はてなキーワード: 自己肯定感とは
32歳側を読んで思うのは、私は年相応だろうかということ。
自分がこうなんじゃないかって思うと怖い。他人からまともに見られたいしあわよくば良く見られたいと思ってしまうので、個性的な好みでもなく量産好みな人間だから年相応の中から好きを選択すればいいかなって考えだけど、年相応と思っている物が正しく年相応かどうか分からないし傍から見たら違うとか陰でクスクスなんての本当怖い…
落ち着き具合なんて特に自分には年相応かなって不安になる。物事しっかり多方面から考えて嫌なことも責任もってやってる人達と比べたら、とりあえずなせばなるし、嫌なことは蓋をしよう、なんてめんどくさがりずぼらな人間だからもう年相応じゃないんだろうなって思って怖い
ただ、自己肯定感が低くって、オタクとしてワイワイしたいとか受け入れられたいが強く出るから生き取ったんかワレ案件を羨ましくも感じてしまう。そういうところが幼いんだろうなって思う…
友人側も読んだけど、自分の中の年相応像とか世間体含めた考えとか理解出来る部分が多々あるから、Aやばいなと思ってしまう、自分のことでもあるのにね。実際には意外とAが擁護されてて友人を叩く流れなのは驚いた。友人がジャンジャン自分語りと後だしマウントとり始めたのを見て、結局そういうことかって感じた。
性癖にじゃなくて心に刺さりすぎてつらい
マンガ「美少女化した童貞カウンセラーおじさん」の辛辛な闇深展開の虚無な読後感が性癖に刺さる人達。他の美少女化したおじさんの話も - Togetter
これのことなんだけど登場人物の美少女化したおじさんも童貞大学生もどちらも気持ちがわかりすぎてつらすぎる
美少女化したおじさんは友人だと思っていたネトゲ仲間の童貞大学生に迫られ、感情移入してしまい、童貞を「救う」ため身体を許してしまう
その童貞大学生は調子に乗ったのか別の女性に襲い掛かるようになり犯罪者として大学を退学することになってしまった
それだけでなく、他のネトゲ仲間たちも自分のことを性的に見るようになってきた
と、まあそんな感じこの漫画では「美少女」という幸運が約束された存在になったはずのおじさんが不幸な結末に至ってしまうのだが
これ本当にバットエンドなんだろうか
普通に考えて、内気な大学生を一瞬でレイプ犯にしてしまうなんてことできるだろうか
「美少女」になるというのはそれだけ凄まじい力を手に入れるということなのだ
オフ会参加者のようなネトゲでしか友人が作れない童貞おじさんたちは、リアルの自分を承認されることや、承認された経験なんてものはほとんどない
特に「美少女」なんてものは自分を承認する存在としては対極に位置するものだ
「オタサーの姫」という言葉に「容姿がよくない」という意味が含まれるように
「女」でさえあればいい
オタク男コミュニティにおいて男の他者への影響力を竹槍だとしたら、「女」という属性は戦車に匹敵する
そんな神にも悪魔にもなれる力を手にした童貞おじさんは童貞大学生を「救ってやらねば」と考えてしまう
己の身を犠牲にすることにより、他者を救うことができる力を持つというのは凄まじい快感だろう
漫画では救ったはずの大学生は犯罪者となってしまったが、美少女の承認というのは本当に人を救うことも可能だろう
だからこそ、気持ち悪いと思いながらも童貞大学生を受け入れたおじさんの気持ちも
「童貞(男)から逃げて」から美少女という「神」となったおじさんに対する大学生の羨望も痛いほどわかる
結局美少女となったおじさんは、自らが原因で仲間の一人を犯罪者にしてしまったコミュニティに参加し続けるし
かつての童貞仲間たちを気持ち悪いと思いながらも、「自己犠牲」の精神のもと「救い」続ける
この漫画は俺の中に漠然とあった「美少女」という「神」の存在を証明してしまったのだ
その「神」の力により俺が必死に積み上げてきた自己肯定感は一瞬にして吹き飛んでしまったのだ
誰か僕の心情を上手く言語化して下さい
【追記】
5日前に書いたのがホットエントリに入ってた
今更誰も見てないかもしれないし、まだ当初の感情を上手く言語化できてないけど、結構自分の想いとは違う捉えられ方してるなあと思ったので一応追記
美少女を「神」と表現したのは、自分たちより上位のステージに行ったという意味で言った
「神」というのが人間扱いしていなくて失礼というのならば、童貞おじさんは美少女となり「人間」として認められる存在になった。それにより「人間以下」である自分という存在の矮小さを改めて突きつけられた
と読み替えてくれるとありがたい
それと大学生の加害性を正当化しているとか、俺がレイプ犯に感情移入しているとか言ってる人もいたがそれは流石に穿ち過ぎ
俺が大学生に共感しているのは「美少女という神になり童貞から逃げることができたおじさんに対する羨望」の部分だ
ただ、美少女とのセックスが大学生が犯罪者となる「きっかけ」になったとは事実だろう
大学生は「俺は美少女(神)の寵愛を受ける特別な人間だ」と勘違いして犯罪行為に走ってしまったのは作中の描写からしても間違いない
もちろんこれに関しては大学生が100%加害者であるし、美少女おじさん含めた女性たちが100%被害者ではあるしそこに疑問の余地はないけれど
この美少女おじさんは100%被害者であるってすごいことだよな、と
犯罪因子を持つ人間を犯罪者にするきっかけを100%被害者のポジションで与えられる力って凄いよな
もし美少女おじさんが悪意を持って男たちと接したら、自らの手を一切汚さずに犯罪行為を行うことも可能だろう
実際古今東西、美女に誑かされて身持ちを崩した例は枚挙に暇がないわけだし
増田読んでると色んな人の生活とか人生観とか色んなものが見られてすごく面白いから自分もまとめてみた。
正直事務とかふつうの仕事は無理だろうなと高校のころからうすうす思っていた
注意欠陥までいかないと思う…けど、色々と普通のことが普通にできないからだ、銀行とか絶対無理なタイプ
ていうかコンビニバイトも無理だったしスーパーのレジ打ちもおぼつかなかったし後述するけど倫理観がちょっと常人とくらべてガタついてるところもある(あった)おまけにコミュ障すぎずコミュ強でもないが自分はセンスいいと思っている最悪な部類のやつだった
進学高でもなんでもない普通の学校で成績は中の下か下の上だったので受験ははなから選択肢になくなんとなく選んだ専門学校に行ってた。学費免除の特待生は受からなかった。
うだつの上がらないままコネで待遇もよく確認できないまま新卒入社したところは所謂技術職で入った、専門学校で勉強してたのとは全然関係ない仕事だった
初任給10万切ってたけどはじめてお給料もらえた時はめっちゃうれしかった。仕事ぶりはというと今振り返るとはっきり言ってかなり低能で、つかえねー部下だった
生意気な口ばっかりきくし特段仕事ができるわけでもない…人望もない…若いだけのクズ…デブ…ミス多い…でもその割に上司はふつうに接してくれたと思う
激務すぎてやめた、社内のやりたい仕事へのルートすら能力が足らなくて開けないし、かといって激務のなかでこじ開ける努力をするのは困難と感じたのもあった。あとなんか2年目くらいからストレスのせいかめちゃくちゃ太りはじめて怖かった
でも4、5年くらいいたかな…お世話になりました…まじで…10万ちょっとで月400時間くらい働いてたと思うけど…感謝…
こっから流浪の派遣生活が暫くつづく、この期間が暗黒、黒歴史、一番社会人としてやばかったと思う
度を越した長時間労働・低収入だったから派遣になったとたんもらえる賃金と自由に使える時間が爆上がりしやっと一人の人間になれた気がした
それはいいとして、そのうちの一社で業務中に別のことに夢中になってたのがバレて(犯罪行為ではない)即効契約終了になったりしたのも懐かしいが、っていうかほんと今考えるとありえなすぎる
でもこれやりたい!と思うと我慢できなくなっちゃってたんだよな、我ながら怖すぎるだろ
他の就業先でも契約満了になったの直接いわれてないけど業務中のネットサーフィンがどうしてもやめられなくて、あれが原因だったんだろうな
どうも破滅するってわかってるのにそれでもやめられないみたいなところがあり、本当に怖い。今は加齢して枯れたのか人間としてちょっとましになってきたのかここまでやばいことはなくなった
暗黒期はそれなりに長かったが色々あって収入は増えたはずなのに初期はとにかくめちゃくちゃ金がなかった、お金なくて100円の野菜買おうかどうか腕組みして棚の前で15分くらい考えるくらいには金ほんとになかったよ、よく生きてたな実家帰れよって今なら思う。
理不尽なのはそれくらい貧乏だったのにデブはそんなに変わらなかったこと
そっから一応技術的な成長とか将来性とかも考えて直雇用で転職したが…次はまあなんかヤンキー体育会系ベンチャーって感じだった。2年半くらいはいたかな
つるんでる会社もまあ数年前は話題になってたけど近年は資金繰り悪いとかそんなばっかで斜陽、パッとしない感じだった。だっさ…ていうか情弱かよ…?って正直思ったりしていた
なんか体質的に合わねーな、ハッスルハッスルしすぎだろ、ていうのが決め手になってやめた。あんまり自分のスキルアップも見込めなかったし
ベンチャーって社長のワンマンだけど「一緒に目標に向かって頑張りたい」と「なんでお前のキラキラストーリー達成のために自分の時間を搾取されなきゃいかんのだ」の差はどこに出てくるんだろうね
体育会系の方法論って小規模から成長するときには有効というのが傍でみててよくわかった、しかし理解と自分に合うかどうかは別
やめた後も薄目でみるかぎりスケールしてる(っぽい)のは素直に何よりです、みなさまとプロダクトのご多幸を影ながらお祈りしております
やめたあとは半年くらい充電休暇しつつ勉強しつつ転職活動だったがまあ引っかからなかった
今思えばお祈りあたりめーだろ、って感じの間違った自己アピールしてたな。その時採用試験受けて落ちてしまったけど感じのよかった企業は未だに好感度高い
ここで暇だから自宅で筋トレしてデブは脱却した。管理ハイになると体重って結構落ちるね、ほんとハイになりすぎて必要ないとこまで絞ってしまい風邪ひきやすくなったりコスパ悪くなったので計画的に太った。すぐ戻った。BMI31→19.5→23。いまはもうちょっと太ったかもしれない。わからん。体重計乗ってない
話がそれたが手元に残ったのは人材紹介から紹介されたまあ今までの経験は活かせるがガラパゴス業務、母体はでかそうだけど成長につながらなそう…って感じだったのでしかとしてたが、いよいよのっぴきならなくなってきたのでそこに行くことにした
試しに100万弱年収アップ交渉してここは割りたくないって言ったら満額じゃないがまあまあ通っておいおい~まじかよって衝撃だった。逆に元々どんだけもらってなかったんだよってこれまでの自分にちょっと引いた
そんなこんなで最初に配属された部署でいじめにあう、3年間くらいかな
配属されたてのころにここでそんなこと言うなよなってレベルの失言をうっかりしたことがきっかけでまあ詳細は割愛するけど地味なやりかたでいじめられたわけだが逆にここでメンタルは相当鍛えられた
いじめてくるやつの仕事ぶりを見て絶対自分のほうがうまくやれるって思ったし実際自己評価でしかないけど絶対自分のほうがいいものを作れてた
自分もいじめてくるやつも役職なんかついてないヒラで(いじめてくるやつのほうが年上で年次は上だったが)上司は公平でいてくれたのは助かった。技術職は仕事で自己満できるのが相当強いな
でもいじめは理不尽だしつらいし鬱一歩手前で家に帰ると何も手につかず風呂に入れなくなり汚く臭かったので上司面談されたりしてたが
これを念じてたら頑張れた。いじめのせいで仕事休んだことなかったし(休んだりやめたら負けだと思った)仕事をかなり前倒しして仕上げて自己肯定感爆上で帰路につくのが超幸せで、今までで一番万能感に溢れてたな。家につくころには次の日の朝がいやでまたつらさが襲ってきたが。いじめられてて汚いが退社するときはめちゃくちゃ自己肯定感はあるというねじれ構造だった
世間はこれをたぶん自己満て呼ぶんだろうしうるせーなその通りだよ、でもあの時の周りの人たち本当にごめんなさい。意味わからんときに涙だけ出てたりしたしカオスすぎた
ちなみにいじめてた奴はどっかにいるはずだがそれから社内でみることはあんまなかった。今は涙もでないし風呂も入れてる
そんな数年を過ごした後何回か移動もありつつ新しい仕事が降ってきた。自分で色々精査してるうち結構デカい案件に育ちそうだなーって思った。わりに普通の小規模案件として扱われててとくに注力しなそうな感じの雰囲気が漂ってた
適当にまわせばいいから、ってかんじでなんも社内資料とかなくて、まじかよってなりながら時間つかっていい許可もらってめちゃくちゃそのへんを整備した、例の一件で属人化には懲りてたから
(いじめてくるやつがそういうのに関心が低く年次が上のやつが口伝していくみたいなクソ状態だった、今思ったけど自分の地位をキープするためわざとか?!)
そしたらなんかそのへんが評価されたらしく、その案件がでかくなってきたのとまあいい歳だったのもあり管理職になった。なったが、仕事は増えてるのに一向に給料があがんねーーー!!!!バーカバーカ状態
なのでもらってる金以上の仕事はしないっていうのが確固たる信念になってきた
言いかえると会社には何も期待しないし程々手を抜いても回るように整えていくって感じ、逆に効率化重視の動きに割り切れて自分はやりやすくなった
(会社にはめちゃくちゃ自分の就労倫理に基づいてそこまで求めてないやろってくらい根詰めて働く人もいるし、いろんな働き方をする人がいるからいい塩梅で回ってるのかもなって思う事も多々。自分みたいなのばっかりでもダメだしオーバーワークばっかりもだめだろう)
でも管理職ってやってみると結構面白いなと思うようになり、色々好き勝手暴れまわってたら任される仕事が増えてきた。
このへんで給料がぽんと上がりはじめる、管理するようになっておお、って額が昇給してた。おお、は単に今まで塩だった反動ではあるがなんのかんので前のわっしょいベンチャー退職時より1.5倍くらい年収あがったから運がよかったとしかいいようがない
でまあ半年くらい前にもうちょっと上の役職にならんか、と言われた
評価されたのは管理の実績らしく、業務としてはそのへんの割合が増えてくるってかんじらしい。おちんぎんがどうなるかはブラックボックスだって言われた。なんでだよ、最早期待してないからあがるかどうかはどうでもいいがそういう無責任な不透明さが本当に嫌いだよって辟易通り越して悲しくなった
でもなーー、管理もおもろいけどもうちょっとプレイヤーでいたさもあったからスキルの棚卸のついでに転職活動してみようかな、と考え始めた
自社で使ってたBtoBサービスが使いやすくて、最初になんとなくその会社のサイトみてたら募集があって風通し良さそうだなと思ったから
気軽なかんじでオープンポジションで応募したら受かった。面談も自分にフィットしそうな内容で、やっぱ職ある状態の転職活動は御社が転職に値するかこっちも見極めますよ、って側面もあるから楽だった。不採用になっても受けてみてよかったなあと思っておでん食べてたら採用通知が来た。他のところは今回受けてないから転職しよっかなーから採用まで一か月くらいだった。働いてた会社は淡々と退職期間に入ったけど、社交辞令でも最終日に上司や同僚がつらかったら戻ってこいって言ってくれたのは嬉しかった
転職先は新しい領域もいちからはじめないとなのもあり提示された年収だと手取り若干減りそうだけど手当が色々あるらしいからとんとんくらいか、まあ減額でも前職より学習環境は良さそうなので全然メリットある。あとする気ないが今まで見なし含だった残業代が出る。まあ昇給機会が多いそうだから健全な会社ならなんとかなるんじゃね?でもコロナもあったし無理かな、まあいいや程々にやってくぞ、8月からまた1年生だ。
まあダメだったらウバーイーツの配達員とかも楽しそうじゃん。何個か仕事かけもちも良さそうだしご飯ほどほど食べれて雨風しのげればいいよ。
③職歴振り返るとその時周りにいた人に改めてお礼を言いたい気持ちになった
④失言が多いな、気を付ける
⑤文章を書くのは面白い。特に誰にも話せないことを書きちらすのは気持ちいい
⑥働くのは面白い
いい年のわりに未婚で恋人もおらずで友達3人くらいだが今のところそれで自己肯定がそんなに損なわれることはない
とくだん年収がめちゃくちゃいいわけでもなんでもないし子供のころからめちゃくちゃやりたかった仕事でもないしほどほどに会社というものが好きで嫌いだが
低収入だろうがハゲだろうが童貞だろうが処女だろうが空気読めなかろうがギャンブル好きだろうが非正規だろうが正規だろうが
ひとに迷惑かけず犯罪行為もしてなかったら自分がアガってる状態キープできてるなら別に何でもよくない?
そりゃ自己肯定のもとが人によって仕事だったり家庭もつことだったり子供だったり配偶者か自分の稼ぎだったり趣味だったり恋愛だったり、もっと別のことかもしれん。将来の不安する必要がないとか…?他にも色々あると思うけど。
まあでも自分は持ってるスペックにしてはよくやってるよな(他からの評価は知らん)ていうのが強い、結局自己肯定最強だなって振り返りになりました。全部前職でいじめてきたやつのおかげかもしれない。感謝なんか絶対しないが勉強にはなった。
ほんこれ
というか困窮するべくして困窮したと言わざるを得ない。実在すればだけど
困窮する要素って次の2つだと思うんだよね
1.住んでいる地域。東南アジアは院卒が格安で雇えるからね。日本国内の地方拠点も人件費抑制有りきで作るからね。コロナ在宅で少しづつ良い方向に変わると良いけど
2.極端に自己肯定感が低く、極端に物を考えない
意識の切り替えのために、捨て書かせてもらう。
結局ここでこんなことを呟かなきゃ気が済まないところがダメなのだけれど、
これが最後だ。
https://anond.hatelabo.jp/20200706165448
https://anond.hatelabo.jp/20200709170615
事の発端
最近腐女子界隈のtwitterで、上記のようなものが最近よくバズって流れてくる気がする。
色んな人がいるもんだよねと、腐女子で同じくプロ作家でもある友達と作業通話をしているときに、この話題を振ったのは私からだった。
そこから話が色々と派生して、創作活動をする側の腐女子のSNS運用についての話になって、
その時に友人がふとこう言った。
「でもあなたのSNS運用は、構ってちゃん腐女子そのものだから当然だよね」
衝撃だった。
家族や恋人以外で、こういった指摘をしてくれて、けれど、以降も関係が壊れない存在なんて大人になってからいるものだろうか。
少しの自己嫌悪と、それはそうと自分のことを注意されたことにたいするイラつきと、指摘してくれた感謝。
何より、意識していなかった自分の欠点に気づけたことが嬉しかったので、そのまま自分のおかしいところを指摘してもらった。
10代で同人誌を作り始め、同時にSNSアカウントを作り、活動を始めたその年にコミケでスカウトされて商業誌デビューし、同人と両立させつつ今に至った。
いわゆる「神」みたいな圧倒的な才能があったわけじゃない。ただタイミングと運が良いだけだ。
それが誰かにとってはのどから手が出るほど欲しいものなのかもしれないが。
SNSのフォロワ数は、覇権ジャンルばかり通ってきてる中、短期間ちょっと集中して絵を連投すれば五桁に届くねって程度。
仕事が好きだし同人活動も楽しい。読んだり見たりしてくれる人も好きだし、
腐女子特有の連投ツイートや妄想ツイ、思ったことをなんでも呟いてしまう痛い自分に、
しかし最近、萌え語りやジャンル・仕事のこと以外に、日常の全てを呟かないと気が済まないくらい、SNSに依存していた。
コロナの自粛ムードもあって、外に出たり人に会うこともなくて、人恋しさもあったんだと思う。
自分でもSNSから離れたいと思っていたのだが、意志とは反対にどんどんツイート数が増えていった。
「〇〇萌え~中の人他ジャンルでどんなキャラ演じてるんだろう」
「流石に限界だったからテイクアウトでスイーツ買ってきた!おいしそうですねおいしいですよ!」
でも、それに比例するように、フォロワからのリプライやマシュマロが増えてきた。
SNSにずっといるんだから、リアクションを貰えることが増えるのは当然だけど、そんな反応を全部返さなきゃと思うと億劫になってきた。
承認欲求がないわけではないので、呟きや妄想・イラストや漫画がふぁぼりつされるのは嬉しい。
でも、こちらのツイート全部にリプライが来たり、全部にふぁぼしてきたり、適当な呟きを本気にして編集部宛にプレゼントが届く。
最初にリンクを貼った「承認されすぎてツイッターのアカウントを消した」の記事をRTして
「確かに困るんだろうな。でも疲弊するほど承認されることに疲れるなんて、やはり神様はすごいね」
みたいなことを呟いたら、
「本当にごめんなさい、そんなつもりなかったんです。遠まわしに私に対する注意をしてくれたんですよねしばらく消えます(要約)」
みたいなDMやマシュマロが何個か来て、フォロワ数もちょっと減ってた。
前は全部に返事してたんだけど、数も増えてきたし、返したらその倍くらいの返事が来てさらに返さなきゃならなくて、
好意を向けられることは嫌でもないし感謝もしてるけど、時間的にも大変だから、このあいだとうとう「もう全部返事しないことにします」って呟いた。
全部返事しないから、そのかわり好きにDMやリプやマシュマロ送ってくれていいですよって。
好意故に反応してくれてるわけで、それを否定したいわけじゃなかったから。
そういうところに問題があるんだと指摘された。
自認
「今日は〇〇食べたんだ~!」
「今度の新刊、〇〇で〇〇な本出そうかな…悩むな~」
「待って…〇〇尊い……嘘でしょ…ねえ…こんな尊いことある…?」
こういう発言全部別に呟かないで一人で考えてりゃいいのに、呟くからフォロワが反応するんじゃんと。
明らかに反応されたがってるんだろうなっていうツイートされたら、フォロワは私の喜ぶようなリプライを
送ろうと思うに決まってるじゃんって。
自分から誘うようなことをしておいて、いざ相手からリアクションが来ると「困る~><」ってやってるの、自覚なかったの?って。
自覚があると思ってたって。
構ってちゃんのくせに、いざ相手にしてもらえたら冷たくする。そういうことをしているんだよ、と。
びっくりした。
言われてみたらほんとにその通りのことをしていた。
実はアンチスレも作られていて、
どうも人をいらいらさせる才能があるのはわかっていた。
しかし、叩かれるのは、ツイートから流れる自分の性格の根本的な悪さや、アンチとの価値観の相性の問題だと思っていた。
違ったんだよ。
結構な人が嫌いな「相手にちやほやされるの待ち」の人間そのものだったんだ、私。
なんでこんなことにと思って、改善策というか、原因を考えてみた。
とか
「本当に下手だ…なんで上手くなれないんだ…」とかよく呟いていた。
そういう卑屈さゆえにアンチもついたんだろうと思っていたが、どうも話はもう少しややこしいようだった。
これを書くとまたすごい嫌味な人にしかならないんだけど、
どうも自分が思っているより、自分が描いたものは一定の基準を超える評価が貰えるようなのだ。
それをアホみたいに卑下して自分はダメ人間なんですって言ってるのが嫌味で愛されたがりそのものだったらしい。
本人は本気で自分の至らなさに落ち込んでいるつもりだったのだが、人にはそう見えない。
卑屈になるならひたすら卑屈にしていればいずれアンチに総攻撃して貰えて精神をやられたものの、
残念なことに、自分には他者から承認されまくったり、アンチに精神攻撃や嫌がらせを受けたこと
により疲弊して潰されてしまうような”正常な感覚”がなかった。
「まあアンチって自己主張の強い癖のある奴には絶対ついてしまうから」
「もっとのびのび絵を描いていたい。なんで我慢しなきゃいけないの。」
「自分のこと嫌いな人に配慮して活動するより、嫌われる覚悟を持ったうえで好きにしたい」
「がんばって描いた!下手だ!!つらい!!本当に下手だ!!でも、見てくれる人がいるほうがもっと上手くなれるからふぁぼりつ嬉しい!!こんなへたくそに!!」
こういうことも、考えるまではまだいいかもしれないけど、全部呟いていた。
こんなの、自分の描いたものを好きなフォロワ達がみたら、擁護してくれるのは当然である。
よしよしぎゅうぎゅうされるの待ちでしかない呟きだ。
「この呟きは自分への戒めのために、感情を整理したくて吐露しています。ほおっておいてくれるのが一番助かります。」
いや、だったら黙ってろよ。
猛省
しかし、考えたことをSNSに吐きだした瞬間、私は私が作家であり同人絵師であるがゆえに、絶対にフォロワに肯定されてしまってきたのだ。
私の痛さに耐えられない人間は去っていくから、フォロワは肯定してくれる人しか残っていない。
それでいてこの間まではそんなこと気付いてなかったから、
となるべく返事をして感謝を述べていた。
「肯定してあげなきゃ」
となり、
狭いコミュニティでの気持ち悪いよしよしぎゅうぎゅうちやほや地獄絵図が完成したのである。
あるラインを越えた評価を貰える人間は、卑屈にも自信家にもならない丁度いいバランスでSNS運用をしたほうがいいらしい。
当たり障りのない、日常のこともあまり呟かず、萌えまくってやばいときも、呟くより粛々と絵やマンガにぶつけるべきなのだ。
貰ったリプライやメッセージ、マシュマロにも過度に感情移入しすぎず、感謝してる事実だけをシンプルにたまに伝えるようにする。
そして、今回指摘してくれた友人のように、正直に言ってくれたほうが有難いことははっきりと言ってくれて、
後に尾を引かない関係でいられるような少数の友人とのみ親しくしていた方が、自分自身の行動への違和感や認知のゆがみを阻止できる。
せめてもう少し一本筋の通った腐女子でいたいなと思った。
変わりたいのだ。
今持ってるアカウントは気持ち悪さの塊に見えて仕方ないので、少しずつ低浮上になっていってふわっと消そうと思う。
匿名で正体を一切隠した腐女子アカウントを作ろうと思ったが、絵を見た瞬間わかる人には正体がばれてしまうので、
本気で身を隠したいなら絵は上げるなと忠告してもらった。
「ばれないよ!そんな才能も個性もないし!また新しいアカウント作って、呟き方や内容は改めるし、自己卑下は日記帳に書く!」
と言ったが、
「この一連のやりとりをした今、あなたと似たキャリアの人間以外が、その発言をきいたらどう感じると思う?」
と返されてぐうの音も出なかった。本当に良く今まで付き合ってきてくれたなと友人に感謝した。
もう手遅れだろうけど、また嫌われることを言う。
最大手でも、明らかに神枠認定できる程のフォロワがいるわけでもなくても、
描いて、だれかに見てもらいたい限り、私は「神」にならなくてはいけない。
どうしてそこまで描いたものを見てもらおうとするのか、自分のエゴの強さに少し呆れたが、
そのことについては
「描いたものを見てもらいたいという欲求は、描き手にとって自然なものだよ。」
と友人は言ってくれた。
過剰な自己卑下の中、描き続けてきたのは見てくれる人が当たり前にいてくれたからだ。
自己嫌悪でいっぱいになって描くのをやめようか悩んだことも沢山ある。
でも、見てくれる人がいたおかげで、あと少しもう少し上手くなりたいと思い続けてこれた。
どれだけ恵まれているかを自覚して、次のアカウントからはせいぜい神っぽい存在になることにする。
朝起きて、鏡を見て、死にたいと思う。
生まれてこなければよかったと思う。
こんな醜い容姿に生まれてこなければこんな思いはせずに済んだ。
人は見た目じゃないなんて嘘だよ。
見た目がよければ生きやすいに決まっている。
味方はいなかった。
教師もいじめている側の肩を持った。あいつはそんなことするやつじゃないと思うけどな。一生その言葉を忘れることはない。
どうしてわたしの味方になってくれなかった?わたしが醜いから?醜いやつの言うことに信憑性はない?妬んでありもしない話をでっち上げたと思った?
毎朝鏡を見て、死にたいと思った。
生まれてこなければよかったと思った。
何度席替えをしても、必ず机を離された。
昼休み中、ずっと、トイレの個室で過ごした。教室に戻ろうとしたら、ドアを内側から押さえられて入れなかった。
みんな笑っていた。机を離した人たちも。わたしを汚い、という人たちも。それを聞いて一緒に笑っている人たちも。みんな同じ顔をしていた。
毎日マスクをするようになった。マスクがないと外に出られなくなった。卒業式もマスクをしたまま出席した。マスクをしていない写真は殆ど残っていないと思う。
高校生の間は、まあ陰でいろいろ言われていたかもしれないけれど、容姿を理由にいじめられなかったから生きやすかった。マスクを外した。外すことができた。
3年間だけは、中学生の頃ほど、そして今ほど卑屈ではない人間でいられた。
この地獄は一生続くわけじゃないんだと思えた。終わったのかもしれないなんて思った。
逃れられたのはその3年間だけだった。
浪人することになって、予備校に通い始めた。また、はじまった。結局、どこに行っても、いつまで経っても、わたしは一生逃れられない。この顔が原因なんだから、普通に生きてたら顔なんて変わらないんだから、当たり前のことなのに、どうして気づかなかったんだろう。
今でも他人の笑い声が怖い。他人の視線が怖い。電車に乗っていて、若い人たちが向かいに座って、笑っていると、わたしのことを笑ってるんじゃないかと思って消えていなくなりたいと思う。
もうそろそろ卒業の時期だけれど、大学生になって、一人も友達はできなかった。卒業できるか分からないけれど、卒業式には行かない。高い金払って、ブスが袴を着て、写真に残すことに何の意味があるんだろう?
卒業アルバムの個人写真も撮りにいかなかった。卒業アルバムは小学校から高校のぶんまで、ぜんぶ、自分の顔を塗り潰した。実家に帰省する度、飾られている七五三の写真や昔の自分の写真を努めて視界に入れないようにしていた。燃やしてしまいたかった。
サークルもすぐに幽霊部員になった。誰も醜い容姿の卑屈な人間と友達にはなりたくない。わたしだってわたしみたいな人間と友達になりたくないと思う。
時間が経てば治るよと言ってくれた人もいたけど、12か13の頃から汚い顔は、22になっても汚いままだ。夏になったら23になるけど、23になっても24になってもきっと汚いままだ。
いろんな治療を受けたし、いいと言われる基礎化粧品を片っ端から試したけど、鏡を見ると依然汚い顔が写っている。
こんなことなら子供のうちに死んでおけばよかった。自分が醜いことを知る前に死んでおけばよかった。小さいうちはブスだろうがなんだろうが生きてるだけで可愛がられてそれなりに自己肯定感を保てる。そのまま死ねばよかった。
経済的に厳しいから家賃と学費以外は無理と言われて、貸与型の奨学金を申し込んだことを後から知らされた。学費と家賃の足しにするために申し込んだから、とわたしの元には振り込まれない。
奨学金返済するのが大変だったら結婚して旦那に返済して貰え、と父親に言われた。
びっくりした。結婚できると思ってるのか。
醜い、卑屈で、自己肯定感の低い人間が、誰かと一緒になれると本気で思ってるんだろうか。
そもそも、この家庭で育って、家族や家庭というものに憧れると思ってるのがすごいよ。しあわせな家庭のかたちというものが分からない。
望まれるかたちに生まれることが出来なかった。治らなかった。なれなかった。世間様のしあわせに当てはまる未来は一生こない。いつか、なんてものは永遠にこない。ちゃんと分かっている。
自己肯定感が極端に低い。他のだれかのことを思える心の広さもない。誰かに優しくされても穿った見方しかできない。
本当に性格が悪い。
経済的に厳しいのも、ひとりなのも、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、自分のせいだ。
お金に余裕がないと言っていたけれど、帰省したとき、100万以上かけて壁の塗装をするんだと言っていた。どの色がいいと思う?なんて聞かれた。お金に余裕がないんじゃなくて、わたしにお金をかけたくないだけだ。ショックだった。金銭的に負担をかけられないから、と終電逃すまで残業するようなバイトに耐え忍んで、土地柄客層が悪くて当たり散らされるのにも耐えてニコニコ接客して、全部アホだと思った。奨学金という借金を背負ったのも、大学に進学したのも間違いだったと思った。
240万の借金。240万あったら、わたしはこの顔から逃れられたのに。
わたしが醜くなければ違った?かわいい娘だったら、自己肯定感を保てるように育ててくれた?
もしそうしてくれなかったとしても、醜くなければもっと稼ぐ方法はいくらでもあった。世の中顔だから。容姿が優れている子がそうして稼いでるのをたくさん見てきたし今も見ている。
鏡を見る度死にたいと思う。生まれてこなければよかったと思う。
わたしがわたしじゃなければ、望まれるかたちに生まれていたら、今頃こうなってはいなかった。
まともな人間関係を築けていたはずだった。
大学生になったら楽しいってみんな言うから期待していた、間違ってた。みんなはまともだからわたしは当てはまらないってちょっと考えたら分かったはずなのに。
生まれてこなければよかったと思う。
はやく沈みたいと思う。もう終わりたいと思う。続けたところで同じことの繰り返し、もういい。どこまで遡れば変わるかなってときどき思うけど、どこからやり直しても結局こうなるんだから生まれてこなければよかったと思う。ぜんぶ今更だ。手遅れだ。
もうなにもかも嫌だ、
一生惨めな負け犬だって分かってんのにどうしてまだ続けなきゃならない?
鏡を見る度死にたいと思う。
こんな、こんなふうに、劣等感抱えて、誰に対しても何に対しても妬んで嫉んで、こんな生き方したくなかった。
醜い容姿に生まれた人間は劣等感抱えて生きてくしかないんだよ。一生。ずうっと。ずっとだよ。どんな顔に産まれるかなんて選べないし金かけない限りどうにもならないのに。
わたしが生まれてくる前にわたしの容姿を提示されてたらわたしは生まれてくることを選ばなかった。
毎朝、毎晩、死にたいと思う。すべてが妬ましいと思う。はやく死んでくれと思う。
何もかも自分のせいならはやく死んだらいいのだと思う。
鏡を見る度死にたいと思う。
こんなことならと思う。
わたしは一生、親を許せないと思う。
母親は綺麗な顔をしている。彫りが深くて、幅広の二重で、鼻も団子鼻じゃなくて小さくて高くて、唇も薄くて、肌も汚くない。
小学生の頃からお母さん綺麗だねって言われる度に、言葉の裏にお母さん「は」綺麗なのに、ってのが透けてて嫌だった。
言葉の裏を邪推してしまう自分の卑屈さが嫌だった。ほんとはそんな意味で言ったんじゃなかったとしてもそうとしか聞こえなかった。
母親があんな男と結婚して子供を産んだりしなければ今のわたしの苦しみはなかった。
10年前、肌が汚くなり始めたころ、あの男のクレーターだらけの汚い肌を見て、ああなりたくないと思った。歳を重ねる度にどんどん似ていく。死にたい。あの男に似ていると思う度に吐きそうになる。望んでもいない50%の遺伝子はこうして醜い形で現れた。
親を憎むのはお門違いと言われても、親不孝と言われても何と言われても許せない。
彼氏はいないの?〇〇ちゃん結婚したんだって、悪気なく言っているんだろうけど、なんでそんなこと言うんだって思う。娘がどんな気持ちで生きてきて、生きていて、それを聞いているか分かんないんだろうね。憎い。生まれてこなければよかったと何度も、何度も何度も思って生きてきた人間の気持ちは綺麗な顔のアンタには分からない。一生分からないよ。
もう十分だ、いつかは永遠にこない、
なにもかも嫌、ぜんぶ羨ましくて妬ましくていや
ブスは出生前に間引かれる世の中になればいいと思う。第二第三のわたしが生まれなければいいなと思う。こんな思いをしなくて済むならそのほうがいいに決まってる。
数年前まで自称進学校に通っていたが、正直人生で一番辛い時を過ごした。割と自業自得な所もあるから純粋な批判が見たい人はお勧めしない。
高校受験に落ちて補欠で取っていた自称進学校、A高校(Aはイニシャルではない)に通うことになった時、地元の中学では優等生と評価されていただけに悔しかった。地元はあまり頭のいい学区ではなかった。井の中の蛙になっていた。余裕かましてろくな努力もせず、勉強している自分に浸っていただけだった。
言われてみれば当然の仕打ちだったが、それでもしんどかった。自称進学校特有のわけわからん泊まり込みのクソ長オリエンテーションでは大縄跳びをやらされた記憶と、朝昼晩の山盛りの食事に打ちのめされて、帰ってから1、2ヵ月摂食障害になった記憶しかない。摂食障害は最悪だ。食べられないが腹が減る。だから授業中に腹の音が鳴らないか心配だった。笑い飛ばせるタイプでもなかった。そして、精神が弱いと蔑む親の目が何より怖かった。
授業中には普通に喋るようなやつがいるし、超が付くほどのバカもいた。なのに教師は某有名進学校で使っているテキストをやらせていた。数学なんかこのテキストで挫折した人間いっぱいいると思う。国公立目指してるくせに生徒の使える教科減らしちゃマズいだろ。受験期には10時間勉強しろと急かされた。何時間勉強した?が朝のお決まりの挨拶だった。正直、1年からちゃんとやれば10時間とかやんなくても私立ぐらい行ける(国公立は知らん)。3年になっても受験モードなんてほぼ感じられなかったから、実際合格発表は悲惨なもんだ。一握りの成績いいやつらが上げてただけ。クラスメイトのやる気のなさは自分にも影響する。周りが緩んでると自分を甘やかしてしまう。あと一人で勉強してる孤独感。中学受験は想像以上に大事だ。意外と大学受験に関わってくる。
学年集会が2~3か月に一回はあった。みんな大好き進研ゼミの業者が来たり、受験前の休みに入る直前の集会ではガッツポーズをさせられた。非常に冷める。
国公立推しはすごかった。学年で半分ぐらいの順位のやつがおだてられて国公立を志望していた。MARCH志望の俺より全然成績悪いやつがT葉大?笑ってしまう。
全教科平均で、特に苦手な教科もなかったから国公立を受験直前までしぶとく勧められた。本当に直前。私立オンリーだったが、センター受ける2週間前ぐらいまで地方国公立の出願用紙を渡された。確かに私立は厳しくなってきてたから、国公立を勧める理由もわかる。でもそれぐらいには信頼されてなかったってことだ。この学校側の不信感が、無能感と不安を何倍にも膨れ上がらせた。模試だけで機械的に判断され、自己肯定感が潰された。模試システムにも問題があると思う。受けさせられる模試は大体記述式。選択肢が多く、スピード重視の私立文系には合わなかった。そこで出た判定なんか信じちゃいけない。実際俺はE判の第一志望を受けて普通に受かった。なんなら全日程、個別日程どっちも。信じるべきは過去問がいかに出来てたかどうかだ。模試にあくせくするぐらいならやんない方がいい。過去問をやれ。
狂わせる、と書いたが狂ったのは俺だけかもしれない。だが、自分に合わない環境、教師による利益重視的な行動、不信感、孤独感、認められていない悔しさ。本当にしんどかったし、その抑うつ感情は今も続いている。あと教師とか生徒とか全てにおいて頭が悪かった。親御さんは高い金払って自称進学校なんかに行かせるメリットがない。それなら安全圏の公立高校に通わせるべきだ。
大体言ってることは分かるんだけどさ。自己肯定感を削られた腐女子や女オタクからしたら、自分たちの正しさを補強してくれるものや、女叩きをしてくる社会や男と戦うためのものや、辛さを慰めてくれるものが欲しいわけじゃないすか。
それ男の場合でも許容できる?
そうだよねードイツ人は自己肯定感が削られててかわいそうだからナチズムに基づいて「ユダヤ人」をガス室送りにしても許されるべきなんだよねー
んなわけねえだろ真性の馬鹿か?
大体言ってることは分かるんだけどさ。自己肯定感を削られた腐女子や女オタクからしたら、自分たちの正しさを補強してくれるものや、女叩きをしてくる社会や男と戦うためのものや、辛さを慰めてくれるものが欲しいわけじゃないすか。
フェミニズムやポリコレは現状そのためにかなり強力だし、仲間も沢山いるし、役に立つから好まれている。
ポリコレを放棄しちゃったら、「間違ってるけどそれが何か?」とか「ポリコレ的には間違ってても、私は私が生きてるというだけで正しいんですが?」みたいな裸一貫で自己肯定するマッチョな立ち方が必要になるわけで、そんな仁王立ちは諸々の精神的傷を負ってる人間には不可能。
ポリコレを宗教にたとえてるのに乗っかるなら、それに代わる心の支え・正しさの後ろ盾になる新教が必要なわけで、それがないのに棄教しろって言われても無理だよ。
言ってることはわからんじゃないけれど、その意見が内包している「女性が正しく基準であり、男性が変わっている」にたいする担保がどこにもないよね。「男性が無頓着で自己肯定感が低い」っていうのはただの感想というかお気持ちに過ぎない。
それだけならまだしも、その意見を開陳した時点で、相対性の観点から、「女性が過剰に自意識過剰で被害者意識で社会にクレームを付けてるだけ」っていう封建主義的な意見を肯定することになっちゃってるんだけど、そのへんええんかいな? やばい種類のブーメランを招く意見やぞ。
当時は、政治も趣味も何もかも親に褒めてもらえそうなことを選択してた。
ただ、その選択を間違えて親に否定さる→自分はダメな人間だの繰り返しだったりで、どんどん自己肯定感が削られてたんだろうなと思う。
当時、否定文化が普通だったから自己肯定感がうんぬんとか言われなかったのかも。
現代だからとは言いきれないが、僕の場合、周りがみんな褒められてたから比較した。
友達に比べて親に否定される自分はダメな人間=生きてることで親に迷惑をかけてる=死ぬべき人間だ、と本気で思ってた。
その思い込みが解けたのは20超えてから。「生が許される」ことが気持ち悪くて、やっと自己肯定感が低かった自分を理解した感じだった。
大学の授業で自己肯定感の数値を測る性格診断を受けたが、結果0点で教授にめちゃくちゃ感動された。こんなこと滅多ない!すごい!と。
一応そのテストは、少年院に入った子が受けるものらしく、自己肯定感の他にもいろいろ性格の点数が出るようになってる。結果に基づいて更生プログラムを組むらしい。
anond:20200711005150 anond:20200710120954
根拠なき確信が自己肯定であって根拠があったら自己肯定ではない
自己肯定感って響きに謎の引っ掛かりがあるなら『思い込み力』って言葉に置き換えると良いと思う
あと、全般において『俺がそう思ったから』を適用して生きている人は少数でも
根拠なき確信(思い込み)がゼロな人はそれはそれでいないと思う
根拠なく思い込むことは誰しも出来るのだから、それをなんとか自分自身の評価に向けることができたらいいのにと思う
それでもどうしても根拠なく自分自身を褒める・認めることができないなら、もういっそのこと自己肯定はしないって決めたらどうか?
それで生き方を組み立ててみては?
どうしてもXXXじゃないとダメが消えない人なら
アインシュタインは偉大な科学者だがこんなヤツばかりでは社会は破綻する
https://anond.hatelabo.jp/20200709210704 の増田も自己肯定感高いってことになるな。よかった
これは自己肯定感がなさそうやわ
昨今のお気持ち表明から、自己肯定感について語られているブログを読んだので自分なりに考えてみた。
昔少し学校で勉強はしたけど、概念的な部分のみなので知識が不足していることを前提に、そこから自分なりの考えで述べているので正しくはない。
自己肯定感とは、ざっくり言うと自分を存在価値を認知できること。
自分生きててごめんという思考が存在しない状態で、メンタルについてひどく悩まない状態で、人類を滅ぼしたいとか破壊したいという発想にならず、基本生きることに前向きでとても健康な精神を指すのだと思う。
では自己肯定感がないと
1.褒められても素直に受け取れない
2.人類はほぼ敵
多分もっとあるけど思いつくところだけ。
とても生き辛いのではやく尊厳死を認めてほしい。
1.褒められても素直に受け取れない
服可愛いね!と言われても、
いやこれ安かったし。と、なり、何故か自らを貶す方向に走る。
お世辞もわかんねーのかよクズ、と心の中で思われたくないことからの防衛反応から言うのだろう。
そこは「ありがとう!ショップで見つけて一目惚れしたんだー可愛いよねこれ!」
と返せば、ハッピー以下にはならないのに…
2.人類ほぼ敵
他人は自分を傷つけて楽しむ存在で、自分を無い物として扱うか、自身を高める為の踏み台、ヒトではなく物以下、と考えてしまう。
そのため自分を守るために他人を敵として認知するし、仲良くなった人でもいつか裏切る…と信用しきれない。
人を信じることができない自分自身にもドン引きし、自分も敵と認知してとことんメンタルを貶める。
自分さえ信じることができれば、他人が本当に敵でもワンパンで倒せるのに….
他人を評価すると自分がショボく感じる、自分の順位が下がると思い、素直に評価できない。
全て自己防衛のため。そして他人と自分が同一線上にいると思っているから起きるギミックなのだが、基本的に平行線上の話なので褒めたところでこちらが下がるとかはない。しかし脳みそが勘違いをするのだ。
以上3つのことで悩まされて心はぐちゃぐちゃ、脳は回線が入り乱れ、次から次へと自己嫌悪が積み重なり、更にはこれを抑えて日常を生きねばならないので、人間の外殻をもった祟り神状態。
はやく死にたいけど、ハッピーに成らずに死ぬのは悔しいけど、糸口が見つからない…となり救いはゼロ。
人を信用して頼ったり気持ちを吐露できれば少しは落ち着くのに…
自己肯定感がないと、人の皮を被った祟り神状態で生きねばならないと言うことだと私は思っている。
じゃあ自己肯定感とやらを高めればいい、努力が足りない と自己責任論者は言うだろう。
うるせぇ。やれたらやってるわ。
こんなに苦しいのに自己肯定感を高められないのはなぜか?
幼少期の大人との関わりで自己肯定感が芽生える、というより与えられるのだ。
幼少期に安全を感じられる環境、すべてを受け止めてくれる環境があることで、
帰る場所がある!ここなら守ってもらえるから少し怖いけど冒険にいける!
と、世界に一歩踏み出せる。
この行動が自己肯定感の礎となり、成長するごとに積み重なっていき、自己肯定感という言葉すら認知せずとも潜在的に自己を肯定できる人間になるのだと思う。
そう、自己肯定感の正体は、愛。
愛による見えないバリアで守られている状態が自己肯定感があるという状態なのではないか。
最初は関わる大人から与えられるが、次第に貰った愛を帯電できるようになり、それをエネルギーに自家発電ができるようになる。大人からの愛と自家発電した愛で自分を守ることができるようになるのだ。
もう簡単なことで、自己肯定感がないということは、上記の状態の逆を指すのだろう。
愛を帯電したり発電できない状態。
愛による基盤がガタガタで、しかも隙間だらけ。
幼少期に大人から適切な庇護を受けていない、もらえるべき愛が足りないガス欠で、ガスを入れる器に穴が空いた状態なのだろう。
愛のパワーは強いので、自らを守る愛のパワーで相殺しないと、そのエネルギーでふっとばされてしまうので、自己肯定感がない人はシャドーボクシングをするのだろう。
自己肯定感がある人は燃費の良い車で、しかも自家発電まででき、キラキラとした見た目で颯爽と道を走る。
自己肯定感がない人は燃費の悪い車で、常にガス欠、ガソリンを足してもタンクに穴が空いてたり故障している状態なので、動きはするけど速度は遅い。
というわけで、大人になってから自己肯定感を構築するのはとても大変なのだ。礎がガタガタなのだから。そしてもう方法すらわからない。
だから自己肯定感がない人は、外部の評価に依存する。自分で愛を発電できないから、外部で売っている愛に手を出してそれで隙間を埋めようとする。しかしそれは一時的なもの。燃費も悪く、しかも器に穴が空いているので継ぎ足したことろで零れ落ちる。
もうこれは愛ある人から愛をお裾分けしてもらい、それで穴を埋めていくしかない。
運は鍛えられるらしいけど、鍛え方は知らんので、もう神頼みをするしかない。
愛ある人に出会えてもそれに気づかなかったら意味がない。ああ、この人はいい人だ。と気づかなければ、愛のパワーすらただのエネルギーの塊として爆弾になる。
褒めてくれるし励ましてくれる、慰めてくれる(でも下心があったりマウント取られてんのかな)とか考えずにアホになって、その人の愛に浸ろう。
最後にしたたかさ。自己肯定感がない人は愛に飢えているからまぁ騙されやすい。それを自覚し、逆に利用してやる、くらいの気概を持つ必要がある。あまり強気すぎると自己愛性の気質が強くなるので、ほどほどに強気に、いつもの自虐を意識しながらほどほどに愛ある人の善意を利用する。
これで自分の器の穴が塞げるだろう。そうしたらお礼を言う。愛を伝える。優しいよね。素敵だね。いいやつだよ。と、さらっと。
褒めなれてないのに頑張る必要はない。少しずつ、本人を褒めるのが難しいなら持ち物を褒めればいい。そうやって少しずつお礼をしていく。
するとなんだか自分がいい人になった気がして気分がいい。そうなるといい循環ができてくるはず。多分。
最初は自分のために動くように。利用してやる気持ちで。どうせ利用し切れないで潰れる小心者なので悪人になったつもりで愛を持っている人からお裾分けを貰いにいこう。少しくらい貰っても本人にとってはなんのダメージもないだろう。
悪人がいい人の心に触れて改心するアレ。まさにそんなベタな展開に持ち込めればうまくいくのではないか。
自己肯定感がない人がちょっと自己肯定感がある人になるだけで、周りもハッピーになるはず。
周りのために、世界平和のために、できる範囲で愛のお裾分けを拾いに行ってもいいのではないか。
最後に。ここに書いてあることは持論であり、なんの裏付けもない、ただ一個人の言葉でしかないです。
自身の考えをまとめる為に利用したり、憂さ晴らしに非難することに利用してもいいかもしれません。
それにより少しでも救われる、気分が良くなることがあれば私は嬉しいです。
ポテトサラダの件で思い出した。
道を歩いていると、ここ最近月1くらいのペースで高齢男性に怒られてる。3ヶ月連続リリースのシングルCDみたいに3ヶ月連続。
男の人はこんなに怒られてないよね?私が本当に悪いことしてるのかな?って毎度、むちゃくちゃに凹む。
ポテトサラダの方の話を見て「私以外にも怒られてる人いた」とちょっと安心してしまったり…。
こちらの見た目は小柄な陰キャ系女だから言い返してこなさそう、というのも要因かなと思ってる。
1人で道にいる時に怒られる時もあるし、子連れの時に怒られる時もある。
怒られる理由としては、子供が急に止まったから私も止まったら「道で急に止まるんじゃねえ!」と怒られたりとか。(道は歩道がないタイプの細めの道)
優しく「今、ぶつかりそうになったから気をつけて」と言われたら、素直な気持ちで受け止められるけど、頭ごなしに怒られると凹んでその先の内容が入ってこない。
そもそも、知らない人に優しくお小言を言われたことない。毎回、怒鳴られるしかない。
道で会った知らない人に私は怒ったことがないから、どういう気持ちで怒っているかもわからない。
怒られるとむちゃくちゃ凹むタイプの人間(家庭環境悪くて自己肯定感低いタイプ)だからもう怒られたくない。
7月は怒られないといいな。