はてなキーワード: 学習心理学とは
ダニエルピンクのモチベーション3.0ということがしきりに言われて久しい。
課題に対するアメとムチの動機づけがモチベーション2.0であるのに対して、モチベーション3.0では課題そのものの面白さを追求する。
言い換えれば、学習心理学などにおける内発的動機づけの概念体系を提示したのがモチベーション3.0と言える。
しかし、内発的動機づけは本当に2.0よりも「上」なのだろうか?ここに私は疑問を呈したい。
確かに内発的動機づけを行えば、アメもムチも要らないからローコストではある。頑張った自分へのご褒美(笑)にスイーツ(笑)を買う必要もない。
しかしながら、ピンク自身も言っているように、内発的動機づけはあくまで創造的な業務にこそ役立つものであって、
創造性の要らない業務にあっては、むしろ仕事そのものを面白いと思う気持ちは「邪魔」にすらなりうる。
面白いとその面白さに導かれるがままに探求したくなって、脇道にどんどんそれてしまう恐れがあるのだ。
好きこそものの上手なれという言葉が当然のように受け入れられているが、用法・用量を誤ると取り返しのつかないことになる恐れがある。
基本的に好きになるべきはライフスタイルである。どんな仕事をしてどんな生活をしてどんな人とどんなコトをしてどんな成果を出してどんなふうに歳をとるのか。
そういった全体的なスタイルを好きになることで、その全体を構成する仕事であるとか人であるとかモノであるとか、そういったものに興味が広がっていき、全体の最適化が自動的に起きていく。
創造的な業務の内発的動機づけにしたって同じことで、実はライフスタイルを好きになっている部分があるから良いのだ。
例えば、音楽家は音楽だけでなく、生活全体が発想のヒントになる。だから、音楽そのものを面白いと思うことで、生活全体に視野が広がっていく。だから、内発的動機付けしても害が少ないのだ。
ところが、創造性を要しない業務では、発想を広げる必要がないから、内発的動機づけはその業務にしか視野に入らないような人間を生産してしまう。視野がどんどん狭くなってしまう。
業務に限らず、一般に創造性を必要としない課題に対しては、内発的動機づけを行うのは危険性も考慮に入れる必要がある。
では、アメとムチをやればいいのかというと、それも違う。アメとムチでは課題をやればいいんでしょ、やれば褒美が貰えるんでしょ、締め切りに間に合えばいいんでしょという発想になってしまう。
それでは肝心の課題の中身への観察や考察が欠落してしまい、どんな課題でも多少は必要な創造性が根元から摘み取られてしまう。
業務への内発的動機づけでもなく、アメとムチではないなら何をやればいいのか?答えは、ライフスタイルへの内発的動機付けなのだ。
個々人の人生設計にまで視野を広げる。いまモチベーションマネジメントはそういう時代に来ている。
先述のようにライフスタイル全体にこそ、内発的動機づけを適用されるべきなのだった。
例えば、画家であれば絵を面白いと思うのも結構なことだが、それよりもっと良いのは人生全体を面白いと思うこと、そんなライフスタイルを描くことだ。
でないと、絵のことばかりで人生のこと生活のこと自分のことがあまり見えなくなってしまう。
で、最初は人生全体なんてわからないから、身近なレベルから拡大していく。
例えば、数学が好きだから数学者になりました。数学、確かに楽しいですよ。だけど、数学する一日にも目を向けてみる。
すると数学は主要な楽しみではあるが唯一の楽しみではないことに気付く。また、数学そのものが楽しいだけでなく、
数学を考えながらカフェで過ごす時間が好きだったり、風呂で数学のことをぼんやり考える時間が好きだったりすることにも気付くだろう。
そうして数学で色づけられた、一日全体の「模様」「表情」を見ていく。その「模様」「表情」をもっと面白おかしくするにはどうしたらいいだろう?
そういうことを中心に考えて生活設計、ひいては人生設計していくのである。
そういう全体の見通しなしに内発的動機づけをやみくもに導入しても、表面的にはモチベーションが上がっているようで、