はてなキーワード: 狂信者とは
こうした言語の話ってさ、いつもいつも狂信者みたいな人とか、単に引っ掻き回すだけの人が現れて
「高級言語なら簡単なことが簡単にできる」とドヤ顔で言うんだよな。
「簡単なことを簡単に書くために、高度な言語サポートがある」といって「簡単な事では問題が起こりません」って言うんだ。
そして、メンテナンス性とかの話をしてたはずなのに、「言語がカバーしてくれる」とか言い出す。
んなわけないじゃん・・・・ドキュメントの不備ひとつで、どんな言語だろうが難攻不落の砦になったりするんだよ。
それは君が、高級言語の機能を活かした質の良いコードを見たことがないだけだと思うよ。
そうしたコードは、たとえドキュメントが皆無でも実装者の意図を推測するのは難しくないし、メンテナンス性が高く、機能追加も容易だ。
アセンブラでも設計さえ確かなら問題ない。うん、そうだね。これは単純に比較の問題だ。アセンブラで堅牢さを実現できる設計なら、高級言語を使えばさらに堅牢に作れる。したがって、特に理由がない限り、アセンブラやC言語を使う理由はない。
ましてや、常に完璧な設計をすることは不可能だ。また、「完璧」な設計は要求変更に弱い。ならば、なおさら堅牢性の低い言語を使って実装する理由はない。
こうした言語の話ってさ、いつもいつも狂信者みたいな人とか、単に引っ掻き回すだけの人が現れて
「高級言語なら簡単なことが簡単にできる」とドヤ顔で言うんだよな。
「簡単なことを簡単に書くために、高度な言語サポートがある」といって「簡単な事では問題が起こりません」って言うんだ。
そして、メンテナンス性とかの話をしてたはずなのに、「言語がカバーしてくれる」とか言い出す。
んなわけないじゃん・・・・ドキュメントの不備ひとつで、どんな言語だろうが難攻不落の砦になったりするんだよ。
あー?そっかそっか。大統領制って天皇制と矛盾すんだー。へー。
頭悪い発言にかまってくれてありがとうw
もうちょっと構ってくれ。
俺は皇室を維持したうえで天皇制は廃止すべきだと考えています。
天皇という(長く続いただけという根拠しか持たない)非論理的な存在が上に居る限り日本は根本的には大日本帝国を作り出した時と変わらない。
自分の手で皮を剥くべき。
長く続いたから=良い という考え。
たしかに価値があると思うけど、狂信者が崇める対象になっている以上、不健全だと思う。
いい加減天皇なんかを信じなくても自身の中の日本人の血を理解すべき。
叩かれるだらうなあ。
どうしてそういうことをするんだろう?
なにかに対して怒ったりしたくなるし、ひどいことされたらやりかえしたくなるのは、自分にもある。
喧嘩も、けっこうする。あれはひどい!とかいろいろ言ったりする。
それが間違ってるときもあるし、届かない時もある。いいたいことをわかってもらえたりもあったり。
でも、そういう感情や欲求にそれっぽい理屈をつけてまきちらして、なんになるんだろう?
だけど、どれだけ理屈としては正しくても、伝わって欲しい相手には伝わらないことってあるし。
正しさ、ってそこまで必要なのかな。
報われない正しさって、ただの狂信者だし。なにも返ってこないし。
相手にそれは正しいっていわれるより、私は相手に気持ちをわかってもらえることがうれしい。
その上で怒られたりするのは、すごく悲しかったりするし、取り返しつかなかったりするけど。
あなたは正しいって言われて去って行かれるより、いっそそうやって喧嘩別れしたほうが、まだいい。
それにそれを繰り返してると、理解してもらえるやり方って、わかるし、理解してくれるひとも、できるし。
A Guide: How Not To Say Stupid Stuff About Egypt
(訳註:アメリカ人向けっぽいところもあるけど、そのまま翻訳)
こういう発言のどこが変なのか分からなかったら、
同じことをラテン系やアフリカ系に向けて言うかどうか考えてみてください。
言いませんね。
エジプト人8000万人のなかには、文章がうまい人も高学歴の人も多言語話者もいます。
考えてしまうのはしかたないかもしれませんが、口に出すとバカ丸出しです。
ムバーラクはずっと「俺が地域の安定のかなめだ」と見せかけていました。
エジプトといえばミイラ以外に思いつかないから、デモ隊がやったと思うのでしょう。
やったのは彼らではありません。
アレクサンドリアで彼らが図書館を守ったということを知っていましたか?
http://www.bibalex.org/News/NewsDetails_en.aspx?id=3128&Keywords=&fromDD=-1&fromMM=-1&fromYY=-1&toDD=-1&toMM=-1&toYY=-1
「本図書館はエジプトの青年たちのおかげで無事でした。図書館スタッフ、デモ隊その他が一緒になって図書館を略奪から守りました。私は外出禁止時間にも出勤しますが、一般に向けては数日のあいだ閉鎖されます。開かれるのは、禁止令が解かれ、無秩序状態が解消され、政治問題が解決してからです。」
公式サイトか、
わかりやすい解説でも読んでおいてください。
http://terrorism.about.com/od/politicalislamterrorism/a/MuslimBrothers.htm
ムスリム・ブラザーフッドムスリム同胞団はアメリカテロリスト組織リストに入っていません。
暴力行為は1970年以降していませんし、実力組織もありません。
(2006年12月のマーシャルアーツ演舞は少し挑発的でしたが)
違います。
エジプト人はムバーラクとサーダートに拷問され投獄され抑圧されました。
放水砲の前に立ってくれたわけでもありません。
身代わりに投獄されたわけでもありません。
そういうのを見てサラ・ペイリン的な人がバカなことを言い出さないかと心配していたからです。
彼らの必死の行動をツイッターのおかげみたいに言ってしまうのは傲慢ではありませんか?
ナワル・エル・サーダウィの回想録には、サーダート時代の女子監獄のことが書かれています。
http://www.amazon.com/Memoirs-Womens-Prison-Literature-Middle/dp/0520088883/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1296499465&sr=8-3
当局が遮断したがるということは正しいことをしている証拠です。
Hmm, maybe they are speaking truth to power? (訳註:ここわからん)
おや、アルジャジーラはどうやら権力者たちの横暴をあばいてしまったようですよ?
だから、新政権ができたらイスラエルとの戦争がはじまるとでも?
イスラエルが主導権をにぎれなくなるかもしれません。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/jan/31/israel-egypt-mubarak-peace-treaty-fears
不安定化を防ぎたいからといって、8000万人のエジプト人を抑圧する理由になるでしょうか?
アメリカがそう言われたら、と考えてみましょう。
最近のティーパーティ運動もブッシュ政権も、同じくらい世界の安定を乱しています。
だからといって、そういう動きを摘発するような政権を支持すべきということになるでしょうか?
世界の安定を乱しているのはエジプトよりもむしろアメリカです。
それにこの発言を解釈すると、ある種の国家や国民や宗教に民主主義を与えるのが危険だということになります。
人権と民主主義と自由を軽視して、人種と国籍と宗教で差別する人のやることです。
あなたが想像していたのは、きっと、ターバンとジハードとアリババとテロリストと(以下略)あたりでしょうが……
アフリカ系やアジア系にこんなことを言ったらどうなると思いますか?
見下してるようにしか聞こえません。
子供っぽい、と言われるかもしれないが、
要は「痛いのはイヤ!」なわけである。
なので、法律で義務付けられている注射でなければ、できるだけ避けてきて生きてきた。
ホメオパシー狂信者のような「ワクチンに副作用云々、自閉症云々」の
ような迷信に基づく忌避じゃなく、
「単純に、痛いのがイヤ!なだけ」である。
もういい年こいたオッサンで、妻からは「家族のためにインフル注射を受けるように」と
言われているが、逃げ回っている。
さて、年末に読売新聞が「HPVワクチン接種で少女の失神多発」という注意喚起記事を
掲載したところ、医療リテラシーの高い「はてなー」の大ブーイングが沸き起こった。
「これはワクチンの毒性に起因する副作用じゃなく、痛みによる副反応で、別物」
自分も統一教会辺りの「HPVワクチンは日本民族絶滅を狙った陰謀」云々の陰謀論には
辟易しているので、「はてなー」の反論には「一理ある」とは、思う。
しかし、
「痛いの痛いの大嫌~い」な自分は、
はっきり言って、「失神するほどの痛さ」のワクチンを、接種しようとは思えない。
このワクチン接種で「子宮頸がんに掛かるリスクが有意に低減する」と「理屈で判っていて」も、
・・・「将来の100万円より、今日の1万円なんだな、お前は」と嘲笑する
「はてなー」の声が聞こえてきそうだが、とにかく痛いのはイヤなんだから、仕方ない。
こういう「痛いのイヤだから、忌避する」というのを、はてなーは嘲笑するのだろうか?
したり顔で「将来の感染リスク低減のために、接種を受けなさい」と「啓蒙」するのだろうか?
統一教会の「ワクチンデマ」は断固として糾弾されなければいけないが、
一方で、「接種年齢の少女」に対して
「これ位の痛みがあります、一方で、このようなメリットがあります」という
「インフォームド・コンセプト」をきちっと提示して、その上で
少女の「自己決定権の行使」によって接種可否を決める、というのが
もし「接種痛に対するインフォームド・コンセプト」の結果
「接種比率が大幅に下がる」ことがあったとしても、
それは「少女の自己決定の結果」として尊重すべきじゃないのか?
傍から見ると、統一教会のデマ攻撃に対するカウンター的意味合いもあるのか、
痛みに関する説明が不十分なまま、接種をどんどん勧めている印象がある。
これって、かえって統一協会等に「足元を掬われる」ことになるんじゃないか?
根本的には、もっと「痛みが少ない接種方法」、それこそ「経口ワクチン」なんかも
研究すべきじゃないのか?
TOW肯定派
│
│ ├松野の手がけたシリーズは全部面白かったよ(オールプレイ派)
│
│ └15年待ったよ(あわよくば次回作派)
│
│ ├追加要素が楽しみだよ(リイマジネーション派)
│ └どんなことでも受け入れろ否定は許さないよ(狂信者派)
│
└PSPで出るなんて最高だ(ゲ派)
TOW否定派
│
├新規要素が不安だよ(追加要素否定派)
│ ├W.O.R.L.DやC.H.A.L.I.O.Tなんかいらないよ(取り返しのつかない要素を愛する派)
│ ├合成が嫌いだよ(マンドクセ派)
│ └SFC版から少しでも変わってたら嫌だよ(VCで幸せになれる派)
│
│
│
│
└元々嫌いだよ(完全否定派)
ネットの意味不明な主張を見かけた際に思うのは、基本的にはそういう主張は論理的ではあるんだってこと。まあ、それなりに頭が良いんだろうね。
でも、自分が勝手に決めたルール、いわば「俺的ルール」を絶対の前提にして議論をしてる。そのせいで、意味不明な主張になってしまってる印象がある。まあ、前提がおかしければ、その後にいくら論理を繋いでも全部おかしくなるだけだから。
で、反論は当然その俺的ルールに対して行われることになるんだけど、当人はその俺的ルールに対してある種の狂信者的思考に陥ってるから、反論されるとわめき散らしてしまう。そして、無益な言い争いが始まる。
不思議なのは、当人は何故社会が実際にはどういうルールで動いているのかを知ろうとするのではなく、自分の狭い知識だとか思いつきでルールはこうなんだと判断してしまうんだろうかと言うこと。そして、自分勝手に定めたルールが社会においても正しいんだと、何故ああも狂信的に信じられるのかと言うこと。一体、何なんだろうね。
前々から違和感を感じてはいたが、漸く気が付いたことが一つ。
それはこの世の中でヲタクと言われているのは主にアニヲタをさしてるという事実。
ニコニコ動画の流行やアニソンの売れ行きから考えて共通するのは
原作は漫画やゲームだったりはするが、100%アニメ媒体化されている。
元々そこそこ人気はあれどアニメ化で流行化が2000年以降顕著。
女性向けジャンルの特撮やハリーポッターはアニメではないが映像媒体発
(※http://www27.atwiki.jp/trend/pages/12.html)
とても当たり前なことなんだろうけど、気が付かなかった。
①所謂サブカルといわれる鉄ヲタ等の運送系、みうらじゅん始めとする仏ヲタ系、歴女に見られる歴史ヲタ系etcに
④追っかけクレイジーとされる芸能系・・・ヲタにも種類はたくさんある。他にも家電だのなんだのあるだろう。
でもやっぱりヲタクの中に占めるアニメヲタクの割合は高いんだと思う。
そろそろこの事実を認めなくてはいけない。
大体コミケの同人誌ジャンルを見ても、所謂サブカルといわれる①は圧倒的に少ない。
(※http://www.comiket.co.jp/info-c/C78/C78genre.html/評論情報・鉄道ミリ・SF・雑貨位
コミケはサブカル向けじゃない!からデータとして引き出すのはちょっと違うんだろうけど)
そしてこれは自称漫画ヲタかぶれとしてのコメント。題とは真逆の主張をあえて展開してみる。
よくアニヲタと漫画ヲタは同一視されやすいが、正直言って違うといいたい。
とある作品の話をしていても何か違和感あるとおもって調べたら、相手はアニメ設定の話をしていたという事がたびたび。
国民的アニメドラゴンボールだってグレゴリーとか違和感なく居たりで。
漫画狂信者に近い私の中では、ドラゴンボールの界王星にはバブルス君しか存在していないが、
アニメを見て育った人にとってはバブルス君とグレゴリー二人いるのが当然だろう。
設定だけで完全オリジナルGTの「俺はサイヤ人の誇りを持った地球人だ!」発言でぶち切れた漫画ヲタは数知れず。
全部が全部そうではないし、原作に影響を及ぼしたりこのキャラならありうると柔軟に許容する場合もあるが、
簡単に言うと漫画ヲタは基本「漫画原作にないアニメオリジナル描写が許せない。」
原作者が納得しているならいいが(作者が神だから神がOKならOK)、
よくよく自問自答するとこういう差別意識が浮かんだ。
アニメなんて原作の美味しいところだけ映像化して、この作品の本筋主張をそこまでしっかり汲んでいない。
そんな上澄み作品を数ヶ月の数クール単位で食っては次々消費していくアニヲタ。
しかもキャラ萌ばかりで作品に対する世界観への愛情を漫画ヲタからしたらアニヲタに感じられない。
キャラ物グッズばかり買って原作本も買わないなんて何?設定本や考察本もチラ見くらいはしないと・・・
イナゴのように食い尽くしてさっさと去っていく、その癖けちつけて作品その物を歪め潰してくれたわ
漫画ヲタは作品に対する世界観や設定、描写、作者の想いやこだわり、他作品との関連を第一とするが
アニヲタは漫画ヲタにとって大切な作品自体の思い入れより、声がいかに合っているか、作画クオリティがいかに高いか等の方が大事。
とどのつまり重きを置くポイントが全然違うんだけれど、一緒くたにされることが多い。
だから遺憾に思う。
原作を最重要視しないアニヲタが作品を語りだすことを少なくとも自分は嫌う。
原作を買って、原作の設定資料集を買って(アニメのではなく)、
原作者インタビューやブログ等の発言を網羅している上で語るならいいが、アニメのみ見て語るなら微妙だと思う.
逆に言うとアニヲタからすれば漫画ヲタがアニメを見てエンディングやオープニングをスルーしたり、
声優なんて別にそこそこ下手でなけりゃ誰でもいいなんて言うのは許せんのだろう。
こだわりに対して安易に妥協せず追及していまうという点では同じだが、こだわる点の優先順位が違いすぎる。
だが世間から見れば同じ「タイトル」だし、キャラ萌属性で被ったりするから違いなんてない。
漫画ヲタな自分ですらこんな状態だから、①②④のヲタからすれば「ヲタク」カテゴリで括られることすら嫌がって
アニメなぞ見ていないのに、ニコニコ動画の普及で一般人からも作品名をあげるとまずアニメの方を連想されてしまう。
漫画として有名な作品ならまだしも、アニメ作品としてより漫画として有名な作品なんてよくて2、3位じゃないか?
そんなわけでヲタク=アニヲタな風潮を微妙と感じつつ、世間の認知などそんなレベルなんだと自覚しなくてはいけないと思いにいたる。
認めなければ区別してもらえない。いや、区別もなにも無理だろうが。
だからせめて2ちゃんねるの漫画系板のように「アニメの話題はアニメ板へ池」という場所に引きこもって
いま一部で大流行の「サイエンスクラッシャー」ネタなんですが、実は壮大な釣りプロモで、内田さんの狙い通りにコトが進んでる気がしてきた。
なお、私は決起集会の動画は見ていて、内田さんの関連blog記事は読んでいるけれど、内田さんの新著は読んでいない状況。
元ネタ: 「サイエンスクラッシャー」 http://anond.hatelabo.jp/20100429013047
引用元: 「新著「疑う力を阻害するもの『科学教の狂信が思考停止に』」掲載」 http://ameblo.jp/marika-uchida/entry-10518383971.html
ちょっと引用してみましょうか。
そのとき、ある新聞社から以下のような質問が出ました。
「科学技術の大切さは誰しも理解していると思う。しかし、国民の素朴な疑問として、スパコンになぜ多額のお金がかかるのか? というものがある。これをどう説明しようと思うか?」
それに対し、あるノーベル賞受賞者が、「まず1つは、マスコミにもっとしっかりしてもらいたい」「メディアの力は大きい。メディアがもっと科学技術を理解しないと、国民には伝わらない」と。
このシチュエーションで、たぶん回答者が言いたかったことを私なりに翻訳すると、
情報の1次発信者が、どれだけ正確かつ丁寧に説明したとしても、情報の最終到着地である一般読者に到達するまでに、*必ず*マスメディアのフィルタが入ってしまう。このことは、科学者に限らず、一次発信者がどんな者であっても言えることだ。
そして、このマスメディア・フィルタの掛かり方次第で、情報はどうにでもなる。繰り返すが、一次発信者がどれだけ正確かつ丁寧に説明したとしても、マスメディアの記者や編集部がそれを理解することができなかったり、本意・不本意を問わず歪曲したり、勝手に画角やフォーカスを調整したりしてしまえば、一般読者には「そういう」情報しか伝わらないのだ。
だから、我々1次発信者も一般読者に分かりやすいように努力はするし、しているけれども、マスメディアの記者・編集部もまた1次発信者の意図を理解し、それに応えられるような努力をして欲しい。
このような意図になる。違うかなぁ…、僕はそう思うし、常々そういう主旨のことを思っているけれど。
その上で、内田さんの、あなたの立場を考えてほしい。
あなたはサイエンスコミュニケーターを標榜しているけれど、あなたの立場は上記のコメントでいう「マスメディア」に該当するはずである。職業はともかく、「本を出版する」(まさにマスメディア)行為をしているからだ。
そして、決起集会を見て(一次発信者の主張を取材して)、本を出版し(マスメディア行為)、それを読者(きっと一般の方が主たる想定顧客だろう)に伝えようとした。
このとき、内田さんは「内田さんの」マスメディア・フィルタを掛けてしまった。
(追記)
私は、そのノーベル賞受賞者が、「国民がスパコンの重要性をわからないのは、マスコミが悪いせいだ。勉強不足だ」と言うのには、まったく納得がいきません。
これでは、一般読者は、「ノーベル賞受賞者って、自分(たち)がエライと思ってるのね。イヤなヤツらだ」という、否定的な印象しか持たないと、私は思います。そして、後でも少し触れますけれども、私には内田さんのこの態度に、内田さんのいう「『疑ってかかる』のが科学的態度」を感じられないのです。もし「『疑ってかかる』のが科学的態度」ならば、「ほんとにこのノーベル賞受賞者は、そういう意味で言ったのかなぁ。他にも解釈があるのではないか、言いたいことはあるんだけど結局こういう言い方をしてしまっただけではないのか、そして、その理由はなんだろうか?」などと、いろいろな思索をめぐらすはずだと、私は思うのです。
そして、「賛同の嵐」「科学教の狂信者集団」「その新聞社に向かって、自己の責任を放棄したこの発言。」「ノーベル賞受賞者らの発言に対し、会場がいちいち拍手を送り、twitterでも賛成の一色だったこと(もちろん、100%その賛成意見で占められていたわけではありませんでしたが)。」「科学教の狂信が思考停止に」などという、科学者に対するレッテル貼りの行為です。
もちろん、内田さんの記事を丁寧に読めば、「(もちろん、100%その賛成意見で占められていたわけではありませんでしたが)」「でも、反対意見は容易にかき消され、ほとんど賛成の声しか見えてこない、この全体主義のような雰囲気は何だろう、と私は不思議に思ったのです。」「念のため、その場にいた人の中にも、「あの様子に居心地の悪さを感じた」と言っていた人がいたことも、申し添えておきます。」などという、反対意見もあったということに触れて、「公平さ」を装っているわけです。
しかしそれでも、内田さんの書き方では、熱狂的な賛同者の意見の抽出とその強調に始終していて、反対意見を持った人がどれくらいいて、その人たちはどういう意見を持っていて、どういう反応を示したのか、ということに、決して具体的には触れていないのです。このことに、私は「『公平さ』を装っている」という同情を示せても、「公平に記している」という同意までは示せないのです。
なぜ私が、このblogに対して批判的にコメントしているかといえば、このblogの内容から、内田さん自身の、内田さん自身が「サイエンス」ライターやマスメディアの一端にいることを自覚していることを示唆するモノの見方・言い方・考え方を、垣間見ることができないからです。
上述のように、私は、あのblogの内容は公平さに欠けていると思っています。そして、その公平さに欠けた主張が、blogや出版物を通じて一般読者に波及していくことで、「あぁ、あいつら科学者は、やっぱり権威主義なんだ。だから、現役の間は好きなことだけやって、説明しようなどという熱意は微塵にもないし、定年後に私立大とかに天下りして平然としているのだ。エラソーにしやがって。」などという、悪意に満ちた理解が拡がっていくこともまた、恐れているのです。
(追記2)
このような危惧を過激な一言で言い捨てた表現が、「サイエンスクラッシャー」という称号じゃないかと、私は思うのです。これまで説明してきたように、少なくとも私には、どうも内田さんのblogの文だけでは、「やっぱ科学者って傲慢だよねー。でしょ?サイエンスコミュニーターから見てもそう思うよ、うん。」という、科学者の態度を批判する内容しか伝わってこないです。その上、科学者の態度が感じられない程度の考察しかできていないのに、科学者の態度についてのご高説が書かれている。ちょっと待て、その科学者の態度とやらで自分の態度・考察を振り返ってみ?と。
じゃぁ、内田さんの今後に、どういうことを期待したいか、ということですが...
「サイエンス」の「コミュニケーター」を標榜するならば、しばしば言われる、「科学者はコミュニケーションが苦手」であることをフォローするような解説をすべきではないでしょうか?(たとえば、上で述べたように、なぜノーベル賞受賞者がマスコミに注文を付けたのか、ということの解説。「あれは科学者が職務放棄した、ゴネだよ」というコメントは、科学者の気持ちやマスコミの取材事情を知らない、一般人と同程度の認識に留まっていて、考察が全くなされていないようにしか見えません。)
もしも科学者の態度を身につけているならば、賛否両論のどちらもを取り上げて議論し、それを補強するデータを示すべきではないでしょうか?(たとえば、Twitterやニコ動、ustのタグ付発言でのpositive/negativeコメントの、tweets数およびtweeter数の統計でも、いいんじゃないですか?それなら、個人に迷惑かかることなく実施できると思います。)
サイエンスコミュニーターはともかく、あくまで「物書き」だとしてもいいです。それでも、賛否両論とは、「賛否『両論』」を取り上げるからこその賛否両論なのですから、両論をきちんと取り上げましょう。そして、twitterに必要以上に頼らず、実際に本人や学内外の科学者に取材してみて、その声も聞いてみてはどうでしょう?たとえば、あのノーベル賞受賞者は、果たしてどういう意図でマスコミに注文を付けたのか、本人に取材しましたか?
こんなことを思いながら読んでいくと、最後に書いてあるんですよ。
「それはどうか?」とか「なるほど」とかのご意見をお持ちになる方がいらっしゃいましたら、ぜひ拙著『科学との正しい付き合い方』 を手にとって頂けたら、と思います。
全体を読んでの、ご感想、大歓迎です!
やられた!と思いましたね。
上で述べてきたように、本文では散々、情報リテラシーを持った読者や、科学者の心を持った読者が持っている「『疑ってかかる』のが科学的態度」という、ある種の正義・倫理観を煽っておく。しかも、そんな彼らが持っている「やっぱり原文を読んでからでないと、ちゃんとした批判はできないよね」という良心をも煽っておく。
そして最後に、「賛否両論、どっちでもいいから、何か思うことがあったら買ってね!」と落とす。
この言葉そのものより、言ってる奴が気にくわない。
明日やらなきゃという強迫観念にとらわれてる様子が狂ってるとしか思えん。
「明日やろうは馬鹿野郎」が座右の銘ですなんて言ってるのを聞いた日には、
もうぶんなぐりたくなるwwww
そもそもの話が、何をおいてもまず実践、行動に移すこと、って言ってる奴が一番信用できん。
実践なんてやって当たり前で、人間生きてる限り何か実践してる筈なのに。
それをわざわざ実践実践ってアホかと。人間の中身がなさ過ぎる。
実践実践とやたら声高に言ってる奴にかぎって何も実践できてないという話もあるwww
無知で愚かで勝手に人を飽くと断罪する狂信者は怖いな。おまえのような無知な赤ん坊狂信者は社会の害悪だから早く神に召されろ。お前の周りの奴は礼儀を知らないお前を嫌ってるよ。氏ね。
http://www.happy2-marriage.com/2007/09/post_18.html
結婚式(披露宴)に招待された時に、子供がいる場合、子供も連れて行っていいのかどうか迷う所ですが、基本的に「子供も招待された場合」に限って、子供も一緒に連れて行くことが一般的のようです。
子供がまだ小さく、お母さんが抱っこしていなければならない場合は、新郎・新婦側に必ず確認をとって、連れて行くか、預けていくかを決めたほうが良いでしょう。
またそれほど親しい間柄でなければ、子供が招待されていない場合は連れて行かないほうが良いでしょう。
確かに、結婚式や披露宴で小さな子供がいると、和やかで、ほのぼのとした気持ちにさせられますが、小さな子供はいつ泣き出すか分かりませんので、厳粛な結婚式(披露宴)を台無しにしてしまうことも考えられるからです。
ですので、「必ず確認をとって」から連れて行くかを考えましょう。事前に確認をとっていないにもかかわらず、勝手に連れて行くと、新郎・新婦側に迷惑をかけることもありますので注意が必要です。
3児の母です。
まっさか、はてなで母乳祭りに出くわすとは思わなかったはー。意外と女性ユーザもいるんですね。
http://d.hatena.ne.jp/kobeni_08/
http://oosawatechnica.tumblr.com/post/147641167
私は一子目は母乳の出が微妙だったので、母乳とミルク混合で育てました。
赤ちゃんを連れているとよく話しかけられるとは聞きますが、本当に人が寄って来るんですね。吃驚しましたよ。
そして「可愛いー。何ヶ月?女の子?」の次は「母乳?ミルク?」。
私が「大体母乳です。出が悪いときはミルクですけど。」と答えると「完全母乳じゃないの?駄目ねぇ?」
はぁぁぁぁぁぁぁ??????
ほんっと、何なの、何なの、何なの何なのぉぉ!毎回毎回っ。
普通に赤ちゃんが好きで話しかけてくれる人は嬉しいけど、母乳かミルクか聞く人は100%説教してくる。(あと紙おむつか布おむつか聞いてくる人もヘンな人多い)。
初めての子供の事で私も色々と不安なのに、赤の他人から駄目出し。しかも授乳室でミルクあげていたら、母乳狂信者にいきなり絡まれた事もあった。
「母乳っ?ミルクッ?駄目っ?母乳っ?ミルクッ?駄目っ?母乳っ?ミルクッ?駄目っ?ボニュウッ!?みるくぅぅぅ!?ダメェ!?ボニュニュニュミルクゥゥウォオオオオ!!!!らメェェェェ!!!!!!ミルミルミルミルミルミルミルミルミルミル……」
もう、心の中はこんなんですよ?子育ては戦争だ!(主に偏見や迷信との戦い)。
こんな状態ながらも第一子はスクスク育ち手もかからなくなったことから、兄弟を作ってあげたいなと思い、もう一回がんばりました。
今度は双子ちゃんを授かりました。もともと母乳はかなり踏ん張らないと出ないタイプだったので、完全ミルクで行くこと決定。
大体一人でも大変なのに、双子だと片方を見ている間、もう一人は夫や母に見てもらわないと辛すぎます。
で、また母乳教信者が襲い掛かってくるんですよ。しかも双子は注目率高いらしく、以前以上に。
まー私も開き直っちゃったのでいいんですけどね。
一回すっごくしつっっっこい人が居て、本当に頭にきちゃって反撃してしまったんですよー。
相手、さすがに引いていて、笑ったはー。
本当にその時何かが乗り移っていたらしく、「ちぎれて血に混じった脂肪が流れ出てね……想像してみてくださいよ、ここからこう(相手の乳首を指差す)だらだらっと……でね、乳首がプランプランしてるんです。その乳首が……(以下略)」と、なんども「想像してみてくださいよ」と人差し指と親指をクリクリさせながら相手の胸元を指差しましたね。相手は気分悪そうでしたが、相当頭にきていたので手加減せず徹底的に絡んでやりました。こっちはその何倍も気分悪いんだよ!ばーかばーか!
友達が「病気で薬飲んでいるから(母乳は出るけど)授乳できない。」って言っているのに絡まれたりもしたそうなので、本当に頭のおかしい人にはお試しあれ。ただし自分も気持ち悪くなる諸刃の剣。
第一子のときに噛み癖ついちゃって、乳首が血まみれになったことがあったので思いつきました。別に乳首は取れていませんので、ご安心を。また、病院の待合室だったため、私達の会話が聞こえて気分が悪くなった方がいらっしゃいましたら、誠に申し訳ありませんでした。
双子ちゃんのときは、私、夫、実母でぐるぐる面倒見たから本当に助かったよー。たまに第一子もお姉さんぶりを発揮して手伝ってくれました、めちゃめちゃに可愛いです。流石にもう4人目は生まないとは思いますが……。
紳士淑女のはてなーは、母乳かミルクか聞くことはないと思いますが、身近なお母さん困っていたら、助け舟出してあげてください。なんでこー出産、育児まわりは思想が偏るんですかねー。
創価学会三世です。祖父母の代からの会員です。
両親は一応両方とも学会員だったけど、父と母の学会に対する温度差が大きく、
というよりむしろ父はほとんどノン学会員みたいなもので、
それが原因でうちの家庭はずっと機能不全だった。
そういう環境で長年育ってきたことから受けた心の傷やゆがみみたいのはかなりあるなーっていうのは
自覚してる。
でも、いい歳して「トラウマ背負ってるんだー」とか「不幸な生い立ちでー」とか言うだけ言って
自分の人生をよりよい方向に向けていこうという心構えのないやつは馬鹿だと思ってるので
時折自問自答したり、近しい人と話をしたりして、そういうディスアドバンテージを乗り越えようと努力している。
信仰、というより、学会に盲従するような人だから、基本的には朴訥としたいい人、
疑うことを知らない人、優しくてかわいい人なんだと思う。
何より、世界でただ一人のお母さん。
最近は歳をとったせいか若干脳内お花畑はいってきているのも涙をさそうんだけど、
一生大事にしたいと思っている。
でも、会話をしているとしょっちゅう学会のこと、聖教新聞のこと、会合のことを言われるのが苦痛。
ほんとに苦痛。
読みたくもない聖教新聞を豊かではないポケットマネーで購読していることで親孝行と思ってくれよ。
それ以上はまじ無理だから。
まあでも今は別の家に住んでることもあり、なんとかのらりくらりとかわしている。
最近思うんだ。もう遠くない、近い将来、創価学会はかなりの変質を迫られるよね。
ほらだってあのプレジデントもご老体だし、人間には寿命があるから。
外から学会を覗いていると「うーん、来るべき時にそなえてプレジデントのさらなる神格化と内部引き締めに躍起になってるな」
と感じるわけなんだけど、実際あのプレジデントがみまかられたらどういう風になるのかは未知数。
求心力は必然的に低下するんじゃないかと思ってる…ていうか、低下してほしいと願ってる。
何も根拠はない…ただただ主観的に願ってるだけ…。
もしそうなったら、学会の雰囲気が変わったら、末端信者がもっと生きやすいようになったら、
そうしたらもっとお母さんと話をするんだ。
もっともっとお話しするんだ。
もっと近くに寄ってお母さんを大事にするんだ。
「聖教新聞読んだ?」「池田先生のご指導から離れちゃだめよ」なんていう言葉を聞かずに
たくさんお母さんとお話するんだ。
お母さんも「この子は学会から離れて…心配だわ…」とか思わずに
にこにことした老後をすごしてくれたらいい。
孫に信心を受け継がせなくては!とか躍起にならずに家族団らんを楽しんでくれたらいい。
あの組織が早く弱体化しますように。