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2023-08-29

RISING SUN ROCK FESTIVAL 2023inEZO 2日目

8時からのお風呂に間に合う様に起床。早目にバス乗り場に向う。このまだテントサイトしかいない静かな時間帯が本当に好きだな〜と思いつつ歩いていた。今年は入場時、入場口で写真を取れなかったのでこの時にミヤジの真似をして写真を撮ったりして楽しむ。今年のお風呂バスは立派なバス(毎年市営バスみたいなやつで立ち乗り&ぎゅうぎゅうだったけど今年は大型バスで皆イスに座れた)でお風呂Go。今年はシャトルバスもめちゃくちゃだったぽいし、人手不足を実感するなど…。そんな中でもこうして連れてってもらえるのありがたいなぁと思った。お風呂についてはまた後で書く。

風呂から戻ってきたら丁度10時入場組が並んでてそんな時間なんだなぁと思いつつテントまで戻って白い恋人ソフトを食べに行く。並んでたら白いロールケーキが2個で半額との事でそちらも購入(ただのデブ)して食べる。冷たい食べ物が身に沁みた…。

Reiちゃんまでプロボの日陰で座って涼みながら(テントが暑すぎて入ってられない)ダラダラする。ライジングのこういう時間もすごく贅沢で好きだけど今年本当に暑すぎて…。Reiちゃん前に数年振りにライジングでの再会を果す。本当に久しぶりにお会いしたけれど二人共全く変わってなくてびっくりした。私だけめっちゃ老けたのでは…?こういう瞬間があるのもライジングでの楽しみの一つなのでお会い出来て本当嬉しかった!!今年もありがとうございました。

2日目観た順

ReiRei*中村達也*中尾憲太郎→Rockon Social ClubスキマスイッチMISIA(数曲)→勃殺戎洞*キューティペアZAZEN BOYS→DYGL→ADAM at

  

·Rei

意外にも単独では初出演との事。何回もライジングで観てたから驚いた。サポートにハマ君とユナちゃん(CHAI)で、ハマ君のベース初めて生で聴くので楽しみにしてたけどやっぱうめぇ〜!!あの佇まいといい既に大物の貫禄…。Reiちゃんも相変わらずの渋いギター若い女の子が弾くギターじゃないんだよなぁ…。本当カッコいいよ…!!個人的にかなり楽しかった〜!Hyggeステージってのも良き。ボヘミアンがない今、このステージは貴重。

·Rei*中村達也*中尾憲太郎

今年は中々達也さん出演の発表がなくてまさか出ないなんて事はないよな〜と思いつつもちょっと不安だったので今年もライジング達也さんが観れて良かった!あと初めてこんなに近くで中憲を見た気がする。全体的にデカかった笑 この組み合わせはライジングしか見られないのですごい楽しみにしてたけど全員演奏上手いし最高だったな〜!!ジミヘンカバーもだけどブランキーsweet daysカバーには驚いた。中憲がああいベースを弾くの珍しすぎる。Reiちゃんが歌ってるのもめっちゃ可愛い。3人で作ったと言う新曲、めちゃくちゃ良かったので音源が欲しい…!!この日限りとか勿体なさすぎる…!!Reiちゃんにけんちゃんって呼ばれてニコニコしてる中憲可愛かった…笑

·Rockon Social Club

友達と別れてアースステージへ。中に入るか迷ったけど暑くて体調悪くなりそうだったから外のモニターが見える所にイスを置いて見る事にする(立ち上がれば遠巻きながらステージも見える位置)正直冷やかしみたいな気持ちだったけど中々良かった。見た感じ成田さんが人気なのかな?イケメンだし歌も上手かったから納得だけど…成田さんは控えめな感じのパフォーマンスだったけど、前田さんと岡本さんはやっぱずっと芸能界にいた人って違うな〜と感じる。盛り上げ方とか佇まいがもうスターって感じ。サポートドラムがツーバスちょっと苦手な感じだったけど(サポートの人がってよりツーバスドラムタイルが苦手)すごく上手かった。結局最初から最後まで観て楽しむ。そうそう観れるものでもないし貴重な体験でした。

·スキマスイッチ

早目に移動してスタンバってたから(と言うよりもう色々移動する体力がなかった…笑)後ろの真ん中よりに座って待ってたけど想像してたより遥かに人が集まってきてびっくりした。普通にサンステでいけたのでは…?スキマスイッチは初期の頃(夏雲ノイズ辺り)好きだったのでその頃の曲が聴きたいな〜と思ってたけど、やっぱ最近定番っぽい曲が多かった。でも演奏も歌もめちゃくちゃ上手くて聴いてて気持ち良かったな。大橋さんはやっぱり抜群に歌が上手い…!!初めてスキマスイッチ観た人?って質問にめちゃくちゃ手が上がってて観た事ある人って聞けば良かったね…って苦笑してたの笑った。最後、奏聴けたので満足。やっぱり名曲だよ、奏は。

·MISIA

スキマスイッチ終わり友達と合流してご飯を食べてからMISIAへ。思ってたよりスタンディングエリア空いててびっくりした。てっきり2019年エルレぐらい埋まってるかと思ってたので…。花火めちゃくちゃ綺麗だったけど今年ハピネスがあった付近で見たら本当壮観なのでその辺りでまた観れたら良いな〜と思った。勃殺戎洞&キューティペア時間があったので3曲ぐらいしか観れなかったけどめちゃくちゃ歌が上手い…!当たり前の様に喉からCD音源以上なんだよなぁ…。しかし何やかんMISIAってRSR来てくれてる不思議。ロッキンとかならわかるけど…。

·勃殺戎洞&キューティペア

凄い人(始まったらめっちゃ押されて久しぶりに人と密着するレベルライブを観た)でほとんどステージ見えなかったけど達也さんと中憲はちょいちょい観えた。キューちゃんドラムカッコよ〜!!って聴いてたけど達也さんが入ってくると達也さんのドラム支配されて笑 ほとんど聴こえなくなるの笑った。めっちゃカッコ良かったけど。達也さんのドラム本当大好き過ぎる。時々達也さんが中憲を制止(?)する為に「うるさーい!!!!」って大きい声で叫んでたの面白かった。最後キューちゃん達也さんが「きゅ〜てぃ〜きゅ〜てぃ〜ペア〜」って二人で歌ってたの可愛かったけど友達にスベってたねって言われてて笑った。確かに。もうちょいステージ観えたらもっとしかったな。惜しい。

·ZAZEN BOYS

今年1番の楽しみでした!!レッド、深夜近くって言う最高の条件で観せてくれてウエスありがとう…。MIYAさんが入って初めて生で観たけどやっぱりめちゃくちゃうめぇ〜!!秘密ガールとか久しぶりに聴いた。MIYAさんのベースってひなっちがいた頃の曲の雰囲気に合うから昔の曲またガンガンやって欲しい…!!向井さんが今年中にはアルバムを出す、こうして宣言する事で自分の尻を叩いとるって言ってて笑った。11アルバム出してないって言っててめちゃくちゃ驚く。すと〜り~ず(だよね?)からそんなに経ってるの!?コンスタントライブはやってたか全然そんな感じしない…。新曲2曲やったけど1曲目めっちゃナンバガでびっくりした…。聴いてる時「みんな口にしないけど絶対ナンバガっぽいって思ってるよな…」って考えてて終わった後友達と話してたら友達も同じ事言ってたのでやっぱりなーと思った。正直、ナンバガで出して欲しかったな…。一曲で良いから懐古じゃないNUMBER GIRLの曲を手にしたかった気持ちがあるので…。途中マイクオフ向井さんがカシオ氏に「それ使わんでいいて言っとるやろ(多分エフェクター?)」みたいな感じで結構キツめの口調で言ったらカシオ氏が「はい!!!」みたいなガチの返事をしてて笑ったけどよく考えたら長年一緒にやってるのに未だこの上下関係(?)なの何かこわいな…って思ってしまった…笑 ザゼンは本当にライブが常に最高なので安心して楽しめる。

·DYGL

結構楽しみにしてたんだけど本当に眠い&疲れてて立ち上がれなくて椅子に座って半分寝ながら聴いていた…。でもめっちゃカッコ良かったんだよなぁ〜!!元気な時に聴いたら最高だったと思う。全編通して撮影OKだったけど動画上がってるのあまり観なかったな。私が単純に探してないだけかもだが…。予想してたより演奏上手かったかもっとちゃんとした体調でもう一回見観たい…。若者が「何かカッコいい!!」って言いながら走ってきてたりして若者は元気だな〜とババア疲弊しきっていた…。

·ADAM at

ここ辺りの時間帯、本当に眠くて一応ステージ前まで行ったけどほとんど座って寝てた…。元気だったら割りと楽しかったと思うんだけど…。本当この時間帯に元気で踊ったりしてる人すごすぎる…。根性ステージ付近に居た感じだったの勿体なかったなぁ…。ちゃんと楽しみたかった。

終わった後、気力を振り絞ってテントまで帰ってたらVaundyが聴こえてきたかちょっと聴いてたけど、何か思ってたより普通…と言うか可もなく不可もなくって感じがした…。まぁ若いしこれからなんだろうな。

テントに帰り着いて荷物整理してたらいつの間にか寝てて起きたらもうテント出なきゃいけない時間で焦る。忙いで準備して岐路を歩いてたらマカロニえんぴつが演奏してるのが聴こえてきた。今年はトリ全く観ずだったな。と言うか2日間あんなに晴れてたのに日の出時間微妙に曇ってて日の出見れないとか本当どうなの!?!?

今年はとにかく暑かった一言…。楽しかったけど本当暑すぎてヤバかった。とりあえずまた総括は別で。

2023-08-18

清宮海斗私たち想像より遥かにすごいレスラーかもしれないという

2023年新日本プロレスG1クライマックス」は内藤哲也勝利で幕を閉じた。ファンの方は嬉しかたことだろう。

しかし、今回のG1は確実にある男が話題の中心に居続けたのは疑いようのない事実だ。

その名は清宮海斗プロレスリングノアの若きエースといわれる男である

今年1/21のオカダへの「蹴撃」から始まった清宮の行動は他団体シングルリーグ戦出場へとつながって、リング内外で想定外の渦を巻き起こした。それが何を示しているのか。

まず、今回のG1への清宮参戦はどちらの希望だったろうか。これに関して私は新日本側の要請とみている。ここでの参戦が大きな話題になることは自明であり、チケット売上や専用アプリへの登録数を

増やせるいい機会である。ここで新日本から感じるのは自団体試合内容やレスラーへの自信だ。きっかけさえあればある程度以上の他団体ファンのとりこみが容易だと判断したのだろうと思う。

ノアからみても清宮には良い経験になるし、知名度に劣り、参戦発表段階では新日本ファンからは諸手を挙げて歓迎されているわけでもない彼への「誤解」を解くいいタイミングでもある。

加えて若いとはいえ団体最高王座に2度(一度目は最年少記録での戴冠)就いた選手である。無碍な扱いをしないような話はあったろうし、そうでなければ送り出すようなこともないはずである

しかし、ここから(おそらくどちらの団体からしても)想定外事態が起こりまくった。

まず、新日本での発表時にファンから想像以上の歓迎を受けたことだ。おそらく新日本的にはブーイング半分の状況を想定していたのだと思う。それが想像以上の歓声とともに受け入れられたのだ。

次に新日サイドが目の当たりにしたのは、当初の予想や見積もりはるかに超える技量いかんなく発揮する清宮海斗レスラーとしての能力だった。条件の厳しい(全くのアウェイ+一般的ではない20分一本勝負)中出る試合出る試合で、様々なタイプの対戦相手の特徴を引き出したうえでそれを超えてみせるという、清宮にとっては当たり前の、だが新日本サイドとしては予想だにしなかった状況を現出させたのだ。

その技量の突出の度合いが令和三銃士と名付け、なかで団体としては筆頭扱いであった辻陽太戦で現れた。この試合での清宮は普段試合では見せない挑発的な技も駆使しつつ、最後は完勝としか言いようのない組み立ててで勝ってみせたが、現場フロントはここまで技量差を見せられるとは思っていなかったろう。さら海野翔太戦でも技量で圧倒しつつも海野の気の強さを存分に引き出して引き分けに持ち込んだ。さらに現IWGP世界ヘビー級王者SANADAとの試合でも試合リードし、最後時間ギリギリの敗北となったが、王者差し置いて週刊誌の表紙にまでなってしまう状況となった。こうなればファンは正直である新日本ファンが一目置くのは必定だ。

団体選手差し置いて会場(=ファン)の信頼を次々に勝ち取っていく清宮を見て、新日本フロント現場は何を考えたろうか。その一端がゲイブ・キッド戦で現れたのではないか

この試合挑発ヒールファイトをするスタイルに隠れているが、明確にゲイブは試合を壊しにかかっていたように見えた。清宮は最初受けるスタイル修正を試みていたが、ある段階で完全に「これは違う」と判断したようだ。

セコンドも連れず、文字通り「単身」敵地に乗り込んでいる彼は試合そっちのけで自らと団体尊厳を守る行動に出る。最低限の行動(眼球への攻撃急所への打撃を行わない)は守りつつ立ち向かったのだ。ちなみに観客席で自らの頭を椅子で殴ってから相手に襲い掛かるという奇行ともいえる行為も、湧き上がる怒りを抑える行動とすれば納得もいく。清宮の突然の「試練」に対しても全く臆することなく、むしろ敢然と立ち向かう姿に、おそらくレスラー間で彼を見くびるものはいなくなったはずだ。

だが、一部の人間がそれを完全に脅威としてみたこともまた真実だろう。

私は、この試合を見たときに「これが<仕掛け>であるなら、予選突破はないのかもしれない」と思い始めた。普通に試合を行っても引き分けは当然あるわけだが、この引き分けはそういうものとは違うと見え感じたのだ。その後報道で清宮がスタッフを突き飛ばした、という記事が出た。普段試合後でもそのような態度をとらない彼がとった行動はその内容が全く予想外であったことを示している。このあたりから、当初の思惑とは違う流れが起こっていたのではないか

話は飛んで清宮は成田蓮戦で「まさかの」敗北を喫しあえなく予選落ち、となったが、翌日にノア副社長を兼ねる丸藤正道がかなりセンシティブな内容のツイートを行った(https://twitter.com/noah_marufuji_/status/1687979081059762176?s=20)。真意は以前丸藤との対戦を希望した成田勝利後に自身と対戦すると清宮のランクが下がってしまうということ、と言っているが、タイミングタイミングなだけに鵜呑みにはできない。時系列文脈からすれば成田勝利隠れ蓑にしてG1興行全体のピエロとして清宮を扱ったのはおかしい、という風に解釈するほうが無理がないからだ。丸藤の立場でこの発言したこと自体新日本側に対するけん制意味があるわけで、けん制せねばならない事案が起こっていたという推論にたどり着くことになる。

リーグ戦敗退後もG1興行に参戦を続けた清宮を待っていたのは、なんとほぼ第一試合でのタッグマッチ、というものだった。当初から決まっていたグレート・O・カーンジェフ・コブ戦はともかく、その後のマイキーニコルズ&藤田晃生、天山公吉&マスター・ワト、矢野通オスカーロイベとの試合とあっては、いくら興行のハナが大事だといっても他団体トップレスラーをあまりにもぞんざいに扱いすぎている。これはなぜだろうか?

私は準々決勝の組み合わせでAブロック選手相手を見たとき、ふと「ヒクレオのところにSANADAが、SANADAのところに清宮がいたほうがはるかに盛り上がったのではないか?」と感じた。これだと内藤SANADA勝利していたろうし(結果として優勝後の興行の流れもこのほうがスムーズだった。)、清宮とEVIL試合は相当に盛り上がったはずだ。しかもここで清宮が勝てば準決勝でオカダ戦ということになり、興行の盛り上がりは最高潮だったろう。

しかし、それこそが新日本側の最も恐れていたことではないか。清宮がG1興行の柱になってしまうのだ。この流れでオカダが清宮に勝っても決勝でその盛り上がりを上回ることができるか。決勝は内藤でもオスプレイでもそれは盛り上がるだろう。しかし、仮に清宮がそこまでの試合のようにベストマッチ連発の内容を見せていたらどうなるか。清宮の試合の積み重ねが新日側にあった「自団体試合内容やレスラーへの自信」を揺るがせたのではないだろうか?

そうなれば最も安全なのは「観客の記憶の奥に清宮の存在を眠らせる」ことである。それはノア側の「想定外」だったろうことが丸藤の態度に表れている。

しかし、両団体にとって(良くも悪くも)更なる想定外は「G1によって清宮の支持が大きく広がった」ことではなかったか

清宮敗退の報がネットに流れた際、新日本方針批判する発言が多く流れ、想像以上の数の新日本ファンがそれに賛同していたのは正直驚きだった。会場でも第一試合や第二試合の出場であっても大歓声で迎えられた。新日本側のレスラーたちの思いも天山戦後天山自身が清宮を讃えた態度で伝わってきた。そしてなにより清宮本人が腐ることなくしっかりと試合を行いファンを裏切らなった。これこそ清宮が再三言っていた「ノアを広める」が具体的な形になった瞬間ではなかったか

清宮は正式使用技の伝授をされている関係から武藤敬司の影響が語られることが多いのだが、元は三沢光晴に憧れノアの門を叩いた生粋の「三沢チルドレン」である。ここまでの清宮の行動を見ればわかる通り、「レスラー試合で魅せる」「いざとなったら筋を通す」「ファンを裏切らない」という三沢光晴思想が彼のレスラーとしての行動に裏打ちされている。彼の恩師である小川良成指導が大きく花開いた瞬間でもあったと思う。

さらに、清宮はあの若さにして日本プロレス発祥プロレス技術継承者としての側面を持っている。彼と新日本でタッグを組んだ大岩陵平は清宮にスカウトされる形でノア留学となったが、すでにノア道場道場主でもある清宮は指導者としての側面も期待されている。

こう見ると、この男がこれから成すことは、私たちも知らない新しいプロレスとなるのではないか

清宮海斗私たち想像より遥かにすごいレスラーかもしれない。

2023-07-29

動物性タンパク質摂取を控えている私も、土用の丑の日には鰻を避けるわけにはいかないであろう。

酒々井町で生まれ育った私は幼い頃から手繰川沿いを自転車で走り鰻釣りを楽しんだものである

酒々井町酒々井中学校卒業千葉県佐倉高等学校に進学した頃には釣った鰻を焼くだけでは足りず、甲子正宗か梅一輪と合わせなければ満足できないようになっていた。音楽教師の母は呆れていたが、高校教師の父は「清酒にする米を作ってる家の男だ」と笑いながら私と共にヘベレケになっていたものだ。

神戸大学医学部在学中は、当時交際していた女性とその両親と元町青柳という店で鰻を食べた。あの鰻も素晴らしいものであったが、私にとって鰻といえばやはり成田の川豊なのである

土用の丑の日におさまらず、事あるごとに川豊の鰻を食べていた我が家の者は私含めストックホルム性の癌を発症していない。よって肝細胞に仕組まれシステム(これにより現代日本人はNKの細胞傷害性が慢性的に阻害されている)にも関わらず、うなぎタンパク質マクロファージからサイトカイン放出、それによる癌発症とは無関係ものであろう。

ちなみに、ストックホルム貴族達に辟易していた時にローベン島で知り合ったハンプシャーの某伯爵は私が持参した甲子正宗を大層気に入り、その後来日した際には川豊の鰻を堪能されたそうである

叔父と父から相続金で食い繋いでる身としては川豊の鰻は手痛い出費ではあるが、定職に就いている人たちですら土用の丑の日うなぎを渋るということは悲しいものである

2023-07-28

ストックホルム卿について整理

彗星の如く現れた「本物」

千葉県酒々井出身

・両親は教師農家

日本酒成田の鰻が好き

栄養士女性(故人?)と市役所職員女性との交際歴あり

一橋大学商学部卒業

神戸大学医学部医学卒業

一橋大学商学部在学中にスウェーデン留学

スウェーデン貴族欧米の名門一族交流あり

他にあった?

一つたしかに言えることがある。

あの日千葉県東金病院にて亥鼻差し向けた医局員たちは私にプロポフォールを投与した。本来麻酔科医がいなければ使用できない薬剤で私の意識を奪った。

そして、癌性腹膜炎によって苦しむ彼女ステロイドを過剰投与し、夫と幼い子供の前で彼女を殺したことである

薄れゆく意識の中でさまざまなことを思い出した。酒々井中学校卒業式彼女から詰襟ボタンを求められたこと。休日には成田参道を共に歩いたこと。南酒々井駅で初めて口づけを交わしたこと。私が好きだった成東駅近くの和菓子屋最中学校帰りによく買ってきてくれたこと。

千葉県立成東高等学校から日本女子大学に進み、栄養士として社会に貢献し、夫から子供からも愛され続ける筈だった彼女人生ストックホルム貴族達によって閉じられた。

私が医局追放される前(思えばあの頃から教授たちは私の査問の準備をしていたのであろう。いつも私に良くしてくれた講師がやけによそよそ態度を取った時期である)、彼女電話した。彼女から泣きながら言われた言葉は「あなたは頭がおかしくなってる」であった。その一言彼女電話を切った。

思えば、彼女は皮膚病があった。肉も好きだった。消化器と皮膚の炎症がマクロファージからサイトカイン放出を促し、予防接種を通じて肝細胞に仕組まれシステムが既に作動していたのではないか一種せん妄状態であったのであろう。

千葉県佐倉高等学校に在学していた時に親しくしていた部活の先輩も、執拗に私をサナトリウムに拘束しようとしていた。彼もやはり持病によってCRPは上昇しやすい傾向にあった。

もし、一橋大学商学部在学中にスウェーデンへ行くことがなければ、私も彼らのように何も知らず、怒りを感じず、穏やかに酒々井で仮初の幸福享受することができたのであろうか。

しかし、知ってしまった限り動かねばならない。ストックホルム貴族達をはじめとした白人至上主義者どもの醜悪計画を挫かねばならない。

神戸大学追放後、私はサナトリウムから抜け出し、新幹線タクシー千葉に帰った。

実家に帰ることも考えたが、既に私が帰る場所などなかったことを思い出し成田へ向かうことにした。

成田山の参道沿いを歩き、千葉県立成東高等学校に進学した彼女と共にここを歩きなごみ米屋の栗羊羹を食べたことを思い出した。日本女子大学卒業管理栄養士として働いていた彼女は他の男と結婚出産を経ていた。そしてその頃、子宮頸がんによりその命は風前の灯であった。

私は叔父から渡された手切金で当分生活には困らないことを確認すると、なごみ米屋羊羹を買い川豊で鰻を食べた。元町でもよく鰻を食べた。医学生時代一橋大学同級生神戸市役所勤務の女性同棲していたが、彼女の両親になぜか気に入られよく4人で青柳という店の鰻を食べたものだ。

しかし、やはり私にとって鰻は元町青柳ではなく、成田の川豊なのである

ストックホルム貴族たちの慇懃無礼な態度、そして私がチェコで仕留めた牡鹿を自分の手柄にしたリヒテンシュタイン家の侍従、彼らの醜悪計画

のどか千葉にいると、それら全てを一瞬だけ忘れることができた。

2023-07-25

悪いことは言わない、今年は成田ホテルで前泊をしてくれ

要約 : ここに泊まれ成田東ホテルエアポート

成田空港ホテルは常に戦国時代で、大体2-3年単位でお得なホテルが変わる。

しかし、2023年ベストステイは間違いなく東武(旧ホリデイイン)である成田の前泊に情熱をかけ、10年間泊まってきた自分が言うので間違いがない。

どれくらい情熱があるかというと、予約後にももっといいプランがないか毎日トラベルコとagodaで確認するほど。バックテストと称してる

※ちなみに、トラベルコはなぜかAgodaの料金だけは正確に出してくれないので別個で調べてる

どんくらい安いかというと、物価高の中、2人で泊まって朝食付きで1泊4750円だった。10年間見てきたが東武はこんな値段だったことはなかった

何があったのかはよく知らんけど大体ゲートウェイ、それよりワンランク上ならばマイステイズが鉄板だった。

流石にやばいと言わざるを得ない。しっかり朝食も美味しい。2600円という値段は妥当というレベル

まり部屋代が2150円ということで、物価税金Sky Highなこの時代においてバグだと言わざるを得ない。

安さには訳があると思われがちだが、今回の宿泊ではなんと見当たらなかった。

スタッフ爪切り売ってるか聞いたら売ってないと答えられたが宿内のマツキヨ普通に売ってたのが唯一のマイナス(そんくらいしか不満点が出せない)

そもそも宿内にコンビニマツキヨもあって最高にやばい

あと、電話応対も全体的にどこか塩対応だった。これが四つ星ホテルならちょっとアレだが、この価格となると流石にどうでも良くなる

さらに、フィットネスは1600円とお高めだが、故にプールもガラ空き、大浴場に至っては入浴者0人。

休憩スペースは漫画付きで、ゆったり寝れる椅子もある。ロッカーもあるのでタオルを丁寧にひけばサウナ後に音楽を聴きながらゆったり寝るということも可能

宿代が安い分、ここは課金するのを勧める。サウナ普通にチアチで何より水風呂がこの夏に冷え冷えなのださりげなくサウナマニアが大喜びな設定になっている。

何より空港へのアクセスが冷静にエグい

第三ターミナルからはgooglemapベースで徒歩10分、バスで行けば第二、第一までざっくり10分だ

空港から普通にこのホテル見えるもん

えぐすぎ

羊頭狗肉蔓延るこの世の中で、このホテルは色んな意味で狗頭羊肉だ。

こんなに神ホテルなのに、サイトもスン...としてるし、ホテルの中も静かだ。アピールしようと言うガツガツ感がない。

まぁ成田ホテルは全体的にそんな感じで落ち着いてる。多分森の力だと思う

僕はこの宿、もはやスタッフより好きだ。この文章の量でおわかりいただけると思う。

最後に、大体agodaでお得なのだがどうせなら直予約でも十分勝負したほうがいいと思う

直予約で、フィットネス付きで一人6000円くらい出せばagodaともいい勝負できると思うし、手数料節約できるくない?

さら最後に、この後ベトナムに行ってそれもそれで楽しかったのだが、

価格に対する満足感という意味ではこのホテルが一番いい意味で予想を裏切ってくれた。

やばいよね普通に

2023-07-21

anond:20230721162708

その並びに唐突成田悠輔が出て来るのなんか草生える

出る杭が打たれず大谷翔平とか藤井聡太とか成田悠輔が活躍する時代って素晴らしく見えるけど

できる人間が大きく儲けて凡人がワープアになる時代なんじゃないか

庶民にとっては横並びよーいどんの方が幸せだったのでは

anond:20230719231011

成田福岡Peach10K\

博多3泊

メシが旨い、観光スポットもたくさん

 

博多鹿児島 バス6K\

鹿児島2泊

天文館を中心に歩き回っても2日は余裕で消化できる、関東には無い風景空気感

 

鹿児島奄美大島 フェリー 9K\

奄美大島1泊

名瀬周辺、観光地は無いが南国ムードは楽しめる

 

奄美大島喜界島 JAL 11K\

喜界島 3泊

俗化されてない南の島、バス島内は回れる、旅館自転車を借りれるか問い合わせしておいた方がいい。

チャリおすすめダメなら電動キックとか宅配で予め送っちゃうとか

 

喜界島鹿児島 フェリー 10K\

鹿児島1泊

次のAirと乗り継ぎ時間あるなら宿泊無しで

 

鹿児島関空 Peach 10K\

大阪1泊

今後大阪ディスる時にも知っておくのはよかろう

 

新大阪東京 新幹線 14K\

宿泊、飯代、諸経費含めて30万円

2023-07-12

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-06-29

旅行いくのに羽田じゃなく成田空港を選んだんだけど、東京駅から成田ってすげえ遠いのな。

滋賀から大阪に行くくらいまでの時間がかかる

飛行機関係関空からなかったからこっちだったけどそれでも成田ないわーとハッキリ思った

2023-06-25

anond:20230625221108

千葉市周縁地域というのか成田五井までの地域というか、あの周辺は都市計画で企てられすぎた町という雰囲気気持ち悪いのは理解できる。

2023-06-14

anond:20230613214051

1970年代に一部地域で推奨 40代記者も習慣に

 最初におかず、次に汁物という具合に1品ずつ順に食べ切るのが「ばっかり食べ」。一方、おかず、ごはん汁物牛乳などの飲み物一口ずつ行ったり来たりするのが「三角食べ」と呼ばれます

 三角食べ1970年代ごろから一部地域学校で推奨されたといわれます給食行政に詳しい専門家は「『完食させたい』という学校現場のニーズから出た指導では」と推測します。ちなみに東海地方出身記者40代)は小学校三角食べ指導され、今もその習慣が抜けません。

 文部科学省2007年に発行した「食に関する指導の手引」には、「主食とおかずは交互に食べる」の記載がみられます。では、ばっかり食べは良くないのでしょうか?

専門家は「どちらにもメリットデメリット

 「どちらにもメリットデメリットがある」と話すのは、管理栄養士成田崇信さん。

 三角食べ長所は、並行して食べ進むため、残しても比較栄養バランスがとれること。また硬さが異なるものを混ぜて食べるとかむ回数が増え、肥満防止に役立ちます。ただ、混ざると味が薄まるため味付けが濃くなりがち。また食材が混ざるのを嫌う子は食事苦痛になる、という短所も指摘します。

 ばっかり食べも、懐石料理のように、一つ一つの食材の味を楽しめる利点はあるものの、嫌いなものや後回しにしたもの食べ残しにつながる欠点も。

 近年、学校での三角食べ指導は「行きすぎた管理教育」などと批判され、衰退気味。成田さんも「食べ方に正解や優劣はない。子どもの成長に必要栄養をとれていれば、どちらも問題ない」と指摘します。「ご飯と一緒に食べておいしい献立もあれば、単品で味わうものもある。決め付けず、料理に合った食べ方を勧めるのも良いと思います

2023-06-02

anond:20230602122621

全く違う

中国経済成長したのは国の政策と様々な企業中国市場に価値見出したからであって人権は一切関係ない。強いて言うならODAそうかもしれないけどあれは発展途上国に唾つけておいたり発展途上国内での自国の影響力を強める意味合いが強い

日本復興反共防波堤、厳密には反共防波堤である韓国後方支援基地としての役割によるものが大きい。そもそも当初、アメリカ日本農業国にして力をつけさせないようにする計画だった

ウクライナ支援上記2つの例よりは人権意識があるけど、あれも現在国際秩序の維持や国際的パワーバランス危惧してのものが大きい。

ソ連のせいで勘違いされやすいけど基本的人権経済発展の相性は悪い

新しく工場建てるのにいちいち公害を防いで必要なら立ち退き交渉をしないと行けない国より国の強権でさっさと工場建てられる国の方が発展しやすい。

かつての成田や今のリニア人権の無い国なら反対した住民逮捕して反対する知事更迭すれば良いだけで問題にもならなかった

2023-06-01

anond:20230531223314

これから何か表現活動したいなら、小泉悠氏とか成田悠輔氏のラインしかないよな。

ある分野で本当の専門家になり、その立場表現の場を与えてもらうという感じ。

完全な専門分野ではなくても、Professional guessならさせてもらえる。

素人の思い付きの作文なんて、もうニーズが無くなってきているんだろう。

2023-05-13

若者迷惑かけたくないか自殺するっていう老人が目の前にいたとして

たかまつななとか成田某は止めないの?

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