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はてなキーワード: 書き下し文とは

2024-02-07

漢文」の授業で、白文→(訓読文→)書き下し文現代語訳という読み方を教わるじゃん?

でも、白文から書き下し文へのマッピングで、置き字とか倒置とかの情報が失われるじゃん?

わざわざ倒置するからには、そこに語調を整えるだけではない意味がある場合があるわけだよね。

てことは、この方法って本質的に間違いなんじゃないの?

 

昔の日本人が当時の重要言語であった昔の中国語をそれなりに理解する方法としてはありだったかもしれないけど、

現代人、特に、あえて昔の中国語の文献を読もうなんて酔狂な人たちが採る方法としては、マッチしていないんじゃないの?

自分高校しか勉強していないので知らんけど、きっと、大学以上で昔の中国語を読む人たちはこんな読み方をしていないよね?

個人的には、高校生の頃は単に好きだったので「漢文」の勉強をよくしたし、そのおかげで中国人とは普通に筆談で話が通じたのでそこそこ役に立ったとも思っているんだけど、

「どうせやるんだったら、白文自体理解する中国古典文法をやった方が良かったのでは?」という疑問は消えない。

2023-12-09

探している小説

小説と書きましたが作文です

森鴎外小学5?年生のときに書いた作文を探しています

祖父の死に触れて書いた「森林太郎」としての直筆の原稿用紙の画像書き下し文過去ネットで見かけたのですが、探し方が悪いのか見つかりません。

お持ちの方、もしくはタイトル記載サイトをご存じの方、いらっしゃいませんでしょうか。

内容は、葬式の厳かな雰囲気について記された文章です。

線香の香りと白菊?の濃厚な香りについての記載があったと思います

2021-06-09

anond:20210122211512

漢文はそれ自体はそこまで重要ではないけど漢文書き下し文が読めないと戦前文章ほとんど読めなくなる。嘘だと思うなら終戦詔勅でも読んでみればすぐ分かる。そして古文だけど、これの実用性は皆無。

それと世界中エリート素養として自国文化を作った言語理解していないといけないというのがある。ヨーロッパならラテン語中東ならアラビア語みたいな言語エリートはなんだかんだで一度は触れてるしそれなりに読めるし読めないといけない。そして日本では漢文古文がそれにあたる。これが出来なくても日常生活では問題ないけど、これをやらないと世界バカにされる。

アホくさいと思うけどあるものしょうがないし俺もそう思う。でも文句を言ったところで改善するには世界革命でも起こしてエリート抹殺するしかないんだからしょうがない。

anond:20210122211512

漢文はそれ自体はそこまで重要ではないけど漢文書き下し文が読めないと戦前文章ほとんど読めなくなる。嘘だと思うなら終戦詔勅でも読んでみればすぐ分かる。そして古文だけど、これの実用性は皆無。

それと世界中エリート素養として自国文化を作った言語理解していないといけないというのがある。ヨーロッパならラテン語中東ならアラビア語みたいな言語エリートはなんだかんだで一度は触れてるしそれなりに読めるし読めないといけない。そして日本では漢文古文がそれにあたる。これが出来なくても日常生活では問題ないけど、これをやらないと世界バカにされる。

アホくさいと思うけどあるものしょうがないし俺もそう思う。でも文句を言ったところで改善するには世界革命でも起こしてエリート抹殺するしかないんだからしょうがない。

2020-07-02

馬鹿が読む古典ランキング1位

孫子

馬鹿古典に興味を持つと決まってたどり着く作品がこれ。

大学に入って突如「教養」に目覚めた大二病リアルが充実していなくて読書に逃げる社会人などが、古典などを漁り出す傾向にある。しかし、そういう連中は大抵、基礎学力が足りておらず、安易に「読んだ気」になれる本を求める。その代表格が孫子である

なお、「馬鹿孫子を読む」と言っているのであって、「孫子を読む奴は馬鹿」と言っているのではない。もちろん、中国文学歴史等の研究孫子を読む人を馬鹿だと言っているのではない。また、孫子の内容を批判しているわけでもない。

馬鹿孫子を読む理由

なぜ孫子馬鹿に読まれるのか。その理由は2つある。

  1. 短く、文章が平易
  2. 抽象的な内容が多く、自由解釈できる

まず、孫子は短い。他のまとまった漢文文章、たとえば荀子韓非子などと比べても1/4未満の分量しかない。そして、使われている漢字や構文なども特に難しくはなく、レ点等が適当に打ってあれば書き下し文で読める。つまり漢文の基礎力が足りない馬鹿ちょっとしたパズル感覚で読むのにちょうどいいのである。実際、孫子にたどり着いた人が他の漢籍に手を出すことはほとんどない。

そして、書いてある内容は正直どうとでも取れるようなものが多い。これが読解力のない馬鹿にはちょうど良いのである。彼らは、文章に書いてある事実関係を読み解くことができず、抽象的な内容を自由解釈し「深い」「含蓄がある」などと思うことを好む。そのため、一見して日常に通ずるような格言警句が満載のこの本は、馬鹿にとってうってつけなのである

要するに孫子は、学力の低い人が「何かを考えた気分」になりたいときに、ちょうどいい本なのだ

馬鹿は短い本が好き

馬鹿は短い文章が好きである理由は単純で、長い文章が読めないかである

文学好きな人は大抵、短編長編を問わずにいろいろな作品を読んでいる。それは文章の長さで選んでいるからではなく、内容に関心があるからである。ある本に何が書いてあるかが気になり、それが正しく読める人は自然といろいろな本を読む。

しかし、孫子を読む馬鹿にとっては、まず短いことが重要である。そして馬鹿は、ふつう文学愛好家などとは異なり、孫子以外の古典は読まなくなる。馬鹿は、書物に書いてあることに興味があるのではなく、安易に読めることだけが重要からである

馬鹿孫子から読み取るもの

馬鹿孫子を読むと必ず抱く感想が以下である

孫子の考え方は○○(e.g. 経営など)にも活かせる

孫子に限らず、本を読んでこの種の感想を抱く奴は、その本を読めていない(元々読み取るべき内容が大して無い新書等は別として)。典型的な「文章が正しく読めず、妄想を膨らませて自分世界こじつけている」タイプである。彼らは、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という言葉を聞けばビジネスに結びつけたがるし、「戦わずして勝つ」という言葉を聞けば平和主義を唱えだすし、孫子クラウゼヴィッツ比較論を聞き齧って東洋思想の優位性を説いたりする。要するに、論じられている内容そのもの理解しようしない。

というか、馬鹿にとってはそれこそが「文章を読む」ということなである馬鹿文章の読み方はこうだ。

孫子は、前後文脈無視しても意味の通る格言が満載であり、こういう読み方で「賢くなった気」になるのにぴったりな本なのである

2020-05-21

詩吟ってさ、漢詩を詠むって聞いたから、当然古代中国語で読むんだと思ってたのよ。

そしたら!なんと!「書き下し文」を読むのね!wwwww

シュンミンアカツキヲォー↓オー↑

みたいにさwwwwwwwwwwww

お前ら、洋楽ルー大柴語に訳して歌うのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww

えー……こんなん、文化じゃないです。中学生が昼休みにやってるやつ。。プププ(笑)

2019-04-01

一応貼っておきます

新元号「令和」の典拠

出典:『万葉集』巻五、梅花の歌三十二首并せて序

引用文:初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

書き下し文:初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす

2018-11-03

anond:20181103133949

日本中国語翻訳せずにそのまま「書き下し文」にするとかやってたし、

なんかなんとなく中国語の本を「翻訳すべき外国の本」って認識できないんじゃないかって思えてきた

からといって現代中国語訓読できないしなあと

現代中国語むけの訓読法とか開発されたら良いんだけど

2018-10-05

anond:20181005102605

一応ヲチ対象としては「荻上チキ」あたりを狙っておくとおススメ。

TBSラジオで平日22:00-24:00で番組持ってる。

割と論理的に話すのが特徴だが、明らかにフェミ関連の話になると理屈を捻じ曲げて語ったりすることが多いので、書き下し文に全論反論みたいなことして見ると割と楽しいかもしれないぞ。

2017-12-19

漢文版・赤鼻のトナカイ

2017/12/19 14:13 追記

この漢文はマジものではなく、うちの息子が書いたものです。悪しからず。

白文

国有馴鹿。其鼻赤猶日然。然人見之覚無異能者又数咲之。

鹿聞之輒怒啼。以為「甚矣、吾見辱也。吾且不勝怒。」

北国翁聖誕者、食鹿、愛鹿、能解鹿之意也。

聖偶知之。則諫曰「方昏時、我将召鹿。焉可啼哉。」

鹿聞之大喜、乃笑曰「聖及其使者也、器之。不亦説乎。」

(聖誕列伝

書き下し文

北国に馴鹿あり。其の鼻の赤きこと猶日の然ゆるがごとし。然れども人これを見るに異能なき者におぼえ、又しばしばこれを笑う。

鹿これを聞きて輒(すなわ)ち怒り啼く。おもえらく「甚だしきかな、吾が辱めを見るや。吾まさに怒りに耐えざらんとす」と。

北国の翁・聖誕(サンタ)は、鹿を養い、鹿を愛し、よく鹿の意を解するなり。

たまたまこれを知る。則ち諫めて曰く「昏なる時にあたりて、我まさに鹿を召さんとす。いずくんぞ啼くべけんや」と。

鹿これを聞きて大いに喜び、乃ち笑いて曰く「聖の其の者を使うに及びてや、これを器にす。また喜ばしからずや」と。

サンタ列伝

現代語訳

北国にトナカイ(馴鹿)がいた。その鼻はちょうど日が燃えるように赤かった。しかし、人々はこれを天賦の才と思わず、笑って小馬鹿にしていた。

この度ごとにトナカイは怒り、泣いていた。(トナカイが)思うことには「あまりにもひどすぎるなぁ…この仕打ちは。もう怒りに耐えられない。」

北国のおじいさんであるサンタトナカイをやしない、愛し、気持ちをよく理解していた。サンタたまたま、このこと(トナカイと周りのものとの軋轢)を知った。

そこで、諫めて「暗いときには、お前を呼んで(その赤い鼻をうまく使って)あげよう。どうして泣くのか、いや泣かなくてよい。」と言った。

トナカイはこれを聞いて大いに喜んで、「サンタのおじさんは動物や人(者)を使うときにその性質能力を考えている。(このような人に理解されるのは)なんと喜ばしいことだろうか」と笑って言った。

 
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