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はてなキーワード: 立憲主義とは

2015-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20150720220708

日本政府日本政府の行動に制約をかけていると理解してきたわけでしょ。日本政府日本政府みずからに掛けた制約をみずから判断で変えるのはありえることじゃない?

憲法日本政府が制定したものではないよ。主権者たる日本国民が制定し、日本政府に与えたもの。制約をかけているのは日本国民。だから政府自由に制約を外すことはできない。このフィクションが「立憲主義」の意味するところ。そういう意味で、今の安倍政権の行動は「立憲主義危機」なわけ。だから憲法学者が口をそろえて反対している。もちろん「日本国民」という主体はないから、実際は政府政府に制約をかけていることになるけど。

自衛隊日米安保合憲で、憲法9条改正に反対で、なおかつ今回の安保法制で認められる範囲集団的自衛権行使違憲

中国を含め、どこの国とも、誠意を持って話しあえば戦争は避けられる。自衛隊災害とかで役に立つから存在して良い。」とか?日本西ヨーロッパとか北アメリカにあったら、実現不可能理想、というわけではないと思うし。私個人の中国に対する意見とは違うけど。

あとは、真性の人かな。「殺しても殺したくない」っていうプラカードを掲げている人もいるしね。

ちなみに9条改正するなら2項を削除するだけでいいと思う。

あ、そうかもね。私は9条の議論はもううんざりから個人的には消したいんだけど、二項を削除すれば盲腸的な存在になるから、それでいいかなー。

本当に「立憲主義危機」なのか?

だとしたらもっと海外から反発の声とかあるのでは。

まぁ、中国韓国からは反発が滅茶苦茶あるのはわかるけど。

でも、立憲主義って日中韓だけの話じゃないよね?

なんで日中韓以外の立憲主義の国から反発の声が無くて、むしろ好意的に受け止められてたりするの?

なんか話が合ってなくない?

http://anond.hatelabo.jp/20150720173507

君の個人的な主張は分かった。

立憲主義日常的には政府による権力行使憲法によって制約し、国民権利を守るためにあるとされる。

憲法を字句どおりに守ることによって、国民権利がかえって守られなくならばそのような条文に有効性はあるのか。

そもそも権力行使を「制約」するのが目的なのに、憲法自体がその権力根底から覆す事態を招くとしたら、そのような憲法有効といえるのか。

それは「制約」を越えて「破壊」だろう。

http://anond.hatelabo.jp/20150720173507

立憲主義は君が考えているような単純な概念ではない。

少なくとも国家緊急権との関わりとかぐらいは考えてからものを言ってもらおうか。

立憲主義において憲法は国のベースとなる概念から国より大事

憲法否定すると国は国でなくなる

しか国民である人間)の生命生活憲法より大事であり

国民を守るためには国が必要なので、

憲法を変えて憲法否定しない形の運用しましょうね

というのが憲法はよ変えろ派なんだが

ウヨはその層も左翼認定するから困る(1日ぶり二度目

2015-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20150626161830

元増田です。反応うれしいです。

ちょっと調子が悪くて、レスポンスがいい加減な点お許しください。


http://anond.hatelabo.jp/20150626175756


現行の選挙制度なら国民の半数程度の支持があれば3分の2の議席は取れる。

これが難しいんではないでしょうか。

自身でも

国民の半数が賛成するような改憲の内容は、戦後一度も政治家から提案されたことはないんだよ。

と書かれていますが、

解散総選挙議席を2/3取らないと死んでしまうから

与党としてもビビって国民に問いかけられないのだと思います

提案の時点で半数が読めなくてもいい。

改憲という事態差し迫った形で、国民議論をして、

投票後に過半数はどっちだったか、それが国民判断として採られればいいと思うのです。

「なんでもいいからとにかく一度変えようぜ」

ではなく、

ほらほら、ちゃんと議論しないと変わっちゃうぜ、という感じです。


はいえ、翼賛体制というのは言い過ぎでした。すいません。


http://anond.hatelabo.jp/20150626181414http://anond.hatelabo.jp/20150627092237


今回の話は、改憲という手続きのものについて語りたかったので、

敢えて安保法案9条に話を限定しない体で書いています

左派右派という書き方もしていません。

(そうはいってもこれは左派のことだろう、というのはそうなんですが)


現に今、安保法案のものの是非が

違憲合憲かの話とごちゃごちゃになっている印象です。

安保法案についての分類だけでも、挙げていただいた通りに広がります

ここで法案の是非について議論する気はありません。

ただ、意思決定の順番として、

憲法に対する議論憲法議論の中で行い、

国民意志を明確にしたうえであれば、

その選択がなんであれ、政権に”解釈”の余地はなくなります


話が逸れました。

憲法に対する議論憲法議論の中で行うべく、

現実性のある改憲提案議論もっとあるべきだと考えていて、

ゆえに、「改憲手続きについて」の話に絞りたかったのです。


そういうわけで、

憲法を変える手続きに反対をしている=護憲派」とざっくり定義した上で、

・「憲法を変えることそのものが反対」な人

・「特定の条文を護りたい」人

のふたつに単純化しました。

「整理してほしい」の意図は、

この文章の中ではその単純化に乗ってほしい、というところにあり、

まり単純化の上で、どっちですか」という問いかけのつもりでした。

が、書き方がまずかったです。

護憲派の整理が足りないのが悪い」と読まれたのだと思います

護憲派全員で集まって意見のすり合わせをしてるとでも思ってんのか。現実を見ろ。

と言われても仕方がないです。ごめんなさい。


ざっくり定義がざっくりすぎることは承知しています

その定義に則れば自分改憲派になるし、

世間一般の認識からもそれは外れていないと思うけど、

例えば、自分でも書いている通り、

改憲に対する自分の考え方も「憲法機能を維持するという点で護憲」だと思います

けれども、そんなのを細かく分類していたら切りがないと思いました。


ちなみに、「あなたがた」と「あなた」の違いについては

自分はざっくり定義改憲派だとした上でのことで、

特に意図的に使い分けたわけではなかったのですが、

認識が表に出たのだ、と言われると返す言葉もありません。


以上をふまえると、

あなたがたが第一に「護」りたいのは、憲法機能のものなのか。特定の条文なのか。はじめにそこを整理してほしい。

を、

あなたが第一に「護」りたいのは、憲法機能のものなのか。特定の条文なのか。どちらですか?

に改めるべきだと思いました。


まり


これだから左翼はとか、ネトウヨはとか、もうたくさんなのです。

やりたい人同士で勝手にやりあっててください。

そんな話より、

立憲主義における憲法機能改憲という手続きについて、

合理的に突き詰めればこうなるよ、というのが見てみたかったのです。

そのために、自分なりにこう思っていますという話にして、

それを好きに改変してほしいという出し方にしました。

トラバを読み、自分の読み返すと、煽りが過ぎた点は反省です。


思い通りに受け取ってもらうのはなかなか難しいですね。

文才のなさを痛感するし、レス打つだけで胃が縮む思いです。

自分にはブログは無理だなぁ。


(追記)

なんでわざわざこんな手の込んだ自演をしなきゃいけないんだw

このレスの一文書くのに3時間かかったんだぞ!

書き始める前もずーーっと考えてたんだぞ!

盛大に後悔しながら、昨日の自分を思いっきり恨みながらだぞ!

もう二度とやんない。しんどすぎる。

2015-06-22

6月21日京都デモに思うこと。

昨日、とある映画を見に街中へと出掛けた際デモに遭遇した。

恐らくいつも通り円山公園から出発して四条を通り河原町を上がっていくのだろう。

ゴールは三条大橋下かあるいは市役所前広場辺りか。子供の頃から見慣れた光景だ。

彼らの主張する内容もまた聞き慣れたもので、戦争反対安倍辞めろ、その他諸々、駅前毎日共産党が叫んでいることと大して変わらない。

変わることと言えばやたらポップな雰囲気を醸し出していることといつにも増して大人数であることくらいで、四条河原町を封鎖して市民の足であるバスの往来が出来なくなるのも、外国人観光客が興味深げに写真を撮るのも普段と同じである

その点だけ抜き出せば祇園祭とそう変わりはなく、この形態があと1100年ぐらい続けば時の京都市伝統無形文化遺産として指定するかもしれない。

それはそうとして。

実際、彼らが主張すること自体に対しては何の不満もない。

そもそも言論の自由は何人にも保証されており、彼らの口を封じようとする勢力とは断固として戦わねばならない。

僕個人としても立憲主義プロセス無視しようとする現政権に対する不信感は非常に強いし、安倍晋三という政治屋ボンボン三代目がまともな政治家であるとも思わない。

しかし。

しかし、である

果たしてこの現代版踊り念仏政治指向を持たない人々の心に響くかどうかは怪しいと言わざるを得ない。

理由は簡単だ。

迷惑」と「聞き飽きた」。

京都市民の足はバス(と自転車)である

ただでさえ混雑していた四条行政の手で更に渋滞するよう作り替えられたのは記憶に新しいが、それに加えてデモによる道路封鎖が起こると四条だけでなく烏丸川端、果ては堀川辺りまで波及する。

この事を「迷惑」と感じる京都人は実際多い。

『主張しはんのは勝手やけどせっかくの休みやのに他人負担掛けてまでやらんといて』と。

その時点で彼らの耳に主張は届かなくなるのだ。

これが良いことであるとは僕には到底思えない。

重要なのは政権批判のものではなく、政権批判を行う仲間をいかに増やすか、であるはずだ。

左派には民主主義国民主権叫びながら国民主権があることを忘れて政権のものと戦おうとする人が多く、その点ではいわゆるネトウヨの方がむしろ主権者たる国民に向けて語っているのではないかとさえ思う。

『○○人はこんな悪事を働いてる!』というのは政権ではなく民衆に向けられた言葉だ。

この違いこそ日本リベラルと呼ばれる勢力が弱い理由だと僕は考える。

だがこれはやり方次第で解決できる問題であるとも言える。

より深刻なのは「聞き飽きた」ということだ。

ご存じの通り京都共産党が強固な地盤を持っている。

彼らは先述のようによく政権批判演説を行っているがこれがむしろデモの主張を陳腐化させているように思える。

またこの手の奴か、と。

普段から聞き慣れた言説に『多くの人が集まっているから』という理由だけで耳を貸す人間がどれだけいるだろうか。

これが大人しい田舎なら話は別だ。

ただ大規模なデモを行えばそれだけである程度衆目を集められるだろう。

しかしここは京都である。1200年の都である

そんなピュア人間殆ど存在しない。

その解決策は僕にも分からないが、飽きられているのは確かだと思う。

こんな風に書くと「典型的スノッブ京都人」扱いされるのかもしれないが、今回敢えて書かせていただいた。

重ねて言うが、僕は彼らの主張にもその内容にも文句はない。

と言うより京都は一種のアジールでなければいけないし、地方サムライマチズモに由来し明治以来続く国内外に対する植民地主義に対抗する存在でなければならない、と強く思っているので、こういった主張はどんどんしてほしい。

それこそが日本の都としての使命であり矜持であってほしい。

しかし、主張する人間が自ら居場所を減らしているのではないか? と感じるのである

報道によるとこのデモ若者主催したもので、この日は2000人を超える人が集ったと言う。

彼らの心意気に敬意を表すると共に、彼らの心意気が無駄にならないことを祈る。


あぁそうそう、コラボセットは真姫ちゃんでした。やったぜ。

2015-06-12

そもそもさ。

そもそも、押し付けられたのは憲法じゃなくて立憲主義なんだよね。間接的にだけど。

2014-05-24

ネトウヨ批判で立憲主義だの法治国家だの言ってる奴出てこいや

ネトウヨ批判で立憲主義だの法治国家だの言ってる奴出てこいや

法的根拠も無いのに行政が介入するこういうのこそ批判しろや。

ダブスタ野郎ども。



外国人入学できません」から一転「削除します」 埼玉専門学校「誤解招いた」

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140523/edc14052315250006-n1.htm

私学を県が指導する法的根拠はなく

2014-05-22

報道ステーション2014年5月20日山口代表インタビュー書き起こし

報道ステーション2014年5月20日山口代表インタビュー書き起こし

【古舘】さあ、スタジオには公明党山口さんにお越しいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。

まあ、色んな話が出てますけれども、まず山口さんに根本的に伺ってみたいなあ、と強く思いますのはね。憲法解釈の変更というですね、それによって集団的自衛権行使容認。この憲法改正というものが、なかなか難しいと見るや、96条という話がありまして。それも色々と評判が今一つかな、ということになると、憲法解釈と。という流れがあった時にですね、山口さんは法律家でもいらっしゃいますけれども、憲法国民から奪うのか、という議論が一つあると思います

それから、ひいては立憲主義。つまり権力の側を憲法国民側が縛っているんだ、という。その枠をはずす解釈というのは、これ憲法立憲主義も奪われるのか?という見方も出てきているんですが、これ、怖いなあと思うのですが、山口さんどうですか?

山口政府が長年とってきた、この憲法解釈というのがあるわけですね。これは集団的自衛権行使を認めて来なかった訳です。長い間、行われてきた。この解釈のもとで色々、安全保障に関する法令が作られてきた。私もその作成の議論にほとんど参加をしてきました。

ですから、こういった定着したもの政府が、独断で変えてしまうと。つまり国民意見を聞かないで変えてしまう、というのはよろしくない、というのが基本的スタンスだと思いますね。

【古舘】そうですねえ。しかしながら、それが簡単にはそうはなって行かない、こう色んな力というものが働いているような気も同時にするのですが。ちょっと、ここが僕は大事だと、出発点として思うのですがね。

合意文書を手にしながら)

自民党公明党との連立政権合意の文書ですね。これは、安倍総理山口那津男代表、お二人のサインも当然最後にあるわけですが。

この合意は、まず筆頭は、東日本大震災から復興でありますし、その後はアベノミクスも含む景気・経済対策が2番目に来ていますし、3番目は消費税含む税と社会保障の一体改革。これが眼目でありまして、この憲法というのは、7つ目にありますけれども、憲法審査会の審議を促進して、憲法改正に向けた国民的な議論を深める、とだけある。

眼目から見ていきますと、このところ山口代表がしきりにおっしゃる印象があるのですが、

政治エネルギーというものを、この集団的自衛権方向ばかりに傾けて良いのでしょうか?」とおっしゃる。このあたりのことをぜひ伺いたい。

山口政権合意は、我々も安倍総理署名した、書いたわけですから、やはり総理大臣として、行政政府に何をやってもらうかという事を決める合意なのですね。ところが、集団的自衛権にせよ、憲法に関する問題というのは、むしろ立法府で議論すべきテーマ。だから自民党からは、「これを作る前に、集団的自衛権のことも含めて入れたらどうか」こういうお話も実際にあったのですが。しかし、それはやはり、立法府でやることだと。憲法改正の議論そのものも、国会で取り組むということは書きましたけれども、安倍政権がやるということは、ここからはずしたわけですね。

しろ、やはり国民の関心の高いのは、経済再生とか、被災地復興、また我々が野党の時に合意した社会保障と税の一体改革ですから、やはりこれにしっかり取り組んでほしいと。このことだけでも私は莫大な政治的エネルギー必要重要テーマだと思います

しかも、国民は一番関心が高いわけですから、それを違うテーマしか政権合意に書いてないテーマ政府与党が、そこにしゃかりきになっていると、というのでは国民の期待に沿ったものにはならない、ということは、はっきりしているのじゃないでしょうか。

【古舘】だとすると、公明党は、自公協議今日からまりましたけれども、徹底的に、これは納得できないという戦う决意は、おありになるのですか?

山口】これから協議ですからね。安倍総理大臣は、やはり主体的問題意識をお持ちになられて、合意にはなかったことを与党協議してくださいと、こう投げかけられたわけですから協議のものは誠実に今後もやっていかなきゃなりません。

しかし、そこに対象となるテーマというのは、非常に幅の広い、奥行きの深い、過去経験に照らしても、色んな問題点を含んでいるテーマばかりですから、それは安易協議ではなくて、議論を尽くして、与党の結論を出していくということが大事だと思います

【古舘】根本的なところなのですけれどもね、もう一つ伺いたいのは、アメリカというのは、我々は、この番組でも放送したんですが、ちょっと前に。アメリカの偉い方までインタビューでこう答えているのですね。「アメリカというのは、必ず間違った戦争をするんだ」と。例えば、大量破壊兵器結果的にはなかったあのイラク戦争に突き進んだ。

さあ、もしその時に集団的自衛権というものが、日本にあったとしたら、あのイラク戦争は、自衛隊サマーワに行った変則的な行き方ではない、復興支援という大義がない形で、アメリカと一緒に行っていたかもしれない、ということを考えるとですね。ここで集団的自衛権、おっしゃるように、長ーく、長ーく、国会を含めた国民的議論をやるべきだというところになっていくと思うのですが、どうもそうなっていないというところ。

山口安倍総理イラク戦争を例に出して、例えば「湾岸戦争とかイラク戦争とか、武力を使う、戦闘に参加するということは今後もない」と、いうことをおっしゃいましたね。だからイラク戦争については、サマーワに行ったことは例外として、今後戦闘に参加することはしないと。あの時も戦闘に参加した訳ではないのですけれども、そこの教訓というのはしっかり踏まえなきゃいけない。あれは、特別措置法という、ごくごく例外的対応でやったわけです。ですから、あれを一般的に、行うということは、当時の政府も想定していなかったはずですね。

【古舘】色々、本当に山口さんもお立場あるから大変だと思うのですが、昨日の講演でも、色々強く踏み込んで訴えかけられている中にですね、限定容認論で自民党ないしは、今の政権が押して来るけれども、限定と言っても、結果限定しながらも、その限定が拡大して行く懸念があるとおっしゃっている。相当、そのあたりは意識していらっしゃると思うのですが。

山口】そうですね。あの法制懇の報告書によると、「日本安全に重大な影響を与える可能性がある場合には、限定的集団的自衛権行使が認められる」と。それは安倍さんは否定しないで、政府基本的な考え方に沿う部分もあると、踏まえていると。それで、「今後研究したい」と。断定もしないけど、研究したいと、与党にも協議をお願いしたいと、こう来たわけですね。

ですから、この「日本安全に重大な影響を及ぼす可能性」、これは極めてあいまい概念だと思いますね。安全に影響を与えるって、どういうことが考えられるのでしょう。また、「重大な」というのは、どう判断するのでしょう。「可能性」だけで良いのでしょうか?しかも、誰が判断するのでしょう。政府にお任せ?そういうあいまい概念のまま、政府にお任せでは、これは重大な支障を招く可能性がある。もっと明確なものでなければならないと思いますね。

【古舘】昨日講演でこうも山口さんはおっしゃっていたと思うのですが、自衛隊員の方々に思いを馳せて、これはやはり急に海外武器を持って、戦に行って来いと言われた時に、もし、そんなことになってしまったら、「そういうつもりで自衛隊に入ったわけではない」と。そういう考えの方もたくさんいらっしゃるだろうと。だから自衛隊員が今後どう動くかということは、慎重に見て行かなきゃというところにつながると思うのですが。

山口】そうですね。自衛隊の方々は、極めて真面目な方が多いです。黙々と訓練に励んで、例えば東日本大震災の救援活動などは、本当に身を挺して、がんばられたわけですね。それは、彼らは、やはり、この日本の国のために、防衛であれば専守防衛災害派遣。あるいは万が一の治安出動。そういうことのために入って来ているわけですね。ですから、命令一つで、イラクサマーワに行くような時は、こんなはずじゃなかったと、内心色々と戸惑った方も多かったと思います

現実、昨日の講演でも申し上げたのですが、サマーワへ第一陣を派遣する時の隊員さんたちの壮行会。ご家族を交えて行いましたけれども、「うちの主人、うちの息子に万が一のことがあったら、どうしてくれるんですか?」と。あるいは、「どうして選ばれることになったのですか?」と。そういう非常に心配する声が、寄せられたことは事実でした。

【古舘】昨日もちょっとドイツに取材に行って、帰ってきたのですが、やはりアフガンの時に、NATO集団的自衛権のもとにドイツ軍は行って、いっぱい亡くなっているわけですね。ドイツ兵士の方が。そういう話を直に聞きますと、本当にこういうことを、色々比較にならないという言説も分かるのですが、根底は人を殺す、あるいは人から殺される、命を落とすということなわけですから。慎重にならなければいけないなと、強く思うのです。

そういう時に、これ山口さん、どうでしょう日本は、なんだかんだ良い面も悪い面もあったと思いますけれど、戦後70年、武器を使わずに、平和を貫いて、この国際社会でもなんとか、色々言われながら生きてきた。これ、もっと誇りに思っていいのかな、と思うのですが、いかがでしょうか。

山口】私は、そこの部分は大切にすべきだと思うし、それはアメリカの方々も、そうした日本のこれまでのやり方というのは、大切にすべきであると、おっしゃられましたね。

私が昨年、訪米した折にも国防省の高官の方が、そういう評価をされていらっしゃいました。つまり日本が長年、数十年培ってきたソフトパワー。ここは大切にすべきである。近隣の諸国に対しても慎重に対応すべきであると、そのことを強調されていました。

【古舘】どうも流れが逆に来ていますので、ここは自公協議含め、再三申し上げますが。山口代表北側さんも井上さんもがんばって頂いて、幹部の方を含めですね、やはり、「自衛隊員の方が死ぬかもしれないんだよ」ということと、今お話に出た70年間の重みというものもっと前面に出そうということ、どうかこう、会議の中で言ったらどうですかね?強く。

山口】それはもう、我々の基本方針ですので。これまでの安倍総理もこの間、おっしゃっていましたが、日本国憲法平和主義。これはこれからも守り抜いていくと、このことは明確に申し上げます、とおっしゃったのですね。

この日本国憲法平和主義というのは、従来政府がとってきた論理的整合性を持った考え方ですから、この論理的整合性を保っていくということと、憲法9条の2項が、特に2項に意味があるのですが、憲法9条意味をなさないような、そういうことにしてはいけない。その憲法9条の持つ規範、歯止めとしての役割。これを今後も果たして行かなきゃなりません。従来自分が、政府が言ってきた論理的整合性を保てるか、矛盾した説明ではいけませんね。

また、9条の持つそういう役割というものを今後も保っていけるか、時の政府政権コロコロ考えが変わるというような、安定性を損なうような、そういうものではならないと思っている。このポイントで、しっかりと議論をしていきたいと思います

【古舘】だとすると、もう解釈変更というのは無理で、やはり正面突破憲法改正を順序立てていくしかない、という提案はないですか?

山口】まあ、それは協議してくれ、というのですから、これから協議をして、議論を尽くしましょう。

【古舘】うーん。恵村さん、いかがでしょう。

【恵村】日本の国や国民を守ると言った時にですね、外交軍事というのは、車の両輪だと思うのですよね。山口さんは中国を考えた時に、訪中を自らなさるなど、外交重要性を常々指摘されていますけれど。一方で安倍政権は、どうも軍事の方に偏っているように私見えるのですね。集団的自衛権の議論をする前に、外交もっと議論すること、たくさんあるのではないでしょうか?その辺はいかがでしょうか?

山口】おっしゃる通りだと思いますね。外交関係がうまく行かない。かえって悪くしている。そういう側面もあるのに、この安全保障の面、ばかりが強調されている。非常にバランスが悪いという気がいたします。

やっぱり両方、そしてお互いに国際協力もっと大きな目でどうやっていくか。たとえば、シーレーンというのも日本けが使うシーレーンの部分もあるかもしれませんが、今や国際公共財なのです。韓国だって中国だってフィリピンだってアメリカだってみんなが使う海の道なのですね。それを国際協力でどうやって安全を確保していくか。そういうことを(※聞き取れず)議論するということの方が大事なんじゃないでしょうか。

【古舘】なるほど。

本当に中国に行かれて、習近平さんとお話をされている山口さんだから、ぜひお話を伺いたいのだけれど、やはり僕は、中国も変だなあと思いますのは、日本はそれなりに反省をし、謝罪もしてきた部分があるのだけれども、あんまり反日で利用されたり、色んなことをされてくると、もう反省疲れもあるわけですよね。謝罪疲れも。

からもっと建設的に、中国アメリカが仲悪いけれど、仲良くやらなきゃいけないという重層的な関係もあるのと同じように。日本中国も諍い合うだけじゃなくて、領土問題ちょっと領土置いておいて、これ日本は譲れませんからもっとこう、友好的なお互いにウィン・ウィンあるのじゃないか、というお話されていると思うのですが、反応どうなんですか?

山口習近平主席が、私と会談した時に一貫しておっしゃっているのは、中国覇権を求めることはしない、これは平和友好条約にも書かれていることです。これは一貫しておっしゃるのですね。だから、その通り、また、国際社会覇権を求めない、そういう客観的な動きをしているということを中国側もきちんと示す必要があると思います

それから国民同士の友好信頼関係というのは、もっと強めていく必要がある。それは交流を拡大するということが重要だと思います

それから日中の共通の利益。例えば環境PM2.5の問題とか、これはお互いに力を合わせて解決する。実績を作る。

それと、衝突を起こさないような仕組み。これはもう、いい線まで行って合意していたんですね。事務レベルでは。しかし、政治的合意になりかかったところで、これがキャンセル。そのまま据え置かれています。ですから、こういうこともきちんと合意を作り出す、そういう双方の努力必要だと思います

【古舘】ああ、そうですか。

山口】秋にAPECというのが、中国主催国で行いますので、ここで意味のある対話ができるように、双方努力すべきだと思います

【古舘】PM2.5からはじめ、本当に大事お話で、国境を越えて色んなことが起きているから、そこはもう手に手を携えてやるしかない、ということを山口さんをはじめ中国通の方々の責任でもあるので、そのあたりをぜひお願いしたいのと同時に、一方でこれはどうですか?

さっきも限定容認とか色々言いながら、具体事例の中にそれ以外のことも含まれてくる懸念で言いますと、中国で言います南シナ海で揉めている。フィリピンと、仮にあってはならんことですが、フィリピン中国が衝突したなんていう場合は、今まではないけれども、集団的自衛権というものがあった場合は、これはアメリカちょっと来てくれ、と言われた場合は、行かなきゃいけなくなるのですかね?

山口】んー、そういう場合は、行かなきゃいけなくなる可能性があるということで、慎重に考えなきゃいけないでしょうね。南シナ海の問題は、かなり国民の皆さんも心配されているのじゃないでしょうか。しかしまた、尖閣を巡る状況とは違うということも十分踏まえなきゃいけないと思いますね。

尖閣は、わが国が有効に支配している。こういう現状がありますから。そういうもとで、いたずらな衝突は起こしてはならないでしょう。だから、われわれ日本側としても、そういう不測の衝突を避けるような、つまり軍が出てくるような、そういう事態を避けるような対応というのは重要だと思いますね。

【古舘】関連して、今後公明党自民党と折衝していく上で、大変厳しいな、大変だなと思いますのは、例えば公明党側が言っている、「これは個別的自衛権の範囲だろう」と、言っている。公海上でアメリカ船と日本の船が並走している場合に、どっちが攻撃されたかからない状態で、例えば北朝鮮からの攻撃が仮にあったと、そうなった時には個別的自衛権での反応、行動ができるだろうと、言うのだけれども。

一方で自民党側は、幹部の方々が、一つ一つの事例を積み重ねていくと、これはもう集団的自衛権ということに必然的になっていってしまうだろうから、これはなんとか公明党さんと活路を見出したい、と言っているのを聞くとですね。これは今の艦船の例で言うと、1キロ離れていたらどうしますか?と。アメリカの船と日本の船が50キロ、100キロ離れていたらどうしますか?と。どっちが狙われたかわかんない、とか言ってられないからとか言って、どんどん、どんどん範囲が広がっていく。流動化する気がするのですね。このあたりをどういうふうにお考えですか?

山口】だからこそ、個別的自衛権というのは、わが国に対する攻撃があった場合ということで、集団的自衛権と明確に区別しているのですね。こういう規範としての役目というのが、重要だと思いますね。個別的自衛権対応できるという部分は相当あると思います

パネルのバツを指して)

この例でも、あそこをマルにすれば、わかりやすく説明できるという・・。

【古舘】(パネルのバツを指して)

ここですか?

山口】そうです。はい。そこを個別的自衛権対応できる。つまり、マルになるという部分は相当あると思います

【古舘】そうすると、こういうことがあり得るのかどうか、いろんな議論があるのですが。

山口】そこのリアリティ課題ですが・・。

【古舘】ただ、在留邦人が、アメリカ人が、アメリカの船で輸送してくれていると、朝鮮半島有事があった時に、仮に。その場合は、アメリカの船を日本が守るというのは、現時点では集団的自衛権になるからバツだけど、マルにするということは容認ですか?

山口だって、あれでしょ。公海上で米艦と一緒に、近くに自衛艦がいれば、それは自衛艦に対する攻撃と見ることもできるし、日本人を運んで、危機に瀕しているわけですから、これを放っておけば、日本に攻撃する

2014-05-19

集団的自衛権なんでそんなに急ぐんや

久方ぶりに地上に這い出て新聞を読みました。

幅広い教養と専門知識を兼ね備えた人材

とか自分には無理だと悟ってオタク路線まっしぐら。日を浴びる日がくれば良いなぁ。

さて世間流行を知ろうと新聞読んだんですけど、

この一週間のホットトピック

憲法解釈変更

アップル和解

ウクライナ住民投票

大久保代表選

辺りで大丈夫ですか。

TPP交渉は具体的な進展あったんでしょうか。

世の流れに取り残されてる僕は大丈夫ですか。

憲法解釈変更については首相会見があったそうですが、なんだか新聞の問答を見ていると、容認手続きの問題と集団的自衛権のものの是非がごっちゃに語られている印象を受けます

立憲主義に反するのではないかという質問に対して、「安全保障集団的自衛権必要だ」は答になっていません。

「96条改正でハードル下げてから条文変えるつもりだったけど無理なら解釈変更でもいいや!」

ということのようですが、集団的自衛権の容認を急ぐ理由ってなんなんでしょう。無茶は承知で押し通そうとしている感じがします。

尖閣問題はあるにせよ、中国とごりごり鞘当てするのは得策ではない気がしますが、安倍政権は会見でも「中国がいらんことするからしゃーない」的なことは言ってますよね。

米国中国と事を荒立てる気はないようですし、東南アジア諸国と良い関係築きつつ、尖閣諸島への自衛隊配備なんかで対応した方が良いのではないでしょうか。

集団的自衛権を認めたところで、じゃあ戦争だ!、となるとも思えませんが、それに付随する法改正国防関係予算の拡大、とか考えるとあまり平和的な方向には進みにくい気がします。

安倍政権集団的自衛権を迫る外力がいったい何なのか、自分でももっと調べてみますが参考に意見を頂けると幸いです。

2014-02-28

はてブ史上最悪のユーザー

id:m-matsuokaよりひどい奴いんの?

 

【特徴】

妄想を垂れ流すネトウヨ

idコール執拗粘着

論理が完全に破綻

 

【具体例】

慰安婦問題韓国捏造

アンネの日記事件の犯人在日韓国人

ナチスのホローコースト中国虐殺は「立憲主義」が原因で起きた

人権侵害の原因は憲法にある

日本国憲法は他国に侵略する権利日本に与えている

憲法社会を快適に動かすための「道具」である

日本リベラル北朝鮮中国独裁人権圧政権を賞賛する変人集団

差別主義者を批判するリベラル自分たちが差別していることに気付いていない

差別を好み、ホロコースト戦争賞賛するリベラル駆逐せよ

 

つい一昨日も犯罪予告で話題になったばかり。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140225/1393348802

2014-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20140223140809

何を今更。「護憲派」ってそもそも保守反動じゃん。

しかも「護憲」とは名ばかりで、自分たちの立場を守るためであればどんなデタラメでも平気で並べたてるじゃん。

護憲派ってのは改憲を議論すること自体違憲だとかそんな無茶まで主張するんですよ。

あるいは、内閣がその下部組織の決定を覆して憲法解釈を変えるのは立憲主義の否定だとまでいうんですよ。

それじゃなんのために改憲規定があるのかと。最高裁って何のためにあるのかと。あるいは、一票の格差は例えば現在衆院2倍、参院5倍までは容認されているけれどこれは甘すぎた、というような解釈変更も立憲主義の否定なのかと。それこそ芦部憲法どころか小学校教科書読めばわかることだろうに。

欧州英連邦諸国では当たり前の「君主元首規定」することを民主主義の否定だというような連中が、別のところでは都合良く「大御心は護憲であるぞ」と皇族政治利用をするくらい、今更なんだっていうんですか。

連中は最初からクズなんですよ。色んな宗教原理主義者が経典自分の都合の良いところだけつまみ食いしてるのと同じような憲法原理主義者なんですよ。

こういう「保守反動」の政治生命を絶ち、社会的に滅ぼさなければ、日本民主主義は程度の低いままでしかないよ。いやマジで

2014-02-17

id:m-matsuokaブコメがひどすぎたので、憲法の基礎知識を解説する。

id:m-matsuoka

"現場で活動している首相に知識自慢したいアホ弁護士が群がった案件id:stattly101憲法社会を快適に動かすための道具であって、「憲法の○○を知っています」という知識自慢で相手を見下すためのものではない。"

立憲主義思想ポイントは「憲法社会を快適に動かすための道具」ではないというところにある。

憲法は「法律」ではない。

法律」の上位に位置するものであり、、「社会を快適に動かすための道具」である法律が、国民虐殺したり、自由・平等に反するものにならないよう、統制する機能をもったものだ。

そしてまた、社会的権力を持った人々(例えば、首相)が自分たちに都合のよい法律勝手に作ることができないようにすることで、国民保護する機能も担っている。

従って、憲法は「法律」ではないし、「道具」でもない。

憲法を「社会を快適に動かすための道具」だと考えて、無茶苦茶になった国がかつてあった。

それがドイツだ。

ナチスヒトラーが台頭し、ユダヤ人虐殺する法律などが好き放題に作られ、反逆者も処罰された。

戦後ドイツはそれらへの反省から、『憲法』は「社会を快適に動かすための道具」ではなく、それら制定法一般の上位として、(原則的に)侵害してはならないものだとみなされるようになった。

(無論、戦前ドイツ外国々でも、特に共産主義国近代以前の国など、憲法による人権保護の無い地域時代において、支配者による民衆の抑圧が日常茶飯事であったことはいうまでもない。)

ここまで読めば、今回の弁護士有志による首相への教科書贈呈が、「人を見下したいだけの知識自慢」などではないことがしっかりと分かるはずだ。

もしそれが侵害されれば、日本民主主義社会でなくなってしまうようなもの、それが憲法なのだ

またそれは、日本国民であれば当然知っておかなくてはならない国の成り立ち・社会歴史でもある。

首相であれば、なおさら知っておかなくてはならないことは言うまでもない。

2013-12-12

自民党流行語大賞2013が決定

2ch嫌儲板で自民党流行語大賞2013がいつの間にか決定していた。

http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1386690225/

受賞語

131 名前番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[sage] 投稿日:2013/12/11(水) 22:36:21.76 ID:VlOachBQ0

大賞

「完全にブロック

入選

デモテロ

山本太郎天誅

ナチスに学べ」

奨励賞

片山satuki」

敢闘賞

総理大臣第三者機関

技能賞

「信じたくない」

特別

「TPP反対。ブレない」

受賞語解説

[大賞]完全にブロック

安倍晋三首相が、東京電力福島第一原発汚染水漏れめぐり9月東京五輪招致演説で「完全にブロックされている」と明言。

[入選]デモテロ

石破茂幹事長が、特定秘密保護法案反対のデモが起きる中、ブログで「デモ本質テロ行為に通じる」と記述

[入選]俺なら近づいてすぱっといく(山本太郎天誅

鴻池祥肇防災担当相が、派閥の会合で、秋の園遊会天皇陛下手紙を手渡した山本太郎議員に対し「天誅を加えなきゃいかん」と非難し、山本議員宛てにナイフが入った封筒が届いた事件に関しては「切腹用の刀が送られたそうだ」「犯人は私ではない。私は近くに寄って、すぱっといくから。間接的な殺人はしない」と述べた。

[入選]ナチスに学べ

麻生太郎副総理が、7月の講演で、憲法改正をめぐってナチス政権を引き合いに「手口に学んだらどうか」などと発言した。

奨励賞ローマ字でtsuではなくtuを使う人のお郷が知れる(片山satuki)

片山さつき参院議員が、8月2ch流出情報に「satuki katayama」という名前があったことをツイッターで問われ、「ローマ字でtsuではなくtuを使う人のお郷が知れる」などとツイートしかし本人の公式サイト等でも「tu」表記が使われていた。

敢闘賞総理大臣第三者機関

安倍晋三首相が、特定秘密保護法案の審議で、政府内に設置する「保全監視委員会」関して、「首相がチェック機関役割を果たす第三者機関」と役割を説明した。

技能賞]信じたくない

小野寺五典防衛相が、スノーデン情報を元にした、NSA監視対象日本も入っていた、という米紙報道について、記者会見で「同盟国間を含め、さまざまな友好国との信頼関係を傷つける行為は決して望ましいことではない。報道は信じたくない」などと述べた。

特別賞]ウソつかない。TPP断固反対。ブレない。 日本を耕す自民党

昨年12月衆院選挙で使用された自民党ポスター

その他ノミネート


今年の選考期間外でノミネート入りを逃した言葉

2013-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20130923000716

おまえが水の入ったペットポトルをおもいきりステージに投げつけて

傷害罪現行犯逮捕されて暴れて追い出されたことを恨んでるだけだろ?

暴力右翼を追い出すのはあたりまえで、それで差別されたとかどうかしてる。

 

そもそも憲法市民国家権力に守らせるルールであって

国家市民に守らせるためのルールじゃない。

まして暴力右翼の恨み言をきかせるためじゃない。

立憲主義わからん無知なバカ右翼め。

   

なにを言っているのかわからないなら

ここで1年間勉強してこい

 

http://www.magazine9.jp/gakko/

2013-07-18

参議院議員選挙についての雑感――自民党ブラック企業

若い世代の方にとって、今回の参院選ではどういうことが話題になったでしょうか。「ブラック企業」と名指しで批判されることも多い、ワタミ渡邊美樹候補を自民党擁立したことでしょうか(ここではワタミが実際に「ブラック企業であるかどうかは問いません)。

ブラック企業」と呼ばれる企業は、労働基準法抜け道をつかい若い労働者を長時間働かせます。もちろん、低賃金で、です。そのような扱いを受けた労働者のなかには、体調を崩し、「うつ病」に近い状態になり働けなくなってしまう人もいれば、自殺をしてしまう人もいます。「ブラック企業」は、どうしてそんなひどいことをするのでしょうか。

ブラック企業」の経営者は、国内や国際の市場における競争に勝つためには、経営努力必要であるといいます。つまり、売上を増やし、売上をつくりだすために必要コストを最大限に下げるのです。際限なくコストを下げようとするとき、まっさきに削られるコスト人件費、つまり労働者賃金です。

そんなひどい低賃金長時間労働をさせられるのなら、退職すればいいじゃないかもっといい会社転職すればいいじゃないか、そうすれば「ブラック企業」などなくなってしまう、と考える方もいるかもしれません。

しかし、現代就職難の状況では、生活していくためのお金を稼ぐために、厳しい労働環境職場を選択しなければならない人々がたくさんいます。誰かが退職しても、いくらでも新しい労働者が「ブラック企業」に供給されるからこそ、「ブラック企業」のようなやり方を続けていくことができるのです。「ブラック企業」は、「お前がやめても代わりはいくらでもいるぞ」と労働者恫喝します。だから労働者労働環境改善するような声を挙げることが非常に難しくなってしまます

まり、「ブラック企業」で働く労働者には、企業の言いなりになって奴隷のように働くか、退職して厳しい求職活動を行っていくかの2択がつきつけられるのです。背に腹は代えられません。いくら低賃金でも、お金がなければ日々を生きていくことはできません。その結果、労働者自分の自由を犠牲にしてでも、ブラック労働環境で働きつづけることを余儀なくされます

さて、一部からブラック」と呼ばれる渡邊美樹候補は、こんなことを言っています。つぎの演説をみてください。

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/90354

この演説のなかで彼はこう言っています

日本のこの国を立て直すとしたらですよ。確かに社会保障費、そう動かせないお金もありますしかし半分にしたらですよ。この国、立ち直るんですよ!」

国には、たしかに「経営」としての側面があります。その点では、国の運営にかかるコストを少なくすることが大事でしょう。

ワタミ渡邊美樹候補は、会社経営を合理化するように、社会保障費を縮小し、国の経営を合理化したい、と言っているのです。

社会保障費」は、働けなくなった人、病気をした人、高齢者などの生活を支えるための重要費用です。すこし前に、生活保護不正受給が問題になりましたが、実際のところ、生活保護不正受給というのは、全体のわずか1.8%にすぎません(2010年データ)。もちろん不正受給は許されるものではありませんが、専門家は、生活保護に関してはむしろ、本当に生活保護必要な人に支給できていないことが問題だと指摘しています。つまり、実際には生活保護必要なのに、生活保護が支給されていないケースが非常に多いのです。

このように考えると、渡邊美樹候補の主張に疑問を感じる方も多いのではないでしょうか。

からワタミ渡邊美樹候補を批判しつつ、彼を擁立した自民党を支持するという意見を聞くことがあります

しかし、そのような立場は本当に正しいのでしょうか?

国の経営を合理化し、国際競争に勝つために労働基準法そっちのけで労働者使い捨てるいわゆる「ブラック企業」の精神は、現在景気を回復させはじめた経済政策アベノミクス)を武器に、さまざまな労働改革を行い、社会保障を引き下げ、生活することすら困難な日本に住むマイノリティを排除しようとする自民党精神と同じであるように私には思えます

いわゆる「残業代ゼロ法案」であるホワイトカラーエグゼンプションを推進したり、企業労働者解雇やすくする解雇規制緩和を推し進めようとしているのは、自民党です。安倍首相は、アベノミクスによって60万人の雇用をつくりだしたと主張していますしかし、実際に増えたのは非正規雇用が116万人であり、正社員は47万人減少しているのです。国の経営合理化によって、今後も不安定な非正規雇用を強いられる傾向は、今後どんどん高まっていくのではないでしょうか。

そのほかにも、自民党憲法を改正し、立憲主義の原則を取り壊し、これまで保障されてきた基本的人権を縮減し、自衛隊を「国防軍」として位置づけることによって、日本軍事力を明確にもつことができるようにしようとしており、その点でも多方面から批判されています

しかし、それでもなお、自民党経済政策に期待する声があります

そういう人は、おそらく次のように考えているのではないでしょうか?

―― 「国際競争のなかで日本が負けてしまったら、大変だ。うちの会社がつぶれると、自分も食えなくなる。だから自民党の多少の欠点には目をつぶって、日本をうまく経営してもらいたい。それが結局のところ、自分利益にもつながるのだ」、と。

しかし、この考えは、「うちの会社ブラックだけど、自分サビ残してでも何とかしないと、自分の職がなくなるから困る。食えないのは困るから、ここで働くしかない」という、「ブラック企業」で働くことを余儀なくされている労働者の考えとまったく同じです。

ブラック企業」やそれに近い労働環境で働く人たちは、自分のことを「社畜」などと呼んで、ブラック労働環境ネタ化して、無害化することがあります。ならば、「ブラック企業」と類似した考えによって行われる経済福祉政策を肯定する人たちは、自分のことを「国畜」と呼ぶのでしょうか。

社畜」「国畜」などとネタ化すると、本質が見えなくなります。それは、たんに「奴隷」なのです。賃金がなければ、お金がなければ生きていけないから、基本的人権は制限されてもしょうがないし、社会保障はどれだけ削られてもしょうがない、という考えは、お金という鎖につながれた奴隷以外のなにものでもありません。

無理やりの原発再稼働、ブラック企業正当化国防軍必要だという声。これらに共通するのは、恫喝ものごとを動かそうとすることです。権力者はつねに次のように言います。「原発を動かさないと経済ダメになるぞ! 労働基準法など守っていては国際競争に負けてしまうぞ! 中国韓国に侵略されるぞ! 」、と。

このように、危機に乗じて威圧的論理をつかい政治を動かそうとすることを、ナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」と呼んで批判しました。

もっと簡単にいえば、それは「(現在の危機に対して)いつやるの? いまでしょ! いまやらなければ、さもないとひどいことになるぞ!」という論理です。

こういう論法は非常に威勢のいいものです。たしかに、いますぐ何かをやって、変えてくれそうな気がします。しかし、その一方で、「いま」の危機がどういうものであるのか、という点は覆い隠されてしまます。たとえ国際競争に負けるからといって、過労死者をだすような労働環境正当化されるでしょうか。たとえ経済ダメになるからといって、活断層の上にある原発を動かしていいものでしょうか。

その意味で、例の「いつやるの? いまでしょ!」の人は時代の申し子というか、およそ考えうる最高の(最悪の)タイミングで出てきたわけです。

少しうがった見方をすると、ワタミ渡邊美樹候補というのは、今回の参議院選挙における自民党支持のための逆説的装置なのではないでしょうか。

まり、こういうことです。――世の中では、自民党の勢力が強いらしい。かといってその流れに単に乗るだけでは自分は「自由」ではない。しかし、ワタミ渡邊美樹候補を批判することができる私は「自由」であり、自分で「主体的に」政治についての情報を得ている。だから私は政治を「知っている」。 このように考えることができるというわけです。

要するに、「ブラック企業」といわれるワタミ情報インターネットから得て、それを批判することによって溜飲を下げ、安心して「自由な主体」として自民党を支持できるというわけです――「私は自民党にどっぷり浸かっているわけではない、批判もしている。それゆえ私が自民党を支持することは自由の証である」、と 。

しかし、そのような「自由」は本当の意味での自由でしょうか?

この参議院選挙のあと、自民党憲法改正にむけて大きく舵を取ります。彼らの改正案は、どういうものでしょうか。

その一番の特徴は、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していることです。たとえば、自民党改憲案では、表現や集会や言論の自由は、たしかに保障されていますしかし、この自由は「公益及び公の秩序を害することを目的」とする場合には、保障されません。この規定によって、たとえば今の政府についての批判を行うことが「公益及び公の秩序を害する」と権力者が判断すれば、そのような批判は制限されてしまます政府を批判することすらできなくなってしまう可能性があるのです。

もちろん、批判する必要のないほど完璧政府であればいいでしょう。しかし、日本に生きる全員にとって「完璧政府」などというものが、はたしてありうるでしょうか。

それでも、景気の回復だけを理由に、自民党を支持することができるでしょうか?

こういう逸話があります

ある男が暴漢に拳銃をつきつけられ、「自由か死か!」と問われますふつう、死にたくはないですから、「自由」を選びますしかし、「自由か死か!」という二択を迫られたときに「自由」を選んでしまうことは、その選択を暴漢から強制されることにほかなりません。ならば、その男は、自分が自由であることを示すためには、「死」を選び、自由を放棄するしかありません。こういう逆説がいま、現実に起こっているのです。

経済政策武器に、私たちの自由を奪うような憲法改正を行うとする自民党を支持することは、自分が自由をもっていることを示すために、表現の自由も思想・信条の自由も、さらには基本的人権すら売り渡すことに他ならないのです。

実際に、いままさに私たちの「表現の自由」が制限されはじめつつあります。興味のある方は、次の記事をしっかりと読んでおきましょう。

http://kiikochan.blog136.fc2.com/?no=3113

世界歴史の至るところで、私たち私たちの「自由」を獲得するために、数多くの努力を行ってきました。その結果が、現行の憲法の「思想及び良心の自由(第19条)、表現の自由(第21条)、学問の自由(第23条)」です。こういった自由は、おそらく、あっさりと奪われてしまます。そして、こういった自由をふたたび取り戻そうとするときには、数多くの血が流れることは間違いありません。そのことは、歴史証明しています

すでに長くなってしまいました。

しかし、もう少し伝えたいことがあります

ここまで読んできてくれた方のなかには、「いや、そうは言っても外交問題などは、自民党以外にはまかせておけない」と言う方がいるかもしれません。

ところで、今の若い世代の方のインターネット上の発言をみていると、少なからぬ方が、いわゆる「2chまとめサイト」(「痛いニュース」「保守速報」「アルファルファモザイク」など)のURLSNSに貼り付け、それを情報源として政治について語っていることがよくあります中国韓国北朝鮮といった東アジア外交問題に関しては、とくにその傾向が強いように感じます

しかし、そのような「2chまとめサイト」を情報源として利用することは、とても恥ずかしいことだと私は思います

なぜなら、いわゆる「2chまとめサイト」は、その名の通り「2chで話題になったことをまとめた」ものではないからです。

この点について興味のある方は、次のURLを参照してください。

http://anond.hatelabo.jp/20130705113110

若い世代の多くの方が、「2chまとめサイト」をTV週刊誌などのマスコミから伝えられる情報とはちがった「自分で手に入れた真実情報」として受け取っていますしかし、「2chまとめサイト」は、その話題を提供するプロセスから、その記事作成に至るまで、実はごく少数の人物によって管理されているのです。

多くの「2chまとめサイト」は、嫌韓民族差別ネタを娯楽のようにパッケージ化して私たち提供しています。本当に愚かなことですが、「差別」はもっとも簡単に娯楽になるのです。差別を娯楽として提供することが一番PVを稼げるから、結果として思想的な偏向を生み出しているわけですね。

しかし、その娯楽を享受し、そのURLを嬉々として貼り、情報/娯楽として消費する行為は、まるで、いとも簡単に餌につられ、その餌に群がる昆虫のようではないでしょうか?

少し、個人的な話をさせてください。

私はたぶん2chとの出会いは早かったほう(たしか2000年)だと思います

2ch最初に見たとき、歯に衣着せぬ酷い書き込みの嵐に、「あ、これが筒井康隆が言っていた「ブラックユーモアは厳しい自己認識の手段である」ということなんだな」と思いました。そのことをよく覚えています

作家筒井康隆の作品には、さまざまな差別ネタや障害ネタが登場します。そのため、筒井は「2ch以前から一人で2chみたいなことをやっていた人」のように言われることがあります

しかし、彼の作中での差別や障害ネタは「差別を見て笑って/楽しんでしまう私のおぞましさ」を発見するための装置なのである、と筒井は語っている。私たちは、いくら「差別はいけない」と思っていても、実際に差別を目にしてしまったときに、笑ってしまう、その差別を楽しんでしまうことがあります。そういう「私」のおぞましさを発見させてくれるのが、「厳しい自己認識の手段としてのブラックユーモア」だということです。

文学価値としてはパロディよりもブラックユーモアのほうが高いとされている。なにしろ ブラックユーモアは16世紀のイギリスで発生してこのかた5世紀というスウィフト以来の伝 統を持っていて、それはすなわち死体をもてあそび、宗教冒涜し、病人をいたぶり、糞尿を 好み、身障者を笑いものにし、極端な人種差別をするというものであることはご存知のとおり である。それはまさに人間が、人間であることによって否応なしにもたされた醜さをすべて暴 き立てられ、鏡のごとく自分の醜さに対面させられ、叫ぼうがわめこうがどうしようが、それ を自らの笑いによって証明させられて認識せざるを得ないという、いわば厳しい自己認識手段 なのである。この伝統を守り、20世紀の日本などという建前社会おいて消滅させたりして はならないと孤軍奮闘してきたつもりであったが、今や世の底流はほうっておいてもブラック ユーモア指向しはじめた。「偉い人」だの「尊敬すべき人」だのといった言葉が出てきた限 りは、以後そういうことを言い出した人自身が自分の醜悪さの中にまみれてもらわねばならな い。どうやらまた何かしら倫理を作ろうとする連中がちらほらしはじめている。人間人間倫理など作れるほどの偉いものなのかどうか、自分の魂の地獄サイコダイバーとなっており ていってもらい、じっくり見てもらおうではないか。もちろんおれも一緒だ。安吾先生ではな いが、堕ちるところまで堕ちた人でないと倫理の何たるかすらわからない。

(『笑犬樓よりの眺望』http://sound.jp/kita-g/black.htm より引用)


初期の2chには、おそらく「厳しい自己認識の手段」としてのブラックユーモアがあったように思いますしかし、現代の「2chまとめサイト」は、その差別ブラックユーモアを単に娯楽として消費されるようにパッケージ化しています

こういったサイトの「情報」をもとに、政治の話をするのは、もうやめにしませんか?


最後に、映画監督想田和弘さんと、哲学者木田元さんが今回の参院選について語った言葉引用しておきます

マジでおかしいよ、自民党マジでブラック化している。 」

「僕は別に自民党に恨みがあるわけじゃないんだけどいまだに原発進めたり海外に売ったりTPP公約違反を犯してだまし討ちで進めたりトンデモ改憲案を出したり軍法会議検討したり生活保護切り崩したりワタミ会長公認したりとあまり最近ブラック過ぎて絶対投票するのはやめて欲しいと言いたい。 」

時代には勢いがあります。今ならば、ちょっと右寄りの方がかっこいいとか、そろそろ憲法改正必要だとか、昔日の日本の威光を取り戻そうとか、そういう動きですね。それらに安易同調したり、勝ち馬に乗ろうとしたりすると、とんでもないことが待っているかもしれない。… 戦前日本孤立を決定づけた国際連盟からの脱退に国民拍手喝采しました。その愚を繰り返さないように立ち止まって考え、『勢い』をチェックして、場合によっては抑えることが必要でしょうね。賢さと言い換えてもいい」

http://

2013-04-05

http://critic5.exblog.jp/20243840/

長谷部恭男作為 - 「リベラルデモクラシー」の欺瞞

http://critic5.exblog.jp/20243840/

ブログコメント欄に書き込もうとしても弾かれるのでここに書く。

"「立憲主義から憲法を概論するという場面に遭遇したことがない。ロックルソー自然法思想と社会契約フランス人権宣言、ワイマール憲法平和主義という歴史的流れで日本国憲法が説明されるのが一般論だった。"

個人の人権を擁護保障することにより国家権力を制限するというのが「立憲主義」なわけであり、「ロックルソー自然法思想と社会契約フランス人権宣言、ワイマール憲法平和主義という歴史的流れで日本国憲法が説明される」≒「「立憲主義から憲法を概論する」ということなので、上の引用部分はおかし記述ですね。

"近代国家憲法を基礎づける思想は三つで、立憲主義ファシズム共産主義だと言うのであり、冷戦共産主義が敗北し、立憲主義が勝ち残ったと言う。"

一般的な理解では、「近代国家憲法を基礎づける思想」には「ファシズム共産主義」は含まれず、立憲主義がありますね。明治憲法伊藤博文立憲主義憲法理解を示していましたが、権力を縛るには不十分であったためアジア太平洋戦争という結果に至り、改めて立憲的意味での憲法として制定されたのが日本国憲法ですね。

"長谷部恭男立憲主義を説明するとき、何度も「多様な価値観を互いに認め合う社会」の重要性を繰り返し、小林節枝野幸男が唱えて言論空間を席巻したところの「国家を縛るもの」の契機が二の次になっているので、"

多様な価値観を互いに認め合えるよう国家に自由を保障させることそのもの国家を縛ることですから二の次になっているというのは全くの誤解ですね。

"政治方面から改憲論(自民党)には消極的であり、保守的護憲論とも言える立場なので、"

"憲法学アカデミーの主流が護憲であったなら、これほど反動的で反憲法的な政策や法律判決が溢れるのはおかしいではないか。"

憲法学者憲法学者であるし、立憲主義者は立憲主義者であり、改憲論者でも護憲論者でもないです。日本国憲法主義者が他者にも日本国憲法主義者であってほしいと言ってるだけの記述ですね。

"憲法改正論のところでも奇妙な記述がある。「憲法9条の改正論についても同じことがあてはまる。従来の政府解釈で認められている自衛のための実力の保持を明記しようというだけであれば、何の『意味』もない改正である」(P.21)。"

憲法改正前と後で国家権力のできることに変わりはないので当然の記述であり奇妙ではないですね。

"この憲法平和主義原理を基本として制定されたものであり、300万人の犠牲の上で戦争放棄と戦力不保持が宣誓されていることが考慮されていない。日本国憲法は、立憲主義よりもはるか平和主義憲法である。「憲法とは何か」と題を立て、読者・学生日本国憲法を説明するなら、何より平和主義から説明しなくてはいけないのではないか。前文を見よ。半分は平和主義が語られている。「多様な価値観を認める」などとは書いていない。この憲法戦争肯定論者の価値観を認めてはいない"

日本国憲法に規定された国民の自由や人権を保障する上で自衛隊警察のような実力組織必要ですよね。「立憲主義よりもはるか平和主義立憲主義国家権力を制限し個人の自由や人権を守るという考えであって、その上で平和希求があるものですよね。もちろん今の政府議会平和希求・実現の努力が充分であるということではないです。

"本当は、他先進国憲法よりもずっとラディカルな理念を持ち、現実社会にラディカルな民主主義要請する憲法を、その性格を剝ぎ取り、脱色させ、すなわち憲法の牙を抜く言説が、長谷部恭男立憲主義リベラルデモクラシーなのだ日本国憲法は、リベラルデモクラシーではなくラディカル・デモクラシー憲法である"

「ラディカル・デモクラシー」を理想とするのは結構ですが、「ラディカル・デモクラシー」が日本で実現されているわけではないし、日本国憲法は当然 絶対民主主義憲法ではなく(というより「絶対民主主義憲法」はそれはもはや「憲法」ではないが)、「民主権力であっても暴走することがあるため、憲法により縛る」という立憲民主主義憲法である日本国憲法なんですよね。

6、7段落は全く意味不明ですね。

終わり

2012-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20121209235515

バカだろ。

憲法9条なんて俺的にはどっちでもいいんだよ。

自衛隊差別され続けてきたってのも信じないけど、それ以上に国防のための実力手段を持たない国家ってのが信じられないんでね。

ただ、立憲主義を否定するのは憲法じゃないってことだけ言いたいの。

それはともかく、妻愛してる。

2012-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20121209005834

自民党改憲草案リベラルの敗北(http://anond.hatelabo.jp/20121208120311)は、有識者によって書かれたとても価値のある記事

何の冗談なんだろう?有識者って言葉意味が分からない。

自民党改憲草案は、立憲主義という概念を完全に覆す逸品なんだけど、そのことを指摘しないのが有識者とか、いったいそれ何の有識者なんだろう。

自民党的には有識者なのかもしれないけどね。

そもそも、自民党が言う伝統意味がよくわからない。伝統というならば、帝国憲法立憲主義を導入したのだって以前の伝統からすれば違っているわけで。

伝統伝統言うならば、御成敗式目に戻ればいいじゃんか。

五箇条のご誓文だって伝統に反するんじゃないか

逆に帝国憲法だって伝統だというならば、日本国憲法だって伝統だ。

伝統に依拠して人権を語るとか憲法を語るとか、バカとしか言いようがない。

立憲主義を導入した時点で、権力というものは制限されるべきものだし、人権は天賦のものだし、憲法権力を縛るものであって国民を縛るものじゃないはずなんですけど。

それはともあれ、妻愛してる。

2012-05-29

「いそざき陽輔のホームページ」を眺めた

時々、憲法改正草案に対して、「立憲主義」を理解していないという意味不明の批判を頂きます。この言葉は、Wikipediaにも載っていますが、学生時代憲法講義では聴いたことがありません。昔からある学説なのでしょうか。

というツイートで人気の自由民主党憲法改正推進本部事務局次長・起草委員会事務局長いそざきさんのHPを読む

http://www17.ocn.ne.jp/~isozaki/index.htm

http://www17.ocn.ne.jp/~isozaki/myopinion.html

 第4項で、現行憲法では、天皇国事行為には、内閣の「助言と承認」が必要とされていましたが、天皇行為に対して「承認」とはいささか礼を失するものであることから、「進言」という言葉に統一しました。従来の学説でも、「助言と承認」は一体的に行われるものであり、区別されるものではないという説が有力であり、「進言」に一本化したものです。

礼を失するってなんだろう。

実質が「助言と承認であるものを、それを「助言と承認」と呼ぶことは礼を失するが「進言」といえば失しない、ということはあるんだろうか。

実質が「助言と承認である行為をすること自体が礼を失する、という意識と結びついてないだろうか。

 党内議論の中で、「国民の国を守る義務ついて規定すべきではないか。」という意見が、多く出されました。

わーお

 ここで、従来の「公共の福祉」については、全て「公益及び公の秩序」と言い換えることに、平成17年憲法草案ときに整理されています。「公共の福祉」という言葉はやや概念曖昧であり、普通言葉に換えれば「公共の利益」のことであって、一言で言えば「公益」のことです。それに加えて、権利の行使が社会秩序を乱すものであってはならないので、「公の秩序」という文言を添えたものです。「公の秩序」というと、すぐ「反国家的な行動を取り締まる考えか。」と聞かれますが、「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味しています。他人に迷惑を掛けない行為であれば、規制の対象になることはありません。

ここも「助言と承認」と同じことをおもう。

今までと同じもの普通言葉に言いかえるだけだ、みたいな口調だけど、

今までと同じように運用すべきとは思っていないよねあなたたち、って。

 第13条は、従来幸福追求権の規定と言われており、そのことに変更はありませんが、「個人として尊重される」という部分については、個人主義助長してきた嫌いがあるので、今回「人として尊重される」と改めました。従来の「個人として尊重される」がやや意味不明文言であり、「人の人格を尊重する」という意味で「人として尊重される」で十分と考えたところです。

「個人」と「人」ではずいぶん違うと思う。

まり変わらないと考えているのか、違いがあるとした上で「人」とするべきだと考えているのかはっきりしてほしい。

 第59条の法律案の議決及び衆議院の優越においては、最終的に何も変更しませんでしたが、党内議論の中で、第2項に規定する参議院で否決された法律案を衆議院で再議決する場合の要件について、「3分の2以上の賛成から引き下げて、ねじれ現象ができるだけ起きないようにすべきではないか。」という意見がありました。それを「過半数とする。」という意見もありましたが、それでは「参議院存在を否定するものだ。」という意見が大勢でした。中を取って10分の6とする意見もありましたが、法令議決権の規定で10分の6というのも前例がなく、この部分の変更はしないこととしました。

こういう話はおもしろい。

なんで2/3はよくて6/10ダメなんだろう、とか話しながら思うんだろうな。根拠ないもんな。

 第6章 司法

 司法制度については、大きな変更はしていません。第4章国会、第5章内閣と来れば、第6章は「裁判所」となるはずなのですが、どういうわけかこの章だけ「司法」という章立てになっています。このことを直そうとも考えましたが、やめておきました。

なんでだろう。裁判官がおこるのかな。



俺はたぶんサヨク気味なのでいろいろ反発するけど

いそざきさんが頭いいかいかつったらバリバリいいだろうと思った。

立憲主義についてはドンマイな偶然ちゃうのかな。

ただし、事後対応は下手だとおもう。

自分が知らないだけのことを「意味不明の批判」呼ばわりした点について謝らずにごまかそうとしてる。

2011-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20110114155434

どうだい、じゃない。それって残虐な刑罰として憲法36条で禁じられると思うけど。

憲法というのはわれわれの常識的な倫理や、それに公権力を加味した法が、そのまま実行すると何か問題になる場合に、その解決のためにできたものだ(立憲主義以降は)。

残虐な刑罰は、残虐な刑罰を受けたくない被疑者を追い詰めて、捏造された証言を導き出してしまうことになる。

それは事件を形の上だけ解決させる(そして担当役人出世させる)にはいいけど、刑法裁判がまともに機能しなくなる。そんなの国家運営の観点からまかりならん。そんな感じ。

2010-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20101213012010

本当は国家行政地方行政表現規制するのは全部NGというのが基本です


表現の自由人間関係社会を構築するコアの一つで、これを破るにはプライバシー柳美里とか)や、絶対であるべき思想・良心の自由および生命・身体の自由くらいの強力な人権が要る。

個人主体ではない、社会全体の概念である公序良俗わいせつ人権で破るのは大変筋が悪い(破れる、と根拠なく思っている人が多すぎるけど)。


これは自由主義以後の鉄則で、これを守らない国は基本的に自由主義国家はない(この定義だと自由主義国家は世間で言われているよりかなり少なくなるが)。

自由主義より優れた人権思想があれば別だけど(普通はこれに民主主義立憲主義が結合するし、場合によっては社会民主主義新自由主義が結合する)、まだない。

日本は今はそれに従っているし、変わらないはずだから国家として、地方として、法として、これを破っちゃいけないのだ。

大原則としてはそんなとこ。細かいところはさらに色々あるけど、めんどいのでこの投稿ではパス

2009-12-27

簡単な立憲民主主義の話

日本は立憲民主主義国家である。

立憲主義とは権力の制約のあり方の話で、絶対主義と対置されるべき物である。

民主主義とは権力の所在の話で、君主主義と対置されるべき物である。

 

立憲主義民主主義は、絶対王政から市民の多数派へと権力を移行させる過程で発展して来た。

王権神授説を前提とする絶対王政に対し、貴族達が、立憲主義により王権を制約した。

立憲主義により弱体化した王・貴族から、市民が、民主主義によって権力を奪取した。

そういうわけで、今は立憲民主主義が多くの国で採用されるところとなっている。

 

しかし立憲主義民主主義は時に対立する。

立憲主義はいかなる権力であれ制約するので、民主権力に対しても制約的に働くからだ。

立憲主義がもとより王や貴族から権力を奪うための手段に過ぎないと考えるならば、民主化が達成された今日では、もはや立憲主義は廃止すべきとの考え方もあるだろう。

しかし、民主主義体勢下の権力にも抑制が必要であると考えるならば、なお立憲主義は必要な枷といえる。

 

さて、民主主義というのは全国民による統治を理念として掲げているが、実際には多数派による統治に過ぎない。

「最大多数の最大幸福」は、最大多数に含まれない物の存在を前提としている。

一人の王、数百人の貴族による統治に比べれば、国民の半数以上による統治が「大幸福」を導くことは明らかであろう。

多数決原理よりも多数に権力を行使させうる現実的な手段が見つからない以上、多数決こそが「最」大多数の「最」大幸福を実現する手段である。

しかし、そうであるならば、民主主義によっても少数者の幸福は実現されない。

多数派が行う少数者への配慮などというのは、国王貴族国民に対し道徳的(あるいは自益的)見地から善政を布くことと原理的に相違ない。

立憲的でない民主主義体勢下の少数派は、絶対王政下の国民が善き王を期待するのと同程度にしか、幸福を期待できない。

多数派がひとたび牙を剥けば、少数の共産主義者やユダヤ教徒は迫害され国外に逃亡する他なくなるのである。

 

民主主義は、少数派の犠牲の元に多数派の幸福を実現する危険を孕む。

多数派の幸福のみならず、社会全体の幸福さえも、少数派の犠牲によって増大しうる。

社会全体の利益のためには、一部の人々が犠牲になっても良い」と考えるならば民主主義を採れば良い。

そう考えないならば、立憲民主主義を採れば良い。

2009-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20091015214438

その解釈をころころ変えないようにしてたのが内閣法制局のはずだが、政治主導の名の下に内閣にいる政治家の意向だけで解釈変えられるようになりそうなのがさらに危ない。権力を制限するためのルールなのにそれの解釈権力者自身が勝手に判断してたらもう立憲主義意味ない。

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