はてなキーワード: モンドラゴンとは
イラウンスゲーッス
似たような話って結構あるんすね、もしかしたらそれは古来から続く人間の業の歴史なのかもしれないけれど
このイラウンスゲ、エレンスゲっていう多頭の龍は毎年1人の処女を捧げられてたらしいですよ。まぁ後々退治されるんですけど。
んでこの龍がいた山のことを龍の山、モンドラゴンと呼んでいるらしいです。
まぁこれを偉い領主が初夜権を使いまくってたけど、地方の性が乱れて処女がいなくなっちゃったから退治しちゃったって話もあるんだっけ、Wikipediaそのまんま見てるからよくわかんねえや、なんですけどね
まぁ何にせよ処女を食いまくった龍は最後卵をぶつけられて死んじゃうらしいです。まぁいろんな倒され方あるみたいです。蝋に固められて槍ブッ刺されたり。
これまた村の女を食いまくった八岐大蛇が男の娘に騙されて酒飲んで泥酔して動きづらくなったところを男の娘に全部の首切られるみたいな話ですね。
まぁ欲望に身を委ねた強権者の死に様は碌なもんじゃないってことなのでしょうか
ということで本日は【節度ある生活よいか】でいきたいと思います。
お子さんの疑問は真っ当で、問題は以下の2つに切り分けられると思う。
②従業員はなぜ何十年も働いても働かなくてもいいほど豊かになれないのか。
このテーマは150年も前にマルクスが悩んだテーマで、これを考える上で(その考えに賛同するかどうかはともかくとして)『資本論』に触れないわけにはいかない。マルクスとかいうとソ連とか共産党のイメージで、めちゃくちゃアレルギーある人が多いと思うけど、マルクスもそんなに間違いばっかり言っていたわけではないので、まぁ話だけでも聞いてくれ。
ということで、以下お節介ながら、この問題についてマルクスがどう言っているのか書いていく。
まず①の問題だけれども、その答えは「会社が金儲けを目的とする限り、その事業に終わりはない」ということになる。なぜなら、
からだ。つまり会社はいくら金を稼いでもそれをやめることはないし、その手段である事業もやめることはないということだ。
ではなぜ貨幣蓄蔵の欲望が無際限かの理由は2つあって、(ⅰ)ひとつは他の商品(車、電化製品、衣服、食料品などなど)に比べたときに現れる貨幣の特殊性にある。
想像してみてほしいのだけれど、これらの商品はいくら溜め込んだところで自分が使うにも持て余す(ベンツが百台あっても置き場所や維持費で大変)し、他の商品と交換するのにも限界がある(ベンツ百台を売りさばくにはそのためのお店や人員やらを用意しなくちゃいけなくて大変)。
しかし、貨幣についてはいくらあっても困らない(銀行に預ければ利子まで付いてくる!)し、他の商品といくらでも交換できてしまうのだ。
そして、(ⅱ)理由のもうひとつは、貨幣自体に社会的権力が固着していることにある。これはいちいち具体例を示さなくても分かると思う。
以上2つの理由から、会社は金儲けをやめないし、そのための手段である事業も可能な限り永久に続くことになる。
この問題についてはマルクスが資本論第1巻を全部費やしているテーマなので、とてもそれをまとめる能力も、専門家じゃない人にそれをわかりやすく伝える能力も俺にはないのだが、ポイントは2つある。
ひとつは、資本家(ここでは会社)は従業員を豊かにするために事業を行っているのではないということだ(それなら何のため?と思った人は上のマルクスの言葉を見よう!)。
そのため会社は利潤を上げるため、従業員に支払う給与をどんどん下げるインセンティブが働く。究極的には、従業員が一日中働いて、次の日また元気に出社するのに必要な額(つまり食費や睡眠をとるための費用)さえ支払えばいいという発想が生まれる。
「労働者を24時間生かしておくために半労働日が必要だということは、けっして彼がまる1日労働することを妨げはしない。それゆえ、労働力の価値と、労働過程において労働力が増殖させる価値とは、2つのまったく違った量なのである。この違いこそ、資本家が労働力を買った時にすでに彼の念頭にあったものである」(『マルクス・エンゲルス全集』〔大月書店刊〕254頁)
つまり、給料が低く抑えられがちな以上、従業員はいくら働いたところで豊かになんかなりっこないわけだね。
もちろんこれには例外があって、最近話題になったカルビー会長の言葉(「従業員はただの道具ではない」「給料を増やし社員の待遇を良くするのは一番大事」)が思い浮かんだ人もいるかもしれない。マルクスはこういう良い資本家すらばっさり切り捨てるのだけど、問題が複雑になりすぎるのでここでは触れない。気になる人は『マルクス・エンゲルス全集』〔大月書店刊〕の353頁を読んでくれ。さらに興味のある人は、「モンドラゴン協同組合企業」でぐぐるとちょっと面白いかもしれない。
従業員がいくら働いても豊かになれない理由の2つ目は、従業員は通常、資本を持たない点にある。
つまり普通のその辺の人は金を稼ぐのに自分の労働力を売るしかなくて、そこから得られる給料も上に書いたように低くなりがち。そしてそこから生活費や子供の養育費を差っ引くと、もうほとんど手許に金は残らない。運よく給料が人より高かったり、奥さんが家計のやりくりのできる人で貯金が出来たとしても、それを増やす手段は資本家に比べれば全然ない。
中には株式投資をすればいいんじゃない?とか会社を興せばいいんじゃない?と思う人もいるかもしれないけれど、投資に成功する人が少ないことや、会社を興すにしても起業に多大なお金が必要(参入障壁)なことに思いを致せば、そう簡単じゃないことが分かると思う。
以上2つのポイント(もちろんマルクスは他にも色々言っているんだけど)から、従業員はいくら働いても豊かになれないし、働くことを止めることなんてできないんだね。
ちなみにトラバの中に、
というコメントがあったが、これもマルクス的には間違い。なぜなら、
だからだ。つまり、機械は資本家(ここでは会社)が利益を上げるためにしか使用されず、労働を軽減するために使用されるのではないということだ。歴史的事実としても、産業革命以来さんざん技術革新が進んできたのに、人が一切仕事をしなくて済むようにはならなかったでしょ?
以上長々と書いてきたけど、冒頭に書いたようにお子さんの疑問は至極真っ当で、これまで哲学者や経済学者が延々悩んできたテーマでもある。
上に書いてきた(というか俺が強引にまとめた)マルクスの主張については異論も色々あって、明らかに間違いだと分かっている点もあるのだけど、考えの取っ掛かりとしてはいいと思う(解決策も一応示されているしね)。
そこから最近話題になったピケティ『21世紀の資本』なんかを読むと考えがより深まると思う。
というわけで、こんな長い文章を読んでくれてありがとう!そういうもんだと割り切らず、がんばって考えて、お子さんによりよい将来を作ってやってくれ!