はてなキーワード: こじつけとは
まず疑問点2つ。
私と同じく自眉がしっかり生えてる子でも、形を整えて長さを調整して、足りないとこは描いて、私みたいなゲジゲジじゃなかった。
自眉の「形を整えて長さを調整して」いるってわかるくらい、久しぶりに会った友人の自眉の形を知っているもの?
そこで元増田は神の視点かA以外の登場人物の視点も持っているんじゃないかと思った(ここから妄想)
なお「ミモレ丈」「ドルマンスリープ」なんかは用語覚えるオタクだったら知っててもおかしくないはず。このファッション描写、型については詳しく書いているわりに色の指定が白・ピンク・黒しかないのは面白い。
会った日は昨年とのこと。服装からすると秋〜初冬ぐらいだろうか。
久しぶりに同い年の友人と会って本当に本当に恥ずかしくなった。
あと、もし元増田が都民ならだが、このコロナ騒動(イベント自粛、ステイホーム)の間も着古した服かどうかを気にしつづけたりしたのだろうか?
もしこの内容が実話だったとして、A〜Dの誰の立場であっても、出来事をそのままはてな匿名ダイアリーに書くだろうか?
はてな匿名ダイアリーの話題はここしばらく同人界隈にも流れてきている。
普通にA〜Dの残りに見つかるんじゃないだろうか。
というわけで、人間関係を保ちたければかなりフェイクを入れるのではないか。
(B〜Dのうち1人か数人かが書いた可能性については、心が痛むから追及しないでおきたい)
一番やりやすいフェイクの中に、登場人物の増減があるだろう。また、時間軸をずらすというのもあるだろう。
Cちゃんも「分かる~何か前は出されるグッズは全部買わなきゃ、イベントは全部参加しなきゃって必死になってたけど将来のこと考えて貯蓄するために程々にしてみたら案外苦じゃなかった」と言った。
そして、
そしてBちゃんの肌が綺麗だという話題に変わった。
からのCちゃんの詳しい悩み。Bちゃんはあっさり流されているのに。
Cちゃんは一時期毛穴の開きと黒ずみに悩んでいると言って、一緒に悩んでいた。(会えない間もツイッターやラインでは話してた)Cちゃんはとあるデパコスのカウンターで肌を見てもらい、いいスキンケアに出会えたのだと言った。
Cちゃんは20代の頃はとあるプチプラのものが肌にすごく合っていて大好きだったけどだんだん合わなくなって、本当に肌を綺麗にしたいと思ってお金をかけた。
ファッションについては https://anond.hatelabo.jp/20200713145845 でなるほどーと思ったのだが、
Bさんのことは細かく褒めていて、Cさんの描写は努力や熱意が強調されているので。
Cについては褒め度を控えめにしつつ肯定的であるような気がする。
また、生々しいツイートを含めて一番露悪的に描かれているのがAであるが、A=C=元増田であれば、自分の過去を浄化するようなものにもなるのかなあと。
自眉がしっかり生えているのがA=Cであるなら、形をどう整えたかもわかる。
出来事が昔のことなら、Aのオタク話があまり具体的ではないのも腑に落ちる。
東京 秋葉原 メイドカフェの従業員 感染確認12人に 新型コロナ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200707/k10012502251000.html
メイドカフェとかまたこれフェミさん辺りが支離滅裂な叩きを行いそう、或いは行っていそうな気がしてならないんだけど…。
しかし政治家やマスメディアや特定の団体等の人達による5月までの風俗やパチンコ屋、ゴルフ叩きにしろ、今回の夜の商売やこのメイドカフェにしろ、いい加減、自身のヘイト反らしや思惑の為に特定の職業叩きに使おうとする連中にはいい加減うんざりするよね。
今回も案の定ニュースみていたら、マスメディアはメイドカフェと夜の商売を繋げる様な印象を付けかねない印象の報道をしていた様に思えたからねぇ…。
くらい不毛だから、おけけパワー中島に心を乱されるほどのめりこむな、とっととやめろ、やめた方がいい、これは心からの助言である。
(以下そういった内容がくどくど書いてあるだけだから長いの嫌な奴はスルー推奨)
おけけパワー中島通称おけパ中島の件で発狂している腐女子を昨今増田などで多く見かける。
https://anond.hatelabo.jp/20200704105426
これとか
私も少し前まで中堅の字書き()としてジャンルに居場所を求め、字神を崇め、神と仲のいい軽薄なノリの人に嫉妬をして負けじとより萌える小説を研究してガリガリ書きまくってたから、友川や上記増田らの気持ちは痛いほど分かる。分かるのだが、そもそも既存のコンテンツの登場人物を勝手にゲイや変態にしてセックスさせるような世界で大真面目に嫉妬したり病んだりするのは本当に時間の無駄だから一刻も早くやめた方がいい。
なんて言ってもどうせやめないんでしょ?知ってるよ。「推しカプが本誌でセックスしてた」「あいつが正気にかえりそうだぞ!まずい!ホモを吸わせろ」みたいな頭おかしいアピールすることによって、「私たちちゃんとこれが妄想だってわきまえてますよ」アピールしつつ、頭おかしくてハッピーなオタクの自分に酔ってるんだもんね?
しかし、「ジャンルでの二次創作活動(SNSなどでの交流も含む)」を、「あなたと結婚する気なんかサラサラない既婚男性との不倫」という概念と重ねて考えてみると、結構ヤバさが見えて来ると思う。
まず、この二つに共通するのは主に下記の3点。
②勝手にあなたが他人のものを拝借し、しかもそれがあたかも自分のもののような振る舞いをしていることは客観的に見て決して愉快なことではない。というか気持ち悪い。
③あなたがどれだけその関係(ジャンル)で苦しみ、病み、時間やお金をじゃぶじゃぶ使い、他の不倫相手(おけパ中島みたいな妬ましいジャンル者や神)を追い越したとしても、あなたは永遠に「他人のものを勝手に拝借して自分のものみたいに使ってる奴」にしかなれない。
こじつけかもしれないけど、「不毛なことに酔って病んで時間やお金を浪費して、それで100%ハッピーならともかく苦しいのに何かの意地で踏みとどまってる」ズブズブ感は不倫もアンチおけパ中島の同人女も変わらないと思う。
私はこの泥沼で貴重な学生生活と社会人2年間を棒に振り、職業選択・交友関係構築・スキルアップ等をおろそかにしたことを死ぬほど後悔したので、二次創作界隈で愚痴スレとか開いて悶々としたりブクマ数やフォローフォロワー比やフォロバの有無で真剣に病んでたりするたぐいの同人女は自分が掴もうとしているものの虚しさに気づいて一刻も早く二次創作活動をやめた方がいい。
※④は書いてないよ!
この世の中には2つの考え方があって
ってのと
ってやつ。
どっちの考え方が間違いというわけでも無いけど、基本的に2番の考え方がよくて
これが直感的にわからない人は一生苦しんで生きることになる(かもね)
もし生きるに値しない、意味のない人生だったら、そいつは早晩死ぬことになる
死ぬことはまぁ不幸だよ。ここでイチャモンつけてくるやつには話していない。
本来この世界には生きる目的なんてのは無いから。そんなことはない!っていうやつは物語とか虚構に毒されている夢見がちの脳みそお花畑なんだろう。まぁ気持ちはわかるお前の人生は意味がないって言われて気分のいいやつはいない
でもここで言いたいのは俺は人生自体に意味があるんだとしたら、生きる目的なんてのはあろうがなかろうが、人生を歩んでいる限り何かしら有意義であり続けられるということを言いたい。
これは考え方の話です。事実かどうかはどうでもいい。
なぜなら心の問題だからです。物理的には人間が生命活動しているだけなので、目的を持って有意義に生きている人間と、ぶらぶら生きている人間の間に、なんの違いもありません。
絵を書いているから、歌を歌っているから、株取引で利益出したから、意味があるって思ってるかもしれんけど、それ人間社会の中の人間のココロの動きなだけだからな。
宇宙的な物理的な観点で見たら、アリが蟻塚作ったりビーバーがダム作ったり、産後がサンゴ礁作るのと一緒で、意味がどうとか言うより、ただそれがそこに人間によって作り出されたというだけの減少でしか無いわけ。
その人間の御業に感動し意味づけをするのは人間の心です。なので人間の心のない人にとっては、歌も漫画も、ドラマも映画も、なんにも響かないし、無意味です。
さて人間はなにか意味のある活動をしているのでしょうか。意味はある。確かにある。でもそれは人間の心の動きの中で、意味の概念とか創作の価値とか人生の価値とか、そういった概念とかがある思考の中で定義づけされている、一種の虚構であります。
なので、意味のあるなし、というのは、乱暴に言えば心の持ちようなのです。
意味のある人生ではない。という悲しい苦しみがあります。ありがちます。
これは人生に意味がある、必要である、という雑い一般常識に毒されている残念な思考に囚われているために起こる、錯視的な苦しみです。
意味ってのは人間が主観的に見て、色付けしていく心の動きなので、無意味、というふうに心が思想が、思考が判定してしまったら、どんな崇高な偉業も無意味になります。
月に行ったからなんだって言うんだ。それってなんの意味があるの?
橋を作って通行時間が短縮したってなんの意味があるの?そんなに急いで物資や人間を流通させる意味あるの?
意味があるかどうかは、人の考え方や思考で決定されます。乱暴に言えば意味があるかどうかは心のありようです。
ここまで書いたら「意味のある人生を送る」ことがどれだけ脆弱で危険な思想なのかと言うことに気がつくかもしれません。
「意味」はこころの持ちようでかんたんに崩れるものです。そういった脆弱な概念に自分の生死を左右する「人生」を乗せることは、バカのする選択です。
バカのする選択なんだけど、割と「意味のある人生」とか「意義のある人生」みたいな概念ってさも常識であるかのように世間一般にまかり通ってる気がするんですよね。そうでもない?そうだと思います。
不幸な人間の多くは割とこの考え方が根本にあって、社会的に認められないのなら生きている意味ないとか、
人付き合いが下手だったら生きている意味ないとか、頭悪いから生きている意味ないとか、
不要な人生を送っているという、妄想に近い苦しみに苦しんでいるんじゃないでしょうか。
ここで最初に言っていた「人生とは生きるに値する意味のあるもの」っていう考え方が、効率的で無駄に苦しみを生み出さない考え方になると思うんだよね。
人生自体には生きるに値する意味があるなら、人生が続く限り人生は生きるに値する価値あるものになるわけ。
トートロジーだし、こじつけっぽいけど、本来人生に意味があろうがなかろうがどっちでもいいというか、人生自体は基本的に無意味で、なんで私達が生きているの買っていのは、単純に私達が産み落とされただけだし、その後の人生をどのように送ろうが死のうが、それ自体にも意味なんてものは無いわけですよ。
もし、無人島でひとりでに生まれて、最後まで自分以外の人間に遭遇することなく死んだ人が居たとしたら、その人の人生の意味ってのは、その人自身しか観測者が居ないので、その人が決めた心のありようだけですべて決定されるわけです。
この人が最高の人生だと思って居たのなら、最高の人生だし、最低の人生だと思っていたら最低の人生なわけです。
でもこの人の人生無意味。って言うふうに見える人がいるだろ!みたいな反論が聞こえてきました(幻聴)
見えますか?見えるでしょうね。それはあなたの心がそういうふうに見ているだけで、その人の人生の意味があるかどうかとは、全然関係ないからです。
他人が見て人生に意味があるかどうか判定することは不可能です。人生の意味というのは人間の心の持ちようでいくらでも変化します。これはその人生、その人自身の心の持ちようだけではなく、周囲の他人の心の持ちようにも現れます。
あなたから見てゴミみたいな人生を送っている人がいることと、その人がゴミみたいな人生を送っているかどうかは、全然関係ありません。
人生の意味は他人が決めつけたり、決定したりすることはできません。なぜなら心の問題だからです。
これは自分の人生が無意味だと思いこんでる人にも当てはまることで、周りから普通の人生に見えていても、本人が無意味で絶望的な人生を送っている(と考えている)限り、その人にとっては紛れもなく無意味で絶望的な人生は主観的に確実に事実として認識されます。
「孫子」
大学に入って突如「教養」に目覚めた大二病、リアルが充実していなくて読書に逃げる社会人などが、古典などを漁り出す傾向にある。しかし、そういう連中は大抵、基礎学力が足りておらず、安易に「読んだ気」になれる本を求める。その代表格が孫子である。
なお、「馬鹿が孫子を読む」と言っているのであって、「孫子を読む奴は馬鹿」と言っているのではない。もちろん、中国文学や歴史等の研究で孫子を読む人を馬鹿だと言っているのではない。また、孫子の内容を批判しているわけでもない。
まず、孫子は短い。他のまとまった漢文の文章、たとえば荀子や韓非子などと比べても1/4未満の分量しかない。そして、使われている漢字や構文なども特に難しくはなく、レ点等が適当に打ってあれば書き下し文で読める。つまり、漢文の基礎力が足りない馬鹿がちょっとしたパズル感覚で読むのにちょうどいいのである。実際、孫子にたどり着いた人が他の漢籍に手を出すことはほとんどない。
そして、書いてある内容は正直どうとでも取れるようなものが多い。これが読解力のない馬鹿にはちょうど良いのである。彼らは、文章に書いてある事実関係を読み解くことができず、抽象的な内容を自由に解釈し「深い」「含蓄がある」などと思うことを好む。そのため、一見して日常に通ずるような格言・警句が満載のこの本は、馬鹿にとってうってつけなのである。
要するに孫子は、学力の低い人が「何かを考えた気分」になりたいときに、ちょうどいい本なのだ。
馬鹿は短い文章が好きである。理由は単純で、長い文章が読めないからである。
文学が好きな人は大抵、短編長編を問わずにいろいろな作品を読んでいる。それは文章の長さで選んでいるからではなく、内容に関心があるからである。ある本に何が書いてあるかが気になり、それが正しく読める人は自然といろいろな本を読む。
しかし、孫子を読む馬鹿にとっては、まず短いことが重要である。そして馬鹿は、ふつうの文学愛好家などとは異なり、孫子以外の古典は読まなくなる。馬鹿は、書物に書いてあることに興味があるのではなく、安易に読めることだけが重要だからである。
孫子に限らず、本を読んでこの種の感想を抱く奴は、その本を読めていない(元々読み取るべき内容が大して無い新書等は別として)。典型的な「文章が正しく読めず、妄想を膨らませて自分の世界にこじつけている」タイプである。彼らは、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という言葉を聞けばビジネスに結びつけたがるし、「戦わずして勝つ」という言葉を聞けば平和主義を唱えだすし、孫子とクラウゼヴィッツの比較論を聞き齧って東洋思想の優位性を説いたりする。要するに、論じられている内容そのものを理解しようしない。
というか、馬鹿にとってはそれこそが「文章を読む」ということなのである。馬鹿の文章の読み方はこうだ。
孫子は、前後の文脈を無視しても意味の通る格言が満載であり、こういう読み方で「賢くなった気」になるのにぴったりな本なのである。
攻略テーマは、昨日書いたけど、要するに「大漁!海防艦いらっしゃい!」である。
結果、第一海域はクリアできた。攻略難易度は最高難易度の「甲」で。
第1ゲージは、輸送作戦で、これをアタイは「チマチマ、ポコる」作戦で攻略する方針であることは、昨夜書いた通り。
この作戦に参加する艦隊「千鳥方面部隊」のメンバー6人は、軽巡1、重巡1、雷巡1、駆逐艦3で、こんな面々。
五十鈴改(Lv.38)【2軍】 | 主砲連撃。(めざせLv.50で改二へ大規模改装) |
---|---|
プリンツオイゲン改(Lv.86)【2軍】 | 連撃装備。夜戦装備(夜偵、照明弾) |
木曽改二(Lv.74)【2軍】 | 先制雷撃と連撃装備 |
フレッチャー(Lv.50)【2軍】 | 対潜要員。(めざせLv.55で改へ大規模改装) |
伊太りべっち改(Lv.57)【2軍】 | 対潜要員。イタリア駆逐艦の魅力は対潜。ここで魅せてくれ! |
伊太まえ改(Lv.57)【2軍】 | 対潜要員。同上 |
E1海域第1ゲージを攻略するだけじゃなく、アタイの艦隊の2軍メンバーを強化するレベリングも兼ねたチームを組んでみた。
艦これというゲームは、心折れる単純作業に対して何か意義をこじつけて付与し、なんとかモチベーションを上げて維持する術を鍛える修行。ボスをチマチマ何十回も殴り続けるという延々と続く単純作業も、「普段は相手する暇のない2軍メンバーの育成も兼ねる」というテーマをネジ込めば、あら不思議、なんだか心ウキウキ!
…ドロップした艦娘は、全て、通常海域で出会うような駆逐艦や軽巡の娘たち。
ぷにぷにホッペの海防艦ちゃんたち、もっと! もっとだっ! 来いやぁ!
29回目にS勝利をして輸送ゲージが破壊された時、ドロップする娘に期待したのだけれど…
イイ覚悟だほら! そのまっ平らな飛行甲板、出しなよ!いくぜっ!
E1-1は旗艦ローテ、無疲労で周回できる
ゲージ破壊後の海防艦ドロップは70Sで1隻
思っていたより美味しくないかもしれない🙄— jug (@jug37244712) June 27, 2020
この不漁な海域、E1-1にアタイが戻ることは二度とあるまい。アバヨ!
続く、E1海域第2ゲージも、ボスに対してA勝利4回、S勝利2回を重ねて、攻略完了。
でも結果としてゲットした艦娘は、海防艦ゼロ。他にレアな娘も無し。ふぅ。
こんな不漁な本日で、あえて一番の戦果を挙げるなら、E1海域第2ゲージの突破の決定打を決めた駆逐艦の曙たんの活躍。曙は、E1海域で敵への攻撃に特効ボーナスが設定されているらしい。
顔を合わせれば「このクソ提督っ!」と罵倒してくる娘だから、あまり可愛がってなかったし。
「曙」って字面を見ると、横綱だった曙太郎が目に浮かんじゃうし。
だから、特効艦とはいえ、まだレベル58にしか育ってない小娘に何ができるのかしらと、
あまり期待せずに、ゲージ破壊寸前の「ラスダン」決戦メンバーの旗艦で送り出してみたら、
連撃装備の曙が、夜戦でボスに3桁ダメージを叩き込んでフィニッシュ!!
ほんと、じゅ~~ぶんに感謝する!言葉通り、何とかしてくれたじゃない!
今日ほど、曙の「このクソ提督」という罵声が可愛く聞こえた日はない。
さて、次は第二海域(E2)。今度の戦場は、南西諸島沖縄方面。
しかも、先行するガチ勢たちのつぶやきによれば、大和もドロップしているらしい。
ということで今度は、この娘を大規模改装できるレベル60までレベリングすることを楽しみに、アタイは「刺身にたんぽぽを載せるお仕事」をするわけか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a394d74fabb18478e331a909fbe82a1ea29046fc
関連:<新型コロナ>エコバッグが感染源!? 米のプラ業界、レジ袋「復権」へ攻勢
https://www.tokyo-np.co.jp/article/26023
レジ袋禁止、子どもが本気ディベート 賛成派「環境守る」、反対派「やり過ぎ」 京都・亀岡市
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/54218
あの手の人達は不思議と反対意見が耳に入らない構造をしている人達だからね。
しっかし賛成意見多いとやらを見ていると世間が知らなかった時期にアンケをとっていたり、メルマガでどう考えても偏る結果が出るだろうと言う所の結果を盾にして、賛成意見が多いと言い張っているのを見てもそう言う事なんだろうなと思う。
最もただでさえエコバッグやらマイバッグやらがこのコロナ禍において不衛生さを指摘され始め、問題視されている中でやらかそうとしている上に最近まで知らなかった人が大半だったのは見ていても判る事だから、それを知って以降、結構な人達が反対意見や批判を出しているからこそ、マスメディアもマイバッグ云々を連日報道し出している訳だしね。
まともに知った人が多いのは報道やCMが始まったここ1か月と言う所なのは事実だからね。
それに多くの人がそれこそこのレジ袋有料化自体、企業や官庁、政府の五輪でのポーズである事や小銭稼ぎ兼経費削減のこじつけの理由である事も見破っている訳だしね。
そもそもこれ自体海洋汚染対策や環境保全自体に役に立たない事を結構な方々に散々指摘されつくしている訳で。
何にしても消費税と本質は同じで消費者に負担をかける景気減退策でしかないから、本来はこのコロナ禍で経済が悪化しきっているので、景気刺激策をすべき所を予定で決まった事だからと言う理由で融通が利かずにこのレジ袋有料化と言う景気減退策をやるのだから、日本経済や企業には更なる止めを刺す事になるでしょうね。
ただでさえ帝国バンクですら倒産が280件を超えたから面白い事になる事でしょう。
横並びで談合して行えばセーフと企業は甘く考えていそうだけど、恐らく面白い事になるよ。
それと衛生面においても予想通り、ここ最近コロナも増加してきだしたしね。
何にしろ空気の読めていない百貨店やコンビニ上層部は兎も角、せっかくデリバリーで活路を見つけた飲食店等は悲惨としか言いようがないよね。
マジであの政府、貧乏神や疫病神と言っても良い程度にはこの手の日本に対して碌でもない事しかしでかさないと思う。
どの道この時期にこれをやる政府や官庁のセンスは最悪としか言いようがないよ。
それといつもながら思うけど、あの手の主婦系や左翼系リベラル団体の方々とかはこうして子供の利用する手法を本当に好むよなぁと思う。
環境問題についてもこの手の方々が絡んでからよりおかしな方向に行ってしまったのは事実。
大真面目に環境問題を研究している人達こそ迷惑しているのは判るからねぇ…。
しかしここ最近は環境、人権、著作権はその権利こそ逆に世間の人達に対しては害悪にしかなっていないなと思う。
どれも棒を振り回す方々がこのコロナの時期であっても全く空気を読めていなかったのも事実だからねぇ…。
何にしろ世間の環境問題に対する認識は環境対策と言うもの自体、不衛生で消費者に不便さや不利益をもたらすものでしかないと印象付ける事になるでしょう。
一面として「まずスタートアップとして歩みだす鴨を増やしたい」ってのもあるんじゃろなと思う。そのためのまさにショーケースとして彼らは扱われるんだろう。そして、起業家は投資家に逆らえない。
けどメディアに出まくるという事態で商品を修正改善する時間も暇もなくなってしまうというのもあるし、メディアでちやほやされることにより「今自分のやってるそのもので正しい」と勘違いしてしまう。
そもそも最初の思い付きでそのままうまくいくなんてまずありえないのだが、顧客と、顧客像変更、顧客に合わせた商品修正への時間が取れなくなってしまう。
ビジネス系投資というのは、期間、費用、想定収益が整ってないとならない。だからビジネス系投資の世界になってしまえばもう商品の修正はできない。仮にうまくいかないのが見えてきても軌道修正は許されない。
基本的に何かしらの見所があって修正する時間と金と余裕があれば、何なりとも可能性があるが、ぶっちゃけベンチャー起業家なんてどう扱ってもかまわないってのは(上)の連中は相当思っているだろうからね。
一部ほらばかり吹くのがうまくなった連中が詐欺師に落ちていく。
最近SNSでイケてるスタートアップとして取り上げられる企業がちょくちょく見られるが、蓋を開けてみると全くイケてない事がわかる。
その理由は、一番わかりやすい指標である「赤字/黒字」であると思ってる。
まず、赤字黒字というのは非常にわかりやすい企業価値の基準で、よほどの理由がない限り評価は覆らない。
例えば以下の様な理由
よく世間では以下のスタートアップが取り上げられるが、これらは全くイケてないし、これからも改善する可能性は非常に低いと思う。
そして上記をすべて満たすけど、なぜか世間ではイケてるとされている会社
彼らは共通して以下の行動が見られる
基本的に具体的な部分をぼかして発言すれば、どうとでも解釈できるし、ネガティブな事を言わなければ批判もされにくい。
なので「的を得ている」「共感しか無い」等はいくらでも言え、過去の経歴もプラスされてインフルエンサーがのさばるSNS界隈において簡単に話題に上がれ、資金調達に紐づく様になる。
しかし上記行動でプロダクトは一切良くなってないし、黒転する見込みが生まれるかは全く別の問題である。
最初に上げた理由があるのなら資金調達は有効な手段となりうるが、そうでない場合は黒転の見込みがほとんどなく、半分詐欺である。
個人的には、上記企業はもう改善の見込みが薄いので、後は物好きな企業が奇跡のバイアウトをするのを待つしか無いと思っているが
そんな意見を覆すミラクルを達成し、スタートアップ界隈が盛り上がって挑戦する人が増えれば、面白い業界になるのかもしれない。
トップとして君臨するのは成立する?
創作でソロで活動してるアイドルを考えてる。ソロを推してる人がいたら聞きたい。
自分はアイドルグループに推しがいるオタクなんだけど、アイドルが輝くのってやっぱグループ内外で切磋琢磨して関係性があって、そこにドラマがあるしファンはそれを感じてるんだと思う。
その上でソロのアイドルがシンガーソングライターと違うのって歌作んなくて(作るのはありだけど)踊ってバラエティ出るくらい?それってやっぱグループの絆から生まれるエモさにはかなわないのかな?ソロを推したことがないからわかんない。もちろんアイドルには人間性という非常に重要なものがある。でも1人でできること、ってていうか見せられる面がやっぱすごい限られてるよね。メンバーと接する時にしか見えない顔に興奮してる人もいるし。
考えれば考えるほどよくわかんなくなってきた。
長いこと片思いをしていた。人生の半分以上。相手は所謂幼馴染で、近所に住む数少ない同級生の一人だった。今までに一度告白して振られたりした事もあったがそれは別にどうでもいい。高校までずっと同じ学校に通っていた僕らは、大学こそ違うが二人とも上京してしまった。大学に入ってから彼女は僕ではない男を知り、僕は彼女に対する重い気持ちを結局捨てることが出来ないままその事実をいよいよ目の当たりにして絶望してしまった。
正直言って僕は彼女との恋を成就出来るとはあんまり思ってなかった。きっと彼女は僕のことをそういう対象として見てないというのは薄々どころじゃないくらいに分かっていた。ただ自分が恋人になれないことより彼女が誰かの恋人になったり、誰かとセックスしたりする方が耐えられなかった。別に僕は顔がいいわけでも無いしコミュニケーションが特別上手なわけでも無いしお洒落でも無いし彼女の好みでも無いしと、そうやってこんな事になった原因を何かにこじつけようとしてしまう。
彼女が僕に直接恋人が出来たとかセックスしたとか言ったわけじゃないし、共通の友人から聞いた訳でもない。本当に残念なことにとあるきっかけで僕は彼女のツイッターを見つけてしまった。それだけ。ネットストーカーの入口に立った瞬間全部知ってしまった。彼女はブログ的なものも書いていた。この時点で相当気が滅入っていたからそのブログは一通り読んだような読めてないようなことをした。彼女が読書好きだからかどうかは知らないが書く文章はなんだか素敵だった。内容に嘘がないとすれば僕にとっては本当に本当に辛い文章なんだけど。でもそれも僕が彼女を気が狂うくらい好きで、文章を書いたのが彼女と知ってるから素敵だと思ったのか、そことは切り離した上で素敵だと思ったのか、よく分からない。その上書いてあること全て僕を刺す。こんなもの知るべきじゃなかった。
最初に長いこと片思いをしていたと書いたけど、別にもう好きじゃないわけじゃない。まだ好きだからこんな気持ちに勝手になってこんな文を勝手に書いている。僕が処女厨だから彼女が僕じゃない誰かとセックスしたことが耐え難いのだろうか。決して大外れではないけどそんなに的を射てもないと思う。僕には向けられなかった愛が身体を許すことで僕じゃない誰かに向けられたことや、これまで通りこれからもその愛が僕に向くことがないだろうという事実が耐え難い。僕じゃない誰かは、身体を許すに足る男、交際をするに足る男だったのだろうという事実に余計に苦しめられる。僕はそうじゃないのに。
彼女の呟きの中に一つ、十中八九僕に関するツイートがあった、要約すると幼馴染に対しての消えかけの愛情を捨てきれないみたいな内容だった。このツイートのおかげでギリギリ生きているのかもしれないし、そのせいでこんなに苦しい思いをしているのかもしれない。最初に書いた通り彼女への恋が実質初恋と言ってもいいままそこそこ近い距離感で高校生活までを送ってきて、振られたこともあったがそれも気づけば有耶無耶になり、明確な失恋経験をしてこなかった。今失恋したと思ってるのも直接振られた訳では無いけど、何も知らないまま振られるよりよっぽどダメージが大きい。この失恋は僕が思っていたより遥かに残酷で取り返しのつかない感じがする。世の中の失恋した人はどうやって乗り越えているのだろうか。それとも僕がただの気持ち悪くて重いメンヘラなだけか。
僕にとって好きな女性は彼女だけだった。今もそう。これは確信を持って断言できるけれど、仮にこの先どんなに素敵な人と出会えたとしても、その人と僕の間には幼い頃からのかけがえのない十数年がないことが、大好きだった彼女と愛し合えなかったことが呪いのようについてまわるだろう。そもそもどんなに残酷な現実を突きつけられたとしても彼女に対する気持ちにけじめを付けることが出来そうにない。きっとこうやって現実でストーカー行為をする人が生まれてしまうんだろうな。僕もやっている事はあまり変わらないけど。
彼女と誰かとのセックスについて上で書いたけれど、僕はヤれたらOKなんて微塵も考えてなかったし、こんな事を書くと嘘乙と言われそうだが僕とセックスなんてしなくてもよかった。幼い恋愛観しか持ててないことは重々承知だが、彼女が、僕が彼女に向ける愛の半分でも僕に向けてくれて、他の男に向けないでいてくれたらよかった。本気で添い遂げたいと思っていた。きっと僕らは幼馴染じゃなかったら関わることなんて殆どなかっただろうけど、幼馴染だったことで僕は君の愛を向けてもらうことができなかった部分があると思っている(これは幼馴染でなければ好いてもらえる的自信の表れでは無いけれど)。
現時点で恋人との関係は消滅しているらしい。彼女と付き合った挙句連絡を絶った(らしい)男を本気で殺してやりたい。彼女の気持ちを踏みにじったその男を。僕が彼女にとって最初で最後の大切な人になりたかった。けれどそうはなれなかった挙句男は消えた。君が素晴らしい人で彼女をずっと大切にしてくれたら彼女は幸せなままだったのに。僕は好きな人が幸せならそれでいいとは考えられないので結局どう転んでも僕の負けなんですけども。
あれこれ書いたけど彼女に落ち度なんて当然何一つ無く、全部僕の一人芝居なのが一番悲しいかもしれない。僕がどうしようと彼女は僕の介入しない人生をこれからも歩んでいくのだから。僕はただの、よくある幼馴染Aに過ぎなかった。僕もいつまでも彼女の幻に固執するのはやめて人生を前に進める努力をしなければならないのに、人生のどん底の様なこの気分がいつになっても回復する気がしない。気持ちの切り替えやネットのくだりは置いておいて、最終的な結果としては同じような経験した人が性別問わず沢山いるだろうなと思う。最初はどこにも公開せず、気持ちの整理程度に書くつもりだったけれど、ここにあげようと思ったのは、そんな先人の区切りの付け方が知りたかったのが一つの理由かもしれない。
僕も彼女も今は実家に戻っているが、それもそろそろ終わり。彼女は一足先に東京へ行ってしまう。監視をやめなければ、彼女が向こうへ行くことで今まで以上に知りたくないことを知ってしまう。だけどきっとこの愚かな行為はやめられない。そうやってズタズタの心を更に痛めつけてますます僕が壊れていく。でもやめられない。ただ自分の思うように生きようとしているだけの彼女には心の底から申し訳ないと思う。長い旅を続けていたら、引き返せない地獄へたどり着いてしまった。
たとえば、RedditやYouTubeの外国人によるコメントを読んで返信するくらい、高校生でもできると思う。
日本に住んでる分にはそのレベルで英語が使えれば十分なのだから、それで「英語ができる」と言って良い。
というか、使う場があれば英語なんか誰でも使えるんじゃないか。
俺の大学院の同級生はみんな、英語なんて真面目に勉強してなかったが、当然のように英語で論文を読み書きしてたし、研究集会で英語で質疑応答してた。
もちろん、彼らは英検1級を受けたら全員落ちるだろうし、「The New York Times」や「Washington Post」を辞書なしで読むのも無理だが、「英語が使える」と言っていいだろう。
「大学受験で必要な語彙は5000語程度で、これは英語圏の小学校低学年レベルだから、大学入試だけじゃ英語ができない」という意見があるが、これは大分おかしい。
たとえば、英検1級を持っていたら、文句なく英語ができる認定していいと思うが、英検1級のカバーする語彙は20000語程度であり、これは英語圏の中学生レベルだ。
これを以て、英検1級所持者の英語能力が中学生レベルだと言う人は、まあよほど極端な思考の持ち主でもない限り、いないだろう。
「日本人は英語ができない」論者は大きく分ければ以下の2種類だと思う
前者がおかしいのは既に述べた通り。後者も、実際は多くの日本人は英語ができるわけなので、別の理由でできないとこじつけても意味がない。
荒川弘はなにも考えてないだろうけど、水島精二と會川昇はそういうこじつけしそうだなと少し思った。
少し話はずれるが、初代のマスタング大佐役だった大川透が同時期に主役で声を当てていた『トランスフォーマー マイクロン伝説』には、人間の子供が5人出てくる。トランスフォーマーはアメリカ主導の企画であり(手を動かすのは日本側)、その子供たちのうちメインの3人は人種をばらけさせるようにというお達しが出たそうで、白人の男の子と、褐色中南米系の男の子と、ベトナムのポートピープル出身の両親を持つ女の子ということにしたらしい。しかしアニメを見る限りでは、ベトナム系という感じは全然せず、放送中は誰もが白人だと思っていた…ということをちょっと思い出した。なお名前はアレクサ。
ちなみに初期のトランスフォーマーには白人ブロンドの女の子が普通に出てきていたが、時代が下るに従ってインド系の女の子や、髪にピンクのメッシュを入れた日本人留学生の女の子なども出てくるようになったあげく、ついには花魁みたいな見た目の女性型トランスフォーマーまで出てきて見てる方はひっくり返るのであった。
憲法審査会が今月28日に開催される見通しとなりました。国民民主党は国民投票法改正案の独自案を出している唯一の政党です。私自ら参加し、自由討議の場で現行法の問題点を指摘しつつ具体的な改善案を提示していきます。国民民主党案のポイントを2分動画で解説しました。ご覧ください。 pic.twitter.com/qZIYyfMvSD— 玉木雄一郎(国民民主党代表) (@tamakiyuichiro) 2020年5月20日
今もコロナ禍に対する対策に対して手を抜いていたツケが出てきだして、それこそ不渡り倍増だのレナウンとかの倒産だのとして影響が出始めているにも関わらず、感染傾向が減り始めた途端に様々な問題点が指摘されている検察法改正だの種苗法だの著作権法改正だののコロナ禍対策に不必要な法案審議を火事場泥棒的に始めようとしたり、あろう事かコロナ禍対策にこじつけて9月入学だの改憲だのの材料にし出したのだから呆れ果てるよね。
普通に今はGWで皆空気読んだから、感染者そのものは減少傾向だけど、いつ再流行しだすか判らないし、経済面でも疲弊しきっているのにそれを無視して、ただでさえまともな対策をしてこなかったから、より一部の事態の悪化を招いて、このコロナ禍で問題が山積しだしているのにね。
なのに平時と同じ様な感覚で規制法案とか我欲丸出しで推し進めているのだから呆れる。
それに政府はコロナ禍対策をしたと言ってもお金も何故かケチ渋り、お金を出すにしてもものすごくケチ臭い事しかしていないしね。
一律給付にしても公明党の一括が無ければ決まらなかった上、その際決断力の無さを露呈したり、学生支援にしても10万円(一部20万円)給付と言うはっきり言って大学の授業料じゃ全然足りない程度の給付金しか出さなかったりしているしね。
どうせあの人達は予定で決まっていた事とか言うのだろうけど、臨機応変の利かなさやこの融通の利かなさは緊急時やそれこそ有事に致命的な事態を招きかねないし、今この落ち着いた時期にこそ、コロナ禍に対しての対策に手を付けていない事は後々不味い方向で返ってくることになるよ。
ただでさえ、学生が退学せざる得ない方向に行っていたり、経営面でも補償がないから、企業の運営が危うくなっていたり、経済的にも不味い方向に向かっているしなぁ…。
※自己陶酔長文
※同人界隈のくだらない話です
※ハガレンはあくまで個人的な感想、感慨、そういうものの中で引き合いに出しただけです。こじつけというか、たまたまこういうものの中で自分がしっくりくるのがハガレンだっただけです、うまく言えないのですが。ハガレンが好きな方は閲覧気をつけてください。
「鋼の錬金術師」という有名な漫画がある。鋼の義肢を持つ兄のエドワード・エルリック(通称エド)と、鎧姿の弟、アルフォンス・エルリック(通称アル)が、「真理」(神様的な存在)に奪われた自身の体を取り戻すための旅をする中で賢者の石をめぐる壮大な陰謀に巻き込まれていくダークファンタジーである。
私はこの漫画が大好きなのだが、一つだけ「あんまり気に入らないなあ」という展開があった。それは、物語の最後、主人公のエドがアルを取り戻すためにとった手段のことである。
そもそもなぜ兄弟は体を奪われていたのかというと、死んだ母親を蘇らそうとして人体錬成を試みた結果、錬金術の「等価交換」の法則により、代わりに自分たちの肉体を奪われてしまったからだった。二人の肉体を取り戻すには万能のエネルギー源である「賢者の石」が必要だったのだが、エドとアルは賢者の石が生きた人間を材料にして作られていることを知ってしまう。
経緯をまるっと端折るのだが、結局物語の終盤、エドは賢者の石を使わずに二人の肉体を取り戻す方法に気づき、実行する。エドの決意に、「真理」は「正解だ」と言って笑う。
エドが全てを取り戻すために差し出したのは、エドが錬金術を使う能力そのものだった。
私はその展開に正直もやっとしていた。
「鋼の錬金術師」の見どころの一つは、エドが繰り広げる巧みな錬金術の数々だったからだ。それに、「最年少国家錬金術師」という厳つい肩書きや手を合わせるだけでどんどん色々なものを作り、意のままに動かすバトル、錬金術の知識を使い炭素硬化の能力を使う敵をもろい消し炭に変えてしまう展開……。錬金術はエドというキャラクターのアイデンティティだった。
実のところ、錬金術のような便利なものに頼らず額に汗して自力で生きろという作者のメッセージは作中で示唆されてはいた。エドの師匠のイズミは凄腕錬金術であるにも関わらず、「錬金術に頼っちゃいけない」と言って近所の子供の壊れたおもちゃを手作業で直す。そしてエドも最終回、「錬金術がなくてもみんながいるさ」と、金槌を手に清々しい笑みを浮かべる。
だが、やはり読者からすると、「それでいいの⁉︎エド、あんたすごかったのに」と思わざるを得なかった。
しかし今、Twitterをやめたことで、エドの清々しい笑みの理由がわかるようになった気がしたのだ。
前置きが長くなってしまった。
私は同人の字書きである。Twitterやpixivで二次創作小説をアップするとそこそこバズる、ジャンルではまあまあ人気の字書きだ。
小説を書くのが好きなぼっちオタクの私にとってTwitterは、ジャンルの情報や推しの素敵な二次創作、実社会のニュースやトレンドをリアルタイムでたくさんチェックすることができる大切な情報ツールであると同時に同人友達を見つける出会いの場であり、萌え語りができるコミュニケーションツールであり、どのような傾向の話を書けば芳しい反応が返ってくるのがすぐにテストできる巨大な実験場であり、お手軽に承認欲求を満たしてくれる蜂蜜の壺のようなものでもあった。
しかし、同人界隈でTwitterをやっていると、疲れることもたくさん出てくる。人間関係、承認欲求、ジャンル学級会。三者三様に歪められたキャラの二次創作がどっと流れてくるタイムラインに疲れ、私は果たしてこのキャラを本当に好きなのだろうか?それともみんなで口をそろえて「〇〇ちゃんえっち」とか「可愛い」とか「エモい」とか言わなければいけないような集団意識のせいで好きだと思い込んでいるだけなのだろうか?と悩むこともあった。Twitterでキャラグッズを次々と大人買いする人々や、論理が通っているのかよくわからない考察ツイートを見るたび、胸焼けするようになってきた。創作でも、いわゆる「互助会」に組み入れられるのが重荷になってきた。
それでも、同人のSNSが私の生活の中心にあり、そこでの中堅字書きという立ち位置が数年の間私のアイデンティティだったから、Twitterをやめられなかった。情報を追えなくなったり、忘れられたりするのが怖かった。
(一応リア友もいないわけではないけど、就職を機に皆地方に散ってしまってあまり会えないし、しょっちゅうはやりとりしないため「居場所」感はあまりなかった)
冴えないぼっちの日常生活を送る私の唯一のきらきらしい社交場が失われることへの不安感から、私はTwitterを続けていた。
だけど、限界が来た。
きっかけは、私が、おそらくリモート飲み会で、ジャンルの顔的な人の不興をかったことだった。このことについては何を言っても主観になってしまうのでうまく説明できない。特別な粗相をしたつもりはなかった。ただ、今まで仲良くしてくれていたその人が、飲み会を境に急に全く絡んでくれなくなったので、何かしてしまったのかな天…と思った、というところだ(他の飲み会メンバーからはハブられてはいなかったけれど、わざわざ「私なんかやらかしました?」なんて鬱陶しがられる自意識過剰な質問もしづらかった)。強いて言えば最初、私のスマホの電波があまり良くなくてもたついたせいで若干場を乱してしまったとか、その人が話しているとき一度トイレに立ったとか、そういうことはあった。もしかしたらとんでもない粗相を無意識のうちにしていたのかもしれないし、あるいは全く別の理由かもしれない。
とにかく、その人が絡んでくれなくなった瞬間、その人の取り巻き的な人たちがほとんど反応してくれなくなったのだ。
Twitterで彼女たちがワイワイ盛り上がっているのがやたらと目についた。彼女たちの創作をヨイショすれば機嫌を直してくれるかもしれないけれど、不純な動機で同人を利用するのはもう嫌だと思っている自分がいた。
私は、何をすればいいのかよく分からなくなってしまった。彼女たちより有名な字書きになって見返してやろうと憤ったり、自分を責めたりと、このご時世において生活に困っていない恵まれた身でありながらバカみたいな理由でメンタルがぐちゃぐちゃになった。ジャンルの顔的な人や、それに媚びている取り巻きたちのかいた推しを目にするたび、推しそのものが嫌いになり始めている自分がいた。
(また、同人界隈がきっかけになって仲良くなり、LINEを交換して旅行などにも行った人たちがジャンル移動していたため、TwitterでやりとりすることがほぼなくなったというのもTwitterをやめるきっかけの一つでした)
楽しいこと、心が慰められることよりも、つらいことの方が上回っていると気づいたとき、やめようと思った。
そして私は、ずっと私の生活の中心にあった同人アカウントを消した。消す前から、このご時世における自分の悩みの卑小さ、不毛さには気づいていたが、消して改めて、自分が長い間スマホの中の小さな世界を首を縮めてのぞきこむばかりで、顔を上げてきちんといろいろなものの広がる世界を見ていなかったのだと気がついた。
思えば、どこかに観光に行っても、何を食べても、Twitterに投稿することばかり考えていた。何を書けばウケるかとか、通知の数とか、そんなことで頭がいっぱいだった。いつのまにか自分自身で、同人アカウントしか居場所がない状況を作っていた。
世界の命運や肉親の志を背負って闘うエドと、ただの同人字書きの私では月とすっぽんよりさらにかけ離れており、同じ括りで語るのはおこがましいこと限りないということは分かっている。
しかし、そのとき私は確かに、エドの最終回での清々しい笑みの理由がわかった気がしたのだ。
エドは、錬金術の能力を手放すとき、「思えばずいぶん踊らされたよな」と口にした。錬金術師として活躍したエドは、しかし、錬金術で母親を蘇らそうとして大切な家族を奪われ、錬金術を使い倫理にもとる悪事をはたらく者たちを数多く見てきてもいた。錬金術は、壊した物を直すこともできるし、武器にもなる、一見万能な術だ。しかし死んだ人間を蘇らせることはできないし、錬金術頼みでは解決できないこともたくさんある。
Twitterも同じである。日常のあらゆる情報をリアルタイムで発信する。Twitterを使えば全世界の人々と繋がれる。しかし、日常に入り込むそれらは、同時に、日常を強大な「それ」(錬金術/Twitter)なしではいられなくさせてしまう。「それ」を利用しているはずの私たちは、いつのまにか「それ」越しでしか世界を見られなくなってしまう。
錬金術にしろTwitterにしろ、便利ですごいものは良くも悪くも影響力が大きくて、世界やものの見方を変えてしまう。それに振り回され、人間の作った枠組みの中でおだてられて自分はすごい人間なのだと慢心し、甘い汁を吸ったかと思えば虚しい思いもする、そんな力の渦から脱却したから、エドは最後、笑ったのだと思う。
Twitterを退会し、同人の交流をやめてできた時間の中でやりたいことは意外と早く見つかった。小説や映画など色々なものに触れてみたい。資格を取ってキャリアアップしたい。今は難しいが、時勢が安定したら小説のカルチャースクールに通いたい。どうにかして、ネット頼みでなく新たな交友関係を築けるよう模索していきたい。
たぶん、徐々にTwitterをやめたことに対する寂しさや後悔は増していくのだろう。それでも、私のなりたい未来の姿は小さな世界の局所的人気者ではないから、寂しさを糧にしてふんばりたいなと思っている。
最後に。