はてなキーワード: 動機付けとは
感想なら、クソを素晴らしい香りと言おうが白地図に対して白い!と文句をつけようが自由だ。
だが、「進撃の巨人」と「Mad Max: Fury Road」を並べて批評するのは、適切だろうか?
クソリプ、という言葉がある。便利かつ端的だ。
例えば、最近の映画だと『ドラゴンボールZ 復活の「F」』がある。
「フリーザの進化形でゴールデンフリーザってダセえ!子供か!」と言うのはクソリプだろう。
作品の質を「進撃の巨人」と比較するなら、「スポンジ・ボブ 海のみんなが世界を救Woo!」とかのハズだ。
「フィニアスとファーブ ザ・ムービー」と「映画けいおん!」を比較してはいけないのだ。
どちらが偉いとか、どちらの方が優れていると言う意味では無く、分類が違うのだ。
同じ図鑑に載っていない。動物園なら違うコーナーに展示されているのだ。
似ていても「パシフィック・リム」と「巨神兵東京に現わる」を比較するのは違うというのは判るだろう。
同じように「Mad Max: Fury Road」と「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」の比較もナンセンスだ。
羽生善治と町内一将棋に強い八百屋の親父の打ち筋を比べるような、傲慢でかつ無意味な比較だ。
なぜ、「ローレライ」や「日本沈没」での実績がある樋口真嗣監督を、
音痴だがタップダンスの上手いペンギンがタップでペンギンの世界を救うという
愛らしくもマッドさとは無縁な「ハッピー フィート」でアカデミーまで取ったジョージ・ミラーと比べるのだ。
(ペンギンで稼いで世紀末映画撮れるって小躍りするジョージもジョージだが)
「パシフィック・リム」は、全世界でこそ400億だが、日本に限ればわずかに15億の興行収入だった。
つまり、広報宣伝にテレビが大きく絡むキャスティングや出資者の納得するシナリオ必須など、
魑魅魍魎の跋扈する邦画界において稼げる稀有な監督が、樋口真嗣なのだ。
その意味で、「みんなの感想は面白いけど批評としてはなんか違う」というのを言語化するきっかけになった
壁から出ることを拒んだ制作者たち 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN - 小覇王の徒然はてな別館が「ハンガー・ゲーム」や「メイズ・ランナー」をあげているのは、実に慧眼だと思う。
内気な女子高生とイケメン・バンパイヤが恋をする少女漫画のような「トワイライト」とか
高校生になると性格診断で中二病な名前のグループに振り分けられて争う「ダイバージェント」とか
様々な欲望をストレートに発散できなかった鬱屈を青臭さでコーティングしたようなヤングアダルト映画と比較すべきなのだ。
これを外すと、クソリプになってしまう。
大金庫の奥に女性たちを大事に保護し、同時にモノとして扱っていると端的に示すシーンや、
急な方向転換にもボスの意向を確認してから迅速に隊列を組み直すウォーボーイズや
轢くまいと同乗者を無視して咄嗟にハンドルを切るイモータン・ジョーの姿など、
アレだけ判りやすく演出しながら終始ハイテンションなマッドマックスとは違うジャンルの映画なのだ。
主要なキャスティングで、手堅くまとめている。
所属事務所の調整がエクストリームなのに、比較的演技派で固められている。
演技や配役に関しては、さほど文句は出ない(観た人が納得する)キャスティングと言える。
かつ、きちんとバラエティー出演やワイドショーで取り上げられやすい人を入れていて、広報的にも万全。
日本の映画は(洋画も邦画も)「テレビで宣伝→一斉に人が来て儲かる」という流れなので、
たまに演技の素人さんが入るのもご愛嬌なんだけど、そんなことはない手堅い布陣。
はてブは、ワリと「要旨全無視で1行だけにツッコム」という日本人(主語)の減点指向を振り返る場所だが、
「面白かったね!じゃ、ご飯食べてラブホ行こっか」みたいなカップルとか、
「カッコ良かったな!キモかったし!カラオケ行こうぜ!」みたいな高校生とか
「あのシーン泣ける~とツイートしたしファミレスにお茶行こ」みたいなグループとか、
ターゲットとなる観客たちにとって、本作は微妙なラインではある。
要らないエロがある。エロならエロ、重いシーンなら重いシーンと、きちんと分けないと観客が戸惑う。
また、主役級のキャラクターの動機がフラフラすると理解できずに置いてけぼりになる観客が多くなるので、
その意味で単純に「必要のないシーンが有る」「描きたいシーンを繋ぐシナリオが甘い」という残念な出来ではある。
矛盾するようだが、シーン優先、つまり場面やある瞬間の一連のお芝居だけを覚えて帰る観客は意外に多い。
機関銃ぶっ放して快感言っとけば客が喜ぶ時代から、人間さほど進歩してないとも言える。
特撮は流石に良い出来で、その点を見に行くのであれば問題はない。
ただし、ドラマパートは監督と脚本の思想によるものか、全体を通して複数人のレビューを受けてないお芝居に見える。
動機付け、感情の流れ、イベントと対応、演出、全てがパッチワークというよりは、ツギハギになっている。
クソリプ良くない。
例えばオーストラリアのゴア映画と、ハリウッドのマイケル・ベイ映画を比較しても意味は無い。
同じように「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」と「Mad Max: Fury Road」との比較もナンセンスだ。
キチンと適切な比較対象を持ってきた上で、クソな部分をクソだと言うのが、批評だ。
儲かる、だがしかし面白くはない。ハリウッド映画とは方向性が違う。
そういう実に邦画らしい邦画で、ちゃんと儲けて実績も残ると思う。
平成ゴジラとハリウッド2回めGODZILLAの中間みたいな。
個人的には、町山智浩が文句つけながら諫山創とヘッドギアに脚本書いてもらえば良かったと思う。もう遅いけど。
総評としては、「良いキャスティング」「演技は良い」「特撮は良い」「シナリオは悪い」「演出は悪い」。
演技が良い分、邦画の特撮映画としてはマシな方だと言える。まあ夏休みの中高生~若者向けだろう。
映画には様々な見方が存在するので、ハリウッド映画やフランス映画が優れているというわけではない。
映画館内で飲み食いして踊る社交場になっているインド事情的には、フルコーラスで踊りが入っている映画が良い映画だ。
(インドも南の方は保守的なのでそこまで騒ぐわけではないみたいだけど)
話題性をテレビで宣伝して人に来てもらって稼ぐ邦画が悪いとは言わないし、そういう方向性もあると思う。
ドニー・イェン仕込みのアクションを和風に落としこんで撮り切った谷垣健治だって、ワーナーからカネ引っ張る理由に「るろうに剣心」を使ったわけで。
好きな映画は見に行く、嫌いな映画は積極的に見に行かないを徹底しないと、いつまでたっても方向性変わらないぞ。
世の中カネ稼いだものが偉い。勝てば官軍負ければ賊軍。
わからないけど気になる。
「楽しみを後に取っておく」という表現だと意図的に報酬を後回しにしているように聞こえる。
それは、報酬で自分を釣って余所事をこなす動機付けにしているのではないかと推測することができる。
しかし、「思い出した頃」という表現から察するに、一端は報酬のことを忘れてしまうということなのだろう。
つまり、余所事をこなしている途中、動機付けが無くなっていることになる。
ここまではまだわからなくもない。
余所事をこなしたという達成感が「楽しみを後に取っておく」ことにフィードバックされるほど近い関係にあるとは思えない。
ここが個人差で、俺は思えないが元増田はそう思えるということなのだろうか。
羨ましいな。
1
判 決
同 松 田 誠 司
同 清 原 直 己
同 中 村 哲 士
同 富 田 克 幸
同 夫 世 進
同 有 近 康 臣
同 前 澤 龍
同 蔦 田 璋 子
被 告 パ ナ ソ ニ ッ ク 株 式 会 社
同 速 見 禎 祥
主 文
1 原告の請求を棄却する。
事 実 及 び 理 由
2
第1 請求
特許庁が無効2012-800008号事件について平成26年6月24日
にした審決を取り消す。
第2 事案の概要
被告は,平成22年8月10日に出願(特願2010-179294号。
平成15年12月22日に出願された特願2003-425862号の分割
出願。優先日同年8月5日)(以下,この優先日を「本件優先日」という。)
され,平成23年12月9日に設定登録された,発明の名称を「帯電微粒子
水による不活性化方法及び不活性化装置」とする特許第4877410号
(以下「本件特許」という。設定登録時の請求項の数は6である。)の特許
権者である。
原告は,平成24年1月31日,特許庁に対し,本件特許の請求項全部に
ついて無効にすることを求めて審判の請求(無効2012-800008号
事件)をした。上記請求に対し,特許庁が,同年8月2日,無効審決をした
ため,被告は,同年9月10日,審決取消訴訟を提起した(知的財産高等裁
判所平成24年(行ケ)第10319号)。その後,被告が,同年12月7
日,特許庁に対し,訂正審判請求をしたことから,知的財産高等裁判所は,
平成25年1月29日,平成23年法律第68号による改正前の特許法18
1条2項に基づき,上記審決を取り消す旨の決定をした。
被告は,平成25年2月18日,本件特許の請求項1及び4を削除し,請
求項2を請求項1と,請求項3を請求項2と,請求項5を請求項3と,請求
項6を請求項4とした上で各請求項につき特許請求の範囲の訂正を請求した
(以下「本件訂正」という。)。特許庁は,同年5月8日,本件訂正を認めた
上で無効審決をしたため,被告は,同年6月14日,審決取消訴訟を提起し
(知的財産高等裁判所平成25年(行ケ)第10163号),知的財産高等
3
裁判所は,平成26年1月30日,上記審決を取り消す旨の判決をした。特
許庁は,同年6月24日,「訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たな
い。」との審決をし,その謄本を,同年7月3日,原告に送達した。
原告は,同年7月31日,上記審決の取消しを求めて,本件訴えを提起し
た。
本件訂正後の本件特許の特許請求の範囲の記載は,次のとおりである(甲3
4,39,40。以下,請求項1に係る発明を「本件訂正特許発明1」,請求
項2に係る発明を「本件訂正特許発明2」などといい,これらを総称して「本
件訂正特許発明」という。また,本件特許の明細書及び図面をまとめて「本件
特許明細書」という。)。
請求項1
「大気中で水を静電霧化して,粒子径が3~50nmの帯電微粒子水を生成
し,花粉抗原,黴,菌,ウイルスのいずれかと反応させ,当該花粉抗原,黴,
菌,ウイルスの何れかを不活性化することを特徴とする帯電微粒子水による
不活性化方法であって,前記帯電微粒子水は,室内に放出されることを特徴
とし,さらに,前記帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,スーパーオキサ
イド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのいずれか1つ以上のラジ
カルを含んでいることを特徴とする帯電微粒子水による不活性化方法。」
請求項2
「大気中で水を静電霧化して,粒子径が3~50nmの帯電微粒子水を生成
し,花粉抗原,黴,菌,ウイルスのいずれかと反応させ,当該花粉抗原,黴,
菌,ウイルスの何れかを不活性化することを特徴とする帯電微粒子水による
不活性化方法であって,前記帯電微粒子水は,大気中に放出されることを特
徴とし,さらに,前記帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,スーパーオキ
サイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのいずれか1つ以上のラ
4
ジカルを含んでおり,前記帯電微粒子水は,粒子径3nm未満の帯電微粒子
水よりも長寿命であることを特徴とする帯電微粒子水による不活性化方
法。」
請求項3
「霧化部に位置する水が静電霧化を起こす高電圧を印加する電圧印加部を備
え,当該電圧印加部の高電圧の印加によって,大気中で水を静電霧化して,
粒子径が3~50nmであり,花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れかと反応
させて,当該花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れかを不活性化するための帯
電微粒子水を生成し,前記帯電微粒子水は,室内に放出されることを特徴と
する不活性化装置であって,前記帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,ス
ーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのいずれか1
つ以上のラジカルを含んでいることを特徴とする不活性化装置。」
請求項4
「霧化部に位置する水が静電霧化を起こす高電圧を印加する電圧印加部を備
え,当該電圧印加部の高電圧の印加によって,大気中で水を静電霧化して,
粒子径が3~50nmであり,花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れかと反応
させて,当該花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れかを不活性化するための帯
電微粒子水を生成し,前記帯電微粒子水は,大気中に放出されることを特徴
とする不活性化装置であって,前記帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,
スーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのいずれか
1つ以上のラジカルを含んでおり,前記帯電微粒子水は,3nm未満の帯電
微粒子水と比較して長寿命であることを特徴とする不活性化装置。」
3 審決の理由
審決の理由は,別紙審決書写しのとおりである。本件訴訟の争点となる部
分の要旨は,① 本件訂正特許発明の粒子径の記載はいずれも明確である
(特許法36条6項2号の要件を満たす。),② 本件訂正特許発明の粒子径
5
に関し,発明の詳細な説明に記載されていないとすることはできない(同項
1号の要件を満たす。),③ 本件訂正特許発明の静電霧化の意味は明確であ
るほか,本件訂正特許発明の静電霧化手段に関し,発明の詳細な説明に記載
されていないとすることはできないし,発明の詳細な説明には,当業者が本
件訂正特許発明の実施ができる程度に明確かつ十分な記載がなされていない
とすることもできない(同項1号及び2号並びに同条4項1号の要件を満た
す。),④ 本件訂正特許発明1及び3はいずれも,I.Wuled LEN
GGOROら「静電噴霧法による液滴およびイオンの発生」粉体工学会誌V
ol.37,No.10(日本,2000年),753~760頁(甲10。
以下「甲10」という。)記載の発明(以下,審決が本件訂正特許発明1と
対比するに当たり認定した甲10記載の発明を「甲10発明1」と,本件訂
正特許発明3と対比するに当たり認定した甲10記載の発明を「甲10発明
2」という。)に,特開平11-155540号公報(甲5。以下「甲5」
という。),特開平7-135945号公報(甲6。以下「甲6」という。)
及び「ラジカル反応・活性種・プラズマによる脱臭・空気清浄技術とマイナ
ス空気イオンの生体への影響と応用」(株)エヌ・ティー・エス発行,20
02年10月15日,218~231頁,363~367頁,389~39
2頁(甲7。以下「甲7」という。)に記載の技術を組み合わせても,当業
者が容易に発明できたものではない(同法29条2項の規定に反しない。),
⑤ 本件訂正特許発明1及び3はいずれも,特開2002-203657号
公報(甲11。以下「甲11」という。)記載の発明(以下,審決が本件訂
正特許発明1と対比するに当たり認定した甲11記載の発明を「甲11発明
1」と,本件訂正特許発明3と対比するに当たり認定した甲11記載の発明
を「甲11発明2」という。)に,甲5ないし7記載の技術を組み合わせて
も,当業者が容易に発明できたものではない(同上),というものである。
上記 ④の結論を導くに当たり,審決が認定した甲10発明1及び2の内
6
容,甲10発明1と本件訂正特許発明1及び甲10発明2と本件訂正特許発
明3との一致点及び相違点は以下のとおりである。
ア 甲10発明1及び2の内容
甲10発明1
「液体を静電噴霧して,粒子径が数nmで幾何標準偏差が1.1程度の
甲10発明2
「導電性の細管の先端に位置する液体が静電噴霧を起こす高電圧を印加
する高圧電源を備え,当該高圧電源の高電圧の印加によって,液体を静
電噴霧して,液滴径が数nmで幾何標準偏差が1.1程度のイオンを含
む液滴を生成する静電噴霧装置」
一致点
「液体を静電霧化して,粒子径が3~50nmの帯電微粒子の液滴を生
相違点
a 相違点10a
「本件訂正特許発明1は,水を静電霧化して帯電微粒子水を生成し,
帯電微粒子水を花粉抗原,黴,菌,ウイルスのいずれかと反応させ,
当該花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れかを不活性化する不活性化方
法であるのに対して,甲10発明1は,帯電微粒子の液滴が,花粉抗
原,黴,菌,ウイルスのいずれかと反応し,それらの何れかを不活性
b 相違点10b
「本件訂正特許発明1では,大気中で水を静電霧化し,帯電微粒子水
は,室内に放出されるのに対し,甲10発明1では,大気中で液体を
7
静電霧化するのか,また,液滴が室内に放出されるのか明らかでない
点」
c 相違点10c
「本件訂正特許発明1では,帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,
スーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのい
ずれか1つ以上のラジカルを含んでいるのに対して,甲10発明1で
は,帯電微粒子の液滴が,そのようなラジカルを含んでいるか不明で
ある点」
一致点
「霧化部に位置する液体が静電霧化を起こす高電圧を印加する電圧印加
部を備え,当該電圧印加部の高電圧の印加によって,水を静電霧化して,
相違点
a 相違点10d
「本件訂正特許発明3は,水を静電霧化して帯電微粒子水を生成し,
花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れかと反応させ,当該花粉抗原,黴,
菌,ウイルスの何れかを不活性化する帯電微粒子水による不活性化装
置であるのに対し,甲10発明2は,帯電微粒子の液滴が,花粉抗原,
黴,菌,ウイルスのいずれかと反応し,それらの何れかを不活性化す
b 相違点10e
「本件訂正特許発明3では,大気中で水を静電噴霧し,帯電微粒子水
は,室内に放出されるのに対し,甲10発明2では,大気中で液体を
静電霧化するのか,また,液滴が室内に放出されるのか明らかでない
点」
8
c 相違点10f
「本件訂正特許発明3では,帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,
スーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのい
ずれか1つ以上のラジカルを含んでいるのに対し,甲10発明2では,
前記 ⑤の結論を導くに当たり,審決が認定した甲11発明1及び2の内
容,甲11発明1と本件訂正特許発明1及び甲11発明2と本件訂正特許発
明3との一致点及び相違点は以下のとおりである。
ア 甲11発明1及び2の内容
甲11発明1
「空気中で水を静電霧化して,0.001μm(1nm)程度の大きさ
である,小イオンを生成し,集塵する方法であって,前記小イオンは,
室内に供給され,さらに,前記小イオンは,水の分子に極小イオンが結
合して水分子のクラスターを核としている,小イオンによる集塵方法」
甲11発明2
「放電電極を兼ねる水管の先端から滴下する水滴がコロナ放電により微
細な水滴となって霧散する高電圧を印加する高圧電源とを備え,該高電
圧の印加によって,空気中で水を静電霧化して,0.001μm(1n
m)程度の大きさである,集塵するための小イオンを生成し,前記小イ
オンは室内に供給される装置」
一致点
「大気中で水を静電霧化して,帯電微粒子水を生成し,室内の空気を清
浄化する帯電微粒子水による方法であって,前記帯電微粒子水は,室内
相違点
9
a 相違点11a
「本件訂正特許発明1は,帯電微粒子水の粒子径が3~50nmであ
るのに対して,甲11発明1は,小イオンの大きさが1nm程度であ
る点」
b 相違点11b
「本件訂正特許発明1は,帯電微粒子水を花粉抗原,黴,菌,ウイル
スのいずれかと反応させ,当該花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れか
を不活性化する不活性化方法であるのに対して,甲11発明1は,小
c 相違点11c
「本件訂正特許発明1では,帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,
スーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのい
ずれか1つ以上のラジカルを含んでいるのに対して,甲11発明1で
は,小イオンがそのようなラジカルを含んでいるか不明である点」
一致点
「霧化部に位置する水が静電霧化を起こす高電圧を印加する電圧印加部
を備え,当該電圧印加部の高電圧の印加によって,大気中で水を静電霧
化して空気を清浄化するための帯電微粒子水を生成し,前記帯電微粒子
相違点
a 相違点11d
「本件訂正特許発明3では,帯電微粒子水の粒子径が,3~50nm
であるのに対して,甲11発明2では,小イオンの大きさが1nm程
度である点」
b 相違点11e
10
「本件訂正特許発明3では,帯電微粒子水が,花粉抗原,黴,菌,ウ
イルスのいずれかと反応させ,当該花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何
れかを不活性化するためのものであるのに対して,甲11発明2は,
c 相違点11f
「本件訂正特許発明3では,帯電微粒子水が,ヒドロキシラジカル,
スーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのい
ずれか1つ以上のラジカルを含んでいるのに対して,甲11発明2で
は,小イオンがそのようなラジカルを含んでいるか不明である点」
第3 原告主張の取消事由
以下のとおり,審決には,粒子径に関する明確性要件の判断の誤り(取消事
由1),粒子径に関するサポート要件の判断の誤り(取消事由2),静電霧化手
段に関するサポート要件及び実施可能要件の判断の誤り(取消事由3),甲1
0を主引例とする進歩性の判断の誤り(取消事由4)及び甲11を主引例とす
る進歩性の判断の誤り(取消事由5)があり,これらの誤りは審決の結論に影
審決は,本件訂正特許発明における「粒子径が3~50nm」とは,凝集
していない個々の粒子のほぼ全てが粒子径3~50nmの範囲に分布してい
しかし,審決は,甲10において静電霧化により生成する液滴の粒径分布
が非常に狭く単分散性が高いことを前提としているが,本件特許の特許請求
の範囲には,粒子のほぼ全てが上記範囲内にあるか否かは何ら記載されてい
ない。
そして,「粒子径が3~50nm」と幅をもって表現された場合に,その
上限,下限の値が,平均粒子径の幅を示しているのか,D50(頻度の累積
11
が50%になる粒子径〔メジアン径〕)の幅を示しているのか,ピーク値
(最大ピークとなる最頻出値)の幅を示しているのか,様々な解釈があり得
るところ,本件特許明細書には,どのような幅を示しているのかの説明はさ
れておらず,本件特許明細書の記載を参酌しても,上記の幅は不明確である。
現に,本件特許明細書の記載を参酌した場合,粒子径の範囲の解釈につい
ては,その記載箇所に応じて,ピーク値の幅と解釈したり(【0024】,粒
子のほぼ全てが範囲内にあると解釈したり(【0038】)する余地があり,
そうすると,「粒子径が3~50nm」との記載については,本件特許明
細書の記載を参酌しても,複数の意味に解釈される余地があるから,本件特
審決は,本件特許明細書【0013】,【0024】及び【0052】の記
載等から,帯電微粒子水の粒子径の上限は,粒子の空間内への拡散性や人の
肌への浸透性の観点から100nmが好ましく,抗原の不活性化の作用や空
気中の湿度に影響を与えないという観点から,50nmが好ましいこと,ま
た,粒子径の下限は,粒子の寿命と抗原の不活性化の作用の観点から3nm
が好ましいことが把握されるから,本件特許明細書に実施例として示された
ものが,20nm付近をピークとして,10~30nmに分布を持つ帯電微
粒子水のみであったとしても,粒子のほぼ全てが粒子径10~30nmの範
囲に分布している帯電微粒子水であれば,室内への拡散性が良いことや,長
寿命であること,抗原の不活性化の作用を奏しつつ,空気中の湿度調整に影
響を与えない等の作用効果を奏することは,当業者が明細書及び図面の記載
12
そして,「粒子径が3~50nm」の意味はピーク値の幅と解釈する余地
が十分にあり,そのように解釈した場合,本件特許明細書には3~50nm
のうちの20nm付近の粒子径についてしか長寿命化と不活性化効果が示さ
れていないのであるから(【0042】,【0045】~【0048】),かか
る実施例を本件訂正特許発明の全体まで拡張ないし一般化することはできな
い。
「粒子径が3~50
nm」との数値は,本件訂正特許発明の課題を解決する作用効果に直結する
重要な数値であるところ,本件特許明細書の実施例には,粒子径3~10n
m未満の部分と粒子径30nm~50nmの部分のいずれについても,長寿
命化という効果を裏付けるデータの記載はない。また,3nm及び50nm
をそれぞれ下限値及び上限値とする不活性化効果については記載されている
ものの,それを裏付けるデータも記載されていないし,帯電微粒子水の長寿
命化についても記載されていない。
したがって,本件特許明細書の具体的な実施例をもって,「粒子径が3~
50nm」の全体についてまで長寿命化と不活性化の各効果が存在するもの
と理解することはできない。
被告は,粒子径3~50nmという数値限定につき,帯電微粒子水の粒子
径を本件発明の課題目的に沿って最適化したものであって,当該上限,下限
値が課題目的を達成し,顕著な作用効果を奏する臨界的意義を有する数値と
いうわけでないから,具体的な測定結果をもって裏付けられている必要はな
い旨主張する。
しかし,本件訂正特許発明の出願時の技術常識に照らすと,本件訂正特許
発明の特徴的な部分は,静電霧化で発生させて殺菌等に用いるラジカルとし
13
て,粒子径が3~50nmの帯電微粒子水に含まれたラジカルを用いる点に
あり,かつ,上記粒子径は,長寿命化と不活性化の双方の技術的課題達成の
ほんと増田に書く目的があることがオナ禁のかなり大きな動機付けになってる。
基本的に自堕落な人間だから、誰も見てないと思ったらいくらでもラクな方に行ってしまうから。
ともかく5日目。
朝起きるのきつかった。
夕方あたりからすごく心身的にだるくなって仕事にまったく集中できなくなった。
早退しようかと思ったくらい。
一応定時まで頑張って帰り着いたらそこまでだるくなかったから、単に仕事に疲れただけだと思う。
エロイ画像も、意識しないとまったく目にはいらなくなるもんなんだな。
これまでが無意識にそういう方向に行き過ぎてたんだろう。
絶対一日の中のどっかで目にしちゃうからってのは言い訳にならない。
問題は土日だなあ。
やったらやったでやりきった充実感と疲労感があるから、何もしてないのに何かやった気になるのもよくないんだよな。
「ドコッチ」は実に惜しい商品だ。
妖怪メダルをはめられるようにすれば大ヒット間違いなしだったのに・・・。
というのは冗談だが、半分本気だ。
この商品は親が子どもの安全を見守るという親側のニーズしか考慮されておらず、子供が積極的に「ドコッチ」を身に着けようとする動機付けが一切考慮されていない。
それが実に惜しい。
簡単でもいいからゲーム性を持たせて子供がそれを身に着けることが楽しい商品にすれば良かったのに。
真っ先に思いつくのは「たまごっち」的な育てゲー。
各種センサーで運動量把握ができるのでその数値によってキャラの成長や性格に変化を付けたり、GPSによって位置ゲーの要素を加えたりできただろうに。
Bluetoothも付いているから、「ドコッチ」を付けた子供同士でキャラやアイテムの交換なんかもできそう。
「都市と星」アーサー・C・クラークなんですね。
あらすじ
遙か未来、銀河帝国の崩壊によって地球に帰還することを余儀なくされた人類は、誕生・死さえも完全管理する驚異の都市ダイアスパーを建造、安住の地と定めた。住民は都市の外に出ることを極度に恐れていたが、ただひとりアルヴィンだけは、未知の世界への憧れを抱きつづけていた。そして、ついに彼が都市の外へ、真実を求める扉を開いたとき、世界は……。20世紀SF界の巨匠が遺した、『幼年期の終り』と並ぶ思弁系SFの傑作、待望の完全新訳版。
都市成立以前の過去の歴史の記憶から不自然に断絶された異常な世界。
都市ダイアスパーが極度に科学技術が発達した永遠の都市であるというSF要素をひとまず脇に置いておけば
決定的な点がもう一つ「都市と星」の主人公の名前、「アルヴィン」です。
この名前は「エルヴィン」と「アルミン」に分裂して進撃の登場人物に引き継がれていますから、作者にはこの二人に仮託した何かがあるんじゃないでしょうか。
作中で外の世界へ行きたい、という強い憧れと自分の欲望に周りの人間を引きずり込んだのが彼らです。
アルミンがいなければ、他の主要登場人物エレンやミカサが外へ行く動機付けはなかったし、アニメにも出てきたあのシーンで外に出てきたりもしなかったでしょう。
エルヴィンに至ってはさもあらんや。調査兵団が何人彼に連れられて壁の外に行き文字通り帰らぬ人となったでしょう。
エルヴィンの一番の理解者はアルミンとまでは言いませんが、(解説役として)真っ先にエルヴィンの非人間性を見抜いたのはアルミンでした。
59話の童○卒業展開も含めてアルミンはどんどん成長してエルヴィンに近づいていく様子。
アルミンは憲兵団の主導で巨人侵攻の翌年に敢行された領土奪還作戦に従軍した両親が死んでおり、エルヴィンも父を中央憲兵に殺されているという共通点があります。
実際のところ、二人とも他のキャラクターと違って敵は巨人ではなく中央政府だと初めから考えていた感があります。
都市と星の主人公アルヴィンは故郷の地球を遠く離れた銀河の中心で、自分の帰る場所はやはり地球であると悟り自ら脱出した星に帰ってくるわけですが、
エルヴィンとアルミンは果たしてどういう結末にたどり着くのかどうか、というのが終盤にさしかかる進撃の巨人の注目ポイントではあるかも知れません。
個人的にはエルヴィンはどこかで死んでアルミンがその意思を継ぐ展開ではないかと思います。
話的にはアルヴィン役が二人いたら片方死んでも問題ないですからね。
肝心なこと忘れてました。
「都市と星」の都市ダイアスパーでは「侵略者」は銀河系に進出した人類を駆逐し地球に追いやったということが伝説として言い伝えられており
その伝説によると、地球に逃げ帰った人間と「侵略者」は契約を結び、地球から出ないのなら人間を滅ぼしはしないという協定を結んだということになっています。
そうであれば都市からでることは問題なさそうですが、侵略者への恐怖から都市の外を見ることさえ忌避しているというのがこの話の普通の都市生活者です。
侵略者はあくまで伝説であり、その「侵略者」の正体が何だったのかというのもお話のポイントにはなってきます。
個人的には「侵略者」は都市の外部へ行くことへの恐怖の象徴、として物語に配置されている印象があります。
「大きな壁の中と外」は読んだことがないです。面白そうですね。
ほか考えたんですけどあんまり思いつきません。
星真一とかが書いてそうだなあと思いますが、だとしても星真一が都市と星を知らないわけがないので、その元ネタということになります……
ていうか閉鎖系のユートピア(デストピア)物で「壁」に囲まれた街って設定って有名どころが全然思いつかないんですが、そういう設定のものって全部元ネタ「都市と星」じゃないですかね。(宇宙船物で起源の失われたユートピア的な話は調べたらハインラインが元ネタじゃないかと)
古典だと、必然的に似たとか孫引きってことも良くありますが、読んでみたらわかりますがこれについては「それはないです」
「進撃の巨人の元ネタがガリバー旅行記だ」みたいなレベルじゃないということです。
ありきたりな設定がしかしいくつも一致しているということと、都市と星の主人公に名前の類似した進撃の登場人物の志向の一致と物語中の立ち位置の完全な一致。
少なくとも作者が参照していることは間違いないでしょう。
くどいようですが、逆ダイエットはもう始まっています。おっぱい。
(前回)http://anond.hatelabo.jp/20140501155231
一番最初の投稿に書いた基本情報を振り返りつつ、逆ダイエットを始めて約3週間の現在の状況を見てみましょう。
◇身長:152cm
◇年齢:20代後半
順調に、増えている…?
元々体格のよい人なら1kg程度の体重増減など誤差の範囲かもしれませんが、自分にとって1kgの増加はがんばった部類に入ると思います。今まで無意識に生活していた頃は体重計の針が凍りついたように41kg地点からピクリともしなかったものです。
ちなみに体重計の「針」と書きましたが、自宅にある体重計は本当に「針」が左右にふれるタイプのもので、正直いって正確さには欠けるものでした。勢いよく乗ったりそろそろと乗ったりするだけで予想以上に数値が大きくなったり小さくなったりします。何より古すぎてガワが剥がれかけている、あちこち錆びている。これでは逆ダイエットにも身が入らない、日々の記録や報告もままならぬ…。
というわけで大人力(経済力)にモノを言わせてより正確な計測のできる体重計を買うことにしました。あまり凝らなければ、100gきざみ程度のデジタル表示の体重計さえあれば良いと思うのですが、自分は筋トレもしつつ健康的に太りたい逆ダイエットの実施者、および無駄に凝り性、そして軽いガジェット好き。ただの体重計では飽き足らない、と体組成計を購入。体組成計とは何か?体重だけでなく、体脂肪率とか筋肉量とかも測ってくれるアレです。
現在、プロテインも2袋目に入り牛乳や豆乳などと飲むことも試したりと少々エンゲル係数の高まりを感じてはいるのですが、「経済力のない学生がいかにお金をかけずにモチベーションを保ちつつTOEICで900点をとるか」みたいなエントリーを目指しているわけではないのでかけられるところにはお金をかけます。社会人にとってはほどほどに投資をした方が動機付けにもなるというものです。
今回購入した体組成計はコレ。
デジタル表示、50g単位での体重測定、体脂肪率、BMI、推定骨量、筋肉量、体内年齢、体水分率、などなどの機能がありともするとオーバースペック気味。でもいいんです。一番興味があったのは、全身各部位別の筋肉量や体脂肪率を測れること、SDカード搭載で日々の測定を自動記録&グラフ管理できるソフトがついてくること。難点をいえばソフトがWindowsのみ対応ということで、MacやiPhoneアプリやクラウドなどでも管理できればもっと使い勝手が良かったのですが。
ちなみにTANITAにした理由は、対抗馬であるオムロンよりも、だいたい3%ほど低く見積もった体脂肪率の測定結果が表示される、というレビューを読んだため。いいんです、いいんです。体脂肪率は上げたいので、多少低めに見積もってくれた方が望む結果も得られましょう。
早速ですが、いま現在の体組成はこんな感じになりました。
5/13(火) 12:00時点
■BMI:18.3
■推定骨量:1.8 kg
■基礎代謝:997 kcal(多い)
■体内年齢:18 才
■体水分率:55.5 %
<各部位の筋肉量>
■右腕:1.35 kg(やや少ない)
■右足:6.00 kg(標準)
<各部位の体脂肪率>
■左腕:19.2 %(やや少ない)
■右腕:17.4 %(やや少ない)
■左足:24.2 %(やや少ない)
■右足:25.6 %(やや少ない)
■体幹:15.3 %(やや少ない)
上半身が弱いのは日本人にありがちな結果ですが、それにしてもやっぱり平均よりは貧弱だなぁという印象。自分は定期的に運動をすると別のエントリーで前述しましたが、別に運動部だったわけでもランニング等の習慣があるわけでもなく、ただただ自転車乗りなので、脚力にはそれなりに自信があるよ、という程度。数値にもそれが現れている気がします。アスリートと比較しての体組成を教えてくれるモードではザックリ言うと「ビギナー→アマチュア→セミアスリート→プロアスリート」などのレベル分けがされます。運動部には一度も入ったことの無い万年文化部のわりに自分は「セミアスリート」と判断されてしまいましたが、やはり体脂肪率の低さが原因なのでしょうか?カッコ書きの中で「少ない」とか「標準」とか記載があるものは、日本の全国平均の数値を元に自分の体組成と比較して、目安として教えてくれる機能もあります。
ただし計測の時間帯によっては1日のうちでもかなりの数値変動があります。そのため毎日なるべく同じ時間帯に計測することが体重測定のコツ。
「父さんはあの雲の中でラピュタを見たんだ!」「そうなの!?それなら、この格好で行くの、寒くない?」
「もちろん、着替えるよ。最適な装備を用意してある。」
本気でラピュタを攻略するために必要な装備とは何でしょうか。十分な予算が確保できたと仮定して、パズー視点で装備を考えてみます。
そのような環境でハードに動き回るために、ゴアテックスのジャケットとズボンを用意しましょう。
ゴアテックスは、水を通さず、湿気だけ通す素材です。
(竜の巣を安全にくぐり抜けるために、バックルなどに金属を使っていないものを選びましょう。)
寒さを防ぐため、ゴアテックスのジャケットの下に、ダウンのジャケットをはおりましょう。
ダウンは毛の間に多くの空気をかかえこむので、高い保温効果があります。
ダウンのジャケットの上にゴアテックスのジャケットを羽織ると、空気が逃げにくくなるので、よりいっそうの保温効果が期待できるでしょう。
その下はウールで揃えます。
ウールには、濡れた時に発熱するという特徴があります(湿潤熱といいます)。
アメリカのインビスタ社が開発した素材、ダクロンQDは、その高い吸汗効果に定評があります。
湿度が高い状況で、汗がこもって冷えてしまうことを防ぐために、下着は吸汗効果があるものを選びましょう。
綿などの素材は、一度濡れると乾きにくいので、決して着てはいけません。
寝袋もダウンでいきます。
その寝袋を、ゴアテックスで出来た袋――シュラフカバーと呼ばれます――で包みます。
テントは今回持って行きません。ラピュタの外で寝泊まりするのは安全だと思えないので、ラピュタ内で眠れることを期待して省略します。
ただし、石の床に直接寝るのは冷えてしまうので、空気を入れて膨らむタイプのマットを用意します。
ひときれのパンも悪くは無いですが、なるべく荷物の量を少なくするため、カロリーメイトをかわりに持って行きましょう。
チョコ・フルーツ・メープル・ポテト、味のバリエーションも豊富です。
これはやはり必要です。冒険の途中で大佐とやりあうことを想定して、大振りのものを持っていくといいでしょう。
(※筆者はナイフに詳しくないので、詳しくはわかりません。どなたか教えて下さい)
光量が高く、電池が切れにくいLEDを使ったヘッドランプを入手しましょう。
作業しながら両手を自由に動かせるので、ヘッドランプは便利です。ランタンは今回の冒険には不要です。かさばります。
以上です。
少なくとも、エンディングで言っているような装備では貧弱過ぎて無謀であることがお分かりいただけたかと思います。どこへ行こうというのかね?
寝る気まんまんなのに、食料カロリーメイトだけ?というツッコミがあるかと思います。
ですが、食料を持って行くと、合わせて鍋やストーブ(コンロ)などを持ち運ばなければならないです。
要するに嫌だからやりたくない、ってだけじゃん。
問題意識を持つなら、なんで問題なのか言えよ。
それ言えないなら、単に「僕はやりたくないからやらない」っていうただの我侭じゃないか?
「答え」を求めてない、ってなんだ?
「問題だ」と思うっことはそこに何かしらのおかしなことがあってそこを改善できる可能性がある、ってことだろ?
それを示せよ。
出来ないなら単なるわがまま以外の何物でもないだろ。
私が思う問題はまず、「様々な場面での合理性の欠如」であって、
そこまではわかりますか?
要するに嫌だからやりたくない、ってだけじゃん。
問題意識を持つなら、なんで問題なのか言えよ。
とあなたは発言しているが、
なぜ問題なのかというと、「無理矢理やらせることで人を人として扱ってないからだ」、とも述べていた。
「答え」を求めてない、ってなんだ?
「問題だ」と思うっことはそこに何かしらのおかしなことがあってそこを改善できる可能性がある、ってことだろ?
それを示せよ。
それに関して言うと「なぜを答えられる必要がある」というのが回答である。
つまり、上司は部下に、それがなぜ必要か「問われたら返せる必要がある」とさんざん言ってきた。
部下は常に「なぜこの仕事をするか」疑問に思っている。
疑問に思うとやる気も出ないし、生産性もあがらないし、生産性があがらないと長期的に見ても不利益だ。
だから、部下がなぜか?と聞いたとき、「これはあの大事なプロジェクトで、こうこうで必要なんだ。それできみに任せている」
むしろ、それもわからず部下に仕事をさせているようでは、どうかと思う。
2〜3秒ですむ事だ。
そして、もし例えば何か上から下の者へやらせることが「伝統で続いているもの」であったとき、
そこには初めてその行儀なり行動をした人たちが考えた思想がある。はずだ。
もし、その思想がわからないまま、ただ闇雲にその行事を継承しても価値がないので、
即刻やめるべき。
私が言いたいのは「なぜかよくわからないけど、とりあえずやっている」とか「常識だからやっている」って言う事が、
それに一切役者は答えられなかったそうだ。
今やっている事はなんのためで、そのためにやらなくちゃいけないんだという
これまで似たような価値観の集まりだったから、そういう発想も出てこなかっただろう。
しかし、今後日本人だけで何かをするというわけにもいかなくなってきた。
だから価値観の違う人間には「論理」でコミニケーションをとる必要がある。
本当にそれでいいのか、フィーリングに頼っていいのか?
と私はこれまで主張してきた。
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20131015/1381840117
2013年9月でテレビアニメ『ガッチャマンクラウズ』は終了したが、それに絡めて(上記URL)書かれたガッチャマンクラウズの描像に違和感を覚えたので、それをきっかけにして『ガッチャマンクラウズ』について私が考えたことを記しておきたい。尚、本稿は読者が『ガッチャマンクラウズ』を最後まで観ていることを前提に書かれている。
さて、上述したブログの筆者(以下Rootport氏)の見解を一言でまとめるなら、『ガッチャマンクラウズ』とは「社会秩序を守るタイプのヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ということになるだろう。だが私は、寧ろそうでなかったからこそ『ガッチャマンクラウズ』は面白かったのであり、現代日本的ヒーロー像を書くことに成功したのではないかと考えている。つまり、『ガッチャマンクラウズ』に登場するヒーローたちは元々が「社会秩序を守るタイプのヒーロー」ではないのではないかということだ。Gメンバーは一ノ瀬はじめが加入するまで確かに襲来する宇宙人達から密かに地球を守っていたが、それは単にJ.Jの指揮下で仕事をこなしていただけであり、奉仕していたのは地球とは文字通り次元の異った高度な秩序である。社会秩序に「人間の理解すら及ばない高度な秩序」は含まないだろう。地球のガッチャマンたちがやらされていたのは全貌を見渡すことのできない「大きな」仕事の一部でしかない。それは結果として地球を守っていたのかもしれないが、積極的に「地球を守る」こととは明らかに違う。『ウルトラマン』が全宇宙的な秩序を守ると言いつつ地球準拠の正義に隷属しているのとは対称的だ。
だが、はじめが加入したことで、ガッチャマンの内実は明らかにそれまでとは異ったものとなる。敵として認識されていたMESSは無害化され、「本来は手出ししない」はずのローカルな事件へ次々と関与していくこととなるのだ。その中でGALAX開発者:爾乃美家 類と出会い、ベルク・カッツェとも関わってゆくこととなる。はじめは何を変えたのか?ガッチャマンたちの「社会秩序を守る」という規範意識か?いや、違う。彼女が齎したのは、そもそも彼らが持っていなかった視座、即ちJ.Jが体現する高度な秩序から離れたローカルな秩序への眼差しである。はじめはそれまでのGメンバーの誰もが実は見ていなかった足元に、持ち前の強引さと直観で目を向けさせた。はじめの出現とベルク・カッツェの暗躍を通して初めて彼らはローカルな秩序と結びついたのである。端的に言って、『ガッチャマンクラウズ』は「社会秩序を守るタイプのヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ではない。変化を受け容れるのは神々の視座に安穏としていたヒーローたちの方で、ローカルな社会秩序=ネットはGALAXによって既に変化をはじめていた。自分たちの変化を受け容れたヒーローは、受け容れて初めてローカルな社会の変化を知りその実感を得るのである。自分が大したことないヤツだと思い知らされたからといって不貞腐れている場合ではない、自分の能力に怯えてうつうつしてる場合ではないと気づき、彼らはようやく立ち上がった。
はじめとベルク・カッツェは真逆の方向からそのことをGメンバーに知らしめる役目を負っていた。彼らはインターネットの正負両側面をそれぞれが体現していたのだ。はじめは世代や職業を越えた人々と繋がりが生むポジティヴな連帯を、ベルク・カッツェは猜疑心と加虐性を無限に増幅させて破壊を生み続けるネガティヴな連帯を象徴し、各々自らがその先頭に立つことで「流れ」を引き込もうとする。この両者は、決してバランスのとれた均衡の上で争っているのではない。はじめがネットツール:GALAXに依拠しながらもあくまで立川市内という極ローカルな連帯を核にしている一方、ベルク・カッツェはネット上にありふれた不満と破壊衝動をほんの少しつついてやるだけで、姿を見せることなく、文字通り「どこからでも」破滅の種子をばら撒くことができた。彼(彼女)が立川に拘ったのは、まさに憎むべきガッチャマンたちがそこを拠点としているからでしかない。この圧倒的に不利で不均衡に思える状況の中で、劇中唯一元来の意味でヒーロー的活躍をしていたのがはじめだ。彼女は一切ブレることのない精神の有り様でローカルな視座から遊離していたガッチャマンたちの視線を「足下」に惹きつけ、ネットの向こう側に存在する人々と結びつけた。これに対し、ベルク・カッツェは爾乃美家 類の能力:クラウズを奪ってネット内で辛うじて留まっていた憎悪と欲望を直接現実世界へと送り込んだ。両者が別々の形でネットと現実を接続させ、物語はクライマックスを迎える…
正体を明かし、それまで触れることのなかった他者を知ったガッチャマンたちは、その時はじめてヒーローになった。はじめて守りたいものを思い浮かべ、傷つきながら戦い、己の無力さを痛感するヒーローの入り口に立ったのだ。それまでの彼らは、与えられた力で全貌の知れない「高度な秩序」に奉仕するだけの傀儡だったとも言えよう。だが、各々の意志で翼を広げて立ち上がった彼らは、従うべき規範を越え、ローカルな秩序を守ることに全力を尽くす。しかし、立川を防衛するという一見ローカルな戦いは、爾乃美家類によってGALAXを通したグローバルなゲームと直接接続された。そのことによって、ローカルはグローバルな舞台となり、グローバルな力がローカルに及ぶ。暴走するクラウズとの戦闘に、Gメンバーとゲームの参加者達は勝利する…皮肉にも、そしてある意味当たり前のことだが、これはベルク・カッツェが行ったことと表裏一体である。いや、同じことだと言ってもいいだろう。彼が先に仕掛けたのは、まさに類が提案したゲームであり、参加の動機付けだけが異なっていたに過ぎない。だからこそはじめは「正義ってなんなんスかね~」と戦いの後で口遊む。彼女は理解しているのだ。理解しているからこそ、ベルク・カッツェとの対話を試みる。
ネットだけでも、人智を越えた力だけでもダメなのだ。戦いを終え、ようやく彼らは入り口に立った。ゲーミフィケーションが世界を救ったようでいて、実は違う。GALAXは、単体では無色透明なツールでしかない。そこに参加する者達がどのような動機を持っているのかによって、はじめにもカッツェにも成り得る。目指すべきは秩序を根底から覆す変革ではなく、既にある秩序の漸進的な「アップデート」なのだ。
『ガッチャマンクラウズ』は「ヒーローは最早必要なく、世界は我々の手に委ねられている」なんて呑気な話ではない。少し長く引用するが、Rootport氏によれば
『ガッチャマンクラウズ』では、誰もがスーパーヒーローに準ずるような力を手にした。『キックアス』のように「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばすのではなく、ほんとうにヒーローにしてしまう。これは現実世界のメタファーと見なせるだろう。ネットが一般化して20年あまり。私たちは実際に、英雄に準ずるような力を手に入れてしまった。
名も無き個人でも、世界に影響を与えられる。匿名のままでも、世界に向けて発信できる。
ということらしい…言いたいことが沢山ある。まず、Rootport氏が言及している映画版『キック・アス』は「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばしてなんかいない。力(スーパーパワーや金)のない者が現実でヒーローになろうとした時にどれだけの代償を払うのかを冷酷に示して見せている作品だ。勿論、コメディ的要素も色濃く入っているが、本質的には「力がなければ正義をなさなくても良いのか?」という問いに否を突きつけようとして、血塗れになる物語である。そして、コミック版の『キック・アス』は映画版を超え、ヒーローをある種の病気として扱い、その行き着く悲惨さと哀しさを描いてみせた。どちらもアメリカ特有のヴィジランテ文化に立脚したヒーローを解体し尽くしても尚、何が残るのかを問うている…大いに話が逸れた。話を戻すが、私達は一般化したネットによって「英雄に準じるような力」を手に入れてなんかいない。決していない。手に入れているのなら、ガッチャマンたちは必要なかっただろう。お役目御免で、そもそも出てこない。人々は手に入れた「英雄に準じるような力」でさっさとカッツェを撃退してしまえばよかったのだ。だが、それはできなかった。代わりに見せつけられたのは、匿名のままでは、名も無き個人のままではダメだということ。匿名でない誰かがインセンティブを与え、ゲームの動機付けを行わなければ動かない現実だ。匿名の誰かによって動かされたゲームが暴走し、手が付けられなくなる様だ。これは何も特別なことがわかったわけではない。ただ、ネットというツールの「当たり前」を見せられただけなのだから。『ガッチャマンクラウズ』は、寧ろ我々が「英雄に準じるような力」を手に入れたわけではないと戒めるような作品だと思っていたのだが…Rootport氏は「世界をアップデートする」をただのキャッチーな標語かなにかとして受け取ったのだろうか?
Rootport氏は細かい点(その実重要な)について気にしないのか気づかないのか、とにかくざっくりした区分けで語る傾向がある。ヒーローの系譜を何故か『マトリックス』から始め、『X-MEN』『スパイダーマン』『V for Vendetta』『まおゆう』『キック・アス』『ダークナイト』『タイガー&バニー』『サイコパス』を辿っていく。日本なの?アメリカなの?どっちなんだ。アメコミの方は何故映画ばかりで原作に言及しないのか。日本のアニメに触れるなら、何故大元の『科学忍者隊ガッチャマン』含めたヒーローアニメの系譜に触れないのか。ライダーや戦隊には何故触れないのか。その辺りが謎である。特にローカルなヒーローモノに触れないのは、『ガッチャマンクラウズ』が描いてみせた「現代日本のヒーロー像」がそれまでのものとどのように違うのかを明らかにできない点で致命的だ。寧ろ『ガッチャマンクラウズ』が彼の言うような作品なのだとしたら、『東のエデン』にこそ触れて比較すべきではないのか?…このRootport氏が諸作品を引用した部分について言いたいことはまだまだ山ほどあるのだが、虚しくなってきたのでこの辺にしておく。
フリーミアムというには太っ腹なこと(テレビで全話放送)をやってる限りは厳しいだろうなあと思いつつ。
円盤が高いってのも売れない原因の1つだと思うけど、今はそれよりも新しいアニメの数が多すぎるっていうのが大きいと思う。
古いものを見返すヒマがあったら新しいアニメを消化するっていうほうに優先度が振り分けられちゃってる。
そこで考えたんだけど、1年4クールのうち、2クール目と4クール目にまったくアニメを放送しないor円盤販促のための古いアニメ再放送のみってしたらどうだろう。
そうしたら前クールの新アニメについてゆっくり語ったりすることで円盤を買う動機付け期間になるし、古いアニメの販促にもなる。
次から次に新しいエサが与えられる環境にいたら古いエサには見向きもしなくなるのも当然だし。
時間があいてじっくりものづくりができる分、次クールに放送されるアニメの質もあがるからアニオタにとってもメリットがある。
ただこれって見る側の視点がメインだから、制作側の問題が解決できないなあ。。。
アニメーターが食っていけないとか。
ヒットする保証もないのに、制作費が増えるから出資リスクが上がってアニメの本数が減ったり、無難なテンプレアニメが増えたりとか。
と考えると見る側にもデメリットになるのか。。。
そもそも時間が空いたらアニメを見る人間の数も減るだろうしなあ。。。
全然だめじゃん。
自分で言っといてなんだけど。
うーん。。。どうしたらいいんだろう。。。
ちなみに俺が円盤を買わない理由はだいたい上に書いたとおり、まず何回も見ない&新作アニメが多すぎる&円盤が高いってところ。
円盤が500円~1000円くらいだったら買ってもいいかなってなるけど、たった2話で6000円とかとても底辺派遣には買えませんわ。
中間搾取もすごいらしいしなー製作者に直接還元できるシステムがあればいいのかな。
コミケか。
どうやってマネタイズするかって難しい。。。
片山さつき×安田浩一 生活保護に関する対談 「本当に困窮して三食食べられない人がどれくらいいると思う?ホームレスが糖尿病になる国ですよ」
やや旬を過ぎた話題かもしれないが、このまとめを面白く読んだ。
片山さつきの晒す無知と無理解にツッコミを入れる読み方をした人が大半だと思うが、この対談における片山さつきの発言から生活保護にネガティブな反応を示す者の抱える典型的な感情を探るという読み方もできるというふうに思った。その意味でこのまとめは大変面白い。
生活保護嫌悪者の典型的な感情が最もよく表れていると思う発言は以下だ。
『私は自力で大蔵省に入りましたよ。問題は自力で頑張った人と頑張らなかった人に差がつかなかったら、誰も頑張らない』
努力の差に対して結果の差をつけることにより努力することの動機付けを高めるべきだ、という趣旨の発言だが、「私は自力で大蔵省に入りましたよ」という言葉からは別の側面もうかがえる。それは社会はどうあるべきか、という大きな話ではなく、もっと個人的な感情だ。
ずばり言おう。生活保護を嫌悪する者が抱える典型的な考えはこうだ。
『私は多くの努力をした。だから、その対価としてより多くを受け取るべきだ』
こうである。
自分の努力を認めてほしい。そんなプリミティブな感情が生活保護嫌悪者の根底にある。
努力というのは支払いである。より多くの努力を支払えばより多くの報酬を受け取ることができる。より多くの練習をすれば試合でより良い成績を残すことができる。より多くの勉強をすればより良い大学に入ることができる。あまり勉強をしなかったAさんと一生懸命勉強をしたBさんならばBさんのほうがより良い大学に入ることができる。そのようになっていることが正しい。そう彼らは考える。
これが彼らにとって正しいのは、人々の努力することに対する動機付けを高めたほうが社会にとって良いからというわけではない。彼らはそんな理屈を口にするかもしれないがそれは頭の中でこしらえたものだ。より努力した者がそうでない者よりより多くを受け取ることが彼らにとって正しい理由、いや、正しくなければならない理由は、単純だ。権利意識のためである。
彼らは例外なく「自分はよく努力をした」と思っている。多くの努力を支払ったと思っている。支払いに対して対価を受け取るというのは実に正当な権利だ。だから、自分が支払った努力に見合う対価を求める。
ここで重要なのが、彼らの求める対価が「これだけのものが私に必要なのでこれだけのものが欲しい」という絶対的基準によるものではないということだ。あくまで彼らは「努力に見合う」対価が欲しいのである。それは相対的な基準による。仮に10の努力をした者が10の対価を受け取っているならば、100の努力をした私は100の対価を受け取る権利がある。もちろん他の人が1000の努力をしたならばその人は1000の対価を受け取る権利がある。彼らはそのように考える。
もちろん実際には努力量を数値化することはできない。自分の10分の1しか頑張っていないように見える人がいたとしても、その人が本当に自分の10分の1の努力しかしていないのかはわからない。
しかし、仮に自分の10分の1の努力しかしていないように見える人間が自分の半分の対価を受け取っているとしたら(この場合対価=年収と考えるとわかりやすいだろう)。おそらく、自分が受け取っている対価が正当な権利の5分の1しかないように感じるのではないだろうか。本来自分はあの人の10倍を受け取る権利があるはずなのに実際には2倍しか貰っていないのだから。
あるいは努力の払い損だと感じることだろう。自分の10分の1の努力で自分の半分の対価が受け取れるのであれば、自分が受け取っている対価に見合う努力量は現在の5分の1だ。不必要に5倍の努力をしていることになってしまう。
このとき、あの努力していないように見える人間も私の見えないところで努力しているのだろう、と考えられたら幸いだ。しかし、その人が働かず毎日パチンコばかりしているような人だったら。見えないところで努力しているのだというストーリーを信じることはできないだろう。そして、権利が侵害されたという感触が鮮やかにに残る。その人が多くを受け取ることにより、私の受け取る対価の価値は目減りしてしまったのだから。私は無駄な努力の支払いをしていたことになってしまうのだから。
この権利が侵害されたという意識、そして己の努力が否定されたという意識が生活保護嫌悪者の根底にあるものだ。
この意識はその人の実存に深く関わることであり、簡単に否定できるものではない。自分が費やした努力の価値を否定できるほど強い人間などどれだけいるだろうか。だから、いくら生活保護の重要性を論理をもって説いたとしても、こういった被害者意識を持つ者には決して響かないだろう。彼らは「正直者が馬鹿を見ない社会を」というあのお決まりの文句で被害者意識をアピールし、対話は平行線上を辿る。
説得の文句としては「生活保護を現物支給にしても余計コストがかさむだけだ」なんてのは最低だ。なぜなら彼らは努力していない者の待遇を悪くすることにより自分の権利を守ろうとしているのだから。そのためならコストなど二の次三の次に決まっている。
これまで様々な生活保護制度を擁護する言説を見てきたが、この生活保護嫌悪者の被害者意識を解体できるようなものはいまだ見たことがない。私としてもこの被害者意識を解きほぐせるような理屈というものは浮かんでこない。
妻が技術書を持って帰ってきた。
妻はウェブエンジニア、とは名ばかりのなんちゃってエンジニアである。
素人の俺が見てもわかるほどのナメた姿勢で、先進的な技術を学ぼうともしないし、仕事を受けるのも積極的だはないようだ。
学生の頃はむしろしっかり者に見えていたから、その変化に最初は戸惑った。
俺が彼女に遅れること一年、社会人になり、仕事の感覚を身につけていくと、彼女の仕事に対する姿勢が気になりだした。
そんな彼女に、俺はこの先生きのこるには〜といったことを何度も言った。
生業としてその職業を選び、携わる以上、情報収集から訓練まで常日頃からことなうべきだと。
でも、その度、喧嘩になった。
妻は、本当は仕事は続けたくない、でも、稼ぐ必要があるからと言った。
話がそこに至るに及び、養えるほど稼ぎのない俺は沈黙した。
遅れて社会に出た俺は去年ようやく彼女の年収を超えた程度。養うにはまだかかる。
なんとかという人が書いた本の訳本らしい。
アサラーと呼ばれる歳に差し掛かった彼女の小さな変化だと思った。
俺は嬉しくなった。いよいよやる気になったんだと思った。
でも違った。聞いたところ、彼女は上司に読むよう指示されたのだった。
経緯を聞いてすぐに不安になった。その上司の考え方が危険過ぎた。
その上司曰く、仕事は実戦であり、家での学習が訓練であるという。だから、闘いの準備は家でして来いと。
建前ではあるが、仕事のトレーニングは仕事の中でこそ行なわれるべきだろう。
なにも手取り足取り教えるというものでもないはずだ。定期的にチェックし、アドバイスを与えるだけでいい。
次に、仕事に対する動機付けが人によって異なることを無視している。
妻は稼ぐために働いている。動機はパートタイマーと大差なく、世界を変えたいとか、社会を良くしたいとまでは考えていない。彼女は春と秋の旅行を楽しみにしている。
そして、一番驚いたのは指示内容だ。
曰く、
“この本を読み、学べ(ここまではいい)。それに従い、働け。
本の内容や、私の指示を無視しても構わない。
ただし、上司である私の指示に従わない以上、上司として責任は取らない。“
これはチームをまとめながら、仕事をする人間の言うことだろうか? 俺はこの上司を否定する。
妻の上司は、自らの価値観を強いているに過ぎない。期待しているのは自分のような人間、または自分のように働く機械なのだ。
妻の姿勢に問題がないとは言わないが、前のめりでないだけでやることはやってるはずだ(なんだかんだで少しずつでも昇給してるし)。
優秀なプレーヤーが優れたマネージャーになるとは限らないと言うが、これがその典型なのではないかと想像する。
協働者として敬い、彼らの仕事に対する動機付けを理解し、その上に教育があるべきだ。そしてその上に実地がある(もちろん理想は、だけれど)。
妻の上司は、それらを否定し、読む本すらも強要し、紋切り型のエンジニアを作ろうとしている。
それを騙しすかしするための小狡さも、フォローするためのマインドシップももっていない。
かつて、その上司のチームにいた女性が、方針についていけなくて退職したと聞いた。
上司は、その女性の姿勢やスキルが足りてなかったと言っていたらしいが、実際は違うだろう。
その女性は、自分の人生を選択し、上司の機械になることを拒否したにすぎない。
妻には、姿勢について改善すべき点はあるが、それは自主的に行われるべきだと思う。言いはするが強いるものではない。
彼女は彼女の人生の中で、職業を選び、働く理由があってそこにいる。仕事は人生の一部だ。
彼女の会社が潰れそうでも、堪えて働くのか、さっさと辞めるのかは本人の選択だ。
俺は妻に、転職先を調べておくべきだと言った。
チーム運営で最も悩む点は、多様な人間の背景と目的を可能な限り成果に向けしめ、ミッションを達成することだと思うが、彼女の上司は機械化することで悩みをないことにしている。そんなところにいるべきではないと。
ダニエルピンクのモチベーション3.0ということがしきりに言われて久しい。
課題に対するアメとムチの動機づけがモチベーション2.0であるのに対して、モチベーション3.0では課題そのものの面白さを追求する。
言い換えれば、学習心理学などにおける内発的動機づけの概念体系を提示したのがモチベーション3.0と言える。
しかし、内発的動機づけは本当に2.0よりも「上」なのだろうか?ここに私は疑問を呈したい。
確かに内発的動機づけを行えば、アメもムチも要らないからローコストではある。頑張った自分へのご褒美(笑)にスイーツ(笑)を買う必要もない。
しかしながら、ピンク自身も言っているように、内発的動機づけはあくまで創造的な業務にこそ役立つものであって、
創造性の要らない業務にあっては、むしろ仕事そのものを面白いと思う気持ちは「邪魔」にすらなりうる。
面白いとその面白さに導かれるがままに探求したくなって、脇道にどんどんそれてしまう恐れがあるのだ。
好きこそものの上手なれという言葉が当然のように受け入れられているが、用法・用量を誤ると取り返しのつかないことになる恐れがある。
基本的に好きになるべきはライフスタイルである。どんな仕事をしてどんな生活をしてどんな人とどんなコトをしてどんな成果を出してどんなふうに歳をとるのか。
そういった全体的なスタイルを好きになることで、その全体を構成する仕事であるとか人であるとかモノであるとか、そういったものに興味が広がっていき、全体の最適化が自動的に起きていく。
創造的な業務の内発的動機づけにしたって同じことで、実はライフスタイルを好きになっている部分があるから良いのだ。
例えば、音楽家は音楽だけでなく、生活全体が発想のヒントになる。だから、音楽そのものを面白いと思うことで、生活全体に視野が広がっていく。だから、内発的動機付けしても害が少ないのだ。
ところが、創造性を要しない業務では、発想を広げる必要がないから、内発的動機づけはその業務にしか視野に入らないような人間を生産してしまう。視野がどんどん狭くなってしまう。
業務に限らず、一般に創造性を必要としない課題に対しては、内発的動機づけを行うのは危険性も考慮に入れる必要がある。
では、アメとムチをやればいいのかというと、それも違う。アメとムチでは課題をやればいいんでしょ、やれば褒美が貰えるんでしょ、締め切りに間に合えばいいんでしょという発想になってしまう。
それでは肝心の課題の中身への観察や考察が欠落してしまい、どんな課題でも多少は必要な創造性が根元から摘み取られてしまう。
業務への内発的動機づけでもなく、アメとムチではないなら何をやればいいのか?答えは、ライフスタイルへの内発的動機付けなのだ。
個々人の人生設計にまで視野を広げる。いまモチベーションマネジメントはそういう時代に来ている。
先述のようにライフスタイル全体にこそ、内発的動機づけを適用されるべきなのだった。
例えば、画家であれば絵を面白いと思うのも結構なことだが、それよりもっと良いのは人生全体を面白いと思うこと、そんなライフスタイルを描くことだ。
でないと、絵のことばかりで人生のこと生活のこと自分のことがあまり見えなくなってしまう。
で、最初は人生全体なんてわからないから、身近なレベルから拡大していく。
例えば、数学が好きだから数学者になりました。数学、確かに楽しいですよ。だけど、数学する一日にも目を向けてみる。
すると数学は主要な楽しみではあるが唯一の楽しみではないことに気付く。また、数学そのものが楽しいだけでなく、
数学を考えながらカフェで過ごす時間が好きだったり、風呂で数学のことをぼんやり考える時間が好きだったりすることにも気付くだろう。
そうして数学で色づけられた、一日全体の「模様」「表情」を見ていく。その「模様」「表情」をもっと面白おかしくするにはどうしたらいいだろう?
そういうことを中心に考えて生活設計、ひいては人生設計していくのである。
そういう全体の見通しなしに内発的動機づけをやみくもに導入しても、表面的にはモチベーションが上がっているようで、