はてなキーワード: こじつけとは
平時なら改憲だとか言ってもあーはいはいで済むけど、今はそれこそコロナ禍における緊急事態だからね。
皆ただでさえ、外出や営業の自粛の要請でイライラしているのに政府の決断能力の無さや対応の遅さや不味さや先行きの不透明さの中でこの様な空気を読めない発言をしたらこうなるのも当たり前としか言えないよね。
何より本来はそれこそ自民や安倍総理には即決の企業支援の為の粗利補償や消費税ゼロ、そして給付金の一律配布などを求められていたのに必要な事は何一つせず、必要のないアベノマスク配布や日本のコロナ対策をおなざりにした上のIMFを通じた途上国支援等は即決で決められたのだから批判が出ない訳がない。
給付金にしても自民の若手の意見は無視し続けたのに公明党に連立解消をチラつかされた途端、態度を変えたと言う始末だからね。
あらゆる面で求心力が落ちるのも当たり前だし、このコロナ禍においてはガチで右も左も関係なく、批判していたからね。
その上で憲法改正などと言うそれこそ今コロナ禍対策に必要ない事を言われれば切れる人が多いのも当たり前だし、そのコロナ禍にこじつけて緊急事態条項とか言い出して個人の権利の自由を制限しようとしているのだから、どう見ても政権批判潰しに使おうとしていると批判されるのも当然だとしか言えないよね。
そもそも今回のコロナ禍においては安倍総理等の政府の決断能力の無さや判断の遅さ、対応の不味さ等が一番の問題点であるし、幾らこの人達が思い描く様な改憲をした所で、有事が起きた際、この人達がまともな対応ができる訳がないのはこのコロナ禍と言う緊急事態を見れば判る事だからね。
はっきり言って今回すらまともに対応の出来ていない時点で有事だともっと悲惨な事態しか招かないと言う事がこのコロナ禍において証明されたと言う事だからね。
ようは決断能力の無さや判断の遅さや対応の不味さと言う問題点だから、憲法とは関係ない問題であり、人間性の問題と言う訳。
その点が問題なのに憲法云々言われたらそりゃ憲法に責任転嫁するなと言われるのも当たり前だよ。
しかしこの人達いつも有事有事だとか今回も緊急事態宣言を出しておきながら、暢気に今の段階でこのコロナ禍を利用して憲法改正を言い出している辺り、一番平和ボケをしているのは安倍総理周辺の人間だなと言う事を実感させられるよね。
平時ならともかく今はそれこそコロナ禍の緊急事態の真っただ中なのだからこの様な事は口にすべきではないし、それこそコロナ禍に対する対策に集中すべきだとしか言えん。
本来ならばコロナ禍に対する法案など以外全て凍結すべき事態であるし、今本来は一刻を争う時期であるのにも関わらず、そのコロナ禍に対する対策のしなささから、次々と雪だるま式に問題が膨れ上がってきている中で、当事者がこの様な空気を読めない発言をしているのだから本当の意味で呆れ果てるよ。
このコロナ禍の対策の不味さや決断能力の無さから改憲に賛成の人であっても安倍総理の元では反対と言う人も増えてきているだろうよ。
ていうか、将来的にどうなるか分からない、なんて事を言い始めると、例えば
世界観的に、大人から子供になるのは理屈を無理矢理こじつける事が出来たとしても、子供から大人に瞬時になるというのは、(保存則から言って)もう物理的な法則をねじ曲げないと実現できなくて
それを全面的に肯定すると、あの世界ではおそらく男から女に、女から男になる薬というのも多分作れない事はないんだろうと
つまり突き詰めると、あの物語では年齢や性別等というものは言ってみれば特徴ではなく状態であり、つまり蘭が男になってなおさらに新一と結ばれる展開、あるいは新一が女になってさらに蘭と結ばれるという展開も全くあり得ないとは言えないはず。でもそういう想定はまったくフェミの間にはないわけでしょ?
……いや何が言いたいかというと、物語展開の想定が出来ないというのは別に出来ない奴に差別意識があるわけではなく、単に想像力の問題なんじゃね? って話
⬜️日本がIMFへの拠出表明https://t.co/9kk241fve7
このIMF、日本は第2位の出資国で、重要な役職に日本人が就てたり、財務省の天下り先だよね。例えば日本は更に増税すべき!ってあたかも国際機関からの指導と見せかけて、財務省の代弁的役割をさせてたりね。今回の件で日本に恩恵があればいいけどね。— フィフィ (@FIFI_Egypt) 2020年4月8日
外交の安倍の中国包囲網はどうした?w
西村康稔経済再生担当相が対象地域となった7都府県知事とのテレビ会議で、休業要請を2週間程度見送るよう打診
日本がIMF大災害抑制基金への拠出表明へ、低所得国支援
そろそろ北から飛翔体飛んでくるぞw#無能自民党#全ての住民に補償と給付で防疫を pic.twitter.com/KapP3pfylr— kupalchan (@kupalchan) 2020年4月8日
馬鹿なの?
こんな言葉使うのはどうかと思うけど、流石に日本がヤバいこの時期に国内ほっぽり出してこの行動はないわ。
こんなコロナ禍と言う企業や個人に対する政府の要請により国内では経済的混乱を招き、そのせいで国内経済が悪化し、本来すべき国内企業や一般人にはケチ臭く消費税ゼロや給付金や粗利保障をせずに海外には良い顔をしたい為に景気良くばら撒いて、体裁だけを保ちたいだけと言う人達と言う事がモロに今回露呈したって事になるよね。
この国の政府はどこに向いているんだ?
流石にここまで酷いと売国奴って言われても仕方ないと思うが。
そりゃ野党に限らず、自民内部からも批判の声出るのも当然だよ。
平時ならともかく昨日のコロナ禍にこじつけた改憲発言と言いこれと言いとことんこいつら危機感ないし、空気読めていないよね。
そりゃ右も左も怒って当たり前だわ。
日本だけなんだろうか
アマチュアリズムって聞いて、なんか金はないけど手弁当で頑張ってます的な発想になってしまうのって、本来の海の向こうのアマチュアリズムと全然違わね? って思っちゃうんだけど
そもそもアマでアスリートなんかやっても食っていけるっていうのは、つまりそれだけお家に金がある上級国民に他ならないわけで、要は金もらってスポーツやるような下賤な輩なんか入ってくるんじゃねえよってことでしょ?
単に自分らの階級だけで独占したいってのが本音で、商業主義の排除とか言われてもそんなん二の次じゃねえかって感想しかない
今見たらWikipediaですらそんな感じのこと書いてるし、実際ラグビーなんかまさにそれだったし、そもそも日本も明治時代にスポーツが入ってきた時は似たような感じだったはずなのに
俺は米津玄師が嫌いじゃ~~~~
まぁ俺は米津玄師にあったことないし、どんなヤツなのか知らんけど。
だから正しく言うならば、俺は米津玄師の作る曲が嫌いじゃ~~~~
大っ嫌いなんじゃ~~~~~~~~~~~
。
米津玄師の曲と初めて出会ったのは、まだ米津玄師がハチとして活動していたころなわけよ。
当時ニコ厨だったじゃん?俺。なんでニコニコ動画で「マトリョシカ」に出会っちゃうわけですよ。
ボーカロイドにあんま興味なかったけど、なんとなく動画を再生してみたわけよ。
。
つまんね~~~ツッハァ・・・こんなつまんねぇ曲が人気なのかよ・・・
。
そんな感想を抱いて、二度と再生することはなかったわけですよ。
そんな感想を抱いちゃった俺の予想に反して、ヤツとヤツの曲はメキメキと知名度を伸ばしたわけですよ。
今やその名を日本中にとどろかせちゃってるわけですよ。
俺のお袋ですら名前くらいは知ってんだぜ?やばくね?
。
米津玄師は天才、そんな評価を見るたびに米津玄師の曲を聴いてみたわけですよ。
しかし、やっぱつまんねぇ・・・「マトリョシカ」の頃と比べればバリエーションは豊富になったけども?
どんぐりころころとかと同じような感じに聴こえるわけですよ。
いや、これは言い過ぎたわ。現代風にアレンジしたどんぐりころころみたいな感覚というのが一番近い。
まーまー、でも嫌いってほどでもなかったわけです。はい。好きでも嫌いでもない。この時点では。
。
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パプリ~カ 花がさい~た~ら~
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聞いた瞬間、なんというか、はらわたが、煮えくりかって、きたわけですよ!!!!!!!!!
何故かって!?俺もわかんねぇよ。
でも俺はその曲を聴いた瞬間、これは音楽に対する冒涜だ!!とすら思ったわけですよ。
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YouTubeが結果に出てきたよね。
詞・曲・編 : 米津玄師
これを知った瞬間から、米津玄師の作る曲全てが嫌いになってしまったよね。
つまんねぇとしか思っていなかった「マトリョシカ」も、聞いただけで反吐が出そうになっちまったよね。
。
なんだろうね、なんであんなに不愉快な気持ちになるんだろうね。
ちなみになぜ今書いたかというと、YouTubeのあなたにおすすめで「パプリカ」出てきてくっそムカついた思い出がよみがえったからね。
怒りに任せて書き殴ったね。あ~~~~~すっきりしたんじゃ~~~~~~~~
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ボコボコに叩かれるかと思ってたけど、俺と同じように気に喰わん人も結構いるんだと思ったね。
色々理由考えてくれてサンキュー。でも嫌いな理由はマジでわからん。生理的に嫌いとしか言いようがないね。
たださ、無理やり理由つけるとしたらさ、あの曲からあざとさ感じちゃうからかもしれないね。
いかにも裏の意味がありますよ~みたいな曲というか、思わせぶりっていうの?
そういうの、感じる・・・感じない?
俺は感じちゃうし、しかもそれを子供?に歌わせちゃうのがあざとい!!かわい子ぶっちゃって!!!!ぶりっ子だよコイツ!!!!!!!!
そういうの、なんか腹立つよね。うじうじしないではっきり言ったらどうなんですか?って思うよね。
感情を表現するのに、嘘の感情のせちゃってさ、舐めてんのか?って思うよね。
一曲そうなら全部の曲そういう風に聞こえてくるよね。うん。こじつけたらこんな感じ。
ちなみにさぁ・・・
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なんならガキの頃「ぼっちゃん一緒に遊びましょ」を「おっさん一緒に遊びましょ」に替え歌して爆笑してたくらいには好き。やっぱそんなに好きじゃねぇな。
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あとブコメで菅野よう子の5文字を見たんだけど、菅野よう子の作った曲にも嫌いな曲あってさぁ・・・
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プラチナの歌いだし(わったしぃーのせぇーかいのとこ)めっちゃ嫌いじゃ~~~
大っ嫌いなんじゃ~~~~~~~~~~~~~
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妹がCCさくら大好きだったから日曜日にCCさくら欠かさず見てたんだけど、OP見るたびサザエさん症候群なってたからね。
なのにCCさくらのOP見たらサザエさん症候群なってたからね。
CCさくらが始まりそうになったら自分の部屋に逃げてたからね、当時の俺。
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その他で知ってる曲はライオンとカウボーイビバップのOPしか知らねぇ。
ていうか今でも好き。
https://this.kiji.is/610648974330823777?c=39546741839462401
しかし当時自撮りで逮捕されたのが未成年の自身であった事を非難されたことがあったから、あくまでこの手の事をさせようとしているのは大人である様な印象操作をしようとしているのを見てもある意味必死だなと思う。
普通に考えて同年代で付き合う事も多いし、自分から送る事もあり得る話なのは過去の事例を見ても判る事だしね。
どちらにしろ児童ポルノ禁止法自体法律として破綻し出してきているのは事実だし、あの人達の言う創作物規制自体以下におかしいものであるかと言う証明にもなってしまっているのだけどさ。
本来法律趣旨にすべきだった児童救済は考慮されず、規制ばかり強化され続け、性的虐待物に変更しなかった結果余計におかしなことになりだしたしね。
余りにもこの法案、児童ポルノにこじつけてネット規制や創作物規制をしたい方々が好き勝手し過ぎた結果おかしなものになりすぎたのは事実。
同意できないので、反論というわけではないですが、TAKUROさんというよりTAKUROさんファンについて書きます。
まず、TAKUROさんファンは大人です。似合っていないコスプレもしないし、TAKUROさんの妻にも礼儀正しくしています。いつも冷静で、音楽のことになぜかこだわる3人のファンとは違います。TAKUROさんが音楽を重要視していないのに、音楽性の話でTAKUROさんを批判するような3人のファンとはモラルもマナーも違います。
TAKUROさんは3人を見つけてあげて、豊かな生活ができるよう導いてあげた女神なので、感謝されたり愛されたりするのは当然です。
HISASHIはアニメばっかりのオタクだし、TERUはTAKUROさんに迷惑かけているので、彼らのファンはもっとTAKUROさんに感謝すべきです。
JIROはTAKUROさんが手紙を書いてあげたおかげで立ち直れたのに、他のバンドが救いになったとかいうこじつけは失礼です。
全てTAKUROさんのおかげなのだから、TAKUROさん本人がなんと言おうと、TAKUROさんの昔の画像を笑いに使うのはありえません。顔がいいし美人なので、笑う方がおかしいんです。ギターのミスだって、人間ならあります。TERUやJIROのミスとは違います。
TAKUROさんファンはTAKUROさん一家を見守っているし、TAKUROさんの写真を見せてくれてありがたいのに、公私混同だと言われても困ります。社会人のルールを当てはめるべきではありません。
それとHISASHIもJIROもTERUも一番好きなのはTAKUROさんなのは明らかです。だから3人のファンの認識がおかしいです。特にHISASHIとTAKUROさんは同じ高校で、長い付き合いですし、TAKUROさんが相棒とおっしゃってますので、この2人が特別な関係なことは誰にでも分かります。小学校から一緒とか関係ないです。
TAKUROさんの歌詞や曲も、色々言う人がいます。でも時代に左右されない曲と、アメリカに移住したからこその、広い視点での日本批判の歌詞なので、受け入れるべきです。
TAKUROさんの素晴らしさは、TAKUROさんファンにしか分からないのかと落胆しています。1人でも多くの人に、TAKUROさんの魅力が伝わりますように。
それ、なんでもセックスこじつけてて、きちがいレベルに見られる人たちだよ。
それは一般人レベルの生活している人たちでは、そうそう居ない。
(ようするに、アニメゲームマンガを見ながら政治運動に傾倒して、アニメゲームマンガを政治でぶっ叩くよりも、「ガチャを回すぞ、かわいい女の子を描くぞ、コスプレしたぞ」のほうがよっぽどオタクとしてきちんとした姿だってことに、最近まで気づかなかったって話です。)
背景は、同人作家。で、左派系思想にバックボーンを持ちいわゆるネットの論客とかもやってた。
いま、もう、俺たちの時代に通用したオタクしぐさはただの迷惑行為なのだということを感じる。
昔は、バンダナにジーンズをつけたオタクがいた。あれは当時の最新のファッションを後追いしたものだった。しかし、今見るとダサいしキモいし、痛々しい。
俺たちはネットで、「バンダナにジーンズをつけたオタク」をやっているのだということを自覚した。
ラブライブのスカートの線は現実女性に悪影響を与えるから許されない、という例の話は、はっきり言えば老害オタクしぐさなのだ。
もうすこし順を追って話そう。
俺たち30代40代オタクは、好む好まざるにかかわらず、政治にかかわることを必要とされた。(後から追記:考えてみればかかわる必要などなかったし、そう思うこと自体が、おかしいといわれればまさにそのとおりなのだが、なぜかそもそもかかわるものだと信じていた)
オタクというだけで、差別され、いじめられた時代を経験し、保守(左派系ラディフェミ政治家も含む)政治家がオタク文化を焼き払おうとした時代だ。
だから、オタクは政治にかかわって自分を守ることが要求された。
それゆえに俺たちのイケてるオタクしぐさ、というのは政治にかかわっていろいろ発信することだった。(後から追記:考えてみればなぜそう思ったのか心底わからない。オタクとして萌え萌え言っておけばよかったと心底思う)
サブカルとしての政治運動にかかわってるというだけで、一目置かれたし、あらゆるアニメを政治に結び付けて批評したりすることが最先端のオタクしぐさだった。
とりわけ人文科学、もっと言うなら大学で覚えたばかりの社会学や歴史学や心理学を利用してオタク文化を批評したり政治に牽強付会してサークルで議論したりネットに発表したりすることが最先端のしぐさだった。(後から追記:当時からすでにめちゃウザかったっぞというブコメもついている。すでにダサかったことに、その当時は全くおもわなかった。しかし実際はダサダサだったのかもしれない)
セーラームーンとフェミニズムのかかわり、エヴァンゲリオンの登場人物の心理解析、シスプリの大ヒット、涼宮ハルヒが社会に与えた変化と現象、発売されたばかりのアダルトゲームと国防体制とか、そんな愚にもつかない論考を出せば、転載サイトが記事を拡散し、バンバンブクマが付いて、はてなやFC2のブログが大いににぎわった時代を体験したのだ。
しかしその時代は、終わりを告げる。個人SNSの情報速度の加速に、この手の論考はついていけなくなった。より刹那的に、よりリアルタイムでの反応が求められた。
また、オタクの政治的立ち位置とかかわりも一気に変わった。まさか、よもや、自民党から表現規制反対の議員が出て、アニメゲームマンガを守る一本槍で戦い、全国比例で53万票も獲得するとは夢にも思わなかった。同時に、左派系議員にも表現規制賛成を叫び、多くのかつてのアニメゲームマンガ規制反対政党からも、アニメゲームマンガバッシングが飛び出すようになった。
こんな時代になってくると、もう、人文科学や政治にオタク趣味を絡めて、左派的価値観で作品を論評したり、オタクにかかわることが何の意義があるのか? ということになる。「この作品はリベラルなのかどうなのか」とか、「この絵はフェミニズムから考えると女性の抑圧ではないか」とか論評すること自体、もう「バンダナにジーンズのオタクがダサいのに自分はイケてると勘違いしている」ということになる。
いまどき、「艦これやアズールレーン趣味をやりながら正しい歴史認識を叫ぶ」というのも痛々しい。
そんな奴よりも、「ただネットに同人誌の一コマを乗せたほうがよっぽどRTといいねが来る」し「youtubeでレイヤーがSEKIROをプレイしてたほうが尊敬を集めるし面白い」って時代になった。
いちいち海外の友人と友達だなんてマウンティングをとる必要もなく、同人作家は海外絵師やファンと、レイヤーは海外レイヤーと相互フォローになってる。自分たちが海外に友人がいるんだぞとマウンティングの経費を大量に払ったのと比較にはならず、ナチュラルに異文化交流してやがる。
そんな老害になった俺たち世代がせめてもの抵抗として、注目を集める方法が、炎上とオタク文化批判だったことは悲劇である。要するに、「今のオタク表現は差別だ。許されない。俺が真の表現規制反対派として、表現を規制してやることがお前たちのためになるんだ」と言い出すことだ。
老害化を直視できないが、注目を集めて最先端に残るためには、世界を破壊しようとするしかないのだ。
でも全員がそんなことできるわけじゃない。
昔の時代を忘れられずに、しかし、今の時代に適応できない人間はかなりの数いる。
文化の中心にいない人間が、ついに最先端の若者たちを攻撃する時代になった。もう完全にやってることが石原慎太郎である。
事実、かつては左派系表現規制反対派の論客たちが、次々と規制派へと転向しフェミニズム系規制論を唱えるようになったのは偶然じゃない。
いま現在、左派系価値観で、オタク趣味を語ることの価値は暴落し、何の意義もない。唯一かろうじてオタク文化の真ん中に居座るには、規制派としての椅子しか残されていなかった。
さんざん世話になった左派思想である。どんなにくだらない、萌えオタ表現たたきであったとしてもこの際仕方がないという面は理解できる。
自分が老害化していることを認めず、「今のオタク文化を矯正してやるんだ」と息巻いては見たものの、周囲の人間からは「迷惑でうるさい老害が来てるよ、お前は石原慎太郎と同類だよ、劣化したな」と軽蔑のまなざしを向けられる政治語りオタクを何度も見てきた。
いま、政治とオタク文化を結びつけるには「差別」という強いカードを切って、「お前らは差別しているんだ。いや差別じゃない」とこじつけるしかない。
だがそれを繰り返せば繰り返すほど、余計にダサい老害になるというのに。
昔は20本以上見ていたのに。
ソシャゲの周回もおっくうだ。
そのくせ、ひどく怒りっぽくなってアニメとか新作を見るとくだらないと思える。
もう認めよう。
俺たちは石原慎太郎と同じ道を歩んでいる。
追記1 ブコメに「もう虐げられてるサブカルじゃなくて、超どメジャーカルチャーなんだよ。」ってまさにそれなんだよね。マイナーなサブカルロックバンドが好きだったのに、メジャーになったとたんに「堕落した。メジャーに媚びた」って、昔のファンがアンチになるでしょ。あの状態。今更、メジャーなサブカルとしての生き方をどうやってやったらいいのかわからないのだ。だけども、この流れは今更もう止められないだろうということも理解してる。
追記2 自分は30代だが、この世代がどうとかいうのはたしかに間違いだった。もっと上の世代にもそういう人が多いというのは理解してる。世代というよりは、政治にかかわってオタクを語ろうとするクラスタの話なのかもしれない。
追記3 その老害ムーブを、まずやめろというのは正しいし、自分はそうならないようにしているがそれでも、政治語りがダサいということを受け入れるのは難しい。
追記4 いろいろ反応を見て気づいた。なぜ政治オタク語りなんてやってたのか。全然わからないし必然性もなかった。本当になんでやってたんだろう。
追記5 「オタクじゃない、政治サブカルだ」というのは本当にそうだと思う。サブカルがオタクに文化的な敗北したから、サブカルから一段下にオタクを見下しつつかかわってた人たちの軸がすっ飛んだんだと思う。政治サブカルが破綻して、オタクだけが残ったんだと思う。
追記6 なぜ害だと気づけたかというと、政治サブカル系のアカウントが次々おかしくなっていったから。かつてはまともだったはずなのに、今はもう何なのかわからない人たちがたくさん生まれ始めた。それを何だろうと考えた結果。
追記7 KEYについては正直よくわからない。やってないから。ただ友人は、CLANNADをガンガン推してきたが、ぶっちゃけ観てない。絵柄がちょっと合わなかった。
追記8 「アニメから思想が消えた」とか、無理やり政治問題や世相を切る道具として使って政治敵を攻撃したり政党批判に持っていくのが、ダサい時代になったということだと思考。
追記9 30代は若い若い、と言われてる。確かにもっと年齢層が高い印象。しかし、この手の老害化は30代でもかなり目撃してる。
追記10 お前39だろ、39だろ、っていうやつら。39歳だってまだ30代の仲間だろ! いじめよくない! どうしてそう、必死に30代にしがみつかせてくれないんだ。
追記11 これを規制派とか反規制派とかいうくくりで読むこともできるんだろうけれど、害だなあと思うようになったのは、「本気でオタク表現に対してマジギレ」したり、「本気でオタクはネトウヨだが俺たちは違うんだ」と立ち振る舞う人が、オタク系政治に浸透してきて「本気かよ」とドン引きしたのが最近の率直な印象。「オタクは腐敗してる」とかいっても、どうせごっこ遊びだろ? いつもの極論ワロスw って受け止めてたが、ここ最近、本気で怒って、本気でつぶそうとしてる人が自分の周囲でもマジに出てきた。昔は評論遊びをしてる部分はあったと思ったけれど、実際には他者に多大な迷惑をかけまくってたんじゃないかと考えるようになった次第。
追記12 ラブライブのスカートの線で、マンガ家が「そんなの大した問題じゃないだろ。俺の健全な絵でも見ろよ」とオタクを軽く挑発するオタク老害しぐさをやって「本気の攻撃をされたと認識したオタクがフルボッコにした」ことがあるけれど、あれを見るに、もう今と昔ではオタクの自意識も作法も違うと思う。昔から嫌がっていた人が可視化されただけかもしれないが。