はてなキーワード: 所謂とは
元増田なんだけど、自分では長所だと思ってることの男ウケがマジで悪いような気がしてる
・元の顔が大嫌いだから服とかメイクとかも頑張った。ダイエットもした。しかし結論似合うものが派手目だったのでナチュラルとは違う形態に(所謂顔タイプ「アクティブキュート」)
・それなりに色々考えてるつもり。本を沢山読んで、自分の考えも頑張って言語化してる。
要はガリ勉!元の顔が可愛くないからハイスペックからは大体恋愛対象に見られないガリ勉!しかもじゃあオタク受けする外見かと言うとむしろオタクに敬遠されるタイプの服装とメイク!
書いてて落ち込んできた。
この投稿?もどうせどうでもうんちとか言われるんだと思うけど。
俺自身が性嫌悪だから言うけど、「私は性嫌悪なので性嫌悪にも配慮して欲しい」と言うなら配慮すべきだと思うし、実際そういう声はポルノの自由を求める人々からもあって、それが所謂「ゾーニング」という形式で守られているわけなんだけどな。
あの辺の人たちはそれを認めないで、「自分もエロは好きだけど、間違ったエロは淘汰されなければいけない。みんなで正しいエロを楽しもう」って言うから「それってただのセクシャルマジョリティ故の傲慢ですよね?」と指摘されているわけで。
例えば、「12歳以上のババアに欲情なんかするか!」という(ある種のイキリを含む)言説が、ある意味では性嫌悪持ちにとって安心感をもたらすという側面を、全く無視する態度には不信感を覚える。
多くのリソース(時間/金)を割いている場合、所謂オタクと呼ぶのではないだろうか。
当方以前趣味婚活(野球)に参加した経験者なのだが、男性側と温度感が違って「アレ?」となり、趣味とオタクは違うのかもしれない(そのリソースの割き方において)と実感したよ。
哲学というと難解な用語と訳の分からないレトリックだらけの本をイメージする人が多いけどそんなこたぁない。なんならセンター試験の方がムズい、たぶん。
初心者といっても普段本を読まない人をここでは対象にする。本を読む人は偉いのでそのまま自分流に頑張って下さい。
まず、知識として学びたいなら哲学用語図鑑でいいと思う。パッと見れるし漫画チックだし。で、ここで気になった哲学者とかの本読めばいいいじゃん(完結)
で、それもめんどくせーという人間に向けて三冊。
やっぱりギリシャ哲学読まなきゃ始まらんでしょ!という方はこちら。対話形式で読めてプラトン流のソクラテスの考え(所謂イデアってやつ)が書かれてるぞ!でもやっぱりメノンの方がサッと読めるからメノンの方がいいかもしれんわ、選べ。
えっ、あの我思うゆえに我ありの本!?と思うであろう本書、デカルト自ら寓話だと思って読んでくれと言ってるので内容も難しくなく読めちゃう!なんてったって訳を除けば100頁もない!
おいお前マルクス主義者か?と思うのも待って欲しい。というのも第二次世界大戦後の哲学者というのは大抵は資本主義の問題に直面せざるをえなくなっている。そこでやっぱりマルクスが与えた影響というのは大きすぎるわけで、重要な古典でもあるわけです。だからこれからニューアカとか読んでみて~となるなら読んどくべきなんですなぁ。(いかんせん頁数が少ないのでいい)
と、紹介したけど結局は気になる哲学者から読め。あと90分で分かる~とかそういうシリーズもいいとは思うけど原本も読むべき。まぁ、やっぱり頁数が少ないのは正義だよなぁ。
十数年前、ジャニーズ事務所の中でかなり異質なグループである関ジャニ∞の、ちょっと変なメンバーを好きになった
所謂“正統派イケメン”ではなかったが、大型犬のように可愛らしく笑う
ファンサマシーンと言われるほどのサービス精神旺盛さも魅力で、ファンからの無茶ぶりにも彼なりに応えてくれる
歌・ダンス・演技・演奏、どれもそこそこに出来ていて、これからの成長を見守るのも楽しかった
新曲が出たら歌割りに一喜一憂して、バラエティーに呼ばれれば、上手に受け答え出来ますように、滑りすぎないように、ちょっとだけでもウケますようにと祈っていたし
コンサートも、舞台も、番協も、エキストラも、楽しい思い出がいっぱいある
彼を見ているだけでイライラしてくるし、アラフォーのアイドルがこれで良いのか?!と叫びたくなってくる
これはもう、末期だ
彼に元気を貰うためにファンになったのに
もう応援しなくて良いんだ、無関心で良いんだ
(プロフィール:25歳、男性、大学院卒、理系、会社員、東京都在住、同性愛者)
性的少数者の権利拡大・偏見払拭が謳われるようになってもう随分と経った。そういう虹色界隈の活動家の努力のお蔭か、少なくとも都市部の若年層では「ゲイとか気持ち悪いよね」と言う人の方が白い目で見られる社会にはなって来ていると思う。パートナーシップ制度を導入する自治体も増え、同性婚を支持する人も増えている。ゲイであったとしても自分らしく人を愛し愛され、自分らしく自由に、自分らしく幸福に生きられる社会になっている。……らしい。
このような心温まるようなすばらしい虹色啓蒙活動から最も疎外されているのは誰か。性的多数者(シスジェンダーの異性愛者)ではない。彼らも「理解のある」ハートフルなムーブを取ることで仲間入りできるし、「理解のない」人も敵陣代表としてちゃんと構ってもらえるからである。一番蚊帳の外なのは、非リアで、陰キャで、オタクで、恋愛にも興味がなく、自己肯定感が低い根暗のホモだ。
大前提として、虹色啓蒙活動は非異性愛者が自由に恋愛を楽しんで社会で生きる「権利」を求めるものであって、ゲイであろうと男とも女とも恋愛をしない人には大して関係がない。当たり前だが、仮に同性婚が法律で認められたとしても相手がいないと結婚はできない。全てがそうとは言わないが、虹色活動の大部分を占める要素も、活動に携わる当事者たちも、どこからどう見ても根暗なオタクには無縁の「陽気なリア充の世界の概念」であって、全然感情移入できないのである。そればかりではない。
ああいう目立つ活動家たちは、確かに旧来のゲイに対する悪質な偏見(気持ち悪い、オネエ、性病とか?よく知らん)をいくぶん弱めてくれたかもしれないしそれは有難いことなのだが、それを塗り替える形で別のステレオタイプを提供している。「ゲイは恋愛やセックスが大好きで、大好きな同性の恋人と結婚したいのに頭の固い人たちのせいでさせてもらえない、自由平等博愛のため闘うかわいそうな人」という印象を、勿論ここまで露骨でなくとも数倍に希釈した形で持っている人は少なくないのではないか。俺はゲイをカミングアウトしたことは殆どないが、おそらく多くの人はまずは同情の目を向けて「気付けなくてごめん」か「話してくれてありがとう」みたいな挨拶をくれた次には俺の恋愛事情に興味を持ち始めるだろう。別にそれ自体を悪いことだと非難する気は全くないが、結局「ゲイ」とか「同性愛者」というラベルはリア充・陽キャの文化でしかなくて、単に同性に性的魅力を感じてしまうというだけの陰キャが名乗ってもあんまりピンと来ない、贅沢な称号になってしまったのだ。
そういう点では、LGBTフレンドリーな明るく健常な集団なんかより陰キャのオタク界隈の方がよっぽど自分には合うし居心地が良い。もともとオタクコミュニティには恋愛への関心が希薄な非リアが多く、セクシャリティが問題になる機会自体が健常な集団より遥かに少ない。だからオタクコミュニティの方がジェンダーフリーだなどと大それたことを言う気は毛頭ないが、趣味の話と学校や仕事の愚痴くらいしかしないのにセクシャリティが関与してくることの方が稀だし、元々何の問題もなく穏やかに存在できている。
大体、恋愛に興味のない俺にとって、自分がゲイであるという事実はアイデンティティの構成する要素のほんのごく一部でしかない。所謂ゲイコミュニティに参入してゲイ友達を作ってPrideだの何だのよろしくやってる虹色の人たちをネットなんかで見ていると"ゲイを生きている"感がすごいし、普通の異性愛者視点だと多くのゲイがそういう生き方を望んでいるように見えているんだろうなと勘繰ってしまう。異性愛者が自分をヘテロであると意識してヘテロ人生を生きるみたいなことはまずないだろうから、こういうのはそもそも少数派である宿命というか如何ともしがたい非対称だとは思うが、いずれにしてもああいうのはどうも自分とは違う世界だ。俺は「自分は男の方が好き」みたいなどうでもいい話なんかよりよっぽど先週の俺ガイルの話がしたい。ずっと原作読み直してたら連休が終わりそう。
如何ともしがたい非対称と言ったが、性的少数者の苦悩は理解のない人による差別や偏見なんかよりも、そもそも少数派であること自体の苦痛の方が大きいと思う。要は、ゲイであること自体が十分に不幸なのである。同性愛者は全体の1割にも満たない上に普通は公開しないので、当然だがラブコメのような学校や会社での自然発生的な恋愛ストーリーは期待できない。そのためゲイ専用の出会い系アプリとかゲイコミュニティで知り合うくらいしかないわけだが、どうせそういう所にいる人は明るくて自己肯定感が高くてキラキラしててbioに虹マーク引っ提げてて合わないだろう。要するに異性愛と比べて恋愛の形のバリエーションが圧倒的に少ない。別に「自分がノンケだったら彼女が出来てた」とかいう、「文系学部だったら彼女できてた」とのたまう理系大学生のようなダサい主張をする気はないが、恋愛へのハードルの高さがヘテロの比ではないことは間違いないし、色々なことを土俵に上がる前に諦めないといけないのも事実だ。女性と結婚して子供を育てるという「普通の幸せ」にも憧れるけど処女懐胎してもらうわけにもいかないし、何よりそんな茶番に付き合わされる女性や生まれてくる子供に悪い。というかこのままだと一生童貞で独身だけどどうすんじゃこれ。30代になった瞬間信じてたオタク仲間が次々に【ご報告】していって取り残される√入ってるだろ……。
今はとてもじゃないが出来ないだろうけど昔は同性愛の「治療」なる概念があって、認知療法というか洗脳というかそんな感じで治療を試みることがあったらしい。流石に洗脳は効く気がしないし御免だが、大脳に電極ぶっ刺すとかケツにケミカルXをぶち込むとかで西洋医学的に「治る」なら全然治したいと思う。今の社会に不満があるとかそういうわけではないが、俺にとって自分がホモであることは「普通に生きてるには気にならない病気」でしかないし、それを認めろだの自分らしく生きろだの、無茶を言うなって話だ。
※同性愛者、性的少数者、ゲイなどの単語は適当に使ってますごめんなさい。基本的にどれも男性同性愛者を想定して書いてると思ってください。
フェミニズムのために、創作物が改変されるかもしれないことに、言いようのない恐怖を感じている。
女性が女だからという理由だけで不当な扱いを受けるのは当然嫌だし、男性が男だからという理由だけで不当な扱いを受けるのもおかしいと思う。
そういった、現実に蔓延る性差別を無くしていくためのフェミニズムは、支持している。性による違いは出来る限り理解し合い、なおかつただ性別のみによって差別されることのない世の中になっていってほしいと思っている。
でも、そのために創作物を捻じ曲げるのは、恐ろしいと感じてしまう。
ここで言う創作物は、フィクションを取り扱ったエンタメ作品くらいの意味合いだと思ってほしい。エンタメ作品にも色々定義があると思うけど、「こうしなければならないというような教材ではなく、視聴者読者プレイヤーといった受け手が『楽しむ』ことを主目的とした作品」くらいの気持ちで、この文章を書いていることを念頭に置いてほしい。
ジェンダー観が見直されつつあり、従来の慣習に対して、こんな扱いは不当である、性差別である、という声が上がるようになった(これは良い)からか、創作物に対して向けられるこんな声が目に留まるようにもなった。
「この作品の○○という表現は、ジェンダー観が古いからやめるべき」「この作品内で女性を活躍させるために□□するべき」「この登場人物の△△という価値観は男尊女卑だ」etc.
自分には少し理解が出来ない考え方であるため、あくまでも想像だが、このようなことを主張には「この創作物を真に受けて、現実に同じ考えを持ち込む奴がいるから、創作物を正した方がいい」という考えや、「この創作物内の女性を不当な差別から救わなければ」、「この表現によって自分あるいは他者が傷付く」というような考えがあるのではと思っている。間違っていたらごめん。
私は、前者の意見には「正すべきは創作物ではなくて創作物内の話を現実に持ち込んだその人本人や、世間のの考え方だ」と思うし、後者であるならば「救うべきは架空の存在ではなく現実の人間だ」「誰も傷付けない表現は無い」と思っている。
フィクション内の誤った価値観が創作物に氾濫することで、現実への影響を危惧する気持ちは分かる。
よく議論される題材として「暴力及び性描写のある創作物の影響で、犯罪が誘発されないか」という話がある。この辺の話はこれまでにも散々議論されているので割愛するが、私自身の個人的な見解は「影響があろうがなかろうが、最終的にやってはいけないことをやった人間が圧倒的に悪い」だ。
暴力も、性犯罪も、性差別も、やってはいけないことをやった人が悪い。その行為が現実に可能かどうか、その難易度を問わず、やってはいけないことをやってはいけないのだ。その責は当人にある。
所謂良くないジェンダー観に基づいた描写で、傷付く人がいるのも理解できる。
フィクション内の人物に対して「こういう扱いはこの人物を蔑ろにしている」と言う人に対しては「なんでお前がこの人の感情や幸せを決めつけるんだそれこそ偏見だろうが」くらいの気持ちで憤るが、例えば同じような扱いをされた経験がある現実の人間が辛い感情を追体験して傷付くことは想像に難くない。
それはもう、「この人物は貴方ではない、この扱いや言葉は貴方に向けられているものではない」と言う他ない。出来れば誰にも傷付いてほしくはないが、正直、「誰かが傷付くから」という理由で表現を止めさせることは非常に難しい。
誰もが傷付かない表現は無い。私自身、「こんな表現で傷付く人はいないだろう」というような表現が、一度見ると尾を引くレベルで苦手であるため、創作物で傷付く人の感情も理解できる。
世間的に評価され、CMで何度も流れるドラマの感動的な一台詞が、しばらく脳にこびりつくくらい嫌だった。でもだからと言ってそれを無くしてほしいとは思わない。
世間的に認められているドラマだからではない。自分の感性が少数派だからではない。
私が苦手だから、嫌だから、という一個人の感情で創作物を捻じ曲げたり、押しやったりすることが認められてしまえば、この世から創作物が消えてしまう。
誰も傷付かない表現、創作物は無い。どんなに「誰にとっても傷付く要素の無い、正しい物語」に見えたとしても、傷付く人はいる。少なくとも、私はそれに傷付いたことがあるから。
文句は言ってもいいと思うけど。嫌だと思う気持ちを抑圧してほしいとは思わない。それを理由に創作物を変えたり無くしたりしようとすると、キリが無いのだ。
思ったよりも長々と書いてしまっているが、要は「それがどんなに正しい思想であっても、現実の人間の思想のみを理由に創作物を改変することが認められれば、創作物の世界は完全に変わってしまうのでは」という恐怖を感じているということが言いたかった。
「現実と照らし合わせたときに正しい表現、正しい倫理観である」ことが、創作物の良し悪しを決める価値観となってしまうことが恐ろしい。
これは何もジェンダー観に限った話ではない。
ジェンダー観的に正しい表現であることが、正しい創作物の基準であることになれば、きっと、創作物の世界は一変するだろう。性や暴力、争いを扱うような創作物も、正しく、倫理的で、現実世界のお手本となるようなものであることが求められるようになるだろう。
ジェンダー観を正す思想がどんなに正しいものであっても、それに基づいて創作物を改変することが認めれれば、それ以外の分野においても、基づくものが正しい思想であれば創作物を改変可能になるからだ。
きっとそれが、これから先の社会に求められる「こうあるべき創作物」なのかもしれない。そういう創作物に満ちた世界が、正しいものなのかもしれない。
そして私が愛した創作物は、私を楽しませてくれたフィクションの世界は、おそらくそこには無い。
それが正しい世界だと言うのであれば、私が好きになったものが間違った創作物で、それがあるべき姿になったのだと言うのであれば、私も淘汰されるべき間違いなのだろう。それが正されるということなら、仕方がない。
ただせめて「ジェンダー観の正誤が創作物の価値基準であり、創作物は現実の手本となるよう正すべきという自分の主張は正しいものである」と思っている人達が、ほんの少しでも「本当にこれでいいのだろうか」と考える切欠になってくれたらいいなと思う。
例え真に「創作物を、現代的な正しいジェンダー観に合わせること」が正しい思想であっても、自分の思想が絶対に正しいものであると信じ込むことは恐ろしいことであるから。
私は、現実世界のお手本になるようなジェンダー観の作品も、そうではない作品も、平等に創作物という舞台に上がってほしいと思っている。全ての創作物が、現実の見本になる必要はない。だって創作物はフィクションなのだから。
勿論フィクションなら何をやってもいいという話ではないが、フィクションなら必ず正しくあるべきだという話でもないだろう。私は、そう思う。
偉そうに書いてしまったが、私も自分の考えが絶対に正しいものだとは思っていない。きっと間違っているだろう(そもそも、良い方向に改善しようという思想に反発している時点で、間違っているのは私の方だろうという不安も当然ある)し、もっと良い考え方もあるだろう。
だからこれを見て、「こんな考えは杞憂だ」「間違いだ」でもいいから、現実の思想のみによって創作物を改変することの是非を考えてみてもらいたい。正直滅茶苦茶に叩かれて炎上してでもいいから、一石を投じたいとさえ思う。
私一人が、自分の中でぐつぐつと考えを煮えたぎらせても良い結論は出ない。ああでもないこうでもないと、考えを走らせてくれる人がいてくれればと思う。
そして、現実のジェンダー観がより良いものになることと同じくらい、創作物の未来が少しでも良いものになることを願っている。
<9/22追記>
反応ありがとうございます。
言いたいことが上手く伝わっているような反応も、いないような反応もありますが、とにかく少しでも誰かに考えてもらえたり、考え方のヒントをいただければと思っていたので、どれもありがたい限りです。
私の書き方が悪いために、認識の齟齬がありそうな反応に対する擦り合わせは、大変申し訳ありませんが割愛いたします。(まだ見てくださっているかどうか不明なので……)
>銀英伝
すみません、銀英伝は未読・未視聴のため、その話ではないです。でも件の騒動は話に聞いていて、自分の不安に近い話だなと感じました。
元になる原作がきちんと残されていて、時代に合わせて物語表現のレパートリーが増えるのは私も良いことだと思います。でも現在進行形未完の作品の変容だと、これで本当にいいのだろうかと思わざるを得ない部分があります。
例えば「主人公の男の子が、幼馴染の女の子を救うために戦う」という話があるとして、「戦う力を持たない女の子を守りたいという、単純な動機のために懸命に戦う少年の姿を描く作品」だったものが、やがて「女の子だから守りたいという動機は不純だ、女の子に戦う力が無いのは女性軽視だ」という声を受けたことで「幼馴染と主人公が平等に戦う作品」へと変容していくのも、時代の価値観に合わせた変化なのでしょう。(勿論、元々物語の構成として、やがて後者へ変化する予定だった場合は別です)
「戦う力を持たない女の子を守りたくて戦う男の子の物語」も、「女の子と男の子が平等に戦う物語」も、どちらも素敵なストーリーであって、どちらもあっていい物語のはずだと思うのですが、前者のストーリーは現在の価値観的に間違っているからという理由で、後者に方向性を修正していくべきであるという変容の流れを、受け入れ難く感じてしまいます。私の考え方が凝り固まっているからなのかもしれませんが。
前者の物語が前者の物語として完結していて、リメイクなどで後者バージョンの物語が展開されるなら、単純に「リメイク後もいいけど、私はリメイク前の作品が好き!」で済むんですが。難しいですね。
>ジェンダーだけじゃない
私もそう思います。たまたま私の周りでジェンダーに関する話題が活発だったので、ジェンダー観に関する理由を元に表現やストーリーを変えてほしいという声が多く見られただけで、どこにでもある話だと思います。
切欠はジェンダーに関する話でしたが、それを元に「どんなに正しい思想であろうと、それを理由に創作物を現実のお手本のように整えていくことを、まるで創作物を正しく直してやっていることのように認識していて、本当に大丈夫なのか」と、少し立ち止まって考えてみたかったのです。
>正しいアップデート
必ず、全ての創作物を問答無用で正しくアップデートさせなければいけないのでしょうか。正しいアップデートであれば、創作物に現実世界の正しさという価値基準で手を入れてしまっていいのでしょうか。その必要が本当にあるのだとしても、その改変の先がどうなってしまうのか、私個人としは少し不安に思ってしまいます。
そうですね。批判も自由ですし、それを元に表現を変更するかどうかも自由ですが、表現を変更しなければ「現代の価値基準において正しくない、誤った作品」として評価され続けてしまうのは、なんだか勿体無いと感じてしまいます。創作物も商売の一つなので、売れるためには大多数の評価を取り入れないといけないのも理解はできるんですが……
私が好きな創作物も、「価値観が古い作品」「男尊女卑の作品」「誤った価値観を推奨している作品」というレッテルを貼られただけで終わっているので、そういった現実に照らし合わせた基準にとらわれない評価もなされたらいいなと願っています。
現代の人間にである私には充分魅力的な人物(ただし現実にいたら嫌な奴だと思いますが)に思えるのですが、現代の人間にとって魅力的な人物とは「現実の現代的な価値観において、現実にいたとしても魅力的に思える人」なのでしょうか。
フィクションでしか存在しえない魅力的な人物も、現実の正しい思想においては認められないからという理由で消されてしまうのでしょうか。創作物上でしか愛せないような登場人物が好きな人間としては、少し不安に思ってしまいます。
全くの杞憂かもしれない私個人の思いに対して、忌憚ないお話をいただけて大変助かりました。
自分の考えを一つの文章のみで齟齬なく伝えることの難しさも痛感しましたが、これだけ沢山の方に多角的なご意見をいただく貴重な機会となりましたこと、重ねて感謝申し上げます。
1オタクによる雑感。
2ヶ月前、約8年半にわたる連載がついに終わってしまった。連載当初から読んでいた身としては、毎週の楽しみがなくなってしまった喪失感があり、それでもアニメやイベント、グッズの展開が続く中でなんとか生き延びている。
当時女子バレー部に所属していた私は、同じく男子バレー部に所属していた兄と毎週ワクワクしながら読んでいた。バレーボールを題材にした漫画を初めて読んだ。特殊技もなく、ただ淡々と高校生たちがバレーをしている話が楽しくて楽しくて仕方なかった。自分自身の心情ともリンクしていた場面がところどころであり、それもハマった要因かもしれない。
連載が2〜3年経った頃私は進学と共にバレーボールを辞めてしまったが、それでもハイキューは毎週読んでいた。所謂"夢女子"と"腐女子"になった。
最近はすごく、ものすごーーーーーーーーーくファンが増えたと思う。正直めちゃくちゃ嬉しいというか、昔は周りにハイキューのことを話せる人がいなかったし、読んでないって言う人が多かったから、やっとハイキューを通して友達もできて推しについて話せるのが幸せなのだ。
それに比例して増えてきたが、上に書いたように私は二次創作もわりと読むのだが、「原作を大して読んでいないのに創作する人」が多いのだ。まぁ旬ジャンル(?)(違うかも)(主観です)だからみんな絵描きたいし字も書きたいよね…わかるよ…となるけど、「〇〇の家族構成捏造してます」、「この子の過去ってどうなんだろう…」等々……………。
いや、原作読めば全部書いてることやーーーーん!
古舘大先生が書いていらっしゃることやーーーーん!!!?!!?!?!!!???!!
表面だけ見て、周りが呟いてるのを見て、このキャラクターがかっこよくて、バレーボールが好きで、入り方は人それぞれだし、そんなの当たり前だけど、でも二次創作していくならせめて話の流れとか知っててほしいし、二次創作=捏造前提なのかもしれないけど、勝手にキャラクター変えていくのはどうなん……となった次第です。
まぁ本当に私の雑感だしこういう人もいるよってだけ。なんか吐き出したくなった。
あと一つだけ。
バレーボール、競技自体めちゃくちゃ楽しいから、ルールも簡単だしみんなVリーグ観に行こう。
あとグッズも異種交換多すぎてさすがに笑っちゃった。
とか見たけど、貧乏な方がカッコいいという風潮の学校はなかったか?
卒業式の和装やらランドセルやら制服の質に金をかけないといじめられるというのにどうしても違和感がある
俺の出身小学校、中学校ではランドセルは本革などでお高くて質が良く、6年生になってもピカピカなやつほどダサいとされていた
ランドセルは合皮が剥がれてボロボロになり、原型を留めないほどペチャンコになるのが強そうでイケてるとされていたので、俺は自分のランドセルを必死に踏んで潰そうとした
卒業式は時代的にだろうけど和装なんて1人もいなかったし、中学に入ると制服やジャージは兄弟や親戚のお下がりでボロボロであるほど上級生の後ろ盾があることを示せて強そうでイケてるとされていた
特に自学年では仕様変更されている部分が旧仕様だったり、学年カラーが違っていたりすると最強だった
ジャージの袖のゴムが全て抜けてしまって萌え袖になっているのがトレンドだった
俺は授業中シャーペンで新品のジャージの袖のゴムを必死に抜いた
なぜなら家が貧乏なやつほど兄弟が多く兄や姉が現役の不良で、親も元ヤンであることが多かったから
家が貧乏ではない俺の親は元ヤンではないので俺の通う治安最低公立校のトレンドに疎く、兄弟もいないので上級生の後ろ盾もなく、それでも舐められないように必死で貧乏ぶっていた
なので貧乏認定されるといじめられるというのはそれはそれで地獄だが、金がある方が強い風潮の学校があるならそっちに行ってた方が楽だったと思った
双極性障害でメンタルクリニックに通ってるんだけど、毎日毎日自分の社会不適合性を自覚して辛い
所謂ラピッドサイクラーで長い時は数週間から1ヶ月うつ状態が続いてその間は何もできないしたくない。
飯も食べたくなかったら逆に食べすぎたりみたいな感じ。
もう本当にひたすら寝てたいし労働なんてもっての外で24にもなるのにいまだにフリーターで死にたすぎる。
逆に躁状態の時は明らかに無理だろって量の掛け持ちシフトを寝ずにこなしたり1日何回も飯食ったり深夜いきなり友人に電話したりetc・・・
・過剰な浪費
これを全部無意識のうちにしちゃってるってのが本当に最悪。躁の時って判断力のタガが外れる感じがして、しかもこれが月に何回かあるからとてもじゃないけど健常な生活なんて営めない。
このままだといつか友達にも家族にも見放されて1人になっても社会不適合のままで落ちぶれて死んでくんだろうな・・・って思うと逆に死にたい(?)
真面目に手帳取るか悩んでる。
月経カップを初めて使用してみたという方が、その体験を所謂「オタク構文的」に仕立てたレポがバズったことがきっかけらしい。
月経カップはユーザー数自体が国内にはまだ少なく、能動的に調べない限り情報が入ってこない中、親しみのあるオタクノリで語られたことで存在を身近に感じられた方が多くいたのだと思う。
興味深くその流れを追っていた中で、「月経カップのユーザーはメリット面ばかりを強調して勧めてくるのでなんか宗教っぽい」という意見を多く目にした。そこで、月経カップユーザーは何となく胡散臭い、という疑念への回答をユーザーとして自分なりに考えてみることにした。
第一に、月経カップは決して安い買い物ではないし、一般的に薬局等での取り扱いもされておらず、ちょっと気軽に試してみる、ということが難しい。
誰だってそのままドブにお金を捨てたくはないわけだから、自分に合うものかどうか、各メーカーの製品を比較するなどして購入する前にかなり慎重に検討している人がほとんどではないかと思う。
「使用が慣れるまで痛い思いをした」という情報もレビューなどを調べればそれなりに目にするので、そのあたりのリスクも引き受ける覚悟の上で(というと大袈裟かもしれないが、ある程度は仕方がないと受け入れて)実際の購入に踏み切っている人が多いのではないか。
そこまで行き着く動機というのは、私の場合には、それまでの生理用品の使用に著しく不快感や不自由を感じていたことだった。
ここで特定の生理用品についてのディスを書くつもりはないので、具体的にどこがどう悪いといったことは詳しくは言わないが、元々皮膚が荒れやすい体質だというのが大きい。
言うなれば最初から、「ナプキンなどの使用に伴う苦痛A」が解消されるのなら、「月経カップの使用に伴う苦痛B」は許容できるという不等号になっているのだ。
苦痛Aの解消にフォーカスが当たっている自分のような人間にとっては、苦痛Bというのは既に自分の中で飲み下してしまっている部分なので、つい「不快が”全部”なくなった!」みたいな言い方をしてしまいがちなのかもしれない。
しかし当然ながら何をより不快、苦痛に感じるかというのは人によって大きく異なるわけで、苦痛Aの方が苦痛Bよりずっとましだという人がいるのは全くおかしいことではない。
それぞれ自分が安心できる道をとるべきなので押し付けるような言い方だけはお互いにするべきではないが、何にせよ人の言う「快適さ」にはその人の価値観や個体差によるバイアスがかかっているという当たり前の話でもある。
加えて、体質や心持ちの方が変わらなければおそらくはずっと要因としては残り続けるであろう苦痛Aに比べて、苦痛Bの方は多くの場合、慣れによって無くなるか、少なくとも軽くはなってくるという、怪我のリハビリテーションのようなところがある。
リハビリとして考えてみると、「この器具を使えばあなたの身体はずっと自由に動かせるようになりますが、慣れない内は痛かったり違和感を感じたりしますよ」という選択肢を自分で納得して選んだ場合、その後練習を積んでだいぶそれを使いこなせるようになったという時に「確かに自由にはなったけれど、リハビリのこういう所がこれだけキツかった」とデメリットを伝える方に向かうよりは、今まで強い苦痛を感じていた人であればより一層「この器具を使ってよかった!同じ悩みがある人にぜひ薦めたい!」という感動ばかりが全面に出てしまうというのも、心理としてそこまでおかしなことではないのではないか。
そういった性質と、元々ある程度各自でリサーチした上で使用している人が多かったという背景から、ある種の「前提」を共有しているコミュニティで閉じてしまっていたという面はあり、そこが傍から見た時の”怪しさ”に繋がる要因であるかもしれない。
そもそも今回バズったきっかけのレポートを書いた方のように、「今までナプキンでもそこまで苦労をしていたわけではないか、人からもらったので使ってみた」というケースは結構特殊なほうではないかと思う。
しかしバズったことで月経カップ含めて色々な生理用品について率直に、気軽に語られるきっかけになったのならばそれはいい機会だし、また、月経カップを使用してみたが上手く使えなかった、という人が自分を責めてしまわない為にも、バズったレポートのような「失敗談」がオープンに聞ける機会があるのは良いことと思う。
私自身初心者の頃は着脱に苦労した経験があり、個人的には「慣れれば絶対にうまくいきますよ」という言葉の方に勇気づけられて練習できたタイプではあるが、「同じように上手くいかない人がいる」とか「諦めてもいい」という声によって安心を得られる人もまたいると思う。
反面、拡散される中で月経カップユーザー側からすると少し「怖いな」と感じられるノリもあった。
ここで少しだけ、仮に今、日本では圧倒的に月経カップ(もしくはタンポン)を使っている人がメジャーで、紙ナプキンを使う人が一番少数派である、という反転した状況を想像してみてほしい。
この状況が反転した世界では需要が少ない紙ナプキンは高級品で手に入りにくいが、それでも”わざわざ”紙ナプキンを使っている人たちというのは、体内に何かを装着する事への心理的な抵抗感など、各自の切実な理由があってそれを選択しているのである。
そうやって自分なりの安心を得ている人が少数いる中で、突然「なんか紙ナプキンていう生理用品があるらしい」という話題がSNSでバズったとする。
紙ナプキンユーザーが圧倒的に少数派である状況で、「紙ナプキンとかいうやばいツールw」みたいに面白コンテンツとして消費されたり、「経血を体内に溜めないで自然に外に出すっていうのがいかにも子宮系カルトの人が好みそうだよね」と特定の思想や集団と結び付けられたり、「公共のトイレに毎回ゴミを出すなんて不潔、感染症スプレッダーになっている」などというネガティブな意見がワッと湧き上がるのを想像されると、少しこの「怖いな」という気持ちが理解いただけるのではないだろうか。
意見を言う自由があるのは当然のこととして、「オープンに語る」ということと「他人の領域に踏み込む」ことは違うし、特に生理用品は単なる「嗜好」や「趣味」という基準からではなく、もう少しプライベートな身体・健康上の理由から選択している人が多いと思うので、その辺りはデリカシーを持って語っていったほうが良いのではないか。
最低でも、〇〇をつかっている人はこうなんじゃないかとか、勝手なイメージや想像に基づいた偏見をばらまくのは良くないし、そういう姿勢こそカルト等と揶揄される”疑似科学”と何も変わらないように思う。
一応補足しておくと、今回バズったことでレポート主の方を責めたりするつもりは全くない。むしろ予想外にバズってしまったことで色々と矢面に立たされてしまい大変なことだろうと思う。
使った人が率直な使用感を述べることは全くの自由だと思う。しかし、その中でも少しだけ読んだ方への誤解に繋がるのではと心配になる部分はあったので、以下は参考として書かせていただく。
月経カップのメーカーのHPなどには身長体重や出産経験のありなしによって推奨されるサイズが書かれており、先ずは自分に合ったサイズを買うことでリスクを抑えられる。
レポ主の方はMサイズを人から貰い受けたとのことだったが、未経産かつ性交経験がないと書かれていたので、サイズが合っていない可能性があり少々心配になった。もちろん体格や個人差があるので一概には言えないが、Sサイズやさらに短いタイプ等もあるので、基本的にはこれから使用される方は最初の月経カップは自分で選んだ方が間違いがないと思う。
また、着脱の度に煮沸消毒したほうがいいか、という点に関して。メジャーな月経カップメーカーの使用方法には基本的には月経期間が終わった後と始まる前に1回煮沸消毒すればよいと書かれており、メーカーによっては必ずしもそこまで神経質にやる必要はないと書いているところもある。月経カップは区分的には一般医療機器にあたるので、「なんとなくこうじゃないか」と各自で判断するよりは、使っている製品ごとに書かれている使用方法を守るのが安全だと思う。
最後に、処女の場合性具等で拡張しないと月経カップは入らないのではないか、という懸念については、逆に経産婦の方やパートナーのペニスは入る方でも月経カップは最初痛くて入らなかった、という意見もよく見る。月経カップ装着の仕方にクセがあるので、ディルド等の性具と比べて考えるより、やはり月経カップ特有の装着の仕方に慣れていくことでしか痛み等は解決しないように思う。
ただ、確かに今まで膣に何も挿入経験がないという方とそうでない方とでは心理的な抵抗感なども大きく変わってくるとは思うので、まずはタンポンなどで挿入しやすい角度や感覚などを練習してみるというのは有用だと思う。
◆追記
ツイッター上で、ここで言及しているレポート主の方に何点か指摘を頂いたようだったので補足。
先ず、「マイノリティとまで言って「月経カップを使う人」をコミュニティや属性にしている時点でうわあと思ってしまう」、という指摘に関して。
文章内で”マイノリティ”という言葉を使用したことに関しては、単に”少数派”という意味で使用したつもりだったが、意図しない含みを連想させる言葉であることも確かだと思ったので、そのまま”少数派”に訂正した。文章の至らなさがあり申し訳なかった。
そして確かに話を分かりやすく進めるために「月経カップを使う人」をひとまとめのように表現してしまっている部分はあるかと思うが、勿論、月経カップユーザーを特定の属性に押し込めたい意図はなく、私の主張はむしろその真逆のところである。
月経カップユーザーが閉じたコミュニティになっていかない為にも件のレポートがバズったことには良い作用があった、という事を書いたはずだったのだが、この日記がレポート主の方に向けて月経カップを「庇え」と言っているように受け取られてしまったようで残念だった。
また、「ナプキンのネガキャンをしている月経カップユーザーだって居た」、という指摘については、もしその「ネガキャン」の内容がナプキンを使用している人を不当に貶めたり、偏見のある発言をしていたということなら、私が問題視しているのはまさにそういう声や、この日記のコメント欄にも発生している「布ナプキンの方が云々」のような発言のことだ。
元々この日記はレポート主の発言に向けてではなく、あくまでその流れに便乗して乱暴な発言をする人たちを危惧して書いたものだったが、結局レポート主個人の気を悪くさせる結果になってしまったことについては申し訳ないし、ここで交換日記めいてしまうのも良くないので以後は更新しないことにする。
若者に「萌え系」が人気がないと言っても、どうして誰も信じてくれないのだろう?
試しに高校生イラストコンテスト(いくつかある)を覗いてみたが、やはり若者に「萌え系」が人気という様子はないようである。
傾向として見えてきたのは所謂「病み系」が若者には人気らしいということだ。
若者は病んでるのだ。
しかも、両者の違いは一目瞭然ではない。
「一見すると萌え系に見えるが、実は病み系」といった具合にだ。
君らも時代の流れに乗り遅れるな。
自分が川島瑞樹に出会ったのはちょうど4年近く前になるのかな?
好きだったなぁ川島瑞樹。全部、好きだった。雑コラのネタにされていたことも、初代総選挙10位ってとこも含めて。メタ視点で見ても好きな存在だった。
28歳の元アナウンサーで、優しくて、かっこよくて、可愛くて、茶目っ気があって。なにより、憧れの存在だった。
アイドルになりたての頃、不安でヤケになっていたのが嘘だったみたいに立派に成長して、若い子と正々堂々切磋琢磨して、ああ、夢を見始めるのに期限はないんだ、28歳からでも成長していいんだって勇気づけられた。こんな大人になれたら素敵だなって。
モバマスもポチポチ走って課金してスタドリ貯めてフリートレード駆使してカード集めも頑張ってたな。温泉アイプロは川島瑞樹がメンバーのみんなに尊敬されてて鼻が高かった。オトナのバレンタインの報酬SR、最近のイラストの中で1番好きだったな。
デレステもNocturneイベントは全力出した、3桁きれないような雑魚だったけど自分なりに頑張ったな。
2019年6月23日、SSRアドバンス・アバンチュールが実装された。かの有名な「水着マフラーの川島さん」だ。自分はその頃ちょうどインターネットというかTwitterに嫌気がさしてて情報遮断してたから実際にどういう燃え方?というか物議の醸され方?してたのかは詳しくないんだけど、賛否両論だったらしい。
キャラクターのことを好きになりすぎるとパブサができない。推しの悪口を言われてるの見るとムカついて、涙が出るから5ちゃんとかまとめサイトとかpixiv百科とか見れないタイプのオタクだったから、相まってその時のインターネットが怖かった。
とりあえず、出番が貰えてよかった気持ちもあってTwitterでは喜んだフリした。いやもう、正直、現実世界の自分は怒り心頭はらわた煮えくり返りまくりだったんだけど。冷静になって考えればTwitterで喜んだフリしたのも訳わからんよ。もっとキレて、喜んでる人達ブロックしまくったりすればよかった。同担の目が気になって本音が呟けなかった自分が情けない。まずもう死にたい。
セクハラとかモラハラとか、似合う似合わないとかの問題じゃない。「こんな衣装」で一枠潰されたのが川島瑞樹だけでなく、まだSSRの無いアイドル達にも申し訳なかった。
布は少ないし、マフラー浮くし、個人的な感想になるけど合うステージが少なすぎるし踊るの見てて不安になる。
そして、川島瑞樹が着る必要が無い。コミュを読んでも、親愛度セリフを読んでも、川島瑞樹だけがポジティブに物事を捉えて素敵な解釈を後付けているようで、自分は追いつけなかった。「28歳でデビューした事が奇異の目で見られる」という最初期の設定をわざわざ掘り返してまで水着マフラーを川島瑞樹に着せた意味もわからなかった。
自分がもっと上手に川島瑞樹をプロデュースして、人気が出てればこんな衣装貰わなかったのかと思うと悔しかった。死にたくなった。
その頃の自分は本当に馬鹿で、プロデューサーとして自分が川島瑞樹に何か出来る気がしていた。本当は何も出来ないのに。
あと、高垣楓。あそこまでセットとして高垣楓とくっつけたいなら川島瑞樹にもそれ相応の衣装渡せよ。高垣楓がドレス貰いまくってるんだから川島瑞樹がそれに見合う衣装貰えないのおかしいだろって、なんの罪もない高垣楓に八つ当たりしてしまった。ごめんな楓ちゃん。楓ちゃんは悪くない。あとその直後の月末三船美優のことはまだちょっと許せてない。ごめんな美優ちゃん。美優ちゃんは悪くない。
そこからどっぷりTwitterの「愚痴垢」関連のツイートを漁るようになってしまった。やれ、このアイドルの出番だの、このアイドルの衣装だの台詞だの、言い出せばキリがないのは勘づいていたけど実際に言葉にしている人たちを見るのは割と辛かった。特にデレステ4周年~モバマス8周年本田未央シンデレラガールお祝いムードの時が一番色々な人の愚痴を見てた気がする。
辛かったけど、そのころにはなんだか安心できた。同じような意見を持ってる人が居たりしたのが嬉しかった。表垢じゃ言えないから、と、愚痴垢を作った人もいるようで安心した。自分はROM専だったが。
あそこで水着マフラーを出されなければ自分は所謂「聖騎士」になっていたんだろうなってくらいどっぷりハマってたはずなのに、気づけば愚痴ヲチして安心するような人間になってた。
水着マフラーから暫くして、とあるきっかけがあって運営に初めてお手紙を出した。「SSR衣装は目立つし、そのアイドルのシンボルのひとつになるからちゃんと考えて作ってくれ」的なこと。今考えれば稚拙で感情任せな文章だったと思う。でも言いたいことを全部書いた。てかこれも随分と稚拙で感情任せな駄文なんだけど。
元々、ソシャゲが嫌いだった。ゲームは好きで買い切りの家庭用ゲームが好きな人間だ。
いつかサービス終了するゲームに本気になれないし、ガチャというシステムがどうも金目当て臭くて好きになれない。長く続くソシャゲはソシャゲでシステムが多すぎて取っ付き難いし、シナリオも好きになれないものが多かった。あとただ単に毎日ログインが面倒くさかった。
そんな自分がモバマス、デレステには結構な額課金した。貧乏学生なりにデレマスが生活の主軸になるような金の使い方をしていた。「ソシャゲに抗議文を送るなんてバカバカしい」って思ってたのに、感情任せのクソみたいな文章を運営に送ったのもデレステが最初で多分最後だ。川島瑞樹に狂ってたし、運営に振り回されてた。
LIVEで新曲披露からのフォーリンシーサイドイベント。2020年5月31日、ウェディングガシャのドレス姿SSRエターナル・マイラブ実装。5周年のアニバのメンバーに抜擢。
自分はそんな川島瑞樹の頑張る姿を素直に喜べなくなっていった。
フォーリンシーサイドのイベントは完走した。ドレスSSRは3枚取りした。アニバイベントも今、とぼとぼ歩いている。
でももう、昔、川島瑞樹に感じていたあのときめきは無くなっていた。
フォーリンシーサイドのイベントのコミュが昨今のコミュと比較してとても良いものだったのも、ドレスSSRも、アニバのメンバー抜擢も、全部。
思えばアドバンス・アバンチュールと同時に実装されたカバー楽曲も「カバー曲付けておくから衣装楽しみにしてた人はこれで許してね」と言われているようで実装当初から大嫌いだった。
どうでもいい事だけどHello Especiallyの歌詞、片桐早苗の方が合ってるだろ。
ドレスSSRが一番嫌だった。水着マフラーが実装された時「ドレスがよかった」という声が多くあがってるのを見て正直肩身が狭く感じた。
そりゃあ、水着マフラーよりドレスの方がいいけど、自分はずっと「永遠のプリンセス」の上位互換SSRが欲しかった。確かに、夜明けのディーヴァは自分も好きだ。水色のドレス姿で等身大の川島瑞樹として歌う姿は朝焼けを凌駕する美しさだと思う。だけど自分はそれより永遠のプリンセスが好きなんだ。
AngelBreezeを踊らせたときに、しっくりくる、可愛いけど甘すぎない、ふわふわだけど爽やかな衣装が欲しかった。はじめてのダメガで使ってるうちに愛着が湧いて、自分に川島瑞樹が好きになるきっかけをくれたカード。デレアニを見て尚更好きになった永遠のプリンセス衣装。SSR化はもう二度と叶わないんだろうな。
話を戻す。ドレスSSRの実装、嬉しさよりも「ほら、みんなが欲しがってたドレスだよ!これで許してね?」という運営の声が聞こえてきて、本当に、素直に喜べなかった。
ポニーテール続投も、明るすぎる花の色と暗い青のちぐはぐさ、光ったりするギミックも無くてなんの捻りも感じられない。シンプルで良かった、と、気に入ってる人には申し訳ないが、何も嬉しくなかった。
イラストも、同時に実装された黒埼ちとせと比べて手を抜かれたように感じられて、物凄く不快に感じた。ごめんなちとせ嬢。ちとせ嬢は悪くない。
奈央さんの演技くらいだな。個人的にこのSSRの良い所。ボイスの実装があって良かった。
とにかく、自分はこのSSRの実装が運営が「ドレス出せって言うから出したよ。水着マフラーで怒ってた人これで機嫌直してね」と言ってるようにしか思えなかった。
奈央さんの28歳に因んでる説があるらしいがそんなの知らん。中の人関連の色々ほんと無理。いや奈央さんの声と演技は大好き。ごめんな奈央さん。奈央さんは悪くない。
GoJustGoのアニメ観て全く感動できない自分がいて、一気に冷めてしまって今この文章書いてる。
川島瑞樹の出番に運営の「水着マフラー出してごめんね」の謝罪文が付いてまわっているようにしか思えなくなったのは、全部、自分が捻くれているせいなのはわかっている。
もともと被害妄想がひどくて、ネガティブで、後ろ向きで、落ち込みやすい性格だ。
だから、自分が素直になれなくなったのは、他でもない自分のせいだ。
自分が川島瑞樹をまっすぐ見つめることができなくなったのは、自分のせいでしかない。
川島瑞樹を追いかけられなくなったのも、全部全部、自業自得だった。
運営は微塵も「水着マフラー出してごめんね」なんて思ってないと思う。運営に「悪い事をした」という自覚があるなら、それはそれで恐ろしいから。どうかこれからも、悪気のないサイコパス運営であってくれ。
川島瑞樹のことは今でも好き。大好き。良い人だし、かわいい。曲はたまによく聴いてる。でもなんかもうなんか、わからない。あんなに好きだったのに、今でも好きなのに、公式の川島瑞樹を素直に飲み込めなくなっていた。もうあの頃の頭お花畑なしあわせプロデューサーには戻れない。自分は2019年6月22日以前の川島瑞樹のことしか素直な目で見れない。
アニバメンバー抜擢が良いきっかけになった。川島瑞樹のイベントで、ここまで気持ちが上がりも下がりもしないの初めてだ。
このイベント終わったらデレマス関連全部辞めようと思う。こんなネガティブ野郎に粘着されちゃあ、川島瑞樹に迷惑がかかってしまうだろうし。
自分が川島瑞樹に出会ったのはちょうど4年近く前になるのかな?
好きだったなぁ川島瑞樹。全部、好きだった。雑コラのネタにされていたことも、初代総選挙10位ってとこも含めて。メタ視点で見ても好きな存在だった。
28歳の元アナウンサーで、優しくて、かっこよくて、可愛くて、茶目っ気があって。なにより、憧れの存在だった。
アイドルになりたての頃、不安でヤケになっていたのが嘘だったみたいに立派に成長して、若い子と正々堂々切磋琢磨して、ああ、夢を見始めるのに期限はないんだ、28歳からでも成長していいんだって勇気づけられた。こんな大人になれたら素敵だなって。
モバマスもポチポチ走って課金してスタドリ貯めてフリートレード駆使してカード集めも頑張ってたな。温泉アイプロは川島瑞樹がメンバーのみんなに尊敬されてて鼻が高かった。オトナのバレンタインの報酬SR、最近のイラストの中で1番好きだったな。
デレステもNocturneイベントは全力出した、3桁きれないような雑魚だったけど自分なりに頑張ったな。
2019年6月23日、SSRアドバンス・アバンチュールが実装された。かの有名な「水着マフラーの川島さん」だ。自分はその頃ちょうどインターネットというかTwitterに嫌気がさしてて情報遮断してたから実際にどういう燃え方?というか物議の醸され方?してたのかは詳しくないんだけど、賛否両論だったらしい。
キャラクターのことを好きになりすぎるとパブサができない。推しの悪口を言われてるの見るとムカついて、涙が出るから5ちゃんとかまとめサイトとかpixiv百科とか見れないタイプのオタクだったから、相まってその時のインターネットが怖かった。
とりあえず、出番が貰えてよかった気持ちもあってTwitterでは喜んだフリした。いやもう、正直、現実世界の自分は怒り心頭はらわた煮えくり返りまくりだったんだけど。冷静になって考えればTwitterで喜んだフリしたのも訳わからんよ。もっとキレて、喜んでる人達ブロックしまくったりすればよかった。同担の目が気になって本音が呟けなかった自分が情けない。まずもう死にたい。
セクハラとかモラハラとか、似合う似合わないとかの問題じゃない。「こんな衣装」で一枠潰されたのが川島瑞樹だけでなく、まだSSRの無いアイドル達にも申し訳なかった。
布は少ないし、マフラー浮くし、個人的な感想になるけど合うステージが少なすぎるし踊るの見てて不安になる。
そして、川島瑞樹が着る必要が無い。コミュを読んでも、親愛度セリフを読んでも、川島瑞樹だけがポジティブに物事を捉えて素敵な解釈を後付けているようで、自分は追いつけなかった。「28歳でデビューした事が奇異の目で見られる」という最初期の設定をわざわざ掘り返してまで水着マフラーを川島瑞樹に着せた意味もわからなかった。
自分がもっと上手に川島瑞樹をプロデュースして、人気が出てればこんな衣装貰わなかったのかと思うと悔しかった。死にたくなった。
その頃の自分は本当に馬鹿で、プロデューサーとして自分が川島瑞樹に何か出来る気がしていた。本当は何も出来ないのに。
あと、高垣楓。あそこまでセットとして高垣楓とくっつけたいなら川島瑞樹にもそれ相応の衣装渡せよ。高垣楓がドレス貰いまくってるんだから川島瑞樹がそれに見合う衣装貰えないのおかしいだろって、なんの罪もない高垣楓に八つ当たりしてしまった。ごめんな楓ちゃん。楓ちゃんは悪くない。あとその直後の月末三船美優のことはまだちょっと許せてない。ごめんな美優ちゃん。美優ちゃんは悪くない。
そこからどっぷりTwitterの「愚痴垢」関連のツイートを漁るようになってしまった。やれ、このアイドルの出番だの、このアイドルの衣装だの台詞だの、言い出せばキリがないのは勘づいていたけど実際に言葉にしている人たちを見るのは割と辛かった。特にデレステ4周年~モバマス8周年本田未央シンデレラガールお祝いムードの時が一番色々な人の愚痴を見てた気がする。
辛かったけど、そのころにはなんだか安心できた。同じような意見を持ってる人が居たりしたのが嬉しかった。表垢じゃ言えないから、と、愚痴垢を作った人もいるようで安心した。自分はROM専だったが。
あそこで水着マフラーを出されなければ自分は所謂「聖騎士」になっていたんだろうなってくらいどっぷりハマってたはずなのに、気づけば愚痴ヲチして安心するような人間になってた。
水着マフラーから暫くして、とあるきっかけがあって運営に初めてお手紙を出した。「SSR衣装は目立つし、そのアイドルのシンボルのひとつになるからちゃんと考えて作ってくれ」的なこと。今考えれば稚拙で感情任せな文章だったと思う。でも言いたいことを全部書いた。てかこれも随分と稚拙で感情任せな駄文なんだけど。
元々、ソシャゲが嫌いだった。ゲームは好きで買い切りの家庭用ゲームが好きな人間だ。
いつかサービス終了するゲームに本気になれないし、ガチャというシステムがどうも金目当て臭くて好きになれない。長く続くソシャゲはソシャゲでシステムが多すぎて取っ付き難いし、シナリオも好きになれないものが多かった。あとただ単に毎日ログインが面倒くさかった。
そんな自分がモバマス、デレステには結構な額課金した。貧乏学生なりにデレマスが生活の主軸になるような金の使い方をしていた。「ソシャゲに抗議文を送るなんてバカバカしい」って思ってたのに、感情任せのクソみたいな文章を運営に送ったのもデレステが最初で多分最後だ。川島瑞樹に狂ってたし、運営に振り回されてた。
LIVEで新曲披露からのフォーリンシーサイドイベント。2020年5月31日、ウェディングガシャのドレス姿SSRエターナル・マイラブ実装。5周年のアニバのメンバーに抜擢。
自分はそんな川島瑞樹の頑張る姿を素直に喜べなくなっていった。
フォーリンシーサイドのイベントは完走した。ドレスSSRは3枚取りした。アニバイベントも今、とぼとぼ歩いている。
でももう、昔、川島瑞樹に感じていたあのときめきは無くなっていた。
フォーリンシーサイドのイベントのコミュが昨今のコミュと比較してとても良いものだったのも、ドレスSSRも、アニバのメンバー抜擢も、全部。
思えばアドバンス・アバンチュールと同時に実装されたカバー楽曲も「カバー曲付けておくから衣装楽しみにしてた人はこれで許してね」と言われているようで実装当初から大嫌いだった。
どうでもいい事だけどHello Especiallyの歌詞、片桐早苗の方が合ってるだろ。
ドレスSSRが一番嫌だった。水着マフラーが実装された時「ドレスがよかった」という声が多くあがってるのを見て正直肩身が狭く感じた。
そりゃあ、水着マフラーよりドレスの方がいいけど、自分はずっと「永遠のプリンセス」の上位互換SSRが欲しかった。確かに、夜明けのディーヴァは自分も好きだ。水色のドレス姿で等身大の川島瑞樹として歌う姿は朝焼けを凌駕する美しさだと思う。だけど自分はそれより永遠のプリンセスが好きなんだ。
AngelBreezeを踊らせたときに、しっくりくる、可愛いけど甘すぎない、ふわふわだけど爽やかな衣装が欲しかった。はじめてのダメガで使ってるうちに愛着が湧いて、自分に川島瑞樹が好きになるきっかけをくれたカード。デレアニを見て尚更好きになった永遠のプリンセス衣装。SSR化はもう二度と叶わないんだろうな。
話を戻す。ドレスSSRの実装、嬉しさよりも「ほら、みんなが欲しがってたドレスだよ!これで許してね?」という運営の声が聞こえてきて、本当に、素直に喜べなかった。
ポニーテール続投も、明るすぎる花の色と暗い青のちぐはぐさ、光ったりするギミックも無くてなんの捻りも感じられない。シンプルで良かった、と、気に入ってる人には申し訳ないが、何も嬉しくなかった。
イラストも、同時に実装された黒埼ちとせと比べて手を抜かれたように感じられて、物凄く不快に感じた。ごめんなちとせ嬢。ちとせ嬢は悪くない。
奈央さんの演技くらいだな。個人的にこのSSRの良い所。ボイスの実装があって良かった。
とにかく、自分はこのSSRの実装が運営が「ドレス出せって言うから出したよ。水着マフラーで怒ってた人これで機嫌直してね」と言ってるようにしか思えなかった。
奈央さんの28歳に因んでる説があるらしいがそんなの知らん。中の人関連の色々ほんと無理。いや奈央さんの声と演技は大好き。ごめんな奈央さん。奈央さんは悪くない。
GoJustGoのアニメ観て全く感動できない自分がいて、一気に冷めてしまって今この文章書いてる。
川島瑞樹の出番に運営の「水着マフラー出してごめんね」の謝罪文が付いてまわっているようにしか思えなくなったのは、全部、自分が捻くれているせいなのはわかっている。
もともと被害妄想がひどくて、ネガティブで、後ろ向きで、落ち込みやすい性格だ。
だから、自分が素直になれなくなったのは、他でもない自分のせいだ。
自分が川島瑞樹をまっすぐ見つめることができなくなったのは、自分のせいでしかない。
川島瑞樹を追いかけられなくなったのも、全部全部、自業自得だった。
運営は微塵も「水着マフラー出してごめんね」なんて思ってないと思う。運営に「悪い事をした」という自覚があるなら、それはそれで恐ろしいから。どうかこれからも、悪気のないサイコパス運営であってくれ。
川島瑞樹のことは今でも好き。大好き。良い人だし、かわいい。曲はたまによく聴いてる。でもなんかもうなんか、わからない。あんなに好きだったのに、今でも好きなのに、公式の川島瑞樹を素直に飲み込めなくなっていた。もうあの頃の頭お花畑なしあわせプロデューサーには戻れない。自分は2019年6月22日以前の川島瑞樹のことしか素直な目で見れない。
アニバメンバー抜擢が良いきっかけになった。川島瑞樹のイベントで、ここまで気持ちが上がりも下がりもしないの初めてだ。
このイベント終わったらデレマス関連全部辞めようと思う。こんなネガティブ野郎に粘着されちゃあ、川島瑞樹に迷惑がかかってしまうだろうし。