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はてなキーワード: 自己肯定感とは

2020-07-09

承認評価二面

はじめに

最近創作主に感想を送るか否か、送られてどうだったか、送られなくてどうだったか、そんな感じのテーマについて語る増田が多い気がします。

というか、この手の話題創作活動をする人にとって極めて身近なものなんじゃないでしょうか。現に、増田で見かける前、Twitterでも何度か見かけた内容だったから。

エロ絵は伸びるのに、他が伸びないと嘆く萌え絵描き。一次創作をメインでやりたいけれど、どうしても版権の方が伸びがいいことに悩む創作主。

ジャンル覇権・あるいは王道カプだったときと現ジャンルでの反応のギャップ

多分、男女問わず評価多寡は気になるところなのかもしれない。個人差はあるけど。

でもなにより、ギャップダメなんじゃないかって私はにらんでいます

創作主は一度自分がたくさんの人(主観)から評価され、承認されるという経験を果たし、それ以降何故だか筆が乗らなくなる。

評価が得られそうにないジャンル作品はどれだけ好きであっても描(書)くのがおっくうになる。

前作の評価を超えられないんじゃないか、期待に沿えないんじゃないかと、全く文章が、構図が作れなくなってしまう。

ああ、これアンダーマイニング効果だ。風呂入りながら、ふと思い当たることがあったんです。

アンダーマイニング効果とは

これを説明するにはまず、人が何故行動に移すのか、その原因についてお話しする必要があります

人が行動に至るための動機づけは大きく分けて二つ。

一つは、内部から沸き起こる興味・関心を満たさんとする内発的動機づけ

二つ目は、外部環境から与えられる報酬を求めて、あるいは罰を避けようとする外発的動機づけ

具体例として勉強を使わせてもらいます

内発的に動機づけられて行われる勉強というのは、勉強の内容そのものに興味を持っている状態ですね。

人体ってこうなっているんだ!この公式使うとなんですぐ解が出るんだろう。昔の人の考えることを知れるって面白いなあ。

内発的動機づけは非常に有効動機づけでして、高い意欲をもって行動に取り組むことができます

結果、それがよい成績に繋がったり、広く深い知識の獲得に至ったりするでしょう。

一方、外発的動機づけというのは、良い成績取るとお小遣い上がるから先生に褒められたいから、悪い成績をとると怒られるから、恥ずかしいから……etc.

結果行動に至れば悪くはないかもしれません。しかし、意欲は低いです。だって勉強のものに対する意欲より、報酬や罰に意識が向いているから。

アンダーマイニング効果とは、もともと内発的に動機づけられていた人に外的報酬を与えてしまうことで起こる現象です。

例えば好きで勉強をしていた人に、~位に入ったら欲しがっていたゲームを買ってあげると約束します。

無事、その順位以内に入り彼は念願のゲームを手にします。両親にとっては、いつも頑張る彼に対してご褒美のつもりなのです。

しかし、そういったやりとりが繰り返されるうちに、彼の中にあった勉強への興味関心は薄れていきます

勉強をすることは良い成績をとるため。良い成績をとることで好きなものが買ってもらえる。勉強は彼にとってほしいものを得るための手段に成り下がります

内発的動機づけがもともと高かった人に安易に外的報酬を与えてしまうことは、本来の内発的動機づけを低める効果があるのです。

振り返ってみると

最初は確かに楽しいだけで、書(描)きたいだけで周りの目なんか気にせずやってこれた。

多分この時期の人って評価の数なんか気にならないんですよね。

仮に評価数少なくても、拙作をこれだけ見てくれた人がいるんだなあって思えるんですよ。あるいは、次はもっと頑張るぞ!とかね。

この時点でもすごいんですよ。大体周囲を見渡せば才能に満ちた人ってたくさんいるわけじゃないですか。

自分と比べては、勝手に自滅していく人も多いから。はい。私もそのタイプでした。

でも、ある時転機が訪れるんですよ。たまたま、一気にどーんって評価がつくんです。

あれ?何かの間違い?ってくらい。感想とかももらえちゃったりして。

そしたらふつうすっごく嬉しいですよね。でも思えばきっと、これが魅力的な外的報酬だったんでしょうね。

彼ら・彼女らにとっては、その時点まで確かに、絵を描くこと・文章を書くことそのものが好きなはずだった。

でも、その魅力を上回るほどの評価承認経験し、味をしめてしまった。

創作はもう、その人たちにとっては、評価を得るための手段になってしまっているのかもしれない。

そのことに気づきながらも、戻りたくて、戻れないのが現状なのかなと、それは苦しいなあと、ぼんやり思いました。

最後

いつだったかな、Twitterで誉め言葉は塩水だって言ってる方がいました。

自己肯定感が干上がって乾いた心に、水はすごく沁みますよね。けれど、その水に塩が含まれていたら、またすぐに心は渇いてしまう。

次の水を、誉め言葉を求めます。けれどどんなにもらったって、心が本当に潤うことはなく、ずっと満たされない心を抱えることになってしまます

これは趣旨から逸れたかもしれませんが、増田に対して「そんなに承認もらっておいて贅沢言うな」みたいなことを言ってる人を見るたび、薬にばかりにはならないよって思うんです。

評価承認も、自分を認めるためのツールの一つであるのには間違いありません。

感想をもらえることで、次への創作の意欲にしてくださる方もいらっしゃいます。(私は完全に衝動のまま感想を送ってしまう側の人間なのでそのスタンスはとても有難いです)

ただ、評価承認感想も、そういったものを歪みなく受け取るには、その人の土台あってこそです。

完全に蛇足

蛇足ですが、エンハンシング効果というものもあります

こちらは、内発的動機づけの低い人に対して外的報酬を与えることで内発的動機づけを段々高めていく現象です。

まあ、好きな人につられてスポーツに打ち込んでいたら、いつの間にかスポーツのものを好きになっていたみたいなやつです。

結局、評価承認も、使いようってことです。

こういう普遍的現象にきちんと名前がついているのを見るとなんだかうれしくなります。蛙化現象という名前を見たときと同じような快感がありました。

まるで視界が開けるような。昔の人、すご~~~~~~~~い!!!!!!

2020-07-08

なろうのなにが嫌って

女ばっか出てくんだよなあマジで

どうでもいいポジションモブみたいなやつとか敵役とかは男のことがあるけど出ずっぱりのパーティメンバーはもうホントに女・女・女

必然性があるならまだわかる 女しかいない世界みたいな設定してるんだったらいっそ潔いから良いんだよ(読まないけどな)

普通に男女半々くらいいて「男は力が弱いから戦えない」みたいな設定もないのにどうして仲間になるやつが全員女ということになるのか しかもオバさんとか婆さんとか混じってたらまだ分かるんだけど全員美少女美女なんだよな キモすぎる

ていうか主人公は嫌にならないのか、バカにされていると感じないのか?っていうのも結構

俺だったらすげえ力与えられて転生した上に縁のある人間が全員美少女だったらかなり本気でイヤになると思う 実態はともかくとして、万能の力を持つ神が気を遣って大量の美女差し向けてきているのかもしれない…って状況は居心地が悪いし、差し向けられてるんだとしたらその美女たちには自由意志がないと言って差し支えないわけで、とにかく虚しい

虚しいし申し訳なくもある 俺がいなかったら彼女たちは神に干渉されず自由に生きていたのでは?と思うと死にたくなりそう 自分のために生み出されたってことならいよいよ虚しい 悲しくもある キモ非モテ陰キャ男の自己肯定感を満たすためには美少女を侍らせてやることだな!と神に判断されたというのが悲しいし、彼女たちの存在のどうしようもない無意味さが悲しい

 

最初に出てくるメインキャラクター3人目くらいまでが女だとそこで切ってしまう その読み方をすると実に半数以上のランキング作品が消えるんだよな

女性向けのほうがまだマシ(女も出てくる)な気がなんとなくするが、そもそもたいして数を読んでないかわからん

 

とにかく女が多すぎる 相棒も女、師匠も女、神様も女、ライバルも女、弟子も女 自分を振り返って恥ずかしくないのか?と思う

登場人物紹介」みたいなの見て主人公以外女が10人くらいずらっと並んでるとマジで乾いた笑いが出てしまうぜ

男を出せ 女を出すなとは言わんから男も出せ

ドラゴンが女になるのがマジで嫌って書いてた増田いたけど心から同意する 性別不明キャラ(魔剣とか)が後から女になる率高すぎるんだよな そこは無性でいいだろカス

 

すげえ作品だとペットなんかまで全部メスで、本当に恐れ入る そんなに自分以外のオスが嫌かよ

 

俺は高校生くらいのときになろうにハマって女多すぎ作品への憎悪を溜め込み拗らせた結果NTR趣味に目覚めてしまったんですよね

NTRには絶対主人公以外の第二の男が出てきて主人公ハーレム状態破壊してくれるから… 俺はNTRのものじゃなくてNTR展開に発狂するオタク幻視して抜いてるんだ

本当に罪深いよ 男を出せ

2020-07-07

anond:20200707041457

根拠があったら常に揺らぐから

根拠がないから揺らがないのだ

自己肯定感と同じ

2020-07-06

anond:20200706202941

おるやろ〜?????

2020-07-06 anond:20200706201748

仕事はできないし人間関係もうまくやれるわけでもないし、一体どうやって自己肯定感を得ていけばいいのだろう。

自己肯定感が低いのかもと思うこと自体おかしくて、もっと冷静に見たら今でも高いのかもしれないとは思うけどとてもつらい。

自己肯定感魔法だと思っている人たち

いるよな?

自己肯定感がある=有能では無いのですが

すごく気になります

anond:20200706201851

そもそも自己肯定感を得てどうするつもりなんだ?

すごく気になります

anond:20200706201748

仕事はできないし人間関係もうまくやれるわけでもないし、一体どうやって自己肯定感を得ていけばいいのだろう。

自己肯定感が低いのかもと思うこと自体おかしくて、もっと冷静に見たら今でも高いのかもしれないとは思うけどとてもつらい。

2020-07-05

ブコメ非公開にしてたのに再び公開にする人

スタァもらって自己肯定感を高めたくなったんだね。

anond:20200705105622

そうだぞ?

別に自己肯定がどうしても出来ないなら無理にしなくていい

しろ、余計なリスクを背負わないのになぜ自己肯定したいのかまである

しろ自己肯定感低い奴が自己肯定しないといけないような風潮に押されて強迫的に自己肯定感を得ようとした結果としてモンスターが生まれる気がする。

 ↓

自己肯定感が高い=有能だっていうイメージ・憧れがあるのかも知れない

自己肯定感が強い人はリスクを取れる人ではあるけど有能かどうかはわからないし、多くの場合はただの向こう見ず野郎

そう唱え続ければそのうちどうでもよくなったりしないだろうか

 ↓

これはどっちかというと極端なケースであんまり賛同できない。

 ↓

「俺がそう思ったから」が基本軸なので他人がどうこうで揺らぎようがない

「俺がそう思ったから」という根拠があるので恐れずリスクを取ることができるが

「俺がそう思ったから」は魔法の力ではないので当人経験能力に即した結果しか得られない

対価システム人間の面倒くささと負の公平仮説(おけけパワー中島)

■おけけパワー中島人間関係に対価システムを持ち込むオタク

https://anond.hatelabo.jp/20200703193938

■七瀬サイドの人間はなぜ対価システムに至るのか(おけけパワー中島)

https://anond.hatelabo.jp/20200704211736

 上記の続き(蛇足)的な内容である。まずは、追記第2段まで足を運んでくれたことに感謝する。また今回の内容は、前回以上に漫画関係ない。申し訳ない。

 言い訳がましくなるが、私は心理学プロではなく、公平性や正確性、サンプリング対象などに偏りがあることは、あらためてご容赦願いたい。


対価システム人間は面倒くさい

「なぜ対価システムに至るのか」で書いたが、対価システム保持者――陰キャは、基本的自己肯定感を持たず、自分卑下しがちである。その価値観を内に秘めているうちは鬱々とするだけだが、いわゆる陽キャとかかわると起こることは、自虐肯定価値観の衝突である

 自己肯定感のない女性DV彼氏ばかり作るという傾向は有名だが、同じように、自分をほめられると反射的に心の防衛反応作動し、”どうしようもない自分”という解釈を守るため、「自分のことを何もわかっていない」「おべんちゃらもいいところだ」と悪意的にとらえてしまう。

 自己肯定感がないなら自分の考えも疑うはずなのだが、なぜかおのれの解釈固執する、もっと言えば自他の区別がないため、異なる価値観が目の前に現れると、「この人はこう思うんだな」ではなく、自分の持っている価値観が脅かされるような不安にさいなまれ、結果拒絶に至ってしまうのだ。

 また、私見なのだが、心の底から自分価値が無いと思っている人はそう多くない。心の底で白馬王子様のお迎えを待つ人が、七瀬サイドの大半を占めるだろう(小ばかにしているように聞こえるかもしれないが、生きる希望を持つこと自体はとてもいいことなので、是非とも白馬王子概念大事にしてほしい)。

 ではなぜ執拗自分卑下するのか。それはやはり、前回書いた「世界公平仮説」にあると思う。


報われない理由が欲しい

 世界公平仮説は一般的に、「これだけやればきっと報われるだろう」「努力は確実にものになる」という前向きな願望をイメージされるが、「ひどい目に合うのは○○だからだ」「○○だから報われないのは当然だ」という捉え方もある。

 具体的な理由ではなく、前世因果などの見当違いなものや、理由の一つではあるがそこまで重要ではない要因を○○に当てはめることを、「負の公平仮説」と本項では呼ばせていただく(セルフ・ハンディキャッピングという概念に近い)。

 負の公平仮説の例を上げると、「自分は背が低いからもてないのは当然だ」「流行を知らないかぼっちになるのは必然だ」等々。この2例は、モテ友達作りにまったく関係ないわけではないが、他にもっと深刻な理由があることを見逃してしまっている可能性が高い。

 しかし、”本当に深刻な理由”を見つけ出すのは実に苦しい。どこまでも自分という存在真正から見つめなおさなければならないし、見つかれば、それがなぜ改善できないのかも考えなければならない。表層的な、わかりやす欠点理由に挙げるほうがはるか簡単だし、深刻なダメージから身を守れる。

 そして同時に、負の公平仮説を用いる人は、そのかりそめの欠点改善する努力に、そこまで意慾的になりにくい。そのかりそめの欠点改善し、なおも状況が変わらない場合、”本当に深刻な理由”に向き合わねばならなくなるからだ。負の公平仮説は、一種の心のブレーキ機能である


個人的解決

 まず言っておくが、負の公平仮設による逃避を私は否定しない。現実曲解自分を守るのは当然のシステムであり、善悪ではなく「そうなってしまう」ものからだ。

 しかし人と関わるうえで負の公平仮設を持ち続け、他者にもその理解を求めるのはかなり負担押し付けることになってしまうのも事実であり、「周囲と最低限のコミュニケーションは取らねばならない」「周囲の人を困らせたくない」という目標があるならば、自分ネガティブを飼いならさねばならない。必ず改善すると約束するものではないが、参考までに私がとった方法を紹介させていただく。


方法1 否定から入らない

 誉め言葉はできるだけ素直に受け取り、謙遜は多くても1会話に2回までほどにとどめる。謙虚も過ぎれば相手困惑させるし、検挙のつもりが相手好意を踏みにじる失礼ムーブになっていることを自覚したほうがよい。また、否定ばかりしていると、否定した本人にネガティブイメージもついてしまう(今更多少嫌われたってどうってことない、という自嘲はやめよう)。

 もちろん私のような濃いアスペ人間は、言葉額面通りに受け取りすぎて事故ることもあるためある程度の謙虚さは必要なのだが、せめて、誉め言葉を口に出して否定するのはほどほどにしておくのが吉だ。

方法2 カウンセリングに行く

 やはり生兵法は大怪我の基である。本気で悩んでいて、改善したいと思っているなら、こんな素人放言だけ読んで済ますのではなく、専門機関を頼ったほうがいい。

 友人や家族に苦しさを吐き出すのも手ではあるが、(こんなにしてもらっても返せるものがないからしてはだめだ)という対価システムが働いて全く話せないか、逆に負担をかけすぎて共倒れになる可能性が高い。

 医師相手にもコミュ障発揮してしまう人は少なくないだろうが、向こうはプロである。(こんなこと言ってお医者さんは困るんじゃ……)と思える程度の人間ならば、もっとすごいのを向こうは普段から相手にしているため、まったく負担にならない。気負わずに吐き出してほしい。


最後

 前回、「最後に」を「最"期"に」と誤字していたせいで、何人かに「お前……消えるのか?」と突っ込まれしまった。推敲不足で申し訳ない。自戒も込めて、あえてそのままにしておくことにする。

 また、最初増田漫画から起こったムーブメントを主体に書いたので同人女界隈と言っていたが、対価システム事故古今東西老若男女問わず起こりうるものである女性差別目的で書いたものではなかったのだが、改めてここに明言させていただく。

 おすすめいただいた小説ゼロハチゼロ、ナナ」はさっそくポチらせて頂いた。好みに刺さり、かつ余裕のできたときに書かせていただきたい。

からこちらの「謝るクズと赦すバカ」をおすすめさせていただく。https://www.youtube.com/watch?v=1bbjwz3drJw

 今回で、経験と推測から書けることはだいたい書ききったと思うので、ひとまず対価システムについて論じるのはひとまずこれで最後とする(感想悲鳴を見て、またひょっこり書きたくなったらご容赦願いたい)。

 あらためて、ここまで目を通し、理解しようとしてくれた皆様に感謝をこめて。

anond:20200705081932

自己肯定感が強い=有能では無いってそんなに受け入れ難いか

自己肯定感が強い人による自己申告だぞ

anond:20200705071103

社会不安が少なく

少ない必要ないのよね

自己肯定感は生まれ付きなので「俺がそう思ったから」ですべて解決する

他人言動でそれが揺らいだりしない人

「俺がそう思ったから」が基本軸なので他人がどうこうで揺らぎようがない


「俺がそう思ったから」という根拠があるので恐れずリスクを取ることができるが

「俺がそう思ったから」は魔法の力ではないので当人経験能力に即した結果しか得られない

自己肯定感に効く映画

ダークホース

怪しいダイエット食品広告のようにこれが効かなければ諦めろ的な映画

anond:20200705062723

自己肯定感が強い人はリスクを取る人ではあるけど有能かどうかはわからないし、多くの場合はただの向こう見ず野郎

これはどっちかというと極端なケースであんまり賛同できない。

社会不安が少なく、他人言動でそれが揺らいだりしない人、というのが自己肯定感の高い人のベースライン

anond:20200705050328

自己肯定感が高い=有能だっていうイメージ・憧れがあるのかも知れない

自己肯定感が強い人はリスクを取れる人ではあるけど有能かどうかはわからないし、多くの場合はただの向こう見ず野郎

そう唱え続ければそのうちどうでもよくなったりしないだろうか

anond:20200705050008

まれつきなのは同意

しろ自己肯定感低い奴が自己肯定しないといけないような風潮に押されて強迫的に自己肯定感を得ようとした結果としてモンスターが生まれる気がする。

本当に自己肯定感が高い人間には根拠のない自信がもともと備わっていて自己肯定のために何かをするということがない。

anond:20200705045352

自己肯定感ってたぶん生まれつきだぞ

自己肯定感が低いやつは無駄リスクを背負わないのでそれで良いのでは?

承認欲求クリエイションに向かわない過剰な欲求なら場合によっては治療必要では?

同人人間関係の始まりって何?

はじめに

おけけパワー中島が空前のブームとなっている。

様々な立場から様々な意見が飛び交い、その意見に対する反応の量も多い。このエントリもその一種である

自分は完全に七瀬や友川側の人間であるが、本題はおけけパワー中島ではない。むしろそのタイプ同人女のことは好意的に捉えている。

ここで言いたいのは、「七瀬や友川の努力は本当に目標設定からして間違っていたのか?」についてである

七瀬や友川の自己肯定感について言及した増田がバズっていた。その増田自体は非常に深層の問題言語化が上手いと感じた。あまり主語が大きい発言はよくないかもしれないが、近年の同人女界隈の問題は多くが大きすぎる拡張自我自己肯定感の低さ、自他境界曖昧さなどに帰着されると感じていたので、この結論になると感じる人も多いだろうと思った。

それと並行して、「神も人間なのだから人間扱いしないと仲良くなれるはずがない」という意見散見された。

その類の意見に関しても、盲目的に崇拝されるより対等に接してもらえる方がとっつきやすいのは確かだろう。

これらの意見には非常に納得させられたし、全くその通りだ。自己の願望を他人投影して行動すべきではないし、他人コントロールできないということをしんから分かっていれば七瀬や友川のような行動は起こさないだろう。

だが、出発点である、憧れの神にフォローバックされたい、同じカプを愛好する者として仲間になりたいという感情自体はそこまで不健全ものではないはずだ。その結果小説の上達を目指した七瀬や友川の選択そもそもお門違いである、というような意見に対して反論すべくこの増田を書いている。

同人をやる人間は何をきっかけに繋がるのか?

第一、ここはリアル教室でも職場でもなく、インターネット同人社会である最初フォローされた時点でフォローバックをするかどうか、これから仲良くなるかどうかを決めるのに、「作品が好みかどうか」は最重要項目ではないのか?(そもそもフォローバック=仲良くなる、ではないのかもしれない。しかし、私はインターネット通話をするほど仲良くしている人間FF外の人間である例はリアルの友人以外である場合以外に見たことがないので、このような考えに至っている。また、七瀬や友川が最初に抱いた感情を「仲良くなりたい」だと定義しているが、ここの解釈表現に関しては個人差があると思われる)

かにこのような実利主義を実生活にも反映したらメンヘラ認定間違いなしだろう。だがそもそも同人を介した人間関係作品ありきではないのか?

これでおけけパワー中島が見ず知らずのROM専だったら七瀬や友川がやりすぎで気持ち悪いという意見にも納得がいくが、実際は綾城さんはおけけパワー中島に「新刊楽しみです」とコメントしている。

もちろんFF内、果ては作り手でなくてもコミュニケーションを取ろうとする人はいて、だからこそそのような層が七瀬や友川の思考回路に疑問を呈しているのだろう。だが少なくとも私が同人生活で見てきた5つほどのジャンルでは、所謂「神」と呼ばれている人たち、そして私の好きな作り手は自身の好みの作り手のみをフォローしていて、その創作者のコミュニティ内でコミュニケーションをとる例が圧倒的に多かった。このような事実を前に、「仲良くなるために自分の状況如何に関わらずコミュニケーションを取ろう」と思える人間はよほど素直だなと思ってしまうのだが、これはそんなに認知が歪んでいるのだろうか。

綾城さんにとっておけけパワー中島は、友達である以前に「好きな作品の作り手」なのである

作品コミュ力の両輪

すなわち、同人文化の中で仲良くなるには、まず「作品」ありきで、かつ「コミュ力」も必要なのである。今回の件ではどちらか一方に軸を置いている感想考察が多いが、私はこれは両方欠かせない要素だと考える。

よって、コミュ力以前にそもそも自分で「大したことがない」と思うような作品しか作っていないし、人の心を動かすようなものを作れてもいないのだろう。この時点で綾城さんに相手にされないと思うのはごく自然なことに感じる。これは数の話というよりむしろ創作に対する態度の問題である。七瀬は解釈を突き詰める方法で、友川はひたすら作品を完成させるという方法で、自分作品を研いでいった。

(また、今回の件ではあまり触れられていないし、最終的に綾城さんが七瀬や友川の作品認識するに至っているため杞憂ではあるのだが、そもそも同じカプを愛好するからといって仲良くなれるとは限らない。ほのぼのハピエン好きは死ネタ絶対に読まないし、相手固定派は雑食を先行ブロックしているだろう。これらの流動性ジャンルによるだろうが、確かに存在する)

このように、同人女がまず繋がるためには、作品認知され、さら積極的コミュニケーションをとるという二つのステップ必要なのである

個人的に綾城さんとおけけパワー中島は長い付き合いだからこそのあの距離感なのだと思っているが、それだって最初出会いリア友であったパターンを除けば、互いが互いの作品を良いと思ったからなのではないか

多くの意見では、七瀬や友川が「自分が上手くなれば綾城さんと必ず仲良くなれる」と思っている、という点について批判されているが、私はそこまでの感情を読み取れなかった。思うに、逆なのである。「綾城さんと仲良くなるためには、仲良くなれるかどうかは定かではないがとにもかくにもまず上手くなる以外道はない」だと私は捉えた。十分条件ではなく、必要条件である

別に仲良くなれなかったからといって逆恨みはほぼないだろうと思われる。友川の自問自答や毒マロを送りかけた点については私も異常だと思うが、七瀬に関してはふられたショック以上の感情はないように思う。コミュニケーション能力は確かに低いので、作品認知してもらったこの先も関係は思う通りにならない可能性の方が高いのだろう。だが創作はさまざまな感情昇華法であり、その頃には本人たちも気持ちに折り合いがついているものと思われる。

さいごに

巷の反応を見る限り多くの人は同人人間関係は対価ではないという意見に納得しているようだが、成り立ちからして対価でないという方に違和感を感じてしまう。批判している人たちが日常的に関わっているのは、なんの関係もない無作為抽出されたジャンル者なのか?相手の生み出すものに何も感じていないのか?私にはその前提がどうしても疑問である

最後になるが、この件に関して七瀬や友川の批判をしている人は大抵フォロワー数がフォロー数より多い。そんなことに囚われているから弱小なのだと言われてしまうと耳が痛いが、どうしても「パンがなければケーキを食べればいい」と言われている気分になるし、結局は各々が自分経験に照らした発言しかできないので価値観の相違がもろに炙り出されるのだろうと思う。件の漫画は、同人観をはかる試薬なのである

2020-07-04

anond:20200704111252

単純に、若くてまだ思春期を抜けていないだけだからだと思うけど

自己肯定感が低いと、他者理想投影しがちになる

しかしたら、女の子の育つ環境とか、教育とかも、そこら辺の人格形成関係しているかもしれない

自我の強さとか独立心とか、そういうのが女の子にあると疎まれ空気の中で従順に育つと、依存心も強くなるだろう

七瀬サイドの人間はなぜ対価システムに至るのか(おけけパワー中島)

■おけけパワー中島人間関係に対価システムを持ち込むオタク

https://anond.hatelabo.jp/20200703193938

 先日こちらのお気持ち文を投下したところ、想像以上の反響があった。私も主にツイッター感想などを眺めていたのだが、感想をつぶやいてくれた人のうち7割ほどが七瀬サイド、2割ほどがおパ島綾城サイド、残り一割はどちらにも属さないという比率であった。

 追記や補足で、七瀬サイドが対価システムに走る理由や、それらが巻き起こす事故についてざっくりと説明をしたが、やや説明不足なところがあったため、あらためて対価システムの成り立ちと、巻き起こった事故などについて書かせていただく。

 なお、今回の文章漫画への関連性が薄く、私の実体験や周囲で観測した事故の話を多分に含んでいるため、人によってはトラウマの想起を招いたり、公平性に欠けるところも多々見受けられると思う。不快に思われたら、体調を崩す前にブラウザバックしていただきたい。

有能アピールはなぜ始まるのか

 心理学に、マズロー欲求5段解説というものがある。下から順に、生理的欲求安全欲求社会的(愛の)欲求承認欲求自己実現欲求ヒエラルキー型に並び、一つの欲求が満たされると、もう一つ上にある欲求を満たしたいという気持ちが湧いてくるようになる、というものだ(詳しくはググってほしい)。

 対価システムにとらわれるコミュ障は、多くがこの社会的(愛の)欲求か、承認欲求に大きくかかわる、ネガティブ経験(いじめ孤立暴言虐待など)がある。要因はコミュ力の低さや容姿機能不全家庭(いわゆる毒親)や身体的欠落によるハンデなどさまざまだが、とにかく、これらが幼少期に満たされていないと、自己肯定感を持てなかったり、不安障害発症したりと、成長後人格成型に大きな傷跡を残すこととなる。

 自己肯定感のなさやコミュニケーション能力の欠落はストレスを加速させ、やがて他者言葉行為意味を悪意的にとらえたり、常に攻撃的な態度をとるなどして”周囲に期待をしない”ことで、自分を守ろうとする。これは努力性格問題というよりは、本能的な防衛反応である

 ストレスに晒され続けると人間の脳は委縮し、判断力選択肢を失い、やがて自傷他傷の二択に追い込まれしまう。自分含め、人を傷つけるのは世間一般的に望ましい行いではないが、酷寒の雪山で身震いを止めることが不可能であるように、”いま”そうでない人であっても、追い詰められればこうなる可能性があるということは、どうかご理解いただきたい。

 無条件に愛されるという経験が少ない人間は、「何かメリット相手に感じさせないと見捨てられる」という不安に取りつかれがちで、かつ自分をとことん下げているので相対的相手は雲上人となり、相手の”貴重な”時間無駄にしないため、関心を引くために、有能アピールを始めるようになる。自己顕示欲というよりは、お友達料金に近い。

 親切心で行うというよりは、存在しているだけで周囲に迷惑を与えていると考え、その損失を埋めるべく”他の分野で”役に立つことで相殺しようというシステムだ。

 しかし埋め合わせが毎回成功するなどは到底あり得ない上に、対価システムを持つようになる人間社会的能力が低めなため、昼食に誘ってもらえた際に、誘ってくれた相手に報いようと必死で話しすぎて空気を凍らせてしまったり、面倒ごとを引き受けることでいい顔をしようとして、身の丈に合わぬことを一人で背負いこみ、結果周囲に尻拭いをさせてしまったりと、心臓が痛くなるような失敗をしてしまいがちだ。

 埋め合わせに失敗したら、さら必死に償わなければならない気持ちになる。そしてそういう時に限ってますますやらかし雪だるま式焦燥感無力感と、ストレスが膨らんでいく。とてもつらい。


対価システム押し売り

 不平等相手に飲ませていることに抵抗を覚え、距離を取るようになるのは一般的な考えだと思うが、対価システム保持者はニュートラル自分という存在に、強力なデバフをかけている。生きているだけで常時-10点といった状態だ。向こうからすれば存在しないその10点分を穴埋めしようと、できれば次にミスった時のための貯蓄をしようとやっきになって空回りし、無駄疲弊して疎遠になるケースもある。

 これを相手視点で見ると、やたら労力の成果を見せてきたり、マウントを取ってあわあわした挙句、急に疲れ果てた様子になり、そのうち連絡もしなくなるという、まったく謎の状態である相手の期待を裏切りたくないという気持ちや、一緒にいるだけで迷惑から……という卑屈さは、相手には関係ないのだ。

 まだそれだけならただの変な人で終われるが、もっと悲惨なケースだと、最初は完全に捧げる気持ちで書いていたのだが、もらってばかりでは悪いからと返礼があり、やがて絵を描く目的が返礼になって相手疲弊させてしまったり、見返りを求めず書いていたはずが、自分ばかり書いていて不公平だとなぜか不満を抱き、それを相手にぶつけ不快にさせたり……などがある。

 当然のことだが、人はそれぞれ価値観や許容量が異なるし、ルールマナーモラルはそれぞれ別物である。自他の区別境界線あいまいだと、「自分は平気だから○○さんも平気だろう」「自分はこれを守っているのだから、向こうも当然守るだろう」と、無自覚価値観押し売りをはたらいてしま可能性がある。コミュニケーションに自信のない人は、よほど普遍的な事例を除いて、基本的にその都度確認か観察する癖をつけたほうがいい。


対価システムの行く末

 七瀬の目的は、一貫して「綾城に認められる」であった。話が進むにつれいろいろと拗らせ、ついには諦めてしまうも、最後までそのスタンスぶれることはなかった。

 気さくなリプライを送り、ジャンル外の話題なども提供してくれ、通話して楽しいおパ島と、まったく交流を持ち掛けてこず、静かに有能アピールをしてくるだけの七瀬。楽しい相手交流したい綾城が後者を選ぶ可能性は、限りなく低い。

 「何かしら対価を支払えば、正当な結果が返ってくるものだ」と思い込んでしま認知バイアスのことを世界公平仮説と言うが、対価システムはこれに限りなく近い。

 しかし、実際は努力が必ず報われるという保証はない。どんなに頑張っても認めてもらえない、ありのままではなお肯定されない状況が続けば、世界を恨むか、オカルトに走るか、すべてを諦めるようになってしまう。頼むから、こうなる前に七瀬はカウンセリングに行ってほしい。

最期

 私は心理学権威でもカウンセラーでもないのだが、私の言葉が、少しでも自己分析の助けになり、気持ちを整理するきっかけになれたなら、この上ない喜びだ。

 それと、自己肯定感が著しく低い人には、どうか自分を、ほんの少しでいいので肯定してほしい。全肯定ではなくていい。なにかひとつだけ、人より優れてなくていいから、好きになれる個性を見つけてほしい。箸の持ち方でもお礼をちゃんということでも、声でも足でも字でも、なんでもいい。ひとつあるだけで、少しずつでも自己肯定感をはぐくんでいけるから

追記

■対価システム人間の面倒くささと負の公平仮説(おけけパワー中島)

https://anond.hatelabo.jp/20200705112649

公平仮説についての補足と、個人的にとった解決手段他山の石にしてもらうべくしたためた。今回と同様に、科学的な根拠などはほぼないことをご容赦願いたい。

anond:20200704143518

欧米黒人黄色人種への差別実態なんて学校でさんざん習ったろうにいまさら出羽守欧米理想の国だって言ってたくせに」ってストローマンしてるんだから自己肯定感の低い底辺ネトウヨは大変だわ。

虚無字書きが感想屋さんに依存していた話

感想屋とおけけパワー中島話題がTLを駆け回った

発端の感想屋さんの話題に乗って現れた有料感想屋さんとかとにかく話題の瞬発力が爆発している

TLが賑やかなので黙っておけばいいのに隙あらば自分語りがしたくなった

自分自己愛が強いけれどコミュ障言い訳にじっとり人を妬む型の字書きだった

たまたま手が早くて文の更新速度だけが売りだった

内容云々よりもお手軽に読める文が更新頻度が高かったがために存在できた

具体的に何か書きたいテーマがあったことはない

書けるから書いていた

テンプレネタでも内容がない短文でも書いてさえおけば読んでもらえる立場だった

(後に5ちゃん支部連投は嫌われると知ったが後の祭りだった)

文はコミュニケーションツールだった

当然ネタは常に枯渇していた

そんなときに現れてくれるのが多分傍から見たら「感想屋さん」と見なされるような存在だった

拙い文に感想をくれる人を私は求めた

そんな人たちは熱い感想文をたっぷりくれてそれに対する返信を重ねると自然萌え語りが盛り上がる

萌え語りがまとまってくると私はそれを文にして公開した

更にそれに評価がつくともとの「感想屋さん」はその時点では実質的には「原案提供者」になっている

私は「原案さん」にフィードバックして更に萌え語りをヒートアップさせてしばしばそういう「二人で生んだ作品」を連載した

この内情を詳細に外部の人が認識することは出来なかっただろう

客観的に見たらまさに「感想屋さんに媚びた書き手」が私だった

自己肯定感の根源である感想作品原案さえも「感想屋さん」から飛び出した「原案さん」に依存していた

この蜜月永遠には続かない

長文メールのやり取りが途切れてしまったらそれまでだ

生活サイクルや環境の変化である日ぷつりとメールが途切れて私はそれを深追いしない

依存しきった私はひとりで連載を続けることはない

また違う話を書き始めているうちにまた新しい「感想屋さん」が現れて次第に「原案さん」になっていく

萌え製造機という言葉はもう死語だろうか

私は自力ネタを生み出して書き続けることは出来なかった

萌え語りをしてもらってそれを文にすることが私の存在意義だった

自分が何を書きたいかなんてない機械の癖に感想を欲しがる傲慢さは唾棄すべき見苦しさだろう

今となってはジャンルもお互い知らないかつての「感想屋さん」であり「原案さん」だった何人かの人たちを思い出す

ジャンル空気とか当時は全然考えたこともなかったけれどなんとなく昨今の流れで思い出してしまった

特にオチとかないし一度書いてお蔵入りしようかと思ったが派生の流れで「絵師でも字書きでもないROM専の人にもマシュマロ萌えツイートに対する感想とか送りたい」というツイートを見かけて

私にとっての「原案さん」たちも自分は何かを支部等に投稿していた訳ではなかったけれど少なくともその萌え語りが私を通して作品として生まれていたので

こんな形でだけど楽しかったし有り難かった記憶は虚無字書きなりに宝物だったと思うと感謝して締める

2020-07-03

おけけパワー中島人間関係に対価システムを持ち込むオタク

 最近、おけけパワー中島(以下おパ島)という概念が新たに出来た。

 初出は2020年6月7日投稿された真田氏漫画秀才字書きと天才字書きの話です」に出てくる、主人公が崇拝レベルで慕う神字書きと仲のいい相互フォロワーハンドルネームなのだが、多くの同人界隈にそれぞれのおパ島(概念)がいるようで、漫画に感銘を受けた声と、同人オタクの怨毒と悲鳴とともに一気に広まった。

 どの悲鳴も新鮮かつ悲痛なものであり、お気持ち文が好きな人には是非ともツイッター検索をかけて苦酸っぱさを味わってほしい。

”おパ島にはなれないから、文を極める”という危険

 私が「秀才字書きと天才字書きの話です」と続編「神字書きがジャンル移動する話」を読んで思ったのは、「七瀬の思う人間関係と綾城、おパ島の人間関係が綺麗に事故ってるなあ」だった。

 おパ島ツイートでおもに悲鳴を上げているのは、ほとんどが七瀬サイドの人間である。私もその一人だ。

 七瀬サイドに共通する価値観、それは(こと創作において)人間関係を対価システム(相手に対価を与えることで関係性の維持をしようとする行い。造語)で考えすぎているということだ。ここでいう対価は「持ちうる実力が等しいか相手への献身交流メリットを感じてもらおうとする」こととする。神と親しくするには神に次ぐ力を手に入れるか、はたまた敬虔信徒でないと許されないと自縄自縛してしまうのだ。

 人間関係に対価システムを持ち込むこと自体は悪くないのだが、度が過ぎれば問題となる。だいたいの場合、まず真っ先にメンタルがやられてしまう。

 現に七瀬は、「もっと上手くなりたい 綾城さんに興味を持ってもらえるくらいの字書きになりたい」が段々と、「フォロバされないし自分作品へのコメントもない(興味を持ってもらえていないと判断できる)=自分の実力が足りないのだろう」と考えるようになり、最終的に「おパ島の感想ワンパターンなのに興味を持ってもらえてる=自分の実力はおパ島に負けてしまレベルの乏しさである」と思うまでに至ってしまった(そもそも七瀬はおパ島の作品ちゃんと読んだことがあるのか疑問だが、仮に読んでいたなら感性正反対だったか袈裟まで憎かったのだろう)。

 最終的に七瀬は綾城をブロックしようとまで決意するも、イベントで本を出すというツイートに負け、足を運び、実は認知されていたことを知って(そのうえ誉め言葉までもらって)感情が爆発……と終わる。

 神に認知されていた、自分作品が神に刺さった。これは紛れもなくハッピーエンドだろう。そのうえで最後に七瀬にひとつ言いたい。カウンセリングに行け。

努力方向性と対価システム

 七瀬サイドの人間は、まず基本的陰キャである。そしてコミュ障気質メンヘラだ。遠慮深く自罰的で、自分の低さを保つため、少しでも秀でたところのある人は、雲上人にしたがる。神と親しくなりたい場合、友人としての交流ではなく、相手の持ちうる才と肩を並べか献身することで距離を縮めようとする。神の作品はすべて拝み、ふぁぼりつし、匿名感想も送る。作品を愛しているのは勿論のこと、それが対価のひとつになるからだ。

 しかし綾城サイドはそうではなく、基本的に居心地の良い、話して楽しい人と交流する。才能はあればもちろん喜ぶだろうが、文才がいきなり枯渇しても、変わらず交流し続けるだろう。七瀬サイドが枯渇したらば、「相手につり合えない」という気負いから、ひっそりと疎遠の道を選ぶ。

 この人間関係に対する価値観のすれ違いを解消しないと、一部のおパ島に敵意を隠し切れない人が毒マロを送ったりしてしまう。幸運にも七瀬友川はそうはしなかったが。

 あくまストイック彼女らは、いつか綾城とグランド対峙するため、動体視力を鍛え日々素振りをし、強打者になるまで至った。しかし不幸にも、綾城と相互になるために必要技能サッカーであった。

 創作界隈では、作品と作者への好悪は分けて考えるべし、という戒めがある。綾城が七瀬にフォロバしないのもおそらくはこれだ。綾城が七瀬に向ける感情嫌悪レベルまで行かないだろうが、人間としての興味が薄いのは確実である。七瀬→→→→→→→→→→→→(←←)綾城ぐらいの温度差があるだろう。

 自分に厳しい人間は、他人にも厳しくなりがちであるもっと正しく言えば、他人に厳しくする免罪符として、自分を縛っている場合がある。「私は○○してあげたのに、向こうは何も返してくれない」と悲しくなるのはわかるが、そもそも向こうは○○してくれることをこちらに要求したのか? 見返りを約束したのか? と自問を忘れてはならない。

 「神字書きになれば相互になれる」という考えは綾城との関係を対価第一で考えてる証拠であって、神字書きである綾城はおそらくそういうメンヘラを何人も相手してきたのだろう。対価システム持ち同士なら事故にならないが、綾城はそうではない。結果事故る。

 つまり、綾城が何を書こうが肯定してくれるし特定ジャンルに縛り付けようとせず、良いものは素直にほめたたえ、地雷薄めのおパ島と仲良し続けるのは当然のことなのだ。つらい。

最後

綾城さんをktgにはめたのは私なので感謝してもええんやツイート死ぬほどむかついたし、私なら確実にブロックする。陽キャオタクの誇張した物まねしたみたいな不快感があった。あそこで怒りを飲み込み攻撃うつらなかった友川はすごいと思う。


追記

 定期的にツイッターで「日常ツイートを控えろと要求する匿名メッセージは、アカウント乗っ取りたい奇人仕業である」という啓蒙バズるが、私は半分近くは七瀬サイドの人間が送っているのだと考えている(残りの5はアンチ、1は奇人)。なぜなら七瀬サイドには、見える形での他者との交流否が応でも気になってしまうから

 神とたたえる創作者には自分理想から外れてほしくないという欲求は、七瀬サイドの人間が抱きがちである。神には自分が認めたと才能の持ち主とのみ交流してほしいし、自分と同程度かそれ以下(に見える)の存在は歯牙にもかけないでほしい。なぜなら、これほど恋い慕って対価を払っている私が、歯牙にもかけられていないのだから、と。

 酸っぱいぶどうをするのは個人自由だが、木登りのできる他の狐の足を引っ張ったり、ぶどうの実りを妨害するまで至っては、個人問題では収まらない。跳躍力のない狐は、「神もおパ島も自分とは違う価値観・考え方の持ち主である」という自他の区別が付けられるまで、臍を噛み続けるしかないのだ。つらい。

補足

 幸いにもたくさんの方が見てくれていたので補足。「七瀬が本当に綾城と親しくなりたいなら、匿名をやめてメッセージを送ればいいのではないか」という感想散見されるが、私の解釈では、七瀬→綾城はあくまで憧れであり、そこまで親しくなりたいとは思っていないだろう。信仰は遠きにありて清いものなので、自分含め普通人間が近寄るのは解釈違いなのだ(ファンクラブの抜け駆け禁止や、百合に挟まる男を殺す男のようなもの解釈してもらってもいい)。

 また、綾城が求めるのが有能なメンヘラではなく気の置けない相手というのを理解したとして、その気の置けない相手になるために七瀬が行うのはやはり、研鑽という名の献身だ。本能的におパ島になれないことはわかってるからこそ、”小説で”有能さをアピールするしかない。そしてフォローは返らない。

 七瀬サイドの人間がなぜ先に実力アピールにいそしむのかというと、上にも軽く書いたが、生育環境の影響が大きいだろう。自己肯定感のない人間は、特技や相手の苦手な分野をカバーして、恩人・利用価値のある存在になろうとする。見捨てられ不安が強いための行動なのだが、出しゃばりすぎたりマウントに見えてしまい、結果距離を取られてしまいがちだ。

 仮に七瀬が綾城と相互になったとして、フォロー解除されないためにひたすら小説練習をするだろうし、おパ島のリプライには相変わらずむかつくし、おパ島と同じツイートに話しかけたとき、どうしても生まれしまう扱いの差をリプライから敏感に感じ取って病むと思われる。七瀬の地獄はこれからだ。つらい。

補足その2

■七瀬サイドの人間はなぜ対価システムに至るのか(おけけパワー中島)

https://anond.hatelabo.jp/20200704211736

対価システムについて、若干掘り下げたものである科学的な根拠などはほぼないため、眉唾程度にとらえてもらえるとありがたい。

2020-07-02

anond:20200702124040

いいな

バカから孫子読んで賢くなった気になって自己肯定感あげたい

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