「部活」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 部活とは

2022-09-08

anond:20220908125632

高校同級生彼氏/彼女ならお互いの話、同級生の話、先生の話、受験の話、部活の話、土曜の半日登校の後に遊ぶ話、とか無限にできそう

2022-09-07

全校集会の思い出

オズワルドの畠中が、母校の思い出として、

平和すぎて事件がなかった。トイレウンコが流れていない...ことに激昂した校長が、全校集会を発令してその便器の様子を見せるくらいだった」

と話していて、自分も似た話を思い出した。

市の南方歴史のある荒れた地域で、学校も荒れていたらしい。

市の北方は新しめの住宅地大人しい地域だった。在学中に特に事件はなかった。

自分が通っていた最北の中学校は、変な若手の先生と、定年間近の先生が多かった。

前者は、初心者向けの環境経験を積んで辛い南に行く準備、

後者は、教員生活最後くらいは問題のない北の環境引退

...みたいな噂が流れていた。そのくらい平和環境だった。

ある日の昼休み明けに、急遽全校集会の号令がかかった。

集合の遅さに、3年の学年主任先生がめちゃくちゃ怒っていた。

タバコでも見つかったのかな?イジメ現場がバレた?など、怒り度合いから原因予想をしていた。

ナン!!!!ガッコウニ!!!!コンナモノガアルンダ!!!!!」

紙切れ?を掲げた先生

後方からは何も見えなかった。前の方から伝言ゲームで教えてもらった。ミルキーの袋らしい。

まりの怒声に女子が泣いていた。全員飴を持ってきていたのかな。

ミルキー片手に騒ぐおじさんの怒号と、たぶん雰囲気で泣いている女生徒の嗚咽。

集会は1時間くらい続いた。

嫌な部活時間が減ってラッキー、くらいに思っていた。

そういえば、確か定年間近だった当時の部活顧問は、北でも問題ありすぎたのか、2年で南に戻された。

彼は元気かな。二度と会いたくない

2022-09-06

anond:20220905215551

1995年頃の方が、研究者とかの割合多くて良かったよ。

研究者から発言の質が高いとかじゃ無くて、部活っぽくて。

日本で三番目に人気のスポーツ

野球サッカーは決まりじゃん?

その次って言われるとよく分からん

部活の人気でいうと多分次はバスケだけど、プロ全然人気ない(国際的に弱すぎ)

そうなるとテニスかな? 松岡修造錦織圭大阪なおみあたり人気だし

でも年末とかテレビでやるから格闘技結構人気?

国際的な強さでいうと卓球結構強いが隠キャのスポーツというイメージが強すぎる

逆にラグビーゴリマッチョ野蛮人イメージ強すぎる

バレーハイキュー効果で人気が高まっている気がするがどうだろう

総合するとやはりバスケテニスのどっちかが三番手

何か忘れているような気もするが…

2022-09-05

昔と比べて今の10の子に使う金がかかりすぎて破産しそう

破産しそうは盛ったけど、自分中高生時代よりは金かかってること確実だわ

自分の時はお小遣い中学で月2000円、高校で5000円、それとは別でお年玉+誕生日+気まぐれに服買ってもらえる

みたいなかんじだけど、子の場合あきらかに月1万以上かかってる

まずスマホ。昔はポケベルで基本料金は安かったし、送信公衆電話とか家電とかだったけど1日何十回もしないし

1回10円に抑えようとがんばってたので月にするとそんなにかかってない。

いまだとiPhoneだけで7,8万する。割賦にしても結局の支払いは同じ。

当初はSEだったけど、SEだと同級生から舐められるようで最新のナンバリングを買わざるを得ない。

基本料金もピンキリだけどポケベル時代よりは高いし、ギガがねーギガがねーうるさいので増やしたから主要キャリアと大して料金が変わらん。

LINE無料通話できるとはいえ節約くらいしろや。

 

次に服。昔はショッピングモールに行ったときとか、最悪近くのスーパーで買う感じ。

それなりにするけどまぁ季節ごとに買うくらいで買う回数はそこまで多くなかったと思う。

今はユニクロGUもあるけどアパレルブランドが多くなり過ぎで、月ごとに何かしら買いそろえてる状態

毎度セールから安いはやすいけど、あきらかに服を置く棚がないのに流行りや好きなデザインだと買ってる感じ。

ちなみに流行りの普通の服から外れると途端に高くて、地雷系とかになってくるとなかなかセールもやってなくて財布に厳しい

 

次に、飯とかお菓子。もう映え映えの映えよ。もう死語だけど。

インスタとtiktokのおかげで「これたべたーい!行く!」と行動が早すぎる。

しかもそういうのは映え手数料が乗ってて軒並み高い。

子のエンゲル係数だけ爆上がりだよ!!

 

次に旅。これは遊園地とかも含むけども

温泉公園プールに海やイルミネーションなど撮影スポットを用意するようになって、その写真を見て「私も!」って感じで友達と行ったりしてる。

あとはディズニーランドやシーに行くだけでクッソ金がかかる。1日過ごせるけど入るだけで7000円、飯とか食ってグッズ買ったら?毎月行くとかなると吐き気しそう。

どうしてウォルト・ディズニーは後世まで愛されるキャラクターなんて作ってしまったんだろう。

 

あとは学校や勉学、部活関連。

部活とか塾関連はまぁ入るとこによるから言及しないけど、昔より高い気もする。

今はむしろ体育祭文化祭球技大会(今はクラスマッチというらしい)ごとに

Tシャツとか衣装を用意して改造しプリクラを撮るためにどんどん金が吸い取られる。

で、終わったTシャツはどうすんの?着ねえよなぁ?!

 

んで、こっちが小遣い渡したり買ったりしてる以上にモノが増えたり食ったり金かけてる形跡がある

隠れてパパ活でもしてんのかな……そんなに金ひつようなんか??

anond:20220905030213

少なくとも70年代までなら少年野球は履いて捨てるほどいたな。クラスの3~4割くらいはやってたんじゃなかろうか。

休み時間放課後の遊びも三角ベースが主流でサッカーほとんど見なかった。

相撲中学部活では部員二けたでそこそこ人気だった記憶があるが、ほとんどはもう幼稚園わんぱく相撲程度だったな。

2022-09-02

エロ漫画くらいなら自動生成して不労所得つくれちゃうんじゃない?

最近やたらとAIに絵を描かせることがトレンドになってるね。

だったらこいつにエロ絵を描かせよう。

どうせ幼顔でスレンダーな割には胸がデカいメス絵だったらなんでもいいんだろうし、そんなのAIさんは余裕でこなすんでしょ?

そしてストーリーAIさんに作ってもらおう。

エロ漫画のストーリーなんてどうせ

・隣に幼なじみが住んでる→セックスする

部活に物静かに見えて実はスケベな先輩(後輩)がいる→セックスする

宅配先ですげぇ美人人妻が出てくる→セックスする

・面倒見のいいオバサンがバイト先によく来る→セックスする

とかパターン決まってんだから、そんなのAIさんは余裕でこなすんでしょ?

絵とストーリーAIさんに作ってもらったら、配信サイトへはRPAアップロードさせる。

50ページ50円くらいで売れば、性欲丸出しのガキやらヒマなリーマンやらがボコボコ買うでしょ。

自分もそれでシコシコやって済ませられるし。

ヘタな投資よりよっぽど安全に稼げるわ。

2022-09-01

逃げ続けてきた人生

「お前ってさ、嫌なことから逃げるタイプでしょw」

「今まで逃げ続けてきた人生でしょw」

会社のM先輩(仮名 イニシャルは男の先輩なんでmenのMより)からの何気ない一言

こんなこと言われるほどまでにM先輩を怒らせるきっかけが色々あったのだがそれは省略。元を辿ると自分仕事が甘いせいなので自業自得なんで。

まぁ嫌味の一つや二つ、言われたところで受け入れるしかない背景はあったのだけど、これは流石に変化球過ぎる唐突ディスりだったので(M先輩は何を突然失礼なことを…)と思って言い返そうと思ったけど、何も言い返せず黙ってしまった。

自分でも驚くぐらい、恐ろしいほどに図星だった。

今まで生きてきて、これほどまでに自分人間性を的確に言い表されたことは初めてだった。

受験就活の時なんかは、面接対策だったり何かよくわからんセミナー自己理解を深めようだかの目的自分性格自己分析させられたりするが、そういう時大体は自分って「真面目系クズ」とか「ろくでなし」だなぁと分析してきた。しっかりやってるように見えて実はズボラだったり、言い訳さえつければ多少甘いことやっても仕方ねぇだろってスタンスだったり、アウトロー気取って悪ノリしてしょうもない遊びをやったり。でも他人がそういうことやってると真っ当に動かない人間には怒りたくなるし、あいつらはクズだ俺みたいな真人間とは違って劣ってるからあいうことしちゃうんだ、なんて見下したりするタイプの本当に嫌な奴。

まぁ流石に「分析した結果、自分真面目系クズです!」なんてそのまんま言うわけにもいかないので、マイペースだとか、争いや変化を好まない温厚な性格とか、ちょっと綺麗な言葉に言い換えたりして誤魔化していたけども。

でもこんなに端的でわかりやす表現があったのか!と目からうろこだった。「嫌なことから逃げる性格」とはまさに自分だ!

思い返せばまさにそんな逃げてきたエピソードがたくさんある。

誰か困っている人が居る時、大丈夫ですか!なんて駆け寄る構えだけはする。でも誰かほかの人がもう駆け寄っていれば自分は何もしない。あぁ大丈夫だな、とその状況から逃げる。

電車で座っていて目の前に老人が居る時、眠ってるふりだったりスマホに集中してるふりをして席を譲ることから逃げる。

学生部活の時、こんな性格でも一応運動部だったが、何かと理由をつけて練習をサボって逃げたし、合宿自由参加だったので最初の1年目は参加しても2年目はパスキツイ練習から逃げたかったし。

就活の時、就職課や合同フェアなんかでよくやってた履歴書ES添削とか、面接練習を受けることから逃げた。自分が書いた内容やチョイスしたエピソードをバッサリ切られて否定されるのが嫌で逃げた。あなたの受け答えこういうとこが足りてませんよって辛らつなこと言われるのが嫌で逃げた。どちらも自分のためには逃げるべきじゃなかったのに。

そんなもんだからちゃんとした会社からは一つも内定を貰えず、手元にあった数少ない内定タクシー業界ブラックで有名な某オタク古物商。でもこんなところで働くのは自分理想じゃないから嫌だと、変なプライド持ち続けて逃げ出す。

就活は冬まで続いた。就活という行為自体から逃げなかったのは偉いと思う。

こういう時頼りになるのは大学就職課なんだけど、春先から色々頼ってるならともかく、秋口になっていきなり頼りだすことのみっともなさとか、今まで何してたの?なんて言われる羞恥が嫌で逃げた。

一番逃げたかったのは「あなたこんな内容でずっとエントリーしてたの?」とか言われたりすることだった。今までの自分がやってきたこと全てが誤りで、全てが無駄になるような気がして。どっちみち落ちてるんだから結局無駄なんだけど。

まぁそんなんでも何とか「新卒でこの会社入りました」って言えたらそれなりの体裁を保てるぐらいの企業と縁を持つことが出来た。

でも仕事の中でも逃げることは続いた。

とりあえず最初の数年間は現業職経験を積むことになるので、まずは交代制で勤務するのだが、まず自分最初に考えていたのは「自分の勤務時間にでかいトラブルおこるなよ…」ということ

まだまだ新人として甘く見られてた頃に先輩と絡んだり積極的仕事に取り組んでわからないことは質問したりすることから逃げてきたため、入社数年目なのに新卒レベル質問をすることが度々あった。え、今更それ知りたがるの?これ知らなかったの?なんて反応されることは日常茶飯

仕事トラブルで困っているとき本来なら自分担当部門トラブルなので自分一人で解決するべき内容なのだが、さも難問かのようにアピールして周りの人から「ここをこうすれば?」「あれはああして…これはこうで…」なんてアドバイスが飛んでくるのを待ってた。自分解決することから逃げてた。

そしてもっと悪いことが「こうすれば?」なんてアドバイス貰った時に「それですよね、自分もそれ目は付けてたんですけど」なんていう一応自分でも考えてましたアピール

そういえばM先輩からこんなこと言われたことあったな

「周りが解決してくれてよかったな」、と。う~ん、見透かされてるな。

この先輩は本当に人のことを的確に分析してらっしゃる…。

そんな逃げ続けてきた人生を先輩に見事に見抜かれ、雷に打たれたようなショックを受けた私が今何をしているかというと、この発言きっかけで適応障害発症休職に入るという「逃げ」の状況です。

嫌なこと言う先輩や仕事から自分性格に従ってに「逃げ」の選択肢を取りました。あんなこと言われた直後に、その人生体現するかの如く本当に逃げのポーズ取ることになるとはさすがに自分でも思わなくて先輩の慧眼さに怖れおののきましたし、きっと先輩も「あいつに『逃げ続けてきた人生だろ』って言ったらこからも逃げやがったwwwwマジ図星wwwww」なんて職場ゲラゲラ笑ったことでしょう。多分自分が逆の立場だったら表向き反省した後に間違いなく裏でゲラゲラ笑うし。

そんな逃げの性格を変えたくて、とりあえずどっか仕事の楽そうなところを…なんて選択肢は選ばず「公務員試験を受けよう」という自分にしては珍しい積極的選択肢

でも滑り止めの自治体内定誓約書を出しつつ、本命自治体試験がまだいくつか進行中なのでちゃっかり受け続けるという、どう転んでも少なから公務員として働けるような「逃げ場」を用意しながらの転職活動なので、結局根っこのところは変わってねぇなぁこいつ、と思う日々。

2022-08-29

子どもの塾代、受験代、部活用品代を丸々投資に充てよう

なあにあとで増えて戻ってくるよ

そして効率が最大だ

レバレッジ

それとサンタさんは親が代わりに投資するように言ったか一見なかったように見えるんだよ

ぼったくりバー店員だったことがある 其の一

かに話したくなってきた。

まだ二十歳ほどの頃、地元広島特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。

福山駅付近にある繁華街だった。福山といったら知名度ほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパート暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。

地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。

すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。

ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ?

正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿いで生まれた。加茂、という地域だ。歴史のある地域に付けられる名前らしい。

幼稚園の頃は、今頃の時期になると数日に一度は木造の家が床下浸水していた思い出がある。江戸時代はいわゆる部落というやつだったらしい。小学校の頃から家の近くにある集会所に近所の子どもらと一緒に夜集まっていた。学校先生が来て普通に勉強を教えてもらうこともあれば、平和活動やら差別糾弾やら総括やら、物騒な単語が飛び交う学びを体験することもあった。

官公庁の前に100名くらいで出かけていって、平和活動(という名のデモ)をしたこともあったっけ。市役所や県の事業所の前で大きい横断幕を持って、大声でシュプレヒコールをやっていた。

それで、くだんの集会所には、たまに偉い雰囲気の人が来て「昔は食べる物にも遊ぶ場所にもトイレにも困る環境でしたが……君たちは我々を含んだ先人のおかげで……君たちも皆のために必要あらば社会と戦って、これからもいい時代を作りましょう」みたいな話をしていた。

なんでも、その先人が高校生の頃、県立府中高等学校先生が授業中に被差別部落のある辺りを指さして、「あそこにのう、四つが住んどる!」と大きい声で生徒に注意を促したことがあったらしい。それで、キレたその先人は、その先生に何度も何度も何度も挑んで、巧緻を尽くして作戦を練り、仕舞いには証拠を突き付けて皆で糾弾して転勤させてやった、というのがその偉い人(当時国会議員。故人だけど一応伏せる)の話だった。

当時の自分は目ヤニを擦って話を聞いていた。自分達が隣保館に通っていた最後世代だ。中学生になる頃には学習活動はすっかり無くなっていた。今ではただの地域集会所になっている。

親は、あんまりよくなかったかもしれない。言うことを聞かなかったら暴力暴言は当たり前だった。内容的には、農業の手伝いや畑の草刈り洗濯物を畳むなどのまっとうな義務もあれば、親の張りぼて見栄を張るためのアイテムになることも多かった。要するに、母親の親戚や友達の前では『優等生』でなくてはならなかった。

ちょっとでも問題発言をすると、家に帰ってからボコボコに殴られ蹴られする。あれは今でも覚えている。小学校5年の時、叔母にからかわれてキレてしまった時、母が木刀で俺の後頭部を強打したのだ。今でも頭を触ると分かる。あの時殴られた箇所が凹んでいる。あれは痛かった。



というわけで、そんな環境で育った人間がまともになるはずもなく。中学校に入る頃には、すっかりと暴力癖のあるキッズへと成長していた。

当時の地元中学校は、荒れに荒れていた。原動機付自転車で通学する者や、青い髪で授業を受ける者や、卒業式特攻服を着る者や……。学校トイレは○○の場になっていた。月一くらいの頻度で、女子中学生が体を売っているか、無理やり犯られているかのどっちかだ。オリジナル制服としてセーターを作って着用する女子生徒もいた。けっこう可愛かった記憶がある。

先日、母校のホームページを見てみたが、当時とはまったく違った様子で驚いた。無邪気に笑って学校活動をする中学生達が映っていた。平成10年代の当時は、あん中学生は少なかった。ヤクザみたいな見た目の男子だとか、娼婦みたいな目つきの女や、死んだ魚の目をしたような(≒いじめを受けている)雑魚どもや、無敵の人の予備軍みたいに無気力になってる奴とか、そんなのばっかりだった。

それで、ついにある時、新築に近い状態体育館タバコの不始末が原因で全焼してしまう。いやあ、あれには参ったね。体育館での授業や部活動、好きだったんだが。

グーグルマップ。クチコミを参照

中学生がごく普通に喫煙していた。あの日、俺が4時間目に体育の授業でバレーをしていた(※だらしない恰好をして髪も染めていたけど、授業はちゃんと受ける方だった)ところ、3年連中がステージ上の柔道場でタバコにしけ込んでいた。先生に止める様子はない。当時の中学校では、校内でタバコを吸うのは暗黙に認められていた。

休みチャイムが鳴った後、俺も先輩方にタバコに誘われた。生意気な1年坊主だったと思うが、可愛がってくれる先輩がいた。が、当時は鬼のように厳しい暴力教師しか部活顧問)がいて、そいつが苦手だったので、見つかるような嫌な直感がして断った。あの時の俺はツイていた。

荒れ放題の中学校だったけど、それでも何とかなっていたから、教師も生徒も油断してたんだろうな。その3年連中の吸ってたタバコのうち、柔道場の畳に押し付けて消し忘れたやつが段々と燃え広がって、昼休憩になると「ジリリリリ……」と自動火災報知器が反応した。

しかし、それでも誰も何もしなかった。なぜなら、週に一度は誰かが校内にある自火報をイタズラで鳴らしていたからだ。感覚がマヒしていた。

昼休憩の中頃、体育館ステージ後ろの屋根から煙が出始めてようやく、教師連中が消火器を持って体育館突入したが遅かった。昼休憩が終わる頃には生徒は全員校庭に避難していた。体育館を見ると、2階部分の廊下に何十枚と並んだガラスが熱で一斉に割れていく光景があった。なんかもう、凄かった。同じく窓ガラス沿いのカーテンも50m分は並んでいたと思うが、最初カーテン燃えたと思ったら、僅か3,4秒ほどで全てのカーテンに火が付いた。

担任先生が、「いつかは起こると思っとったわ。馬鹿じゃのう」なんて呟いていた。それで、消防車が到着したのを確認すると、校舎への延焼の危険がないとのことか、またみんな教室に戻って、何十分か待たされて、先生が来て、その日は非常階段を通って裏口から下校となった。マスコミが押しかけていたのを覚えている。下駄箱まで進入していた朝日新聞記者を、先生らが怒号とともに追い払っていた。

なんか、ここまで書いただけで精神力ほとんどを使ってしまった。拙い文章力で恥ずかしい。ほかの長文増田は、明らかにもっといい文を書いてる。

火事があった次の日には、あの3年連中は全員しょっぴかれていた。家庭裁判所審判を受けて、ほぼ全員が少年院にぶち込まれた。ほかに、彼らと交流があったり、間接要因になったと思われる生徒は裁判所に出向いて証人として発言することになった。俺もその一人だ。最低でも二回はいたか

その次の年度は確か、校長ほか数名が異動になって、最強に厳しい先生方が教委から強権を委任されて当中学校に赴任し、不良どもを善悪あらゆる手段で抑え込んで、俺が高校生になる頃には不良は全くいなくなっていた。

俺の下の代には、強面の奴とか異常体格の奴がいなかったという事情もある。教師暴力を働くような狂犬タイプもいなかった。東京リベンジャーズの1巻で喩えると、当時はキヨマサ君みたいな中学生が最低5,6人はいた。一方で、俺の下の代のヤンキー(予備軍を含む)は、タケミチみたいな標準体型の子が多かった。

当時の俺ですら、何となくわかってたんだ。背伸びしてタバコを吸ったり、チャンスがあったら酒とか飲んだり、女子モテたくて喧嘩をしたり、セブンイレブンの前で駄弁ってたりしたけど、本当はわかっていた。勉強するのが一番いいんだって。最善なんだって

俺の父親会社経営者だった。祖父地元市役所の偉い人で、曾祖父町長だった。親戚だって職業はそれぞれ違ったけど、みんな金持ちだった。親戚同士の集まりには、うちの家の駐車場に高そうな黒塗りや真っ白の乗用車が並んでいた。

彼らに共通していたのは、社会が認めるであろう分野で相当な努力を積み重ねていることだ。俺みたいに、学校先生にとりあえず反抗してるだけじゃなくて。信念があって、そのために動いてる。

法律も慣習も、常識非常識も、論理的思考人間関係の機微も、曲がったこともまっすぐなことも、とにかく何でもかんでも現実をまっすぐに見て、あの人達が何が正しいかをいつも考え抜いていたって、今ではちゃんとわかる。

あの当時の俺も、今の俺も、これらのことができていない。だからこんなに落ちぶれた。血筋はいいのに。俺はくずになってしまった。

そろそろ筆を休める。いい文が書ける気がしない。また明日投稿してリンクを貼っておく。

https://anond.hatelabo.jp/20220830220250

桐山部活やめるってよ」を東北茨城弁で言うと?

桐山部活やめるんだべ?」

「んだんだ」

ラノベのシティ感がゼロになりますね。

anond:20220828212852

2022-08-27

anond:20220827161353

普通とは

普通学校に通って普通勉強部活青春をそれなりにやって普通大学なり専門学校あたりに行って普通就職して普通に異性と結婚して普通子供を持って普通に家とか買って普通子供の育て方や学校選びとかに悩んで普通独立させて普通に歳食って普通仕事定年退職して普通に孫の成長あたりを楽しみつつ普通の時期に普通病気になって普通死ねってことだぞ。

ゆる部活もやしっ子にもおすすめ

きつくない部活動「ゆる部活」が運動嫌いな若者救世主になるかも!

https://waraukurumi.com/yurubukatsu-no-hard-training-hierarchical-relationship/

朝練は7時過ぎに始まるものの、雰囲気は穏やかそのもの。内容も、ストレッチや馬跳び、もも上げなど何かの運動スキルを身につけようとしているわけではない。

部活動名前通り、ただただ体力向上を目指していく部活動なのだ

厳格なルールなどはあまりなく、疲れた運動したくなければ自由に休める。

朝練が7時過ぎに始まるとはいえ雰囲気は穏やかだし、自由に休めるんだって

これなら決してきつくないし、安心して参加できる子も多いかも。

2022-08-26

anond:20220826194506

ゆる部活なんてじっとりとしたコミュニティ怖すぎる。つくづく日陰者には厳しい世の中になっていくな……

ゆる部活が人気

テレビで、顧問指導しないゆる部活が人気、と言っていた。

学生部員だけで体を動かすことと楽しむことをメインに活動するとある運動部。ゆるく楽しい部活だったが、一人の求心力のある部員の「やっぱり試合に勝ちたい」の一言から部の雰囲気が徐々に変わる。

自主参加だった朝練はいつの間にか「出ないといけない」雰囲気となり、少し手を抜いたプレーをすればチームメイトから叱責が飛ぶ。平等だったはずの部員同士の中にヒエラルキーが生まれ、下手な部員は当たり前に蔑まれる。

顧問大人の目の届かないところで、部員たちはエスカレートしていき、ついには大事件が起こる……

というスポ根版『蝿の王』のようなストーリーが思い浮かんだ金曜の夜。

あ、ゆる部活、というか色々な部活の形があり、それが主体的選択出来るのは良いことだと思います、念のため。

よくある家庭崩壊

正社員として働き始めてから毎週土日は出掛けてるおかげか、鬱になる暇もなくかなり心が健康になり始めた。

だけど、過去の嫌な記憶は暇さえあれば思い出して色々と考えてしまう。

から、これを機に過去地獄だった期間の記憶言語化して、過去清算をしようと思う。

この記事を完成させるのに思い出して書いてる間、精神的苦痛と元の文章力の低さ故に読みづらい文になっているかと思います。ご了承ください。

たまにここの日記見たりしてますが、ここの人達の長文書いてる人の文章力高いので、初投稿ビビってます

だけど、今は精神状態普通に良い社会人なんで正直にコメおなしゃす(^O^)

子供の頃の両親と自分

俺の両親は物心ついた時から既に仲は最悪だった。たぶん週1,2のペースで喧嘩していたと思う。喧嘩の内容の殆どは、父が不潔でそれに対して怒ってたと思う。問題なのは母がヒステリックな事なんだが。

母は子供に割と尽くしたりしていたが、その反面で父は無関心な方だった。(それで母がヒスってた事もあったな~)

たぶん中2くらいの時から自分が徐々に論理的思考できる様になったり、しっかりとした考えを持つようになった。それで、母の言動おかしいと思う様になり始めた。

今になって確信に変わったのだが、母は自分が思い通りにならないと怒ったり、言い合いでは論理性が一切通用しない人だった。自分にはめちゃくちゃ甘く、人にはクソ厳しい。おまけにADHD

高校までの自分は考えを言語化する能力が今より乏しかったし、世界がまるで見えてなかったから、何で正しい事が分からないのかと自分ヒスな母に対抗していた。

そしてお互いが暴れていても、父は依然として無関心。

高2の記憶

もっと前かもしれないけど、たぶん高2くらいかお金問題毎日喧嘩する様になった。

寝る前も、勉強中も、大事テスト間中も、部活が終わってクタクタな時も、、、如何なる時も母が叫んでた。

こうなると拉致があかないので、昔から俺が止めに入ってた。そしてこの時も。

最初は俺も落ち着いて止めに入っていたが、次第に母がエスカレートしていった。無理矢理に父の部屋から追い出しても辞めないので、手を出すようになった。

それでも母は叫ぶ事も愚痴をずっと喋る事もやめない。

当時は気づかなかったが、今思えばその頃から次第に俺の精神は壊れていった。

それからはもうめちゃくちゃだった。

人生唯一となる殺意がここで芽生えた。ストレス一方的に溜めさせてくるのは母なのに被害者面して、警察を何度も呼んだり。

そして、それがしばらく続いた後、自由がままに母は本当に意味もなくアパートを借りて、たまにそっちで過ごす様になった。(しかも2回。ただでさえお金が無いって発狂してるのに、本当に意味のない行動だった。俺からしたらそれも怒り所の1つだった。)

冬頃になると父は家を追い出された。

しかし、相変わらず母と同じ空間にいると一生矛先を向けてきたりして、また俺らの間で喧嘩になったりしていた。

そして不幸が重なり、家の給湯器が壊れた。母はアパートだったり近くの祖母の家でシャワーを浴びていたが、母方である身内は全員母の味方をしていて被害者である俺を責める様な姿勢だったので、シャワーを借りに行く事は出来なかった。

そして、ただでさえ忙しい学校生活の中、チャリで2,30分ほどのアパートにいったり、家でガスを使って身体を洗える分だけのお湯を貯めたりと、更に家にいてもゆっくり過ごせない状態になった。

高3の記憶

母のあんな感じのキチ●イが1年以上続き、ついに父がアパートを借りて二人暮らしする様な流れになった。

正直いって父は家事はまともにできないし、何より汚い。

だけど、母のあのキチ●イを毎日受け続ける生活より断然良いと思っていたが、割とそうでもなかった。

まず、母からは何も支援を受けず父から毎月3万を渡されるだけだった。

父は殆ど家事をしないし、勤務時間帯的にあんまり顔を会わせる事もなく、ほぼ一人暮らし生活スタートした。

そんな高3の大事な忙しい受験期に一人暮らしみたいな生活を強いられ、まともな生活費を渡されず、裏では受験費用は愚か目の前のお金すら悩まされて、そんな日々だった。

そして毎日死にたいと思った。そして起きている間、ずっと色んな事を考えるようになっていった。

気づいたら鬱になっていった。

学校にもサボり気味になっていった。

小学生の時からその時に至るまで、どんな日でも真面目に学校にいっていた。そして課題も真面目にやっていた。

そんな生徒が朝は起きれないし、授業も何も頭に入ってこなくなった。

当時の俺は疲れてるから怠くなって仕様がないよな~って軽い気持ちで考えたけど、鬱の症状で朝起きれなくなるらしい。

夏の引退までは変わらない詰まったスケジュールで、その上に家事や安さを考えただけの食事

日常が1mmも楽しくない、それどころか全てが苦痛だった。

夏のインターハイが終わり、とうとう本格的に受験期に入った。

半年以上まともに勉強していない自分学校に通って定期テスト等をこなしていくのに精一杯だった。

なのにも関わらず、馬鹿真面目だった当時の俺は大学受験しないと人生終わるとか狭いコミュニティに属していると出てくる典型的思考に陥ってしまっていて、周りに合わせて漠然大学受験をしようと思っていた。

そこからが更に地獄だった。

周りは徐々に成績を伸ばしていき、親のサポートも手厚くなっていったり目に見えてギャップがどんどんと見えてきた。

その頃にはプラス感情が湧かなくなっていった。友達と笑う場面でも愛想笑いだったり、周りが楽しそうにしているとため息が出てしまっていた。

白髪も段々と増え、ため息も常にする様になり、身体的にも鬱の症状が見え始めていった。

受験間近になると、また新たな問題が増え、もう書くの面倒だから省くが、更にストレスが増えていった。

今思うと、あの状態受験する人間がいるなんて笑える話だ。

こうして、今まで真面目に通学し授業を受け課題をして勉強して積み上げてきた人生無駄になった。

高校卒業

まあそんなこんなで高校生活が終わり、その後の予定なんて何も考えていなかった俺はそのままフリーターになっていった。その後のフリーター1年目の時に気づいたが、受験に落ちて良かったと本当に思っている。

もし受かっていたら、入学金やら準備やらのお金でまたストレスを抱えていた。そして、大学に入っても周りとのギャップ気持ちよく過ごせない日常で更に鬱が悪化していたかもしれない。最悪死んでたか

高校卒業をしてから気持ちが楽になった。

何よりバイトが楽しかった。今までは報われるかも分からない課題をどんどん突破していき遠いゴールを目指していたが、バイトはその場で対価が得られる。その感覚がずっと学生だった自分にとっては、すごく気持ちがよかった。

そんな感じで職場の先輩たちにも恵まれ、1年でお金を貯めて遠い場所にいって一人暮らしを始めた。

現在

事実小説よりも奇なりというが、本当にそうだと思う。

テレビでの不幸エピやドラマでの家庭崩壊物を昔にたまに見ていたが、まさか自分たちがこうなるなんて夢にも思わなかった。

一人暮らしを始めてからは全てが軽くなって、徐々に普通に近づいていき、日々に幸せを感じる様になっていった。

完治したと言いたいところだが、何かしらの物事トリガーになったり時々憂鬱な気分になったり、やはり鬱病の原因である母親を一生許せはしない。

未だに本人は1mmも悪いと思ってないし、昔と何も変わらない。

数年経ったら母もさすがに落ち着くだろうと思って関わってみても、やっぱり人間としてどうしようもない人は子供の頃から一生変わらないんだろうなって、母と瓜二つの祖母を見て悟った。

母が過去にしてきた事は、母が精神を追い詰められたが故と仕様がない気持ちを少し抱いてたが、これを見ると元からどうしようもない人間だったんだと笑えてくる。

母は頭が悪すぎるし嘘をついて自分が有利な立場になろうとするし親だから立場が上だと勘違いしているし、そもそも話し合いにならない。不思議祖母と母の喧嘩は成り立ってるらしい。もちろん彼女らは問題解決をした事はないが。

IQ20以上離れていると会話が成り立たないというが、これも本当だ。

まあこんな感じだから、母たちと関わるとアレルギー反応を起こすかの様にストレスが溜まるし、今関わらなくても後々面倒そうなので、縁を切りたいと思っている。

希死念慮が消えたかと言えばそうじゃなくて、昔みたいにどうにでもなれっていう考えたけど、幸せなまま死んでしまいたいって思う事はたまにある。

でも、死なないで今を生きて、そして楽しいと思えるのが本当に生きててよかったと思う。

普通に生きていたら今の視点視野にはたどり着けないだろうし、どっちが楽しいだろうかと考えたら、やっぱり今のルートなのかもしれない。

本当に人生何があるか分からない、良くも悪くも。

2022-08-25

夫がアホだったかもしれない

大掃除をしていたら、夫の通知表が出てきた。

中3の3学期なのに2と3、たまに4だった。

夫の高校偏差値60くらいだったのでびっくりして聞いたら、部活引退した後は家庭教師がいて、受験前は毎日のように来てくれていたと。

学校先生ビックリしていたよ」

わたしビックリだ。

私の中学の成績は中の上くらいで2なんて取ったことなかったけれど、いろいろあって大学には行けなかった。

夫は高校でも医大学生家庭教師毎日のように来てくれていたそうだ。

家庭教師ヤマカンが当たってさあ〜。いやーあの先生には足を向けて寝られないね

もう3年くらい経つけど、めちゃくちゃ動揺している。

世の中の大卒の何割かはもしかたらこんな人たちなのかもしれない。

そんなので社会がまわっていたらどうしよう。

2022-08-24

いじめられに行けという表現

ガチ部活への入部、海外への留学解体作業員看護師介護士自衛隊などへの就職、あるいはメンタル系の通院などを尻込みさせるのでそういう表現はふさわしくない

自分を信じた結果、間違いばかりの人生だった。

私は、子供の頃は言うことを聞く人間だった。

「ありがとう」「ごめんなさい」が言える子だった。

勉強もできたし、友人も多く、順風満帆だと思っていた。

おかしくなったのは中学から

勉強はできるのだが、友人関係がうまくいかない。

いじめられるというより、友人関係が築けないのだ。

部活は、運動部に入り、チームとして全国大会に出場した。

だが、楽しくなかった。

ただ「部活を頑張ることはいいことだ。大会に出れることはいいことだ。そう先生や親が言うから」と思って頑張っていた。

高校も同じ。勉強部活も「頑張れば幸せになれる」と信じてやってきた。

学校文武両道を掲げていてので、それに従った。

ただ友人ができない。そもそも学校生活、いや、人生が楽しくない。

そして私はとうとう高校3年でうつ病になった。

そして浪人生を経て、大学生になった。

この時点で私の中で確固たる思想が出来上がった。

社会は信用できない。人の言う通りにしていても裏切られるだけだ」と。

そこでとにかく図書館に通い、本を読み漁った。

自分で道を切り開くしかないと思ったからだ。

また友人に関しては、今までの反動コミュニケーションを頑張り、なんとか友人を多く持つことができた。

そして社会人。

だが私はここをすぐ退職してしまった。

悪くない会社ではあったが、自分に合わないので辞めるべきだと、反対を押し切って退職した。

そして全くの異業種に就職

しかし慣れない仕事うつ病になり、退職

これが私の挫折

自分を信じて失敗してしまった。

やはり周りの意見を聞いて、辞めなければ良かったのでは、と思った。

でも、高校生まで人の言うことを聞いて上手くいかなかった、幸せになれなかったのだから自分を信じるしかなかったのだ。

から、これは仕方ない結果なのだ

そう思った。

結局今は、うつ病が治らず、障害者となり、障害者雇用で暮らしている。

回復の見込みがない。

自分を信じた結果が、これだ。

私は弱い人間で、人の言うことを聞くことでやっと一人前になれる人間だったのだ。

まさか

そんなことが?

そんなことってあるのか?

書いていて、涙が出てきた。

私は、私を信じたい。

まだ希望があると信じたい。

この日記に、数年後、笑って返信できるように。

そうなれると、信じたい。

2022-08-23

anond:20220822194538

ものすごくよくわかる

これで部活とかサークルとか続かなかった

何か本当に貢献できてると感じるまでは安心できないんだろうなと思う この増田はなんだかんだ優秀そうだけど、やっぱり何か「役に立ってる」「出来てる」って感覚が手に掴めるものを初めてみるのが良いのではないかな、と半分は自分宛に

2022-08-21

変質者に6回会ったことがある

 

 

自分が生まれ育った土地に帰ってきた。

23区の閑静な住宅街と呼ばれるあたり。

実家も近くて子育てやすくて助かるなー

とか考えていたとき、ふと思い出した。



私が小さい頃に遭遇した変質者たちはまだこの町にいるのかな?



まりはもう30年近く前だけど

人生の中で、この町で、5回変質者に会っている。

参考になるか分からないけど一応手口とか書いてみるね。


①道に迷ったお兄さん

初遭遇にして一番悪質だった。

友達と下校中に声かけられて

駅までの道が分からいから教えてほしいと。

口頭で伝えても分からないって言われて

地面に地図書くから〜って植え込みの陰に連れてかれて

地図書く間、目つぶっててくれる?と言われ。

当時小1で人を疑うことを知らない女子だったので

友達と共に素直に目をつぶったら

キュロットのしゃがんでできた足の隙間から

パンツの中に指を突っ込まれた。

その頃は性的知識は全くなかったけど

さすがに何かおかしいと思って友達学童に駆け込んだ。


②陰部を落としたお兄さん

 

これまた小1、友達と下校中に声かけられる。

『これどこかに落ちてませんでしたか?』

と言ってポラロイド写真を見せてくるが

写っているのがおちん○ん。

厳密には自分はお○んちんだと認識してなくて

見てないでーすって通り過ぎてから友達

『あれおち○ちんだったよね?』って言われた。



③唾液の研究をしているお兄さん

これは小2の下校途中。白衣を着た人が試験管を持って

『唾液の研究をしてるからツバをくれませんか?』って。

しかもこの人はすでに男子数人のをゲットしていた。(男子もその場にいた)

後になって、精神年齢低い男子を味方につけてから

女子同調圧力集団心理?使うって賢いなーと思った。

元々男子狙いの可能性もあるか…気持ち悪いのでスルーした。



ステレオタイプおっさん

中1の部活帰りの暗い夜道で、

コートパカッ!全裸!っていう旧時代の変質者にあった。

今までの人は若めだったけどこれはおじさんだった。

すでに変質者慣れしていたのでスルー



自転車往復お兄さん


高2だったかなー、自宅から最寄駅に歩いてたとき

かいからチ○コだして自転車に乗った人(服は着ててズボンから出してる感じ)が

『これ見たことある?』と言って通り過ぎていった。

たか、、、と思ってスルーして歩いてたら

また前から同じ人が自転車でやってきて

何も言わずにゆっくりと横を通り過ぎていく。

携帯見て、気にしてないふりしてたけど、

自転車vs徒歩で勝ち目なくてめっちゃ怖かった。

早足で人通りのある道に向かったけど4回すれ違った。

(ちなみにこの人イ○パルスの堤○に激似すぎて、申し訳ないけど今でも○下嫌い)


その他にも、鍵っ子がドアを開けたタイミング

押し入られるみたいな事件流行った頃、

帰宅中に後をつけられてるな〜とかはあった。


ちなみに全部、学校学童〜自宅間での出来事

書いてて思ったけどめっちゃ治安悪くね?

でも女子ってみんな何かしら被害受けてるよね?

性犯罪って身近だよね?

昔はこんなことがあっても、不審者はいるの前提で

先生に話しても親に話しても警察通報とかはなくて

もっと自衛していこう!気を付けよう!』

って感じだった気がする。

知らんとこで通報してたのかも分からんけど。

n=1だからなんの参考にもならんけど

下校中の低学年が狙われやすいのか。。。

今は学童が送り迎えしてるから平気なのかなあ

①とか③とか、そんなん引っかかる?って思うけど

低学年ってまじピュアピュアだったからな…

の子供なら大丈夫なのかな…



うそうそれでさ、ほとんどが20代〜30代ぽかったか

現在50代〜60代になっているとして

まだ変質者やってるのかな?

まったり性欲が衰えたりでもうやってないといいのだけど。



我が子が小学生になった今、

この人たちがまだこの町にいるかもと思ったら

なんだか怖くなってしまって。

親子で同じ被害受けましたとか洒落にならん。

死ぬまで現役です!』とか言われたら落ち込んじゃうな。

『30年も前の話でしょ?時代が違いますよ』って言われるかな。

私もそうであって欲しい。

まあ一番は、全員死んでてほしいわ。

 

 

 

***思い出し追記***

 

今日うんこリュック変質者のニュース見て

そんな奴もいたなと思い出してしまった

 

 

自転車唾液DK

 

 

多分高1、高校まで徒歩通学してたんだけど

自転車に乗った同年代くらいの男子が片手運転してて

すれ違いざまに下ろしてる方の手と軽く当たってしまい。

とっさに『すいません!』て言って

向こうも特にまらず去って行ったんだけど、

ぶつかった箇所を見たら白いアワアワが。。。

最初何かよく分からなくてハンカチで拭いてたんだけど

ああ、、、臭いが唾液、、、おえっ

まり彼は片手運転しながらもう片方の手に唾液を溜めて

ちょうどいい女子とすれ違うのを狙っていたのか、、、

世の中いろんな性癖がいるなあ(遠い目)と思いつつ

学校ついてジャージに着替えた思い出。。。

 

 

 

うんこリュックのおかげで記憶蘇ったわ

他にもどんどん埋もれた性被害出てきそうな気がしてる

思い出したら追記しまーす

 

 

 

ずっと疎遠だったのに急に招待の話が来た時点で、「部活仲間が揃うこと」を重視したから話が来たんだろうと思っていた。

私なんかに微塵も興味ないのなんてずっと知っていたけれど、それでも、名前漢字くらい確認してほしかったよ。

それでもご祝儀包んで正直にノコノコ顔出した私も、本当に馬鹿だよな。

2022-08-20

ウン十年前の放送部員の話

甲子園応援に駆り出される吹奏楽部話題だが、学校行事の設営や運営にかかわる放送部についてはあまり話題にならない。

そもそも放送部が部活動であるという事を知らない人も多いだろう。

学校によっては部活動ではなく生徒会下部組織的な扱いだったりする事もあるが、一応はれっきとした文化部でありNHK放送コンテストをはじめとした大会の類もいくつか存在している。

俺が通っていた高校では放送部は吹奏楽部に次いで部員数が多い文化部であり、それなりに部費も貰っていて定期的にアナウンス朗読部門で全国3位以内に入る人が出たりする程度には活発に活動していた。

他の文化部の例にもれず女性率が高い部活であり、男性勢は結構肩身が狭かった。

そんな放送部は運動会文化祭、各種集会といった学校行事において音響設備の設置と運用、及び記録映像撮影といった事も行っていた。

今はそうでもないのかもしれないが、俺が通っていた頃はマイクカメラ、録音機材や編集機材など機材は高価で、放送部は文化部としてはかなりの金食い虫だった。

「その分、学校に貢献しろよ」という事である

機材はそれなりに重かったが放送部の男性陣は俺も含め運動部崩れが多く、運ぶ作業はそこまで問題なかった。

比較的大変だったのは各種ケーブル管理だ。

踏むなと看板を立て、ケーブルを固定する養生テープにも踏むなと書き、逐一踏むなと口頭で注意しても絶対踏む奴が出てくる。

ケーブルの上に物を置く奴も出てくる。

ケーブルたわんで引っかかって転んたり、断線の原因になると言ってもまあ聞かない。

ちなみにケーブルの上に物を置く率が高かったのは吹奏楽部だった。

なんでこんなところにケーブル置くのかと文句まで言われた事もある。

「オメーのとこの顧問リクエストで無理にスピーカー設置したからだよ!」と説明しても聞きやしねぇ。

結局本番ではそのスピーカー使わなかったし。

個人的吹奏楽部は他の文化部を見下してくるというイメージがこびりついているのだが、その原因は母校の吹奏楽部顧問部員達のせいである。

運動部から文句が付く事はあまりなく、しいて言えば記録映像が全体的に暗かったと野球部からクレームが付いた事はあったがそれも事情撮影日の天気が悪く、野球部練習場に持っていける機材も最小限だったのでどうしようもなかったのだ)を説明したら納得してくれた。

この手のクレーム吹奏楽部から付く事の方が圧倒的に多く、コンテストで結果出してる訳でもないのにやたら偉そうな吹奏楽部に対するヘイトガンガン貯まる環境だった。

おかげでテレビ吹奏楽部文化部代表ヅラしているのを見ると、未だに自然と舌打ちがでてしまう。

しかった思い出もそれなりにあるのだが、当時の事を思い出すとどうしても積もり積もった吹奏楽部に対するヘイトを思い出してしまう。

今の放送部がどうなのかは分からない。

俺が現役だった頃は頻繁に放送OBOGが訪れて、発声練習アナウンス朗読指導をしたり、機材の扱いについて教えたりしてくれていたのだが、今はOBOGであっても生徒や保護者以外が学校に立ち入る事を原則禁止する様になった為、現状がどうなのか聞く機会がなくなってしまった。

ただ昔の様に高価な機材が無くとも撮影や録音はスマホでできる様になったし、編集もそれなりの性能のPCがあれば色々とできるのだろうと予想はできる。

俺が現役の頃の様にビデオテープ劣化を防ぐ為に編集回数を最小限にする、なんて事を心がける必要も無いのだろう。

その意味では放送部にとってMDって結構画期的存在だったと今さら思う。

音質ではデンスケ+カセットテープに劣っていたとはいえ、繰り返し使っても劣化しづらいってのはかなり大きかったな。

アナウンス読みの練習を録音したMDがでてきたりすると、当時の俺は結構真面目だったんだなぁとつくづく思う。

2022-08-19

美味しくない豚カツ理由増田巣間農ユリの束ント居鳴くし井尾(回文

おはようございます

今年なみんなどんな夏だったかしら?って

まだ夏は終わっていないんだけど、

私は人知れず

美味しい豚カツ自由研究をすべく

そういや豚カツってお店によって違うのかしら?ってのがそもそも自由研究をする発端となったのよね。

ことの初めは、

定食ご注文でビール200円!って破格の定食セットビールなんだけど

お客がぜんぜん入っていないのよね。

私はその時は豚カツにたいしての意識が低かったので、

とりあえず、

ルービーでのどに流し込めばそれは豚カツ!って

流しそうめん版のビールで流し豚カツを楽しめればって思っていたの。

そんでね、

そのお店にビール200円で釣られて入店すること幾度となく3回目で気付いたんだけど

もしかして

ここの豚カツ屋さんの豚カツっていまいちなのかしら?

そこで私は豚カツジプシーの旅が始まったの。

いきなり振り幅がマックスのいい豚カツ屋さんの豚カツはどうなんだろう?って

大将!やってる!って心意気で暖簾に腕押ししたのよ。

そのお店は

私が知っている東京の有名百貨店デパートにもお店を出しているお店の豚カツ屋さんが近所にもあるらしく、

もれなくそのお店の豚カツを試してみることにしたの。

そしたらよ!

揚げたての衣がサクサクで、

ロースをほおばった瞬間美味しい肉汁と脂のマッチした旨味しか勝たん!ってぐらい

その揚げたてのロースカツ膳は

ビール200円のロース定食よりはるかに凌ぐ美味しさだったの。

今思うとそのビール200円のお店の豚カツ

揚げたてのはずなのに提供された瞬間ですらもう衣がベチャッとしていて、

揚げたてをしばらくどこかで休んでいた感じのくたびれている感で

とてもじゃないけど、

その200円のロース定食は何度か食べたけど、

揚げたての感動と迫力はなかったのよね。

そんで溢れ出る肉汁感のシズル感とでも言うのかしら?そう言ったカツの迫力もなく、

もしかして

それだからこのお店はビール200円でもお客さんが入ってないんだ!って私の結論はそうなったの。

から

私は揚げたての提供ロースを知ってしまった美味しさをほおばってしまっただけに、

うそビール200円のお店には飛び込み前転するまでもなく二度と行くことはないわ!ってさようならしたのよね。

たとえビール飲みたくてもよ。

もう私ビール200円には釣られないわ!

そのビール200円のお店は食べ終わった後のここ美味しいのかな?って首をかしげるぐらい

豚カツってこんなもんだったっけ?って疑問を投げかかる意味では秀逸なお店だったのかも知れないわ。

そんで、

私が揚げたて感動したお店は、

しかにその分コスパの点では劣るけど

それにも勝る感動というロースカツ膳の最高峰を私は引き当ててしまたかのように、

いきなりにして、

ここは殿堂入りよ。

殿堂入りってのはしょっちゅう頻繁に通うことの出来ないぐらいの微妙ハイコストパフォーマンスってことなのよね。

そんでね、

今日何気ないいつもやってる定食日替わり定食の美味しいランチのところに

久しぶりにランチに行ったの。

運命かな、

今日の日替わりはロースカツ!

ここのお店は手堅く他の日替わりメニュー定食も抜かりない美味さで、

ロースカツは控えめな厚さでの迫力はそうないにしろ

ただこれ揚げたてを提供しているので、

衣がサクサクなの!

定食屋さんの豚カツビール200円でお客を釣っている専門店のはずの豚カツ屋さんに負けているって言う事実

専門店定食屋の豚カツに負けてどうする!って

いや専門店って豚カツ専門で頑張ってるんでしょ?って思うけど、

もはやここの定食屋さんのハイコストパフォーマンス良の豚カツ定食はとても良いわ!って思ったわ。

ただ日替わりなので、

レギュラーグランドメニューには無く好きなとき毎日食べられないところが欠点ね。

まだ研究の途中だけど、

豚カツ屋さんをいろいろ食べ歩いてみて良し悪しを知るのは

豚カツ部活にしてもいいぐらいの活動よね。

最近最初そのお店しか知らなかったので、

ビール200円でもお客さんが入っていないのなんでだろう?って

テツアンドトモさんばりに思っていたんだけど、

カツがいまいち美味しくなかったんだわ。

肉の厚さの迫力と言うより、

もう豚カツを注文が入ってから1つ1つ丁寧に揚げる料理人の揚げテクニックが一番大事ってことなのかも知れないわ。

豚カツも奥が深い話しよね。

うふふ。


今日朝ご飯

野菜サンドしました。

トマトタマゴの組み合わせが美味しくてここ最近ハマってるわ。

トマト美味しいわよね。

夏!って感じ。

トマトも高いかサンドイッチに使う生トマトもさぞ入手に苦労しているのかも知れないわ。

デトックスウォーター

トマトよりも安いピンクグレープフルーツを果汁搾り~の

炭酸ウォーラーとでの

炭酸ピンクグレープフルーツウォーラーよ。

炭酸も取り入れることで

なんかシャキッとするわよね。

今日はなんだか涼しそうだけど、

水分補給はしっかりとね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん