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はてなキーワード: 松葉杖とは

2021-04-08

そんなに弱者男性弱者男性と盛り上がられても

弱者男性としては何というか困ってしまう。

精神を病んでホームレスになり、生活保護を受けながら就職活動してたら足の病気になって今は治療中。身長160センチで誰かとお付き合いしたことセックスした事はなく、ただまあ別にいかとそれなりに一人で楽しく生きてたんだけど、最近弱者男性で盛り上がってるはてブを見るたびに「そうか、俺って弱者男性なんだな」と気付かされるわけです。俺は昔からそこらへん鈍感で、普段生きてて自分が低身長男性だと感じることはないし、松葉杖をついて歩くようになったらやたらと街ゆく人達が親切にしてくれるようになって世の中っていいもんだな、と感じてたりする。ただ、それはそれとして間違いなく俺は弱者男性のようだ。あなたはてサーがそう分類するということは、街ゆく人達もまた俺を見てそう思ってるんだろうな。はあ、少しへこむなあ。

2021-04-05

絶対に道を譲らない女

ある日、女はふと思った。

どうしていつも私ばかり道を譲っているのだろう。

ほとんど同時に回答は出た。なめられているのだ。

女は平均よりも小柄である。手足も比例して短く、肥るとすぐにずんぐりした印象になるので、体重が増えないように気を使っている。

毎日男達がやり取りする過程で生まれる大量の書類を、送付状をかけて三つ折りにしたり、封筒に入れて宛名シールを貼ったりして得た、お小遣い程度の給与で買えるペラペラの服に身を包み、年老いただけで責任の伴う出来事を経てこなかった人間特有の、実年齢の割にのっぺりと奇妙に幼い顔にドラッグストアで買った化粧品おざなりに塗っている。

電車座席などに女が座っていて、二つぶんのシートを開けてまた別の乗客が座っている場合など、次の停車駅で乗り込んできた新たな客は決まって女の隣に座る。

女の隣の座席のほうが余裕があるからだ。男の客などは左右の座席にはみ出すほど股を広げていたりするが、女は一人分の指定シートの範囲にすっぽりと収まっている。

車内がやや混み合っているときなど、女の、男の客より体格が劣るぶんだけのゆとりのあるスペースを見つけた乗客は、半ばほっとしたような顔つきで尻を滑り込ませる。

同じ調子で、人々は、道をすれ違うときもごく自然体躯のいい男を避けて女のほうに寄ってくるのだ。女はさらに彼らを避けるために、体の小ささのぶん狭い歩幅で右に左に細かく蛇行しながら道を歩く羽目になる。物心ついた頃からその繰り返しである

道路は譲り合って、ぶつからないように歩きましょう。

道いっぱいに広がって、他の人に迷惑をかけないようにしましょう。

幼稚園だったか小学校の頃だかの「交通マナー教室」でそんなことを聞いたような気もするし、少女時代にはそれを守っている「マナーのいい」自分をどこか得意に思っている節もあったけれど、いつの間にやらそんな物分かりよく振る舞っているのは自分だけのようだった。

しろ、男の集団というのはまず道を譲らない。

それどころか得意満面で横一列に肩を並べて笑いあいながら歩くのが当然である

これは男子中学生高校生でも、スーツ姿のビジネスマンでも、中高年になっても同じなのが女には不思議でならなかった。

「あれは群れの序列を示していて、一歩後ろに下がると集団での地位が低いと見られるので、横一列にならなくてはいけないのだ」という言説をインターネットで見かけたが、本当なのだろうか。

女は男の集団に入ったことがなかった。彼らとぶつからないようにふらふらと漂いながら机を拭いたり、ゴミを捨てたり、他の女たちと話し合ってバレンタインデーチョコレートを買ったりしていただけだった。

自分家族恋人とも頑なに並んで歩こうとする男も珍しくない。

他人に道を譲る思いやりのないところを大切な人に見せつけたいというのはどういう心境だろう、それならベタベタ腕を組んで引っ付き合って道の端に寄っているほうがまだマシではないかと考えてから、実際女は交際していた男と連れ立って歩いていて、他人とすれ違うとき自分が男の後ろに下がっていたことを思い出した。

女は昨年、仕事帰りに転倒して脚を痛めた。

体のほんの一部を怪我しただけで、これまで何でもなく行ってきた日常動作が困難になるストレスは大きく、女は半ばヤケクソのような気持ち松葉杖をつき、歯を食いしばりながら片足を引きずって歩いた。

すると、どういうわけか、これまで当たり前に女が道を譲ることを期待して反対側から歩いてきた人々は、女の杖や引きずった脚に目を留めるとバツの悪そうな顔で避けるようになったのだ。

彼らは、怪我人を思いやる程度には善良なごく普通の人々であった。

そのことに思い当って、女はますます腹を立てた。

平時でも体格のいい人間とぶつかったら、私のほうが転んだり怪我をする可能性が高いことには変わりないのに、松葉杖のようなわかりやすい目印がないときは、彼らはそんなことは気にも留めないのだ。

道端に転がっている小石や落ち葉をいちいち気にしないのと同じだ。軽んじられているのだ。なめられているのだ。

思えば、どんな場面でもそうだった。医者も、タクシーバス運転手も、市役所の窓口の職員も、女を見るといつもよりぞんざいで、「そんなことも知らないのか」と言わんばかりの態度で、時にはため口を利く。女は当たり前のようにそれに敬語で従ってきた。

あるときは、さほど狭くもない道で、わざととしか思えない角度で急接近してぶつかってこられたこともあった。自転車ですれ違った男が、気づくと引き返してきていて、追い抜きざまに女の胸を掴んで走り去ったこともあった。

軽んじられているのだ。どんなふうに扱ってもいい存在だと思われているのだ。

女の中で怒りがとぐろを巻いて大きくなった。

おかしいじゃないか

松葉杖車いすなら道を譲るくせに。もっとわかりやすくおばあさんなら道を譲るくせに。私が男だったら道を譲るくせに。

私が女じゃなかったらそんな口を利かないくせに。ぶつかったり体を触ったりしないくせに。

どうして私には何をしてもいいと思ってるんだ。おかしいじゃないかおかしいじゃないかおかしいじゃないか

そういえば、女がまだ小学生中学生だったころ、叔母と一緒に歩いていたら対向から若者集団が歩いてきたが、叔母はまったく道を譲ろうとしなかった。

叔母とぶつかりそうになって寸でのところで若者は避け、忌々しそうに「クソババア!」と罵ったが、叔母は涼しい顔で歩き続けた。

思い返せば、これまでにすれ違った数多の人々の中にも、決然とした目つきでまっすぐに道を歩いてくる女たちがいた。

彼女たちは「絶対に道を譲るものか」といわんばかりの、睨みつけるような顔をしていた。

 

叔母も、あの女たちも、ある日こんなふうに気づいたのだろうか。

「なぜかいつも私ばかり道を譲っている」と、腹を立てて、「もう道を譲るのはやめよう」と思ったのだろうか。

女は心に決めた。

私も譲られるのが当たり前みたいな顔をしている人に譲るのは、もうやめよう。

ぶつかって転んでけがをするかもしれないけど、そのときは怒ればいい。「女だからなめてんだろ」「わざとぶつかっただろ」と。

腕を掴んで引きずられてでも絶対に許さない。スマホ動画も撮ろう。これまで譲ってきたぶん蓄積された怒りを噴出させるのだ。

こうしてここにまた一人、絶対に道を譲らない女が生まれた。

右足脛骨を完全骨折したときの話

右足の脛を完全骨折して3ヶ月松葉杖東京一人暮らししたことがある

特に骨折初期は折った足に全く体重をかけない歩き方(全免荷)が必要

普段運動不足なこともあったけど本当に移動がきつかった

(治療が進むと1/3荷重とか折った足に少し体重をかける

歩き方ができるようになってかなり楽になっていく)

最初100m移動するだけで汗だくになって休憩がいる

慣れても階段が相当怖かった

雨の日は滑る恐怖で大変だった

なんか流れで手術しないでギプスのみの治療になったが

骨がずれて骨折治癒が相当遅れたので

正直手術で固定した方がよかったと後悔した

プログラマー業務委託新規常駐案件入る直前で折ってしまって

リモートできないか頼んだが断られて(コロナ前)

案件に1ヶ月遅らせてくれないか頼んだけど

2週間しか遅らせられないと言われて予定の2週間後に案件に入ることに

今思うと本当に最悪のタイミングで折ってしまったと思う

委託先の会社山手線某駅の近くだったのは幸いしたが

その某駅までどうたどり着くか悩んでとりあえず構内図を検索して地下鉄ルート確認

バリアフリー化のおかげかエレベータ階段を使わずにいけるルートがあった

ただルートが複雑で構内も距離があり、今まで全く通ったことのないルート

いきなりたどり着けるかに不安があった

そもそも今の住居が3階かつ狭い階段のみで階段上り下りの時点でしんどい始末

から最寄り駅(徒歩5分)にたどりつくのも厳しかった

地下鉄は無理と判断して初めはタクシーで通うことにした

ただでさえ新規環境だったため

初日が相当不安で、ストレスのせいか帰りのタクシー内で過呼吸になった

過呼吸経験知識もなく、救急車呼んでしまって

担当医者の方に相当冷たくあしらわれたのが本当に心につらかった

今苦しいからその治し方を聞いているのになんか精神的なものから

直すんだったら薬を出すしかない、薬出しましょうかとか

あきれ顔で言われたのを覚えている

(余談だが過呼吸酸素の取りすぎが原因なので

呼吸困難に感じるのだが息をさらに吸おうとすると悪化する

救急車内では深呼吸をするように言われたけど個人的には

自分のできる範囲で息を止めることを繰り返した方が早く治ると思う

webによると紙袋かぶせる方法は加減を間違うと窒息することがあるらしくやめた方がよいらしい

ちなみに上の原因と対応方法担当医は全く教えてくれなかった)

初日から本当に気分が沈んで今後やっていけるか不安しかなかったが

案件先では優しい人が多く、部屋に入るときに扉を開けて

待ってくださる人が沢山いてくださって暖かい気持ちになった

おかげでどうにかなりました、本当にありがとうございました

一人暮らしだった上に洗濯機がなくコインランドリー

使っていたため衣食に支障をきたしていた

家の中ではほとんど動けない

トイレにたどりつくのも松葉杖というつらい状態

外に買い物に行けるわけもなく

食料はネットスーパー生命線だった

持ってきてくださる人に感謝の念しかなかった

常駐先では昼を買いに行くのは難しく

初めは社内自販機に水を買いに行くのもつらかったので

からカロリーメイトと500mlのお茶大量購入してリュックで持ち込み

昼まったく動かなくてすむようにしていた

(そのうち慣れて水も食料も社内自販機でどんどこ買うようになった)

洗濯は全免荷の時代洗濯なしでのりきるために

ネットスーパー下着大量購入して外は汚さないように2~3回着回しつつ

2週間くらいためこんで親に来てもらって洗濯をお願いした

(かなり遠くにいるのだが無理して来てくれた、感謝しかない)

その後は2週間くらいためこんで1/3荷重かけられるタイミング

洗濯物のかご(10kg?)を背負って自力洗濯を始めた

一度できれば大体何とかなったのだが

一回だけ階段を二、三段くらい上ったところでバランスを崩し下に落ちて

と思ったことがあった

背中のかご→尻もちの順に落ちる感じで事なきを得た

3階エレベータなし+コインランドリーという悪条件もあったが

松葉杖で完全一暮らしするのは困難だなと思った

タクシーは1日あたり往復10000円弱かかり金銭にしんどかったのと

しづつ新環境に慣れて精神的に落ち着いたこともあり、

案件に入って2週間(骨折4週目とちょっと)くらいか

地下鉄で通うようにした(定期で1ヶ月8000円弱)

それから東京地下鉄を2ヶ月くらい松葉杖で通ったが

その間に少なくとも10回以上は席をゆずられた

普段普通に歩いているときは皆誰にも関心がないように見えていたか

こんなに席をゆずられるとは思っておらず驚いた

譲られるたびにかなり暖かい気持ちになった

おかげさまで今も生きてますありがとうございました

サポートをもらったときは必ずお礼を言うように気を付けていた(と思いたい)

電車では譲ってくれた人を覚えておいて自分が先に降りる場合は改めてお礼を言うことを心掛けた

返せるもの感謝しかないし(お金を返してもドン引きだし)

少しでもサポートしたこと気持ちのよい体験となって

今後自分以外の松葉杖とか車いすの人に

席を譲ってくれる人が増えてくれそうな振る舞いをしたかった

今はもちろん完治して、普通に歩いて生きている

今後松葉杖の方を見かけたら、今度は自分が譲る側になりたいと思う

(今コロナ電車に乗る機会がないが)

最近車いす乗車拒否された話題が上がっていたので

昔を思い出してこの日記を書いた

北風と太陽ではないが、周りに不愉快や反発を生みそうな方法でなくて

もっと周りがサポートしたい、サポートしてよかったと思える方法

社会を変えていくことってできないのかな、とちょっと悲しく思った

でも自分に思いつく案は車いす骨折した女の子日常系マンガぐらいしかないんだな

どなたか描いて下さらんかなー

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余談

ギプスはかゆみとの闘いがやばい

厚紙を切ったものかいたり

かゆみ止めスプレーを使ってみたり

それでも不十分で地獄の時を過ごすことになる

だがその地獄の後、ギプスを外せた直後は

足は非常に敏感になっていて

かくと本当に気持ちがよい

本当に気持ちがよい

(本当に気持ちよかったので二回書きました)

これやばい、なにこれと思いながら1時間くらいかいてたか

この気持ちよさを皆一回味わってみてほしい

骨折は味わわないでほしい

だれかこれ共感する人いないか

と思ってぐぐったらアトピーの人でそうなっている人がいた

分かるー

でもアトピーは大変そうだな・・・

完治する方法見つかったらいいな

2021-02-26

anond:20210226183246

アル中は暴れて人を殴るからな。というコメントでだいたいさっして。

まぁ、障害者松葉杖をついて、必死にあるていたら

おれはスキップしておいこせる。

2021-01-31

鉄道会社は「最後尾が優先車両」をスタンダードにして欲しい

女性専用車じゃなくて優先車両

視覚障害者白杖の方)、車椅子、歩行器や杖を使った老人、松葉杖を使う病人の方、ヘルプマークの方やその介助者等が乗る車両だ。

なお、優先車両では女性は優先されない。

女性専用車は別途設置、女性専用車位置については各路線の混雑しにくい位置車両をケースバイケースで設定すればいいと思う。

なんでこんなことを言い出したのかというと、私が鉄道会社車掌をしているからだ。

障害者の介助は色々と大変で、車椅子用のスロープを用意したり視覚障害者場合は肩を掴んでもらって誘導したり、介助を断られた場合も遠くから見守ったりと駅係員の方には頭が下がる思いだ。

また高齢化が進んだ現代では高齢者乗客も多い。

元気なお年寄りが多いが、元気なつもりでも歩くのがゆっくりだったり荷物を乗せるのに苦労していたりといった光景は多い。

車掌視点だと、目で確認できる範囲は精々車両側面と後ろ2両の車内ぐらいのものだ。

かろうじて見えるシルエットや、駅によっては備え付けのモニター等を使用して状況を判断しながら扉を閉め、電車が出られる状態にするのが車掌の大きな仕事の一つだ。

そんな感じなので、全員の乗車が終わって扉を閉めるタイミングになってから編成の中程からヌルっと出てこられると非常に肝が冷える思いをすることになる。

そんな感じなもので、時折杖を挟んだまま発車した、ベビーカーを挟んだまま発車したなどの事故が発生する。

事故が起こったとき車掌責任結構重い。業務上過失傷害罪ですよ過失傷害

正直乗務員痴漢とかよりよっぽど気を尖らせている。自分責任で人が死にかねないのだから当然だ。

まあ乗客はそんなこと知らずに飛び込んだり飛び降りたり杖挟んだり傘挟んだり。

介助者なしで乗り込もうとする無謀な車椅子勝手に乗って降車駅で転倒する車椅子に、発車数分前に駅に来てすぐの電車に乗せろといい、断ればクレームを入れてくる車椅子の介助者。

確認のため声をかければ機嫌を損ねる視覚障害者関係ない駅で飛び降りて騒ぎを起こす泥酔の客。

皆何かあっても自己責任からとか考えてるんだろうけど何かあったときにはこっちの責任になるんだ。責任自分一人だけなんて思い上がるのもそこまでにしてほしい。

そこで最後尾の優先車両だ。

最後尾は車内で一番車掌の目が届く場所だ。車椅子白杖の客がいればだいたい目にとまる。

目にとまったら車掌は隙を見て降車駅の確認に伺えるしそうでなくても動向に注意することが出来る。会社によっては降車の手配もするところもあるだろう。

「とにかく最後尾は優先車両!」と業界全体でルールにしてくれたら初めて乗る路線でも分かりやすくていい。

自分で出来ることは尊重すべきとか障害者の自立とかないがしろにする気はないがこっちから言わせてもらえば安全第一だ。

電車のドアって万が一にも転落しないように物凄い空気圧で抑えてるんだよ。

一度挟まれてみたらいい(よくない)。大の大人でもすごく痛いから。

今の電車は加速も最高速も優れた迫りくる鉄の壁みたいなもの。駅のホーム危険の塊だから用心して行動してほしいの。

安全第一でお願い。

遅延は乗務員が詫びれば済む。数分の遅れ程度で問題になるようなスケジュール杜撰さと心の余裕のなさが問題だろって内心多くの鉄道従事員は思ってるだろうけど取り敢えず詫びればいい。

でも扉付近で起こるあれやこれやは洒落になんないの。やめてくれ。あと駆け込み乗車は本当に死んでくれて構わない。

2021-01-24

anond:20210123162859

鬼滅見に行った時、自分の前に3人並んでたグループいたけど‥松葉杖持ってたか許可されたんかな~?ぐらいに思ってた

そうか‥

2020-12-29

「 #えんとつ町のプペル 」の感想

AI Dugeon

https://play.aidungeon.io/

と、DeepL翻訳を駆使して書いてみた。

翻訳過程文体が変わってる箇所もあるけど、

その辺りはご愛嬌って事で。

なお、元増田は観に行ってません。

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これから書く文章キングコング西野絵本劇場アニメ化した「えんとつ町のプペル」の感想である

なお、私はこの映画を見てないし例え賄賂を貰っても観に行く事はないだろう。

即ち、妄想感想である

まり、これは私の想像に基づく感想文です。正確かもしれないし、正確でないかもしれない。

しかし、私は気にしない。これは語り継がれるべき物語だ。そして、それは全体として語られるに値する。では、始めましょう!

大前提として、キングコング西野お笑い芸人を気取った炎上インフルエンサーであることに注目する必要がある。これは彼の作品共通するテーマのようです。

これについては、「なぜ?これは、意志の弱い者のための松葉杖としての皮肉現代の風潮に対する、ある種の皮肉コメントなのだろうか?彼は本当にこのように気取っていたのだろうか?彼はそんなに面白かったのだろうか?(No.) 彼は刑期を終えて釈放されたヤンコ・ウルラの次の笑い中心のコメディアンになろうとしていたのだろうか? いやいや...

私はどこにいたんだろう?

さて、肝心の物語についてから話そう。

どうやら「ペプル」なる少年を主軸としたジュブナイルファンタジーらしいのだが、私は原作を読んでないのでその様に類推した。が、もしかすると蒸気機関の様な何かが出て来るので、スチームパンク…もしくはそれに類する何かが出てくるのだろう。

重要なのは子供向けに作られたものだということだから、それはどうでもいいことだと思う。

私は子供向けの映画文句を言う人ではありませんが(というか、誰がそうなのか!)、これは退屈しました。登場人物はすべて一次元的で、予測可能で、それらのどれもが歌うことができませんでした。

実は私はこの映画の評判を事前に知っていました。

曰く「キングコング西野の影がチラついて鑑賞の妨げになる」と。

これは当然だと思います

前述の通りキングコング西野は「炎上インフルエンサー」です。自身執拗アピールすることなぞ当たり前にやってのけます。それが彼の特技だからです。

炎上インフルエンサー」は全員悪目立ちしないとお金が稼げない成年被後見人以下のクソ野郎なので、そこは笑って忖度してあげましょう。

しかし、この場合キングコングが正解かもしれない。そう、この映画はひどい。でも、人が見に行かなければ世界が良くなるとは思えない。

最後に。

極端に聞こえるかもしれませんが この世の「炎上インフルエンサー」が 一人残らず絶滅することを心から願っています 数が多すぎるからね。

それは一般的世界のために、これらの人々が死ぬべきであり、私は彼らが死ぬべきである私たち種族のために、特にそれがより良いと思います

なぜですか?

もちろん、職業選択の自由はあるので一概には言えませんが、過激言葉で注目を集める人が突然死しても何ら問題はないと断言します(YouTubeでも似たような行動をしています)。

彼らが絶滅してくれれば世の中が良くなると思う。彼らの才能で稼げなくなっても、いずれは消滅するだろうし、それはそれで良いことだと思います

終わり。

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(おまけ。英語版

What I am about to write is my impressions of "Pupel of Entotsumachi," an animated film based on King Kong Nishino's picture book.

I haven't seen this movie, and I wouldn't go see it even if I were bribed to do so.

In other words, this is an opinion piece based on my imagination. It may or may not be accurate.

But I don't care. This is a story that needs telling. And it deserves to be told in its entirety. So let's get started!

As a basic premise, it is necessary to note that King Kong Nishino is a flaming influencer pretending to be a comedian. This appears to be a common theme among his work.

I have no real questions about this except why? Is this some sort of ironic commentary on the modern tendency towards irony as a crutch for the weak-willed? Was he really this pretentious? Was he even that funny? (No.) Was he trying to be the next laugh centered comedian Yanko Urla released after his prison term? (No.)

Where was I?

Now, let's talk about the important part of the story.

It seems to be a juvenile fantasy about a boy named "Pepuru", but since I haven't read the original, I guessed it that way. I haven't read the original, so I'm guessing that's what it's about, but maybe it's steampunk or something similar, since there's something like a steam engine in it. I suppose it doesn't really matter, since the point is, this thing was made for children.

Now, I'm not one to grumble at a child's movie (I mean, who is?!) but this one just bored me. The characters were all one-dimensional, the predictable, and none of them COULD sing.

In fact, I knew the reputation of this movie beforehand.

I was told that "the shadow of King Kong Nishino flickers in the background and interferes with the viewing.

I think this is natural.

As I mentioned above, King Kong Nishino is a "flame influencer". It's no surprise that he appeals himself relentlessly. That's because it's his specialty.

All "flame influencers" are wards of the law or worse who need to stand out to make money, so let's just laugh at them and let them be disciplined.

In this case, however, King Kong might be in the right. Yes, this movie is terrible. But I'm not convinced the world would be a better place if people didn't go to see it.

Finally.

I know this may sound extreme, but I sincerely hope that every single "flaming influencer" in this world will die out. There are too many of them.

It is better for the world in general, that these people should die out, and I think it is better for our kind specifically, that they should die out.

Why?

Of course, there is freedom of choice, so it is difficult to say for sure, but I assure you that there is nothing wrong with the sudden death of those who attract attention with their radical words (or similar actions on YouTube).

I think the world would be a better place if they were to just go extinct. If they are unable to make money with their talents, they will eventually disappear, and that's good for all of us.

2020-12-06

anond:20201205155542

これ、単に「秋葉原」だからだよねー

秋葉原特殊だもん

秋葉原歩いてる女性ほとんどが労働者メイド喫茶とか駅前ルミネとかで働いてる人がほとんど。

かなりの割合やさぐれてんだ。

男はかなりの割合観光客

楽しい観光地松葉杖の人をよけるのはそんな苦でもないだろう

anond:20201205155542

東京での人の道でのすれ違う時の様子には時代の変化も感じます

私は昭和高度成長期育ちなのですけど、子供の頃は都内の狭い道を大人同士が交差する時に「すみませんな」、「ごめんなさいよ」、「どうもね」等と声を掛け合って体を捻じ曲げるようにしてでも衝突を避けている人が大勢いましたね。下町だったからまだ江戸から明治大正戦前昭和までの庶民文化の片鱗が残っていたのかも知れません。衝突率は酔っぱらい以外はほぼほぼゼロです。

まぁ、無愛想な人もいるので頭を気持ち下げて片手をちょっと上げて無言の「どうも」サインの人も沢山いたけれど。個人的には、この時期に東京地方からの大量の集団就職とかで来た人々が暮らしていて、地方なまりを聞かれるのが嫌で黙っている人が増えたのかなと感じていました。そして、この無言派の人々が増えたよね。結果、無言同士の「どうも」サイン交差がメジャーになってたな。まだ聞こえるか聞こえないか位の小さな声かけが残ってたけど。

平成の中頃になってから気がついたのは「おや?日本人東京でだけど)は全く無言で交差するようになったなぁ」と言う変化。ベビー・ストーラーベビー・カー)を押して来るお母さんや松葉杖の人に道を100%譲っても、かなりの人は無言「どうも」サインもないんだなー。まぁ、感謝して欲しいから道を譲ってる訳でもないし、個人主義とやらの時代なんだろうが、知らない人同士のコミュニケーション潤滑油は消えたと感じたかな。悪意で解釈するとそれが当然の権利だとか主張されてる感じ。善意解釈すると、そこまでシャイ内向的な人が増えちゃったの?と言う感想。そんなんだと結婚生活やら家庭生活大変だろうなとか余計な事を思ったりする。さらに雨の日なんかには「傘かしげ」すらしない人も激増しているから、無言のぶつかり合いをよく見るようになった。私はそういうの嫌なんで速攻逃げてますが。。そのうち、出るんじゃないかな、「お前の傘で怪我したろ治療費払えよ」詐欺

因みに、米国とか雑多な民族が一緒に暮らしてる国だと、知らない人同志の声掛けやあいさつは常識レベル日本暮らし始めた米国人とかと目があうだけであいさつしてきたりする、あれ。あんな感じ。ビジネス街はいちいち挨拶なんかしないけど、郊外住宅街とかだと知らない人同士でも挨拶してた。日本ではバス待ちとかでは皆黙って静かに待ってるけど、米国(といってもワシントンDC近辺)では結構、知らない人同士でも会話する。ある時、赤ちゃんをだっこしたお母さんと私だけでバスを待ってたら、そのお母さんがいろいろ話しかけてくる。私もそういうのに慣れて返していると、途中で、そのお母さんとっても安心した表情になったんだよね。その時の雰囲気である事を悟った。あなたヤバイ人じゃないよね、安全普通の人だよね、私達親子に手出ししないでお互い何事もなくバス乗っていきましょうね、と確認してるんだなぁ、と。因みにこの国では通行で体がぶつかるなど絶対禁忌からまず無い。もしそれが起こったらかなり面倒くさい。

米国から日本に帰ると、日本を良くも悪くも感じた。デパートガラスドアの向こうに女性がやってくる。私が慣れたのは男性がドアを開けてあげて、女性をまず通してあげる文化女性ニコッと微笑んで「ありがとう」と言ってくれる社会日本でこれをやると女性が戸惑うか、極度に恐縮される。もしくは一部は過剰に喜ばれる。まぁ、早いもの勝ちで通ってく文化に、そう文句がある訳ではないけれど。

私は特に今の日本悪口を言いたいわけでは無くて、その特徴や変化を述べたかっただけ。今の日本暮らしやすくなったところもたくさんありますよ。例えば、昔は赤ちゃんを「おんぶひも」するのはお母さんの役割で、お父さんがこれをすると周りから奇異な目でみられて大変なプレッシャーがあった。我が家ではお母さんが疲れたら、赤ん坊おんぶ犯罪ではないと社会の逆風に逆らってお父さんがおんぶしてたのですが、隣から物笑いの種にされたりでもう大変。今は普通にお父さんも「だっこひも」できる時代で良いよなーと感じます

昔は良くも悪くも男尊女卑時代。この時はみんなが喜んで暮らせる鍵は男にあって、男が周りを思いやって親切に努めるとかなりうまくいっていた。今は良くも悪くも女性権利時代。この時期にみんなが喜んで暮らせる鍵は女にあると思うな。女が周りを思いやって親切に努めると何が起こるだろうか。東京の通行で、実は女性がぶつかってくる時代電子記録に、残しておきたい思いです。

2020-12-05

男性はぶつかってくる」は本当か

当方20代女性である

先日ついうっかり足を捻挫してしまい、しばらく松葉杖生活となった。

その際に気付いたことがあるので書き留めておこうと思う。

男性はぶつかってくる」

男性は駅や街の雑踏でぶつかってくる。それは女性無意識に見下していて、避けないからだ。

これは女性なら多かれ少なかれ心のなかに共有された理解であると思う。私もそう思っていた。

もちろんわざわざぶつかってくる一種変態もいる。彼らを置いておいて、男性一般に関しての話だ。

あくまでも個人ではなく集団としてである

日本人は酒が弱い」「日本人は清潔を好む」

これらは集団としては成立するが、これを個人個人還元しようとするのはナンセンスだろう。あくまでもマクロな話であると念を押しておく。

私が気付いたのは、「女性はぶつかってくる」ということである

私は定期の関係新宿秋葉原でよく下車するため、コロナ禍の中でも雑踏を通る機会は多い。

それらの街は動線がグチャグチャだが、周囲に注意しつつ動けばなんとか動ける。そんな感じだ。

松葉杖生活を始めた頃は、雑踏の中で移動するのが困難だった。

性別わず誰も彼もぶつかってくるように見えたし、実際何度もぶつかりかけた。

ただ注意していたこともあり、致命的な事故回避できた。

結局どうしても動けず電話で友人を頼って一緒に助けてもらうこともあったが。

何日か経つと、なんとなく動けるようになった。

人の動きに意識を向けていると、なんとなく今まで意識していなかった法則性がつかめてくる。

ほぼ完治した今、更に検証を重ね、それを書いておくのである

データ松葉杖が取れて以降の話である



真正から人が歩いてくる。このままではぶつかる。

ぶつからないためにはどうすればいいか。避ければいい。

真正から来る人を避けるには、二人合わせて1人分の幅を譲り合えばいい。簡単のため、これを「人幅」という単位で表すことにする。

まずは男性男性比較的早い段階、10メートルほど前方から回避を始めている。これは意外だった。

男性は平均して0.7人幅ほど回避してくれる。(松葉杖をしているときはほぼ1人幅避けてくれていた)

あとの0.3人幅はあなたが避けてくださいね、ということだろう。

会計女性に少額だけ出させて貸し借りにしないというのと同種の心遣いであろうか。(もちろんそこまで深く考えてのことではないだろうが。)

こちらも少しだけ避ければ回避できる。これは実にスマートなやり方である

これはたまたまだが、検証の段階でわざとぶつかってくる男性とは遭遇しなかった。




一方、女性

女性はあと数歩という段になって、ようやくこちらを認識し、迷惑そうな顔をしてきっかり0.5人幅回避する。

繰り返すが、平均である。きちんと回避する女性もいるのは当たり前である

しかしその数歩、1.5メートル前後回避できるのは運が良い時だけ。

他の通行人や互いの相対速度など、他の要素が入れば容易にその安全距離は消え、ぶつかってしまう。

こちらが検証ということで十全に注意していたから良かったものの、普段ならぶつかってしまうようなインシデントは多くあった。



ここまでが実験第一段階である

ここから導き出されるのは以下の仮説だ。

1.男性男性は互いに0.7人幅ずつずれているので、ぶつからない。

2.男性女性は、男性が0.7人幅ずれている状態で、残りの0.3をずれるかどうかでぶつかるかが決まる。

3.女性同士は相対速度が小さいため、ぶつかりにくい。




さらなる検証必要である自分に加え、同僚の男性A氏の協力(意識と記録をしながら一週間通勤してもらった)もとりつけて実験を続行した。



1は、新宿中央通路での観察の結果、おそらく正しいという結論に至った。A氏の経験と観察からも、恐らく正しいということだった。




2は女性である私が実験するのは難しい。

A氏は検証のため何度もぶつかりかけながら、正しいと結論付けた。

体感として「あと数歩で女性が0.3人幅避けるパターン」は4割、「女性が避けないため自分が避ける」のが6割ということだった。

6割のうち、男性が避けないことがあれば、それが「ぶつかった」ということであり、女性からすれば「男性がぶつかってきた」ということになるのだろう。

実際は男性が0.7避けてくれていて、大体の場合1.0人幅を丸々回避させてしまっているだけなのにも関わらずである

自分でも観察したが、恐らくこれは正しい。もっとも、私の観察する限り男性が避けるパターンが8割ほどだった。



観察している中で、二回ほど男性女性がぶつかっていた。

女性が0.3人幅避けない」パターンだった。男性はきちんと避けていた。女性が全く避けなかったのだ。

男性不快そうな顔をしただけで行ってしまったが、女性は痛そうにしていた。体格が違いすぎるのだ。私は自分の苦い思い出と重ね合わせつつ同情した。

男性の方も少しくらい心配しても良いではないか、と怒りが込み上げてきたが、彼からすれば「自分は0.7も避けてやったのにぶつかってきた」ということになるのだろう。これは客観的に見て正しいし、彼は道理としては被害者ではある。が、やはり痛そうにしている人のことを放っておくのは見ていて忍びない。

女性にとっては「男性がぶつかってきた」という記憶となって残ることだろう。誰も得をしていない。




3は、間違っていた。

女性同士は軽度の接触事故を多々起こしている。ニアミスもこのパターンが最も多い。

女性は、男性よりもむしろ女性にぶつかられている。

しか運動エネルギーE=1/2mv^2の、mもvも互いに小さいために痛くない。(威力に握力は関係ない)

恐らく記憶に残りにくいのであろう。




ここまでの実験で「女性はぶつかってくる」ということがある程度立証できたと思う。

では何故ぶつかってくるのか。私は生物学にも文化人類学にも社会学にも明るくないため、門外漢(門外女?)の適当妄想ではあるが考えてみた。



仮説1: 女性は動体視力空間認識力がよくないため、相手動線を上手く認識できない。

これは女性運転が苦手な理由としてインターネットで見たものを流用した。狩猟を行っていたために動体視力が発達した男性に対し、女性採集をしていたため静物を見るのが得意なのだ、という主張だ。が、これはいくらなんでもおかしい。現に私はきちんと認識できたし、人間の歩行速度なんてたかが知れている。トンデモ説として却下した。



仮説2: 女性歩きスマホをしがちであるから、ぶつかる。

これは若干迷ったが、却下した。確かに女性の方が歩きスマホ率は高かった。しかも見ていて気付いたのは、男性歩きスマホをしていても前をこまめにチラチラと見ている場合が多いのに対し、女性は前を見る周期が低いかあるいは全く前を見ていない場合が多いということである。全く前を見ない女性は今までよくもまあ無事に生きてきたものだと感心してしまった。が、これも論拠としては弱いように思われる。スマホをしていなくてもぶつかってくる女性は多い。



仮説3: 女性は避ける気がない/避けるという選択肢をハナから持っていない

これだろうという気がした。

相手が避けてくれるだろう、自分が避ける必要はない。何故自分が避けなければならない? こういう意識で歩いているのではないかという気がする。そうすれば最もうまく説明がつく。上の危険歩きスマホもこれが根底にあると思われる。考えてみれば口喧嘩でもなんでも、女性の方が自説を曲げることが少ないような気がする。

これがポジティブ女性が胸を張って歩ける社会が来たと見るのか、ネガティブ女性社会的に甘やかされているためだと見るのか、女性本能的に傲慢からと見るのか、どれが正しいのかは分からない。

同じ女性として、なんだか複雑な気持ちになってしまう。



ただ一つの事実として、「女性はぶつかってくる」。

これだけは言える。

そして世の女性諸氏に、ぶつかっているのは男性ではなく自分自身なのだと気付いてほしい。

そうすれば自分被害者にも加害者にもならなくて済むだろう。

ただ、男性には申し訳ないがもう少し避けてくれることをお願いしたい。あなたがたが避けてくれていることはよく分かった。でもあなた方はぶつかってもなんともないだろうが、女性との体重差は2倍近い。ぶつかられた方は、ものすごく痛い。少しだけ進行方向を変えるだけで救える命があります



長くなったが、このささやか研究に協力してくれた同僚のA氏、同居猫のB太、それから勝手に観察させてもらった新宿駅の通行人の皆様に感謝を伝えたい。

2020-11-24

スマートな席の譲り方

仕事帰りの電車で、座席が空いていたので座った。

次の駅で男性が乗って来たが、抱っこ紐で小さい子どもを抱っこしている。

席を譲るべきか?でもわりとガッシリした男性だぞ?なぜ周りは皆うつむいているー!!!

仕事で疲れて頭が回っていないのに席を譲るかどうかでグルグル考えすぎてパンクしそうになっていたところ、その次の駅で松葉杖をついた女子高生が乗って来た。

席を譲るべきか?でも松葉杖だと立ってる方がラクか…?そもそも席を譲るとして男性JKどちらに譲るべきなのか?なぜ周りは皆うつむいているー!!!

いよいよ頭がパンクし、意味からないタイミングでおもむろに立ち上がり、誰にも何も言わず別の車両へ逃げた私。

どうするのが正解だった?

2020-08-31

障害のあるキャラを魅力的に書きたい

たまに創作障害のあるキャラを書きたくなる。

障害者と健常者の心温まる触れ合いなんていらない。いじめ差別、それらに立ち向かって恋に落ちてみたいなものもいらない。それなりの苦労と楽しみを持った日常生活を書きたい。車椅子に乗ったり、病の薬の準備をしたり、義足調子が悪くて松葉杖を使ったり、補聴器デザインを選んだり、そういうことを書きたい。

精神的なものならその特性表現したい。感情平板化や幻覚とそれに伴う感情、刺激に過敏になったり鈍感になったり。

実際の障害者は決して綺麗なものじゃないし、本人も周りも苦労し続けていることはわかっている。

見ようによっては差別とか偏見とか色々言われると思うけど。

ちなみにそのために当事者から周囲までネットや本で調べ回ってた結果、福祉に興味があると思われてる。

2020-08-30

Gorogoaの物語

ホットエントリーに上がっていたこんな記事にふとした気まぐれで目を通した。

業界人が選ぶ、過去10年で最も優れていたビデオゲーム(IGN Japan

https://jp.ign.com/games/46189/feature/10

 

ゲームは年に1本買うか買わないかライトゲーマーなので大半の作品タイトルも知らなかったし、業界人たちのコメントを読んでいてもピンと来るものはなかった。しかしその中でひとつコメントちょっと心が動いた(太字筆者)。

簡単な答えは『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』ですが、統計的な考え方では、私は『Gorogoa』を選びたいです。デモの早期リリースと、その結果である早い時期でのハンズオン体験のおかげで、本作は何年にもわたって私のGOTYであり続けました。『Gorogoa』は魔法のように魅惑的で斬新なゲームです。明確なビジョンに基づいたこ作品は、ゲーム作りの過程が全く想像できないほどの複雑な成果をもたらしました。新しいメカニクスと新しいインターフェイスを持つ本作は、芸術技術物語正真正銘パズルシームレスに融合させています。これは私がエッシャー作品や、キット・ウィリアムズ絵本、「まほうの筆(The magic paintbrush)」をはじめとする私の好きなおとぎ話から得たすべてのものを凝縮した体験です。『Gorogoa』はハッと息を呑むような驚きを私に与え、私の心を喜びで満たしてくれました。開発者ジェイソンロバーツにはこの作品に満足したまま何もせず、別のゲームを作らないでほしいと私が願うほど、『Gorogoa』は本当に唯一無二の傑作です。

(Drowning a Mermaid Productions サム・バーロウ氏)

本職のゲーム開発者がここまで絶賛するゲームとはどんな作品なのだろう、と急に興味がわいた。

元来パズルゲームは好きなほう(MYSTシリーズは全部やったし、ふだんも数独倉庫番をヒマつぶしに遊んでいる)なので、ちょっとやってみようかという気になった。PlayStation Store で1,528円。安い。

遊んでみた。雷に打たれたような体験だった。まるでマグリットの絵の中で『無限回廊』を遊んでいるような感じだった。

感想については私の拙い語彙でくだくだしく書くよりももっとすぐれたテキストネットにあるのでそれを見てもらえば十分だ。

 

『Gorogoa』認知フレームを軽やかに飛び越える絵画パズルゲームインディーゲームレビュー 第40回】(ALIENWAREZONE)

https://alienwarezone.jp/post/1321

 

GOROGOA が見ている(ゲーム感想)(S. Miyata)

https://note.com/38tter/n/nb58c34279de7

 

そして本稿で私が書きたいのはこのゲームの紹介ではない。

この何の説明もなく謎だらけでタネ明かしもない不条理ゲームに、どうにかして「解釈」を与えたくなったので、そのメモである

以下は断定形で書いていてもすべて私の解釈である

後半に至ってはほぼ創作だが、ゲーム中では語られなかった「裏設定」を私が想像で補完したものだ。

 

ロゴアの物語

 

ある日、街に巨大な謎のクリーチャーが出現する。街並みに隠れて全容は見えないが、アパート屋根ごしにカラフルなたてがみが見えるほどだからかなりの巨体だ。

書物をひもとき、それが伝説の聖獣ゴロゴアだとわかる。

古文書には、五色の果実が盛られた器を若者と年配者がふたりで支え捧げる様子が描かれている。

聖獣ゴロゴアの怒りを鎮めるには、世界に散らばる五色の果実をすべて集めて捧げなければならないようだ。

 

ひとつめの赤い果実は、とある民家の庭木の枝になっており、車椅子に座った謎の男が見守っていた。

枝にとまった烏がつと飛び立つと、赤い果実は器の中に転がり落ちた。

 

ふたつめの緑色果実は、町はずれの穏やかな公園女神像が手に持っていた。

廃墟にたたずむ松葉杖をついた男性がゴロゴアの姿を思い描くと、廃墟壁紙の紋様はゴロゴアの瞳となり、その緑色の瞳は果実となって器の中に転がり落ちた。

 

ランプの灯りをたよりに仄暗い部屋で寝食を忘れて何ごとかを熱心に研究する男性。部屋の片隅には松葉杖。この男も足が悪いのか。

ランプのひとつひとつに星の明かりを捕まえ、その明るさに惹き寄せられて来た蛾たちに導かれるままに道を進むと、夜空の星のひとつ黄色果実となって器の中に転がり落ちた。

 

気づくと色あせた写真の中にいた。壁にかけられた五枚の写真のうちの一枚だ。

杖をついて世界の果てを巡礼して回る男に助けられながら写真から写真へと歩みを進めると、どこにあるとも知れぬ神殿に捧げられた青い果実を手に入れた。

 

たくさんの資料に埋もれるように何かを研究する初老男性。部屋の片隅には愛用のステッキ

蜘蛛の巣のように街を縫って走る路面電車初老男性の助けを借りて乗り継いでいくと、高い塔の頂上で最後果実紫色果実を手に入れた。

これですべての果実がそろった。ついに儀式の時が来た。

 

果実の盛られた器をゆっくりと宙に捧げると、五つの果実はまばゆく光りながら激しく燃え上がった。

 

──その時、突然器が砕けた

そして聖獣ゴロゴアはそれを許さなかった。

ロゴアが怒り狂うと、空には虚無の淵がばっくりと口を開け、世界は暗黒の炎に包まれた。

儀式は失敗したのだ!

 

私は身体を闇の炎に焼かれながら尖塔のやぐらから転落し、瀕死の重傷を負った。

長いあい車椅子生活余儀なくされたが、頭はゴロゴアのことでいっぱいだった。

何がいけなかったのか。どうすればあの獣の怒りを鎮めることができるのか。

 

聖獣ゴロゴアは時おり暴虐の限りを尽くした。

ロゴアが暴れると街は爆撃を受けたように廃墟と化し、あちこちで火の手が何日もくすぶり続けた。

 

どうにか松葉杖で歩けるようになると、私は情報収集を始めた。

焼け残ったがれきの中から資料を掘り出し、聖獣ゴロゴアをよく知ることにつとめた。

 

一方、気まぐれに襲ってくるゴロゴアの攻撃の合間を縫って人々は街の復興を始めた。

がれきを片付け、建物を建て直し、鉄道を引き、時おりゴロゴアによる破壊を受けながらも、それを上回る勢いで街は発展を続けた。

 

私の部屋の壁はゴロゴア関連にとどまらず、世界の様々な伝説伝承考古学書物で埋め尽くされた。

時おりゴロゴアの来襲があると電気は止まり、暗い中でランプの灯りをたよりに研究することもあったが、私は寝食を忘れて研究に没頭した。

 

その間中、私は「何かの視線」を常に感じていたが、それが何かはわからなかった。

ただ、私の研究が、誰とは知らぬその視線の主の助けになっている、そんな実感がなぜかあった。

 

研究を進めるうち、私の心のうちには、ゴロゴアに対するどこか畏敬の念のような気持ちが芽生え始めた。

そしてその畏敬の念は、やがて純粋信仰心へと変化していった。

ロゴアの怒りを鎮めるには、我が身と心をゴロゴアに捧げなければならない。そうすることでしか儀式はきっと成功しない。

私はそう思い詰めるようになっていった。

 

私は巡礼者となり、ゴロゴ信仰の源流をたどって世界各地を巡礼することにした。

灼熱の太陽が照りつける砂漠、寒風吹きすさぶ高地

体調は決して万全とは言えなかったが、ゴロゴアにこの身を捧げるという信念が痛む脚を前へと運ばせたのである

 

研究の進捗が遅々として進まず年月が無為に流れていくばかりになると、時おり深い絶望に襲われることもあった。

無力感にさいなまれるそんな時には、決まってあの悪夢の日、儀式に失敗した日の転落の記憶フラッシュバックした。

そうした場面にも、常に「あの視線」は私とともにあった。

 

月日は流れ、私も初老と呼ばれる年齢になり、髪も髭もすっかり白くなってしまったが、私の研究は大詰めを迎え、ついにひとつ結論に到達しようとしていた。

 

古文書には、五色の果実が盛られた器を若者と年配者がふたりで支え捧げる様子が描かれている。

 

この記述によれば、儀式ふたり人間によって為されなければいけなかったように思える。

しかに、最初儀式自分ひとりで行ったために失敗してしまった。

では、儀式成功させるためには、あらためてふたりで執り行う必要があるのだろうか?

 

そうではなかった。

 

絵図に描かれたふたつの人物像は、「時間を隔てたひとりの人物」を表していたのである

儀式はひとりの人物によって二度行われなければならなかったのだ。

 

思えば一度目の儀式へと至る道のりでは、さまざまな場面で陰日向に何者かの協力を得ていた。

その役割なくして儀式は成し得なかったとさえ言えるのだが、その協力者は、ほかならぬ私自身であったのだ。

 

時空を超えておのれ自身と手をたずさえ、二度の儀式を完遂させる。

それこそが聖獣ゴロゴアとの魂の交歓を成立させるための条件だったのだ。

 

私は今、復興いちじるしい街並みを見下ろしながら、二度目の儀式のために尖塔を登っている。

 

この儀式が終わった時、ゴロゴアと人間の間には新たな関係が訪れるのだ。

2020-08-16

怪我して、松葉杖 へたすりゃ もどらない

金じゃないけど

お前からもらった

30万円 いまは必要だけど

なおって、もどったら

お前に30万円 あげたい。そうしたらお前は等価交換してくれるんだろうなぁとおもう。

安心しろ 大したことはない それだけを たのしみ ではないが がんばって 生きている感はあるから 面白い

おれはいい。借りておく。元気になったらかえすよ。

2020-07-27

咄嗟に反撃する技術

ここ最近嫌な出来事があった。

※書いてある内容は若干ぼかしてあるし、あまり記憶してない

外出して道を歩いていると、松葉杖をついた見知らぬおっさんブツブツ独り言を言っている。

普通に横を通ろうとしたら、視線こちらを彷徨い、急に「このアホ野郎が!またうちに盗みに来たのか!」と大声で怒鳴り出した。

ハァ?誰と勘違いしてるんだ?とひどく嫌な気分になったので「うるせぇ!アンタとは初対面だよ!!」と、相手に負けない大声で叫び返した。

するとおっさんはびっくりしたようで、目をパチクリさせた後に「初対面の人間にそんな口を聞くなんて云々」と返してきたので、更にイラときて「てめぇが先に言い出したんだろ、このアホッ!!」と言って、自分おっさんを置き去りにしてサッサと別の道へ歩いて行った。

んで、本題。

みんなはいきなり攻撃されたりしたら、どうやって反撃してるの?

例えば学生時代を思い返すと嫌な場面でもなかなか嫌と言えなかったり、社会人になって反論をしたいが上手く考えがまとまらなかったり、今回のケースのように路上でいきなり攻撃されると即座に反撃の手段を思いつかない。

自分なんかはこの辺りの技術がないので、後で自宅に帰って『あぁ、こういう対処をすれば良かったのかなぁ』と反省ばかりな気がする。

以前に横断歩道を歩いていたら、向こう側から来たカップルの男がいきなり自分の腹にパンチをしてきた方が事があって、ムカついて相手肩にパンチを当てたけれど、お互い歩いていたのでそのままになってしまった。

まさかいきなり知らんやつから腹パンもらうなんて想像出来ないよ…。

次にチャンスあったら先ず相手の髪を掴んでから顔面膝蹴りをしよう、と心に誓っているがそんな機会もないしなぁ。

しかしこういう脳内シミュレーションしてるのも馬鹿らしい。

その場で巧く対処して反撃する技術ってどうやって学べば良いんですかね?

2020-07-25

松葉杖って言葉

植松と青葉を合体させたみたいで縁起が悪いよな

何も実際に松葉を使っている訳でもなし、お助け杖みたいな別の呼び名に変えられないもの

anond:20200725133741

安楽死制度なんて出来たら明確なガイドライン作るだろうし、一生松葉杖程度で安楽死薦めるわけねえだろwww

2020-05-13

心が弱いから鬱になったって責められた話はよく聞くけど、骨密度が低いか骨折したって責められた人には会ったことない。心の強度に効くものは経口摂取出来ないけど骨密度を上げるものは経口摂取できる。

なぜ骨折たか、それは例えば階段から落ちたから、車に轢かれたから、余暇スポーツ最中に。骨折したので数週間入院します、暫く腕を吊ります松葉杖を使います検査のため早退します、出来ない業務が発生します。それは許される

なぜ鬱になったか、それは例えば上司からパワハラ取引からモラハラ業務時間外の連絡、家庭内不和親族の死。鬱になったので休職したいです。本当にあなたは鬱ですか?定型ですか非定型ですか?診断書は2つ以上の病院から貰うように、心療内科ではなく精神科医師ベテランが望ましい。簡単には休ませられない、あなたにはあなた業務がある。

骨折したなら少なくとも同じ部署人間には周知する。あの人は不慮の事故骨折したのでしばらく入院します、不便もあるから助けてあげてね。

鬱になったことを上司は隠したがる。悪く思う人もいるから、しばらく黙ってよう。よくなったらみんなで笑い話にすればいいさ。勤怠は少しなら大目に見るよ、有給あるでしょ?

わたし骨折すればよかったな。

2020-05-11

世の中には良心頼みの物事が多いけどさ

例えばさ、学校とか人によっては会社とか、アレルギーについて説明するよね

「これ食ったら苦しむし、最悪のたうち回って死にます」って宣言して、死なないようにする為に

そうしたら、メシ出す人や手配する人、大人であれば飲み会だのランチ会だのの幹事もソレを理解してくれるじゃん

え?くれない?まぁ、話を最後まで聞いてくれ

とにかく、アレルギーである事を説明すればそれを出すのを避けてくれる訳だ

でもさ、それって結局判断する側の良心倫理観頼りだよね

仮にその判断する側に人の苦しむ様を見たくて仕方ないソシオパスや、純粋にどうなるのか興味あるのでとりあえずやっちゃうサイコパス、あとは根性論で何でも解決したがる頭の硬い人がいたとしよう

そうしたら、自分にとってのクリティカル毒物を手配されて「食え」と言われる訳で

しかすると、そもそもその毒物が隠れてるメシを黙って出される可能性すらある

アレルギー以外にも、持病の薬を飲んでる姿見て「ああ、あの薬無いと苦しんだり死ぬのね」とか、妊婦さん見て「腹蹴り飛ばしたら赤ん坊死ぬな…」とか、車椅子松葉杖の人見て「踏切のど真ん中でコレ壊したら恐怖に怯えた挙げ句に肉片になって弾け飛ぶんだろうな」とか、そういうの

そうしたいと思ったことすら無い俺でも、ふと思う事あるよ?そんなの絶対しないけど

じゃあさ、他の人も思うかもしれない、思っててもしないかもしれない

でもイカれてるやつはついやっちゃうかもしれない

そう考えたら、人の良心倫理観を頼って自分の弱点晒しちゃうの、怖くない?

俺は怖いよ、うんちうんち

2020-04-20

anond:20200420141914

松葉杖ついてたか電車の席を譲ってくれた人が居たのに、座るのにもたついていたら、すかさず入り込んで譲られた席に座った長髪のお姉さんが居た。彼女囲碁雑誌を読んでいた。

棋士て、あんな人ばっかりなの?

2020-03-18

anond:20200318151157

気取らないお店や安く済ませられるお店が気楽でいい。というのはわかるけど時々はちょっと高いけど美味しいものを食べよう!とはならないんだろうか?

 なることはある。ただ9割方ラーメンに行ってるのも事実で、多分頻度の話をしたいんだと思う

というかいいお店の基準フレンチなのは何故。

いいお店、だいたい量が少なくて値段が高いのでそもそも男はあまり行かず、知識がないのでフレンチくらいしか出てこないっていうのありそう

歩くペースは合わせないなら、遅い人は普通に置いてくのかそもそも現地集合現地解散で一緒に歩かないのか。

遅い方に合わせるんじゃなく速い方に合わせるみたいなところはありそう。あと純粋に男ってみんな歩く速度そんなに違わないというのもあるかな。流石に松葉杖ついてる友達を置いてったりはしない

上座に座る云々は要するに上座なんて意識しねぇよってことなのか。

たぶんそう。ソファー席を女性に譲る云々とかもあるしそういうところも含めた話なのでは? 男友達同士だと痔持ちとかじゃない限り席は気にしないな

服装とか髪型とか、持ち物が似合ってたら「それいいじゃん」って言わない?男性って皆基本触れないの?

これはマジで触れない。男は罵倒コミュニケーションの基礎にしてるところがあって、あんまり褒められると気持ち悪いっていう心理がありそう ホモフォビアちょっとある?

つまんない話は聞き流すとかオチは無いのか、って意見は本当に多いけど日常的にそんな面白い話しを心掛けてるの?毎回オチつけて話すのめんどくさくないの?

わからん 正直話の面白さに男女差を感じたことはない テーマ選びには感じるかな

こんな扱い有り得ない!と怒る女性に対して、今までそれだけ丁寧に男性から扱われてたんだよって意見があったけど、ここでいう「エスコート」に当たる扱いは女友達間で自然に行われてることが多いか違和感がすごい。

そうなんだろうなあ

身近な異文化だよねえ

2020-02-22

コスト削減」なんか蹴っ飛ばせ。

サラリーマンは何かとストレスが溜まるものだ。

昨日、会社経営戦略室の課長がうちの部にやってきて、

おたくの部は、コストを◯%削減すること」と言い放つ。

背景と根拠を聞いたら、「コスト削減は経営方針だ」と繰り返す。

コスト削減が必要なのはわかるが、例えば「近年、ネット販売比率が上がっているから、対面販売の経費は下げる、それで今までのリアル客の常連さんが離れても、仕方なし」とかいった方針・見通しをオーソライズするのがお前の仕事だろうと思う。

コスト削減」を連呼する経営戦略課長殿は、「すごく正しい」ことを言っている顔つきでそれが腹が立つ。よく見るとこいつ、顔の部品一つ一つが整いすぎだ。菊人形みたいな顔をしやがって。

人形課長は、エリートコースに乗っていて、順調に行けば役員コースらしい。

こんな菊人形が幅を利かすようじゃ、この会社もお仕舞いだな。

人形課長階段下りていく後ろ姿を見て、踊り場から勢いをつけてドロップキックを浴びせたい衝動に駆られた。いや、こういう奴にはキックじゃなくて、膝だな膝。ジャンピング・ニーアタックをかませてやる。菊人形から、首の骨がぼきりと折れてバタンキューだ。ざまあみろーー。

しかし、自分の脚力と体重を考えると、菊人形課長まで届かず、自分けが階段に落下して、脚の骨を折って松葉杖生活になる可能性大である

こういう理不尽な世相だから日本米国のように銃社会であったならばと思う。

そうであれば、会社ライフルを持ち込みロッカーしまっておいて、もう、カーッとなったら乱射事件ですよ。ライフルだと連射じゃないからカービン銃か。昔のマフィア映画みたいに、蜂の巣にしてやる。

しかし、カービン銃は会社入り口没収されるな。最近セキュリティ厳しいし。

それにやはり日本男児なんだから、らしく日本刀か。菊人形をばっさり斬りつけてやる。そのあと、振り回して皆殺しだ。「八つ墓村のたたりじゃー!」と叫ぶながらな。頭に鉢巻巻いてローソク灯して大暴れ。

血みどろになった職場を後にして、赴く先は、市ヶ谷自衛隊駐屯地である。そこで演説である。「今ここで、クーデターより憲法改正より、天皇制より、もっともっと大事なことを発表する。それは、パンツゴムが緩いと、ずり下がって気持ち悪いということだ」と叫き散らして、自決するのだ。しかである、今は三島由紀夫の頃と違って、市ヶ谷駐屯地はないらしい。第一、俺は私設軍隊を持ってないし、ボディビルして鍛えてないので、割腹自決は無理だろう。

結局は、サラリーマン生活で溜まったストレスは、溜め込むしかない。溜めて溜めて、恨みつらみを限界まで我慢して、最後は殴り込みをするのだ。背中に「唐獅子牡丹」の彫り物をしょって、池部良と一緒に「死んで貰います」と言ったあと大暴れしたい。

まあ、昭和時代からサラリーマンはこうして高倉健任侠ものなどを見ては鬱憤を晴らしていたのだろう。

俺も、久しぶりに「昭和残俠伝」見て、その後寝ようっと。

いっぺん死んだらどうよ

右左の足が不自由で、左右松葉杖で歩いているにもかかわらず、23区内の5車線道路を横断する人がいた。夜7時だから、まだまだ車通りが多い時間帯。

同じ道路の延長線上では、車道を歩く歩行者いたり、歩道に駐輪できるスペースあるにもかかわらず車道自転車を駐輪させる奴もいたり。

ここ最近、こういうのをやたら見かけるんだが、他の地域も同じくあるん?

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