る。

カゲプロは本当にボカロの流れを変えた存在で、(以前からそれなりにいたが)ここで一気に女子小中学生リスナー層に増えたと思う。

最盛期はアルバムクロスフェード100万再生を達成するほど勢いがあった。

日本橋高架下R計画」や「Sky of Beginning」はカゲプロとは関係のない曲だが再生数はしっかり伸びているので、別にカゲプロじゃないと伸びないPではない。

直近ではアニメ魔法科高校の優等生」のOP担当することが発表されている。

てにをは

代表曲:「ヴィラン」「古書屋敷殺人事件

ヴィランや(ボカロじゃないけど)うっせぇわのAdo書き下ろしギラギラ話題になったP。

急に最近人気になったわけではなく、2010年の「アンファンテリブル・イン・ハロウィン」ですでにランキングに顔を出していた。

その後2012年に「怪異物ノ怪音楽箱」がヒット、同じく2012年の「古書屋敷殺人事件」は女学生探偵シリーズとして楽曲小説が展開された。

女学生探偵シリーズは当時流行っていたカゲプロ的なストーリーの繋がりがある楽曲シリーズで、カゲプロ終焉ノ栞ミカグラ学園組曲など色々あった。

それらが厨二系だったのに対し女学生探偵シリーズ昭和レトロ雰囲気が唯一無二だったので、いい感じに地位確立されていたと思う。

自分の作りたいもの流行に乗せるのが上手い印象。

もともとリズム感重視で韻を踏みまくった歌詞をよく書く人なので、今は前述した「音として聴いたときの感じを重視する」という波に作風がしっかり嵌っている。

別名義で小説を書いている。

かいりきベア

代表曲:「アイ情劣等生」「ベノム」

この人も自分作風はしっかりある流行に合わせるのが上手い。

かなり意識的にヒットを狙いに行っていると思う。

「アイ情劣等生」と「アルカリレットウセイ」は「#コンパス 戦闘摂理解析システム」というソシャゲキャラテーマソング(公式)。

コンパスには1キャラ1曲テーマソングが存在し、さまざまなボカロPが曲を提供している。

コンパス曲はヒット確定という風潮もあり、実際多くの曲が100万再生を達成している。

なぜそういうスタイルがウケたのかというと、腐女子とかが「この曲はあのキャラっぽい」「このキャラはあの曲っぽい」と勝手に好きなキャラ関係ない曲を結びつけるイメソン文化公式でやっているかである

プロセカも腐女子とかが男キャラMMDを作ってボカロ曲を踊らせたりボイスを切り出して無理矢理歌わせたりしているのを公式でやっているようなものなのでウケた。

(もちろんどちらもあくまでも人気になった要因の1つに過ぎないし、やっているのは必ずしも腐女子ではない)

すりぃ

代表曲:「ジャンキーナイトタウンオーケストラ」「テレキャスタービーボーイ」

テレキャスタービーボーイ」は2019年のショート版と2020年のフル版が両方100万再生を達成している。すごい。

ショート版の曲長は1分で、他にも「空中分解」「エゴロック」などの1分曲を作っている。

1分台で100万再生を達成しているのは

ぐらい。他にあったらすみません

メインで使用しているボカロ少年声の鏡音レン

Adoに曲提供するようなおしゃれ系の人にしては珍しいかもしれない。

Giga

代表曲:「劣等上等」「ギガンティックO.T.N」

ボカロオリジナル曲初投稿2010年。

カバー曲は2009年から投稿していて、カバーだとPONPONPONのレンカバーやえれくとりっく・えんじぇぅの鏡音アレンジカバーが有名。

歌い手もやっていてそっちでも100万再生を達成している。

どちらかと言うとボカロキャラのための曲を作るタイプの人で、「レン廃留置所」というレンくん大好きユニットにも参加していた。鏡音レンはそういうPを飼っているボカロである

でも2016年前後歌い手のれをると組んでれをる用の曲ばかり作っていたのでボカロ曲は全然投稿していなかった。そういうこともある。

代表曲に「ギガンティックO.T.N」を挙げたが、こういう曲があってこそのボカロ文化である。多分。

まふまふ

代表曲:「廃墟の国のアリス」「メリーバッドエンド

歌い手出身ボカロP。

歌い手出身ボカロPの中にはボカロ打ち込みや編曲を他の人に任せている人もいるが、まふまふはそのあたりも自分担当している。

歌い手としても自分自分用に作った曲をよく歌っており、この前東京ドームで無観客無料配信ライブをしていた。

それが朝の情報番組で「まふまふさんが東京ドームライブしました!」と普通に取り上げられていてびっくりした。そんな有名なのか。

アニソンもたまに担当している。

以前ゴーストライターに曲を作らせていたスズムというとんでもないボカロPがいたのだが、そのゴーストライターをさせられていたと言われている。(未確定情報)

八王子P

代表曲:「バイオレンストリガー」「Sweet Devil」

投稿2009年の「エレクトリック・ラブ」。

この時点ですでにハイクオリティで、3DS音ゲー「Project mirai」にも収録された。

BEMANIに曲提供をしているP*Lightと同一人物で、「エレクトリック・ラブ」がボカロ処女作というわけではない。

今ほどはボカロメジャー存在でなかった2012年頃からボカロ界の貴公子という謎の異名を背負って何度かテレビに出演していた。

テクノポップがメインでいかにも電子音な曲を作るので、そのボカロ感がテレビウケという点で良かったのかもしれない。

(他に有名でテレビに出てくれるようなコミュ強Pがいなかったというのもあるかもしれない)

NHKニュース番組「フカヨミ」では2012年に番組企画番組イメージソングを制作し、それがEDとして使用されていた。

NHKはその頃ラジオボカロ曲専門番組をやっていたりと、結構からボカロと仲良しである

Neru

代表曲:「SNOBBISM」「ロストワンの号哭」

2009年から鏡音リン・レンの曲をメインに投稿しているP。

強めの高速ロックイメージがあるが特に最近は高速じゃない曲もある。

「脱法ロック」と「い~やい~やい~や」のPVは他アーティストPVパクリではないか話題になった。

(PV製作はそれぞれりゅうせー、寺田てらなのでNeruが直接作ったわけではない)

後者はパクられた側が直接Neru側に問い合わせているが、パクリではないと返答されている。(ソース:Cluster A騒動によせて - in the blue shirt)

このはてな匿名ダイアリーにいい感じの記事があったので全体像こちらを参照。→Neru(ボカロP)と寺田てら(動画制作者)の「Cluster A」パクリ疑惑騒動まとめ

PVパクリ疑惑とは別にパクリ疑惑もあるがPVパクリよりも曖昧な話になってしまうので割愛

wowaka

代表曲:「アンノウンマザーグース」「ワールズエンド・ダンスホール

2009年に処女作グレーゾーンにて。」を投稿し、その後の数曲はそこそこしっかり伸びて同年6曲目の「裏表ラバーズ」が大ヒット。

ハイテンポな高音ロックサウンドが特徴で、「ボカロっぽい曲」という概念確立したPのうちの1人だと思う。

2011年まで毎年投稿していたが人間バンドヒトリエ」を結成したためボカロは一旦休止。

ちなみにボカロPが人間バンドを組むのはよくあることであるボカロP活動とのバランスは人それぞれ。

そして2017年に初音ミク10周年記念CD書き下ろし曲「アンノウンマザーグース」を投稿ライブで最高に楽しい曲。

2019年死去。

ボカロPが亡くなるというのはさすがによくあることではないが、「ルカルカ★ナイトフィーバー」などのSAMナイトシリーズで有名なsamfree「Q」ストロボラスト」の椎名もた(ぽわぽわP)、「オマーン湖」の乙Pなどもすでに亡くなっている。

samfreeあいみょんデビューシングル編曲アニソン制作もしている超有名P、ぽわぽわPは「ストロボラスト投稿時16歳ということもあり非常に注目されているPだった。乙Pは曲タイトルでお察しください。

この人たちはレーベル所属していたり、活動仲間がいたため亡くなったことを知ることができたが、ボカロPには消息不明のPも多い。

突然帰ってくることもあるが、本当に亡くなっているPもいると思う。

おわりに

ボカロをしっかり聴き始めたのは2010年なので2009年以前の話は詳しくないです。すみません

あと最近はボカコレという投稿イベントがあって新進気鋭のPはそこで発掘できます。次は秋に開催されるそうです。

自分インタビュー記事が楽しみ。

2021春→インタビュー記事 - ボカコレ公式

2020冬→クリエイターインタビュー | ボカコレ公式

保育士給与 anond:20210606144600

お育ちがよろしくてなおかつサバイバル能力が無かったのでしょうね

端的に本人の問題で片付くと思う

 

以下は職種職員1人当たり給与月額(賞与の1/12が 含まれる)

まぁ360万くらいは貰ってるので一般的っすね

役が付けばフツーのリーマンより上

職種私立公立
施設565,895632,982
主任保育士422,966561,725
保育士301,823 303,113
内閣府:令和元年度「幼稚園保育所認定こども園等の経営実態調査」について

https://www8.cao.go.jp/shoushi/shinseido/data/index.html#chousa

 

ただ、こういう命を預かる福祉仕事ってギラギラした人間には向かないのよ

しろ人を押しのけられない、効率化より人に寄り添いたい人のが向いてる

なのでサバイバル能力がない・運営能力がないって切り捨てて良い問題でもないんだよな

 

そもそも介護運送など社会に本当に必要仕事給与が抑えられてること自体おかし

2021-06-03

anond:20210602212201

いつも性的なこと書く増田が一人いるが

毎日くそんなにギラギラしてられると思う

正直気持ち悪さが目立つ

2021-06-02

クソ高いユンケルを飲めば

中学生のおちんちんみたいにギラギラになれるんだろうか。

2021-05-31

会社ブサイクの男とブサイクの女をくっつけようとするの何

増田はブスである。ついでにデブである

敬愛なるケムコクソゲー3部作の1つ、

悪魔の招待状」のブヨブヨに似ている。

せめて中身がまともなら良かったが、スペック

低くてキモめでプライドばっかり高くて

仕事の出来ないコミュ障一言でまとめると

ゴミである

弊社には増田と双璧を成すキモメンがいる。

身長は女である増田と同じか少し低いくらい、

頭頂部は禿げ上がり、喋る言葉早口で何を

言っているのかあんまりからない。

喋り型コミュ障にあたるタイプだと思う。

増田より10個ほど年上である

キモイ男とキモい女が社内に1人ずついる。

と社内の人間認識した。

すると彼ら彼女らはどういう行動を取るか。

くっつけようとするのである

増田ちゃんキモメンさんに興味あるよね?」

「ここ、キモメンさんと行ったら絶対楽しいよ」

キモメンさんに増田ちゃんのことどう

 思ってるか聞いてあげよっか?」

「今キモメンさんと喋ってたね!お似合い♪」

と怒涛のキモメンさん推し攻撃が始まった。

男女問わずキモメンさんと増田カップル未満の

甘酸っぱい何かに仕立ててこようとする。

ただ、前述の通り、増田プライドの高い

キモである。メンクイなのだ

なのに、社内では10コも年上のキモメンさんを

もうすごい勢いで推してくる。

しかキモメンさんは満更でもないらしく、

増田ちゃん付けで呼んでくるようになったり

キモメンさんの部署飲み会で「増田ちゃん

今ならイケますかね?」とか言い始めたらしい。

増田は怖くてお風呂で泣いた。

そして決定的な出来事が起こった。

ある日弊社のおせっかいからランチどう?

と誘われた。お店は決めてるからね!とも。

断る理由もないのでOKした。

そして当日、指定のお店に行くとおせっかい女は

おらず、いたのはキモメンさんだけだった。

キモメンさんも「おせっかい女さんは?」と

若干困惑気味だ。

さて、お分かり頂けましたか

増田キモメンさんはおせっかい女にはめられ、

ランチデートすることになったのである

とりあえず当たり障りのない話をして

そのランチはしのぎ(キモメンさんがひたすら

趣味の話をエンドレス再生してくれるので

込み入った話にならず良かった)、

次の日増田会社を休んだ。

このままだとカップルにさせられる。

増田確信した。

会社害悪お節介どもは優しさで増田

キモメンさんをくっつけたいのではない。

その行動にはニタニタとした好奇心しかない。

ブサイクがポッとするところが見たい。

ブサイク同士が交尾する未来が見たい。

増田キモメンさんも、見世物小屋の異形だ。

ギラギラした目の「人間様」が、こっちを

見ながら次の展開を待っている。

休んだ日、増田は布団の中でぐるぐる考えた。

こんなしょうもないことで退職したくないが、

このままだと間違いなくくっつけられる。

スペック・アタマ夕方まで考えた末、

ついに結論を出した。婚活だ。婚活しよう。

こうして増田婚活を開始した。

そして会社婚活についてこれでもかと

大げさに進捗を報告した。

どんな人にいいねしたらお返事かえってきました

とか、こんな人からこんなメール来ましたとか。

零細企業なので、全員にと言っても過言ではない

くらい言いまくった。


すると急にキモメンさん推し旋風が

収まってきた。まあこれだけ「こういう人が

よくて、こういう人に接近中で、こういう人に

接近されてます!」と具体的に言ってる姿を

見るとキモメンさんが良いよと推すには根拠

足りなくなったのかもしれない。

なんにせよ増田は辞めずに済み、

キモメンさんともくっつかずに済んだ。

そして婚活害悪おせっかいものエサとして

有用効果を発揮しつつ奇跡的に波に乗り、

社会的立場性格も顔も良いなと思ったBOYと

無事ゴールイン、(増田夫婦から見たら)可愛い

可愛い目に入れても痛くない子どもも出来た。

からある意味会社害悪おせっかいどもが

たからこそ、自立して一般的な家庭とやらを

築くことが出来たのかもしれない。

そういう意味ではこの会社のクソみたいな

害悪どもに感謝だな。

でも当時の恐怖は凄まじいものだったので

害悪おせっかいどもはとっとと腹を切って

死んで欲しいし、たまに思い出すたびやっぱり

ムカつくから匿名だいありーに吐くことに

したのだった。長々とすみませんでした。


p.s.婚活は女でもグイグイ行った方が良いぞ

2021-05-17

若者の曲っぽいから、うっせぇわって曲ずっと避けてたんだけど

ふと聞く気になって聞いたらすんげーのな

歌詞とかじゃなくて歌手がすごい

動画とはいえ18でこんなアーティスティックかつ安定感あるのもすげーし

曲はうっせぇわより「ギラギラ」「踊」のが好きかな

2021-05-14

自民党のみつけた議会ハック」って一言で言えば「国民政治に無関心」で集約できるよね

https://anond.hatelabo.jp/20210513154226

しろ民主党が未だに気づいてないことにした方が良いんじゃないの

政治に関心があるやつが目ん玉ギラギラしすぎてて怖いと思われてる」というか

2021-05-11

anond:20210511211158

国体粉砕左翼さん!こんちゃーっす!

今日も目がギラギラしてますね!

こっちみんな💢💢💢

2021-05-09

匿名ダイアリー

久しぶりに来たけど、ここに書き込んでるのって昔の2ちゃんねらーみたいなノリの連中だった?

面白いこと書き込んでやる!ってギラギラしてスベり倒してる書き込みが9割なんだけど。

からこんなだっけ?

2021-05-04

「なーにがギラギラだ」

「オラッ!ニラニラだこの野郎!」

中華屋の店主が異様な形相でぎょうざを握りまくっている。

おれは酢豚を頼んだのだ。

2021-05-02

女だけど脱コル強要への拒否感がすごい

ヒールを履いて、裸足のときより目線が高くなるのが好き。

化粧をして、いつもと違う自分になれるのが好き。

ネイルをして、いつでも見える体の一部に「嫌なことがあってもテンションを上げられるお気に入り宝石箱概念)」を飾っておけるのが好き。

そう思ってるから、女として生まれたことを後悔したことは一度もない。むしろ女で良かった。

高いヒール履いて化粧濃くてギラギラネイルしてる女なんて全然モテない。それでも私はそういう自分が好きだし、止めるつもりもない。

髪を短く切って、化粧しないで、体毛ボーボーのまま放置して、体のラインを隠すような服を着て、男のような振る舞いをして?

それって本当に自由に向けての第一歩になる?

人が誰しも自由にのびのびと生きられる世界って、むしろ「男でもキレイなりたければ化粧していい、スタイルをよく見せるためにヒールを履いたっていい。女らしさに縛られたくないなら化粧しなくていい、ヒールを履かなくていい」じゃないの?

自分たちが化粧したくないなら、ヒールを履きたくないなら、そうすればいい。

でもそれを強要するのだけは止めてくれ。

2021-04-29

anond:20110428012530

自分自分の生々しい"御社への気持ち"を話していないのが原因である

背景がよく分からないけれども、もしそんなことを言う面接官がいたとしたら地雷臭がするからだと思うけど。

地雷臭ってよく怒るとかよく泣くとかもあるけど、他の要素にどんな時にどう言う理屈でどう感じるのか分からないってのがあると思う。

それが分かりやす理屈で、きちんと伝えられる人がいい。

まぁそ言う意味では感情言葉にできないってのが原因はあってるか。

あと普通に月並みな話してればいいよ。

多分ほとんどの学生月並みな話もできないし、たぶん増田もやろうと思ってもいざやろうとしたらできないから。

いざやってみたら理屈の浅い部分すごい顕在化してくるから

あと

思ってもないことをたくみに話す学生も周りにいなくはないが、私にはそういうマインドコントロール力や知識は残念なことに備わってないし、彼らとは仕事に求めるものが違うと思うので実行しようとも思えない。

みたいに他者を極端に印象悪くてギラギラした邪なキャラにして、自分はそうでないって逆の方に極端にしちゃってバグっている印象。

まずは色んな人と普通に仲良くできる人を求めています

2021-04-24

ウソつくぜそりゃねえマージ

春も深くなってきた今日のこの日に、ホラ吹き達のトップを競う嘘月賞の季節がやってまいりました。

先週のこの世の春謳歌賞では頭真っ白娘のソマツが見事に13バシンもの批判を突き放してトップを飾りました。フルサトノレイダスの虎の威を借る狐の如き大言壮語は本当に故郷英雄自分の直系にいると感じさせんばかりでした。

まぁ仮にそうだったとしてもそれが何なんだという話でしたが、しかしメイレイデースは見事に権威のある者に弱くフルサトノレイダスの一言一句一喜一憂していました。

120バシンもの批判を受けてトボトボと歩いていたあの逆噴射っぷりに観衆のJKから声援と拍手が送られていました。

 

さぁ、1番から紹介しましょう

一番人気はタゴンキッド

序盤はガキみたいな嘘を幾つも重ねることにより相手を煙に巻く戦法をよく使います

そして最後の直線で一気に理論立てて納得させてしまうあの戦い方には思わず舌を巻くこと必須です。

今回は日本ダーリーに出るから本気とか出さなくても勝てるし、とのことでしたがこの発汗量ではお得意の多弁もスタミナが持たないのではないでしょうか。

二番人気、三千無敗のエグイウソツキ

去年デビューとのことでしたがどうやら三千回も戦ってるようです。

恐ろしい馬鹿です、数字が数えられないのはある種無敵と言えるでしょう。

今回の戦いを獲ることで四千無敗となるのか、そして残り九百九十九は何で埋めるつもりなのか。

見どころのある馬鹿となっております

 

三番人気、アトデイイヤハダル

お得意の結論先送り戦法は今回の面々に効くのでしょうか、ダルダルいと言いながら悠然とトップを取っていくその様子に元軍人の爺ちゃんから批判が集中しています

 

さぁ春一番が吹き荒れる小春日和の嘘月賞、全馬鹿18万名揃ってスタートを切りました。

 

おっとどういうことでしょうタゴンキッド、お得意の多弁がスタミナ切れで使えない!それどころか普段より知能指数も下がっているためかうんちうんち言いながら泣きながら下がっていきます。末期のTwitter利用者ももっと言語感覚はあるぞ!

さぁ盛り上がってきたのはエグイウソツキヤの数字マジック!さっきまで二百円三百円のコンビニ飯の話をしていたのに今は銀行口座写真を載せて仮想通貨の話をしているぞ!一億も口座に入れてるくせにチマチマした話をするな!あとフォントが違うぞ!コンマドットも間違えてるぞ!

そこに飛びかかってきたのはバイトハトブダー!あの定職に就かず常にアルバイトをトバしてばかりのバイトハトブダーです!今日も何か仕事が入っていたはずですがこちらにもバイト先が呼び出すあのバイブ音が聞こえてきそうです!

その癖に仕事論をよく語ります

 

そして後ろからやってきたステリャエエヨッテ!彼の口車に乗って実家財産も世も捨てた信者が多数いますしかし彼は実家住まいです!恋人も居ます!捨ててもいいことありません!

さてさてやってきたアトデイイヤハダル!本当にだるそうですが見てください!高級車に乗っています!ちゃっかりしてます

その後ろキョホウレイク!アイツの言ってることは画像が付いてようがURLが付いてようが後ろに金持ちがいようが信じてはいけません!ギラギラ時計を付けてます消費者金融通いです!

 

さぁさ異臭コーナー曲がって誰が先頭で臭い立つか!

馬鹿達の虚言はしぶといぞ!

ゴンキッド!ここでもう一度巻き返せるか!お得意の理論立てが大爆死!スルスルと後ろに下がっていきます

エグイウソツキヤ、ここで資金加速!なんという伸びだ!ただ数字の0を押しまくってるだけだ!なぜ信じる!なぜ見てしまう!

アトデイイヤハダル!ここでやる気を出してしまう!ダメだ!スタミナよりも批判を受ける耐性がない!

キョホウレイクも嘘が尽きた!回収業者からのしつこい追従からスピードが落ちていく!

ステリャエエヨッテ!ここで理解のあるパートナーを自慢だ!憎い!お前が憎いぞ!

バイトハトブダー!なんとここで二つ同時にバイト飛ばした!何のためにだ!そして仕事論を語ることはやめない!!

 

ここでエグイウソツキヤが銀行口座数字を増やすマジックネタバラシだ!!コイツ一度も仮想通貨に手を出してねえぞ!!

強い!!強い批判が彼に集中する!!

バイトハトブダーの職業倫理もクソもない傍若無人っぷりに追いつくことができるのか!

ステリャエエヨッテ!バイトハトブダー!エグイウソツキヤ!

エグイウソツキヤァーーーッ!!

 

嘘月賞一番の批判を受けたのはエグイウソツキヤでした。

 

二番は知らぬ間にバイトを三つも飛んだバイトハトブダー、明日から仕事あるんでしょうか。生命力に期待です。

三番は何も捨てなかった実家住まい彼女持ちのステリャエエヨッテ、怨嗟から批判はその加速度を上げる前に勝負が終わってしまった。彼の家には今度からコンクリート入りの何かしらが届くことになるでしょう。因みに原作はありません。

この春一番の賞、嘘月賞を獲ったのはエグイウソツキヤ、彼が様々な人間資金難に陥らせた事から吐いていい嘘と吐いてはいけない嘘があることに馬鹿達も気付くでしょう。

彼のTwitterは通常営業しょうが、ここから裁判が何件も待っている事でしょう。

 

本当に原作はありません、こちらはただの嘘でございます

観客席の元軍人の爺さんも何か悟った事を言う小学生オタク理解のある陽キャ街角で突然奇行を始める面白いツレもみんな拍手を送っております。ちなみにここはマクドナルドです。マクドナルド州。

即席で適当な嘘を吐いていたら始まってしまったウソつくぜそりゃねえマージーの時間はお開きとなります

 

本当に原作はありません、参考にしたものもありません。本当です。嘘じゃありません。空想です。

2021-04-15

anond:20210415175929

フンコロガシはピカピカギラギラエジプトの王がアクセサリーにするほど貴重な虫だよ

2021-04-13

anond:20210413175801

そういう意味でも理系男子に照準を絞った私えらい!大正解!って思うかも(この前婚約したんだよね)

まぁ絞ったというか、ギラギラした体育会系雰囲気が苦手だから、元々大人しい雰囲気理系男子が好みなんだよね

2021-04-11

お前たちはだめだねえ。なぜ人のことをうらやましがるんだい。僕だってつらいことはいくらもあるんだい。お前たちにもいいことはたくさんあるんだい。僕は自分のことを一向考えもしないで人のことばかりうらやんだり馬鹿かにしているやつらを一番いやなんだぜ。僕たちの方ではね、自分を外ほかのものとくらべることが一番はずかしいことになっているんだ。僕たちはみんな一人一人なんだよ。さっきも云ったような僕たちの一年に一ぺんか二へんの大演習の時にね、いくら早くばかり行ったって、うしろをふりむいたり並ならんで行くものの足なみを見たりするものがあると、もう誰たれも相手にしないんだぜ。やっぱりお前たちはだめだねえ。外の人とくらべることばかり考えているんじゃないか。僕はそこへ行くとさっき空で遭あった鷹がすきだねえ。あいつは天気の悪い日なんか、ずいぶん意地の悪いこともあるけれども空をまっすぐに馳けてゆくから、僕はすきなんだ。銀色の羽をひらりひらりとさせながら、空の青光の中や空の影かげの中を、まっすぐにまっすぐに、まるでどこまで行くかわからない不思議な矢のように馳けて行くんだ。だからあいつは意地悪で、あまりいい気持はしないけれども、さっきも、よう、あんまり空の青い石を突っつかないでくれっ、て挨拶したんだ。するとあいつが云ったねえ、ふん、青い石に穴があいたら、お前にも向う世界を見物させてやろうって云うんだ。云うことはずいぶん生意気だけれども僕は悪い気がしなかったねえ。」

 一郎がそこで云いました。

又三郎さん。おらはお前をうらやましがったんでないよ、お前をほめたんだ。おらはいつでも先生から習っているんだ。本当に男らしいものは、自分仕事を立派に仕上げることをよろこぶ。決して自分が出来ないからって人をねたんだり、出来たからって出来ない人を見くびったりさない。お前もそう怒らなくてもいい。」

 又三郎もよろこんで笑いました。それから一寸立ち上ってきりきりっとかかとで一ぺんまわりました。そこでマントギラギラ光り、ガラスの沓がカチッ、カチッとぶっつかって鳴ったようでした。又三郎それから又座すわって云いました。

「そうだろう。だから僕は君たちもすきなんだよ。君たちばかりでない。子供はみんなすきなんだ。僕がいつでもあらんかぎり叫んで馳ける時、よろこんできゃっきゃっ云うのは子供ばかりだよ。一昨日おとといだってそうさ。ひるすぎからかに僕たちがやり出したんだ。そして僕はある峠とうげを通ったね。栗くりの木の青いいがを落したり、青葉までがりがりむしってやったね。その時峠の頂上を、雨の支度したくもしないで二人の兄弟が通るんだ、兄さんの方は丁度おまえくらいだったろうかね。」  

 又三郎は一郎を尖とがった指で指しながら又言葉を続けました。

「弟の方はまるで小さいんだ。その顔の赤い子よりもっと小さいんだ。その小さな子がね、まるでまっ青になってぶるぶるふるえているだろう。それは僕たちはいつでも人間の眼めから火花を出せるんだ。僕の前に行ったやつがいたずらして、その兄弟の眼を横の方からひどく圧おしつけて、とうとうパチパチ火花が発たったように思わせたんだ。そう見えるだけさ、本当は火花なんかないさ。それでもその小さな子は空が紫色むらさきいろがかった白光しろびかりをしてパリパリパリパリ燃えて行くように思ったんだ。そしてもう天地がいまひっくりかえって焼けて、自分も兄さんもお母さんもみんなちりぢりに死んでしまうと思ったんだい。かあいそうに。そして兄さんにまるで石のように堅かたくなって抱だきついていたね。ところがその大きな方の子はどうだい。小さな子を風のかげになるようにいたわってやりながら、自分はさも気持がいいというように、僕の方を向いて高く叫んだんだ。そこで僕も少ししゃくにさわったから、一つ大あばれにあばれたんだ。豆つぶぐらいある石ころをばらばら吹きあげて、たたきつけてやったんだ。小さな子はもう本当に大声で泣いたねえ。それでも大きな子はやっぱり笑うのをやめなかったよ。けれどとうとうあんまり弟が泣くもんだから自分も怖こわくなったと見えて口がピクッと横の方へまがった、そこで僕は急に気の毒になって、丁度その時行く道がふさがったのを幸さいわいに、ぴたっとまるでしずかな湖のように静まってやった。それから兄弟と一緒に峠を下りながら横の方の草原から百合ゆりの匂においを二人の方へもって行ってやったりした。

 どうしたんだろう、急に向うが空あいちまった。僕は向うへ行くんだ。さよなら。あしたも又来てごらん。又遭えるかも知れないから。」

 風の又三郎のすきとおるマントはひるがえり、たちまちその姿は見えなくなりました。みんなはいろいろ今のことを話し合いながら丘を下り、わかれてめいめいの家に帰りました。

   九月四日

「サイクルホールの話聞かせてやろうか。」

 又三郎はみんなが丘の栗の木の下に着くやいなや、斯こう云っていきなり形をあらわしました。けれどもみんなは、サイクルホールなんて何だか知りませんでしたから、だまっていましたら、又三郎はもどかしそうに又言いました。

「サイクルホールの話、お前たちは聴ききたくないかい。聴きたくないなら早くはっきりそう云ったらいいじゃないか。僕行っちまうから。」

「聴きたい。」一郎はあわてて云いました。又三郎は少し機嫌きげんを悪くしながらぼつりぼつり話しはじめました。

「サイクルホール面白い人間だってやるだろう。見たことはないかい。秋のお祭なんかにはよくそんな看板を見るんだがなあ、自転車ですりばちの形になった格子こうしの中を馳けるんだよ。だんだんにのぼって行って、とうとうそのすりばちのふちまで行った時、片手でハンドルを持ってハンケチなどを振ふるんだ。なかなかあれでひどいんだろう。ところが僕等がやるサイクルホールは、あんな小さなもんじゃない。尤もっとも小さい時もあるにはあるよ。お前たちのかまいたちっていうのは、サイクルホールの小さいのだよ。」

「ほ、おら、かまいたぢに足切られたぞ。」

 嘉助が叫びました。

「何だって足を切られた? 本当かい。どれ足を出してごらん。」

 又三郎はずいぶんいやな顔をしながら斯う言いました。嘉助はまっ赤になりながら足を出しました。又三郎はしばらくそれを見てから

「ふうん。」

医者のような物の言い方をしてそれから

「一寸ちょっと脈をお見せ。」

と言うのでした。嘉助は右手を出しましたが、その時の又三郎のまじめくさった顔といったら、とうとう一郎は噴ふき出しました。けれども又三郎は知らん振りをして、だまって嘉助の脈を見てそれから云いました。

「なるほどね、お前ならことによったら足を切られるかも知れない。この子はね、大へんからだの皮が薄うすいんだよ。それに無暗むやみに心臓が強いんだ。腕うでを少し吸っても血が出るくらいなんだ。殊ことにその時足をすりむきでもしていたんだろう。かまいたちで切れるさ。」

「何なして切れる。」一郎はたずねました。

「それはね、すりむいたとこから、もう血がでるばかりにでもなっているだろう。それを空気が押おして押さえてあるんだ。ところがかまいたちのまん中では、わり合あい空気が押さないだろう。いきなりそんな足をかまいたちのまん中に入れると、すぐ血が出るさ。」

「切るのだないのか。」一郎がたずねました。

「切るのじゃないさ、血が出るだけさ。痛くなかったろう。」又三郎は嘉助に聴きました。

「痛くなかった。」嘉助はまだ顔を赤くしながら笑いました。

「ふん、そうだろう。痛いはずはないんだ。切れたんじゃないからね。そんな小さなサイクルホールなら僕たちたった一人でも出来る。くるくるまわって走れぁいいからね。そうすれば木の葉や何かマントからまって、丁度うまい工合ぐあいかまいたちになるんだ。ところが大きなサイクルホールはとても一人じゃ出来あしない。小さいのなら十人ぐらい。大きなやつなら大人はいって千人だってあるんだよ。やる時は大抵たいていふたいろあるよ。日がかんかんどこか一とこに照る時か、また僕たちが上と下と反対にかける時ぶっつかってしまうことがあるんだ。そんな時とまあふたいろにきまっているねえ。あんまり大きなやつは、僕よく知らないんだ。南の方の海から起って、だんだんこっちにやってくる時、一寸僕等がはいるだけなんだ。ふうと馳かけて行って十ぺんばかりまわったと思うと、もうずっと上の方へのぼって行って、みんなゆっくり歩きながら笑っているんだ。そんな大きなやつへうまくはいると、九州からこっちの方まで一ぺんに来ることも出来るんだ。けれどもまあ、大抵は途中とちゅうで高いとこへ行っちまうね。だから大きなのはあんまり面白かあないんだ。十人ぐらいでやる時は一番愉快ゆかいだよ。甲州ではじめた時なんかね。はじめ僕が八やつヶ岳たけの麓ふもとの野原でやすんでたろう。曇くもった日でねえ、すると向うの低い野原だけ不思議に一日、日が照ってね、ちらちらかげろうが上っていたんだ。それでも僕はまあやすんでいた。そして夕方になったんだ。するとあちこちから

『おいサイクルホールをやろうじゃないか。どうもやらなけぁ、いけない様だよ。』ってみんなの云うのが聞えたんだ。

『やろう』僕はたち上って叫さけんだねえ、

『やろう』『やろう』声があっちこっちから聞えたね。

『いいかい、じゃ行くよ。』僕はその平地をめがけてピーッと飛んで行った。するといつでもそうなんだが、まっすぐに平地に行かさらないんだ。急げば急ぐほど右へまがるよ、尤もそれでサイクルホールになるんだよ。さあ、みんながつづいたらしいんだ。僕はもうまるで、汽車よりも早くなっていた。下に富士川の白い帯を見てかけて行った。けれども間もなく、僕はずっと高いところにのぼって、しずかに歩いていたねえ。サイクルホールだんだん向うへ移って行って、だんだんみんなもはいって行って、ずいぶん大きな音をたてながら、東京の方へ行ったんだ。きっと東京でもいろいろ面白いことをやったねえ。それから海へ行ったろう。海へ行ってこんどは竜巻たつまきをやったにちがいないんだ。竜巻はねえ、ずいぶん凄すごいよ。海のには僕はいたことはないんだけれど、小さいのを沼でやったことがあるよ。丁度お前達の方のご維新いしん前ね、日詰ひづめの近くに源五沼という沼があったんだ。そのすぐ隣となりの草はらで、僕等は五人でサイクルホールをやった。ぐるぐるひどくまわっていたら、まるで木も折れるくらい烈はげしくなってしまった。丁度雨も降るばかりのところだった。一人の僕の友だちがね、沼を通る時、とうとう機はずみで水を掬すくっちゃったんだ。さあ僕等はもう黒雲の中に突き入ってまわって馳けたねえ、水が丁度漏斗じょうごの尻しりのようになって来るんだ。下から見たら本当にこわかったろう。

『ああ竜りゅうだ、竜だ。』みんなは叫んだよ。実際下から見たら、さっきの水はぎらぎら白く光って黒雲の中にはいって、竜のしっぽのように見えたかも知れない。その時友だちがまわるのをやめたもんだから、水はざあっと一ぺんに日詰の町に落ちかかったんだ。その時は僕はもうまわるのをやめて、少し下に降りて見ていたがね、さっきの水の中にいた鮒ふなやなまずが、ばらばらと往来や屋根に降っていたんだ。みんなは外へ出て恭恭うやうやしく僕等の方を拝んだり、降って来た魚を押し戴いただいていたよ。僕等は竜じゃないんだけれども拝まれるとやっぱりうれしいからね、友だち同志にこにこしながらゆっくりゆっくり北の方へ走って行ったんだ。まったくサイクルホール面白いよ。

 それから逆サイクルホールというのもあるよ。これは高いところから、さっきの逆にまわって下りてくることなんだ。この時ならば、そんなに急なことはない。冬は僕等は大抵シベリヤに行ってそれをやったり、そっちからこっちに走って来たりするんだ。僕たちがこれをやってる間はよく晴れるんだ。冬ならば咽喉のどを痛くするものがたくさん出来る。けれどもそれは僕等の知ったことじゃない。それから五月か六月には、南の方では、大抵支那しなの揚子江ようすこうの野原で大きなサイクルホールがあるんだよ。その時丁度北のタスカロラ海床かいしょうの上では、別に大きな逆サイクルホールがある。両方だんだんぶっつかるとそこが梅雨つゆになるんだ。日本が丁度それにあたるんだからね、仕方がないや。けれどもお前達のところは割合から西へ外れてるから梅雨らしいことはあんまりないだろう。あんまりサイクルホールの話をしたか何だか頭がぐるぐるしちゃった。もうさよなら。僕はどこへも行かないんだけれど少し睡ねむりたいんだ。さよなら。」

 又三郎マントがぎらっと光ったと思うと、もうその姿は消えて、みんなは、はじめてほうと息をつきました。それからいろいろいまのことを話しながら、丘を下って銘銘めいめいわかれておうちへ帰って行ったのです。

   九月五日

「僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。

上海東京は僕たちの仲間なら誰たれでもみんな通りたがる

佐藤

九月二日

 次の日もよく晴れて谷川の波はちらちらひかりました。

 一郎と五年生の耕一とは、丁度午后ごご二時に授業がすみましたので、いつものように教室掃除そうじをして、それから二人一緒いっしょに学校の門を出ましたが、その時二人の頭の中は、昨日の変な子供で一杯いっぱいになっていました。そこで二人はもう一度、あの青山の栗の木まで行って見ようと相談しました。二人は鞄をきちんと背負い、川を渡わたって丘おかをぐんぐん登って行きました。

 ところがどうです。丘の途中とちゅうの小さな段を一つ越こえて、ひょっと上の栗の木を見ますと、たしかにあの赤髪の鼠色のマントを着た変な子が草に足を投げ出して、だまって空を見上げているのです。今日こそ全く間違まちがいありません。たけにぐさは栗の木の左の方でかすかにゆれ、栗の木のかげは黒く草の上に落ちています

 その黒い影かげは変な子のマントの上にもかかっているのでした。二人はそこで胸をどきどきさせて、まるで風のようにかけ上りました。その子は大きな目をして、じっと二人を見ていましたが、逃にげようともしなければ笑いもしませんでした。小さなくちびるを強そうにきっと結んだまま、黙だまって二人のかけ上って来るのを見ていました。

 二人はやっとその子の前まで来ました。けれどもあんまり息がはあはあしてすぐには何も云えませんでした。耕一などはあんまりもどかしいもんですから空へ向いて、

「ホッホウ。」と叫んで早く息を吐はいしまおうとしました。するとその子が口を曲げて一寸ちょっと笑いました。

 一郎がまだはあはあ云いながら、切れ切れに叫びました。

「汝うなぁ誰たれだ。何だ汝うなぁ。」

 するとその子は落ちついて、まるで大人のようにしっかり答えました。

「風野又三郎。」

「どこの人だ、ロシヤ人か。」

 するとその子は空を向いて、はあはあはあはあ笑い出しました。その声はまるで鹿しかの笛のようでした。それからやっとまじめになって、

又三郎だい。」とぶっきら棒に返事しました。

「ああ風の又三郎だ。」一郎と耕一とは思わず叫んで顔を見合せました。

「だからそう云ったじゃないか。」又三郎は少し怒おこったようにマントからとがった小さな手を出して、草を一本むしってぷいっと投げつけながら云いました。

「そんだらあっちこっち飛んで歩くな。」一郎がたずねました。

「うん。」

面白いか。」と耕一が言いました。すると風の又三郎は又笑い出して空を見ました。

「うん面白い。」

「昨日何なして逃げた。」

「逃げたんじゃないや。昨日は二百十日だい。本当なら兄さんたちと一緒にずうっと北の方へ行ってるんだ。」

「何なして行かなかった。」

「兄さんが呼びに来なかったからさ。」

「何て云う、汝うなの兄あい※[#小書き平仮名な、82-14]は。」

「風野又三郎。きまってるじゃないか。」又三郎は又機嫌きげんを悪くしました。

「あ、判わかった。うなの兄※[#小書き平仮名な、82-16]も風野又三郎、うなぃのお父さんも風野又三郎、うなぃの叔父おじさんも風野又三郎だな。」と耕一が言いました。

「そうそう。そうだよ。僕ぼくはどこへでも行くんだよ。」

支那しなへも行ったか。」

「うん。」

岩手山へも行ったが。」

岩手山から今来たんじゃないか。ゆうべは岩手山の谷へ泊とまったんだよ。」

「いいなぁ、おらも風になるたぃなぁ。」

 すると風の又三郎はよろこんだの何のって、顔をまるでりんごのようにかがやくばかり赤くしながら、いきなり立ってきりきりきりっと二三べんかかとで廻まわりました。鼠色のマントがまるでギラギラする白光りに見えました。それから又三郎は座って話し出しました。

面白かったぞ。今朝のはなし聞かせようか、そら、僕は昨日の朝ここに居たろう。」

「あれから岩手山へ行ったな。」耕一がたずねました。

「あったりまえさ、あったりまえ。」又三郎は口を曲げて耕一を馬鹿かにしたような顔をしました。

「そう僕のはなしへ口を入れないで黙っておいで。ね、そら、昨日の朝、僕はここから北の方へ行ったんだ。途中で六十五回もいねむりをしたんだ。」

「何なしてそんなにひるねした?」

「仕方ないさ。僕たちが起きてはね廻っていようたって、行くところがなくなればあるけないじゃないか。あるけなくなりゃ、いねむりだい。きまってらぁ。」

「歩けないたって立つが座ねまるかして目をさましていればいい。」

「うるさいねえ、いねむりたって僕がねむるんじゃないんだよ。お前たちがそう云うんじゃないか。お前たちは僕らのじっと立ったり座ったりしているのを、風がねむると云うんじゃないか。僕はわざとお前たちにわかるように云ってるんだよ。うるさいねえ。もう僕、行っちまうぞ。黙って聞くんだ。ね、そら、僕は途中で六十五回いねむりをして、その間考えたり笑ったりして、夜中の一時に岩手山の丁度三合目についたろう。あすこの小屋にはもう人が居ないねえ。僕は小屋のまわりを一ぺんぐるっとまわったんだよ。そしてまっくろな地面をじっと見おろしていたら何だか足もとがふらふらするんだ。見ると谷の底がだいぶ空あいてるんだ。僕らは、もう、少しでも、空いているところを見たらすぐ走って行かないといけないんだからね、僕はどんどん下りて行ったんだ。谷底はいいねえ。僕は三本の白樺しらかばの木のかげへはいってじっとしずかにしていたんだ。朝までお星さまを数えたりいろいろこれから面白いことを考えたりしていたんだ。あすこの谷底はいいねえ。そんなにしずかじゃないんだけれど。それは僕の前にまっ黒な崖がけがあってねえ、そこから一晩中ころころかさかさ石かけや火山灰のかたまったのやが崩くずれて落ちて来るんだ。けれどもじっとその音を聞いてるとね、なかなか面白いんだよ。そして今朝少し明るくなるとその崖がまるで火が燃えているようにまっ赤なんだろう。そうそう、まだ明るくならないうちにね、谷の上の方をまっ赤な火がちらちらちらちら通って行くんだ。楢ならの木や樺の木が火にすかし出されてまるで烏瓜からすうりの燈籠とうろうのように見えたぜ。」

「そうだ。おら去年烏瓜の燈火あかし拵こさえた。そして縁側えんがわへ吊つるして置いたら風吹いて落ちた。」と耕一が言いました。

 すると又三郎は噴ふき出してしまいました。

「僕お前の烏瓜の燈籠を見たよ。あいつは奇麗きれいだったねい、だから僕がいきなり衝つき当って落してやったんだ。」

「うわぁい。」

 耕一はただ一言云ってそれから何ともいえない変な顔をしました。

 又三郎おかしくておかしくてまるで咽喉のどを波のようにして一生けん命空の方に向いて笑っていましたがやっとこらえて泪なみだを拭ふきながら申しました。

「僕失敬したよ。僕そのかわり今度いいものを持って来てあげるよ。お前※[#小書き平仮名ん、85-9]とこへね、きれいなはこやなぎの木を五本持って行ってあげるよ。いいだろう。」

 耕一はやっと怒るのをやめました。そこで又三郎は又お話をつづけました。

「ね、その谷の上を行く人たちはね、みんな白いきものを着て一番はじめの人はたいまつを待っていただろう。僕すぐもう行って見たくて行って見たくて仕方なかったんだ。けれどどうしてもまだ歩けないんだろう、そしたらね、そのうちに東が少し白くなって鳥がなき出したろう。ね、あすこにはやぶうぐいすや岩燕いわつばめやいろいろ居るんだ。鳥がチッチクチッチクなき出したろう。もう僕は早く谷から飛び出したくて飛び出したくて仕方なかったんだよ。すると丁度いいことにはね、いつの間にか上の方が大へん空あいてるんだ。さあ僕はひらっと飛びあがった。そしてピゥ、ただ一足でさっきの白いきものの人たちのとこまで行った。その人たちはね一列になってつつじやなんかの生えた石からをのぼっているだろう。そのたいまつはもうみじかくなって消えそうなんだ。僕がマントをフゥとやって通ったら火がぽっぽっと青くうごいてね、とうとう消えてしまったよ。ほんとうはもう消えてもよかったんだ。東が琥珀こはくのようになって大きなとかげの形の雲が沢山たくさん浮うかんでいた。

『あ、とうとう消けだ。』と誰たれかが叫んでいた。おかしいのはねえ、列のまん中ごろに一人の少し年老としとった人が居たんだ。その人がね、年を老って大儀たいぎなもんだから前をのぼって行く若い人のシャツのはじにね、一寸ちょっととりついたんだよ。するとその若い人が怒ってね、

『引っ張るなったら、先刻さっきたがらいで処とこさ来るづどいっつも引っ張らが。』と叫さけんだ。みんなどっと笑ったね。僕も笑ったねえ。そして又一あしでもう頂上に来ていたんだ。それからあの昔むかしの火口のあとにはいって僕は二時間ねむった。ほんとうにねむったのさ。するとね、ガヤガヤ云うだろう、見るとさっきの人たちがやっと登って来たんだ。みんなで火口のふちの三十三の石ぼとけにね、バラバラリとお米を投げつけてね、もうみんな早く頂上へ行こうと競争なんだ。向うの方ではまるで泣いたばかりのような群青ぐんじょうの山脈や杉すぎごけの丘のようなきれいな山にまっ白な雲が所々かかっているだろう。すぐ下にはお苗代なわしろ御釜おかま火口湖がまっ蒼さおに光って白樺しらかばの林の中に見えるんだ。面白かったねい。みんなぐんぐんぐんぐん走っているんだ。すると頂上までの処にも一つ坂があるだろう。あすこをのぼるとき又さっきの年老としよりがね、前の若い人のシャツを引っぱったんだ。怒っていたねえ。それでも頂上に着いてしまうとそのとし老よりがガラスの瓶びんを出してちいさなちいさなコップについでそれをそのぷんぷん怒っている若い人に持って行って笑って拝むまねをして出したんだよ。すると若い人もね、急に笑い出してしまってコップを押おし戻もどしていたよ。そしておしまいとうとうのんだろうかねえ。僕はもう丁度こっちへ来ないといけなかったもんだからホウと一つ叫んで岩手山の頂上からはなれてしまったんだ。どうだ面白いだろう。」

面白いな。ホウ。」と耕一が答えました。

又三郎さん。お前まいはまだここらに居るのか。」一郎がたずねました。

 又三郎はじっと空を見ていましたが

「そうだねえ。もう五六日は居るだろう。歩いたってあんまり遠くへは行かないだろう。それでももう九日たつと二百二十日からね。その日は、事によると僕はタスカロラ海床かいしょうのすっかり北のはじまで行っちまうかも知れないぜ。今日もこれから一寸向うまで行くんだ。僕たちお友達になろうかねえ。」

「はじめから友だちだ。」一郎が少し顔を赤くしながら云いました。

「あした僕は又どっかであうよ。学校から帰る時もし僕がここに居たようならすぐおいで。ね。みんなも連れて来ていいんだよ。僕はいくらでもいいこと知ってんだよ。えらいだろう。あ、もう行くんだ。さよなら。」

 又三郎は立ちあがってマントをひろげたと思うとフィウと音がしてもう形が見えませんでした。

 一郎と耕一とは、あした又あうのを楽しみに、丘を下っておうちに帰りました。

   九月三日

 その次の日は九月三日でした。昼すぎになってから一郎は大きな声で云いいました。

「おう、又三郎は昨日又また来たぞ。今日も来るかも知れないぞ。又三郎の話聞きたいものは一緒いっしょにあべ。」

 残っていた十人の子供らがよろこんで、

「わぁっ」と叫びました。

 そしてもう早くもみんなが丘おかにかけ上ったのでした。ところが又三郎は来ていないのです。みんなは声をそろえて叫びました。

又三郎又三郎、どうどっと吹ふいで来こ。」

 それでも、又三郎は一向来ませんでした。

「風どうと吹いて来こ、豆呉けら風どうと吹いで来こ。」

 空には今日も青光りが一杯いっぱいに漲みなぎり、白いまばゆい雲が大きな環わになって、しずかにめぐるばかりです。みんなは又叫びました。

又三郎又三郎、どうと吹いて降りで来こ。」

 又三郎は来ないで、却かえってみんな見上げた青空に、小さなさなすき通った渦巻うずまきが、みずすましの様に、ツイツイと、上ったり下ったりするばかりです。みんなは又叫びました。

又三郎又三郎、汝うな、何なして早ぐ来ない。」

 それでも又三郎はやっぱり来ませんでした。

 ただ一疋ぴきの鷹たか銀色の羽をひるがえして、空の青光を咽喉一杯に呑のみながら、東の方へ飛んで行くばかりです。みんなは又叫びました。

又三郎又三郎、早ぐ此こさ飛んで来こ。」

 その時です。あのすきとおる沓くつとマントがギラッと白く光って、風の又三郎は顔をまっ赤に熱ほてらせて、はあはあしながらみんなの前の草の中に立ちました。

「ほう、又三郎、待っていたぞ。」

 みんなはてんでに叫びました。又三郎マントのかくしから、うすい黄色のはんけちを出して、額の汗あせを拭きながら申しました。

「僕ね、もっと早く来るつもりだったんだよ。ところがあんまりさっき高いところへ行きすぎたもんだから、お前達の来たのがわかっていても、すぐ来られなかったんだよ。それは僕は高いところまで行って、そら、あすこに白い雲が環になって光っているんだろう。僕はあのまん中をつきぬけてもっと上に行ったんだ。そして叔父おじさんに挨拶あいさつして来たんだ。僕の叔父さんなんか偉えらいぜ。今日だってもう三十里から歩いているんだ。僕にも一緒に行こうって云ったけれどもね、僕なんかまだ行かなくてもいいんだよ。」

「汝うなぃの叔父さんどごまで行く。」

「僕の叔父さんかい叔父さんはね、今度ずうっと高いところをまっすぐに北へすすんでいるんだ。

 叔父さんのマントなんか、まるで冷えてしまっているよ。小さなさな氷のかけらがさらさらぶっかかるんだもの、そのかけらはここから見えやしないよ」

又三郎さんは去年なも今頃いまごろここへ来たか。」

「去年は今よりもう少し早かったろう。面白おもしろかったねえ。九州からまるで一飛びに馳かけて馳けてまっすぐに東京へ来たろう。そしたら丁度僕は保久大将の家を通りかかったんだ。僕はね、あの人を前にも知っているんだよ。だから面白くて家の中をのぞきこんだんだ。障子が二枚はずれてね『すっかり嵐あらしになった』とつぶやきながら障子を立てたんだ。僕はそこから走って庭へでた。あすこにはざくろの木がたくさんあるねえ。若い大工がかなづちを腰こしにはさんで、尤もっともらしい顔をして庭の塀へいや屋根を見廻みまわっていたがね、本当はやっこさん、僕たちの馳けまわるのが大変面白かったようだよ。唇くちびるがぴくぴくして、いかにもうれしいのを、無理にまじめになって歩きまわっていたらしかったんだ。

 そして落ちたざくろを一つ拾って噛かじったろう、さあ僕はおかしくて笑ったね、そこで僕は、屋敷やしきの塀に沿って一寸戻ったんだ。それからにわかに叫んで大工の頭の上をかけ抜ぬけたねえ。

 ドッドド ドドウド ドドウド ドドウ、

 甘いざくろも吹き飛ばせ

 酸すっぱいざくろも吹き飛ばせ

 ホラね、ざくろの実がばたばた落ちた。大工はあわてたような変なかたちをしてるんだ。僕はもう笑って笑って走った。

 電信ばしらの針金を一本切ったぜ、それからその晩、夜どおし馳けてここまで来たんだ。

 ここを通ったのは丁度あけがただった。その時僕は、あの高洞山たかぼらやまのまっ黒な蛇紋岩じゃもんがんに、一つかみの雲を叩たたきつけて行ったんだ。そしてその日の晩方にはもう僕は海の上にいたんだ。海と云ったって見えはしない。もう僕はゆっくり歩いていたからね。霧きりが一杯に

2021-03-22

赤い部屋

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。

 七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。

 部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチック蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

 いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。

 誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛け人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。

 やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

 私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

 初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。

 そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易生活を送っていました。

 これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働しろ兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。

 こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。

 私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。

 犯罪探偵遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアル遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。

 その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘン喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。

 そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。

 それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事動機を為なしたのでした。

 どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町何気なくヒョイと曲りますと、出会であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男自動車運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。

 私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから医院所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」

 すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。

 実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。

「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」

 私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」

 というその時の言葉もすっかり覚えています。なぜその代りに、

「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」

 と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しか外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。

 私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院はいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。

 私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。

 この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながちとがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますいか

 これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しか法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上殺人である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。

 皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。

 これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。

(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)

 この場合危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれ理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。

 世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。

 そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。

 今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。

 併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます

 この方法発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手言葉にさからたことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。

 ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。

 それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、

「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)

「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」

 と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、

「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」

 などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、

「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。

 こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。

 ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。

 ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。

 変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33

又三郎

風の又三郎

宮沢賢治


どっどど どどうど どどうど どどう

青いくるみも吹きとばせ

すっぱいかりんも吹きとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう

 谷川の岸に小さな学校がありました。

 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。

 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室なかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。

 もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき川上から

「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。

「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛おかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。

 みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。

 赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、

「何なにした。」とききました。

 みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。

 みんなもすっかり元気になってついて行きました。

「だれだ、時間にならないに教室はいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。

「お天気のいい時教室はいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。

しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。

「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。

 ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。

 それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。

あいづは外国人だな。」

学校はいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、

「ああ三年生さはいるのだ。」と叫びましたので、

「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。

 変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています

 そのとき風がどうと吹いて来て教室ガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。

 すると嘉助がすぐ叫びました。

「ああわかった。あいつは風の又三郎またさぶろうだぞ。」

 そうだっとみんなもおもったときにわかにうしろのほうで五郎が、

「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。

 みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、

「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。

 五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。

「わあい、けんかするなったら、先生ちゃん職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。

 たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。

 風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。

「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。

 みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。

「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」

二百十日で来たのだな。」

「靴くつはいでだたぞ。」

「服も着でだたぞ。」

「髪赤くておかしやづだったな。」

「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。

「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」

「そだないでああいづあ休み前に嘉助石ぶっつけだのだな。」

「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。

 みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、

先生お早うございます。」と言っただけでした。

「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。

 すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。

 二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。

 するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。

 みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。

 先生はまた玄関の前に戻って、

「前へならえ。」と号令をかけました。

 みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子ちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。

「直れ。」先生がまた号令をかけました。

一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手下駄箱げたばこのある入り口はいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。

 まもなくみんなははきもの下駄箱げたばこに入れて教室はいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。

「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」

「わあ、おらの机代わってるぞ。」

「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」

「わあい、さの、木ペン借せ、木ペン借せったら。」

「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」

 そのとき先生はいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんしろで、

「礼。」と言いました。

 みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。

「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。

「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんしろからまりさわぐものを一人ずつしかりました。

 みんなはしんとなりました。

 先生が言いました。

「みなさん、長い夏のお休みおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校勉強ときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」

 すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、

「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。

 ところが嘉助がすぐ、

先生。」といってまた手をあげました。

はい。」先生は嘉助を指さしました。

高田さん名はなんて言うべな。」

高田三郎さぶろうさんです。」

「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。

 先生はまた言いました。

「きょうはみなさんは通信簿宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」

 みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿宿題を机の上に出しました。そして先生一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。

 ところが先生別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。

「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しまから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたかちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」

 一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろ大人おとなも扇を下にさげて立ちました。

「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろ大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。

 すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。

「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。

「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。

「何ぶんどうかよろしくねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。

 運動場を出るときの子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。

先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。

「そうです。」

「なんの用で来たべ。」

「上の野原の入り口モリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」

「どこらあだりだべな。」

「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」

モリブデン何にするべな。」

「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」

「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。

又三郎だない。高田三郎だぢゃ。」佐太郎が言いました。

又三郎又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。

「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。

「わあい。やんたぢゃ。きょう四年生ど六年生だな。」

 嘉助は大急ぎで教室をはねだして逃げてしまいました。

 風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。

 次の日一郎はあのおかし子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除ときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。

「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。

「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。

 一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。

 嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。

「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、

お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。

 それは返事をしないのではなくて、みんなは先生はいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。

 ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。

 それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。

 そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。

 みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。

 その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。

 すると嘉助が突然高く言いました。

「そうだ。やっぱりあい又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」

「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます

 そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。

お早うございます。」小さな子どもらはみんな集まりました。

お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。

 みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています

 先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室はいりました。そして礼がすむと先生は、

「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」

 さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆ひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、

「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、

「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、

「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かに化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。

 すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。

 すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、

「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。

 先生は向こうで一年の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんしろちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。

「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生

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