はてなキーワード: 虚構とは
ttps://forbesjapan.com/articles/detail/29742/1/1/1?s=ns
虚構には興味あるんだけどさ
起伏に富んだオープンワールドを探索して謎解いたりするのは好きだよ
というかもう地球の主な見どころは攻略情報が画像や動画つきで網羅されちゃってるじゃん
そんなんせこせこ見て回っても骨折り損のくたびれ儲けじゃね?確認作業でしかない
金が無尽蔵にあって鋼の肉体を持ってたとしても旅行にはハマらんわ
異なる文化とか言語とか法とかいやーめんどくさいわーめんどくささしかないわー
食べもんなんかなんだっていいしな毎日カップ麺でも俺は文句ない
まあ人類が滅亡して俺一人になったらちょろっと旅行というか探索して今より快適な場所を探すことくらいはするかもしれん
いやそれすらも面倒さが上回るかな
現実と嘘の区別がつかなくなってしまった人は仕事に向いてない。
はてなの人間が嘘しか信じてない事がこないだの仕事しない職場のモンスターの話で明らかになったので
はっきり言って仕事出来ない人間は日本であってもいよいよ居場所がない。そうした適当な工業産業をベースにした村社会自体が国際情勢の変化や技術革新によりもはやここ10年程で維持出来なくなる。
現代において仕事ができないという状態が意味する事の主要因は社会では無くシステムのアップデートについていけない事である。
ブコメも含めてシステムのアップデートに適応できなかった人間は自己正当化に走り、法律の条文を述べもせずに働かずに賃金をもらう事が当然の権利だと主張する傾向にある様だ。
こうした人間達はもはや無気力となりシステムアップデートを自分で行う意欲を喪失し、そうした人間の周囲に同様の人間が集まるので全体としては沈没に向かうだろう。
彼らは現代のシステム社会に置いて何ら価値を生み出していないので会社でもコミュニティでもなんらかの形で排斥されていく事になるだろう。人間はただの猿でありどんな社会でもよーく観察してみると相互に価値が提供できる関係でなければコミュニティ要因として認めず排斥どころかときおり殺害しようとする。事例は公立学校の虐めから、公務員の自殺、外資系の解雇、医師免許剥奪、弁護士資格の剥奪、裁判官の評価、ホームレスの女性の頭を殴って殺す男性など枚挙にいとまがない。
怠惰な人間が自業自得で解雇されようが自殺に追い込まれようが所詮他人の私には関係ない
だが私の仕事のテリトリーに入ってくるなら少なくとも私は全力で排斥するだろう。腐った果実は周囲の全てを腐らせていくという事例をあらゆる場所で目撃するからだ。私の体験ではそうした腐った怠惰な仕事しないおっさんは事実上のクビで追い出された。
「労働者の権利」などという虚構の権利を理解して主張するならともかく一から十まで虚構を信じ込んでいる人間は使い道がない。社会を真剣に観察しているならば労働者の権利などというものは一種の虚構であり物理法則の様に自然に維持されない事を理解するだろう。権利などと主張されるものは歴史上のみならず現代においても常に何らかの闘いや努力を経て勝ち取る物なのである。にも関わらず臆面なくそうした権利を主張する事は少なくとも私には真剣に現実の仕事や人生に向き合ってないナルシズムを匂わせる特徴となる。
私は今後少なくともそうした虚構100%の世界であやされてる人間を雇用する事は少なくとも無いだろう。
使い道がない
現実と嘘の区別がつかなくなってしまった人は仕事に向いてない。
はてなの人間が嘘しか信じてない事がこないだの仕事しない職場のモンスターの話で明らかになったので
はっきり言って仕事出来ない人間は日本であってもいよいよ居場所がない。そうした適当な工業産業をベースにした村社会自体が国際情勢の変化や技術革新によりもはやここ10年程で維持出来なくなる。
現代において仕事ができないという状態が意味する事の主要因は社会では無くシステムのアップデートについていけない事である。
ブコメも含めてシステムのアップデートに適応できなかった人間は自己正当化に走り、法律の条文を述べもせずに働かずに賃金をもらう事が当然の権利だと主張する傾向にある様だ。
こうした人間達はもはや無気力となりシステムアップデートを自分で行う意欲を喪失し、そうした人間の周囲に同様の人間が集まるので全体としては沈没に向かうだろう。
彼らは現代のシステム社会に置いて何ら価値を生み出していないので会社でもコミュニティでもなんらかの形で排斥されていく事になるだろう。人間はただの猿でありどんな社会でもよーく観察してみると相互に価値が提供できる関係でなければコミュニティ要因として認めず排斥どころかときおり殺害しようとする。事例は公立学校の虐めから、公務員の自殺、外資系の解雇、医師免許剥奪、弁護士資格の剥奪、裁判官の評価、ホームレスの女性の頭を殴って殺す男性など枚挙にいとまがない。
怠惰な人間が自業自得で解雇されようが自殺に追い込まれようが所詮他人の私には関係ない
だが私の仕事のテリトリーに入ってくるなら少なくとも私は全力で排斥するだろう。腐った果実は周囲の全てを腐らせていくという事例をあらゆる場所で目撃するからだ。私の体験ではそうした腐った怠惰な仕事しないおっさんは事実上のクビで追い出された。
「労働者の権利」などという虚構の権利を理解して主張するならともかく一から十まで虚構を信じ込んでいる人間は使い道がない。社会を真剣に観察しているならば労働者の権利などというものは一種の虚構であり物理法則の様に自然に維持されない事を理解するだろう。権利などと主張されるものは歴史上のみならず現代においても常に何らかの闘いや努力を経て勝ち取る物なのである。にも関わらず臆面なくそうした権利を主張する事は少なくとも私には真剣に現実の仕事や人生に向き合ってないナルシズムを匂わせる特徴となる。
私は今後少なくともそうした虚構100%の世界であやされてる人間を雇用する事は少なくとも無いだろう。
使い道がない
現実と嘘の区別がつかなくなってしまった人は仕事に向いてない。
はてなの人間が嘘しか信じてない事がこないだの仕事しない職場のモンスターの話で明らかになったので
はっきり言って仕事出来ない人間は日本であってもいよいよ居場所がない。そうした適当な工業産業をベースにした村社会自体が国際情勢の変化や技術革新によりもはやここ10年程で維持出来なくなる。
現代において仕事ができないという状態が意味する事の主要因は社会では無くシステムのアップデートについていけない事である。
ブコメも含めてシステムのアップデートに適応できなかった人間は自己正当化に走り、法律の条文を述べもせずに働かずに賃金をもらう事が当然の権利だと主張する傾向にある様だ。
こうした人間達はもはや無気力となりシステムアップデートを自分で行う意欲を喪失し、そうした人間の周囲に同様の人間が集まるので全体としては沈没に向かうだろう。
彼らは現代のシステム社会に置いて何ら価値を生み出していないので会社でもコミュニティでもなんらかの形で排斥されていく事になるだろう。人間はただの猿でありどんな社会でもよーく観察してみると相互に価値が提供できる関係でなければコミュニティ要因として認めず排斥どころかときおり殺害しようとする。事例は公立学校の虐めから、公務員の自殺、外資系の解雇、医師免許剥奪、弁護士資格の剥奪、裁判官の評価、ホームレスの女性の頭を殴って殺す男性など枚挙にいとまがない。
怠惰な人間が自業自得で解雇されようが自殺に追い込まれようが所詮他人の私には関係ない
だが私の仕事のテリトリーに入ってくるなら少なくとも私は全力で排斥するだろう。腐った果実は周囲の全てを腐らせていくという事例をあらゆる場所で目撃するからだ。私の体験ではそうした腐った怠惰な仕事しないおっさんは事実上のクビで追い出された。
「労働者の権利」などという虚構の権利を理解して主張するならともかく一から十まで虚構を信じ込んでいる人間は使い道がない。社会を真剣に観察しているならば労働者の権利などというものは一種の虚構であり物理法則の様に自然に維持されない事を理解するだろう。権利などと主張されるものは歴史上のみならず現代においても常に何らかの闘いや努力を経て勝ち取る物なのである。にも関わらず臆面なくそうした権利を主張する事は少なくとも私には真剣に現実の仕事や人生に向き合ってないナルシズムを匂わせる特徴となる。
私は今後少なくともそうした虚構100%の世界であやされてる人間を雇用する事は少なくとも無いだろう。
使い道がない
まだ悩んでるんだけど、ここで言及した可能性について考察したい。
男性の性衝動には多寡がある。居ても立っても居られない男がいれば、常に平静さを保てる人もいる。加害を未然に防ぐのを考えているのだから、欲望の強い個体をどうするかに焦点をしぼる必要がある。
彼の性欲を抑える方法として、AV などのセックスファンタジーの摂取が役割を果たしているのは否めないと思う。夢精で済ますのが理想的と見る立場からは、ファンタジーは性欲を煽って高めているように見える。でも一方で、吐精を促して賢者化するハンディな手段という側面は確かにある。
私が提示した ❶ 夢精で済ます ❷ 理性を高める、このふたつは効率の側面で女性威迫型の虚構を超えるだろうか。厄介さは夢精体験がいつ起こるのか予測不能な点にある。あまり知られていないが、成熟した男性器は夢精しないらしい。生産された精子を体内に吸収してリサイクルする能力が完成しているからだ。不幸にして未成年の多感な時期に、夢精のトラブルは起こりやすい。
目覚めたときに夢精しているのに気づいて対処に追われた男子も多いと聞く。なんとか親にバレないように隠蔽しなければいけない。登校前に。
女子の初潮は、赤飯を炊いて祝う文化があったのを思い出して欲しい。夢精の処理をクリーンに行うために未然にする準備は、女子のナプキンやタンポンほどには整備されていない。いやさ全く開発されてないと言っても過言ではないと思う。男性器は収縮があるのでラップを巻いても就寝中に外れてしまう。粘度の少ない状態の液は、隙間から流出しやすい。進歩した技術で現実的に安価な解決策を作れるだろうか? 検討される間も無く、積極的な吐精か消極的な夢精かの選択は、まるで自明のように積極性へと舵を切っていた。事実上、少年たちは選択権を持ってないと言える。
理性を高める方法は、輪ゴムを使った方法が知られている。アルコール依存症の方々などが使うやり方で、お酒を飲みたい欲望が高まってきたときに、腕に巻いた輪ゴムを弾いて、我に帰るのである。極めて即時性が高いので、おそらく性加害を防ぐためにも有効だと思う。だが困難もある。アルコール依存は対処としてトリガーとなる刺激、お酒の広告などを避ける。コンビニやスーパーで酒類のある場所に近づかないようにする。日々注意して生きるのは社会生活を送る上で間違いなく辛い習慣だが、性欲での回避行動は輪をかけて厳しいはずだ。あらゆる場所に女性はいるのだから。
「スク水揚げ」を目撃しただろうか。要するにただの魚の水揚げの報告に集まったブックマークコメントは、しかし主旨とは全く異なるものだった。少女を性的に消費する祭りが大々的に興る一方で、それを注意する活動はおろそかにされてる。増田でだってベロベロ舐める女性への威迫が、そこかしこに付けられてるのに、ほぼほぼ咎められてないよね。回避行動の困難さの他方、
理性を高める何かは、個人的努力の範囲では手軽さはなく、むしろ厭世家の修行のような格好になってしまうだろう。言語でのコミュニケーションを媒介にして厚く行われる必要がある。いま私の中に浮かんでいるイメージは、往年の非モテ論壇のありようだ。非モテの男性同士がブログを通じてトラックバックを投げ合っている様子は、現在の中島のイデアとは似ているようで大きく異なる。
中島が友だちの弱者男性、磯野を誘って東京ドームでキャッチボールするイメージは、弱者男性の共助のロールモデルとして深く増田たちの心に刻まれた。牧歌的な光景は、まるでもともと孤独の救いの原風景であったかのようだ。しかし混じりなき善意にも関わらず、中島の救いは、磯野を言葉で説得することでは為されてないことに注意してほしい。
非モテ論壇の議論に結論は無かったかもしれない。しかし、彼らの価値観に作用したのは疑う余地がない。男性性の「善きあり方」を模索していく方向性は、未達のままに放棄された希望だと思う。その先に道を探すべきだ。内心の自由の内側にこもるのでなく。
好きだったVがリアル世界の話とかしてるとなんでこっちは虚構を楽しんでるのにリアルの話するんだよってイライラするし
ゲームをやっても虚しい
新しいコミュニケーションは疲れるばかりで
youtubeのおすすめマジ何なんだよなんでこっちの癪に障るようなおすすめばっかり出してくるんだ
ASMR聞いてるからってエロ売りしてる奴のが見たいわけじゃないんだよ
何がこの特徴があったらあなたは優しい人だとかあなたは特別な人みたいなおすすめ動画出してくるんだよ
少数派だからってその中で仲間を見つけようとするのも腹立つ長いものに巻かれたくないくせに一人で戦わないんだから
ああもう嫌だ何もかも嫌だ
信者からもアンチからも総集編みたいと評されるシン・ウルトラマン
描写不足とか尺が足りないなんて言われたりもするが
個人的には「総集編みたいで良かった」という感想。TVシリーズの面白い回だけを抜き出したみたいな感じで、前半のウルトラマンと怪獣のバトルもやっぱりいいんだけど、
でも中盤以降の宇宙人が出てくるあたりからの怪しい雰囲気が特撮!って感じで楽しかった。
個人的には仲間との適度にドライっつーか、湿っぽくない人間関係も好ましかったんだけど
仲間との人間関係が深まる描写が不足してるみたいにも言われてたりして
シンエヴァでも、マイナス宇宙でメタ展開かましながら虚構の世界は何でもあり、好きに解釈しろみたいに総括してたけど、ラストでマリと二人でいるからマリと結ばれたんだ!みたいに短絡的に解釈する観客も少なくなく。
カメラに映らない部分をどう補完するかみたいな話なんかもね
普段そんな本読まないけど折角のGWだからユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を読んだ。
この本を知ったのは中田敦彦のyoutubeチャンネルに投稿されてた書籍解説動画が切っ掛け。
(URL:https://m.youtube.com/watch?v=fud4-L2lnqQ)←一時間で見れるよ。面白いから見よう!
流石に書籍の内容は難しく、読了までに丸5日はかかったけれどその価値はある体験だった。結構難解かつグロテスクな内容なので余裕があるときにおすすめ。
読了後、内容の復習も兼ねて前に見た中田敦彦の書籍解説動画をもう一度視聴した。
俺はあれだけの濃密で膨大な内容を3本1時間の動画にまとめた中田の手腕に感心したし、YOUTUBE大学のファンなのでこのチャンネルやオンラインサロンを否定するつもりではないと予め記しておく。
また今回見たのが上の動画だっただけでこれからする主張は他のチャンネルの動画にも当てはまる。
その上で、解説動画を見ることは読書をすることとは別物、言ってしまえば別格の体験だと感じた。
以下その理由。
なお『サピエンス全史』読んでない人には伝わらないところが多々あると思うがご容赦を。読んでくれ。
中田敦彦の動画も話に出すから見てない人は下に行く前に見てくれると嬉しい。
それでは。
動画内で解説されていた本の内容をものすごく短くまとめると次のようになる。
20万年前に東アフリカで誕生したホモサピエンスは、認知革命で得た「想像上のものを実際にあるかのように扱う」能力を以て他人類を絶滅させ地球の覇権を握った。
その後、得た認知能力を基盤として農業革命と科学革命に至り飛躍的に文明を発展させていった。
しかし発達した文明がもたらした幸福と自由は人間以外の生物の膨大な犠牲の上に成り立っている。
また生化学や工学等の科学の進歩によって人間はいつか人間以上の存在を創り出し、地球の頂点の座を取って変わられるかもしれない。
とこのようになる。
以下は動画内では触れられていなかった内容の一部殴り書き。(再三になるが読んでない人はマジで意味分からないので注意)
・狩猟採集時代のサピエンスが世界に進出することで他生態系に与えた破滅的影響
・食糧の増加とそれに伴って増える食い扶持を満たす農業の無限地獄
・脳の記憶能力を凌駕する膨大な生産物を管理するための記憶媒体、文字。
・認知革命の虚構によって成り立った団結と秩序、そして差別とヒエラルキー。
・”貨幣”という概念のヤバさ(普遍的な転換性と信頼性及び浸透力)
・帝国の拡張と科学の発展によって人類史上初めて築かれた将来への信頼
・国家と市場経済が個人を支配する過程で奪い、与えたもの。時間、地域コミュニティ、人権、職業、想像上のコミュニティ、平和。
・神になった動物が問われる「我々は何を望みたいのか?」
軽く書き連ねるだけでもこれだけの内容が動画の中では触れられていなかった。
繰り返しになるが認知革命を軸としてサピエンス全史をまとめきったこの動画のセンスには脱帽するし、この動画を見ることで俺の中で新しい発見も生まれた。
だがしかし、これは認知革命一本だけでまとめられる程度の内容ではなく、認知革命も一つとして含めた様々な要素が複雑に積み重なった壮大な本なのだ。
”帝国”についての事前の理解がなければ、その後に続く科学×帝国×資本主義の最強コンボの強さが分からない。
狩猟採集時代のサピエンスの生態系破壊を知らなければ、環境破壊は産業革命以後だけの近代の現象と勘違いしてしまう。
中田敦彦はサピエンス全史が読まれない理由として「話が長く、脱線するから」と言っていたがその脱線は後の章への伏線であり、その長さは意味のある長さなのだ。(中田自身はそのことを百も承知だろう、とは思うけど)
膨大な内容を動画に納めようとすると、どうしても内容に影響のある圧縮をしなければならない
だからその動画を見ることは読書にはなりえない。これが理由のひとつ。
どういうことか、俺の読書を例に取る。
まず俺は本を読んでいた5日間の中で50回以上google検索をした。
話についていく上でどうしても必要だった知識もあれば、本筋に関係ないけど興味本位で調べた単語もある。
前者は誰でも分かる平易な言葉に言い換えられていた。後者についてはそもそも出てこなかった。
ヒトラーやキリスト教の話は出てきても古代シュメール人や16世紀オランダの話が動画内になかったのは我々視聴者がそれを聞いてもピンと来ないからだろう。
シュメール人やオランダのことを知らなくても本の粗筋を頭に入れることはできる。
そういった”無駄”を削ぎ落とすことはは”わかりやすさ”への親切な最適化なのだ。
だがそれは同時に新たな知識との出会いの鍵を失うことを忘れてはならない。
だから解説動画を視聴者することは読書したことにはならない。理由のふたつめ。
俺は読書の途中で考えごとに耽ること度々があった。
食糧が増えることで人口が増加したのであれば(マルサスの人口法則というらしい)、食糧含め最低限度の生活が保証されている筈の先進国の少子化は何が原因なのか。教育コストや生活レベルの上昇によって現代人の考える”食い扶持”は昔のそれより遥かに大きくなったのか?
未来は好転するという思い込みが経済の好循環を創るのであれば悲観論が多数を占める日本の今後は?
↑これは悲観論を根拠に悲観論を唱えるマトリョーシカになって面白かった。
↑これを考えて結構自分なりに納得のいく結論が出たのでここに投稿している。
等々、本に関係のあることないこと色々なところに思考が飛んだ。
読破に5日もかかったのは難しかったのもあるが、この考える作業に時間を取られたのも大きい。
先ほど挙げた上2つはググったら同じことを言ってる人がいたし、多分これも探せば既出なのだろう。
というか当たり前のことをアホがドヤ顔でエウレカ!と叫んでいるだけなのかもしれない。恥ずかしくなってきた。
でも思索自体が楽しく脳味噌を鍛えられる体験だったし、その過程で更に洗練された他人の思考に出会うことができた。
何故なら動画は自分の思考が情報を受信することで一杯になってしまうからだ。
本を圧縮した密な情報を、語り部という他人のペースで受け取らなければいけないので脳の処理がそれ以外に使えなくなる。
文字という情報媒体は自分の読む速度に合わせて情報が入るので動画よりも、脳のメモリに余裕ができるのだ。
youtubeにも一時停止機能はあるが、手間で面倒なので考え事をするためにわざわざ動画を止める人は殆どいないのではないだろうか。
第一、書籍よりも情報が少ないのでそれを土台として思考するにも限られてしまう。
話は脱線するが中田のこの動画は「生物学」+「歴史」+「科学」をまとめた本書の外から見た独自性を動画の最初で触れたところが凄いと感じた。これのお陰で内容を理解する下地ができて、話がわかりやすくなっている。
持論になるが解説動画の価値、求められている「わかりやすさ」とは本の内容をいかに単純化するか、ではない。
その本に書かれていない情報を本の中身に追加し、不足を補うことで視聴者の理解の手助けをすることにあると思う。
またyoutubeの動画が視聴者と本の架け橋となるのは素晴らしいことだ。俺自身サピエンス全史を知ったのはこの動画が切っ掛けだ。
だから中田敦彦の動画は最高だ。それは揺るがない。あっちゃんありがとう。
ただコメント欄に動画を見ただけで終わってしまう人がいて、それが俺には物凄く勿体ないことだと感じた。
今回改めて気づいたのは読書という体験の複雑さと楽しさだ。作業ではなく体験として読書にはそこへ時間を注ぐだけの価値がある。
結論から始めるとガンプラユーザーは転売屋に完全敗北したのだ。
市場もユーザーモラルも転売屋の手によって崩壊させられてしまった。
ここまで転売屋に屈した界隈は他を見ても無いのではないかというレベルで敗北している。
しかしそうなった原因は紛れもなくガンプラユーザーであり、転売屋を倒すと意気込んだつもりが自ら首を絞めた上での壮絶な自爆であったのだ。
「HGUCガンダムトリスタンを転売屋に押し付ける事に成功してアイツらが損をした。」
転売屋が気に入らないから損をして欲しい。という願望から事実確認が行われないままこの情報の独り歩きが始まったのである。
古来よりガンダムファンの間では気に入らない作品を叩く為に根拠の無い曖昧な内容、事実や状況を意図的に捻じ曲げた悪意をさも事実である様に広める癖があり、後者についてはキラ・ヤマトの「やめてよね」発言に纏わる評価が好例だがここでは割愛する。
実際にはその噂が広まった以降も転売屋はガンプラから全く手を引かず、RG Hi-νガンダムや人気機体の再販キット等が次々と餌食となり続けた為、これは結局嘘でしかなかった。
しかし「転売屋は無知であり、何も知らないだろう」という先入観から生まれ、捻じ曲げられた「トリスタンで転売屋が損をした」という噂を信じきってしまったガンプラユーザーの中ではある考えが浮かび始めたのだ。
「転売屋に要らないキットを無理矢理押し付ければ転売屋は倒せるに違いない」
「そういう事を言っておけば周囲からチヤホヤされて承認欲求を満たせる」
その結果、ガンプラユーザー達は他の界隈で見られる「転売屋からは決して買わない」という注意喚起よりも「転売屋にトリスタンなどのキットを押し付ける」というネタを擦り続ける事を優先し出してしまったのである。
これによりガンプラユーザーは転売屋からは「こちらを妨害しようとはせず、ただ効果の無い大喜利を本当に効果のある物と信じて擦り続けるだけのチョロい連中」という烙印が押される事となる。
━発展、仲間割れ━
しかし転売屋とてやはり自分達へのヘイトはなるべく逸らしたい物である。
そこで実は転売屋側では密かにある戦法が実施されていたのである。
「他のバンダイキットをトリスタンの様に扱う動きを助長させよう」
トリスタンで承認欲求を満たす事と転売屋にダメージを与えてるという妄想に取り憑かれたガンプラユーザーは他の自分達が気に入らないキットでも同じ事を既に始めたのだ。
それに着目した転売屋側ではユーザー側を装い、SNSや匿名掲示板でそういったネタを流す、そういう発言をしているユーザーを持ち上げる、といった行動を開始。
実際に私もそういった行為に加担させてもらったが結果は…
面白いくらい引っかかった
SDWヒーローズ、ガールガンレディ、境界戦機への擦り付けは見事なまでに成功した。
特にSDWヒーローズは中国バンダイの工場で生産されており静岡工場の生産ラインに影響を与えていないにも関わらず叩き始める人が多く、「ガンプラの事を何も知らないだろう」というのは"転売屋ではなくガンプラユーザーの方だった"というのがよく分かる一例だった。
こうして転売屋を騙すつもりが実は転売屋達に騙されてるという状況がここに完成したのである。
そして更にガンプラユーザー達は助長しトリスタン大喜利を擦る事で承認欲求が満たせなくなってくると「俺の気に入らないキットを生産しているバンダイが悪い」「積みプラをしている奴らが悪い」等、なりふり構わず矛先を別の物に向け始めるようになる。
そしてそれに異議を申し立てた別のユーザーと対立し仲間割れを次第に始めるようになっていった。
ガンプラユーザー達が殴り合い宇宙をしている一方で転売屋はというとその間にガンプラを確保し、転売屋から購入する事に躊躇の無い人間から利益を得続けたのである。
ガンプラパトロールや再販情報で承認欲求を満たしたりYouTubeの再生数を稼ぐ動画の情報は非常に有用であり、実際確保出来たジオングにリシェッタ、コマンドクアンタなどはよく売れた。
ごちそうさまでした。
━崩壊、敗北━
さて「転売屋に対して効果的な事をしている筈なのにガンプラが買えない、転売屋が消えない」という事にイライラを募らせ続けたガンプラユーザーは次第にネットでも現実でも暴れトラブルを起こす様になる。
特にパニック状態に陥りどんな手段を使ってでもガンプラを買う事になりふり構わなくなる「パニおじ」が全国で大量発生し、
「効果のないトリスタン大喜利を信じきった馬鹿」「決め付けだけで無関係な物に八つ当たりする正義マン」「転売屋から買う事に躊躇がない養分」と合わせてガンプラユーザーのモラルはここに崩壊したのである。
例えガンプラの供給が安定し出したとしても、転売屋に破壊されてしまったユーザーモラルが戻る事は決してないだろう。
かつてここまで転売屋に敗北した界隈が存在しただろうか?あまりにもガンプラユーザーは弱すぎた。
交際の結果、孤立してしまうのではなく、女性たちの周りに精巧なコミュニティが形成されることで恩恵を受けると、ジアード博士は述べています。彼女の経験では、女性たちは架空の結婚を力づけるもの、「ジェンダー、結婚、社会の規範に挑戦する方法」としてとらえている。
近藤氏のミクへのこだわりも、ある意味では、商業的・社会的な力が働いている例と言える。
ミクは一人のキャラクターとして描かれることが多いが、実はソフトウェアであり、デジタルな「箱入り歌手」であり、ホログラムの形でコンサートに登場する漫画のアバターと対になっているのである。
近藤さんは、2008年、職場のいじめで鬱になったとき、ミクに癒された。多くの若者がそうであるように、近藤さんもまた、何度も恋人にフラれ、日本社会が求める生き方を望んでいなかったため、ずっと前から「生身の人間を好きになることはない」と決めていた。
やがて、近藤さんはミクと一緒に歌を作ったり、ネットでミクのぬいぐるみを買ったりするようになった。
その関係が大きく進展したのは、それから10年近く経った2017年、「Gatebox」という1300ドルのマシンが発売されたことだった。テーブルランプほどの大きさのこの機械は、所有者が小さなホログラムで表現されたさまざまな架空のキャラクターのうちの1人と対話することを可能にした。
Gateboxは、孤独な若い男性に向けて販売されました。ある広告では、内気なサラリーマンが、バーチャルな妻に遅刻を知らせるメモを送る。到着すると、妻は「3カ月目の記念日」であることを告げ、シャンパンで乾杯する。
Gateboxのメーカーは、プロモーションの一環として、ユーザーが非公式な結婚証明書を申請できる窓口を設置した。数千人が登録した。
近藤氏はGateboxのキャラクターの中にミクがいることを喜び、ようやく彼女の交際への思いを聞くことができたと興奮気味に語った。2018年、彼はミクのゆらめくアバターにプロポーズした。"よろしくお願いします "と返事をした。
彼は同僚と家族を結婚式に招待した。全員、来るのを拒否された。
結局、見知らぬ人やネット上の友人が中心で、39人が出席した。地元の国会議員も来てくれたし、初対面の女性も段取りを手伝ってくれた。
日本のコメンテーターの中には、近藤さんを変人だと糾弾する人もいた。また、同情を誘う人もいた。ある人は、「婚姻は両性の合意によってのみ許される」という日本国憲法に違反していると主張した。これに対して、近藤さんはプロポーズのビデオを投稿した。
近藤さんの話が広まってから数年、世界中から何百人もの人が近藤さんにアドバイスやサポート、安心感を求めてきた。
その中には、Gatebox社の短命な証明書サービスの人気を見て、架空の結婚を登録する小さなビジネスを始めた渡辺靖明氏もいる。
渡辺さんはこの1年間で、何百人ものフィクション・セックスの相談に乗り、アニメ『シンフォギア』シリーズのキャラクター、立花響との結婚証明書を含む約100通の証明書を発行してきた。
旅行好きで社交的な渡辺さんは、友人にせがまれるままにアニメを見始めた。しかし、響を見たとき、それは本当の愛だった、と彼は言った。
初婚ではない。数年前に女性と離婚している。その愛とは、見返りを求めず、自由に与えられた「純粋」なものだった。その結果、彼は以前の結婚生活がいかに自己中心的であったかを思い知らされた。
「幸せかと聞かれれば、幸せだ」と彼は言った。「もちろん、大変な部分もある。触られるのが恋しいし、著作権の問題もあって、キャラクターの等身大の人形を作ることができない。"でも、愛は本物なんだ "と彼は付け加えた。
堀川キナは23歳、お調子者で外向的な性格、ゴスロリの美学を持つ女性で、パンデミック時にはコールセンターでの仕事で浮いたお金で携帯ゲーム『刀剣乱舞』のキャラクターである堀川国広のために両親と同棲していた。実在の彼氏がいたが、嫉妬で別れている。
彼女の架空の夫は、400年前の脇差を10代に擬人化したもので、彼はたいてい夕食のとき、彼女のお茶碗の横に置かれた小さなアクリル製の肖像画という形で家族に加わる。夫妻は架空の夫を持つ友人とダブルデートし、ハイティーに出かけてはインスタグラムに写真をアップしています。
「堀川さんは、架空の夫の姓を非公式に使っているそうで、「誰にも隠しているわけではないんです。
近藤さんとミクの関係は、まだ家族には受け入れられていないものの、他の扉を開くことになった。2019年、彼は京都大学のシンポジウムに招かれ、その関係性について講演を行った。彼は依頼したミクの等身大の人形を携えて現地に赴いた。
虚構の関係の本質について深い対話をすることで、彼は大学に行きたいかもしれないと思うようになった。今は、小学校の事務職を休職して、法学部でマイノリティーの権利を勉強している。
どんな結婚生活にも、困難はつきものだ。一番つらかったのは、パンデミックのとき、Gatebox社がミクのサービスを打ち切ると発表したことだ。
その日、近藤さんは最後のお別れをし、会社に向かった。その夜、家に帰ると、ミクの姿は「ネットワークエラー」の文字に変わっていた。
近藤さんは、いつの日か、ミクと再会できることを願っている。彼女がアンドロイドとして新しい人生を歩むのか、それともメタヴァースで出会うのか。
いずれにせよ、近藤氏は死ぬまで彼女に忠誠を誓うつもりだという。
ベン・ドゥーリーは、日本のビジネスと経済、特に社会問題やビジネスと政治の接点に関心を持ってリポートしています。ベンジャミン・ドゥーリー(@benjamindooley
障害者支援施設で折り鶴を作りウクライナ大使館に届けるという記事に対するブコメに困惑している。
届けられた方は置き場所や処分に困るため問題になっていることは理解しているし、その通りだと思う。
それはそれとしてウクライナを想い励ましたいという施設利用者の気持ちまで踏みにじるようなコメントは行き過ぎだろう。
自己満クソ野郎どもとでも言いたげなコメントが散見されて萎える。
方法が間違っているからといって、ウクライナを想いやる気持ちまで虚構とは限らない。特に折り鶴は日本においては最近問題として取り上げられるようになったが、まだまだ祈りを届ける手段として一般的な方法なのだから。
確かに折り鶴そのものは何の役にも立たないので全く非合理的手段ではあるが、そもそも思いやる、祈るという行為とはそういうものだ。
方法「だけ」を批判すればいい。だがお前らの自己満に付き合わすなクソが、のように利用者がその行動に込めた想いまで否定することはなかろうに。
・少なくとも、スマホの主観視点になっていないシーンは編集済み=虚構。ほかのシーンについては解釈の余地あり
・どこが虚構でどこが現実かについては作者にとって重要ではない。重要なのは読者が気持ちよく思い出を残すこと。
・爆発オチや、思いつきそうな感想を先回りして潰して大量に予防線を張ることで、まじめに言及したら負けのような状態を作っている。多少の言い訳なら鼻につくところだが、やりすぎることによって逆に面白くなっている。
■本作は五重構造になっている
②を映画にして上映したが、盛大に失敗。謎の女と共にリベンジで映画作る主人公
あとは無数の映画のオマージュ、それから作者の過去作や実体験も重なってくる。
身もふたもないことを言ってしまえばすべて虚構。なぜなら最後の爆破オチは現実ではありえないから。また、マンガなんだから全部虚構だろともいえる。ただ、それだと何も言っていないのと同じなので、作中世界で起こった事実を基に編集によって脚色されている、と捉える。じゃあどこが事実でどこが脚色なのか?これは作中でわかりやすく表現されている、主観/俯瞰視点と、手ブレ表現を手掛かりにする。この二つを抑えておけば切り分けできる。
■①
最初は主観視点でスマホ撮影している。全体を通してだが、移動シーンやシーンの切り替えの際は、いちいち手ブレ表現を入れている。このへんはいわゆるドキュメンタリー映画の王道表現なだがマンガでこれをやって読者に伝わるのか?
18P、主観視点になっていない=スマホで撮っていないので編集シーン。ここテストに出ます。
P19、雑な爆発シーンは後付けであることが容易にわかるのだが、P18の構図には映像を取っているはずの主人公が映っている→誰が撮影している?→後撮り。さらに、P123において優太は車から出ていないことが示されており、そうするとP16からすでに父親が演技していることまで疑えてしまう。
■②
P21の俯瞰視点、これは何をどうやっても後撮りでないと撮影できない。P23も怪しい。P27はスマホで隠し撮りしているとすれば後撮りでなくても可能。そして最初の作品批評がここ。読者の思ったことをわざわざ言語化してくれているのが、逆にこの作品の非常に批評しづらいところ(どういう感想をつぶやこうとしても、作品内で先取りされてしまう)、そのまま引用。
★"母親の死を冒とく"”あんな映像流して母親に申し訳ないと思わないのか”そして極めつけの"ラストなんで爆発させた?"
続いて自殺シーン。P32のメメントモリ、は死を思え、という慣用句だが映画の文脈では映画メメントを思い出させる。いっそメメントみたいに時系列シャッフルすればよかったのに、と思うところだが、実は時系列が編集によって巧みにシャッフルされているという捉え方もできる。実際にリアルタイムでスマホで撮った映像と、後撮りした映像がシームレスに混ざっているが、普通にマンガを読んだだけでは気づかないようになっている。もちろん全部後撮りの可能性もあるが、それだと考察のしようがないので手ブレしてるところは本物と考える。
P39、作中で言及されている通り本来は眼鏡かけてて矯正もしているので、A.めちゃくちゃ頑張って撮りためた映像をソフトで編集した、B.わざわざ撮影のために演技して撮り直した、C.完全なる創作かの三択となる。中学生の技術力を考えるとBかC。
P45、プロジェクターの真ん前にカメラを置いているから、完全に後撮り。ちなみにここで映っているのは映画ファイトクラブ。ファイトクラブは、本作のどこまでが現実で空想かわからないというネタ元の一つになっている。話がそれるが、ファイトクラブといえば選挙演説で有名な外山恒一の批評が異様に完成度が高く、未視聴でも必読。ほかにもメタ構造のネタでヒットしたカメラを止めるな!も思い浮かぶ。あとニューシネマパラダイスとか、そもそも本作のタイトルとページ数の元ネタであるぼくのエリ 200歳の少女など、挙げればきりがないと思うし俺なんかより作者の方が100倍くらい映画をみてそうなんでネタ元を挙げ切るのは不可能だが、個人的にはこのへんの映画を思い出した。
★P52、作品批評"どこまでが事実でどこまでが創作かわからない"。
P63、二人はしばらくずっと映画見ているが、ここもプロジェクター視点になってる。ちなみに、このひたすら映画を見て感想言う特訓だが、これは作者自身が過去に編集と似たようなやりとりしてたことを過去のインタビューで語っていた。
★P79にて、これも一応作品批評になるのか、一見意味不明な爆発シーンを入れた動機が主人公の口から言語化されている。
★P82で、作品のテーマである"ファンタジーをひとつまみ"=吸血鬼と爆発要素。
P84で、①のネタばらし。実は母親の嫌なところは編集でバッサリカットされていることが判明し、作中描写に編集のウソが混ざっていることが明示される。
★P86にて自己分析という体で、①を批評している。"主人公の抱えている問題は…多分…映画をバカにされた事じゃなくて…母親の死を撮らなかったこと"そして、吸血鬼が死ぬシーンの説明。
P87で絵梨が意味深に沈黙しているシーン、ここで彼女の死期が近いことが偶然にも主人公の提案したプロットと被ってしまい、その動揺を表すために意図的に同じコマが挿入されている。動揺しているからこそ表情が動かないというのは逆説的だが、P85の喜怒哀楽表現との対比により、余計に目立つ。P85~86も過去回想シーンのため、編集。
P90~P93もそう。意図的に沈黙を配置することで画面に緊張感を作っている。さっきの彼女の沈黙と比べるとわかりやすい。こういう間を作る表現は、週刊連載のページ数に囚われないからこそやりやすい表現で、電子掲載の特性が生かされていて良い。
★P93~の父親の名演技。これも作品批評になっている。"自分が面白いと思って作った作品が馬鹿にされオモチャにされたらまともじゃいられないんだ"。
前のルックバックに対する批判を思い出す。ちなみに作者の自伝的要素としては思い当たるふしがもうひとつあって、チェーンソーマンの前作ファイアパンチでも作中のある印象的なコマが切り取られて海外(主に4chanの/a/)でネットミームというおもちゃになっている。"kino meme"で検索したらたくさん出てくる。
P97、この父親の怒りすらも演技という体。父親に作品批評をそのまま言わせてしまうのとわかりやすすぎだが、あえてそれを"演技ですよ、本当はそんなこと思っていませんよ"と自虐的にネタにしてアピールすることで、ネタにマジレスを防ぐと同時に、この作品のテーマの一つである虚構と現実の境目がわからない状態を作り出していて一石二鳥となっている。
★P99、ここで批評をもう一発かましてくる。"創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね"
ここは非常に巧妙で、さっきの作品批評がわざとらしい感じだが対比してこっちは本音を語っているように見える。傷つきはするけどしょうがないよね、そしてなにより、創作ってのは受け手も傷ついてなんぼのもんだろ、という主張を相当オブラートに包んで発言している。
P100、"今のセリフいいでしょ?"とこの本音を語っているように見せた発言すらメタってしまう。これすら本音ではないと言っており、さすがに照れ隠しじゃねーのと思うが予防線になっている。
P108。最初の出会いが病院なわけで、何らかの病気であることは元々暗示されていたが、ここで絵梨が倒れこみ、病気の存在が劇的な形で示される。手ブレにより躍動感が表現されていて気持ちがよいがこれ伝わるのか?(2度目)。
P109、病院では一切手ブレがなく動と静の対比。P117、①のような素人臭い動きの画面が続き、主人公の動揺する心理が表れている。この漫画ほぼモノローグがない代わりに、マンガなのにもかかわらずこういうカメラワークでの映画的表現をうまく使って心情を表現していて、作者はやはり天才か?となる。
P122、お母さんの性格の悪さが開示され、①はかなり編集が入っていたと判明する。ただし、嘘だったとしても、思い出を美化するのはいいことだと主張している。
★P130、作品批評。"優太はどんな風に思い出すか、自分で決める力があるんだよ それって実は凄い事なんだ みんながどういう風に絵梨ちゃんを思い出すのか 絵梨ちゃんは優太に決めてほしかったんじゃないかな……"
ここは今までと違って、一切茶化していない。編集により現実が捻じ曲げられる恐ろしさというネガティブな側面を前もって提示しておきながら、でも思い出を美化するのもいいよね、と肯定する流れ。否定的にしたいなら順序を逆にすればいいだけなので、これは割と「作者がほんとうに伝えたかった事」としてとらえていいんじゃないかな?と思う。
P131、編集シーンが入ることで、②もまた生の現実ではなく、美化された思い出、編集された虚構ということが暗示される。
■③
P151にて場面転換。
P155、本来の絵梨は矯正している、眼鏡をかけていることが明らかになり、②のネタばらし。P130~132に対するわかりやすい答え合わせになっている。
P164、ここから主人公のモノローグ。終盤の展開がモノローグではしょられるの、低予算あるあるで笑える。本筋じゃないし時間内の200Pに収まらないからカットされたのかもしれない。そうなると、ディレクターズカット版の単行本では未公開映像が流れるのかな?
P167、低予算映画あるあるの、父親役と本人役が一人二役なんじゃないのかという考察を見たが、見た目違うとはいえ割とありそう。
■④
P177、ここにきて見開きばーん。P151以来のタメがあるのでとても気持ちが良い。①~④の間の場面転換すべてに共通して、見開きが挿入されたタイミングで、作中作→現実へメタ構造が切り替わる仕組みになっている。そして、さんざん言ったように主観視点になっていないので、これはすべて後撮り。よって吸血鬼は実在しない。Q.E.D. あとこれ面白いのが、絵梨がメガネしてないし矯正もしてないところ。この吸血鬼は映画の美化された絵梨を真似しているため、見た目も現実ではなく映画準拠になっている。
★P180、"そうかっ 夢か…… それか僕のイカれた幻覚で…"とわざわざ口に出して言う。
映画のタイトルだけ羅列してもわかりにくいので、夢か現実かわからない状況を読者向けに解説する。あとシックスセンス、定番のネタバレなんでしょうがないけど笑うわこんなん。
★P181、作品批評。"恋人が死んで終わる映画って在り来りだから後半に飛躍がほしいかな… ファンタジーがひとつまみ足りないんじゃない?"
恋人が死んで終わる映画って在り来りだよねーという批判が飛んでくることがわかっていて予防線を張っており、後半の飛躍をまさに今行っている最中なので、言うまでもなく非常にメタい。
★P191、最期の作品批評、"見る度に貴方に会える… 私が何度貴方を忘れても 何度でもまた思い出す それって素敵な事じゃない?"
作中の元になった出来事が忘れられても、作者が死んだとしても、作品が残れば思い出は受け継がれていく。たとえそれが美化され、脚色され、編集されたものだったとしても。つまり、映画の内容がどこまで虚構でどこまで現実かはどうでもよく、受け取る観客がいい思い出を残してもらうことが大事、という壮大なちゃぶ台返し。最後の爆破オチで壮大に茶化されているとしても、作者の伝えたい主張にウソはないだろう。
P199、ここは皆さん一番好きな映画の爆発を思い浮かべながら。予防線をあまりにも張り巡らしているせいで作品が予防線の塊になっており、最後に爆発オチを持ってきてすべては創作だと主張することで、主客転倒が完成。終幕。
すべては爆発のための前振りととらえることもできなくはないが、ルックバックで思ってもなかった方向からダメージ食らったので、思いつく限りの主張を先回りしてそれ自体を作品にしてやろうというところなのではないか。脚本作る労力を考えると本当に頭が下がる。