「孫子」
大学に入って突如「教養」に目覚めた大二病、リアルが充実していなくて読書に逃げる社会人などが、古典などを漁り出す傾向にある。しかし、そういう連中は大抵、基礎学力が足りておらず、安易に「読んだ気」になれる本を求める。その代表格が孫子である。
なお、「馬鹿が孫子を読む」と言っているのであって、「孫子を読む奴は馬鹿」と言っているのではない。もちろん、中国文学や歴史等の研究で孫子を読む人を馬鹿だと言っているのではない。また、孫子の内容を批判しているわけでもない。
まず、孫子は短い。他のまとまった漢文の文章、たとえば荀子や韓非子などと比べても1/4未満の分量しかない。そして、使われている漢字や構文なども特に難しくはなく、レ点等が適当に打ってあれば書き下し文で読める。つまり、漢文の基礎力が足りない馬鹿がちょっとしたパズル感覚で読むのにちょうどいいのである。実際、孫子にたどり着いた人が他の漢籍に手を出すことはほとんどない。
そして、書いてある内容は正直どうとでも取れるようなものが多い。これが読解力のない馬鹿にはちょうど良いのである。彼らは、文章に書いてある事実関係を読み解くことができず、抽象的な内容を自由に解釈し「深い」「含蓄がある」などと思うことを好む。そのため、一見して日常に通ずるような格言・警句が満載のこの本は、馬鹿にとってうってつけなのである。
要するに孫子は、学力の低い人が「何かを考えた気分」になりたいときに、ちょうどいい本なのだ。
馬鹿は短い文章が好きである。理由は単純で、長い文章が読めないからである。
文学が好きな人は大抵、短編長編を問わずにいろいろな作品を読んでいる。それは文章の長さで選んでいるからではなく、内容に関心があるからである。ある本に何が書いてあるかが気になり、それが正しく読める人は自然といろいろな本を読む。
しかし、孫子を読む馬鹿にとっては、まず短いことが重要である。そして馬鹿は、ふつうの文学愛好家などとは異なり、孫子以外の古典は読まなくなる。馬鹿は、書物に書いてあることに興味があるのではなく、安易に読めることだけが重要だからである。
孫子に限らず、本を読んでこの種の感想を抱く奴は、その本を読めていない(元々読み取るべき内容が大して無い新書等は別として)。典型的な「文章が正しく読めず、妄想を膨らませて自分の世界にこじつけている」タイプである。彼らは、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という言葉を聞けばビジネスに結びつけたがるし、「戦わずして勝つ」という言葉を聞けば平和主義を唱えだすし、孫子とクラウゼヴィッツの比較論を聞き齧って東洋思想の優位性を説いたりする。要するに、論じられている内容そのものを理解しようしない。
というか、馬鹿にとってはそれこそが「文章を読む」ということなのである。馬鹿の文章の読み方はこうだ。
孫子は、前後の文脈を無視しても意味の通る格言が満載であり、こういう読み方で「賢くなった気」になるのにぴったりな本なのである。
大学生になって小林秀雄とか読み出す奴 理学部の学生じゃないのに、無理して「解析概論」とか「ファインマン」とか読むが、結局地の文しか読めてない奴 なども同様
理学部の学生だってファインマンは地の文しか読まないだろ
孫子をビジネス書として読む人なら テキトーに読めば問題ない
お前はバカ
馬鹿は フレーズ暗記→自己解釈 のプロセスを「教養」だと思い込んでいるわけ
いいな 私バカだから孫子読んで賢くなった気になって自己肯定感あげたい
馬鹿が好きな歴史上の人物 織田信長 or 坂本龍馬 みたいなもん 馬鹿は彼らが何をしたのかは理解しておらず、ただ話題に便乗しているだけ
おまえも知らんやろ 無知同士でマウント取り合うなや
歴史がよく分かってる奴は、馬鹿と同類に見られたくないので「織田信長を尊敬している」なんていわない
結局の所、書いてあることを客観的かつ論理的に読み取らなきゃ、何読もうが「字を媒介に妄想広げてるだけ」ってことね
そ、孫子wwwwwwwww ■馬鹿が読む古典ランキング1位 https://anond.hatelabo.jp/20200702124040
存命だけどそろそろサンデルも経済思想系の古典リストに入れたい その辺まで読まないと現代に至るまでの全体像が掴めないし