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はてなキーワード: 勢力とは

2019-11-07

anond:20191107142508

アップデートされれば強者の方もそんなにチヤホヤされなくなるけどな

弱くて彼女なしのマイノリティ勢力が多くなれば「非モテ」として爪弾きにされる事も少なくなるんだが

から多様性大事とか言われてる訳だが

anond:20191106235932

他の物はまだしもジェンダー価値中立的特定勢力のみを利する概念じゃないのに。。

2019-11-06

Javaってやっぱり終わってね?

そう言うとシュババババッって謎の勢力がやってきて

無料JDKもある!OpenJDK!!」などと早口でまくし立てていくのだけれど

JDKじゃねえよ

エンドユーザーJREはどうやって更新してくんだよ

アプリに同梱しろ」ってLTSが終わるまでセキュリティパッチの子守りしていく金ユーザが払ってくれるのかよ無理だろ

フェミvsアンチフェミの今後を予想する

フェミの主張が過激化する一方、アンチフェミもまた過激化しつつある。

そしてフェミの嫌がるような行為をわざと見せつける愉快犯無能な働き者がアンチフェミに発生する。

その姿に多くの人がドン引き

アンチフェミ勢力は内部分裂して弱体化する。

一方フェミは表面的に見れば正論っぽい主張で味方を増やす

そして「ゾーニング」のラインがジリジリと引き上げられフェミ理想に世の中が近づいていく。

anond:20191106202738

要は言いたいのは旗の形じゃなくて「日本が嫌いです」なのだから

しかオリンピックはそのような場ではないので相手しなければいい

理屈とか対話相手してあげても、あちらが喜ぶ方法というのは謝罪しかないのだから

旭日旗軍国主義象徴」と騒ぐ勢力を潰すか

「あの人達ってキチガイなのね」と諸外国認知させるのに全精力回すのが効率的

なんか結局

ネットに生息する一部男が叩くターゲットが「腐女子から専業主婦」とかに移り今は「フェミ」になっただけやんな

腐女子フェミの私どうしたらいいんだよ

ちょっと前まではそれこそゾーニングできてるBLをわざと2ch晒したり「お気持ち」でぶっ叩いてきたくせに

腐女子勢力が強くなったらこれだよ

腐女子さんも表現の自由ほしいっすよね〜?腐女子さん〜?一緒にフェミを叩いてくださいっすよ〜 BL表現規制されちゃいますよ〜〜?」とか擦り寄ってくるのまーーじクソ

残念ながらお前らと違って腐女子の大多数はゾーニング大賛成なんだよじゃあな

規制論で「倫理」は最も悪質でしょ?

on Twitter: "ジャンプの件は「女性配慮した作品をつくれ」ではなく、「少年がメインターゲットであるという点を譲歩しろ」という話でもなく、「倫理観を持て」という話だと理解している。 男子向けにつくるなら女子への加害はエンタメ扱いするのがまぁ当然、みたいな意識には問題がある。という感じの話。"

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tiharu4happy/status/1191638835324522496




ちょっと故意すっとぼけてるのか本気でアレなだけなのか判断つかないので真面目に書く。


1.ジャンプのどの漫画の話なの?

女子への加害をエンタメ扱いする」とは具体的にジャンプのどれのことなのかがわからない。

女子への加害をエンタメ扱いしてたら確かにグロいし感心できないし当然私もそんな漫画を好きにはなれない。

けれども現在ジャンプでそんな漫画があったっけ?というと思いつけない。

(もしも女性キャラが胸元空けてる衣装などを「女子への加害」と言ってるならかなり話は違ってくるんだけど。)


からまずジャンプのどの漫画の何ページの描写なのか言って欲しい。

言われればちゃんバックナンバーを当たって当該箇所を読み直して考えるから。(電子版便利)

でもそれを絶対言わないでしょ。

具体的に言わない理由、聞かれても答えない理由がわからない。

しろ「こんなに酷い描写があるから見ろーーッ!」って言いたくなる筈じゃない?

なんでそこ避ける?


なんか小学校時代嘘吐きの子の振る舞いに似てるんだけど。

雄弁だったのに具体的に質問されると一転ダンマリになる感じが。

…本当にそんなの見たの?


2.規制基準も具体的でない

そもそも献血ポスターから始まった今回の一連の規制論の特徴は

具体的に、何をどのようにすると、何故まずいのか明文的基準提示規制論者がやらないことにある。※1

その質問を投げかけられても決して答えないので、逃げているようにすら見える。


別にジャンプ無謬だと思わないし「この漫画のこの描写に抗議する」ということな全然いいと思う。

私も例えばワンピース単行本オマケで「男性キャラ女性に性転換したら全員スイーツサラダの話ばかりするおばかになる」(女性キャラ男性に性転換すると粗暴で野心的になる)という描写にはうわあ~ステレオタイプ!と思ったし感心出来なかった。

スケットダンスにかなりホモソーシャル的だなあと感じた回もある。


そういう具体例について指摘して批判議論をするならいいと思う。

もちろん納得せずに「それぐらいいいだろ!」って反論してくる人もいるけど、それら全て意味のある議論だし批判だよね。


でも具体的に言わずに「倫理を持て」で規制かけてくるのは怖いよ。

それはもう何でもやり放題じゃん。

そんな規制って最悪の規制じゃない?


別に倫理が嫌いなわけじゃないよ。

でも規制論で「倫理」が基準にされるのは怖すぎ。フリーハンドといっしょじゃん。


ていうかはてなってそういうのを懐疑する側だったと思うんだけど。

倫理を持て」とか「常識で考えろ」とか「普通にわかるだろ」とかで咎められるのって怖いし理不尽じゃん。

そうやって議論回避しつつ恣意的に取り締まりたいっていうのは権力的な仕草じゃない?

はてなはどっちかっていうと反権力リベラル勢力だったと思うんだけど

なんでオタク規制ときだけゴリゴリ保守みたいに問答無用権力的な顔つきになるの?

3.まとめ

そんな長くなかったと思うけどまとめ。

 1、ジャンプ問題を指摘するなら問題のある作品名と箇所を具体的に言ってよ。

 2、「倫理」とかい恣意的に内容決められちゃう基準規制出来たら弾圧国家だよ。


これだけです。わかりにくくないでしょ?

倫理」なんて人によるんだから客観的に論じるべき話題でそんな言葉持ち出される時点でちょっと「えーっ?」ってなる。

tweetの春さんは「BLが好き!」って書いてるけど、「ホモなんて論外!」っていう倫理の持ち主絶対居るよ。

倫理ってそういうものなんだけど、春さんや彼女賛同する人はそこからわかってないのかな。



4.反応への追記 「規制といわなければ規制ではない」?

yas-mal そもそも、元Tweetに「規制」という単語は出てこないようですが…。

2019/11/06

これは予想し得うる限り最もくだらない逃げであると同時に、

私が今回問題にしているポイントのものです。

あなたがたが具体的な基準提示から逃げ回るのと同じぐらい、

規制」という言葉を使わないようにしているのは気付いていますよ。

で、今回実際起きていることはどうですか。


日赤弁護士からセクハラである」と明言され世論への火付けを図られ

弁護士社会運動家からの「お問合わせ」を受けました。

ジャンプ作家篠原健太クレームへの丁寧なやり取りの中で「不快表現があり得る」と述べたら

女性差別肯定する作家かのように操作炎上を図られました。

セクハラ差別も一発で社会生命が葬られるぐらい重い疑義であって

日赤篠原も多大な緊張とストレスと消耗を強いられています

挙句に「”倫理観”をもって自主的に”考えれば”これ以上攻撃しないよ?」

これが規制アクションでなくてなんなのですか。


ヤクザ脅迫も「誠意を見せろ」と言って具体的に何が問題でどうしてほしいのか言わないそうですが

yas-mal氏の「規制とは言ってない」は「金を出せとは言ってない」とどう違うのでしょう。


segawashin 規制ってどこから出てきたの。表現を考える根拠の一つに倫理を置くことと規制殆ど正反対の差があるのに。例えば我々が猫虐待画像を許せないのだって要は倫理問題なんだけど、都合よく目の敵にしないで欲しいね33 clicks

2019/11/06

yas-mal氏と同じおとぼけは流すとして、

「我々が猫虐待画像を許せない」とはまた主語が大きいな。

私は猫虐待画像全然します。それ許さなかったらジョジョも読めないですから

一方で猫虐待する人間動物愛護法によって捕まります

都合よく目の敵にしないではどっちのセリフなんですか、

あなたは日頃からオタクを目の敵にしてオタクの話だと蔑視攻撃的なツイートする人に見えます私には。

あなたの”倫理”なんてなおさら全然広く共有できる代物でなくないですか。

当人にその自覚もなくむしろ自明絶対ルールだぞ」ぐらいに勘違いしがちだからこそ”倫理”はあてにならないんです。


noemi_itoh 明確な基準を示さないのは自分の頭で考えろという意味で、表現規制しない為なんだよな

2019/11/06

絶え間ない攻撃不利益の予告をしながら「自分で考えろ」というのは

要求が金品であれば脅迫ですし

要求自分の気に入る表現であれば規制です。

そんな詭弁看破されないと信じて鼻息が荒いのは滑稽です。


とりあえずこの御三方と星つけた人たちの論理でいけば

あいトレへのクレーム圧力不利益の予告は「自分で考えることを促していただけ」「倫理の話をしただけ」「規制正反対」なんですね?

どんな圧迫を加えても「規制」とさえいわなければ規制ではないのだと。

ひどい言い逃れです。

がっかりしました。


5.追記

Cunliffe 「「倫理」とかい恣意的に内容決められちゃう基準規制出来たら弾圧国家」なんでいきなり「国家」に飛んじゃうのかねえ。「国家」が「倫理」を押し付けてきたらわたしゃ反対するよ。

2019/11/06

私もあなたと同じく国家倫理押し付けてきたら反対しますけど、

あなたと違って一部市民倫理押し付けてきても反対するんです。

いや、あなただって押し付けられる側に立ったと感じたら絶対反対すると思いますけどね。

自分押し付ける側でいる限りは「倫理」という一方的絶対価値曖昧非難OKなんだから

客観性を持てず自分欲望にだけ甘いというだけじゃないですかそれは。

2019-11-05

anond:20191105191238

巨人編が終わると第三勢力魔人族が出てくるやつ

エンジョイ勢は対戦ゲームにおいて害悪である

 まずエンジョイ勢とは何か。ゲームを勝ち負けによらず楽しむ者くらいの雑なニュアンスしかされていないが、自分が楽しむためにゲームをやっている者だろうか? 勝っても負けてもゲームを楽しむ。間違っていないはずだ。

 しかしこの解釈では基本的にはゲームをやっている者は皆エンジョイ勢になるはずだ。自分が楽しくないのにゲームをするはずがない。もしかしたら特殊事情があってやりたくもないゲームをしてる奴もいるのかもしれないが置いておく。

 対戦ゲームでよく聞くエンジョイ勢ガチ勢確執というのはこれでは表せない。しかしここでガチ勢と表される人もエンジョイ勢と呼ばれる人も自分が楽しむためにやっていることは間違いない。では何が違うのか。私はそれを目的だと考える。

 ガチ勢は『勝つこと』が目的である。勝つことがそのゲームにおいて自分楽しいことであってゲームをすること自体楽しいわけではない。だから勝つためには面白みがないような戦法や、強キャラなどを好んで使う。それが勝利の最短ルートから

 この対立でのエンジョイ勢目的は何か。『自分が楽しくなること』である。それだけだと何も悪くないように感じる。しかしここでいうエンジョイ勢ガチ勢ではない中立勢力目的を明らかにすると見方が変わる。彼らの目的は『ゲームを楽しむこと』だ。

 『ゲームを楽しむ』ということはそのゲームルールに従って遊ぶということと同義であるルールを守ってもつまらないゲームゲーム側が悪いので置いておく。ルールといっても複雑じゃない。格闘ゲームだったら敵のHPゼロしろだとか、FPSだったら敵を倒せだとか。それだけである。その他は自由だ。一人用ゲームなら目的は様々だろうが、ことPvEPvPに関しては敵に負けろ! とルールに書かれてることはない。なので基本的には勝つためにプレイすることになる。そこで知識量の差や腕前などが出てくることになり、勝敗がつく。しかし彼らは敵を倒せだとか拠点防衛しろだとか、そのゲームの根幹を為すシンプルルールに従い、結果的に勝ちを目指すことになる。それがゲームを楽しむということだからだ。試行錯誤によって人によってはわざと負けているように見えることもあるかもしれない。しかし本人がゲームルールに従って勝つためにプレイしているのならば問題ないはずだ。

 話を戻す。エンジョイ勢目的である自分が楽しくなること』はゲーム勝敗関係ない。一人でやっているゲームならば何の問題もない。そこには一人しか人間がいないからだ。しかし対人ゲームは違う。特にチームゲームならば味方に迷惑がかかる。なぜなら目的が一致していないためだ。ガチ勢中立層はゲームに勝つためにプレイするという点に置いて一致している。それが目的なのか結果なのかは違うものの、同じゲームにおいて勝利を目指すという点では変わりない。しかエンジョイ勢は違う。彼らは『楽しくなること』を最優先にしているのでゲームルールに囚われない。自分気持ちよくなるようにプレイしつづける。気持ちよくなることが勝敗に関与していた時、それが勝つために繋がるならば問題にはならないが、負けに繋がるような行為だった場合非難を喰らうことになる。他にはチート行為などが代表例だろう。気持ちよくなるためにルールをぶっ壊してニタニタ笑う。そんな行為が周りからどう思われるかは火を見るより明らかだが、しかしそんなとき彼らは言う。

たかゲームじゃんw」

「楽しむためにゲームしてんだから間違ってないだろw」

「対戦相手は勝てて嬉しいし何が問題なんだよ」

 例えるなら皆でサッカーをしている時に一人だけキックベースルールで遊んでいるようなものだ。基本的にはボールを蹴っているが突然ボールを手で持ち敵チームに投げ放つ。ポジション無視して走り回る。味方だったら最悪だし、敵だった場合も勝った気がしない。まさに害悪と呼べる。 

 対戦ゲームとは対戦が楽しいという前提があって成り立つものだ。相手が一人で遊んでいたら対戦は成り立たない。ゲーム体験自体が成り立たないので楽しさなどどこかに消えて行ってしまう。自分もそのエンジョイ勢ルールで遊べれば楽しめはする。しかサッカーをしに来ているのに突然キックベースに変わり、それを楽しめる人は少ない。その試合を、引いてはそのゲームの対人戦自体価値貶めることにも繋がる。

 もう一度言う。エンジョイ勢は対戦ゲームにおいて害悪である




 追記 

 昼前にこの記事エンジョイ勢批判をしたのだが、明確にタイトルをあげなかったこととガチ勢エンジョイ勢対立と書いたのはよくなかったと思う。例としてタイトルleague of legendcsgo代表されるようなチーム戦を想定する。そして実際のところ、本当に対立しているのはエンジョイ勢と真ん中のゲームを楽しんでいる層で、それはガチ勢と呼ばれる側も同じ構図であり、こちらは試行錯誤に対しての強制などにあるがそれはともかく。

 この対立ではエンジョイ勢ゲームを楽しんでいる層をガチ勢に仕立て上げる。

ゲームに何マジになってるの?w」

「人に強制すんなよ」

 など。挙げれば枚挙に暇がないが、こうした発言によりガチ勢エンジョイ勢対立という風に変えようとする。しかし本当に対立しているのはゲームを楽しんでいる層なのだ。そしてうやむやにされてしまう。

 この問題の悪いところは逃げ道が無数にあることだと思われる。例えばだが今までまじめにゲームをやっていた人間が、相手うまいプレイをされて死ぬ。差ができてしまい、もう逆転できないと思って敵に殺されに行くようなプレイをし、次の試合に行こうとする。彼はエンジョイ勢に変化してしまった。なぜなら自分気持ちよさを優先しているためだ。しかし本人にやめろと言っても俺はまじめにやっていると言われるとよっぽどプレイおかしくない限り、追及が難しい。人の心を覗き見ることはできないからだ。

 例以外にもゲームをやっていればわざと負けるためにやっているんじゃないかと思えるプレイヤーに必ず出くわす。これはレート帯に関係なく起こる話であり、そして彼らがエンジョイ勢かを完璧判別する方法がないということがこれを難しく、あやふやにしている

徴用問題の打開に向けて(あるいは、厄介な隣人とのケンカの仕方)

2022年未来から来たので、膠着している徴用問題について、日本のみなさんにアドバイスしましょう。

すみません解決策ではありません。打開策、ケンカ方法です。

まず、韓国にこう提案してください。

「まず、韓国政府さんが(いわゆる)『戦犯企業』にお金を払ってください。『戦犯企業から(いわゆる)『徴用工』に対して慰謝料を払わせますので。これなら、日韓請求権協定とも整合しますし、『戦犯企業』の負担もありませんから日本も乗れる話です」と。

韓国政府が、お金を払いましたら、日本企業から原告への支払を止めてください。

慰謝料を求める方が、もっといそうなので…」と。

すると、次から次へと、韓国訴訟が起きます

韓国政府さん、足りなくなったので、もっとお金を『戦犯企業』に払ってください」

あとはしばらく、じらしましょう。できるだけ、韓国政府からお金をいただいてください。

そうこうしているうちに、文在寅はどんどんレイムダック化し、任期が切れます

次の大統領が、この制度無効。と言い出しまから、お預かりしているお金をありがたくいただいてください。

当然、韓国(人)から、何か日本(人)に対して批判の声が大きく上がります

こう言い返してください。

韓国(人)さん、あなた発言は、日本(人)に対する地域差別民族差別です」と。

韓国は、一部の開明的な都市住民を除いて、地域差別主義者民族差別主義者が多くいますが、無自覚です。

たとえば、全羅道地域住民に対する反感・差別が根強くあることは、よく知られていることでしょう。

それ以上の反感・差別が、日本日本人に向けられているのです。そこにまた、韓国人は(そして日本人も)無自覚です。

韓国に対して、内政干渉しましょう。

地域差別民族差別は、全世界・全民族にとっての普遍的人権問題です。貴国内地域差別住民差別を解消してください」

これには、韓国内にも一定賛同者が現れます

そこで、

韓国は、地域差別住民差別が広く行われている国」というレッテルを貼り、全世界宣伝します。

その上で、

韓国日本に行っている『徴用工』『慰安婦』『旭日旗』『繰り返される謝罪請求』は、みな、彼らの差別意識から来る、日本人に対する地域差別民族差別の発露である

と、結びつけます。

韓国に対しては

「違うというなら、韓国内の地域差別住民差別を解消してくださいませ」

と言い返し、あとは、韓国内でますますひどくなる地域対立住民対立を高みの見物をしてください。

スパッと解決することはありません。

日本の味方をしてくれる勢力世界韓国内に増やし粘り強く戦いましょう。

健闘をお祈りします。

2019-11-04

anond:20191101184342

何かを持ち上げたら相対的に他の勢力が下になっちゃうということか

anond:20191104142158

Cornellの議論は、ポルノグラフィ危害を認める一方で、ラディカル・フェミニズムの主張するような形での危害を相対化する。「さらに言えば、マッキノンによると、ポルノグラフィ男性レイプへと駆り立てることによって産業の外においても女性への直接的な暴力を引き起こす原因になるという。これから見ていくように、私はポルノグラフィの直接的効果としてレイプ輪郭づける因果モデルの適切性を疑問視する。……私は原因―結果モデル自体に関して疑問を呈したいのである。これほどまでに複雑で多層的に象徴が刻み込まれているセクシュアリティ世界でこのようなモデルを使うことは難しい。しかし、このモデルはドゥウォーキン/マッキノンの条例案の基礎として決定的な意味を持っているのである」 。実際に、McKinnonのポルノグラフィ観は、その表象性を(意図的に)無視したものであり、その点について法による規制という強力かつ一方的手段を用いることには強い疑問がある。「……しかし忘れてはならないのは、ポルノグラフィーは、「グラフィー」という接尾辞が示すように、何よりもまずひとつ表象、ひいては表現作品で……ある。人種差別と同列に語りうるのは性差別であってポルノグラフィーではない(性差別は様々な形をとりうる)。ところがマッキノンらにとっては、結局のところ、ポルノグラフィーと性差別同義語なのである彼女らが、ポルノグラフィーにおいて重要なのはそれが「する」ことであって「いう」ことではない、行為であって思想ではないと、ことさらに強調するのはそのためである。……ある表現物が「いう」ことは、なにも(一義的な)「思想」や「メッセージ」に限られるわけではない。言語というものは、自然言語であれ映像言語であれ、ある奥行きをもった立体であり、そこには多重な意味作用が畳み込まれうる……。マッキノンらの議論は、……ジョン・R・サールが「間接的言語行為」と呼んだような現象をいっさい捨象した議論である」 という批判は、言語行為の間に明確な区別を設けずに、ポルノグラフィ性差別のものであるという一種イデオロギー依存した議論に対する批判のものである

もちろん、McKinnonらの条例案は、ポルノグラフィという言葉制限的に定義することによって、そうした一般的議論ではなく、特に女性に対して酷薄もののみを定義域に含めている。しかし、それですらなお表象問題は不可避であり、言語行為限定なく同一視する立場には、疑念がある。まして、直接的効果が後年の研究によって疑問視されている状況にあって、規制根拠果たしてどこまでの力を持つといえるだろうか。仮に、McKinnonの主張がなされた当時においてそうした言語行為が一致するような時代的状況が存在したということを承認したとしても、その射程は現代日本には必ずしも及ばないだろう。つまり日本におけるポルノグラフィ製作必然的にそうした女性虐待表彰ではなく行為として含み、またそうして製作されたポルノグラフィ表象必然的に(fuckerとしての)男性レイプに至らしめ、(fuckeeとしての)女性従属化を固定化する構造を持っているということが実証的に明らかでない限り、法による規制という手段は困難であろうと考えられる。

また、Cornellの依拠するポストモダンフェミニズムは、立場としてのポストモダン主義を前提としており、そこでは、男性性/女性性といった二項対立的な概念整理はそれ自体批判対象となる。McKinnonらの議論は、女性解放というフェミニズム根底目的に対して、一定文化コードとしての女性性を再定義し書き込むものである、というのがCornellの分析である。そしてこれは、ポストモダニズムコミットするか否かというメタ的な問題を抜きにしても、汲むべきところのある議論であろう。つまりポルノグラフィ規制根拠として、加害者/fuckerとしての男性被害者/fuckeeとしての女性を暗黙裡に前提し、それを基盤として提示される議論は、必ずしも現代において盲目的に首肯されるべきものではないというところである

そもそもポルノグラフィは、男性のみによって消費されるものではない。これは、少なくとも現代日本においては議論に際して念頭に置かれてよいことであるように思われる。レディースコミックと言われるジャンルは、1980~90年代ごろから女性向けの(広義での )ポルノグラフィとして書店に並ぶこととなった。また、同人誌として、いわゆる「やおい本」や「BL」というジャンルもこの頃から一定勢力として存在していた。これらは全く女性使用し、消費することを前提に(そしてその多くは女性たちの手によって)制作されたものである。ここでは、ポルノグラフィ概念として当然に前提されていた男性消費者ということさえもが相対化されている。それは、女性性的欲望セクシュアリティがfuckeeとして規定されていたこから解放であるとも評価できるのではないだろうか。そこでは、主体として性的願望を抱く女性が前提されている。ここでは、主体-男性/客体-女性というメタ二項対立接続否定されている。これは、ポルノグラフィ危害論において、根底を掘り崩す事実であるのではないか、と考える。これに対して、メインストリーム男性製作し、男性が消費するポルノグラフィであるという反論はまた、十分に考えられる。しかし、仮にメインストリーム男性向けであって、女性けがサブストリームであるという主張を容れたとしても、なおポルノグラフィ必然的に男女を社会的構造化し、差別を直接的効果として助長し、あるいは引き起こすものであるという根本主張は、強く相対化されたものとしてとらえられなくてはならなくなるということは言ってよいように思われる。

4. 結び

前章において、ポルノグラフィの及ぼす危害について、その直接性が少なくとも現代日本においては相対化されるべきであることを示し、また、McKinnonやDworkinの議論それ自体に潜む女性性のコード化はフェミニズムの本義からしてなお批判可能性を有するものであるというポストモダンフェミニズム見解を紹介した。そのうえで、表現の自由という価値原理ポルノグラフィに対していかに向き合うべきかということを簡単に整理する。

日本において、表現の自由の価値は高く見積もられる 一方で、定義づけ衡量のもとでポルノグラフィを含む一定表現について規制肯定する。そして、ことポルノグラフィにおいてはそれが善良なる性風俗や最低限の社会道徳の維持という目的のもとに正当化されてきた歴史判例上有する。McKinnonらの議論において革新的であったのは、ポルノグラフィ規制道徳的な問題と訣別し、女性に対する危害の面から規制検討されるべきである、ということであった。この指摘は、法と道徳可能な限り切り分けようとする立場をとるならば高い妥当性を持つものであり、その危害現実的に認められる限りにおいて表現の自由に対する制約は当然に許されるものとして考えられる。しかし、この危害に関しても、「(リューベン・)オジアンの著作[ポルノグラフィーを考える(2003):筆者註]は、ポルノグラフィーに対する道徳哲学の立場からアプローチであるという点で注目に値する。彼は、ジョン・ステュアート・ミルの「危害原理harm principle」……の流れを汲む自身の「最小倫理éthique minimale」に基づいて、ポルノ規制正当化する議論……に反駁している。ポルノグラフィーがもたらすとされる「危害」について、オジアンが反ポルノフェミニストとは大きく見解を異にしていることは容易に想像できるだろう。興味ぶかいのは、オジアン同様「善」ではなく「正義」の問題として……ポルノグラフィーをとらえたはずのフェミニスト議論すらじつはある「善」概念を暗黙裡に前提していると彼が指摘している点である」 という指摘がある。つまり特定の善概念に基づいた特殊的な危害が主張されているに過ぎないのではないか、ということである。例えば、守旧派的なキリスト教における「善」の概念同性愛を悪と断じたことを考えれば、一定の善が前提されたうえで主張される危害は、相対化してとらえられるべきであろう。

こうした危害についての理解は、法規制についてネガティヴであるさらにMcKinnonらの主張には逆行することとなるが、むしろその主張における「道徳から危害へ」の転換は現在規制すら過剰なものであるという結論への親和性を有している。もちろんこれは、女性に対してポルノグラフィ制作現場において発生する暴力虐待を許容せよということを決して意味しない。むしろ、そうした事態が発生した場合に、適切に法が救済を与えることは、考えるまでもなく必要なことである。そのためにいかなる手段妥当であるかが問われるべきではないだろうか。

一部のフェミニストが主張するように、ポルノ出演や売春を含めたセックスワーカーである女性が、法規制対象となるのではなく、むしろつの職業」そのものであり、合法であるという社会的及び法的な認知必要となるのではないだろうか、と考える。それが社会的正業である認知されることは、その「職場」におけるハラスメント虐待を看過しないことにつながりうる。問題が発生した場合に、自らの「クリーンハンド」において司法の救済を要求することが可能となる。そして、そうした「解放」は男女(あるいは性的少数者性)を問わずに自らのセクシュアリティに対して真剣に向き合うことを要求する。それによって、直接的は生じないものの、間接的にあるいは無意識的に発生しうる「危害」は社会的に相対化されうるのではないだろうか。

以上のポルノグラフィ規制緩和論が、法が向き合うべき一つの筋道ではないだろうかという主張をもって、本レポートの結びとする。

参考文献

キャサリン・マッキノン,アンドレア・ドウォーキン中里見博,森田成也訳「ポルノグラフィ性差別」(青木書店, 2002)

・ドゥルシラ・コーネル仲正昌樹監訳「イマジナリー領域」(御茶の水書房, 2006)

大浦康介編「共同研究 ポルノグラフィー」(平凡社, 2011)

キャサリン・マッキノン森田成也ら訳「女の生、男の法」(岩波書店, 2011)

スーザン・J・ヘックマン著 金井淑子ら訳 ジェンダーと知 : ポストモダンフェミニズムの要素(大村書店,1995)

anond:20191104131617

そもそも海外場合右翼以前にセム宗教が超強力な対抗勢力になってる気がする。

アメリカとか州によっては中絶を認めるか否かが選挙の主要な争点になるくらいだし。

日本無宗教メジャーなので一度火がつけばむしろ欧米よりもストップがかからずに暴れやすいのでは。

障害者強制不妊手術とかも推進したのはフェミニストで、戦後欧米よりも随分遅れて優生思想が来てそれが通ってしまうくらいには暴走やすい土壌があるように思う。

赤十字と宇崎ちゃん許すまじ!」と憤る前に……

献血ポスター問題でデジャブを感じると思ったら、憤ってる人々に感じる異様な雰囲気ナディアアトランティス問題に近いんじゃないかな?と思った。

アトランティス本編を見れば分かるが、終盤の板野サーカスリスペクト戦闘シーンや、津波から都市を守る為に巨大ロボットが出現し

バリヤーを展開するスペクタクルはとても見ごたえがあり、この作品が単なるパクリではないことは一目瞭然である

だが「俺たちがパクリだと思ったのならそれはパクリだ!!」で力押ししようとする当時のオタク界隈は、

今のフェミ界隈の「私たち性的搾取だと感じたらそれは搾取だ!!」という理不尽理屈と全く同じだと言っていい。

そして当時の2ch書き込みを見る限り、アトランティス叩きは必ずと言っていいほど中韓叩きとセットの言説になっており、

ディズニー中韓パクリアニメと同レベルに墜ちた!!」というフレーズネトウヨ思想を煽っていたことは決して許されることではない。

あれから18年、とうとうナディアキャラクターデザインに関わった貞本義行氏までが「キッタネ慰安婦像!!」とまで言ってしまうような最悪の事態になってしまった。

果たして当時のオタクが求めた正義はいったい何だったのか。

今宇崎ちゃん献血ポスターに怒りを覚えている人々に次ぐ。一度立ち止まって冷静になってほしい。

自分達が他の思惑を持つ第三勢力に利用されてしまってはいいか?と冷静に今までの流れを見直してほしい。

オタクと同じ過ちを繰り返してはいけない。

2019-11-01

フェミさん

フェミさんとは。

なんにでも「お」をつけないと丁寧語じゃないな、

ということで、オタク敵対することを主とする扇動体を、

増田は、通称、おフェミさんと呼称することにした。

オタクバッシングを行う、おフェミさんの実態は、

女性の権利社会改善要求する運動に見せかけたマヌーバーであり、

オタクという他者を抑圧するヒステリック欲求のものを取り込み、

勢力肥大化のみを目論み、目的のない奸計を行うゆるい衛星ムーブメントである

方向性がどこに行くかわからないことも多く、いわば船頭の多い船のようだ。

ほぼ全ての言説が、詭弁の使い手によって行われる扇動であり、

ハーメルンのごとき詭弁家の笛吹きに踊る老若男女が群れなしカラースターを連打する。

手段目的なので、嫌悪駆動力とし、

無害だが、キモく、容易に叩くことができ、ネット騒擾状態

簡単に現出させることが可能オタクとそのカルチャーに対する敵対行動を好む。

結果、社会を変えていくのに全くといいほど役立っていないという特徴を持つ。

発言の量を拡大する為ならば悪書追放的な右派道徳布教を目途とする勢力をも取り込み、

トータルに発言力を得んとする邪悪存在として台頭してきた。

てな具合に妄想をしてみましたが、いかがでしたか。まあ、今更ですね。

フェミニズムの裾野からはみ出た連中が暴走を始めてます

ほんと話にならんよ。

2019-10-31

anond:20191031223036

そういうどっちもどっち論は興味ないので

10年前から比べたら明らかに性的コンテンツ規制が進んでいるし、オタク自身感覚すら変わってきている

(少なくとも今では「児童ポルノ何が悪いの?」と堂々と言う奴はオタクであってもごく僅かでしかないよな)のに

ただ昔はポルノ規制する請願出しては表現の自由とかの兼ね合いで却下され、性犯罪を誘発するからエロ漫画制限しようという法案を出してはエビデンスがないと棄却され、

その上ポルノ規制論に同意するようなフェミニストコミュニティ勢力も今よりずっと小さく、

あの頃のフェミニストは今以上にうまく立ち回れてなかった気がする

こういう認識を持っているのが歴史修正甚だしいと思っただけ

コンビニエロ本禁止されたのもう忘れたんだろうか?

2019-10-29

anond:20191029121329

オタクキモいから殺すべき。こそこそ隠れて生きてるなら見逃してやる」

って勢力が、

ポスターなんぞで存在アピールするならやっぱり皆殺しだな」

ってなってるんだよ

昨日誰かが言ってたよ

米軍によるIS指導者殺害国際法的にはどうなの?

BBCニュースによれば、「ドナルドトランプ米大統領は27日朝、過激派勢力イスラム国」(IS)の指導者シリア北西部の逃亡先で、米軍に追い詰められ自殺したと発表した。」 https://www.bbc.com/japanese/50204203  日本報道機関もいっせいにこのニュースを速報している。

私は混乱している。なぜか。

アサド政権の事前承諾なしに米軍が行動したのなら、国際法的に大問題だと私は思っているのだが、マスコミは私の疑問に応える解説をしてくれないからだ。

アメリカ国内にいる犯罪者米国政府殺害するのは理解できる(逮捕しようとして抵抗にあった場合犯人を射殺するのは正当防衛)。

しかし、本件はシリア国内での殺害であるアメリカシリア政府から事前に承諾を得たのか?アメリカ敵対するアサド政権承認をするとも思えないし黙認したのか?

少し前に、シリアから米軍撤退するという記事も目にしていた。ということは、米軍シリア国内への展開や軍事行動アサド政権承認していたのであり、よって、今回の米軍によるIS指導者殺害もその範囲内の行動であって問題ない、ということなのか?

国際社会米軍の行動を問題視していないのか国連安全保障理事会が開催される様子もないようだ。

シリア政府公式見解スポークスマン発表等を知りたいのだが、それらを報じている日本語のニュースもない(ようだ)。

他国領域内において自分犯罪人と決めた人物他国の承諾もなしに殺害するというのは、外観的には張作霖爆殺事件と同じように私には感じるのだ。

詳しい方の所見や解説をお願いしたいのです。

2019-10-28

漫画アプリの変化

やあ全国の貧乏諸君!漫画は好きかい

そうだね。漫画は最高だ。なんせ無料で楽しめるからね。

言うまでもなく情報強者の皆は、漫画村なんて使って作者にお金を入れずに楽しんだ結果、漫画家が死に絶えるような愚は犯さないよね★

そんな皆が大~好きな貧乏人向け漫画寺子屋サイトだけど、これは少しずつ変化が起きているんだ。

第一世代 一部完全無料+一部完全有料 型 

これはすっごいシンプル。序盤やキャンペーン、連載中の部分だけが無料ってパターンだ。

今でもブラウザでみるサイトは大抵がコレだね。

アプリ次世代型だけどブラウザだけはこのタイプってのも多いね

第2世代 共通スタミナ 型

時間回復のスタミナを一定量消費して好きな漫画をそれなりに読ませてやろうってタイプだね。

スタミナを餌に動画広告を見せてお金が稼げるのがいいねWIN-WINウィーンウィーン

デイリー回復するスタミナとは別にストックできるスタミナを用意するタイプがあったり、ストックスタミナを使えば有料話が一部読めるのがあったりと色んなタイプがあるね。

読みたいものを一度に読めるのが売りだ。

僕はコレが一番好きかな。

第3世代 共通チケット 型

一定時間おきに回復するチケットを消費するタイプだ。

スタミナ型をわかりやすくしたような感じだけど、更新時間前後で一気にチケット回復するから微妙に読み逃しを刷るとすっごい損した気分になる。

第4世代 個別チケット 型

急激に勢力を伸ばしてきたタイプだ。

だいたい24時間おきに回復するチケットを使うことで、対象作品のうち1話だけを毎日読むことが出来る。

複数作品を並行して読みすすめる場合共通チケット型よりもお得とも言えるけど、「作品一覧→個別作品ページ→話数や続きから指定して読む→戻る→戻る→作品一覧→個別作品ページ」という操作を一日に何度もやることになりひじょうにめんどい

ハッキリ言わせてもらうとUIがクソすぎて作品を読む気力がどんどん失せていくので好きなタイプじゃないね

ただ、特定の1作品にハマってくっればそれを1話ずつ読むために毎日呼び寄せられるという点で提供側としてはメリットは大きいだろうね。従来のシステムと比べて1作品が読み終わるのにかかる時間は単純計算で8倍だ。

あと提供側のメリットとして大きいのがスマホアカウント複数持って読み進められるリスクが低いことだろうね。

さっきも言ったけどこのシステムUIは本当にクソだから、チマチマ話数を飛ばして読むのは本当に苦痛なんだ。1話から読んでいって続きから毎日押す以外の読み方をするのは本当にキツいよ。

提供する側のメリットが大きいから今後はこのシステムが主流になるのは間違いないと思う。

作品勝負できると思った出版社は次々このシステムを導入するだろうね。

でもこのUI本当にクソだからなあ……たとえばさ「自分お気に入り登録した作品を前回の続きから漫画雑誌を読むように次々読み進められる機能」みたいなのがあればだいぶナイスだと思うんだけどなあ。

俺がこのアプリ群を作っている会社で働いてたらその機能の開発に心血を注ぎたいところだー

2019-10-27

あいやしばらく!orあいや待たれい!←言ってみたい

そこそこ強キャラ悪人でもなければ善人ってわけでもなく

独立勢力として物語を引っかき回しそう

anond:20191027144613

それが残念ながら一丁目なんだなあ

TERFみたいに過激なことを言うとリベラルが離反したりみたいなことは実際あるけど、男叩き「だけ」はどの勢力とも確実に手を組めちゃう

2019-10-26

デヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった』要約

本稿の著作権著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。

○第1章『序論』

p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。

●『誰がそんなに幸運なのか?』

p.12 「生はあまりにも酷い。生まれしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人格言

「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間だってほとんど生じない」(フロイトジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしか非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的ゲームでも冗談でもない」

p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源責任。=デレク・パーフィット起源説」

●『反出生主義と出生を促進する偏見

p.16 反出生主義の偏見子供嫌い、子供を持つことによる自由財産制限

p.17 出生の偏見子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから子供もつ動機利己的でしかありえない。②(1)子供もつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖衝動原始的ものである

p.19 全体主義者の政治団体軍事的理由生殖奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家移民より生殖により人口構成されている方が正当化される。

●『本書の概要

●『読者への指針』

○第2章『存在してしまうことが害悪である理由

●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』

p.27 「非同一性問題」「未来個人パラドックス」…(ex)遺伝性の障碍

・『生きる価値のある人生と生きる価値のない人生

p.29 非存在存在比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。

 …誰かが死んだ方がマシだと考えるとき自分状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。

p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態比較するのではなく、まったく別の事態比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現多義性が原因だ。

・『始めるに値する人生と続けるに値する人生

p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。

p.34 道徳的問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。

●『何故存在してしまうことは常に害悪であるのか』

・『快楽苦痛非対称性

p.40 非存在苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。

p.42 人々を幸福にする積極的義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的義務があると考える人ほとんどいない。

p.44 非対称性思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人場所無人島・火星)」(…非対称的判断)で実証できる。

p.46 積極的功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理要請だと言える。しかし、②を倫理要請だとすると、個人価値幸福価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。

・『存在することと決して存在しないことを比較する』

p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分意味がない。

p.54 楽観主義者快楽苦痛費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽苦痛割合苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人」はつねに相対的に前者が勝る。

・『別の非対称性

p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人人格無視している。…そもそも、出生が利益もつことはない。

p.63 出生された人物権利生殖侵害するということは、その権利請負人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論生殖特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。

p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。

・『生まれたことを悔いないことに逆らって』

p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまたことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。

p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人存在が良い/悪いということは、存在してしまたことが幸福/不幸ということと同じではない。

○第3章『存在してしまうことがどれほど悪いのか』

●『人生の良さと悪さの差が人生の質にはならない理由

p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。

●『何故人生の質の自己判断は信頼できないのか』

p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較幸福自己判断は、実際は相対的指標による。

●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由

・『快楽説』

p.81 人間人生の大部分をマイナス精神状態で過ごす…空腹、渇き便意尿意疲労ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学効果無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー頭痛挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱孤独無力感喪失感、その他、被害感情全般

・『欲求充足説』

p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも欲求が満たされないことも多い。現状維持欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。

p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート人間永遠幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズロー人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。

p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程のものが良いという議論…は明らかに不条理だ。

・『客観的リスト説』

p.92客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生無意味だが、その視点人類視点は大差ない。

p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。

・『三つの見解についてのまとめ』

p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。

●『苦痛世界

〇第4章『子供を持つこと:反出生的見解

●『子作り』

・『子作りの義務はない』

p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。

・『子どもを作ってはいけないという義務はあるのか?』

p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。

p.107 他者の関心…両親、部族民族国家しかし、こうした他者利益を適えることは、それによる当人利益を適えることと表裏一体だ。

p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利制限されるべきだ。

●『子どもを作る自由

・『子どもを作る権利とされているもの理解する』

p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。

・『子どもを作る権利自律性に根拠付ける』

p.114 法的権利道徳的義務対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利妥当ではない。

・『子どもを作る権利無益さに根拠付ける』

p.115 政府子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解

・『子どもを作る権利意見の相違があるということに根拠付ける』

p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理必要条件:ある行為害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為害悪議論余地があるだけでは許されないものもある。

・『子どもを生む権利妥当意見の相違に根拠付ける』

p.118 危害原理例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制アパルトヘイトは明らかに妥当ではない。

p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論比較して十分に検討されるまでは、妥当判断のできる理性的な人々によって、意見妥当に違えることができるかは結論付けられない。

p.121 少なくともリベラル社会において子供を作る法的権利撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。

●『障碍とロングフライフ(望まずに生まれた命)』

p.123 障碍…障碍は社会構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。

p.132 ロングフライフ訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当意見の相違。②QOL評価個人的なものだ(とくに現在のロングフライフ訴訟代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOL評価個人に独特なものではない。の2点の課題がある。

●『生殖補助と人工生殖

・『生殖倫理と性倫理

p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的容認されるという多くの反論がある見解オーラル・アナルセックスレイプ不倫不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖見解」として完全に退ける。

・『誕生悲劇婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。

●『将来生まれてくる人間を単なる手段として考えること』

p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族部族民族種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人手段として扱ってはならないというカンティアン命題によりいっそう当てはまる。

デヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった』要約

本稿の著作権著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。

○第1章『序論』

p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。

●『誰がそんなに幸運なのか?』

p.12 「生はあまりにも酷い。生まれしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人格言

 「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間だってほとんど生じない」(フロイトジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしか非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的ゲームでも冗談でもない」

p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源責任。=デレク・パーフィット起源説」

●『反出生主義と出生を促進する偏見

p.16 反出生主義の偏見子供嫌い、子供を持つことによる自由財産制限

p.17 出生の偏見子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから子供もつ動機利己的でしかありえない。②(1)子供もつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖衝動原始的ものである

p.19 全体主義者の政治団体軍事的理由生殖奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家移民より生殖により人口構成されている方が正当化される。

●『本書の概要

●『読者への指針』

○第2章『存在してしまうことが害悪である理由

●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』

p.27 「非同一性問題」「未来個人パラドックス」…(ex)遺伝性の障碍

・『生きる価値のある人生と生きる価値のない人生

p.29 非存在存在比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。

 …誰かが死んだ方がマシだと考えるとき自分状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。

p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態比較するのではなく、まったく別の事態比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現多義性が原因だ。

・『始めるに値する人生と続けるに値する人生

p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。

p.34 道徳的問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。

●『何故存在してしまうことは常に害悪であるのか』

・『快楽苦痛非対称性

p.40 非存在苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。

p.42 人々を幸福にする積極的義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的義務があると考える人ほとんどいない。

p.44 非対称性思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人場所無人島・火星)」(…非対称的判断)で実証できる。

p.46 積極的功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理要請だと言える。しかし、②を倫理要請だとすると、個人価値幸福価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。

・『存在することと決して存在しないことを比較する』

p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分意味がない。

p.54 楽観主義者快楽苦痛費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽苦痛割合苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人」はつねに相対的に前者が勝る。

・『別の非対称性

p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人人格無視している。…そもそも、出生が利益もつことはない。

p.63 出生された人物権利生殖侵害するということは、その権利請負人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論生殖特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。

p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。

・『生まれたことを悔いないことに逆らって』

p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまたことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。

p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人存在が良い/悪いということは、存在してしまたことが幸福/不幸ということと同じではない。

○第3章『存在してしまうことがどれほど悪いのか』

●『人生の良さと悪さの差が人生の質にはならない理由

p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。

●『何故人生の質の自己判断は信頼できないのか』

p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較幸福自己判断は、実際は相対的指標による。

●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由

・『快楽説』

p.81 人間人生の大部分をマイナス精神状態で過ごす…空腹、渇き便意尿意疲労ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学効果無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー頭痛挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱孤独無力感喪失感、その他、被害感情全般

・『欲求充足説』

p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも欲求が満たされないことも多い。現状維持欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。

p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート人間永遠幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズロー人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。

p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程のものが良いという議論…は明らかに不条理だ。

・『客観的リスト説』

p.92客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生無意味だが、その視点人類視点は大差ない。

p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。

・『三つの見解についてのまとめ』

p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。

●『苦痛世界

〇第4章『子供を持つこと:反出生的見解

●『子作り』

・『子作りの義務はない』

p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。

・『子どもを作ってはいけないという義務はあるのか?』

p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。

p.107 他者の関心…両親、部族民族国家しかし、こうした他者利益を適えることは、それによる当人利益を適えることと表裏一体だ。

p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利制限されるべきだ。

●『子どもを作る自由

・『子どもを作る権利とされているもの理解する』

p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。

・『子どもを作る権利自律性に根拠付ける』

p.114 法的権利道徳的義務対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利妥当ではない。

・『子どもを作る権利無益さに根拠付ける』

p.115 政府子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解

・『子どもを作る権利意見の相違があるということに根拠付ける』

p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理必要条件:ある行為害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為害悪議論余地があるだけでは許されないものもある。

・『子どもを生む権利妥当意見の相違に根拠付ける』

p.118 危害原理例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制アパルトヘイトは明らかに妥当ではない。

p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論比較して十分に検討されるまでは、妥当判断のできる理性的な人々によって、意見妥当に違えることができるかは結論付けられない。

p.121 少なくともリベラル社会において子供を作る法的権利撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。

●『障碍とロングフライフ(望まずに生まれた命)』

p.123 障碍…障碍は社会構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。

p.132 ロングフライフ訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当意見の相違。②QOL評価個人的なものだ(とくに現在のロングフライフ訴訟代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOL評価個人に独特なものではない。の2点の課題がある。

●『生殖補助と人工生殖

・『生殖倫理と性倫理

p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的容認されるという多くの反論がある見解オーラル・アナルセックスレイプ不倫不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖見解」として完全に退ける。

・『誕生悲劇婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。

●『将来生まれてくる人間を単なる手段として考えること』

p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族部族民族種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人手段として扱ってはならないというカンティアン命題によりいっそう当てはまる。

○第5章『妊娠中絶:「 Permalink | 記事への反応(1) | 21:07

2019-10-25

NHK必要

覚悟を決め、先進的な安楽死の事例を反対運動にも屈さず放送するNHK

やはりこの放送局は必要

NHKをぶっ潰すなどと言い放つ勢力に与するわけにはいかない

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