はてなキーワード: 対応とは
「人によって態度変える人許せない!」「曲がった事大嫌い!」とか言う人の方が苦手だし口ばっかだと思う。自分だって出来もしない事を人に求めるなと思う。
ちゃんと扱われたいなら、プライドを持ち、キレイな顔と身なり。実力を身につけたらよい。
娘2人に対しても、同じ対応出来ない時あるし
こういう人は自分が軽んじられて腹正しいんだろうけど、なぜかは考えてない。ただ、そういうのやだよねって悪口言い合いたいだけ。
休日出勤3日目
(ただし自己都合出勤の扱いの為、通常通り法定有給は消化される)、
なんとか仕事を終えて帰ろうとした時、上司に「明日中に終わればいい仕事」を振られる。
我が社において「明日中に終わればいい仕事」は「明後日の始業開始前に提出すればいい仕事」であり、
「実は、女は台所で美味いものを食べて楽しくやってるんですよ」という話で噴き上がったさす九。
じゃあ、実際はどうだったのか。1人の九州出身者(身体女)の体験談を、列挙していく。
もちろんこれは、単なる個人の体験談であり、また実際に以下の事象が起こったという裏付けや証拠を出せ!と言われても無理である。増田だから匿名だし。
ただまぁ、こういうことを経験したと主張する人間が、少なくとも1人存在する。
すごく賢い男の子がいた。
私と彼は、競い合っていたわけではないけれど、だいたいテストでいい点を取るのはこの2人だよね、的な空気がクラスにはあった。
ある時、別の賢い男の子が転校してきた。
あまり点数を気にしていなかった私も、2人の姿に競争心が刺激されて、点数を稼ぐための勉強をした。
ある時、私が満点で、男の子2人は満点を取れなかったテストがあった。
男の子たちは、私に凄いと褒めてくれた後、とても悔しそうに呟いた。
「まさか、女に負けるなんて」
私はずっと、父親から「お前が生まれたと聞いた時、駆けつけて『女の子ですよ!』と言われてガクーッと来たんだよなぁ」というのを、ジェスチャー付きで言われつづけてきた。
そして、祖母は「どうして男を産まなかったのか」ということで、ことあるごとに母をネチネチ虐めていた。
そして、従兄弟が産まれたら大騒ぎし、初めての男の子!と色んなプレゼントをし、男の子だから!とお金を渡し、やたらに可愛がっていた。
従兄弟はクズだったしバカだったが、それでも従兄弟の方が可愛がられた。
これで無関心になってくれれば良かったのだが、孫の中で唯一私だけが、ある程度進学校として名の通っている中学校に進んだので、祖母の自慢要員(アクセサリー)兼おさんどん係として、今後も振り回されることになる。ちなみにアクセサリーとして祖母に随伴してもお小遣いはもらえない。旨みなどまったくない。
私は、嫌になるほど祖母に似ていた。
外で歩くと、「あら〜増田さん(仮)ちの子でしょ!」と顔を見て言われるほどで、本当に嫌だった。
そして、祖母はおじ(父の兄弟)と似ており、私はおじの子だと間違われることがかなりあった。
私はおじも嫌いだったので、母に「また外で似ていると言われた。そんなに似ているか?」と愚痴った。
「そうねぇ、アンタは産まれた時からおじさんに似てるって言われてたわぁ。○○おばさん(祖母の姉妹)なんて、『本当に似てるわねぇ。何でそんなに似てるんだろうねぇ』って言ってきたのよ」
「えっ?それって」
「明らかに、おじさんと不倫したんでしょ、ってニュアンスだったわ」
ギョッとした。それからしばらく、なにも言えなかった。
田舎の小学校あるあるかもしれないが、会話していても本気で話が通じなくて苦痛だった(A=BでB=CならA=Cだろう、という会話で何でなんでそんなのお前の感想じゃんじゃあA=Dじゃん!みたいなことを喚かれる)。
だから脱出先を探し、幸運にも「親の出した条件」をクリアする学校が見つかったのでそこを受験した。
というわけで、若干遠い学校に通うことになった。
一時期、寮に入っていた。
その時、管理人(男/中高年/既婚者)が、授業中に無断で女子生徒の部屋に入っていたことが判明し、問い詰めたことがあった。
「下着も干している、プライベートな場所だ。なぜ留守中に入る必要がある、今すぐやめてくれ」
私の主張は鼻で笑われた。
「お前達は子供だ、親は部屋に入るだろう。俺は親代わりなんだから部屋に入って当然だ」
私は食い下がった。
「お前は親ではない。というか親だったとしても、親はわたしのプライバシーを尊重してくれる。留守中に、下着を干している部屋に無断で入ったりしない」
男は心底驚いた顔をした。
「それは、お前の親が、家庭がおかしいんだ。お前の親、おかしいよ」
周りには、部屋に入られた他の寮生もいた。
どうして下着を見られたくない、それだけのことなのに親まで詰られなければならないのか。
翌年から私は寮を出た。
私も、周りの子も、親や教師に相談をしたと思うのだが、奴が問題になって出ていく、みたいなことはなかった。
お前達は子供だからお前らの下着を見ても別に興奮しない、みたいなことずっと言ってたけど、疚しかったんだろうなぁ。キッッッショ(感想
あとは、その辺で陰茎出してるお兄さんとか本屋で尻触ってくる痴漢とかいた。あと、ちょっと気持ち悪すぎてここでは書けない(性被害の度合いとして酷いことをされたというより、なんかもうキショすぎて口に出すのを憚られる。周りからすると笑えることだと思うけど、今でもキッショいなぁ〜恥ずかしいなぁ〜口にできねぇ〜!って思っちゃう)ことがたくさんあった。この辺りは九州特有の、というわけではない気がするので今回は割愛する。
一般の、日本に生きる女子中高生としてよくある性被害を受けていた(これも大概どうかとは思うが)。
このあたりで、うっすらと「フェミニズム」が九州でも認知されてきたように思う。しかしそれは、九州的な「女がすべきこと(雑用)」を完璧にこなして男様を気持ちよくさせた上で男様の2倍の実力を発揮できるようでなければ、自分の権利を主張するな、という空気しかなかった。
今も変わらない?そうかな……そうかも……
部活は男女に分かれている一方で、用具の準備やらなんやらの雑用はかなり女子が多くやっていた。
理由は「女の方が弱いのに、同じ体育館を使わせてもらってるんだからその分部活に奉仕しろ」とのこと。
もちろんマネージャーもいて、お茶の用意などは基本的に彼女らが全部やってくれた。だがマネージャーであると同時に友達でもあるので、やっぱり時間があれば手伝うことも多かった。
「お前らは知らないだろうが、マネージャーはずっと俺たちにお茶を作ってくれたりと雑用をして支えてくれたんだ。お礼を言おう」
しらねーーーーーのはお前だけだがーー!!?!!?!?!(流石にキレる)
感謝の気持ちがあるなら毎回手伝えばよかったじゃん!?!?!?!?!?!?手伝ってたのは女子部員だけだし、女子部員は全員毎回誰かしら手伝ってたんだよ!!!!それも見てなかったの!?!?!?!?!?
最後に感謝して俺いいこと言ってる✨顔してんの、何なんだよ!?!?!?!
人が亡くなると、49日までお経あげたりと度々集まるような宗派だったので、私は毎回その集まりに駆り出され、おさんどんをさせられていた。
食事は、「気が詰まるだろうから」という「お気遣い」をいただき、台所で食べた。
「そんな扱いされると分かってるなら行くなよ!」とか「拒否れば?」って思う人も多いかもしれないが、こちとら物心ついたときから盆や正月、親戚が集まれば配膳や酒を注ぐやら灰皿変えるやらさせられていた九州の女である。手伝いに行くことに、疑問すら持たなかった。
お経を上げ、お墓参りに行く時、女衆は座敷のセッティングをして墓参り組を待つのだ。
ただ、みんな車に乗っているので、お酒の準備はないし、料理も既に用意していたりお弁当を並べるだけだったりして、正直女でも2人いればどうにかなる。というか、机動かすのとか男がやれよなって今なら思えるが、当時はそんなことも思い浮かばなかった。
最後の集まりの時、おじから「今までお墓参り行ったことなかったよな。今日は行くか?」と聞かれ、私はもちろんと頷いた。
ここまで、孫なのに墓に参ることもなく、おさんどんだけさせられて帰らされていたというのは(そして男の孫はそんな目には遭っていない)かなりグロい状況なのだが、そんなことには気づいていなかった。そして、初めてお墓見るなぁと、少しワクワクしていた。
お坊さんがお経を上げ終わり、じゃあみんなでお墓参り行こうかという準備をしていた。私は、ギリギリまでおさんどんして、残る人たちの負担が少しでも減るようにしていた。
「やっぱり、お墓参りはちょっと……今回は、家で待っててもらえる?」
と言いにくそうに言われた。
「今回は」も何も、一度もいけたことはなく、ずっと家で待っていたが?????おん?????????
と思ったが、絶対絶対お墓に行きたーい!みたいな情熱は無かったので、まぁそう言われるなら……と私は了承し、家で待った。
そういえば、私以外の女の孫は、みんな来てないなぁなんて思いながら、墓参りに参加するために急いで用意してしまいやることがなくなった台所で、ぼんやりと親戚一同が帰ってくるのを待ったのだった。
そんな中でも、鹿児島の人たちの話は強烈だった。特に、女性から聞く話はもう、上記のような経験をしている私からしても「おかしいよ!!」と絶叫するような話ばかりだった。
そのうちの一つが、以下に書くような話だ。
というか、胸の大小について、男性から公的な場所で、大っぴらに色々と揶揄われる。触られる。性的な言葉をかけられる。」
これまで私が受けてきたセクハラは、「性的な意図はないから!」みたいな隠れ蓑が必ずあった。建前というか、私は悪いことしてませんよ、と言うために本音を隠す「何か」があった。
でも、鹿児島にはそれがない。女にセクハラしようが何しようが、性的な意図で触ることが「悪」ではない。少なくとも、その場で眉をひそめられたり、他人から咎められることではないのだ。
私は中高生時代に、胸が小さいことをさんざん同級生に揶揄われたので、スタイルが良くて良いねと心の底から羨ましがったら、「胸が大きくていいことなんかない」と言われ、上記のことを教えられた。その後、鹿児島ってそうなの?と別の子に聞いたら、そうだよーあるあるーみたく言われ、本当にヤバい場所だなと認識した。
だから余計に、「鹿児島は本当にやばい、いわゆる男尊女卑とはああいうのを言うんだなぁ。私は普通でよかったなぁ」となった。
大学院に進んだ。
そこそこ名の知れた学校で、進むにあたりかなり頑張ったので、私はかなり鼻高々だった。調子に乗っていた。
父方・母方の祖母2人に、進学を報告した。
一方はかなりボケていたが、どちらも全く同じ事を言った。
「女がそげん勉強して、どがんすっ」
翻訳すると、「女がそんなに勉強して、どうする」という意味である。
小さく、私にしか聞こえないように、告げられた。
戦争で進学を諦めた、母方の祖母なら理解してくれると思ったけれど、この地はそんな祖母の気持ちすら奪った。恨むべきはこの地なのに、私は祖母が受け入れてくれなかったことを、裏切られたように感じてしまった。
大学院に進んだ後、同じ研究室の人と軽いパーティをしようという話になった。
買い出しで、私は当然、重たい水の入った袋を持った。だって運動部で、鍛えていて、そのくらい持つ力があったし、「男と同じように扱われたいなら少しでも男に甘えてはいけない、それはダブルスタンダードだ」という考えが、日常から、言葉でも言葉になっていなくても、骨の髄まで染み込んでいたからだ。
男性陣はそれに驚いて、「いいよ!増田ちゃんは軽いやつ持ってよ」と言ってきたが、ああそういう『ポーズ』ね、と思い「大丈夫だよ〜わたし力つよいし」とそのまま行こうとすると、
と言われた。
雷に打たれたような気持ちだった。
こいつは何を企んでいる?と思った。
どう対応すればいいのかわからなかった。初めての経験だったから。
頭が真っ白になっている間に、男性陣が荷物を持っていってしまった。
女の子だから、という理由で作業を免除されたのって、もしかしてこれが初めてじゃないか?書いていて思った。
さす九の何が嫌かって、「女は3歩後ろをついてこい」「外では俺を立てろ」と要求してくるのに、女を全然守ろうとはしないことなんですよね。女に守ってもらい、女にお世話してもらい、女に気持ちよくしてもらい、というおんぶに抱っこ。少しでも自立しようとすれば「だったらこれもやれ」「俺の世話も手を抜くな」「そこまでやって初めてお前は権利を主張できるんだ」と。
もちろんそうじゃない男性もいるとは思うんですけど、私が20ウン年あの地で生きてきて、荷物持ってもらえただけで衝撃を受けたってのは、やっぱりあの地に残る空気感、仕草、そういったものが日本の他の地とは違っているからだと思います。
普通に訪れたり、一人暮らしするだけではわからない、実際にあの共同体に組み込まれて、初めてわかるものがある。
中学生くらいの時から、欧米の女性は自分で何かをやり、自分で自立することをフェミニズムという!お前らは権利を訴えるだけ!見習え!みたいなことを言われたりもして、そうかぁ!そうだよなぁ!!ってしゃかりきになって勉強して自立しましたが、最近になって「欧米の女性はそもそも『お人形さん』『アクセサリー』のように大事に扱われるのがデフォだから、そこからの脱却を目指していたんだよ」と聞いてズコーーーっ!!!とずっこけました。
前提が違うじゃん!お前は割烹着きて家事育児して俺のご飯の準備とセックスの相手をして少ない給料でやりくりしてから好きなこと言え!働きたいなら最低限そのくらいしないと自立した女じゃない!みたいなのが日本の反フェミっていうかフェミが台頭したいならちゃんとしろよ論者が言ってきたことじゃん!?少なくとも10〜20年前の九州ではそう言われていた。
生きづらくて逃げに逃げて、逃げた先から昔いた場所を俯瞰して「やっぱあそこおかしかったんじゃ〜〜ん!?そこから脱出できた私えら〜い!!」って、今は自分を褒め称えようと思います。いやマジで頑張った、ありがとう、本当に今とても楽です。
上の話を読んでなんとなく察した人もいるかもしれませんが、私は小中学生時代、男の子になりたかった。
だって男の子だったら本を読んでいても、勉強していても、不細工でも、問題ない。何も言われない。変だとか、生意気だとか、言われなかった。
「男の子がよかったのになぁ」と言われることもなかった。
セクハラされることも、顔や体つきについてとやかく言われることもなかった。
一度、男の子みたいな格好をしてみた。別にそれで何か嬉しかったりとかはしなかった。
ただ、私が男の子だったら、こんな面倒なこと、摩擦が起きなかったのに、という、消極的な気持ちで、男の子になりたかった。
あの時、「あなたは本当は男の子なのよ」って言われたら、泣いて喜んでいたと思う。
私は男の子なの、男の子として扱って!となり、治療も受けていたと思う。
けれど、男になった私を、親族は誰も受け入れたりはしなかっただろう。跡取り(そもそもそんな立派な家ではないが)として扱われたりなんかはせず、ずっと後ろ指を刺されていただろう。
今、私は、身体違和を感じていない。
生まれながらの心の問題とは別に、社会構造として、男に憧れてしまう(少し意地悪な言い方だが)状況がまだまだある以上、そして誰も責任を取らない、取れない治療法である以上、成人前の子供に性適合治療をすることは、厳に慎むべきだろう。
追記2:ダラダラと長く読みにくい文章になっちゃったんで、あとで整理して書き直します。読んでくださった方、すみません。
→4/29 20:25追記 たびたびですが、書き直しやめました。長文を読んでくださった方、ありがとうございます。あと歳がバレるパトレイバー展示会ネタをどこかに入れたかったのですが、さすがに無理でした。
→4/30 15:55追記 https://anond.hatelabo.jp/20240430155506 に補足とブコメへのレスを書きました。コメントくださった方、ありがとうございます
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たまたまホッテントリで見かけた話題について、ブクマはやっていませんが色々と書きたくなったので、増田にて吐き出します。
前職でIT系、前々職で商社系の販促を経験しており、展示会には良く出展してました。RX社主催のものにも定期的に出していたので、場の雰囲気は分かるつもりです。
IT系の場合、ごく一部のIT商社(代表格:O社)を除いて、ガツガツと営業できる人は残念ながら少ないと思います。
昔、コスト削減の一環で、プロパーの若手営業のみで体制組んだのですが、見事に大半の社員が動けませんでした。ルート営業で成果を上げていたり、初回訪問を問題無くこなせる社員でも、です。
初対面の人に物怖じせずに話しかけて、アンケート等をしながら5分ぐらい話を繋げられるってのも、立派な技術なんですよね。営業経験10年の中堅社員が「無視されるっての辛いんですね。今後、街でティッシュを配っていたら必ず受け取るようにします」って言っていたのが今でも記憶に残っています。
またこれについては、同業者や人事とも話していて同じ感覚です。業界柄、初対面適性の高いプロパーを採用したり、教育するぐらいなら、外注(展示会なら呼び込み、テレアポならアウトバウンド代行)に任せて、プロパーは確度の高い案件に注力すべきだ、的な。
商材にもよりますが、1件あたり数千万円以上~で、受注まで1年~かかるのであれば、入口は外注して大量に対応し、その中から良さげなものをプロパー対応するのは、人件費を変動費化させたり、費用対コストを考えると妥当なような気もします。
外注の話に戻りますが、結局、日当数万でも外注したほうがよっぽど効果高いんです。立ち話程度で話せる情報なら半日もレクチャーすれば分かってくれますし、その上、来場者にもガンガン攻めて来てくれる。
それに、どうせ出展&設営費で、小さいブースでも200~300万円、大きなブースなら1000万円以上かかることもザラですので、そのうちの1割を外注費に回したほうが費用対効果高いんです。ここが来場者との最大の接点ですから、ここを変にケチると前述のように出展そのものが失敗になります。
次に、私の主観ですが、IT系展示会で女性コンパニオンを使う理由としては、
1)出展者・来場者共に男性が多いので単純に目立つ。あと混雑時は女性の声のほうが通りやすい
2)プロパー男性社員の士気が上がる(と言っても、遅刻しないでちゃんと来る、頻繁なたばこ休憩が減る、来場者から見えるところでダラダラしない、ぐらいですが)
3)費用はたいして変わらない(コロナ前ですが、20代半ばだと、女性は3万円/日、男性は2.5万円/日、ぐらいでした。服装は両性とも自前のスーツ)
です。
個人的には、1)が大きいような気がします。来場者が男女半々のノベルティショーなんかは、出展者の男女比も同じような感じでした。行ったことが無いので分かりませんが、女性向けのビューティーショー(化粧品やエステ用品の展示会)なんかだとどうなんでしょうかね。
2)はねぇ…、なんというか。でも実際そんな気がします。これは1)と同じで、男性が、女性が、というのではなく、同性のみの中に異性を入れることで緊張感が出る、ということで。n=1ですが、「9:00開場なのでビッグサイトに8:30集合」としたら、「出勤できないので経費で前泊しても良いですか」と言っていた社員(なお弊社は品川で、定時は朝9:00)が会期4日間、毎日ちゃんと出勤したという経験もあります。
最後に、外注だからグイグイ来る問題ですが…たぶん彼ら、彼女らも外注の元請けから切られないように、そしてステップアップするために必死なんだと思います。我々プロパーは受注金額で評価されますが、外注の場合、名刺の枚数で評価されるしかありません。
また彼ら・彼女らは、若い劇団員やお笑い芸人とが多いようであり、ここでステップを踏めば、展示会における大勢の前でのプレゼン要員(5万円~/日。質疑はプロパーが対応するので外注でもOK)や、企業研修の講師(10万円~/日。コミュニケーションや演技など)とか、時間の自由が利いて、割のいい企業相手の仕事に就くことができる、と話していました。
以上です。なんか文章的になったり、箇条書きになったり、殴り書きでスミマセン。でも1つの経験から。
当然ですが、ノベルティ配布の目的は、見込み顧客情報の収集です。
名前も知らない相手に0からテレアポしても会ってくれるのは1%程度ですが、部署名と個人名が分かれば最低限電話で話すことはできます。
そうすると20%~30%ぐらいは会ってくれます(ここでもテレアポは異性の声が良いというデータがあったような気もしますが、うろ覚えなので割愛します)。
担当者や担当部署では無いということも多々ありますが、それでも会ってくれた人の10%~20%ぐらいは、担当者や担当部署の人を同席させてくれたり、社内で紹介してくれることもあります。
個人的な感覚としては、展示会で獲得できた情報から、直近の受注につながりそう(提案や見積OK)なのは1%、中長期的な感じ(メール送信OKで、年に2回ぐらい訪問)なのが9%ぐらいでしょうか。なお残りの90%のうち、メール送信のみOKが20%で、メール送信NGなのが70%ぐらいです。
ぶっちゃけ、ノベルティの代わりに、見込み顧客の情報収集のきっかけにつながるツールがあれば、なんでも良いと思います。
ですが、現在のところ数百円で話のきっかけ(来場者もノベルティがもらえるから、5分ぐらい話を聞いてアンケートに答えて、情報を渡すという理由)になるツールとしては、ノベルティが強く、当面は無くならないと思います。
なお私は、デスクサイドに置けて、社名が残るもの、という基準でノベルティを選定していました。単価は、受け取る際に抵抗感がない、販促予算から逆算、で200円~300円ぐらいでしたか。フリクション+替え芯、スマホスタンド、(震災後は)マグライト、あたりを選んでいたような気がします。
この分野はよく知らないのですが、IT系展示会(ゲームを除く)でそんなに露出度の高いコンパニオンっていましたっけ? 普通、スーツかビジネスカジュアル、ユニフォーム的な社名入りポロシャツでは?
やるからには効果あるんでしょうけど、だったら人数増やした方が良くない?と考えてしまいます。ネット上でバズらせるなど、別の目的があればまだ納得しますが。
あとゲームショーで、コンパニオンに自社商品のコスプレ(露出度問わず)をしてもらう場合、あれはかなりガチにやってます。
聞いた話ですが、ちゃんと数回コンペまでやってコンパニオンを厳選し、日当は10万〜/日、それに衣装代が20万〜で、合計は50万〜。もはや着ぐるみ一着作るのと大差ありません。ゲームショーはB2Cであり、ブースへの来場者数が売上に直結するんでしょうね。
余談ですが、最近では、会社が著名コスプレイヤーとのコラボするという話も聞きます。
会社側はコスプレイヤー側を公認し、契約期間後の衣装を譲渡する、そして一定額の契約料を払う。
その代わりにコスプレイヤー側は、契約期間中の展示会には必ず参加する(日当は別途出る)、契約期間中はプライベートであっても競合商品のコスプレはしない、自分のSNSで定期的に「公認コスプレイヤー」としての活動に触れる、あたりが条件とのことです。
ミタパンみたいなタイプで三白眼だからカラコン着けてないと睨んでるみたいだし凄く地味になってしまう。裸眼だと男女からの態度も接客業の対応も蔑ろにしていい奴のような扱いだった。
3年かけてようやく17キロ痩せましたが、外での対応の違いに驚いた
あれ、男ってこんな優しかったっけ?って感じ
デブの頃はわからなかったけど、女の子たちが必死に痩せたがる、綺麗になりたがる理由が理解できた
優しくされて嫌な気しないもん
プロットライブラリ、データフレームライブラリ、データベース、などが集計関数を用意している。
例えばある場所ではプロットライブラリの集計を使っているが、別の場所ではデータベースで集計してからプロットするということがあるだろう。
各ライブラリが内部でどういう処理をしているかがブラックボックスであるため、これは問題である。
ライブラリの集計関数を使う場合、テスト用のデータを用意しておき、集計値が一致するかを確認するのがまず必要。
次に集計方法はバラバラでなく揃える必要がある。プロットライブラリに集計させるより、データフレームに集計させてそれをプロットしたほうが良い。
またデータフレームにおいても、groupbyとpivot_tableで集計の扱いに差があったりする。
これらの差が生じる一つの理由はNullやdatetimeに対する処理の違いだったりする。
暗黙の集計に対応するのは大変なので、テストデータに対する集計が正しいバリエーションを選び、その方法で全部揃えたほうが良い。
川崎市単体では組合員数が少なく(労使交渉などに常時動いているのは更に少ない2、3人)横浜支部などと合わせてがくろう神奈川の支部として活動している。
この組合は、自分達のイデオロギーに合致すること(例として米軍基地移転・マイナンバー反対)や、労働組合として定例の取り組み(賃上げ要求や雇止め反対等)には取り組むが役員が必要性を認めない、労使関係に影響を及ぼすような(要は及び腰になるような)組合員個別のトラブルや悩みには支援介入しない。最初のうちこそ多少は交渉に動いたものの、後半にはこちらは診断書まで提供して何点もの当局の問題点を追及するよう強く要請したが、組合自らが非難している市教委当局や川教組、政治家よろしく殆どにつき「追及はしない」「検討が必要」との回答に留まり何一つ踏み込んだ行動や私の希望する対応はしてもらえなかった。反対にこちらが問題のある人物かのような態度をされた。結局組合加入中にも拘らず一人で当局と交渉することを余儀なくされた。
特に事実上の組合トップである書記長Iはひどい。加入直後こそ御祝儀期間で多少交渉等に動いたもののその段階から我が強く、交渉の席で任せてと話を遮ったり、組合や自身の考えを展開したり当事者である私の主義主張とずれるところがあった。私が二度目の休職に追い込まれた後には、私が医師の勧奨も無視する不当極まる配転命令に屈することはあり得ない、訴訟も含めあらゆる手で徹底抗戦する、異動を前提にしなければ復職は出来ないと再三面談や資料提供も含め伝えているにもかかわらず、自らの考えで勝手に専門医が休職と言っているのだから休職復帰が最優先で復帰まで支援はしない(即ち人事共に屈し、居るだけで心身悪化する苦痛極まりないパワハラ配属先に年単位で我慢しろ、出来なければ分限免職止むなし)と結論付け、こちらの話を聞かず考えも一切曲げず一方的に支援の打ち切りを通告してきた(この時点で事実上除名のようなもので労組として考えられない対応である。貴方の為などと嫌がらせ人事する連中と大差ない)。
その冬の当局への年一回の異動交渉の場でも、他役員への私の強い申し入れの結果なんとか名前「だけ」は出させたが通勤負担の低い職場という一般論だけで私の詳細な希望は盛り込まれなかった。ついには加入当初は当然になされていた、どこの組合でも組合員の基本的権利である筈の労使交渉の場での発言等の進捗情報の送付共有(私個人のため特別に作成するものではなく普段から全組合員に向け書記長により作成されているもの)さえもしてこなくなり組合仲間から指摘されても改めず、その対応について私が指摘すると自らの過去の発言を翻し「組合員の権利」→「病状を考えて送らない。アンバサダーではない。送付する義務はない」。病状悪化などしないしそんなことは一切こちらから希望してもおらず提供するよう改めて強く求めると後日SNSにて自分が悪いにもかかわらずハラスメント(笑)されただの引用文にかこつけてテメー呼ばわりだの逆切れしている始末であった。よってこれ以上加入を続けてもメリットはゼロどころか話にならず不快極まりないため脱退することにした(なお、上記発言事柄等は全て証拠として残っている)。
SNS等では加入させるために威勢の良いことをごちゃごちゃと並べ立てているが、結局のところ何を言おうが事実として私の抱える労働問題の殆どの力になることは出来ず、それどころか後半は最初の一歩である当局への申入れや交渉さえせず脱退後は他の学校事務職員には送っている情宣誌も私には勿論一切送って来ない。これがコイツ≠組合の本性である。スケールメリットもないこの組合に加入し毎月無駄な組合費を払わされるくらいなら直に弁護士に相談するなり自分で自分のための組合を立ち上げた方が遥かに良い。人数が少ないため自浄作用もなく役員の交代も期待出来ず加入は全くお勧め出来ない。
自分は真面目に生きてきた。
本当は専門学校へ通いたかったが、父親の猛反対を受けて四年制大学に仕方なく入った。
(今は大学で良かったと思っている。)
前述した通り、自分は人に優しい。
大学生の時は、じゃんけんで学祭の委員長に選ばれた同級生が泣いているのを見て、可哀想だと思い、自分が代わりに委員長になった。
自分を犠牲にしてでも、他人には楽しく過ごしていてほしいと、大げさではなく思う。
お客様には毎日感謝の言葉をいただける仕事で、とても充実感があったが、安月給に耐えられず3年で退職した。
結婚式の準備は、忙しいパートナーに代わり主に自分が行なった。
月給も悪くなかったが、大手会社特有の空気感に馴染めず1年半で退職した。
その社長のオフィスは、元々住んでいた場所からかなり遠くにあったので引っ越した。
オフィスには、自分の母親の年齢と近い女性が既に働いており、社長とその女性の2名で事業を行なっていた。
1ヶ月でいなくなった。
前提条件と違う、と何度も何度も何度も悩んだ。
(今思えば自己主張が苦手な自分がこんなこと言うなんて、相当だと思った。)
それでも真面目に働いた。
社長の考え方、理想のすがた、事業の未来など全てを理解しようと努力した。
社長は50代。
それでも真面目に働いた。
今までやったことのなかったオフィス事務の作業を1ヶ月で覚えた。
話を分かってくれない客先にも、めげずにメールを返した。
退勤時間が近づいても、「早急に書類作成してくれ」と言われれば、2時間残業した。
本当に全部やった。真面目に働いた。
自分だけでいくつの部署をかけもちしているのかと疑問に思うくらい、全部やった。
仕事の日の朝が起きれなくなった。
仕事中に突然、動悸がするようになった。
気持ち悪くなるまで過食した。
うつ病だった。
うつ病になったのだ。
信じたくなかったが、うつ病と診断される症状9項目のうち8項目に当てはまっていた。
最後の項目、「死にたいと思うか。死ぬ方法を探すか。」は傾向が見られるので△と言われた。
初めの1ヶ月はひたすら死んだように寝た。
食欲も湧かないので、服薬のために食事をするような感じだった。
そして現在、2ヶ月目。
意欲があり、何でも前向きになった。
お出掛けも楽しい。
あまりハイにならないように気を付ければならないと、担当医に言われた。
確かに楽しんだ後は疲れがドッと来る。
どんなに好きで楽しくても、程々にしている。
治療には2年かかると言われているが、自分が自分らしく戻れるのが楽しみで仕方がないので、あまり嫌悪感はない。
早く自分に戻りたい。
最後に。
終わり
しっかり働いた分だけ勤怠記録をつけろ、だと。
元々専攻と業務内容が合致して飛び込んだ、第一志望の企業だった。
もっとも、大学にいて行っていた基礎寄りの研究とは大幅に違う部分もあり、
傍から見れば「一応一通りの仕事はこなせる社員」程度にはなっていると信じたい。
ただ、労働をしていると先輩や上司の毛ほどにも役に立ってはいないんじゃないかと思う。
別の部署に配属した同期たちと比べても、おそらく自分の貢献度は低いだろう。
そのため、自分が同期と同じ給料を貰うのはおかしいんじゃないかと思い始めた。
個人的に、労働を行っていると他の日常のことを考えずに済むからまだ楽しいと思っていた節もある。
こういった思惑の中、労働時間を見かけ上減らせば良いんじゃないかと考え付いた。
私の部署はそこそこ忙しいため、大抵の正社員は平日でも2時間程残業を行っている(中には1時間程早出する人もいる)。
まあそのまま帳面通りつけるとオーバーなのでフレックスなどを利用している人も多い。
使わない人たちもいるので、超過した残業時間を記録しない人もおそらくいるのだろう。
元々私は残業をつけるのが嫌だったので、毎日見かけ上は定時に帰ることになっていた。
まあ、それで上司や勤労管理部門から文句を言われることもなかったから問題なかったのだと思う。
ところが、最近この労働時間を定時前にしたり(例.8時~15時半など定時より短くする)、休日出勤を記録しなかったら上司に勧告された。
「ここまで付けないのはお前の評価が下がるから、せめて最低限は記録しろ」
「お前よりA(仮名。後輩)が早く帰ってるのに労働時間がA以下なのは流石に問題になる」
別に度を越えた残業をしている訳ではない(一応他の上司や先輩と同時刻の範疇で残業を終わらせている)。
製造、現場仕事でもないただのホワイトカラーなので労働時間の長期化で大事故が起こるわけでもおそらくない。
ちょっと時間単位当たりの額面が他の人よりも二回り程度少ないだけである。
勤労部門から直接的な文句が来ているわけでもない(これは勤労にいる同期や仲の良い先輩から確認済)。
やれサビ残だやりがい搾取だ言われている世の中で自分の行動は贅沢だし、会社にとっても雀の涙程度の利益しかないと自覚している。
大型の改善提案1個だした方が個人的にも企業的にも大助かりだからね。
私が勤務する会社には、派遣社員はエレベーターを使用してはいけないルールがある。(委託会社の社員については、場合によっては許可される)
先日、派遣のグループが出勤時にエレベーターに乗り込もうとしていたので社員として注意したところ、派遣のグループ(男3人女1人)に囲まれ
「エレベーターぐらい使わせろ!毎日歩きで登るのは大変だ!」と詰められた。
揉めている内に別部署の男性社員がやって来たので後の対応は変わって貰ったんだけど、
4人に囲まれて問い詰められていた時は本当に怖かったし苦痛だった。
そもそも何でこんなルールがあるのかと言うと、私が入社する前の時代は、3階のフロアにある部署の事務社員としてしか
派遣を使用しておらず、あくまでも2アップ3ダウン運動の健康増進の一貫としてそういうルールが出来たらしい。
そのルールが今も残る形で、派遣はエレベーター使用禁止が今でもあり、
オフィスを移転し、派遣も他部署で使うようになり、9~10階の開発やデザインの部署があるフロアに行く際も
一律で派遣社員はエレベーターを使ってはいけない、という事になっている。
確かに毎朝10階ぐらい階段を登るのは大変だろうし同情はするけども、
ルールはルールではあるし、嫌ならば別の所に行くか、正社員を目指せば良いだけだろう。弱者男性のように自己責任でしか無い。
大体ルールに文句があるのならば、一社員である私ではなく、派遣元やこちら側の人事部等に苦情を言うべきだろう。
「ルールを破った派遣がいる」「ルール違反を指摘した所、逆ギレされて集団で怒鳴られ恐怖した」と上の方には報告させてもらった。
苦情を言うべき人間を思い切り間違えている上に、一社員である私を集団で囲んで脅してきた派遣の連中には正直腹が立つ。
報告して翌日には派遣元の方にもクレームがいき、担当者がすっ飛んできて謝罪しに来たようだし(私は有給で不在、後日再度謝罪に来るようだ)
恐らく来月早々には彼らの席は無いだろうなってなっている。
4月末で、クソみたいな先輩が辞めた!
興奮してこんな時間になっても眠れない。
最終出社日に、本当にお世話になりました。まだ教えていただきたいことが沢山あったのに残念です、と心にもないことを言えた私偉い。
本当は、イェーイ!転職してくれてサンキュー!と思っていたよ。
印象に残っている先輩の姿
・挨拶はもちろん返してくれない
・5分前に届いた急ぎでもないメールの対応(アンケート回答)をしていないことを大声で責められる
・ダメ出しは鼻で笑いながら、「考えればわかるでしょ」のみ
・会社独自の書類に、どの程度の粒度で書くのかを聞いてもこれ以上の回答はもらえない
・同じ作業でも「少しは自分で考えて動いて!」「必ず私に確認をとって!」が日によって変わる
・仕方がないので、作業内容をチャットで報告して対応するようにしたら「なぜ報告するのか。平社員の私に報告は必要ない」
・先輩が仕切る会議当日に休む。資料の状況をチャットで聞いても無視。会議はなんとか回した。
・翌日何食わぬ顔で出社。ありがとうとか、ごめんねとかそういう類の言葉は一切ない。それどころか、会議の結果をなぜ報告しないのかと催促された
など、人間性に難がありすぎて、平常心で仕事を教わるのが非常に大変だった。
中途入社だったので「やべえ人だな、上司に適宜状況伝えとこ」で乗り切れたけど、新卒だったら潰されてただろうな、と思う。
そんなひどい人を採用してくれた会社には感謝しかない。アルムナイ制度で戻ってこないことを祈ってる。そちらで定着してください。外に出さないでください。
「ブラウザの仕様」を調べるなら、ブラウザはFirefoxだけじゃないんだから、Mozillaのドキュメント見ても出てこないよ(笑)
まさかCSSやJavaScriptの主要ブラウザでの対応状況のことを言ってるの?
正直言ってザマァである。
元々あんまり好きじゃなかった(私がとある仕事のミスを連発したため、過去の完成形のデータではなく、せめて判断基準がかかれた引継書のようなものが欲しいと言ったら、そんなものはないあったとしてもこんな初歩で間違うなら理解できないよ。経験を積んで何とかしなさいと言われた。見限った)し一年しか下にいなかったけれど、マジザマァwwwとなっている。
当時他の部署(例として営業補助課)の若手係長に自分の仕事ふりまくってたんだけど、その係長が転勤で元上司が後任になった。
元上司の後任は別支社から転勤してきた今年度昇進した係長なんだけど、その人がきっぱり言う人で元上司が若手係長に押しつけた仕事を戻そうとしてるのをぶったぎって爽快すぎた。
「過去のメール確認しましたが、その仕事は元さんが若手さんに今後やるよう依頼してますよね?つまり経理でやるより営業補助でやる方が効率的だと判断したんでしょう。もちろん元さんが営業補助の仕事をした結果経理が適任だと判断したのなら、両方の仕事を経験した結果ということで私も尊重しますけど、新年度早々はないでしょう。私の今の印象、仕事押し付けられてるなーです。適任だから営業補助に回したんですよね?自分がやりたくないから若手さんに押し付けたんじゃないですよね?」と総務と人事の前で社内携帯で電話しててニッコリしちゃった。
早くに作った子供とすれば通用する位の年齢差の新係長に押し付け作戦ことごとく失敗して、過去の自分が押し付けまくった仕事に忙殺されて営業部長に配慮の申し出したらしいけど、適当に流されてた。
そしたらww五十過ぎのオッサンがwwww体調不良で休むとww連絡してきたwwwww
数日休んでひょっこり出てきたと思ったらwww本当に急ぎの仕事以外はしてもらえておらずww押し付けてきた仕事たちはそのままwwwなぜなら元は経理の仕事だから営業補助の人達は分からない。若手係長は後任が元上司だから仕事がわかってると判断して引継書は営業補助関連しか作成せずwww
元は経理部のヒラにヘルプを出そうとしたが新係長が対応!「あ、今電話全部私がとってるんです。皆さんに名前覚えてもらいたくて!あと大丈夫ですよ、(私)さんに聞いたんですけど元さん引継書無くても完成データみれば経験からこなせる優秀な方らしいじゃないですか!私なんかは凡庸なんで引継書っていうド素人をなんとか使えるようにする底上げがあってやっとな人間なんで羨ましいですよホント!」でガチャ切り。
次の日からまた元上司休みwwwwしかも連絡してきたのはまさかまさかの~~~………嫁!!!自分でwww連絡しろwwwwww
人事が新卒対応マニュアルを作って管理職向けに配布したんたけど、なんか凄く低レベルなことを書いてたのでググってみたら、未就学児童向けのほめ育基本5項目みたいなのののパクリだったことに行き着いてがっくり来てしまった。疲れる…。
増田が勤めている会社は産休、育休、介護休暇や傷病休暇にも理解があり、良い組織だと思う。
ただ、産休育休を取得するほとんどの女性社員は、第一子の育休明けには第二子を妊娠していて2ヶ月も働かないうちにまた産休育休に入る。そして時短復帰すると半年程度働いて義理を果たしたというように辞める。
そのような選択が今後の女性の採用や女性管理職の登用に二の足を踏ませるのでは、と彼女たちは一度でも考えただろうか?と思う時がある。
増田は管理職なのでたまに面接もする。同じレベルの大学を卒業している学生の場合、男女で比較すると女子学生の方がエントリーシートも面接の対応も優れていることが多い。
それでも会社の人事部は男女同数ないし男子学生を多く採用する。大きな声では言えないが、女子社員は産休後に辞めるからだ。
時短、リモートワーク、半休制度、フレックス制度、どんなに整えても辞める。
増田は2011年に大学を卒業した。子供の頃は「団塊の世代が大量退職する頃に就職する世代なので、就職は簡単」と言われていたけれど、リーマン・ショック、その後は東日本大震災もあり内定取消や自宅待機があった世代だ。
就職活動は大変だった。就職活動する上で、女性差別にも直面した。
だから仕事を頑張ろう、女性だからと思われないように成果を出そう、私の力は小さいけれど、後の女性たちが少しでも生きやすい社会にしたい。
そう思って仕事に打ち込んだ。成果主義の会社なので、数年で管理職になれた。
子供も産んだが産後2ヶ月半でフルタイム復帰した。夫婦で話し合い、保育園に入所出来るまで夫が育休を取ることにした。
今は男性育休制度も取りやすい制度設計になっている。でも、辞めていく女子社員の夫たちは子供が何人産まれても育休は取らないし、もちろん時短も取らない。話を聞くと、そもそもどちらが育休をとるかなんて相談すらしないらしい。
これでは女性が生きにくい社会のままだなと思う。身近な夫とも今後のキャリアのことを相談しない。盲目的に前時代的な生き方を選んでいる。
そして経済力を手放す。相手がモラハラDV野郎でも離婚できない。
やっと離婚できた、再就職しかないというときにはパートしかない。女性差別だと嘆く。
先人たちの声や努力のおかげで、いまの私達には様々な選択肢がある。
今思い出しても腹が立つ。
しかし、人間関係に波風立てても良いことないので思いを書き出して供養しておく。
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私と苦手な彼は同じサークルに所属しており、会員は皆イベンター的な側面を持っている。
そこで私は苦手な彼と出会った。
初対面から苦手な人だな〜と思いつつも、同じサークルにいるから当たり障りなく過ごしていた。
苦手な彼と言いつつも彼は悪い人ではない。
私は苦手な彼の軽口に傷つけられた経験があるので、個人的には発言にもう少し配慮があると良いなと感じる程度。
苦手な彼は別サークルで仲良いグループ作って遊んでるから、私が苦手な側面であっても他の人は気にしない側面かと考え、深く考えることなく距離をとって過ごしていた。
サークル内で「何々が大変だよね〜」とか雑談してる時、「俺のイベントは、あなたのイベントよりも100倍進行が大変」(要約)と軽口を叩かれた。
良い大人だからとその場はスルーしつつも、腹の底に押さえきれぬ怒りを抱えてその日の活動は終えた。
苦手な彼のイベントは、事前準備も大変だし当日もリアルタイムの即興対応の負担が多く管理が大変だ。
私のイベントは、事前準備も同様に大変だが事前準備で大部分は管理できる範囲な大変さだ。
ただ私は、今もハラワタが煮えたぎっている。
感情的な側面としては、私も工数かけて準備して皆が楽しめるようイベント開催運営に腐心してる事実に対し、私の行動が矮小化された気持ちになり私の大変さは大したことでないと、否定された気持ちになった。
それぞれが大変と思ってることに対して、比較する必要があったのか?
反論できたろう。私の大変だと思った内容を理解を図るため、言葉で伝える選択肢もあったろう。
ただ私は伝達する気持ちにもなれなかった。
苦手な彼とは同じサークルで顔は合わすだろう。
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今回を振り返ると、私は議論が苦手なのかも。
最近仕事では、目的をもって良い選択肢と行動を取るために話し合うスキルを獲得できた。
しかし、今回のように答えのない事柄に対して、相手を説得し合う言葉の応酬するスキルがないのかもしれない。
いや違うな。自分の好きなイベントを議論して自分のイベントを否定されるような結論の可能性もありうるから、結論を出したくなかったのかも。
なんだろう。為替レートを自由に政府や日銀が操作できる前提で語ってる人って頭悪いですよね?
実際のところ日本円の価格が減っているのは米国や各国の金利レートの問題であり、それに追従できないいのはアベノミクスの量的緩和のせいですよね。
要は安倍晋三の爆弾が今まさにたわわに実っているだけですよね。
皆さん喜んで自民党。とりわけ安倍晋三を祭り上げていたじゃないですか。
有権者の皆さんの思惑通りの円安になっているのに今更何を言っているのか。
現在の日銀も政府も今取れる手段はありません。せいぜい安倍政権時代の対応を批判することくらいではないでしょうか。
個人的には給料下がったのは痛いけど、9割以上の資産はすべて日本円以外にしてますし、税金とか社会保険料の価格が実質減ったので悪いだけではないと言った感じです。
仕事は下請自営業。月4日稼働で月収20万ほどの専門職。あとは配当が年100万ほど。特に費用も使わないし、独身で生活費も月20万弱なのでこれで十分生活できる。貧困妄想だって自覚してる。
アラサーでメンタル病んで馘になったり(あとで不当解雇で勝訴した)、それから3年ほど寝たきりで、なんとか生活立て直そうか、と思ったら親の介護とコロナが来た。去年親を見送り、相続も平和裏に解決した。
親の介護中には500万ほど騙し取られたり(有罪には出来たが、途中の警察のクソ対応で病みがぶり返したりした)
めんどうになったので中略
何も楽しく無い
ストレスだけ
親の死を見ていると死にたいとは思わないが、消えたいと思うようになった