はてなキーワード: 予定調和とは
○朝食:なし
○アンケート結果
トゥーヒューマンに決定です!
えいえい!
○調子
はややー。
2日も休んでたので、割と色々溜まってて大変だった。
けど、まだ本調子じゃなかったので、適度に手を抜きつつ頑張った。
明日は新人さんの歓迎会だったんだけど、さすがにこの調子で飲み会に参加するのはしんどいので、キャンセルをしてもらったりとかが一番大変だった。
なんか、そういうの苦手なんだよね。
帰ってきたら、なんとなくゲームより読書の気分だったので、久々に本を読んでいた。
あるキャラが推理を披露するんだけど、それを別のキャラに否定されて、否定されっぱなしで終わるという
「え? じゃあ?」とぽかーんとする終わり方が続く連作短編集。
オチはまあある意味予定調和なのかもだけど、この狂おしい予定調和が恐ろしくて怖いお話だった。
単行本を積んだまま文庫を買ったけど、面白かったので、さっさと読んでおけばよかった。
○トゥーヒューマン
●3DS
○ポケとる
土曜夜10時頃に友達の車で3人で宮城から横浜へ出発。溜め込んでいたアイドルタイムプリパラを視聴しながらの移動。これは正解だった。
これから見るVRライブへの期待を膨らませるのと、しゅうか様という魅力的なアイドルを見る事が出来たからだ。
アイドルタイムイズマネーは今からでも十二分に流行語大賞を取れるポテンシャルを持っている。
ちなみにファララがライブをする直前辺りから記憶が無い。運転手をした友人に感謝。
車で仮眠などを取りながら友人の当日券はないのか、という言葉を聞いてチケットサイトを調べた。当日券があった。
私達は午後19時からのC公演のチケットしか持っていなかったのだ。
そこからは激しい論戦があったが最終的にB公演のチケットだけを取ることにした。これは正解であり、失敗だった。私達はA公演も見るべきだったのだ。
あの素晴らしいライブ、スペシャルゲストのトリコロール、そして配布のコーデ。
運転手をしてくれた友人には悪いがあれは和を乱してまでも見るべきものだったと今なら言える。
コーデに関しては私のお気に入りであるガーネットアラブの色違いだと家に帰ってから気づいたのだった。
B公演の席は半分ほど空いていた。
ライブという文化を避けてきたためペンライトは持っていなかったし、最初は買う必要は無いと思った。しかし、ライブが始まるとあれ程の手持ち無沙汰感は無い。終わってからペンライトを購入した。
これからライブの感想に入るが曲目については誰も触れていないので私も触れないようにしておく。
一番手は夢川ゆいからだ。アイドルタイムが溜まり、ライブが始まる。
実は私はVRについて半信半疑だった。後述するマイキャラちゃんが登場するマイキャラランウェイをメインにここまで来たからだ。
曲が始まるとキャラクターが現れる。ステージの上でキャラクターが、夢川ゆいが踊っていた。あまりの感動に友達が隣にいなかったら泣いていたかもしれない。ゲームでもアニメでも無く、キャラクターが確かにそこにいると感じた。
歌って踊るゆいを目の前にした私は語彙力を失ってただただ「すごい」というしかなかった。
この感動は他の何物にも例えることが出来ないだろう。
歌が終わるとキャラクターによるMCが入る。アニメで見たままのゆいが話している。ユメっている。そしてらぁらもまたVRで登場する。
喋っていないキャラクターも棒立ちなのではなく、そのキャラクターの個性が現れていたと思う。
みれぃは客席を意識しているように見えたし、ドロシーとシオンが暴走したときのレオナの焦りはまさにそのステージ上にキャラクターが存在していると感じさせられた。シオンがピシッと立っていて微動だにしなかったのはシオンらしさを感じたし、少し笑った。
振り付けはアニメやゲームでは見えない部分が見れてとてもよかった。それにそれぞれのキャラクターの振り付けが少しズレていたりするところでリアルさと存在感が増したと思う。
これ程までにルールを破って撮影したいと思ったことはない。ステージ上で踊るキャラを全て追うのは私には不可能だった。
この後C公演を見るのだがそれでも足りなかったと先に書いておく。
らぁらとゆいはアンコールにも応えてくれた。それが録音された予定調和だったとしてもキャラクターを目の前にした私にはとても嬉しいことだった。
曲目は書かないがその曲をそのコーデで演るかという唸るような演出もあった。
キャラクター達のライブが終わると次は観客達のマイキャラちゃんが登場するマイキャラランウェイだ。
これは入場時に預けたトモチケから抽選で30人が選ばれるというもので、当たればスクリーンにマイキャラちゃんが現れる。
結果から言えば私のマイキャラ、はいねちゃんがスクリーンに登場した。しかし私は焦りすぎて写真を取ることが出来なかった。
VRが期待外れだったら立ち直れないほどショックを受けていただろうがVRライブは予想を大きく上回るとても素晴らしいものだったためそこまで大きなダメージを受けずに済んだ。
ライブの全てが終了し、退場すると出口でステッカーを配っていた。聞くと映像に乱れがあったお詫びらしい。ステッカーはシオンだった。何故なのか。
ライブシアターを出て近くにあった鶏料理専門店の居酒屋っぽいところで夕食。
頼んだのはあじみ先生の大好物であるチキンライスだ。私はあじみ先生推しである。
食休み経てC公演へ。
入場時に今度はらぁらのドリンクとまた缶バッジを購入。ステッカーはドロシーで缶バッジはシオンだった。何故なのか。
プリパラガールズのあいみぃさんやそらみスマイルの声優さんが来るスペシャル公演だったから当然だろう。
友達の真横を声優さんが通ったり、友達が違反チケットを貰っていたりしたが声優さんについては詳しくないので割愛させて頂く。
さっき見たばかりのライブでも少しも飽きを感じることはなかった。
C公演のスペシャルゲストはファルルとジュリィ。私はジュリィも好きで食い入るように見ていたがランウェイが無いのが残念だった。まあこれは仕方のないことなのだが。
私はこのライブの内容を正確に伝える自信はないし、正確に伝えられなくていいと思う。
この感覚はライブを直接見た人間の特権だ。なので感想を誰かに言うときはアサヒに倣って、「ヤベー」「チョーヤベー」「マジヤベー」で済ます。
そして帰り道ですでに、今現在もまだVRロスに襲われている。
※「内向的な人間が言われて嫌だった言葉とか色々」ってのがタイトルとしては正しいです。逆の意味で捉えられた方申し訳ありません。
内向的と外向的の大きな内訳についてはたくさんの人が絵付きで解説してくれているので知らなければ調べてくれるとうれしい
ざっくり言うと
という感じだろうか、個人的認識なので間違ってたらごめんなさい
意外と書いてくれてないことに、ベースに内向的と外向的があるだけで、殆どの人は偏りはあれど両方の面を持っており、最近たまに見る右脳左脳型テストみたいに、
超内向型、内向型、内向型寄り、ハイブリッド型、外向型寄り、外向型、超外向型
みたいなのが有ると思っておくとよいかと思う。
内向的でもコミュニケーションの場であるパーティとかウェーイのノリは状況次第で楽しむことは可能だがMPダメージをめっちゃ食らう、僕の体感は10倍位。
外向型でも一人の時間を楽しむ事は可能、但し内向型ほど長時間は難しいし、MPダメージになることも有る。
そしてお互いに程度は違えど、一人の時間と他人とのコミュニケーションは全員が両方必要としている。一方だけだとバランスが取れない、って感じで僕は理解してます。
内向型の僕が個人的にすごく嫌だった言葉がいくつか有るので列挙する。中には内向的関係ないのもあるかもしれないです。
なぜ嫌だったのかを書いているが、甘えに満ちた内容なのは承知の上ですが、一応一旦言葉になっちゃったものなので消さずに残してます。
とまあ色々上げてみたんだけど、文章にしてみると大半が甘えと判断してもおかしくないなとも思うわけで、理解を深めるため文にして整理してみたんだけど、やっぱ伝わりにくいなと思った
この手の話をしているとよく言われるのが、「お前めんどくさい」という言葉で、まあそうやって考えないと生きてこれなかった人と、そう考えなくても生きてこれた人にとって、後者が前者を面倒だと思う事は多いだろうなって思う。
最近、この状況を少しずつ良くするために下記は心がけている。
この行動に至ったのは上司に言われたのだけど、
「苦手な分野では小手先のテクニックのようなものでかまわないから、最低点を取れるようにしておかないと、必要ないところで敵に付け入るスキを与えてしまう」
という説得。なんかこれならやる気になる。
言葉がとても大事というか、自分が思ったより単純だったのかよくわからないけどすごく響いた。最終的には内向的と外向的のちょうど真ん中あたりを目指すのが、最も色んな人を理解できる可能性が高いのかなと思っている。
皆様ありがとうございました。
匿名日記の特性上、決して口には出さないけど心に浮かんできてしまった汚い感情と言うものを吐き出すような場所だと思っており、どうせ殆ど見ないだろうと思いながら書いてました。不快にさせてしまったら申し訳ありませんでした。
最後に書いていたように視野を広げる為にいろいろなことを試し始めて、最近少しずつ効果が出てきたかなと思ったので、自分がどう感じていたのかを整理するついでにここに書いてみました。
言い訳で申し訳ないのですが、長めの文章書くこと自体殆どやらないので、、、これだけ長い文章書いたら通じない事も多いだろうし、揚げ足も取られまくるだろうし、誤解与える事も多いだろうなと思っていたのですが、そもそもタイトルから2つの意味に取れるというレベルのやらかしをしていたのはホントにすみませんでした。
コメントを色々頂いているのでざっくりとした回答をば失礼します。
ほんとにすみません。反応が一番多かったのはここへのツッコミでした。本当に日本語勉強しないといけないと思いました。
これらについては、ネット診断などの判断基準を見ていると、結構該当するなとは思っています。一方で、所謂コミュ障、アスペ、発達障害というのは、自分でその状態が駄目だと思うことで、初めて自覚するものでも有るのかなと思っていて、その状態で駄目と思わずに対処方法を見つけていくと、深刻な状況にならない可能性もあるかなと思います。
うまい付き合い方見つけられると良いのかなと思うのだけど、そのあたりはどうしても他力本願になるのでまあ難しいですね。個人的にはその可能性がある人間を見つけた場合、そこを問題として矯正するのではなく、深刻化しない為に何が出来るかを考えられる人間でありたいです。
確かに以前は完全に見下してましたし、当時のことを思い出しながら書いてたのでその部分が隠せてないのも自覚してます。すみません。一度見下した人間がもう見下してないと言っても説得力ないのですが、いまは尊敬出来るところはしてますし、間違っていると思ったところはちゃんと言うようにしてますが、やっぱめんどくさがられることは多いですね。ここはうまくやるにはどうしたら良いか試行錯誤中です。
すみません確かに日本国内での比率は明確にはわかりません。僕自身が今までいたコミュニティでは違和感のない比率かと思い国内の比率を調査しておりませんでした。
おっしゃる通りで、代表しているつもりはなかったのですが、読み直すとその感じありますね、気をつけます。ただ僕の認識だと全く関係ないってことはないだろうなとも思っています。
もしかしたらコメントないけど一人か二人位こういうコメント残してくれたらちょっとコメ欄賑やかになるかなと密かに期待をしていたのですが、予想以上に多く反応してもらえて嬉しいです。逆パターン書いてくれた人がいたのは面白くて参考になりました。
回答できていない指摘などもございますが、一旦ここまでで回答とさせていただきます。
ありがとうございました。
足掛け5年以上好きなアニメシリーズの舞台となった街で、大洗規模とは言わないまでも、アニメツーリズムの成功例として数えていい聖地だ。
作中の景色や店が実在のものに忠実なこともあり、街の至るところに作品ゆかりの趣向が凝らされていると言う。
もともと巡礼に興味があった訳ではないが、古い友人(僕の後追いでその作品にハマった)からの熱いプッシュを受け、秋のオタク小旅行敢行と相成った。
シリーズを一から復習してやはりすばらしい作品だという思いも新たにし、いざ準備万端。時季外れの台風の影響は危ぶまれたものの、期待胸いっぱいに飛行機に乗り込んだ。
オタクというのは、秋葉原だろうが地方都市だろうが、一目でそれとわかるのはなぜなのだろう…。明らかに同じ目的を持った観光客たちとすれ違いながら、まず小雨の降る街を散策。カットの数々が蘇ってくるような景色を目にして最初に感じたのは、思っていたほどの感動はない、ということだった。
確かに、好きな作品の美術の中に飛び込んだような錯覚には、ある種の感慨がある。だが、僕はどうしても「(キャラ名)たちはここを歩いたんだ!」と興奮する隣の友人と同じテンションにはなれなかった。
そういえば僕は、アニメやマンガの二次元的世界と現実をリンクさせて考えるのがあまり得意ではない。コスプレには興味を持てないし、ポケモンGOが流行った時も、自分がスマホ越しに見ている景色にポケモンが現れるという虚実の交じり方がしっくりこなかった。ポケモンは、ゲームボーイやDSの世界にしか現れなくていいと思ったのだ。
だから、聖地に行ってみて僕が覚えた感動というのは「監督とスタッフはここからあの作品、あの場面、あのセリフを着想したのだ」というものに過ぎず、登場人物たちの暮らしの疑似追体験をしている気分にひたるのは難しかった。
街はきれいだった。雨のせいで写真撮影はままならず、予定されていた屋外イベントも中止になってしまったが、好きな作品についてあれこれ話しながら街を歩くのは単純に楽しかった。
また、至るところにアニメのグッズやキャラが使われていたのは聞いていた通りだったが、地元の人たちがとりわけ僕らに親切な訳ではないのも逆におもしろかった。「美少女がたくさん出てくるアニメを見て、そこに出てきた地方の街にわざわざ旅行する」オタクは、地方に住む一般的中高年の人々にとって理解しがたい存在なのだろう。それでもなお、観光客としてフラットに受け入れてくれていることはありがたい。謝意は消費で示したつもりだ。
ただ、今回の聖地巡礼に普通の旅行+αの良さがあったかというと、必ずしもそうではなかった。よくよく考えると、僕が旅行でおもしろさを感じるのはいつも「そこに行くまで知らなかったもの」との出会いだった。一方、聖地巡礼はアニメで既に見たことのある場所への再訪になる。言わば、予定調和の旅だ。前述したような二次元的世界を現実に透かして見られる人は、キャラへの思い入れなんかでそこに感動が上乗せできるのかもしれない。
作品を見直している間、ここに行ったりこれを見たりしたら泣いてしまうんじゃないかと思っていたのだが、そこまで感極まることもなかった。身もふたもないが、結局アニメを見ている時の方が感動は大きかったのだ。この発見は、我ながら結構おもしろいと思う。
作品内でキーモチーフとなる飲食店があるのだが、モデルとなった店舗には長蛇の列(全員オタク)ができていた。漏れなく僕ら(オタク)も並んだ。この日、店では作品とのコラボメニューに注文を限定していた。店側のサービス精神や作品への寄り添い方は尊敬に値するものだし、キャパ以上のオタクを捌く現実的な対策として、メニューを一品に絞るのは仕方がないことだ。
しかし正直なところ、旅先でアニメのコラボカフェメニューのような食事をしたい訳ではなかった。そこに行くまで食べたことのなかったご当地グルメ、との出会いが欲しかった。
友人と別れた後、聖地から少し離れた街に足を伸ばしてしばし散策した。その街の老舗飲食店で、地味だが底力のある旨いあれこれにありついた時、なんだかほっとした。僕にとっての旅行の醍醐味は結局こっちなんだ、と思った。
聖地スポットでいくつか回れなかった所があり、友人はまた来ようと誘ってくれた。しかし、僕はもう聖地巡礼はしないと思う。あの街にまた行きたいと思うことはあるだろうが、それも近い未来のことではない気がしている。
100%楽しめた旅行ではなかったし、これを読んで作品信者の風上にもおけん奴と言われるかもしれない。それでも、行ってみてよかった。
○朝食:ハヤシライス
○昼食:なし
○調子
はややー。
お休みですので、掃除したり、ゲームしたり、散歩したりしていました。
これで、今月の中頃ぐらいからプレイしていた、ケムコADVのシリーズは一通りプレイし終えた。
シリーズ外の文章を読む作品もあるみたいだけど、アンドロイド端末は持ってないので、ここら辺で一旦区切りとしよう。
来週もお仕事頑張るぞいや。
今月は、東京出張とかがあるので、体を壊さないように気をつけないとなあ。
●スイッチ
暴露モード、エキストラシナリオ、家庭用追加シナリオ、全てクリア。
ケムコADVシリーズの中でも、なんならADVジャンルのオールタイムベスト、いや、ゲームとしてのオールタイムベスト級の超超超超面白い作品だった。
昨日も書いたけど、とにかくあのキャラの「狂気」が凄まじかった。
要所要所の「滾る!」展開は、過去作品も負けてないと思うけども、
この作品はこの滾りに「狂気」が味付けされていて、そこがもう、今まで味わったことがない、すごい面白さになってる。
「え? ここから踏ん張るの? がんばえー、まけるなー、がんばえー!」
と、キャラクタの頭の良さに滾ることが多いし、
それらと同じぐらい
「え? すごいけど、こいつ狂ってる…… こわい……」
と思わせられるのが、もうなんか途轍もなく面白かった。
何がすごいって、この「滾る展開」が合計で五回ぐらいあって、
毎回毎回、その狂気に底知れなさを感じるところ。
クリア終えた今でも、底が見えないあのキャラはとにかくすごかった。
ただ、5本目のエキストラシナリオと、暴露モードでのオチを、ネットのレビューで過去作品のキャラが出るぞ、と読んでいたので知っていたせいで、
いや、こんなのレビューを読む僕が悪いし、僕自身ネタバレをガンガンするタイプだから仕方ないんだけど、
という段階で、どの作品の誰が登場するかわかっちゃうし、中盤のあのキャラの異能の手続きが明らかになったところで、もう時系列含めてこの謎解きは一直線な感じだよなあ。
繰り返しになるけど、だからそこをばらすレビューはよくない、とかそういう話じゃなくて、
○ヒューマン・リソース・マシーン
面白いDLソフトはないかなーとストアを探して見つけた、パズルゲーム。
ノベルゲームが続いたのでゲームゲームしたのがプレイしたかったんだけど、
イメージ的には、Scratchをよりシンプルにした感じかな?
今、16面だけど、if文の判定式に否定を使えないのが非常に面倒臭い、けど中々ハマる。
さすがに、それなりにプログラミングの仕事をしているので、ただクリアするだけならそこまで悩まずにできるけど、
ステップ数を縮めたりするのはかんり苦労しそう。
い、いや、その、ほら、業務の世界は、その、なんていうの、読みやすさ? 大事やん? その、なんというか、ほら、ね? おれおれコードでおれおれしたロジック読むの嫌じゃん? だからそのシンプルにしか書かない的な?
ごめんなさい、言い訳だね、まずは普通にクリアすることを目指して頑張るぞいやー。
○ポッ拳
アミーボとデイリー。
●3DS
○ポケとる
https://anond.hatelabo.jp/20170811183815
FDという位置づけなので前作が気に入った人向け、そこまで気に入らなかった人はやらなくていいかなという印象
ロープライスなのでBGMや基本の背景・立ち絵は使い回し、まあこのゲームで重要なのはHシーンとボイスだと思うのでそこまで問題なし
そもそも1作目のインストールファイルが5GBでかなり頑張っていだだろうし素材を使い回しても許されるだろう
システムの変化は余りないと思われるがキスの度に選択肢が出なくなり1作目よりは改善していた
兄の異常さは尺の関係もあってマイルドに感じた、まあFD買うような人は許容できてるか…
ハーレム後のシナリオなので妹と初Hに及ぶ際の背徳感などは一切感じられず、そういのが好きな自分は今作のHシーンはそこまで興奮できなかった
キャラ魅力はだいぶ平坦化されたように思える
■あさひ
1作目同様、比較的ブレの小さい安定感のある内容・Hシーンで他ヒロインと比較するとよく出来ていた
デートでは自然な展開で主人公の鑑定眼設定も活かし、他ヒロインにも配慮された展開はGOOD
Hシーンもアフターに相応しく濃いものだった、FDの中では一番頑張っていたように思う
一点、1~3回の選択肢の中で実写化の話題になるがああいうネタはわざわざ個別ルートでしなくてもいいかなあ
そもそもヒロインと関係ないし、その話に尺を割く必要ないだろうと
■まひる
このキャラは照れやデレが始まるとふにゃふにゃし過ぎて正直言って苦手になってしまった
一番妹キャラらしい性格なのだろうけれど、なんだろう他の姉妹のキャラが立ちすぎて霞んでしまう
FDでは取ってつけたようなHENTAI的な味付けも加えられて、正統派妹の雰囲気も失われてしまった
Hシーンも普通…あまり公式から優遇されていないのではと疑ってしまう
■さや
前作から思っていたがさやのトロ顔はあまり合っている気がしないのは自分だけだろうか
歯磨きや膝枕?のような眼をぱっちり開けている一枚絵の表情でHしていてくれた方が個人的にエロいと思う
というかHシーンになるとヒロインが殆どトロ顔になってしまうので、1人ぐらいノリノリ…いや普段のペースを崩さずにHしている様子が見たかった
つまりそれがさやであってほしかったのだが、どうも制作側はロリが性に溺れるシチュのが好きだったのかもしれない
まあロリ系のエロ漫画でも急にロリキャラがトロ顔なったりするし、そういうのに見飽きた・見たくなかったんだろう自分は
■やよい
鏡に向かって姉妹の真似をするシーンがまず可愛すぎて悶た人が多いだろう、前作に続き最カワヒロインの3女様
前作ではいちいち面倒な印象であったがFDまでくれば素直でないやり取りも予定調和で可愛いという感情以外湧いてこない
Hシーンは前作のが圧倒的にエロかったかな、唾液垂らしているのとデートの手コキは他にないものだったので割りと良かった
デートでは前作個別ルートのようなデレっぷりが見れたので◯、全体的に表情豊かになり満足
私服は…展開でフォローも入っていたのでなんともいえないかなあ、私服に関してはさやが良すぎて他はどっこいどっこい
総評…38/50
妹ゲーにおいてのHは背徳感があってこそと考えているので、FDにおけるHは普通にするといった構えは喜べないところ
妹要素は今作でも健在なので、前作で気に入ったキャラがいればプレイしても良いかと
メインシナリオは薄いので素直にキャラ萠え出来なければスルーが吉
ずいぶんと脱退があっさりしていて腑に落ちない部分を感じているファンも多いと思うし自分もそう。
不仲説とかよく言われているけど自分はそこではないと思っている。
最上もがはグループ内でもドラマやバラエティーなどテレビ出演多く一般認知度が高い。
でんぱ組はブレイクして武道館コンサートを成功率させるなどアイドルとしてはトップクラスではあるが正直なところ昨今では第一線にいるとは言えなくなっているだろうと思う。
でんぱ組としての仕事の単価と最上もが単体としての仕事の単価にかなり開きが出てきたのでは。
そうだとしたらでんぱ組の仕事にスケジュールを割くより単体の仕事を受けた方が儲かる。
でんぱ組がライブをやらなくなったのもその辺が絡んでいるのかなと思ってはいる。最上もががライブに向けての準備に時間が取れない状況がずっと続いていたんだろう。
この辺は最上もがの意向というより事務所等の大人の事情が強いのでは。
一人だけ群を抜いて知名度が高く単体仕事も多い。だからでんぱ組としての活動は順位が低くなる。
でも他のメンバーはこの状況が面白いはずない。不満があって不思議じゃない。最上もがが嫌いというよりそういった状況に耐えられなくなってきたのかもしれない。
不仲というよりも格差。袂を分かつ方がお互いに幸せかもしれない。
おそらくライブ停止発表の時点である程度今回の最上もが脱退の筋書きはできていたのではないか。
だからずいぶんあっさりとした脱退発表なんだろうしメンバーも予定調和的な反応なんだろう。
たぶん彼女たちがお互いに活動を続けていける答えとして最適解が最上もがの脱退なのかもしれない。
本当のところを知りたい気持ちはあるけどまあ知れることは無いよな。
アイドルという偶像の意味通り、”大好きで可愛くてしょうがない応援し励ましたくなる女の子”の姿という
そりゃアニメ(2次元)の方が都合がいいことも多い。ロリ巨乳や、モデル体型、
髪の色やら容姿を好き勝手作れるし、声もしかり。内面や性格も同様。
さらには、アイドルを目指す理由、世界を救う(救った)女の子といった生い立ちや物語も自由自在。
他方、3次元の方がいいこともある。2次元なら触れないし。本編以上は2次創作するしかないし、
作り物である以上、予定調和というか型にはまらざるをえない。想像を超えたリアル。触れるリアル。
とはいえ、技術の進歩で実在の人間にしかみえない動くCG女性(名前忘れた)
VR、人工音声、反応に反応を返せるAIなどなど、リアルだからこその部分は、
削られて、いずれほとんどなくなると思います。もっと進むとオタクが嫁とかいう手軽さで
競争入札ってやつな。これ地方自治体のお仕事メインにしていたら割とよくある形式なんだけどさ。
あくまで俺の観測範囲のお話なんだけど、正直これ全く機能していない。
地方自治体法だかなんだかで特定条件を満たす場合以外は一般競争入札をやらなきゃいけないんだけど、「○○社に頼みたいのでそこのところよしなにお願いします」って面と向かって言っちゃう職員がいる。
まぁ受ける企業もさ、他社がよく分からん妄想じみたことを職員に吹き込んだ上で計画されたシステムを担当したくないってのもある訳で。
かと言って一般競争入札に参加した実績を作っておかないと指定業者から外されてしまうので、参加した実績だけ欲しいがために頷いてしまうことがままある。
以前いた会社ではオフィス内でごく当然に「あの案件は○○社が受けるようになってるから適当に金額調整しておいて」だの「この案件はうちが受けることになってるから△△社に根回ししといて」とか営業たちの声が聞こえてきて、感覚が麻痺しそうになった。
アニメ見ないし、GIGAZINE.NETのヘッドラインニュースで取り合えげられるような
Twitterに挙げられている予定調和なやり取りにも心弾まないし、
漫画と映画だけは大量に読んで見るけど、俺はオタクじゃないと思っていたのだけど、
「〜〜〜」
「俺も見たことある! 俺も好き!あの監督の他の映画でもさ……」
「……ごめん、そんな知らない (もう少し引いてる)」
好きって言ったじゃん!!!!
噛み合わない。別に詳しくなければ好きではないとは言わないが、好きになったら色々知りたいと思わないのかな、と。
そういう考えにいたるのが根がオタク気質なんだと、友人に諭された。
「ティズニーの悪役が好きで、特にヘラクレスに出てくるハデスの声と顔が可愛くてね〜〜」
「ごめん、、あんま知らない (興味を無くした顔)」
オタ婚にいくほどオタクの乗りに合わせられうわけじゃないし、
普通の街コンに行ったら全然話すことないっていうか、趣味スノボボルダリング、ヨガ、びっくりするくらい興味ない。
サブカル界隈に行ってマウンティングの嵐を楽しみたい訳でもないし、出会いがない。
ゆるーくサークルの中みたいに適当に話したりしてご飯行こうっかとかあの映画見たかったんだよねーとか
でゆるーく遊びに行ってまたねーって、ああなんかいい、好きかも、ってもう
小海の水面に漂っていてえ。
耐えねばならんのだよ。。きっと。
1位 ID-0
最初はそこまで期待してなかったんだけどヤバイわこのアニメ加速が止まらんわ。宇宙が舞台だからなのかどこまで話が加速してく。主人公のキャラが弱いのがどうなのかなと思っていたけどキャラの濃いもう1人の主人公が本格的に動き出した事でその不安も吹き飛んだ。当面は安心して見てられる。安心して面白さがどんどん加速していくのを見られる。
2位 有頂天家族2
非日常の連続のはずなのに日常に見事に溶け込んでいる空気感が好き。あと皆が皆好き勝手にやっている事で物語が動くのがいいね。物語の都合ってのは多分に絡んでるんだろうけど、それでも皆が自然体に見える。どのキャラも生き生きしてるのがいいんだよ。兄貴は胃が痛そうにしてるけどそれもまた兄貴らしくていい。
3位 リトルウィッチアカデミア
アニメ業界に対するメタが露骨になりすぎてきた所はちょっと気に食わないんだけどそれ差し引いても面白い。アニメなんてのは結局絵が気持ちよく動いてりゃそれだけで素晴らしいんだよ。
4位 サクラクエスト
キャラや舞台の掘り下げや広げ方が上手いわ。こっちが付いていけるように配慮しつつもテンポは結構早い。新天地で少しずつ顔見知りが増えていく感覚が視聴者にもリンクしているから作品の世界に無理なく入り込めてく。
5位 正解するカド
このわざとらしいほどのSF味。これぞ深夜アニメだよ。捻くれたオッサンや中学二年生がこのアニメ理解できる俺って一味違うぜと思っちゃうようなこのノリだよ。まあそういう深夜アニメって最後の方話を畳みきれずに自沈しがちなんだけどな。信じてるぞ野崎まど。
金をかけて凄い映像を作るほどアニメは面白くなる。その事を再認識させてくれるとんだ札束アニメだぜ。札束でビンタされるのって快感なんだな。
7位 アリスと蔵六
なぜこれがこの順位なのか上手く説明できないけどとにかく俺はこのアニメが好きなんだ。バトルが派手で女の子が可愛くてちょっと説教臭けりゃ楽しめちまうんだ。
8位 アイカツスターズ!
完全勝利とはいかずとも頂点の座についた主人公達を待っていたのは更なる強敵だった!日本代表の仲間たちと共に世界レベルの戦いに挑め!ってこれじゃ少年バトルアニメじゃねーか。そういう方向に舵を切れる思い切り、面白いじゃない。
9位 Re:CREATORS
うーむ。期待はしてるけど、期待できない気持ちも強い。話の動き方が今の所予定調和すぎていまいち脳が痺れない。仕込んだ爆弾が爆発するのを期待してるんだけど導火線がシケってるオーラもして怖い。でもオリジナルアニメだから持ち上げちゃうっていうね。
これなんてエロゲ?15年前だったらエロゲで発売されてたと思う。ちょっと懐かしいノリがクセになる。最近エロゲ原作のアニメ減ってきて少し寂しさを感じてるから丁度いいわ。
ノリは昭和でキャラデザだけ今風。物凄いバランス感覚の良さでテンプレを一直線になぞるただそれだけなんだけど面白い。王道っていいものですな。
セーブ&ロードのヌルゲーに見えて実際はフラグ管理やリトライ回数が厳しいので見ていてハラハラする。チート能力のオンパレードでゲームバランスは滅茶苦茶だけど話が面白いのでセーフ。
13位 月がきれい
リア充爆発しろ。実写でやれと言いたくなるのだけどこの年代の俳優に演技をさせるよりもアニメの方が逆に自然な気もする。LINEというリア充アイテムを駆使する主人公が上っ面だけ若干非リア充っぽいオーラを纏っているのが許せないけどアニメ自体は楽しんでるよ。
14位 GRANBLUE FANTASY
15位 ロクでなし魔術講師と禁忌教典
邪道なのか王道なのかハッキリしない所が悪い所であり良い所。テンプレに対するメタのテンプレが来るのかそのままテンプレが来るのかを当てるアニメ。
16位 アイドルタイムプリパラ
まさかの主人公続投っていう。あかりジェネレーションみたいになるのかな。
これ楽しんでる小学生いるの?オッサンしか楽しんでないと思うんだけど。俺はいいよ楽しんでるから。でもこの企画考えた人の首が飛んでないかが不安。
18位 カブキブ!
タイトルに「!」付くアニメ多いね。キャラの役割がハッキリしてるから見ていて分かりやすい。この作品自体がある意味カブキっぽいのかもなと。
19位 ゼロから始める魔法の書
オーフェンやスレイヤーズの時代の作品ですか?こんだけ古臭いと逆に今の子には新しく感じるのかも。自分は古臭いなと思いながら楽しんでます。
原作とほぼ同じ話が今でも通用するから驚く。いつの時代も日本人がやってる事ってあんまり変わってないんだな。
21位 エロマンガ先生
いいエロゲだった。エロに頼ってる割にはエロに固執してテンポ落としすぎる愚は犯してないのは評価したい。
22位 進撃の巨人 Season 2
面白いはずなんだけどこの順位に。それだけ今期のアニメが豊作なんだ。
ヒロインの喋り方とか目がやたら大きい絵柄とか凄く10年前や20年前臭くていいなって。
微妙にテンポが自分と噛み合わない。少し話のリズムが変わるだけでグっと評価が変わるんだろうけどそうすると今度は今楽しめていた人の中に刺さらなくなる人が出るんだろうなあ。運が悪かったと諦める
25位 スポンジボブ
唐突に、何の文脈もなく、うんこを漏らしたくなることがある。街を歩いているときやカフェでコーヒー飲みながら本を読んでいるとき、誰かと真面目な話をしているとき、談笑しているとき、何でもない日常の一コマでうんこを漏らしたい衝動と戦っている。正直漏らしても何のいいこともないのは理性では承知しているつもりで、お前は何と戦っているんだ状態だが、もはやこれは衝動と言っても良いぐらいの強度で、僕の頭と主に肛門周りを強く刺激してくる。
特に、誰かと会話しているときに、「うーん、これは」とか「うーん、違うんじゃない」とか、うんこを想起させる発言をされた瞬間が一番やばくて、その瞬間僕の大臀筋に緊張が走る。
そんな衝動と日々戦っていると、自分のこの衝動と犯罪者のそれが似ているのではないかと思ってしまうことがある。「魔が差して」痴漢してしまったり、「衝動的に」通り魔をしてしまった犯罪者と自分は同じなのではないかと思うと身震いするような空恐ろしさを感じる。
人混みの中で急にうんこでも漏らしたら確実に僕は異常者扱いされるだろう。それが、「我慢したんですが便意を耐えられずに」であればある程度仕方がないとする向きもあるだろうが、「排便衝動に耐えられなくて積極的に」だと完全にアウトである。
自分のこの衝動を見つめ直して見ると、「今、誰も俺がうんこするなんて思ってもいないだろうな」と感じる場面で特に便意が強くなる気がする。日常感が強ければ強いほどその欲求は高まる。おそらくだが、大層に言えば、予定調和からの脱却欲求があるのだと思う。つまり、相手の裏を掻いてやろうという気持ち、といったところか。
宮台真司がかつて喝破したように、我々は大きな物語を喪失し、終わりのない日常を生きている。その日常の断絶という物語を生む道具が私のうんこなのである。うんこによって日常は非日常と化し、そこから新たな物語が生まれる。もちろん、僕個人の物語が大きく変わるだけで、世界は何も変わらないだろう。でも、少なくとも誰かと朗らかに談笑している途中に僕が唐突にうんこをすれば、その日は僕の人生の大きな変化点になるに違いない。それが僕にとって良いことか悪いことかは分からないが、僕はそうなるのを心のどこかでは期待しているのかもしれない。
だから、クーラーボックスに入るコンビニ店員やおでんをつんつんするユーチューバーを見たときはよく分からない親近感と憧れに似た気持ちを感じたものである。
なので、彼らのニュースとその後の炎上を目の当たりにした僕は他人事とは思えなかった。もし僕が彼らに先んじて渋谷のホコ天でうんこしていたらきっと僕も彼らと同じ目にあっていたに違いないからだ(大阪なら何事もなく許される気がする)。逆に言うと、彼らを親の仇のように批判していた人たちはああいった愉快犯的な衝動が一つもないということで、それはそれで羨ましい気持ちにもなる。
もちろん、上で述べたことはただの欲求であって、本当にうんこすることは今後もありえないとは思っている。そこが僕と炎上した先人たちの超えられない差と言えばそうなんだろう。だがしかし、日常の一コマ一コマでこれからも便意と戦っていかなければならない人生を思うと、若干暗い気持ちになってしまうのは否めない。そんなときは、老人になったら嫌でもすることになるんだから、と自分を励ましたりしている。
おならをすると少し衝動が和らぐということだ。だから、僕は(もちろん相手は選ぶが)時々唐突におならをするようにしている。談笑中に唐突に放屁。ごめん、屁こいた。ガハハハハ。といった具合である。
うんこの代替としておならというのは分かりやすい。使う部位も一緒なのも良い。そんなわけで、日々どうしようもなくなったときはおならでお茶を濁しているのだけど、最近どうもおならでは満足できなくなっている自分に気づく。
これらおそらくだが、おならが僕の中で日常化してきているのだと思う。もともとは談笑という日常の風景に対するカウンターパンチがおならだったはずが、談笑+おならがセットになって僕の日常となってしまったのだ。
これは、影で「おなら野郎」と罵られるという犠牲を払いながらも、うんこよりはマシと放屁をし続けていた僕にとっては由々しき事態である。代替品としてのおならが通用しなくなってしまった僕の日常にはもはやうんこしか残されていないのではないか。
それだけではない。この事実は、もし僕が忌憚なくうんこをするようになったとしても、それはまた新たな日常の到来を意味しているのである。
元増田の人?なんか怒らせたようでごめん。
もちろん作品ごとに違う面白さ楽しみ方はあるだろう。それは元から否定してないよね?
けど上に書いた通り自分はフィクションには新規性や斬新さを求める傾向が強いから、その自分には合わない、つまらないと感じると書いた。
アイドルアニメがどんなにこれは新しいですよ!と提示してみせても自分にとっては古臭く陳腐にしか見えないんだよ。主にアニメ以外の表現と比べてだけど。それはしょうがなくないか。
自分は賢いとはまったく思わないけど、もう知ってるは確かにそうだよ。だって知ってるんだもの。
上にも書いたけど若い女の子たちが「カワイイ」コードを遵守しつつ数十年前のハードロックの真似事してみせるなんて今どき陳腐としか言いようがないよ。
そんで実際ラ・ムーみたいな異質な方向性に飛ばすならともかく。現実が数十年前に通り過ぎた地点を今さらなぞっといて(なぞるふりして、か)予定調和じゃないって何?
アニメの世界ではそれが新しいんだって言うならああそうなんだと思うけどさ、アニメ以外の表現に触れてる観客はそうは思わないってだけでしょ。
あとなんか勘違いされてるけど、自分が好む新規性のあるフィクションは当然とても楽しんで見てるよ。それが今んとこアイドルアニメじゃないってだけで。
なんでもかんでもをネガティブな型にはめて文句ばかり言ってるわけじゃない。つーかそんなのあなたが言うとおりつまんないしね。
ネガティブに見るっつーよりかそんな型どおりの反抗、型どおりの和解、型どおりの成長をアイドルにやらせて今このご時世で「アイドル新時代の主体的表現でござい」なんて言ってて本当にいいの?って思うけど。
去年から今年にかけて現実のアイドル産業があれだけ話題になってたのにもったいねえなって。ヌルすぎないか。余計なお世話だけど。
まあとりあえず自分は古さ・新しさと良さ・悪さを別物として語ってることは踏まえてもらいたい。斜に構えてなんかいないよ。ごく自然に古いものを古いと言ってるだけ。悪いとは一言も言ってない。
なぜそんなに病的に、物事をマイナス評価で見よう見ようとしてしまうのですか?
ネットでそういう斜に構えた見方ばかり見て思考汚染されていることを心配してしまう。
だから、同じ作品をみていても、自分が枠に嵌めた見方をしているのに、それを自覚できずに作品が枠に嵌っていると批評してしまうのではない?
そういう姿勢はクリエーターや他人に対する尊敬や謙虚さが著しく欠けて、自我が肥大しているせいではないかと本当に心配になる。
作品鑑賞は、ケチをつけて「自分は賢い」「もう知っている」「だからこれは陳腐だ」という事を確認するためではなく、
作者の描くその世界観や思想に自分から近づいて、受け入れ、それを以ってまず何より「楽しむ」ためにする、前向きな行為のはずでしょう。
「予定調和」と言って倦厭するよりも、王道なスポ根展開の中に込められた、
キャラたちが互いの個性を尊重する柔らかい受け止めや距離感の取り方に、今時の「らしさ」を感じ取ったり、
主人公の巧遅拙速な思考回路が叩き潰されるのではなくむしろ周囲に愛されて引き上げられる世界観をみて、
そうやって良さを汲み取ろうという目線で観るほうが、明らかに脳内の解像度があがり、
感性のアンテナ感度もあがって、感動できることが増え、楽しめると思うのだけど。
もちろんこれも、ある意味「ポジティブな型」に嵌めた思考法で、ときには「さすがに無理がある」とか
「作者の意図を逸脱しすぎている」と思われるような状態に陥ることもあるけれど、
楽しみを見出そうとしていて、その人は楽しめているという点では、「ネガティブな型」に嵌めるよりはるかに有意義。
あるいは、「ネガティブな型」に嵌めて、声高らかに叫ぶことで、作者の耳に届けて矯正してやろう、みたいな考えが働いているのではないですか?
横だけど
その「カワイイ」観は結局のところ観客に受け入れられる程度の「カワイイ」であって
その受け入れ幅はいま現在すでに現実なりフィクションなりで提示されている「カワイイ」から1ミリも逸脱していない
(たとえば観客がギョッとしたり賛否両論になったりするような「カワイイ」観は提示されない)
だからこそ良くも悪くもオタク向けであり保守的と言える、それがいいか悪いかは人によるが
自分のような者にとっては保守的な価値観は古いもの、見た事あるものだからイコールつまらないとなってしまうな
KISSのコスプレなんてギャルバンやロック少女の定番ちゃ定番だし田舎のイモ臭い女子高生が文化祭なんかでやりそうな
2017年にKISSなんかやってる女の子たちの何が新しいのか本気でわからん
小泉さんがXJAPANを好きだと聞いてわー新しいと言ってる人みたい
オタクの人たちは「カワイイ」に限らず予定調和の安心できるものだけ見ていて窮屈じゃないのかな、とたまに思う
予定調和が好きというのは好みだからいいんだが、予定調和なのに革新的と思い込んでるような内容なんで気になった
あとファンの期待に応える云々はさすがにいいように言いすぎなんでは
恋愛した罰として丸刈り謝罪させられるような現実を丸ごと無視・なかったことにしてるだけなのに、アイドルの自主性を尊重しているからだってのはそりゃないわ
自主性を尊重してるってのは横暴な事務所や芸能界のしきたりや慣習に逆らって自己実現する様を描いてこそ言えることだろ
去年スマップのあれがあんだけ話題になったのにアイドルアニメとやらはそういう構造について何も触れないの?それでアイドル物語ですってずいぶん気楽だな
過酷な現実と対峙する気がないならないで娯楽作だと割り切ってるならいいんだよ、でもまるで問題意識があるかのように言うのは違うと言いたい
今年のアカデミー賞短編映画部門の映画「合唱」だけど、日本語タイトルに異議あり。ぶっちゃけて言ってしまうと、ぶち壊しである。
原題は「Mindenki」(Everybody)、英題は「Sing」。無論原題の方がいいんだけど、英題でもまあ問題はない。しかし日本語タイトルは問題外だと言える。
なぜなら、映画のラストシーンのキーワードは「みんな」、そして「歌いなさい」だから。これらのキーワードがタイトルに設定されていたとするなら、観衆は「ある結末」を期待しつつ、作中のアクシデントの経過を見守ることだろう。
その結末は、ある意味予定調和的で、美しく、誰もが傷つかない、「いい物語だった」というカタルシスを与えてくれるものだっただろう。主人公たちが実力に見合わないような成果を得ても、それはフィクションのお話だから気にする方が野暮というものである(ただし正月に見た「天使にラブソングを2」に感じた違和感はコレだったが)。
しかし、この映画において、子供たちは聴衆の期待を大きく裏切る行動を成し遂げる事となる。これは大変重要なポイントである。なぜなら、この映画の価値、そしてアカデミー賞を受賞した理由の一つは、「期待を裏切ること」にあるからだ(少なくとも私はそう思う)。
こうした観点から考えると、日本語タイトルの「合唱」は、映画の内容をストレートに表現しているのにも関わらず、結末へのある種の「期待」を強く喚起することができない。結果として、日本の観衆はこの映画を、本来意図された(であろう)形で楽しむことができないだろう。残念だ。