はてなキーワード: かゆみ止めとは
自分のブログも持っているけれど知人にあれこれ言われたくないので匿名にて失礼します。
■ 健康な人へ
心当たりが一切なくても健康診断は毎年受けるべきだし、付けられるオプションはなるべく全部付けるべき。時間とかお金とか恥ずかしさとか痛みとか、いろいろハードルはあるんだが、健康には代えられない。あ、今はとても元気です。大丈夫。
他の人の体験記を参考に入院準備を進めたので、これも後続の助けになれば幸いです。後続なんていないのが一番なんだけどね。
身バレを防ぐために若干ぼかしたり時期をズラしたりしています。
■ 概要
・開腹して左の卵巣と卵管を摘出した
・入院期間は7日間(月曜入院→日曜退院)。手術は入院2日目(火曜日)の午前中
・パジャマとタオルはレンタルサービスを使ったので持って行かなかった
■ 大まかな流れ
・月曜日:入院。昼食と夕食は普通に食べる。シャワーも浴びる。夕食後は食事禁止。
・火曜日:朝6時以降は水も禁止。午前中に手術を受ける。気付いたら終わってたしベッドから起き上がることも禁止されていた。微熱があったため隔離されてPCR検査を受ける。正直傷口よりPCRの綿棒の方が数倍痛い。あいつは一体なんなんだ。
・水曜日:朝、上半身を起こしてみる。立ってないけど立ちくらみみたいな状態。時間と共に和らぐ。昼から食事再開(重湯)。コロナでもインフルでもないと分かったので昼過ぎには隔離が解除され、自分で歩いて病室へ戻った。その後尿カテーテルを抜いてもらい、蒸しタオルで身体を拭いてパジャマに着替える。
・木曜日:メモによると1日中ハイラルに籠もっていた(ブレワイをプレイしていた)らしい。痛み止めが背中のカテーテルから飲み薬(ロキソニン)に切り替わる。
・金曜日:この日の朝食から普通のメニューに戻る。午前中の回診で諸々の管やテープを取ってもらい、シャワーが解禁される。
・土曜日:またハイラルにいる。こいつハイラルに居座りすぎではないか? 傷口(というより上に貼られたテープ)がかゆくて看護師に訴えるが「カサブタなので我慢するしかない」と言われて絶望する。それでも諦めず主治医の先生に訴えたらかゆみ止めの塗り薬を処方してもらえた。効き目が薄くてさらに絶望した。かゆみとの戦いは退院後も1週間ほど続いた。
看護師さんからも主治医の先生からも「珍しいくらい順調に回復している」と言われたので、普通はもう少しゆっくり良くなっていくのかもしれない。
■ 持って行ってよかった
今回のMVP。Switchとスマホの命をつないでくれた。ベッドの頭の方の壁にコンセントはあったものの、スマホの充電ケーブルが短くてギリギリ枕元までしか届かない。ベッドを起こしたらもう無理。延長コードがなかったら電源の取り回しに苦労したと思う。退院したら自宅の古いものと交換するつもりで買ったので、入院生活だけを考えるなら1.5~2mで大丈夫そう。
・小さめの紙袋
ベッドサイドに置いて細々したものをまとめる用。高さ15cm×横15cm×奥行き5cmくらい。化粧品買うともらえるような、しっかりした作りのものがおすすめ。折り畳めるから入退院時にじゃまにならない。ある程度高さがあるとペンを挟んでおけるので便利。
入院した後も書類は増える。一度目を通せばいいもの(処方薬や麻酔の説明書きなど)と、繰り返し取り出す必要があるもの(食事や飲水量の記録表など)を分けるために最低でも2つほしい。
・メモ帳
気になるから後で看護師さん来た時に聞いてみよう→忘れる、のループから脱却したい時に使う。気になることは際限なく増えるから覚えておくのは無理。別にスマホでも構わないがフリーハンドで好きに書ける紙の方が便利だった。
髪が長い人向け。手術後しばらくはお風呂に入れず髪も洗えないため、次第にベタベタテカテカして気になってくる。そういう時にさっと留めてとりあえず遠ざけておくと気持ちが楽になる。ヘアゴムでもいいんだけど、バナナクリップの方が圧倒的に手軽。
石鹸やシャンプーや歯ブラシなど濡れたものを雑に突っ込んで、サイドチェストの手すりにくくりつけて干した。ベッドサイドが広く使えるしすぐ乾くし、地味に便利だった。メッシュ生地に限らず巾着は「くくりつける」という選択肢が生まれるからポーチよりおすすめできる。
説明不要。これを書いている今もまだプレイしている。ティアキンに移るタイミングを見失っている。手術直後はただ草原を走り回って採集活動に勤しめばいいし、回復してきたら弱そうな敵や簡単そうな祠に向かえばいいし、病状に合わせてプレイスタイルを変えられるのも良かった。
■ あればよかったなぁと思う
・充電ケーブルの先を保持できる仕組み
延長コードを使うと発生するデメリット。ちょくちょく充電ケーブルの先が床に落ちるし行方不明になりやすい。クリップ的なもので留めておきたかった。
入院して初めて、自分は白米が単体で食べられないらしいと知った。おかずも山程あるんだけどそれ以上に白米が多くて苦労した。残すのも忍びないから毎食フードファイト状態。ふりかけでもごま塩でも、とにかく白米に味がつけられるアイテムがほしかった。
・マスク置き場
感染症予防の観点から、ベッドにいる時もなるべくマスクをつけておくよう求められていた。そうは言っても寝る時はさすがに外したいし、食事時はもちろん外す。そういう時にちょっと置いておける場所がほしかった。
出歩く時、スマホはパジャマのポケットに入れていたが、ふとした拍子に落ちるんじゃないかと不安になった。背中の痛み止めが繋がっている時は痛み止めを入れる巾着(紐が長く斜めがけにできるもの)にスマホも押し込んでいた。看護師さんにはちょっと笑われた。でもあのスタイル超便利だったな……ロッカーの鍵も入れてたし……。痛み止め取れた後も巾着は残してほしかった。
・クリップボード
入院中は毎日「ごはんをどのくらい食べたか」「水はどのくらい飲んだか」「お手洗いに何度行ったか」を記録する必要があった。用紙はクリアファイルに入れておいたんだけど、書く度に出してしまってを繰り返すのはちょっと面倒だった。
シャワー解禁があと半日遅れていたら、なんとしてでも髪を洗おうとしたと思う。髪、想像以上にベタつくし重くなる。
■ なくても別に困らなかった
・ハンガー
備え付けのハンガーで十分事足りた。
巾着のところで書いた通り、洗ったものは巾着に入れてくくりつけて干したので「何かを引っ掛けたい」と思う場面がなかった。
・ウェットティッシュ・汗拭きシート
病室には手洗い場が備え付けられていたし、看護師さんが毎日蒸しタオルを持ってきてくれたので使う機会がほとんど訪れなかった。
起き上がらずに水を飲めるから便利という体験記を読んで買っていったが開封もしなかった。起き上がれない時は水も禁止されてたし、飲めるようになる頃には問題なく起き上がれた。これが一番の想定外かなぁ。
・スーツケース用の鍵
事前の説明では「鍵をかけられる小さな引き出しがある」としか言われなかったので、引き出しに入り切らないが盗まれたら困るものを管理する目的で持っていった。しかし引き出しは十分に大きかった(Switchをケースに入れた状態でしまっておけた)し、引き出しの他にも高さ1m×横20cm×奥行き50cmほどの鍵付きの棚があったため使う必要がなかった。
こんな感じです。参考になるといいなぁ。ともかくみんな健診には行こうね。
右足の脛を完全骨折して3ヶ月松葉杖で東京で一人暮らしをしたことがある
特に骨折初期は折った足に全く体重をかけない歩き方(全免荷)が必要で
歩き方ができるようになってかなり楽になっていく)
慣れても階段が相当怖かった
雨の日は滑る恐怖で大変だった
なんか流れで手術しないでギプスのみの治療になったが
正直手術で固定した方がよかったと後悔した
プログラマーの業務委託で新規常駐案件入る直前で折ってしまって
2週間しか遅らせられないと言われて予定の2週間後に案件に入ることに
その某駅までどうたどり着くか悩んでとりあえず構内図を検索して地下鉄のルートを確認
バリアフリー化のおかげかエレベータで階段を使わずにいけるルートがあった
ただルートが複雑で構内も距離があり、今まで全く通ったことのないルートで
そもそも今の住居が3階かつ狭い階段のみで階段の上り下りの時点でしんどい始末
初日が相当不安で、ストレスのせいか帰りのタクシー内で過呼吸になった
担当の医者の方に相当冷たくあしらわれたのが本当に心につらかった
今苦しいからその治し方を聞いているのになんか精神的なものだから
あきれ顔で言われたのを覚えている
自分のできる範囲で息を止めることを繰り返した方が早く治ると思う
webによると紙袋をかぶせる方法は加減を間違うと窒息することがあるらしくやめた方がよいらしい
ちなみに上の原因と対応方法を担当医は全く教えてくれなかった)
初日から本当に気分が沈んで今後やっていけるか不安しかなかったが
おかげでどうにかなりました、本当にありがとうございました
使っていたため衣食に支障をきたしていた
家の中ではほとんど動けない
外に買い物に行けるわけもなく
常駐先では昼を買いに行くのは難しく
だからカロリーメイトと500mlのお茶を大量購入してリュックで持ち込み
昼まったく動かなくてすむようにしていた
(そのうち慣れて水も食料も社内自販機でどんどこ買うようになった)
ネットスーパーで下着を大量購入して外は汚さないように2~3回着回しつつ
2週間くらいためこんで親に来てもらって洗濯をお願いした
その後は2週間くらいためこんで1/3荷重かけられるタイミングで
一度できれば大体何とかなったのだが
一回だけ階段を二、三段くらい上ったところでバランスを崩し下に落ちて
死
と思ったことがあった
背中のかご→尻もちの順に落ちる感じで事なきを得た
タクシーは1日あたり往復10000円弱かかり金銭的にしんどかったのと
普段普通に歩いているときは皆誰にも関心がないように見えていたから
こんなに席をゆずられるとは思っておらず驚いた
サポートをもらったときは必ずお礼を言うように気を付けていた(と思いたい)
電車では譲ってくれた人を覚えておいて自分が先に降りる場合は改めてお礼を言うことを心掛けた
席を譲ってくれる人が増えてくれそうな振る舞いをしたかった
今はもちろん完治して、普通に歩いて生きている
今後松葉杖の方を見かけたら、今度は自分が譲る側になりたいと思う
昔を思い出してこの日記を書いた
北風と太陽ではないが、周りに不愉快や反発を生みそうな方法でなくて
もっと周りがサポートしたい、サポートしてよかったと思える方法で
社会を変えていくことってできないのかな、とちょっと悲しく思った
でも自分に思いつく案は車いすや骨折した女の子の日常系マンガぐらいしかないんだな
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余談
ギプスはかゆみとの闘いがやばい
それでも不十分で地獄の時を過ごすことになる
だがその地獄の後、ギプスを外せた直後は
足は非常に敏感になっていて
かくと本当に気持ちがよい
本当に気持ちがよい
(本当に気持ちよかったので二回書きました)
この気持ちよさを皆一回味わってみてほしい
が骨折は味わわないでほしい
と思ってぐぐったらアトピーの人でそうなっている人がいた
分かるー
完治する方法見つかったらいいな
宇宙人の飼い主向け
・とりあえず食糧については「人間の飼い方基礎」の本のローカライズ食んとこ読んでおいて。
・偏食・異食がみられて栄養障害になりそうな場合は「スナック菓子が食べたい」「カップ麺が食べたい」であってもある程度要求を飲んだ上でビタミン剤を飲ませよう。カプセルのものが味がしないからうけいれられやすい。
・風呂や清潔感は週一回~2回、いっしょにお風呂に入って洗髪してあげるとよろこぶ。
・運動はお店、運転、食卓まで歩く、食器を運ぶなどができればよいとする。筋肉痛がひどいときはやらせない。
・睡眠は不眠・過眠がみられがち。夜は静かにしてやることと、あさの日照、夜の消灯を徹底する。消灯してもスマホをみていても無理にやめさせず、寝るまで一緒にいてあげるとよい。うなされているときは起こす。嫌な夢を見ているのに放置すると翌朝も落ち込んでしまう。昼はヒルナンデス、夜はマツコの知らない世界など、負担にならないテレビは積極的に見せる(うるさくない程度の音量で)。
・薬はビタミン剤と一緒のタイミングで。飲み合わせがあり、過眠の場合は朝にSSRI、夜に精神病薬をというふうにわけて飲ませる。不眠の場合はねる(予定)時間にまとめて飲ませるのもよい。ビタミン剤とくすりを一緒に小物入れにいれてあげよう。また水も冷温庫にいれてのみやすく。飲むと喉が苦くなる睡眠薬の場合食後の口直し用にチョコレートを一粒だけ添えてもよい。飲み忘れ、疲れでじんましんが出る場合があるのでメンソール系かゆみ止め塗り薬もおいておくとよい。熱っぽさのために体温計もおいておくと本人が安心する。
・医療費の公的補助があるから経済的には飼いやすい。予約や通院はいっしょにやってあげよう。保護者を名乗っていっしょに医者についていかないと自覚症状を覚えていないので本人ではうまく説明できない。食事、睡眠、運動で何らかの異常が見られたらしっかりメモにとっておいて現地のメンタル専門医にいってみよう。お薬が合っていないかどうかも本人からは判定できない。
・障害年金や生活保護という医療費以外の生活費の補助にできるお金が役所から出ることもある。これも本人か飼い主しか申請できない(医療機関がかわりにやってくれることは絶対にない)のでがんばって申請しよう。
陰嚢湿疹てやつに1年半くらい前からなった。
最初の半年くらいはまぁ我慢できるレベルだった。ほんとに軽くだけど水虫持ちでもあったので、それが玉袋にうつった所謂インキンタムシだと思って薬塗ってたんだけど一向に良くならなかった。
今年の正月あたりになると保冷財で冷やさないと眠れないレベルになり、たまらず皮膚科へ。
事前にネットで検索したら、寝る前に痒さが増したり、袋がカサカサになって皮が剥がれ落ちたりという症状があったので疥癬とかいう寄生虫の病気なのかと思った。自分でペット飼ったりはして無いけども、他人のペット触ったり、動物触った子供に触った記憶とかはあったので。
受付は50代くらいのおばさんで、「今日はどういう症状で?」と聞かれたので「夜寝られないほど陰部が痒い」と正直に答えたら気のせいかもしれないけどふっって失笑された気がした。その時はそれどころじゃなかったけど後々考えるともし笑われてたなら腹がたつなぁと思った。隣にいた20代のお姉さんは無反応でありがたかった。(もしかすると反応が逆だったら嬉しかったのかもしれない)
受診にあたり、自分は陰毛が薄いほうでは無いのでハサミでかなり短くカットして行った。当日朝に風呂も入って身奇麗にした。
診察で玉袋が痒いというと見せて、といわれたのでズボンを脱いでパンツのスキマからちんちんを持ち上げて該当部を見せた。具体的に言うとちんちんの付け根と玉袋の境目あたりから玉袋側にかけてが痒かった。
診断は「陰嚢湿疹」。疥癬かと思いましたって言うと笑われて心当たりでもあるの?って言われた。ステロイド入りの軟膏と乾燥を防ぐ軟膏を処方され、化学繊維の下着はやめて木綿の下着にしなさいといわれた。陰嚢湿疹も事前にネットで調べたが、原因不明の事が多く、疥癬なら特効薬があるそうなので薬一発で治ると思ってたのになぁとガッカリして木綿のパンツを買って帰った。ちなみに医者はおじいちゃんだった。美人女医だとある意味嬉しかったかもしれない。
ステロイド入りの軟膏の効き目はバツグンで、とりあえず痒くなって塗ると治まる。インキンタムシの薬は少しだけかゆみが治まった気がしたが、ステロイド無しの市販のかゆみ止めはほぼ効き目がなかった。
とりあえずいいたいのは、これを読んだキンタマ痒い人は恥ずかしがらずに病院いきましょう。
なんで今頃こんな事書いたのかと言うと、原因が唐辛子の過剰摂取なんじゃないかって気がするから。これから唐辛子断ちをして様子を見るつもり。ぶっちゃけ唐辛子断ちって禁煙や禁酒よりよっぽどキツイ。マジで。
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追記
低刺激性のボディーシャンプーで、風呂上がる時にタマタマは念入りにシャワーでゆすいでるから多分大丈夫だと思うけど、念のために石鹸にしてみるわ。ありがとう。
1時間でDカップになって肌荒れが治って毎朝楽しくなった、フィッティングの話。
いつも通販。しかもだいたいセシールとかの、上下セット2500円みたいなやつ。
小学校4年生くらいまでは、近所のスーパーでカップつきシャツを親が買ってくれた。
6年生くらいまでは、グンゼとかが出してるワイヤーなしのブラだった。
中学生になって、パッドやカップ厚のないブラジャー(Bカップ)をスーパーで買うようになった。
高校生ごろになると、さすがに知り合いに遭遇するかもしれない近所のスーパーで
ブラを買うのに抵抗が出てきて、親がよく使ってたカタログ通販で一緒に安いブラを買った。
Bカップだときつくなってきたので、Cカップにした。太っただけだと思った。
そして、私の胸の発育は止まった。ここまでか…
大学生になると、通販のC70のブラを胸に初めての恋もセックスも経験した。
ブラを全てC75に買い換えた。
給料により財布に余裕が出てきたので、ルミネの上にあるような下着専門店にも行ってみたが、
なんかキラキラしてるし高そうだし入りづらいし、試着してる最中に
「どうですか?」
「きついです」
みたいなやりとりをするのも辛いなと思った。
ダイエットは成功し、半年で入社前の体重まで戻ることができた。
緩和するだけで治る気配がない。
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ある日、ふとしたきっかけでブラのフィッティングサロンに行くことになった。
1時間でブラの合わせ方、試着の仕方を教えてくれるとのこと。
おそらくブラの宣伝もあるだろうが、これまで脱毛サロンの勧誘も断り続けてこれたので
多分大丈夫だ。
あれよあれよという間に私に合うブラを見つけ出し、
D65だった。
…D?
ZARAとかの海外ファストファッションを着こなせるのは、
上半身ブラ1枚で鏡の前に立った私の胸には、初めて見る谷間があった。
Dだった!
何もしてないのに!
改めて服を着ると、明らかに姿勢が良くなって胸が持ち上がったのが分かる。
家に帰って早速D65のブラを5枚くらいネットで頼んだ。
もちろん、そのお姉さんからも1枚買った。
ありがとうお姉さん。
朝着替えるときに、胸がしゅっとまとまるし、
服を着てもふわっと盛り上がる。
大体の服が着こなせるので買い物も楽しい。
お姉さん曰く、
「合わないブラのアンダーが擦れて、荒れていたのでは」とのこと。
嬉しすぎて、祝うのもそこそこに胸の話をしまくったので、
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