はてなキーワード: 体感とは
多くの銭湯、サウナ施設が張り紙などで啓蒙しているように、裸になる場所であっても、最低限の感染対策としてサウナ内、風呂場などでマスクなしで会話をするべきではない。
しかしこの前、札幌のとあるサウナに行って、驚くべき光景を目撃した。
サウナ内で客同士で会話はしていなかった。
会話はしていなかったのだが、サウナ内で大勢の客が掛け声、声出しをしていた。
具体的にいうと、熱波士が客に向けて熱波をおくる動きにあわせて、サウナ内の全員が「イチ、ニ、サウナ!」と声を出しているのである。
叫んでるとまではいかないが、個々人が中くらいの声を出して、それが全員分集まってサウナ内に響き渡っていた。
謎の掛け声タイムが始まってすぐ、当方は怖くなってサウナを出たが、サウナ内には10分ほど続けて、声が響いていたように思われる。
これはおそらくこのサウナの文化なんだろう。みんなで声を出して一体感を感じながら熱波を楽しむということなんだろう。
でも、それは果たしてこのコロナ禍においてもやることなんだろうか。
会話はしちゃいけないけど、なぜ掛け声は出してOKなんだろうか。
残念ながら当方にはその必然性が理解できず、安心することはできなかった。
という掛け声をする文化があったので、そそくさと退散することになった。
ハロワの求人ってぶっちゃけゴミが体感で90%以上だと思ってるんだよな。
俺は失業手当を貰うためにしか行かなかった(求職は民間のサイトを活用してた)
まあ、がんばれ。
サーフィンの動画をみるのが好きなのでインスタでちょくちょくみてる
でっかい波のそってる部分(🌊←これの1番上の部分)が波に来ていない側に来る前にうまく逃げ切って乗りこなしている様子……これすごい説明しづらいけどサーフィンの動画はとにかくみてるとうおおー気持ちよさそう〜ってなる
でもこれ自分がもしやってるってなったらめちゃくちゃこわいな〜と思った
たいていうまく波に乗ってる部分しか動画として切り取られてないけど、中途半端に乗ってる最中に転覆しちゃったらこわいよねぇ…
海ん中に急に放り出されてからどんくらいで空気吸えるようになるんだろうとか、水中から顔出せるようになるまでの体感時間って実際よりも長いだろうからますますこええよなぁとか考えちゃう
小学高学年のとき、学校内で模擬選挙をやった。選挙の仕組みを体感しよう!というもので、おそらく多くの学校である行事ではないだろうか。
しかし、私の学校で問題だったのは、「実在する政治家に投票する」ということだった。記憶が曖昧だが、衆議院選挙が行われた時期だったような気がする。与党が、民主党から自民党になった選挙の時期。読売・朝日・毎日といった新聞だけでなく、実際に市で配られた立候補者の新聞も置かれ、2回投票するよう指示があった。
かなり先生たちの気合いを感じたのを覚えている。よく分からないが、①は推し、②は推しグループみたいな感覚でいた。
先生の狙いは、各新聞を自分で読んで比較し、その上で自分で意思決定するというものだったはずだ。しかし、歯車が崩れだす。クラスのNちゃんの存在だ。
Nちゃんはクラスで1,2を争うほど頭が良かった。中学受験のために毎日塾に通い、趣味は新聞の切り抜きであった。クラスには新聞係というものがあり、いままではやる気のない係がサボれるものだったが、彼女が立候補した。学校に届く新聞の興味あるトピックを自分なりの言葉に置き換え、帰りの会で発表するのである。すべて彼女の自発的な行動であり、みんな「すげ~」と思わざるを得なかった。レベルが違うわこの人。
そんなNちゃんにとって、模擬選挙という行事は格好の興味の対象だったのだろう。水を得た魚のように各新聞の主張をまとめ、スクラップし、ノートにまとめていた。
ある日、Nちゃんが帰りの会で「自分の見解」なるものを発表した。いつもは簡単な新聞記事の紹介だったが、その日は少し違った。
彼女はこう言った。「私は、いろいろな新聞を読んで、応援する人を決めました。この立候補者は、公約にちゃんとした主張が書いてあります。これが実現できたら、みんなが平等に幸せになります」
みんなが幸せになる政治。いいじゃないか。それにあの頭の良いNちゃんが言うんだ、ちゃんと調べた上でその結論なのだから間違いなわけがない。私みたいな政治に興味のない一般人が適当に誰かに入れるよりも、Nちゃんの言う通りに投票すれば幸せな政治が待ってるんだ!
私は上のような思考に陥った。今振りかえるとアホだなあと思うが、実際選挙に関心をよせる小学生はそんなにいない。よく分からず適当に投票するくらいだったら、頭の良いNちゃんがオススメするとこに入れよう!となる人がクラスで続出した。
そもそも、道徳を重んじさせられる小学生にとって、共産主義は理想的に映る。みんなが幸せになる、それが一番良いのだ。小学生は、ぺらっぺらの紙に書かれた公約を必ず実現してくれると思い込んでいる。
なお、他のクラスでは自民党か民主党かで割れており、共産党は入る余地がなかったそうだ。そして、実際の選挙でも共産党は与党にはならなかった。実在する政治家で模擬選挙ってやって良かったのか?そこの是非は分からないが、今でも記憶に残ってるくらいの行事にはなった。
ふとNちゃんを思い出す。彼女の親が共産党系だったのか、それとも本当に理想を託して共産党を支持したのか。真相は闇のなかである。
ただ、ここで私は学んだ。頭が良い人の言うとおりにしていれば良いというわけでない。別に共産党が悪いとか自民党が良いという話ではなく、影響力の強い人に流されるのは良くないよねって話。
エスカレーターに対して歩き移動を抑制する根拠はほとんどがデザインの失敗の問題であり、利用者に求める方がおかしい話だから
・メーカーは立ち乗りを推奨している
エスカレーターが利用されて何十年経ってると思ってんだ?
歩いて移動してる人が当たり前にいる現実がある中で必要な耐久性を確保してないメーカー側の無責任のツケをユーザーが払う必要がどこにある?
・片側立ちは効率が悪い
部分的には事実だが、実態とは異なってると体感では思っている。
歩行のトラフィックが半端に多い時(エスカレーター片側の運搬量より若干多い)は片側にトラフィックが集中して無駄な行列が発生しているのは事実だが、
通勤ラッシュなどの確実に混雑する状況では片側立ち+歩きの列が自然に発生しており、利用者の心理状況に応じて最適化が行われている。
片側立ちで待つのがイヤな人は待ってない。
・事故が多い
物理的には始点と終点以外は慣性が働くだけの階段だ。それでエスカレーター歩行で事故が多くなると言われても不思議なことで、
日本エレベーター協会は事故原因に占める割合が多い項目として下記の原因を挙げている。
1)手すりを持たず転倒する(両手に荷物など)。
3)踏段上を歩行し、つまずき転倒する。
5)逆走して駆け上がり(又は駆け下り)、転倒する。
3)踏段上を歩行し、つまずき転倒する。 はエスカレーター歩行が明確な原因だが、階段歩行より有意に危険なのか検討されたかを見ていない。
おそらく降順なので第三位の原因なのだろうが、大問題といえるかどうかは微妙なところだ。
めちゃくちゃ雑に類推して原因の20%だとしても、2018年調査の608件中の120件だ。
日本中の69,907台のエスカレーターで1年中利用して120件。現状でもめちゃくちゃ安全な乗り物じゃないだろうか。
※この記事は、2021年9月26日に行われた田村ゆかり「LOVE ♡ LIVE 2021 *Airy-Fairy Twintail*」横浜アリーナ公演の一ファンによる感想です。
10年程前ゆかり王国民として熱心に活動していたが、生活環境の変化に伴い、徐々にフェードアウトした。
最後に参加したライブは、ゆかりんにとって初めての武道館公演、「LOVE ♡ LIVE 2008 *Chelsea Girl*」だった。
最近ストレス発散に一人カラオケに行くようになった。そのときに歌う曲は、会社の同僚や最近連んでいる友達と行くカラオケでは歌えない、昔好きだった電波ソングやゆかりんの曲だ。そんなきっかけから、Spotifyでゆかりんの曲を聞くようになった。「恋せよ女の子」「童話迷宮」「Cutie Cutie」……曲を聞けばすぐに当時の気持ちを思い出した。このきっかけから、現在のゆかりんの情報を少し検索するようになった。
Kさんは私が王国民だった頃に知り合った。その頃繋がっていた方々とは連絡も取らなくなってしまっていたが、Kさんは、私の誕生日を覚えていてくれて、毎年毎年誕生日に欠かさずメールをくれた。この13年間ずっとである。「おめでとう」「ありがとう」なんてことのない数通のメールのやりとりだが、私はいつしかこのメールをもらうことを毎年心待ちににしている。
そして今年の9月の誕生日、Kさんは今年もメールをくれた。私はそのときにゆかりんのライブに行ってみたいと思っていると返信をしてみた。Kさんは自分の参加体験を元に、チケットや最近のペンライト事情等を丁寧に教えてくれた。
仕事が繁忙期のため予定が決められなかったが、ライブの前日夜に運良く翌日休めることが決まった。最近の曲も分からないし楽しめるだろうかと不安があったが、Kさんの後押しもあり、ドキドキしながらチケットを取った。
●ライブ当日
ライブにはレポやセトリ等何も調べず参加した。現役時代はサイリウムを片手に飛んで、コールをして、汗だくになりながらライブに参加していたが、光るものも何も持参せず会場へと向かった。
会場に入ると懐かしい光景が目の前に広がる。ピンクの法被とハチマキ…「ああ、戻ってきた」と素直に思った。
何より驚いたのが男女比の変化である。13年前は体感として男女比が9:1、もしくは8:2くらいだったが、なんと6:4くらいになっていた。
ライブが始まった。暗転とともに目の前にピンク色の海が広がる。
そこには紛れもなく、13年前と変わらない「ゆかりん」がいた。フリフリの衣装とツインテール、そして可愛い声と振り付け、私が全身全霊をかけて好きだったゆかりんがそこにいた。
この約10年間、田村ゆかりは「ゆかりん」を続けており、「ゆかりん」であり続けていたのだ。
あの気張りすぎていないMC、どこか自信なさげなところ、どこもかしこも私の知っている「ゆかりん」だった。
王国の統制力の高さは健在だった。観客は皆揃って決まった振りをし、然るべきタイミングでズレることなく一斉に手を叩いていた。
かくいう私はほとんどすべてが初めて聞く曲である。ペンライトもない。
周りの人たちの動きを真似していたが、やはりややズレるので、少し恥ずかしい。
変なところで手を叩いてもよくないと思い、控えめにリズムに乗りながらぬるぬると動いていた。
ゆかりんを全身で感じながら、ここはコールが入りそう、長い口上入りそう、そんなことを思いながらライブを楽しんだ。
「fancy baby doll」では、本来「世界一可愛いよ!」というコールが入るところは手拍子で応えるようになっていた。
揃った手拍子は、まさに現実にそのコールが聞こえるかのようだった。ゆかりんもそれを耳を澄まして聞いていて、その呼びかけに応える。言葉のない、しかし熱いコミュニケーションがそこにはあった。
ゆかりんは変わらず「ゆかりん」だったが、そのパフォーマンスや表現力はアップデートされていた。表現の幅は広がっており、新たな面を魅せてくれた。
私が王国を離れて13年の間、いろんなことがあった。嬉しいこと、悲しいこと、様々なことを経験した。
ゆかりんだって同じだろう。迷いや悩みもあることだろう。だからこそ、MCの言葉は深く心に響いた。
ゆかりん、これまでずっと変わらず「ゆかりん」でいてくれてありがとう。
そして、この「ゆかりん」を続けられたのは、ゆかりんを支える桃色男爵やスタッフの方、そして何より応援し続けているファンの力があったからだろう。
ライブを通して、ゆかりんがこの長年のメンバーたちを信頼していることがありありと伝わってきた。
アンコールもアップテンポな曲が続く。あんなにたどたどしく振りをしていた私が、最後の曲では力いっぱい手を上げ、大きな音で拍手をしていた。
ライブが終わった。
ああ、一本締めももうなもうないのかと当時を思い出す。以前はよく隣の席の人に「ライブよかったですね!」と話しかけていたが、それも躊躇われる昨今の状況である。
会場前では皆各々仲間と待ち合わせながら、感想を言い合っている。羨ましい。私も誰かとライブの感想を語りたいし、この13年間の知らないゆかりんを教えてほしい!そんなことを思いつつ、駅へと向かった。
当時は地方に住んでいたが、ファンクラブイベントやライブの度にせっせと都内に通っていた。友達もたくさんできた。当時の交流はmixiが主流で、いろんな人と繋がった。オフ会に参加したり、カラオケオールをしたり…。そんな仲間とライブの度に会えるのが楽しかった。その頃の仲間ももしかしたら同じ会場にいたかもしれない、そんなことを考えるとあたたかな気持ちになる。
13年ぶりにも関わらず、すごく楽しいライブで、最高の時間を過ごすことができた。
ゆかりんは言う。「みんなの声が聞きたいな」
きっと、きっと、その日が来るはずだ。
その時に備えて私も準備をしなければならない。
今回のライブは、「fancy baby doll」と「お気に召すまま」の2曲しか知らなかった。まずは13年分のCDとDVDを買わなければならなさそうだ。
それに、こんな素晴らしい体験をさせてくれたKさんにも直接お礼を言いたい。13年分のありがとうを直接伝えたい。
数々の悪行、身勝手な動機、結果あらゆる所に集約される彼女への憎しみ。それら全てがとても悲しい。
だがかつてあれだけ衝突や惨劇を乗り越え互いを大切に想う仲間達の一人であるはずの沙都子は梨花以外は見えていても見ていない事が何よりも悲しかった。
ただこのひぐらし業卒の沙都子はどうも自分の沙都子像と乖離し過ぎている、業の郷壊し編から既に違和感はあったけど卒で暗躍している様を見る度に「(誰だ?)」とずっと頭に?マークが浮かんでいた。
それは劇中でもちゃっかり描写されてはいるのだがぶっちゃけ「(解ってやってるとか質が悪いしだったら最初からそんな事やるなよ制作陣)」としか言えません。
私が業卒を楽しめない最大の原因がこれ。正直勉強しろとかどうでもいい、こっちはこの子が誰なのかが気になるんだ。
んでこの業条さんを考えている内にある事に気が付いた、この構造って所謂『成り代わり型の転生モノ』のそれに近い感じがあるのでは?と。
たまに漫画の転生モノを試し読みしては「(『誰々に転生した俺/私は~』ってその俺/私はまず誰なんだ!)」と読む度にモヤモヤしていたアレと同じ現象がこっちでも起きていたのだ。
個人的で物凄い偏見な見解で申し訳ないですが、成り代わり型の転生モノって何処の誰ともわからない奴がいくら悪逆無道でもその元になったキャラ像を否定しているのがとても苦手です。
で劇中の他人物は「あいつ変わったな~」程度で基本は良いこととしてスルーされるのでたまには文字通り変わってしまった事に気付いた他キャラが元の人格の行方について考えて欲しいなとは思うのですがそれは最早転生モノに要求される要素じゃないのでそこはまぁよいでしょう。
ただ悲しいかなこれ、元のキャラ像を視聴者が把握しちゃってんのよ。
転生モノだと概ねが劇中劇の作品なので気にはならないのですが今回の場合『ひぐらしのなく頃に』という作品の『北条沙都子』というキャラが現実に存在している結果、何処の誰かもわからない奴に北条沙都子が乗っ取られた悲しみは深いし人によっては
「誰だよお前!元の人格は何処へやったんだよ!」ってなってしまうって訳です。少なくとも私がそれ
こんな転生モノ超見たかったけどいざ体感するとクソオブクソですわ!
ついでに成り代わり型の転生モノだとヴィランが善良化されるのに対しこちらは仲間ポジがヴィラン化してるのでそこも胸糞ポイントですね。
後ついでにエウアさんに関して。
エウアさんはエウアさんでうみねこを知らない人からするとぽっと出も同然、知っていたとしても劇中では業条さんにキッカケを与える程度で自分はだらっと見てるだけ。
当人は「あ~面白れwww」って毎度愉しそうだけどこちらとしては動きが無さすぎてすぐ飽きたよ。
あ、ちなみに残りのメイン各梨花は14話のキレっぷりは酷いし「(な~にOPEDで聖人面してんじゃダラズ)」って思うけど上二人程のモヤモヤは感じてません。後神楽しの羽入は邪魔。
上記二つの見解を踏まえた上で考えたら結局のところ『ひぐらし業卒』って成り代わりの別キャラが無双してぽっと出のキャラが嘲笑ってるだけ、残りの人達はフレーバー程度。
ぶっちゃけこれひぐらしとか抜きにしてもあんま面白くないんじゃないですか?
これだけならまだしも、かつての名作『ひぐらしのなく頃に』を利用した上であらゆる展開を踏みにじられているのでファンは原作レイプに嘆くしエアプはエアプで今作がノイズになって後に原作見てもスッキリしなさそうだしそもそもこんなの見て原作見ようとは思わないだろうから視聴者層は誰が得してんだ?!MAD製作勢か?
そんな訳で私の中で『ひぐらし業卒』は存在を忘却して封殺させた方が良いタイプの作品だと思いました。
長々な上に乱文で申し訳ございません。
最終回どんな展開でブーイングが言えるか楽しみです!
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/finders.me/articles.php?id=3039
それによる影響が仔細に検討されるべきなのに、推進派から「選択できるのに何が不満なのか」「お前には関係ない」とか何の検討をした痕跡もない雑な言説しか出てこないから反対。
影響が検討されてない?本当にそんなアホな考えのがいるのか?と思ったらいるんだな、何も知らない人が。国際結婚の場合は、基本的に夫婦別姓だから、影響も何もあったもんじゃない。その意味では夫婦別姓のシミュレーションはとっくに終わってる。
そして何の問題もない。夫婦の姓が違うだけだぞ?何の問題があると思ったんだ?姓が違うことによる問題点が何だか挙げてみてくれよ。問題なんかあるわけないんだ。もしかしてまだ「一体感がない」とか言い出すのか?そんなことがあるわけがない。それこそ国際結婚への差別だろう。別姓なんて単に当たり前のことだ。わざわざ何かを検討する必要なんてない。
少なくともシステム的にはとっくに影響は検討されて何の問題もない。あんたに知らせないだけだ。
夫婦別姓で問題とされてるのは結婚後の姓変更手続きの問題であって、別姓なら最初から変更しないのだから問題など起こりようがない。
ちなみに、私が知ってる限り、システム上の問題点は、奥さんを扶養に入れる際、苗字が違うので住民票が必要なことだね。
存在を知らずに「検討されるべき」って少なくとも私は国際結婚への差別に見える。国際結婚して別姓で普通に生活している人を見なかったことにしてるのでは?
こういう人は、もしかして本当に日本には夫婦同姓の人しかいないと思ってる?
もうたくさん夫婦別姓の人は日本に住んでいて、何の問題もなく過ごしてるよ。あんたが知らないだけ。
統計上完全な数字は出てこないが、約18万人が日本人の配偶者等と永住者の配偶者等が存在する。
18万人いて、まだ足りないのか?何の問題もなく穏やかに過ごしているのに、いったい何の影響を検討する必要があるんだ?
こういう奴にホント問いたいわ。
夫婦別姓だと何か問題があると思い込んでるのかもしれないが、全くの間違い。なんで夫婦別姓で普通に暮らしているのに、問題があることにされるのか全く分からない。
増田の意見はいくつかの点で傾聴に値する。まず女性表象をめぐる問題ということをちゃんと踏まえて語ってくれている。表現の自由界隈では、この表象の問題、何かをなぞらえて表現することが、単なる表現全般とは違う、なぞらえたものとの関係において権力性や影響や責任を伴う行為であることを、正面から受け止めている人が少ない。そして「ただ、女性表象の批判は賛同者の増減に関しては基本的に分が悪い戦いで、基本的に負け戦を強いられるものだなと見ていて思う」という認識も個人的には同感だ。自分は日本での女性表象の独特な偏りや歪みが現実の女性をめぐる認識や取扱や社会的地位を左右していることを体感的に信じていて(ちな自分はシス男性)、だから女性の経済状況の改善などに比べて女性表象の問題を些末なイシューとは考えたくないんだけど、この感覚は決してメジャーなものではないことも理解している。
Vtuberの身体性についての指摘も面白いと思う。ダナ・ハラウェイとかの問題意識から言えば、vtuberというのは身体性とジェンダー・エクスプレッションを任意に切断したり接合したりできる一種の文化的達成なわけだし、フェミニズムにとっては前進だともとらえられる。フェミニズムの女性表象論は、形式それ自体よりも、その文脈、特に任意性・主体性・当事者性といった要素が重要になってくると思うけど、女性として表現されたvtuberの「中の人」が女性で、vtuberをその「中の人」の自己表象ととらえた場合、フェミニズム的にはストレートな批判が困難になってくる構造がある。レースクイーンやグラビアアイドルのように「本人達には責はないが、そうした表象・価値を求める男性社会の犠牲者(攻撃的な言い方をする人達からすれば、迎合者)」的な位置づけに落ち着いていくかもしれない。
一方で自分は「今回の件が華々しい(無惨な)負け戦」だとまでは思っていなかったりする。フェミ議連を批判する人々はおそらく「勝利」して何かを得たという感覚は乏しく、フェミ議連側も「成果」を上げたことで勝利感を得ていて、そして大多数の傍観者は「どうでもいい」と思っているように思う。いわゆる社民的な活動や地道な女性運動をしてる方々から、件の増田議員が結構問題あるというか、方々で暴走して「味方」に迷惑をかけている人だという話を伺って、今回の脇の甘いムーブについてある程度納得が行ったんだけど、批判側がその脇の甘さをきちんと突けてクリティカルヒットしてるか?というと、そうでもないような。
山田議員については、彼が守ろうとする「表現の自由」とあまり関心を示さない「表現の自由」の間には明らかにセレクティブなバイアスがあるけれども。おぎの他オタ側を自認する他議員に見られるような、フェミニズムやその他PCな価値観への嗜虐的・嘲笑的な態度はこれまであまり見せてこなかったし、そこは本人の矜持なんだろうと信じている。逆に後者のような感覚が強まって勢力を拡大していくと、むしろ山田議員は「オワコン」化してしまうかもしれない、とも思った。
その現実を写す瞳を携え、認識の母体となる小脳を懐き、クオリアの器たる大脳を宿す己の肉体をこそまず第一に穢れと信じるのだ。
故に、女の肉体を憎み、男根に夢を持ち、男色へと思いを馳せる。
穢れなき二次元の男根であろうと、それが一度女性器へと呑み込まれれば現実の体感より穢れが流れ込む。
故に、非実在のアナル、人糞を宿さず、男同士の間で新たな生命さえ宿す幻のアナルを幻視するのだ。
アナルとは尻穴にあらず。
二次元の男色とは穢れなき二次元のアナルへと穢れなき二次元の男根を滑り込ませるものなり。
薄汚い三次元男同士がクソまみれになり踊り狂う妥協と性欲を交えた狂乱とは限りなく違う。
アナルとは、非実在のBLの非実在性を裏付けるための非実在の性器なのだ。
♂の変態アニメオタクが艦これやアイマスのキャラでシコシコするときに使うような「出すはずの穴に入れるという行為により変態性の発露と抑圧された肛門期からの開放のメタファー」などとは限りなく別物なのだ。
胸を揺らすのが気持ち悪いのではない。
机の目の前の壁に貼っていつも眺めている。
ジャンルの特定になるのでぼかすが、推しの公式絵はそう多くは無い。
大好きなその絵を眺めていた。言い過ぎだとは思うがどんな美術品にも勝ると思った。
幸か不幸か、私は絵が描けた。
色んな表情が見たい。色んな服を着て欲しい。穴が開くほど目の前の絵を眺めても、公式とは程遠い出来だったが、推しを想って描いた自分の絵は好きだった。
何年か経って公式の展開も少しずつ増えて、二次創作もよく見かけるようになった。
公式からの供給が無い間にも二次創作を通じて心の隙間を埋めていける文化はとてもいいなと思う。
自分の絵も決して多いとは言えないが反応を貰えるようになった。大好きなものを人と共有出来たことに感動もした。
ある人がSNSで「上手い」イラストを公開した。上手いというのは完成度が高いという意味でもあるが、まるで公式の絵のように感じた。画力が高い人がごまんといるのはこの数年で痛感していたので、確かに公式の絵柄に近づく事が出来る人間もいるのだろう。
けれどその絵を見て「上手い」と思い確かに嫉妬もしたが、同時に違和感も感じた。
「似ている」というより「見た事がある」という感覚だった。
自分の二次創作の歴は浅い方だと思うが、多少なりの知識やルールは複数のジャンルの公式ガイドラインやらSNSでの注意喚起やらで把握はしているつもりだった。
自ジャンルの注意喚起が流れてくる。あの人の絵だった。トレパク疑惑。
私が最初に目にしたイラストでは無かったが過去に公開していたらしいイラストが
ラレ元と重ねてぴったりとハマる検証画像の数々。告発によると常習犯らしかった。
気になってその人のアカウントを覗いた。
注意喚起されている事に気付いているのかいないのか分からないが、普通にイラスト公開を続けているようだ。一番新しいイラストは私の推しだった。
また、見た事があると感じた。
堂々と言える事では無いが、絵師の愚痴を吐く掲示板があるのは知っていた。随分前に知人が教えてくれた。
件の注意喚起を見て掲示板を覗いた。やはりあの人の話題で持ちきりだったが、最新のイラストに触れている人はいなかった。
確信はあった。ソースなんか引っ張ってこなくても目の前にある絵だ。親の顔より見た。
確かめたいだけだった。正直もう見たいとは思わないあの人のイラストを保存した。
私が飾っているのはグッズだったので、公式で公開されているいつもの絵を保存する。
手が震えた。こんな事で保存する事があるのかと思った。
あの人のイラストの上にその画像を重ね、透過させていく。涙が出そうだった。
推しがトレスをされた事が悲しいだとか、疑惑はさておいて自分の絵の実力があの人に及ばない事が悔しいだとかそういう感情からのものではなかった。
美術品の様な推しを透かして、何故、この正直どうでもいい人間の描いた絵に重ねなければいけないのか。
重ならなければいいとさえ思った。ただの一個人の取り越し苦労であればこの画像は無かったことになる。私が推しを透かした事も無かった事に出来る。
二枚はぴったり重なった。
私は、私が透かした推しを見て泣いた。
それからすぐには掲示板に書き込めなかった。自分が画像を透過させたショックのあまり正義は何かとか自問したりしていたのだが、結局しばらく眺めても様子は変わらなかったのでそっと画像を貼った。きっと何事も無く掲示板は進み、告発も変わらず続いていくだろう。
身の一部がと言えば大袈裟かもしれないが、魂の一部、こころの一部が欠けた気分だ。悲しさと虚しさで気力が底をついた。
元気になってまた描けたらいいなと思う。
透かしただけでなぞっては無いからトレースと言い切れないかもしれないけど、それと同じ工程を体感してあまりにも悲しくて誰にも言えなくて。
タイトルに釣られた人はごめんなさい。
この文章は、決して、検証画像を作っている方々を咎めるものではありません。
トレパクをした人間はあくまで自作である事を貫き、全く謝罪をしなかったり、模写だなんだと理由をつける傾向にあるという記事を読みました。
自分がしている事自体を悪いとも思えず、それを教えてくれる人も蔑ろにして、反省も出来ないような人が存在している事はよく解かった。
でもね、お前が透かしてるその絵は誰かにとって唯一無二の物だって事。
お前が何も考えず誰かの愛するものにベタベタと重ねて出来た作品で人を集めて、何百何千と評価されたとしても、その行為で地獄みたいな思いをしている人間がいること。
パク絵だと疑わず純粋に評価してくれていた人でさえ悲しませていること。
どれだけ目を逸らしてもその人達は消えない。
あまりにも公式に類似するような二次創作物は禁止をされる事もあるし、第三者に公式と誤解されかねない作品は注意するべきだと思っています。重なったものに対して「トレスじゃない」と言うのは免罪符にはならない。
ラレ元をあえて公式や企業の版権物を使い「告発されなければ問題無い」と思っているタイプのトレパク。確かに公式や企業はすぐに動かないかもしれない。
守られているのはお前の作品では無く、ルールの上で作られた二次創作です。
それらに甘んじて行う行為には敬意のかけらも感じる事は出来ません。
この世で天罰が下らなくても。
来世まで祟ってやる。
以上です。
長々と失礼いたしました。
やはりペペロンチーノは難しい。
まずオイルソースだが、材料をケチらないで思い切りよく使うのが大切だ。
オリーブオイルはたっぷり目に使う、足りないよりマシだから分量に迷ったら食べ終わっても余るぐらいの勢いでフライパンに入れる。
ニンニクもケチらない。香りが立たない中国産はやめて国産をもったいながらずがばっと使う。
価格的に中国産と国産の中間のスペイン産ニンニクでも代用できるかもしれないが、ここは検証していない。
更に忘れてならないのが唐辛子だ。
ニンニクオイルパスタだから、欠けても形になる気がするが、シンプルなパスタだけに省ける材料などない。
唐辛子の辛味と香りがアクセントになり味に立体感を生み出すので、これを抜くと一気に食べ飽きる平坦な味になってしまう。ちゃんと唐辛子入れよう。
味付けはシンプルに塩のみだが、塩は最悪足りなければ食べてる時に足せばリカバリーできるので、大雑把に目分量で入れつつ迷ったら少なめで構わない。
更にポイントはパスタの茹で加減で、今日はここをミスってしまった。オーバーボイルでパスタがネチャネチャしている。
シンプルなパスタだけにパスタもジャストの茹で加減が求められる。できれば使うパスタの銘柄も絞って茹で加減を一定にできるように茹で工程をマニュアル化すると良いと思う。
一般にペペロンチーノ調理で最も注目される乳化だが、実はここの重要度はあまり高くないと考えている。自分は結構適当だ。
Youtubeでプロのシェフのやり方をみてもバラバラだから、実は正解がないし、曖昧に作ってもそんなに結果に影響しないからやり方がバラバラになるのだと思っている。
…例えばオッサンになってくるとさぁ、ちょっと前の出来事だとおもってたのが、なにいってんだオマエあれはもうn年も前の話だよ?!て言われて気付かされて、ええーっ月日の経つのは早いなぁ!なんて感じることがだんだん増えてくる、時間の経つのが体感的にエラく速いような気がしてくる。。。
それってさ、記憶の一部が所々トンでる(なんとなくHDDのディスクが部分的に読み出し不可能になってるように想像する)から、そこの情報が無いから、ソイツの歴史がグッと短縮されて速くなったようなわけよ?ということはさ、
…ときどき読んだり聞いたりする話にある、「憶えたことを絶対に忘れられない能力」を持つ人たちって、時間が物凄くゆっくり進んでいる気分なんだろうか?
すごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。
風・・・なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、俺たちのほうに。
ネットの画面の向こうには沢山の仲間がいる。決して一人じゃない。
信じよう。そしてともに戦おう。
Kinzaのパッチが当たった正式版が公開されたので、引き続きこき下ろす。
この間 https://anond.hatelabo.jp/20210828113740 を書いたが、DuckDuckGo経由で無事作者に見つかってしまったらしく、ここで指摘を入れた誤字、インストール場所、公開ソースコードのREADMEが全てではないが直ってた。ここ以外にもアンチがそれなりにいるみたいで、作者のTwitterを見る限りメンタルが削られていたようだ。(あれだけTwitterでアンチコメントがあったのを知ってたのに、中途半端な覚悟でエゴサしたからじゃないの?と言いたいが)
アンチがあんなにいるのは人気がある証拠ではないか。もっといろんな人に知ってもらうまたとないチャンスだ。
誤解しないでほしいのは、こき下ろしているのは学生の合間に作った革新的で軽量なブラウザーが自称ではなく価値あるブラウザになることも期待しているからである。ブラウザ作る奴なんてほとんどいないから。
以前利用規約での遊びがひどすぎてふざけてんのかと書いたせいかは知らないが、アップグレードはちゃんとアップロードになっている、個人の感想がなくなっているなど、おふざけはなくなった。しかし、利用規約が以前と比べて長すぎる文章になってしまっている。しかも利用規約に書くべきではない内容はそのままどころか増えているし、もう少し整理できたのでは?
以前、「Ablazeの利用規約に沿って」という文に対してAblazeの利用規約をここに載せろと言ったが、掲載されたのはその利用規約ではなくプライバシーポリシーだった。「Ablazeの利用規約」は「Albazeのプライバシーポリシー」のことなのか?「Ablazeの利用規約」はホームページにも掲載されていないので、結局の所それに何が書かれているのかわからない。何が書かれているかわからない「Ablazeの利用規約」に同意しようがないので、この利用規約に真面目に従えばAblazeの関係者と同団体に盲信する人を除いてFloorpブラウザは規約上誰も使えない代物である。どうせ誰も見ないでスルーして使っているだろうが、きっちり書くべきところがきっちりできていないのは問題である。
所々「書いとけばいいんでしょ」感が出てしまっていて、ただでさえ読まれない利用規約をさらに読む気のしないものになっている。ここまで長くなったのなら、規約本文の見直しをした上でその中にあるプライバシーポリシーを分けた方が良くないか?工夫・配慮が足りない。リリース予定日に追われて、利用規約に割く時間がなかったのだろう。
それにしても、あれだけ長くなってもChromiumのライセンス情報が未だに書かれていないのはどういうことだろうか。著作権表示と許諾表示をドキュメントに書くことが条件になっているので、「BSDライセンスに従って」という書き方ではダメ。その表記で済ませるなら、ドキュメントファイルとかURLとかを明記しないと。Kinzaのパッチのことよりも憂慮するべきことではないのか(これも結構長いのでChromiumと同じようにすればよいのでは?)。
Kinzaのパッチをそのまま当てられるようにしたことで、バージョンがDevチャネル相当の95から89に大幅ダウン。Kinzaのパッチが公開されてからわずか2週間でリリースできたのはこれが理由だろう。Kinzaの言ってるとおり古いバージョンのままでは危険で、常用は避けるべきである。
ちなみに、https://developers-jp.googleblog.com/2021/04/chrome.htmlの通り、Chrome94からメジャーバージョンアップの頻度が6週間から4週間になるらしいが、メジャーバージョンアップについて来られるのかが疑問である。メジャーバージョンアップした正式版に期待が寄せられると思ったが・・・(次節に続く)
というツイートが。あれ?このブラウザって「Kinza派生系ブラウザ」だよね?たった1年ちょっとで終わりなの?
Chromiumのメジャーバージョンアップにかかる手間のことを全く考えていなかったようだ。Kinzaが終了した理由に開発継続に対するコストの問題があるって書いてあったのに。その意味が理解できていなかったのか。2022年まではやると言っているようだが、パッチ適用時のエラー量が多すぎて挫折しているのではないか?本業が学生なんだし、本業を優先するゆえにKinzaの後釜になれないのも仕方のないことだろう。というより、ブラウザ開発は本業と両立できるほど甘くないのでは?
2022年までの理由は、受験を控えているかららしい。受験は作者の人生を左右する大事なことなのでしょうがない面もあるが、Ablazeという非営利団体(?)にはそれをカバーする人が今はいないということも言える。要するに、2022年を過ぎるとメンテナンスする人が誰もいないことになる。早くもFloorpの将来性が危うい。
Fireminによる見せかけのメモリ使用量しか見ていないのは相変わらずのようで、大変残念。あれだけこき下ろしたのに懲りないね。
以前
なんて書いたら某動画で「変なこと言ってる」と言われたが、その動画でもやっぱりWindowsタスクマネージャーの一部分しか見てなくてお前もかよ。恥ずかしい人は作者だけじゃなかったわけだ。まあ仕方ないよ。Floorp軽い!って先に体感してしまってろくに検証せずそれで終わりにしたんだから。
たしかにメモリ圧縮の効果はあるからメモリ不足気味な低スペックPCなら有効かもしれない。けどな、Fireminを他のブラウザでも有効にしたら同じ効果が得られるぞ。ChromeなんかもWindowsタスクマネージャーのメモリの所を見たら数MBになるから。実際そこまで減らないけどな。
某落書きに書いてある
は全くその通り。そう思い込む奴が出てきた一因はこの間裁判に負けたギガなんとかが記事を書いたせい。あと前に言い忘れたけど、ページアウトするってことは、ページファイルへの書き込み頻度が上がってディスクの寿命を縮めるからメモリに余裕がある人はFireminは止めとけとだけ言っておく。
FloorpにはFFmpegのH.264とAACのデコーダが入っているが、それらは特許技術で保護されている。特許の入ったコードをバイナリで配布することに関して、FFmpegは特許侵害の責任は一切持たない方針をとっているので、一部の例外を除いて特許のライセンスを管理しているMPEG LAやVia Licensingとライセンス契約を結ばなければ特許侵害になる。
非商用ならライセンス料がかからないが、個人もしくは非営利団体だからライセンス料がかからないとは限らない。広告収入を得ている場合は非商用と見なされない可能性がある。将来ライセンス管理会社からライセンス料を請求される、最悪の場合特許侵害で裁判沙汰になるので覚悟しよう。ちなみにこれがKinzaが当初はH.264とAAC(と当時はまだ特許が有効だったMP3)の再生ができなかった理由であり、独自実装となった理由である。
以前言ったことが直ったものもあるが直ってないのもいくつかあって、特にhttps://github.com/Ablaze-MIRAI/Floorp-Browserの一文
が象徴的。「大部分の」は直ったが、どうやら「一番軽量」は直す気がないらしい。その誇大広告を直す気が無いのなら、なぜ一番軽量と言い切れるのか証拠を出しましょう。まさかあのメモリカスタマイザーが同梱してるからどの派生ブラウザよりも軽いんだよ、とか言い放つ気ではないだろうな?他のブラウザにFireminを入れてもなお軽いことを示してみてね。頑張って♪
Chromium派生ブラウザを初めてインストールした時に軽いとかほざく奴がいるけど、あれ何も入ってないまっさらな状態のせいだからな。履歴とかクッキーとかキャッシュとかがたまりにたまったブラウザと比べるから軽いって錯覚するだけで、地道なChromiumのコード改造とかしない限りメモリの使い方もパフォーマンスもほとんど同じ。改造以外に差があるとしたらビルドの仕方ぐらい。比べるのはプロファイルを全部コピーして同じにしてからだ。
Floorpは他のブラウザに拡張機能をインストールする!!危険!!!
って意見を持つ必要はありません。FloorpはChromeウェブストアの審査を通過した場合のみ、その機能を採用します。Googleの厳しい審査を受けている為、安全です
というTwitterの発言。大事なことを忘れている。Chromeウェブストア経由でインストールするのはGoogleの審査があるという意味では安全だが、ストア外からのインストールが安全とは言ってない。審査の通ったファイルが変化なくFloorpに入っている保証ができるのか?Floorpを信用するならインストールすればいいと思う。ソフトウェアに署名がないから改ざんされてないかが検証できないけどな。サーバーが乗っ取られて偽ファイルをダウンロードされるような事態を想定できている?何のためにストア外の拡張機能のインストールに管理者権限が必要になったか理由わかってる?
まあ学生が作ったブラウザを信頼するかしないかの問題だな。どうなっても誰も責任は取ってくれない。
今の段階だと、Chromiumのバージョンが古くてセキュリティが怪しいFloorpをわざわざ入れるまでもないんじゃないのか?FloorpSyncというxBrowserSyncベースのブラウザ同期の機能はxBrowserSync拡張機能さえ入れればどのブラウザでも使えるし、そんなに(見せかけの)メモリ使用量削減効果を見たいならFireminを入れればよいわけだし。
FloorpSyncはxBrowserSyncから名前変えただけじゃないの?まあ日本語対応はブラウザの作者がやったらしくそのことは評価できるが、Floorp自体はまだこれといった特徴がない。特徴がないのは開発が始まったばかりで仕方のないことだが、Kinzaのパッチを適用した後どうするかが特になく、将来どうしたいのかがよくわからない。挙げ句の果てにKinza派生系は2022年までという期限が付いてるし。
まあめんどくさがりにはいいんじゃない?同期やらメモリ節約やらを勝手に入れてくれるんだから。
何で批判多いのか自覚がないのは痛い。そういう厚かましさと根拠のない自信がアンチを生んでるんじゃないのか。もうエゴサしてないらしいからこれを見ることはもうないだろうがな。これを書いた屑なアンチを乗り越えてこそ本物だから。メンタル崩壊してる暇はない。しっかりしろ。
オープンソースソフトウェアの名前を変えて、それらを寄せ集めただけのブラウザで終わるのか、このブラウザならではの特徴を持ったブラウザに成長するかは作者次第。今のところは前者で開発終了になるのが目に見えている。いろいろな人から期待されている割には軽い気持ちで作っているように見受けられ、ブラウザ開発の覚悟が足りていない。
https://www.kbaba1001.com/entry/2021/09/17/073149
https://zenn.dev/nobonobo/articles/74808a8d5e6f1e
この辺とかブコメとか見てて思ったけど Go 言語界隈の人たち頻繁に争ってる気がするけどなんでなんだろうか。
自民党総裁選候補に絡んでネトウヨ的なものがTwitterでよく目に入るようになっている。
"夫婦別姓は、本当に、絶対ダメなんです!メチャメチャ丁寧に説明しますので!~夫婦別姓の恐るべき社会~" と題された竹田氏の動画、もう吐き気を催すほどに話し方も内容もひどいのだが、がんばってだいたい見てみたので、感想がてら考えたことをメモしておく。
https://www.youtube.com/watch?v=4RwRZpYyCas
「絶対ダメなんです!メチャメチャ丁寧に説明しますので!」と言ってるわりには、特にダメな理由など理由立てて話していないし、家制度と戸籍の関係や、明治憲法下の家制度と現在の夫婦の姓の問題の関係など、に触れもせず整理もせず「日本の伝統」でごり押ししているので、聞くに値しなかった。「選択的夫婦別姓は通称の拡大でなぜだめなのか」という問いについては「通称の拡大はなぜ選択的夫婦別姓でだめなのか」と対称に返されて終わりである。それに「日本の伝統」でごり押しでは議論にならない。もちろん、日本の家系が重要な文化であることは論を俟たない。特に地方の名士については、是非とも残し、引き継いでいくべきだと考えるし、そういった家の歴史の記録を国家が戸籍制度をうまく使うことで支援できるのならばよいことだと思っている。
しかし、(偽家系図が流行するなど家系というものに価値が置かれた)江戸以前から続くそれと、夫婦別姓の話は別であるということは、法務省のサイトでも、
Q5 夫婦が必ず同じ氏を名乗ることになったのは,いつからですか。
と掲載されている通りである。そんなに家の歴史が大事ならば、家の歴史を残す支援をすべきであって、明治以降に作られた国家管理の便宜的な仕組みである夫婦同姓を過剰に重要視し、個々人の尊厳の喪失と手間の増加を強いるべきではない。
一方で、個人的には「姓」というものにそこまでこだわるのもあまり共感できないので、
Q4 なぜ,選択的夫婦別氏制度の導入を希望する人がいるのですか。
…(1)代々受け継がれてきた氏を大切にしたいという感情を持つ人が増えていることから,一人っ子同士の結婚のような場合に,氏を変えることが事実上結婚の障害と…
みたいなのも、わかるようなわからないような。たまたま、元カノが2人くらい連続して(苗字のサーチサイトの言うことなのでそんなにアテにはならないが)全国で10軒以下で苗字を維持するのが条件ということだったので、母に「俺苗字を妻のものにするかも」と言ってみたら「長男なのに!」とえらく憤慨され、「は?」と思ったり、弟も最近似たような状況がありやたら(父より)母に反対され、まあ「自分が捨てたものを他人が捨てずに済むのが許せない」に近い感情であることは見て取れるのだが、どちらにするにせよ、この、元カノにしろ母にしろ、女性側がこだわるというのは、最近よく見る、よく体感する状況で、「問題にぶち当たる側がより強い感情を持つパターン」なのだと思う(これに名前ありますか?)。「日本人」のアイデンティティを日本からの移民の方が強く持っていたり、「科学とは何か」ということについて科学の実践者であるということが自他ともに自明視されている理系より境界領域や文系の人間の方がよく考えていたりするのも、似たようなメカニズムだと思っている。当の竹田氏もjawpによると著作『旧皇族が語る天皇の日本史』などで自身が「旧皇族である」と自称してのちに論争で「私がいつ皇族を自称したのか、その根拠を示してほしいです」と言っていた話が書かれているが、そういう微妙な立場にいるからこそ、家系に感情的なこだわりを持っているのだろう。(←「動機」の推測は議論においてなすべきではないが、これはどういうひとがどういうこだわりを持つかという「動機のメカニズム」について考えることで、自分の「動機の偏り」を明示するための段落である)
つまり、たぶん、男だから、皇族との関係など十分に薄いからというのもあるけど、そもそも「選択的夫婦別氏制度」反対側にも賛成側にも、感情的には「どっちでもええやん…。…まあだからこそ"どっちでもいい"ことを支持する"選択的"夫婦別氏制度を支持するけど」という気分で、私は「選択的夫婦別氏制度」にとりあえず賛成である。
途中、名前を毎日変えられたら犯罪し放題、みたいな関係のない話が差しはさまれているけれど、それは個人の犯罪歴をどのようにトラッキングし社会的に共有するかという問題である。姓の話と全くと言っていいほど関係がない。姓名がユニークIDとして機能しないのだから名前を犯罪のトラッキングに使うことには問題があるし、この苗字は日本人っぽくないとか誤謬をよくやらかしている界隈っぽい考え方である。どんな名前を使っていようが、契約をするときに相手の詐欺に関する犯罪歴が見れるとかは今後社会実装されてほしい。そして、家に迷惑をかけないということが犯罪の抑止力になると思っているのだろうが、そんなものは姓がどうとか関係なく常習的に犯罪に手を染める層ではとうに底が抜けているし、親が犯罪者であるからと不条理な偏見にさらされる人たちを見てマジで最悪な考え方だと思っている。
他に「根無し草」という言葉が出てきて、オルテガの déraciné あたりに由来しているんだと思うんだけど(それを YouTube のコメント欄で竹田氏のオリジナルだと思って称賛しているコメとかあった。そういう層が騙されるんだろう)地域コミュニティを「根」として考えたオルテガのそれと、日本独自の文化だと言っている家制度の「根」を同一視して喪失を問題にしているのは、日本には地域コミュニティなど再興しえないという意図なんだろうかねぇ(そんなに考えてないだろう)