はてなキーワード: 21世紀とは
相も変わらず、プロブロガーたちの無駄な煽りがインターネッツに溢れている。
プロブロガーたちの主張は「自由気ままに暮らせるブロガー・フリーランスという生き方がある。何故みな、それをやらないのか」に尽きる。
彼らの主張はもう散々聞き飽きた。もう十分だし、その考えとは相容れないから、さっさと視界から消えて欲しい。
こっちに影響を及ぼさない程度に、好きにやっててくれ。
と、思ったところで、ふととある考えが頭を過ぎった。それが表題だ。
全共闘からの左翼の連中は「共産主義だ、階級闘争だ」を掲げて、デモを繰り広げ、ときには暴れていた。
どんどん先鋭化して極左になり、彼らは「労働者が運動に加わらなければ革命は起こせない」と悩みつつ、「革命のためには暴力も辞さない」と過激化していった。
その結果が山岳ベース事件とあさま山荘事件。そして、その後の顛末はご存じの通りだ。
元赤軍派の議長、塩見孝也氏(75歳)という当時は雲の上と思われていたオジサンがいる。
これまでの生活費は援助やカンパで革命運動をやってきたそうだ。が、子育ても何もあったもんじゃない。
~息子との関係性について問われたことに対し
「親に対して幻想は多少あったでしょうね。だけど、実際出所した俺は経済能力も世間の常識もない無能力者なわけで、すぐに幻滅されちゃったわけ。」
「結局は理屈じゃないんだよな、親は。金とか実質で役にたたんと。『マルクス、レーニンだ。階級闘争だ』言っててもしょうがないって話ですよ。
その点、女房はずっと飯食わせて育てて、理屈じゃない訳だから絶対的な権威がある。
俺はそういうこと一切やってない。多分、全共闘時代の左翼の親父どもはみんなそうだよ」
https://twitter.com/rsr80930/status/590587310367969281
左翼のシンパのような方で年齢は察するに50代~60代前後。郵便局で勤めており、集会やデモにもよく参加している。そんな彼はこう綴っている。
「何もないのだ。その人が生きていて死ぬ。周りの人は「そんな人いたな」と思い出すこともある。。そして忘れる。また思い出すこともあるかもしれない。周りの人もそれぞれ生きて、死んでゆく。その繰り返し。何もない。ただその繰り返し。
私もいつ消えるかわからない。熱中症でひっくり返りトンデモ病院に投げ込まれたときは「もうダメか」と思った。それはちょうど二年前の6月だ。それで退職を決断とはならず、引っ越すのがめんどくさい、東京を離れたくないなど諸理由によりずるずると生きている。とにかく死なないように適当に生きる。ホントに働いたら負け。
できれば消えてなくなりたいが、いずれ孤独に無様な姿でクソまみれで死んでいくのだろう。たぶん極貧と他者からの軽蔑のなか、のたうち回りながら「俺は死にたくねぇ」とか泣き叫びながら、それで"game end"。美しい思い出、来世への期待など何もない。そう何もないのだ。」
http://open.mixi.jp/user/7349954/diary/1953348530
左翼として活動していても、いなくても、世の中は無常で儚いものであると思うかもしれない。
「取り上げたサンプル2つで何を言う」という反論もあるだろう。
それにしたってにじみ出てくるものがある。極左たちの老後は惨めすぎやしないか……と思うのだ。
プロブロガーの老後だったりも、正直どっちに転ぼうが、知ったこっちゃないんだけどさ。
書いてみてわかったのは、はてなブックマークで月間1位を取ろうが年間ランキングに入ろうが世の中には何の影響もないということです。あきらめましょう(挨拶)
とは言え、ひさしぶりに参議院選挙前に何か書こうかなーと思いつつモチベーションが上がらずにいたら世界同時株安が起きたので、これにからめつつあれこれ書いてみようかなーと思います。ただ、国内の政治状況は変わってないですし、結論はたいして変わらないと思います。
リンク先のタイトルに書いてある政党がなくなったとか言われても知りません。
というわけで、まずは上記のエントリー冒頭部分を引用します。とても大事な前提なので。
ここ15年ぐらいずっと言われてきた「デフレ不況」、デフレとは、物価が持続的に下落している状態を指します。
単純に考えればモノの値段が下がることはうれしいはずなのに、なんでデフレが問題なんでしょうか。
そんなことわかってるよと思われるかもしれませんが、順を追って説明するために書いておきます。
物価が下がって企業の売上が減ると、企業収益が減ります。企業は利益を出すためには費用も減らさなければいけません。
今回はこのうち、人件費を抑える、というポイントにしぼって話をします。
物価が下落したのと同じ割合で社員全員の給料を減らせれば何の問題もないのかもしれませんが、そういうふうにはできないですよね。
正社員の給料は、物価が下落する割合ほどには下がりません。これを「賃金の下方硬直性」と言います。
リストラされずにすんで定収入がある人たちはデフレで少しずつ得をしますが、その分をリストラされて収入が無くなる人がかぶるんです。
結局この被害を一番受けるのは、これから社会に出て仕事をしようとする若い世代です。求人が減って有効求人倍率が下がります。
企業はすでに雇用している人を解雇するよりも先に、新しく入ってくる人を減らすので失業率が高くなります。真っ先にこの影響を受けるのは若者です。
これがデフレを問題視するべき大きな理由です。若年失業者が増え、世代間格差が拡大していきます。
物価上昇率と失業率にははっきりとした相関関係があって、フィリップス曲線と呼ばれていますが、物価上昇率が低いと失業率が高くなります。
==========ここまで引用==========
引用部分から続く2014年のエントリーで私は、現政権の金融政策(世の中に出回るお金の量を調整)を肯定して財政政策(どこから取ってどこに配るのか)と成長戦略(規制政策とか産業政策とか)を批判しました。
当たり前ですが、その内容は今回も変わりません。
まずは、最近よく聞く「物価が上がったから実質賃金は下がって国民の生活は苦しくなっている」という話についての議論から始めてみようかなと思います。
引用部分で、「リストラされずにすんで定収入がある人たちはデフレで少しずつ得をします」と書きました。
収入が変わらずに物価が下がるのでお得です。この状況が、実質賃金が上昇しているということです。
物価より先に賃金が動くことはありません。商品の値段を変えたからといって、会社の給与水準はいちいち変動しないですよね。
ほとんどの企業では多くても年に1回、春闘の時期に給与水準が変わるだけです。
だからデフレ下では短期的には実質賃金が上昇し、失業しなければお得ですが、失業者がその分の割を食います。
長期的には、デフレのせいで給料が上がらないので失業しなくても損するのは皆さんご存知の通りです。デフレスパイラルというやつです。
そして、デフレ下で金融緩和をして世の中に出回るお金の量が増えて利益が上がっても、企業はすぐに給料を上げるわけではないので、物価が上がった分、実質賃金は下がります。
利益が出る前に給与水準を高くする企業なんてあるわけないんだから当然なんですが、でもこれがむちゃくちゃ大事です。物価が上がるのが給与水準よりも先なので、まずは実質賃金が下がります。
下がった分だれが得をしているのかというと、それまで失業していて新しく雇用された人たちです。
失業率が高いうちは、給料を上げなくても新しく雇えるので賃金はなかなか上がりません。失業率が下がり人手不足になり労働市場が売り手市場になってはじめて給料が上がっていきます。
だから「物価が上がったから実質賃金は下がって国民の生活は苦しくなっている」とか主張するのは本当にやめたほうがいいです。
マクロ経済をきちんと学んだことがある人間には「デフレに戻せ」と言ってるのと同じに聞こえるんですよ。
じゃあ、どういうふうに現政権の経済政策を批判してどんな主張をすればいいのかについて書いていこうと思います。
クルーグマン、スティグリッツ、ピケティといった名前を聞いたことがある人はそれなりにいるかもしれません。別に知らなくても何の問題もないです。
クルーグマン、スティグリッツはどちらもノーベル賞を受賞した経済学者で、日本では今年3月に安倍首相が相次いで会談を行ったことがニュースになりました。
ピケティは2014年12月に日本語版が出版された「21世紀の資本」の大ブームで日本でも有名になりました。
ちなみに、上記リンク先のエントリーは2014年11月、ピケティブームの直前に書かれたものです。(エッヘン)
そんなことはどうでもいいんですが、この三人のマクロ経済政策に関する主張はかなりの部分でとても似ています。
三人とも主流派経済学の左派に属する人たちなので、まー当たり前っちゃ当たり前です。
どういうものかというと、失業率が高い状況においては、金融緩和と大規模な財政出動をすべきというものです。
金融緩和についてはもう問題ないと思います。世の中に出回るお金の量を増やさないといけません。
その上で、財政政策(どこから取ってどこに配るのか)については、財政出動(たくさん配ること)を主張しています。
金融緩和によって実質賃金はいったん必ず下がります。この実質賃金低下の影響が大きい層、つまり給与所得者層(中でも特に低所得者層)に配るんです。
必要な段階とはいえ、物価が上がったのに給料が変わってない人は消費を抑えようとしますよね。
せっかく出回るお金の量を増やしたのにうまく循環しないと困るので、実質賃金の低下の影響を財政出動によって和らげるんです。
当然、このタイミングでの消費税増税は、愚策中の愚策です。消費を増やすために財政出動しなければいけないのに、逆にその層からたくさん取ってどうすんだって話です。
現政権の経済政策について批判しなければいけないのはこの財政政策の部分です。
雇用は増やしたけど再分配がまったくできていない、むしろ逆行しているから、低所得者向けの積極的な財政政策をもっとやれという批判の仕方をすべきです。
金融緩和や実質賃金低下を批判しても、雇用を増やしてほしい人たちからの支持を失うだけです。
別にすべての人が経済政策について全体像を理解してなきゃいけないなんて私はまったく思っていません。
ただ、マスコミ、知識人、ジャーナリストなどの、情報や知性のハブになるべき人たちが、必要に応じてその時々できちんと説明できればいいだけです。
そして、経済の話については、ここがものすごく弱いところです。
マスコミに期待するのは無駄だとしても、他の分野の話については専門的・学問的な知見の積み重ねに対して謙虚な人でも、経済の話だとまったくそれを無視するのってなんでなんでしょう(泣)
クルーグマンでもスティグリッツでもいいから入門書を一冊でも読んで全体像を理解して、その全体像の中で個別の論点をそれぞれ掘り下げればいいのにと思うんですが、権威のある経済学者の言葉から、自分の思いつきにあてはまる部分だけでパッチワークを作ってばかりで、知識人とかジャーナリストって勉強嫌いなんですか?
いちおう私について言っておくと、学者でもエコノミストでもなんでもなく、ただの経済学部出身者です。むかしひととおり学部で全体像を学んだことがあるだけです。
知識のハブになる人たちは、「経済学者にはわからないだろうが」みたいなマクラのポエムを書く暇があったら現代の主流派の通説ぐらいは知っといてほしいです。(偏見まみれ)
さて、イギリスが国民投票の結果、EU離脱派が勝利しました。イギリス人が移民に雇用を奪われたことが原因だと言われたり、でも実際に移民が多い地域では残留派のほうが多かったりといった状況で、いろんな人が理由を分析しています。
私も、私なりに思い当たる理由を書いてみようと思います。というか小見出しにもう書いています。
財政赤字削減を公約に掲げて2010年に首相になった英保守党キャメロン首相の「改革」が、間違いなく理由のひとつになっていると考えています。
名誉白人様ことめいろまさんがEU離脱を解説した一連のツイートを読むとわかりやすいんですが、都市部のインテリ(気取り?)は、失業率増加や公共サービスの低下を移民増加と直接的に結びつけて理解していることがよくわかります。
移民が多い地域でむしろEU残留支持が多かったことからもわかるように、緊縮財政政策(政府がなるべくお金をつかわない政策)による不景気、公共サービスの低下が、なんとなくのイメージとしての排外主義を加速させるという意味で、経済学の視点からも学ぶことの多い出来事だったと思います。
クルーグマンの言葉を借りれば「欧米が日本の失策から学ばずに、日本よりひどい失策をしたことに対する反省と皮肉」というやつです。今度は日本が失策からきちんと学べるといいですね。
ここはちょっと箸休めです。あんまり関係ないから読まなくてもいいです。
よくニュースなんかでも使われる「財政再建派」という言葉があります。財政再建派という言葉は、財政政策(どこから取ってどこに配るのか)において、増税(特に消費増税)による税収増と緊縮財政を主張する人たちに使われる言葉ですが、すごく誤解を招きやすい言葉だなーと思っています。
消費税を増税すれば、増税した年の財政赤字を減らすことはできますが、消費を落ち込ませることにより不況の原因になります。
15年以上にわたるデフレ不況によって増え続けた国の借金を、単年だけの税収増でどうにかできると考えるなんて無理があって、好景気による税収増を続けていくことでしか財政再建は成功しないと私は考えているので、せめて「増税優先派」とかにしてくれないかなと思ってしまいます。
財政再建すべきという目的は変わらないのに、片方を「バラマキ派」、もう片方を「財政再建派」と呼ぶのはいくらなんでもなぁとよく思います。
さて、リベラルが主張すべき経済政策です。ここまで読んでくれた方はもうわかりきってるとは思いますが、「金融緩和と低所得者層や子育て世帯への財政出動の組み合わせ」です。
現政権の経済政策のアキレス腱は財政政策です。2014年のエントリーにも書きましたが、
雇用を増やして失業者を減らしたけど、それでもまだ失業している人や低所得者層への再分配だったり世代間格差の是正には興味がないのが現政権で、
再分配に興味はあるけどその原資のために景気を良くしたり失業率を下げるための政策を最後まで採らなかったのが前政権です。
金融緩和を継続するということを大声で主張しましょう。投票先のない経済左派が泣いて喜びます。
そーですね!(やけくそ)
私はリベラリズムが好きなので、候補者や政党が何をどう言おうが、候補者や政党が争点を決めることはできないと思っています。
それぞれの有権者が勝手に優先順位の高い争点を決めて、それぞれの優先順位にしたがって投票してしまいます。それでいいと思います。
その結果、全体としては、これまで有権者にとっての優先順位が高い政策は、雇用や福祉、経済でした。これからも変わらないでしょう。
このことは、本来ならリベラル政党にとってはありがたいことのはずなんです!だって雇用を増やして失業率を下げる政策を主張すれば勝てるんですから!!
なんで勝てないんだろう!?雇用を増やす政策を主張してないからですね!!!
雇用が争点になったら困るリベラルって斬新ですね!!!!新しい!!!!!
本当に情けない、悲しいです。経済左派が雇用を最優先に投票先を選んだら、自民党に投票するのがもっとも合理的になってしまうんです。
相対的に一番ロジカルな経済政策を主張してるのが自民党だからです。
しかも、ここまでに書いたように、よりロジカルな主張が存在するのに、私はそれを主張してほしくてしょうがないのに、リベラルなはずの政党たちは逆方向に全力疾走してます。
自民党一強の状況を、右傾化とかそういう言葉に回収して馬鹿にすることに意味があるとはまったく思いません。
自民党も安倍首相以外の執行部は緊縮財政派がずらりと並んでますし、次の総理が経済で失政したら政権交代のチャンスも生まれるかもしれませんね。
それまで寝て待ちましょうか。そのときにはどんな党名になってるんでしょうね、すごく楽しみですね(棒)
恋姫†無双、百花繚乱 SAMURAI GIRLS、戦国乙女~桃色パラドックス~、戦国コレクション (それぞれアニメ)の放送を見る前の第一印象は軽薄な萌えやエロにしか頼れないつまらないアニメになりそうというものだった。
蓋を開けてみると、それらが全て良作や名作でいい意味で驚いた。
それらの中でも戦国乙女、戦国コレクションはそれぞれパチンコとソーシャルゲームを原作としていて、キャラクターデザインはともかく、ストーリー的にはまともな原作を持たないに近い作品でありオリジナルストーリーだったので不安が大きかった。
ただ可愛いキャラが出てきそうだからチェックしとこうという程度で見たが、内容も楽しめる作品になった。
一方で恋姫†無双シリーズも、原作はエロゲーでちゃんとストーリーがあるのだが、アニメの設定やストーリー的にはオリジナル要素が強い。
原作には当然いる男性主人公を登場させずにアニメ化してしまったことによって恋愛ネタを排除した女性キャラ中心のお色気とコメディ満載のオリジナルストーリーとなり、ただでさえ三国志の武将を女体化しまくるという一発芸的ネタが売りの作品であるため、普通に考えたらこの原作の弄り方はまずいことになると予感するが、それが意外と上手いことハマって人気を博して3期まで制作されたのだった。
その戦国乙女(2011年4月~)と恋姫†無双(2008年7月~・2009年・2010年)のシリーズ構成を担当したのがそれぞれ待田堂子と雑破業だった。
そしてその2人が共に脚本として参加して21世紀を代表する作品といえるぐらいの名作となったのが戦国コレクション(2012年4月~)であり、なんとなく因縁を感じさせる。
戦国コレクションのストーリーの下敷きには古今東西の名作映画等が使われていて、元ネタを上手いこと料理し落とし込んでいて痛快である。
それでいてキャラクター描写がおざなりなわけではなく、キャラクターの魅力もしっかり引き出されている。
最終的にもシリーズ全体を踏まえてのカタルシスが得られながら、心地良い余韻の残るストーリーで締められていて言うことがない出来。
さらにTV放映時は最終話の後の原作CMのキャラの掛け合いが本編の続きのような感じがあり、合わせて楽しかった。
よくある感涙という形ではなく作品への満足感に満たされる形での感動がそこにはあった。
百花繚乱シリーズ(2010年10月~・2013年)も原作は一応ライトノベルなのだが、出版社の創業記念メディアミックス企画で原作とアニメではストーリー部分の設定は全く異なるらしい。
内容的にはアニメ版恋姫†無双、戦国乙女、戦国コレクションと違って男性主人公を中心としたハーレムラブコメ系作品である。
そうなると例によって雑な萌えアニメになりそうという不安が募るのだが、
結果的には主人公が珍しく好感の持てる有能男主人公だったこともあり、名作に仕上がってしまった。
ついでに、メインヒロイン勢に主役級豪華声優ばかり起用されていることもあって、ただキャラを騒がせてるだけでも華があった。
そうして見て行くと、当初なんとなく地雷臭がしていた安易な武将美少女化系作品だが、逆に名作率が限りなく高いことが分かる。
むしろ、武将美少女化系萌えアニメは期待できる、という法則が出来上がりつつあったのだが、逆に一番しっかりとした原作が付いていて、比較的まともな作品になりそうな雰囲気を最初から漂わせていた織田信奈の野望(2012年7月~)が一番微妙になってしまった。
上記の作品に比べるとアレンジは多少穏やかなのではとは思うが、原作をかなり改変されて原作の魅力を消されてしまったようだ。
シリーズ構成を担当したのが、SHUFFLE!、みなみけ~おかわり~、RAIL WARS!、ISUCAという歴史に残る原作レイプ作品群に構成として関わり続けてきた鈴木雅詞だけに、原作を知らなくても織田信奈は被害者になったのだろうという推測が簡単にできてしまう…。
恋姫†無双シリーズのシリーズ構成で、戦国コレクションにもメイン脚本で関わった雑破業は、基本的に前評判の高い作品にはあまり関わらないながらも原作の魅力を引き出しつつ原作を壊さない程度にオリジナル要素も加えて名作に仕上げる天才という印象だ。
0点にも100点にもなれるが並の脚本家なら40点以下にしかならない作品を高確率で80点以上に仕上げるので魔術師のようだ。
特にギャグ系やお色気ラブコメ系が得意なようで、原作は悪くないのに微妙な出来に終わってしまったラブコメ原作のアニメやエロゲー原作のアニメは、彼を構成に据えてリメイクしたら名作になるのでは…と思ったりする。
叩かれる覚悟で書くけれど、結論から言うとあらゆるものに絶対の安全などないというのが科学の帰結である。
それを踏まえた上で、福島の人々を助けると思って農作物を食うのか食わないのかはあなたの勝手だ。私はというと特に気にしていない。気にしても仕方がないからである。
この国では、マイナスイオンや水素水でわかるように、基本的に科学的な知識というものが軽んじられてきた。
そのことの是非はともかく、知識の不足から来た両極端が、放射脳と放射脳叩きである。
放射脳といった時に定義がないのでまあよくわからないのだが、世の中には一部、「穢れ」の思想、あるいは小学生的な「**菌」のような考え方で、福島を忌避する人々がいる。当然ながら自然科学というのは原因があって結果があるので、こんなものはただの信仰に過ぎない。
一方で、誰かが「福島の農産物は怖い」とでも言おうものなら、憲兵のごとく飛んできて取り締まる人々もいる。これは、知性的な行いなのだろうか?
彼らが根拠としているのは、例えば全量検査の結果であったり、疫学的な調査であったりと様々であるようだ。しかし、そのどちらも、未だ安全を結論付けるには、時期尚早である。
もちろん私は安全でない、と言いたいわけではなく、単に「わかっていないのだ」ということを強調したい。「そんなことを言ったら福島で頑張っている農家のみなさんが可哀想だと思わないのか」と思われるかもしれないが、農家のみなさんが可哀想であるのと科学的な考え方は完全に別物である。あくまでも物事を客観的に見るのが科学であるからだ。そこには可哀想だのなんだのといった主観は、残念ながら存在しない。「神が創りたもうた」地球は世界の中心であってほしいが太陽の周りを回っているし、空気は透明だけれど分子が飛び交っている。全て同じことである。
科学は安全であると結論付けられないのと同じくらい安全でないとも言えないので、以下の理由を見てあなたが農作物を食うのは全く勝手である。大体が私自身そこまで気にしているわけではない。しかしそれは安全だと思っているからではなく、単に外食などをする以上、気にしても仕方がないから気にしていないのだ。
確かに、全量検査でCs由来のガンマ線が出ていないのは、Csの含有量が少ないことを意味している。しかし、それで十分だろうか?
原発で問題になる放射線と言われる粒子は、高エネルギーの光子(ガンマ線)、電子(ベータ線)、アルファ粒子がメインである。
この中でγ線は透過力が非常に高い。光子は質量0なので、、止まれないからである。逆に、α、β線は簡単に止まる。そのため、そもそもガンマ線以外の放射線は、全量検査できない。
さらに問題なのが、簡単に止まるということはそれすなわち持っているエネルギーを全てある一点に与えるということである。これは、間違って食ってしまった時に非常に危ないということを意味する。
しかしそういうと、例えば放射性カリウムのように、自然界にだって放射性物質はあるじゃないか、と思われるかもしれない。
しかしこれも全く反論になっていない。原発事故で出てきた放射線は、自然界には存在しない核種である。長い進化の中で、生物がK40のような物質に対する抵抗性を獲得していったとしても不思議でない。例えば生体のうち危険な場所にとどまらないようにするというような対策である。一方人工的にできた放射性物質は、化学的挙動がそもそも異なるのだから、生体が対応できない可能性がある。
さらに外部被曝に関しても、たとえば自然界にはそもそも線量の高い地域があることが知られているが、これも関係ない。そのような地域に長く住んでいた民族ならば、抵抗性を獲得できているかもしれないからだ。
はっきり言って、福島レベルに広範囲に放射性物質を撒き散らしている(現在進行形!)事故は人類史上はじめてである。
もちろんチェルノブイリなどもあるだろうが、現在の海洋流出や、初期対応、さらにヨーロッパ民族とアジア民族など、異なる点が非常に多く、それらを根拠に安全であると結論付けるのがどこまでもっともらしいのかは全く不明である。むしろ、今回の福島事故が、疫学的に非常に重要なサンプルなのだといったほうがしっくり来るだろう。
福島事故の疫学的調査でポジティブな結果が出ると門外漢がこぞって放射脳だのなんだのと叩いているが、これはまったくもって反知性主義の極みである。今まさに調査しているものの結果を知っているのは天のみである。人間は、そこまで偉くない。。
私は政治家でも宗教家でもないので、我々がどうすべきなのかということに対する答えを持たない。
50年後に21世紀の水俣病と言われているかもしれないし、単に一笑に付されているだけかもしれない。
大切なのは、我々一人一人が現状と科学の限界を正しく知り、後悔のないように行動するということであろう。
その上で食べて応援するかどうかは個人の勝手である。何度も言うが、私は気にしてもどうしようもないので気にしていない。
ちなみに任意の反論に反論できるので、私の主張に間違いがあると思われる方は根拠を添えてトラバして欲しい。もちろん本当に間違っていたら訂正しますよ。
私は共産趣味者だ。歳は20代。共産主義のシンパではあるし、社会主義者ではあるかも知れないが、共産主義者ではないと自己規定している。
共産趣味にもいろいろある。私はソ連の音楽が好きだが、映画やポスターやスローガンに惹かれる人もいるし、ミリタリー方面が中心の人もいる。地域についても、東ドイツはじめ東欧諸国やユーゴスラビア、東南アジア、南米などの東側諸国だけではなく、日本や西欧などの西側諸国で見られた共産主義の関わる文化活動に惹かれる人など様々だ。
ソ連の音楽や社会主義者の音楽の何が私を惹きつけるのだろうか、と思ったので書いてみる。多少ガチの共産主義者っぽい部分もあるかも知れないし、不勉強なので思想の細かいところは間違っているかも。
世界の半分で、少なくともその当初は熱狂的に支持された思想であり、いくつかの分野では一時とはいえ西側を圧倒する成果を生み出しもした。つまり強かった。
ブルジョアの打倒、プロレタリアートによる平等と平和の建設!惹かれないわけがない。
対する資本主義陣営も自由と民主主義を掲げて戦ったし、これも強力な思想だが、その登場はあくまで共産主義に対するカウンターでしかなかった。資本主義陣営の根幹にある思想はあくまで資本主義の維持だったからだ。戦う相手は社会主義陣営というよりは資本主義陣営の労働者階級だった。社会主義陣営が実際に自由と民主主義を侵していたからこそ、この主張には効果があった。
プロパガンダ的な作品には共産主義社会への魅力が詰め込まれているのだ。私はプロパガンダに乗せられていると言っても良い。乗せられやすい性格なのだ。
ソ連中央テレビジョンのソ連国歌と一緒に流れるビデオ (https://www.youtube.com/watch?v=rHomETco0MI) なんかは最高で、労働者たる人民が労働の喜びに溢れている様子が流れ、十月革命の労働者の怒り、ブルジョワジーの打倒の精神が示され、人民の力で支える連邦の強大さが示され、レーニンの党と人民の力が我々を共産主義へと導く!という具合でひょいひょいと感情を揺すられてしまう。
お馴染みのインターナショナル (Интернационал, The Internationale, https://www.youtube.com/watch?v=t8EMx7Y16Vo)、国際学連の歌 (日本語、https://www.youtube.com/watch?v=SCdlGH6RhBw) なんかは私の中ではこういう類の歌だ。
こういうこと言うとクラシック畑の人には笑われそうだが、ショスタコーヴィチの5番や11番も大好きだ。
音楽ではないし、およそ普通の意味ではプロパガンダでもないが、ソウル五輪の体操女子団体のメダル授与式 (https://www.youtube.com/watch?v=l7lAZ89Pu_c) がもう最高である。彼女らがステート・アマで国家に大変な恩義があるというのは確かであるにしても、私の目に映る、エレーナ・シュシュノヴァ選手が赤旗を見上げながら国歌の「我らを共産主義への勝利へと導く」という歌詞を口ずさんでいる姿は、紛れもなく共産主義への希望と勝利への確信に溢れたソビエト連邦人民の姿なわけですよ。こんなに晴れ晴れとしたことはないじゃないですか。
正直私はかなり危ないと思う。実際に共産主義に走った連中もこんな奴らだったのかも知れない。この先本当に扇情的なプロパガンダが私に向けられたときに私は正気で居られるだろうか。
もっともプロパガンダが全てではない。90年代のロシアのポップスには体制の変革と自由を喜ぶような歌も多く、味わい深い。こちらは「作り物」ではなく本物だと思う。Комбинация の American Boy (https://www.youtube.com/watch?v=W7hAo28NCXc) とか Наташа Королева の Жёлтые тюльпаны (黄色いチューリップ、https://www.youtube.com/watch?v=E57T8XYa7OM) とか。
理想的にはこれを一番の理由に挙げるべきだと思う。ロシアの旋律は情緒があっていい。アコーディオンやバラライカの音色、ロシア語自体の響きによく合う。
ウクライナの Розпрягайте коней, хлопці (若者よ馬の軛を外せ、https://www.youtube.com/watch?v=MCuqR4Jz9DU) なんかは民族的でよい。
ただしそれでも一切忌避しないと言うわけにはいかない。まさに現代、冷戦の構造がそのままここにあって、新左翼の連中が日本で革命を起こそうとしていたら(しているが)、私は反対する。マルクスの主張するように暴力革命によって社会を変革するべきだとは、革命権を行使すべき状況にならない限りは思わない。共産主義建設の名のもとに数千万の命が失われたことは紛れもない事実だし、少なくとも過去のソ連型社会主義国家の遺産を消費して楽しむ上でここを批判せずにいることは危険すぎる。
東側陣営はなぜ冷戦に敗北したか?計画経済は市場経済に比べ資源配分の効率が悪かったので人民の生活を維持しつつ経済の発展を続けることができなかったからだ。
西側陣営の掲げた自由と民主主義は本当に勝利したのか?東側陣営との対決のために自らもまた市民の自由を制限し、アメリカはドミノ理論を振りかざして世界中に開発独裁の政権を打ち立て、現地の市民を抑圧した。21世紀の紛争の種を撒いたのは紛れもない事実だ。結局のところ西側陣営が実際に対抗勢力に対して振るった武器は自由と民主主義ではなく資本主義だった。
共産主義にしても、本来は人民を抑圧し民主主義を否定する思想ではない。
これをもって社会主義は喧嘩に負けて勝負に勝ったのだなどと言うつもりはないが、思想的に決着が付いたとは言えないと思う。競争相手がいなくなったから勝敗という言葉が使えなくなっただけで、今我々のいる陣営もまた行き詰まってしまったというのは確かなことではないか?
最近ホッテントリ見るときはアフィカスブログを踏まないよう注意するようになった。
エントリ名で、あーこれゲロくせーなーと思ったら見なかったことにしてスルーするし、間違って踏んでしまったらはてなNGにそっこーぶち込む。
記事の中身なんて見ない。
判を押したようなあのグローバルナビゲーション+右のサイドナビ+コンテンツ上部のソーシャルボタン連打が見えたら終わり。NG。だってゴミだから。
リアルでもポストに毎日大量のチラシがつっこまれるけどあんなのいちいち見ないよね。マンション管理組合が用意したゴミ箱に即捨てる。
あれほんとやめてほしい。自分宛ての郵便物とより分けながら捨てていく時間が惜しいし、なんでこんなことやんなきゃなんないんだろうって虚しくなるから。
アフィカスブログもいっしょ。ゴミ撒き散らすのやめてほしいんだよね。
もう21世紀じゃん。もう2016年じゃん。今時プッシュ型の営業ツールが流行るわけないじゃん。嫌われるために金と時間かけてるようなもんだよ。
もうほんと。いい加減気づけアフィカス。
お子さんの疑問は真っ当で、問題は以下の2つに切り分けられると思う。
②従業員はなぜ何十年も働いても働かなくてもいいほど豊かになれないのか。
このテーマは150年も前にマルクスが悩んだテーマで、これを考える上で(その考えに賛同するかどうかはともかくとして)『資本論』に触れないわけにはいかない。マルクスとかいうとソ連とか共産党のイメージで、めちゃくちゃアレルギーある人が多いと思うけど、マルクスもそんなに間違いばっかり言っていたわけではないので、まぁ話だけでも聞いてくれ。
ということで、以下お節介ながら、この問題についてマルクスがどう言っているのか書いていく。
まず①の問題だけれども、その答えは「会社が金儲けを目的とする限り、その事業に終わりはない」ということになる。なぜなら、
からだ。つまり会社はいくら金を稼いでもそれをやめることはないし、その手段である事業もやめることはないということだ。
ではなぜ貨幣蓄蔵の欲望が無際限かの理由は2つあって、(ⅰ)ひとつは他の商品(車、電化製品、衣服、食料品などなど)に比べたときに現れる貨幣の特殊性にある。
想像してみてほしいのだけれど、これらの商品はいくら溜め込んだところで自分が使うにも持て余す(ベンツが百台あっても置き場所や維持費で大変)し、他の商品と交換するのにも限界がある(ベンツ百台を売りさばくにはそのためのお店や人員やらを用意しなくちゃいけなくて大変)。
しかし、貨幣についてはいくらあっても困らない(銀行に預ければ利子まで付いてくる!)し、他の商品といくらでも交換できてしまうのだ。
そして、(ⅱ)理由のもうひとつは、貨幣自体に社会的権力が固着していることにある。これはいちいち具体例を示さなくても分かると思う。
以上2つの理由から、会社は金儲けをやめないし、そのための手段である事業も可能な限り永久に続くことになる。
この問題についてはマルクスが資本論第1巻を全部費やしているテーマなので、とてもそれをまとめる能力も、専門家じゃない人にそれをわかりやすく伝える能力も俺にはないのだが、ポイントは2つある。
ひとつは、資本家(ここでは会社)は従業員を豊かにするために事業を行っているのではないということだ(それなら何のため?と思った人は上のマルクスの言葉を見よう!)。
そのため会社は利潤を上げるため、従業員に支払う給与をどんどん下げるインセンティブが働く。究極的には、従業員が一日中働いて、次の日また元気に出社するのに必要な額(つまり食費や睡眠をとるための費用)さえ支払えばいいという発想が生まれる。
「労働者を24時間生かしておくために半労働日が必要だということは、けっして彼がまる1日労働することを妨げはしない。それゆえ、労働力の価値と、労働過程において労働力が増殖させる価値とは、2つのまったく違った量なのである。この違いこそ、資本家が労働力を買った時にすでに彼の念頭にあったものである」(『マルクス・エンゲルス全集』〔大月書店刊〕254頁)
つまり、給料が低く抑えられがちな以上、従業員はいくら働いたところで豊かになんかなりっこないわけだね。
もちろんこれには例外があって、最近話題になったカルビー会長の言葉(「従業員はただの道具ではない」「給料を増やし社員の待遇を良くするのは一番大事」)が思い浮かんだ人もいるかもしれない。マルクスはこういう良い資本家すらばっさり切り捨てるのだけど、問題が複雑になりすぎるのでここでは触れない。気になる人は『マルクス・エンゲルス全集』〔大月書店刊〕の353頁を読んでくれ。さらに興味のある人は、「モンドラゴン協同組合企業」でぐぐるとちょっと面白いかもしれない。
従業員がいくら働いても豊かになれない理由の2つ目は、従業員は通常、資本を持たない点にある。
つまり普通のその辺の人は金を稼ぐのに自分の労働力を売るしかなくて、そこから得られる給料も上に書いたように低くなりがち。そしてそこから生活費や子供の養育費を差っ引くと、もうほとんど手許に金は残らない。運よく給料が人より高かったり、奥さんが家計のやりくりのできる人で貯金が出来たとしても、それを増やす手段は資本家に比べれば全然ない。
中には株式投資をすればいいんじゃない?とか会社を興せばいいんじゃない?と思う人もいるかもしれないけれど、投資に成功する人が少ないことや、会社を興すにしても起業に多大なお金が必要(参入障壁)なことに思いを致せば、そう簡単じゃないことが分かると思う。
以上2つのポイント(もちろんマルクスは他にも色々言っているんだけど)から、従業員はいくら働いても豊かになれないし、働くことを止めることなんてできないんだね。
ちなみにトラバの中に、
というコメントがあったが、これもマルクス的には間違い。なぜなら、
だからだ。つまり、機械は資本家(ここでは会社)が利益を上げるためにしか使用されず、労働を軽減するために使用されるのではないということだ。歴史的事実としても、産業革命以来さんざん技術革新が進んできたのに、人が一切仕事をしなくて済むようにはならなかったでしょ?
以上長々と書いてきたけど、冒頭に書いたようにお子さんの疑問は至極真っ当で、これまで哲学者や経済学者が延々悩んできたテーマでもある。
上に書いてきた(というか俺が強引にまとめた)マルクスの主張については異論も色々あって、明らかに間違いだと分かっている点もあるのだけど、考えの取っ掛かりとしてはいいと思う(解決策も一応示されているしね)。
そこから最近話題になったピケティ『21世紀の資本』なんかを読むと考えがより深まると思う。
というわけで、こんな長い文章を読んでくれてありがとう!そういうもんだと割り切らず、がんばって考えて、お子さんによりよい将来を作ってやってくれ!
北海道に新幹線がやってくる。これに関してはここでは詳しく触れない。
まず北海道のメディアはこれを礼賛し、連日新幹線や、それにまつわる鉄道の歴史、青函連絡船・青函トンネル関係者へのインタビューなどが繰り返される。新幹線開通に伴う寝台特急の廃止もいつも以上に騒ぎ立てている。
さらに、交通機構も押し並べて新幹線歓迎ムード。高速道路の休憩所はこの話題ばかりだし、JRの駅も同じ。2週間前に帯広市という新幹線が来るわけでもない都市に行った際にも、謎の新幹線歓迎コーナーが設置されていた。
もちろん公社や行政もムード作りに一役買っている。新幹線開通を祝うクリアファイルなんてどれだけ見たことだろうか。
この構造は、今回は新幹線開通に伴い用いられるものだからまぁ別に良い。だがかつてこのようにして戦争への雰囲気作りが行なわれたことは、別に左翼でなくとも覚えておいて損はない。
実は戦後まだ70年しか経過していない、という評言は成立しうる。21世紀でも、こんな単純な総動員の雰囲気作りが成立しうるのだ。
問題点は、行政からメディアまで、一体だれがこの雰囲気を作り出しているのか不明なことだ。ちょっと前までは新聞でもテレビでも、新幹線への反対意見が掲載されていた。何がそれを払拭させて「新幹線が来ます。わーわー」的なアトモスフィアを醸成しているのか。この時期に反対意見述べるのはたしかに「水を差す」感じなのかもしれないけれどね。
回線が混雑しているので22世紀の増田にも21世紀の増田が流れてきている状態です。
おそらくこの記事も21世紀の増田と混戦しているかもしれません。
まず、redditというスパムが増田の99.99%を占めている状態です。
電車にいる、スマホ中毒のつり革手すりに掴まらない阿呆どもに片っ端から「ちゃんとつかまれ!!」と叫びまくってください。
スマホであほなゲームやってて肘を広げて、ヒジを他人にあててくるやつらにも同様にお願いします。
スマホのあほゲームで、スマホを振るアホには「こんな場所で振るな!」といってください。
酔って他人によっかかってくる、他人の足を踏むなどの迷惑行為をする人には「タクシーで帰れ!迷惑だ!」といってやってください。
歩きタバコしている人にも「迷惑だ!喫煙所で吸え!」と指導してください。
ついでに21世紀にもなって公共の場を禁煙にしない東京都にも指導願います。(区の単位で歩きタバコ禁止条例はあるけど東京都全体では歩きタバコ無法地帯)
以上、よろしくお願いします。