推理小説の売れる条件のひとつが、「間抜けなアシスタントがいること」らしい
推理ものの主人公は超絶頭が切れるという設定でないといけないが、それだけしかいないと読者は同じ目線でストーリーに入り込めないんだと
そこにちょっと間抜けなアシスタントみたいな別の登場人物がいると、的はずれな推理をしたときに「なわけねーじゃんばーか」とつっこみながら自分でもものを考えて読める
情報の受けっぱなしじゃなくて自分でも考えながら話を読むので、最後の主人公による謎解きの意外性がきいてくるというしくみ
で、考えたんだけど平凡ハーレムものの主人公のさえなさってのも同じようなもので
間抜けだったり取り柄がなかったりすることで、読者が自然に「こいつより俺のが勝ってんな」と思うんで
「そこはそうじゃねーだろばーか」と思いながら話に入っていくことができる
娯楽もののフィクションなんて読んだあとにいかに気持ちよくなれるかが話のできを決めるんだから
リアリティがあるかじゃなくて読者が妄想しやすい環境を提供できるかってことなんじゃね?と思うわけ
まあハーレムものとかにリアリティを求めてる時点で、「さえない俺がもっと自然に入れる妄想環境つくりやがれ」って意思表示だと思うし
普通のラノベ読者なんて根拠なくても自己評価の高い俺がモテるのが当然と思ってるから、リアリティなんてなくてもモテ妄想余裕よ
ちげーよ。ワトソン役が「読者より少しだけ頭が悪い」と言われているのは、そうすると説明がやりやすいからだよ。 探偵役と助手役がツーカーだったら探偵の推理を言語化する必要が...