はてなキーワード: 猜疑心とは
先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。
ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。
そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族の同意により強制的な入院を行った。
「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、
母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。
興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。
日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、
一時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶がある。
母は父方が信仰している宗教を激しく嫌っていた。
父が私と弟を連れ、父方の実家や親戚宅に遊びに行く際に、母がついて行くことは殆ど無く、
「もし宗教の勧誘があっても絶対に断れ!」「あれは怖い宗教だ!」と念押しをされていた。
たまに母も父方の実家に来たことがあるが、その際は私も母の影響で、事件が起こることを恐れずっと緊張していた。
夏休みの子どもだけの楽しい父方の親戚宅の滞在は、いつも怖い出来事が起こるのではないかという思いとセットだったが、
母が懸念するような出来事は一度も起きた事が無かった。
そのうち父の浮気を母が疑う様になり、夫婦喧嘩が絶えなくなり、別居となったのが私が10歳の頃
別居寸前の激しい言い争いの末、兄弟二人に「お前らは父と母、どっちに付いて行くのか」と問われた際、
「両親が分かれて暮らすことが嫌だ」と泣きながら主張した事を覚えている。
しかしその頃、私は母の影響を強く受け、父を慕いつつも、母の想像上の悪人である父を恐れていた事もあり、
母方の祖母宅傍に、母と二人で移り住む事となった。そして弟は父に付き、これまでの家に残る事になる。
専業主婦だった母は別居後、販売員の仕事を始め親子二人の生活が数年続いた。
そして事あるごとに父の悪口とありもしない怖さを母から聞かされて育った。
余談だが、私は小学1年生から激しいいじめを受けており、別居で引っ越した後もいじめは続き、当時はかなりつらい人生だった。
ある日、私の学校の開校記念日と、母の休日が重なった日に、思いつきで弟に会いに行こうか?
という話になり、離婚調停の最中に、小学校の校門から出てきた弟をそのまま家に連れてきてしまった事がある。
再開を喜んだ夜になって慌てて父が家にやってきたが、母は玄関の鍵を開ける事なく、父を激しく責め
自分の非は一切認めずそのまま追い返してしまった。結局、その日から狭い借家に母と弟で3人で住むことになり後に離婚が決定する。
中学生の頃、私に激しい反抗期が起こる。これまで母の言いなりであった状態から、徐々に物事を相対的に見れる様に
なってきてから、今までの反動もあり様々な出来事から私は母を強く嫌う様になった。そしてこの感情はいまだに消えることが無い。
対照的に母は会えない期間のあった弟へ強く愛情を注ぐようになる。
私の事には無関心ながらも「高校を出たら最低限の勉強だけして就職して早く家に金を入れる様にしろ。」と言われていた。
しかし弟はスポーツに才能を見出し、なんとか母が体育系の大学に行かせていた。私は母を恨み、弟を羨んでいた。
母が徐々におかしくなっていったのはこの頃だったろうか。
仕事上での人間関係のトラブルの話は祖母としょっちゅうしていたが、相変わらず対立する相手を悪くいう事がほとんどだった。
その内、「誰かと話をしている際に、嫌な同僚が盗み聞きをして事情を知っているのでは?」と言い出し、
次第に「盗聴しているんじゃないか?」と言い始めた。そして話の中で彼女の敵になる人間が徐々に増えて行った。
しかし私は「元々の激しい性格と強い猜疑心が招いたいつもの奴だろう」位にうんざりする程度で聞いており、
しばらくは家族や親族の誰もが病気の可能性であることを疑う事はなかった。
就職してしばらくは生活費を払っていたが、とにかくそんな母と一緒に生活をしたくなかったので、
近所に一人暮らしをする事になった。母は「今の仕事がどうなるかわからないから一人暮らしはしないでくれ」と言っていたが
自分の性格が招いた結果だと思い、無視して家を出た。そして私は実家に生活費を払う事をしなくなった。
近所ではあるが、母と弟と会う事や話すことを極力避けた生活が続く。
母は仕事を辞めパートをするようになった、この頃から私は近所に住んでいた弟や祖母や親戚とも疎遠になる。
しばらくしてカートを引いて歩く母と会う事たまにがあったが、嫌っていたこともあり
あまり会話をすることもなかった。
しかし、あれは確実に症状が進行し言動がおかしくなり、徘徊をする様になった異常な母だった。
私が母の異常性を指摘すると激高して怒り、頑なに否定した。また、私自身も子供の頃からの嫌いな母と向き合う事になり、
落ち着いて説得することができず感情的にしか対応できなかった。
その様な事実に気付きながら、私は再就職先が通勤で遠かった事もあり、実家の傍を離れる事となる。
弟や親戚が母をなんとかしてくれる。自分はあの家族とは関わりたく無い、という思いがあった。
おそらくこの頃の弟の絶望感は想像をするに余りある。体の故障で体育大学を中退した彼は、徐々に壊れて行く母と二人暮らしを続け、
兄や父には頼れない、母の兄弟である親戚の中でも、母は鬼の子の様な扱いだった為か、親戚にも相談できなかったのだろうと思う。
そして次第に彼も家に帰る事を避ける様になったという。 昼夜の境無しに恨み事と自分が狙われている妄想を、
弟が寝ていようがお構いなしに呪詛の様に話し続けるのに耐えられなかったのだろう。
彼は一時はカルト宗教に通った事もあったそうだ。
その頃私は都内の仕事が好調で彼女もできたが、人間関係の立ち回りで失敗し、今思えば鬱の症状を発症し、結果解雇される事になる。
その後も自営業や再就職をするが、運が悪いのか、決定的に欠けた何かがあるのか。最初は順調に勤めても何故か数年すると
上手く行かない状態が何度も続き今に至っている。
幼少期から自己肯定感は低い方だったが、今では自己肯定できる理由がさらに少ない人間になってしまい、死を考える日も増える様になった。
しかしこんな私を慕ってくれるパートナーをこれ以上悲しませたく無いというのが、生きる理由になりつつある。
この頃は母の症状もかなり進行しており、必要のないものを買い込み家が物で溢れ、荒れ放題であった。
何年かすると賃貸住宅を出ないといけない状況が何度か続く、弟に頼まれ引っ越しの手伝いをしたこともあった。
普段弟は殆ど家に寄り付かず、母は近所では有名人であった様だ。
しかし何故か日常生活を一人で行うことには支障がなく、買い物や家事などは全て一人でこなせる状態で、
支給された年金と弟の援助で生活を続けていた。風変りな半独居老人でしかなかった。
徘徊を行い細かなトラブルはあったではあろうが、周囲に大きな迷惑をかけることはなかったらしい。
ただし、自分が襲われ被害に遭う妄想は常にある為、頻繁な110番通報や派出所に入り浸り被害妄想を延々しゃべり続ける事は
しょっちゅうだった様だ。たぶん地域の警察官の中でもやっかいな有名人であったと思う。
その点では心あたりのある警察官の方には大変申し訳なく思ってる。
仕事とはいえ私たち同様、制度の穴で苦労を強いられる人々であることに変わりはない。
バラバラの家族に転機が訪れたのは、今から数年前に弟に彼女が出来た事がきっかけだった。
母の住む家に通える距離にある、彼女の家で生活を始め、近く家庭を持つ事を報告してくれた。
彼女は大きな困難を乗り越え成功を収めた家で育ち、弟にはもったいない程の素敵な相手だった。
そして彼の子どもが授かった事をきっかけに、母を何とかしなければ、という兄弟での協力体制が築かれる事になった。
これより以前に、弟が役所や医師に相談したこともあったそうだが、散々たらい回しにされ出てきた結論は、
本人に自分が病気だという意識(病識)が無いと、精神科への通院もできないし治療もできないとの事だった。
そして母の症状は強い猜疑心が伴う為「薬に毒が混入している」「過去に薬で体をおかしくされている」
という妄想を持っており、通院・投薬が難しい状態だった。
入院させるにも費用が高額な為、ワーキングプア状態では結局どうにもならなく何もできない、という結論に達していたようだ。
私も色々調べたが、実際、統合失調症がある程度進行した状態で、病識は無いが日常生活は可能、しかし治療を拒む状態だと、
いわゆるグレーソーンとなり、周囲の人間にお金が無いとどうにもならない状態だった。
そしてこの結論はここ数年、兄弟二人で対処した際にも全く同じ結論にしかならなかった。
いくつかの精神科を兄弟で相談に回ったが、どこもまず本人を連れてこないと話にならない、という結論だった。
また、症状が出てから経過年数が長く比較的症状が重い為、どこも受診を嫌がる兆候があった。
そこで「健康診断に行こう」と言いつつ近くの総合病院に連れて行き、そこにあった精神科も同時に始めての受診をさせた。
はらはらしながらの受診だったが、精神科医に統合失調症と病名を告げられても理解が出来ていない様子だった。
母無しで医師に相談した際、入院相談等もしたが、否定的な答えしか戻って来ず、投薬しても発症から長期経過している為、
回復はほとんど見込めない旨。どこも満床でベットが空くまで場合によって半年以上待つことになる旨。
入院には大変お金がかかる。月30万位は行く、生活が苦しいと難しいよねという旨を伝えられ。まるで軽くあしらわれているかの様だった。
今ならわかるが、この医師からはケースワーカーの存在を紹介されることもなく、国立や県立病院の可能性を教えてもらう事もなかった。
自分の事を棚に上げてあえて言うが、面倒事を何とか避けようとしかしなった、この医師の仕事に対する姿勢を私はいまだに腹立たしく思っている。
それでもこちらから持ち掛けた話で、弟が与える健康ドリンクに密かに混ぜて飲ませるという事で薬を出してもらった。
薬は数週間飲ませ続ける事が出来た、その期間は明らかに普段と変わった状態になり、何らかの良い作用が出ている様だった。
僅かに希望が見えたが、次第に蓋が空いた状態で渡される健康ドリンクを疑い出した。
飲むと頭がぼーっとしてだるくなると言い、健康ドリンクを飲む事を拒否し始めた、
毎日離れた母の家まで通う弟の負担もあり、 投薬はそこで終了となった。
同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。
取得しても得られるメリットは通院をすることで受けられる医療費が対象であること。
医療費負担が3割→1割だが、既に母は年金生活者で、医療費1割負担の対象者であること。
今後母がトラブルを起こした際、持っておいた方が無いよりもマシでしょう。
また、通院と同時に市役所への相談で介護申請を行い、定期的に家に来てくれるヘルパーさんと信頼関係を築き、
ゆくゆくは薬を飲ませてもらう事も計画したがこれも実現できなかった。
まず、加齢により体の不調があることも理由に介護申請を行ったが、統合失調症等の精神疾患は介護認定の判定要素に
大きく加味されることが無く、介護度2となった。
ヘルパーさんが定期的に母の自宅に訪れて買い物の連れ添いや、身の回りの世話等をしてくれることになった。
母も最初は喜んでいたが、次第にヘルパーさんが物を盗んでゆくと言い出し、やはり疑う様になった。
そしてヘルパーさんを避ける為か、ヘルパーさんの訪問予定時間に外出することが増えた。
そうなると、介護サービスを受けた事にならなくなる。介護事務所も国にに介護をした事実の申請が出来なくなる為、
実費の人件費が発生するようになる。その費用がは当然私が持つ事になる。(1時間約3000円程度だったろうか?)
そしてヘルパーを家に寄こさないでくれ、と強く言い出し、これも結局お手上げとなった。
結局この時も出てきた結論は、もうちょっと病気が進行しないとどうにもならないね。ということだった。
そして、去年あたりになってから、私の元に警察から頻繁に電話がかかるようになる。
過去にも真面目な新人と思われる警官から、母の妄言を真に受け私の元に安否確認の電話がかかることがあったが、
今回はついに近所の方とトラブルを起こし始めた。アパート近隣の住民に迷惑をかけ遂に警察沙汰となった。
どうも明らかな幻聴が聞こえる様になり、彼女の人生で登場した嫌な奴をののしったり、
幻聴で助けを求める困った人を助けようとしたり、私たち子供の危機を救おうとしたりした結果、大きなトラブルに発展している様だった。
以前より持たせて携帯電話も、しょっちゅう警察に通報したり、私たちに電話をし、
一方的にしゃべり続けたりする大事な必須アイテムだったが、いつしか持ち歩かなくなり、荷物だらけの部屋に紛れてしまった。
近隣のトラブルはついにアパートの不動産屋に伝わり、大家が嫌がり、アパートの契約更新を一方的に拒否され、退去を迫られた。
ヤクザの様な不動産屋に電話口で恫喝され、あなたが面倒を見ないと駄目だろ、引っ越すにしても老人一人を
入れてくれる所なんてどこにもないよ。とまったくもって他人の家庭事情に土足で踏み入る様な事を言われる。
要は親を引き取って面倒を観るなり施設に入れるなりしろ、という訳である。それが出来ればこんな苦労はしていない。
親を引き取って一緒に生活することになったら、私の気が狂うか、母を殺めてしまいかねない。と思ってる。
さらに警察や近隣住民からの電話が続く様になる。その都度、謝罪の電話や訪問に向かう事が短い期間に連続するようになった。
これまで半世紀近く、おそらく二番目に被害を受けた人間が、その加害者のしでかした事の為に謝罪に回るという罰ゲームである。
しかし、このトラブルの増加あたりから、状況は徐々に好転を見せ始める。
トラブル頻発の経緯からか、独居老人を見て回ってくれる地域の高齢者支援センターの方がたまに母の様子を見てくれていたそうなのだ。
この頃になると母の症状もだいぶ進み、自分の事を自分ですることが出来なくなりつつあり、言動が破たんしている頻度や時間も
長くなってきた。支援センターの方は、そんな母を外部に連れ出し入浴をさせてくれたり、
家の手伝いや話相手になってくれることがあったそうだ。
長く孤独だった母に対し、支援センターの方が母との信頼関係を築いてくれた。
母が病気になってから知り合った人間の名前を覚えて良い人物として会話に登場することになった。
そこに私も同行し、その流れで精神科のクリニック紹介してもらい、再度精神科の受診させることもできた。
しかし、入院施設もなく、通院投薬が前提のクリニックで紹介された入院施設のある病院は、
かつて散々嫌な思いをした地元の総合病院だった。ウェブサイトで調べた所、当時の担当医師は既にいなかったが、
入院をさせても高額になり、治療をするにも、これまでと同じ結論にたどり着くのは明らかだった。
でも、これ以上トラブルを抱えた状態ではどうにもならない、そこでセンター長さんは老人ホームへのショートステイを提案してくれた。
何度かショートステイを行って次第に慣れてもらい将来的にはそこで生活を、というニュアンスだったと思う。
まず2泊3日で滞在させることになった。滞在時には私も同行し、旅行にでも来たと思って楽しんでくれと言って置いていった。
けっこう喜んでいた様子だったが、結局、最後は自ら老人ホームを抜け出そうとしたそうだ。
怖い何かがいてここにはいられないとの事。母は予定滞在期間より少し早く、自宅に送り戻された。
老人ホームの事も調べた。経済的には何とかなる様になっているが、それにはアパートを引き払い、完全にホームで暮らすことが前提になる。
しかしホームでは看護サービスは受けられるものの、やはり薬を強制的に飲ませる事は出来ないそうだ。
また、本人の意思を尊重することが前提なので、無理矢理家に帰ろうとする母を拘束することはできない。
また周囲とトラブルを起こした際はやはり退去を求められる可能性がある為、現状での長期滞在は難しいという結論だった。
ここで進退窮まった。引っ越しは迫られる、トラブルは頻発する、治療には金がかかる。同居は実質不可能。
しかし殺人の容疑者比率で最も多いのは家族や近親者という事を知って、実現不可能であることを認識した。
こうなったら、母と絶縁状態の親戚を頼りにするしかない。という事になり、自らの恥を含め事情を話し、
その際、医療関連の仕事をかつてしていた母の弟にあたる叔父から、
県立の精神病院の存在を教えてもらう。あそこなら比較的安くすむかもしれない。ということだった。
アパートの引っ越し先を何とか見つけ、ゴミ屋敷の引っ越しを済ませ、恫喝をされた不動産にアパートの引き渡しを済ませた。
殴りたかったし文句の一つも言いたかったが、こちらは加害者なので、なにも言える状況ではなかった。
翌日、筋肉痛で疲労困憊の状態で県立の精神病院に電話をかけた。
事情を話し、入院費について尋ねると、これまで問い合わせた病院のどこよりも費用が安く入院できるとのことだった。
状況で費用も変わるが、約8万程度だという。さらにこれまで受診した病院と連絡を取ってもらい、事情を把握してもらった。
そして遅くとも2週間位で入院ができるとの事だった。
電話した日の夕方、再び病院から電話があり、明日の入院がキャンセルになった関係で、
母を連れてくれば、明日そのまま入院できる。と連絡があったのが、つい一昨日の事だ。
正直、すこし拍子抜けをした、これまでの苦労は何だったのかと。
最初に誰かが県立の精神病院の存在や制度や費用についてしっかり教えてくれれば、自分自身できちんと全て調べていれば、
こんな苦労はしなかった。私自身、最初は問題から逃げようとしていたし、問題に向き合ってからも苦労の方向性が
間違っている事に気付けなかった、しかし、役所、介護、福祉、医療、警察、の現場であった人も親類も、
これまで誰もそのアドバイスをくれなかった。いや、耳を傾けようとしなかった部分も多分にあるだろう。
正直、母の病気は隠したい恥という部分もあり、これまで親しい関係の人にしか、打ち明けた事が無かったが、
自分の不甲斐なさと共に、制度の穴に対しても恨み言の一つは言いたいと思ってこれを書いている。
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あと少しだけ以下に続きます。
なんで混同されるのかな?
別に自分は、自分で見た上で自分の感性に従って良いと思っただけで、それが体験の中心にある。
若者を中心にバズってるから良い、とか、売上がいいから良い、みたいに、
自分の外にある現象だけを根拠にして良いと言っている訳じゃない。
ただ、外部の現象も認識して、それを説得力の補強材料として使うのは自然なことだろう。
それにすら触れずに、自分の中から湧き出る言葉だけで説得させるっていうのは、
非常にエネルギーのいる行為だから普通の人はあんまりしない、それだけのこと。
もしかしたら猜疑心が強すぎて、反響を持ち出す人すべてが、売り豚みたいに外部の権威だけに心理的に依存していると思ってしまっているんじゃないの?
まるで、ちょっと日本の良い所を言っただけで、もうその人が「日本人であることだけが誇りゆえに他国民を攻撃しだすネトウヨ」に見える、みたいな感じで。
むかしむかし、君たち人間の考えも及ばない太古の昔、おじいさんとおばあさんはまだ居なかった時代の話だ。
…いや、君たちの概念でいうところの「おじいさん」や「おばあさん」がいない、といった方が正確だろう。
君たちの足元で鞭毛を使って泳いでいる一匹のアメーバ。
そいつが途方もない時間の先に生きる君たちのおじいさんとおばあさんになることになるわけだが、今はそんな話どうだっていいだろう。
こんな昔には桃を実らす樹木もなければ、桃太郎だって生まれてやしない。
考えるのも止めたくなる時間を経た先、君たち人類のおじいさんとおばあさんにあたる生命体が現われることになる。
何千回も繰り返してきた生物たちの進化だが、性別を有する生物というのは失敗だ。
性別、いわゆるオスとメスとに区別されて呼ばれるが、彼らは常にお互いを求めて1つになりたがろうとするきらいがある。
それはもともと一匹の生命体だった頃の、細胞の奥深くに刻まれた太古の記憶なんだろう。
しかしそんな願いも虚しく、彼らはこの先も、そして永遠にお互いを分かり合うことはない。
自分こそがオリジナルだと言わんがばかりに、お互いを否定しあった先に救いはないのだから。
さて、この時代は多種多様の生命に溢れ、むせ返るほど豊かな自然はエデンを彷彿とさせるくらいだ。
苦労が売られ、その苦労の度合いに価値が見出されている時代相だからこそか、おじいさんは山へ芝刈りに行き、おばあさんは川へ洗濯のためだけに家を後にする。
これから川でおばあさんが遭遇することは、あのエピメテウスすら知ることができない、言わば歴史の奇跡ともいうものだ。
おばあさんが川で洗濯をしていると、表面には産毛を生やし、ほんのりと紅く色づいた果物が川上から流れてくる。
人としての貪欲性のためか、あるいは承認欲求が作用したのか、または川に流れる桃に対する猜疑心のない愚かさが故なのか、おばあさんは我を忘れて桃に飛びかかる。
桃はゆっくりと、そして着実におばあさんの手によって岸に運ばれる。
してやったりと言わんばかりの、あのほくそ笑んだ顔を私は忘れることができない。
自分未満のファンを不真面目だ、なってない、楽しむ資格がない、
twitterを覗かれて、良さを理解してる様子がない、と言われる。
(思ったことをすべて逐一twitterやらに書き記すわけがないのに。
そうやって他のファンのことを気にして、うざったいな)
と思うだろう。
(そんな風に驕りたかぶらずに、
「他のファンたちもきっと自分が思うより愛している部分があるし、
いろんな形の愛し方があるんだ」
くらいに好意的に、他人に敬意をもって解釈してくれたらいいのに。
俺は俺なりに愛してるんだよ、俺なりの器量の範囲で最大限。
とも思うだろう。
(だいたい他人の練度を気にしている時点で、
純粋にコンテンツを楽しむ姿勢となにかズレているんじゃないか?
と思いもするだろう。
そういう見下される側の気持ちを、
それができる程度に想像力を働かせる習慣さえあれば、
スマホで増田しようと思って1時間くらい書いていたら操作を間違えて消えてしまった。悲しい。うんこ漏らしそう
そんな話はさておき、ここ最近の増田諸氏ホッテントリを見ると、少し安心してしまう自分がいる。
多かれ少なかれ、他人同士が一緒に暮らす訳だから、色々と問題はある。我が家も例外ではない。
そんな中でも比較的一般的なキーワードとしてセックスレスが挙げられると思う。
実は自分は元々最低な夫で、付き合っていた頃から浮気を繰り返し、子供ができて、結婚して、まだお腹の中にいる時にも外で女とイチャコラしてた。
その頃の自分はバカだったので、性欲からくるセックスと、充足感、自己肯定感、軽い依存による多幸感など、諸々ないまぜにした結果の愛しあう行為としてのセックスを履き違えていた。
だからこそその当時はセックスレスとか良いパパやってバレないように外で女作るか風俗とか行けば余裕wwwとか草を生やしていた。
本当にバカだった。その当時離婚しないでついてきてくれた嫁には感謝している。
そのための贖罪、いやほんとに言い訳として、それまでプラプラしていた自分を改め、非正規派遣とは言え大手の会社に入り、先々を見据えて頑張ろうと誓った。
元々自宅で引きこもっていた時にプログラミングやインフラ周りをやっていたこともあり、一般人よりは出来ると思っていたが、ここの会社の某超有名なエンジニアのブログを見ていると外の世界はこんな技術じゃボコボコにされる、マジコエーとも思っていた。
で、外に出てみたら意外とそんな事なくて、むしろ適当に仕事してる人より出来る事がわかった。あ、いやでもまだまだ読者諸氏には全然敵わないのでこれからも勉強させていただきます。どうぞよろしくお願いします。
あとは引きこもっていたせいで世の中知らなさすぎて、大手の仕事の本質は基本的には調整業務が主で、だからこそ新卒至上主義なのかなーとか、未だに考えは巡らせることはあるけど、それでも上から下まで見てこれたのは割りとラッキーなのだと最近は思っている。
主題からそれすぎて何の話か読者諸君はそろそろ忘れている頃かと思うが、すまない、自分も忘れていた。
まぁようはキャリアの転換期で、そういう時には家庭の問題が色濃く反映される訳だ。
嫁とは不定期にセックスレスになる時があり、長いと半年以上していない時もあった。
増田しているあたり今日もそうだったのだが、唐突に気づいた事があった。
先に書いたとおり、元は仕事していない浮気するとクズの代表格なような自分だったが、そういった行為に走っていたのは結局のところ、求めていたのは嫁のように愛してくれる存在だったのだ。
数年前からその事に気づいていたはいたものの、うまく言語化できていなかったので、昔遊んでいた知人などに誘われてもうまく断れずにいた。
確かに外で女を作るなり、風俗に行けば性欲は満たされる。だが心が埋まるわけではないので、余計に身体と心が乖離してしまい、また同じ事を繰り返す。バカの典型だ。
だけど、気づけた。気づけたからこそ、主題のセックスレスの問題が出てきた。
愛してくれる嫁と、そのために頑張っている自分に酔っている、まぁ依存なんだろうか、まだ掘り下げて考えられていないが、その嫁とセックスすることで、性欲以上の何かをいつも勝ち得ていた。
セックスレス期間中は童貞に戻ったかのようにオナニーをしまくっていたが、ここ最近はそれも疲れてしまった。断れる度に傷つく心を騙すための自己満足の行為とその自己満足の行為に走った自分に。
元々性欲は強い方で、10代は本当に俺=猿というようなもので、今は落ち着いたとは言え、それでも毎日したいくらいだ。
だからこそ誘えるかどうか、顔色伺う機会も多くなるのだが、嫁は家事に育児、その他家の雑多なことを全てやってもらっているので、基本的には我慢していた。
我慢していたが、それももう本当に限界だ。
喧嘩のトリガーとなるのはいつも自分からなのだが、普段頑張ってもらってる分、不満を言わないようにしている。
のだが、セックスを断られる事で不満が爆発してしまい、言われ慣れてない嫁はいつも泣いてしまう。
泣いている嫁は見たくないからまた我慢して、セックスを断れる事でまたトリガーとなってしまい・・・と悪循環なのだ。
普段から言えていれば良いのだろうが、付き合っていた期間から考えると10年以上、未だに嫁が本当に言われたくないことを泣かせずに言える方法がわからずにいる。
嫁が求めているのがお金を稼いで優しい良いパパでいてくれる事なら、もう離婚すべきと考えてしまう。
確かにそれが理想なのはわかるが、スタートラインが底辺な自分にとってはもっと上を目指したいし、世の中の役に立ちたいと思ってる。
結局のところ、自分は自分のことが可愛くて大好きで、だからこそこういうことを思ってしまうんだと、それは良くないことだと自分を戒めてきた。
だけどここ最近の仕事の状況もあり、人間追いつめられると理屈ではなく、子供の頃の夢とか、理想とか、自分のことになってしまうのだと気づけた。
うまく折り合いを付ければ良いのだろうが、生まれ育った土地を離れたくない嫁とは着地点が見えてこない。
単身赴任はあくまで仲の良い夫婦だから出来ることであって(そうでないケースもあるかもしれないが)、我が家の場合はイコール別居、離婚となるのが見えているから嫁が反対しているのだと思う。
なんだか冷静になっているようで文章を見返すと支離滅裂で結構ダメダメだなぁという感じで非常に申し訳ないが、聞きたい事は下記のとおりである。
離婚したら喪失感や孤独感でそれこそ鬱になりそうなものなのだが、幸い自分には仕事があるので、一時気を紛らわせるという打算はある。
かたや、ここまで尽くしてくれた嫁に対する仕打ちなのか、禊はどうしたと己の良心に問いかけるものがないわけではない。
だが、ここ最近はその良心に付け込まれているだけなんじゃないかと猜疑心しか出てこないのだ。
子供のことを考えると離婚すべきではないと思う。今までの子供との接し方を見る限り、色々な選択肢を奪われてしまう結果になると予想される。
そういう意味では親権を取りたいが、現実的には難しい事だと理解している。確かに自分から見たら色々ありえないが、ネグレクトまでではない。
自分はコンプレックスが強いから、子供への期待や、接し方などおそらく厳しいものだろうから、そういった意味ではバランスが取れているのかもしれない。
が、嫁の育ってきた環境などを考えると、シングルマザーになったら一番の被害者は子供になる。それは避けたい。
そう思ってここ何年かはやり過ごしてきたが、それも限界だ。
ぶっちゃけ自分も家庭環境は相当酷かったけど、結局のところ本人の気持ち次第でどうにも変えられると思ってる。
すまない、今日も断られて頭の中がグチャグチャで、読者諸氏は支離滅裂な文章をお見せして申し訳ないと思っている。
だがここまで読んでくれた寛大な読者諸氏、どうか感じたこと、考えたこと、テメーもっと嫁と話し合えよとマサカリを投げること、なんでも良いのでコメントを頂けないだろうか。
副題として離婚があるが、あくまで主題をセックスレスにおいたのはそれが一番のきっかけだと感じているからだ。
だとすると、気心の知れた友人、知人には話しづらい内容でもある。
恥ずかしながら、有給休暇を一度も使用したことがない。これは私に限った話ではなく、部署全体がそうなのだ。「有給消化率0%」という悪しき金字塔は、勤労を美徳とする役職者たちに熱烈に信仰され、私やそれ以下の若手の頭痛を増長させる。もともと長時間労働や休日出勤が常態化しているため、疲労から前頭に激痛がさすこともしばしばである。このような職場は、とかく頭が痛くなる要因に恵まれており、どんなに健常な者であっても欝々とした不調に思想ごと流されてしまう。そして、過去の自分の行方がわからなくなり、なぜ生きているのかも曖昧な存在が始発や終電を行き来する事となる。
そのような法人でありながら、なぜか毎年一定数の新卒社員が入社してきてしまう。原因は私にある。合同説明会で学生を誑かしているのは、他ならぬ私なのだ。しかしだからといって、嘘偽りの好待遇を並べ、初心な学生の首を刈取っているわけではない。ただ、猜疑心の強い学生からすばりの質問を受けるまで、不都合なことをこちらから口にしないというだけなのだ。たったそれだけのことで、少なくとも学歴でみれば優秀であろう若者が、屑の掃き溜めにその後の人生すべてを捧げてしまう。残念ながら転職は容易ではない。賃金と休暇のどちらも与えなければ、転職活動を行うことは物理的に困難なのだ。退職についても、遺留遺留に叱責と無視がお家芸なので、やはり困難な道である。そういう職場なので、ある新卒は突然失踪し、しばらくの音信不通のあと、退職届だけが送られてきた。このような状況を見るたび、私もまた悪しき金字塔を建てているのだなというぼんやりした虚しさを覚える。
不思議なもので、このような環境が実際にあるにもかかわらず、そのあまりの非現実さ故、話を盛り過ぎているだとか、誇張にも限度がある等と明後日の方角から叱責を頂くことがある。インターネットに馬鹿ほどいる「俺はそういうツマらないペテンもお見通しだ」と偉ぶるスタンスの有象無象が何やら猿のごとく囃し立てる様は滑稽なのだが、特に己を支え得るような外付けの何かを持たずに歳を重ねてしまった結果、汗やら酒やらで嫌に甘酸っぱくなった仕事帰りの終電でこういった文章を書くしかなくなった自分自身もまた滑稽である。明日仕事に向かわねばならぬ事の不快さが、頭の端に引っかかってとれない。
テレビCMの通販では、後から商品の個数が増えたり、おまけがついたり、割引されたりするのが常だ。
そうすると人がよく引っかかるから、こういう流れが生き残ってきたというのはわかるが、
いったんそれがこの業界のお約束なのだとわかってしまうと、もう何の感動もない。
ここから申し込むと割引、このクーポンで割引、次回このコードを打ち込むと割引と、変なルールばかり多い。
自分だけなのかわからないが、こうやって割引サービスを連発されても、全然得した気分にならない。
ただ、どうにか損をせずに済んだという安堵と、いやこれで本当に大丈夫かという猜疑心しかない。
散々言われてるけど、非モテが不適応を起こすのは、そういう足の速さや腕力や顔といったモテ要素と、
客観的には悪くないスペックなんだけど、金や安定を目当てにされて、都合よく利用されているようで、
女が金目当てというのは半分間違ってるんですよ。
本当にそうだったら、金を出してる側がもっと強気に出られるし、金を出すことに対して誇りが得られる。
でも今はそうじゃない。それ以前に、女を養うだけの金が出せない男が増えているのが現実だけど、
小金のある奴にしたって、それで釣って養ったぐらいじゃ、もはや誇りにも何にもならないわけです。
世間では、ブサイクでも金があれば結婚できる、みたいに言われているが、たぶんそう簡単な話でもない。
22までイケメン至上主義でやってきたのに、今日から将来性で相手を選びましょうと言われてもうまくいくわけがない。
現実的には30あたりで需要が下がるのを実感して、ようやく妥協して、そういうのにも目を向けるようになるのだろう。
出会う段階でその年齢だから晩婚化になるし、しかも本来生理的にはアリエナイ相手だから、少子化にもなる。
人によっては、頭じゃ割り切ったつもりでも心がついていかず、浮気や不倫に走る。
だったらもう、イケメンに金を集めて、さっさと結婚してもらった方が、わかりやすくていい。
芸能界とか特殊な世界を見ていると、イケメンでモテるが相手をとっかえひっかえしていつまでも結婚しない、
という人間がゴロゴロいるように見えてしまうが、実際はそっちの方が明らかに少数派だ。
ブサイクが金を持っていたって、変な趣味に使うだけだから、独身税でも何でも、もぎ取ってしまえばいい。
日本の田舎やイスラム圏を見てもわかるが、少子化を回避したい「だけ」なら、簡単な話だ。
私には何もない。
心許せて互いを高め合えるような相手はいない。
招く相手がいなければ家の中を日々掃除して
勧め合える相手がいないから、次第に興味がうすれていった。
私はどんどん無趣味で無気力でただ苛々とした感情を蓄えるだけの
本当に自分は空っぽでつまらない人間だったのだなと愕然とする。
寂しいのならばこれを打破する手段は幾らかあるが、
何かに縋りたいが、愛せるものはない。
かと言って死のうとも思わない。
吐き出せば楽になれるかもと期待する気持ちもあった。
空っぽすぎて笑う気にもなれない。
猜疑心の強い性格と、気の置けない友人を作るにはとりすぎた年で
きっと今後はもう打算で結婚する以外に身近な人間を作る事は出来ないだろう。
心に空いた穴を塞ぐ術はもうない。
過ぎたるは及ばざるが如し。
何故あの時私は退かなかったのだろう。
心に合わせて、今の容姿も遠くない内に醜く衰えていくだろう。
遅かれ早かれ友人など一人もいなくなることは予想してはいたが、
あの人に付いていかなければ縁の寿命は延びていただろう。
そして今安易に死を選ぼうとしないのもあの人がいるからだろう。
死にたいと思うより、このまま消えたいと思う。
メッキは全て剥がれた。
そこには矮小で卑屈でプライドだけは高い空っぽな自分が残っただけだ。
もう嫌だ。
まず全世界で起きている、テロや軍事衝突で亡くなってしまった方たちに哀悼の意を捧げたい。
個人的には、軍人と民間人とで命の重さが違うとは思えないので、全ての人に捧げたい。
それで、増田にしか書けないことを書こうと思う。増田なのは、怖いからだ。
フランスのテロでご家族を亡くされた方が、それでも恨んだり怒ったりはしないと言っている記事を読んだ。
とても尊くて、たぶん自分には真似できない決意だと思う。それを公開することも尊敬する。
それでもなお、足りないと思った。
あなたたちが誰なのかは知らないし、知りたくもないが、あなたちの魂が死んでいることはわかる。
あなたたちが盲信的にその名の下に殺戮を行っている神が、(後略)
https://medium.com/@dominickchen/あなたたちは私の憎しみを得ることはできない-b2ac0cdcc69a#.v4x4ctbg3
家族を殺されて、恨まないということは、自分にはきっと出来ない。
テロに屈しない、恐怖したり反発したりしないということは、出来そうにない。
そんな人でも、相手を誰か知ろうとしないし、相手は魂が死んでいると思っているし、盲信的に殺戮に及んでいると思っている。
きっとそれは公平に見ればその通りなのだと思う。
でもそれだと「そうかまだ無視するのか。じゃあもっと殺さないとな」となるんじゃないか。
欧州からシリアやイラクの「イスラム国(IS)」に参加した外国人戦士の数(推定)は、人口100万人に対する割合では(後略)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20151119-00051597/
「イスラム国」(IS)の外国人戦士の数は継続して増えている。減らない。
はてなブログも、他のブログも、テロ実行犯に対して言葉を濁している。差別に加担しない思慮深い態度だと思う。
本当に例えばだけど、失業していて、政治的な集会に参加している、20台後半のある地域に住んでいる人が、潜在的なテロリストだと言ったとする。
たぶん、過去の事例からそれは事実なんだけど、言葉にした時点で、単なる「仕事を得たくても得られなくて鬱屈としていた青年」はテロ予備軍になる。
なにもしていないのにテロ予備軍と呼ばれた、じゃあテロ予備軍になってやろう。
なにが言いたいかというと、テロリストになる前に止められないのか、という事。
彼らが誰か知りたくもないし、テロリストの心情を慮る必要は無いし、どんな心情でどんな信仰を持って、どういう理路で持って自爆テロに及んだのか、理解する必要はない、というのも態度の一つだとは思う。
ある社会の中に相容れない「異常者」は、どうしても一定数出るだろうし、サイコパス、みたいな言葉もある。理解する努力が無駄な人は間違いなくいるのだろう。
でも、少なくとも今回フランスで起きたテロや、今後起きるかもしれないテロは、理解する努力が必要なのじゃないか。
彼らが何故過激な思想に寄り、なぜ実際に行動を起こすに至ったのか。
でも、テロリストになる前の人達は、話しあえば思いとどまって貰えるんじゃないだろうか。
「イスラム国」(IS)に合流し外国人戦士になってしまう前に。共感してテロを実行してしまう前に。
最初から熱狂的な信者であるとか、洗脳されたとか教化されたとか、そういう自爆テロ実行犯に思えない。
社会が混乱し、社会が分断され、猜疑心が広がって差別が増えるのがテロリストたちの狙いなのだと思う。
テロリストたちとはわかりあえない、テロ予備軍も検挙されるべきだ、理解も対話も必要ないという態度は、
テロ予備軍でない単なる無職の若者をテロ予備軍に変え、テロ予備軍だった集団の最後の一線を超えさせるように思えて仕方が無い。
犠牲者を追悼したいから、大声を出さないでくれと言っている人の映像をニュースで見た。
イスラム教徒は来るなとなじる人に、激高して大声で反論している人に対してだ。
黙れと言っているように見えた。論争は聞きたくないと言っているように見えた。
今必要なのは、不満を持つ人を、追悼するからと黙らせることじゃないと思った。
犠牲者を追悼し、国家を斉唱し、一致団結してテロに対して毅然たる態度を取る集団に、入れない人達が大勢いるように思う。
彼らの大多数は間違いなく善良な市民だし、テロリストには絶対にならないだろう。
それを止めるのは、理解じゃないか。
同質で無いから排除するというやり方では、うまくいかないのではないか。
相手の思想や信条は、テロ以外の方法で行動に移せるのだという説得は、理解から始まるのではないか。
きっかけは些細なことで、高一の初め頃、産まれてからずっと一緒に暮らしていた祖父が末期癌の闘病の末亡くなり、
大きなショックを受けていたところ、当時付き合いだした彼氏からパンフレットを渡されたのがその宗教との出会いだった。
パンフレットには、間違った神を信仰すると仏罰が下る、というようなことが書いてあったように記憶している。
祖父が亡くなったショックで茫然自失としていた自分に、彼氏が差し出してきたひとつの優しさに、まだ世間知らずだった私はまんまと乗っかった。
彼氏はお寺に連れて行ってくれて、数珠を渡し、勤行の仕方を教えてくれた。
程なくしてその彼氏から振られた私は、大好きだった彼に会えるかもしれないとの気持ちからひとりでお寺に通うようになった。
朝高校に行く前に勤行をしに行き、それから学校へ行くこともあった。
お寺の中にも知り合いができ、そこにできた居場所のようなものが祖父を喪った悲しみを慰めてくれた。
彼氏にはこっぴどく振られたが、私は寺に通い続けた。
なすがままに、入信する同意書に判を押し、入信の儀を済ませてしまった。
親には寺に通っていることも入信したことも黙っていた。
私はこっぴどく叱られ、父親が私を連れて寺に怒鳴り込みに行った。
父は、今後うちの娘とは関わらないでくれ、と住職に言った。
それからのことはよく覚えていない。ただ、祖父を亡くしたショックを埋め合わせていた信仰を突然奪われて、
何にすがって生きていったらいいのかわからなくなったことは記憶している。
私は寺に通うことをやめた。
それから私は大学受験を経てカトリックの大学に進学し、宗教というものを違った視点から捉えられるようになった。
高校のときに信じていた宗教のように、その宗教以外邪教として排斥するような宗教では、
宗教同士の争いになるし、視野が狭くなるということを身を以て体感した。
それでも何もわからず信じていた高校生のときは、鳥居を潜るのも怖かったし(しなかった)、
毎朝毎晩の勤行を絶やすと自分の身に何か悪いことが起こるんじゃないかって恐怖心が身を蝕んでいた。
そんな私が縁あってカトリックの大学に入って、カトリックのクリスチャンの人たちと接する中で、
宗教というのは恐怖心や猜疑心を生むためのものではなく、自分の生をよりよくするためのものだということを身に染みて感じた。
カトリックの洗礼を受けようと思ったこともあったけど、その気持ちも長くは続かなかった。
また受けようと思うときがくるかもしれないけれど、そのときはそのときに考えようと思う。
きっかけは些細なことで、高一の初め頃、産まれてからずっと一緒に暮らしていた祖父が末期癌の闘病の末亡くなり、
大きなショックを受けていたところ、当時付き合いだした彼氏からパンフレットを渡されたのがその宗教との出会いだった。
パンフレットには、間違った神を信仰すると仏罰が下る、というようなことが書いてあったように記憶している。
祖父が亡くなったショックで茫然自失としていた自分に、彼氏が差し出してきたひとつの優しさに、まだ世間知らずだった私はまんまと乗っかった。
彼氏はお寺に連れて行ってくれて、数珠を渡し、勤行の仕方を教えてくれた。
程なくしてその彼氏から振られた私は、大好きだった彼に会えるかもしれないとの気持ちからひとりでお寺に通うようになった。
朝高校に行く前に勤行をしに行き、それから学校へ行くこともあった。
お寺の中にも知り合いができ、そこにできた居場所のようなものが祖父を喪った悲しみを慰めてくれた。
彼氏にはこっぴどく振られたが、私は寺に通い続けた。
なすがままに、入信する同意書に判を押し、入信の儀を済ませてしまった。
親には寺に通っていることも入信したことも黙っていた。
私はこっぴどく叱られ、父親が私を連れて寺に怒鳴り込みに行った。
父は、今後うちの娘とは関わらないでくれ、と住職に言った。
それからのことはよく覚えていない。ただ、祖父を亡くしたショックを埋め合わせていた信仰を突然奪われて、
何にすがって生きていったらいいのかわからなくなったことは記憶している。
私は寺に通うことをやめた。
それから私は大学受験を経てカトリックの大学に進学し、宗教というものを違った視点から捉えられるようになった。
高校のときに信じていた宗教のように、その宗教以外邪教として排斥するような宗教では、
宗教同士の争いになるし、視野が狭くなるということを身を以て体感した。
それでも何もわからず信じていた高校生のときは、鳥居を潜るのも怖かったし(しなかった)、
毎朝毎晩の勤行を絶やすと自分の身に何か悪いことが起こるんじゃないかって恐怖心が身を蝕んでいた。
そんな私が縁あってカトリックの大学に入って、カトリックのクリスチャンの人たちと接する中で、
宗教というのは恐怖心や猜疑心を生むためのものではなく、自分の生をよりよくするためのものだということを身に染みて感じた。
カトリックの洗礼を受けようと思ったこともあったけど、その気持ちも長くは続かなかった。
また受けようと思うときがくるかもしれないけれど、そのときはそのときに考えようと思う。
中国の名将について検索をかけたときによく挙げられている人物を紹介する。
春秋 | |
---|---|
孫武 | 世界史上に名高い兵法書「孫子」の著者。伍子胥と共に呉王が覇者となるのに貢献した。 |
戦国 | |
呉起 | 孫子と並び称される兵法家。いわゆる「呉子」。魯・魏・楚などに仕えたが、強引な改革で周囲の恨みを買って殺された。 |
孫臏 | 「孫臏兵法」の著者。友人に裏切られて罪人となり脚を切断されたが、逃げ出した先の斉で将軍となり、「馬陵の戦い」で復讐を成し遂げた。 |
白起 | 秦の名将。包囲殲滅戦の名手にして虐殺者。「長平の戦い」では四十万人もの捕虜を生き埋めにした。そのあまりの強さから王に恐れられて賜死された。 |
李牧 | 趙の名将。匈奴に大勝を収め、秦の大軍を退けたが、離間の計によって王に疑われて殺された。趙が滅亡したのは李牧の死からわずか三ヶ月後のことだった。 |
王翦 | 秦の名将。趙や楚を滅ぼし、始皇帝の中華統一に多大なる貢献を行った。猜疑心の強い始皇帝に誅殺されることもなく天寿をまっとうした。 |
楚漢 | |
項羽 | 反秦軍の中心となり西楚の覇王と号す。戦では無敗を誇ったが、それまでさんざんに勝ってきた劉邦に最後になって敗れ、自害した。 |
韓信 | 漢建国の功臣。漢の三傑。「背水の陣」で有名。魏・趙・斉を降して劉邦の天下統一を大いに助けたが、皇帝即位後は冷遇され、謀反を企んで処刑された。 |
西漢 | |
李広 | 対匈奴戦の名将。弓の名手として知られる。若い衛青が台頭したのち、その下で不甲斐ない戦いをし、それを恥じて自刎した。 |
衛青 | 対匈奴戦の名将。苦労人で人格者。低い身分から取り立てられ、匈奴と戦って連戦連勝し、その功績により大将軍にまで出世した。 |
霍去病 | 対匈奴戦の名将。衛青の甥。天才肌で直情径行。若くして匈奴との戦いで活躍し、衛青を凌ぐ名声を得るが、24歳で夭折した。 |
東漢 | |
劉秀 | 東漢の初代皇帝。「昆陽の戦い」では100万と号する軍勢をわずか1万の兵で撃破した。皇帝としては一代にして創業と守成を成し遂げ、功臣を粛清することもほとんどなかった。 |
班超 | 中央アジアを平定し、東漢の最大版図を現出した。西域に三十年間も留まったのち、洛陽に帰還して一ヶ月後に亡くなった。 |
三国 | |
曹操 | 東漢末における群雄のひとりから三国鼎立中の最大勢力にまでなり、後の魏・晋の礎を築いた。兵法家、詩人としても名を残す。 |
周瑜 | 呉の名将。美男子で有名。「赤壁の戦い」において魏の大軍を破った。 |
南北朝 | |
韋叡 | 梁の名将。身体が弱かったため、戦場では鎧を付けず輿に乗り、竹杖で指揮していた。南北朝最大の決戦「鍾離の戦い」にて百万の大軍を破る勝利の立役者となった。 |
陳慶之 | 梁の名将。わずか7000人の「白袍隊」を率いて北伐を敢行、連戦連勝で洛陽まで陥とした。「千軍万馬も白袍を避ける」と賞された。 |
唐 | |
李靖 | 唐建国の功臣。内戦においては中華統一に貢献し、外征しては騎馬民族を騎馬戦術によって滅ぼした。中国史上屈指の名将とされ、李靖に仮託して兵法書「李衛公問対」が書かれた。 |
李世民 | 唐の二代皇帝。李淵の次子として、隋末唐初の戦乱において多大なる軍功を挙げ、そのまま兄を追い落として皇帝となった。政戦両面における名君として知られる。 |
郭子儀 | 安史の乱を平定し、吐蕃やウイグルの侵攻を撃退するなど、幾度にも渡って国を救った。子孫、財産、長寿に恵まれ、万民から敬愛された。 |
宋 | |
岳飛 | 対金戦の名将。忠臣として名高い。私兵を率いてたびたび金軍を破るも、和平派によって冤罪を着せられ殺された。 |
明 | |
常遇春 | 明建国の功臣。常に先陣を切って戦った猛将で、日頃から「10万の兵士を率いて天下を横行したい」と語っていたため「常十万」と呼ばれた。 |
徐達 | 明建国の功臣。謹厳実直にして冷静沈着。総司令官として北伐を行い、元をモンゴル高原へと追いやった。朱元璋からは功績第一と称賛された。 |
朱棣 | 明の三代皇帝。甥の二代皇帝に反発して挙兵、圧倒的不利を覆して正規軍に勝利し、帝位を簒奪する。皇帝となった後も、自ら軍を率いて積極的な外征を行い、明の最大版図を築いた。 |
戚継光 | 私兵を率いて倭寇討伐に功を挙げ、また北方に赴いてモンゴルの侵入を防いだ。倭寇に対抗するため、中国全土の武術をまとめあげ、日本の剣術を研究したことでも知られる。 |
清 | |
左宗棠 | 自らを今孔明と称した。太平天国の乱の鎮圧に貢献し、洋務運動を推進した。さらには回民蜂起の鎮圧、捻軍の鎮圧、新疆の奪回など、清軍の大黒柱として活躍した。 |
推理小説の売れる条件のひとつが、「間抜けなアシスタントがいること」らしい
推理ものの主人公は超絶頭が切れるという設定でないといけないが、それだけしかいないと読者は同じ目線でストーリーに入り込めないんだと
そこにちょっと間抜けなアシスタントみたいな別の登場人物がいると、的はずれな推理をしたときに「なわけねーじゃんばーか」とつっこみながら自分でもものを考えて読める
情報の受けっぱなしじゃなくて自分でも考えながら話を読むので、最後の主人公による謎解きの意外性がきいてくるというしくみ
で、考えたんだけど平凡ハーレムものの主人公のさえなさってのも同じようなもので
間抜けだったり取り柄がなかったりすることで、読者が自然に「こいつより俺のが勝ってんな」と思うんで
「そこはそうじゃねーだろばーか」と思いながら話に入っていくことができる
娯楽もののフィクションなんて読んだあとにいかに気持ちよくなれるかが話のできを決めるんだから
リアリティがあるかじゃなくて読者が妄想しやすい環境を提供できるかってことなんじゃね?と思うわけ
まあハーレムものとかにリアリティを求めてる時点で、「さえない俺がもっと自然に入れる妄想環境つくりやがれ」って意思表示だと思うし
普通のラノベ読者なんて根拠なくても自己評価の高い俺がモテるのが当然と思ってるから、リアリティなんてなくてもモテ妄想余裕よ
FXで50万円が一年間で1000万円になった。ギャル男の東大生が、ごろ寝しながらスマホだけで資金を20倍。
こんな触れ込みで一時はテレビにまで出演した男がいる。今でも取材を受けているみたいで、マネー雑誌やネットニュースでたまに見かける。
セルフブランディングの上手さは先人たちと比較しても抜群に上手い。でもここまではよくある話。
能書きだけ垂れる連中は得てして実力を証明しろと言われるもので、それは嫉妬や猜疑心からくるものだろう。
実力のある連中は自分の飯の種をはした金で売り渡したりはしないもので、逆に言えばはした金で売っているものは飯の種にはならないというわけだ。
先人たちは常にここで躓いてきた。ハリボテの裏側は隠し通さねばならないのだ。
彼はトレードコンテストという実力を競うコンテストに出場し、先人たちと同じ失敗を繰り返した。そう、メッキ剥がれハリボテは等に威光を失ってしまった。
自分の実力と先人たちの失敗例を照らし合わせると、ありのままの姿を見せてはいけないことは東大生はおろか中学生でも分かることだろう。
必ず誰かと出かけて、月曜になってくると思い出を連れて帰るように、身体に痕を残して職場に来る。
出かける相手も様々。
会社の同期、大学の友人、中学のクラスメート、先日参加した読書会の……etc。
'まさかとは思いますが、この「友達」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではない でしょうか。'
淡い猜疑心は、いつかの飲み会で写真を交換して、溶けていった。
最近は世捨て人のように週末を山で過ごして一般人の話題ストックが全く足りなかったけれども、八丈島ならいったことあるよともらした自分の言葉を上手く繋げるように、会話は徐々に盛り上がって終わった。
後から、というか今思い出したが、その席で話した人の中で沈黙が痛くなかった唯一の人だった。嫉妬なのか、羨望なのか、よくわからないものが胸に詰まって今すごく痛い。
明日の金曜、定時ダッシュをしていいかと、確認が来た。この時間までお互い残ってる理由分かってる?と言えない。聞きたくない話を聞いて、了承して、お終い。
ここは残業代はきっちり出る会社だ。そして私に予定はない。進捗は今欠員が出ると不味いかもくらいには少し遅れ気味、でもカバーできる範囲。トレード出来ない何かに苛立つ。
私は式はむしろ挙げたくないしそもそも薄給の為式を挙げるまでの貯金はなかった。
今年いっぱいは独身を謳歌しようと言われていていたが
同性異性職場関係どんな人と会おうが嫉妬と猜疑心とやきもちがすごい。
元々束縛したいタイプらしいが
もういい歳だし今の友人らとの関係を切ってまで付き合う気はない。
きちんと説明すると一旦は収まるがまたすぐぶり返す。
仕事が忙しかったり職場の人間関係にも精神削られ体調悪化、結果仕事を辞めた。
だが付き合いは続いておりなんだかんだで少しずつではあるが進展していた。
相手は式を挙げることを希望していたのに
年明けに挨拶したら春くらいに式を挙げるつもりと最初語っていたから
じゃあ年内には新居探しも式場も決めておこうと話を切り出したら
貯金がない、と。
じゃあ先に一緒に住んで式の資金を貯めよう、
式も親族との食事会を兼ねたリーズナブルなものにしようと提案したが
式なんてローン組めばいいし(よくない)
うちの親なんてどうでもいいから(少なくともうちの親側は良くない)
と言われたあたりでこちらの心が折れかけていることに気付いた。
今現在こちらは無職だし式を挙げる金はないが当面暮らしていけるだけの貯蓄はある。
一方相手は結局遠方の親に挨拶に行く交通費すらやっと準備してきたような金銭状況。
元々今年いっぱいで数十万貯めるつもりだったが
結婚の話が出てから半年たった今も10万も貯金できなかったようだ。
本当にこいつと結婚していいのか?と
思い悩んでいたところに突如共通の友人から
混乱しているので吐き出したかった