はてなキーワード: ボーイズラブとは
イベント遠征のために生まれて初めて一人で東京に行きました。おのぼりさんだからTwitterのフォロワーに案内してもらってイベント前日は東京観光する予定だった。腐女子だから池袋でも冷やかすか~~って気持ちでどんな観光場所があるの?とフォロワーに聞くと、池袋ならこういうところがあるらしいよと、とあるカフェを挙げられた。いわゆるコンセプト系の店。メイドカフェに始まりお化け屋敷風居酒屋など様々な種類がある事は知っていた。現にイベントのアフターで吸血鬼カフェってとこ行ってみない?って話も出ていたし、学校風居酒屋では入った瞬間先生に背の順に並ばされたこともある。ランドセルも背負った。
問題はその挙げられた池袋の某カフェ、BL、ボーイズラブをコンセプトにした店らしい。自分で言うのも変な話だけど私はどちらかといえば保守的な腐女子だった。バレるバレないは別として進んで自らが腐女子であると明かさない人間だったのに挙げられたのはBLカフェ。正直な話だけど「大丈夫????」とものすごく心配になった。ここ2年乙女ゲームのキャラのドリ豚と腐女子を両立してきた喪女の腐女子が3次元のBLカフェで楽しめるのか?と心配になった。腐女子が店員に腐女子であることをおちょくられてなんか気持ちばかりのBLっぽい〜wされて終わったらどうしようとすごく心配だった。店の名前で検索してホームページを探す。メニューを見る。ポッキー980円。店員たちがポッキーゲームをしてくれるらしい。炭酸水の名前がホモホモ水。ヤバい臭いがする。大丈夫?
ホームページを読んでると不安になってしまい結局大した前情報も得ないままで東京に行く日を迎えてしまった。おのぼりさんだから行きの新幹線で駅弁とチューハイをあけた。もうどうにでもなれ状態でヤケクソである。池袋でキャリーケースを入れられるコインロッカーが見つからなかったり東口が見つからなかったりでウロウロしながらもなんとかフォロワーと合流した。今の私にはアルコールもある、フォロワーもいる、無理そうならそそくさと帰れば良い……覚悟を決めてBLカフェへ向かった。
外観はまあ普通のよくあるコンセプト系カフェというかまあビルの中だからね。看板はまあしっかりでてたけど気にならないぐらい。肝心なのは店の中身と店員だもん…と思いながらドアを何故かノックして開ける。
ものすごいイケメンが出てきた。マジで顔が綺麗、え?かっこいい。想像してたBLカフェの店員(イマジナリー腐女子を内心バカにしてるんじゃないかとかすごく心配だった)の83276万倍ぐらいかっこいい。あまりに綺麗すぎて直視できない。かっこいい。
私たちクソ腐女子はこのイケメンから店のシステムを教えてもらう。このイケメンはここの先生(学園系BLカフェだった)らしい。色々説明も聞いたけど顔が綺麗すぎて覚えていない。何より目をまっすぐ見て話してくれる、でも綺麗すぎてこっちがまともに目を見れない、あ〜〜〜!?かっこいい…………
その日出勤してた店員は先生含めて4人で、生徒の方はネクタイの色で学年が決まっているらしい。私たち腐女子は初めて来たので1年生として扱われるらしい。周りを見ると私たちの他にも恐らく腐女子がまあまあいる。3組ぐらいはいたと思うけどそれぞれ思いのままにオタクトークに花を咲かせたりイケメン達と話したりイケメン達のポッキーゲームを眺めたりしてる。多分常連さん(長く通うと客も進級していく)もいるんだろう。お客さんが入ってきたと思いきや、元からいるお客さんのところに「○○さん〜〜〜!!!!久しぶり〜〜〜!!!!」ときゃっきゃしてる光景も2回ぐらい見たから常連さん同士の仲も良いのだろう。
私たちは1年生だと言われた直後に先生にいくつ?と聞かれ、馬鹿正直に「ハタチです!!」と答えて「16歳でしょ!」と怒られた。かっこいい
朝からアルコール摂取したくせにカマトトぶって季節のジュース(ミックスジュース)を注文。ドリンク作ってるとこ見る感じもしかしてイケメンがジュースをほんとにミックスしてくれてる!?!?(よく見えなかった) コーラを頼んだフォロワーには炭酸抜く?とイケメンジョーク炸裂、もうこの辺で先生にうちらはメロメロだったしかっこいいのにこっちの話をニコニコ聞いてくれるしノリが良いし健全なホストクラブにいる気分だ………… どうせだし何か食べようと、フォロワーはランチメニュー、私はパンナコッタを選ぶ。メニューのパンナコッタ見ようとしたら「総受け男子のパンナコッタ」(みたいな名前だったとおもう)………これクソ注文しにくいやつじゃん!!?って思いながらごにょごにょ…総受け男子の……パンナコッタ………って注文したら流石ドSとホームページに書いてた先生、「え?なんて?聞こえない」
なんか何もかも勝てない………かっこいい…………って思っちゃったしイケメンジョーク炸裂だし夢のような空間だったし、料理もめっちゃくちゃ美味しかった。このランチもあのイケメン達が作ってるんだ……って思ったらすごい緊張しちゃったしすごい良い匂い。しかも料理待ちで持て余してたらイケメンが代わる代わる自己紹介と一緒に話しかけに来てくれる。Hくんが目を見つめてくれるからドキドキしながらほんわか空気にあてられてたらパンナコッタのアイスが知らない間に溶けてるレベルに時間を忘れさせられる。私が遠征してきたと知り池袋のオススメスポットを色々教えてもらったりものすごく楽しい時間を過ごしていた。
イケメンの代わる代わる来るイケメン回転寿司の合間に、すごーい!プロだ〜ヤバーい!ってコソコソ頭の悪い会話しながら私たちはポッキー980円を見つめていた。
どうせ東京に遠征してきたんだしみんなカッコいいし、石油王にでもならない限りイケメン同士セックスさせる事とか出来ないんだから980円でポッキーゲームしてもらうなら安くない?安いよね……という内容に飛躍してた。ソシャゲをする腐女子なので10連ガチャ1回でイケメンが3回ポッキーゲームするという言葉で我にかえり、ポッキー注文。
「じゃあ誰と誰にするか、どっちが受けか攻めか決めてね〜!」
想定外。
誰と誰がポッキーゲームするか決めるのは分かるにしても、どっちを受けか攻めか決めるのは全くの想定外だった。先生に聞いたところ、ポッキーを注文すると、
・誰と誰を指名するか
・どっちが攻めでどっちが受けか
・場所はどこか
・シチュエーションはどうか
など事細かに決めれるらしい。どうせ煩悩いっぱいだろうし己の欲望全部ぶちまけな!!って言われた。おっしゃる通りすぎる。
とても迷いながら先生と、短髪系爽やかチャライケメンのKくんを指名。どっちを受けにするかなど腐女子と念密な打ち合わせをする。多分これは受け攻めの解釈合ったり好きなBLのシチュエーションが一緒だったり、とりあえず気があう腐女子と行ったほうが良いと思う。そんな決めるとこで戦争起こしたらイケメン達が困っちゃう。
迷いながらスマホにシチュエーションを練ったのを打ち込んでたらおそ松さんの絵を描くのが上手いSくんがテーブルの中から「これ参考にしてね」って純情ロマンチカを出してくれた。用意周到すぎる。
結局なんとかシチュエーションを決めた。「Kくんと先生は付き合って1年経ってるのに先生は生徒だからってKくんに手を出さない。ある日先生の家に遊びに行った時に先生がそれでも手を出してくれなくてKくんがやきもきして逆にポッキーゲームを仕掛ける(これなに?)」というクソ欲望の詰まったKくん×先生のリバ?設定を二人に見せた。先生は基本攻めが多いらしくて俺が受け!?ってビックリしてた。かわいい。Kくんも俺が先生攻めるの!?ってビックリしてた、次に機会があればKくんを受けにしたい。
私たちのシチュエーションにちょっと悩んだのちに先生がKくんにいいこと思いついたのか耳打ち、可愛い。この辺から私たちはメスだけど概念上はモブになってた。よーいスタート!って私が言わせてもらって寸劇ポッキーゲームが始まった………んだけどほんっっとにすごかった。こんな文章じゃ表現しきれない。私たちに与えた純情ロマンチカを小道具として使いこなしてるし、先生が小悪魔……手を出さないくせに煽る高度な技術、気持ちの高ぶるKくんが先生を押し倒して先生が焦ってバタバタ、Kくんがポッキーゲームを仕掛ける(ほんとにこれなに?) 私たちの位置からキスしてるように見える絶妙な角度でフィニッシュ……ほんっっとにすごかった。想像の82173万倍ぐらいすごいものを見せられたし、私たちの与えたシチュエーションをアドリブでアレンジしてすごいことになってた。なんかKくんが先生を押し倒したあたりで私たち腐女子は動揺しながら手を握りあうしかなかったしほんとうにキャーのAAの状態だった………
(キャーのAA)
(´・ω・`)・ω・`) キャー
/ つ⊂ \
寸劇見てる時の私たちは心が童貞のモブ女だったからこんなの間近で見たらヤバイし見れない!でも見ないともったいない、どうしよう、やばいキスしちゃう!!!!とパニックだった。もうプロだ〜すごーい!とか、脳みそ空っぽなことも言えずに拍手してた。脳みそがついていけなくて30分延長を、お願いした。賢者モードみたいにすごかったね…ほんとにすごかった…って馬鹿の一つ覚えみたいに感動したり、さっきまでイケメンがポッキーゲームしてたソファーをご利益ご利益……って撫で回してたらもう2時間の滞在時間とかあっという間だった。イケメンがメガネかけて真面目系じゃない?wって話しかけてきてくれたりぬいぐるみで遊んでる姿を眺めたり、先生がメジャーで生徒の乳首をつついてる姿を生で見るのほんとに最高だったし、これで4000円。安くない?安いよ。ドンペリとかお高めのお酒も置いてたけど多分これ普通に気が付いたら注文してるやつだ……と思いました。店を出る時もイケメン達が玄関?までお見送りしてくれて手も振ってくれて「薄い本頑張って探せよ!」とアフターケアもバッチリでほんとうにありがとうございましたって感じ。
その夜私はあまりの興奮に眠れなくなりホテルで缶ビールをあけて、次の日イベントに寝坊した(終)
メイド喫茶通いの友達が推しメイド卒業でボロ泣きしたって話を聞いてもふーーーんって感じだったけどほんとうに泣いてしまうだろうな…って気持ちが良く分かった。誘われた時は「まあこういう人生経験もありっしょw」という冷やかし気分だったけど本当にこういう経験ができて誘ってくれたフォロワーに感謝してる。ありがとう池袋、ありがとうBLカフェ。ありがとうKくんと先生。地元戻って店名で検索したらたくさんのそのカフェで働いてるイケメンのTwitterアカウントを発見して私は非公開リストを作りあげられる写真を鍵垢からふぁぼる日々を過ごしてる。イケメン達にオリジナルカクテルを作ってもらえたり、オムライスにケチャップで絵を描いてもらえたり、毎月開催されるイベントではイケメン達がコスプレしたりスーツを着たりまだまだここに書ききれないぐらい楽しそうなことがいっぱいあるBLカフェ。そりゃ常連同士も仲良くなるわ。ちなみにイケメン達は撮影禁止(料理の撮影はOK)、お触り禁止で健全!!
今度大阪にも出来るらしいのでできたらまた友達連れて遊びに行きたいです。
地元に戻ってきてから腐女子とまだワンマンで話す機会がなく、仕方なく脚色?というかかなり話を削って「池袋でイケメンカフェ?的なとこ行っちゃったw」とオタクじゃない友達に話したら店の名前を聞かれ焦った腐女子、2時間で私たちは4000円使ったと言ったら割とドン引かれて悲しい。早く現実の腐女子にこんな分かりにくい文章じゃなくて気持ち悪いテンションで布教したいです。おわり
どうでも良い追記
2時間で4000円と言ったけど、BLカフェがどんなものかわからなかった為に一応予約して行った分(予約代300円)と初めての人には会員証が発行される(初登校料300円)ので実質10連ガチャ1回とちょっとで2時間BLカフェでエンジョイできるぞと思います。ポッキーも980円を二人で割り勘だったので、節度を守ってある程度の人数で行けばもっとお得に楽しめます。その分シチュエーション決めるのも難航しそうだけど……
普段通りにTLを見ていたら、ナマモノの、しかも年齢制限のかかるようなネット小説がRTされてきた。
問題の小説は、ボーイズラブではなく、読み手(女)を相手とした夢小説?のような作品らしい。
(らしい、というのも、恐ろしくて読むことができなかったためだ)
別にこの界隈で長いこといるわけでもないが、この界隈が他の同人界隈よりルールが厳しいことは知っている。
本人が実在していて、さらにご存命である、限りなくブラックに近いグレーな界隈。
「検索避け」が必須な界隈。妄想をするならとにかく逃げて隠れてこっそり行わなければならない界隈。
先方は鍵のついていないアカウントで、パスワードや検索避けができないサービス(Twishort)を用いて公開していた。
あけっぴろげである。恐ろしすぎる。
詳しい内容はリンクに飛んでいないからわからないが、Twishortはそのリンクをつけてツイートすると、始めの30文字くらいがそのツイートから見えてしまう仕様だ。
まあその時点ではいたしていなかったけどそれをほのめかすような文章だった。恐ろしすぎる。
私は普段通りに、好きな芸能人が出ていた番組についてチェックしようとしていただけだった。
本屋に行って、好きな雑誌を買おうと棚に向かったら、全年齢であるはずのその棚に、なんの注意書きもなくエロ本が置かれていた。
例えるとこんな感じ。めちゃくちゃびっくりしたしちょっと気分も悪くなった。
ナマモノ(3次元同人)は、「検索避け」が必須な界隈だと思っていた。
その芸能人でTwitter検索してみると、出るわ出るわ、小説・エッチなツイート・ファンアート。愕然とした。
私は腐女子なので、愛し方は違えど、気持ちはよくわかる。エッチなことを考えるのも人間の欲求だしよくわかる。
でも、Twitterでやるなら、せめて鍵アカウントを作って身内で楽しむものじゃないのか?
もっと言えば、Twitterじゃなくて自分でHPでも作って、htaccessでアクセス制限をして、隠れた上でやるものじゃないのか?
ひっそりと楽しむことがこの界隈の常識だと思っていた。
実際のところどうなんだろうか。なんだか、よくわからなくなってきた。
20歳の女性でバイセクシュアル、男性とも女性とも交際したことがある。
萌えアニメや男性向けAVを含め、基本的に男性向けの性コンテンツを消費している。自己の性認識は女性。
また、美濃加茂市の萌えおこしものうりんという作品の詳細も、失礼ながら存じ上げない。
以上の立場の自分は、今回の美濃加茂市のポスターは嫌悪感があったこととその理由を書き記したい。
嫌悪感……と、いうより、正直、しっくりこなかった。
これは女性の母乳を摂取することで男性が力を得て戦う作品である。
誰かが「スタイリッシュ授乳」と称したように、授乳がこの作品の一つのキーワードである。
女性の乳首と乳房がこれほどにまでに作品内部で強調される作品はあまり知らない(知ってたら教えてほしい。見たい)。
クェイサーという作品が炎上しなかった理由は、(SNSの普及という観点は今回はさておくとして)以下二つと考える。
→つまり、「嫌なら見るな」がある程度コントロール可能な作品である。深夜帯のアニメ、本屋に置かれる漫画。
『老若男女』、不特定多数の目に付く場所に『多数』配置されているわけではない。悪意(≒反論の意)を持って拡散されることが予期されるわけでもない。
また、責任は製作委員会・作者・出版社にあり、『地方自治体』や『国家』が負うものでない。
2 下着や乳房等、性的イメージに繋がる部位の露出及び性的行動に意味がある
とはいえ、クェイサー以外のアニメ作品を考えると、2に関して、無意味な露出が昨今量産されている。
フェミニストはポルノとして消費される二次元の女の子がどうしても気に食わないのだろうが、それへの批判は割愛する。
話を戻す。
今回の美濃加茂市のポスターに関しては、両方の観点からして外れている。
→まちおこし・萌えおこしという観点からこれは「逆に出した」と言える。しかし、こちらの行為を批判しているのはおかしいと考える。
アニメと地方活性化のコラボレーションは新しい話ではない。地方住民の受け入れ度合いの高低を問わず、広く用いられる手段である。
単純に「のうりん」と「美濃加茂市」がコラボレーションしていた時にはこうした炎上まで発生する程の批判はなかった。
しかし、この枠から出ていることによって、「嫌なら観るな」がコントロールできなくなっている現状は、受け止めるべきである。
なぜなら責任が出版社だけに留まらず、現状、『美濃加茂市という市町村・地方自治体』にも負わされているためだ。
TwitterやFacebookによる拡散でこのポスターが不特定多数の目に触れることは予想内である(予想外だとしたらさすがに認識が甘いとしか言わざるをえない)。
→私はこの部分に最も違和感を覚える。
不特定多数の目に触れる部分でそのイラストを選ぶ必要があったのか?
乳房や女性の身体の露出がふさわしいタイミング――例えば海水浴場の萌えおこしだとすれば、露出の必要性は存在する。
それなのにどうして「農業・林業」の萌えおこしやイメージキャラクターのポスターに上記の『不特定多数』が不快と示すレベルの露出が必要なのか。
海水浴場を例に挙げる。
水着の女性のポスターを設置することで、海辺の女性を喚起するのは当然だ。
海辺のポスターにグラビアアイドルの画像を使用する。なんら問題ないと考える。
それすら「女性を性コンテンツとして扱っている」とフェミニストが批判するなら、じゃあお前だけ勝手にスク水着てろと言わせてもらいたい。
男性はえっちな目で女性を見る者が多い、と俗に言われているし、正直、バイである私はえっちな目で女性を見ている。
豊かな胸の水着姿の女性を見たい気持ちは非常に大きい。ポスターであれ、実際のビーチであれ、だ。
では、海水浴場という過疎地を、ガンダム00(クェイサーに続き、少し古いアニメで申し訳ない)で萌えおこしをするとしよう。
それなら、ボインボインのスメラギさんがポスターを飾ればよい。
スメラギさんがえっちすぎて問題がありそうなら、横の海に真顔の刹那でも泳がせておけば良いのだ。
いくらたわわにあらわになったとしても、あのポスターのイラストよりも更に肌色が多くても、そこに露出の『意味』があれば納得する人は増える。
しかしのうりんの彼女の場合、それが通常コスチュームであったとしても(どうか知らないが)、前提条件を知らない『不特定多数』には、露出に意味が感じられない。
そうした意味のない露出が「単なるセックスアピールのみの変態的イラスト」と捉えられてしまったと考える。
ただし、そこからアニメや萌えイラスト批判に転じることが必ずしも正しいとは思わない。
萌えおこしが成功している例も多々ある。アニメや萌えやボーイズラブが日本のコンテンツ産業を支えているのは確かだ。
長々と綴ったが、以上のことから、私はアニメファン・および地方自治体の萌えおこし担当者に対して「これが三次元なら許されたのか?」という観点で物事を見ることを提案したい。
アニメだから許されないこともある不平等に関しては今後また議論されるべきだが、そもそも三次元でも許されないことはアニメでも許されない。
蔑称の意味合いもあるので、一般にはこれを避けて「ゲイ」という語が使われることが多い。
ゲイだからと言って異性装をするとは限らないし、オネエ口調を使うとも限らない。
同性への性的指向のこと。男性同性愛者も女性同性愛者も存在する。
「性的指向」とは性愛の対象がどちらを向いているかということであり、性的行動の内容を表す「性癖」「性的嗜好」とは区別される。
これは「自分の性別が違うと考えること自体が異常」=「障害」というわけではなく、
性転換手術などによって性自認と身体的性別を一致させなければ本人が苦しいために「障害」と呼ぶのである。
これは同性愛とは異なるものであり、「身体的には女性で性自認が男性の異性愛者」や「身体的には男性で性自認が女性の同性愛者」といったこともありうる。
ボーイズラブの略。
ボーイズラブを好むのは主に女性であり、彼女ら自身は同性愛者ではないことが多い。
女人禁制の戦場において代わりに美少年を連れて行ったことがはじまりで、
基本的には主君とその配下とのあいだに結ばれる主従関係の一種であり、忠誠心の変形であった。
江戸時代になると同輩との友情を強化するようなものへと変化して広まり、結果としてトラブルが頻発したため、
各藩で厳しく取り締まるようになり、やがて衰退していった。
もちろん武士たちは女性とも結婚していたのであり、現在で言うような同性愛とは異なる。
その結果、女性の絡むストーリーにリアリティを追求すると、女性を醜く描く必要が出てくる。
そんなものは見たくない。
では、女性の絡むストーリーに出てくる女性も理想的な女性という設定にしよう。
げげげ、ウソっぽい。こんなのありえねーよ。
で、のめり込めない。
その結果生まれたのが、ボーイズラブ。
男同士の関係を描く限りは、何を妄想しても妄想としてすんなり受けいれられる。
これがBLが好まれる一番の理由ね。
性行為のシーンについては、
リアリティを追求する派は、きちんとプレイ前に浣腸を済ませているし、
妄想派は、第三の生殖器として やおい穴 を発明するに到った。
BL自体妄想なんだから、どんなプレイがあっても良いと思うし、
それを現実と一緒にしてはイケないよん
同人誌関連については無知の素人の俺にBLの良さ・何が魅力なのか、誰か教えてくれないか。
Pixivで少し見た程度の知識だ。侮蔑するつもりは全くない。純粋によくわからないんだ。
BLっていってもプロの人たちからすれば色々と細分化されるかもしれないが
ここで俺の言うBLは、自分の好きなキャラ男2人がセックスまで行くストーリー。
※そもそもBLを多数読んでいるわけではないので、俺の勝手な誤解であるかもしれない。
漫画・アニメで好きなキャラがいる。複数いる。それは理解できる。
そして好きな男性キャラと、自己投影できる女性キャラが結びつくオリジナルストーリならわかる。
しかし、好きなキャラ同士(男同士)を恋愛で結びつける・結びついた話が好きなのはよくわからない。
好きな男キャラが女キャラと絡んで気持ちよくなるのが生物的にも普通だと思うんだ。
しかし、男同士でのセックスに魅力を感じるのはどういう理由なんだ?
オチンをやさしく触り合ったりする程度ならまだわかる。
だが、受け・責めに分かれて尻に出し入れするのは無いだろう、と俺は思う。
一般人が逆インサート・浣腸されたら、中からみんな出てきちゃうでしょ。
危なすぎるよ。色々と。気持ちよさは無く、痛みだけが残りそう。
尻のイン・アウトで興奮する女性は、自分も尻の穴でセックスする人なの?
うーんうーん
女がエロ漫画読んだりAVみたりするのってやっぱり変なのかな?
男の人はして当たり前だけど、女が同じようにするのはちょっと…抵抗がある。
もちろんこっそりみてるけども、男の人のように堂々と言えない。
女性は、どこで性について語ればいいのよ。
友達にこんなこといえないし…当然彼氏なんていないし…この悶々とした気持ちをどこにぶつければ?
そんなしょうもないことで悩んでいたときに出会ったのがボーイズラブだった。
BLってすごい。
女性が堂々とエロ妄想を描いて、消費して、エロについて語り合ってる…。
照れ屋な女性も、あくまで「フィクション」「ファンタジー」を楽しんでいるという建前があるから平気で妄想を語れる。
腐女子にも色んなタイプがいるから一概にはいえないけど、自分たちの性欲をぶつけている人は相当数いると思う。
いや、すごいね。
徹底した自己開示と執拗な自己解釈による独演を社会に提示した喪服の死神。
幼少の個人的出来事からネット右翼、アベノミクスまで論じ上げた喪服の被告人意見陳述は、他者による分析を拒む防壁として構築されたが、ひとつだけ、さらりと流されて違和感を放つ、セクシャリティのカムアウト。
陳述で同性愛を告白し、ボーイスラブ系二次創作での人気に執心したことを事件の発端とするも、彼はセクシャリティに関してだけは、言及を拒む。
自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」について列挙しておきますと、上智大学の学歴、バスケマンガでの成功、ボーイズラブ系二次創作での人気の3つになります。
…
31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケのユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります。
…
自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分の人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。ただ「何か」の正体が見当もつかず、仕方なく自殺だけをしようと考えていた時に、その「何か」の代わりになるものが見つかってしまったのです。それが「黒子のバスケ」の作者の藤巻氏だったのです。ですから厳密には「自分が欲しかったもの」云々の話は、藤巻氏を標的として定めるきっかけにはなりましたが、動機の全てかと言われると違うのです。
「手に入れたくて手に入れられなかったもの」「何か」「自分が欲しかったもの」。
執拗な自己解釈を行う喪服が、ひたすらに言及を拒む「何か」は、すなわち、セクシャリティの肯定である。
喪服のまとめサイト的な自己ツッコミは、非モテ的自意識には向けられて、彼は饒舌にウェブ上に氾濫する非モテキモオタの類型コピーを演じて見せるが、一方で、自らのセクシャリティたる同性愛については、まるで《安価》が付けられていない。
本来なら最も語られるはずの内心、セクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とみる自意識に代替されている。
動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。
汚くて醜くて無惨、自らを汚物と信じた喪服。
もし彼が自身と違う肉体を持つ他者に性欲を向けること、例えば空想の中でオークに成り代わり女騎士を犯すことで充足できるセクシャリティなら、あるいは始めから性的な身体をもつと社会的に扱われている性別なら、自らの身体性が「汚くて醜くて無惨である」と信じながらも、少なくともはじめの一歩を踏み出すことはできただろう。
ヘテロセクシズムに覆われた社会において、セクシャル・マイノリティは「自分はセクシャルな存在である」と現実世界に足を踏み出せない限り、または誰かが手をさしのべてくれない限り、それがマイノリティとして否定された経験だったとしても、はじめの一歩を得られなければ“セクシャリティあるもの”として存立できない。
彼の「本当のセクシャリティ」は否定すらされなかったかもしれない。喪服は何の理由もなく、つまり、ホモ、オカマと罵られたのではなく、身体的なものをあるがままに、母親に汚い顔だと罵られた過去を呪った。それは純粋な身体性の否定であってホモフォビアとの遭遇ですらない。
ホモフォビアとの遭遇は、「ホモと笑われるのが辛かった」と、その苦しみを語ることで、自らを疎外されたマイノリティとして位置づける。
喪服の空想におけるセクシャリティは、思春期にボーイズラブによって徹底的に肯定された一方で、彼の現実のセクシャリティ、喪服が“手に入れたくて手に入れられなかった”身体性の肯定は、同性愛の自認と同時期に行われた“汚い顔”と身体的否定によって抑圧される。
自らを汚物と信じた喪服は、現実のセクシャリティ、それによって他者と繋がる身体性を否定して、汚物は誰かを愛することもできないと、性愛を禁じてすらいる。
自分は愛する人を失ったのではなく、愛する人が初めからいないのです。ここ15年くらい殺人事件や交通事故の被害者遺族が、自分たちの苦しみや悲しみや怒りをメディア上で訴えているのをよく見かけますが、自分に言わせれば、その遺族たちは自分よりずっと幸せです。遺族たちは不幸にも愛する人を失ってしまいましたが、失う前には愛する人が存在したではありませんか。自分には愛する人を失うことすらできません。
LGBT当事者の書籍として頻繁に持ち出される「ボクの彼氏はどこにいる? - 石川大我」と比較すれば、タイトルに違いが現れている。
今ではオープンリーゲイを公言する政治家である石川大我が、自分は人を愛するに足る存在であると信じることができた一方で、喪服の語る言葉は「愛する人が初めからいないのです」である。
愛する人がはじめから喪われている、すなわち、自らの性愛が喪に服しているからこその喪服の死神であり、一文字で暗喩された「喪」とは非モテを示す。
2000年代、2ちゃんねるやはてななど、ウェブ上で隆盛した「非モテ」とは、自らの身体性あるいは性価値に対する自己否定、キモいと罵られた汚物のような人間は誰かを愛するにも不足するという絶望を、自らに対して自己否定のレッテルを貼り付けることで自己肯定に転嫁する、クィアにも似た試みであるが、やがて、彼らにはじめから内包されていた自己否定によって自壊した。
あくまで非モテと呼ばれたことで、モテるか否か、恋愛関係にあるか否かという状態や能力について論じられてしまった非モテだが、彼ら非モテ、あるいは非リアといった類似物も含めて、彼らは「そうであること」に価値を見いだすのでは無く「そうでないこと」によって存立し、非モテを成り立たせていた人々は状態や能力を求める人間ではなく、藁にもすがる思いで自己否定のレッテルに飛びついた人々である。
自分がどれだけ汚物か、気持ち悪いか、失敗しているか、誰かの指摘に先んじて自己開示をし、誰に言われる前に自らを否定する、終わりなき自己否定のスパイラルは、非モテの名の下に集った人々に、わずかばかりの肯定を与えた。
自己否定のレッテルにより肯定される彼らの自意識の中核にあるものは、唯一、自らをキモいと思い込まざるを得なかった幼少期の経験に由来している。
しかし「生まれたときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。
…
幼少期、まだ子供の非モテたちに向けられたキモいという言葉は、思春期、セクシャリティが開花する時期を真っ黒に塗り潰す。
汚物に等しい人間は誰かを愛するにも不足するという絶望は、彼らのセクシャリティを現実を生きる他者に伝えることを禁じて、彼らの性愛は空想へと向けられていく。
本来ならば健全なセクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とする自意識に取って代わられ、歪な自意識は癒やされること無く成長と共に発展し、ウェブ上で隆盛したモテない男に由来する数々のミームに乗っ取られた怨執甚だしい精神構造を完成させた一方で、耽美な世界を描いたボーイズラブ系二次創作を愛した喪服の死神。
現実では“自分のような汚い顔のキモブサメン”と自嘲して、空想では女性の世界の性愛に耽溺している。
喪服のチグハグなセクシャリティの表出には、彼の現実と空想、性の繋がりを感じさせない。
「何か」が欠落してしまっていた。
ウェブ上での自己開示および匿名の対話者からの反応を慰撫とする行為は、今や誰もが行っており、本来なら十分にウェブの中で機能して、現実世界で怨執を露呈する必要はない。
だが、喪服の自意識の歯車は、ウェブの言論歯車と噛み合わなかった。
喪服の自己対話は精緻であって、他者の解釈に先回りして応答し、全体としては分析をさせる余地を与えないほど堅牢であるも、彼の脳内にインストールされたウェブ言論と、彼自身の対話においては、歯車の噛み合わないチグハグさが漏れ出している。
このチグハグさは、喪服が扱ったネット用語に明瞭に現れている。
さらに自分は生まれてから一度も恋人がいたことがありません。その道のプロにお金を払うという手段を含めても性交すらしたことがありません。恋人いない歴=童貞歴=年齢です。自分はネットスラングで言うところの「魔法使い」です。
喪服が自らの性について語る言葉は徹底してウェブ上の異性愛社会で用いられる言葉であって、セクシャル・マイノリティの為に用いられる言葉は現れない。
自らを異性愛者の視点から「同性愛者」と規定し、異性愛者の非モテが用いた造語で「キモメン童貞魔法使いw」と自嘲し、「ボーイズラブ系の二次創作」と腐女子の言葉で性指向を空想している。
喪服の自己対話には、セクシャル・マイノリティが自らをセクシャル・マイノリティとして規定する言葉が、どこにもない。
というより、喪服がウェブで本心を語ろうとも、それに噛み合う言論の歯車はあっただろうか。
非モテから同性愛者を斥けてミソジニーとホモソーシャルの産物と断罪するセクシャリティ論。
女性たちのホモソーシャルであるボーイズラブ系二次創作の世界。
最後だけは、本当に、ひとつだけ、自己否定のトンネルのなか視野狭窄した彼が自らのセクシャリティの本心を発露して、肯定されうる場を見たならば、思春期から愛し続けたボーイズラブ系二次創作を介した他者による肯定だったのかもしれない。
しかし、喪服が創作するには、表現の原動力たる空想の世界は耽美であるも、空想と同一の肉体を持つ彼の身体性は汚物であって、空想と現実を繋ぐ彼の言語空間はウェブ上で構成された非モテミームに乗っ取られており、格差は恨みを募らせていく。
喪服が、セクシャリティの肯定を得るために行わなければならなかった努力。
本当なら、とても近しい接触によってなされるセクシャリティの肯定は、喪服においては、女性たちが作る社会における創作の表現に対する賞賛という、とても遠い彼方からの肯定の可能性が、ただひとつ、自己否定のトンネルに差す光として見えるのみ。
もしも努力の果てに肯定が得られたとしても、彼に与えられるのは二次元のベールを通した、空疎であたたかみの無い接触である。
喪服は、呪っただろう。
喪服が手に入れたくて手に入れられなかったセクシャリティの肯定を、可能性として見いだしたボーイズラブ系二次創作の賞賛を得る者を。
空想における愛情は、現実における怨執へと置き換わり、耽美な世界で肥大化した自我は、現実世界の自己表現を求めて、自走する。
喪服が見た光の絶望的な遠さは、彼が呪いを向ける対象への距離に変わった。
喪服に残された肯定的な表現手段は、呪いを振りまく脅迫状の郵送に変わった。
喪服が望んだ「何か」、口にすることすら拒んだ人の暖かみによるセクシャリティの肯定は、自己否定の結末として、無機質な統治権力による罰として具現化する。
恐らく重度のネット依存だった喪服の実生活、喪服が生きた思い出の中にも、彼のセクシャリティを、わずかにも肯定した「何か」は存在しなかったはずだ。
喪服は、斑目晴信がオタク濃度を感じたように、キモオタが秋葉原に得るしっくりと来るさまを感じ取ることが出来ただろうか。
喪服は、ボーイスラブ系二次創作を手に取るとき、美しい男を愛する女性の為に作られた空間に踏み入れた、汚物に等しい男を見る目に、何を感じ取っただろうか。
喪服は、自覚することはなかっただろう。
喪服は、徹底して、自らのセクシャリティを、完膚なき自己対話によって、自己疎外した。
執拗に繰り替えされる自己解釈は、彼が求めた「何か」の中核を、自らに気付かせないための自己防壁として機能する。
自己疎外された人々が、自らに自己否定のレッテルを貼り付けることで、健全な精神をギリギリのところで保った非モテの論理。
2000年代に爆発的に流行し、2010年代の始まりと共に終わった非モテは、童貞を中心とするヘテロセクシズムであり、同性愛者の喪服を救わなかった。
喪服が愛したボーイズラブは、あくまで女性のホモソーシャルの世界であって、男の喪服を救わなかった。
セクシャリティを否定された者たちが、自らを疎外されたマイノリティと位置付けて語るLGBTは、セクシャリティのはじめの一歩を踏みだせた者たちのための論理であって、非モテの喪服を救わなかった。
《身長×体重×年齢》と、身体性をコード化して他者と繋がる様式を持つゲイ社会は、身体性を否定された喪服を救わなかった。
身体性を否定された喪服がセクシャリティ育むべき思春期に愛したものは、空想における同性愛であり、彼を耽美な世界に誘い込み、彼の自我を肥大させて、現実を呪った。
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033576/
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033579/
「黒子のバスケ」脅迫事件犯人の「自分語り」全文公開されたが、自重しない腐女子は黒バス脅迫犯を生んだ罪について真剣に考えた方が良い。
問題は彼がBLに入れ込みすぎた結果、脅迫を犯したという事実である。彼はこのように書いている。
31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケのユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります。また、新宿につきましては、16年前に自殺をしようとしてJR新宿駅周辺を彷徨し、11年前にJR新大久保駅周辺を歩き回ったことがきっかけです。
喪服の死神は自らを同性愛者と語っているけども、これだって本当か疑わしい。おそらく自己愛性人格障害であって、同性愛というのはあくまで詐称か、BLに入れ込んだ自称腐男子程度のものではないだろうか。本当の同性愛者ならBLに入れ込むようなことはしないと思われる。
彼の自分語りから漏れ出る意識は肥大化して歪んだ自己愛であり、その結果として表れたのがBL愛好と詐称同性愛といったところか。
「22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯」を記している。
いったい何の同人誌を知ったのか私には知る由もないが、ボーイズラブ系の二次創作同人誌の問題は、純粋に作品を楽しんでいる愛好者が、本来ならあり得ない視線(男性登場人物を性的に絡ませる)という嗜好にある。
一昔前までは腐女子の活動はアンダーグラウンドなものだった。検索避けや隠語を用いた隠れたやりとりをして、あくまで自分たちが特殊嗜好者であることを自覚した振る舞いをしていた、と記憶している。
ただ現在の腐女子はオープンにBL談義をすることも珍しくなくなったらしい。
この辺は「ゴキ腐リ」という言葉があるようで、pixiv百科事典なんかにも載っているようだ。
ゴキ腐リ (ごきぶり)とは【ピクシブ百科事典】 http://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B4%E3%82%AD%E8%85%90%E3%83%AA
この解説でとくに興味深いのは、この項だ。
実際にはファンタジーであるBLは、『男性(もしくは元となる人物)の形状を模した異質なクリーチャー』を恋愛や性行に結びつけて楽しむ嗜好であり、現実の同性愛とは全く関係が無い。
まとめサイトでは、「同性愛者の為の作品」や「同性愛をテーマにした作品」は問題が無く、同性愛嫌悪の無い人や、実際の同性愛者の中にもBLを嫌う人がおり、BLを問題に感じる人もいることから、「BL=同性愛」ではない、『男性の形状を模した“何か”を当人達以外の人間が妄想の中で恋愛・性行に結び付けて楽しみ喜び興奮する嗜好』と解説されている。
BLは実際の同性愛とは違うし、同性愛者や、同性愛嫌悪のない人物にも気持ち悪がられている・・・とのことらしいが、この解説は直感的に正しいと理解できる。
喪服の死神が入れ込んでいたのはあくまでBLであって、本当の同性愛では無かった。一方で彼は自ら童貞やキモブサメンとオタク用語を使って自己解説している。
ここには非常に強い性愛のゆがみが見て取れる。
例えば純粋にバスケ漫画を好きで黒子のバスケを読んでいる人が、腐女子人気の増大により黒バスを読む際に同性愛者と思われるようになったら、通常なら強い憤りを感じる。
現在の腐女子がおおっぴらにBL談義をする風潮(ゴキ腐リと呼ぶらしいが・・・)が、喪服の死神のねじれを生み出したと。
彼が黒子のバスケをターゲットにしたのは、ボーイズラブ系二次創作が盛んだったからであり、実際の同性愛とは全く違う女の妄想を少年誌に持ち込む異常性が、喪服の死神の内面を作り上げた現実に対する文化的な自省について、腐女子たちは真剣に考えるべきだろう。
今、黒子のバスケにハマっている。
魅力的なキャラが多いので、好きなキャラが出ないシーンでも読んでいて楽しいのだ。
最新刊をゲットできて嬉しい。
ジョジョと封神演義も、好きなキャラがいたので何度も読み返した。
ボーイズラブが好きなのではなく、単純にそのキャラについて妄想するのが好きなのだ。
二次元だとこちらが傷つくことはないので、非常に助かる。
高校生の時に初めての彼氏もできたし、社会人になってから付き合った彼氏とは同棲もした。
しかし、彼らといるよりもずっと漫画キャラのことを考える方が幸せでいられるのだ。
もちろん私は美人ではない。
胸のサイズも平均で、大した体をしていない。
また、人格者とは程遠い。
性格にも問題があるのだろう。
このままずっと独身でも、好きなキャラがいれば不安を感じない。
こうゆう生き方もあると思うが、なかなか社会的には受け入れられない。
なんだか最近、Fateのヘイト創作(語呂がいいなオイ)が話題なんだそうだ。私自身はFateでは二次創作はやってはいないので、ネットでの騒ぎを眺めているだけだが、なんだか大変そうだ。まあ二次創作同人って、ジャンルのピークが過ぎて衰退期や晩期に差し掛かると、二次がガラパゴス化して大抵ごたつくよね。Fate自体は歴史の長い作品だが、Zeroアニメ化に端を発する特需はそろそろ晩期なんだろう。わかるわ。
だがpixiv百科事典を初めとした加熱した議論にはなんだか危険なものを感じる。
冬木ちゃんねる (ふゆきちゃんねる)とは【ピクシブ百科事典】
http://dic.pixiv.net/a/%E5%86%AC%E6%9C%A8%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B
前置きしておくが、別にヘイト創作というものをマンセーしたいわけではない。だがそう開けっぴろげに否定したものではないと思う。
ただ、棲み分けには賛成だ。そうあるべきだと思う。
というか、当事者たる二次創作関係者"以外"にとっては、ヘイト創作だろうがボーイズラブだろうがエロ漫画だろうが大差ないだろうと思うわけだ。
原作のキャラクターを自由に動かし、行間を脚色し、あるいは改変し、自分の欲求を満たすもの。
それこそが二次創作の本質である。勘違いしてはならない。ヘイト創作がだめなんじゃない。二次創作全般が、そもそも隠匿されるべきものなのだ。
隠匿というと大げさだが、少なくとも内輪ネタである。原則として、原作者の眼の届かないところでやるべきだ。まあ実際は完全に隠すことは難しいだろうから、"形式的に"ということになる。例えば伏せ字や隠語を使う・検索避けをする、などだ。
これはヘイト創作に限らず、二次創作全般で本来徹底されるべきことだ。
今回はFateが槍玉に挙げられているけれど、"二次創作意識の肥大化"とも言うべき現象はここ数年で際立ってきた気がする。その諸悪の根源は間違いなく、ニコニコ動画とpixivである。まあ、前者はここ数年権利者削除が増えてきたから、どちらかといえば土壌はpixivだろう。さらにtwitterが加速剤となっている。
作品名をGoogle検索すると、当たり前のようにpixivが検索上位に表示される。"腐向け"タグなんかは最近整備されてきているけれど、未だに作品名そのまんまのタグでホモすれすれの絵を描いているひとだっている。増してやエロ絵なんてまるで検索避けされていない(一応18歳未満は閲覧できないが、作品名そのまんまタグだ)。いや、そもそも、エロでなくても、ホモでなくても、ヘイトでなくても、結局のところ二次創作は"路地裏文化"だ。表通りでダンスするにはあまりにあんまりなんだよ。
二次創作を垂れ流すのと同一のtwitterアカウントで、平然と原作者にコンタクトを取る人間の心理が私には理解できない。
正しい二次創作なんてない。原作者にとって"嬉しい"二次創作なんて、同人側が自己の行為に正当性を求める行為だ。結局、我々二次創作者がやっているのは、その内容如何に関わらず、違法行為すれすれの、虎の威を借る狐じみた、他人の褌で相撲を取る、自己満足行為だ。そのことを、ゆめゆめ忘れてはならない。
後ろ指を差されたくない人生を送りたいなら簡単だ。今までの二次創作を全て燃やしてオリジナルを描けばいい。あるいは筆を折ればいい。でもそれができないのが二次創作者だ。だって楽しいんだもの。
まず、腐女子というのは、ボーイズラブという男性同士の恋愛漫画や性的な漫画が好きな女性のことです
女性の中では腐女子の女性はかなり多いのですが、男性の中では腐女子が嫌いな男性がかなり多いです
なので、ここでは腐女子が嫌われる理由について解説していきたいと思います
男性が恋愛をする理由は、恋愛が目的の場合よりも性的なことが目的である場合が多いです
基本的に、男性にモテる女性というのは、性的な目的で恋愛をしていて恋愛欲求があまりない女性である場合が多いです
基本的に男性には恋愛欲求があまりないので、恋愛欲求が強い女性は重いと言われて嫌われる場合が多いです
さらに、男性は性的な目的で恋愛をしている場合が多いので、性的な目的で恋愛をしている女性のほうがモテる場合が多いです
そして、腐女子は性的な漫画を読んでいますが、腐女子が性的な目的で恋愛をしているとは限りません
基本的に女性の性的欲求というのは、恋愛欲求からくる場合が多いです
男性は性的欲求が単体であるのに対し、女性は恋愛欲求から性的欲求がきています
基本的に腐女子は恋愛欲求を満たすためにボーイズラブを読んでいます
なので、腐女子は嫌われることが多いのです
ただし、草食系男子などのように性的な目的で恋愛をしている女性が嫌いな男性も多いですし、逆に腐女子はあまり嫌いでない男性も多いです
セックスレスという問題がそもそも取りざたされていなかった頃、夫婦間の性交はほとんど夫による妻への強姦だった。
愛撫無しに乾いた女性器に男性器をねじ込まれる痛みに妻は泣き、潤滑剤をこっそり使ってしのいでいた。
熟年離婚が多発し、セックスレス問題も顕在化したのが団塊の世代だろう。しかしセックスレス=妻が拒否だった。
痛みばかりの強引な性交に一言も文句を言えなかった前世代の女性とは違い、団塊女性は拒否を示すようになった。
そして最近の若い夫婦に多く見られるのが、夫が拒否するパターンのセックスレスだ。
団塊夫婦と違い、インターネットを使いこなす若い夫婦・カップルは「女性の欲望を大事にするセックス」の存在を知っている。
ボーイズラブという、多くの男性にとって理解不能なアダルトジャンルが登場したし、女医本もバカ売れした。
これまでのセックス=男性主導、性欲=男性が持つもの、という認識が変わり、
「女性にも実は性欲があったんだよ」「男の自己満足じゃなく、女性の本当に望むセックスをしよう」という向きが出てきた。
男性は、本当の女性の性欲を知るべきではなかったんじゃないか?
「愛撫は無しで、突然強引にねじこむ乱暴なセックスが女は一番感じるものだ。なぜなら女は全員マゾだから。」
そんな認識のまま結婚して、従順な妻を日々強姦していた方が幸せだったんじゃないか?
男性の性欲は根本的に攻撃的・支配的なものだから、女性を暴行すれば暴行するほど亢進するもののように思う。
『自分の女性性を消費されるのが嫌』というのは結構むかしからあるんじゃないかな? よく言われる。
二次にせよ三次にせよ、女性性を扱ったものに対しては制限がかかる。
そういう意味で君は過去のフェミニストの成果に感謝していいと思う。
あと男性観点での『男性を性的コンテンツとして消費する』に関してはボーイズラブがそうかな。
割とエグいのも多くてクラスメートにムリヤリやられて開発されて好きになっちゃうとかレイプ系とかもある。
コミケの映像で女性が見えたりすると「あー、きっと消費してますなー」と思う。ちなみにコミケの参加者は女性の方が多い。
そういえば『男の子牧場』という盗撮サイトが話題になった事があったね。若い子は知らないか。
また無理に恋愛をしなくてもよい。
雇用機会均等法もあり、正社員に関しては賃金格差も減ってきている。
また女性の賃金が増えたことで、金持ってる女性向けの『かわいいモノ』が増えた。
18禁レーベルは喪女を弾き出すんですか弾き出さないんですか。
だからいきあたりばったりで喋るのはやめてください。
だから、レーベル側としては明らかにはじき出す効果狙ってるでしょ。ゾーニングって言葉知ってます?
「迷い込んで不快な思いをするのは可哀想だから看板出します、知ってて来るなら止めません」っていうのがレーベル分けの効果として明らかに期待されてるでしょ。
知ってて見たい喪女は見るし、「え18禁とかやだ」って喪女は見ない。
同じことでしょ。「喪女が主人公の作品」がイヤな喪女は見ない半面、興味をひかれた喪女は見る。
しかし中身は喪女の皮をかぶった…あといいよねループするしね。
少女マンガに出て来る男子高校生は女子の感情の機微に素晴らしくよく気付きます。
少女マンガに出てくる男子高校生は女心がわからなくて他人に相談して主人公の女子高生に接し直して上手く行ったり行かなかったりしてるでしょ。共感というより理解の過程。
それに「共感」と言ってますが、主人公の女子高生を理解してくれる男子高校生が登場するとき、読者が共感するのは大体において男子高校生じゃなくて主人公の方ですからね?
「理解を受けて幸福な主人公」に読者は感情移入(=共感)するのであって、王子様は理解を通じてお姫様を肯定する事が物語上の役割です。
「私モテ」において読者はそもそも理解しません。一方的に共感を与える側ですね。「あるあるww」って言う側。
でもそのあるあるは喪男のあるあるなので喪女にやらせるのは無理があるし実際喪女は共感できないわけです。
そこに対して、「何があるあるだ、ねーよきめえな、自己肯定するなら自分で勝手にやってろ」というツッコミが入っているのです。
BLにおける「あるあるww」はその点構造が近いっちゃ近いかも。で、BLはジャンルとして確立しておりレーベル分けされてるわけです。
あの種の男性と喪女クラスタのニーズを両立させて売上を更に上げるアイデアがあるなら
具体的なところをご開帳ください
妄想の喪女を描きたきゃ木を森に隠すように喪の群の中に一人入れときゃ良かったんじゃね?
すぐ浮いてバレるだろうけど。自分がもてないのを他人のせいにするなんてリアル喪女でもキモイ自己中扱いされておしまいだし。ま、萌えりゃいいんなら放り込んでみればいいんじゃないですか。
喪女がお客じゃないんなら喪女が買わないように売るべきでしょ。
新しい言葉をもって新ジャンルを確立するってあれでなかなか難しいんですよね。創造行為だし。
サボりたいのもわからないではないですが、それで金取ってたら批判されます。
じゃあ具体的にあなたの基準を書いてください
→蓋を開けたらロボフィギュアだった(ただし超精巧)。美少女はロボの肩に乗る程度にちんまり。
これはマーケティング的にアウトですが作品の質は保たれてます。売り方は全然ダメですがモノは良い。
→蓋を開けたら女の子っぽい塗装がしてあるが明らかにルサンチマンためてそうなオタクのフィギュア。
これはマーケティング的にもアウトだし質もうんこです。ゴミです。
パチモンでもいいと思ってる人はそれでいいかもしれないけど一般的に言ってパチモンで喜んでるのってかなりみっともないですよ?それだけでも恥ずべきなのにパチモン他人に押し付けるとか広めるとかしてもう死ねばいいんじゃないかな。的な。
そもそも人間をタイプで分類してブランディングするのだって下手すりゃレッテル貼りにすぎないんだからもっと丁寧にやってもいいくらいなのに「ボクの考えたモテないおんなのこ」を既に出回ってるスラングのシール貼って売るなよと。
評価してる人はコンプレックス故に愛さずにいられないんだろうなー、でもそれは喪女じゃなくてみっともないあなた自身の可能性が高いナニカなので喪女って呼称して語るのやめろよなオイみたいな。
逆にあなたの成功失敗の基準って何なんですか。ゼノグラシアがどっちだったかについても結局明言を避けてるし意味不明ですよね。
「喜んでくれる人がほとんどいなかったから」? 現実の数字(笑)とやらを見せて下さいよ。
じゃあ何でむかついてる喪女は客としてどうこうとか言いだしたんすかww
詭弁で関係ないじゃあないですか。行きあたりばったりで書かないでください。
・作品としても商品としても失敗作とは言い難い
・あなたがこの作品にむかついてるならその怒りを正しく分析して表明すべきであって憎しみ任せに「失敗作だ」「失敗作だ」と言い張るのは不毛
元増田が大体全部網羅してるので特につけ加えることはありません。
喪女じゃなくてもむかついてるかもよ。
・そもそも「むかついてる人が何人いるか」と作品の成功失敗は関係ありません…
18禁レーベルは喪女を弾き出すんですか弾き出さないんですか。
だからいきあたりばったりで喋るのはやめてください。
開始1分で全裸になるコスプレとか「エロけりゃいいと思ってんじゃねえぞ氏ね」くらい激昂する人がいてもおかしくないし、その怒りは正当なわけです。
論点を整理して喋ってください
引っ込みがつかないだけで話を続けてるならやめてください
少女マンガに出て来る男子高校生は女子の感情の機微に素晴らしくよく気付きます。
女性の感性をインプラントした、共感出来、安心出来、理解しあえて手が届く、非現実的理想の異性です。
理解不能のリアルな異性ではなく理解可能共感可能で安心できる女子高生。
表層的にも先例がたくさんあります。
女性向けボーイズラブ漫画も女性として男性と交際する構造ではありません。
あの種の男性と喪女クラスタのニーズを両立させて売上を更に上げるアイデアがあるなら
具体的なところをご開帳ください
私はそんなもんなかなかないと思うけど決め付けはいけないから聞きますよ
喪女という言葉を使わずに、きちんと「新ジャンル」を確立できていれば良かったのに、そこをさぼったせいでご覧のありさまです。
喪女という言葉を使わない場合もどっちにせよ喪女はお客じゃないわけです
(あなたや元増田さんがよくわからない怒りに苛まれることはなかったでしょうが…)
そこで「???」となることが「???」です。
じゃあ具体的にあなたの基準を書いてください
既に突っ込まれましたが熱狂的なファンがいるそうですよ。なのでこれも成功ですね。
商業的に云々成功失敗云々というならまず現実の数字を見てください
ということをさっきも書きました
ゼノグラシアがどっちだったかは予算リクープ状況を見れば議論の余地がありません
要するに、「マーケティング的な失敗と作品それ自体のレベルの失敗をごっちゃにしてほしくない」というのがあなたの主張なんですか?
・作品としても商品としても失敗作とは言い難い
・あなたがこの作品にむかついてるならその怒りを正しく分析して表明すべきであって
憎しみ任せに「失敗作だ」「失敗作だ」と言い張るのは不毛
と言うのが私の主張です
ずーっと一貫してます
…の感覚と言うのが正直、理解しがたい。
もちろんのこと、好きと公言したり、その種の類の作品に親しんだり自分で作って発表したりする女性(=腐女子)は多数派だとして、そういう嗜好を生理的に受け付けないとか、心底嫌いという女性はそう少なくは無いはず、とごく最近になるまで思っていられる神経が分からない。
「ホモが嫌いな女なんていません」
この台詞にどんだけBLに興味がない女性(特に女性オタク)が迷惑したことか。
私は漫画が好きだし、小説もラノベも大好きだし、そのキャラクターが物語の終わったあとどうしているか想像するのは大好きだ。
救われなかったキャラクターの「もし」を考えるのも好きだし、それを小説や漫画にして発表するのも好きだ。
だけど、どうしても、原作で同性愛者じゃないキャラを同性愛者にしなくちゃならないのかわからないし、
それがなぜか多数派っぽかったり、
あまつさえキャラや原作を冒涜している!と言われるのは本気で分からない。ましてや×の前後が違うだけでいがみ合うのも理解できない。
ポルノなら普通に男性向けやエロゲで事足りる。ていうか自分の体に置き換えられる方が気持ちよくないか。陵辱とか痛い系はいやだけど作品選べばいい。
だいたい痔を患って以来そっちは痛くて駄目だ。
率直に言うと、健康な若い女性が女としてのセックスを本気で忌避したり、本気で受け付けないというのと似たような違和感を感じる。
横だけど
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB
ホモソーシャル (Homosocial) とは、ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪)を基本的な特徴とする、男性同士の強い連帯関係のこと。それ自体同性愛的なものでありながら、男性同性愛者を排除し、異性愛者同士で閉鎖的な関係を築く。
なお、研究者の中には、この概念を女性同士の関係にも適用し、「女性のホモソーシャル」を論じる者もいる。東園子は、やおい・ボーイズラブを好む女性オタク(いわゆる腐女子)や演者は女性だけで構成されている宝塚歌劇団のファンの女性の間でホモソーシャルな絆がみられると論じている
どうみてもお前がwikipediaを読むべきだと思うぞww